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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1 とはずがたり@元林道部会長 :2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

274 とはずがたり :2015/03/01(日) 11:29:32
2010年の記事。

>鉱山としてはまだ採掘可能でしたが、1987年に閉山されました
そのうち復活だな♪

>1912年にロープウェイが設置され、1929年に輸送力増強のため鉄道が開業しました。
索道って云って貰わないと気分が出ないぜw

2010年10月04日 15時00分05秒
運賃1円で乗れる「1円電車」が23年ぶりに常設で復活へ
http://gigazine.net/news/20101004_akenobe_1yen_train/

かつて日本に運賃が1円という全国最安の鉄道がありました。それが明延地区の鉱山鉄道(明神電車)です。これは、兵庫県にあった明延鉱山への輸送のために作られた鉄道で、1987年に鉱山が閉山となったことで廃線となりました。

その後、長らく使われていませんでしたが、2007年に経済産業省の近代化産業遺産認定遺産リストに選定されたこともあり、「ふるさと明延まつり」で仮軌道を敷いて20年ぶりに運転が行われました。その後も1年ごとにイベントで運転が行われていましたが、いよいよ常設の線路を設置して復活することになったそうです。

兵庫県の明延鉱山は日本一の鉱量を誇るスズ鉱山で、平安時代には採掘が始まっていたそうです。鉱山から神子畑にある選鉱所まで鉱石を輸送するため1912年にロープウェイが設置され、1929年に輸送力増強のため鉄道が開業しました。

鉱石輸送用の鉄道でしたが、鉱山で働く人のために人員輸送も行うようになり(当初は無料)、1949年から50銭、そして1952年からは1円で乗れるようになりました。このため「1円電車」と呼ばれるようになりましたが、このことが広く知られたことで興味本位で訪れる人が多くなり、運行に支障を来して正常業務ができないという状況にまで陥ったため、やがて部外者の乗車は禁止になりました。

鉱山の最盛期には鉱山関係の人口が4000人、娯楽施設には芸能人が訪れてショーをするほどの規模を誇りましたが、1985年のプラザ合意で急激に円高となりスズなどの市況が下落して赤字を出すことになり、鉱山としてはまだ採掘可能でしたが、1987年に閉山されました。1円電車もこのとき同時に廃線となりました。

鉄道は長らくそのままとなっていましたが、2007年に経済産業省が(PDFファイル)近代化産業遺産認定遺産リストに「生野・明延・神子畑鉱山関連遺産(通称:鉱石の道)」の一つとして「明神電車と蓄電池機関車」を挙げたこともあり、同年に行われた「第1回 ふるさと明延まつり」で仮軌道での復活を遂げました。

その後は1年ごとにイベントの中で機関車をレンタルして運転を行ってきましたが、今年からは常設軌道を敷き、機関車を購入して本格的に復活することになったそうです。軌道は旧社宅跡に敷かれ、全長は70mでカーブも体験できるJ字形。ちなみに、明神電車は現在も軌道が600mほど残されているそうで、地元としてはいつか600mを走らせたいと考えているそうです。

お披露目は10/24(日)開催の「第4回 あけのべ一円電車祭り」で行われます。当日は無料で1円電車に乗ることができ、乗車した人には復刻1円切符がプレゼントされます。このほか、近代化産業遺産に認定された総延長600mの明延鉱山探検行動の見学会(入坑料が必要)や、あけのべ探訪スタンプラリーなども開催されることになっています。

275 とはずがたり :2015/03/10(火) 14:41:01
道路レポート林道樫山小匠線内の
和歌山県道234号長井古座線
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main1.html

>本題からは離れるが、県道234号の行く末が気になるという人もいるだろう。
>私もその一人であったから、数分間脇道に逸れて、この県道がどうなっているかを追い掛けてみたところ――

>まず、左折直後は狭い道が(写真)、小匠集落の外れにある数軒の民家へ続いている。
そして民家を過ぎるとすぐに小匠川を橋で渡るのだが、この橋が軽トラ専用といった感じの狭さであった(写真)。
>橋を渡ると未舗装になり、畦道然とした道が小匠川の右岸に伸びているが、県道はこの道ではなく、橋を渡った直後に右の山の中へ入る。
>ただしそれは図面上のことであって、実際には道らしいものが見あたらなかったので、結局、小匠側の県道が辿れるのは、この名前も分からない橋までという事になるだろう。以上である。

こうr234長井側の終端部記述しているよっきであるが,地図だとこんな感じである。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.53.975N33.35.54.393&ZM=11

この地図だと太い橋に見えるのが,このhttp://yamaiga.com/road/kodakumi/kodakumi_15.jpg軽トラサイズの橋なのか?橋を渡って終わりという記述にも合致する。

しかし図面上の道ってのはこの橋の直ぐ上の川をどうやって渡ってゐるか解らないより細い道なんでわなかろうか??

この道はほぼ古座側の終端点まで峠付近の数百mを除いて山道として繋がっている様に見える。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.51.8.181N33.34.58.501&ZM=9

276 とはずがたり :2015/03/10(火) 15:57:13
>>235>>275
周辺は王子製紙の植林地の様である。森の中の道が美しそう。
また凄い山の中のイメージだけど
>実際の標高は僅か130mほどでしかない
>直線距離ならば海までは10kmと離れていない
そうな。

紀伊山地の隔絶した山の中の印象だが随分海に近い。
それにしても小匠から一寸行っただけで高野・山手川・樫山と魅力的な廃道・廃村とは和歌山県奥が深い。(ただ過疎ってるだけとも云えるけど。。)

道路レポート 林道樫山小匠線  (山手川への脇道編)
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main9.html
明治当時の里道(地図中の二重線の道)は、「高野〜(峠)〜山手川〜クジヤ平〜(峠)〜樫山」のルートであり、現在の川沿いの道は未完成だった。

場所はこの辺
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.28.897N33.34.43.382&ZM=7

この山越えの道について,最近ツン読した『峠の歴史学』服部英雄 2007年 朝日新聞と云う本に,昔の道は
>川沿いに道がつけられていることは意外に少なかった。なぜなら川沿いの道は山腹,崖の崩壊など災害に弱く,崩落の危険が常にあったからである
とあったがその法則に此処も合致していたと云えよう。(山の人工の道は水抜きを造って排水したのだそうな。また牛は橋の下が見えるとどんなにひっぱっても動かなくなってしまって使えなかったので橋は丸太の上にカマスを敷いてその上に土を被せたのだそうな(土橋)。)

クルマ社会になった現在では法面を固め,勾配を緩い川沿いが重宝され,更に昨今では長大なトンネルで一気に抜けるのが主になっている。

277 とはずがたり :2015/03/10(火) 17:03:32
>>235>>275-276
驚異の河中道といい,豊富な水量見せつけられたし小匠ダムはギロチンを常時閉鎖して水力発電に使えないかとも思うんだけど(どうせ無人地帯やし古座川への道路は樫山林道が出来たしこちらは湖底に沈めても良い。道が必要ならこの辺http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.21.563N33.36.5.667&ZM=8に小匠集落から栃の川橋付近に直結するトンネルを掘るだけで良いな。→と思ったらなにやらふるさと林道小匠小森川線http://blogs.yahoo.co.jp/kumanophoto_ki/60690908.htmlとか造っとるやなないけーヽ(`Д´)ノ)

で,人が住まなくなってから立派な道路をガンガン通すのは本当に勿体ない。よっきはその辺に理解を示すから道路愛好家(道路とその利用者に対する愛がある。。)の限界なんだけどがんがん税金むしり取られてこんな所に無為にカネ棄てられるのはやるせない。

で,せめて発電ダムとしての利用の可能性も探りたい所だけど如何せん高低差が足りなさそうなのである。。ダムの標高が海抜25m付近ではねぇ。。しかし水量が豊富なんでベース電源的に常時一定量発電するのは行けるんではないか?

栃の川橋と集落の変遷
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main5.html

>徒歩道を示す破線は沢山描かれているが、より重要度が高い二重線の里道に着目すると、樫山〜クジヤ平〜山手ノ川〜高野を結ぶ山越えの道が目を引く。

>その一方で、定住者がなくなった集落へ、「遅ればせながら」といった感じの道路整備が進んでいる。
樫山では古座川町中心部へ通じる新しい林道が開通し、高野にも、長大トンネルを含む「ふるさと林道小匠小森川線」が通じた。

>もっとも、この時期の道路整備も無駄ではないと個人的には思う。
>定住者がいなくなっても、集落跡に山林などの財産や、お金に替えられない想い出を残している旧住民は多いだろう。
>廃村と共に道が廃れて辿り着けなくなってしまった集落跡は、本当に救いがない。

小匠ダム
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main1.html

>それでは、満水時の湖面は一体どの程度の広がりを持つのだろう。
>海抜約25mに立地する堤高37mの小匠ダムの貯水位を海抜50m附近と想定し、その等高線に沿って湖を描いてみたのが右図である。

>川の両岸は険しいが、河床の勾配は極めて緩やかであるため、2〜30mの水位上昇であっても、驚くほどに細長いダム湖が出現することが分かる。
>具体的には、小匠川本流沿いにダムから3km上流までが湖と化し、高野川沿いではそれ以上である。
>そして、これらの川に沿う林道もまた、2km以上先まで余裕で水没するようである。

>ちなみに、ダムの穴がある現在地は、水深15m以上の深さになると思われる。
>例の“ギロチン”が水圧に耐えられるのかという疑問を持つが、きっと大丈夫なのだろう…。

278 とはずがたり :2015/03/16(月) 13:05:05
ツイッターはよくわからないんだけどヨッキが一本杉峠>>49>>62-64>>67に来てた気配があるぅ。まだレポはなかったような。。そのうち公開されるかな??

https://twitter.com/yokkiren
ヨッキれん/平沼義之 ?@yokkiren 3月3日
茨城県の一本杉峠付近から眺めた関東平野。
日本最大の平野はやっぱり半端じゃないな。
余りに広すぎて、茫洋たる様は海のようだ。

279 とはずがたり :2015/04/25(土) 15:13:30
よっきの緊急ミニレポまだぁ〜!?

ひび割れで「最も危険」北鎌倉隧道、通行禁止へ
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150425-OYT1T50040.html?from=yrank_ycont
2015年04月25日 14時08分

 神奈川県鎌倉市は、JR北鎌倉駅近くにある「北鎌倉隧道(ずいどう)」(鎌倉市山ノ内)を、28日午前1時から通行禁止にすると発表した。

 内部に複数のひび割れなどが確認され、危険と判断した。

 市都市整備部によると、隧道はJR横須賀線に沿って走る市道にあり、長さ約7メートル、幅約2・5メートル、高さ約2メートル。岩塊がくりぬかれた様子が観光客に人気で、市民の一部からも保存を求める声が上がっている。

 県都市整備技術センターの点検調査によると、ひび割れは最大で長さ2・9メートル。地震などで衝撃を受けると岩石が剥落する危険があるという。天井付近に樹木の根が確認でき、国の4段階の基準で最も危険な「緊急措置段階」と判定された。

 市は、センターにさらに詳しい調査を依頼し、安全対策の方法を決める。

 通学路として隧道を使っている小学生や高校生らには、近くの円覚寺境内などを通ってもらう。一般の迂回(うかい)路は、北鎌倉駅南側の県道となる。

280 名無しさん :2015/05/04(月) 03:06:15
茨城県の圏央道は今年中に開通予定となってはいるけど、
本当にできあがるのかねぇ・・・

全くと言ってしまえるくらいに開通しそうな気がしないなぁ。。。

281 とはずがたり :2015/06/04(木) 19:15:28

「落下の橋」早く復旧して…半年通行止め続く
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150604-OYT1T50068.html?from=y10
2015年06月04日 13時12分

 福岡県粕屋町が管理する「駕与丁かよいちょう公園」で、公園内の池を横断するように架かっている「みずとり橋」(約160メートル)の一部が落下し、復旧の予定が立たないまま半年間も通行止めになっている。

 公園利用者からは「橋は公園のシンボル。ぜひ復旧してほしい」との声が出ている。

 みずとり橋は歩行者用のつり橋で、両端のコンクリート製土台と、池の中に立つ2本の橋脚をワイヤで結び、橋げたをつるす構造。昨年12月5日朝、散歩中の人が「バーン」という大きな音がして橋の一部が落ちたのに気づき、町に連絡した。

 土台の一方が池に向かって傾き、垂れ下がった橋げたが池につかっており、町は落下が進まないよう応急工事を行い、同月17日から通行止めにした。

 橋は1997年3月の建設。「工事に問題があったのではないか」との指摘も出た。しかし、工法が非常に珍しいうえ、設計した会社が倒産しており、町は学識者らによる調査検討委員会を設けて原因を究明し、復旧方法などを探ることにしている。

 町都市計画課によると、公園は一周約4キロで、橋を渡れば2キロの散策コースになる。駐車場からバラ園などへの近道で、公園利用者から「いつ開通するのか」といった問い合わせが相次いでいる。だが、池はかんがい用で、検討委の結論が出ても、農業用水の需要が減り水を抜く10月から翌年2月の農閑期でないと、工事に取りかかれないという。

 同課は「橋を撤去することは考えていない。復旧までの予定が決まらず、利用者には申し訳なく思っている」としている。(柿本高志)

2015年06月04日 13時12分

282 とはずがたり :2015/06/20(土) 09:06:24
西武の正丸トンネルとか秋山渉の本拠地とかで有名な正丸峠。
旧道の正丸峠でバトルするんだけど,更に山道がある様だ。

正丸峠
http://ccsf.jp/~mwe/tour/20090411/5.html

283 荷主研究者 :2015/07/21(火) 22:42:58
永代通りの地下に自動車専用道路の計画があったとは!!この未成道路は極めて魅力的。百戦錬磨のヨッキと言えどもこの地下空間への潜入は至難の業だろうなぁ(笑)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150719/k10010159251000.html
2015年7月19日 18時21分 NHK
東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネルの一部か

 JR東京駅の北側の地下に、長さ50メートルの巨大な空洞が残されているのが確認されました。およそ50年前に計画された地下トンネルの一部とみられますが、これまで使われたことはなく、どこにあるのかが分からなくなっていました。

 空洞が確認されたのはJR東京駅のすぐ北側の国道1号線の真下にあたる付近で、NHKの番組「ブラタモリ」の取材中に偶然、見つかったものです。空洞は幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。

 この付近の地下を管理している東京メトロによりますと、昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていないということです。

 空洞にはもともと出入り口が作られておらず、長い間、誰も実際に中を確認できませんでしたが、東京メトロによりますと、平成13年に穴を開けて安全性などを調査したという記録が残っているということです。しかし、その際にどこに穴を開けたかは記録されておらず、再び中に入れない状態となっていました。

 東京の地下の開発に詳しい東京メトロの丸山茂さんは「ずっと入り口が分からなくなっていたので、今回、偶然見つかって非常に驚いた。安全性には問題ないが、当時の建設計画は詳細が分からず謎が残る」と話しています。

http://mainichi.jp/mantan/news/20150720dyo00m200002000c.html
2015年07月20日 毎日新聞
ブラタモリ:50年前の“幻の地下自動車道”を偶然発見

「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」の取材で発見された“幻の地下自動車道”

 タレントのタモリさんが街を訪ね歩くNHKのバラエティー番組「ブラタモリ」の取材中に、東京駅そばの永代通りの地下に、約50年前に作られた“幻の地下自動車道”を発見したことがこのほど明らかになった。50年近く前に進められていた地下工事が頓挫し、幻となっていた地下自動車道の入口で、見つかったのは自動車2車線分の空間が2本、計4車線の道路。番組の取材中に偶然発見したという。“幻の地下自動車道”にテレビカメラが潜入するのは初めてで、20日放送の「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」で紹介される。

 “幻の地下自動車道”は、1967年当時の完成予想図によると、永代通りの八重洲側から丸の内側までのアンダーパスとして計画されていた小型自動車道で、当時は、急激に自動車の交通量が増えたこともあり、インフラ整備の際に空間を確保しておくため、地下鉄の工事に合わせて一部作られたものが、使用されないまま残っていた。東京メトロによると「存在は知っていたものの、どこに入り口があるのか分からなかった。今回、バリアフリーのための東西線大手町駅改装工事の際に、天板をはがしたところ、見つかった」という。

 「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」では、東京駅周辺の地下に広がる巨大な空間に潜入。八重洲の地下に眠る江戸城の痕跡など丸の内から銀座まで広がる約18キロの地下空間の秘密を解き明かしていく。NHK総合で20日午後7時半から放送。

284 とはずがたり :2015/07/22(水) 14:20:07
ここ?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.46.16.682N35.40.51.645&ZM=10

>幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。
巾6mだと2車線行ける?

>永代通りの八重洲側から丸の内側までのアンダーパスとして計画されていた小型自動車道
小型自動車道ってのがよく解らない。パリにあるとかいう小型自動車専用(大型トラックなど禁止の)って事?道路自体が八重洲⇔丸ノ内の短距離って事か?

呉服橋から東京駅迄高速バスがガンガン走っていてタクシーもうじゃうじゃいて混むから今からでも造るべきだな。

285 とはずがたり :2015/07/22(水) 14:23:18
>>284
>巾6mだと2車線行ける?

道路構造令の説明パワポと思われるが,第3種第3級・第4種第2・3級だと幅員3mだそうな。
http://www.mlit.go.jp/road/sign/pdf/kouzourei_2-2.pdf
路側帯とか考えると2車線はきついかな。。上下各1車線か。
ただ40年前の計画では上下各2車線だったのかも。当時の道路構造令はどうなってたんかな?

286 とはずがたり :2015/08/19(水) 21:31:37

夏休みの副業で忙しかったよっきが久々の更新。この辺だ。
気になる県道がr280入粟野・引田線+r281板荷・引田線のペアである。

周辺地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.37.51.838N36.33.36.471&ZM=7

r164板荷・玉田線

r281板荷・引田線

r14鹿沼・日光線

r280入粟野・引田線

r240石裂・上日向線

r177上久我・栃木線

r246草久・粟野線

r15鹿沼・足尾線

r32栃木・粕尾線

栃木県道280号入粟野引田線 坂本区間
http://yamaiga.com/koneta/koneta_208.html

r280+281入粟野・引田・板荷線とすると鹿沼市の内陸部を繋げる道路になる。更に山を越えるとr32辺りに接続する♪r32が栃木日光線とでもなりそうだw

287 とはずがたり :2015/08/28(金) 22:38:14
>>190>>270>>272

原田橋 200メートル下流に再建 
http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?index_flg=1&comment_id=291215&comment_sub_id=0&category_id=136
2015/7/30 紙面から

◆浜松市発表 19年度開通

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川で一月末、土砂崩れにより崩落した原田橋の再建について、浜松市は二十九日、崩落現場の二百メートル下流に長さ三百メートル、幅七・五メートルの橋を新たに架けると発表した。工期は五年で、供用開始は二〇一九年度となる見通し。検討中の三案から、住民の賛同が多かった案に絞り込んだ。

(ここまで 162文字/記事全文 758文字)

288 とはずがたり :2015/08/28(金) 22:43:27
>>287-288
画像貼り忘れた。
http://tohazugatali.we b.fc2.com/road/291215.jpg

289 とはずがたり :2015/09/06(日) 09:55:46
旧道と云うには余りに新しい廃止箇所だが橋は撤去されてる様だ。

山の道
各地の廃道・廃線・隧道・旧道の歴史と探索記録
福島県西白河郡西郷村 甲子道路廃止区間
http://yamanomichi.com/kashi

290 とはずがたり :2015/09/21(月) 19:51:41
広島辺りはヨッキも未だあんま開拓してないよね。

広島険道(県道)最強 80号線を走破する
https://www.youtube.com/watch?v=11UK2mVTaQM

この辺
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.43.0.882N34.33.5.588&ZM=7

最強険道と煽る程のことはないな〜。
県道じゃ無くて林道で繋いである区間かな?

拡大部分だと道途切れてるけどw
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.43.11.760N34.33.10.104&ZM=10

291 とはずがたり :2015/09/22(火) 06:40:21
>>290
指定されたの割と最近(とはいえ20年は経っちゃってる。。)なんだな

広島県道80号東広島向原線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%9380%E5%8F%B7%E6%9D%B1%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%90%91%E5%8E%9F%E7%B7%9A

広島県道80号東広島向原線(ひろしまけんどう80ごうひがしひろしまむかいはらせん)は東広島市八本松東3丁目と安芸高田市向原町長田を結ぶ主要地方道である。

1993年(平成5年)5月11日 - 建設省(当時)告示第1,270号により主要地方道に認定される。
前身は広島県道339号内区米満線の全部分と広島県道340号久芳(くば)向原線および広島県道328号志和口向原線の各一部である。
1994年(平成6年)4月1日 - 広島県告示第406号により認定される。
2004年(平成16年)3月1日 - 高田郡の全6町が対等合併して安芸高田市が発足したことに伴い終点の地名表記が変更される(高田郡向原町長田→安芸高田市向原町長田)。
2005年(平成17年)2月7日 - 沿線にあった賀茂郡福富町が東広島市に編入される。

292 とはずがたり :2015/11/01(日) 19:59:12
廃鉱山も興味あるけど(;´Д`)

廃鉱山探検 高井鉱山
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/1119

293 とはずがたり :2015/11/01(日) 20:14:41
>>292
此所ら。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.26.34.500N36.37.9.389&ZM=8

毛無峠付近にあった硫黄鉱山の高井鉱山は群馬県側に移って小串鉱山となったようだ。
一寸調べてみると吾妻鉱山跡が見付かった。

吾妻鉱山
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.30.20.063N36.35.28.097&ZM=7

この吾妻鉱山は小串鉱山とは別らしい。

4/30/2006 草津町白根鉱山,嬬恋村石津鉱山,吾妻鉱山
http://heyaneko.we b.fc2.com/gh06.html
草津温泉の近くには,大正の頃から高度成長期まで複数の硫黄鉱山が稼動していました。このうち学校をもつ鉱山集落があったのは,草津町白根鉱山,嬬恋村石津鉱山,吾妻鉱山,小串の4か所です。これらの鉱山集落は,すべて閉山と同時に無人となりました。

入道沢鉱山
http://www.geocities.jp/kouzan_by_gnma/nyuudousawa01.html
群馬県内の硫黄鉱山と言えば、
・小串鉱山
・白根鉱山
・万座鉱山(湯釜から硫黄をほじくってた)
・吾妻鉱山
・石津鉱山
がよく知られている。

しかし、今まで存在を知らなかったが、もう一つ大きな硫黄鉱山があるらしい。
しかも国道から目視出来る場所に。

その鉱山の名は「入道沢鉱山」(通称)と言う。


で,此所らと云えば山行がでレポートされた上信鉱山である。
凄い索道で運び出していたらしい。

上信鉱業専用軽便線(未成線)
http://yamaiga.com/rail/joshin/main.html

ただヨッキは廃道や未成線には興味あっても鉱山に関しては余り関心が無いので上信鉱山に関してはよく判らない。上信鉱山で検索掛けてみると引っ掛かるのはこいつ。蝋石の鉱山らしい。群馬というか信越のこの辺は割と鉱物資源が豊富な様である。如何せん規模が小さいようだけど(;´Д`)

上信鉱山焼成炉(ロウ石山溶鉱炉 )
http://haikyo.crap.jp/s/9977.html

294 とはずがたり :2015/11/01(日) 21:55:06
此処に詳しい。ドラマですなぁ。。
仁田沢は此処だが,r112の未成区間を挟んで毛無峠(先程の一代目高井鉱山)である。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.29.47.813N36.33.8.000&ZM=8

上信鉱山の足跡
http://hanaha09.exblog.jp/15337438

嬬恋村大前から北へおよそ6km、静かな物音ひとつ聞こえてこない干俣にある仁田沢集落です。
昭和15年、嬬恋村の干川石造さんがこの集落から分け入った山中に炭焼き窯を作ろうとしたところたまたまロウ石の鉱脈を発見した。
この山はロウ石山と呼ばれて10人ほどの村人たちでほそぼそと採掘が開始された。
ちょうど時代は太平洋戦争真っ只中、ロウ石に含有されていた酸化アルミに目を付けたのが当時の軍部。
この鉱石から金属アルミニウムを製造しようとしたのである。
アルミ資源の乏しい日本においてはおそらく藁をも掴む思いであったに違いない。
昭和18年には軍需産業に指定され大阪窯業、日窒工業、昭和電工3社で上信鉱山が設立され国家政策の一環として採掘が始まった。
昭和19年には250人ほどが動員され、鉱石は策道でふもとの仁田沢集落まで降ろされ、トラックで芦生田の草軽電鉄嬬恋駅、トロッコのような貨車で信越線軽井沢駅まで運ばれた。
その算出量は年間15000トンにも達したと言われている。
一方、群馬鉄山の鉄鉱石輸送に施設された太子-長野原-渋川にいたる貨物線に接続する鉄路も建設が進められた。
この国家をあげた大事業もすべての設備が完成を迎えないまま終戦と共にあえなく終わりを告げた。

戦後満州から一人の窯業技術者が引き上げてきた。
大阪窯業東京工場の片隅に放置されていた上信鉱山の鉱石の山を見てさまざまな分析を試みた。
ロウ石といわれていたものは実は加水ハロイサイト(Al2Si2O5(OH)4・2H2O)ということが分かった。
そのままでは耐火物原料としては不向き、焼成をしないと使えないことが分かった。
しかし、試験的に製造された耐火材料は1750℃以上にも耐えうる非常に優秀なものであることが分かったのだ、そして上信鉱山の視察も経て粘土質鉱山として開発する価値は充分と判断した。

これからが話は長くなる。
大阪窯業東京工場のこの技術者を訪れた二人の男が居た。
一人は吾妻郡中之条町の実業家で衆議院議員小渕光平、もう一人が光山電化工業社長の小渕浪次の兄弟だった。
小渕光平の次男は元総理大臣の小渕恵三。現衆議院議員の小渕優子は孫にあたる。
昭和29年に光山電化工業-上信鉱業所が開設され専ら耐火原料としての採掘の再興計画がスタートしたのである。
昭和31年にはハロイサイト鉱石の焼成炉の工事が始まった。そして翌年には高さ14m、直径4mのシャフトキルン、縦型焼成炉1号炉が操業を開始した。
焼成炉は稼動を開始したものの製品の売り先が決まらない。
焼成炉建設のための多額の借金に追い討ちをかけるように兄小渕光平が議員活動中に急死した。
悲嘆にくれていた小渕浪次の下に待ちに待った1枚の注文書が届いたのだ。
時はすでに昭和33年の10月、日本鋼管炉材部からのものであった。
2基目の焼成炉も完成間近、上信鉱山所は一挙に三交代勤務の焼成作業にこぎつけたのである。
鉱石として優秀であった上信ハロイサイトの需要はあっという間に広がり、生産も追いつかなくなってしまった。
山に捨て去っていた鉱石を振るった後の残渣まで処理され、ますます儲かる構造となった。
しかし、昭和38年(1963)に火災により鉱山事務所、宿舎を消失してしまった。
たまたま鉱脈も尽きかけていてこれを機に、上信鉱山所の閉鎖、光山電化工業は休眠扱いとなった。
最盛期わずか4年の活動であったがその間に挙げることのできた高収益は奇跡的なものとして語られています。

295 とはずがたり :2015/11/01(日) 22:00:53
蝋石
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8D%E3%81%86%E7%9F%B3

ろう石は、葉ろう石(パイロフィライト)などを含むロウ感のある鉱石である。単一の鉱物ではなく、いくつかの鉱物の集合体の名称である。流紋岩やデイサイトなどが熱水作用を受けて生成したと考えられている。
日本では、岡山県備前市三石、広島県庄原市勝光山などが産地。耐火煉瓦やガラス繊維などの原料として利用されている。
ろう石鉱物[編集]
ろう石を構成している鉱物をろう石鉱物という。葉ろう石のほか、カオリナイト、ダイアスポア、コランダム、絹雲母(セリサイト)、明ばん石などの鉱物が含まれている。

ろう石
上野三義
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/63_02_05.pdf

296 とはずがたり :2015/11/01(日) 22:13:54
上信鉱山は鉱脈が尽きつつあったと云うから仕方が無いけど,太子支線と吾妻線延伸部でそれぞれ群馬鉄山と上信鉱山からの鉱物搬出で賑わう姿を見てみたかった所。
また草軽電鉄も観光鉄道としてもっと活躍出来たんちゃうかという残念さもあり。

隧道レポート 干俣鉱石輸送鉄道の未成隧道 歴史解説編
http://yamaiga.com/tunnel/naganohara/main5.html

5/22/2006 六合村元山・品木
http://heyaneko.we b.fc2.com/gh08.html
# 8-1
草津温泉近辺の「廃校廃村」めぐり,二回目の目標は,草津の東隣,六合(Kuni)村元山(鉱山関係の廃村)と品木(ダム関係の廃村)です。
元山(Motoyama)は,昭和19年に開山した群馬鉄山の鉱山街として賑わいましたが,昭和40年の閉山とともに鉱山街は消滅しました。現在,鉱山跡地は「JFE奥草津休暇村」として活用されています。およそ1km先には5戸(H.18)の熊倉という集落があり,人気はありそうです。
一方,品木(Shinaki)は,草津温泉を流れる湯川の下流にある山村でしたが,強酸性の河川水を中和する目的で作られたダム(品木ダム:昭和40年竣工)の建設により水没しました。現在は湖から1km近く離れた高原面に,5戸(H.18)の新しい品木集落が作られています。

297 とはずがたり :2015/11/01(日) 22:15:58
グンマーネタで強烈な1枚の一つ。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B0%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC&es_sm=122&tbm=isch&imgil=9qWjWtU9GXWYtM%253A%253BQYZ68qK9Tz7X9M%253Bhttps%25253A%25252F%25252Ftabipedia.net%25252Ftours%25252F%25252525E3%2525252582%25252525B0%25252525E3%2525252583%25252525B3%25252525E3%2525252583%252525259E%25252525E3%2525252583%25252525BC&source=iu&pf=m&fir=9qWjWtU9GXWYtM%253A%252CQYZ68qK9Tz7X9M%252C_&biw=1366&bih=599&usg=__pCxdj2DhsFFgzjaimtrhdbklTQU%3D&ved=0CCoQyjdqFQoTCM-6n9ym78gCFQT-Ywod4UgOgQ&ei=3A82Vs_cJIT8jwPhkbmICA#imgrc=9qWjWtU9GXWYtM%3A&usg=__pCxdj2DhsFFgzjaimtrhdbklTQU%3D

これはなんと高井鉱山・小串鉱山のここ毛無峠付近のものらしい。
余りのシュールさに合成かと思ってたけど本物だったとわw

小串鉱山トレッキング
http://blog.livedoor.jp/urayamaex/archives/4889250.html

298 とはずがたり :2015/11/25(水) 17:11:47
『鉄道廃線跡を歩くIII』の巻頭の宮脇先生の紀行文は南薩鉄道であった。
個人的には鹿児島交通世代なのだが,この南薩鉄道,支線が二つもあったらしい。
一つは加世田の外港的な?万世への枝線,もう一つは知覧への支線である。
枕崎へは現在も指宿枕崎線が通じているし知覧のある南九州市内も(知覧の遙か南の海岸沿いを)通ってはいるけど,復活できないかなぁ(;´Д`)

乗客が殆ど居ない山川以西は無くて良かったから喜入の北の瀬々串辺りから西に分岐して知覧,加世田,枕崎を通る路線が有った方が沢山の人に恩恵があったのではないか?
(昭和35年に山川〜頴娃が開通してるけど,この時昭和40年迄残っていた知覧線に向けて瀬々串〜知覧を国鉄が建設することで鹿児島交通と国鉄の相互乗り入れの形で鹿児島〜知覧〜加世田〜枕崎を残せたんじゃあ無いのかって事である。因みに伊集院〜枕崎は昭和58年の水害をきっかけに廃止となってしまったそうな。)

http://www.tokyoizen.com/kura/KGS/KGS090.html
明治32年(1899年)の創業。酒銘「萬世(ばんせい)」は、大正14年(1925年)に東加世田村が町制をしく時、南薩摩を流れる万之瀬川(まのせがわ)の「万」と加世田(かせだ)の「世」の字をとって「萬世不易(ばんせいふえき)―永遠に変わらないこと」の繁栄を願って地名を万世としたことに由来。

299 とはずがたり :2015/12/02(水) 14:29:19
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1047289790/363-364
>【宮津線】丹後山田(野田川)━▲加悦鉄道━加悦―出石━▲出石鉄道━江原(豊岡)

『廃線跡を歩くIII』に拠ると,敷設法には京都府山田から兵庫県出石を経て豊岡へ至る鉄道として規定されて,山豊線と言われてたそうな。
で,出石鉄道が設立されたけど建設に苦労し,その際にこの予定線を山田〜出石〜江原に変更するように嘆願したけど認められなかった経緯もあったという。俺が加悦鉄道と出石鉄道を混ぜてってのも,そんなに荒唐無稽って訳では無いんだな♪荒唐無稽だけどw

江原も豊岡も変わらん様に思うんだけど。現在,出石も,江原の有った日高町も豊岡市に併呑されている。現行法制下なら江原発着でも可能という訳かw
加悦から江原経由でニッケルをガンガン搬出する姿見てみたかった(・∀・)

因みに山田は地名として求心力を発揮出来ず野田川駅から更に与謝野駅となっているようだ。
筑豊の山田は上山田と下山田だったし伊勢の山田は宇治山田だったし,日本を代表する地名の山田だけど駅名としてはどうも不遇である。

300 とはずがたり :2015/12/14(月) 18:49:44
ひでえなぁ。。
自民党利権政治屋と建設官僚と土建屋が結託してこの無駄遣い三昧。
怒りしか湧かない。

道路レポート 青森県道256号青森十和田湖自転車道線(十和田市区間)
http://yamaiga.com/road/aotowa/main.html

301 とはずがたり :2016/02/18(木) 14:15:55
>日本海に臨む近畿最北の水族館「城崎マリンワールド」の沖にある小島に「竜宮城」がある。今は上陸できないが、昭和25年に作られた観光施設
知らんかった。いってみてえ!(;´Д`)

2016.2.18 05:00
なぜここに駅が?「玄武洞駅」のミステリー…“豊田商事物件”と噂の廃虚ビルは何を語る 観光名所は川向こう
http://www.sankei.com/west/news/160218/wst1602180002-n1.html

 兵庫県豊岡市内に不思議な駅がある。JR山陰本線の「玄武洞駅」だ。160万年前の巨大溶岩跡があり、城崎温泉(同市)と並ぶ北近畿の観光名所である玄武洞公園への“玄関口”だが、公園は円山川をはさんで駅の対岸にあり、どうやって行くのかナゾだった。そこで調べてみると、駅がなぜここにあるのか、そのレゾンデートル(存在意義)が判明、栄枯盛衰の過去が見えてきた。さらに近くにはネットでも話題の廃虚があるなど、一帯はちょっとしたミステリーゾーンと化していた。

近くに船着き場

 豊岡市の中心街から円山川沿いの道を北へ、城崎温泉に向けて車を走らせていると、左手に見えてくるのが「玄武洞駅」だ。うっかりすると見逃してしまいそうなほど目立たない。

 駐車場も周囲にはなく、ようやくスペースを見つけて降車。歩いて駅に近づくと、特徴的な駅舎の青い屋根と青い跨線橋(こせんきょう)が見えた。

 時刻表を見ると、停車するのは上下線とも1時間に1本程度で、無人駅らしい寂寥感を漂わせている。駅前にあるバス停の待合所もペンキがはがれ、“朽ち果て感”が何ともいえない。

 「何のための駅なのか」。周囲を探索し、「玄武洞船着場」という看板の矢印の通り、円山川まで歩くとあった。さびついた看板だ。そこには「乗船希望の方はこちらへお電話ください(対岸より迎えにまいります)」の文字。電話番号と料金も書かれていた。

 「なんだ渡し船があるの?」 そう思ったが、どこかしっくり来ない。実はこれ、正式な営業路線ではなかった。

年間40万人の観光客

 玄武洞公園は、160万年前の火山活動でできた巨大溶岩跡で、規則正しい割れ目の岩石が連なる山陰海岸国立公園の名所。特別天然記念物でもある。江戸時代から観光スポットとして有名だったという。

 その対岸に明治45年、玄武洞駅ができた。現在のようなまともな道がなかった時代、両岸を行き来するのに欠かせなかったのが渡し舟。サオで漕ぐ小さな十石舟が往来していた光景は駅の開業で変わっていく。

 玄武洞への「玄関口」となった駅は、特に戦後復興期から高度経済成長期に観光客がどっと押し寄せた。十石舟はエンジン付の船となり、そして、昭和39年には株式会社「玄武洞観光渡船」が設立された。

302 とはずがたり :2016/02/18(木) 14:16:12
>>301-302
 同社の船頭だった地元男性(83)が保管していたパンフレットからは、定員57人を最大に6隻の観光船を保有していたことがわかる。最盛期には年間40万人もの観光客を運び、「それはすごいにぎわい。観光バスもひっきりなしにやってきて客をはき出してくれた」と男性は振り返る。

 だが、その後、玄武洞公園へ直結する道路が整備され、次第に駅利用の客足は遠のき、45年には無人駅となった。地元の人々は無人化に反対の声を上げたが、当時の国鉄には届かなかった。渡船会社は営業を続けたものの、赤字が膨らみ、平成11年に廃業した。

噂が噂を呼ぶ赤煉瓦の巨大廃虚

 そんな過去を持つ玄武洞駅から北へ歩くと、赤煉瓦づくりの巨大な廃墟に遭遇する。落書きがされ、雑草が伸び放題の有様だが、その威容さは嫌でも目立つ。

 インターネットでも一部マニアに話題となっている廃墟は、約1万平方メートルの広大な敷地に計画されていたリゾートホテル。建物は使われることなく30年以上、雨風にさらされたままになっている。

 詳しい経緯について、地元の人たちに聞いても「あまりに古い話だからわからない」という。ナゾがナゾを呼び、バブル時代に起きた豊田商事事件絡みの物件ではないかという噂も飛び交った。高齢者を詐欺で食い物にし、会長が刺殺されたあの事件だ。

 噂は地元の人たちにも定着しているが、どうも真相は違うようだ。数少ない事情通の話では、昭和59年の着工後、欠陥工事が表面化して兵庫県内の施主と大阪府内の施工業者の間で裁判沙汰となり、計画が頓挫したという。

 それではなぜ、悪名高い豊田商事の名が1人歩きしたのか。市の関係者が示唆したのは、あるテレビドラマシリーズの影響だ。その中の一話が城崎温泉が舞台で、詐欺会社が所有していた廃墟ビルで相次いで変死者が発見されるというストーリーだった。人気シリーズだっただけに、「都市伝説」として定着したようだが、何人かの訳知り住民ははっきり「豊田商事の話はデマ」と言う。

 玄武洞周辺の廃墟はこれだけではない。ひともうけを狙ったバブルの遺物が点在していて、それを探すのも面白いかもしれない。

1日30人、寂りょう感漂う駅舎

 玄武洞駅の利用者は1日約30人。多くは通学客だといい、管理する豊岡駅やJR西日本福知山支社にも関連資料はほとんどない。

 電話で呼べばやってくる現在の渡し船は、事情を知らずに下車してしまう旅行者が時々いるため、路頭に迷わないよう、対岸で集客施設を営業する業者が親切心から始めた。適宜運航しているだけで、「主役」ではない。食堂や土産店が大繁盛していた玄武洞駅前の様子はもう残滓(ざんし)もないが、そんな風情は、当地の名物のカニと同じくらいの味わいがあるかもしれない。

 最後にもう一つ。玄武洞から離れ、日本海に臨む近畿最北の水族館「城崎マリンワールド」の沖にある小島に「竜宮城」がある。今は上陸できないが、昭和25年に作られた観光施設で、水族館敷地内にある浦島太郎伝説の亀のオブジェとともに、平成の現世では異彩を放っている。

 城崎温泉のついでに、こうした場所を訪ねてみるミステリーツアーはいかがだろう?

303 とはずがたり :2016/02/29(月) 18:17:37

よっきの四国探索も間近か!?

特急「宇和海」、自転車そのまま持ち込みOKに JR四国
http://trafficnews.jp/post/49020/
2016.02.29 乗りものニュース編集部

JR四国が特急列車では珍しい、自転車をそのまま持ち込めるサービスを通年で始めます。

別料金は不要、1列車あたり2台分
 JR四国は2016年2月25日(木)、愛媛県内の松山〜宇和島間を走る特急「宇和海」で、自転車をそのまま車内へ持ち込めるサイクリスト向けの新サービスを実施すると発表しました。

 特急「宇和海」の車内を改造して、1列車あたり自転車2台分の「サイクルルーム」を新設。自転車を解体したり折りたたむことなく、列車へ持ち込むことを可能にするものです。下車してからすぐに自転車の旅へ出発できるといいます。


特急「宇和海」に用意される「サイクルルーム」と、そこに自転車を搭載した場合のイメージ(写真出典:JR四国)。
 3月26日(土)から通年での実施ですが、お盆や年末年始といった乗客の多い時期は、また曜日や時期によっては、サービスが行われないことがあります。自転車の積み降ろしは松山駅と宇和島駅限定です。

 利用は普通運賃と指定席特急料金のみで、別料金はいりません。しかし愛媛県内の「みどりの窓口」で発売される専用指定席特急券(サイクル宇和海)を購入する必要があります。

 自転車を列車へ載せたい場合は一般的に、専用の袋へ収納するといった作業が必要ですが、一部の地方鉄道などでは近年、そのまま載せられる「サイクルトレイン」を運行する例がしばしば見られます。

 ただ今回のように、特急列車でそのまま搭載可能なのは珍しい存在です。JR四国は2014年、高松〜松山間の特急「いしづち」でも期間限定ながら、自転車をそのまま車内へ持ち込めるサービスを行ったことがあります。

【了】

304 とはずがたり :2016/03/03(木) 23:30:30
山行ががなかなか更新されないのでフライングw

天空の廃道「砂糠山の養蚕場跡」その7 〜歴史を知る〜 
http://www.kouzushima.info/s15-sanuka8.html

 調査結果
 
  養蚕場のことをまとめると。

【時期】
かいもの婆さん自身がそこに入って作業を始めたのが昭和47、48年あたり。
道やら畑を整備するのに3、4年かかった。
なので昭和43年から昭和45年くらいから工事は始まったのかな

【理由】
当時の国の方針(減反政策のような)で進めていた農業改革の一環で、
それにのっとった村が養蚕事業を始めた。

【当時の雰囲気】
おばあさんらはそこ(砂糠山、長根)で行うのは大反対していて、
現在の多目的広場あたり(多幸湾ファミリーキャンプ場付近)ならやる!
と、言ったらしいのだか結局、砂糠山で話を進められてしまった。

【廃墟になった時期、原因】

昭和55年から昭和58年あたりにはすでに放棄した。(行かなくなった)

放棄した理由は、
そこではそもそも桑の葉が足りず、蚕を育てられず死なせてしまった。
村の方から桑の葉を持ってきたりしたがやはりそれ自体馬鹿らしい、
お金ももらえないし、採算に合わないから辞めた。


【その他の話】

蚕も2回ほどやったが、結局だめで死んじゃった。
その時は泊まり込みでやっていた。

建物の小さい2棟が宿舎。
長い3棟が蚕を飼っていたところ。

ガスボンベとかも、多幸湾のほうから担いで持って行った。

水場は近くにあった。

ここに行く道は、天上山の櫛が峰から山道で行けたが、2000年の地震で崩壊
し道がなくなった。

同じくここから、長根に降りれる山道があったが2000年の地震で崩壊して道
がなくなった。


多幸湾からの海岸線の道は途中までは出来たけど、最後まではできなかった。
その道は今は天上山の崩壊で埋もれてる。


息子(当時中一)が生活で必要なガスボンベを担いで、磯を渡り養蚕場まで持っていった。

夏は勝手にここでキャンプをして遊んだ。

磯から山への索道意外にも、磯の途中まであった道からの水平方向の索道があった。

長根丸という船もあった。

305 とはずがたり :2016/03/08(火) 12:49:03
稚内から遠軽迄と留萌から幌延迄復活して欲しいってのが妄想ベースでの持論だけどけど,こんな記事読むと士幌線と広尾線の復活は勿論,上川迄と様似迄も建設して繋げて欲しくもなるww
wikiに拠ると過疎化で糠平以北はほぼ無人となってるようだ。。北海道ばかでかいダム湖と水力発電所造れる場所,この20年の過疎化で出来てるんちゃうか!?
理性ベースでは巨大ダムには批判的だし,日高本線や留萌本線廃止已む無しの俺ではあるんだけど。。

湖に沈む幻のめがね橋「タウシュベツ川橋梁」を探しに 〜北の大地の産業遺産をめぐる旅〜
http://rurubu.travel/theme/column/22/
2015/9/3

306 とはずがたり :2016/03/21(月) 23:02:12
>>304
良くある耳に蛸の話しだけど,日本硬直した補助金システムが地方の実情に合っていないと云う日本の中央集権制を批判したくも成る。
>養蚕は計画のはじめから無理があったようだ。二次構の事業基準にあわせた規模で施設を作る必要があり、敷地をもちあわせなかった村では農道も整備されぬ山奥に養蚕団地を造成したため事実上使用不可能にちかかった。行政が柔軟性を欠いたための失敗であった。
>『総合都市研究 第22号(1984)』掲載「都市的生活様式の実証研究(その1)―東京都神津島村調査報告―」より引用

しかし豊かな自然を破壊して(植生は復活しているように見えるけど貴重な植物は工事に来た内地の人間に持ち去られたとある)税金を無駄遣いして(国費負担率50%。おそらく村落の中で事業者押しつけられたおばあちゃんの借金が200万円),土建屋だけ儲かると云う構図は恐らく小泉政権から民主政権迄続けた折角の公共事業に頼らない日本という果敢なチャレンジをひっくり返したアベノミクスでも復活しているのであろうけど,一方的に地方が悪いと思ってた俺だが,土建屋が潤う中で,補助金貰う為に事業が農村の構造の中で強行され,善意の地方民が犠牲になってるような面もあるようだ。

官僚どもも自分らの天下り先のことだけ考えてる訳でもなく,多分,恐らく,ひょうっとかすると,日本の事も真剣に考えていて,基準にある筋肉質の興農事案が上がってきて日本の農業が発展すると考えてるんだろうけど,インセンティブ設計の段階で一定のリスクを負うからそれでスクリーニング出来る筈と考えてた様で(俺はそれすらやらないから無駄な事業が増えると思ってたけどそうでもないらしい),その段階で農村の身内ファシズムが発動してムラの為に誰かが犠牲にならないと行けないと云う,マイナスの無尽講的な構造の中で事業の受け手が作られてしまうと云う事もあるようだ。

道路レポート 神津島の砂糠山にある廃道 机上調査編
http://yamaiga.com/road/sanukayama/main7.html

307 とはずがたり :2016/04/05(火) 11:40:29
>現在はわずか2世帯が暮らすのみとなっている。
駅もインターもないのは当然だなぁ。。

>家族が暮らすには十分な米がとれていた
そうなのか。。

占冠「陸の孤島」ニニウへの難所・鬼峠 観光地化の可能性探る 峠越えイベントで当時の住民の苦労体験
03/25 07:00
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0250423.html

 【占冠】役場のある中央地区から交通の難所・鬼峠を越えて、陸の孤島といわれてきた村南部のニニウ地区を目指すイベント「鬼峠フォーラム」が今年も19、20の両日に開かれた。10回目の今回はこれまでの総括も兼ね、鬼峠の観光地としての可能性を考えた。20日に13人が参加した恒例の峠越えに同行し、当時の住民の生活に触れることで、寂れゆく鬼峠とニニウのあり方を探った。

 前日の雨で軟らかくなった雪に、スノーシューを履いた足が深く埋まる。鬼峠は実は2カ所ある。今回は馬そりを通すため、1929年(昭和4年)に開通した2代目鬼峠を行くルートを歩いた。山中の木々の間を1時間ほど縫うように登り、さらに林道を約1時間歩くと、標高640メートルの峠に到着。振り返ると占冠の家並みが小さく見え、遠方には夕張岳(1667メートル)が顔をのぞかせた。

 3時間ほど下ってニニウに到着し、63年まで同地区で暮らしていた会田静雄さん(80)と合流した。会田さんが住んでいた家は風雪で窓ガラスや壁が壊れ、廃屋となっていたが「家の裏で稲作をし、家族が暮らすには十分な米がとれていた」と当時を振り返った。

 高台のニニウ神社では、高さ、幅とも2メートルほどの小さな社の前に神酒と緑青(ろくしょう)の浮いたさい銭が供えられ、会田さんが子どものころから祭りで使われていた古い獅子舞の頭が納められていた。参加者は除雪、参拝をし、雪を踏み固めた土俵で奉納相撲を取った。

 50年代ごろまで、約30世帯が農業や林業で自給自足生活を送っていたニニウだが、60年代から人口の流出が加速。75年にはニニウ小中学校が閉校し、現在はわずか2世帯が暮らすのみとなっている。

 フォーラムは鬼峠を実際に歩き、住民の生活や歴史を知ることを目的に、実行委(山本敬介代表)が2007年から開催している。冬に行うのは、ヒグマ対策に加え、厳しい寒さの中でも生活のために峠を行き来した住民の苦労を体験するため。会田さんは「雪深い日でも、仕事があればほぼ毎日、スキーや馬で越えていた」と話す。

 ニニウは現在、地区を横断するような形で道東道が走り、林道も通っており、昔ほど「秘境」というわけではない。だが、豊かな自然以外にも、不便な地で住民がつつましく生きていた痕跡が色濃く残っていた。上富良野町出身でニニウについて研究する立松宏一さん(39)=旭川市在住=は「鬼峠を実際に歩き、山奥で質素な暮らしをした住民の生活に触れることは、豊かな文明を見直す機会になる」と期待する。

 限界集落が各地で問題視される中、ニニウの持つ寂寥(せきりょう)感は、地方の消滅が実際に起こり得るものだと訴えかける力を持つ。長崎県の端島(軍艦島)のように炭鉱の「廃虚」が観光地として注目され、世界文化遺産に登録された例もある。ニニウには夏の探索・周遊ルートの確立など課題も残るが、参加者からは「観光地としての潜在能力があるのでは」との声が上がった。

 中富良野町内の小学校で教諭を務める一永明彦さん(59)は「衰退の歴史を含め、子どもたちの学習の場に最適」と感想を述べた。(古市優伍)

308 とはずがたり :2016/04/05(火) 11:41:53
県道スレ相当ぽいんだけどr136の夕張側の未開通区間,俺の北海道地図には細いながら緑線で繋がってる。。

ニニウのこれから
http://www.onitoge.org/ninew/

道道136号
夕張新得線
http://www.d4.dion.ne.jp/~s-sousai/yubari/index.htm

ニニウから夕張市との境界にかけての区間(占冠村の旧ニニウ夕張線区間)

 事業を申請しているが建設省のほうで採択していない模様。

村道日勝赤岩線改め道道占冠穂別線開通レポート
http://www.onitoge.org/ninew/w/20070414.htm
2007.4.14
本年11月に道東道トマムICが供用を開始すると,現在日勝峠を経由している車両の大多数が占冠経由にシフトすると予想され,旧村道日勝赤岩線は道央と道央を結ぶ重要な道路となる。

309 とはずがたり :2016/05/02(月) 19:47:59
よっきさん,事件です!
こんな所に通行止めの標識が!?
https://www.google.co.jp/maps/@35.0544214,137.5999359,3a,75y,142.79h,76.93t/data=!3m6!1e1!3m4!1squh7Q12PynXt9_ldr-ZNyA!2e0!7i13312!8i6656

なんか分断県道r424振草三河川合停車場線の分岐臭いが,この写真とは違うな。。
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_3.htm

だいぶ香ばしい経路の県道だ。

310 とはずがたり :2016/05/02(月) 20:02:26
此処から未通区間(1km程らしい)を抜けると宇連(うれ)である。

宇連
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/23.Aichi/Shitara_Ure.html

 大字川合は町内でも地理的に孤立しており(※)、町内から自動車で訪れるには鳳来町【現・新城市】を経由することになる。
 集落では管理家屋が1軒、廃屋が2軒のほか、神社(諏訪神社)が見られた。神社は現在も訪れている人がいるようで、手入れがされている。また集落には学校(神田(かだ)小学校宇連分校)があるが、存在は後から知ったためこれを見ることはなかった。HEYANEKO氏ほかの調査によると、支流(スキャン画像では下方)奥に朽ちた木造の校舎が残っているという。

愛知県・一般県道424号
振草三河川合停車場線
その4
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_4.htm
その5
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_5.htm

未成道の旧道っぽい区間の分岐があるのは此処のようだ。
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.36.55.506N35.2.2.907/zoom/10/

廃屋と神社のあるのは新道区間の橋の直進した道かな?

311 とはずがたり :2016/05/02(月) 20:05:33
>>309-311
山の道が野放図に建設されるのには怒りを感じるし,好い加減にしろよと思うんだけどあと1kmで建設が放棄されてるのも怒りが。繋げばもう一寸役立つのに,此処迄造って止めるなら最初から造るなよなぁ。。

312 とはずがたり :2016/05/02(月) 20:59:25
>>309-312
山道のr424振草三河川合停車場線の分岐点は此処だ。さっきのは只の河原かなんかへ降りるだけの道?
https://www.google.co.jp/maps/@35.0562085,137.6021742,3a,75y,192.52h,70.95t/data=!3m6!1e1!3m4!1sHZBjf_pa02o6FQ9dOuJzBw!2e0!7i13312!8i6656

向こう側の道路があんなに工事されてるのに取り付けの此方側が全く気配無しなんは何故だ?

313 とはずがたり :2016/05/02(月) 21:03:36
r424の北側の欠落部の林道直進した箇所。

こんな所に立体交叉が!?
http://www.mapion.co.jp/m2/35.09071552633145,137.6170635031824,17

314 とはずがたり :2016/05/02(月) 21:22:55
<浜松宇連田口ルート>
腹立たしいが後1km位なのだからr424がr32に繋がってれば良いのにと思う。

宮口(R362)r68浜北三ヶ日線→r299渋川都田停車場線(観音山)→r298(静岡県内)・r505(愛知県内)渋川鳳来線(越県道のナンバー統一ななされてない様だ。。)→r442鳳来佐久間線(静岡県内はr390)→市道(google mapのストリートビューにも載ってて抜け道としてはしっかりと認識されてるようだ)→r519七郷一色名号線→鳳来峡IC・三河川合(R151)─r424(鳳来湖)http://www.geocities.jp/p_road12/aichi/ar424_1.htm→--(未通)--─r32長篠東栄線(r424重複)→R473→田口(R257)がほぼ繋がる(田口は鉄道の終着駅だったこともある要衝である)。
渋川鳳来線や鳳来佐久間線のナンバー統一と併せて主要地方道浜松設楽線でも指定して欲しい所だw
三遠南信が豊橋(三河吉田)から遠州を経由するニュアンスが有るのに対して,浜松〜恵那は遠三東濃の流れである♪

R257が新東名の現道として併走しているのに対してこちらは三遠南信道の併走路だな〜。

315 とはずがたり :2016/05/02(月) 21:28:25
やはりそうなんだな。何となく周囲の道路罔に対して違和感あったけど。

稲目トンネル
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_iname.htm

稲目トンネルは元は昭和43年に廃線となった豊橋鉄道田口線の鉄道用トンネルでした。鉄道廃止から10年間ほどは鉄道代替の豊橋鉄道のバス専用トンネルとして使われ、この間は出入り口に柵が設けられて一般車の通行は禁止されていました。
 当時、旧鳳来町と設楽町を結ぶ道路は旧来からの与良木峠を越える道しかなく、地元住民からは稲目トンネルの一般開放望む声が多く出されました。これを受けて全面改修を施したのが現在の稲目トンネルです。改修により大幅に拡幅され、鉄道トンネル時代の面影は全く残っていません。

316 とはずがたり :2016/05/05(木) 11:41:59
これだけど,ここhttp://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.46.10.428N35.4.20.832/zoom/9/に浜松市と東栄町が接している箇所がある。
浜松市は元浦川で東栄町は元々振草と云う地名だったのでは?

http://www.k2.dion.ne.jp/~route-xx/Contents/Report/r293/r293_10.htm
さらに奥へ進むとr293沿いの岩にある文字が書かれた場所を発見した
 『ウラガワ』とは静岡県浜松市天竜区佐久間町浦川
 『フリクサ』とは愛知県北設楽郡東栄町振草
 と思われるが、これがある場所は愛知県内であり『ウラガワ』が指すのは浜松市の
 地名でここに境界線があるはずはなく、『フリクサ』もこの場所から10km程離れた
 場所の地名でここではない
 またしてもこの文字の意図するところは不明

317 とはずがたり :2016/05/30(月) 10:18:21

武田尾〜道場間で不通の(未通の?)r327。災害で不通だそうな。開通してた様には見えないんだけど。
無駄な道路ばんばん造ってる様に見えるけど武田尾の陸の孤島が全く解消しないのは何故だ!?一寸R418の丸山地区に似て無くも無いロケーションであるw
けどこっちは新名神のSICが出来て既にJRの駅で阪神中枢部に直結だし便利になるぞ。武田尾宝塚パークタウンとでも銘打って宅地開発しよう♪
まあそれは兎も角俺のドミナントだし行ってみないと。。

道路情報 - 兵庫県道路総合管理システムhttp://road.civil.pref.hyogo.lg.jp/RoadLan/InternetGeneral/Common/RoadLan_Top.aspxより

http://road.civil.pref.hyogo.lg.jp/RoadLan/InternetGeneral/kisei/RoadLan_Regulation_Detail.aspx?RRID=3&RID=10570
路線 (一)県道327号切畑道場線
規制内容 全面通行止め
規制理由 災害復旧工事
規制場所 宝塚市玉瀬
規制期間 平成27年 2月 24日〜平成27年 6月 30日
規制時間 終日
対象車両 諸車全般

JR道場駅-武田尾駅間、兵庫県道327号線分断区間
http://ameblo.jp/gorou25/entry-11520875836.html
2013-04-29 22:06:03

兵庫県道327号切畑道場線
http://blog.goo.ne.jp/cherubimcaad10khs/e/0eb9012747faf27ce15babe9dfda513d
2013-11-25 19:03:48 | 兵庫県道

兵庫県道327号 切畑道場線(止)
http://michi.road.jp/Road/Hyg327_1.html

318 とはずがたり :2016/06/21(火) 22:42:52
東京駅から電車で60分、「都心からもっとも近い廃村」はこうして生まれた
http://nikkan-spa.jp/1127656
2016.06.08 雑学

駅から見える海上自衛隊の基地

 東京駅からJR横須賀線で約1時間。横須賀駅からほど近い田浦という場所にその廃村はある。駅周辺は山に囲まれ閑散としているが、少し歩くと昔ながらの商店街や海上自衛隊の学校があり、自然と人工物が混在した風景が広がっている。

 そして駅から盛福寺というお寺を目指し15分ほど歩くと、京急本線とJR横須賀線が交差するポイントが見えてくる。それが今回の目的地「田浦廃村」の目印だ。ちょうど踏切を超えたエリアからが廃村になるのだが、草も伸び放題で手入れされておらず、どこか異世界への入り口のような雰囲気を漂わせている。

約30年手付かずの状態の理由は

 一体なぜこのような有様になってしまったのだろうか。横須賀市田浦の行政センターに問い合わせてみたところ「この辺りを開発しようとした業者が、何かしらのトラブルで断念せざるを得なくなり、そこから現在まで2〜30年ほど放置されている。行政も手をつけられない状態」との回答を得た。

 より詳しい事情を知ろうと、近くの田浦地区の住民(40代・女性)に話を聞いたところ「30年ほど前かな、丸紅が住宅開発しようとして、山に住む住民に半ば強制的に退去を命じたんです。だけど、この一帯はところどころにある柱の『波マーク』を見てわかるように、海軍の土地であるのと、道路の下には丹沢の山の方からつなげている水道管が4本走っています。それを避けて工事をしていくのには予想以上に費用がかさむようで、業者と揉めてしまったとか。そのまま計画自体が頓挫したようです。」と答えてくれた。

319 とはずがたり :2016/08/03(水) 15:15:50
北摂と京都北山,俺の大好きなフィールドで未成道レポの充実♪

路面と勾配 f/k/a北摂ひっそり
http://nekotani.blog.fc2.com/

320 とはずがたり :2016/08/04(木) 18:43:35
京都北山祖父谷峠関連
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187488248/493-495

このバイクはいつの走行だ??

分断京都府道61号京都京北線
http://www.yamasita.jp/weblog/2012/05/post_175.html

国土地理院の北側の様子。あらぬ方へ向かってる様にも見えるが。。(;´Д`)
http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.14611111111111,135.73749999999998&z=15#16/35.176404/135.710485/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0

321 とはずがたり :2016/08/05(金) 23:45:36
これhttp://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.10.21.149N34.42.39.010/zoom/10/,廃トンネルだそうな。しかも有馬街道から再度山ドライブウェイに抜けれるなんて素敵トンネルじゃあないか。
カギ掛かっててワルニャンもできないようだが(;´Д`)
トンネル抜けたところの神戸港地方ってどんな地名だ?!

【神戸市兵庫区】廃トンネルと七三峠
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-332.html#comment2129
2014/05/07 00:10

322 とはずがたり :2016/08/29(月) 20:08:41
大日本者神國也と云うきもいタイトルのブログ。
多奈川線があるのは川崎重工の軍需工場があったからで,支線開通に伴って南海本線上にあった深日駅が廃止と相成ったと云う事らしい。現在,川重の工場は勿論ないが関電多奈川発電所(休止中)はその敷地跡にあるそうな。
色々繋がってくる。で,こんな所に投下するのは地下壕の写真があるからw

川崎重工業株式會社 泉州工場
http://shinkokunippon.blog122.fc2.com/blog-entry-1170.html

323 名無しさん :2016/08/31(水) 13:38:02
>>322
文句があるなら引用するなカス

324 とはずがたり :2016/08/31(水) 15:23:27
興味深い記事は政治信条に拘わらず引用させて頂いてます。

万が一ブログ主ご本人様でしたら大変失礼しました。今後とも歴史研究の進展を楽しみにしております。

325 とはずがたり :2016/09/06(火) 09:54:32
福井県道174号だが未通県道ではなく鉱山県道だったようだ。http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/1595で取り上げたr175熊河池田線が次のナンバーで行き止まり県道としては現状では共通だがこちらは山を越える計画はないということのようだ。
中竜鉱山,なかなかよさげである。

むかし と いま
【週末探険隊合同探索】 過去と現在
http://ruin-explorer.com/nakatatu/nakatatu.html
撮影日 2008年3月

福井県道174号上大納下山線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C%E9%81%93174%E5%8F%B7%E4%B8%8A%E5%A4%A7%E7%B4%8D%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E7%B7%9A

中竜鉱山
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%AB%9C%E9%89%B1%E5%B1%B1

中竜鉱山(なかたつこうざん)は、福井県大野郡和泉村(現大野市)に存在した鉱山。スカルン鉱床、気成鉱床からなり、古くは13世紀から銀山として、また近代になってからは亜鉛鉱山として知られる。モリブデン鉱などレアメタル鉱石も産出していた。1987年、円高により採算が悪化し閉山した後は、鉱山の跡地を利用した体験型鉱物博物館である「アドベンチャーランド中竜」(後述)として再利用された。
アドベンチャーランド中竜[編集]
専用バスにて地下120mまで移動しながら坑道の跡地、採掘現場を見学できる日本では珍しい博物館。途中、坑道に向かうバスの道の脇には当時の建物が多く残されている。また資源が枯渇して採掘を中止したわけではないことから、坑道に露出する生の鉱石が見ることができる。調査によると十年分の鉱石が残されて閉山したという。
国内外から鉱物マニアや地質学を学ぶ学生などが多数訪れていたが、来場者数減少のため2006年11月30日限りで営業を終了した。

326 名無しさん :2016/09/29(木) 13:44:59
「どこの山行くの?」「霧ヶ峰」「エアコン!?」

夏も終わり涼しくなってきましたが、秋の行事に登山などを計画している方も多いのではないでしょうか?

そこで今回は「名前がかっこいい日本百名山の山」を調査・ランキングにしてみましたので、ご覧くださいませ。

1位鳳凰山 ほうおうざん 山梨県南アルプス市、韮崎市、北杜市 334票
2位剱岳 つるぎだけ 富山県中新川郡上市町、立山町 293票
3位霧ヶ峰 きりがみね 長野県茅野市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町、小県郡長和町 124票
4位御嶽山 おんたけさん 長野県木曽郡木曽町、王滝村、岐阜県下呂市、高山市 99票
5位皇海山 すかいさん 栃木県日光市、群馬県沼田市 78票
6位武尊山 ほたかやま 群馬県利根郡みなかみ町、川場村、片品村 76票
7位美ヶ原 うつくしがはら 長野県松本市、上田市、小県郡長和町 74票
8位八甲田山 はっこうださん 青森県青森市、十和田市 69票
9位槍ヶ岳 やりがたけ 長野県松本市、大町市、岐阜県高山市 58票
10位五竜岳 ごりゅうだけ 富山県黒部市、長野県大町市 46票
10位大菩薩岳 だいぼさつだけ 山梨県甲州市、北都留郡丹波山村 46票

12位霧島山 きりしまやま 宮崎県、鹿児島県 45票
13位羅臼岳 らうすだけ 北海道目梨郡羅臼町、斜里郡斜里町 42票
13位瑞牆山 みずがきやま 山梨県北杜市 42票
15位トムラウシ 上川総合振興局上川郡美瑛町、十勝総合振興局上川郡新得町 40票
16位早池峰 はやちね 岩手県宮古市、遠野市、花巻市 36票
16位天城山 あまぎさん 静岡県伊豆市、伊東市、賀茂郡東伊豆町、賀茂郡河津町 36票
18位穂高岳 ほたかだけ 長野県松本市、岐阜県高山市 33票
18位蓼科山 たてしなやま 長野県茅野市、北佐久郡立科町 33票
20位燧岳 ひうちだけ 福島県南会津郡檜枝岐村 31票

外部リンク:ranking.goo.ne.jp

327 とはずがたり :2016/10/04(火) 14:43:32
じっぴコンパクト文庫『山さ行がねが』入手♪

328 とはずがたり :2016/10/04(火) 14:52:00
google mapで岐阜県大野郡白川村加須良へ♪ここは砂利道もgoogle mapは珍しく攻めてる♪
https://www.google.co.jp/maps/@36.3237615,136.8455945,3a,75y,282.28h,93.26t/data=!3m7!1e1!3m5!1skRtjWNNOxxPzkaAbf-sYoA!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DkRtjWNNOxxPzkaAbf-sYoA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D324.63397%26pitch%3D0!7i13312!8i6656

329 とはずがたり :2016/10/04(火) 17:19:21
3161 名前:とはずがたり[] 投稿日:2016/10/04(火) 14:57:24
これがグーグルマップの終点。この先からよっきが出てきたのかw
それは兎も角本はネットに比べて読みにくいね。。
https://www.google.co.jp/maps/@36.3248312,136.8453212,3a,75y,349.77h,93.13t/data=!3m6!1e1!3m4!1sEHQ2f_Wgf_iREXmQZ2gtbw!2e0!7i13312!8i6656

330 とはずがたり :2016/10/04(火) 17:23:03
加須良聚落はS27に林道起工,難工事の末S36(1961年,俺の生まれる10年前だ。。)に開通,そして僅か7年後のS43(1968年)には廃村となっている。
俺は怒りを込めて効果の無い過疎対策事業を糾弾してきたが,あれは過疎を推進し廃村を実現する為に行われていたんだな(;´Д`)

331 とはずがたり :2016/10/04(火) 17:43:42
2章は数坂峠。
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.10.27.750N36.39.32.083/zoom/8/

332 とはずがたり :2016/10/05(水) 18:17:16
大学生の頃か笠置の廃ホテルに肝試ししたけど犯罪だったか!まあ不法侵入は犯罪なんだけど騒ぐと迷惑だから本当に逮捕されるのか。大学生みたいな未成年じゃないとどうなんやろ??

廃旅館で”肝試し” 少年11人 家裁送致
http://news.goo.ne.jp/article/chuplus/nation/chuplus-CK2016100502000097.html
05:00中日新聞プラス

小松署 無断で侵入疑い
 廃旅館に無断で立ち入ったとして石川県警小松署は四日、軽犯罪法違反の疑いで県内の十七?十九歳の高校生や無職少年ら十一人を金沢家裁に送致したと発表した。「心霊スポット」として知られ、インターネットでも紹介されている場所で、少年らは肝試しと称して入り込み、大騒ぎして通報された揚げ句、“怖いおまわりさん”に叱られる羽目になった。
 送致容疑は七月三日午前一時十分ごろ、同県小松市の粟津温泉街近くにある廃旅館の敷地や建物に無断で侵入したとされる。署によるとネットで検索して初めて訪れたといい、十一人とも容疑を認めている。
 粟津温泉観光協会によると現場は一九九七年の廃業後は放置されたままで、敷地や建物を植物が覆い、昼間でも不気味な雰囲気がある。
 近隣住民は「十年ほど前から夏になるたび、肝試し目当ての若者グループが深夜に来て騒ぎ、うるさくて眠れない」と話す。今回は一一〇番が寄せられ、署員が駆けつけた。
 協会によると地元からは取り壊しの要望が出ているが、今のところ予定はない。署は二〇一三年と一五年にもこの廃旅館への侵入容疑で別の少年らを家裁送致しており、周辺のパトロールも強化している。

333 とはずがたり :2016/10/07(金) 10:06:00
確かにr70でR42に繋ぐ方が整備する道路少なくて好いな。

鳥越林道
https://www.google.co.jp/maps/@33.9743342,136.1432467,14z

googleが諦めた地点。隧道と現道の落差1mをみたかったのにぃ・・舗装の一部が剥がれてるとは云えこんな手前で諦めるなんてだらしいないぞ!
https://www.google.co.jp/maps/@33.9678865,136.1255869,3a,75y,23.3h,73.84t/data=!3m7!1e1!3m5!1sRnALdBq4DpmWNScxgUYQxA!2e0!6s%2F%2Fgeo2.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DRnALdBq4DpmWNScxgUYQxA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D156.14363%26pitch%3D0!7i13312!8i6656

334 とはずがたり :2016/10/10(月) 22:48:50
秩父に謎多き巨大洞窟 埼玉県、全容解明の本格調査へ
http://www.asahi.com/articles/ASJ955JR6J95UTNB00Y.html?iref=com_favorite_03
中村純2016年9月12日19時15分

 奥秩父の険しい山中にある「瀧谷洞(ろうこくどう)」。関東最大級の洞窟といわれるが、容易に人が近づけず、未知の部分も多い。洞窟内からはクマの全身骨格やニホンオオカミの歯と類推される化石が見つかるなど学術的価値も高いとされ、全容解明へ埼玉県が本格調査に乗り出す。

 この洞窟は1989年、旧大滝村(現秩父市大滝)で民間の探検グループが発見した。形成期は数十万年以上前とみられ、洞内全体に鍾乳洞が広がる。大きさは推定で全長2・7キロ以上、高低差160メートル。関東では日原三又(にっぱらみつまた)洞(東京都奥多摩町)と並ぶ規模という。名前の由来になった高さ約50メートルの滝や深さ約30メートルの谷も確認されている。

 元同市大滝総合支所長の山中和則さん(62)は計10回、洞内に入ったことがあると話す。「それはもう神秘的な白さで、きれいで、自然の創造力に圧倒されっ放しでした」

 異例のスケールと幻想的な美し…

残り:611文字/全文:998文字

335 荷主研究者 :2016/10/22(土) 15:00:09

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161009_13022.html
2016年10月09日日曜日 河北新報
廃墟マニアの聖地売ります 問い合わせ次々

廃墟マニアの聖地ともなっている「化女沼レジャーランド」。現在、購入者を募っている

 大崎市古川小野の休園中のレジャー施設「化女沼レジャーランド」(後藤孝幸社長)が、施設と土地の年内売却を目指し、購入者を募っている。廃虚マニアの聖地ともなっている場所で、9月以降、十数件の問い合わせがあったという。

 化女沼レジャーランドは1979年、大崎市民の憩いの場である化女沼の東岸に開園。約15万平方メートルの敷地内に遊園地やゴルフ練習場、室内ゲートボール場、コテージなどが立ち並び、最盛期は年間20万人が利用した。バブル崩壊後は客足が遠のき、2001年10月に休園した。

 遊園地の観覧車やメリーゴーラウンドなどは解体されずにさび付き、近年の廃虚ブームで全国からマニアを呼び寄せている。後藤社長の許可の下で撮影会などが開かれている。

 「化女沼を一大観光地に」との夢を忘れられず、後藤社長は施設や土地の切り売りを拒んできた。しかし今年6月、転倒して膝を骨折し、つえを手放せなくなった。後藤社長は「私も85歳。いいかげんに我を折りなさいという照夜姫(化女沼の主とされる伝説上の女性)のご意思かもしれない」と思い、売却を考えるようになった。

 9月にテレビ番組で売却の意思が伝わると、北海道や関東地方、中部地方などから問い合わせがあった。

 視察に訪れる人からは「敷地内から湧く温泉を生かし保養施設を造る」「廃虚のテーマパークにしたい」といった提案が出ているという。後藤社長は「この土地を活用してくれるなら喜んでお譲りする」と話す。

 化女沼の環境美化に取り組む市民団体の代表は「東北自動車道の長者原スマートインターチェンジや東北新幹線の古川駅から近い。自然環境とマッチした施設に生まれ変わってほしい」と話す。

336 とはずがたり :2016/11/04(金) 20:08:21

鉄建公団が建設した中の路線の予定駅マップの写しらしきものがあるが邪魔なので捨ててしまおうかと思うが棄てる前に転載しとく。稚内─浜頓別─北見枝幸─雄武─興部─紋別─中湧別─遠軽,幌延─羽幌―留萌─深川を公的資金で建設・維持できないもんかと北海道各線の廃止推進派の俺だから矛盾するけど思う。。

興浜線
興部──雄武--元稲府--北見音稲府--北見幌内--枝枝幸--北見音標……幌別(美幸線分岐)--北見枝幸──浜頓別
美幸線
美深──仁宇布--北見大曲--上穂志別--志美宇丹--辺毛内--歌登--下幌別--幌別(興浜線合流)(--北見枝幸)

白糠線
足寄---中足寄--螺流--茂螺流

こんなサイトもあった。

興浜線未成区間調査
http://www.tetsuroni.jp/haisen/kouhin/
廃線探索 興浜線(未成線)
http://www.hotetu.net/haisen/Hokkaido/140824kouhinsen.html

337 とはずがたり :2016/11/18(金) 18:37:41
『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

『国鉄全線各駅停車 駅』で知ってたけど良く解らなかった油津線が良く判った。wikiの記事https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%B7%9A#.E5.AE.AE.E5.B4.8E.E7.9C.8C.E5.96.B6.E9.89.84.E9.81.93.E9.A3.AB.E8.82.A5.E7.B7.9A.E3.83.BB.E5.AE.AE.E5.B4.8E.E7.9C.8C.E5.96.B6.E8.BB.8C.E9.81.93.E2.86.92.E5.9B.BD.E6.9C.89.E9.89.84.E9.81.93.E6.B2.B9.E6.B4.A5.E7.B7.9Aを併用しつつ纏め。

先ずは妻─佐土原─宮崎と同じく宮崎県営鉄道(有吉忠一県知事は前任の千葉県でも県営鉄道を敷設している)に拠る建設で,1913年に(旧)飫肥─油津が開通したとのこと。途中駅は一里松の1箇所で,此処には後の日南線吾田駅(後の日南駅)が開設されている。

その後の県営鉄道の経営は乗合との競争で苦しかった様で1931年には(旧)飫肥を東飫肥に解消して飫肥市街地迄400m程延長し(新)飫肥を設置している。

1932年には星倉駅から分岐し飫肥杉や薪炭を搬出する県営軌道が大藤(おおとう)迄開通(5.3km・(貨)殿所、(貨)内之田、(貨)大藤が開設)し,大藤からは更に既設の北郷村迄の森林軌道が接続したとのこと。今も日南線によって北郷─飫肥─油津と辿れるのは心強いけど,更には高規格道路を造ってる様である。。早晩日南線も要らなくなりそうであるが,今でも既に要らんと云えば要らんのかも知れない。。
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E131.22.28.235N31.39.8.026/zoom/6/

この県営軌道の路盤は一部日南線に使用された様だが,白黒の細かい地図を見てると目が疲れてくるのでよく判らない。廃トンネルもこの辺にありそうなんだけど,ここhttp://yahoo.jp/u6Quwfか?道路になっちゃってるっぽい。

その頃現在の日南線が志布志線として志布志方面から延伸され,1935年には宮崎県営鉄道・県営軌道ともども国有化されて油津線(飫肥─油津6.8km・星倉─大藤5.3km)となる。

志布志線は1937(S12).4.19に大堂津から油津迄開業,それに先立つ4.5に(旧)油津駅は元油津と改称される。そして1941.10.28に志布志線が油津─北郷が開通し,同日油津線は廃止され,元油津─油津は貨物支線(1960年廃止)とされる。改軌が必要だった筈だけどどんな対応したんだろうか?複線で並べたのか?3線にしたのか?

その際,飫肥への進入経路はその先宮崎方面への延伸を鑑みて逆側にされて西側から進入する現在の形になって居る。この辺の経緯からちょい複雑で俺は何がどうなってるのか良く理解出来なかった様だ。
北郷の先に割合に長大なトンネルがあるけど,宮崎迄全通したのは1963年との事。北郷から先はその時に南宮崎から一気に開通した新しい路線だそうな。

兎にも角にも日南線は元来の根元である南都城─志布志が奪われて仕舞った形である。志布志線(1987.3.28廃止)と大隅線(1987.3.14)の一部,都城─志布志─鹿屋(─鹿児島へのフェリー乗り場)は復活したくもなる♪赤字でもネットワーク性を大事にしたいとする頼もしいJR九州なんだけどねー。
南都城─志布志─北郷を志布志線のままにしてたら廃止を免れたであろうか?それとも機械的に北郷以南が廃止されていたであろうか?

338 とはずがたり :2016/11/18(金) 18:54:10
『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

今回は大隅線篇
日南線が全通以前は志布志線だったのは知らなかったけどこちらが古江線という名前だったのは知っていたぞ♪
>>336で鹿児島へのフェリー迄復活と書いたけど,古江が重要な港町だったのは忘れていたけど(;´Д`)
今は垂水に鹿児島行きのフェリー乗り場があるらしい。
垂水・鹿屋は兎も角,古江は知らんなあと云う印象だけどこの辺では一番整備された港だったそうな。

先ずは南隅(なんぐう)軽便鉄道として建設されたが資金難で古江─鹿屋が建設出来ず,鹿屋の外港の高須(飛び地だったり関係が深かったそうな)迄建設してそこから北上したとこと。鹿屋─高須が1915に開通,自社で高須─鹿児島の船便も出したそうだが整備された古江港に対して高須港は西風等が原因の欠航が相次ぎ(恐らく鹿屋の古江外しの目論みは失敗),貨物輸送は馬車や自動車に移ってしまった為,1923年に古江迄延長開通したとのこと。

結局1935年に国有化されて国鉄古江線となる。1938年には改軌されたがその際に鹿屋駅でのスイッチバックが解消されたが市街地からは遠くなったそうな。垂水港迄復活・新設の際は是非,鹿屋市街に近づけるとともにそのまま古江迄直進させて距離を縮めたいw
改軌を機に,古江西線(古江─東串良)と古江東線(東串良─志布志)が合体されて直通運転が可能になり時間も短縮されたそうな。

その後国分迄開通するも閑散路線で廃止されちゃったのは皆様ご承知の通り。フェリーとの直通を考えて建設して欲しかった。

339 とはずがたり :2016/11/18(金) 20:10:55
『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

大蔵線・添田線・小倉裏線等

日田彦山線は元々小倉鉄道と云って,石炭搬出港の東小倉が起点で,石田迄は今は廃止されている。市街地からは離れてるが東小倉からは路面電車で連絡してたようだ。東小倉(─妙見─水町[信])─石田─香春(上香春)─大任─添田(上添田)を開通させて小倉鉄道は1943年に戦時買収により国有化,添田線となった。

1956年に城野付近で経路変更が行われて東小倉直行線は貨物線化,1962年に廃止された。妙見駅は貨物駅だったそうな。何を扱っていたのかね?

あと,小倉─黒崎間は元々陸軍の要請で内陸経由とされたが,官営八幡製鉄所の建設を機に海岸周りに建設され,旧線は大蔵線とされてたが1911年に市内電車(九州電軌後の西鉄)に譲る形で廃止となった様だ。
西鉄も廃止されてしまったしモノレールをこっちにも造れたりしないかねえ??

あと小倉付近も海岸寄りだが内陸部に建設せよという軍部の横槍に対して元々建設した九州鉄道は仮線だと言い張って海岸沿いに建設し,兪,本線造れとなると請願して小倉裏線の建設で手を打つ事になった。

小倉鉄道の東小倉駅からほぼ現国道3号線のルートで進んで豊州線(日豊本線)に接続,更に大蔵線に接続するものだったとのこと。1903年には準備完了し,1904年の日露戦争に全面的に使用されるものの輸送は1週間程で終わってその後は余り活用される事無く1917年には廃止になったそうな。
日本が列強になって海岸沿いをそれ程陸軍も恐れなくなったか?第一次大戦中の廃止である。

本所収の地図が細かくて目が痛くなってくるがネットには判りやすい図がいっぱいある。
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B0%8F%E5%80%89%E8%A3%8F%E7%B7%9A&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwimsdrvlLLQAhUEgbwKHeXpCJ0QsAQIKA&biw=1366&bih=638#imgrc=w6PsdxZlRBF8oM%3A

340 とはずがたり :2016/11/20(日) 19:14:21

『地形図でたどる鉄道史 西日本編』を読む。

世知原線・臼ノ浦線・柚木線等の支線が簇生してた松浦線だけど,色々変遷が有ったようだ。

佐世保軽便鉄道が1920(T20)に相浦─柚木11.9kmを開業させ,翌1921年には左石(元大野)─上佐世保3.1kmが開通,上佐世保は当時の国鉄佐世保線の北佐世保に隣接していた。

今は中間駅の相浦であるが,小浦方面へ延伸する時に,実盛谷と云ふ乗換専用の分岐駅を今の本山駅の西側に設置して小浦へ直行(相浦は支線の終点となった)したが小浦が干満の差が大きくて積み出し港として荷役効率が悪かった(とは註:相浦の積み出し港としての機能は不十分だったのか?)ので更に臼ノ浦迄1931年に7.8km延伸,同年中に小浦北側の四ツ指から分岐して佐々迄1.7km建設して岡本彦馬鉄道に接続,1933年には佐世保軽便鉄道が岡本彦馬鉄道を買収してる(とは註:岡本彦馬鉄道の積み出し港は佐々から更に四ツ指駅の南隣だった様で此処迄線路が延びていた様だ)。

柚木▲(柚木線は1967.7の水害で不通,1967.8に廃止,柚木炭砿の廃坑は1972。)

大野(左石)─上佐世保・北佐世保━(佐世保線)━佐世保

実盛谷(現本山駅西方)─相浦◎(0kmポスト)

小浦◎

四ツ指(国有化時に四ツ井樋に改称)─大悲観(後の国鉄臼ノ浦駅は此処ら)─臼ノ浦◎(臼ノ浦線は1971廃止)

佐々(此処から先は松浦炭砿鉄道,その後の岡本彦馬専用鉄道)─(芳浦)?◎

肥前吉井

世知原▲(世知原線も1971廃止)

▲…炭砿・◎…積み出し港

1936年に国有化され,改軌工事が1939年から始められて1943年に北佐世保─相浦・左石─柚木が,1945.3に全線の改軌が終了した。

この改軌時に上佐世保は廃止されて北佐世保経由となった。
また実盛谷─真申(まさる)の山越え直結ルートは廃止され,盲腸線の終点だった相浦から真申迄建設して相浦が中間駅となる様に改良した。この辺は飫肥と北郷への県営軌道の関係>>337とよく似てゐる。

また臼ノ浦へは佐々からの接続に変更されて臼ノ浦駅は元大悲観駅付近に建設されたが,臨港線は旧臼ノ浦駅周辺迄伸びてゐた様だ。その時に四ツ指─大悲観は廃止された様だ。

松浦鉄道は頻繁運転で客も確保して善戦しているイメージだが,柚木線や世知原線,臼ノ浦線と云ったネットワーク性があればそれを活かせたかもしれないと思うと一寸惜しい。まあ廃止されたのは国鉄分割時に廃止になったのではなくその前の篠山線とか根北線が廃止になった時のものなのでまあ流石に惜しいと云うのは云い過ぎかw
柚木線は佐世保近郊になってて人口増えたりしてないかな??

341 とはずがたり :2016/11/20(日) 19:25:10
松浦線の神田(こうだ)

佐々町〜日鉄神田炭鉱跡
カテゴリ:佐世保・北松炭田の炭鉱
http://hayabusa-3.dreamlog.jp/archives/51195682.html

342 とはずがたり :2016/11/20(日) 22:04:11
『地形図でたどる鉄道史 東日本編』を読む。

苫小牧篇

北海道鉄道(北海道鉱業鉄道) 金山線 沼ノ端─辺富内(富内) 1923年開業 66.0km (将来的には金山迄延伸計画)
〃 札幌線 沼ノ端─苗穂 1926年開業 62.6km (両線は沼ノ端でスイッチバックで接続。室蘭本線の南側に駅)
苫小牧軽便鉄道(元々三井物産建設の線用鉄道) 苫小牧─沙瑠太(富川) 40.4km 1913開業
日高拓殖鉄道 沙瑠太─静内 大正末迄に開通

日高線 1927年に上記二線を国が買収。

1934年 北海道鉄道札幌線が室蘭本線乗り入れ開始。1940年には札幌─苫小牧の直通運転が開始され1943年には重要幹線との事で戦時国有化。同年金山線も国有化,上鵡川(→豊城)─鵡川に新線を建設して平行する上鵡川─沼ノ端を休止。

戦後の苫東開発によって1962年,日高本線が迂回,新線開通。

343 とはずがたり :2016/11/21(月) 11:28:50
『地形図でたどる鉄道史 東日本編』を読む。
千葉篇

■国鉄千葉駅…元々現東千葉駅付近にあった(元町と三ノ宮・小倉と西小倉の関係と似てゐる・千葉は遠軽・旧塩尻・旧大網と似たスウィッチバック+分岐駅)

■(初代)京成千葉駅…国鉄線を乗り越えた市中心部(通町)にあった。

■国鉄本千葉駅…元々2代目京成千葉駅(現千葉中央駅)付近にあった。初代京成千葉を市中心部からの移転に対する京成への補償として国本千葉駅付近を譲渡。

■(3代目)京成千葉駅…国鉄千葉駅移転後,同駅前に国鉄千葉駅前駅として開業。その後2代目京成千葉駅を千葉中央駅と改称してこちらを京成千葉駅とする。結果,国鉄千葉と京成千葉が現千葉駅に集合する事になる。

344 とはずがたり :2016/11/24(木) 10:50:49
『地形図でたどる鉄道史 東日本編』を読む。

東急池上線だが,これは東急起源の鉄道ではなかったそうな。

元々大森─池上を結ぼうとして大森の地価が文士村等に拠り高騰したので已む無く起点を蒲田にして蒲田─池上を開通させ,其処から蒲田─池上─五反田を伸ばし,五反田から更には都心部の延伸を狙い白金─五反田・品川─五反田の建設を目論むも失敗,また雪が谷から国立!方面迄も狙って実際に雪が谷─新奥沢を建設したのだそうな。

結局東急の田園都市開発の攻勢の前に破れて買収され,新奥沢迄の盲腸線も廃止されてしまったそうな。

五反田の山手線を乗り越える高架線が放置されてるのは勿体ない,白金迄延伸して南北線や三田線と相互乗り入れしたい所だけど多分白金からは品川へ延伸するので池上線の入り込む余地は無いよなぁ。。

国立迄の支線構想も東急が大井町線を建設して南半分は完成したとは云えよう。。大井町線は大井町で京浜東北線に接続して満足してるけど是非五反田経由で都心乗り入れを謀って欲しい所w

まあ東急の喫緊の課題は新玉川線(w)の渋谷口の混雑に尽きるから,小田急系列の井の頭線(w)が新宿の一極集中を不正でゐる様に,三茶辺りから新宿かもっと手前の駒澤大学前辺りから池袋へ向かう支線を造るのが先であらう。そこで山手急行電鉄なんじゃがww

345 とはずがたり :2017/01/05(木) 18:13:33
喜撰山と云えばhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187488248/515http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/1272だが,天ヶ瀬ダムと対となる揚水発電所を形成しているのである。
非公開なんかー。

2015.07.05
喜撰山ダムのコンクリート廃墟
http://www.syasin.biz/page/kisenyamadam/
 仕事で宇治までやってきたので休憩時間とって今まで興味のあった所にいってきました。今回やってきたのは京都宇治市にあるダム。天ヶ瀬ダムではないですよ。さらに山奥にある一般公開されていないので誰も知らない…喜撰山ダム(きせんやまダム)という所です。

今回は廃墟を見にきました。廃墟といってもそんな大したものではなく、コンクリートが放置されているというので気になっていました。昔天ヶ瀬ダム建築の際のゴンドラ跡だそうで、かなり朽ちて残っているそうです。

346 とはずがたり :2017/01/10(火) 06:37:39
すげえw
こんな道路もあるんだな。

和歌山県道213号 白浜久木線
http://yamaiga.com/road/wpr213/main.html

通 告!!
これから先の県道は幅員二メートル(山中橋区間)(砂防堰堤工事に伴う付け替え道路部分は除く)で関係者が昭和五六年度地権者の寄附によって路盤の整備を図り供用しておりますが、県道としての供用開始の告示はされていない為、県による維持管理補修等はされておらず関係者がそれらの作業を行ってきました。
それ以外の道路幅員は、関係者が昭和五七年度及び昭和五八年度、平成八年度に地権者から道路用地として買収し拡幅工事等を行い通行の便益に供したものであります。 従って通行中の落石事故等による賠償責任は負えません。 尚、山中橋附近の残土は、県並びに地権者、関係機関と協議の上、昭和五九年度に県営事業として採択され設けた残土処理場であります。
関係者

この辺
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.25.54.518N33.39.32.752/zoom/9/

r213が遡上する牛屋谷以上に町道の郷地谷も気になる。
googleマップのSVもそこそこ遡上するが何でも無さそうなところで切れてるのが不満だ。
https://www.google.co.jp/maps/@33.6654399,135.4391703,396a,20y,41.59t/data=!3m1!1e3

wikiには大した情報はない。

ネタバレ注意になりそうで読んでないけど穴があるみたいだw
こちらは終点からの渡渉レポっぽい。

和歌山県道213号白浜久木線・久木側 【1】 (和歌山県西牟婁郡白浜町久木)
http://blogs.yahoo.co.jp/tissot900gazoni/15415449.html



結局,読んじゃったw

347 とはずがたり :2017/01/10(火) 07:01:04
国道43号沿いから庄川地内なんで結構人口は多いな。282世帯761人も住んでる。
一方の久木は20世帯39人しかいない。

西牟婁郡白浜町庄川(しゃがわ)
http://toukei-labo.com/2010/?tdfk=30&city=30401&id=38

348 とはずがたり :2017/01/10(火) 18:19:39
この辺http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1191161933/346-347をきっかけに紀伊日置駅(と阪和道日置川IC)が日置の中心集落から離れてるってのを確認したりしてる内に気付いたが,その昔,隣の椿駅発の優等列車があったそうな。
ちと吃驚。
椿は白浜口(白浜)同様,海岸の温泉地から随分離れた内陸に位置するが,白良浜と違って温泉街の規模が大きくない事もあってか今は弱小駅のイメージである。

また紀勢道が国鉄の駅の近くにIC設置するのも歴史は繰り返すと云うか,海岸線が厳しすぎて内陸を短絡するのが最適解となるのが共通点か?

349 とはずがたり :2017/01/12(木) 14:23:48
【衝撃】世界の危険すぎる道路 トップ10。世界が震えた!嘘のような本当の話
https://www.youtube.com/watch?v=0if1VKR7dwc

350 とはずがたり :2017/01/27(金) 17:55:53
PPAP!?下らん。Pと云えばTP(東京湾中等潮位)やOP(同大阪湾)しかないやろ!
…と思ったらAP(荒川!)やYP(淀川!!)なんてのもあるらしい。
TPはTonegawa PeilなのかTokyo Peilなのか区別つかないね。
>>152に因んで此処へ。
よっきもかなりアカデミック的にハイレベルな高みに昇っているし此処も真面目な地理・地誌綜合スレ化のよか〜ん。

川をめぐることば  A.P.とT.P.
-標高の生みの親は荒川だった- 
http://www.river-museum.jp/archives/dayori/newsletter/no_7/page4.html

 荒川にかかる橋などにときおりA.P.○○mという表示を見ることがあります。これはその場所の高さを示す数値です。A.P.はArakawa peilの略で、荒川工事基準面といいます。Peilはオランダ語で「水準線」あるいは「基準」などを意味します。明治時代の始め、デ・レーケらオランダ人技師が近代的な治水事業を指導したため、オランダ語が使われました。A.P.は東京都中央区新川にある霊岸島水位観測所の最低水位をもって定めています。最低水位を用いたのは工事に便利だからです。霊岸島水位観測所は隅田川河口付近にあり、明治時代には荒川の河口でした。A.P.は荒川のほか多摩川水系、中川水系で工事基準面として用いられています。
 いっぽうT.P.は東京湾平均海面(東京湾中等潮位=いわゆる海抜)を意味しています。T.P.は1873
(明治6年)から1879(明治12年)の潮位記録を平均した数値A.P.+1.1344mをT.P.±0.0mと定めたものです。
 ところで標高の基準である水準原点はT.P.+24.4140mと測量法施行令第二条で定められています。水準原点は1891年に陸地測量部(現在、東京都千代田区永田町の憲政記念館前)に設置されました。設置場所は武蔵野台地の上なので、T.P.よりかなり大きな値になっています。設置当時はT.P.+24.500mが水準原点の高さでしたが、1923年(大正12年)の関東大地震で水準原点自体が変化したため、現在の数値になっています。東京湾の埋め立てなど都市化の進展で霊岸島付近が潮位の測定に適さなくなったため、現在では三浦半島油壷の国土地理院検潮場での測定値を東京湾平均海面として用いています。 このように測量の歴史をたどると、日本の高さの基準制定の原点は荒川にあったことになります。
 ちなみにA.P.同様の基準はほかにもあり、O.P.(大阪湾工事基準面T.P.一1.3000m、淀川水系)、Y.P.(江戸川工事基準面T.P.-0.8402m、利根川水系)などが用いられています。

351 荷主研究者 :2017/02/18(土) 21:53:50
>>287
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20170130/CK2017013002000040.html
2017年1月30日 中日新聞
原田橋崩落あす2年 再建3年後、住民我慢

◆東西往来 仮設道頼り

崩落した天竜川右岸の斜面(左側奥)の約200メートル下流で橋脚の基礎部分の工事が進む=浜松市天竜区佐久間町で

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かるつり橋・原田橋が崩落し、三十一日で二年になる。約二百メートル下流では、新しい橋の建設が始まり、二〇二〇年春ごろ完成の予定だ。それまでは町の東西を、仮設道路で行き来する不便が続く。

 天竜川の両岸は、河川敷を走る仮設道路で結ばれている。凸凹で走るたび車が大きく揺れた以前の路面と違い、今はコンクリートで平らになり走りやすい。だが上流の佐久間ダムが放流を決めると、行き来できなくなるのは相変わらずだ。

 右岸の川合地区に住む女性(82)は、崩落した日の朝も、対岸にある高齢者施設にバスで出かけた。帰りには朝渡った橋がなかった。

 “脳トレ”と呼ぶ施設での教室が楽しみ。ゲームや体操をわいわい楽しむ。年が明け、早速ダムの放流で仮設道路が止まり、休みになった。「家では、こたつに入ったっきり。休みになると、さみしいやぁ」

 JR飯田線の浦川駅近く。理容店の三代目、乗本(のりもと)和男さん(49)は店を改装した。オセロのような黒白の床。ピンクのソファ。赤い扉を押し入店するとジュークボックスが迎える。山の「ロックな床屋さん」だ。

 仮設道路が止まれば、対岸の客から理髪の予約キャンセルが入ることもある。だが新しい橋の完成を待たず集客力の向上に努める。

 頭から爪先まで、全身を洗える洗浄剤やエルビス・プレスリーをイメージした整髪料を置き、フェイスブックなどで発信する。遠方からの客も少なくない。

 「『あそこにいかないと買えないよ』という、個の魅力を出していかないと」

 新たな橋の工事は、いまは二本の橋脚の土台となる部分を川底のさらに約十四メートル地中の岩盤まで、沈める工事が進む。

 天竜土木整備事務所の白柳裕一所長(56)は「橋の早期完成は、地域の希望であり、亡くなった職員の遺族の望みでもある。全力で進めたい」と話す。

(勝間田秀樹、写真も)

 <原田橋の崩落> 2015年1月31日午後5時10分ごろ、浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かる国道473号の原田橋(長さ138メートル、幅5メートル)が、天竜川右岸の斜面が高さ70メートル、幅30メートルにわたり三角形に崩れたことで、橋をつるケーブルが固定されていたアンカーごと落ちた。橋の上で斜面を監視していた浜松市天竜土木整備事務所の安野彰恭さん=当時(57)、茶谷富士雄さん=同(45)=が死亡した。

352 とはずがたり :2017/02/23(木) 16:17:23
元清澄山付近

首都圏自然歩道
モミ・ツガのみち
https://www.pref.chiba.lg.jp/shizen/choubou/fureai/documents/naturepath22.pdf

353 とはずがたり :2017/03/04(土) 21:17:25

http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E140.53.54.044N37.13.45.147/zoom/7/
http://yahoo.jp/lemU5O

ミニレポ第226回 福島県道249号上戸渡広野線 中戸渡旧道
http://yamaiga.com/mini/226/main.html

福島県道249号上戸渡広野線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%93249%E5%8F%B7%E4%B8%8A%E6%88%B8%E6%B8%A1%E5%BA%83%E9%87%8E%E7%B7%9A

[GoPro車載動画]福島県道249号 上戸渡広野線 上戸渡→(旧浅見川林道・箒平)→広野
https://www.youtube.com/watch?v=D1Oc4lcd75U

きょうJRダイヤ改正 2017年3月4日、何が変わった? 大物なくとも多くの変化 通販の影響も
http://news.goo.ne.jp/article/trafficnews/business/trafficnews-65817.html
06:30乗りものニュース

浅見川林道
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B5%85%E8%A6%8B%E5%B7%9D%E6%9E%97%E9%81%93&oq=%E6%B5%85%E8%A6%8B%E5%B7%9D%E6%9E%97%E9%81%93&aqs=chrome..69i57.1717672j0j4&sourceid=chrome&ie=UTF-8

354 とはずがたり :2017/03/19(日) 11:42:21
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/134-139及びhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/169-174参照

169 自分:とはずがたり[] 投稿日:2017/03/19(日) 09:49:54
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!
今度の山行がは子どもの頃からの我らが憧れの未通県道掛川川根線である。惜しむらくは川根区間で掛川区間じゃないようだけど。。

静岡県道39号 掛川川根線 川根区間 前編
http://yamaiga.com/road/spr39/main.html

355 とはずがたり :2017/04/09(日) 18:34:26
よっきが出ると聞いて「車あるんですけど」見てみたが酷い番組だった。。(;´Д`)

356 荷主研究者 :2017/04/09(日) 22:58:50

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201703/20170328_13008.html
2017年03月28日火曜日 河北新報
謎の洞窟が仙台・秋保に 旧陸軍の弾薬庫か

http://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20170328kahoku01.JPG
洞窟の内部を案内する伊藤政則さん

http://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20170328kahoku02.JPG

 仙台市太白区秋保町の戸神山(とがみやま)の南麓にあり、旧陸軍が太平洋戦争中に掘った洞窟を、地元のまちおこし団体「秋保地域資源活用委員会」が調査している。弾薬庫跡と伝わるが、遺留物や文献記録などは残されていない。メンバーらは現地調査や高齢者への聞き取りを進め、謎の解明に挑む。

 洞窟は太白区秋保総合支所の北約2キロの旧道沿いに位置し、崩落が進んでいるが4カ所の入り口を確認できる。つるはしなどを使って手作業で掘られたとみられ、高さ約2メートルの横穴が続いている。暗がりにはコウモリが生息する。

 内部の数カ所で枝分かれし、総延長は不明。近くで育ったという農業伊藤正則さん(62)は「全部で数百メートルはあるだろう」とみる。

 伊藤さんの父の安男さん(85)によると、掘削作業は1943〜44年、宮城野区の榴岡公園に本拠地を置いた第2師団歩兵第4連隊が担った。

 安男さんを含め当時の国民学校高等科の生徒が資材を運搬したり、弁当を届けたりした。洞窟の中には弾薬や砲弾、手投げ弾、ドラム缶などが運び込まれたという。

 兵士たちは、秋保小と青葉区の上愛子小に寝泊まりして掘削に従事した。安男さんは「その代わり、子どもたちは地元の寺院で勉強した」と振り返る。

 地域住民約20人で構成する活用委は3月上旬、地元町内会と協力して戸神山周辺の散策路に案内標識を設置。洞窟など山の周辺を取材し、執筆したパンフレットも3月下旬に完成する。

 庄子敏明委員長は「洞窟をさらに調査し後世に記録を残したい」と語り、戦時中の情報を求めている。連絡先はパンフレット発行元の秋保総合支所総務課022(399)2111。

357 とはずがたり :2017/04/19(水) 08:44:22
717 R774 sage 2017/04/18(火) 21:11:47.70 ID:6HSTzPT5
某廃道マニア、あそこ行ってたんかw
サイトはしばらく見てなかったからレポがあがってたのは知らんかった
レポ終盤にあった橋のあたりまでの工事ってたしかr63の上平橋の架け替え('01年頃)と変わらん時期だったはず
あのへんの圃場整備(と県道の付け替え)もほぼ同時期にやってた記憶が

余談だけど、レポにある「横道」は、今のr220との分岐からr62のルートを辿って氏家宿に抜ける脇往還もあったような
今宮神社の北側で会津中街道と合流してたはず
会津中街道も今のR4を越えたあたりから乙畑までと川崎宿〜矢板宿間は圃場整備だったり川の直流化(これは矢板)
だったりで痕跡がわかんないんだよなあ

358 とはずがたり :2017/04/23(日) 15:00:49

【静岡県・佐久間ダム観光道路廃道(仮】
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_sakuma_hai-1.html

359 とはずがたり :2017/05/09(火) 19:42:43

神戸の山中に「マヤ遺跡」? 廃墟マニアにツアー盛況
http://www.asahi.com/articles/ASK583H0TK58PQIP001.html?iref=com_favorite_01
水野義則2017年5月9日11時22分

 戦前に開業し、廃虚のまま摩耶山に残る「旧摩耶観光ホテル」(神戸市灘区)。廃虚マニアに絶大な人気があるこの建物をはじめ、付近の廃虚を「マヤ遺跡」と名付け、歩いて巡るツアーが人気だ。毎回、すぐに定員が埋まる盛況ぶりだ。

 摩耶ケーブルとロープウェーで山頂に着き、そこから山道を歩くこと約1時間半。木々の間に埋もれるように、旧摩耶観光ホテルが姿を現した。丸みを帯びた外壁や円窓があることから「軍艦ホテル」とも呼ばれたモダンな外観に、ツタが絡まったり壁がはがれ落ちたりして、まさに、未知の遺跡に遭遇したかのような気持ちになる。

 同ホテルが開業したのは、1929年。温泉を備え、都心からすぐの観光地としてにぎわった。しかし、経営難のため90年代前半に閉鎖。95年の阪神大震災で、交通手段となる摩耶ケーブルが長期運休したこともあり、周辺は立ち入り禁止になり廃虚になった。

 しかし「廃虚マニア」の人気は高く、ネット上では「マヤカン」の愛称で多くの写真が掲載されている。不法侵入をして撮られたものがほとんどで、敷地に入るどころか、建物内にまで入ってくる人も多く、警備システムを付けても不法侵入は後を絶たないという。

 イベントを企画したのは、摩耶山を再び活性化させようと取り組んでいる「摩耶山再生の会」(慈憲一〈うつみけんいち〉事務局長)。「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」と名付け、同ホテルや、昭和初期に建設され、サウナや食堂などを備えていた宿泊施設「摩耶花壇」、火災で焼失した旧天上寺跡など約15カ所の「遺跡」を、ガイドの案内で、約2時間かけて巡る。

 最大の魅力は、旧摩耶観光ホテ…

360 とはずがたり :2017/05/26(金) 15:45:14
この道か?
http://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.23.0.358N34.48.39.672/zoom/9/

あらゆる都市部の引き込み線は通勤路線として活用出来ないか考えてみるけどここも大阪へ行くには逆だから無理かw

軍事施設への線路跡? 道路工事現場から敷石 宝塚
https://news.goo.ne.jp/article/kobe/nation/kobe-20170526002
08:30神戸新聞

 ただの工事現場にしか見えない。兵庫県宝塚市道で行われた、ありふれた道路改良工事。しかし、西宮市の鈴木球也さん(61)は違った。掘り起こされた現場を見て思った。「戦時中に国鉄(現JR)中山寺駅から軍事施設へ引かれた『引き込み線』の跡ではないか?」(土井秀人)

 2月上旬、JR中山寺駅から南東約500メートルの県道脇。接続の市道工事で露出した地中50センチほどの層に、こぶし大ほどの石が敷き詰められていた。そばを通りかかった鈴木さんにはその石が、線路に敷くバラスト(砂利)に見えた。

 頭に浮かんだのは、2014年8月17日の神戸新聞阪神版の記事。戦後69年の夏、阪神間の戦跡を紹介した連載「消えゆく証」に、中山寺駅と軍事施設を結ぶ引き込み線の記述があった。〈線路は撤去されたが、自動車が行き交い、大きくカーブを描く道路に、その形跡を見ることができる〉

 鈴木さんは、職業軍人だった父が5年前に亡くなり、阪神間の戦跡を訪ね歩いて資料を調べるようになった。「戦時中の人たちはどのような状況に置かれ、どんな気持ちだったのか。戦争の跡が消えていく中、今のうちに知りたい」

 専門学校でプロダクトデザインを教えており、物の形にはうるさい。工事現場で見つけた石はごつごつと尖り、すぐに引き込み線のバラストが浮かんだ。

 ■引き込み線とは

 戦時中、阪神間は川西航空機宝塚製作所などの施設が数多くあり、一大軍事拠点だった。「引き込み線はそのことを示す一つで、中山寺駅から『大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠』『大阪陸軍造兵廠川西補給廠』へ続く線路だった」。元伊丹市職員で平和事業に長く携わった藤井裕行さん(63)が説明する。

 獣医資材支廠は、軍用馬の蹄鉄や馬具を生産し、医薬品などを管理。約30ヘクタールの敷地には、学徒動員の若者や女子挺身隊、朝鮮人ら約800人が働いていた。しかし、当時の資料は終戦時に焼却処分されて残っていないという。引き込み線は終戦後の1945年10月、撤去された。

 それでも痕跡はある。県道沿いの交差点には今も、当時の門柱が3本立っている。藤井さんは当時働いていた女性から「本部のほかに馬具を作る工場、将校宿舎、診療所まであり小さな町のようだった。防空壕もたくさん掘られ、空襲警報のたびに一斉に逃げ込んだ」という証言を得た。

 造兵廠は弾薬や砲弾の保管庫だったが、ここの資料も処分されて残っていないという。

 ■足元の記憶
 では、工事現場から出た石は、引き込み線の跡だったのか?

 JR西日本に尋ねると「バラストかどうかは分からない」。市道を管理する宝塚市も「当時のバラストかは分からない」とする一方、「石の大きさから、現代の道路工事ではまず使わない」と指摘する。現場を見た藤井さんは、石が規則正しく敷かれ、層となっていることなどから「バラストでほぼ間違いない」と結論づけた。

 そうなら道路の下に軍用線の跡が残っていることになり、「この地で何が起きたのかを伝える『歴史の語り部』。大きな発見となる」と力を込める。

 藤井さんは約20年、地域の戦争について丹念に調べ、記録してきた。それは「自分たちが暮らしている足元で、どんな悲惨なことがあったかを知らない」という思いからだ。

 70年以上前、軍用線が引かれていた場所が工事で掘り起こされ、すぐに埋められて姿を消した。そのわずかな時間に、藤井さんたちは戦争の痕跡を感じた。

 「誰かが記録し、語り継がなければ、地域の戦争の記憶がなくなってしまう」

361 とはずがたり :2017/06/26(月) 18:29:37
酷道291号、密林の海に潜った 点線で記される国道
http://digital.asahi.com/articles/ASK6D6605K6DUCFI00M.html?rm=1144
斎藤健一郎2017年6月24日01時24分

 もう、うんざりだった。

 新潟県南魚沼市の山中、標高780メートル付近。国道291号をたどり、群馬県境へ向けて歩いているはずなのに、30分は前後左右、上下、あらゆる方向から生い茂る草木をかき分けていた。まるで密林の海を潜っているようで、あてどない。全身から汗が噴き出す。自然に没した道に対し、頭で恨み言を繰り返していた。ニクイ、291。

be「みちのものがたり」
 「脱出しよう」。国道からの脱出なんておかしいが、もはや限界だった。沢音が聞こえる方へ、灌木(かんぼく)につかまり急斜面を落ちるように下った。突然視界が開けた。足元がすっぽり切れ落ちる崖の上に出てしまったようだ。眼下の沢までは8メートルか。登り返すことも下ることもできない。冷や汗なのか、汗の量が増す。カニ歩きで木が生える斜面まで移動し、枝にしがみついた。背中からずり落ち、斜面をズルズルと滑りながら、なんとか沢までたどり着いた。爪の中まで泥だらけになりながら、なんとか下界へ。291、本当にニクイ。

 国道291号は、前橋市と新潟県柏崎市を結ぶ。手元の地図を広げると、総延長188キロのうち、中央分水嶺(ぶんすいれい)上にある標高1450メートルの清水峠を挟んで30キロは、道筋が実線でなく点線で記されている。どんな道なのか。それを知りたくて登山の装備を整えて踏み込んだものの、あっけなく退けられたのだった。

 国道の格に見合わない酷(ひど)い道は、「酷道(こくどう)」と呼ばれることがある。全国に点在する酷道の中でも291号の清水峠越えの区間は、車はおろか人の通行さえ困難で、とりわけ酷い国道とされる。

 だが、歴史をさかのぼれば輝かしい時代もあったのだ。

 戦国時代、上杉謙信の軍勢が、三国峠と並んで関東行軍に頻繁に利用したのが清水越えだった。弓で例えれば弧と弦の関係で、清水越えは谷が深く山は険しいが、越後と上州を最短距離で結ぶ「直路」として、価値が高かった。

 しばらく歴史に埋もれた後、再び脚光を浴びたのが1878(明治11)年。大久保利通が東日本各地の築港や河川改修を提言した土木7大プロジェクトの一つに、清水峠越えの開削が挙がった。

 完成は7年後。開通式には、内務卿や元老院議員、陸軍中将ら要人に加え、皇族の北白川宮まで参列した。

 道の幅は馬車がすれ違えるよう約5メートル。日本海からの湿った空気をもろに受け止める豪雪の谷に敷かれた高規格の道。それがなぜ酷道に……。

 別ルートをたどり、清水峠を目指すことにした。

■「この道はもう死んだんだ」

 清水峠へ向かうのに、車は頼れない。新潟県南魚沼市の清水集落の少し先で一般車両は通行止めになる。さらに5キロ先までは砂防ダム工事用の舗装路がのびているものの、そこからは登山道となる。

 工事道の終点で靴を脱ぎ、雪解け水で凍るほど冷たい沢を渡る。間もなく、兎平(うさぎだいら)という名の開けた場所に出た。「中部北陸自然歩道」の案内板が、路傍に倒れていた。皇族まで招いて開通を祝った国道の行く末が記されていた。

 いわく、清水街道は災害などでまもなく廃道となり、ここ兎平を中心に約8キロの近道が、個人経営による開発で明治23年に開通した――。

 開通式から数カ月後、谷川連峰の核心部に位置する谷は雪で閉ざされた。雪崩や落石に何度痛めつけられただろう。補修はたちまち追いつかなくなり、4年の歳月をかけてつくられた国道は捨てられた。そして開通から5年後には、谷を一気に駆け上がる民間の別道がつくられたのだ。

 居坪坂(いつぼざか)として生き残ったその別道をたどる。登山地図にあるとはいえ、酷くない道とは言えない。また2度、冷たい沢に足をぬらして渡った。

 5月末の登山道は完全に雪の下に隠れていた。GPSと地形図を頼りに、急な雪の斜面を一歩一歩登る。1時間55分後、また視界が開けた。標高1400メートル。国道との合流点だった。雪の下から伸びた木が直角に曲がり、谷を指している。厳しい雪の世界だ。

 国道は馬車の通行を前提になだらかな傾斜でつくられた。代償としてルートは沢という沢を回り込み長大になる。その緩慢さは「どうぞ攻撃してください」と、雪崩の常襲地帯に大きく腕を広げる格好になった。

362 とはずがたり :2017/06/26(月) 18:29:53
>>361-362
 沢筋に回り込むたび、雪渓が現れる。人の気配はない。ここで落ちたら……。慎重にパスしても、今度は雪につぶされた木々の一本一本が、横殴りに立ちはだかった。上をまたぎ、下をくぐり、時に地面をはいつくばって進む。

 国道に合流して28分、クマザサが風に揺れる清水峠についた。小さいほこらがあり、かたわらに石柱が立っていた。彫られた文字は風化し、読み取ることはできない。

 空を見上げるとJR東日本の送電線が峠を越えていた。信濃川の水力発電所から首都圏へ、清水越えした電気が鉄道の運行を支えている。

 緊張が解け、雪の溶けた草地にドサッと座り込んだ。誰ひとりいない峠からは鹿の子まだらの越後、上州の山々が一望できる。絶景だった。

 記者が阻まれた新潟側の酷道踏破を成し遂げた人がいる。廃道探検家の平沼義之さん(39)。自身のウェブサイトで公開した踏査記録は、冒険そのものだ。2007年秋、清水集落からアタック。途中山中でビバークしながら進むも、もろい崖に阻まれ撤退した。翌年には清水峠から逆道をたどり、踏破に成功。「つらく、痛めつけられるばかりで見どころもない。命の危険もある。それでも恋い焦がれ続けた道。ものすごい達成感でした」と振り返る。

 国道なのに酷い道。そんな不自然さの背景を、調査で明らかにするおもしろみがあると平沼さんは言う。五感を研ぎ澄まし、肉体を駆使し、冷静な心で踏み込んでいく。多くの廃道をそうして歩いた平沼さんをして、291号は「日本の道路の極地」。日本列島中央部で、厳しい自然と過酷な地形、数奇な歴史に翻弄(ほんろう)され、人を拒み続けながらなお、現役の国道としてある。「こんな物語のある道はそうありません」

 後日、「清水の天狗(てんぐ)」とたたえられる清水集落の小野塚高一さん(75)の案内で、再び酷道に入った。送電線を巡回する元国鉄職員だった民宿「やまご」の主人は、山を知り尽くしている。走るような速さで密林をゆく天狗の背中を必死で追った。沢をわたり、崖をよじ登り、標高千メートル付近まで高度を上げたところで足が止まった。

 国道のど真ん中に山が盛られ、鉄塔の一脚がドンと埋め込んであったのだ。「JRの送電線ですよ。国鉄の時代につくられたものだけどね」。小野塚さんの言葉に力が抜けた。291号の通行を阻んでいたのは自然の猛威だけではなかった……。

 コンクリートの土台にもたれ、峠の方を見ながら水を飲んだ。「291はずーっとこの山肌を迂回(うかい)して峠に向かうでしょう。山菜採りにだって遠くて使えない。もう死んだんだ、この道は」。天狗が涼しげな顔で言う。

 ニクイという思いは消え、ただ頭を下げたくなった。(斎藤健一郎)

■国道291号とは

 明治政府が国家事業として開いた清水越えのルート。開通時は国道8号の指定を受けていた。群馬県みなかみ町文化財調査委員の阿部利夫さん(67)は「越後の米をより早く関東へと運ぶ『米の道』の役割と同時に、新潟港開港を迫る外圧に対抗する『軍事道』の期待もあった」と語る。しかし、交通はすぐに途絶し、大正時代には県道に「降格」した。

 291号として再び国道に指定されたのは1970年のこと。当時は山間地を切り開きスカイラインなどと名付けられた山岳観光道路が全国各地に次々とできていた。阿部さんは「291を観光道路として復活させたいという声は今も地元にはある」と言うが、実現は難しそうだ。

 地元の新潟県と群馬県が管理するが、清水越えの区間は大部分が、実質手つかずのまま放置された状態になっている。新潟県の担当者は「国道17号など、きちんと整備され、安全な通行が確保された国道が近くにあるから」と説明する。

 再開発の可能性を聞くと両県とも「今のところ予定はありません」。歩行も困難な新潟側に対し、群馬側は登山地図にルートが記され、一応は歩けることになっている。だが、今年は雪が深く8月になっても通行できるか見通せない状態だという。

 そんな道がなぜ、廃道にならないのか。新潟県に聞くと、地元から国へ要請しないかぎり行政上の国道が消えることはなく、「特にこちらから要請する予定もない」とのことだった。

363 とはずがたり :2017/08/31(木) 14:10:18
県道ならぬ「険道」 数は「酷道」よりも膨大? 初心者にはお勧めできない道路たち
https://trafficnews.jp/post/78420/
2017.08.30 乗りものニュース編集部

364 とはずがたり :2017/09/03(日) 19:53:24
今回の山行がは灰野坂!
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/4038
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/4042
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/2985
r368は俺も気になってる。本レポを受けて道路族も緊急増補。
http://tohazugatali.iza-yoi.net/TOKAI/meiho30.html#r368

もひとつ気になってるのは>>257で触れた三河湾ドライブウェイ。
有料道路時代の名残か現道との交叉部にインターや未成の遺構っぽい道路敷地が有る上に,荒れた雰囲気で(探索した時は)通行止めになってる区間迄あって結構探索好適地の印象だが今は通行止めどうなってんのかな?

wikiに拠ると。
>当初は「三河パークライン」計画として、本宮山スカイラインや鳳来寺山パークウェイなどと接続して観光開発する計画があったが、立ち消えとなった[6]。
なんて記述もあって公共事業無駄派の俺でも流石に心が動くw

365 とはずがたり :2017/09/07(木) 09:16:59
昨夜はこまくんの上洛を得て久々の林道決行!
会議終了し神戸から一路高速飛ばして西山天王山へ。
地獄谷がいまいち位置をロストしてゐて判らないので先ずは浄土山乗願寺へ。西山の大仏。
此処,通行ご遠慮下さいと書いてあったが無事府道迄通り抜けられた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.39.46.500N34.54.18.694/zoom/8/

で,ネットで調べて地獄谷へ。どうも此処が入口らしい。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.36.7.197N34.55.30.325/zoom/10/
が,ゲートが設置されて這入れなかった。
不法投棄防止の為ご理解下さい的な看板が出ていた。非常に残念。

まったく場所を忘れていたが出口は此処か?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.35.16.324N34.57.3.002/zoom/10/

若しくはこっちだったか?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.35.17.358N34.55.28.775/zoom/10/
此処から里に出る迄可成り未だあるけど。

どっちにせよ,そちら側からも何処迄進入出来るのか試してみたい。

次,ポンポン山を目指すも,山亀岡(昔は名前付けてなかった。亀岡南部の山)の林道を思い出して進入。
此処,またも不法投棄防止で閉鎖されてゐた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.36.42.750N34.58.2.188/zoom/9/
なんと。。
閉鎖されて無い方の道を辿って篠へ出る。途中後ろから一般車に追いつかれ,歩行者にもであう。どないなっとんねん。

兎も角この辺も昔走り回ったが此処は繋がってなかったんだっけ?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.37.21.604N34.58.29.250/zoom/9/
で,出るとしたらこっちだったかな?
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.36.18.091N34.58.47.637/zoom/9/
閉鎖されてない林道で迂回出来るから閉鎖も已む無しか?

それにしても15〜20年程経つと昔は走れた林道もゲートで閉鎖されている。。矢鱈世知辛く偏狭で許容心の少なくなってきた今日この頃http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1348989696/2819であるけど,それがこんな所にも現れてるのかも。まあ不法投棄は日本の原野山林を愛する俺で無くとも憎むべき犯罪行為であるし,許容心が少なくなったお陰で政治利権等正常化している部分もあるのだから多少は我慢しなくてはならないとも思うんだけど。

閑話休題,次はくびなしである。此処も入口を忘れてしまった。蛍が見える橋が入口だったっと俺が記憶してゐてで高尾か清滝が入口だった筈ということで清滝に向かう途中でこまが高尾で道を曲がっていくとこですよと思い出す。

往年の俺ならナビ無しで此処(r136)を選択できただらうが,頭の片隅に存在はあったけどスルーだ!
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.41.26.192N35.1.47.654/zoom/9/
と思ったけど,帰って調べて見ると通り抜けれた記憶は記憶違いみたいだ…orz。
現地はこんな感じ。どっかの大学のフランス文学者のブログみたいである。で,この文学者も山行がに触発された様だw
京都に棲めて羨ましいなあ。。。

京都府道136号
http://pensiero.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%8B%9E%93s%95%7B%93%B9136&vs=&tid=seesaa_hotspot&hid=167&c=12&search=1&ic=shift-jis

入った記憶は確かにあるので途中迄入って引き返したのだったかな?

で,遂にメインイベント,くびなしへ。神護寺の脇であった。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.40.33.474N35.3.15.196/zoom/10/
一帯は朝日峰とかいう山でその中を延々と走る。
結局この辺迄行って急坂に路面の凹凸に負けて引き返えしてきた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.38.50.438N35.4.27.056/zoom/8/
次は廃村田尻から攻め上がりたいし,その更にひと尾根西のr362も視認してみたい。

と思ったが廃村田尻はこの先の道路上では無く一筋東側の谷だったようだ。謎である。。昔行った時は一旦田尻まで行って引き返して谷筋をチェンジしたんだっけ??

366 とはずがたり :2017/09/07(木) 09:34:35
>>365
またr362に関してはそれなりに詳細なレポもある。

【右京区】府道362号線 未整備区間
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-899.html
【右京区】林道 芦見谷線(府道362号線 未整備区間の続き)
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-900.html

グーグル先生は此処で引き返してゐる。
https://www.google.co.jp/maps/@35.105422,135.6307416,14z

この道路の尖端は,くびなし林道の分岐点↓迄伸びそうな感じがある。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.38.45.750N35.4.22.472/zoom/8/

また二つ目のゲートのゲートが無い方,行き先に神護寺とあったが途中から車道では無くなるようだ。此も忘れてた。

松尾峠の方とかどうだったかなあ。。

もうちと明るい時に行かないと怖いな。。作業の行われてない日曜の昼とかじゃないと無理かも。

で,それなりに満足して欽林車庫前のブラウンに向かう。ブラ定は今日は焼肉定食で740円なり。
学生の頃はちょっと高い(大学生協は安いからな)価格帯でも20年経っても値上げしてないのは驚異である。次々と馴染みの店が潰れていって淋しい限りだが,20年前と殆ど風貌の変わらないブラウンの親爺さんだが何時迄もお元気で店を開いて欲しい。林道の後は北大路から西大路になる角にあったママカリが伝説的なお店(24時間起きっぱなしで店をやってると噂の青白い顔の店長が名物)だったけどこれも潰れちゃって久しい。妙心寺近くのお好み焼きジャンボは健在。

銀閣寺道はパチ屋が両方とも潰れていた。喫茶店の白川は残っていた。
ブラウンは1台だけだけど駐車場が確保されてた。此は嬉しい。周辺は道が狭い。
ブラ定を堪能。美味。

その後薬局を探すもない。李白は管理物件になってたようだ。

で,力の湯に。久しぶり。入る内に次々と往時を思い出す。

で更に国際。東山の狭隘道から日野法界寺の脇を通るのが往時の順路だったけえが省略。六地蔵付近からr242に進入。国際ccは破綻した筈だが看板は各所に残ってゐた。r242の途中にある分岐より山道に這入る。
この辺は炭山がオキニだったけえがr242のこの先か。1本北側のr782も地図で見ると魅力的だがこっちはどうだっけか?全部忘れてゐる。。
ガスが足りなくなって来たので国際本体は省略。どうなってるか知りたかったがまた来たい所。

適当に生駒着。翌朝こまを京都駅迄送ってエクス終了。
お疲れ様でした☆

367 とはずがたり :2017/09/07(木) 10:01:00

くびなしだけど雲心寺林道と云ふらしい!

【右京区】谷山林道
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-630.html
高雄の谷山林道です。京都の自転車乗りの人には良く知られた場所かも知れませんが、観光地の奥にこんなステキな林道があるなんて最近まで知りませんでした・・

【右京区】雲心寺林道(前半)
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-631.html
一つ前の記事の谷山林道と接続する雲心寺林道(うんしんじりんどう)です。

舗装路が終わるところまでを前半部分としてご紹介します。この区間はロードバイクでも大丈夫です。
キレイな道ですがかなり勾配がキツイところもあります。

【右京区】雲心寺林道(後半)林道 宇治宇治谷線
http://nekotani.blog.fc2.com/blog-entry-633.html
2014/12/25 23:35
二つ前の記事の雲心寺林道(うんしんじりんどう)の後半です。上りで記事にしたかったので旧京北町側から走りました。

雲心寺林道だと思っていたのですが、旧京北町側は林道 宇治宇治谷線(うじうじだにせん)という名前でした。同じ林道なのか途中で名前が変わるのか、良く分かりませんでした。

走ったのは前半の記事の約一週間後ですが、上っていくにつれて雪が多くなりガリガリに凍っていました。もうこの辺りは春になるまで無理ですね・・

368 とはずがたり :2017/09/14(木) 09:05:32
山行が新刊読了♪
新中央道、八甲田十和田連絡道、森吉と後半三本は堪らんセレクションだった!

369 荷主研究者 :2017/09/14(木) 22:52:01

http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/03tozasareta/1.html
2003.2.8勝毎ジャーナル
KACHIMAI
No.1 NEWS PAPER IN TOKACHI HOKKAIDO SINCE 1919

心や思い運ぶ役割、経済効果

憤り隠せぬ地元住民

 「日高への道は近くて遠い道 残照に輝く峰の白雪をながめて『山の向こうに暖かい土地がある』と想いつづけた父祖の願い ひたすらに求めつづけた日高への道は、この地の里人の心の底に焼き付いている」(住民組織「日高中央横断道路早期完成を願う村民の会」の吉田勇治顧問著「日高への道」から)

着工から19年後に建設が凍結された日高横断道路(昨年9月撮影)

 道路には金銭で測れない価値があると、村民の会(中札内)の佐竹英司会長は話す。「毎年盆と正月に繰り返される民族大移動。飛行機や汽車で(故郷の地に)降りたとしても、最後は道路を通って肉親らと会う」

 道路には人々の心や思いを運ぶ役割があるといい、「日高の山並みを見ていた者が、その向こうの人と思いを交わすことはできる」と佐竹会長は語る。完成を夢見て、思いは中札内村と静内町との道路の両端で共有されてきた。

 中札内村と静内町のサッカー少年団は、年に数回交流。両町村の観光協会関係者は毎年、それぞれで開催される祭りを訪れ、若鶏や海産物を売る。老人クラブの交流も行われている。横断道路が開通すれば、移動時間は現行より1時間余り短縮され、「思いがより早く相手に通じる」とし、佐竹会長は建設凍結の解除を信じている。

◆  ◆

 道路建設の凍結は地元経済にも影響を及ぼす。村商工会の真鍋和清会長は「(凍結は)大きな打撃。地元スーパーの村内出店と合わせ、ダブルパンチだ」と肩を落とす。建設に伴う地元経済への波及効果は年間数千万円に上る。

 真鍋会長は「建設に途方もない時間と巨額の費用が掛かるということを、道が前面に出すこと自体がおかしい。怒りだけだ」と憤りを隠さない。和田民次郎村長も「(これまでに国、道が)500億円以上をつぎ込んできた。効果を出さないという話はない」と語る。

◆  ◆

 「知事は(建設)現場の実態を知らず、話すことも理解できない」と吉田顧問は話す。建設凍結後の道路管理をどうするかなどが不明だからだ。和田村長も「(整備済み区間などを)放置すれば、自然保全が大変。しっかり道路を整備する中で、自然を守るのが大事」と指摘する。

 村民の会では10日の道による地元説明会終了後、世話人会を開き、道への陳情を含めた今後の活動方針を確認する。吉田顧問は「残念でしたでは終わらない。仲間と一緒に早く凍結を解いてもらうよう運動していきたい」と力を込めた。

(深田隆弘)(03.2.8)

◇ ◇ ◇

 堀知事が、日高横断道路の建設凍結を正式表明した。構想から約40年、着工からは19年後の凍結に、中札内村民は憤った。背景には、開通を待ち望み、かなえられなかった住民の夢や「地元不在」の建設見直しがある。凍結は地域経済に打撃を与えるともいう。道路に託してきた住民の思いや今後の運動方針を探るとともに、道が優先させるとする高速交通ネットワーク整備の現状などを追う。

370 荷主研究者 :2017/09/14(木) 22:52:42

http://www.tokachi.co.jp/kachi/jour/03tozasareta/2.html
2003.2.9勝毎ジャーナル
KACHIMAI
No.1 NEWS PAPER IN TOKACHI HOKKAIDO SINCE 1919

道央中心の交通網

全体像見えず今後の影響懸念

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20030209tokachi01.gif

◆  ◆

 「結局、道央中心の道政ではないのか。同じ道民でありながら(交通インフラに)格差が出て良いのか」。堀達也知事の発表を聞いたある関係者は、士幌高原道路の中止やエア・ドゥ支援などを引き合いに出して憤った。道財政と高速道路整備を取り巻く厳しい見通しの中で浮かんだ選択肢は、十勝と日高の悲願である「道道静内中札内線(日高横断道路)」よりも、北海道全体の悲願である「高速交通ネットワーク」だったからだ。

 道内の高速交通ネットワークは、全国と比較して立ち遅れている。高速道路など高規格幹線道路網の供用率は、全国57・3%(総延長1万4000キロ、供用延長8017キロ)に対し、道内は30・8%(同1825キロ、同562キロ)。供用区間の大半は道央圏だ。

 しかも、道路関係四公団民営化推進委員会が整備抑制方針の色濃い最終報告をまとめるなど、道内高速道路整備には逆風が吹いている。

◆  ◆

 堀知事は「選択と集中」を掲げ、高速交通ネットワーク整備促進には地元負担も辞さない姿勢を強調。昨年11月の日高横断道地元視察では「日高はまず道央圏と結ぶことが先決」「道東道十勝清水-夕張間の開通を第一に考えている」と発言し、高速交通ネットワーク整備への傾注ぶりをうかがわせた。

◆  ◆

 高速交通ネットワークの整備促進を求めるのは、十勝の関係者も同じ。ただ、単なる区間ごとの整備としてではない。「道路はネットワークとして各路線がつながってこそ意味がある。単独路線で効果が出るというものではない」と、広域的な観点での道路網整備を訴えてきた。

 日高横断道は、高速道路網と連結する計画。一大農業基地である十勝にとって、日高だけではなく苫小牧港まで至り、道央や本州への流通新ルートとしての期待もある。

◆  ◆
 しかし、道の特定政策評価調書案は日高と十勝の観点のみ。市内のある経済人は「全体像を持った道路網整備が必要。知事はそれをどう考えているのか」と、評価手法や道の道路網整備に対する考え方に疑問を呈する。

 岩野洋一帯広商工会議所会頭は「高速道路整備が厳しい議論にさらされているときに、道路整備に対して知事がリーダーシップを取らなければならない。それなのに、こうした考え(建設凍結)が出てくるようであれば、ほかの道路整備への影響も懸念される」と不安を漏らす。

 北海道横断自動車道、高規格幹線道路帯広広尾自動車道と、整備促進が希求される路線は多い。「選択」の後の「集中」はまだ見えない。

(岩谷真宏)(03.02.09)

371 荷主研究者 :2017/09/15(金) 00:03:16
廃道の危機!?

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20170830/CK2017083002000052.html
2017年8月30日 中日新聞
豊根村長ら「県道1号早期復旧を」 12月の土砂崩れで不通

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2017083002100001_size0.jpg
崩落し道をふさいだ大量の土砂。大型ダンプ1200台分に相当するという=豊根村富山の県道1号で

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2017083002100002_size0.jpg

 豊根村富山(とみやま)地区の生活道路、県道1号(飯田富山佐久間線)が、昨年12月から土砂崩れで通行止めになっている。伊藤実村長らは29日、県新城設楽建設事務所(新城市片山)を訪れ、「住民の暮らしに深刻な影響が生じている」として、石川博英所長に早期復旧を要望した。 

 通行止めになっているのは、長野県境に近い長さ五十メートルの区間。昨年十二月二十四日、高さ七十五メートルの山の斜面が崩落し、約六千立方メートルの土砂が道路をふさいだ。

 富山地区は長野県との結び付きが強く、住民は通勤や買い物、医療機関の受診など日常生活の多くを長野県飯田市や下伊那郡の町村に頼る。県道1号は、暮らしを支える重要なルートになっていた。

 現在は大回りの迂回(うかい)を余儀なくされ、新野峠経由で国道151号を利用しているが、「道が険しく、飯田まで一時間近く余計にかかる。冬は積雪や凍結の危険もある」と前富山区長の兼子武夫さん(80)は話す。救急や災害時の対応など住民の不安は大きいという。

 要望書を受け取った石川所長は「決して手をこまねいているわけではないが、土砂崩れの規模が大きく、周辺部分でも崩落の恐れがある」と説明。「仮橋を架けるなどの手法が考えられるが、さらに詳細な調査が必要」とし、具体的な復旧の見通しは示さなかった。

 (鈴木泰彦)

372 とはずがたり :2017/10/16(月) 19:03:43
よっきれん40才おめでとage♪ヽ(゚∀゚)ノ

10/13だそうだから数日遅れたけどw

まだまだ元気やねえw

373 とはずがたり :2017/11/25(土) 14:56:45
今回の山行がは地味な滋賀県道130号 岩室神線だ。
http://yamaiga.com/road/spr130/main.html

此処http://yamaiga.com/road/spr130/map_5.gif地図に無い橋を渡って県道が続いていると本文にはあるがgooマップではご覧のように直進して黄線が続いてゐるhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.24.568N34.55.38.919/zoom/10/

googleマップだとこんな感じ。
https://www.google.co.jp/maps/@34.9301355,136.2547386,3a,75y,182.92h,96.85t/data=!3m9!1e1!3m7!1sDOPzwu-5VvYhGGzoLQjvVg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i28

ヨッキのmap_5.gifは間違えてて分岐点は電子地図には載ってる此処https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.27.298N34.55.36.256/zoom/10/の分岐の様だ。

寧ろ近所の此処のhttps://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.25.732N34.55.23.360/zoom/11/https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.15.25.172N34.55.25.845/zoom/11/が気になる。

で,山抜けた出口がここらhttps://www.google.co.jp/maps/@34.9171676,136.2461633,3a,90y,38.97h,91.57t/data=!3m9!1e1!3m7!1sBsfkmMNVIg05cgejfwebaA!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i28でここから黄線が復活してる。


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