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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1とはずがたり@元林道部会長:2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

166とはずがたり:2011/07/24(日) 22:15:32
こりは買いたす(`・ω・´)

東日本大震災 復興支援地図 昭文社
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD-%E5%BE%A9%E8%88%88%E6%94%AF%E6%8F%B4%E5%9C%B0%E5%9B%B3-%E6%98%AD%E6%96%87%E7%A4%BE%E5%87%BA%E7%89%88%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4398691014

ヨッキれんの おぶろぐ! 〜廃は廃でもヤマイダレ〜
http://yamaiga.jugem.jp/?eid=71
2011.07.23 Saturday
author : ヨッキれん
昭文社の侠気を見た!【復興支援地図】1000円はマスト・バイ!

167とはずがたり:2011/08/22(月) 23:12:00
自然物という意味で明確にヨッキとは領域を異にするけど。

NPO法人日本洞窟探検協会
http://www.j-ace.org/

169とはずがたり:2011/09/28(水) 12:19:58

ゴルフ場開発跡地かぁ。現地の様子がこのスレ的な観点から気になるなぁ。。

南三陸町が議案撤回 ゴルフ場開発跡地に高台移転
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110813_18.htm

 宮城県南三陸町議会臨時会が12日開かれ、東日本大震災復興計画の高台移転候補地として町が提出した同町戸倉のゴルフ場開発跡地を先行取得する議案で、財源問題などをめぐって紛糾、佐藤仁町長が「土地利用計画も含め議員の理解が得られるようあらためて提案する」と議案を撤回した。
 ゴルフ場開発跡地は約106ヘクタールで、高台移転候補地として9300万円で先行取得する計画だったが、議員から慎重論が相次いだ。
 質疑では「決定から提案まで期間が短く唐突だ」「土地利用計画が決まらないうちの取得は時期尚早」などの批判や、「国の防災集団移転促進事業の補助率が75%の現状で、町が土地を先行取得することは制度を容認することにならないか」といった懸念が出た。
 町側は「国に対して引き続き100%の補助を求めるが、同時に一日も早く事業を具体化させなければならない」と理解を求めたが、起立採決で7対7の同数となり、休憩動議が出された。
 議会側は佐藤町長に対し「具体的な土地利用策などを示してほしい」と全会一致で議案撤回を申し入れた。本会議再開後、執行部が議案の撤回を提案し、承認された。
 議会終了後、佐藤町長は「戸倉地域の被害は大きく、移転先は提案した場所しかない。スピード感を持って復興に取り組んでいることを理解してほしい」と述べた。
 今回撤回した議案は、住宅や公共施設の土地利用計画を示した上で今月中に再提出する。
 この日の臨時会では、1億5636万円を増額し総額174億5670万円の2011年度一般会計補正予算など5議案を原案通り可決した。

2011年08月13日土曜日

南三陸の高台移転 候補地取得案を否決
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110928t11028.htm

 宮城県南三陸町議会の東日本大震災対策特別委員会が27日開かれ、高台移転候補地としての同町戸倉のゴルフ場開発跡地取得議案が反対多数で否決された。ただ、賛成した委員から「少数意見の留保」が発議され、認められた。ゴルフ場開発跡地取得をめぐっては、今回の採決に加わらなかった町議を含めると賛否がほぼ二分しており、開会中の9月定例会で留保した賛成意見が述べられた場合、本会議の採決で議案が可決される可能性も残されている。

 この日の特別委員会では、「戸倉地区の復興の中心となる土地であり、早急に取得するべきだ」との意見が出た一方で、「土地取得は国の財源の裏付けが出てから」「地区の平等性を考えると先行取得は疑問」などの反対意見が出された。委員13人による採決は、賛成6、反対7だった。
 ゴルフ場開発跡地は約106ヘクタール。東京の投資会社から9300万円で取得する議案が8月12日の町議会臨時会に提出されたが紛糾し、町が議案を撤回した。8月23日の臨時会に再提出され、特別委員会に付託された。
 8月31日には戸倉地区の住民1497人が、集団移転先として迅速に取得するよう陳情書を提出した。
 議会を傍聴した戸倉コミュニティー連絡協議会の村岡賢一会長は「地区の住民が願っている高台移転が政争の具になっている。住民のことを真剣に考えているのなら、一日も早く土地取得を進めるべきだ」と話した。

2011年09月28日水曜日

170とはずがたり:2011/09/29(木) 13:31:23
>>127とか

大雨で7年ぶりに“富士六湖”が出現
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/530073/
配信元:産経新聞
2011/09/29 10:17更新

 山梨県富士河口湖町の精進湖近くに、台風15号による大雨の影響で「赤池」と呼ばれる池が7年ぶりに出現した。地元では山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の富士五湖に続く「富士六湖」とも呼ばれ、連日観光客が訪れている。

 近くでレストランを経営する渡辺けさ江さん(58)によると、池は楕円(だえん)形で長径約70メートル。普段は草地のため、陽光が当たると湖面がエメラルドグリーンに輝いてみえる。

 富士河口湖町などによると、前回は平成16年10月に出現した。地下水脈でつながっている精進湖の水位が大雨で上がると現れるとみられる。

 「幻想的で見ていると癒やされる」と渡辺さん。28日に母親と訪れた同県富士吉田市の片山朝陽君(8)は「台風のおかげで見られてよかった」と笑顔だった。

171荷主研究者:2011/10/30(日) 01:05:40
>>137
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111008t15005.htm
2011年10月08日土曜日 河北新報
30日、二口林道12年ぶり全通 通行止め解除

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20111008ea0zu.jpg

 宮城県は7日、1999年以来通行止めとなっていた林道「二口線」(仙台市太白区秋保―山形市山寺)の利用を今月30日に全線で再開すると発表した。秋保温泉と山寺の両観光地が、12年ぶりに最短距離で結ばれる。

 二口林道は全長約19キロ(宮城県側約10キロ、山形県側約9キロ)。今回、秋保の「白糸の滝」付近の規制ゲートから県境までの5キロ区間の通行止めを解除する。

 山形県側は全て舗装済みだが、宮城県側は一部を除き砂利道で、道路幅は狭い場所で4メートル程度。マイクロバス以上の大型車両は通行できない。車の擦れ違いは待避所で行う。

 仙台、山形両市を結ぶルートは、山形自動車道、国道48号と合わせ3本になる。冬期間は閉鎖する。時期は山形県と調整して決定する方針。

 再開に当たり、宮城県はのり面の改良や橋の耐震補強工事を進めた。事業費は4億円で、国が95%以上を補助した。県は来年度以降、排水設備の整備や舗装の延長など改良工事を実施する。

 二口林道は99年8月の豪雨でのり面が崩壊する恐れが高まり、県境付近を通行止めとした。

 同林道は73年、従来の二口街道を改修して開設。蔵王国定公園、県立自然公園二口峡谷の区域を通る。

172とはずがたり:2011/11/11(金) 01:16:43
地底湖とかそそられる気持ちは良く判るけどなぁ。。

2011年11月9日16時3分
25年前に不明の上智大生か 奥多摩の地底湖で遺体発見
http://www.asahi.com/national/update/1109/TKY201111090281.html

 25年前に東京都奥多摩町氷川の鍾乳洞(通称・聖穴〈ひじりあな〉)で探検中、行方不明になった上智大4年朴俊鉄さん(当時22)=世田谷区太子堂2丁目=とみられる遺体が地底湖で見つかったことが9日、捜査関係者への取材でわかった。着衣や装備、発見場所などから朴さんの可能性が高いという。警視庁が近く遺体を引き揚げる予定。

 青梅署によると、朴さんは上智大ダイビングクラブ海洋生態研究会のメンバー。1986年10月26日午後3時ごろ、研究会のメンバーとともに洞の入り口から約60メートル入った第2地底湖(水深約15メートル)に空気ボンベをつけて潜ったが、腰に結んでいた命綱が外れ、姿が見えなくなったという。

 メンバーからの通報で警視庁機動隊や青梅消防署のレスキュー隊が当時捜索したが、発見できなかった。

173荷主研究者:2011/11/23(水) 17:15:57

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20111031_7
2011/10/31 岩手日報
亜炭廃坑の陥没急増 県南部は震災後、例年の20倍
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 県南部にある戦前から石炭の代用燃料として使われた亜炭の廃坑上の土地で、東日本大震災後に陥没したとみられる被害が急増している。宅地や農地の陥没報告は一関、奥州両市に集中し、震災後だけで189件と、例年の約20倍に上る。地震の激しい揺れに加え、相次いだ大雨も影響したとみられ、県は復旧関連予算を措置し市町村による早期修復を促す。

 県環境保全課によると、陥没は主に地下40メートルより浅い場所を通る坑道跡に沿って発生し、直径数十センチから7メートル、深さ数メートル程度にわたって地面がすっぽりと抜け落ちて穴ができる。地震や大雨などで地盤が緩むと陥没を誘発する可能性が高まるとされる。

 12日現在、一関市で同市花泉町を中心に85件、奥州市は同市江刺区藤里などから104件の被害相談が寄せられている。地目別の内訳は水田や畑などの農地が128件、宅地や家屋下が47件、市道や農道が14件。建物が傾く、水田の水が抜けるなどの被害が出ているが、人的被害は確認されていない。

 被害相談は最近10年間の累計で117件、毎年10件前後で推移しているが、震災後に急増した。4月に起きた県内最大震度6弱の余震では内陸南部が甚大な被害を受け、さらに6、9月の豪雨・台風も陥没発生に拍車を掛けたとみられる。

 亜炭 炭化度の低い石炭の一種。地表近くにあり採掘が比較的容易なため、石炭の代用燃料として戦前から1965年ごろまで全国で産出された。本県では一関、奥州、西和賀の3市町で採掘されていたことが分かっている。ただ、坑道の位置や分布は詳しく分かっておらず、全容を把握するにも巨額の調査費を要するため、陥没被害の予防は困難になっている。

174荷主研究者:2011/11/26(土) 15:16:46
散策道が整備されてしまうと山行が的には興味が失せてしまうだろうけど、廃村という響きには惹かれるものがあるな。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201111020070.html
'11/11/2 中国新聞
廃村へ5キロの散策道整備

 広島市安佐南区沼田町戸山地区の住民が1日、38年前に廃村になった丹原地区と地元公民館を結ぶウオーキングコースを整備した。13日、公民館の健康講座「健康ウォーキング〜丹原探訪」でお披露目する。

 片道5キロ。雑木林をくぐり抜け、往復5時間半かかる。地区には、今も田んぼの跡や屋敷の石垣跡が残る。道中には滝や集落跡を記録した碑もある。

 同地区には約900年前に集落が誕生。戦前は多い時で約30世帯160人が住む村だったが、1973年に人が住まなくなり廃村となった。

 企画は、住民らが元住民の手記「ふるさと丹原」を読んだのがきっかけ。

 当日は午前9時に同館集合。参加は無料で、事前申し込みは不要。同館=電話082(839)3320。

175荷主研究者:2011/12/11(日) 15:16:13
山行が的には遊歩道化は残念かもしれないが、地域に愛される廃線跡というのは素晴らしいかもしれない
>トンネル群を2006年に再発見したメンバーらが、手弁当で雑木を取り除くなどして遊歩道化
>08年からは一部区間を春秋に一般公開して毎回1万人規模の人出を集め、09年には経済産業省の近代化産業遺産にも選ばれた

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20111118/CK2011111802000112.html
2011年11月18日 中日新聞
愛岐トンネル群再生委が三席 全国土地活用モデル大賞

地域活性化事業のコンテスト入賞に「全国的に認知されてうれしい」と話す山本理事長=春日井市鳥居松町の中日新聞春日井支局で

 地域活性化の成功例を対象とした全国コンテスト「土地活用モデル大賞」で、春日井市のNPO法人「愛岐トンネル群保存再生委員会」の旧国鉄中央線跡整備が、三席の審査委員長賞に選ばれた。年間予算が400万円足らずの地道な作業が、1000億円単位の大規模事業に交じって脚光を浴びた。トンネル群の全国的な知名度アップにもつながりそうだ。

 国土交通省の外郭団体「財団法人都市みらい推進機構」が04年から選定しており、今年は全国12の自治体、開発業者などが応募した。大学教授らによる書類審査や現場視察の結果、最高位の国土交通大臣賞や二席の推進機構理事長賞など3賞5点が決まった。

 応募の中には1000億円の遊園地跡再開発(東京都世田谷区)や2000億円近い駅ビル開発(大阪市)もあっただけに、会費やトヨタ財団の助成金など年380万円で運営される再生委員会の存在は異色だった。

昨秋の公開の様子。大勢の人でにぎわった=春日井市玉野町の愛岐トンネル群で

 1966年の廃線後に忘れ去られていた春日井市−岐阜県多治見市間(延長8キロ)のトンネル群を2006年に再発見したメンバーらが、手弁当で雑木を取り除くなどして遊歩道化を進めてきた。08年からは一部区間を春秋に一般公開して毎回1万人規模の人出を集め、09年には経済産業省の近代化産業遺産にも選ばれた。

 山本勝利理事長(73)は「企業でも官公庁でもない一般市民の取り組みが、全国的に認知されうれしい」と喜ぶ。機構の担当者も「手付かずの自然を相手に、知恵を絞って資金を捻出し、作業もすべて市民が担っている点が高い評価を受けた」と話した。

 今秋の愛岐トンネル群の一般公開は23〜27日、いずれも午前9時半〜午後3時。見学料は1人100円(保険料含む)。紅葉も見ごろだ。駐車場はなく、JR中央線を使って定光寺駅下車、北へ徒歩3分。(問)村上真善事務局長=電090(4860)4664

 (谷知佳)

176荷主研究者:2012/01/02(月) 01:53:03
都会の知られざる地下空間は「山行が」に通ずるものがある

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/273565
2011年11月16日 17:06 西日本新聞
駐車場入り口跡、ひっそり 福岡市・天神

鉄柵に囲まれたままの天神地下街駐車場仮設入り口。さながら都会の“入らずの間”だ=福岡市・天神

 福岡市・天神のど真ん中の道路に、武骨な鉄柵に四方を囲まれた空間がある。幅約3・5メートル、長さ約20メートル。同市役所「ふれあい広場」西側の歩道と車道にまたがり、歩行者や車の進入を許さない“入らずの間”となっている。

 実はこの空間は、天神地下街駐車場のかつての仮設入り口。地下街の延伸工事で一時閉鎖された入り口の代わりに設けられた。2001年から05年1月まで使われた後、コンクリートのふたで覆うようにふさがれた。

 そんな遺物がなぜ今も? 市道路計画課は理由として、仮設入り口から地下駐車場に続く地下通路(約100メートル)の活用法が決まらないことを挙げる。地下通路がどういう形になるか分からない以上、地上の入り口に手を付けるのは難しいという。

 とはいえ、この入り口跡に圧迫された歩道の幅は半分になっている。役目を終えた構造物が道を狭めていることに「現状でいいとは思っていないが…」と同課。地下通路の活用案には駐輪場への転用などもあるが、通路に傾斜があることなどから実現には至っていない。道路を占拠する入り口跡。解決への出口は遠いようだ。

=2011/11/16付 西日本新聞夕刊=

177荷主研究者:2012/01/15(日) 12:57:20

http://www.at-s.com/news/detail/100086528.html
2011年12/21 09:37 静岡新聞
「天竜橋」の土台発見 明治―昭和初期の木製 磐田

 磐田市の天竜川河川敷で、明治初期から昭和初期まで天竜川に架けられていた「天竜橋」とみられる橋脚の土台部分が20日までに見つかった。9月の台風15号による出水で、岸が削られて露出した可能性が高い。

 関係者によると、主要幹線道路に架けられた木製の橋の基礎部分が発見されるのは珍しく、「遠州地方の交通史や近代土木遺産を考える上で貴重な発見」と驚いている。

 見つかったのは磐田、浜松両市に架かる天竜川橋の南側。3・2メートル×4・1メートルの範囲が木の板で囲われ、内側に直径50センチの柱が2本立つ。さらに周辺には、水流から橋脚を守るために設置されたとみられる直径20?30センチのくいが28本あった。11月ごろに住民が見つけ、国交省浜松河川国道事務所に届け出た。

 天竜橋は1878年3月に完成し、天竜川橋が建設される1933年ごろまで、国道橋として磐田市側の井通村(現・磐田市源平新田)と浜松市側の中ノ町村(現・浜松市東区中野町)を結んでいた。幅4・2メートル、全長約1・2キロで車も渡ることができた。

 天竜川を所管する同河川国道事務所によると、川の流れが頻繁に変化し、管理上の危険性も考えられることから、見つかった土台部分を保存するかは決まっていないという。

 発見を受け、磐田市教育委員会は24日午前9時半から、同所で説明会と天竜川周辺の文化財を巡るミニウオーク(5キロ程度)を行う。参加無料、希望者は直接現地に集合する。問い合わせは同市教委文化財課〈電0538(32)9699〉へ。

178とはずがたり:2012/01/30(月) 17:51:33

長野・栄村で橋崩落=大雪の影響か、けが人なし
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120130-00000060-jij-soci
時事通信 1月30日(月)12時59分配信

 30日午前8時半ごろ、長野県栄村の中条川に架かる中条橋が二つに折れて落下しているのを、村職員が確認した。橋は使用されておらず、けが人はなかった。栄村では年末以降、雪が降り続けており、村は雪の重みで崩落したとみている。
 村によると、中条橋は幅7メートル、長さ95.2メートル。東日本大震災発生翌日の昨年3月12日、栄村で震度6強を記録した地震で、道路と橋の継ぎ目にひびが生じたため通行は禁止されており、除雪も行われていなかった。

179とはずがたり:2012/02/07(火) 21:54:19
本格的なサイトであるなぁとおもったら管理者のヘヤネコ氏は「廃村をゆく」にも協力していたそうな。

「廃村と過疎の風景(5)」

編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は 1000ヶ所です(廃村800ヶ所,高度過疎集落200ヶ所,以下「廃村 千選」と略す)。

「廃村 千選」は,「廃村と過疎の風景」の一連の旅(平成17年8月以降)に並行して全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(以下「廃校廃村」と略す)を「へき地学校名簿」,「全国学校総覧」,地形図,住宅地図などの資料を調べて,独自に編集・作成したものです。

「廃村 千選」は,全国の廃村の様子をより客観的に見ることを主眼しています。公的な施設である学校は,規模やへき地等級,閉校年などのデータがあるため,廃村の様子を調べるための拠り所となります。
また「廃村 千選」は,都道府県別の分類(北海道は4分割)を基本としており,西日本編では北陸,関西,中国,四国,九州,沖縄の26府県の317ヶ所の「廃校廃村」をまとめます。


「廃村 千選」Ⅰ −東日本編−
ttp://heyaneko.web.fc2.com/ghlw.html

「廃村 千選」Ⅱ −西日本編−
ttp://heyaneko.web.fc2.com/ghlw.html

HEYANEKOが訪ねた「廃村」リスト
ttp://heyaneko.web.fc2.com/haison-list.html

180荷主研究者:2012/02/21(火) 23:33:35
どの程度建設されたのかは分からないものの、未成道路である。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201201190170.html
'12/1/19 中国新聞
広島県「細見谷林道」を断念

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20120119017001.jpg

 広島県は19日、廿日市市吉和の細見谷渓畔林を貫く幹線林道戸河内(安芸太田町)―吉和区間について、建設断念を決めた。厳しい財政状況に加え、県の林業施策との関連性は低いと判断した。林道整備には、西日本有数の生物多様性を誇る細見谷渓畔林の破壊につながるとして反対運動が起きていた。

 戸河内―吉和区間は24・3キロ。農林水産省所管の独立行政法人緑資源機構が1990年に整備を始めた。機構は官製談合事件を受けて2008年3月に廃止され、12・7キロの未完成区間を残して工事はストップ。県が事業を引き継ぐかを検討していた。総事業費106億円。うち残事業費は26億円。

 未完成区間には渓谷沿いにイヌブナやミズナラが茂り、希少な生態系が残る細見谷渓畔林がある。渓畔林を横断する大規模林道の整備計画には当初から自然保護団体などが反対していた。一方で林業関係者や廿日市市は早期整備を求めていた。

 県は林業振興に向け、民有林に重点的に作業路網を整備して木材の生産、搬出コストを減らす「低コスト林業団地」整備に力を入れる。戸河内―吉和間の沿線は大半が国有林で、施策に沿わないと判断。厳しい財政状況も踏まえて事業の継承を断念した。

 廿日市市の真野勝弘市長は「林業振興や森林の公益的機能の維持、増進のために林道の必要性は変わらない。県が事業継承しないと決めたのは非常に残念」と述べた。

 一方、幹線林道の建設に反対してきた広島フィールドミュージアムの金井塚務代表は「幹線林道建設は渓畔林を破壊する。林業振興につながるとも考えられず、費用対効果は低い。当然の判断だ」と話した。

 機構が県内で計画した林道整備は計約143キロで、未完成区間は戸河内―吉和間を含めた5区間計約42キロ。県は庄原(庄原市)―三和(広島県神石高原町)間の断念も決めた。

181とはずがたり:2012/03/22(木) 11:35:37
途中で中断していた千頭森林鉄道の続きがうp♪
折角未だ千頭から井川迄営業してるんだから寸又(大間)迄復活営業できひんだかやぁ。。(・∀・)
林鉄並の狭軌にするこたあないし復活の際は勿論日本標準軌で♪
まあ確かに井川湖や長島ダム湖と較べるとこっち側は大間ダムや千頭ダムがあっても大したことなさそうだし大間迄造ってもダムそのものは未だ未だ先であるからからダム関連の需要はなさそうやね。。
更にもう復活とは
遠くなってくるし観光資源としての魅力は減衰するけど奥泉といちしろの間に分岐点設けて長大トンネルで寸又川筋に行ってもええね。大日山隧道はそのまま使用だ♪


千頭森林鉄道 沢間駅〜大間駅
http://yamaiga.com/rail/senzu/main1.html

182とはずがたり:2012/03/28(水) 18:37:19

建設官僚お手盛りの下らん規制等糞喰らえであるヽ(`Д´)ノ残そう!!

川根本町青部のシンボル 吊橋撤去の危機(2012/3/23 07:40)
http://www.at-s.com/news/detail/100109307.html

 川根本町の大井川上流に現存する約20基の歩道つり橋の一つで昭和初期にできた「青部吊(つり)橋」(同町青部)が、河川法の設置基準を満たしていないことが明らかになり、管理する中部電力は撤去の方針を示した。しかし、地域活性化の要と位置付ける地元住民有志が22日、現状維持を願う小学生以上の全住民144人の署名を添えて、佐藤公敏町長に「残す方向で交渉してほしい」と要望した。
 橋は全長118メートルで一部木造。1934年、国の発電事業のために造られた後、中電に移管。2008年、中電の社内調査で河川法が定める占用許可を得ていないことが判明。11年末、中電は河川管理者の県に追認許可を申請した。
 ところがこの審査で、橋は洪水時に想定される大井川の最高水位より1・5メートル以上低いなど、設置基準に反することが分かった。今年1月、県は中電に「撤去」を指示し、中電が2月に住民説明会を開いた。
 町によると、選択肢は撤去か架け直すか。架け直せば2億円以上の費用がかかる。中電の担当者は「架け直しはできない」と話し、住民や関係者と協議する方針だ。
 青部では国道362号のバイパス工事が進む。開通に向けて住民は、生活道としての役目は終えたものの、「青部のシンボル」のつり橋を中心に、ハイキングコースを整備し始めた。つり橋は貴重な集客スポット。県観光協会によると、同町のように多くの歩道つり橋が集中的に残る地域は珍しい。町商工会も観光資源として生かす企画を展開中だ。

183とはずがたり:2012/04/10(火) 17:08:02
この辺
http://yahoo.jp/xcMmrA

竹之内峠
http://www.cyclekikou.net/modules/pass/show.php?id=100

【所在地】 奈良県天理市
【標高】 342m
【独断評価】 ★★★

天理ダムと竹之内を結ぶ山道の峠。この道は自動車通行不可ながら県道横川三昧田線となっている。天理ダム湖畔から竹之内峠の道標にしたがってシングルトラックの山道に入ると、比較的ゆるやかな上りで峠に着く。峠は湿っぽい植林の中で展望はまったくないが、小さな祠が祭られており、古くから人の往来があったことが偲ばれる。峠を越えて竹之内への下りはきつく、ほとんど乗車不能である。この道は夏期は下草がひどく、冬場でないと通行困難なので注意。

奈良県道267号横川三昧田線
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%81%93267%E5%8F%B7%E6%A8%AA%E5%B7%9D%E4%B8%89%E6%98%A7%E7%94%B0%E7%B7%9A
奈良県道267号横川三昧田線(ならけんどう267ごう よこかわさんまいでんせん)は、奈良県天理市下仁興町を起点とし、同市三昧田町へ至る一般県道。

概要

青垣山地から大和平野へ下る路線であるが、起点から天理市竹之内町までは未通となっている。
路線データ [編集]
陸上距離:km
起点:天理市下仁興町(奈良県道247号笠天理線と接続予定)
終点:天理市三昧田町

184チバQ:2012/05/14(月) 21:53:17
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001205140016
中山峠 通行止め長引く 観光打撃
2012年05月13日

■観光打撃・医療も不安


 札幌市南区定山渓と喜茂別町尻別間の中山峠を通る国道230号の札幌側約14キロ区間の通行止めが長期化している。北海道開発局によると、開通した1969年以来、長期間の全面通行止めは初めて。開発局は5月下旬をめどに片側通行が可能になるとの見通しを示すが、観光客は落ち込み、救急搬送や通院など医療への影響を心配する声がある。


■下旬にも片側通行可能に


 開発局によると、通行止めは5月4日から。定山渓と中山峠の間で、土砂崩れが3カ所、路面の亀裂が1カ所で見つかり、復旧工事が進められている。雪解けが急激に進んだところへ短時間に大量の雨が降り、地下水位が上がったのが原因とみられるという。


 国道230号の定山渓の札幌中心部側では、車の通行量が平日約1万2千台、土日は約1万7千台を数える。中山峠付近はこれを下回るとみられるが、春の観光シーズンを迎えた関係者への打撃は大きい。


 喜茂別町の国道沿いで2年前に開業した「郷の駅ホッときもべつアスペーラ」は、この時期、50台収容の駐車場がほぼ満車になるというが、12日は数台。支配人の高橋正さん(53)は「売り上げは6分の1。客の7割は札幌からで、大型連休後半に期待していたのに……」と肩を落とす。


 菅原章嗣町長は、救急医療への影響を心配する。容体次第では札幌の病院への搬送が必要な例があるからだ。普段から札幌へ通院する患者も少なくない。深刻な影響はまだ出ていないというが、「一日も早い復旧を」と訴えている。

185とはずがたり:2012/05/16(水) 12:09:48
俺もぶっちゃけ今迄観光道路だとあんま認識してなかった(・∀・)
ただの矢鱈高い林道だと思ってたw

白山スカイラインにすればいいね。塩那道路や十和田湖八甲田山連絡道路等ぽしゃったり廃れたりした山岳道路は多いけどちゃんと観光道路として機能してる希有な例なんですねえ。

「スーパー林道」名前の印象 観光にやはりマイナス?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1114776388/1683
2012年5月11日

186とはずがたり:2012/05/24(木) 12:28:05
若き私のバイブルは『国鉄全線各駅停車 駅』と『勾配・曲線の旅 日本鉄道名所』の2シリーズであった。前者が配線を,後者が線形と勾配の基本的な情報を教えてくれたのである。

当然,上越線の清水越えの特異点ぶりもこれらの二シリーズで識っていたが,今回のヨッキのレポhttp://yamaiga.com/rail/yubiso/main.htmlでこの2シリーズでも逃している部分(大穴仮乗降場)が有ることが判明。追加して纏めてみる。

<単線時代の上越線>

後閑 121K410 H=378M50

下牧(信) S19.10.11-S41.7.20 名称は上牧と対応するけど駅に成らずに廃止された様である。

上牧 128K460 H=422M50

水上 139K90 H=491M50

大穴(仮乗)─S24.12-S38.3→新湯桧曽(信) S38.12.20-S42.9.28→湯桧曽 137K530 H=555M70:新湯桧曽の位置が『駅』では明示されず(多分湯桧曽だろうとは思ったけど湯桧曽水上間にあるとなっていた。),また大穴仮乗降場の情報は『駅』には脱落。

(湯桧曽ループ)

湯桧曽─S42.10.1→北湯桧曽(信) 140K730 H=611M80 (土合地上駅の様な島式・構内横断式の駅だった様である。)

土合(信)─S11.12.19→土合 144K130 H=665M50

(清水T 9702M)
茂倉(信) 148K950 H=676M10

土樽 154K850 H=599M30

(松川ループ)

越後中里 162K190 H=470M60

岩原スキー場前(臨) 165K850 H=405M60

越後湯沢 169K020 H=351M90

赤坂(仮信) S39.11.30-S40.7.8

石打 175K420 H=257M00


越後湯沢より後閑の方が高地ってのは何か意外である。。

土合の不便さ考えると,各駅停車だけでも上下とも北湯桧曽と茂倉の交換設備つかって清水トンネル(旧線)経由出来ると面白いんだけどw
wikiによると新清水トンネル内に新茂倉(信)構想が有ったようでもある。寧ろ清水トンネル側を廃止してしまっても良いのかも。

茂倉信号場
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
新清水トンネル開通以前の単線時代は、清水トンネルの中間地点に列車交換のため茂倉信号場(しげくらしんごうじょう)が設置されていた(信号場の名称は、直上にそびえる茂倉岳にちなんで名づけられた)。設置は1943年5月15日、廃止は1984年11月1日である。現在も設備は温存されており、冬になると除雪のための保線車両が留置されることがある。なお新清水トンネルの中間地点にも列車交換設備を設置するための空間が存在するが、線路は敷設されておらず、清水トンネル内の茂倉信号場とも繋がってはいない。

187とはずがたり:2012/06/14(木) 13:30:29
こっちやろ

2012年05月24日木曜日 河北新報
旧村支えた遺構を後世に 仙台・「冠川根白石発電所」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1212635128/1553

188荷主研究者:2012/07/08(日) 15:12:55
面白そう〜。行ってみたいねぇー。

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120615/CK2012061502000031.html
2012年6月15日 中日新聞
久根鉱山火薬庫跡か 国内の現存例まれ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/PK2012061402100173_size0.jpg
佐久間町の山中で見つかった建造物と、「久根鉱山の火薬庫跡かも」と語る近藤饒さん=浜松市天竜区で

◆天竜区の山中で山歩き団体が発見

 浜松市天竜区佐久間町大井の山中で、周囲を土塁で囲まれた二棟のれんが造りの建物跡が、県西部の山歩きグループによって発見された。足尾銅山(栃木県日光市)の宇都野火薬庫跡(国史跡)に酷似しており、一九七〇年に閉山した久根(くね)鉱山(銅山)の火薬庫跡の可能性が高い。産業遺産的な価値について今後、注目を集めそうだ。

 建物跡は、「よみがえれ秋葉古道の会」のメンバーが今年一月末、古道調査の途中に発見。竜頭山(標高一、三五一メートル)の登山道から少し離れた杉木立の中にある。

 二棟は約十六平方メートルと、約十平方メートルの広さ。いずれも植物が絡みつき、屋根の一部が崩れ落ちているが、分厚い赤れんがと鉄製扉の頑丈な構造。高さ三メートルほどの土塁で、東西に隔てられている。

 敷地(約五百平方メートル)の周囲にも土塁が巡らされ、排水路跡もあった。防災面に細心の注意が払われたことをうかがわせる。

 同会は十一日、浜松市佐久間協働センターや文化財の関係者らを現地に案内。その結果、誘爆防止用とみられる土塁などの構造から「火薬庫だったことは確かなようだ」(同センター)という。

 付近には久根鉱山の跡や従業員住宅跡もあり、明治期から火薬類の保管に使われた可能性が高い。薬類、雷管、導火線などを保管する火薬庫は鉱山の「心臓部」的な存在だったが、国内で現存例はまれ。

 国内の鉱山は明治以降、火薬導入によって飛躍的な産出増を果たした。近代日本の産業発展を底辺で支える一方、足尾銅山や久根鉱山では鉱毒などの問題も起きた。世界遺産指定を目指す足尾銅山の場合、火薬庫跡は有力な構成資産候補と目されている。

 古道の会世話人の近藤饒(ゆたか)さん(65)=浜松市浜北区=や、最初に見つけた金原康広さん(56)=同市東区=は「いろんな歴史や魅力を秘める北遠の山々が、注目を集める契機になれば」と期待している。

(正木徹)

 <久根鉱山> 江戸時代初期から記録が残る銅山。足尾銅山を開発した古河市兵衛が買収し1899年に本格的に操業。良質な銅鉱石の産出量が飛躍的に増加。一時は約2000人が従事したといわれ、鉱石運搬船が天竜川を行き来した。

189荷主研究者:2012/08/12(日) 22:22:58

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20120711102.htm
2012年7月11日02時47分 北國新聞
露天掘り、西部劇みたい 鳥越の河合鉱山

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/industry/H20120711102.jpg
露天掘りの採掘現場=白山市河合町

 白山市鳥越地区に陶器の原料である陶石を産出する鉱山がある。露天掘りのダイナミックな光景が広がる鉱山は、昨年秋に認定を受けた「白山手取川ジオパーク」を体感できる場所として、限定ツアーが組まれている。普段、関係者以外はめったに入ることができないという採掘現場を訪ねた。(麻柄瑶子)

 鉱山の採掘を手掛ける「河合鉱山」=白山市河合町=の出口衛社長(53)にツアーコースを特別に案内してもらった。採掘現場に至る山道は砂利道で幅が狭く、崖地にガードレールもない。

 「ここが景色を楽しむには最高の場所だよ」。標高400メートル地点付近で少し寄り道する。出口社長に促されて車を降りると眼下に白山麓の田園風景が広がっていた。

 訪ねた日はあいにくの曇りだったが、晴れた日には白山が真正面に見えるそうだ。山の反対側に回ると、河北潟から柴山潟あたりの海岸線と日本海が展望でき、出口社長によると、「絶景を絵に描きたい」「写真に撮りたい」という依頼がたまに舞い込むという。

 ヘルメットをかぶり、山肌が階段状に削られた採掘場の底部に立つと周囲の岩肌が迫ってくるようだ。出口社長の話では、「ベンチカット方式」という掘り方で、安全確保のため各段の高さは一定内に決められている。約8万平方メートルの採掘現場は鉱山のほんの一部で、陶石が採れる鉱山全体は山数個の範囲に及ぶという。

 鉱山を見学コースに組み込んだ「ジオツアー」は、先月に第1回が行われ、8月と10月にも予定される。ジオツアーのガイドを行うNPO法人「加賀白山ようござった」によると、参加者は「西部劇の舞台みたい」「未知の体験だった」と大喜びだったという。

 鉱山はこれまで原則として見学者を受け入れてこなかったが、出口社長は、同NPOと市の熱心な要請に、3回限定ならと首を縦に振った。貴重な鉱物資源が地域にあり、生活に生かされていることを知ってほしいとの思いからだ。ただ、「危険な場所がたくさんあるから一般の人は入れたくない」というのが本音だそう。

 国内では閉山した場所が多く、操業中の陶石鉱山は数カ所しかない。河合鉱山は採掘中で危険が伴うことを考えれば見学機会が限られても仕方がないのだが、周囲の絶景を含め地域の大きな資源であることは間違いない。

190荷主研究者:2012/08/13(月) 23:22:53

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120719/CK2012071902000074.html
2012年7月19日 中日新聞
山間地の橋 ぐらつく安全

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2012071902100027_size0.jpg

◆浜松の原田橋通行止め問題 定期点検前に損傷表面化

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2012071902100026_size0.jpg
通行再開となって原田橋を渡る車=6月25日、浜松市天竜区佐久間町で

 建設から半世紀以上たつ浜松市天竜区佐久間町の原田橋が、橋をつるケーブルの損傷で二カ月にわたって全面通行止めになった問題を受け、山間地での橋の安全確保のあり方が問われている。点検をしていたはずが、突然重い損傷が見つかり、地域の「ライフライン」を遮断せざるを得なくなったためだ。市は今回の問題を教訓に、山間地で橋の点検を入念に進める考えだ。

 「古くて大丈夫だろうかと心配な橋は、たくさんある。原田橋だけでなく、山間地で共通の問題だ。しっかり点検してほしい」。天竜区自治会連合会長の鈴木政成さん(58)=同区龍山町=は訴える。

 市は、橋を長持ちさせる「長寿命化修繕計画」の策定のため、二〇一一年までに市内の主な三百二十三橋の目視点検を実施。原田橋は〇八年十月に調べたが、緊急対策の必要はなく、ケーブルの損傷もなかったという。

 天竜区では他に百四十橋を〇七年から点検。半数近くは建設四十年以上がたっていたが、金網の取り換えなど対策の必要な橋は四カ所だけだった。

 修繕計画に従えば、各橋の次の点検は五年後の予定だった。ところが、原田橋では三年後の昨秋、一部ケーブルに破断が見つかった。今年春までかけて詳しく調べると、別のケーブルにも損傷が発生。市は「危険だ」と判断して全面通行止めとした。

 重い損傷が急に現れたことに、市は古さに加え、過去の管理実態がつかみにくい問題を挙げる。原田橋の場合、一九五六年の建設以降は県が管理。〇七年の政令市移行で浜松市へ移管されたが、補強関係書類の一部が見当たらないという。

 修繕計画に挙げた三百二十三橋を見ても、県から移管された二百七十一橋、旧市町から引き継いだ十八橋の中には、どんな点検をしてきたのか分からない橋もあるという。

 他の橋でも、原田橋のように重い損傷が突然現れても不思議ではない。新たに架ける場合の費用は億単位に上り、重なれば市財政を圧迫する可能性もある。鈴木厚・市土木部長は「山間地の橋は点検の頻度を増やし、老朽化や傷みが目立ってきたら、早く個別の計画を立てて修繕を進めたい」と話している。

◆新しい橋完成まで通行制限

 天竜川に架かる原田橋は、天竜区佐久間町の佐久間地区と浦川地区をつなぐ唯一の橋。橋を渡らずに迂回(うかい)すると、車で二時間半〜三時間かかる。全面通行止め前の一日の交通量は千五百台ほどだった。現在、通行は再開したが、重量制限で八トン以上の車は通れず、住民の不便は続いている。

 市は四月二十四日に全面通行止めとし、国土交通省と耐久力を調べ、補助ケーブルを増設。重量制限を設けた上で六月二十五日に通行を再開させた。

 「大型車は迂回するため、時間ロスと燃料費増加で経営が圧迫されている」。天竜商工会佐久間支部の田高万之助支部長は今月九日、市役所で古橋利広副市長に八トン以上も通れるような橋の補強と、新しい橋の早期完成を求めた。「不測の事態で再び通行止めになれば、生活と地域経済への影響は計り知れない」と危機感を訴えた。

 全面通行止めの間、川を渡って両岸の河川敷を結ぶ緊急路が整備された。だが、浦川小学校は給食を一時中止。増水などで緊急路が使えなくなり、配送車が給食を運べない事態を想定したためだ。福祉施設「さくまの里」でも全面通行止めの当初、浦川地区の利用者のデイサービスを中止した。

 鈴木康友市長は六月末の定例会見で「新しい橋を造る」と表明したが、完成までに三年はかかるという。事業費は十数億〜二十億円と見込まれている。

(稲垣時太郎)

  <長寿命化修繕計画>  浜松市が今年3月に策定。市内にある長さ15メートル以上で、災害復旧時などにも使われる重要な323橋を対象としている。橋を長持ちさせるため、5年ごとに点検することにしている。

191とはずがたり:2012/08/17(金) 15:15:09
気になるぜ! あの林道・・・
http://homepage2.nifty.com/kenkensan/kininaru/k-menu.htm

192荷主研究者:2012/08/24(金) 00:37:31

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201208110023.html
'12/8/11 中国新聞
幹線林道、県が整備引き継ぎ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20120811002302.jpg

 2008年に廃止された独立行政法人緑資源機構の幹線林道計画のうち、三次市の君田―布野区間を広島県が引き継ぎ、20年度の完成を目指して工事を進める。民有人工林が多い区間で、林道整備は効率的な木材運搬に役立ち、林業振興につながると判断した。4年間、中断されていた工事が再び動きだす。

 区間は約9・2キロ。緑資源機構が東端の君田町櫃田側と、西端の布野町上布野側の計約2・9キロを整備済み。県はトンネル部分を含めて残る約6・3キロの工事を引き継ぐ。

 県林業課によると、この区間に面する森林は約870ヘクタール。人工林がまとまっていて効率的な木材搬出が可能なエリア「低コスト林業団地」が78%の675ヘクタールに及び、林業面での投資効果を見込めるという。

 県は昨年度17万立方メートルだった県産材の生産量を、20年度に40万立方メートルまで増やす目標を掲げる。林業課は「この区間は、整備すれば県産材の利用拡大につながる」と説明する。

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20120811002301.jpg
【写真説明】幹線林道君田―布野区間のうち三次市君田町側の起点。緑資源機構が既に整備している

193荷主研究者:2012/10/21(日) 18:47:31

http://yamagata-np.jp/news/201209/26/kj_2012092600728.php
2012年09月26日07:45 山形新聞
米沢−福島間の幹線道「万世大路」が選奨土木遺産に 学会が認定、県内6件目

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/img_2012092600530.jpg
歴史的価値が評価され選奨土木遺産に認定された「万世大路」。写真は昭和期に開通した2代目栗子隧道(ずいどう)=米沢市

 初代県令三島通庸が開削し、明治天皇が命名した米沢−福島間の幹線道路「万世大路(ばんせいたいろ)」が、土木学会(東京)の選奨土木遺産に認定されたことが25日、分かった。近く公表される。本県の歴史的土木構造物の認定は6件目。申請していた万世大路連絡会(田畑実会長)と同学会東北支部は10月6日、米沢市で認定記念のフォーラムを開く。

 万世大路は国道13号の旧道で、米沢側の「刈安新道」と福島側の「中野新道」からなる48.2キロ。「明治・昭和期の先端土木技術を駆使し、山形・福島両県の物流並びに人の交流と絆を育んだ歴史的地域資産である」ことが認定理由に挙げられた。

 選奨土木遺産は2000年度、歴史的土木構造物の保存への寄与を目的に創設された。学会の推薦や一般公募に基づき選出される。県内では明鏡橋(朝日町)や直江兼続治水利水施設群(米沢市)など5件が認定されている。

 万世大路連絡会は、地域資源としての万世大路の価値を再評価し、後世に伝えようと10年に発足。米沢市万世地区の全戸(約1200戸)が加入する「歴史の道万世大路・万歳の松保存会」をはじめ、両県の学術関係者らで構成する。開通から130周年の昨年10月、米沢市内でシンポジウムを開いた。

 今年3月、土木学会に申請。9月21日の同学会本部理事会で承認された。本年度は全国で25件が認定された。本県は万世大路のみ。

 田畑会長は「万世地区の宝物が遺産に認められ大変うれしい。震災後に福島から米沢に多くの人が避難している状況もあり、両県をつなぐ道路が持つ役割の大きさを感じる」と話した。

194とはずがたり:2012/12/14(金) 09:39:19

東山油田跡(新潟県長岡市/栃尾市)
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/maehasi/oil/higasi.html

榎木峠はこの辺。
http://yahoo.jp/wu4vfO

ちと行ってみたい。。

195とはずがたり:2013/01/15(火) 15:34:35
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/1326
>R458も十部一峠方面は難所っぽい

林道じゃないけど林道情報に十部一峠ものってるw

林道への案内板 日本全国の林道情報
全国の林道をデータベース・写真・地図で詳細に紹介
山形県寒河江市、十部一峠の周辺
http://www.rindo21.com/touhoku_minami/yamagata_sagae/yamagata_r458/

結構有名な峠みたいだ。
こんな所迄国道してしまって税金ばらまくのには非常に怒りを感じざるを得ないけど。

十部一峠
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E9%83%A8%E4%B8%80%E5%B3%A0

国道458号の一部となっているが、十部一峠を含む大蔵村肘折温泉-寒河江市幸生(さちゅう)間は28km弱の区間に民家が存在せず、実際に車道として開通している国道では、日本で唯一の未舗装区間が残る国道である。一年の半分以上は積雪により通行止、総重量6tを超える大型車の通行が出来ない。十部一峠から林道を下った場所に、かつて、銅の産出では日本有数の規模を誇った永松銅山があり、その産出銅の輸送のために道路が開削された。
峠名は、かつて峠に番所が置かれており、通行料として「十分一役銀」を徴収していたことに由来する。

かつては、大蔵村から十部一峠に向かう手前に「大師峠」が存在していたが、国道458号は大師峠を通らないため、大師峠には手前で車を止めて徒歩で向かう。
十部一峠には駐車帯が広めに取られており、永松鉱山に向かう林道と、葉山山頂に向かう登山道が分岐している。寒河江市に向けて視界が開けており、第2世代の携帯電話の使用が可能。

大師峠はこれ
http://pdb.the-orj.org/view.php?no=6758

この辺か。
http://yahoo.jp/3uuKeU

196とはずがたり:2013/01/15(火) 15:35:11
>>195-196

更に永松鉱山はこれ
ttp://haikyo.crap.jp/s/7569.html

だいぶ遠いな。。

レポ
ttp://psyzans.web.fc2.com/Newken/nR458/nR458_2.html
 ちょっと寄り道。十部一峠から延びる永松林道をさらに6キロほど走っていくと、銅山川河畔の永松鉱山跡にたどりつく。銅山川の名前はもちろんのこと、「十部一峠」の名もこの鉱山にちなんでいる。

 鉱山は江戸時代前から採掘がはじまり、以後300年にわたって銅を産出し続けた。江戸時代、採掘された銅は清水や合海に運ばれ、さらにそこから最上川舟運と北前船で全国に運ばれていった。明治以降も日本有数の銅山として、三千人もの人々がこの地に住み、採掘に従事していたという。
 しかし昭和36年に休山となり、住む人は誰もいなくなった。もちろん今は無人で、わずかばかりの遺構が残るのみとなっている。


〈遺骨は叫ぶ-28-〉 山形・永松鉱山
騙して連行、強制貯金の名で未払い 山菜採りで空腹しのいだ労働者たち
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/06/0906j0803-00001.htm

 1939年に「朝鮮人労務者内地移住に関する件」が発令されると、永松鉱山はさっそく申請し、「昭和15年5月半島労働者49名の移住」(「東北鉱山風土記」)の許可を得ている。

 その後の連行数は明らかではないが、「永松鉱山全体では朝鮮人は家族あわせて最低600人ぐらいいたと思います。設楽里太という人と武田長治という人が朝鮮に行って連れてきたのです。鉱山の本局(本部)の佐藤弥三郎さんが朝鮮人を連れてくる采配を振っていました」(東海林寅雄)と語っている。また、永松鉱山には「600人ほどいたが、大半は朝鮮南部から送られてきた人たち」という記録もあるので、約600人ぐらいだった。

 永松鉱山に連行された朝鮮人の年齢は平均して32歳で、27、8歳〜40歳までの人たちだった。
 朝鮮人の仕事は、ほとんどが車夫(トロ押し)で、支柱夫はあまりいなかった。労働時間は原則として3交替制になっていたが、朝鮮人が働いたのは遅番と早番であった。車夫の仕事は厳しかったうえに、早番と遅番で働かされるので疲れがひどかった。

 また、食事なども朝鮮人には十分に渡らなかった。永松鉱山では、生活必需品は切符による配給制度になっていた。購買部で品物を受け取るのは、役宅、職員、作業員、朝鮮人の順序となっており、山奥ではなかなか入手できない新鮮な魚や、野菜、果物などが朝鮮人の手に渡ることはほとんどなかった。そのため朝鮮人たちは、仕事の合間に山へ入り、草木の芽や葉、山菜などをとっては食べていた。山菜をよく食べる大蔵村の人たちも驚くほど、たくさん取って食べていた。秋になるとブナやナラ、ドングリの実などを食べているのをよく見かけたという。

 朝鮮人には食料だけではなく、衣服なども十分に配られなかった。永松鉱山は寒いうえに雪が深いので、長靴は必需品であったが、朝鮮人には配られなかった。深い雪の中を地下足袋で飯場と坑口を往来するのは大変だった。しかも、雪が降るころになっても、ランニングにパンツといった姿で、寒さにぶるぶる震えていた。坑内に入ると寒くないので冬は空腹でも坑内に長く入っていようとした。また、寝具、作業衣、地下足袋、カンテラなどの作業用具は、無料で支給する約束だったが、日本へきて働くと有料だったりと、朝鮮人は苛められた。

つわものどもが ゆめのあと
−−山形県最上郡大蔵村 旧永松鉱山−−
2001年3月 山形応用地質誌
松田 博之(山形県庁商工政策課)
ttp://www3.ic-net.or.jp/~motokazu/matsuda.htm

197とはずがたり:2013/01/23(水) 20:57:04
謎の多い草木トンネルを含む区間。
ヨッキが更新した時に色々検討して見たが纏めるのに時間が掛かってしまった。

飯田山本ICといなさJctの写真ぐらい有る筈なんだけど現時点で見つからなかった(´・ω・`)

三遠南信道路
青崩峠道路・草木トンネル
http://tohazugatali.iza-yoi.net/shin-tomei/R474/R474-00.html#aokuzure

198とはずがたり:2013/02/02(土) 15:07:26

近代建築Watch
hardcandy.exblog.jp
兵庫県丹波・但馬地区 ( 22 )
http://hardcandy.exblog.jp/tags/%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E4%B8%B9%E6%B3%A2%E3%83%BB%E4%BD%86%E9%A6%AC%E5%9C%B0%E5%8C%BA/

199とはずがたり:2013/02/06(水) 17:58:44

別に大したことではないことをわざと騒ぎ立てて大きくしたがってるだけな様に見えるけど,俺が感じた胡散臭さは他の人も感じていたようだ。

秋庭俊・帝都東京・隠された地下網の秘密
youtube
http://www.youtube.com/watch?v=kuYCXBYOELE
http://www.youtube.com/watch?v=fa8ZfKL7TZ4

http://www.amazon.co.jp/%E5%B8%9D%E9%83%BD%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%BB%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E7%B6%B2%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86-%E7%A7%8B%E5%BA%AD-%E4%BF%8A/dp/4896916808

地下妄の手記
http://www3.atwiki.jp/619metro/

200荷主研究者:2013/02/10(日) 12:49:23

http://yamaiga.com/road/ipr212/main.html
岩手県道212号雫石東八幡平線 網張工区 第1回

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20130124_6
2013/01/24 岩手日報
奥産道の全通目指す議連発足 八幡平市で設立総会
--------------------------------------------------------------------------------
 八幡平市、雫石町、滝沢村の超党派の議員有志38人は23日、県道雫石東八幡平線(網張−松川間、通称奥産道)の道路促進議員連盟を設立した。県が1998年に工事を事実上中止した奥産道の車道での全面開通や観光振興を目指し、県などに働き掛ける。

 同県道は65年に車道として着工。自然保護団体の反対もあり中断し84年に一部をトンネルに変更し工事再開した。96年に原生林の無許可伐採が判明し98年に約3キロを残し事実上工事を中止した。

 現在は車両が制限され網張側の大松倉橋付近から松川側の松川大橋付近までは既存登山道も使い歩行者のみが通行可能。地元には雫石と八幡平を結ぶ奥産道を観光ルートとして期待する声もある。

 これに対し、「八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会」の白藤力事務局長は「直接の開発でなく、奥深い自然を残して観察会や文化活動など間接的に生かす方が何倍も大切だ」と工事再開を目指す動きを懸念する。

201とはずがたり:2013/02/27(水) 09:46:06
どうも山行が内では見れなくなってしまった山手東側隧道>>2だがweb魚拓として見れるらしい。
ttp://web.archive.org/web/20070323154634/http://yamaiga.com/tunnel/yamatehigasi/main.html

また鉄の歴史館のurlも変更になっていた。行政が矢鱈urlいじるのは止めて欲しい。もっと他にすることあるやろに。
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/index.cfm/8,356,46,245,html

202とはずがたり:2013/03/01(金) 12:21:52

鍾乳洞内で落石…大学探検部の2人、一時戻れず
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20130224-567-OYT1T00281.html
2013年2月24日(日)12:02

 23日午後2時頃、福岡県苅田町山口の平尾台の鍾乳洞「 青龍窟 せいりゅうくつ」で落石があり、大学の探検部に所属する学生2人(ともに19歳)が一時、洞窟から出られない状態になった。

 約4時間後の同6時頃、仲間の学生が見つけた 迂回 うかい路をたどって脱出した。けがはなかった。

 県警行橋署の発表や北九州市消防局に提出された計画書などによると、九州大と佐賀大の探検部の計約20人で、22日から24日まで探検のために平尾台を訪れていた。3隊に分かれ、このうち9人が23日午前8時頃から、「青龍窟」内に入った。午後2時頃、人がはって通れるほどの狭い場所で、先を進んでいた2人が浮石を動かそうとしたところ、石が転がり落ちて道を塞ぎ、元に戻れなくなった。

203とはずがたり:2013/03/01(金) 12:23:42
>>200
俺も気になっている奥産道の亡霊が再び!
まああと数キロで抛棄は少々勿体ない気はするんじゃが。。

204とはずがたり:2013/03/01(金) 20:28:07

遂に単著ヽ(´ー`)/
最近沢山本出しているので全部は追ってないけど流石に買ってあげなくては♪

大研究 日本の道路120万キロ (じっぴコンパクト新書) [新書]
平沼 義之 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4408109835/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4408109835&linkCode=as2&tag=yamasaiganega-22

205とはずがたり:2013/03/08(金) 15:11:56

分断国道として名高いR152にある峠,分杭峠はゼロ磁場のパワスポだそうな(笑)
分断峠の青崩峠と地蔵峠(とR256の小川路峠)には行きたいと思ってるけど序でに此処も寄るかw(地図で調べたら大部北だけど。。)

ゼロ磁場のパワスポ「分杭峠」で異常現象に遭遇
http://nikkan-spa.jp/77129

206とはずがたり:2013/04/11(木) 17:39:39
今度のヨッキのネタはこれみたいだ♪

伊豆新島に単成火山を貫く島嶼部最長のトンネル出現
http://www.gsj.jp/data/chishitsunews/03_12_04.pdf

207とはずがたり:2013/05/01(水) 09:15:50
鉱山(ヤマ)さ行がねが♪
愛媛県境に近い高知県大川村にあった白滝鉱山だが索道で川之江三島港に運んで大分(佐賀関か?)で製錬したそうだ。なかなか大胆♪

白滝鉱山
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-1.htm
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-2.htm
http://www.geocities.jp/teamhaikyo/kouzan/sirataki/sirataki-3.htm
高知県内唯一ともいえる鉱山跡。 高知県の北部、愛媛県にほど近い場所に、その鉱山はあった。 土佐藩が開坑して以来、300年近くにわたって銅山として栄えたが、国内の他の金属鉱山と同じく、1972年に閉山した。

白 滝 鉱 山
http://wing.zero.ad.jp/~zbc54213/sirataki-.html

 元々江戸時代の初頭にこの地域に銅などの鉱床があるということは地元では知られており当時の土佐藩が1699年、近くを流れる大北川沿いに本川銅山(大北川のこと)を発見開坑したというのが始まりである。しかし貧鉱だったため数年で閉坑。その後長く注目されず幕末近く1815年から明治維新頃にかけて藩主や家老等が何度か採掘を試みたがいずれも失敗。後明治から大正にかけて幾人かの資産家(ほんの一時ではあるが住友家も加担した)が鉱業権の取得、譲渡を繰り返したがいずれもうまくいかなかったようである。
 最終的に1913年(T2)愛媛県の資産家、宇都宮氏に経営権が移り「宇宝合名会社」を設立、鉱山経営に入り積極的に発電所や機械化など近代化を進めこの付近の大北川、白滝、朝谷、樅の木など諸鉱山をまとめて”白滝鉱山”と名乗った。
 この頃それまでの鉱石や物資運搬手段を人力に頼って白滝から徒歩で野地峰峠を越えて今の法皇湖に降り銅山川沿いに北上し富郷町豊坂辺りからまた北へ山越え寒川町に入って三島に着く、というまことに大変な工程を経ていた。そのため人夫も重労働だし事故も耐えなかったし鉱山経営にしても人件費や輸送の効率が悪く改善が急務の課題であったため1916年遂に架空索道を建設。白滝から三島まで延々20数キロの索道で鉱石や物資を運ぶことになる。
 1919年久原鉱業(現日鉱ホールデイングス)に経営権が渡る。以後大正、昭和にかけて政府(軍部)の軍備拡張政策での(金属)物資増産の大号令により終戦まで積極的に採掘する。一時は鉱山人口2000人以上にまで達し関連施設はもちろん学校、病院、売店、映画館、居酒屋などなど山の中に一大ニュータウンを築いていた。そんな白滝鉱山も1972年ついに閉山となる。現在は青少年の野外活動センター”自然王国・白滝の里”として跡地が再利用されている。

日本鉱業(株)白滝鉱山
http://www10.tok2.com/home2/kurodaiya/No.3/sirataki/sirtaki.html

209荷主研究者:2013/06/19(水) 23:52:50

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201305300046.html
'13/5/30 中国新聞
手掘りのトンネル拡幅 尾道

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130530004601.jpg

 広島県は本年度、尾道市瀬戸田町の高根島にある内の浦トンネル(117メートル)の拡幅を計画している。珍しい手掘りのトンネル。道幅が狭いため消防車や大型車が通れず遠回りを余儀なくされている。2014年度内の完成を目指す。

 トンネルの幅員は約2・5メートルで、車両の通行制限は高さ2・2メートル。計画では、トンネルにつながる県道も合わせた約300メートルを約5メートルに広げる。

 市消防局によると、現在トンネル奥に数軒ある集落に緊急車両が出動する際、島に入る高根大橋から反対側を迂回(うかい)するため、3〜5キロ多く走っている。完成すれば約3分の1の距離になるという。

 高根小の閉校記念誌によると、トンネルは1952年開通。壁面は手掘りのため、ごつごつとした岩肌がむき出しになっている。近くの農業根角哲司さん(77)は「トロッコで土を運び出す横で遊んでいた」と振り返る。最近はサイクリストたちが訪れる隠れた名所になっている。

 着工時期などは未定。県東部建設事務所三原支所は「緊急車両の通行や離合が難しい状況が解消され、住民の安心や利便性向上につながる」としている。

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130530004602.jpg
【写真説明】岩肌がむき出しになっているトンネル内部。大型車は通行できない

210荷主研究者:2013/06/19(水) 23:59:16

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/06/20130604t15012.htm
2013年06月04日火曜日 河北新報
江戸初期の古銭発見 仙台−東根間の「関山古道」付近

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/20130603027jd.jpg

関山古道付近で見つかった永楽通宝

永楽通宝を発見した八嶋さん

 仙台市青葉区−山形県東根市間の関山峠を越える「関山古道」付近で、江戸時代初期まで流通していた古銭「永楽通宝」が1枚見つかった。関山古道はルートに一部不明確な区間があり、発見した登山者は「古道を解明する手掛かりになる可能性もある」と期待に胸を膨らませる。

 1968年に開通した関山トンネルの国道48号以前に、南側の山裾を縫うように関山隧道(ずいどう)を含む旧関山街道があった。

 古道はこの旧街道が完成する1882年まで街道として利用され、48号と旧街道のちょうど中間を通っていた。

 険しい尾根伝いの道のため「峰渡り」とも呼ばれ、市民グループの関山街道フォーラム協議会事務局(仙台市)によると、峠付近はルートがまだ明らかになっていない。

 古銭を発見したのは同市のNPO「東北アウトドア情報センター」代表の八嶋寛さん(63)。

 4月30日、主宰する登山講座の仲間8人とトンネルの仙台側入り口付近から旧街道に入った。隧道の真上に登り、古道を目指す山中で古銭を見つけた。

 標高800メートルの峠の頂から、南西に数十メートル外れた場所だった。

 持ち帰って枯れ葉や土を払い落とすと中央に四角い穴があり、「永楽通宝」の4文字がうっすらと浮かんだ。直径は約23ミリある。

 永楽通宝は中国で明代に造られ、室町時代に日本に大量輸入された。1608年に幕府が流通禁止令を出し、以降は国産の寛永通宝に取って代わられた。

 もちろん古銭が元からそこにあったのか、後世に誰かが持ち込んだのかは分からない。それでも古道には、一部登山愛好者以外はほとんど足を踏み入れないという。

 発見地点は尾根から南側に外れており、峠の頂を迂回(うかい)するように古道が築かれていた可能性もある。

 八嶋さんは「江戸時代以前から活発に人が往来した道かもしれない。さらに踏査し、古道の手掛かりを探したい」と話している。

211荷主研究者:2013/07/04(木) 23:57:43

http://www.kahoku.co.jp/news/2013/06/20130616t71004.htm
2013年06月16日日曜日 河北新報
両地域結ぶ林道開通 山形・飯豊−喜多方13.8キロ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/20130615018jd.jpg

山形、福島の両県知事らが参加した林道の開通式

 山形県飯豊町岩倉地区と福島県喜多方市山都町をつなぐ林道飯豊桧枝岐線・一の木線が15日、開通した。山形、福島の両県関係者は、森林整備の推進、観光の振興、災害時のライフラインの確保などを期待する。

 全長13.8キロ(山形側8.1キロ、福島側5.7キロ)。名称は林道だが、幅員は7メートルあり、全面舗装の片側1車線の規格で整備された。両地区の往来は国道121号経由に比べて約30分短縮するという。林道周辺には観光ワラビ園やキャンプ場などが点在する。降雪期は閉鎖される。

 両線の工事は、緑資源機構(2007年度廃止)が計画した大規模林道整備の一環で始まった。山形側は1978年に着工、99年に完成。福島側は93年に着工し、機構廃止後に福島県が未整備区間0.4キロを昨年11月に完成させた。総事業費は105億2100万円。

◎福島県、3区間で整備/「林業振興ならず」批判も

 15日開通した林道飯豊桧枝岐線・一の木線は、大規模林道として計画された路線だった。公共事業見直しで他県で中止される中、福島県は今後も3区間の工事を続ける。市民団体は「林業振興に役立たない」と中止を求めている。

 大規模林道は「無駄な公共事業の象徴」と批判されながら建設が続いていたが、事業主体だった緑資源機構が官製談合事件で廃止され、2008年度以降は道県に事業継続の判断が委ねられた。

 福島県は計画を継続し、一の木線のほか、新鶴・柳津線(30.5キロ)田島・舘岩線(7.9キロ)北塩原・磐梯線(9.6キロ)の建設を決めた。

 県は「林業振興につながるほか、地元自治体の要望もある」と、本年度は3区間で約4億円の予算を計上し工事を進める。完成年度と総工費は公表していない。

 広島県は昨年1月、旧大規模林道計画は県の林業政策との関連が薄いと建設中止を決めている。

 福島県の博士山ブナ林を守る会の東瀬紘一代表は「旧大規模林道は森林土木事業でしかなく、林業振興に直結しない」と計画中止を訴えている。

212荷主研究者:2013/07/05(金) 00:10:33

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201306140011.html
'13/6/14 中国新聞
農道、15日開通 安芸高田<動画あり>

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130614001102.jpg

 安芸高田市高宮町の川根と羽佐竹を結ぶ川根原山連絡農道が15日、開通する。事業化から19年かかった。川根は江の川沿いと山間部の狭い県道しかなく不便だった。開通後は約45分かかっていた同市中心部の吉田町への通行時間が10〜15分程度短縮される。

 農道は広島県が建設。長さ6・6キロ、片側1車線で道幅は7〜6・5メートル。川根と羽佐竹の原山地区を結ぶ集落間農道として1994年に事業化し、当初は99年度に完成予定だった。

 しかし、硬い地質のためルート変更したり、農林水産省の農道再点検で事業の存続が危ぶまれたりしたが、川根側の道幅を7メートルから6・5メートルに狭めて事業を継続。今月初めに完成した。総事業費は41億5千万円。

 15日午後1時から、同農道の中間点で開通式があり、2時から通行できる。4時からは川根のエコミュージアム川根でホタル祭りもある。ホタル観賞や神楽が催され、手打ちそばも食べられる。

 動画はこちら

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/Tn20130614001101.jpg
【写真説明】事業化から19年で開通する川根原山連絡農道

213とはずがたり:2013/07/11(木) 14:00:08
尾張瀬戸で仕事をしてた時からずっと気になってたr208上半田川名古屋線の末端部。
やはりR363迄通り抜け可能らしい。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.9.50.063N35.15.59.325&ZM=9

愛知県道208号一般県道上半田川名古屋線
東尾張七変化
その7
http://turkey.6.pro.tok2.com/aichi208g.html

214とはずがたり:2013/07/16(火) 19:22:59
今度のヨッキの日本の廃道は↓みたいだ。

幻の茂浦鉄道
http://www.aomori-itc.or.jp/public/zoshoku/dayori/112g/112_p08.pdf

青森県産業技術センターのある湾が茂浦湾。ここから西平内駅のある小豆沢方面へ向かって
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.53.15.662N40.55.49.167&ZM=7

茂浦鉄道
http://logging-railway.arrow.jp/modules/d3blog/details.php?bid=15

215とはずがたり:2013/07/25(木) 09:51:49

ここか。この辺は亀の瀬の地滑り地帯の入口。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.39.15.055N34.34.12.417&ZM=10

それにしても深夜1時に何の電車が?

肝試しでトンネルに…高校生2人、電車に接触し死傷
http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY201307210027.html

 21日午前1時前、大阪府柏原市国分市場1丁目のJR大和路線芝山トンネル(約250メートル)の東側出口付近で、大阪市内の男子高校生2人が難波発王寺行き普通電車(6両編成)に接触し、2年生(16)が約4時間後に死亡、1年生(16)も右足の骨が折れる重傷を負った。

 柏原署によると、中高生ら13人(12〜16歳)が、夜中に「心霊スポット」に行こうと決め、21日午前0時過ぎ、バイクなどで現場近くの芝山に来た。

 山に歩いて入って道に迷い、墓地に出た後、トンネルを見つけた。「引き返すとまた道に迷う。線路をたどれば知っている道に出るのでは」と考えてトンネルに入った直後、前方から電車がきたという。

 11人は線路脇の待避スペースに入ったり、壁に張り付いたりして難を逃れたが、逃げ遅れた2人が電車に接触した。少年の1人は、調べに「時間も遅く、電車はこないだろうと思った」と話しているという。

 現場周辺は有名な「心霊スポット」で、事故現場のすぐ脇に墓地があり、近くに廃線のトンネル跡もある。近くのし尿処理施設の職員によると、肝試しに来る子が多いといい、「トンネル跡に入る子どもがいたので数年前に入り口が鉄格子で塞がれたが、錠を壊して侵入していた」という。

216とはずがたり:2013/07/25(木) 09:53:42
>>215
普通の最終列車か。。
http://www.ekikara.jp/newdata/line/2701062/up1_16.htm

鉄道事故:線路立ち入りの高校生はねられ死亡 JR関西線
http://mainichi.jp/select/news/20130721k0000e040173000c.html
毎日新聞 2013年07月21日 12時56分(最終更新 07月22日 12時35分)

 21日午前0時55分ごろ、大阪府柏原市国分市場1のJR関西線・芝山トンネル(約200メートル)東側出口付近で、難波発王寺行き普通電車(6両)に男子高校生2人がはねられ、2年生(16)=大阪市=が死亡、1年生(16)=同=も右足骨折などの重傷を負った。2人を含む計13人は肝試しをしていたが、道に迷ったため、トンネルに入ったという。

 大阪府警柏原署によると、中高生ら男女計13人(12?16歳)は東側出口からトンネルに入り、約25メートル進んだところで西から電車が来るのに気付いた。11人はトンネル内の待避所のくぼみに避難したり、壁にはりついたりして無事だったが、高校生2人は逃げ遅れたらしい。

 現場付近は使われていない鉄道の廃トンネルなどがあり、心霊スポットとして知られる。【高橋隆輔】

217とはずがたり:2013/08/13(火) 21:30:09
『大研究日本の道路120万キロ』を経費で購入♪
流石よっき,結構学術的だし非常に面白かった(`・ω・´)
自分用に自費でも購入しても良いな。

気付いた点を何点か。

1.産業道路は一般名詞なんだそうな。なにか根拠法があるのかと思ってたけど。あんだけ各所にあるのだからなんらかの法律or行政上の法則性がありそうなもんだけどないのかな?
2.奥産道特集が欲しかったなあw
3.あんなでたらめな経路を定めた国交省が都道府県道の制定にはまともな交通流動に沿うことといけしゃーしゃーと厚顔無恥に押しつけているのに愕然とし憤然と成らざるを得なかった。いい加減にせよと云いたい。
4.続篇きぼんぬふ♪

218荷主研究者:2013/08/15(木) 00:24:22

http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20130801/CK2013080102000183.html
2013年8月1日 東京新聞
新道に役目引き継ぐ 駒ケ滝トンネルきょう封鎖

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2013080102100081_size0.jpg
新道の開通に伴い閉鎖される「駒ケ滝トンネル」=秩父市で

 秩父市大滝の国道140号にある「駒ケ滝トンネル」が一日で封鎖される。トンネル脇に新道「二瀬ダム左岸湖岸道路」が同日午前五時に開通するためで、ネットなどに「酷道」と紹介されたトンネルは五十八年で役目を終える。

 駒ケ滝トンネルは全長三百九十七メートルで、トンネル内部で県道と分岐している。二瀬ダムの建設用道路として一九五五年に完成した。当時の交通量を前提に整備されたため、道幅約三メートルと狭くて相互にすれ違いができない上、照明は暗かった。

 国道140号は大滝地区で複数の路線に分かれ、山梨県への主要経路としては北側を通るバイパスがある。しかし、駒ケ滝トンネルは分岐する県道が観光名所の三峯神社に通じていることもあって一日平均約千五百台が利用しており、行楽シーズンは渋滞が起きることもあった。

 新道は全長約四百五十メートルで片側一車線。山梨方面から三峯神社方面へ右折で向かうことも可能になる。建設は二〇〇六年から始まり、総事業費は約二十三億円。

  (羽物一隆)

219とはずがたり:2013/09/20(金) 22:00:47

新中央道待望論者(笑)としては中央自動車道と中央新幹線と三遠南信道と中部横断道を重ねて描いてその現代的意義を検討したいところだけど,それは兎も角我が恥ずかしいコンテンツである新中央道妄想計画をそろそろ
>昭和34年に建設省が示していた「国土開発縦貫自動車道中央自動車道計画図」
手に入れてもっとまともなものにしないと(;´Д`)

2013.09.20 Friday
ヨッキれん
中央自動車道と中央新幹線。
http://yamaiga.jugem.jp/?eid=85

221とはずがたり:2013/09/20(金) 22:53:30

総会で委員長が突如、迂回ルートを提案
 曲折がありながらも南アルプス経由で決まった中央道の建設計画。これが覆る出来事が、1963年に起きた。

 中央道の早期着工・完成を推進するため、関係する自治体の首長などが「中央自動車道建設推進委員会」を構成していた。委員会が63年5月17日に開催した第6回総会でのことだ。長野県出身の国会議員でもあった委員長の青木一男(1889−1982年)が突如、ルートを北回りに変更する方針を明らかにした。独自の考え方として南アルプスを通らず甲府・諏訪を経由する迂回ルートだった。

突如、提案された北回り案。約60kmの迂回となる (資料:山梨県身延町「身延町誌」)

突如、提案された北回り案。約60kmの迂回となる (資料:山梨県身延町「身延町誌」)
 既に東名・名神高速の建設が進んでいた。完成すれば、中央道の「東京−大阪を結ぶ大動脈」という建設意義が薄れる。青木は、中央道の建設に当たっては工事費をいかに抑えるかが重要な要素になると唱えた。南アルプス経由は建設費が高かった。

 青木の意見に対して、山梨県の塩山(現・甲州市)市長や韮崎市長、長野県の駒ケ根市長など、ルート変更で新たに経由地となる自治体の首長が次々に賛成した。ただ一人反対したのが、当初案なら経由地となる身延町で町長を務めていた佐野為雄(1902−1972年)だ。山梨県知事が佐野に対し一般道整備などの見返りを提示し、説き伏せる形で総会を終えた。

 佐野は静岡県井川村を交えた周辺町村、あるいは国会議員を巻き込んで反対運動を展開した。しかし、覆った案を元に戻すことはできなかった。

 翌64年、当時の建設省の建設審議会がルート変更を決定した。6月9日に開かれた参議院建設委員会では、佐野が参考人としてルート変更に反対を訴える。しかし、委員会も本会議も変更案を可決した。

 建設委員会の議事録では後の委員長、田中一(1901−1989年)の積極的な発言が目立つ。「寝耳に水」だった佐野を前に、心情に配慮すると同時に、ルート変更の交換条件を提示してはどうかと勧めている。

222とはずがたり:2013/09/20(金) 22:53:49
>>220-222
先行開業した富士吉田線が本線のはずだった

 情勢の急変をよそに、東京−富士吉田の区間は高井戸IC(インターチェンジ)−河口湖ICとして、既に工事が進んでいた。中央道として最も早く69年までに、都心部を除いて完成。うち大月JCT(ジャンクション)−河口湖ICの区間は、ルート変更後、中央道富士吉田線と名称を変えた。

 甲府・諏訪経由の新たな本線は、全線開通が1982年までずれ込んだ。山梨県内では、甲府市街地の北を通すか南を通すかで意見が分かれ、勝沼IC−甲府昭和ICが最後の開通区間となった。結局、南部を経由した。

 それにしても、変更案が突如示された63年の総会は何だったのか。ルート変更で利益を得る側が水面下で調整を図ったのだろうか。

 ひるがえってリニア新幹線のルート問題。中央道建設における意見の対立と似た構図が今、生じている。2つ以上のルートが候補となれば、経由地同士で誘致合戦になるのは、ある意味では当然といえる。しかし、国家的なプロジェクトでは大局に立った判断が必要だ。

 ルートの問題は、その交通手段が存在し続ける間ずっと経由地に影響を与える。中央道での経験をリニア新幹線にも生かしていくことが求められる。

※文中敬称略

223とはずがたり:2013/09/20(金) 23:02:09
法律を枉げて北回りが実現した点,リニアに関して京都府は参考に出来るかも知れない♪
関西連合総力を挙げて荒井利権土建自民系知事の失点に繋げて欲しいところww

224とはずがたり:2013/10/19(土) 21:56:29
中畑町(名阪国道五ヶ庄IC付近)〜福住の未通県道を山行が♪
随分経ってやっとBP部画像うp(;´Д`)
廃道と未成道のコンボと云いたいところだが,廃道部分は文字通りの踏み込み不足。。(´・ω・`)
いつか再挑戦したい。

奈良県道187号福住上三橋線

県(険)道部篇
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r187-000.html#3-1
BP未成道篇
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/fukusumi/r187-000.html#3-3

参考
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1178710048/142-144

225とはずがたり:2013/10/19(土) 21:59:17
>>224
×五ヶ庄
○五ヶ谷

227荷主研究者:2013/10/27(日) 13:50:54

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20131017/CK2013101702000096.html
2013年10月17日 中日新聞
台風26号 焼津で県道陥没、通行止め

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2013101702100036_size0.jpg

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/road/PK2013101702100035_size0.jpg
台風26号の影響で大きく亀裂が入った県道静岡焼津線=16日、焼津市浜当目で

 台風26号の影響で、焼津市浜当目の大崩(おおくずれ)海岸沿いを通る県道静岡焼津線が一部陥没し、通行止めとなった。県道脇の同市元小浜(もとおばま)地区から市中心部へ向かうルートが寸断され、住民はいったん静岡市へ北上してから国道150号で焼津市へ戻る大回りを余儀なくされる。復旧の見通しは立っておらず、市は小中学生をタクシーで送迎するなどの対策を決めた。

 市によると、県道は幅六メートルで片側一車線。長さ五十メートルにわたって亀裂が入ったり陥没したりして損壊、土砂崩れの恐れもある。元小浜地区には小学生から九十代まで十八世帯六十九人が住む。市街地にある東益津小に通う児童三人と東益津中に通う生徒三人の通学用に、市は一人一台ずつタクシーを手配する。

 火災や救急救助に備えて、静岡市の石田消防署や同署用宗出張所に緊急時の出動を要請。焼津消防署から出動する通常時と到着の時間差がないようにする。ごみやし尿の収集は焼津市の収集車が静岡市を通って向かう。

 通行止めは、焼津市浜当目の当目トンネルと、同市小浜のたけのこ岩トンネル間。

228とはずがたり:2013/11/20(水) 16:33:22
>田村市の都路、常葉、船引の3地区を分ける国境の山
鎌倉岳はここ
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.41.32.250N37.27.49.361&ZM=8

ルポ・福島:鎌倉岳の空間放射線量 「全般に3、4割低下」 山頂直下「測定不能」から7マイクロシーベルトに /福島
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20131104ddlk07040145000c.html
毎日新聞 2013年11月04日 地方版

 阿武隈のやまなみにそそり立つ花こう岩の麗峰、鎌倉岳(標高967メートル)。田村市の都路、常葉、船引の3地区を分ける国境の山は福島第1原発の西30キロにあるが、より原発に近い都路東部の山々よりも空間放射線量がはるかに高い。事故後、線量はどれほど落ちたのか。先月31日、2年ぶりの計測に同行した。【藤原章生】

 常葉地区から国道288号を浜通り、都路方面へ走ると、天を突くような岩峰が現れる。鎌倉岳は古くから山岳信仰の対象で、1985年発行の「都路村史」にこうある。9世紀初頭、嵯峨天皇の時代、長い干ばつから東国を救うため「大徳峰宇という老婆が薬師尊像を背負って現れ」、村人と鎌倉岳で雨乞いし、恵みの雨をもたらした。そんな伝承からか、戦国時代には相馬、岩城、三春領による領有をめぐる「山争い」の中心の峰でもあった。

 今回ともに歩いたのは、11年10月から延べ約150の県内の山で放射線量を調べてきた山岳会、福島登高会の和泉功さん(64)。和泉さんが前回登ったのは11年11月30日。その直後に登った郡山勤労者山岳会の結果を合わせると、標高740メートルの登山道で線量が毎時5マイクロシーベルトを超え、頂上直下では上限10マイクロシーベルトの線量計が「測定不能」となった。

 測定は、前回と同じ堀場製作所製のPA-1100を使い、同じ場所で地上1メートルの線量を5回調べ平均を出す同じ方法をとった。

 朝9時過ぎ、国道を北にそれ、標高540メートルの萩平から歩き出した。市の除染が済んだ駐車場の線量は0・3マイクロシーベルトだが、登山口に向かう林道に入ると1を超えた。事故前まで県外のツアー客が訪れた登山道は腐葉土や倒木で覆われ、入山者はほとんどいない。

 南東斜面に入ると線量は急上昇し、前回5マイクロシーベルト超だった標高740メートルのヒノキ林で4マイクロシーベルト。過去2年の減少率は2割ほどだ。標高890メートルでは、0・4マイクロシーベルトと約半分に下がっていた。和泉さんが「ここはかなり落ちている」と声を上げた。

 頂上は風雨にさらされるせいか前回も低く0・6マイクロシーベルトほどで、今回は0・3マイクロシーベルト。「山を測る度に下がっているのを見るのが楽しみ。今回も全般で3、4割落ちている感じです」と話す和泉さんだが、喜びもつかの間、頂上から5メートルほど下りた南東面の小尾根で一気に7マイクロシーベルトに達した。2年前、「測定不能」だった地点だ。周囲を測ると尾根上の木陰4メートル四方ほどが満遍なく5-7マイクロシーベルトで、狭いスポットだけが高いわけではない。

 下山後、測り忘れていた登山口を測ると、前回より3割ほど高い。「2年前はコンクリートの地面でしたが、今は腐葉土に覆われているから上がったのでしょうか。この山に限らず沢沿いは結構上がっていますね」と和泉さん。人の踏み跡のない林道にはイノシシの鼻と足の跡が幾つも残っていた。

229とはずがたり:2014/01/04(土) 19:43:26

にぬけんの懇願を受け緊急整備してやった♪(・∀・)v

ttp://tohazugatali.iza-yoi.net/shin-tomei/shin-tomei.html#fuji
(都)富士インター線+r88一色久沢線
(都)本市場大渕線+r72富士白糸滝公園線
r24富士裾野線BP

辺りの未成道てんこ盛りだから此処に♪

230とはずがたり:2014/01/11(土) 17:51:56

軍艦島の世界遺産推薦、地元・長崎はなぜ落胆?経済優先の国の思惑に翻弄、多額財政負担も
http://biz-journal.jp/2013/12/post_3712.html
2013.12.27

231とはずがたり:2014/01/24(金) 10:32:44

所有者が確定せず宙ぶらりんだそうな。
「暗い蛍光灯」って蛍光灯の電気代を負担している人は誰なん?←これは盗電でも無い限り瞬間で判明する筈
アンカーボルトでトンネル補修したのは誰なんだ?
京急バスが転回の為に使ってるようなんでその辺が負担しているのかな?
小柴トンネルとでもして現役隧道として再生することを祈る♪

隧道レポート 横浜市の柴燃料隧道(仮称)
http://yamaiga.com/tunnel/shiba/main.html

小柴の“放置”トンネル問題:さびた看板、暗い蛍光灯、一年中水漏れ… 「どこに補修頼めば…」周辺住民困惑
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1401040014/
2014年1月5日

 シーサイドライン「海の公園柴口駅」(横浜市金沢区)から徒歩で15分足らず。住宅街を曲がると、そのトンネルは現れる。名前の表示は何もない。入り口近くには、バス停とベンチが置かれている。

 十数メートルおきに蛍光灯が設置されているものの、日中でもトンネル内は暗い。足元を確認しながら、両脇の側溝に落ちないようゆっくりと進む。

 道路脇には、さびてぼろぼろになった工事用のバリケード看板。突然ごう音がトンネル内に響き、振り返るとバスが1台、走ってくるのが見えた。端に立ち止まってやり過ごす。トンネルを抜けるとちょっとした広場になっており、左手に3軒の住宅がある。正面には閉鎖された貯油施設のゲートがあり、右手にはUターンして停車したバスが止まっていた。

 「ちょっと暗すぎるよね」。住宅に住む男性(72)は苦笑いを浮かべ、トンネルの方に目をやった。転居してきてから18年。今のところ大きな不便や危険は感じていないが、少なからず不満はある。

 たびたびあるごみの不法投棄を防ごうと、トンネル内の側溝に沿ってバリケード看板が設けられているが、今はさびて“新たなごみ”状態に。トンネル内の照明は、以前は水銀灯で明るかったが、今は電気代の節約のため蛍光灯となり「暗い」。家の前の道には大きなくぼみがあるが、「どこに補修を頼めばいいのか分からない」。

 トンネルには、ひびが入っている箇所もある。男性は「一年中水漏れしている部分もあり、コンクリートの劣化も心配。まだまだ住み続けたいので、早く所有者を確定してきちんと補修してほしい」と切実だ。

 市の担当者は「安全性や構造上問題があるかどうかは分からないが、詳細に調査する必要があるだろう」と話している。

 住民だけでなく、近隣の農地所有者からも早期解決を求める声が上がっている。施設周辺の山林や農地を対象にした「柴土地改良区事業」は1991年度にスタート。換地などは2006年までに終わらせたが、トンネルの権利設定が確定されていないことから改良区内の道路をトンネルに接続できないなど、課題が残り、事業を完了できない状態が続いている。

 改良区の小山収一理事長(76)は「本来ならとっくに終わっている事業。軍が造ったのだから国がきちんと管理すべき。結局一番迷惑するのは市民だ」と憤る。

232とはずがたり:2014/01/24(金) 10:33:41
>>231-232
そのうち消えるであろう記事の保存を兼ねて投下。

>国側は「国有財産台帳に載っていないので知らない」として、議論は平行線だったという。
無責任なw
如何にもお役所(;´Д`)

小柴の“放置”トンネル問題:所有者不明解決へ協議、笹子崩落受け市と国が本腰へ
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1401040013/
2014年1月5日

 旧小柴貯油施設(横浜市金沢区)の南側に、施設のゲートと住宅街をつなぐ1本のトンネルがある。70年以上前に旧日本軍が造ったものだが、戦後の手続きから漏れたため、国にも市にも台帳に記載されておらず、「所有者不明」の状態という。しかし、トンネル崩落事故などを受け、ようやく国と市が本格的な協議に乗り出した。市基地対策課は「解決に向け、国と話し合っている。早めに管理主体をはっきりさせたい」と話している。

 市基地対策課によると、トンネルは旧日本軍が土地を強制収用して掘削し、1939年に完成。第2次大戦後、貯油施設は米軍に接収されたがトンネル部分は権利設定がなされず、宙に浮いたまま約70年が経過した。

 トンネルは高さ約5メートル、幅約7メートル、長さ約180メートル。住宅街とゲートをつないでいる。現在はゲートが閉じられているため行き止まりとなっており、もっぱら施設横の3軒の民家の生活道路や路線バスの転回用に使われている。

 トンネルについて、同課は「以前から存在を認識していた。国に『旧日本軍が造ったものなのだから国が管理すべき』と申し入れたこともある」と説明。しかし、国側は「国有財産台帳に載っていないので知らない」として、議論は平行線だったという。

 転換点となったのは、2012年12月に山梨県で起きた「笹子トンネル事故」。事故を踏まえ、自民党の藤代哲夫氏や高橋徳美氏が市会で、このトンネルの管理について取り上げたことで、市も国との協議に本腰を入れ始めた。市によると、国側にも従来の主張から変化が見え始めているといい、「お互いに前向きに解決に取り組んでいる」(同課担当者)。財務省関東財務局横浜財務事務所の担当者も「軍が設置した事実はあるので、台帳に載ってないから『分からない』というわけにはいかない。国としても解決に向けて市と協議している」と話す。

 05年に米軍から返還された旧小柴貯油施設は現在、都市公園としての利用に向けて市が基本計画を策定中。トンネルも出入り口の一つとして活用したい考えだが、所有権が不明なままでは計画に組み込めないという。

 市緑地保全推進課は「(トンネルを)使えるに越したことはない。協議の推移を見守り、結果を踏まえて弾力的に考えたい」と話している。

233荷主研究者:2014/02/23(日) 19:19:26
>>231-232
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1402120019/
2014年2月13日 神奈川新聞
金沢区・小柴の“放置トンネル”、安全調査へ/横浜

 戦後の手続きから漏れたため、「所有者不明」の状態となっている旧小柴貯油施設(横浜市金沢区)南側のトンネルについて、財務省関東財務局横浜財務事務所がトンネルを国の所有物とした上で安全性の確認を行い、最終的に市に所有権を移管する方針であることが12日、分かった。

 同事務所や市によると、トンネルは旧日本軍が土地を強制収用して掘削し1939年に完成。終戦後、貯油施設は米軍に接収されたがトンネル部分は権利設定がなされず、宙に浮いたまま約70年が経過。市と国は近年のトンネル崩落事故などを受け、所有権や安全確認などについて本格的な協議を進めていた。

 同事務所は、旧日本軍が造った事実を踏まえ、トンネルは国の所有物であると判断。その上で、構造や安全性に関する詳細調査を2014年度に実施する方向で調整しているという。担当者は「調査費の予算要求が通れば、今夏前には調査を始めたい」と話している。

 安全性が確認できれば、最終的には市に所有権を移管する考え。市の担当者は「長年の懸案事項がようやく動きだした。課題解決に向け、さらに協議を進めていきたい」と話している。

234とはずがたり:2014/04/01(火) 16:44:03
未成道(に近い?)

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1178710048/209-211

209 :とはずがたり:2014/03/21(金) 15:35:27

なんだこれ?この道路は府立公園の管理道路として一般車の進入は出来ない箇所
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.39.34.312N34.39.43.511&ZM=10
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.39.34.312N34.39.43.511&ZM=12

210 :名無しさん:2014/03/24(月) 09:03:54
一番最後のは、
東大阪市らくらく登山道といって、かつては髪切(こうぎり)自動車道として整備しようとしたところらしいです

211 :とはずがたり:2014/04/01(火) 16:17:55
>>210
有り難うございます。調べてみました。

らくらく登山道コース | 東大阪市
http://www.city.higashiosaka.lg.jp/0000007206.html
らくらく登山道案内図
http://osaka-midori.jp/mori/pdf/raku_map.pdf

235とはずがたり:2014/04/02(水) 19:35:15

ヨッキがなかなか続き書かないので先走って調べてしまった。
未体験風景はなんやろなー。
5:39辺り川の中走ってる?

和歌山樫山小匠林道「通称コウダクミ」に行ってきました。
https://www.youtube.com/watch?v=Qamm0lZD3Y8

TSURUGIpassB1 年前
4:00のとこ、えぐいなあ。4輪じゃ無理そうですね。

crazykids19841 年前返信先: TSURUGIpassB
コメントありがとうございます。足場のようなものが2、3枚かけてあるだけで幅が60〜70cmくらいしかなかったです。他のところも2mくらいしかないタイトな道なのでオススメできません。

林道への案内板
樫山小匠線
取材日 : 2002-06-02
http://www.rindo21.com/kansai_minami/wakayama_natikatuura/wakayama_kasiyamakotakumi/

樫山小匠線 (和歌山県太地町)
http://dts3800.blog117.fc2.com/blog-entry-18.html

樫山小匠線は、和歌山県那智勝浦町にある林道である。
僕の持っているツーリングマップル関西2004年版には、通行可能な未舗装路として
オレンジ色の点線で図示されていたが、 2010年版ではオレンジ色表示ではなく
普通の点線(徒歩道)で表示されている。
これから説明するように、路面状態よくないため通行不可能な道路として改訂されてしまったんだろう。
樫山小匠線へのアプローチは、国道42号から那智勝浦町下里にて県道45号に入り
県道234号を経て小匠ダムに到着し、ここから林道探索をスタートした。
なお、ネットで調べてみたが樫山小匠線の起点・終点は不明であった。

236とはずがたり:2014/04/02(水) 20:36:23
記事の写真に付された説明書きだとトンネルの御前崎側は土砂で埋まっているとのこと。
写真取り込もうと思ったけど面倒なんでこのまま投下。

2014年3月14日版
郷土新聞(掛川)
「オット」に思いを馳せて
菊川歴史くらぶが現地調査と草刈り実施
今も残る佐栗谷トンネル
公園化など保存を目指す

大正13年から昭和10年(1924-35)までおよそ11年にわたり,現在の菊川市堀之内─御前崎市池新田間14.8キロを結んで多くの人や荷物を運んだ日本初のディーゼル機関車「オット」。その歴史を掘り起こそうと今月1日,当時の面影を残す貴重な遺構「佐栗谷トンネル」の調査が,地元の歴史愛好家たちによって行われた。

ディーゼル機関車のオットは,堀之内と南山(現菊川市高橋)を結んでいた「堀之内軌道」が池新田まで延長することになったのを機会に,1899年(明治32年)の開業以来,客車や貨車を引いてきた馬に代わって導入された。

その当時から普及し始めていた製茶機会の動力源である発動機に着目した同社が,ドイツで開発されたディーゼルエンジン式機関車を国内で初めて採用したもので,茶どころならではの発想が産んだ新時代を切り開く試みだったと言える。

堀之内─池新田間を1時間余で走ったオットだが,ほぼ平坦な沿線中,唯一勾配に悩まされたのが,菊川と御前崎の市境にある「佐栗谷トンネル」だ。時には車掌がレールに砂をまき,それでも登らない場合は乗客が後押しをすることもあったという。

そんなオットにとって最大の難所だった同トンネルが,廃業から80年が経過しオット関連の遺構がほぼ無くなってしまった今も当時の面影をそのままに現存していることから,菊川市文化協会所属の「菊川歴史くらぶ」=すずき麗華代表=では1日,メンバー約25人が現地を訪れて,生い茂った草の伐採や見学調査を行った。

トンネルの菊川口に集まった参加メンバーは,草刈りに続き入口付近に堆積した土砂を掻き出して,中にたまった雨水を排水た後,講師に招いた御前崎市議で古い鉄道の研究をしている阿形昭さんとともに内部に足を踏み入れた。計測の結果,高さ2.9㍍,幅3㍍,長さは93.3㍍。菊川側入口から約7㍍と御前崎側入口から約25㍍はレンガ造りで,中には防空壕と思われる横穴2本が掘られていた。

廃線となった当時のまま放置されている同トンネルだが,特に破損している箇所は見られず,赤レンガの色合いも保たれている。調査を終えたすずき代表は「人目につかず荒れ放題になっているが,きちんと手を掛ければオットの歴史を伝える貴重な遺構になる。同じレンガ製建造物として,赤れんが倉庫と関連づけた価値の見出し方もおもしろい」と話し,公園化整備の可能性を探っていきたい意向を示した。

237とはずがたり:2014/04/22(火) 08:07:04

2014年04月21日20:00
廃村に行ってきたからうpしてく
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4662944.html

239とはずがたり:2014/05/25(日) 11:47:44
良い雰囲気ですな〜♪香川の宮脇と云えば俊三だけどそういう苗字おおいのかな?

四国裏観光ガイド
祖谷のカテドラル、旧三縄発電所
宮脇慎太郎 [高松市] | 2014.2.03
http://459magazine.jp/journey/ura/7899/

240とはずがたり:2014/06/04(水) 16:10:09
廃水路橋♪に廃水路隧道♪

大鳥居発電所(関電)から大戸川取水ダム 1
http://netishim.seesaa.net/article/229984999.html

242とはずがたり:2014/06/10(火) 11:35:35

良い味出してるなぁ♪

銚子川第一発電所を探して
http://blogs.yahoo.co.jp/dam_suiryokuhatuden/11439477.html

243とはずがたり:2014/06/17(火) 10:05:15
鉱山(ヤマ)さ行がねが♪シリーズ

秩父鉱山はニッチツの保有する鉱山http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070723570/1310。規模縮小しつつ現在も石灰石を採取している。2006年に無住の地(OBが一人だけ住む)となったそうな。
皆,クルマで通勤出来る様になったと云う訳か?

それにしても凄い場所だなぁ。。西関東のどん詰まりという表現しか思い浮かばない。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.48.36.397N36.0.46.176&ZM=7
三峰口迄索道って!?と云う距離である。。。

秩父鉱山 2007.10.20
http://www.kanso.cside.com/neko_tabi/mine/chichibu/chichibu.htm

秩父鉱山は現在も稼動中であり、株式会社ニッチツが石灰を掘っている。
ダンプもひっきりなしに通る為、業務の邪魔にならぬように注意する必要がある。
こちらの方は秩父鉱山の小倉沢中学校出身の方で、今もその伝統・歴史を伝えようとされている方である。
心より敬意を表したい。
今回は稼動中の鉱山ということもあり、施設へ近づいて撮影はしていない。鉱山街の廃墟写真が中心となっている。

秩父鉱山は戦国時代、甲斐武田氏が採掘したのが始まりと伝えられている。
江戸期には平賀源内も金を求めて入山した。
1937年よりニッチツが柳瀬鉱業所より鉱山を買収し大規模に採掘を始めた。
金・銀・銅・鉛・亜鉛・鉄が採掘されたようだ。
1978年に採算が合わずに金属採掘を止め、以降大幅に規模を縮小し現在も石灰・珪砂のみを採掘している。
これにより埼玉県の金属鉱山は消滅した。

最盛期には標高860mの山中であるのにも関わらず2000人を越える人口を誇り、
ニッチツの用意した共同浴場・社宅・病院・学校・商店も完備、郵便局も存在した。
尚、郵便局は関東で最も到達困難な場所にある郵便局であり、郵政民営化の際にも廃局にならずに存続が決まった。

2006年9月には鉱山街から人が去り、遂に無住の地となった。
現在ではニッチツ事務所の裏にOBの方が犬と独り住んでいるだけであり、小倉沢は人口一人となった。
鉱山街はすでに自然に帰りつつある。
栄華を誇った秩父鉱山の今の姿をお伝えしたい。

244とはずがたり:2014/08/07(木) 19:46:15
見るだけで行った気になれる、東京近郊・車で日帰り登山動画&秘境散歩動画 せんてんすくらぶ.net
http://xn--y8jtaf8b0e7ewcb.net/

サイト管理人の生態
http://xn--y8jtaf8b0e7ewcb.net/prof.htm

ハンドルネーム:せんてんす (サイト名と同じです)…というか、ハンドルネームをサイト名にしているだけ。。。
発生地:東京湾で、ボウフラが突然変異…!?
発生年:花のサンパチ。同年代は、仮免横綱・双羽黒…(゚゚;)エエッ
性格:超硬派で、まじめなんだが、ふざけている二重人格…!?
生態1:色々あったが、今は独身(子孫無し)。決して、 ホモではないし、風俗遊びもしない…ひたすら山の中へ…(*^_^*)
生態2:炊事洗濯、何でもOK♪ 外食が苦手…(^o^;)
生態3:節約の鬼!1ヶ月の食費は1日3食で1万円ちょい! とにかく、節約節約♪ 要は、貧乏ね…(/--)/
趣味1:車が唯一の自己資産…(^o^;) 簡易キャンピングカー仕様!今回が、2代目のキャンパー♪(^o^)v
趣味2:独学で覚えた、パソコンも趣味。 HPも、専用ソフトは買わず、メモ帳とフリーソフトで作成♪ヘ(^o^)/

245とはずがたり:2014/08/07(木) 20:00:23

子連れの林道部,いいね♪

神奈川県道515号三井相模湖線 【最険狭道】
https://www.youtube.com/watch?v=vw3FQbNasRg

通行禁止区間があるが踏破はせずその両側のレポ

神奈川険道515号線
神奈川県相模湖町〜津久井町
2005・12・31来訪
http://www.geocities.jp/wxfff590/kanagawakenndou515.html

r515はやまいがでも取り上げられている。勿論踏破♪

神奈川県道515号 一般県道 三井相模湖線
http://yamaiga.com/road/kpr515/main.html

>>244のせんてんす氏の踏破動画

進化した神奈川県道515号・廃道区間踏破1/4@神奈川県相模原市緑区
https://www.youtube.com/watch?v=5FnVayw4ws8

246とはずがたり:2014/08/08(金) 09:57:13
>>54-56
山崎峠と三安鉱山は大峠と八谷鉱山に似ている。
前者は鉱山は宮城側にあるけど搬出は福島県側で鉱山は閉山,結局宮城県側は廃道化。後者は鉱山は山形側にあるけど搬出はやはり福島県側からで,現在鉱山は閉山,結局山形側が廃道化,である。
となればさしずめr107はR121旧道で,R121新道はr46(規格は全然違うけど)ってとこか。

wikiに拠ると1943頃閉山となっているので,戦後,鉱山開発の目的もあって県道整備してみたけど結局再開には至らなかったと云う感じではなかろうか?

山崎峠(宮城福島県道107号赤井畑国見線)
http://www.henari1.jp/H-6-001-A.htm


なんだこのマークは!?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E140.32.49.991N37.53.51.161&ZM=9

廃道日記(Riding・Report)001-3(>>54から移転している)
http://dtm-rt.o.oo7.jp/3.dtm/6.ObRoad-Diary/project-2/001.kendou107/hido_deta2.html
考  察
〜鉱山の隆盛と七里沢隧道の放棄〜

 宮城県によれば今後もこの険道を正式な県道にする予定はなく、宮城県側の隧道及び接続道路は崩壊及び閉塞を持ってその人生を終える事となりそうである。隣にある県道46号線(小坂峠)で代用は十分に果たせるし、今後、飛躍的に交通量が増える予定もないからだ。
 隧道の竣工は「山形の廃道」様(http://www42.tok2.com/home/ht990/ )「全国隧道リスト」によると昭和28年である。当時、全長100m/幅3.2m(コンクリート改修部分の幅が記録されている。初期の素堀隧道の貫通・竣工は記録に無い。当然、中央アーチ部は幅2.5m程度しかない)の隧道を掘るのは大変な金額と労力を要したはずだ。因みに昭和11年の、宮城県内での地方費道路線認定(県道指定/準備)路線としては、ダントツに早く竣工している。これは昭和27年に一級国道4号/6号線が認定を受けた翌年に、隧道は竣工している事を意味する。(あの状態で、竣工というのも?)

そこでクローズアップされるのは七里沢鉱山の存在である。紫水晶や銅(亜鉛という資料もある)を産出する鉱山の最盛期は戦前・戦中であり、戦時中は鉱物は総て軍需産業に転用されただろう。実は当時の鉱山の廃墟がまだ残って(いる。…)面白いのは、この鉱山は独特のねじれ現象に徹頭徹尾振り回されたのだ、県境という立地条件故に。
 宮城県に在籍する鉱山「三安鉱山」は宮城の会社が運営し、主だった運営や労働者も宮城からが多かったようであるが、交通の地の利から掘り出した鉱石は福島に運び出され、東北本線藤田駅から各地に運ばれたのだ。

ここからは、全くの予想である。
 宮城県としては、昭和27年の道路新法による国道113号線の認定・整備(実際には28年)と共に、鉱石を宮城側に降ろす計画を立てていたのでは無いだろうか?すでに主立った関係者は宮城から出ているのだ。地元に対するその経済効果は計り知れないだろう。自動車の普及を見越して、国道開発に連動した県道延伸と考えるとつじつまが合う。そう考えると、途中から抗口を広げようとした意図も判る気がするのだが。

 ただ、想定外だったのは七里沢鉱山の閉鎖である。理由は不明だが可能性があるのは、隧道の計画時期より思った以上に鉱脈が細かったのではないだろうか?大正から昭和の初めはは紫水晶の産地として有名だった鉱山だが、その後は水晶より銅を生産していたらしい。国内需要の大きさの割に七里沢鉱山の埋蔵量はなく、隧道は貫通したところで、鉱山ごと放棄されてしまったのではないだろうか?
 また、産出する鉱物の価値が下がって、鉱山経営が成り立たなくなった可能性もある。この周辺は三安鉱山以外でも幾つか掘っている(試掘)らしくて、その時期もバラバラなのである。因みに三安鉱山は戦時中に一度倒れていて、その当時でも千人程度の抗夫が働いていたらしい。国見からも出資があり、また倒れたという資料も、昭和18年と鉱山統制がかかるころで、国の指針で戦争に必要な鉱床以外は閉鎖に追い込まれているはずなのだ。(軍需産業などと書いておいて、紫水晶が何に加工されたか知らないんですけど、掘り出されてるのはやっぱ銅?)
 因みに、現時点では戦後に三安鉱山が再起したのか?最終的な鉱山の放棄時期などについては、文献を見つける事が出来なかった。

247とはずがたり:2014/10/06(月) 11:26:43
廃物件発見!
http://tohazugatali.iza-yoi.net/NARA/r7/r7-00.html#ob

場所はここ
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.43.24.097N34.45.52.874&ZM=11

残念ながら県道傍で人目があるし,錦秋湖みたいに広くない溜池は立ち入り禁止で有刺鉄線も貼られてるんでよっきにあの橋の上に立ってくれとはいいづらいw

249とはずがたり:2014/11/01(土) 17:01:28
掛川スレで紹介したホムペ( http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/134http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/137 )だけどより本格的な中身っぽいのでこちらに。

(仮名)水窪地頭方第一隧道
http://d.hatena.ne.jp/cocora/searchdiary?word=%2A%5B%C5%B4%C6%BB%5D

250とはずがたり:2014/11/01(土) 19:12:33
これはレアでは!?

廃止された県道(廃道では無い・県道そのものの格下げ)に眠る白塗りされたヘキサ!
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1187487997/138-139

251とはずがたり:2014/11/01(土) 19:22:56
孔さ行がねが♪

2010-11-09
掛川市遊家 - 遊家隧道は存在するのか?
http://d.hatena.ne.jp/cocora/20101109/1289255118

252とはずがたり:2014/11/01(土) 19:30:02
よっきは未だレポしてないのかな?早川町だから絶対行ってるよねw

2012-11-04
山梨県道37号線 - (旧)角瀬トンネル
http://d.hatena.ne.jp/cocora/20121104/1352042470

253とはずがたり:2014/11/06(木) 15:54:32
【旧道倶楽部】
住道駅から近鉄八尾駅迄r21八尾枚方線の旧道(っぽい道)を辿ることが出来る

起点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.37.36.969N34.42.20.475&ZM=10

(都)大阪生駒線との交点。
此処で大阪生駒線は一旦終わっている。俺が旧道に気付くきっかけとなった箇所。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.37.26.608N34.41.34.540&ZM=9

現道との交叉部
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.37.1.585N34.40.51.019&ZM=9

中央大通りとの交叉部である横枕交叉点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.40.384N34.40.31.445&ZM=9

若江岩田駅の横
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.37.472N34.39.35.616&ZM=9

再び現道との交叉
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.29.283N34.38.46.683&ZM=9

萱振町2
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.29.385N34.38.1.894&ZM=11
直ぐに八尾中央線から離脱

八尾中心街(旧市街?)
この辺迄一本道
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.36.6.995N34.37.36.416&ZM=11

254とはずがたり:2014/11/06(木) 16:09:10
【旧道倶楽部】
168の生駒市付近

起点(R168現道より分岐)
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.41.57.563N34.44.25.458&ZM=8
終点(R168(南田原BPが出来て旧道に成っている)へ合流)
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.23.790N34.42.52.167&ZM=9

で,昔はr142+r104経由だったと仮定して,更に
分岐擬定点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.41.59.545N34.42.6.354&ZM=10
擬定旧道が明瞭に開始する点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.2.233N34.41.53.615&ZM=10
市道13号との交叉点。昔はここ(13号線側)に稲蔵神社の鳥居があったそうな
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.19.067N34.41.35.046&ZM=10
終点
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.31.351N34.41.9.838&ZM=10

壱分付近
旧道?
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.42.38.796N34.40.23.297&ZM=10

255とはずがたり:2014/11/08(土) 08:58:04
>>250を見に行く途中,この辺,流された木の廃橋があった♪
まあ大した遺構ではないけど,河原で遊んでいる内に時間なくなり原田森線に辿り着けなかった(;´Д`)
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.56.44.170N34.50.48.119&ZM=8

256とはずがたり:2014/12/15(月) 07:55:36
昨日決行。

R163から沈下橋を経由して入ってみてこの辺で断念
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.57.42.436N34.44.57.184&ZM=8

r4から入ってみてこの発電所付近で断念
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.57.50.278N34.44.26.773&ZM=8

257とはずがたり:2015/01/05(月) 09:58:51
名豊道路の豊川為当IC〜蒲郡ICの欠環部の連絡にr368国坂峠から数年前に知らん間に無料化されていたr525三河湾ドライブウェイに入ってみた。

ここ(三河湾ドライブウェイから市道への連絡路)廃道になってた。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.15.38.589N34.51.2.301&ZM=10

ここから三ヶ根側は通行止めになってた。特に表示にも気付かなかったのでいきなりの印象
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.13.43.773N34.51.56.593&ZM=10

途中も枯れ葉が結構路側に溜まっていて荒れた印象。

それは兎も角通行止にやむなく岡崎の看板に从い山を降りる。R1に合流は名電山中付近であった。

258とはずがたり:2015/01/16(金) 09:58:28
中央高速中部山岳ルートについて
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1070022351/3362-3363

この頁↓も更新しないと♪

妄想!新中央道
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html

妄想を完成させるには中部横断道の富士川との交叉部をはっきりさせないとあかんね。

259とはずがたり:2015/01/16(金) 21:17:24
>>258
本邦(多分)ネット初公開♪
中央高速比較代替ルート道志線地図(`・ω・´)
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html#doshi

またまた多分この縮尺ではネット初公開♪
中央高速,中部山岳貫通ルート地図(`・ω・´)
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html#akaishi

いやあ萌えますねぇ,否,寧ろ燃えるわあ♪♪

260とはずがたり:2015/01/16(金) 21:36:24
縦断図もアップ♪
http://www42.tok2.com/home/dorozoku/shin-chuo/shin-chuo.html#juudanzu

261とはずがたり:2015/01/18(日) 11:57:17
早川町のr810の終点(実際は起点)の雨畑から更に遡上した稲又から稲又谷を登り,青薙山の下を硯島トンネルで抜けて出てくる井川はこの辺,地名で云うと田代付近http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E138.11.57.938N35.21.49.458&ZM=8と思われる。

因みにインターの接続道路は「調査報告書」に拠ると大井川ICに関しては県道井川静岡線となっているが,現在その様な路線は無い様で,井川地区へのアクセスする主要地方道はr60南アルプス公園線(昼居渡[R362に接続]〜小河内[東俣林道に接続]・1973年認定)とr27井川湖御幸線(大日峠北麓〜御幸通・1960年認定)である。両線を併せた様な静岡から井川を結んでいた県道が調査のあった昭和30年代前半(1960年前頃)にはあった様だが詳細は不明(現時点ではwikiで調べたのみだけど)。

更に大井川IC付近はそのr80ですらなくその先の一般車通行止め(法面等が大変不安定なため、ゲート管理をし一般車両の通行を禁止http://www.city.shizuoka.jp/deps/rindou/rindoutuukoukiseihigasimata.html )の東俣林道上である様だ。

下の東俣林道の「6.49キロ 畑薙橋を渡る。」付近であろうかと思われる。凄い何も無さそうな所だ。

我流かもしれないMTB整備と林道ツーリング
林道東俣線 (静岡県静岡市葵区)(その1)
http://dts3800.blog117.fc2.com/blog-entry-277.html
走行日 平成24年8月25日

262とはずがたり:2015/01/18(日) 17:55:11
2014年10月25日(土) 15時46分掲載
秋の林道 JAF救助要請相次ぐ
秋の林道、深入り禁物 迷う、脱輪…JAFへの救助要請相次ぐ
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6136110

 各地の山が紅葉狩りやキノコ採りなどでにぎわう中、林道からの救助要請が日本自動車連盟(JAF)山形支部に相次いでいる。多くが道に迷ったり、脱輪したりしたとの内容だ。共通する原因は誰も知らない「穴場」を求めて深入りしたこと。林道は道幅が狭く、ガードレールがない区間も多いため、路肩から転落する危険性も高い。同支部は「通り抜けられるか事前に確認するのはもちろん、不安な場合は安易に入らないでほしい」としている。(山形新聞)

263とはずがたり:2015/01/20(火) 10:45:34
【r35久坂中ノ畑小浜線・r23小浜朽木高島線・おにゅう峠】
おにゅう峠(滋賀県側では小入,福井県側では遠敷。)は俺も制覇済みだ。しかも後輩たぶらかして,しかも走り屋仕様のインテTypeRで♪(・∀・)←攻める峠の種類間違ってるww正直済まんかったm(_ _)m
で,上根来の記事を読んだ時は全然気付かんかったけど,なんだあんとき通った筈の集落じゃねーか!!r23の未通区間がおにゅう峠だと間違えて記憶してた。
r23と云い,r61の祖父谷峠とか限界集落解体論者の俺としても主要地方道としてちょいと開通させて欲しいとは思ってしまう。前者はR303,後者はR162が併走しているから全く問題ないんだけど。。

r35未通区間の脇にある上根来(かみねごり)集落はこんな所
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1066974699/4727-4728

■この道往けば
林道上根来線編
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/11993556.html
>正直、今回の訪問(実は仕事関係で来ることになった)は仲間が大勢いたこともあって、前回感じた恐怖を感じることはなかったです。←仕事で来れるなんて羨ましい(;´Д`)

>この林道が小浜から滋賀県に抜けることができる唯一の道です。
県境にはおにゅう峠(レポ未)という峠が控えていて、実は今回の探索の最大の目的はこいつだったのですが、あえなく土砂崩れ通行止め・・・。

福井県道35号久坂中ノ畑小浜線
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/12002102.html
http://blogs.yahoo.co.jp/rin7574/GALLERY/show_image.html?id=12002102&no=9

■おにゅう峠/滋賀県と福井県を繋ぐ絶景林道ツーリング
http://touge1000.com/touge/4939/

>ストレートに打ち付ける山風。左右に広がる絶景。見上げた山肌には、折り重なるガードレール。なんて気持ちのいい林道なんだ。おにゅう峠に至る林道小入谷線は、ツーリング冥利に尽きる尾根を通す峠道になっていた。

>この違和感を感じるほどの明るく清々しい小入谷林道を上り切ると、生まれて間もない「おにゅう峠」に到着した。路面には、くっきりと福井県と滋賀県との県境が表れている。滋賀県側の林道小入谷線は、舗装林道。一転、福井県側の林道上根来線は、ダート林道と国境が明確に分かる。

おにゅう峠・Pass Hunting NO.103

調査:2014/05/03(土)
峠名:おにゅう峠(おにゅうとうげ)
路線:林道小入谷線(朽村側)・林道上根来線(小浜市側)
所在:滋賀県高島郡朽木村小入谷∧福井県小浜市上根来
座標:35.38686,135.79185
標高:830m、路面:オンロード&オフロード

■おにゅう峠 林道小入谷線
http://www.asahi-net.or.jp/~tk6k-oowk/touge/touge_onyuu.html

■福井県道23号主要地方道小浜朽木高島線
山奥へ分け入る若狭のダート道
http://turkey.6.pro.tok2.com/fukui023.html
>柱をよく見てみますと池河内林道起点との銘板が貼ってありました。ここから先は林道になるようです。

>林道起点の銘板より振り返ります。r23は右を流れる松永川を渡り三番滝まで続いているようですがどこから分岐しているのかよくわかりませんでした。

↑地図ではこの辺。道なりが林道で県道は曲がるようだ。
上のブログの写真にも特に分岐道は写ってないので山道みたいなものかもしれない。
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.49.50.018N35.25.50.238&ZM=9

264とはずがたり:2015/01/20(火) 12:04:08
これはずげえ。こんな所に災害復旧ということで高率で国費が投入されるのは我慢ならんな。
とっとと指定解除して廃道にすべきである(;´Д`)
集落跡の記述をみると歴史の重みも感じざるを得ないのであるけど。。

r10はr27とともに金沢から砺波へ出る主要地方道。r10は湯涌温泉,r27は医王山経由。r27の整備っぷりは素晴らしい。

【日本最凶険道】開かずの富山県道54号線@2013−OP
https://www.youtube.com/watch?v=NSrazCJSg20

富山県道54号福光上平線
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9354%E5%8F%B7%E7%A6%8F%E5%85%89%E4%B8%8A%E5%B9%B3%E7%B7%9A
古くは塩硝街道とよばれ、五箇山で産出した塩硝を金沢まで運ぶ重要なルートであった。

沿線集落跡[編集]
刀利:刀利集落はダム水没に伴い、1961年(昭和36年)に解村式を行い、1963年(昭和38年)に廃村。水没地東方山頂に刀利城跡があり、城主は宇野宗右衛門で佐々成政、前田利家に仕えたという。刀利は下刀利と上刀利に分かれ、現在の刀利山崎公園の直下、標高554mの丸山の南方に下刀利、700mほど上流に上刀利があった。上刀利には学校があった。
瀧谷:上刀利の更に上流にあった集落。ダム水没に伴い、1961年(昭和36年)に解村式を行い、1962年(昭和37年)廃村。
中河内:刀利ダムからの水没は免れたが1966年(昭和41年)に解村式を行い、廃村。現在は無住地。現在の国土地理院の地形図には地名すら載っていない。福光町立南部小学校中河内分校・福光町立福光中学校中河内分校跡の石柱が立てられている。この地は江戸期には遊廓があり、「中河内で見たような女郎が、今朝は湯涌の町で見た」の小唄[1]が残されている。昭和初期まで、ここから赤堂(あかんどう)山、大倉山を越えて、石川県石川郡犀川村の倉谷集落に通ずる道があった[2]。
下小屋:猿ヶ山西麓にあった集落。中河内と同様、刀利ダムからの水没は免れたものの、1966年(昭和41年)に解村式を行い、廃村。現在は無住地。現在の国土地理院の地形図には地名すら載っていない。福光町立太美山小学校下小屋分校跡の石柱が立てられている。昭和初期まで、ここから月ヶ原山を越えて、石川県石川郡犀川村の倉谷集落に通ずる道があった。1821年(文政4年)8月測量の『三洲測量図籍』[3]によると、「下古屋」とある。

気になったので逝ってみた。←女性あ8あいだオブローダーの方みたいだ♪
富山県道54号
http://www.geocities.jp/classicmegu/kiniikir54.html

平成9年頃は乗用車でも通り抜けれたのですが、今は完璧に四輪を阻む体勢。
東海北陸自動車道が併走して開通した事もあり、
後は放置&廃道の一途を辿っています。
ヘタレなおばちゃんですので、こういった道は徒歩と逝きたいワケですが
距離が長いしブナオ峠ってのを越えなくちゃあかんので、体力的に無理と悟り
レイドでおっかなびっくりの突撃となったのです。

使用車TT250Rレイド 2006.6.11探索

265とはずがたり:2015/01/23(金) 13:04:30
>>97-98>>219-223>>258-261
JSCEは日本土木学会。

2013年7月31日水曜日
第6回 元本四公団総裁 山根孟さん(後編)
http://blogs.jsce.jp/2013/08/6.html

■東条英機に却下された高速道路計画
山岡 … そもそも、高速道路の構想は、戦前まで遡るのですね?

山根 はい。高速道路建設の基礎調査が初めて、正式に行なわれたのは1940(昭和15)年〜1942(昭和17)年です。当時の内務省土木局が「重要道路整備調査」の一環として行なっています。民間でも同じ年に「東京〜下関間幹線道路建設促進同盟」が誕生し、「弾丸道路」という呼び名で高速道路への関心が高まりました。当時、ドイツでヒトラーが進めていたアウトバーンの高速道路網建設に刺激されたのです。…

山岡 政治を牛耳っていた軍部は、高速道路の建設に前向きだったのでしょうか。

山根 それにはエピソードがあります。内務省土木局は、「全国自動車国道網計画(5,490km)」をまとめます。その最優先区間として東京〜神戸をあげ、このうち名古屋から神戸間を緊急区間として実施計画を策定しております。名古屋〜大阪間は「木津川ルート」(いわゆる名阪国道)の計画です。この名古屋〜神戸間の高速道路建設費を2億円と概算し、予算要求を行なうことになりました。
それで、内務省の省議に予算案を提出した。当時の内務大臣は陸軍出身の東条英機です。東条大臣は、その案をひと目見るなり、「土木局は気が狂ったのか」と、差し戻したそうです。戦争遂行には莫大な国費がかかるのに、何を考えているのか、狂気の沙汰だ、との思いからでしょう。当時、東京と神戸の間の国道でさえ、自動車のすれ違いが困難な区間が多く、トラック輸送などの面で高速道路のニーズは高かったのですが……。戦局が悪化した1944年には、国鉄の新幹線計画と同時に高速道路調査も打ち切られました。

■ワトキンス調査団の秘話―政治家秘書の胆力
山岡 …高速道路建設が動きだすのは、やはりサンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、日本の主権が回復してからでしょうね。

山根 『高速道路と自動車』(現在の公益財団法人高速道路調査会発行の月刊誌)という雑誌で、「ワトキンス調査団報告45周年記念座談会」(2001年2,3月号)が行なわれ、そこで戦後の高速道路建設の始まりについて、興味深い話が開陳されています。1952年に、電源開発の高碕達之助総裁が、大学の研究者だった川本稔さんという方を秘書に登用し、吉田茂総理がヨーロッパ経由でアメリカへ行くのに同行せよと命じます。吉田総理は、東京から神戸まで高速道路をつくることに非常に熱心で、これまでにもドイツのアウトバーンやアメリカの高速道路を視察したりしていましたが、この時には資金面のメドをつけようとしていたようです。

山岡 高碕達之助は、水産技師から会社経営者、政治家に転身した人ですね。戦中は、満洲重工業総裁を務めました。日産コンツェルンの鮎川義介とも親しい。いわゆる満洲閥の人材で、電源開発総裁として佐久間ダムの建設にも尽力しています。戦後の道路や電源開発などの公共事業は、満洲閥の力で進められていますね。

山根 ええ、満洲で試みられた手法が、戦後の国づくりの実践に活かされた面はあるでしょう。高碕総裁の秘書となった川本さんは、もともと土木とは縁のない方でした。建設省の職員から2週間、昼夜兼行で道路に関するレクチャーを受け、米軍に掛け合って日本列島の立体地図を入手し、そこに高速道路のルートを全部描き入れて、吉田首相と一緒にアメリカへ渡ります。その後の顛末がおもしろい。座談会から川本氏の発言を引用しましょう。


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