したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

西洋史

1 とはずがたり :2006/12/02(土) 18:08:31
地理的範囲:西洋人が開拓した新大陸アメリカや地中海世界として歴史を共有する中東史や西洋の植民地となったアフリカなどもここへ入れてしまって良かろう。
時間的範囲:余りに最近の話は各当該スレに。それ以前なら地球上が現在の陸地構成に成った以降ならいつでも可。

102 名無しさん :2018/11/22(木) 21:23:10
>>101

ロサガム北柱遺跡には4000〜5000年ほど昔の人々が建造した、巨石によって示された直径30mほどの広場が存在しています。広場の中央には空洞が作られており、その中には少なくとも580体以上の遺体が寄せ集まって埋葬されており、共同墓地として使用されていたと考えられているそうです。

農耕社会では共通の歴史や文化にもとづいて大きなモニュメントが建造され、家族を超えたコミュニティ全体の結束を強めていました。より大規模なコミュニティを作ることで、人々は技術や文化を大きく発展させることができますが、同時にコミュニティ内での格差が生まれやすくなるのも事実です。

by Katherine Grillo

ところが、ロサガム北柱遺跡で発見された広場を作ったのは農耕民族ではなく、移動しながら牧畜を行う遊牧民だったとのこと。農耕民族以外がコミュニティを作り、大規模なモニュメントを建造していること自体も珍しいそうですが、ヒルデブランド氏らは「埋葬された遺体の状況からして、このコミュニティには社会階層らしきものが存在していた痕跡がない」ことに注目しています。

遺体はいずれも密接に寄せ集められた状態で空洞の中に収められていて、権力者らしき遺体だけが隔離された場所に納められているということもないそうです。また、大人や子ども、男性も女性も等しく手の込んだ装身具に身を包まれており、特定の遺体だけが華美に飾られている痕跡もありませんでした。

トゥルカナ湖周辺を含む東アフリカでは、メソポタミアやエジプト、アジアで組織的な農業が行われるようになった時代でも、人々が十分な食料を得るためには牧畜が最も適していたため、農耕社会が発達しなかったとのこと。ヒルデブランド氏は、「農耕社会が発達するに従って社会階層が形成され、特定の人々が権力を握って富を増やし、貧富の差や健康状態にも差が現れるようになりました。一方で、遊牧民が形成した社会にも同様の変化が現れたのかどうかは、非常に大きな謎です」と述べており、ロサガム北柱遺跡はこの謎を解くヒントになるかもしれないとしています。

by aocrane

ロサガム北柱遺跡で発見された広場がどのような役割を果たしていたのか、詳しいところは判明していませんが、遊牧民が集合してお互いの持つ情報を交換する場として使われていたのではないかと考えられています。周辺地域の情報をコミュニティに属するほかの遊牧民から仕入れることは、自分自身が食べるものを探すためにも、家畜を養うためにもとても重要なことでした。

また、共同墓地が作られて使用されていた時代、トゥルカナ湖周辺では降水量が減少し、トゥルカナ湖自体が小さくなっていくという環境の変化に遊牧民は直面していた可能性があるとのこと。それにもかかわらず、幼い子どもまで丁寧に装身具で飾られてから埋葬されていることから、コミュニティの構成員は末端まで大切にされていたことがわかります。

最終的にこの広場や共同墓地を作った遊牧民のコミュニティがどうなったのか、詳しいことは判明していません。共同墓地の使用は突然終了してしまいましたが、それは予期せぬことではなく、コミュニティによって予定されたものでした。コミュニティの構成員は遠くから石を何度も往復して運んできて、フタをするように共同墓地の上に敷き詰めていったとのこと。「その後にコミュニティがどうなったのかはわかりません」と、発掘調査に参加しているフロリダ大学の考古学者であるキャサリン・グリロ氏は語りました。

103 とはずがたり :2019/01/06(日) 19:06:54
興味深いな。再配分とか公正とか論じる前に現在覆われて見えにくくなってる不公正をちゃんと見る為にも必要な議論である。

2018.11.10
「階級化」が進む日本は、今こそ“階級先進国”イギリスに学ぶべきだ
連載「イギリス階級物語」第1回・前編
河野 真太郎一橋大学准教授
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58286

「階級」を隠蔽する日本の問題点
「格差社会」という言葉がメディアに踊るようになってしばらく経った。この言葉は、社会学者山田昌弘の『希望格差社会』(2004年)が広めた言葉だとされる…

だが、なぜ「格差」なのだろうか。社会的な階層を表現するにはすでに別の言葉が存在してきた──「階級」である。

思うに、階級ではなく格差という言葉が選ばれるとき、そこには、社会はとりあえずひとまとまりのものとしてあって、その中に勝ち組・負け組が生じているようなイメージがあるのかもしれない。

では、「階級」という言葉についてはどうだろう。日本では、あまり一般的な言葉として階級という言葉は使われてこなかった(「身分」という言葉は使われてきたが)。

端的に言って、階級という言葉を使わないことは構造的な貧困を隠蔽する方法であってきたし、極端で正当化できない富者の存在を正当化する方法であった。

これと対照的に、階級という言葉が過剰に使われてきた国がある。イギリスである。

イギリスといえば階級社会だというイメージは日本でも強いだろう。それは事実である。だが、イギリスの社会構造が階級社会であるという以上に興味深いのは、階級についての意識がイギリス人の自己認識や社会の認識を大きく左右してきたことだ。

労働者階級は今やハッピーか?
イギリスの階級文化といえば一般的に語られるのはまずは中流・上流階級の文化(アフタヌーン・ティーであるとか王室であるとか)か、またはせいぜい「ポピュラー・カルチャー」(ビートルズ)である。だが、ここまで述べたような目的のために、本連載が軸とするのは労働者階級である。

そもそも、現代的な階級社会の誕生の根幹には、資本家階級と労働者階級の分割があった。

前近代的な身分(カースト:caste)ではなく近代的な階級(クラス:class)が生じた背景には産業資本主義の隆盛があったわけだが、その産業資本主義は、(マルクスの定義に従えば)生産手段を持たず、みずからの労働力を売る以外に生活の手段をもたない人びとを生み出し、またそういった人びとを必要とした。

そして、生産手段を独占して労働者階級の労働を買ったのが、資本家階級である。階級とはすなわち労働者階級だったと言ってもよいのだ。

本連載の階級の物語は、19世紀に始まって、主に20世紀を対象としていく。20世紀は確かに労働者階級の世紀であったと言える。イギリスだけを見ても、世紀の初めに労働党が結成され、「階級意識」とそれを束ねる政治組織が隆盛していった。

1926年のジェネラル・ストライキが代表するような労働者による運動は、世紀を通じて起こりつづけた。一方でカール・マルクスが青写真を描いた共産主義は、ソ連その他の共産主義国家の壮大な「実験」に結実した。

だがその一方で、20世紀の歴史は同時に、階級の解体の歴史でもあった。世紀の終わりにソ連が解体し、共産主義の実験に終止符が打たれたということだけではない。20世紀の階級をめぐる物語の多くは、階級からの逃走の物語だったのだ。(とは註:マルクス主義は力を失い,経済学は階級を扱うのを止め家計を扱うようになった。)
簡単にまとめてしまえば、これは、労働者階級の中流階級化ということになる。

1911年の国勢調査ではイギリスの労働者階級は就労人口の約75%を占めていた。ところが、イギリスの階級の代表的な調査である全国読者層調査(National Readership Survey)によれば、2015年段階で失年金受給者や業者も含めた労働者階級は45.8%である。

これを多いと見るか少ないと見るかは分かれるだろうが、いずれにせよ社会に対して、伝統的な労働者階級は過去のものになったという意識が強まっていった。

104 とはずがたり :2019/01/06(日) 19:07:08

労働者階級はもはや中流なのではないか? そして、それでみなハッピーなのだから大いに結構ではないか?

だが、そのような単純で単線的な物語は、複数の意味で間違っている。それがなぜ間違っているのかを、ある映画からのやりとりを入り口に論じてみたい。

──「生まれの貧しさでは人生は決まらない」と言いたい。学ぶ意欲さえあれば、変われるんだ。
──「マイ・フェア・レディ」みたいに?
これは、映画『キングスマン』(2015年)での、コリン・ファース演じるジェントルマン・スパイのハリー・ハントと、タロン・エガートン演じる下層階級の青年エグジーとのあいだのやりとりである。

その原作はイギリス(アイルランド)の劇作家ジョージ・バーナード・ショー(1856年?1950年)の劇作品『ピグマリオン』(1913年初演)である。

『ピグマリオン』では、言語学者ヒギンズが、ロンドンの花売り娘であるイライザのひどいコックニー訛りを矯正してレディに仕立てられるかどうかを友人と賭け、みごと社交パーティーでイライザをレディとして通すことに成功する。

ピグマリオン物語とは、つまりは階級上昇物語である。

ただし『キングスマン』は、時代の刻印を帯びている。

二つ目は少し後で述べるとして、一つ目は、主人公のエグジーが「チャヴ」である、という点だ。

「チャヴ」とは何か。チャヴ(chav)という言葉は、2000年代からイギリスのメディアで盛んに使われるようになった言葉である。

この言葉が指しているのは、カウンシル・ハウスと呼ばれる低所得者向けの集合住宅に住み、トラックスーツ(ジャージ)を着て、バーバリーをはじめとするブランドもの(偽物である場合も多い)を好んで身につけ、ベースボールキャップをかぶり、金属アクセサリーをじゃらじゃらとたらした下層階級の不良たちである。


現代のピグマリオン物語が、チャヴの階級上昇物語となっていることにはどんな意味があるのだろうか? それを考えるために、チャヴという人物像(もしくは階級の名称?)がもてはやされた歴史的意味を確認しよう。

チャヴは、それまでの労働者階級とはかなり違う人物類型だ。それが表現するのは、2000年代以降のイギリスの新たな階級の政治であり、またそれが隠蔽するのは、階級と貧困をめぐる過酷な現実なのである。

イギリスのアンダークラス=チャヴの出現は「過酷な階級化」の序章だ

なぜ2000年代になってチャヴという人種がメディアを賑わせるようになったのだろうか。ひとつには、単に、労働者階級でさえない新たなアンダークラスがイギリスに生じているという事実があり、それをチャヴという類型が代表しているということであろう。

ただし、チャヴがアンダークラスであっても、アンダークラスがすべてチャヴであるわけではない。

では、なぜほかならぬチャヴがアンダークラスを代表したのか?その理由を考えるためには、この言葉の流行のもうひとつの側面を見なければならない。これについては、イギリスの若き社会評論家オーウェン・ジョーンズの著書『チャヴ──弱者を敵視する社会』(依田卓巳訳、海と月社、2017年)に詳しい。

ジョーンズによれば、チャヴという言葉はとりわけ2010年以降のイギリス保守党の緊縮政策(とりわけ福祉のカット)において利用された。保守党はチャヴと呼ばれる種類の人たちを、まじめに働きもせずに失業保険などの福祉を不当に享受している人びとだとした。

ともかくも、チャヴは、新自由主義的な競争社会となったイギリスで生じた負け組アンダークラスの名前であると同時に、まさにその新自由主義を押し進め、社会的な福祉をカットするのに利用されたのである。日本でも見たことのある光景である。

105 とはずがたり :2019/01/06(日) 19:07:26
>>103-105
そのようなチャヴが、魔法のように転身してクールなスーツを身にまとったジェントルマン・スパイとなる『キングスマン』の物語は、どのような役割を果たしているだろうか。

これは、チャヴを「悪魔化」することのコインの裏側のようなものであろう。つまり、本来であればイギリス社会の現実の矛盾を表しているはずのチャヴを銀幕の上でだけ変身させることは、「現実の矛盾の想像上の解決」と呼ばれるべき行為なのである。

だとすれば、『キングスマン』のちょうど正反対に位置する映画は、ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)ということになる。

この映画が表現するのは、2013年に行われ、イギリスの階級を7つに分類した「イギリス階級調査(Great British Class Survey)」が「プレカリアート」と名づけた15%(!)の人びとである(プレカリアートとは、precarious(不安定な)とproletariat(労働者階級)を合成した言葉で、臨時雇い労働者および失業者の層のこと)。

その苦境は、保守党が「チャヴ」を利用しながら推進した緊縮財政の産物だ。そのような人びとの存在を、『キングスマン』は覆いかくす。

このように、『キングスマン』は一方では20世紀的な、ピグマリオン物語=階級上昇物語であり、中産階級化する労働者階級の物語なのであるが、そのような、「いまやわれわれはみな中流」という、一種の安心感に満ちた立場から語られる物語は、『わたしは、ダニエル・ブレイク』が描く、階級の固定化と貧困の現在の現実を糊塗してしまうものなのである。

さて、では、そうではない階級の物語はどのようにして語られうるのだろうか。本連載でひとつの軸としていきたいのは、ここまで述べたような階級からの離脱、もしくは労働者階級全体の中流階級化の物語とは逆行する階級についての物語である。

それは、ひと言で言えば、コミュニティとしての労働者階級の物語だ。そしてこの物語は、ピグマリオン的物語が主流である中で、なかなかに出会えず、理解しにくいものであろう。

それは、連帯の感情とも言い換えることができる。

いまだに、イギリスには、労働者階級同士のこのような連帯の感情が存在する。

すると当然に、次のような疑問が生じるだろう。それでは、労働者階級は労働者階級であることに誇りを持ち、労働者階級のままでいた方がいいというのか? 労働者階級の中流階級化というのは、一概に悪いことなのか? 賃金が上がり、豊かな生活が送れるようになったならそれでいいのではないか?

これらの疑問に対して、わたしは単なるイエス、また単なるノーの回答を持っていない。これらの疑問への答えは、本連載の全体を通じて出していきたい。ただ、今回の序論で言えることは、そのような「上昇」の単純な物語こそが、現在苛烈になりつつある階級の分化と貧困の問題の遠因になっている、ということである。

『キングスマン』が現実のチャヴを覆いかくしたように、「われわれはいまやハッピーな中流である」という物語は、その中流に仲間入りできなかった人びとを、努力不足の怠け者として排除しているのかもしれないのだ。
そして、20世紀の労働者階級の物語は、それが労働党という形で政治的な表現と力を得る物語であると同時に、逆説的にもその解体の物語となる。それは個人の階級上昇の物語であると同時に、集団としての労働者階級が中流階級化していくプロセスの問題でもある。

わたしはこの物語を通して、労働者階級をコミュニティとして保存すべきだ、もしくはそうではなく労働者階級は解体されるべきだと主張したいわけではない。そうではなく、この物語でわたしが示したいのは、労働者階級は、そして階級そのものは、つねに作りかえられてきたということだ。

その作りかえは、歴史的現実の問題であると同時に、わたしたちが階級をどのように物語り、認識するかという問題でもある。わたしたちの現代日本社会がどのような社会になっていくのかを考えるにあたって、そのような意味での階級の作りかえの問題は大きなヒントを与えてくれるはずだ。

106 とはずがたり :2019/01/06(日) 19:11:34

2019.01.05
なぜイギリス人の「階級への執着」は産業革命後に生まれたのか
オーウェルは「上層中流階級の下の方」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59177
河野 真太郎 一橋大学准教授
1974年、山口県生まれ。専門は英文学、イギリスの文化と社会。東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻博士課程単位取得満期退学。著書に『〈田舎と都会〉の系譜学??二〇世紀イギリスと「文化」の地図』、『戦う姫、働く少女』。

ジョージ・オーウェルといえば、スターリニズムを風刺した『動物農場』(1945年)や、全体主義国家と化した近未来のイギリスを舞台とする『1984年』(1949年)で知られるイギリスの作家である。

一方、これらの作品から反全体主義のリベラルな(とは註:リベラルと思うか??左右のイデオロギーの中で反共のゴリゴリの右翼の作家だと思ってたw)作家だと思われがちなオーウェルが、戦前の1930年代には「階級」をテーマとするさまざまな作品を書いていることは、愛好家や専門家以外には意外と知られていないかもしれない。

ところで、そのオーウェル自身はどのような階級の出身だったのだろうか。…彼は自分の出身階級は「ロウワー・アッパー・ミドル(lower-upper-middle)」だと述べている。訳せば、「上層中流階級の下の方」ということになる。

いったいオーウェルがこのような細かい階級の説明で意味しているのはどのようなことなのだろうか。今回は、オーウェルのこのような階級意識が形成された背景となるイギリスの階級のあり方、その形成過程の歴史を概観したい。

二階級モデルと三階級モデル
歴史家のデイヴィッド・キャナダインは、『イギリスの階級社会』(平田雅博・吉田正広訳、日本経済評論社)で、イギリスにおける階級の認識を「二層モデル」と「三層モデル」に分けて論じている。

この二モデルは必ずしもキャナダインのオリジナルではない … 二層モデル、もしくは二階級モデルを代表するのはマルクスとエンゲルスの『共産主義宣言』(1848年)であろう。マルクスとエンゲルスはこの宣言の中で、ブルジョワとプロレタリアという二階級の存在を指摘し、歴史がこの二つの階級のあいだの闘争によって進んで行くという歴史観を提示した。

プロレタリアとは、マルクスが『資本論』で述べることになるように、自らの労働力という商品以外に売るものをもたない労働者階級のことであり、ブルジョワとは生産手段(工場や機械など)を所有し、プロレタリアの労働を(基本的には安く)買う中産階級である。

ここからより一般的な「社会のイメージ」が生まれる。単に貧しい者たちと富める者たちによって構成された社会のイメージだ。そこまで一般化すれば、あらゆる資本主義社会、さらには資本主義以外の社会にも適用できるイメージとなるだろうし、イギリスの歴史上のほとんどの社会にも適用できるだろう。

だが指摘しておきたいのは、イギリスの労働者階級の自己意識の源となってきたとされる「われわれとやつら(us and them)」という、敵対関係で自分たちの階級を定義する感情は、このような社会のイメージから生じたということである。

翻訳の出たオーウェン・ジョーンズ(前回紹介した『チャヴ』の著者)の『エスタブリッシュメント』(佐田卓巳訳、海と月社)のタイトルが、ある意味翻訳を放棄してカタカナのままにされたのは理由なきことではない。イギリスで「エスタブリッシュメント」という時には、この「われわれとやつら」の「やつら」(上流階級、支配層、金持ち)に対する敵対心が込められているのだ。

三階級モデルと中流階級の時代
そのような二階級モデルに対する三階級モデルとは、二階級モデルの否定というよりはその細分化と捉えた方がいいだろう。その際に細分化されるのは、二階級モデルのうちの、ブルジョワ階級の方である。

三階級モデルとは、上流階級(貴族階級)、中流階級(中産階級)、下層階級(労働者階級)という三階級のモデルである。だが重要なのは、中流階級がさらに細分化され、アッパー・ミドル(上層中流階級)とロウワー・ミドル(下層中流階級)に、さらにはその間にミドル・ミドル(中層中流階級)を設定するような階級の区分が増殖していくことである。

107 とはずがたり :2019/01/06(日) 19:11:48
>>106
アッパー・ミドルの「条件」
階級を考える際に気をつけなければならないのは、ここまで強調したような収入だけで全てが語れないということである。

…小説『ハワーズ・エンド』には、従来的なアッパー・ミドルであるシュレーゲル姉妹と、どうやら植民地における商売で財をなしているウィルコックス家が登場する … ウィルコックス家は桁外れ(おそらく数万ポンド)の収入を得ていると考えられる。

ところが、それでもあくまで、社会的な階級という意味ではシュレーゲル家の方が「上」なのである。それは彼女たちが音楽や文学といった文化資本をもっている(ドイツ系であることがそれを強調する)というだけではなく、彼女たちが「商売」に従事せず、遺産から生じる利子や株の配当で生活する、「金利生活者」であることに由来するのだ。



階級は変化する
ここまでは、階級社会を、絵を描くようにして示すことができるものとして語ってきた。だが、実は、ある時代(この場合は20世紀初頭)の階級社会をいわば輪切りにして図解することは、それはそれで社会を理解することにつながるけれども、決定的に社会を見えなくもする。つまり、前回の終わりに示唆したように、階級社会は変化しつづけるものであり、その変化をとらえる方法を私たちは学ばなければならない。

というのも、階級は歴史的に変化していくのだという当たり前のことを超えて、「変化すること」そのものが近代の階級の重要な構成要件なのである。どういうことだろうか?

イギリスの文学批評家・小説家で、カルチュラル・スタディーズ(文化研究)の始祖であるとされるレイモンド・ウィリアムズに『キーワード辞典』(1976年)という著作がある。これは、社会を客観的に記述するための専門用語集ではなく、社会の中に存在する重要な言葉=キーワードとそれをとりまく社会との関係を論じる著作である。

ある言葉の意味の変化が重要な形で社会の変化と関係している──このウィリアムズの発想は、階級を考える上でも重要だ。「階級(class)」の項目で、ウィリアムズは以下のように述べている。

「『階級』という言葉は、社会的分割を表すより古いさまざまな名称に取って代わるであろう言葉として導入されたのだが、その導入の本質的な歴史は、社会的な地位は単に相続されるものなのではなく、作られるものだ、という意識の増大に関連するものだ」



オーウェルと階級からの疎外
最後に、自らを「ロウワー・アッパー・ミドル」と定義したオーウェルに立ち戻りたい。オーウェルが自分の階級をこのように細かく分類したことには、単なる階級への執着だとか、同時代の階級を図として正確に記述したいという以上の意図があったのではなかろうか。その意図とは、「変化」の表現である。

オーウェルの父はインド勤務の政府役人で、年収500ポンド、アッパー・ミドルとして一家を養うにはぎりぎりの収入であった。『ハワーズ・エンド』で独身女性のマーガレット・シュレーゲルが600ポンドを得ていたことを想起されたい。そのような中、オーウェルはイギリスの「エスタブリッシュメント」の中核ともいうべき、パブリック・スクールのイートン校に奨学生として通う。

そこで、金持ち学生たちに囲まれて一種のスクール・カーストのトラウマ的な経験をしたオーウェルは、アッパー・ミドルの基本的な進路であるオクスフォードまたはケンブリッジ大学に進学するために必要な奨学金を得ることができず、政府の官吏となり、ビルマで警官となる。だがそこで帝国主義の暴力の現実を目にした彼は、職を捨ててパリとロンドンの貧民街に身を投じ、その体験を書く物書きとなったのである。

オーウェルの人生は、ヴィクトリア朝期に隆盛を誇った旧来的なアッパー・ミドルの没落のタイミングにあたっている。オーウェルの家族自体、時代が時代ならもう少し余裕をもってオーウェルに教育をほどこせたかもしれない。だが彼は奨学生となってパブリック・スクールで他の金持ち学生との格差を痛感し、しかも最終的にアッパー・ミドルの道を踏み外していく。

オーウェルが、自分はロウワー・アッパー・ミドルだと言うとき、そこにはそのような経験のすべてが込められている。…

108 とはずがたり :2019/01/26(土) 21:51:12
スチャイルド家、200年の栄華に幕-オーストリア最後の土地手放す
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-01-25/PLWH2Q6VDKHS01
Matthias Wabl
2019年1月26日 4:26 JST
NYセントラルパークの20倍の森林、包装材メーカーに売却
かつてナチスが接収、戦後に返却-分家で2分割し保有していた
興隆と衰亡、戦争を経験したロスチャイルド家の歴史が、200年を経て終わりを迎える。

  フランクフルトを拠点に活動した銀行家、マイヤー・アムシェル・ロートシルト(英語読みでロスチャイルド)は、19世紀初頭に5人の息子を欧州各都市に送った。その1人、ザロモンはウィーンで1815年に事業を開始。ロスチャイルド家は鉄道や製鉄所などへの投資で成功を収め、ハプスブルク帝国で最強の銀行家にのし上がった。

Salomon M. v.Rothschild / Gemlde - Salomon M. v. Rothschild / Painting -
ザロモン・ロートシルト; 1774-1855出所: Rothschild Archive
  ロスチャイルドの分家は約7000ヘクタール(ニューヨーク、セントラルパークの20倍に相当)に及ぶニーダーエスターライヒ州の森を保有する2つの信託を、ウィーンを拠点とする包装材会社プリンツホルン・ホールディングスに売却することで合意したと、匿名の関係者が明らかにした。登記の移転はまだだという。


  これは一族のアルベルト・フォン・ロートシルト男爵が1875年に取得した土地の一部。ナチス・ドイツが1938年にオーストリアを併合した際に接収された。第2次大戦後に一部が返還され、一族の跡取りであるベッティーナ・ルーラム氏が2012年の死去まで住んでいた。死去後に2つの分家が土地を分割したが、いずれも今回、プリンツホルンに売却することにしたという。
  

原題:Rothschilds Sell Last Piece of Austrian Empire After 200 Years(抜粋)

109 とはずがたり :2019/08/09(金) 23:41:25
実は先史時代から人種のるつぼ 欧州人のルーツを探る
日経ナショナル ジオグラフィック社
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO47918940Z20C19A7000000/?n_cid=SNSTW001
2019/8/4

110 とはずがたり :2019/10/06(日) 20:15:05
謎の吸い口付き土器、哺乳瓶だった ドイツなど欧州で出土
有料記事
https://www.asahi.com/articles/DA3S14199640.html
2019年9月30日16時30分

111 とはずがたり :2019/11/12(火) 15:42:17
南北戦争で南部の奴隷所有者達は奴隷制を守る為に自らも武器を取ったのか?
https://togetter.com/li/1408029


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

■ したらば のおすすめアイテム ■

EMOTION the Best プラネテス DVD-BOX - 谷口悟朗

星屑の空へ

この欄のアイテムは掲示板管理メニューから自由に変更可能です。


掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板