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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1 とはずがたり@元林道部会長 :2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

600 とはずがたり :2020/11/11(水) 14:47:26

すげえ,こんなに残ってるんだ。。

廃鉄の処女Ⅱ
大井川電力専用軌道(大井川ダム付近)
2016-03-25 21:39:23
https://ameblo.jp/ironmaiden666666/entry-12143069093.html

601 とはずがたり :2020/11/11(水) 14:49:34

http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-636.html?sp
大井川発電所と大井川鐡道〜その6 崎平駅交換設備、構外側線〜
専用線跡 2018/02/2821:16 0 0
●崎平駅構外側線
大井川鐡道大井川本線崎平〜大井川発電所1.98kmの側線。
大井川本流筋を流送していた木材を水力発電のため水量が無い区間のみ鉄道輸送するため設けられました。
大井川発電所で使う水は上流の大井川ダムで取水されトンネル水路で大井川発電所まで流れ発電後放水されていました。
1943(昭和18)年にはさらに下流、塩郷駅上流側の久野脇発電所までトンネル水路がつくられ大井川の断流区間がさらに延びたため久野脇発電所対岸に松島側線を設け崎平側線は役目を終えました。
島田まで鉄道輸送する案もあったものの連絡する東海道本線の輸送量が飽和状態で運材列車を島田まで運転することができなかったそうです。
他にも五和側線から索道で大井川を渡して島田軌道に連絡、新金谷からトラックで島田へ木材を運ぶなど木材の大井川越えに苦心しており昭和に入ってからも「越すに越されぬ大井川」の状態でした。

http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-633.html
大井川発電所と大井川鐡道〜その3 大井川専用軌道〜
投稿日:2018-02-22 Thu
大井川専用軌道は千頭駅〜奥泉堰堤土場の路線でした。
新線付替え部分が川根小山〜奥泉、奥泉〜アプトいちしろにありますが井川線千頭〜沢間〜アプトいちしろと一致します。
路線長が資料によって14.41kmとか16.7kmともあり、現在の千頭〜アプトいちしろの営業距離9.9kmとあまりに開きが大きいですがこの理由は謎。側線の距離まで加算しているのでしょうか?
大井川鐵道千頭〜崎平に貨車を直通させる必要があることから1067mmに改軌したものの連結器はピンリンク式のまま。
当初は最小曲線半径55m、最急勾配1/30(33.3‰)、レールは森林鉄道2級線並みの9㎏レールでした。
この軌道は戦時中に電力統制で生まれた国策会社日本発送電、戦後分割されて誕生した中部電力に引き継がれ1954(昭和29)年には井川、堂平へ延長。1959(昭和34)年8月1日に運行が大井川鐡道へ移管され専用鉄道から地方鉄道に昇格しました。

602 とはずがたり :2020/11/11(水) 14:56:54
2019年7月 7日 (日)
寸又川左岸林道最新状況 2019年7月5日現在
http://minamialps-south.cocolog-nifty.com/blog/2019/07/20151213-fdd2.html
第3版 2019年7月5日現在

寸又川左岸林道は、お立ち台より下(しも)でも林道の崩壊が激しく、通行は非常に危険です。

前回第2版以降、行政の林道維持を期待して今回再調査に入りましたが、左岸林道の日向沢橋の下(しも)約300メートル地点で上部稜線からの土砂の大崩落及び林道自体の半崩壊により、通過は困難な状況です。崩壊の状況はお立ち台より上(かみ)と同じで、行政としても今後の維持は放棄せざるを得ないでしょう。この箇所は第1版で解説した場所と同じです。

なお写真は実際よりも安易に見えます。ご注意を。

これで寸又川左岸林道は全域にわたって登山道としての使命が終わりました。残念です。

寸又峡側から大無間山への登山は:

寸又峡温泉〜右岸林道〜千頭堰堤〜お立ち台〜日向山〜鹿の土俵場→大無間山  又は

寸又峡温泉〜朝日岳〜日向山 (筆者未調査)

の2本のみになりました。

603 とはずがたり :2020/11/11(水) 17:58:35

2010年のヨッキは最奥部の手前,釜の島迄林鉄跡を辿り今,左岸林道を帰還の途中。この先の小根橋は2018時点でトンデモないことに。。
https://yamaiga.com/rail/senzu2/main29.html

只今とはずがたりはその奥地に水力発電所を構想中。こりゃ可成り維持は大変だな〜。
http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/sumata00.html


【 寸又峡温泉〜寸又川左岸林道〜光岳 】歴史ある林道の全てが消え去る前に...。
日程 2018年05月04日(金) 〜 2018年05月05日(土)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1454324.html
小根沢橋が見えてきました。なんか凄い事になってるぞ!
橋の上は大きな岩がゴロゴロ。どんな土石流が発生したんだか。。。

604 とはずがたり :2020/11/13(金) 17:02:52
http://yamaiga.com/rail/senzu2/main29.html#part2
この長大な行き止まりの林道を、現代の我々は持て余している。もしこの林道が自家用車で自在に行き来できるならば、光岳でさえ日帰り登山の対象になったろうに……、せっかく立派な道を作ったのに維持することは出来なかった。


http://yamaiga.com/rail/senzu2/main30.html

南赤石林道といってもピンと来る人は多くないだろうが、千頭森林鉄道や左岸林道とは関係浅からぬ道である。
私もそれが分かっているから、ここで初めて「見えた」瞬間は、とても興奮した。
少し説明しよう。

本編の超序盤である導入1で、今から2日前の早朝に左岸林道の入口ゲートを抜けたシーンがあったが、そこで【こんな林道標識】を見たことを思いだして欲しい。
実は、この寸又川左岸林道の現在の正式名は、「南赤石(寸又左岸)林道」といって、南赤石林道の一部を構成するものだ。

そして、同じように南赤石林道の名前を持つ道が、右図の通り、千頭山の各所に点在している。(図の青線がそれ。桃線は現在地からの“視線”を示す)
具体的には、足元の左岸林道の全線と、いま向かっている日向林道の終点付近より分岐している2本の短いピストン林道、それから今見えた前黒法師岳付近の林道が、南赤石林道の構成員である。
中でも、川根本町役場近くから43kmほども伸びて前黒法師岳へ達するピストン林道は、南赤石(南赤石)林道といって、南赤石林道の本線格の存在だ。

もうお分かりだと思うが、これらの異常に長すぎるピストン林道たちは全て、ひとつながりとなる構想を有している。
これらの林道が計画されたのは昭和30年代後半で、当時は東京営林局と長野営林局の垣根を越えて長野県(飯田市、旧遠山村)へ通じる、南アルプス縦断全長100kmに迫る本邦最大級林道兼産業道路兼赤石山脈中枢の山岳観光道路として構想された。鶏冠山と池口岳の間の標高2200m付近にトンネルを抜いて長野県側へ通じることが検討された。

千頭林鉄の時代の伐採地は谷に近いところが多かったが、昭和40年代からは林鉄に代わる林道を中腹や稜線付近に開設し、高地の未開発林の伐採を進めることになった。そのため左岸林道や南赤石林道が千頭営林署の手により猛烈な勢いで整備された。両者を合わせて1年で10km近くも開設された年があったほどだ。だが、50年代以降は国内林業の低迷や環境保護問題もあって(同時期には南アルプスを横断するもう一つの路線である南アルプススーパー林道が、メディアでもしばしば取り上げられた)、延伸が凍結されたまま今日に至る。
それでも、林道名に当時の偉大な構想の名残があるというわけだ。ちなみに、南赤石林道もご多分に漏れず放置されており、山犬段以北の20km以上が完全な廃道状態である。

605 とはずがたり :2020/11/15(日) 16:59:17
現在,ヨッキは左岸林道を帰還中https://yamaiga.com/rail/senzu2/main26.htmlで(正確には10年前の帰還中のレポを順次公開中でw),次々と現れる崩落地にハラハラで,しかもこれは10年前の状況で今はだいぶ崩壊が進んでゐるという情報がピンピンと耳に入り(国土地理院の地図にも当時は記載されていたが既に途中から先は記載はされなくなってゐる),矢も盾も溜まらず2020年版の山と高原の地図43『塩見・赤石・聖岳』を購入してみた。
「寸又川左岸林道は崩落が激しく通行不可」・寸又川左岸林道は日向沢の下で林道完全崩壊(この辺http://maps.gsi.go.jp/#15/35.219802/138.113101/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1)・日向林道完全崩壊・尾根のカーブ先http://maps.gsi.go.jp/#15/35.230705/138.098767/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1で完全崩壊・「寸又川左岸林道は2011年の台風の被害によりお立台(よく出てくるがこの辺http://maps.gsi.go.jp/#15/35.224149/138.097308/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1にある展望台)より上部は崩壊し通行不可能」と恐ろしい表記の連続であり,極めつけは釜の島小屋辺り迄しか載っておらず,もっと北側は載っているのに一番知りたい柴沢とその先の林道は掲載範囲からコの字型に避けられてしまっているのである!!!
登山者からのルートからも外れ一番人跡未踏の奥地になってしまっているのかも。。

606 とはずがたり :2020/11/16(月) 18:25:36
25年前の貴重な映像。
もう国力を失った日本は大金かけて建設したこの道を維持出来なくなってしまっている。。

寸又川左岸林道 往路-1 Re-Edit 1995年9月 (1/6)
https://www.youtube.com/watch?v=cC6QCtF81fo

607 とはずがたり :2020/11/16(月) 20:18:51
2003年西 日本林業経 済研究会 シ ン ポ ジ ウ ム
報告 1? 2
国有林政策 の 変化 と流 域連携
川村 誠 (京都大学大学 院農学研究 科)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rinrin/57/2/57_KJ00008660393/_pdf

3, 千頭 国 有林 の 場合
千頭 国 有 林 は 大井川 上流 の 寸 又 川 流域 を 占め 、 総面積 2 万 6 千 ha 、 そ の 80% が 標高
1,000m 以上 に 位 置す る。 戦後、 モ ミ ・ツ ガ天然 林 お よ び ブナ 帯 に 広が る 針広混 交林 の 拡
大造林 が 進 め られ 、大井川下流の 島田 ・金谷 地域 に はパ ル プ ・チ ッ プ産業や 木箱仕組板製
材 な ど木材 加工 産地 を 生 み 出 した。 1960 年代 か ら 70年代前半に は年 間伐 採量 が 10万 m3
を超 え 、要員 も約 1,000 人 を 数え た 。 しか し、 80 年代末 に は既 に 2 万 m3 を 割 り込 み 、 基 幹
的な 作業職 員 も 100 人体制 とな っ て い た。 そ れ で も 90 年 当初 に は 63 人 在職 して い た もの
が、そ の 後 の 補充 な く、 2003 年 に は わ ずか 2 人 とな っ て い る。 現在 、 千 頭担 当 の 職 員 は、
事務 6 名、技 術 4 名で あ り、来年 に は 定年退 職 に よ りこ れ も減 る 予定 で あ る 。 2003 年現 在、
直営生 産 220m3 、 立 木販売 700m3 に過 ぎ な い 。 間伐 は分 収育林地 に 限 り行 われ て い る 。
そ れ で は 、流域 環 境の 保 全 に必 要 な管理 業務 は ど うな っ て い るの だ ろ うか。 既設の 林道
延長 159km の 内、常 に 通 行可 能 な林 道 は 寸又 川左岸 林道 の 1 線 40 km の み で あ る。 植伐
作業が な く、 林道 復旧や 維持管理 の費用 が 出な い 。 す な わ ち、 管理 業務 に特化 す る として
も、 現 場 に 到 達す る こ とす ら困難 な状況に あ る。

608 とはずがたり :2020/11/19(木) 22:24:06

森茂林道!2018年07月15日(日) [日帰り]

六厩川橋まで廃林道歩き(1日目:森茂林道)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1532477.html

ヨッキは2009年11月。ヨッキが寸又探索したの1年前。この年の5月には我々(とはとにぬけん)は会津を訪れてた。http://tohazugatali.iza-yoi.net/TOHOKU/tohoku-c/R121/R121-00.html#ohtoge
として2010年には息子が生まれている。5月には10歳になった。10年あっちゅー間やなあ。。

岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路) 序→秋町隧道で敗退
https://yamaiga.com/road/akimati/main.html
六厩川橋攻略作戦 序
https://yamaiga.com/road/morimo/main.html

609 とはずがたり :2020/11/20(金) 01:23:50
六厩
すげえ,googleがここまではいりこんどるww

https://www.google.co.jp/maps/@36.1016457,137.0010965,3a,15y,34.97h,70.1t/data=!3m9!1e1!3m7!1sFJ2JVwNG-JQym1zZv1OVxw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i26?hl=ja

610 とはずがたり :2020/11/20(金) 01:24:42
ここ
http://maps.gsi.go.jp/#15/36.101596/137.001057/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

611 とはずがたり :2020/11/20(金) 01:29:10
11年前に轍が復活したのは此処。
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.118871/136.989706/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

こんな所真っ暗な夜8時とか9時とかしかも雨降り出しててとか。。

まあグーグルが来たのもこの赤谷林道分岐のゲートまでか。
https://yamaiga.com/road/morimo/main13.html

612 とはずがたり :2020/11/20(金) 09:10:49
また11年前[山行が]では本線を塞ぐ簡単なゲートだったのが現在[google]では割りとしっかりしたゲートになってたようだ。

https://www.google.co.jp/maps/@36.1016457,137.0010965,3a,45.5y,31.49h,78.2t/data=!3m6!1e1!3m4!1sFJ2JVwNG-JQym1zZv1OVxw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

https://yamaiga.com/road/morimo/main13.html

613 とはずがたり :2020/11/20(金) 13:44:18
【岐阜県・県道257号線-未成道路・附出橋】
岐阜県揖斐川町春日、合併前は春日村と言いました。
その春日を南北に通る県道257号線を南下していたら、工事中の新しい橋がありました。でもそれは…
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_g257tuki.html
この辺か。なんかよくわからんくなってる。
https://www.google.co.jp/maps/@35.4191189,136.4439757,3a,75y,271.35h,97.73t/data=!3m10!1e1!3m8!1s7URU9J70IT4hmb4Vy2Yvrw!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D7URU9J70IT4hmb4Vy2Yvrw%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D45.03763%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i48?hl=ja
地理院やgoo mapでは完成している様に見える。
http://maps.gsi.go.jp/#17/35.418861/136.443833/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.26.48.336N35.24.59.930/zoom/10/

614 とはずがたり :2020/11/20(金) 13:46:31

さ ま よ い の 軌 跡
湖畔霧に消ゆる道その5
路線名 岐阜県道257号一般県道川合垂井線
http://turkey.6.pro.tok2.com/gifu257e.html

岐阜r257…垂井付近
https://www.google.co.jp/maps/@35.3961327,136.4915465,14.92z?hl=ja
ダートになってgoogleは引き返してる。。
https://www.google.co.jp/maps/@35.3997602,136.478675,3a,15y,242.23h,88.29t/data=!3m6!1e1!3m4!1sVnnwY5I8WNrMImxwiTl-hA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
此処
http://maps.gsi.go.jp/#16/35.393476/136.476052/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
林道部を更にさ ま よ い の 軌 跡さんは登っていく。
http://turkey.6.pro.tok2.com/gifu257l.html
此処はどの辺だろう。。
正面の砂防ダム辺りはこれか?
http://maps.gsi.go.jp/#18/35.399287/136.473734/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.28.36.990N35.23.46.731/zoom/10/

車道のどん詰まりの形状はgoogleと地理院で違う。。goo mapはもっと手前で道が消える。。
http://maps.gsi.go.jp/#17/35.400140/136.468745/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
https://www.google.co.jp/maps/@35.3998761,136.4686887,510m/data=!3m1!1e3?hl=ja

615 とはずがたり :2020/11/20(金) 13:51:19

岩井峠
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.27.58.500N35.23.46.181/zoom/8/
不通区間付近
https://www.google.co.jp/maps/@35.4033597,136.4670396,14.92z?hl=ja

r257はこの岩井峠迄開通してた筈が,少なくとも或る時点ではその手前4kmから這入れなくなってた様だ。
http://turkey.6.pro.tok2.com/gifu257q.html

関ヶ原は大学時代後輩どもと割りと何度も行き来した思い出の地。関ヶ原から岩井峠を抜けて垂井へ出たり池田へ出たり謎の工事中の道路を走ったり。氷で凍結した場所を走り抜けた事もある。

先日,まろやかな明神の森通り抜けコースを走ろうと息子と訪ねたが通行止めであった。こんなんばっかりである。

616 とはずがたり :2020/11/20(金) 13:55:54
【険道 / 突如現る未成道】福井県道4号 越前宮崎線【越前町】
109,060 回視聴?2019/12/31
https://www.youtube.com/watch?v=gsSzBj1QWyU

此処は福井r4の未開通区間か?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.5.43.313N35.56.39.000/zoom/8/

ここが未成区間っぽい
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.0.23.865N35.54.38.937/zoom/10/
地理院には気配無し
http://maps.gsi.go.jp/#17/35.913645/136.003650/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
ストビューには明瞭。
https://www.google.co.jp/maps/@35.9147977,136.0037042,3a,16.8y,161.27h,84.04t/data=!3m7!1e1!3m5!1sZj1STQ3UzRFAIMoJJPyIYQ!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DZj1STQ3UzRFAIMoJJPyIYQ%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D67.01348%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=ja

617 とはずがたり :2020/11/22(日) 17:46:50
なかなか凄い。写真もデカくて判りやすい☆

ただトンネルにしか興味が無いのて峠の向こうまで抜けて見ようという心意気が無いのが残念。

道への愛の問題かな〜?ヨッキなら通り抜けて呉れる筈w

軽岡隧道
http://sputoyo877.com/karuoka2.html

ここ
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.039062/137.024982/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

618 とはずがたり :2020/11/22(日) 19:17:56
R472
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93472%E5%8F%B7

富山県富山市八尾町栃折の国道471号交点から岐阜県高山市清見町大原の国道257号交点までの約140 kmは、他の国道との重複区間である。このうち、国道471号との重複区間である、岐阜・富山県境付近の楢峠を含む区間は、豪雪地帯の山越えであるため、6月 - 11月までしか通行できない。さらに、頻繁に側壁崩壊・路肩欠損するため、これらの復旧が終わり実際に通行できるのは冬期通行止直前のごくわずかの期間であることが多い。また、(国道247号との重複区間である)高山市荘川町三尾河から同市清見町楢谷までの区間については、車道が通じていない。

とwikiにある。楢峠は峠と旅http://wellon.lomo.jp/tohge/tohge_6n/nara/nara.htmによると

>起点から僅か200mも進むと、河合村側、しいては岐阜県側最終の人家の前を過ぎる。この先、楢峠を越え、県境を過ぎ、富山県旧八尾町杉平(すがだいら)に至るまでの約20Kmの間、人家は皆無だ。めぼしい建物もない。その付近一帯に広大な無住の地が広がっている。

とある。ほぼ無人の山地で,山の向こうはヨッキのレポでもなかなか凄まじかった利賀,である。

619 とはずがたり :2020/11/24(火) 19:48:37
たなぼたさんの載せてるインクラインすげえw
ケーブルカーみたいなもの?

2016.03.27
峰之沢鉱山宿舎 - 草木と共に枯れゆくコンクリートアパート跡
https://syasin.biz/urbex/minenosawa/

峰之沢鉱山みねのさわこうざん
http://www.hamamatsu-books.jp/category/detail/4d1a01853a024.html
遺構
現在国道152号から青谷橋http://maps.gsi.go.jp/#16/35.003030/137.835685/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1を対岸に渡ることができ、この先が鉱山跡地。鉱員アパートなど当時の遺構がわずかに残っている。当時は橋はなく、船港があり、そこから鉱物を運んでいた。

たなぼた
峰之沢鉱山探索(4)インクライン発見
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2014/01/4-4c3e.html
峰之沢鉱山探索(5)塞がれた坑口
http://yoshio-niikura.cocolog-nifty.com/tanabota/2014/01/5-c593.html

アパート跡これだなっ。グーグルでは橋の名が何故か峰之澤橋と成ってゐる。
https://www.google.co.jp/maps/@35.0020028,137.8418828,153m/data=!3m1!1e3?hl=ja

峰之沢鉱山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B0%E4%B9%8B%E6%B2%A2%E9%89%B1%E5%B1%B1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

産出物 黄銅鉱、黄鉄鉱、磁鉄鉱など

峰之沢鉱山(みねのさわこうざん)は、静岡県磐田郡龍山村(現浜松市天竜区龍山町)にあった日本鉱業経営の鉱山。

概要
1907年(明治40年)に久原鉱業(後の日本鉱業)が買収後、本格的な開発がはじまった銅山。第一次大戦後の不況と鉱山火災により一時休山。昭和に入り経営を再開し、1956年(昭和31年)に最盛期を迎えた。この頃は従業員700人を抱え天竜川を望む山の斜面には鉱山施設の他、鉱員住宅、診療所、会館などが建ち並び活気があった。その後、鉱量や品位の低下・貿易の自由化により打撃を受け、1969年(昭和44年)に閉山となった。跡地には現在も鉱員アパートなどの、当時の遺構が残っている。

620 とはずがたり :2020/12/02(水) 00:12:22
>>600-607

http://yamaiga.com/rail/senzu2/main32.html
後で小耳に挟んだ内容だが、この頃(2010年頃)の左岸林道と日向林道は、毎年春に重機を出して途中まで開通させた後は、翌春まで放置されることが通例であったらしい。なので私が千頭山に引きこもっていた3日間が、たまたま年一回の路上整備に重なっていたようである。(そして現在は、この作業が行われていない)

個人的には水力発電ダムを寸又川に建設,林道の復活を図りたい。

http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/sumata01.html

釜ノ島・栃沢・大根沢・小根沢は林道沿いの標高の高い場所に取水口を作るので左岸林道を復活させる。

小根沢〜入口(朝日トンネル付近)は不用意に高いところ走って土砂崩れのきっかけになってるし廃止。

小根沢沿いに川を下り林鉄の経路である川沿いを辿る事にしたい。


逆河内も寸又川から奥側の日向林道を復活。出口側は廃止して同じく川沿いの林鉄跡の改良で千頭堰堤に至る,としたい。

千頭堰堤から小根沢までの川筋は比較的広くて蛇行する川に囲まれた山も高くなく土砂崩れの土砂の量も少なそうで環境負荷も小さいのではないか?

621 とはずがたり :2020/12/02(水) 13:50:51
異様に線形良いから改良されたのは明らかだけどあんま現状を把握してなかった篠ノ井線。こんな感じであった。

https://blog.goo.ne.jp/nekodam2014/e/70df67232c97c35d0a5204c7fa8ba9aa
滝上峡の旧トンネルと篠ノ井線廃線(筑北村)

622 とはずがたり :2020/12/06(日) 00:15:59
赤萩改良区
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1335173560197918721

623 とはずがたり :2020/12/11(金) 17:26:00

ホノケの傍の廃村

https://www.youtube.com/watch?v=o0FwoXLjOwA
【廃村 廃墟】南越前町菅谷。村はあるが人は消えた廃墟だけが残る温かい場所。ノスタルジックで帰りたくなくなった。フェマールさんの廃系を語るも収録w 廃道、廃トンネルは今回ないよ
26,126 回視聴?2019/07/22


https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92915-1102+%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C%E5%8D%97%E6%9D%A1%E9%83%A1%E5%8D%97%E8%B6%8A%E5%89%8D%E7%94%BA%E8%8F%85%E8%B0%B7/@35.7818233,136.1628398,14z/data=!4m5!3m4!1s0x5fff560083373587:0xc3a1f3dca916e8b0!8m2!3d35.7873392!4d136.1374541


http://maps.gsi.go.jp/#16/35.791979/136.129242/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

624 とはずがたり :2020/12/11(金) 17:43:44

【廃鉱山 険道 トンネル】滋賀県土倉鉱山跡のその先へ! 廃トンネルもあり。 ちょっと酷な道でした・GoProMAX 字幕ON推奨! Multinational translation
https://www.youtube.com/watch?v=-CAurPna30Y

土倉鉱山跡/廃墟観賞の本質にみる残酷さ
http://touge1000.com/touring_spot/548/

北陸自動車道を木之本インターで降り、やっと高速道路での小排気量バイク・セローの悲哀から解放された。国道303号に入り八草峠を目指して快走していると、右手に「土倉鉱山跡」の看板が目に入る。一旦は通り過ぎたが、今日は帰宅時間の心配が無いキャンプツーリング、時間はたっぷりあると引き返すことにした。


「滋賀のラピュタ」知ってる? 朽ち果てた鉱山跡…散策ツアーも
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/368037
2020年10月6日 14:33

 岐阜県境に近い滋賀県長浜市木之本町金居原の山中に、かつて鉱山の町があった。銅鉱石が採掘され、1965年に閉山した土倉鉱山。人の手を離れた山奥にはトチノキの巨木林も残り、近年は散策ツアーが行われる。閉山から半世紀を経た産業遺産と豊かな自然が、新たな地域資源として価値を見直されている。

 鉱山は杉野川上流で明治末期に採掘が始まった。昭和30年代には人口が千人を数え、住宅や商店、映画館が並んだ。しかし、海外から安価な銅が輸入され、採算が合わなくなり閉山した。

625 とはずがたり :2020/12/13(日) 16:43:56
【林道】世にも珍しい木製ガードレールのある、国道476号線分断区間の迂回路ダート林道!県道(険道)迂回路よりも超快適なカーブ連続道を走破!森林基幹林道今庄・池田線(字幕ON推奨)
20,142 回視聴?2020/03/20
https://www.youtube.com/watch?v=6I3GBwHGlJE

ストビュウ北側末端
https://www.google.co.jp/maps/@35.8412399,136.2884603,3a,87.9y,155.12h,70.95t/data=!3m6!1e1!3m4!1sYGtFO_ZPFgJONJQNtR-H4g!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja


今庄・池田線
https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/moridukurika/rindou/imajouikeda.html
<概要>
 今庄・池田線の計画されている地域は、スギを中心とした若齢林が広く点在しています。
 これらの若齢林は、将来的にこの地域の森林を担う貴重な財産であり、きめ細かい保育作業を行っていく必要があります

626 とはずがたり :2020/12/13(日) 16:48:56
>>625

ストビュー南側入口
https://www.google.co.jp/maps/@35.8154997,136.3012534,3a,75y,48.96h,87.61t/data=!3m9!1e1!3m7!1s2kPsgow5eMNsiLvWiTtddA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i30?hl=ja

峠付近
https://www.google.co.jp/maps/@35.8245598,136.2968264,3a,75y,192.41h,72.09t/data=!3m11!1e1!3m9!1sAF1QipPkFZO2mflr5hjMOUOVCwjLMLuy9-c_CMtff6K4!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipPkFZO2mflr5hjMOUOVCwjLMLuy9-c_CMtff6K4%3Dw203-h100-k-no-pi-0-ya9.544452-ro-0-fo100!7i6720!8i3360!9m2!1b1!2i30?hl=ja

627 とはずがたり :2020/12/13(日) 17:03:22

【林道 高規格トンネル】(字幕・翻訳)林道なのにトンネル出入口に電光掲示板がある!だけど中は電気点いてない(笑)九十九廻坂トンネル。分断県道172号線&福井県大野市ふるさと林道美山・大野線
18,911 回視聴?2020/03/28
https://www.youtube.com/watch?v=u4YAWhD5kOo

ふるさと林道
『林道 美山大野線(九十九廻坂トンネル)』
2011/11/12
所 在 地:福井県福井市皿谷町〜大野市
http://keichan.sakura.ne.jp/g362_miyama/gravel_0362-1.html

ストビュウトンネル前
https://www.google.co.jp/maps/@36.0107549,136.4547763,3a,75y,310.94h,79.62t/data=!3m6!1e1!3m4!1sBGvZO3OZI9s-q9FEz7b9uw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
北側分断県道末端部と林道分岐部
https://www.google.com/maps/@36.0246513,136.4330247,3a,75y,145.76h,77.7t/data=!3m7!1e1!3m5!1saxOT5x0tnD9KBv_992A5og!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DaxOT5x0tnD9KBv_992A5og%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D238.0008%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656

628 とはずがたり :2020/12/13(日) 18:58:54
おお,この前云ってきたが,走破してる人居る。この時(20年1月?)は工事してないんだな。入口と出口を見たけど間抜けるのに15分位だったんだな。。30分以上かけた気がする。。


名ばかりの通行止め 滋賀県道285号線
https://www.youtube.com/watch?v=xI68b1RtPCE

629 とはずがたり :2020/12/13(日) 19:22:45
余呉町上丹生と木之本町杉本を結ぶ杉本トンネル。場所はここhttps://maps.gsi.go.jp/#15/35.560108/136.241241/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0。なかなか古くて狭くて迫力有り。12月から冬季通行止めとの事だったけど電気は点いてるし地元車っぽいクルマともすれ違うしで雪が積もる迄は皆,自由に通ってる様だったw

なかなか良い感じの古隧道。

此処も動画上げてる人居るわ〜。まあ相手が軽じゃないと離合が厳しくガードレールもあんまない程度なので険道と煽る程の道では無いけど。

https://www.youtube.com/watch?v=lhs1y_mGxLQ

630 とはずがたり :2020/12/13(日) 19:33:17
懐かしい。学生時代のフィールドだった。
雲ヶ畑から車道に沿ってずんずん行くと府道を知らん間にそれて魚谷峠http://maps.gsi.go.jp/#15/35.146214/135.737264/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1に至りそれを越えて中津川経由で雲ヶ畑に戻ってくるルートが王道。
芹生には

【腐道★ / 分断府道を端点まで】京都府道61号 京都京北線 part 1
https://www.youtube.com/watch?v=1ZgFfgVLe4s

ストビュウは此処迄
https://www.google.co.jp/maps/@35.142324,135.7222154,3a,45y,7.66h,91.9t/data=!3m9!1e1!3m7!1snXRSq3vFD7EC4RUS4JHzOg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i30?hl=ja

誰かが此処をアップしている。
https://www.google.co.jp/maps/@35.1508092,135.7198305,3a,28.8y,356.98h,82.16t/data=!3m11!1e1!3m9!1sAF1QipMmR5sbg_BgSXOfFJYZH6OjPOABZwO_IhnPFags!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipMmR5sbg_BgSXOfFJYZH6OjPOABZwO_IhnPFags%3Dw203-h100-k-no-pi0-ya342.70938-ro-0-fo100!7i8704!8i4352!9m2!1b1!2i30?hl=ja

京北側の未成区間がどう繋がる予定だったのかが気になる。。
http://maps.gsi.go.jp/#16/35.176308/135.710260/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

631 とはずがたり :2020/12/22(火) 14:34:17
岡山臨港鉄道廃線跡を巡る 廃止36年、遊歩道や道路…に
特集|おかやま動画見聞録
https://www.sanyonews.jp/article/1083514/?utm_source=dlvr.it&amp;utm_medium=twitter

 岡山市の岡南工業地帯への物資と旅客輸送を目的に1951年8月開業した岡山臨港鉄道(大元―岡山港間、8・1キロ)。84年12月の廃線から36年、線路跡地は遊歩道や市道、宅地に生まれ変わり、タンク車などを連ねた貨物列車や市民の通勤・通学の足となったディーゼルカーが走った面影を探すのは難しくなっている。

 「午後9時過ぎに岡山港方面に向けて走る列車の警笛を合図に眠りについていた」。こう振り返るのは、沿線に住み、岡山市立南公民館(同市南区芳泉)の地域研究会代表を務める荒木篤文さん(72)=同福田。研究会は、2015年、同鉄道の記憶に後世に残そうとパネル展を開いた。「予想以上の反響に、地域の人々の思い入れの深さを感じた」

 トラックへの転換などよる貨物輸送の落ち込み、自家用車の普及による乗客減を理由に廃止が決まり1984年12月29日、最終列車が走った同鉄道。路線跡のうち大元駅から国道30号までの約2キロ間は同市が、並木道の続く歩行者・自転車専用道路として「臨港グリーンアベニュー」として整備、市民の生活に溶け込んでいる。

 一方、同並木町から岡山港方面の南東へ約3キロの区間は、宅地や企業敷地に姿を変え鉄道の痕跡をたどることは困難だ。荒木さんは今秋、同鉄道を回顧する冊子を製作した。「当時を知る人の記憶を紡いで、末永く臨港鉄道の記憶を語り継いでいきたい。機会があればまた展示会を開きたい」と話している。
(2020年12月21日 20時27分 更新)

632 とはずがたり :2020/12/29(火) 23:07:42
>>243>>549
行ってきたが現地で急遽目的地に入れたのでこれを読んでる暇なかったのでてきとーに橋の上から下の写真撮っただけ,,

https://twitter.com/tohazugatali1/status/1343795931422941184
とはずがたり
@tohazugatali1
三峰口駅最末端部。既に線路は剥がされてる

633 とはずがたり :2020/12/30(水) 20:18:06
カビだらけの実験室、放置された薬品瓶…元研究所の「ヤバい廃墟」に潜入したら“闇”が深すぎた
鹿取 茂雄2020/12/29
https://bunshun.jp/articles/-/42594

その名も「バイオハザード研究所」ウィルス蔓延る危険廃墟を探索
2019年1月24日
https://www.itamiwake.com/biohazard-shigeta/

人里離れた県道沿いに堂々と立つこちらこそが件の廃墟、「バイオハザード研究所」です。

この廃墟は元々、製薬会社でした。動物の血液型を判定する薬を作っていたんだけど、その薬を許可なく販売していたため、薬事法違反で経営者が逮捕されたんだそうな。

さらに言うとこの会社の社長は、それ以前も輸血用の犬の血液を販売する会社を運営していて、その会社が倒産したときに数百匹の犬を放置して大きな問題になったとか。

そう、この会社、というかこの経営者、色々と疑惑が付きまとうのです。

この会社のことを調べると、インターネット上では様々な疑惑に関する情報が記載されています。特にヤベェのが、「鳥インフルエンザのウイルスをばら撒いて、敵対していた業者を潰したのでは?」という疑惑。

あくまでネット上の話だし、疑惑が浮かんだ理由も「鳥インフルエンザが話題になった後、すぐに対応するワクチンを宣伝した」みたいなものなので、信憑性としてはどうなんだろうくらいのものですが、犬を放置したり、薬事法に違反したりと前科があるのでさもありなん。

シゲタ動物薬品工業
https://haikyo.info/s/13946.html

1988年設立。2000年に「ブルー十字動物血液センター」から商号変更し、食品のDNA検査などを行っていた。

未承認の犬用血液型判定薬を販売したとして2007年11月に社長のN被告ら5人が逮捕され、2008年2月末に事務所を閉鎖、同年に倒産した。負債総額は約13億円とされる。

2008年5月22日に同社社長に対し、懲役1年6月・執行猶予4年、罰金100万円との地裁の判決が下された。

シゲタ動物薬品工業は閉鎖前の2007年5月、「カルタヘナ法」(遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律)に違反した組換え生物の使用に対する再発防止策を徹底するよう、文書で厳重注意を受けている。

シゲタ動物薬品工業およびその研究機関で同一住所の「人獣共通感染予防医学研究所(人獣研)」、関連団体だったらしい消費者団体「食の安全協会」「食の安全を守る会」が共謀し、養鶏農家にQ熱ワクチンを売りつけ、養鶏業界などとの間でトラブルになっている。「○○の鶏卵は危険」等の怪文書をスーパーなどにまき、鶏肉・鶏卵の不安を煽ってワクチンを販売していたらしい。

また、前身となったブルー十字動物血液センターは1997年4月、440頭の犬猫を置き去りにする事件を起こしている。

シゲタ動物薬品工業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B2%E3%82%BF%E5%8B%95%E7%89%A9%E8%96%AC%E5%93%81%E5%B7%A5%E6%A5%AD

シゲタ動物薬品工業株式会社(シゲタどうぶつやくひんこうぎょう、英語: SHIGETA Animal Pharmaceuticals[2])は、富山県小矢部市にかつて存在した動物用医薬品の研究・開発・製造などを行なっていた企業である。

1984年に犬猫用血液型判定薬の製造販売を行う「株式会社ブルー十字」(本社:石川県金沢市)として設立された。

2000年3月9日に「株式会社ブルー十字」から商号を変更し、「シゲタ動物薬品工業株式会社」となる[4]。主力商品である動物用血液型判定薬、血液製剤の製造販売のみならず、バクテリアにより生ゴミなど有機性廃棄物を完全に分解することが可能な業務用廃棄物処理機「コビタン・ディスアピア」[5]の開発・販売や、DNA検査による食品の産地、原材料の特定[6]など幅広い事業を展開していた。また、モノクローナル抗体を用いた高精度の「シゲタ式」犬猫血液型分類法[7] の開発や、インドネシアのボゴール農科大学と共同で[1][8]高病原性鳥インフルエンザワクチン「H5N1型」の遺伝子組換えワクチン株の開発に世界で初めて成功するなど、独自の技術も多数保有しており、テレビ局や新聞社などの取材や検査依頼なども多かった。また、2007年9月6日から8日開催の「2007NEW環境展」の大阪会場にも参加していた[9]が同年11月に社長の西尾義行元被告ら5人が未承認の犬用血液型判定薬を販売したとして逮捕され[10][3]、2008年2月末に本社を閉鎖、同年に倒産した。負債総額は約13億円とされる。

なお社長らの逮捕前の2007年5月にも文部科学省から遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律に基づく適切な措置を執らずに遺伝子組換え生物等の使用をしていたとして千葉県がんセンター、国立大学法人広島大学とともに文書による厳重注意を受けている[11]。

現在本社跡地は立ち入り禁止となっており、建物内部に多くの薬品や機材が残された状態で放置されている。

634 とはずがたり :2021/01/21(木) 12:41:25


赤岩とイラ窪で6軒程家があったか?

「列車が1本も停まらない駅」赤岩駅、3月12日に廃止 奥羽本線
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1439271704/3382

赤岩駅
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1439271704/3385

町庭坂(イラ窪)への道  《 熊に出会う》
http://www11.plala.or.jp/yamagutiya/page016.html

廃墟検索地図 イラ窪
https://haikyo.info/s/12737.html
1980年代の半ばに無人化した。
倒壊した廃屋が数軒見られる。

いにしえの道を歩く/廃村李平宿-2020-06-14
https://yamap.com/activities/6658756
明治になり、万世大路・奥羽線が開通し
大正時代に廃村になったそうです。


googleは大平迄入って入るが既にがらんとした人は殆ど住まず,畑が残ってるだけの土地っぽい。通いか。
https://www.google.co.jp/maps/@37.8082024,140.3439896,3a,75y,196.8h,79.43t/data=!3m6!1e1!3m4!1syC5UY83jbTIlSZtU4hLqNA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

635 とはずがたり :2021/02/02(火) 23:52:35
穴だ!

https://www.google.co.jp/maps/@43.0896348,140.4652286,3a,69.6y,163.39h,90.6t/data=!3m7!1e1!3m5!1s2Q_gobWOcEK83Nd70ldM_A!2e0!6s%2F%2Fgeo1.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D2Q_gobWOcEK83Nd70ldM_A%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D106.25281%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656

636 とはずがたり :2021/02/10(水) 18:41:01

廃道への道

羽幌町 町道通行止箇所図
https://www.town.haboro.lg.jp/kurashi/kankyo/road/files/choudoutuukoudome.pdf

637 とはずがたり :2021/03/28(日) 11:04:35

日足トンネルを通らずに旧道の細尾峠を越えてみた。恥ずかしながら足尾はてっきり群馬かと思ってたが日光市で吃驚した。
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1375825803288604675

足尾は近年は下都賀郡(今の鹿沼市と日光市が主)に属していたが元々は今の佐野市が中心の安蘇郡に属していたそうだ。
足尾の栃木県内の通行はこの細尾峠(R122)の他,粕尾峠(r15)があるが,これは今の鹿沼市と通じており,いずれもその前は下都賀郡であるが,当時は粕尾ともう一筋南西,r199沿いの永野も安蘇郡だった様だ。これらが安蘇郡だと今の佐野市と接する(もう一筋南西のr200沿いの秋山)が現代の交通体系では川沿いになって寸断されていて,鹿沼よりも栃木市なんかと関係は深そうだが佐野市ではなさそうなのは理解出来る。(今でもr200からは林道大荷場木浦沢線を通じて鹿沼と繋がっているhttps://ashikaga-sano.goguynet.jp/2020/08/19/closed200/様だ。これが古いルートなのかも。グーグルhttps://www.google.co.jp/maps/@36.54748,139.507306,3a,90y,29.82h,88.98t/data=!3m7!1e1!3m5!1seteGLzL6WaFPuzg7Ldi1mQ!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3DeteGLzL6WaFPuzg7Ldi1mQ%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D130.49799%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=jaにもしっかり載っている!!)

安蘇郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%98%87%E9%83%A1
上都賀郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%83%BD%E8%B3%80%E9%83%A1

一方,渡良瀬川を下ると山田郡大間々町と新田郡笠懸町と勢多郡東村の3郡3町村で対桐生で成立したみどり市(市町村合併ウオッチは熱心にやった心算だったがこの辺はぐちゃぐちゃの印象。桐生と合併せいぐらいにしか思ってなかったが3郡跨いだ3町村の合併だったとは・・)だが古くからの街である大間々と新興の笠懸を主軸とした町である。

わたらせ渓谷鉄道(足尾線)は主に勢多郡沿いにあったようだ(東村[花輪・神戸・沢入]や大間々町と合併した神梅・塩沢)。この勢多郡は赤城山の周辺であるが,明治期二つに分割されて北勢多郡は利根郡と合併して利根郡に,南勢多郡は東群馬郡と合併して勢多郡になったようだ。

いずれにしても行政区画は入り交じり交通手段などの変更を経て変更されてきているようだ。

南勢多郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8B%A2%E5%A4%9A%E9%83%A1

639 とはずがたり :2021/03/28(日) 11:07:39

日足トンネルを通らずに旧道の細尾峠を越えてみた。恥ずかしながら足尾はてっきり群馬かと思ってたが日光市で吃驚した。
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1375825803288604675

足尾は近年は下都賀郡(今の鹿沼市と日光市が主)に属していたが元々は今の佐野市が中心の安蘇郡に属していたそうだ。
足尾の栃木県内の通行はこの細尾峠(R122)の他,粕尾峠(r15)があるが,これは今の鹿沼市と通じており,いずれもその前は下都賀郡であるが,当時は粕尾ともう一筋南西,r199沿いの永野も安蘇郡だった様だ。これらが安蘇郡だと今の佐野市と接する(もう一筋南西のr200沿いの秋山)が現代の交通体系では川沿いになって寸断されていて,鹿沼よりも栃木市なんかと関係は深そうだが佐野市ではなさそうなのは理解出来る。
(今でもr200からは林道大荷場木浦沢線を通じて鹿沼と繋がっているhttps://ashikaga-sano.goguynet.jp/2020/08/19/closed200/様だ。これが古いルートなのかも。https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.29.47.063N36.35.42.917/zoom/8/の他グーグルにも(ストビューも!)しっかり載っている!!)

安蘇郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%98%87%E9%83%A1
上都賀郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%83%BD%E8%B3%80%E9%83%A1

640 とはずがたり :2021/03/28(日) 11:08:17
>>639
一方,渡良瀬川を下ると山田郡大間々町と新田郡笠懸町と勢多郡東村の3郡3町村で対桐生で成立したみどり市(市町村合併ウオッチは熱心にやった心算だったがこの辺はぐちゃぐちゃの印象。桐生と合併せいぐらいにしか思ってなかったが3郡跨いだ3町村の合併だったとは・・)だが古くからの街である大間々と新興の笠懸を主軸とした町である。

わたらせ渓谷鉄道(足尾線)は主に勢多郡沿いにあったようだ(東村[花輪・神戸・沢入]や大間々町と合併した神梅・塩沢)。この勢多郡は赤城山の周辺であるが,明治期二つに分割されて北勢多郡は利根郡と合併して利根郡に,南勢多郡は東群馬郡と合併して勢多郡になったようだ。

いずれにしても行政区画は入り交じり交通手段などの変更を経て変更されてきているようだ。

南勢多郡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8B%A2%E5%A4%9A%E9%83%A1

641 とはずがたり :2021/03/28(日) 12:12:37
>>638-639
年譜

江戸時代 江戸時代の後期に発見された足尾銅山で採掘された銅を、利根川水系まで運ぶために開通した街道が122号の前身
1877(M10)閉山同然となっていた足尾銅山に古河市兵衛が経営に参画
1878(M11)安蘇郡足尾町=佐野方面(●今のr15鹿沼足尾線・林道大荷場木浦沢線・r200秋山葛生線で連絡か?)
1881(M14)足尾銅山で有力な鉱脈を発見
1884(M17)増大する精錬処理に対応する為に現在の場所に集約した(足尾銅山の風景)→●1881の鉱脈発見に伴うものだろう
1889(M22)町村制施行・下都賀郡足尾町=日光方面(R122細尾峠)・鹿沼というか栃木方面(r15粕尾峠)と往来
1891(M24)田中正造,国会で足尾銅山の鉱毒を告発
1905(M38)市兵衛の死後,足尾銅山は古河鉱業の経営となる。
1906(M39)足尾銅山日光電気精錬所操業開始・索道で運んだ(wiki日足)とのことなので●これに併せて索道開通したのだろう
1912(T元)12月足尾鉄道が沢入〜足尾を開業させる。 翌1913.10,国が借り入れ足尾線と改称。更に翌14.8足尾〜足尾本山開業。
1918(T7)6月買収,国有化
1920(T9)足尾銅山日光電気精銅所は古河電工として分離→●足尾線の国有化によって日光(清滝)と足尾に分かれてた精錬だがこちらは古河電工として分離した形か?小松(1981)にも「当所は,操業以来,古河鉱業その他の製錬所から粗銅の供給を受ける委託製錬所であり,能力増強後の現在において も委託 に加え自社購入粗銅の製錬を行なつており,鉱石から一貫した生産を行なう一般の製錬所と根本的に異なつている。」としている。
1972(S47)古河電工の日光電気精銅所として分離
1973(S48)足尾銅山閉山
1978(S53)日足トンネル開通
1989(H元)国鉄足尾線の貨物輸送廃止以降,海外からの輸入鉱石による製錬を停止(wiki足尾銅山)。休止同然だった間藤〜足尾本山はわたらせ渓谷鐵道の未成線となる(wiki足尾線)。微妙に記述がズレてる感じがするが●国鉄足尾線末期には鉱石輸送も低調だったのだろう。わた鉄は足尾の精錬事業の貨物を宛てにして発足したけど輸送が終わってしまって苦悩している樽見鉄道パターンかと思ってたけど違う(最初から輸送はしてなかった)様だ。硫酸とかトラックでは高コストの危険物を輸送してたんちゃうのか。

足尾銅山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%8A%85%E5%B1%B1
小松新樹「日光電気精銅所における銅精錬」日本鉱業会誌1981
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigentosozai1953/97/1122/97_1122_624/_pdf/-char/ja
足尾精錬所のある風景
http://shorebook.jp/ashi/kinsan33sei1.html
わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線(足尾線)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%9B%E6%B8%93%E8%B0%B7%E9%90%B5%E9%81%93%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%9B%E6%B8%93%E8%B0%B7%E7%B7%9A
国道122号線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93122%E5%8F%B7
日足トンネル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%B6%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

642 とはずがたり :2021/03/28(日) 12:37:46
>>629

因美南線那岐駅の向こうのr6とr295も似た様な通行止めだった。

https://twitter.com/tohazugatali1/status/1373127683953938434

岡山県道・鳥取県道6号津山智頭八東線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%93%E3%83%BB%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E9%81%936%E5%8F%B7%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E6%99%BA%E9%A0%AD%E5%85%AB%E6%9D%B1%E7%B7%9A

鳥取県道295号西宇塚那岐停車場線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E9%81%93295%E5%8F%B7%E8%A5%BF%E5%AE%87%E5%A1%9A%E9%82%A3%E5%B2%90%E5%81%9C%E8%BB%8A%E5%A0%B4%E7%B7%9A

643 荷主研究者 :2021/03/29(月) 23:09:56

https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/280094
2021/03/15 09:00 上毛新聞
《幻の集落 根利山の軌跡》群馬・栃木県境にかつて3千人以上の村

木材などを運んだ索道の本線入り口(沼田市提供)

砥沢の集落で行われた盆踊り=1930(昭和5)年(沼田市提供)

砥沢にあった大工小屋の石垣(右)と事務所の石垣(左)。真ん中を鉄索が通っていた(沼田市提供)

◎役割―足尾銅山を林業で支える

 そこにはかつて、美しい村が存在した―。

 旧利根村(現群馬県沼田市利根町)と栃木県境に位置し、日本百名山の一つに数えられる「皇海山」西麓一帯。山の南西面の谷々は深く、いくつもの清流が険しい沢を刻む。そんな深山幽谷の地に「根利ねり山」はあった。

 1898(明治31)年、足尾銅山(栃木県)の木材資源の供給地として、古河鉱業が根利林業所を開設した。鉱山事業には膨大な木材が不可欠。当時、同社は鉱毒問題を抱えていたが、足尾全山の坑道をつなぐ動脈が完成するなど鉱山経営は転機を迎えていた。

 同社が本県に林業所を置いたのには訳がある。明治20年代に入り、銅山周辺の山は木材が枯渇し始めた上に山火事も発生、山林が荒廃を極めたからだ。新たな資源を求めて開設した同林業所を拠点に、作業区域は根利国有林の一部と、以前から同社が所有していた平川山林の大森林地帯に及んだ。

 根利山は、足尾銅山で使う木材を切り出すための従業員と、その家族によって造られた集落の総称だ。砥沢、平滝という二つの大きな集落があり、林業の最盛期には3千人以上が暮らしていた。

 ロープウエーのような本格的な空中ケーブルを使った鉄索技術が導入された。総延長は2万7千メートル。この索道は多くの木材を運搬しただけでなく、住民の生活物資を足尾から届ける生命線だった。

 根利山は明治、大正、昭和と日本の近代化の一翼を担った足尾銅山の繁栄を支え、1939年に閉山。戦後の木材需要の高まりに伴い、古河鉱業から三陸木材工業に一部の山林が売却されると51年から再び開発が進められ、平滝が復活し、64年まで存在した。
    ◇   ◇    
 沼田市歴史資料館は4日から1カ月間、根利山の軌跡を紹介する企画展を開く。閉山から約60年。歴史や文化、当時の暮らしをたどり、役割を見つめ直す。

◎生活―足尾から物資で営み豊か

 根利山には宿舎のほか、神社や寺院、診療所、映画館などさまざまな施設があった。奥深い山の中でありながら、当時の最先端の文明が足尾(栃木県)から入ってきたため、生活に不自由はなく、鉄道が引かれていない沼田よりもはるかに近代化されていた。

 毎日の暮らしに必要な米やみそ、しょうゆ、塩、酒、油など多くの生活物資は足尾から索道で届いた。タラコやサンマ、サケなどの海産物もたるや箱で運ばれ、新聞や雑誌、郵便も毎日届いた。日用雑貨類やたばこなどは、村で唯一の商店が扱っていた。当時は無医村が多かったが、砥沢と平滝には医師が常勤する医局が置かれ、駐在巡査もいた。

 大人の生活のためという都合でこの地に暮らした子どもたちにとって、課題となったのが教育だという。砥沢と平滝には1909(明治42)年に小学校が設けられ、児童は最も多いときで砥沢147人(20年)、平滝162人(19年)が在籍していた。

 山の四季の移ろいは美しい。春になると雪を割ってフキノトウが顔を出し、マンサクやネコヤナギが山の道に彩りを添えた。伸びる日脚とともに雪が消え、木の芽がふくらむ4月下旬には、住民が一年で最も楽しみにする山神祭が行われた。

 村の中心を通る道路にはアーチやあんどん、ぼんぼり、造花が飾られ、大きなのぼりがはためいた。音楽隊や仮装行列、沼田からやってきた屋台も並び、子どもたちが歓声を上げた。獅子舞の奉納では住民が村の安全を願った。

 夏は7月15、16日の盆踊りが最大の行事。広場にやぐらを建て、老若男女が浴衣姿で盛大に踊った。秋は小学校の校庭で、学校や青年団など住民合同の運動会が行われた。

 9月末から10月中旬にかけて紅葉が見頃に。10月が終わる頃には木枯らしが吹き始め、時雨から雪に変わる。辺り一面がゲレンデと化し、お手製のスキーで原生林を滑るのも楽しみの一つだった。

644 荷主研究者 :2021/03/29(月) 23:11:12
>>643-644 続き

◎未来―“別天地”の記憶を後世に

 根利林業所は1939年に閉鎖された。理由は、足尾銅山(栃木県)の衰退に伴い、伐採の必要性が減少したからだ。当時、住民の出身地は、本県をはじめ、足尾などの栃木県、富山県、石川県など多岐にわたっていた。閉山後は近隣の里で新しい生活を始める人、遠く離れた土地に移る人とさまざまだった。

 67年、根利山で暮らしていた人たちは「根利山会」をつくった。毎年8月3日に集まり、先祖の墓参りのため山を訪問。定期的に会報「皇海」を発行するなど、長年にわたり、失われた古里をよりどころにした。だが、徐々に高齢化で現地入りが不可能になり、2005年に解散した。

 根利山の歴史、文化、住民の暮らしぶりを後世に残そうという動きは多方面に広がった。03年には、ダム建設中止に伴って閉鎖された水資源開発公団栗原川ダム調査所と、旧利根村、村教委が協力して現地調査を進め、本にまとめたこともあった。

 皇海山登山口近くの道なき道を2時間ほど進むと、砥沢の集落跡につながる。根利山会が拠点とした手作りの小屋「皇海荘」のほか、土場の石垣、住居や学校の跡など、人々が確かに暮らした痕跡が皇海山の麓に眠っている。10年ほど前まで市民有志らが訪れていたが、崖崩れや雪崩などの影響で現在は山道を通ることはできないという。

 利根村の記録には、根利山を、俗世から離れた世界を意味する別天地とする記述も残る。「今は語り継ぐ人もいなくなり、根利山のことを知る人はほとんどいない。機運が高まれば、山道や跡地が整備され、観光地など何らかの形で“復活”することもあるのでは」。沼田市歴史資料館の高山正館長は、開催中の企画展「足尾銅山を支えた根利山」の意義を語る。

 会場に並ぶ写真や住民たちの声は、消えた集落に再び光をともすだろう。根利山は「幻の集落」と呼ばれたが、人々が絆を強め、生きた証しは決して幻ではない。

(沼田支局・堀口純が担当しました)

645 とはずがたり :2021/04/07(水) 00:08:29
営業はしない。ライバルも見ない。プロ廃道探索者の「自己防衛の仕事術」
https://goworkship.com/magazine/niche-onlyone-7/

646 とはずがたり :2021/04/10(土) 21:16:38
>>615

明神の森再訪。
今日は上まで登ってみたが封鎖されていた。
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1380800207005249541

647 とはずがたり :2021/04/10(土) 22:37:10
土倉鉱山(銅)跡
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1380738824486019075

http://lenin.jp/~maekawa/mine/tutikura/tutikura.html
県内唯一の、銅、硫化鉄、少量の金・銀、 微量の鉛を産出していた。

どうやって選鉱場から搬出してたんだ??

国鉄バスが木之本から走ってたそうだから鉄道敷設の計画あったのか?
http://www.ken-tmr.com/tutikura-kozan2018/tutikurakozan.html

648 荷主研究者 :2021/04/11(日) 22:01:02

https://this.kiji.is/747271007038373888?c=75768590128873475
2021/3/24 05:30神戸新聞NEXT
かつてのドル箱「波賀森林鉄道」今も山中に遺構 復活を夢見る大人たち

往時の波賀森林鉄道を復活させようとする「波賀元気づくりネットワーク協議会」のメンバーたち=フォレストステーション波賀

木材を積んで走る波賀森林鉄道のトロッコ(宍粟市提供)

 鉄道路線がない兵庫県宍粟市に、かつて“ドル箱”と称される「鉄道」が走っていた。住民の暮らしや地域の発展を支えた「波賀森林鉄道」。国有林から切り出した良質な木材を運び、最盛期には総延長約40〜50キロに達したという。廃線となって半世紀以上が経過した今も山中に遺構が残り、往時のにぎわいを静かに伝える。そして今、森林鉄道を復活させようと夢見る大人たちがいる。(村上晃宏)

 波賀総合スポーツ公園「メイプルスタジアム」(同市波賀町有賀)は、今でも地域住民から親しみを込めて「土場(どば)」と呼ばれる。森林鉄道で山奥から集めた木材の一大集積場「上野貯木場」だった。土場で木材が入札に掛けられ、主に阪神間へと運ばれた。

 森林鉄道の建設は国内の木材需要の拡大を背景に、国の旧営林署が手掛けた。最初は1916(大正5)年、引原ダムの人工湖「音水湖(おんずいこ)」付近に整備された約2・0キロの音水線。当初は牛や馬などでトロッコを引いたが、次第に蒸気機関車などに変わった。

 24(同13)年に音水湖付近から上野貯木場までを結ぶ幹線が建設され、鉄道網の基礎が完成。音水▽中音水▽赤西▽万ケ谷▽カンカケ▽上野▽坂の谷-の「路線」が市内に整備された。

 森林鉄道には、蒸気機関車など動力を持った車両が運材台車をけん引する「鉄道」と、台車の重さで下り坂を自走する「軌道」があった。一部では、木材を載せたトロッコごとワイヤでつり上げ、ロープウエーのように空中輸送もした。

 ただ安全技術が未発達で脱線や転覆事故が絶えなかった。昭和30年代初め頃から安全性が高く効率の良いトラック輸送に変わり、各路線は廃止されて林道に変わっていった。

 最後まで残っていた中音水線の廃止が決まり、1968(昭和43)年7月15日には「閉鉄式」が執り行われた。機関車は警笛を鳴らしながら3両のトロッコとともに山を下っていった。


    ◆   ◆

 林業を支えた波賀森林鉄道は、住民の暮らしとも一体だった。

 上野貯木場には旧営林署の官舎が設けられ、職員とその家族が住んで「まち」が形成されていた。子どもたちは丸太が積まれた場所でかくれんぼをしたり、トロッコを押して遊んだりしたという。

 同官舎で生まれ、20歳まで住んでいた岡本豊さん(65)=宍粟市=は「いつも土場で遊びよったなぁ」と懐かしむ。

 毎年10月14日には、安全を祈願する「山の神の祭り」を開催。官舎の家族が機関車に乗って外出する慰安旅行や盆踊りなどもあった。土場では大人たちが歌っていた「ヨイトコンヤレー、ヨイトコンヤレー」の掛け声が響いていたという。

649 とはずがたり :2021/04/11(日) 22:10:46
凄そう。googleで見ても今畑聚落跡・入谷聚落跡・向之倉聚落跡など一杯廃村らしきものがある。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2666182,136.3329297,15z?hl=ja

https://twitter.com/shoki_sigure/status/1381208555584245770
shoki@酷険道
@shoki_sigure
返信先:
@AudiTT_223
さん
男鬼までの路面確認してきましたが八百津ダートといい勝負します!ほぼ全面舗装ですが幅が狭く、廃道区間のように枯葉や枝が敷き詰められてますw
落合集落?男鬼の区間がズバ抜けてやばいので男鬼峠から来て引き返せばまだ安全かと…w

650 とはずがたり :2021/04/12(月) 00:20:30
>>647

土倉鉱山。日窒鉱業が経営してたそうな。
http://haikyorou.pro.tok2.com/tutikura.html
『トワイライトゾーンマニュアル7』所収の「昭和32年専用線一覧」に拠ると北陸本線木ノ本駅に日窒工業の専用線があった。

八草峠(今は廃道同然の旧峠道)を越えて運んだなんて記述もどっかで目にしたがそれは誤りで此処は素直に北陸本線迄運んだとみて良さそう。

昭和39年の交通公社『時刻表』に拠ると国鉄バスは若江線。浜大津や米原,小浜,敦賀辺りを縦横無尽に結んでいる。特に土倉へ伸ばす予定は無さそうだった様子。。

https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/019/937/83/N000/000/001/145598617397772420177.png

651 とはずがたり :2021/04/12(月) 10:38:14
>>647>>650
おお,この頁詳しい。岩内線国富駅の専用線迄絡んでるとは!!!S32では国富にあるのは住友金属鉱山。佐賀関は勿論日本鉱業で,日窒はあちこちに鉱物出荷してたんだな。

ヤンマーの工場は駅の西側に拡がって居る。

http://nishimiyaushiro.blog18.fc2.com/blog-entry-741.html?sp
日窒鉱業土倉鉱業所→ヤンマーディーゼル木之本工場専用線(北陸本線木ノ本駅)
専用線跡
2018/09/2422:33 0 0
日窒鉱業土倉鉱業所の索道から鉱石を積替えていた専用線。
鉱山は1965(昭和40)年に閉山になりますが2年後の1967(昭和42)年9月には同じ土地にヤンマーディーゼル(現・ヤンマー)木之本工場が竣工しています。
鉱山時代は選鉱された黄銅鉱や黄鉄鉱の精錬所へ積出しや鉱山で使用する資材の到着に使われていたようです。
この専用線や索道ができる前に鉱山から馬車で隣の中ノ郷駅へ鉱石を輸送していた頃から出荷先の精錬所はばらばらだったようで北海道の国富精錬所(敦賀港〜小樽は船舶輸送、小樽から函館本線経由、旧・岩内線国富駅より専用線が分岐)や大分県の日鉱佐賀関(関西から船舶輸送か)など非常に遠くまで送られていました。

2018(平成30)年9月26日追記
土倉鉱山が日窒鉱業の手に渡り1934(昭和9)年11月に土倉〜木ノ本13,201mの架空索道が開業。
翌1935(昭和10)年2月には木ノ本駅に隣接して木之本硫酸工場を起工、1937(昭和12)年2月に操業開始しています。
この工場では土倉鉱山から索道で送られてくる黄鉄鉱、黄銅鉱から硫酸を精製していたようですが1943(昭和18)年5月に解体とのこと。
戦後の航空写真を見ると日窒鉱業の敷地が広い割にガランとしてるのはプラント跡地となっていたためのようです。
kinomoto_p.jpg
硫酸を生成した後の銅は敦賀港まで貨車で運び当時日窒の本拠地だった朝鮮半島の日窒鉱業興南精錬所(現・朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市)へ送って製錬していました。
ヤンマーディーゼルになった後は現在までトラクターを生産していますが専用線は原材料の到着か製品出荷に使っていたものと思われます。

652 とはずがたり :2021/04/12(月) 17:28:58
なかなかよさげな感じ☆
https://www.google.co.jp/maps/@35.2685435,136.3396436,15z?hl=ja
http://maps.gsi.go.jp/#16/35.272348/136.327254/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

https://twitter.com/shoki_sigure/status/1381208555584245770
shoki@酷険道
@shoki_sigure
返信先:
@AudiTT_223
さん
男鬼までの路面確認してきましたが八百津ダートといい勝負します!ほぼ全面舗装ですが幅が狭く、廃道区間のように枯葉や枝が敷き詰められてますw
落合集落?男鬼の区間がズバ抜けてやばいので男鬼峠から来て引き返せばまだ安全かと…w

653 とはずがたり :2021/04/26(月) 11:09:03

野迫川村道上垣内立里線(一部未成)
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1386502148939153416

654 とはずがたり :2021/04/26(月) 12:45:39

国道774さんの
大入
https://drive.google.com/file/d/1js32eOvR10NXJbiPrH4BaMgB5-MR8q5y/view

655 とはずがたり :2021/04/30(金) 20:40:34
なんと,r235から高野辻を経て殿野へ自動車で抜けられるのか!?手許のマップル(2014年版)では点線となっている。

で,なんとストビューだとr235の画像は無いのに殿野経由はある。。

旧大塔村集落探索Vol3
2015-07-26 14:50:07
https://ameblo.jp/hannkyuuikeda/entry-12511024723.html

https://www.google.co.jp/maps/@34.1715489,135.7935227,3a,75y,240.88h,82.65t/data=!3m7!1e1!3m5!1sSgv_WWepNRDMAT0oaalvRA!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3DSgv_WWepNRDMAT0oaalvRA%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D166.52002%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=ja

656 とはずがたり :2021/04/30(金) 21:24:35

(;´Д`)はあはあ
大見尾越って云う訳でもう飯何杯でもいけるww

林道久多尾越線
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-891.html

657 とはずがたり :2021/04/30(金) 23:13:33

夏焼ってだけでもう飯なんばいでも。。

【散策日記 #2】秘境、夏焼集落を訪ねて【Walk Diary #2】Unexplored area "Natsuyaki" village.
https://www.youtube.com/watch?v=YEQL66HU2HE
156,003 回視聴
•2019/06/15

658 とはずがたり :2021/05/02(日) 17:57:12
伏越集落を探す【消滅集落の民家・廃村】(奈良県葛城市伏越)Katsuragi City Fushigoe, Nara Japan
3,243 回視聴?2021/05/01
https://www.youtube.com/watch?v=uejde1xdbTI
ミトラの風景 mitra Landscape

>奈良県葛城市に岩橋山という山があり、兵家という場所にかつて伏越集落が存在した。
>現在は一軒しか残っていないが1970年代には山全体が農地になっていて、10軒ほどの民家があった。

兵家と岩橋山はここ
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.41.41.752N34.29.44.926/zoom/9/

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92639-2154+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E8%91%9B%E5%9F%8E%E5%B8%82%E5%85%B5%E5%AE%B6/@34.4992389,135.6841078,15.19z/data=!4m5!3m4!1s0x60012c6968e0ee7f:0xd3ab6e68fcf35b7!8m2!3d34.497881!4d135.6929052?hl=ja

村影氏によるとこれ
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/29.Nara/Taima_Fushigoe.html
>集落入口には神社 石柱には「春日神社遥拝所」とある
>町史によると、当地は兵家の枝郷。元和の検地帳では30戸と記されているが、過疎化により現在は2戸となっているとある

棚機神社脇からお隣竹内のr704に抜ける道があるようだがそれ沿いに聚落はあった模様。

659 とはずがたり :2021/05/02(日) 23:15:58
>>526

大和索道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%B4%A2%E9%81%93

大和索道株式会社(やまとさくどう)は、かつて存在した物資専用索道会社。奈良県五條市と吉野郡大塔村阪本(今の五條市大塔町阪本)および野迫川村紫園とを結んだ。索道は単線式であった。

吉野郡方面の物資の集散拠点であった五條の町が、より多くの貨物を集めることを狙い、地元の有力者たちが物流手段として構想した。通常の鉄道を建設することは峻険な地形の点から見て到底困難であったことから、当時日本では前例のほとんどなかった架空索道(ロープウェイ)を選ぶことになった。これにはジェームスモリソン商会の大阪支配人である石田美喜蔵の売り込みによるものであったという。石田は取扱い商品の中でロー式単線自動循環式索道に注目しこれを山間地輸送用に普及させようとしていた。このためイギリスへの発注、計画、設計、出願から開業に至るまで石田が取り仕切ったという。まもなく石田は独立し安全索道を設立する[1]。1907年(明治40年)にこの計画を奈良県に出願したが、県にも知識がなかったため許可は遅れ、1910年(明治43年)にようやく許可が得られ、翌年大和索道が発足した[2]。

1911年(明治44年)に第1期区間が着工され、1912年(明治45年)5月26日に、今の五條市二見の国鉄川端駅から富貴村(今の和歌山県伊都郡高野町西富貴・東富貴)まで8.8キロメートルが開通した。1917年(大正6年)6月27日には7.2キロメートル延長して富貴村から天辻を越えて大塔村阪本まで達し、合計して16キロメートルの索道となった。五條市二見からは生活物資(食料の他、燃料、大豆、苦塩水、肥料、雑貨など)が運び込まれ、富貴村や大塔村などからは木材や特産品の凍り豆腐が運び出された。この索道が盛んに使われていた大正9年10月1日から翌年3月31日までの半年間の輸送量は阪本方面へは553,162貫(=約2,074トン、1日あたり約11トン)、二見方面へは749,807貫(=約2,811トン。1日あたり約15トン)にも及んだ。

1922年(大正11年)に途中の峠にトンネル(天辻隧道・とは註:今も残る旧道の方)が開通し自動車の通れる道路が改修されたことから、大塔村までトラックやバスの運行が開始されて大和索道は大きな影響を受けることになった。第二次世界大戦中、野迫川村の立里鉱山の鉱石運搬の必要から、1944年(昭和19年)に阪本から野迫川村紫園まで3.76キロメートル延長された。以降はほぼ鉱山輸送専用の索道であった。1957年(昭和32年)により優れた自動車道路が開通(とは註:現天辻隧道だろう)したことからトラック輸送へと切り替わり、1960年(S35)頃に索道は廃止となった。また鉱山も同じころに閉山となった。(川端駅そのものは1982年(S57)10月1日に廃止)

川端駅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E9%A7%85_(%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C)

駅が開設された目的であった吉野材の輸送に関しては、従来紀ノ川をいかだに組んで流して河口の和歌山から船で送られていた。しかし吉野の産地と大阪の需要者が直接取引を行うために輸送路が求められるようになり、川端駅が設置されたことでここが水陸輸送の連絡点となった。貨車の配車がすぐに行われるとは限らなかったため、1905年(明治38年)1月には貯木場が建設されて、以降急激に出荷量が増加していくことになった。後に吉野鉄道(近鉄吉野線)が開通すると、そちらを経由した直接輸送も行われるようになった。

この頃、五條はもともと紀ノ川流域の集散地として栄えたこともあり、五條の南側にある吉野郡各村からの物資集散をさらに増やせないかという考えが有力者の中で生じていた。そのためには、川端駅からさらに南側へ鉄道を延長して、大塔村阪本(現在の五條市大塔町阪本)あたりまで伸ばせればよいのであるが、峻険な地形のために実際にはこれはほとんど実現不可能であった。そこで、架空索道(ロープウェイ)を建設して貨物輸送のみでも結び付けられないか、という構想が生じることになった[15]。1907年(明治40年)にこの計画を奈良県に出願した
当時日本では索道利用の前例がほとんどなく(とは註:川根電気索道http://www15.plala.or.jp/yai/setogawa/sakudou.htmlは1926年(T15),この辺の先進性が判るなあ・・)県にも知識がなかったため許可は遅れ、1910年(明治43年)にようやく許可が得られた[16]。これにより大和索道が設立され、1911年(明治44年)に着工され第1期の二見川端 - 富貴間8.8 kmが1912年(明治45年)5月26日に開通した[17]。さらに1917年(大正6年)6月27日には富貴 - 阪本7.2 kmが開通して全線16 kmで運転が開始され、従来数日はかかっていた貨物輸送をわずか2時間40分に短縮し、費用は3分の1から5分の1になり、沿線の住民にも大きな利益をもたらした[18]。

660 とはずがたり :2021/05/04(火) 22:32:16
>>653
林道ホラ谷立里線(建設中)
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1386512231232245773

661 とはずがたり :2021/05/05(水) 13:48:20
神童子川沿いの林道
林道神童子谷線というらしい
https://twitter.com/tohazugatali1/status/1389798307715715073

662 とはずがたり :2021/05/05(水) 22:09:03
十津川村大字池穴字中原(なかばら)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/29.Nara/Totsukawa_Nakabara.html

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.47.16.034N34.0.45.254/zoom/10/

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92637-1215+%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E5%90%89%E9%87%8E%E9%83%A1%E5%8D%81%E6%B4%A5%E5%B7%9D%E6%9D%91%E6%B1%A0%E7%A9%B4/@34.0154069,135.783952,348m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x6006f0f348c58215:0x2fd41d12a794d8d!8m2!3d34.0183287!4d135.7757965?hl=ja

https://www.youtube.com/watch?v=vOVL2fjC588

663 とはずがたり :2021/05/06(木) 20:36:00
廃村だらけ。。
滋賀県道17号不通区間 調査報告書 はなかなか詳細

【近江鈴鹿】男鬼山と廃村探訪 2019/4/17
https://teppan.blog.ss-blog.jp/2019-04-24

落合(霊仙)
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.21.21.756N35.15.52.578/zoom/9/
https://www.google.co.jp/maps/search/%E5%BD%A6%E6%A0%B9%E5%B8%82%E8%90%BD%E5%90%88/@35.2652161,136.345403,14.75z?hl=ja

男鬼
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.20.19.130N35.16.2.330/zoom/9/
https://www.google.co.jp/maps/@35.270664,136.3356399,3a,75y,130.69h,80.55t/data=!3m7!1e1!3m5!1s0a0slymCIvHK1oVoPEcCEA!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3D0a0slymCIvHK1oVoPEcCEA%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D192.18045%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656?hl=ja

武奈
https://www.google.co.jp/maps/@35.2801993,136.3381162,150m/data=!3m1!1e3?hl=ja

今畑・入谷
https://www.google.co.jp/maps/@35.2621294,136.3529094,849m/data=!3m1!1e3?hl=ja

【酷道 険道】廃村街道?滋賀県道17号を行けるとこまで行く【モトブログ】大人のバイク NC700 インテグラ
https://www.youtube.com/watch?v=crMpSfDBXt0

滋賀県道完全走破 17号多賀醒井線
https://www.youtube.com/watch?v=F4caub83J3s

2016年05月18日
滋賀県道17号不通区間 調査報告書 Part1
https://serow353.naturum.ne.jp/e2718687.html

664 とはずがたり :2021/05/06(木) 22:30:24

結構有名らしい。

#250 権現谷林道にて ?行者、橋、水湧く巨岩?
http://blog.livedoor.jp/ekon_bangai-ashiato/archives/1056461365.html

665 とはずがたり :2021/05/13(木) 03:07:15
先日途中迄走ったr224。ひょっとしてと思ったけど三重県境まで県道指定されてる模様ぅう!!


奈良県道224号大台大迫線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%81%93224%E5%8F%B7%E5%A4%A7%E5%8F%B0%E5%A4%A7%E8%BF%AB%E7%B7%9A

三重県境から西進し、国道169号へ至る。起点の大台辻から同村入之波字筏場までは台高山脈への登山道であるため、自動車の通行は不能。

666 とはずがたり :2021/05/13(木) 03:11:24
>>665
三重県側からのお迎えに当たる道路は無さそう。

r53とかと繋げればいいのに。

667 とはずがたり :2021/05/13(木) 03:20:18
これもなかなか面白そうな分断県道。

県道のマークはないがR422の分断区間の末端区間の国道で塗られてない区間はほんとはこのr758なのではないか?

http://kendougt.web.fc2.com/Mie-758.html
三重県道758号 桧原大内山線

668 とはずがたり :2021/05/13(木) 03:28:44
>>667
今となっては半世紀以上である。。

>ここに至るまでにいくつか橋を渡っていて、橋の建造年を見るとほとんど昭和31〜32年となっていた。と、いう事は半世紀近くこの道は伸びていない!?

19650年代に延ばそうとしてそのままかよw

googleは工事中でもないのにこんな所であきらめとる。
https://www.google.co.jp/maps/@34.2780641,136.308711,3a,47.8y,269.68h,94.19t/data=!3m6!1e1!3m4!1sdjOXAJGjG4tZ9Dw1Jmq_VA!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

2003年の県道グランツーリスモ氏の全面的な勝ちっぽいな。その氏も2017年にはもう更新ないかもとか書いている。

669 とはずがたり :2021/05/15(土) 16:11:59
万波が真南の意味なら此処は越中の物だろうと思うんだけど昔から争ってるようだ。
ただ久婦須の連中が侵入したのが直ぐ南の万波だとして白峰と楢峠は随分離れていて違う話だろう。

O-RANGENOTE
目指すは白木峰
https://o-rangenote.site/sample-page/%E5%B1%B1%E8%A1%8C%E8%A8%98%E9%8C%B2/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%B3%B0/

 近所の山にしては珍しくなだらかでたおやかな山である。山頂付近は湿原や浮島があり娘のお気に入りの山であるが今回は一人(1台)で来た。

 地元の山のはずであるが、残念ながら富山県側の方がアプローチがよい。県境近くの峠を越え、一旦富山県側に下ってから林道を登り返す。時間的には家から1時間程度だ。山頂付近は富山国体の頃に木道も整備され、優雅に池糖めぐりができる。

 この山を巡っては古くは鎌倉時代から国境争いがあり、昭和の40年代まで県境が確定しなかった。
 自分の持っている国土地理院の5万分の1の地図(昭和43年発行)にも県境の線が入っていない。

 かつては山頂にNTTの鉄塔があり、自宅からの眺めの目印にもなり、目障りにもなっていたがいつ頃からか取り払われている。
 鉄塔のおかげと思うが林道が延長され点検用の作業道が山頂まであるので、自家用車でも山頂近くまで行くことができる。
 途中のゲートに鍵がかかっていてそこから徒歩になり、1時間足らずで山頂だが、ハンターカブで行くとうまくすると柵の横をすり抜けて山頂まで行く事が出来る。

国境論争

 江戸時代の国境論争は、飛騨側の百姓が幕府へ裁定を訴え出た事で表ざたになった。古くから飛騨の入会山(いりあいやま)であった久母須万波山(くぶすまんなみやま)に越中の桐谷村(富山県八尾町)の村人が加賀領だと主張して入り込み、薪・木呂(ころ)を盗伐したとして訴え出たものである。延宝2年(1674年)8月に飛騨側の全面勝訴の形で裁定が下ったが、まさに首をかけた争いで、命がけで争ったものであった。

 今では境界争いと言っても誰もさして気にも留めないが、国(藩)の境の事なので飛騨・越中それぞれの藩主を巻き込んだ一大事件であった。
 
 実はそれ以前から係争の火種はくすぶり続けており、それぞれの藩で交渉はしていたようであるが、江戸表まで提訴してようやく決着を見たという形になっている。

 飛騨と越中それぞれの国(藩)の威信をかけて幕府に訴え出たようで、負けたら命はないものと覚悟していたようである。

 出立(しゅったつ)は水杯(みずさかずき)であったと、記録にあるし、3年後に裁定が下り負けた越中側の当事者は入牢し帰宅したという記録はない。それにその後越中前田藩では関係した家老が切腹をしたとの記録があるし、他にも不審な死が伝説になっている。今に至るまで遺恨が残っているともいわれている。

 飛騨側が金品を江戸へ送って裁定に手心を加えさせたとの話もあるし、もともと天然資源の豊富な飛騨を天領にするために幕府がこの争いを恣意的に裁定をしたとの説もある。裁定の最中に富山藩の藩主が急逝し毒殺の噂もあるのである。

 そんな争いがすぐ身近で、それもその後数百年にわたって尾を引き、つい最近まで繰り広げられていたのである。

朝日新聞地方版のシリーズ「県境」の切り抜きがある。

  この「県境」シリーズはその後も何回か掲載されていたと思うが、まだ活字が小さい昭和の48年頃のものである。

その中で「河合村」があり、
越中と飛騨の農民が寛文12年(1672年)から3年越しに争い、何度か江戸まで足を運びようやく幕府の裁定が下りたが、再び昭和36年から10年間争った後昭和46年6月に杭打ちをしてようやくにして県境が定まったのである。
3百年前の争いは、楢峠からほぼ北東に伸びる分水線を国境とする越中側の言い分と、さらに4キロ北に寄った白木峰の尾根筋が国境だという飛騨農民の主張の対立。「越中農民が立ち木の伐採に越境している」との訴えから騒動が始まり、最終的にほぼ全面的に飛騨側の主張が認められ、現在の県境に近い形で国境は決まった。
昭和の争いも県境を挟んで伐採をしていた二つの林業会社が林地を巡って「越境した」「していない」と対立して起きた。飛騨側に土地所有権を持つ業者が富山県の業者と八尾町を相手どって提訴。最高裁まで争った据え、昭和45年6月になって境界線が確定した。

 と新聞の記事に書いてある。

670 とはずがたり :2021/05/21(金) 14:29:01
和賀川http://tohazugatali.dousetsu.com/risui/waka00.htmlの西側を奥羽山脈の脊梁が南北に貫いて居る訳だがhttp://yamaiga.com/road/kawaguti/main.html (山行が「奥産道 太田沢内線」)で示された奥羽山脈を抜ける6本の道,北からR46仙岩峠・奥産道太田沢内線,峰越連絡林道真昼峠,r12笹峠,広域基幹林道萱峠,R107巣郷峠,いずれも気になる道である。

長大な廃道で知られる仙岩峠は一寸別格なのでそれ以下の5本を調べてみる。

一番低い巣郷峠300mが今ではメインに成ってゐるけど,現在はってことは昔は違ったんか。
>この峠の約10km南方に、国道107号線が僅か海抜300mの巣郷峠で県境を越えている現在
https://yamaiga.com/road/sasatouge/main.html (山行が「黒森峠と笹峠」)

調べてみると
http://www.kyudou.org/nagajis.dyndns.org/Bunsuirei/text_d/toh/sugou.html
>国道107号。ツーリングマップルはこの名前で記載している。白木峠に代わって開かれた平和街道の新道とでもいうべき所だが、実際は黒沢沿いのこちらの道のほうが古かった可能性がある。
>正確な記録はないものの奥州藤原氏の金を運んだ隠し道があったという伝承があり、それを裏づける神社などの物的証拠もちらほらあるそう(c.f.横田市史or山形県史)。

とあって,古くは白木峠がメインで巣郷峠は記録にも残らない脇道だったようだ。より昔(奥州藤原氏時代)には使われていたらしいが遠回りを嫌われた様だ。

十津川沿いの川も長いこと嫌われ?熊野古道は高野山から峠を上り下りしてたが結局は勾配よりは距離を選好した時代ということか。川沿いが災害とか多かったのかなと思うのだけど

西和賀ファン
2013年11月6日
白木峠
http://www.nishiwagafan.jp/hyakkei/history/%E7%99%BD%E6%9C%A8%E5%B3%A0
白木峠は、西和賀町と秋田県横手市を結ぶ、標高601.6mの峠(別称・白木山)です。

その歴史は古く、後三年の役で安部貞任が越したと古書に残されており、その後も南部藩と佐竹藩との重要な往来道でした。

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道は甚だ嶮岨(けんそ・地勢のけわしいさま)で容易ではない。さらに南の巣郷には平坦な往来道の秀衡街道があったが、遠距離なので後世に白木峠を通る道を開いた。(邦内郷村志)

険しくて越えるのに甚だ難儀をする。道は狭くてすれ違うのがやっと。駕籠(かご)は通れないし、荷物を積んだ馬は通れず、馬に乗って通ることもできない。しかし牛だけは荷物を積んで上り下りできる。(澤内風土記)

また、藩政時代「下り塩」として日本海側の東北各藩に移入された瀬戸内塩は、物部川を遡行して陸揚げされ、六郷・横手を中継地として、沢内・湯田など西和賀方面に入ってきました。

この白木峠も、下前の笹峠や左草の萱峠とともに「塩の道」でした。

671 とはずがたり :2021/05/21(金) 14:42:18
>>670
白木峠と巣郷越を自宅のデュアルモニタで一枚に納めた位置。
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.288293/140.699522/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

この距離差でこの難路を選好するのか〜。。

秋田藩と盛岡藩の番所が置かれててこっちを歩けとなっていたっぽい。版図防衛にも好ましかったのか?
>番所の廃止もあって、明治9年の久保田の豪商山中新十郎は、黒沢峠に後の平和街道を切り開き、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A1%97%E9%81%93

その隣り薊峠も黒沢川(え!?こんなとこに黒沢?北上市の本来の名前は黒沢尻。こいつの終点って意味か?)沿いの迂回を避けて旧街道は峠越えたのか?
http://maps.gsi.go.jp/#15/39.294139/140.612447/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

特に検索掛けてもこの峠のことは出てこない。。

672 とはずがたり :2021/05/21(金) 22:00:41
>>670-671
http://yamaiga.com/road/kawaguti/main.html (山行が「奥産道 太田沢内線」)で示された奥羽山脈を抜ける6本の道,北からR46仙岩峠・奥産道太田沢内線,峰越連絡林道真昼峠,r12笹峠,広域基幹林道萱峠,R107巣郷峠。
長大な廃道で知られる仙岩峠は一寸別格なのでそれ以下の5本を調べてみる。

次は真昼岳林道。国道を除けば唯一開通はしてる形にはなっているが酷い状況らしい。特に岩手側があれてるようだ。ジムニーで走破とか書かれてる。

臨場感あるレポはこれかなあ。

残念ながらGEOの廃止で4以降が見れないけど,


真昼岳林道/ Mahirudake 林道探索の書 ?今日もどこかで林道ざんまい? 
探索日 2015.08.11 / No.Ak-020 
 [ 所在地 ]西和賀町(岩手県) ・ 美郷町(秋田県) [ 状態 ]完抜半ダート [ 接続林道 ]- [ 分岐林道 ]-
 ダイナミックに爽快な峠越えの長距離ダートだが、行き交う車両は途絶えて今は無人境!
http://geo.d51498.com/rindou_tansaku/akita-top/ak-020/ak-020.htm

673 とはずがたり :2021/05/22(土) 23:23:54
R361の高根沢ダム付近の旧道発見!

https://www.google.co.jp/maps/@36.0223128,137.5033298,3a,75y,193.86h,78.05t/data=!3m6!1e1!3m4!1s_29sHnC0WB75fyi3bJcZ6w!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

https://www.google.co.jp/maps/@36.0215756,137.5008077,3a,75y,276.42h,85.55t/data=!3m6!1e1!3m4!1slfjanPo73kk7CjHnvbZ0Hw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

674 とはずがたり :2021/05/22(土) 23:29:13
R361の高根沢ダム付近の旧道発見!

https://www.google.co.jp/maps/@36.0223128,137.5033298,3a,75y,193.86h,78.05t/data=!3m6!1e1!3m4!1s_29sHnC0WB75fyi3bJcZ6w!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

https://www.google.co.jp/maps/@36.0215756,137.5008077,3a,75y,276.42h,85.55t/data=!3m6!1e1!3m4!1slfjanPo73kk7CjHnvbZ0Hw!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja

もう誰かがレポしてるわ。

http://tenere.blog.shinobi.jp/%E9%9A%A7%E9%81%93%E3%83%BB%E5%BB%83%E9%9A%A7%E9%81%93/%E5%9B%BD%E9%81%93361%E5%8F%B7%E3%80%80%E5%BB%83%E9%9A%A7%E9%81%93%E4%B8%89%E3%81%A4%E3%80%80%E4%B8%8A%E3%83%B6%E6%B4%9E5%E5%8F%B7%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BB%E6%97%A5%E5%92%8C%E7%94%B0
国道361号 廃隧道三つ 上ヶ洞5号トンネル・日和田1号トンネル・日和田2号トンネル

675 とはずがたり :2021/05/24(月) 23:33:50

この先を通り抜けた動画っぽいw流石にヤバそうww
https://www.google.co.jp/maps/@34.2984373,135.2508206,3a,75y,343.83h,88.8t/data=!3m9!1e1!3m7!1sI0e4uTw6dr4l0FvKuCwF8A!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i32?hl=ja

行ったことを後悔する超限界集落の先の狭い道へ
213,708 回視聴?2021/05/02
https://www.youtube.com/watch?v=wIiisG2HQF4

676 とはずがたり :2021/05/25(火) 23:28:11
>>665-666
矢張り主要地方道同士が(道路台帳上で)繋がるのが好いだらう。

調べてみると

奈良県道
40 大台ケ原公園川上線
53 高野天川線(和歌山県道と共通)
三重県道
40 熊野矢ノ川線
53 大台ヶ原線

ということは

奈良県道
40 大台川上線(三重県道と共通)
53 高野天川線(和歌山県道と共通)
三重県道
40 大台川上線(奈良県道と共通)
53 熊野矢ノ川線

とするのがいい感じ♪

勿論,林道洞川川上線を組み込んで

53 高野川上大台線(奈良県道・和歌山県道・三重県道共通)とかにしてもめっちゃええ♪(・∀・)b

677 とはずがたり :2021/07/07(水) 00:05:23
隧道探訪
四国の旧廃道にある「隧道」を紹介するHPです。
http://www.mafura-maki.jp/

678 荷主研究者 :2021/07/17(土) 23:27:25

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/554580?rct=n_hokkaido
2021年06/14 05:00 北海道新聞
道道夕張長沼線、本当に必要? 全線開通求め首長らが期成会 費用対効果には疑問も

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20210614hokkaido01.JPG
道路が途切れている道道夕張長沼線=夕張市南清水沢3

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20210614hokkaido02.JPG

 【夕張】市清水沢宮前町と長沼町中心部を結ぶ、道道夕張長沼線(延長32・5キロ)の未開通部分に関し、夕張、栗山など1市3町の首長らによる整備促進期成会が3月下旬に設立された。期成会からは災害時の夕張と札幌圏のアクセス確保など、開通の必要性を主張する声が上がる。一方、夕張市の人口減に歯止めがかからない中、同市内では費用対効果を疑問視する意見も出ている。

 同線は1982年、道道に認定。現在、夕張市南清水沢3と栗山町御園の10・6キロが未開通となっている。開通部分は道道認定前からの既存道路。札幌建設管理部は未開通の理由を《1》未開通部分の距離が長い《2》急峻(きゅうしゅん)な山岳地帯を通過《3》整備には時間と費用がかかる―と説明。今後については「地質の状態や社会情勢、交通量、費用対効果を見極めて、整備が必要か否か検討したい」と話している。

 期成会には首長に加え、議会議長らも参加。会長には厚谷司・夕張市長が就いた。39年間整備されていない道路の期成会を設立したことについて、夕張市議会の大山修二議長は、清水沢地区が将来的な市の中心部となる市の構想を挙げた上で「札幌との既存ルートが災害時に使えなくなった場合や、救急患者の搬送、観光ルートの構築で大いに効果が得られる。費用対効果を前面に出せば、まちづくりなどできない」と話す。

 ただ、同市内からは「道道札幌夕張線(札夕線)や国道274号があるのに、人口が今後も減っていくであろう夕張市に新しい道はいらない」といった意見が出ている。不要不急の公共事業に厳しい世論もある。

 ある関係者は「新しい市立診療所は札夕線の終点がある若菜地区にできるため、夕張長沼線が救急患者の搬送に有効だとは思えない」と指摘。「清水沢から札幌までの所要時間は札夕線を使うのに比べると4分短縮にすぎず、整備費用も200億円はかかるとも言われており、必要な道路だとは言えない」と話す。(志村直)


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