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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1とはずがたり@元林道部会長:2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

195とはずがたり:2013/01/15(火) 15:34:35
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/1326
>R458も十部一峠方面は難所っぽい

林道じゃないけど林道情報に十部一峠ものってるw

林道への案内板 日本全国の林道情報
全国の林道をデータベース・写真・地図で詳細に紹介
山形県寒河江市、十部一峠の周辺
http://www.rindo21.com/touhoku_minami/yamagata_sagae/yamagata_r458/

結構有名な峠みたいだ。
こんな所迄国道してしまって税金ばらまくのには非常に怒りを感じざるを得ないけど。

十部一峠
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E9%83%A8%E4%B8%80%E5%B3%A0

国道458号の一部となっているが、十部一峠を含む大蔵村肘折温泉-寒河江市幸生(さちゅう)間は28km弱の区間に民家が存在せず、実際に車道として開通している国道では、日本で唯一の未舗装区間が残る国道である。一年の半分以上は積雪により通行止、総重量6tを超える大型車の通行が出来ない。十部一峠から林道を下った場所に、かつて、銅の産出では日本有数の規模を誇った永松銅山があり、その産出銅の輸送のために道路が開削された。
峠名は、かつて峠に番所が置かれており、通行料として「十分一役銀」を徴収していたことに由来する。

かつては、大蔵村から十部一峠に向かう手前に「大師峠」が存在していたが、国道458号は大師峠を通らないため、大師峠には手前で車を止めて徒歩で向かう。
十部一峠には駐車帯が広めに取られており、永松鉱山に向かう林道と、葉山山頂に向かう登山道が分岐している。寒河江市に向けて視界が開けており、第2世代の携帯電話の使用が可能。

大師峠はこれ
http://pdb.the-orj.org/view.php?no=6758

この辺か。
http://yahoo.jp/3uuKeU

196とはずがたり:2013/01/15(火) 15:35:11
>>195-196

更に永松鉱山はこれ
ttp://haikyo.crap.jp/s/7569.html

だいぶ遠いな。。

レポ
ttp://psyzans.web.fc2.com/Newken/nR458/nR458_2.html
 ちょっと寄り道。十部一峠から延びる永松林道をさらに6キロほど走っていくと、銅山川河畔の永松鉱山跡にたどりつく。銅山川の名前はもちろんのこと、「十部一峠」の名もこの鉱山にちなんでいる。

 鉱山は江戸時代前から採掘がはじまり、以後300年にわたって銅を産出し続けた。江戸時代、採掘された銅は清水や合海に運ばれ、さらにそこから最上川舟運と北前船で全国に運ばれていった。明治以降も日本有数の銅山として、三千人もの人々がこの地に住み、採掘に従事していたという。
 しかし昭和36年に休山となり、住む人は誰もいなくなった。もちろん今は無人で、わずかばかりの遺構が残るのみとなっている。


〈遺骨は叫ぶ-28-〉 山形・永松鉱山
騙して連行、強制貯金の名で未払い 山菜採りで空腹しのいだ労働者たち
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/06/0906j0803-00001.htm

 1939年に「朝鮮人労務者内地移住に関する件」が発令されると、永松鉱山はさっそく申請し、「昭和15年5月半島労働者49名の移住」(「東北鉱山風土記」)の許可を得ている。

 その後の連行数は明らかではないが、「永松鉱山全体では朝鮮人は家族あわせて最低600人ぐらいいたと思います。設楽里太という人と武田長治という人が朝鮮に行って連れてきたのです。鉱山の本局(本部)の佐藤弥三郎さんが朝鮮人を連れてくる采配を振っていました」(東海林寅雄)と語っている。また、永松鉱山には「600人ほどいたが、大半は朝鮮南部から送られてきた人たち」という記録もあるので、約600人ぐらいだった。

 永松鉱山に連行された朝鮮人の年齢は平均して32歳で、27、8歳〜40歳までの人たちだった。
 朝鮮人の仕事は、ほとんどが車夫(トロ押し)で、支柱夫はあまりいなかった。労働時間は原則として3交替制になっていたが、朝鮮人が働いたのは遅番と早番であった。車夫の仕事は厳しかったうえに、早番と遅番で働かされるので疲れがひどかった。

 また、食事なども朝鮮人には十分に渡らなかった。永松鉱山では、生活必需品は切符による配給制度になっていた。購買部で品物を受け取るのは、役宅、職員、作業員、朝鮮人の順序となっており、山奥ではなかなか入手できない新鮮な魚や、野菜、果物などが朝鮮人の手に渡ることはほとんどなかった。そのため朝鮮人たちは、仕事の合間に山へ入り、草木の芽や葉、山菜などをとっては食べていた。山菜をよく食べる大蔵村の人たちも驚くほど、たくさん取って食べていた。秋になるとブナやナラ、ドングリの実などを食べているのをよく見かけたという。

 朝鮮人には食料だけではなく、衣服なども十分に配られなかった。永松鉱山は寒いうえに雪が深いので、長靴は必需品であったが、朝鮮人には配られなかった。深い雪の中を地下足袋で飯場と坑口を往来するのは大変だった。しかも、雪が降るころになっても、ランニングにパンツといった姿で、寒さにぶるぶる震えていた。坑内に入ると寒くないので冬は空腹でも坑内に長く入っていようとした。また、寝具、作業衣、地下足袋、カンテラなどの作業用具は、無料で支給する約束だったが、日本へきて働くと有料だったりと、朝鮮人は苛められた。

つわものどもが ゆめのあと
−−山形県最上郡大蔵村 旧永松鉱山−−
2001年3月 山形応用地質誌
松田 博之(山形県庁商工政策課)
ttp://www3.ic-net.or.jp/~motokazu/matsuda.htm

197とはずがたり:2013/01/23(水) 20:57:04
謎の多い草木トンネルを含む区間。
ヨッキが更新した時に色々検討して見たが纏めるのに時間が掛かってしまった。

飯田山本ICといなさJctの写真ぐらい有る筈なんだけど現時点で見つからなかった(´・ω・`)

三遠南信道路
青崩峠道路・草木トンネル
http://tohazugatali.iza-yoi.net/shin-tomei/R474/R474-00.html#aokuzure

198とはずがたり:2013/02/02(土) 15:07:26

近代建築Watch
hardcandy.exblog.jp
兵庫県丹波・但馬地区 ( 22 )
http://hardcandy.exblog.jp/tags/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E4%B8%B9%E6%B3%A2%E3%83%BB%E4%BD%86%E9%A6%AC%E5%9C%B0%E5%8C%BA/

199とはずがたり:2013/02/06(水) 17:58:44

別に大したことではないことをわざと騒ぎ立てて大きくしたがってるだけな様に見えるけど,俺が感じた胡散臭さは他の人も感じていたようだ。

秋庭俊・帝都東京・隠された地下網の秘密
youtube
http://www.youtube.com/watch?v=kuYCXBYOELE
http://www.youtube.com/watch?v=fa8ZfKL7TZ4

http://www.amazon.co.jp/%E5%B8%9D%E9%83%BD%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%BB%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E7%B6%B2%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86-%E7%A7%8B%E5%BA%AD-%E4%BF%8A/dp/4896916808

地下妄の手記
http://www3.atwiki.jp/619metro/

200荷主研究者:2013/02/10(日) 12:49:23

http://yamaiga.com/road/ipr212/main.html
岩手県道212号雫石東八幡平線 網張工区 第1回

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20130124_6
2013/01/24 岩手日報
奥産道の全通目指す議連発足 八幡平市で設立総会
--------------------------------------------------------------------------------
 八幡平市、雫石町、滝沢村の超党派の議員有志38人は23日、県道雫石東八幡平線(網張−松川間、通称奥産道)の道路促進議員連盟を設立した。県が1998年に工事を事実上中止した奥産道の車道での全面開通や観光振興を目指し、県などに働き掛ける。

 同県道は65年に車道として着工。自然保護団体の反対もあり中断し84年に一部をトンネルに変更し工事再開した。96年に原生林の無許可伐採が判明し98年に約3キロを残し事実上工事を中止した。

 現在は車両が制限され網張側の大松倉橋付近から松川側の松川大橋付近までは既存登山道も使い歩行者のみが通行可能。地元には雫石と八幡平を結ぶ奥産道を観光ルートとして期待する声もある。

 これに対し、「八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会」の白藤力事務局長は「直接の開発でなく、奥深い自然を残して観察会や文化活動など間接的に生かす方が何倍も大切だ」と工事再開を目指す動きを懸念する。

201とはずがたり:2013/02/27(水) 09:46:06
どうも山行が内では見れなくなってしまった山手東側隧道>>2だがweb魚拓として見れるらしい。
ttp://web.archive.org/web/20070323154634/http://yamaiga.com/tunnel/yamatehigasi/main.html

また鉄の歴史館のurlも変更になっていた。行政が矢鱈urlいじるのは止めて欲しい。もっと他にすることあるやろに。
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/index.cfm/8,356,46,245,html

202とはずがたり:2013/03/01(金) 12:21:52

鍾乳洞内で落石…大学探検部の2人、一時戻れず
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20130224-567-OYT1T00281.html
2013年2月24日(日)12:02

 23日午後2時頃、福岡県苅田町山口の平尾台の鍾乳洞「 青龍窟 せいりゅうくつ」で落石があり、大学の探検部に所属する学生2人(ともに19歳)が一時、洞窟から出られない状態になった。

 約4時間後の同6時頃、仲間の学生が見つけた 迂回 うかい路をたどって脱出した。けがはなかった。

 県警行橋署の発表や北九州市消防局に提出された計画書などによると、九州大と佐賀大の探検部の計約20人で、22日から24日まで探検のために平尾台を訪れていた。3隊に分かれ、このうち9人が23日午前8時頃から、「青龍窟」内に入った。午後2時頃、人がはって通れるほどの狭い場所で、先を進んでいた2人が浮石を動かそうとしたところ、石が転がり落ちて道を塞ぎ、元に戻れなくなった。

203とはずがたり:2013/03/01(金) 12:23:42
>>200
俺も気になっている奥産道の亡霊が再び!
まああと数キロで抛棄は少々勿体ない気はするんじゃが。。

204とはずがたり:2013/03/01(金) 20:28:07

遂に単著ヽ(´ー`)/
最近沢山本出しているので全部は追ってないけど流石に買ってあげなくては♪

大研究 日本の道路120万キロ (じっぴコンパクト新書) [新書]
平沼 義之 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4408109835/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4408109835&linkCode=as2&tag=yamasaiganega-22

205とはずがたり:2013/03/08(金) 15:11:56

分断国道として名高いR152にある峠,分杭峠はゼロ磁場のパワスポだそうな(笑)
分断峠の青崩峠と地蔵峠(とR256の小川路峠)には行きたいと思ってるけど序でに此処も寄るかw(地図で調べたら大部北だけど。。)

ゼロ磁場のパワスポ「分杭峠」で異常現象に遭遇
http://nikkan-spa.jp/77129

206とはずがたり:2013/04/11(木) 17:39:39
今度のヨッキのネタはこれみたいだ♪

伊豆新島に単成火山を貫く島嶼部最長のトンネル出現
http://www.gsj.jp/data/chishitsunews/03_12_04.pdf

207とはずがたり:2013/05/01(水) 09:15:50
鉱山(ヤマ)さ行がねが♪
愛媛県境に近い高知県大川村にあった白滝鉱山だが索道で川之江三島港に運んで大分(佐賀関か?)で製錬したそうだ。なかなか大胆♪

白滝鉱山
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-1.htm
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-2.htm
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-3.htm
高知県内唯一ともいえる鉱山跡。 高知県の北部、愛媛県にほど近い場所に、その鉱山はあった。 土佐藩が開坑して以来、300年近くにわたって銅山として栄えたが、国内の他の金属鉱山と同じく、1972年に閉山した。

白 滝 鉱 山
http://wing.zero.ad.jp/~zbc54213/sirataki-.html

 元々江戸時代の初頭にこの地域に銅などの鉱床があるということは地元では知られており当時の土佐藩が1699年、近くを流れる大北川沿いに本川銅山(大北川のこと)を発見開坑したというのが始まりである。しかし貧鉱だったため数年で閉坑。その後長く注目されず幕末近く1815年から明治維新頃にかけて藩主や家老等が何度か採掘を試みたがいずれも失敗。後明治から大正にかけて幾人かの資産家(ほんの一時ではあるが住友家も加担した)が鉱業権の取得、譲渡を繰り返したがいずれもうまくいかなかったようである。
 最終的に1913年(T2)愛媛県の資産家、宇都宮氏に経営権が移り「宇宝合名会社」を設立、鉱山経営に入り積極的に発電所や機械化など近代化を進めこの付近の大北川、白滝、朝谷、樅の木など諸鉱山をまとめて”白滝鉱山”と名乗った。
 この頃それまでの鉱石や物資運搬手段を人力に頼って白滝から徒歩で野地峰峠を越えて今の法皇湖に降り銅山川沿いに北上し富郷町豊坂辺りからまた北へ山越え寒川町に入って三島に着く、というまことに大変な工程を経ていた。そのため人夫も重労働だし事故も耐えなかったし鉱山経営にしても人件費や輸送の効率が悪く改善が急務の課題であったため1916年遂に架空索道を建設。白滝から三島まで延々20数キロの索道で鉱石や物資を運ぶことになる。
 1919年久原鉱業(現日鉱ホールデイングス)に経営権が渡る。以後大正、昭和にかけて政府(軍部)の軍備拡張政策での(金属)物資増産の大号令により終戦まで積極的に採掘する。一時は鉱山人口2000人以上にまで達し関連施設はもちろん学校、病院、売店、映画館、居酒屋などなど山の中に一大ニュータウンを築いていた。そんな白滝鉱山も1972年ついに閉山となる。現在は青少年の野外活動センター”自然王国・白滝の里”として跡地が再利用されている。

日本鉱業(株)白滝鉱山
http://www10.tok2.com/home2/kurodaiya/No.3/sirataki/sirtaki.html

209荷主研究者:2013/06/19(水) 23:52:50

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201305300046.html
'13/5/30 中国新聞
手掘りのトンネル拡幅 尾道

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130530004601.jpg

 広島県は本年度、尾道市瀬戸田町の高根島にある内の浦トンネル(117メートル)の拡幅を計画している。珍しい手掘りのトンネル。道幅が狭いため消防車や大型車が通れず遠回りを余儀なくされている。2014年度内の完成を目指す。

 トンネルの幅員は約2・5メートルで、車両の通行制限は高さ2・2メートル。計画では、トンネルにつながる県道も合わせた約300メートルを約5メートルに広げる。

 市消防局によると、現在トンネル奥に数軒ある集落に緊急車両が出動する際、島に入る高根大橋から反対側を迂回(うかい)するため、3〜5キロ多く走っている。完成すれば約3分の1の距離になるという。

 高根小の閉校記念誌によると、トンネルは1952年開通。壁面は手掘りのため、ごつごつとした岩肌がむき出しになっている。近くの農業根角哲司さん(77)は「トロッコで土を運び出す横で遊んでいた」と振り返る。最近はサイクリストたちが訪れる隠れた名所になっている。

 着工時期などは未定。県東部建設事務所三原支所は「緊急車両の通行や離合が難しい状況が解消され、住民の安心や利便性向上につながる」としている。

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130530004602.jpg
【写真説明】岩肌がむき出しになっているトンネル内部。大型車は通行できない

210荷主研究者:2013/06/19(水) 23:59:16

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/06/20130604t15012.htm
2013年06月04日火曜日 河北新報
江戸初期の古銭発見 仙台−東根間の「関山古道」付近

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/20130603027jd.jpg

関山古道付近で見つかった永楽通宝

永楽通宝を発見した八嶋さん

 仙台市青葉区−山形県東根市間の関山峠を越える「関山古道」付近で、江戸時代初期まで流通していた古銭「永楽通宝」が1枚見つかった。関山古道はルートに一部不明確な区間があり、発見した登山者は「古道を解明する手掛かりになる可能性もある」と期待に胸を膨らませる。

 1968年に開通した関山トンネルの国道48号以前に、南側の山裾を縫うように関山隧道(ずいどう)を含む旧関山街道があった。

 古道はこの旧街道が完成する1882年まで街道として利用され、48号と旧街道のちょうど中間を通っていた。

 険しい尾根伝いの道のため「峰渡り」とも呼ばれ、市民グループの関山街道フォーラム協議会事務局(仙台市)によると、峠付近はルートがまだ明らかになっていない。

 古銭を発見したのは同市のNPO「東北アウトドア情報センター」代表の八嶋寛さん(63)。

 4月30日、主宰する登山講座の仲間8人とトンネルの仙台側入り口付近から旧街道に入った。隧道の真上に登り、古道を目指す山中で古銭を見つけた。

 標高800メートルの峠の頂から、南西に数十メートル外れた場所だった。

 持ち帰って枯れ葉や土を払い落とすと中央に四角い穴があり、「永楽通宝」の4文字がうっすらと浮かんだ。直径は約23ミリある。

 永楽通宝は中国で明代に造られ、室町時代に日本に大量輸入された。1608年に幕府が流通禁止令を出し、以降は国産の寛永通宝に取って代わられた。

 もちろん古銭が元からそこにあったのか、後世に誰かが持ち込んだのかは分からない。それでも古道には、一部登山愛好者以外はほとんど足を踏み入れないという。

 発見地点は尾根から南側に外れており、峠の頂を迂回(うかい)するように古道が築かれていた可能性もある。

 八嶋さんは「江戸時代以前から活発に人が往来した道かもしれない。さらに踏査し、古道の手掛かりを探したい」と話している。

211荷主研究者:2013/07/04(木) 23:57:43

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/06/20130616t71004.htm
2013年06月16日日曜日 河北新報
両地域結ぶ林道開通 山形・飯豊−喜多方13.8キロ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/20130615018jd.jpg

山形、福島の両県知事らが参加した林道の開通式

 山形県飯豊町岩倉地区と福島県喜多方市山都町をつなぐ林道飯豊桧枝岐線・一の木線が15日、開通した。山形、福島の両県関係者は、森林整備の推進、観光の振興、災害時のライフラインの確保などを期待する。

 全長13.8キロ(山形側8.1キロ、福島側5.7キロ)。名称は林道だが、幅員は7メートルあり、全面舗装の片側1車線の規格で整備された。両地区の往来は国道121号経由に比べて約30分短縮するという。林道周辺には観光ワラビ園やキャンプ場などが点在する。降雪期は閉鎖される。

 両線の工事は、緑資源機構(2007年度廃止)が計画した大規模林道整備の一環で始まった。山形側は1978年に着工、99年に完成。福島側は93年に着工し、機構廃止後に福島県が未整備区間0.4キロを昨年11月に完成させた。総事業費は105億2100万円。

◎福島県、3区間で整備/「林業振興ならず」批判も

 15日開通した林道飯豊桧枝岐線・一の木線は、大規模林道として計画された路線だった。公共事業見直しで他県で中止される中、福島県は今後も3区間の工事を続ける。市民団体は「林業振興に役立たない」と中止を求めている。

 大規模林道は「無駄な公共事業の象徴」と批判されながら建設が続いていたが、事業主体だった緑資源機構が官製談合事件で廃止され、2008年度以降は道県に事業継続の判断が委ねられた。

 福島県は計画を継続し、一の木線のほか、新鶴・柳津線(30.5キロ)田島・舘岩線(7.9キロ)北塩原・磐梯線(9.6キロ)の建設を決めた。

 県は「林業振興につながるほか、地元自治体の要望もある」と、本年度は3区間で約4億円の予算を計上し工事を進める。完成年度と総工費は公表していない。

 広島県は昨年1月、旧大規模林道計画は県の林業政策との関連が薄いと建設中止を決めている。

 福島県の博士山ブナ林を守る会の東瀬紘一代表は「旧大規模林道は森林土木事業でしかなく、林業振興に直結しない」と計画中止を訴えている。

212荷主研究者:2013/07/05(金) 00:10:33

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201306140011.html
'13/6/14 中国新聞
農道、15日開通 安芸高田<動画あり>

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130614001102.jpg

 安芸高田市高宮町の川根と羽佐竹を結ぶ川根原山連絡農道が15日、開通する。事業化から19年かかった。川根は江の川沿いと山間部の狭い県道しかなく不便だった。開通後は約45分かかっていた同市中心部の吉田町への通行時間が10〜15分程度短縮される。

 農道は広島県が建設。長さ6・6キロ、片側1車線で道幅は7〜6・5メートル。川根と羽佐竹の原山地区を結ぶ集落間農道として1994年に事業化し、当初は99年度に完成予定だった。

 しかし、硬い地質のためルート変更したり、農林水産省の農道再点検で事業の存続が危ぶまれたりしたが、川根側の道幅を7メートルから6・5メートルに狭めて事業を継続。今月初めに完成した。総事業費は41億5千万円。

 15日午後1時から、同農道の中間点で開通式があり、2時から通行できる。4時からは川根のエコミュージアム川根でホタル祭りもある。ホタル観賞や神楽が催され、手打ちそばも食べられる。

 動画はこちら

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130614001101.jpg
【写真説明】事業化から19年で開通する川根原山連絡農道

213とはずがたり:2013/07/11(木) 14:00:08
尾張瀬戸で仕事をしてた時からずっと気になってたr208上半田川名古屋線の末端部。
やはりR363迄通り抜け可能らしい。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.9.50.063N35.15.59.325&ZM=9

愛知県道208号一般県道上半田川名古屋線
東尾張七変化
その7
http://turkey.6.pro.tok2.com/aichi208g.html

214とはずがたり:2013/07/16(火) 19:22:59
今度のヨッキの日本の廃道は↓みたいだ。

幻の茂浦鉄道
http://www.aomori-itc.or.jp/public/zoshoku/dayori/112g/112_p08.pdf

青森県産業技術センターのある湾が茂浦湾。ここから西平内駅のある小豆沢方面へ向かって
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.53.15.662N40.55.49.167&ZM=7

茂浦鉄道
http://logging-railway.arrow.jp/modules/d3blog/details.php?bid=15

215とはずがたり:2013/07/25(木) 09:51:49

ここか。この辺は亀の瀬の地滑り地帯の入口。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.39.15.055N34.34.12.417&ZM=10

それにしても深夜1時に何の電車が?

肝試しでトンネルに…高校生2人、電車に接触し死傷
http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY201307210027.html

 21日午前1時前、大阪府柏原市国分市場1丁目のJR大和路線芝山トンネル(約250メートル)の東側出口付近で、大阪市内の男子高校生2人が難波発王寺行き普通電車(6両編成)に接触し、2年生(16)が約4時間後に死亡、1年生(16)も右足の骨が折れる重傷を負った。

 柏原署によると、中高生ら13人(12〜16歳)が、夜中に「心霊スポット」に行こうと決め、21日午前0時過ぎ、バイクなどで現場近くの芝山に来た。

 山に歩いて入って道に迷い、墓地に出た後、トンネルを見つけた。「引き返すとまた道に迷う。線路をたどれば知っている道に出るのでは」と考えてトンネルに入った直後、前方から電車がきたという。

 11人は線路脇の待避スペースに入ったり、壁に張り付いたりして難を逃れたが、逃げ遅れた2人が電車に接触した。少年の1人は、調べに「時間も遅く、電車はこないだろうと思った」と話しているという。

 現場周辺は有名な「心霊スポット」で、事故現場のすぐ脇に墓地があり、近くに廃線のトンネル跡もある。近くのし尿処理施設の職員によると、肝試しに来る子が多いといい、「トンネル跡に入る子どもがいたので数年前に入り口が鉄格子で塞がれたが、錠を壊して侵入していた」という。

216とはずがたり:2013/07/25(木) 09:53:42
>>215
普通の最終列車か。。
http://www.ekikara.jp/newdata/line/2701062/up1_16.htm

鉄道事故:線路立ち入りの高校生はねられ死亡 JR関西線
http://mainichi.jp/select/news/20130721k0000e040173000c.html
毎日新聞 2013年07月21日 12時56分(最終更新 07月22日 12時35分)

 21日午前0時55分ごろ、大阪府柏原市国分市場1のJR関西線・芝山トンネル(約200メートル)東側出口付近で、難波発王寺行き普通電車(6両)に男子高校生2人がはねられ、2年生(16)=大阪市=が死亡、1年生(16)=同=も右足骨折などの重傷を負った。2人を含む計13人は肝試しをしていたが、道に迷ったため、トンネルに入ったという。

 大阪府警柏原署によると、中高生ら男女計13人(12?16歳)は東側出口からトンネルに入り、約25メートル進んだところで西から電車が来るのに気付いた。11人はトンネル内の待避所のくぼみに避難したり、壁にはりついたりして無事だったが、高校生2人は逃げ遅れたらしい。

 現場付近は使われていない鉄道の廃トンネルなどがあり、心霊スポットとして知られる。【高橋隆輔】

217とはずがたり:2013/08/13(火) 21:30:09
『大研究日本の道路120万キロ』を経費で購入♪
流石よっき,結構学術的だし非常に面白かった(`・ω・´)
自分用に自費でも購入しても良いな。

気付いた点を何点か。

1.産業道路は一般名詞なんだそうな。なにか根拠法があるのかと思ってたけど。あんだけ各所にあるのだからなんらかの法律or行政上の法則性がありそうなもんだけどないのかな?
2.奥産道特集が欲しかったなあw
3.あんなでたらめな経路を定めた国交省が都道府県道の制定にはまともな交通流動に沿うことといけしゃーしゃーと厚顔無恥に押しつけているのに愕然とし憤然と成らざるを得なかった。いい加減にせよと云いたい。
4.続篇きぼんぬふ♪

218荷主研究者:2013/08/15(木) 00:24:22

http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20130801/CK2013080102000183.html
2013年8月1日 東京新聞
新道に役目引き継ぐ 駒ケ滝トンネルきょう封鎖

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2013080102100081_size0.jpg
新道の開通に伴い閉鎖される「駒ケ滝トンネル」=秩父市で

 秩父市大滝の国道140号にある「駒ケ滝トンネル」が一日で封鎖される。トンネル脇に新道「二瀬ダム左岸湖岸道路」が同日午前五時に開通するためで、ネットなどに「酷道」と紹介されたトンネルは五十八年で役目を終える。

 駒ケ滝トンネルは全長三百九十七メートルで、トンネル内部で県道と分岐している。二瀬ダムの建設用道路として一九五五年に完成した。当時の交通量を前提に整備されたため、道幅約三メートルと狭くて相互にすれ違いができない上、照明は暗かった。

 国道140号は大滝地区で複数の路線に分かれ、山梨県への主要経路としては北側を通るバイパスがある。しかし、駒ケ滝トンネルは分岐する県道が観光名所の三峯神社に通じていることもあって一日平均約千五百台が利用しており、行楽シーズンは渋滞が起きることもあった。

 新道は全長約四百五十メートルで片側一車線。山梨方面から三峯神社方面へ右折で向かうことも可能になる。建設は二〇〇六年から始まり、総事業費は約二十三億円。

  (羽物一隆)

219とはずがたり:2013/09/20(金) 22:00:47

新中央道待望論者(笑)としては中央自動車道と中央新幹線と三遠南信道と中部横断道を重ねて描いてその現代的意義を検討したいところだけど,それは兎も角我が恥ずかしいコンテンツである新中央道妄想計画をそろそろ
>昭和34年に建設省が示していた「国土開発縦貫自動車道中央自動車道計画図」
手に入れてもっとまともなものにしないと(;´Д`)

2013.09.20 Friday
ヨッキれん
中央自動車道と中央新幹線。
http://yamaiga.jugem.jp/?eid=85

221とはずがたり:2013/09/20(金) 22:53:30

総会で委員長が突如、迂回ルートを提案
 曲折がありながらも南アルプス経由で決まった中央道の建設計画。これが覆る出来事が、1963年に起きた。

 中央道の早期着工・完成を推進するため、関係する自治体の首長などが「中央自動車道建設推進委員会」を構成していた。委員会が63年5月17日に開催した第6回総会でのことだ。長野県出身の国会議員でもあった委員長の青木一男(1889−1982年)が突如、ルートを北回りに変更する方針を明らかにした。独自の考え方として南アルプスを通らず甲府・諏訪を経由する迂回ルートだった。

突如、提案された北回り案。約60kmの迂回となる (資料:山梨県身延町「身延町誌」)

突如、提案された北回り案。約60kmの迂回となる (資料:山梨県身延町「身延町誌」)
 既に東名・名神高速の建設が進んでいた。完成すれば、中央道の「東京−大阪を結ぶ大動脈」という建設意義が薄れる。青木は、中央道の建設に当たっては工事費をいかに抑えるかが重要な要素になると唱えた。南アルプス経由は建設費が高かった。

 青木の意見に対して、山梨県の塩山(現・甲州市)市長や韮崎市長、長野県の駒ケ根市長など、ルート変更で新たに経由地となる自治体の首長が次々に賛成した。ただ一人反対したのが、当初案なら経由地となる身延町で町長を務めていた佐野為雄(1902−1972年)だ。山梨県知事が佐野に対し一般道整備などの見返りを提示し、説き伏せる形で総会を終えた。

 佐野は静岡県井川村を交えた周辺町村、あるいは国会議員を巻き込んで反対運動を展開した。しかし、覆った案を元に戻すことはできなかった。

 翌64年、当時の建設省の建設審議会がルート変更を決定した。6月9日に開かれた参議院建設委員会では、佐野が参考人としてルート変更に反対を訴える。しかし、委員会も本会議も変更案を可決した。

 建設委員会の議事録では後の委員長、田中一(1901−1989年)の積極的な発言が目立つ。「寝耳に水」だった佐野を前に、心情に配慮すると同時に、ルート変更の交換条件を提示してはどうかと勧めている。

222とはずがたり:2013/09/20(金) 22:53:49
>>220-222
先行開業した富士吉田線が本線のはずだった

 情勢の急変をよそに、東京−富士吉田の区間は高井戸IC(インターチェンジ)−河口湖ICとして、既に工事が進んでいた。中央道として最も早く69年までに、都心部を除いて完成。うち大月JCT(ジャンクション)−河口湖ICの区間は、ルート変更後、中央道富士吉田線と名称を変えた。

 甲府・諏訪経由の新たな本線は、全線開通が1982年までずれ込んだ。山梨県内では、甲府市街地の北を通すか南を通すかで意見が分かれ、勝沼IC−甲府昭和ICが最後の開通区間となった。結局、南部を経由した。

 それにしても、変更案が突如示された63年の総会は何だったのか。ルート変更で利益を得る側が水面下で調整を図ったのだろうか。

 ひるがえってリニア新幹線のルート問題。中央道建設における意見の対立と似た構図が今、生じている。2つ以上のルートが候補となれば、経由地同士で誘致合戦になるのは、ある意味では当然といえる。しかし、国家的なプロジェクトでは大局に立った判断が必要だ。

 ルートの問題は、その交通手段が存在し続ける間ずっと経由地に影響を与える。中央道での経験をリニア新幹線にも生かしていくことが求められる。

※文中敬称略

223とはずがたり:2013/09/20(金) 23:02:09
法律を枉げて北回りが実現した点,リニアに関して京都府は参考に出来るかも知れない♪
関西連合総力を挙げて荒井利権土建自民系知事の失点に繋げて欲しいところww

224とはずがたり:2013/10/19(土) 21:56:29
中畑町(名阪国道五ヶ庄IC付近)〜福住の未通県道を山行が♪
随分経ってやっとBP部画像うp(;´Д`)
廃道と未成道のコンボと云いたいところだが,廃道部分は文字通りの踏み込み不足。。(´・ω・`)
いつか再挑戦したい。

奈良県道187号福住上三橋線

県(険)道部篇
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r187-000.html#3-1
BP未成道篇
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r187-000.html#3-3

参考
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1178710048/142-144

225とはずがたり:2013/10/19(土) 21:59:17
>>224
×五ヶ庄
○五ヶ谷

227荷主研究者:2013/10/27(日) 13:50:54

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20131017/CK2013101702000096.html
2013年10月17日 中日新聞
台風26号 焼津で県道陥没、通行止め

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2013101702100036_size0.jpg

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2013101702100035_size0.jpg
台風26号の影響で大きく亀裂が入った県道静岡焼津線=16日、焼津市浜当目で

 台風26号の影響で、焼津市浜当目の大崩(おおくずれ)海岸沿いを通る県道静岡焼津線が一部陥没し、通行止めとなった。県道脇の同市元小浜(もとおばま)地区から市中心部へ向かうルートが寸断され、住民はいったん静岡市へ北上してから国道150号で焼津市へ戻る大回りを余儀なくされる。復旧の見通しは立っておらず、市は小中学生をタクシーで送迎するなどの対策を決めた。

 市によると、県道は幅六メートルで片側一車線。長さ五十メートルにわたって亀裂が入ったり陥没したりして損壊、土砂崩れの恐れもある。元小浜地区には小学生から九十代まで十八世帯六十九人が住む。市街地にある東益津小に通う児童三人と東益津中に通う生徒三人の通学用に、市は一人一台ずつタクシーを手配する。

 火災や救急救助に備えて、静岡市の石田消防署や同署用宗出張所に緊急時の出動を要請。焼津消防署から出動する通常時と到着の時間差がないようにする。ごみやし尿の収集は焼津市の収集車が静岡市を通って向かう。

 通行止めは、焼津市浜当目の当目トンネルと、同市小浜のたけのこ岩トンネル間。

228とはずがたり:2013/11/20(水) 16:33:22
>田村市の都路、常葉、船引の3地区を分ける国境の山
鎌倉岳はここ
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.41.32.250N37.27.49.361&ZM=8

ルポ・福島:鎌倉岳の空間放射線量 「全般に3、4割低下」 山頂直下「測定不能」から7マイクロシーベルトに /福島
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20131104ddlk07040145000c.html
毎日新聞 2013年11月04日 地方版

 阿武隈のやまなみにそそり立つ花こう岩の麗峰、鎌倉岳(標高967メートル)。田村市の都路、常葉、船引の3地区を分ける国境の山は福島第1原発の西30キロにあるが、より原発に近い都路東部の山々よりも空間放射線量がはるかに高い。事故後、線量はどれほど落ちたのか。先月31日、2年ぶりの計測に同行した。【藤原章生】

 常葉地区から国道288号を浜通り、都路方面へ走ると、天を突くような岩峰が現れる。鎌倉岳は古くから山岳信仰の対象で、1985年発行の「都路村史」にこうある。9世紀初頭、嵯峨天皇の時代、長い干ばつから東国を救うため「大徳峰宇という老婆が薬師尊像を背負って現れ」、村人と鎌倉岳で雨乞いし、恵みの雨をもたらした。そんな伝承からか、戦国時代には相馬、岩城、三春領による領有をめぐる「山争い」の中心の峰でもあった。

 今回ともに歩いたのは、11年10月から延べ約150の県内の山で放射線量を調べてきた山岳会、福島登高会の和泉功さん(64)。和泉さんが前回登ったのは11年11月30日。その直後に登った郡山勤労者山岳会の結果を合わせると、標高740メートルの登山道で線量が毎時5マイクロシーベルトを超え、頂上直下では上限10マイクロシーベルトの線量計が「測定不能」となった。

 測定は、前回と同じ堀場製作所製のPA-1100を使い、同じ場所で地上1メートルの線量を5回調べ平均を出す同じ方法をとった。

 朝9時過ぎ、国道を北にそれ、標高540メートルの萩平から歩き出した。市の除染が済んだ駐車場の線量は0・3マイクロシーベルトだが、登山口に向かう林道に入ると1を超えた。事故前まで県外のツアー客が訪れた登山道は腐葉土や倒木で覆われ、入山者はほとんどいない。

 南東斜面に入ると線量は急上昇し、前回5マイクロシーベルト超だった標高740メートルのヒノキ林で4マイクロシーベルト。過去2年の減少率は2割ほどだ。標高890メートルでは、0・4マイクロシーベルトと約半分に下がっていた。和泉さんが「ここはかなり落ちている」と声を上げた。

 頂上は風雨にさらされるせいか前回も低く0・6マイクロシーベルトほどで、今回は0・3マイクロシーベルト。「山を測る度に下がっているのを見るのが楽しみ。今回も全般で3、4割落ちている感じです」と話す和泉さんだが、喜びもつかの間、頂上から5メートルほど下りた南東面の小尾根で一気に7マイクロシーベルトに達した。2年前、「測定不能」だった地点だ。周囲を測ると尾根上の木陰4メートル四方ほどが満遍なく5-7マイクロシーベルトで、狭いスポットだけが高いわけではない。

 下山後、測り忘れていた登山口を測ると、前回より3割ほど高い。「2年前はコンクリートの地面でしたが、今は腐葉土に覆われているから上がったのでしょうか。この山に限らず沢沿いは結構上がっていますね」と和泉さん。人の踏み跡のない林道にはイノシシの鼻と足の跡が幾つも残っていた。

229とはずがたり:2014/01/04(土) 19:43:26

にぬけんの懇願を受け緊急整備してやった♪(・∀・)v

ttp://tohazugatali.iza-yoi.net/shin-tomei/shin-tomei.html#fuji
(都)富士インター線+r88一色久沢線
(都)本市場大渕線+r72富士白糸滝公園線
r24富士裾野線BP

辺りの未成道てんこ盛りだから此処に♪

230とはずがたり:2014/01/11(土) 17:51:56

軍艦島の世界遺産推薦、地元・長崎はなぜ落胆?経済優先の国の思惑に翻弄、多額財政負担も
http://biz-journal.jp/2013/12/post_3712.html
2013.12.27

231とはずがたり:2014/01/24(金) 10:32:44

所有者が確定せず宙ぶらりんだそうな。
「暗い蛍光灯」って蛍光灯の電気代を負担している人は誰なん?←これは盗電でも無い限り瞬間で判明する筈
アンカーボルトでトンネル補修したのは誰なんだ?
京急バスが転回の為に使ってるようなんでその辺が負担しているのかな?
小柴トンネルとでもして現役隧道として再生することを祈る♪

隧道レポート 横浜市の柴燃料隧道(仮称)
http://yamaiga.com/tunnel/shiba/main.html

小柴の“放置”トンネル問題:さびた看板、暗い蛍光灯、一年中水漏れ… 「どこに補修頼めば…」周辺住民困惑
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1401040014/
2014年1月5日

 シーサイドライン「海の公園柴口駅」(横浜市金沢区)から徒歩で15分足らず。住宅街を曲がると、そのトンネルは現れる。名前の表示は何もない。入り口近くには、バス停とベンチが置かれている。

 十数メートルおきに蛍光灯が設置されているものの、日中でもトンネル内は暗い。足元を確認しながら、両脇の側溝に落ちないようゆっくりと進む。

 道路脇には、さびてぼろぼろになった工事用のバリケード看板。突然ごう音がトンネル内に響き、振り返るとバスが1台、走ってくるのが見えた。端に立ち止まってやり過ごす。トンネルを抜けるとちょっとした広場になっており、左手に3軒の住宅がある。正面には閉鎖された貯油施設のゲートがあり、右手にはUターンして停車したバスが止まっていた。

 「ちょっと暗すぎるよね」。住宅に住む男性(72)は苦笑いを浮かべ、トンネルの方に目をやった。転居してきてから18年。今のところ大きな不便や危険は感じていないが、少なからず不満はある。

 たびたびあるごみの不法投棄を防ごうと、トンネル内の側溝に沿ってバリケード看板が設けられているが、今はさびて“新たなごみ”状態に。トンネル内の照明は、以前は水銀灯で明るかったが、今は電気代の節約のため蛍光灯となり「暗い」。家の前の道には大きなくぼみがあるが、「どこに補修を頼めばいいのか分からない」。

 トンネルには、ひびが入っている箇所もある。男性は「一年中水漏れしている部分もあり、コンクリートの劣化も心配。まだまだ住み続けたいので、早く所有者を確定してきちんと補修してほしい」と切実だ。

 市の担当者は「安全性や構造上問題があるかどうかは分からないが、詳細に調査する必要があるだろう」と話している。

 住民だけでなく、近隣の農地所有者からも早期解決を求める声が上がっている。施設周辺の山林や農地を対象にした「柴土地改良区事業」は1991年度にスタート。換地などは2006年までに終わらせたが、トンネルの権利設定が確定されていないことから改良区内の道路をトンネルに接続できないなど、課題が残り、事業を完了できない状態が続いている。

 改良区の小山収一理事長(76)は「本来ならとっくに終わっている事業。軍が造ったのだから国がきちんと管理すべき。結局一番迷惑するのは市民だ」と憤る。

232とはずがたり:2014/01/24(金) 10:33:41
>>231-232
そのうち消えるであろう記事の保存を兼ねて投下。

>国側は「国有財産台帳に載っていないので知らない」として、議論は平行線だったという。
無責任なw
如何にもお役所(;´Д`)

小柴の“放置”トンネル問題:所有者不明解決へ協議、笹子崩落受け市と国が本腰へ
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1401040013/
2014年1月5日

 旧小柴貯油施設(横浜市金沢区)の南側に、施設のゲートと住宅街をつなぐ1本のトンネルがある。70年以上前に旧日本軍が造ったものだが、戦後の手続きから漏れたため、国にも市にも台帳に記載されておらず、「所有者不明」の状態という。しかし、トンネル崩落事故などを受け、ようやく国と市が本格的な協議に乗り出した。市基地対策課は「解決に向け、国と話し合っている。早めに管理主体をはっきりさせたい」と話している。

 市基地対策課によると、トンネルは旧日本軍が土地を強制収用して掘削し、1939年に完成。第2次大戦後、貯油施設は米軍に接収されたがトンネル部分は権利設定がなされず、宙に浮いたまま約70年が経過した。

 トンネルは高さ約5メートル、幅約7メートル、長さ約180メートル。住宅街とゲートをつないでいる。現在はゲートが閉じられているため行き止まりとなっており、もっぱら施設横の3軒の民家の生活道路や路線バスの転回用に使われている。

 トンネルについて、同課は「以前から存在を認識していた。国に『旧日本軍が造ったものなのだから国が管理すべき』と申し入れたこともある」と説明。しかし、国側は「国有財産台帳に載っていないので知らない」として、議論は平行線だったという。

 転換点となったのは、2012年12月に山梨県で起きた「笹子トンネル事故」。事故を踏まえ、自民党の藤代哲夫氏や高橋徳美氏が市会で、このトンネルの管理について取り上げたことで、市も国との協議に本腰を入れ始めた。市によると、国側にも従来の主張から変化が見え始めているといい、「お互いに前向きに解決に取り組んでいる」(同課担当者)。財務省関東財務局横浜財務事務所の担当者も「軍が設置した事実はあるので、台帳に載ってないから『分からない』というわけにはいかない。国としても解決に向けて市と協議している」と話す。

 05年に米軍から返還された旧小柴貯油施設は現在、都市公園としての利用に向けて市が基本計画を策定中。トンネルも出入り口の一つとして活用したい考えだが、所有権が不明なままでは計画に組み込めないという。

 市緑地保全推進課は「(トンネルを)使えるに越したことはない。協議の推移を見守り、結果を踏まえて弾力的に考えたい」と話している。

233荷主研究者:2014/02/23(日) 19:19:26
>>231-232
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1402120019/
2014年2月13日 神奈川新聞
金沢区・小柴の“放置トンネル”、安全調査へ/横浜

 戦後の手続きから漏れたため、「所有者不明」の状態となっている旧小柴貯油施設(横浜市金沢区)南側のトンネルについて、財務省関東財務局横浜財務事務所がトンネルを国の所有物とした上で安全性の確認を行い、最終的に市に所有権を移管する方針であることが12日、分かった。

 同事務所や市によると、トンネルは旧日本軍が土地を強制収用して掘削し1939年に完成。終戦後、貯油施設は米軍に接収されたがトンネル部分は権利設定がなされず、宙に浮いたまま約70年が経過。市と国は近年のトンネル崩落事故などを受け、所有権や安全確認などについて本格的な協議を進めていた。

 同事務所は、旧日本軍が造った事実を踏まえ、トンネルは国の所有物であると判断。その上で、構造や安全性に関する詳細調査を2014年度に実施する方向で調整しているという。担当者は「調査費の予算要求が通れば、今夏前には調査を始めたい」と話している。

 安全性が確認できれば、最終的には市に所有権を移管する考え。市の担当者は「長年の懸案事項がようやく動きだした。課題解決に向け、さらに協議を進めていきたい」と話している。

234とはずがたり:2014/04/01(火) 16:44:03
未成道(に近い?)

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1178710048/209-211

209 :とはずがたり:2014/03/21(金) 15:35:27

なんだこれ?この道路は府立公園の管理道路として一般車の進入は出来ない箇所
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.39.34.312N34.39.43.511&ZM=10
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.39.34.312N34.39.43.511&ZM=12

210 :名無しさん:2014/03/24(月) 09:03:54
一番最後のは、
東大阪市らくらく登山道といって、かつては髪切(こうぎり)自動車道として整備しようとしたところらしいです

211 :とはずがたり:2014/04/01(火) 16:17:55
>>210
有り難うございます。調べてみました。

らくらく登山道コース | 東大阪市
http://www.city.higashiosaka.lg.jp/0000007206.html
らくらく登山道案内図
http://osaka-midori.jp/mori/pdf/raku_map.pdf

235とはずがたり:2014/04/02(水) 19:35:15

ヨッキがなかなか続き書かないので先走って調べてしまった。
未体験風景はなんやろなー。
5:39辺り川の中走ってる?

和歌山樫山小匠林道「通称コウダクミ」に行ってきました。
https://www.youtube.com/watch?v=Qamm0lZD3Y8

TSURUGIpassB1 年前
4:00のとこ、えぐいなあ。4輪じゃ無理そうですね。

crazykids19841 年前返信先: TSURUGIpassB
コメントありがとうございます。足場のようなものが2、3枚かけてあるだけで幅が60〜70cmくらいしかなかったです。他のところも2mくらいしかないタイトな道なのでオススメできません。

林道への案内板
樫山小匠線
取材日 : 2002-06-02
http://www.rindo21.com/kansai_minami/wakayama_natikatuura/wakayama_kasiyamakotakumi/

樫山小匠線 (和歌山県太地町)
http://dts3800.blog117.fc2.com/blog-entry-18.html

樫山小匠線は、和歌山県那智勝浦町にある林道である。
僕の持っているツーリングマップル関西2004年版には、通行可能な未舗装路として
オレンジ色の点線で図示されていたが、 2010年版ではオレンジ色表示ではなく
普通の点線(徒歩道)で表示されている。
これから説明するように、路面状態よくないため通行不可能な道路として改訂されてしまったんだろう。
樫山小匠線へのアプローチは、国道42号から那智勝浦町下里にて県道45号に入り
県道234号を経て小匠ダムに到着し、ここから林道探索をスタートした。
なお、ネットで調べてみたが樫山小匠線の起点・終点は不明であった。

236とはずがたり:2014/04/02(水) 20:36:23
記事の写真に付された説明書きだとトンネルの御前崎側は土砂で埋まっているとのこと。
写真取り込もうと思ったけど面倒なんでこのまま投下。

2014年3月14日版
郷土新聞(掛川)
「オット」に思いを馳せて
菊川歴史くらぶが現地調査と草刈り実施
今も残る佐栗谷トンネル
公園化など保存を目指す

大正13年から昭和10年(1924-35)までおよそ11年にわたり,現在の菊川市堀之内─御前崎市池新田間14.8キロを結んで多くの人や荷物を運んだ日本初のディーゼル機関車「オット」。その歴史を掘り起こそうと今月1日,当時の面影を残す貴重な遺構「佐栗谷トンネル」の調査が,地元の歴史愛好家たちによって行われた。

ディーゼル機関車のオットは,堀之内と南山(現菊川市高橋)を結んでいた「堀之内軌道」が池新田まで延長することになったのを機会に,1899年(明治32年)の開業以来,客車や貨車を引いてきた馬に代わって導入された。

その当時から普及し始めていた製茶機会の動力源である発動機に着目した同社が,ドイツで開発されたディーゼルエンジン式機関車を国内で初めて採用したもので,茶どころならではの発想が産んだ新時代を切り開く試みだったと言える。

堀之内─池新田間を1時間余で走ったオットだが,ほぼ平坦な沿線中,唯一勾配に悩まされたのが,菊川と御前崎の市境にある「佐栗谷トンネル」だ。時には車掌がレールに砂をまき,それでも登らない場合は乗客が後押しをすることもあったという。

そんなオットにとって最大の難所だった同トンネルが,廃業から80年が経過しオット関連の遺構がほぼ無くなってしまった今も当時の面影をそのままに現存していることから,菊川市文化協会所属の「菊川歴史くらぶ」=すずき麗華代表=では1日,メンバー約25人が現地を訪れて,生い茂った草の伐採や見学調査を行った。

トンネルの菊川口に集まった参加メンバーは,草刈りに続き入口付近に堆積した土砂を掻き出して,中にたまった雨水を排水た後,講師に招いた御前崎市議で古い鉄道の研究をしている阿形昭さんとともに内部に足を踏み入れた。計測の結果,高さ2.9㍍,幅3㍍,長さは93.3㍍。菊川側入口から約7㍍と御前崎側入口から約25㍍はレンガ造りで,中には防空壕と思われる横穴2本が掘られていた。

廃線となった当時のまま放置されている同トンネルだが,特に破損している箇所は見られず,赤レンガの色合いも保たれている。調査を終えたすずき代表は「人目につかず荒れ放題になっているが,きちんと手を掛ければオットの歴史を伝える貴重な遺構になる。同じレンガ製建造物として,赤れんが倉庫と関連づけた価値の見出し方もおもしろい」と話し,公園化整備の可能性を探っていきたい意向を示した。

237とはずがたり:2014/04/22(火) 08:07:04

2014年04月21日20:00
廃村に行ってきたからうpしてく
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4662944.html

239とはずがたり:2014/05/25(日) 11:47:44
良い雰囲気ですな〜♪香川の宮脇と云えば俊三だけどそういう苗字おおいのかな?

四国裏観光ガイド
祖谷のカテドラル、旧三縄発電所
宮脇慎太郎 [高松市] | 2014.2.03
http://459magazine.jp/journey/ura/7899/

240とはずがたり:2014/06/04(水) 16:10:09
廃水路橋♪に廃水路隧道♪

大鳥居発電所(関電)から大戸川取水ダム 1
http://netishim.seesaa.net/article/229984999.html

242とはずがたり:2014/06/10(火) 11:35:35

良い味出してるなぁ♪

銚子川第一発電所を探して
http://blogs.yahoo.co.jp/dam_suiryokuhatuden/11439477.html

243とはずがたり:2014/06/17(火) 10:05:15
鉱山(ヤマ)さ行がねが♪シリーズ

秩父鉱山はニッチツの保有する鉱山http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070723570/1310。規模縮小しつつ現在も石灰石を採取している。2006年に無住の地(OBが一人だけ住む)となったそうな。
皆,クルマで通勤出来る様になったと云う訳か?

それにしても凄い場所だなぁ。。西関東のどん詰まりという表現しか思い浮かばない。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.48.36.397N36.0.46.176&ZM=7
三峰口迄索道って!?と云う距離である。。。

秩父鉱山 2007.10.20
http://www.kanso.cside.com/neko_tabi/mine/chichibu/chichibu.htm

秩父鉱山は現在も稼動中であり、株式会社ニッチツが石灰を掘っている。
ダンプもひっきりなしに通る為、業務の邪魔にならぬように注意する必要がある。
こちらの方は秩父鉱山の小倉沢中学校出身の方で、今もその伝統・歴史を伝えようとされている方である。
心より敬意を表したい。
今回は稼動中の鉱山ということもあり、施設へ近づいて撮影はしていない。鉱山街の廃墟写真が中心となっている。

秩父鉱山は戦国時代、甲斐武田氏が採掘したのが始まりと伝えられている。
江戸期には平賀源内も金を求めて入山した。
1937年よりニッチツが柳瀬鉱業所より鉱山を買収し大規模に採掘を始めた。
金・銀・銅・鉛・亜鉛・鉄が採掘されたようだ。
1978年に採算が合わずに金属採掘を止め、以降大幅に規模を縮小し現在も石灰・珪砂のみを採掘している。
これにより埼玉県の金属鉱山は消滅した。

最盛期には標高860mの山中であるのにも関わらず2000人を越える人口を誇り、
ニッチツの用意した共同浴場・社宅・病院・学校・商店も完備、郵便局も存在した。
尚、郵便局は関東で最も到達困難な場所にある郵便局であり、郵政民営化の際にも廃局にならずに存続が決まった。

2006年9月には鉱山街から人が去り、遂に無住の地となった。
現在ではニッチツ事務所の裏にOBの方が犬と独り住んでいるだけであり、小倉沢は人口一人となった。
鉱山街はすでに自然に帰りつつある。
栄華を誇った秩父鉱山の今の姿をお伝えしたい。

244とはずがたり:2014/08/07(木) 19:46:15
見るだけで行った気になれる、東京近郊・車で日帰り登山動画&秘境散歩動画 せんてんすくらぶ.net
http://xn--y8jtaf8b0e7ewcb.net/

サイト管理人の生態
http://xn--y8jtaf8b0e7ewcb.net/prof.htm

ハンドルネーム:せんてんす (サイト名と同じです)…というか、ハンドルネームをサイト名にしているだけ。。。
発生地:東京湾で、ボウフラが突然変異…!?
発生年:花のサンパチ。同年代は、仮免横綱・双羽黒…(゚゚;)エエッ
性格:超硬派で、まじめなんだが、ふざけている二重人格…!?
生態1:色々あったが、今は独身(子孫無し)。決して、 ホモではないし、風俗遊びもしない…ひたすら山の中へ…(*^_^*)
生態2:炊事洗濯、何でもOK♪ 外食が苦手…(^o^;)
生態3:節約の鬼!1ヶ月の食費は1日3食で1万円ちょい! とにかく、節約節約♪ 要は、貧乏ね…(/--)/
趣味1:車が唯一の自己資産…(^o^;) 簡易キャンピングカー仕様!今回が、2代目のキャンパー♪(^o^)v
趣味2:独学で覚えた、パソコンも趣味。 HPも、専用ソフトは買わず、メモ帳とフリーソフトで作成♪ヘ(^o^)/

245とはずがたり:2014/08/07(木) 20:00:23

子連れの林道部,いいね♪

神奈川県道515号三井相模湖線 【最険狭道】
https://www.youtube.com/watch?v=vw3FQbNasRg

通行禁止区間があるが踏破はせずその両側のレポ

神奈川険道515号線
神奈川県相模湖町〜津久井町
2005・12・31来訪
http://www.geocities.jp/wxfff590/kanagawakenndou515.html

r515はやまいがでも取り上げられている。勿論踏破♪

神奈川県道515号 一般県道 三井相模湖線
http://yamaiga.com/road/kpr515/main.html

>>244のせんてんす氏の踏破動画

進化した神奈川県道515号・廃道区間踏破1/4@神奈川県相模原市緑区
https://www.youtube.com/watch?v=5FnVayw4ws8

246とはずがたり:2014/08/08(金) 09:57:13
>>54-56
山崎峠と三安鉱山は大峠と八谷鉱山に似ている。
前者は鉱山は宮城側にあるけど搬出は福島県側で鉱山は閉山,結局宮城県側は廃道化。後者は鉱山は山形側にあるけど搬出はやはり福島県側からで,現在鉱山は閉山,結局山形側が廃道化,である。
となればさしずめr107はR121旧道で,R121新道はr46(規格は全然違うけど)ってとこか。

wikiに拠ると1943頃閉山となっているので,戦後,鉱山開発の目的もあって県道整備してみたけど結局再開には至らなかったと云う感じではなかろうか?

山崎峠(宮城福島県道107号赤井畑国見線)
http://www.henari1.jp/H-6-001-A.htm


なんだこのマークは!?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.32.49.991N37.53.51.161&ZM=9

廃道日記(Riding・Report)001-3(>>54から移転している)
http://dtm-rt.o.oo7.jp/3.dtm/6.ObRoad-Diary/project-2/001.kendou107/hido_deta2.html
考  察
〜鉱山の隆盛と七里沢隧道の放棄〜

 宮城県によれば今後もこの険道を正式な県道にする予定はなく、宮城県側の隧道及び接続道路は崩壊及び閉塞を持ってその人生を終える事となりそうである。隣にある県道46号線(小坂峠)で代用は十分に果たせるし、今後、飛躍的に交通量が増える予定もないからだ。
 隧道の竣工は「山形の廃道」様(http://www42.tok2.com/home/ht990/ )「全国隧道リスト」によると昭和28年である。当時、全長100m/幅3.2m(コンクリート改修部分の幅が記録されている。初期の素堀隧道の貫通・竣工は記録に無い。当然、中央アーチ部は幅2.5m程度しかない)の隧道を掘るのは大変な金額と労力を要したはずだ。因みに昭和11年の、宮城県内での地方費道路線認定(県道指定/準備)路線としては、ダントツに早く竣工している。これは昭和27年に一級国道4号/6号線が認定を受けた翌年に、隧道は竣工している事を意味する。(あの状態で、竣工というのも?)

そこでクローズアップされるのは七里沢鉱山の存在である。紫水晶や銅(亜鉛という資料もある)を産出する鉱山の最盛期は戦前・戦中であり、戦時中は鉱物は総て軍需産業に転用されただろう。実は当時の鉱山の廃墟がまだ残って(いる。…)面白いのは、この鉱山は独特のねじれ現象に徹頭徹尾振り回されたのだ、県境という立地条件故に。
 宮城県に在籍する鉱山「三安鉱山」は宮城の会社が運営し、主だった運営や労働者も宮城からが多かったようであるが、交通の地の利から掘り出した鉱石は福島に運び出され、東北本線藤田駅から各地に運ばれたのだ。

ここからは、全くの予想である。
 宮城県としては、昭和27年の道路新法による国道113号線の認定・整備(実際には28年)と共に、鉱石を宮城側に降ろす計画を立てていたのでは無いだろうか?すでに主立った関係者は宮城から出ているのだ。地元に対するその経済効果は計り知れないだろう。自動車の普及を見越して、国道開発に連動した県道延伸と考えるとつじつまが合う。そう考えると、途中から抗口を広げようとした意図も判る気がするのだが。

 ただ、想定外だったのは七里沢鉱山の閉鎖である。理由は不明だが可能性があるのは、隧道の計画時期より思った以上に鉱脈が細かったのではないだろうか?大正から昭和の初めはは紫水晶の産地として有名だった鉱山だが、その後は水晶より銅を生産していたらしい。国内需要の大きさの割に七里沢鉱山の埋蔵量はなく、隧道は貫通したところで、鉱山ごと放棄されてしまったのではないだろうか?
 また、産出する鉱物の価値が下がって、鉱山経営が成り立たなくなった可能性もある。この周辺は三安鉱山以外でも幾つか掘っている(試掘)らしくて、その時期もバラバラなのである。因みに三安鉱山は戦時中に一度倒れていて、その当時でも千人程度の抗夫が働いていたらしい。国見からも出資があり、また倒れたという資料も、昭和18年と鉱山統制がかかるころで、国の指針で戦争に必要な鉱床以外は閉鎖に追い込まれているはずなのだ。(軍需産業などと書いておいて、紫水晶が何に加工されたか知らないんですけど、掘り出されてるのはやっぱ銅?)
 因みに、現時点では戦後に三安鉱山が再起したのか?最終的な鉱山の放棄時期などについては、文献を見つける事が出来なかった。

247とはずがたり:2014/10/06(月) 11:26:43
廃物件発見!
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/r7/r7-00.html#ob

場所はここ
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.43.24.097N34.45.52.874&ZM=11

残念ながら県道傍で人目があるし,錦秋湖みたいに広くない溜池は立ち入り禁止で有刺鉄線も貼られてるんでよっきにあの橋の上に立ってくれとはいいづらいw

249とはずがたり:2014/11/01(土) 17:01:28
掛川スレで紹介したホムペ( http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/134http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/137 )だけどより本格的な中身っぽいのでこちらに。

(仮名)水窪地頭方第一隧道
http://d.hatena.ne.jp/cocora/searchdiary?word=%2A%5B%C5%B4%C6%BB%5D

250とはずがたり:2014/11/01(土) 19:12:33
これはレアでは!?

廃止された県道(廃道では無い・県道そのものの格下げ)に眠る白塗りされたヘキサ!
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/138-139

251とはずがたり:2014/11/01(土) 19:22:56
孔さ行がねが♪

2010-11-09
掛川市遊家 - 遊家隧道は存在するのか?
http://d.hatena.ne.jp/cocora/20101109/1289255118

252とはずがたり:2014/11/01(土) 19:30:02
よっきは未だレポしてないのかな?早川町だから絶対行ってるよねw

2012-11-04
山梨県道37号線 - (旧)角瀬トンネル
http://d.hatena.ne.jp/cocora/20121104/1352042470

253とはずがたり:2014/11/06(木) 15:54:32
【旧道倶楽部】
住道駅から近鉄八尾駅迄r21八尾枚方線の旧道(っぽい道)を辿ることが出来る

起点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.37.36.969N34.42.20.475&ZM=10

(都)大阪生駒線との交点。
此処で大阪生駒線は一旦終わっている。俺が旧道に気付くきっかけとなった箇所。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.37.26.608N34.41.34.540&ZM=9

現道との交叉部
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.37.1.585N34.40.51.019&ZM=9

中央大通りとの交叉部である横枕交叉点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.40.384N34.40.31.445&ZM=9

若江岩田駅の横
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.37.472N34.39.35.616&ZM=9

再び現道との交叉
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.29.283N34.38.46.683&ZM=9

萱振町2
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.29.385N34.38.1.894&ZM=11
直ぐに八尾中央線から離脱

八尾中心街(旧市街?)
この辺迄一本道
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.6.995N34.37.36.416&ZM=11

254とはずがたり:2014/11/06(木) 16:09:10
【旧道倶楽部】
168の生駒市付近

起点(R168現道より分岐)
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.41.57.563N34.44.25.458&ZM=8
終点(R168(南田原BPが出来て旧道に成っている)へ合流)
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.23.790N34.42.52.167&ZM=9

で,昔はr142+r104経由だったと仮定して,更に
分岐擬定点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.41.59.545N34.42.6.354&ZM=10
擬定旧道が明瞭に開始する点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.2.233N34.41.53.615&ZM=10
市道13号との交叉点。昔はここ(13号線側)に稲蔵神社の鳥居があったそうな
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.19.067N34.41.35.046&ZM=10
終点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.31.351N34.41.9.838&ZM=10

壱分付近
旧道?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.38.796N34.40.23.297&ZM=10

255とはずがたり:2014/11/08(土) 08:58:04
>>250を見に行く途中,この辺,流された木の廃橋があった♪
まあ大した遺構ではないけど,河原で遊んでいる内に時間なくなり原田森線に辿り着けなかった(;´Д`)
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.56.44.170N34.50.48.119&ZM=8

256とはずがたり:2014/12/15(月) 07:55:36
昨日決行。

R163から沈下橋を経由して入ってみてこの辺で断念
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.57.42.436N34.44.57.184&ZM=8

r4から入ってみてこの発電所付近で断念
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.57.50.278N34.44.26.773&ZM=8

257とはずがたり:2015/01/05(月) 09:58:51
名豊道路の豊川為当IC〜蒲郡ICの欠環部の連絡にr368国坂峠から数年前に知らん間に無料化されていたr525三河湾ドライブウェイに入ってみた。

ここ(三河湾ドライブウェイから市道への連絡路)廃道になってた。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.15.38.589N34.51.2.301&ZM=10

ここから三ヶ根側は通行止めになってた。特に表示にも気付かなかったのでいきなりの印象
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.13.43.773N34.51.56.593&ZM=10

途中も枯れ葉が結構路側に溜まっていて荒れた印象。

それは兎も角通行止にやむなく岡崎の看板に从い山を降りる。R1に合流は名電山中付近であった。

258とはずがたり:2015/01/16(金) 09:58:28
中央高速中部山岳ルートについて
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/3362-3363

この頁↓も更新しないと♪

妄想!新中央道
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html

妄想を完成させるには中部横断道の富士川との交叉部をはっきりさせないとあかんね。

259とはずがたり:2015/01/16(金) 21:17:24
>>258
本邦(多分)ネット初公開♪
中央高速比較代替ルート道志線地図(`・ω・´)
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html#doshi

またまた多分この縮尺ではネット初公開♪
中央高速,中部山岳貫通ルート地図(`・ω・´)
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html#akaishi

いやあ萌えますねぇ,否,寧ろ燃えるわあ♪♪

260とはずがたり:2015/01/16(金) 21:36:24
縦断図もアップ♪
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html#juudanzu

261とはずがたり:2015/01/18(日) 11:57:17
早川町のr810の終点(実際は起点)の雨畑から更に遡上した稲又から稲又谷を登り,青薙山の下を硯島トンネルで抜けて出てくる井川はこの辺,地名で云うと田代付近http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.11.57.938N35.21.49.458&ZM=8と思われる。

因みにインターの接続道路は「調査報告書」に拠ると大井川ICに関しては県道井川静岡線となっているが,現在その様な路線は無い様で,井川地区へのアクセスする主要地方道はr60南アルプス公園線(昼居渡[R362に接続]〜小河内[東俣林道に接続]・1973年認定)とr27井川湖御幸線(大日峠北麓〜御幸通・1960年認定)である。両線を併せた様な静岡から井川を結んでいた県道が調査のあった昭和30年代前半(1960年前頃)にはあった様だが詳細は不明(現時点ではwikiで調べたのみだけど)。

更に大井川IC付近はそのr80ですらなくその先の一般車通行止め(法面等が大変不安定なため、ゲート管理をし一般車両の通行を禁止http://www.city.shizuoka.jp/deps/rindou/rindoutuukoukiseihigasimata.html )の東俣林道上である様だ。

下の東俣林道の「6.49キロ 畑薙橋を渡る。」付近であろうかと思われる。凄い何も無さそうな所だ。

我流かもしれないMTB整備と林道ツーリング
林道東俣線 (静岡県静岡市葵区)(その1)
http://dts3800.blog117.fc2.com/blog-entry-277.html
走行日 平成24年8月25日

262とはずがたり:2015/01/18(日) 17:55:11
2014年10月25日(土) 15時46分掲載
秋の林道 JAF救助要請相次ぐ
秋の林道、深入り禁物 迷う、脱輪…JAFへの救助要請相次ぐ
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6136110

 各地の山が紅葉狩りやキノコ採りなどでにぎわう中、林道からの救助要請が日本自動車連盟(JAF)山形支部に相次いでいる。多くが道に迷ったり、脱輪したりしたとの内容だ。共通する原因は誰も知らない「穴場」を求めて深入りしたこと。林道は道幅が狭く、ガードレールがない区間も多いため、路肩から転落する危険性も高い。同支部は「通り抜けられるか事前に確認するのはもちろん、不安な場合は安易に入らないでほしい」としている。(山形新聞)

263とはずがたり:2015/01/20(火) 10:45:34
【r35久坂中ノ畑小浜線・r23小浜朽木高島線・おにゅう峠】
おにゅう峠(滋賀県側では小入,福井県側では遠敷。)は俺も制覇済みだ。しかも後輩たぶらかして,しかも走り屋仕様のインテTypeRで♪(・∀・)←攻める峠の種類間違ってるww正直済まんかったm(_ _)m
で,上根来の記事を読んだ時は全然気付かんかったけど,なんだあんとき通った筈の集落じゃねーか!!r23の未通区間がおにゅう峠だと間違えて記憶してた。
r23と云い,r61の祖父谷峠とか限界集落解体論者の俺としても主要地方道としてちょいと開通させて欲しいとは思ってしまう。前者はR303,後者はR162が併走しているから全く問題ないんだけど。。

r35未通区間の脇にある上根来(かみねごり)集落はこんな所
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1066974699/4727-4728

■この道往けば
林道上根来線編
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/11993556.html
>正直、今回の訪問(実は仕事関係で来ることになった)は仲間が大勢いたこともあって、前回感じた恐怖を感じることはなかったです。←仕事で来れるなんて羨ましい(;´Д`)

>この林道が小浜から滋賀県に抜けることができる唯一の道です。
県境にはおにゅう峠(レポ未)という峠が控えていて、実は今回の探索の最大の目的はこいつだったのですが、あえなく土砂崩れ通行止め・・・。

福井県道35号久坂中ノ畑小浜線
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/12002102.html
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/GALLERY/show_image.html?id=12002102&no=9

■おにゅう峠/滋賀県と福井県を繋ぐ絶景林道ツーリング
http://touge1000.com/touge/4939/

>ストレートに打ち付ける山風。左右に広がる絶景。見上げた山肌には、折り重なるガードレール。なんて気持ちのいい林道なんだ。おにゅう峠に至る林道小入谷線は、ツーリング冥利に尽きる尾根を通す峠道になっていた。

>この違和感を感じるほどの明るく清々しい小入谷林道を上り切ると、生まれて間もない「おにゅう峠」に到着した。路面には、くっきりと福井県と滋賀県との県境が表れている。滋賀県側の林道小入谷線は、舗装林道。一転、福井県側の林道上根来線は、ダート林道と国境が明確に分かる。

おにゅう峠・Pass Hunting NO.103

調査:2014/05/03(土)
峠名:おにゅう峠(おにゅうとうげ)
路線:林道小入谷線(朽村側)・林道上根来線(小浜市側)
所在:滋賀県高島郡朽木村小入谷∧福井県小浜市上根来
座標:35.38686,135.79185
標高:830m、路面:オンロード&オフロード

■おにゅう峠 林道小入谷線
http://www.asahi-net.or.jp/~tk6k-oowk/touge/touge_onyuu.html

■福井県道23号主要地方道小浜朽木高島線
山奥へ分け入る若狭のダート道
http://turkey.6.pro.tok2.com/fukui023.html
>柱をよく見てみますと池河内林道起点との銘板が貼ってありました。ここから先は林道になるようです。

>林道起点の銘板より振り返ります。r23は右を流れる松永川を渡り三番滝まで続いているようですがどこから分岐しているのかよくわかりませんでした。

↑地図ではこの辺。道なりが林道で県道は曲がるようだ。
上のブログの写真にも特に分岐道は写ってないので山道みたいなものかもしれない。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.49.50.018N35.25.50.238&ZM=9

264とはずがたり:2015/01/20(火) 12:04:08
これはずげえ。こんな所に災害復旧ということで高率で国費が投入されるのは我慢ならんな。
とっとと指定解除して廃道にすべきである(;´Д`)
集落跡の記述をみると歴史の重みも感じざるを得ないのであるけど。。

r10はr27とともに金沢から砺波へ出る主要地方道。r10は湯涌温泉,r27は医王山経由。r27の整備っぷりは素晴らしい。

【日本最凶険道】開かずの富山県道54号線@2013−OP
https://www.youtube.com/watch?v=NSrazCJSg20

富山県道54号福光上平線
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9354%E5%8F%B7%E7%A6%8F%E5%85%89%E4%B8%8A%E5%B9%B3%E7%B7%9A
古くは塩硝街道とよばれ、五箇山で産出した塩硝を金沢まで運ぶ重要なルートであった。

沿線集落跡[編集]
刀利:刀利集落はダム水没に伴い、1961年(昭和36年)に解村式を行い、1963年(昭和38年)に廃村。水没地東方山頂に刀利城跡があり、城主は宇野宗右衛門で佐々成政、前田利家に仕えたという。刀利は下刀利と上刀利に分かれ、現在の刀利山崎公園の直下、標高554mの丸山の南方に下刀利、700mほど上流に上刀利があった。上刀利には学校があった。
瀧谷:上刀利の更に上流にあった集落。ダム水没に伴い、1961年(昭和36年)に解村式を行い、1962年(昭和37年)廃村。
中河内:刀利ダムからの水没は免れたが1966年(昭和41年)に解村式を行い、廃村。現在は無住地。現在の国土地理院の地形図には地名すら載っていない。福光町立南部小学校中河内分校・福光町立福光中学校中河内分校跡の石柱が立てられている。この地は江戸期には遊廓があり、「中河内で見たような女郎が、今朝は湯涌の町で見た」の小唄[1]が残されている。昭和初期まで、ここから赤堂(あかんどう)山、大倉山を越えて、石川県石川郡犀川村の倉谷集落に通ずる道があった[2]。
下小屋:猿ヶ山西麓にあった集落。中河内と同様、刀利ダムからの水没は免れたものの、1966年(昭和41年)に解村式を行い、廃村。現在は無住地。現在の国土地理院の地形図には地名すら載っていない。福光町立太美山小学校下小屋分校跡の石柱が立てられている。昭和初期まで、ここから月ヶ原山を越えて、石川県石川郡犀川村の倉谷集落に通ずる道があった。1821年(文政4年)8月測量の『三洲測量図籍』[3]によると、「下古屋」とある。

気になったので逝ってみた。←女性あ8あいだオブローダーの方みたいだ♪
富山県道54号
http://www.geocities.jp/classicmegu/kiniikir54.html

平成9年頃は乗用車でも通り抜けれたのですが、今は完璧に四輪を阻む体勢。
東海北陸自動車道が併走して開通した事もあり、
後は放置&廃道の一途を辿っています。
ヘタレなおばちゃんですので、こういった道は徒歩と逝きたいワケですが
距離が長いしブナオ峠ってのを越えなくちゃあかんので、体力的に無理と悟り
レイドでおっかなびっくりの突撃となったのです。

使用車TT250Rレイド 2006.6.11探索

265とはずがたり:2015/01/23(金) 13:04:30
>>97-98>>219-223>>258-261
JSCEは日本土木学会。

2013年7月31日水曜日
第6回 元本四公団総裁 山根孟さん(後編)
http://blogs.jsce.jp/2013/08/6.html

■東条英機に却下された高速道路計画
山岡 … そもそも、高速道路の構想は、戦前まで遡るのですね?

山根 はい。高速道路建設の基礎調査が初めて、正式に行なわれたのは1940(昭和15)年〜1942(昭和17)年です。当時の内務省土木局が「重要道路整備調査」の一環として行なっています。民間でも同じ年に「東京〜下関間幹線道路建設促進同盟」が誕生し、「弾丸道路」という呼び名で高速道路への関心が高まりました。当時、ドイツでヒトラーが進めていたアウトバーンの高速道路網建設に刺激されたのです。…

山岡 政治を牛耳っていた軍部は、高速道路の建設に前向きだったのでしょうか。

山根 それにはエピソードがあります。内務省土木局は、「全国自動車国道網計画(5,490km)」をまとめます。その最優先区間として東京〜神戸をあげ、このうち名古屋から神戸間を緊急区間として実施計画を策定しております。名古屋〜大阪間は「木津川ルート」(いわゆる名阪国道)の計画です。この名古屋〜神戸間の高速道路建設費を2億円と概算し、予算要求を行なうことになりました。
それで、内務省の省議に予算案を提出した。当時の内務大臣は陸軍出身の東条英機です。東条大臣は、その案をひと目見るなり、「土木局は気が狂ったのか」と、差し戻したそうです。戦争遂行には莫大な国費がかかるのに、何を考えているのか、狂気の沙汰だ、との思いからでしょう。当時、東京と神戸の間の国道でさえ、自動車のすれ違いが困難な区間が多く、トラック輸送などの面で高速道路のニーズは高かったのですが……。戦局が悪化した1944年には、国鉄の新幹線計画と同時に高速道路調査も打ち切られました。

■ワトキンス調査団の秘話―政治家秘書の胆力
山岡 …高速道路建設が動きだすのは、やはりサンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、日本の主権が回復してからでしょうね。

山根 『高速道路と自動車』(現在の公益財団法人高速道路調査会発行の月刊誌)という雑誌で、「ワトキンス調査団報告45周年記念座談会」(2001年2,3月号)が行なわれ、そこで戦後の高速道路建設の始まりについて、興味深い話が開陳されています。1952年に、電源開発の高碕達之助総裁が、大学の研究者だった川本稔さんという方を秘書に登用し、吉田茂総理がヨーロッパ経由でアメリカへ行くのに同行せよと命じます。吉田総理は、東京から神戸まで高速道路をつくることに非常に熱心で、これまでにもドイツのアウトバーンやアメリカの高速道路を視察したりしていましたが、この時には資金面のメドをつけようとしていたようです。

山岡 高碕達之助は、水産技師から会社経営者、政治家に転身した人ですね。戦中は、満洲重工業総裁を務めました。日産コンツェルンの鮎川義介とも親しい。いわゆる満洲閥の人材で、電源開発総裁として佐久間ダムの建設にも尽力しています。戦後の道路や電源開発などの公共事業は、満洲閥の力で進められていますね。

山根 ええ、満洲で試みられた手法が、戦後の国づくりの実践に活かされた面はあるでしょう。高碕総裁の秘書となった川本さんは、もともと土木とは縁のない方でした。建設省の職員から2週間、昼夜兼行で道路に関するレクチャーを受け、米軍に掛け合って日本列島の立体地図を入手し、そこに高速道路のルートを全部描き入れて、吉田首相と一緒にアメリカへ渡ります。その後の顛末がおもしろい。座談会から川本氏の発言を引用しましょう。

266とはずがたり:2015/01/23(金) 13:06:25

 川本「吉田総理の考えは、当時、余剰農産物資が日本にどんどん入り、その資金である円がかなり溜まっているので、それを使わせてもらう交渉をしようということだったんです。しかし、ワシントンに乗り込んだところ、私の出番どころか初めからそれは潰されまして、吉田さんが私に、『残念だったけれども、ウォール・ストリートの法律事務所に君を預けるから、トールロード(Toll Road有料道路)のボンド(起債)を勉強してくれ』ということでニューヨークに私は預けられました(略)。  ……資金の問題でワールド・バンク(世界銀行)に行き、ミスター・ドールという日本の担当者に会い、『日本は道路をつくりたいんだ、金を貸してくれ』と言ったら、『ノー、日本は道路なんかいらない。日本はインシュラ・カントリー(島国)だから、マーチャント・マリーン(海運力)をもっと発展させろ、それが一番早道だ』という答えが返ってきました。私は『しかし、日本政府はどうしても道路が欲しいと言っているんだ。私は場合によってはアメリカの一流の専門家を日本へ連れて行くけれども、レポートを書いたら見てくれるか』と申したところ、『必ずしも金を貸すというわけにはいかんが、レポートはいつでも見てやる』と言われました。『ああそうか』ということで、私はワトキンスさんに頼んで、人選をしていただいたわけです」

山岡 なるほど、そこから「ワトキンス調査団」が編成され、あの有名な書きだし、「日本の道路は信じ難い程悪い。工業国にしてこれほど完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない」で始まるレポートができるのですね。レポートを契機に道路づくりが始まります。それにしても、川本氏の世銀相手の粘り強い交渉力には感服します。…

■東海道と中央道を巡る大論争の始まり
山岡 さて、日本を調査したワトキンスは名神高速道路の経済的・技術的妥当性をまとめた報告書を提出、1956年8月帰国します。そこには「東京から名古屋までの中央道案は東海道案の代替案ではなく、経済開発のために望ましいもうひとつの計画である」としています。東名が先か、中央が先かで、政治を巻き込んだ大論争へと発展しますね。中央道と東海道の先陣争いです。

山根 中央道の大の推進者は、青木一男先生です。発端は1955年に議員立法として国会に提出された「国土開発縦貫自動車道建設法」でした。海岸線を走る道路ではなく、日本の内陸部を縦に背骨のように貫く高速道路を建設するための法律です。青木先生は、この立法に財政の専門家として関わられました。

山岡 青木さんは、大蔵官僚出身で、戦前から戦中にかけて大蔵大臣、大東亜大臣を歴任し、戦後、A級戦犯容疑で収容、釈放されてからは、参議院議員として政界で活躍された人ですね。お孫さんが民主党の参議院議員だった小宮山洋子さん。

山根 青木先生の見解は「わが国の産業、人口は特定の地域に集中しすぎている。交通の便をよくすることによって、今まで遅れている地方を開発し,人口の分散を図ることが国策の基本である」、「高速道路建設は自力でできる。お互いに働いて貯蓄し、それで高速道路を建設して子孫に残すべきである」という論旨です。

山岡 ああ、郵便貯金を使った財政投融資の発想ですね。財投は、明治に郵便貯金制度ができて間もなく始まった。その後、大蔵省資金運用部が担当しています。

■名神高速道路の着工と中央道・東海道論争の激化
山根 ワトキンス調査団の来日に先立ち、1956年4月、高速道路の建設・管理を担う日本道路公団が発足しております。57年4月には、国土開発縦貫自動車道建設法、高速自動車国道法が成立、公布されました。翌5月、国土開発幹線縦貫自動車道建設審議会が開催、名神高速道路の審議が進められ、10月15日、その整備計画が決定されました。これにより、名神高速道路の施行命令が発せられ、建設が始まることになりました。これには世銀借款が導入されます。
 これを機に、中央道・東海道論争が激化します。東海道を優先すべきだとの猛烈な運動に対し、青木先生は、東京・山梨・長野・岐阜の各知事、議長などの関係者を糾合して建設推進委員会の委員長に就任し、政治の舵取りをします。自民党内でも東海道派と中央道派に分裂、深刻な事態になりました。たまりかねた村上勇建設大臣が、「どうか中央道側で譲歩して東海道案も認めてもらいたい。中央道については、政府と自民党で建設促進の保証を与える」と青木先生に申し入れます。それで折れて、東海道案を認めることとなりました。
 1960年7月、中央自動車道の路線を定める法律(東京〜小牧間)と東海道幹線自動車国道建設法の両法の制定となり、62年5月、中央自動車道の東京富士吉田間と東名高速道路の東京〜静岡間の施行命令となります。63年10月には、東名高速道路の施行命令は全線にわたりました。

267とはずがたり:2015/01/23(金) 13:10:20
>>265-267

 中央道、東海道、両方の高速道路の同時着工が正式に認められ、いざ予算の配分。ここに至って、こんどは大蔵省と経済企画庁の事務当局が中央道着工反対の方針に固執します。東海道を先に通して、経済発展の果実をもぎ取りたいわけです。『道を拓く』という本に、青木先生がその顛末を寄稿しておられます。政府が東海道を先にして、中央道を後回しにするなら、重大な決心がある、と大平正芳官房長官と前尾繁三郎幹事長に対して、次のようにおっしゃいました。

青木「この期に及んでも東海道の建設費だけが先に決まって、中央道はあと回しになるということになるならば、自分は何の面目があって各県の諸君にまみえるのか。自分は当然責任をとるつもりである。しかし、その前に自民党と政府がいかに信用のおけないものであるかを天下に表明し、その上で自分の進退を決するが承知されたい」

山根 大平官房長官も前尾幹事長も大蔵省では、青木先生の後輩ですから、青木先生の有言実行の性格はよく知っています。そこから政府、自民党とも中央道を放置するわけにはいかなくなり、建設予算がついたんです。

■中央自動車道は、なぜ諏訪経由になったか? 青木一男の決断
山岡 中央道には政治の場での闘いが反映されていますねぇ。当時のマスコミの論調を見てみますと、中央道には批判的です。1959年12月29日付の読売新聞は「再考を要する中央高速道路」と題して、次のように論説しています。
「(建設省がまとめた中央道路線についての)報告書の結論としては、山岳道路につきものの豪雨、降雪、凍結、霧など気象的な悪条件の重なりと、勾配区間やトンネルが多いことから走行速度が制限されるため、高速道路としては不適である点をまず指摘している。さらに全長二九五キロのうち五割までがトンネル、橋梁などの構造物で占められているため、建設費は三二〇〇億円の巨額に達し、(中略)有料道路として非採算的であると結んでいる。この報告で明らかにされるまでもなく、中央道については、かなりの疑点がある」

山根 当初の中央道の計画は、富士吉田から身延町を経由して、飯田市に至ることになっていました。南アルプスを貫くわけです。この間に全長8,058mの赤石トンネルはじめ大小多数のトンネルがありました。世界一金のかかる道路建設になりそうでした。青木先生も、そのことは承知のうえで東海道との同時着工にこぎ着けた。
 しかし、その後、ご自身が欧州へ視察に行き、フランスとイタリアを結ぶモンブラン・トンネル(全長12,000m)の建設現場に赴き、大規模で困難な工事を目の当たりにして、建設省や道路公団の反対論にも理由があることを痛感します。帰国すると、従来の赤石山脈をぶち抜く案を変更し、諏訪地方を経由するルートに改めると提案したのです。

山岡 ははぁ。それで諏訪経由に変わるわけですか。一説には、青木氏が長野出身なので“我田引道”とばかり、自分に都合のいいように変えたとも言われていましたが……。

山根 いや、違いますね。赤石山脈を迂回するために諏訪経由にしたのです。

山岡 …急に予定していた高速道路が通らなくなった身延町とか下部町、長野県下伊那郡の町村などは、話が違う、と大反対したでしょう。

山根 そこから、また青木先生が、政治力を発揮して関係各団体を説得して回られました。ルートから外れた自治体には県が道路整備を重点的に行なうとか、手当ても用意されました。

■高速道路の全国展開へ

山根 1963年7月関越自動車道建設法、以後、東海北陸、九州横断、中国横断と自動車道建設法の立法が相次ぎ、国土開発縦貫、東海道幹線をあわせ、6建設法により、13路線、約5,000kmが定められました。建設省はこれらを包含し、全国にわたる自動車道路網32路線7,600kmを策定、国土開発幹線自動車道建設法を提案、1966年7月公布に至りました。同年同月には、中央道の甲府〜小牧間、東北縦貫道の岩槻〜仙台間、中国縦貫道の吹田〜落合間、美祢〜下関間、九州縦貫道の粕屋〜託麻間、北陸道の富山〜武生間の整備計画が決定、施行命令が発せられ、高速道路の建設は全国にわたります。…



268とはずがたり:2015/01/24(土) 20:20:15
国道に係わるあまりにもマニアックなクイズ
2014年05月08日 22:13
http://roadkawasaki.blog36.fc2.com/blog-entry-220.html

269とはずがたり:2015/01/26(月) 10:30:50
黒森峠
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E141.23.7.836N40.1.43.884&ZM=9

主要地方道 葛巻日影線(旧:葛巻安代線)
[ 2004/11 撮影 ]
http://www.geocities.jp/nocty_bypass/douro/2_touhoku/r30.html

道路レポート 岩手県主要地方道葛巻安代線 黒森峠
http://yamaiga.com/road/kuromori/main.html
探索日 2005年4月

土曜ワイド工場
道のない県道に挑む
http://portal.nifty.com/2008/07/19/b/
多分 2008年頃

270とはずがたり:2015/02/03(火) 08:16:07

原田橋は此処
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.47.40.056N35.4.44.483&ZM=9

原田橋が落ちると二時間半掛かるってのはこの辺(旧龍山村)経由して佐久間市街迄てことか?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.49.6.188N34.59.51.292&ZM=8
東栄や二俣出た方が近そうだな。。

崩落の橋付近に仮設道路設置へ 浜松市
http://news.goo.ne.jp/article/chuplus/region/chuplus-CK2015020202000085.html
中日新聞プラス2015年2月2日(月)05:00

\◆着工時期は未定
 浜松市は一日、土砂崩れによってつり橋「原田橋」(同市天竜区佐久間町)が崩落し、不通となっている国道473号の付近の天竜川河川敷に、仮設道路を設置する方針を明らかにした。事故現場の安全性を確認し崩落した橋の撤去などが済み次第、着工する。ただ、着工時期は未定で、完成しても天竜川が渇水期の五月末ごろまでしか利用できない。原田橋を利用していた住民は当面、車で対岸に出る場合、二時間半の迂回(うかい)を強いられる。
 仮設道路は、天竜川に樹脂製の大型パイプを並べて川の水を通し、その上に盛り土をして車が通行できるようにする。鈴木康友市長は「住民も困惑していると思うので、なるべく早い時期に仮設道路を造り、不便をかけないようにしたい」と市役所で記者団に述べた。天竜川の水量が増え、仮設道路が通行できなくなる六月以降の対応は、今のところ決まっていない。
 鈴木市長は同橋から約十五メートル下流に建設中の新原田橋について、「一五年度中に供用開始の予定だったが多少影響が出てくるだろう」と、開通が当初の予定よりも遅れる見通しを示した。

◆原因解明 長期化も
 浜松市天竜区佐久間町で三十一日、国道473号の原田橋(百三十八メートル)が崩落し、橋の上で土砂崩れを監視していた市職員二人が死亡した事故で、静岡県警は一日、予定していた実況見分を見合わせた。現場近くの斜面で小規模な落石が相次ぎ、二次災害の恐れがあったため。事故原因の究明が長期化する可能性もある。
 現場近くには天竜署員を中心に二十人以上が待機したが、石や土砂がひんぱんに落ちる不安定な状態が続き、三時間ほどで切り上げた。午後には浜松市の鈴木康友市長も現場を訪れ「予想だにしなかった」と厳しい表情で話した。土砂崩れ監視中の事故だったため、「橋上でなく対岸から監視する方法もあったかもしれない」と監視方法を見直す考えを示した。
 土砂崩れのあった周辺は日本最大の断層帯「中央構造線」に近く、過去の断層のズレで岩盤が劣化し、崩れやすいという。
 土砂崩れが起きた斜面は、市が優先的に防災対策をする国、県道の「要対策箇所」三百八十五カ所には含まれていなかったが、市は「近くに迂回(うかい)路がなく、災害で通れなくなると住民への影響が大きい」(道路課)として、今回土砂が崩れた山肌のすぐ上部に新年度、落石を防ぐ網二千平方メートルを張る予定だった。
 一方で、今回土砂が崩れた山肌にもすでに落石防止の網が張られ、それが根こそぎ崩れたため、市の担当者は「根本的に防災対策を見直したい」とも話した。
 浜松市の要請を受け、国土交通省中部地方整備局(名古屋市)も同日、上空からのヘリ調査班、橋梁調査班の計七人を派遣。二日以降、本格的な調査を進める。

271とはずがたり:2015/02/03(火) 09:07:01
R16東京環状線の形成過程は俺の中で解明されるべき課題の一つなんだけど,白井付近の地図をヨッキがみつけてきてる。

道路レポート 千葉県道280号白井流山線“木”狭区 後編
http://yamaiga.com/road/tpr280/main2.html
「実用道路地図北日本編」より
http://yamaiga.com/road/tpr280/old_2.jpg

残る謎はヨッキが「この辺りは,実際には該当するような道が見当たらない。」とある部分である。

土地区画整理で消えるなら解るが白井の旧中心部は北千葉NTの大規模造成区域から外れているので当然道が無くなることはあり得ない。

多分,現在では考えられない程狭隘な道が指定されていたのではないか,と云う事なんだが,それにしても解らない。
大島田付近が参考に成りそうだが,候補道路としてはこの辺だが,旧道は結構地図から辿れるもんなんだがなぁ。。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.6.3.061N35.45.55.156&ZM=10

272荷主研究者:2015/02/15(日) 01:11:19
>>270
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20150207/CK2015020702000078.html
2015年2月7日 中日新聞
崩落から1週間 新橋建設の判断難しく

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かる原田橋の崩落事故から七日で一週間。仮設道路は十七日開通が決まったが、すぐそばに建設中だった新橋の建設は、同じ場所で続けてよいのか判断できないままだ。区内には、山間部に架かる似たようなつり橋が四十一カ所ある。橋直近にある斜面の危険性を緊急点検する必要はないのだろうか。

 「今後、詳細な調査をする。まだ分からない」

 市土木部は四日の記者会見で、新橋がもう使えないのではとの質問に、こう答えた。土砂崩れの起きた斜面に亀裂が入ったかなど、建設コンサルタントに今後、地質調査を委託する。

 国土交通省国土技術政策総合研究所(茨城県つくば市)の玉越隆史・橋梁(きょうりょう)研究室長は「もう大規模には崩れない可能性もあり、対策をとれば建設を進めて大丈夫ということもありうる」と話す一方で、「二度と死者が出ないよう詳しく危険要因を調べるべきだ」と指摘する。

 事故現場周辺は落石の多い所で、「新橋架け替えの場所をもっと下流に」と望む住民の声が建設前にあった。

 市は当時、どこまで耳を傾けたのか。森下和市郎・道路課専門監は「地域の総意、合意は地元説明会などを通して得られたと考えている。一部反対が残るのでやめるというわけにはいかない」と話す。

 市は建設に当たり、両岸で道と橋をつなぐ橋台の下では岩盤を調べたが、今回崩れた斜面の地質調査はしていない。玉越室長は「斜面をどう見ていたかだが、どさっと崩れると思わなければ、斜面の地質までは調べないだろう」と市の対応にも理解を示す。

 つり橋は浜松市内に四十二あり、四十一が天竜区内に集中する。原田橋と同じように、橋をつるケーブルを斜面に固定するアンカー式も少なくない。山間部で長い橋を架けるのに適しているためだ。

 森下専門監は「今回は大量の土砂でつり橋のケーブルを引っ張る主塔が倒れ、それに引っ張られて斜面に打ったアンカーが抜けたのではないか」と話す。つり橋自体に危険があるとの見方には否定的だ。

 市土木部は「まず崩落現場の調査をし、それを踏まえ、他のつり橋周辺の斜面も調査するか、検討したい」としている。

(勝間田秀樹)

273とはずがたり:2015/02/27(金) 09:18:01
>>230

3177 :チバQ :2015/02/22(日) 13:27:16
http://www.asahi.com/articles/ASH2P625VH2PTIPE012.html?iref=com_rnavi_arank_nr01
朽ちる「軍艦島」どう残す 迫る倒壊…保存法探る
山崎聡、池田良2015年2月22日00時31分
 長崎市の沖合に浮かぶ軍艦島(正式名・端島)。炭鉱の閉山後、約40年間無人となっている「廃虚の島」だが、近年、独特の外観が映画のロケ地や観光スポットとして人気を集め、この夏はユネスコ世界文化遺産登録に期待がかかる。一方で島のシルエットを形作る建物群は刻々と崩壊しつつあり、保存への模索が続く。市の許可を得て、普段は立ち入り禁止の区域に入った。
 近代日本の産業を支えた炭鉱の島はいま、どうなっているのか。4日朝、長崎市の許可を得て、軍艦島で建物の劣化状況や補強手段を探る大学の研究グループに同行した。

 暗い鉱員社宅に足を踏み入れると、天井や壁がはがれ、床や階段に散乱していた。高層階の柵はほぼ朽ち果て、屋上の庭園は草が生い茂っていた。

 この島には日本最古の鉄筋コンクリートアパートがある。築99年。劣化が進み危険なので上層階に上れない。吹き抜けから四角く曇り空が見えた。

 かつての小中学校は基礎がむき出しになって海水にさらされ、芝浦工業大の浜崎仁准教授(コンクリート工学)は「倒壊は時間の問題だ」と漏らした。

274とはずがたり:2015/03/01(日) 11:29:32
2010年の記事。

>鉱山としてはまだ採掘可能でしたが、1987年に閉山されました
そのうち復活だな♪

>1912年にロープウェイが設置され、1929年に輸送力増強のため鉄道が開業しました。
索道って云って貰わないと気分が出ないぜw

2010年10月04日 15時00分05秒
運賃1円で乗れる「1円電車」が23年ぶりに常設で復活へ
http://gigazine.net/news/20101004_akenobe_1yen_train/

かつて日本に運賃が1円という全国最安の鉄道がありました。それが明延地区の鉱山鉄道(明神電車)です。これは、兵庫県にあった明延鉱山への輸送のために作られた鉄道で、1987年に鉱山が閉山となったことで廃線となりました。

その後、長らく使われていませんでしたが、2007年に経済産業省の近代化産業遺産認定遺産リストに選定されたこともあり、「ふるさと明延まつり」で仮軌道を敷いて20年ぶりに運転が行われました。その後も1年ごとにイベントで運転が行われていましたが、いよいよ常設の線路を設置して復活することになったそうです。

兵庫県の明延鉱山は日本一の鉱量を誇るスズ鉱山で、平安時代には採掘が始まっていたそうです。鉱山から神子畑にある選鉱所まで鉱石を輸送するため1912年にロープウェイが設置され、1929年に輸送力増強のため鉄道が開業しました。

鉱石輸送用の鉄道でしたが、鉱山で働く人のために人員輸送も行うようになり(当初は無料)、1949年から50銭、そして1952年からは1円で乗れるようになりました。このため「1円電車」と呼ばれるようになりましたが、このことが広く知られたことで興味本位で訪れる人が多くなり、運行に支障を来して正常業務ができないという状況にまで陥ったため、やがて部外者の乗車は禁止になりました。

鉱山の最盛期には鉱山関係の人口が4000人、娯楽施設には芸能人が訪れてショーをするほどの規模を誇りましたが、1985年のプラザ合意で急激に円高となりスズなどの市況が下落して赤字を出すことになり、鉱山としてはまだ採掘可能でしたが、1987年に閉山されました。1円電車もこのとき同時に廃線となりました。

鉄道は長らくそのままとなっていましたが、2007年に経済産業省が(PDFファイル)近代化産業遺産認定遺産リストに「生野・明延・神子畑鉱山関連遺産(通称:鉱石の道)」の一つとして「明神電車と蓄電池機関車」を挙げたこともあり、同年に行われた「第1回 ふるさと明延まつり」で仮軌道での復活を遂げました。

その後は1年ごとにイベントの中で機関車をレンタルして運転を行ってきましたが、今年からは常設軌道を敷き、機関車を購入して本格的に復活することになったそうです。軌道は旧社宅跡に敷かれ、全長は70mでカーブも体験できるJ字形。ちなみに、明神電車は現在も軌道が600mほど残されているそうで、地元としてはいつか600mを走らせたいと考えているそうです。

お披露目は10/24(日)開催の「第4回 あけのべ一円電車祭り」で行われます。当日は無料で1円電車に乗ることができ、乗車した人には復刻1円切符がプレゼントされます。このほか、近代化産業遺産に認定された総延長600mの明延鉱山探検行動の見学会(入坑料が必要)や、あけのべ探訪スタンプラリーなども開催されることになっています。

275とはずがたり:2015/03/10(火) 14:41:01
道路レポート林道樫山小匠線内の
和歌山県道234号長井古座線
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main1.html

>本題からは離れるが、県道234号の行く末が気になるという人もいるだろう。
>私もその一人であったから、数分間脇道に逸れて、この県道がどうなっているかを追い掛けてみたところ――

>まず、左折直後は狭い道が(写真)、小匠集落の外れにある数軒の民家へ続いている。
そして民家を過ぎるとすぐに小匠川を橋で渡るのだが、この橋が軽トラ専用といった感じの狭さであった(写真)。
>橋を渡ると未舗装になり、畦道然とした道が小匠川の右岸に伸びているが、県道はこの道ではなく、橋を渡った直後に右の山の中へ入る。
>ただしそれは図面上のことであって、実際には道らしいものが見あたらなかったので、結局、小匠側の県道が辿れるのは、この名前も分からない橋までという事になるだろう。以上である。

こうr234長井側の終端部記述しているよっきであるが,地図だとこんな感じである。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.53.975N33.35.54.393&ZM=11

この地図だと太い橋に見えるのが,このhttp://yamaiga.com/road/kodakumi/kodakumi_15.jpg軽トラサイズの橋なのか?橋を渡って終わりという記述にも合致する。

しかし図面上の道ってのはこの橋の直ぐ上の川をどうやって渡ってゐるか解らないより細い道なんでわなかろうか??

この道はほぼ古座側の終端点まで峠付近の数百mを除いて山道として繋がっている様に見える。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.51.8.181N33.34.58.501&ZM=9

276とはずがたり:2015/03/10(火) 15:57:13
>>235>>275
周辺は王子製紙の植林地の様である。森の中の道が美しそう。
また凄い山の中のイメージだけど
>実際の標高は僅か130mほどでしかない
>直線距離ならば海までは10kmと離れていない
そうな。

紀伊山地の隔絶した山の中の印象だが随分海に近い。
それにしても小匠から一寸行っただけで高野・山手川・樫山と魅力的な廃道・廃村とは和歌山県奥が深い。(ただ過疎ってるだけとも云えるけど。。)

道路レポート 林道樫山小匠線  (山手川への脇道編)
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main9.html
明治当時の里道(地図中の二重線の道)は、「高野〜(峠)〜山手川〜クジヤ平〜(峠)〜樫山」のルートであり、現在の川沿いの道は未完成だった。

場所はこの辺
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.28.897N33.34.43.382&ZM=7

この山越えの道について,最近ツン読した『峠の歴史学』服部英雄 2007年 朝日新聞と云う本に,昔の道は
>川沿いに道がつけられていることは意外に少なかった。なぜなら川沿いの道は山腹,崖の崩壊など災害に弱く,崩落の危険が常にあったからである
とあったがその法則に此処も合致していたと云えよう。(山の人工の道は水抜きを造って排水したのだそうな。また牛は橋の下が見えるとどんなにひっぱっても動かなくなってしまって使えなかったので橋は丸太の上にカマスを敷いてその上に土を被せたのだそうな(土橋)。)

クルマ社会になった現在では法面を固め,勾配を緩い川沿いが重宝され,更に昨今では長大なトンネルで一気に抜けるのが主になっている。

277とはずがたり:2015/03/10(火) 17:03:32
>>235>>275-276
驚異の河中道といい,豊富な水量見せつけられたし小匠ダムはギロチンを常時閉鎖して水力発電に使えないかとも思うんだけど(どうせ無人地帯やし古座川への道路は樫山林道が出来たしこちらは湖底に沈めても良い。道が必要ならこの辺http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.50.21.563N33.36.5.667&ZM=8に小匠集落から栃の川橋付近に直結するトンネルを掘るだけで良いな。→と思ったらなにやらふるさと林道小匠小森川線http://blogs.yahoo.co.jp/kumanophoto_ki/60690908.htmlとか造っとるやなないけーヽ(`Д´)ノ)

で,人が住まなくなってから立派な道路をガンガン通すのは本当に勿体ない。よっきはその辺に理解を示すから道路愛好家(道路とその利用者に対する愛がある。。)の限界なんだけどがんがん税金むしり取られてこんな所に無為にカネ棄てられるのはやるせない。

で,せめて発電ダムとしての利用の可能性も探りたい所だけど如何せん高低差が足りなさそうなのである。。ダムの標高が海抜25m付近ではねぇ。。しかし水量が豊富なんでベース電源的に常時一定量発電するのは行けるんではないか?

栃の川橋と集落の変遷
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main5.html

>徒歩道を示す破線は沢山描かれているが、より重要度が高い二重線の里道に着目すると、樫山〜クジヤ平〜山手ノ川〜高野を結ぶ山越えの道が目を引く。

>その一方で、定住者がなくなった集落へ、「遅ればせながら」といった感じの道路整備が進んでいる。
樫山では古座川町中心部へ通じる新しい林道が開通し、高野にも、長大トンネルを含む「ふるさと林道小匠小森川線」が通じた。

>もっとも、この時期の道路整備も無駄ではないと個人的には思う。
>定住者がいなくなっても、集落跡に山林などの財産や、お金に替えられない想い出を残している旧住民は多いだろう。
>廃村と共に道が廃れて辿り着けなくなってしまった集落跡は、本当に救いがない。

小匠ダム
http://yamaiga.com/road/kodakumi/main1.html

>それでは、満水時の湖面は一体どの程度の広がりを持つのだろう。
>海抜約25mに立地する堤高37mの小匠ダムの貯水位を海抜50m附近と想定し、その等高線に沿って湖を描いてみたのが右図である。

>川の両岸は険しいが、河床の勾配は極めて緩やかであるため、2〜30mの水位上昇であっても、驚くほどに細長いダム湖が出現することが分かる。
>具体的には、小匠川本流沿いにダムから3km上流までが湖と化し、高野川沿いではそれ以上である。
>そして、これらの川に沿う林道もまた、2km以上先まで余裕で水没するようである。

>ちなみに、ダムの穴がある現在地は、水深15m以上の深さになると思われる。
>例の“ギロチン”が水圧に耐えられるのかという疑問を持つが、きっと大丈夫なのだろう…。

278とはずがたり:2015/03/16(月) 13:05:05
ツイッターはよくわからないんだけどヨッキが一本杉峠>>49>>62-64>>67に来てた気配があるぅ。まだレポはなかったような。。そのうち公開されるかな??

https://twitter.com/yokkiren
ヨッキれん/平沼義之 ?@yokkiren 3月3日
茨城県の一本杉峠付近から眺めた関東平野。
日本最大の平野はやっぱり半端じゃないな。
余りに広すぎて、茫洋たる様は海のようだ。

279とはずがたり:2015/04/25(土) 15:13:30
よっきの緊急ミニレポまだぁ〜!?

ひび割れで「最も危険」北鎌倉隧道、通行禁止へ
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150425-OYT1T50040.html?from=yrank_ycont
2015年04月25日 14時08分

 神奈川県鎌倉市は、JR北鎌倉駅近くにある「北鎌倉隧道(ずいどう)」(鎌倉市山ノ内)を、28日午前1時から通行禁止にすると発表した。

 内部に複数のひび割れなどが確認され、危険と判断した。

 市都市整備部によると、隧道はJR横須賀線に沿って走る市道にあり、長さ約7メートル、幅約2・5メートル、高さ約2メートル。岩塊がくりぬかれた様子が観光客に人気で、市民の一部からも保存を求める声が上がっている。

 県都市整備技術センターの点検調査によると、ひび割れは最大で長さ2・9メートル。地震などで衝撃を受けると岩石が剥落する危険があるという。天井付近に樹木の根が確認でき、国の4段階の基準で最も危険な「緊急措置段階」と判定された。

 市は、センターにさらに詳しい調査を依頼し、安全対策の方法を決める。

 通学路として隧道を使っている小学生や高校生らには、近くの円覚寺境内などを通ってもらう。一般の迂回(うかい)路は、北鎌倉駅南側の県道となる。

280名無しさん:2015/05/04(月) 03:06:15
茨城県の圏央道は今年中に開通予定となってはいるけど、
本当にできあがるのかねぇ・・・

全くと言ってしまえるくらいに開通しそうな気がしないなぁ。。。

281とはずがたり:2015/06/04(木) 19:15:28

「落下の橋」早く復旧して…半年通行止め続く
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150604-OYT1T50068.html?from=y10
2015年06月04日 13時12分

 福岡県粕屋町が管理する「駕与丁かよいちょう公園」で、公園内の池を横断するように架かっている「みずとり橋」(約160メートル)の一部が落下し、復旧の予定が立たないまま半年間も通行止めになっている。

 公園利用者からは「橋は公園のシンボル。ぜひ復旧してほしい」との声が出ている。

 みずとり橋は歩行者用のつり橋で、両端のコンクリート製土台と、池の中に立つ2本の橋脚をワイヤで結び、橋げたをつるす構造。昨年12月5日朝、散歩中の人が「バーン」という大きな音がして橋の一部が落ちたのに気づき、町に連絡した。

 土台の一方が池に向かって傾き、垂れ下がった橋げたが池につかっており、町は落下が進まないよう応急工事を行い、同月17日から通行止めにした。

 橋は1997年3月の建設。「工事に問題があったのではないか」との指摘も出た。しかし、工法が非常に珍しいうえ、設計した会社が倒産しており、町は学識者らによる調査検討委員会を設けて原因を究明し、復旧方法などを探ることにしている。

 町都市計画課によると、公園は一周約4キロで、橋を渡れば2キロの散策コースになる。駐車場からバラ園などへの近道で、公園利用者から「いつ開通するのか」といった問い合わせが相次いでいる。だが、池はかんがい用で、検討委の結論が出ても、農業用水の需要が減り水を抜く10月から翌年2月の農閑期でないと、工事に取りかかれないという。

 同課は「橋を撤去することは考えていない。復旧までの予定が決まらず、利用者には申し訳なく思っている」としている。(柿本高志)

2015年06月04日 13時12分

282とはずがたり:2015/06/20(土) 09:06:24
西武の正丸トンネルとか秋山渉の本拠地とかで有名な正丸峠。
旧道の正丸峠でバトルするんだけど,更に山道がある様だ。

正丸峠
http://ccsf.jp/~mwe/tour/20090411/5.html

283荷主研究者:2015/07/21(火) 22:42:58
永代通りの地下に自動車専用道路の計画があったとは!!この未成道路は極めて魅力的。百戦錬磨のヨッキと言えどもこの地下空間への潜入は至難の業だろうなぁ(笑)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150719/k10010159251000.html
2015年7月19日 18時21分 NHK
東京駅地下に謎の巨大空洞 地下トンネルの一部か

 JR東京駅の北側の地下に、長さ50メートルの巨大な空洞が残されているのが確認されました。およそ50年前に計画された地下トンネルの一部とみられますが、これまで使われたことはなく、どこにあるのかが分からなくなっていました。

 空洞が確認されたのはJR東京駅のすぐ北側の国道1号線の真下にあたる付近で、NHKの番組「ブラタモリ」の取材中に偶然、見つかったものです。空洞は幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。

 この付近の地下を管理している東京メトロによりますと、昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていないということです。

 空洞にはもともと出入り口が作られておらず、長い間、誰も実際に中を確認できませんでしたが、東京メトロによりますと、平成13年に穴を開けて安全性などを調査したという記録が残っているということです。しかし、その際にどこに穴を開けたかは記録されておらず、再び中に入れない状態となっていました。

 東京の地下の開発に詳しい東京メトロの丸山茂さんは「ずっと入り口が分からなくなっていたので、今回、偶然見つかって非常に驚いた。安全性には問題ないが、当時の建設計画は詳細が分からず謎が残る」と話しています。

http://mainichi.jp/mantan/news/20150720dyo00m200002000c.html
2015年07月20日 毎日新聞
ブラタモリ:50年前の“幻の地下自動車道”を偶然発見

「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」の取材で発見された“幻の地下自動車道”

 タレントのタモリさんが街を訪ね歩くNHKのバラエティー番組「ブラタモリ」の取材中に、東京駅そばの永代通りの地下に、約50年前に作られた“幻の地下自動車道”を発見したことがこのほど明らかになった。50年近く前に進められていた地下工事が頓挫し、幻となっていた地下自動車道の入口で、見つかったのは自動車2車線分の空間が2本、計4車線の道路。番組の取材中に偶然発見したという。“幻の地下自動車道”にテレビカメラが潜入するのは初めてで、20日放送の「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」で紹介される。

 “幻の地下自動車道”は、1967年当時の完成予想図によると、永代通りの八重洲側から丸の内側までのアンダーパスとして計画されていた小型自動車道で、当時は、急激に自動車の交通量が増えたこともあり、インフラ整備の際に空間を確保しておくため、地下鉄の工事に合わせて一部作られたものが、使用されないまま残っていた。東京メトロによると「存在は知っていたものの、どこに入り口があるのか分からなかった。今回、バリアフリーのための東西線大手町駅改装工事の際に、天板をはがしたところ、見つかった」という。

 「ブラタモリスペシャル 東京駅〜巨大地下空間は歴史の生き証人!?〜」では、東京駅周辺の地下に広がる巨大な空間に潜入。八重洲の地下に眠る江戸城の痕跡など丸の内から銀座まで広がる約18キロの地下空間の秘密を解き明かしていく。NHK総合で20日午後7時半から放送。

284とはずがたり:2015/07/22(水) 14:20:07
ここ?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.46.16.682N35.40.51.645&ZM=10

>幅6メートル、高さおよそ5メートルの穴が2本並んでトンネルのようにおよそ50メートルにわたって掘られています。
巾6mだと2車線行ける?

>永代通りの八重洲側から丸の内側までのアンダーパスとして計画されていた小型自動車道
小型自動車道ってのがよく解らない。パリにあるとかいう小型自動車専用(大型トラックなど禁止の)って事?道路自体が八重洲⇔丸ノ内の短距離って事か?

呉服橋から東京駅迄高速バスがガンガン走っていてタクシーもうじゃうじゃいて混むから今からでも造るべきだな。

285とはずがたり:2015/07/22(水) 14:23:18
>>284
>巾6mだと2車線行ける?

道路構造令の説明パワポと思われるが,第3種第3級・第4種第2・3級だと幅員3mだそうな。
http://www.mlit.go.jp/road/sign/pdf/kouzourei_2-2.pdf
路側帯とか考えると2車線はきついかな。。上下各1車線か。
ただ40年前の計画では上下各2車線だったのかも。当時の道路構造令はどうなってたんかな?

286とはずがたり:2015/08/19(水) 21:31:37

夏休みの副業で忙しかったよっきが久々の更新。この辺だ。
気になる県道がr280入粟野・引田線+r281板荷・引田線のペアである。

周辺地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.37.51.838N36.33.36.471&ZM=7

r164板荷・玉田線

r281板荷・引田線

r14鹿沼・日光線

r280入粟野・引田線

r240石裂・上日向線

r177上久我・栃木線

r246草久・粟野線

r15鹿沼・足尾線

r32栃木・粕尾線

栃木県道280号入粟野引田線 坂本区間
http://yamaiga.com/koneta/koneta_208.html

r280+281入粟野・引田・板荷線とすると鹿沼市の内陸部を繋げる道路になる。更に山を越えるとr32辺りに接続する♪r32が栃木日光線とでもなりそうだw

287とはずがたり:2015/08/28(金) 22:38:14
>>190>>270>>272

原田橋 200メートル下流に再建 
http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?index_flg=1&comment_id=291215&comment_sub_id=0&category_id=136
2015/7/30 紙面から

◆浜松市発表 19年度開通

 浜松市天竜区佐久間町の天竜川で一月末、土砂崩れにより崩落した原田橋の再建について、浜松市は二十九日、崩落現場の二百メートル下流に長さ三百メートル、幅七・五メートルの橋を新たに架けると発表した。工期は五年で、供用開始は二〇一九年度となる見通し。検討中の三案から、住民の賛同が多かった案に絞り込んだ。

(ここまで 162文字/記事全文 758文字)

288とはずがたり:2015/08/28(金) 22:43:27
>>287-288
画像貼り忘れた。
http://tohazugatali.we b.fc2.com/road/291215.jpg

289とはずがたり:2015/09/06(日) 09:55:46
旧道と云うには余りに新しい廃止箇所だが橋は撤去されてる様だ。

山の道
各地の廃道・廃線・隧道・旧道の歴史と探索記録
福島県西白河郡西郷村 甲子道路廃止区間
http://yamanomichi.com/kashi

290とはずがたり:2015/09/21(月) 19:51:41
広島辺りはヨッキも未だあんま開拓してないよね。

広島険道(県道)最強 80号線を走破する
https://www.youtube.com/watch?v=11UK2mVTaQM

この辺
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.43.0.882N34.33.5.588&ZM=7

最強険道と煽る程のことはないな〜。
県道じゃ無くて林道で繋いである区間かな?

拡大部分だと道途切れてるけどw
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.43.11.760N34.33.10.104&ZM=10

291とはずがたり:2015/09/22(火) 06:40:21
>>290
指定されたの割と最近(とはいえ20年は経っちゃってる。。)なんだな

広島県道80号東広島向原線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%9380%E5%8F%B7%E6%9D%B1%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%90%91%E5%8E%9F%E7%B7%9A

広島県道80号東広島向原線(ひろしまけんどう80ごうひがしひろしまむかいはらせん)は東広島市八本松東3丁目と安芸高田市向原町長田を結ぶ主要地方道である。

1993年(平成5年)5月11日 - 建設省(当時)告示第1,270号により主要地方道に認定される。
前身は広島県道339号内区米満線の全部分と広島県道340号久芳(くば)向原線および広島県道328号志和口向原線の各一部である。
1994年(平成6年)4月1日 - 広島県告示第406号により認定される。
2004年(平成16年)3月1日 - 高田郡の全6町が対等合併して安芸高田市が発足したことに伴い終点の地名表記が変更される(高田郡向原町長田→安芸高田市向原町長田)。
2005年(平成17年)2月7日 - 沿線にあった賀茂郡福富町が東広島市に編入される。

292とはずがたり:2015/11/01(日) 19:59:12
廃鉱山も興味あるけど(;´Д`)

廃鉱山探検 高井鉱山
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/1119

293とはずがたり:2015/11/01(日) 20:14:41
>>292
此所ら。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.26.34.500N36.37.9.389&ZM=8

毛無峠付近にあった硫黄鉱山の高井鉱山は群馬県側に移って小串鉱山となったようだ。
一寸調べてみると吾妻鉱山跡が見付かった。

吾妻鉱山
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.30.20.063N36.35.28.097&ZM=7

この吾妻鉱山は小串鉱山とは別らしい。

4/30/2006 草津町白根鉱山,嬬恋村石津鉱山,吾妻鉱山
http://heyaneko.we b.fc2.com/gh06.html
草津温泉の近くには,大正の頃から高度成長期まで複数の硫黄鉱山が稼動していました。このうち学校をもつ鉱山集落があったのは,草津町白根鉱山,嬬恋村石津鉱山,吾妻鉱山,小串の4か所です。これらの鉱山集落は,すべて閉山と同時に無人となりました。

入道沢鉱山
http://www.geocities.jp/kouzan_by_gnma/nyuudousawa01.html
群馬県内の硫黄鉱山と言えば、
・小串鉱山
・白根鉱山
・万座鉱山(湯釜から硫黄をほじくってた)
・吾妻鉱山
・石津鉱山
がよく知られている。

しかし、今まで存在を知らなかったが、もう一つ大きな硫黄鉱山があるらしい。
しかも国道から目視出来る場所に。

その鉱山の名は「入道沢鉱山」(通称)と言う。


で,此所らと云えば山行がでレポートされた上信鉱山である。
凄い索道で運び出していたらしい。

上信鉱業専用軽便線(未成線)
http://yamaiga.com/rail/joshin/main.html

ただヨッキは廃道や未成線には興味あっても鉱山に関しては余り関心が無いので上信鉱山に関してはよく判らない。上信鉱山で検索掛けてみると引っ掛かるのはこいつ。蝋石の鉱山らしい。群馬というか信越のこの辺は割と鉱物資源が豊富な様である。如何せん規模が小さいようだけど(;´Д`)

上信鉱山焼成炉(ロウ石山溶鉱炉 )
http://haikyo.crap.jp/s/9977.html

294とはずがたり:2015/11/01(日) 21:55:06
此処に詳しい。ドラマですなぁ。。
仁田沢は此処だが,r112の未成区間を挟んで毛無峠(先程の一代目高井鉱山)である。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.29.47.813N36.33.8.000&ZM=8

上信鉱山の足跡
http://hanaha09.exblog.jp/15337438

嬬恋村大前から北へおよそ6km、静かな物音ひとつ聞こえてこない干俣にある仁田沢集落です。
昭和15年、嬬恋村の干川石造さんがこの集落から分け入った山中に炭焼き窯を作ろうとしたところたまたまロウ石の鉱脈を発見した。
この山はロウ石山と呼ばれて10人ほどの村人たちでほそぼそと採掘が開始された。
ちょうど時代は太平洋戦争真っ只中、ロウ石に含有されていた酸化アルミに目を付けたのが当時の軍部。
この鉱石から金属アルミニウムを製造しようとしたのである。
アルミ資源の乏しい日本においてはおそらく藁をも掴む思いであったに違いない。
昭和18年には軍需産業に指定され大阪窯業、日窒工業、昭和電工3社で上信鉱山が設立され国家政策の一環として採掘が始まった。
昭和19年には250人ほどが動員され、鉱石は策道でふもとの仁田沢集落まで降ろされ、トラックで芦生田の草軽電鉄嬬恋駅、トロッコのような貨車で信越線軽井沢駅まで運ばれた。
その算出量は年間15000トンにも達したと言われている。
一方、群馬鉄山の鉄鉱石輸送に施設された太子-長野原-渋川にいたる貨物線に接続する鉄路も建設が進められた。
この国家をあげた大事業もすべての設備が完成を迎えないまま終戦と共にあえなく終わりを告げた。

戦後満州から一人の窯業技術者が引き上げてきた。
大阪窯業東京工場の片隅に放置されていた上信鉱山の鉱石の山を見てさまざまな分析を試みた。
ロウ石といわれていたものは実は加水ハロイサイト(Al2Si2O5(OH)4・2H2O)ということが分かった。
そのままでは耐火物原料としては不向き、焼成をしないと使えないことが分かった。
しかし、試験的に製造された耐火材料は1750℃以上にも耐えうる非常に優秀なものであることが分かったのだ、そして上信鉱山の視察も経て粘土質鉱山として開発する価値は充分と判断した。

これからが話は長くなる。
大阪窯業東京工場のこの技術者を訪れた二人の男が居た。
一人は吾妻郡中之条町の実業家で衆議院議員小渕光平、もう一人が光山電化工業社長の小渕浪次の兄弟だった。
小渕光平の次男は元総理大臣の小渕恵三。現衆議院議員の小渕優子は孫にあたる。
昭和29年に光山電化工業-上信鉱業所が開設され専ら耐火原料としての採掘の再興計画がスタートしたのである。
昭和31年にはハロイサイト鉱石の焼成炉の工事が始まった。そして翌年には高さ14m、直径4mのシャフトキルン、縦型焼成炉1号炉が操業を開始した。
焼成炉は稼動を開始したものの製品の売り先が決まらない。
焼成炉建設のための多額の借金に追い討ちをかけるように兄小渕光平が議員活動中に急死した。
悲嘆にくれていた小渕浪次の下に待ちに待った1枚の注文書が届いたのだ。
時はすでに昭和33年の10月、日本鋼管炉材部からのものであった。
2基目の焼成炉も完成間近、上信鉱山所は一挙に三交代勤務の焼成作業にこぎつけたのである。
鉱石として優秀であった上信ハロイサイトの需要はあっという間に広がり、生産も追いつかなくなってしまった。
山に捨て去っていた鉱石を振るった後の残渣まで処理され、ますます儲かる構造となった。
しかし、昭和38年(1963)に火災により鉱山事務所、宿舎を消失してしまった。
たまたま鉱脈も尽きかけていてこれを機に、上信鉱山所の閉鎖、光山電化工業は休眠扱いとなった。
最盛期わずか4年の活動であったがその間に挙げることのできた高収益は奇跡的なものとして語られています。


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