したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

地域綜合スレ

1 とはずがたり :2003/10/24(金) 14:51
市町村合併情報
http://www.glin.org/prefect/upd/index.html

スレッドの進行方法などは>>2

4980 とはずがたり :2018/08/01(水) 21:40:46

4915 名前:とはずがたり[] 投稿日:2017/04/08(土) 18:09:17
商店主と結託した腐敗自民のクソ政策は日本を滅ぼすものばかり。
中心商店街への補助金を直ぐに全廃しろよなあ。

「シャッター商店街」は本当に困っているのか
国交省の「空き家バンク」で空き家は減らない
http://toyokeizai.net/articles/-/139294?utm_source=goo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=related
木下 斉 :まちビジネス事業家 2016年10月07日

…さっそく数字で検証してみましょう。国土交通省実施の「平成 26 年空家実態調査」では、空き家にしておく理由の3分の1以上を占める37.7%の人が「特に困っていないから」と回答しています(調査結果の概要の14ページ、複数回答)。

その他の理由でも44.9%の人が「物置として活用する」とか、36.4%の人が「将来使うかもしれない」といったような理由で空き家にしているわけです。

他人に貸したり、売ったりしなければ、家計や事業が破綻するような切羽詰まった状況にあれば、必死になって営業してどうにか借り手や買い手を探します。つまり、そこまでに至らない空き家が問題の中心になっているのです。

シャッターを閉めているオーナーはカネに困っていない

これと同じ構造なのが、いわゆる「シャッター商店街」です。私が再生に関わる地方都市部では、昔からシャッター商店街が問題視されてきました。

しかしながら、シャッター商店街の不動産オーナーが明日の生活にも困っているかと言われれば、そんなことはない、むしろ豊かであることが多くあります。

例えば、大手の新聞の1面に「シャッター商店街」が深刻な話として描かれていても、実際にその商店街の理事長さんとお会いしたら「不動産オーナーたちも別に収入があり、組合も駐車場経営がうまくいっているから全く困っていない」と誇らしくお話頂いたりしたこともありました。これはある意味素晴らしいことです(笑)。

「空き店舗対策」の補助金で、かえって街はシャッター化

このように、当座の生活に困っていない不動産オーナーが保有する商店街中心部の空き店舗に補助金を入れて、市民や学生活動の拠点やらチャレンジショップなどに変える、「空き店舗への家賃補助金制度」なるものがいまだに全国にあります。

このような家賃補助は一見、市民活動をしている人や、学生や、これから商売を始める人を支援しているように見えます。しかし、実際には生活に困らず適当な家賃設定をして、営業の努力もせずに放置している豊かな不動産オーナーの懐に税金が入るだけ、とも言えます。

さらに最悪なのは、補助金で一部の不動産オーナーが「おいしい思い」をしたことで、他の不動産オーナーにも「次はうちも補助金で……」といらぬ期待を持たせてしまったりします。その地域では結果、不当な家賃相場が維持され、シャッター商店街のシャッター化はさらに加速します。

これからの日本全体をみれば、人口減少・世帯減少が続く中で空き家は増加しますし、今後はEC(電子商取引)などの伸長によって、商業店舗の需要も減少するので、空き店舗も増加するのは避けられないでしょう。

「空家対策特別措置法」などでは、空き家のまま放置している場合に固定資産税を高くする「マイナスの政策」によって、活用を促進させようとしています。

行政は「マイナス」+「プラス」政策で支援を

しかしながら、空き家認定の実務は未だ難しく、また不動産の価値が下がりきった地方都市では、固定資産税が数倍になっても放置したほうが得という場合もあります。これからの日本では、道路や公共施設などの社会資本が手厚く整備されているエリアでは、「より積極的なマイナス政策」を検討しても良いと考えます。

一方で、例えば北九州市の小倉では、不動産オーナーの世代交代をきっかけに、10年近く空き店舗にしていた不動産への入居者営業や投資を不動産オーナー自らが行い、空き店舗が多かった周辺の不動産まで再生している中屋興産などの取り組みもあります。

また、従来であれば不動産屋さんが相手にしなかったような地元の古い空き家・空き店舗を積極的に取扱い、エリア再生にまで繋げている大阪の丸順不動産などの取り組みも出てきています。

4981 名無しさん :2018/08/15(水) 07:24:11
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180814-45178865-bbc-int

「世界で最も住みやすい都市」ランキング発表 日本の都市も上位に
8/14(火) 14:58配信

BBC News
英誌エコノミストの調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)」がこのほど発表した「2018年世界で最も住みやすい都市ランキング」で、オーストリアの首都ウィーンが1位となった。前年まで7年連続で首位だったオーストラリアのメルボルンは2位に転落した。

EIUが毎年発表している国際調査で、ウィーンが1位となるのは初めて。

調査は世界140都市について、政治的安定性、社会的安定性、犯罪、教育、健康医療制度の利用しやすさなどの項目を評価し、順位付けする。

調査では英マンチェスターが欧州の都市で最も順位を上げ、前年度から16位上昇して35位タイとなった。

同じ英国のロンドンは48位で、マンチェスターとは13位差。調査が始まった20年前以来、この2都市の差は最大となった。

エコノミストは、マンチェスターのランキング大幅上昇は、治安の点数が増えたためと述べた。

「復活力」この調査は昨年、死者22人を出したマンチェスター・アリーナでの自爆攻撃を受けてマンチェスターの順位を下げ、批判を受けた。

ロクサナ・スラブチェバ調査担当編集長は今年の順位について、マンチェスターが「話題となった最近のテロ攻撃で安定性が揺らいだが、攻撃からの都市復興で復活力を見せた」と述べた。

スラブチェバ氏は、「西欧の複数都市」で治安が改善したとし、ウィーンがランキングの首位を獲得したのは、「治安の改善に関連する、欧州の大半にわたる安定性の回復」を反映したものだと語った。

調査結果によると、この1年で対象都市の半数近くで、住みやすさが改善した。

今年の国際ランキングでは2位となったメルボルンは、前年まで7年連続で1位だった。

オーストラリアからは他にもシドニーとアデレードの2都市が今年の上位10都市に入った。

調査の対極にある「住みにくさ」ランキングでは、戦争で荒廃しているシリアのダマスカスが最も住みにくい都市にランク付けされた。バングラデシュのダッカ、ナイジェリアのラゴスもダマスカスに僅差となっている。

犯罪、市民の不安、テロリズムもしくは戦争が、同ランキングの下位10都市で「強い役割」を果たしたとエコノミストは述べた。

2018年版 世界で最も住みやすい都市ベスト101位 ウィーン(オーストリア)

2位 メルボルン(オーストラリア)

3位 大阪(日本)

4位 カルガリー(カナダ)

5位 シドニー(オーストラリア)

6位 バンクーバー(カナダ)

7位 東京(日本)

8位 トロント(カナダ)

9位 コペンハーゲン(デンマーク)

10位 アデレード(オーストラリア)

2018年版 世界で最も住みにくい都市ワースト101位 ダマスカス(シリア)

2位 ダッカ(バングラデシュ)

3位 ラゴス(ナイジェリア)

4位 カラチ(パキスタン)

5位 ポートモレスビー(パプアニューギニア)

6位 ハラレ(ジンバブエ)

7位 トリポリ(リビア)

8位 ドゥアラ(カメルーン)

9位 アルジェ(アルジェリア)

10位 ダカール(セネガル)

(英語記事 The city ranked as the most liveable in the world)

(c) BBC News

最終更新: 8/14(火) 14:58
BBC News

4982 とはずがたり :2018/08/25(土) 11:07:58
まあ無事廃村になったようでなにより。カネがないのだ。維持する為にカネかけるならもっと現代の貧困層に使わねばならない。

勿論自主的になんかしようとする動きが生まれるのは素晴らしい事だが。

https://twitter.com/kendou774/status/1033005313455091714
R774@まとめ屋
@kendou774

百夜月集落について、東さんからお聞きした話を纏めます。
百夜月集落は歴史ある集落とはいえ、すっと人が住んでいたわけではない。人が途絶えていた期間もある。一番近いところでは、終戦前は無人になっていたようだ。その後、終戦後の食糧難の時代、東さんのお父さんがこの地に入られた。


2010.10.04 Monday
説話の集落「百夜月」に行ってきました。
http://kumano-kodou.jugem.jp/?eid=510

熊野移住して9年目。
以前からずっと行きたいと思っていた場所があったのですが、昨日ようやくそれが実現できました。
その場所とは「百夜月(ももよづき)」。(名前の由来はこちらから)
ロマンチックな地名と共に数々の説話が残るところです。
何といっても、車では行くことができず、また歩いていくのも険しい山道を行かなければならない事がその神秘性を一層かきたてます。
対岸のバス停に車を止めて、川舟で向こう岸に渡してもらうしかないのです。
(google map ではこちら 地図中では「百夜月」という小字名は使われず「紀和町花井と」いう大字の表現になっています)
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%B8%82%E7%B4%80%E5%92%8C%E7%94%BA%E8%8A%B1%E4%BA%95&lr=lang_ja&um=1&ie=UTF-8&hq=&hnear=%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%B8%82%E7%B4%80%E5%92%8C%E7%94%BA%E8%8A%B1%E4%BA%95&gl=jp&ei=uGypTOe4E5K0vgO30Oz0DA&sa=X&oi=geocode_result&ct=image&resnum=1&ved=0CCwQ8gEwAA

百夜月、地名の由来
http://www.mikumano.net/setsuwa/momoyoduki.html

 三重県熊野市紀和町花井(けい)に「百夜月(ももよづき)」という美しい地名があります。北山川沿いにあり、現在でも対岸の和歌山県新宮市熊野川町九重(くじゅう)から渡し船で渡るしか行く方法がないという陸の孤島のような集落です。

 そこには光月山紅梅寺という寺があった。この寺には美しく若い尼僧がひとり住み、仏道修行に励んでいた。尼僧は近隣の村の若者たちの憧れの的であった。

 ひとりの若者が彼女に会って話をしたいと思い、昼間では村人に知られては尼僧に迷惑になるので、夜に川を渡って会いに行こうと決心をした。
 若者が夜、川を渡ろうとすると、山の上に顔を出してきた月があまりに明るく、こんなに明るくては村人に知られてしまうとその夜は行くのを諦め、家に引き返した。次の日もその次の日もそのまた次の日も、若者は尼僧に会いにいこうと川まで下りてきたが、月明かりがまぶしく行くことができなかった。「今晩で何度めだろうか」と若者が数えてみると、九十九夜めであった。
 家に引き返し、母にそのことを打ち明けると、母は「あの方は仏様をお守りしている方なのだから、お前が好きになってはいけない人だよ。あのお月様の光は人々が悪さをしないようにいつも辺りを照らしているのだよ。だから百夜通っても駄目だよ」と諭した。それからこの土地を「百夜月」と呼ぶようになった。

 このお話にはまだ続きがあります。

 尼僧は仏の教えを広めるため、寺の宝物を近隣の村に分け与え祀ってもらおうと考え、川下の村には花瓶を与え、川向の村には九重の重箱を与え、川向川上の村には竹の筒を与えた。花瓶を与えられた村が花井と呼ばれるようになり、九重の重箱を与えられた村が九重(くじゅう)、竹の筒を与えられた村が竹筒(たけと)と呼ばれるようになった。

 百夜月、現在では1戸があるのみです。

2007.10.11 UP

4983 とはずがたり :2018/08/25(土) 11:14:53
あれ,無人になったんちゃうのか?

R774@まとめ屋
@kendou774
8月23日

誰も参りに来なくなったお寺。時々、地元の方が手入れをしている以外に訪れる人はいない。『寂しくなったな』なんて、背後のお墓に祀られているご先祖様がぼやいていそうだ。紀和町花井(けい)集落。最後の住人(1名)が残る。

で,軌道がある!?!?なんだかすげえ。。

R774@まとめ屋
@kendou774

百夜月集落には車道がない代わりに軌道が存在する。その名は『紀和町百夜月軌道等運搬施設』。東さんによると、町長に百夜月集落への道路を作ってくれと度々陳情したが難しいと言われ、その代わりに軌道が敷設されたとのことだった。

4984 とはずがたり :2018/08/25(土) 11:16:57
紀和町花井(きわちょうけい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%92%8C%E7%94%BA%E8%8A%B1%E4%BA%95

歴史

近代

1871年(明治4年)7月、花井村は和歌山県の管轄となったが、同年11月に度会県へ移管し[15]、1876年(明治9年)に度会県が三重県に編入されたことで同県の所属となった[10]。これは、廃藩置県の際に北山川を境に右岸(西岸)を和歌山県、左岸(東岸)を度会県(三重県)にすると決定されたためであり、右岸は九重村、左岸は花井村となった[6]。当時の村人は明治政府の意向に対し、従来通り両岸とも花井村とすることを望んだが、要望は聞き入れられず、左岸のみが花井村となった[6]。このため、花井村だった西の峯が九重村に移った一方、九重村だった百夜月が花井村となった[15]。また1879年(明治12年)に牟婁郡が南北に分かたれ、南牟婁郡花井村となり、1889年(明治22年)には周辺村と合併し、上川村の大字となった[10]。

一方で花井の子供は北山川対岸(和歌山県側)の九重小学校(1876年〔明治9年〕開校)へ通学[注 4]し、1908年(明治41年)には九重と花井が共同出資して校舎を新築し、「九重花井尋常小学校」に改称した[10]。この頃の花井では、花井紙の生産は大幅に縮小し、農林業が生業となっていた[24]。なお当時の田の面積は1町2反(≒11.9ha)、畑の面積は5町6反(≒55.5ha)であった[10]。大正時代になると養蚕が盛んになった[10]。

近代のうちに道路の整備はなされず、三重県内の他の集落から孤立していた花井の住民は各自船を所有して、対岸の九重[注 5]に渡っていた[6]。ただし棹と櫂を使って船を操るのは難しく、操船技術を持たない住民は操船の可能な住民と相乗りして川を渡っていた[6]。相乗りのタイミングが合わず、九重で対岸の自宅を見つめながら半日待った経験を持つ住民もいたという[6]。

現代
戦後になると九重との間に渡船ができ、交通条件は多少改善された[6]。とはいえ北山川が増水すると川を越えることができず、急病人や怪我人が出ても九重の診療所へ連れていくこともできない状況は変わらなかった[6]。このため周辺地域の人々の間では「舟で渡らないと行けない所には嫁に行くな」と言われることもあった[6]。1949年(昭和24年)には役場から紹介を受けた人々が百夜月に入植[注 6]し、山を切り崩し田畑を開拓した[11]。百夜月に渡船はなく、子供達は親が漕ぐ木造船で対岸の学校へ通学した[16]。1964年(昭和39年)、百夜月に電気が通り、ラジオを付けるとちょうど東京オリンピックを中継していたという[25]。

1980年(昭和55年)になっても花井には自動車が通れる道路が建設中という有様で、地域住民は和歌山県側から北山川の渡船を利用するしかなかった[14]。この頃、地元の新聞が百夜月の住民が植えた1万株超に及ぶショウブやハスの美しさを紹介して、各地から観光客が訪れるようになった[11]。百夜月への交通手段は船しかないため、ショウブなどを植えた住民自らが観光客を船で送迎した[11]。

1984年(昭和59年)になってようやく林道が開通し、三重県内から花井へアクセスできるようになった[9]。しかし百夜月まで道路が整備されることはなかった[11]。この頃には、花井の人口は25人まで減少しており[26]、最後まで残ったのは4世帯のみとなった[9]。百夜月の方は1997年(平成9年)時点で2戸4人となっていた[25]。最後まで残った4世帯の住民も最終的には花井を離れる選択をし、2人の男性を残して和歌山県新宮市や三重県御浜町・紀宝町へ転居した(挙家離村)[9][11]。この4世帯は花井にある住宅や墓、ミカン畑を維持するために、盆や正月に帰省するという生活を送るようになった[9]。2000年(平成12年)6月25日に実施された第42回衆議院議員総選挙兼参議院議員三重選挙区補欠選挙の際の花井の有権者は10人で、うち花井集落が5人、百夜月が5人であったと中日新聞が報じている[27]。投票所は花井の区長宅で、縁側に候補者名を書く記載台と投票箱が置かれ、投票立会人4人は座敷から投票を見守った[27]。投票者は7人(すなわち投票率は70%)で、うち3人は百夜月から船で投票に訪れた[27]。

2006年(平成18年)、百夜月の最後の住民であった男性が病で倒れ、故郷に帰ることなく2011年(平成23年)に亡くなった[11]。2011年(平成23年)7月には花井の最後の住民であった男性[注 7]が亡くなり、事実上無人地区となった[9]。同年9月3日には台風12号(紀伊半島豪雨災害)が襲来して北山川が氾濫し、花井の住宅が流され、跡にはがれきが残った[9]。この時、住宅を復興すると朝日新聞の取材に答えたのは2世帯にとどまった[9]。

沿革

4985 とはずがたり :2018/08/27(月) 18:48:00
買おうかどうしようかな。。

日本版DMOは、TMOと同じ轍を踏まずに済むか。学ぶべきは海外よりも、国内で長く続く観光事業組織。
https://note.mu/shoutengai/n/nfc50068f1445
木下斉/HitoshiKinoshita
2018/03/25 09:17
\500

日本で近年で経済成長している地方はどこか。この一つの共通要素は観光産業が伸長している地域です。北海道の倶知安などは不動産だけみても日本トップクラスの価値向上を実現しています。国が観光ビザ発給を規制緩和し、それに対応して地方での観光産業が適切に動いていけば地方成長も可能であることが良くわかります。

【目次】
◯ 市場と向き合い顧客から稼ぐ制度か、国と向き合い予算を貰う制度か
◯ 日本型TMO政策の失敗から学ぶ
◯ 「人を集めるポイント」と「稼ぐポイント」をしっかり組み合わせる
◯ 初期予算は経費ではなく、投資に回す。補助金ではなく、金融が肝

さて、このような流れを受けて、日本の経済成長に向けてインバウンド政策が強化され、それに伴い全国各地に設立されている日本版DMO。現在、観光庁に登録される日本版DMOの候補法人は平成29年11月28日時点で広域連携DMO2件、地域連携DMO52件、地域DMO79件の計133件。実際に登録されたものは平成29年11月28日現在で、広域連携DMO5件、地域連携DMO23件、地域DMO13件の計41件とあります。

この続きをみるには

(残り4,653文字/画像5枚)

ノートを購入する

4986 とはずがたり :2018/09/03(月) 19:05:45
内閣の仕事は首になったんか??
参院選に野党から出て貰いたい。

徳島は「阿波おどり」で揉めてさらに衰退する
地方を滅ぼす「本当の敵」は常に「外」にいる
https://toyokeizai.net/articles/-/235812
木下 斉 : まちビジネス事業家
2018/09/01 6:00

徳島の夏の風物詩、「阿波おどり」が大混乱のうちに幕を閉じました。いろいろな意味でメディア露出は多かったにもかかわらず、4日間での人出は減少して約108万人。昨年より15万人減少しました。

確かに日取りも悪かったものの、「主催者団体の巨額累積赤字」だけでなく「徳島市観光協会の破産」と来て、さらには全員参加でフィナーレとして行う総踊りについても「やる、やらない」を、祭りの当日まで引きずってしまったため大混乱となりました。

大混乱を招いた原因についてはすでに「徳島の阿波踊りが『イベント地獄化』した理由」で触れたとおりですが、「地域内の泥仕合」に本当に飽き飽きした方も多かったのではないでしょうか。一時が万事、今回の阿波おどりの混乱は徳島市の現在の状況を象徴する出来事であり、衰退地域によくある構造とも言えます。

「地域の衰退→行政の予算化→利権争い」の構図
そもそも祭りは、本来であれば「稼ぐ地域産業」があり、その「地域産業による余剰を地域内で循環させるための行事」といった側面が強くあります。大抵の伝統行事は神事と絡んだものです。そのなかでも華やかな祭りには「その地域の経済力が増した時代に発展したもの」が多くあります。

しかしながら栄華を極めた地域産業が衰退していくと、「不採算だけど伝統行事だから」ということで行政が予算を出すようになり、祭りに関連する利権で稼ごうとする人が暗躍します。阿波おどりも例外ではありません。長い歴史の中で形成されてきた、さまざまな利権の所在をめぐって互いに争っているわけです。

今回の「総踊りをめぐる小競り合い」も、ある意味の茶番です。徳島市の思惑はこうです。阿波おどり事業で過去の赤字責任を事実上認めて3億円の寄付を行った徳島新聞を、運営の中核に置きつつ、新たな「分散会場での手法で稼ごう」とするのが本心なのに、表向きは「安全のため」という建前で「総踊り中止」で押し切ろうとしました。

対立している踊り手団体である「阿波おどり振興協会」側も、「いやいや、ダイナミックな総踊りを市民は望んでいる」、などといって「総踊り」を独自に決行しましたが、不明瞭な運営が指摘され、破産した徳島市観光協会との関係がチラついたままです。

表向きは権力側と市民側の対立のようにメディアは描いていたものの、実際のところはどっちもどっちというところです。こうした「しょうもない対立」に、市民や観光客など多くの人が飽き飽きとしたことが動員数の伸び悩みにつながったことは否めないでしょう。

市と地元有力団体との対立は、実はこれだけではありません。

徳島市の遠藤彰良(あきよし)市長(2016年就任)は、選挙の争点となっていた「新町(しんまち)西地区市街地再開発」でも、白紙撤回することで市民の信託を得て当選し、中止を決定して大きな争点となっています。

「阿波おどり騒動」の裏にある、深刻な再開発めぐる対立
この新町西地区は、阿波おどり会館のある眉山(びざん)のふもとで、地元の有力者たちが土地を持ち、長年にわたって再開発計画を進めてきたエリアです。

しかし、実はこれまでの市政と再開発組合が計画してきた再開発事業は、総事業費約225億円にも上り、さらにこれから開発される施設の多くは巨大な市民ホールなどとなり、市が税金で買い取るというものでした。中止決定後、再開発組合は遠藤市長を相手取って異例の訴訟に踏み切りましたが、1審で市の決定に権利の濫用などはないとされ、控訴審判決でも棄却されています。

4987 とはずがたり :2018/09/03(月) 19:06:01

今回、阿波おどりをめぐる混乱のなかで破産した観光協会などは前市長、つまりは再開発推進派を選挙で推していたわけですが、当選した遠藤市長はそれを真っ向から中止に追い込んだという形となっており、再開発問題だけでなく阿波おどり問題にも無関係とは言い切れないのです。

このように、遠藤市長率いる市政側と、地元の各種団体との間ではさまざまな形で対立が起きています。阿波おどりは目に見えやすい対立構造であるからこそ、メディアなども巻き込み大騒動になっただけでしょう。

そもそも徳島自体がこのように再開発をめぐる問題や、阿波おどりの事業赤字問題などでもめるのは、前出のように、「そもそも地域経済が大きく沈んでしまっているから」と言えます。

経済に余裕があれば、再開発も行政投資などを期待せずとも推進できるわけですし、また祭りに資金を拠出する民間企業などもより多く出てくるはずなのです。経済が好調であれば財政力も豊かになるため、逆説的ですが市民ホールなどを建設する事業費などもそれほど問題にならないと言えます。しかし、経済が低迷し、引きずられて税収も低迷する徳島市にとっては、過去にやっていたことを当たり前のように続けることさえできなくなり、地域内のさまざまな組織が「誰がそのマイナスを引き受けるか」でもめていると言えます。

読者の皆さんの中には驚かれる方もいるかもしれませんが、かつて、徳島市は全国有数の大都市だった時代があります。その繁栄の礎は戦国時代に築かれていきます。藍染(あいせん、あいぞめ)です。藍染めは、「虫などが近づいてこない」ということで武士の間で人気になり、さらに江戸時代に入ると一般大衆にまで普及していきます。

人々が着る服の素材として麻から綿へ普及が変化したものの、一般的な自然染料では綿が染まらない中、藍染は綿にも染色が可能だったからと言われます。こうして、藍は多くの人たちに愛され、日本社会の到るところで見られるようになりました。明治時代に日本にやってきたイギリス人宣教師で科学者でもあるR.W.アトキンソンによって書かれた「藍の説」の中では「ジャパンブルー」と呼ばれるようになり、今でもサッカー日本代表のユニフォームは藍色なのは、これに起源があります。

もしくは、安藤広重の浮世絵で世界に広まったことで「ヒロシゲブルー」と呼ばれることもあります。安藤広重の「東海道五拾三次」を活用して、当時の人々の中でどれだけ古い藍染が普及しているかを調べた研究があります。結果、同作品に登場する衣類全体の41%、登場人物の64%が藍染めされたものを着用しているなど、いかに当時藍染が普及していたかがわかります。

このように江戸時代から明治初期にわたって広く普及した藍。そのトップブランドを誇ったのが、実は徳島だったのです。なかでも阿波藍は「本藍」と呼ばれ、その他の地域で生産されるものは「地藍」と呼ばれるほど「一段上のブランド」でした。

徳島で藍染が栄えた「3つの理由」
なぜ徳島は藍染で栄えることができたのでしょうか。その背景には大きくわけて3つあると言われます。

1)【政策要素】紆余曲折ありながらも、徳島藩は、藍染流通を一部の藍商などに独占させ、製造・販売・品質管理に至る統制制度を徹底し、藩の財政基盤として藍産業を形成していきました。こうした政策要素があります。

2)【生活様式】時代が移り変わる中で、人々の着る衣料素材が麻から綿に変化し、染料としての藍の需要が拡大しました。こうした生活様式の変化です。

3)【地理的要因】地政学的に吉野川流域に位置する、徳島の広範囲なエリアの恩恵です。徳島は毎年のように吉野川の氾濫などの影響を受けていました。そのため台風が到来する旧盆よりお前に収穫が終わる作物として藍が最適だったという地理的要因があるのです。

実質的に言えば、藍染は植物から作られる加工品であり、地域経済に落とされるお金は極めて大きく、江戸時代には「吉野川が育てた最大の特産物」と称されました。実際、阿波藩の財政基盤となり、「阿波25万石、藍50万石」ともいわれるほどの経済力を誇っていました。

その勢いは、明治時代の中ほどまで続いたのです。実は、1873(明治6)年から、1889(明治22)年の市政が敷かれるまでは徳島市は、全国トップ10の人口規模を擁する大都市でした(5万〜6万人前後で推移)。当時の徳島市は、のちに急速に発展していく横浜や神戸などとさほど変わらない繁栄を謳歌していたのです。

全国の市場を相手に形成された藍産業などによる経済力は、地域内経済にも強い影響を与えます。

4988 とはずがたり :2018/09/03(月) 19:06:24
>>4986-4988
たとえば取引業者が徳島を訪れた際に、藍商が接待などを積極的に行うことで飲食業界や花柳界が栄え、発展していきます。この折に阿波おどりも一般大衆の踊りというだけでなく、華やかさをグンと高めるようになったというのが定説です。地域産業によって、阿波おどりは全国からも注目されるレベルの華やかさ、藍商などの経済力で全国各地の踊りの流派を呼び込むなどして、先進的な形式へと進化していったのです。

しかしながら、武士の世の中が終わり、工業的なインディゴ(鮮やかな藍色の染料)が流通し始める明治時代の後半からは藍産業は衰退していきます。残念ながら、戦後は主たる地域産業も大きくは発展することができていません。さらに1990年代には明石海峡大橋で陸続きとなった神戸・関西エリアへ消費が流出していくことなどによってさらに衰退することになり、その結果、現在の徳島市は全国88位の人口規模の市となっています。

「内輪もめ」している暇はない、敵はつねに「外」にいる
今回の阿波おどりの大混乱については、それぞれの組織・個人に言い分はあるはずです。しかし、内輪で互いにもめればもめるほど、地域としての力は低下していきます。敵は地元ではなく、外にいます。徳島市の状況は江戸・明治中期までを頂点にして、その後産業は細り、衰退の流れを止められていません。

2018年は徳島と関西を接続することになった明石海峡大橋が開通して、20年の節目の年に当たります。もともと、徳島経済は関西経済とも海によって一定の隔たりがあったものが、橋の開通によって神戸や大阪の商業とつながりが深くなり、そして物流が改善したことによって徳島内にさまざまな「地元外資本」による大型モールが開業していきました。競争のゆるい内需経済に慣れていた徳島市中心部商業は壊滅的な打撃を受け、地域として輸出する産業も細る中、内需経済にも「決定打」となる変化となりました。

このような中で、年に一度の大イベントである阿波おどりや、再開発事業といったもので互いに利権を奪い合い地元でもめればもめるほど、それは地元が衰退し「その分だけ他の地域に吸い上げられる」と認識したほうがよさそうです。写真は2009年に撮影したものですが、今の徳島市の中心部は残念ながら、あまり変わっていません。

実は、徳島市と対極にある都市も数多くあります。代表的なのが、筆者が前から注目している福岡市です。

地元のおじさんたちのもめごとが地域を衰退させる

日本の他の地域の商店街が「百貨店よ、出て行け!」などと大型店を排斥しようとし、地域内対立を深めていた時代に、福岡市では天神地区にある百貨店や商店街などが互いに連合して「都心界」を組織しました。そして、合同で、隣接する都市の商業中心地に「天神に来てください」といった「エリア営業」をかけて、しだいに優位性を築いていきました。

また、祭りでも大いに参考になります。もともと「博多祇園山笠」は、「博多部」で長らく続いてきていた伝統行事でしたが、「福岡部」にあたる天神から参画することを受け入れ、「飾り山笠」を建てるなどしています。

こうしたこともあり、もともとは新興商業エリアにすぎなかった天神は、今や九州一の商業中心市へと発展。1889(明治22)年時点では徳島市よりも人口が少なく全国15位だった福岡市は、現在全国5位の大都市へと成長しています。

徳島市の実情をみれば、市の経済力も財政力も、伝統行事とのかかわり方も含め、内輪でもめている猶予はもうありません。

一刻も早く外を見て、新たな地域経済の立て直しにとりかからなくてはいけません。簡単に言えば、次の100年に徳島は「何で飯を食っていくのか」「何に力を注ぐのか」を決めることです。それらは、官民の関係なく、地元のさまざまな組織のトップの重要な役目です。

ひとことで言えば、「地元のおじさんたちのもめごとが未来を衰退に至らしめる」のは、何も徳島市に限った話ではないのです。

「誰と戦い、誰と組むべきなのか」。より合理的な判断と行動が熱望されます。

<参考文献> 鍛冶博之「近世徳島における阿波藍の普及と影響」

4989 とはずがたり :2018/09/07(金) 09:26:01
地方創生大全 単行本 ? 2016/10/7
木下 斉 (著)
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492212256/toyokeizaia-22?p=TK

福岡市が地方最強の都市になった理由 単行本(ソフトカバー) ? 2018/2/18
木下 斉 (著)
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4569837670/toyokeizaia-22?p=TK

4990 とはずがたり :2018/09/09(日) 09:42:47

どうも賛同出来ないけど

畳に土足で上がりこめ!
現代日本を独自の視点で考察する
いつの間にかアメリカの街より広大になっていた日本の地方都市
https://blogs.yahoo.co.jp/alohaggyy/22227194.html
2018/9/6(木) 午後 11:00

宇都宮市内にサンフランシスコ市域がスッポリ入る

 平成の大合併が進められた2000年代、合併のほとんどは地方で行われた。結果的に、超広大な面積を有する地方都市が大量に出現した。結果的に起きたのがアメリカの都市よりもデカイ地方都市の大量出現である。

 上のMAPfrappeの比較を見てほしい。左がサンフランシスコ、右が宇都宮である。アメリカ西海岸を代表するあのサンフランシスコの市域全体が、宇都宮にスッポリおさまるのである。実際の宇都宮市域は鬼怒川の反対側や、日光に近い山間部などにも広範囲に広がっているので、これよりもはるかに大きい。

 日本人の多くはアメリカ=巨大国家、日本=小さな島国と思い込んでいるが、それは国土全体の話。全米のあちこちを行き来する人なんて大統領くらいである。実際の国民が普段の日常を過ごす生活圏の範囲は限られていて、その幅は日本と大差ないか、日本の方がデカイことさえ当たり前なのである。

ハワイより巨大な釧路の住宅街の路地

 一目でわかる。どう見てもホノルルより釧路の方がバカでかい。日本人の多くはアメリカは土地が広いので、家がバカでかくて路地の道路さえ広大だと思っているが、私たちが想像するアメリカに近い住宅街は国内の釧路に存在していて、れっきとしたアメリカでありながら、茅ヶ崎市内のような密集度合いの狭路だってホノルルにはあるのだ。どの家も広大な庭もプールもない。道路沿いを歩くと、家の中から生活の匂いが漂ってくるのが楽しい。

 北海道が開拓地だから特別広いわけではない。内地である秋田県でも同じくらい広い路地を私は歩いたことがある。そして、ホノルルの路地を歩けば、自動車さえも入れないくらい狭い路地だっていくらでもある。

宇都宮市内にサンフランシスコ市域がスッポリ入る

 平成の大合併が進められた2000年代、合併のほとんどは地方で行われた。結果的に、超広大な面積を有する地方都市が大量に出現した。結果的に起きたのがアメリカの都市よりもデカイ地方都市の大量出現である。

 上のMAPfrappeの比較を見てほしい。左がサンフランシスコ、右が宇都宮である。アメリカ西海岸を代表するあのサンフランシスコの市域全体が、宇都宮にスッポリおさまるのである。実際の宇都宮市域は鬼怒川の反対側や、日光に近い山間部などにも広範囲に広がっているので、これよりもはるかに大きい。

 日本人の多くはアメリカ=巨大国家、日本=小さな島国と思い込んでいるが、それは国土全体の話。全米のあちこちを行き来する人なんて大統領くらいである。実際の国民が普段の日常を過ごす生活圏の範囲は限られていて、その幅は日本と大差ないか、日本の方がデカイことさえ当たり前なのである。

ハワイより巨大な釧路の住宅街の路地

 上の画像はホノルル郊外。下は釧路郊外の路地の様子だ。
 一目でわかる。どう見てもホノルルより釧路の方がバカでかい。日本人の多くはアメリカは土地が広いので、家がバカでかくて路地の道路さえ広大だと思っているが、私たちが想像するアメリカに近い住宅街は国内の釧路に存在していて、れっきとしたアメリカでありながら、茅ヶ崎市内のような密集度合いの狭路だってホノルルにはあるのだ。どの家も広大な庭もプールもない。道路沿いを歩くと、家の中から生活の匂いが漂ってくるのが楽しい。

4991 とはずがたり :2018/09/09(日) 09:43:09
>>4990
 北海道が開拓地だから特別広いわけではない。内地である秋田県でも同じくらい広い路地を私は歩いたことがある。そして、ホノルルの路地を歩けば、自動車さえも入れないくらい狭い路地だっていくらでもある。

 釧路市には片側4車線の8車線道路が一直線に何キロも続く区間があるという。これはその一部の映像で、この様子が延々とあるというのだから、壮観である。

 ハワイの場合、ワイキキの真ん中を貫くクヒオ通りは片側2車線の4車線。ビーチ沿いのカラカウア大通りと運河沿いのアラワイ大通りはそれぞれ対面通行の3車線道路なので、大して道幅が広いわけではない。ハッキリ言って東京の街中の幹線道路と同じ水準だ。

 郊外の幹線道路なども片側2〜3車線の4~6車線道路なので、日本国内の地方都市と水準的に大差はない。したがってロードサイド店舗などの規模も、相模原や厚木の国道バイパス沿いに近い。建物は大きいといえば大きいが、バカみたいに広い母屋に滑走路みたいな広大な青空駐車場が広がる感じはなく、徒歩や自転車での来客もある。それに比べれば釧路や苫小牧のホーマックやイオンがあるあたりの方がよほどアメリカ的なのである。

課題点は肥大化に即した公共インフラと行政の不在
 ただし日本の地方都市は最初から大きかったわけではない。
 大昔は、東京圏と同じくらいに狭い街のサイズだった。戦前の大合併、昭和の大合併、平成の大合併と合併を繰り返して大きくなった。
 特に戦後のマイカーの普及の影響が大きい。それに合わせて高速道路やバイパス道路が整備され、職住近接で徒歩圏の集落内に人生の殆どが完結していた構造から生活圏が広がった。

 アメリカの場合、最初から広くて当たり前であるし、戦前にはモータリゼーションを迎えていた。つまり巨大な地方都市が当たり前である前提で社会システムが成立していて、たとえばスクールバスで通学する学校のような仕組みが最初からあったりする。
 問題は日本の場合、首都圏が過密地帯で相変わらず狭い暮らしをしているので、土地と地方で世界が違くなっているのに、社会の仕組みが合わないのである。例えばアメリカでは路線バスが高速道路を走れるが日本では高速自動車国道は走行不可能(自動車専用道路なら走れる場合もある)だったりするので、地方都市の路線バスは距離は長く速度は遅く、客離れが進んでいる。しかも路線経路を簡単に変更できないので、バイパスができても旧道沿いを走ったりする。

 東京首都圏だけが日本じゃない。都市部の過密化して、電車移動や歩きばかりの生活をしている空間は、首都圏と関西くらい。広く見ても、北海道なら札幌くらいでしか成立しない。東京の人間が、東北地方などの地方都市の国道沿いとかに行けば「これは完全に別の国が出来上がっているなあ」と肌で感じることができるはずだ。にもかかわらず、生活実態はアメリカ並か、アメリカより広大な地方都市だってあるのに、路線バスやローカル鉄道などの公共交通は、公立学校は、医療機関は・・・あらゆるものが現代のファスト風土地帯の生活実態と乖離しているし、東京も東北も全く同じ法律が適応されている。歩行者なんていやしない高規格道路でも100キロ出せば捕まるのである。

 日本はアメリカのように地方分権がされていない。東京と東北は誰がどう見ても地続きなだけで外国同然であるにもかかわらず、州が独自の地域事情に合った法整備や州政による統治を行うことが、日本ではできない。東北の人たちの多くは、東京に出るということは東京の人が海外旅行に行くくらいにレアな経験なのに、なぜ同じ法律なのか。結果的に東北の人々は昔より便利になった近代化された生活と不便を強いられる中央集権的なシステムのゆがみの中で生きている現状がある。

 社会が根本から違うなら、日本を分割するべきだと考えるのは私だけじゃないはずだ。

4992 とはずがたり :2018/09/10(月) 16:33:24
篠山って響きが昔から好きで良い名前だと思うけど先日篠山城へ行って来て知ったが篠山は家康が対大阪城包囲罔形成の為に西国大名に笹山と呼ばれる小丘に築城させてからの比較的新しい名前。
元々この辺は多紀郡だった。丹波がなんか印象良くなっちゃって氷上郡も丹波市になってしまった。篠山市は多紀市に,丹波市は氷上市に帰るのが復古主義者としての俺の持論w

「丹波篠山市」改名 篠山市、住民投票実施へ
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201809/0011625780.shtml
時計2018/9/10 13:17神戸新聞NEXT

 兵庫県篠山市の市名を「丹波篠山市」へ改名することの賛否を問う住民投票を目指し、市民団体「市名の名付け親になろう会」が集めた署名が、投票実施に必要な数を超えたことが10日、関係者への取材で分かった。署名活動は9日に締め切られ、今後、署名簿を市選挙管理委員会に提出する。市住民投票条例によると、審査などを経て、有効署名数が有権者数の5分の1に当たる7095以上と確定すれば、2019年1月までに住民投票が行われる。

 市民団体の関係者によると、集まった署名は1万669人分。一部、要件を満たしていない無効な署名が含まれているとみられるが、1万は超える見通しという。

 市民団体は7月下旬、「(市名変更に)賛成でも反対でもなく中立的な立場で、名付け親になるための市民の権利を行使したい」(小寺恵美代表)などとして発足。8月9日に署名活動を始めた。

 篠山市の市名を巡っては、酒井隆明市長が8月1日、かねて市商工会など各種団体から要望があった「丹波篠山市」に変更する方針を表明。ただ、市民団体が住民投票実施を目指して活動を始めていたことから、変更に必要な条例案を市議会へ提出することは見合わせている。(尾藤央一)

4993 とはずがたり :2018/09/17(月) 00:18:23
すげえ

1人当たり所得増減マップ あなたのまちは?
2018.9.15公開
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/income-map/#8/138.6227/36.6243/2004/5/

4994 とはずがたり :2018/09/18(火) 22:45:19
なにをいっちゃってんだこいつは。
四つって事は東京洲は関東東北北海道か。

日本を「四洲」に再編せよ 東京一極時代と決別へ
川勝平太・静岡県知事
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20180619/pol/00m/010/009000c
2018年6月20日

川勝平太氏=長谷川隆撮影
川勝平太氏=長谷川隆撮影
首都機能を那須野が原へ移す
 日本は、奈良、平安京都、鎌倉、室町京都、安土桃山、江戸と首都機能を移してきた世界でも珍しい国である。首都機能の地名に時代をつければ、それがそのまま日本の時代区分(奈良時代、平安時代、鎌倉時代……)になる。明治以降の日本は、東京に首都機能が置かれた。過去150年間は「東京時代」と名付けられる。

 1980年代の日本は、東京の一極集中が極端に進み、集中のメリットよりも、災害の際のデメリットなどへ…

この記事は有料記事です。

4995 とはずがたり :2018/09/22(土) 15:14:33

野党は,身の丈に合った事業で収益性・自立をって云ふ木下さんのラインで地域政策立案すべし。

https://twitter.com/shoutengai/status/1043146084485230592
木下斉/HitoshiKinoshita
@shoutengai

ロスにお茶のカフェだすとかで2億円以上出資するのがすごいねw てか、どういう経緯でこの会社はできたんだか色々と不思議・・・。│

7:33 - 2018年9月21日

「事業は瀕死」クールジャパン機構を長崎企業連合が提訴
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180921-00000109-asahi-soci
9/21(金) 20:28配信 朝日新聞デジタル

 官民ファンド「海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)」と組んで米国で「日本茶カフェ」事業を展開する長崎県の企業グループが、機構が一方的に運営会社を清算しようとして損害が出ているとして、約4千万円の損害賠償と出資契約の無効確認を機構に求める訴訟を東京地裁に起こした。提訴は11日付。

 原告は、日本茶を輸出するマエタクや地方銀行十八銀行など長崎県や周辺の11企業・団体が出資する会社グリーンティーワールドホールディングス。機構とは15年4月、約210万ドルずつ出資して運営会社をつくり、米ロサンゼルスでカフェ1店舗を営む。運営会社株は長崎側が50・1%、残りを機構が持つ。

 訴状によると、機構は昨年以降、事業赤字などを理由に運営会社の解散を迫り、今年4月には米国の裁判所に清算を申し立てた。長崎側は、機構から不相応に大きな組織や新ブランドの商標登録を要求されて費用負担が膨らんだにもかかわらず、今度は運営会社を無理やり清算させられようとしているとして、出資時の契約に違反すると主張する。

 長崎側は単独での事業継続を望んでいるという。原告代表者は取材に「不毛な時間と費用、労力を費やして事業は瀕死(ひんし)の状態。早く機構のしばりから解放してほしい」とコメントした。

 機構は取材に対して「機構としては手続きを踏んでやむなく清算を求めるに至ったと認識している」と回答した。

 クールジャパン機構は日本の商品や文化の海外発信支援を目的に13年に設立。会計検査院から投融資額を回収額や保有株の評価額などが下回る損失状態と指摘され、近く改組される産業革新機構の傘下に入る方向で再編が検討されている。(藤田知也)

朝日新聞社

4996 とはずがたり :2018/09/25(火) 09:22:11
2012/9/2819:47:00
「多治見」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1094807635
多治見風土記によると、天火明命(あめのほあかりのみこと)の十一世の子孫が、この辺りに移り住み、タジヒ部を名乗ったことから、その地の人をタジヒ部と呼び、やがてタジミの地になったとあります。
タジヒとは、マムシの古称。

古来、蛙目粘土(がいろめねんど)、木節粘土(きぶしねんど)を産出する、陶磁器(美濃焼)の産地。
平安時代の新撰姓氏録に「多治部を諸国に定め、皇子の湯沐邑と為す」とあり、それが地名となった説があります。
「多治部」は天皇の養育に当たる古代の部曲の一つ「蝮部(たぢひべ)」、「湯沐邑」とは皇族に与えられた領地のこと。
なお、虎杖(イタドリ)を指す「多遅(タヂ、タヂヒ)」とする説もあり、県内に旧「板取(村)」の地名も見えます。



「多治見」という地名が登場するのは南北朝時代頃で、それ以前は「只見」と書いて「たじみ」と読んだともされます。
歴史に詳しい人にとっては、「太平記」に登場する多治見国長が有名です。
後醍醐天皇が鎌倉幕府に叛旗をひるがえそうとした時に参画したのが、岐阜県の名族土岐氏の一族である多治見国長。しかし、事は事前に幕府側にもれて京都で幕吏に急襲され、自害しました、いわゆる「正中の変」です。

以後、「多治見」の名前は歴史の表舞台には登場しません。
中世は名家・土岐氏の勢力圏の一部に組み込まれ、江戸時代は天領。多治見を中心とした政治圏や経済圏は誕生しなかった。

4997 とはずがたり :2018/09/30(日) 18:32:30

9/6の記事。

台風被害に悲痛な声 停電や集落孤立、爪痕深刻
https://www.gifu-np.co.jp/news/20180906/20180906-71564.html
2018年09月06日 07:40

 台風21号の猛威から一夜明けた5日、岐阜県内では本巣市の国指定天然記念物「淡墨桜」の枝が折れる被害や、収穫期を迎えた栗やナシの農業被害など、台風が残した深刻な爪痕が明らかになった。市民生活への影響も大きく、停電からの復旧が遅れ医療機関や高齢者施設では対応に追われたほか、山県市の孤立集落では「早く電気を」と悲痛な声が聞かれた。

◇電話も不通

 台風21号の風雨による県道の倒木で、山県市神崎の伊往戸(いおど)地区が孤立状態になっている。5日も停電が続き、電話も不通のまま。住民は「電気だけでも早く通じて」と訴える。

 「家が揺れて、トタン屋根の一部が吹き飛んだ。伊勢湾台風以上の風だった」。神崎川沿いの山あいの同地区で、男性(78)は振り返った。

 風雨が強まる中、4日午後4時半ごろに停電し、慌ててろうそくを探した。情報源はラジオだけ。食料は3日分程度あるが、男性の妻(76)は「冷蔵庫が使えず傷んでしまう」と不安がる。

 市部に通じる県道神崎高富線は、7月の豪雨で一部が通行止めに。歩いて通る程度には復旧していたが、今回の台風で同地区手前の少なくとも5、6カ所で倒木や土砂が道をふさぎ、再び通行が困難になった。

 県岐阜土木事務所によると、倒木が電線や電話線に掛かっている箇所が複数あり、各事業者による処理が必要になるため、除去や道路復旧の見通しは「まだ分からない」という。

 同地区には5日現在、5世帯10人が住んでいる。長屋勝自治会長(87)は「発電機のガソリンが足りず、風呂も入れない状態。いま一番欲しいのは電気で、早く復旧してほしい」と話す。

 同市によると、近くの円原地区でも8世帯14人が孤立している。

◇診療所停電

 長時間にわたる停電によって、高齢者が入る医療機関や介護施設でも空調設備が使えなくなるなどの影響を及ぼした。

 高齢者が長期入院する療養病床などがある岐阜市安食の診療所「福富医院」では、4日午後から約27時間にわたり停電した。蓄電池式の自家発電機は5日早朝に残量が尽き、職員らは冷蔵が必要な免疫製剤などの注射薬を保冷バッグに移すなどの対応に追われた。

 60〜80代の15人が入院。病室の窓を開け放すことで風を通し、氷枕を用意するなどして体調の悪化を防いだが、福富悌院長は「暑さがピークの時期だったらより深刻になっていたかもしれない。停電が長期化した場合の備えを見直したい」と話す。

 岐阜市大洞の特別養護老人ホーム「大洞岐協苑」では4日午後から5日早朝にかけて停電。ナースコールが使えなくなり、職員は巡回の頻度を増やし、自力で動ける利用者には代わりに鈴を渡した。

 発電機や投光器を用意し、照明を確保するなど事故防止に努めたが、長谷部博施設長は「電力がないと備えがあっても対応が難しいと痛感した。停電がさらに長引いていたらと思うとぞっとする」と表情をこわばらせた。

4998 とはずがたり :2018/09/30(日) 18:32:43
>>4997
◇大木折れる

 本巣市根尾板所の淡墨桜は、地元住民が枝4本が折れているのを確認した。60年以上生育状態を記録し続ける藤原俊博さん(78)=同市根尾神所=は「これだけの被害は伊勢湾台風以来」と話し「花付きが良く、見事な花を咲かせてくれる枝だった」と声を詰まらせた。

 樹木医大平猛司さん(44)=同市屋井=は「現段階で来年以降の開花にどのような影響があるかは何とも言えない」としつつ「折れた箇所が腐らないよう早急に処置する必要がある」と指摘した。枝を支える支柱も倒れたり傾いたりしており、市と県は「専門家の意見を交え早急に対応したい」としている。

 揖斐郡揖斐川町谷汲岐礼では、高さ約35メートルの県指定天然記念物「伊野一本杉」が強風で折れた。同所の新宮神社のご神木で、樹齢千年以上。古くから住民の信仰の対象で地域のシンボルだった。地面から約7メートルの高さで折れた木は、近くを通っていた電線と電柱を巻き込んで倒れた。子どもの頃に一本杉を遊び場にした男性(79)は「すっかり殺風景になってしまった」と肩を落とした。

 歴史的な建物などの被害も。岐阜市司町では、1924年に建設された旧県岐阜総合庁舎の2階と3階の約1メートル四方の窓ガラス計4枚が割れた。県によると、塔屋の金属製の扉も外れ、屋上に吹き飛んでいたという。

◇秋の味覚大きな痛手 栗、ナシ落下

 猛威を振るった台風21号の強風で、県内では特産の栗やナシが落下し、秋の味覚が打撃を受けた。

 JAひがしみのによると、中津川、恵那市では相当数の栗園に影響が出たといい、木が倒れ、大量のいが栗が青いまま落ちた。中津川市栗振興会長の榊間信明さん(77)の栗園は約250本のうち幼木が数本倒れ、いが栗は3割が落ちた。「不作の年で例年の7割の収量を見込んでいたが、6割になるかもしれない」と肩を落とした。

 同市の観光栗園も約300本が被害を受けた。8日に今季の営業が始まるため、5日は約15人が復旧作業に当たった。恵那市のえな笠置山栗園も倒木や実が落ちる被害があった。今季の収量は5トンの予定だったが、1・5トンに落ちる見込み。

 県内有数のナシの産地・美濃加茂市山之上町では「豊水」が数多く落下した。山之上果樹農業協同組合の湯浅誠組合長(67)によると「6〜7割落下した農家が多く、ひどい農家は9割。今季は雨が少なく、実が小さめで収量も少ない。台風とダブルパンチで品薄は避けられない」と嘆く。

 約7割が落下したナシ農園の経営者(41)は、落ちた実を拾いながら「防風ネットで対策したが、効果はなかった」と天を仰いだ。

4999 とはずがたり :2018/10/02(火) 11:03:44
>ここ数年、日本の労働者の実質賃金は下がる一方だったが、若年層の賃金の下がり方は尋常なレベルではなかった。

>先ほど筆者は地方では雇用が少ないと述べたが、一方で地方は深刻な人手不足に悩まされている。…考えられるのは雇用のミスマッチだろう。

この国で、地方移住がまったく進まない根本理由が分かった
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180919-00057571-gendaibiz-bus_all
9/19(水) 7:00配信 現代ビジネス

 このところ地方移住への関心が再び高まっている。安倍政権がアベノミクスの一環として地方創生を掲げたことや、石破茂元幹事長が自民党総裁選への出馬に際して地方創生を全面的に打ち出したこともあり、このテーマがメディアに取り上げられる機会も増えてくると思われる。

 一方、地方移住にはトラブルがつきものであり、理想と現実はだいぶ異なる。地方移住が漠然とした希望であるうちはそれでよいが、本格的に移住を考えるのであれば、相当な下調べが必要だ。

若年層の移住希望者が増えている
 国土交通省の調査によると、20代の4人の1人が、それ以外の年齢層の6人に1人が、地方移住について関心を持っているという。地方移住の支援を行っている、特定非営利法人100万人のふるさと回帰・循環運動推進・支援センター(ふるさと回帰支援センター)への来訪や問い合わせ件数はこのところ急激に増加しており、10年間で10倍以上となっている。

 支援センターへの問い合わせ件数については、地方創生という政策強化によってセミナーの開催件数が増えるなど、別の要因があるため、数値の増加がそのまま関心の高まりを示しているわけではない。だが、地方移住を取り上げたブログやSNSにおける関連投稿の状況などを考えると、関心を持つ人が増えているのは間違いないだろう。

 もっとも、関心が高まっているからといって、多くの人がすぐに移住を決断するとは限らない。先ほどの国土交通省の調査においても「親世代との同居もしくは近居」「中古住宅の取得」といった項目も、地方移住と同じくらいの関心度合いになっている。

 興味深いのは、地方移住に関心を持つ人の属性が年々変化していることである。

 ふるさと回帰支援センター利用者の年齢構成は、2008年には50代が27.9%、60代が35.1%と圧倒的に中高年が多かった。だが2017年では20代が21.4%、30代が28.9%と若年層と高齢者が完全に入れ替わっている。

 若年層の関心が高まっているのは、経済的な問題と関連している可能性が高いだろう。
 
ここ数年、日本の労働者の実質賃金は下がる一方だったが、若年層の賃金の下がり方は尋常なレベルではなかった。一部の若年層労働者は、都市部の物価では暮らすことそのものが困難になっており、これが地方移住に対する漠然とした関心を高めていると考えられる。

政府は金銭的な支援も検討している
 もっとも地方に移住したからといって経済的な問題が解決するとは限らない。地方は物価が安く、農村地域に行けば、食料が「おすそわけ」で手に入ったりするので、現金の支出は大幅に減る。だが地方では基本的に雇用が少なく、仮に職を見つけられたとしても、年収が200万円以下というケースもザラにあるため、結局は経済的な問題がつきまとう。

 政府もこうした状況は認識しているようで、地方移住者に対する経済的支援について検討を開始している。

 現在、議論されている制度は、東京、埼玉、神奈川から地方に移住し、現地で起業した人には最大300万円、現地の中小企業に転職した人には最大100万円を支援するというものである。経済的な理由で地方への移住を諦めていた人に、直接的な支援で行動を促そうという仕組みだ。

 だが、この施策は、はからずも地方移住が抱えている根本的な問題を浮き彫りにしたともいえる。

 先ほど筆者は地方では雇用が少ないと述べたが、一方で地方は深刻な人手不足に悩まされている。これは相反する事象であり話が矛盾している。

 地方に雇用が少ないのも、人手不足が深刻なのも事実だとすると、考えられるのは雇用のミスマッチだろう。適正な条件の求人があれば、本来ならすぐに求職者が応募してくるので、深刻な人手不足にはならないはずだ。

5000 とはずがたり :2018/10/02(火) 11:04:08
>>4999
 だが、多くの人が考える雇用環境や雇用条件を満たす職場が少ないのだとすると、いくら求人をかけても人は集まらない。一方、都市部から移住を希望する人にとっては、自分が求める仕事はないという結論になってしまう。

 このような状態だからこそ、人手不足が深刻な中小企業への転職の場合には100万円、さらにハードルが高く雇用を生み出してくれる起業の場合には300万円の支援があると考えた方がよい。

村八分でゴミが出せない?
 一連の状況を総合的に考えた場合、このままでは地方移住が進展する可能性は低いだろう。

 自由な移動というのは資本主義を成り立たせる根源的な要因とひとつであり、人口減少社会において都市部への人口集中が進むのは自然な動きといってよい。都市部の方が物価の高さをカバーできるくらいに賃金が高いのも自然なことであり、都市部で生活するのは合理的な選択といえる。

 しかしながら、政策として地方を重視するということであれば、それはそれでひとつの決断であり、多くの国民がそれを望むのであれば、推進していく価値はあるだろう。

 だが、実施しようとしている政策が市場メカニズムとは逆の流れにある場合、これを確実に実施するためには相応の準備が必要となる。現時点ではそうした準備が出来ているとは到底、思えない。

 地方移住を妨げている最大の理由は、経済的な問題はもちろんのこと、それ以前の社会的な問題である。

 近年、SNSが発達してきたことで、多くのナマの声がネットで拡散されるようになった。地方移住に関する話題もSNSに投稿されているのだが、その中には、近代民主国家としては目を疑うような事例も散見される。

 よく目にするのはゴミの問題である。

 ある地域では、都会からやってきた新住民が村八分のような扱いを受け、何十キロも離れた集積所までゴミを運ばなければならない状態になっているという。

 ゴミの集積所は自治会が運営しており、自治体のゴミ収集はその集積所でしか行わないという。新しい居住者は自治会に加入していないため、自治会の集積所にはゴミが出せず、自治体が運営する遠くの集積所まで、毎日、クルマを運転してゴミを出しに行っているという。しかも自治会に加入できないのは、本人に加入の意思がないわけではなく、自治会側が新住民を拒否しているという。

経済的な問題ではなく社会的な問題
 SNSの情報なので真偽の程は不明だが、似たような事例が多数、ネットで報告されている現状を考えると、こうしたケースは珍しくないものと考えられる。

 自治会はあくまで自治会なので、そのルールは地域住民が決めるべきものだが、自治会に加入していないことで行政サービスが受けられないという話が本当だとすると、それは近代民主国家として絶対にあってはならないことである。

 ゴミの収集をはじめとする各種行政サービスを受ける権利は、納税する住民に等しく保障されたものであり、特定の住民が何の理由もなくこうしたサービスを受けられないというのは、基本的人権にも関わる重大問題といってよい。

 本当に地方移住を推進したいのであれば、場当たり的な支援ではなく、社会的な部分での対策をしっかりすることが先決である。

 ごくわずかな金銭的な支援だけを行い、あとは自己責任ということでは、誰もこうした施策には乗らないだろう。地方創生や地方移住というのは、実は日本社会の制度そのものが問われている問題なのである。

加谷 珪一

5001 とはずがたり :2018/10/02(火) 11:05:12
もう15年位も市町村合併なんかを観察してきたこのスレも遂に5000。容量の半分迄来た。
感慨深い。

5002 とはずがたり :2018/10/05(金) 13:41:00
徳島は「阿波おどり」で揉めてさらに衰退する
地方を滅ぼす「本当の敵」は常に「外」にいる
次ページ ≫
木下 斉 : まちビジネス事業家
著者フォロー
https://toyokeizai.net/articles/-/235812
2018/09/01 6:00

5003 とはずがたり :2018/10/05(金) 13:44:08
地方を変えるのは巨大計画より小さな店だ
日高の名店が「フェス」を開く理由
企業経営 2017.10.14 #地方創生 #地域活性化
木下 斉
まちビジネス事業家 木下 斉
PRESIDENT Online
https://president.jp/articles/-/23319

5004 とはずがたり :2018/10/10(水) 09:37:11
スーパー編輯者もいつかはマンネリが来る。二代目が育成出来るかどうかだな。

それにしても三芳ってなんでそんなに豊かなんだ??

若者に読まれる「日本一」の三芳町広報誌。作ったのはスーパー公務員編集者
https://www.businessinsider.jp/post-176601
室橋祐貴 [Business Insider Japan]
Oct. 04, 2018, 05:05 AM MEDIA, ADVERTISING97,272

東京・池袋から電車で約25分。東京にもっとも近い「町」、埼玉県三芳町。

人口約3万8500人の小さな町に、多くの若者に読まれている自治体広報誌がある。町役場が毎月発行する「広報みよし」だ。

2011年にリニューアルするまでは他の自治体と変わらない平凡な自治体広報誌だったが、リニューアルからわずか4年後の2015年には全国広報コンクールで内閣総理大臣賞を受賞。この年に行われた住民への調査では、20代の8割が町の情報を「広報みよし」で得ていると回答するなど、若者からの反響も大きい。

通常、自治体が発行する広報誌は固い内容が多く、その内容は若者に伝わり難いが、なぜ「広報みよし」は若い世代で読まれているのか?ほぼ一人で「広報みよし」を作り上げてきた三芳町秘書広報室の佐久間智之さん(41)に話を聞いた。

捨てられている広報誌「税金の無駄だな」

定期的に自宅に届く自治体の広報誌。中身を読まずに、ゴミ箱に捨てている人も多いだろう。

健康増進課に所属していた佐久間さんが広報誌作りに関わるようになったのも、広報誌がゴミ箱に捨てられているのを見たのがきっかけだった。

「マンションのポスト脇のゴミ箱に広報誌が捨てられているのを見て、『税金の無駄だな』と思ったんです。読まれていないということは町の情報も伝えられていない。これをどうにかしたいと考えました」(佐久間さん)

その後、庁内で広報担当の公募があり、手を挙げた。

広報みよし2011年

外部に発注して作っていたリニューアル前の「広報みよし」。

広報誌作りは未経験だったが、制作費が税金から出ていることを考えて、それまで外部に委託していたデザインやレイアウトをやめ、自分で全て制作することにした。写真撮影からデザインまで独学で学んだ。

リニューアルにあたり意識したのは、より幅広い層に読んでもらえるように、直感的に「面白そう」と感じる写真やレイアウトに変えること。

「若い人にも読んでもらえるように、タイトルをひらがなの『みよし』からローマ字に変え、写真を大きく掲載したところ、町民からは『外国かぶれ』、庁内からは『もっと文字をたくさん入れろ』という批判もありました。わかりやすく伝える工夫をし続けていった結果、少しずつ理解していただけるようになりました」(佐久間さん)

リニューアル後は「雑誌」のように文字量が少なく、ぱっと見でわかりやすいビジュアルメインの広報誌に生まれ変わった。

結果的には役所内部で制作することでコストが半減した一方で、読みやすさが評判となり、広告収入は1.5倍に、財政面でも貢献した。

三芳町は県内でも数少ない地方交付税をもらっていない自治体の一つだが、財政に余裕はなく、「1円でも収入源を自分たちでつくっていく」と佐久間さんは意気込む。

5005 とはずがたり :2018/10/10(水) 09:37:23
>>5004
表紙は住民、「アイドル」として子どもも
大きく変えたのはデザインやレイアウトだけではない。

「住民が主役の広報誌」を意識し、単なる「町のお知らせ」ではなく、住民が読みたいと思うような特集を毎月組んでいる。その企画や取材もほぼ佐久間さん一人が担当している。

今まで認知症や障害者差別解消法、食育などさまざまなテーマを特集として扱ってきたが、その反響は大きく、町内で蛍が見られるスポットを特集したら、例年700人ほどだったイベントに約1300人も訪れるようになったという。

表紙の写真も「主役」である住民を積極的に載せ、「読者と目が合うように」正面からの写真にこだわっている。

「毎月最後のページに『MIYOSHIのアイドル』として小学校入学前の子どもの写真を載せていて、最初は足りないから職員の子どもの写真を載せていたんですが、今では載せきれないほどたくさん応募が来ます」(佐久間さん)

住民も自分が載ったら親戚に配ったり、知り合いが載るのを楽しみにしている人も多いという。

AR、動画も活用「広報はラブレター」
佐久間智之

佐久間さん自身は東京都板橋区出身。バンドマンでプロを目指していたが、途中で音楽の道を諦め、公務員になった。

より多くの若者に読んでもらうために、紙だけではなく、ウェブはもちろん、多言語アプリ、町のFacebookやTwitterのアカウント、AR(拡張現実)、動画も活用し、さまざまな形で読めるようにしている。メディア・ユニバーサルデザインの資格を取得し、お年寄りから子ども、外国人にも配慮したデザインを心がけている。

三芳町の広報大使には、埼玉県出身で「ハロー!プロジェクト」のグループ「Juice=Juice」の金澤朋子さんが任命されている。町役場には、金澤さんが表紙になっている号の「広報みよし」をもらうために、町外からもファンの若者たちが訪れる。

2015年に「日本一」の自治体広報誌になって以降、他の自治体から多くの講演依頼が来るようになった。2018年5月には『パッと伝わる!公務員のデザイン術』を出版。 「結論を早く伝え、自分事と気付いてもらう」「文章ではなく箇条書きにする」など、具体的なノウハウがまとめられている。

しかし、もっとも重要なのは、職員自身が町のことを好きになることだと佐久間さんは語る。

「自分の勤める自治体のことにあまり関心がない職員は意外と多いですが、町のことが好きになれば、多くの人にその良さを伝えたくなる。どんな地域にもダイヤの原石のような魅力があります。広報誌はすべての人に情報(想い)を伝えるラブレターだと思っています」

(文、写真・室橋祐貴)

5006 とはずがたり :2018/10/11(木) 13:49:20

高島市役所
新庁舎が開庁 地下水を空調に利用 /滋賀
https://mainichi.jp/articles/20181010/ddl/k25/010/496000c#cxrecs_s
会員限定有料記事 毎日新聞2018年10月10日 地方版

 高島市役所本庁舎(同市新旭町北畑)の隣に新庁舎(新館)が8日、開庁した。本庁舎(本館)は各部局が新館に移転を終えた後、改修に着手し、新館とは通路でつながれる。来年5月のゴールデンウイーク後には、3カ所に分かれている各部局が本館と新館に全て集約される予定。

 2005年1月に旧6町村が合併して発足した高島市は、新庁舎の整備地を巡り今津町での新築案と現庁舎の増改築案が対立。15年4月の住民投票にまでもつれた経緯がある。この日の…

この記事は有料記事です。

残り320文字(全文533文字)

5007 とはずがたり :2018/10/20(土) 10:56:49
鷺山問題,総務省は新地名いやがるのか?
随分糊塗的な解決策やな。。
>新しい町名は作らず、登記上の地番は「鷺山1769の2」のまま各世帯をブロック分けしたうえで、建物ごとに住居番号を割り振ることにした。
鷺山1769-2-1-13とかなるのか!?

救急車も呼べぬ、同じ住所の250世帯に新住所
https://www.yomiuri.co.jp/national/20181013-OYT1T50009.html?from=yartcl_outbrain1
2018年10月13日 17時19分

 岐阜市鷺山地区で、同じ住所「鷺山1769の2」になっていた約250世帯について、市は12日、建物ごとに割り振った新しい住所表示を公表した。新住所への変更は来年2月4日に行われる。

 市によると、鷺山地区では1950年、戦後の住宅不足を補うため、市が地権者から一帯の土地を購入して賃貸住宅を建設したが、入居を急いだため、住所が同じまま残されたという。

 しかし、郵便物の誤配、救急車や消防車を呼ぶ際などの不便があり、2015年1月、住民が市との会合で解決を要求。これを受け、市が総務省と協議した結果、新しい町名は作らず、登記上の地番は「鷺山1769の2」のまま各世帯をブロック分けしたうえで、建物ごとに住居番号を割り振ることにした。

(ここまで314文字 / 残り81文字)

5008 とはずがたり :2018/11/06(火) 20:33:03

首相 地方銀行や路線バス事業者の経営統合へ仕組み整備を
2018年11月6日 20時31分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181106/k10011700681000.html

人口減少などに伴い、地方銀行や路線バスの事業者の経営環境が悪化していることを受けて、安倍総理大臣は未来投資会議で、地域住民に不可欠なサービスを維持するために経営統合を後押しする新たな仕組みを整備する考えを示しました。

総理大臣官邸で開かれた未来投資会議で、内閣官房の事務局は、人口減少などに伴う経営環境の変化で、全国の5割の企業がメインバンクにしている地方銀行と第二地方銀行の半数のほか、路線バスの事業者の3分の2が、赤字に陥っていると報告しました。

これを受けて、安倍総理大臣は「地方銀行や乗り合いバスは、地域住民に不可欠なサービスを提供しており、サービスの維持は国民的課題だ」と指摘したうえで、地方でのサービスを維持するために、地方銀行や路線バスの事業者の経営統合を後押しする新たな仕組みを整備する考えを示しました。

政府内では、経営統合を後押しする方策として、特例法の制定などによる法整備や、独占禁止法に基づいてガイドラインを策定することが検討されていて、未来投資会議のもとに設けられた専門家による協議会で具体的な検討が進む見通しです。

5009 とはずがたり :2018/11/16(金) 17:22:28
「受かる気なかった」けど町議に当選 名前すら未掲載で
https://www.asahi.com/articles/ASLC6454JLC6UJUB005.html?ref=goonews
成田認、大西英正2018年11月13日06時29分

 無効票が3割超、選挙公報に名前すら出さなかった候補者が当選――。10月28日にあった岩手県雫石町議補選は異例ずくめだった。町村議員のなり手不足や地方議会の弱体化は全国的な課題だが、ここ岩手でもひとごとではなくなっている。

投票箱開けたら…無効票3割 岩手・雫石町議補選
 町議補選は1議席を巡って農業の細川祐弘氏(62)と自営業の宮嶋浩二氏(57)が争い、細川氏が3710票で当選した。9325の投票総数に対し、白紙などの無効票は3割超の3138。宮嶋氏は無効票より少ない2476票だった。1票足りないのは、誰かが投票用紙を持ち帰ったためとみられる。

 同じ日にあった町長選の無効票は1・51%。補選とはいえ3割超の無効票には町の選挙管理委員会も「こんな数字は初めて」と驚きを隠さない。

 細川氏は2014年の補選、15年の町議選に出馬。いずれも落選し、今回が3回目だった。だが、選挙公報には「希望しない」として名前を出さず、作成した選挙ポスターにも公約こそ書き並べたが、自身の写真は載せなかった。

 当選後、細川氏に理由を尋ねると「当選しようという気はなかった。ポスターを見て少しでも政治に関心を持ってくれる人がいればという気持ちで立候補した」という。「通ったからにはきちんと務める」とし、人口増につながる施策に取り組む意欲を示した。

 県知事選などにも関わった同町…

5010 とはずがたり :2018/11/18(日) 17:25:49
「母の慈愛を」発言、小池知事は不快感 鳥取知事が謝罪
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181116-00000044-asahi-soci
11/16(金) 12:55配信 朝日新聞デジタル

 東京都の小池百合子知事は、今月の全国知事会議で鳥取県の平井伸治知事から「母の慈愛の心を持って」と言われたことに対し、16日の定例会見で「私は母になれなかった。安易な発言で、大変傷ついた」と不快感を示した。

 全国知事会議は9日に都内で開かれ、大都市の税収の一部を地方に配分する「偏在是正」をめぐり、議論が交わされた。地方を中心に多くの県が是正に賛同しているが、東京都は税収減につながるため、小池知事が反対している。

 平井知事は、今年のハロウィーンのコスプレイベントで小池知事が人気漫画「銀河鉄道999」のキャラクター「メーテル」の衣装を着たことに触れ、「先日のメーテルはすばらしかった。私たちの世代、男たちはメーテルに恋をしている。メーテルに頭をなでてもらう『鉄郎』になりたいと思っていたもので、いまの柔らかいお声に感激もした」と発言した。さらに「メーテルの名前の語源はギリシャ語で母。ぜひ母の慈愛の心を持って、大都市と地方の折り合える案を考えていただければ」と語った。

 これに対し、小池知事は16日の定例会見で、この発言への批判を自ら切り出し、「ちゃかすような発言があり、非常に困惑した」と強調。小池知事は子宮筋腫のために子宮を全摘出しており、「『母として』と言われたが、私は母になれなかった。私ができなかったことをみなさんにかなえてほしいと、多くの女性に仕事も子育てもやってもらえるような環境づくりをしている」と話し、「大変傷ついた」と述べた。

 平井知事はこの日、「広い視野で議論したいという以外に全く他意はありませんでした。しかしながら、小池知事のお気持ちを害したこととなり、率直に心から深くお詫(わ)び申し上げます」とのコメントを出した。

朝日新聞社

5011 とはずがたり :2018/11/18(日) 21:41:02
丹波市は丹波氷上市にでも変えるべきやね。

50%の壁突破、篠山の住民投票成立へ 市名変更問う
12:42朝日新聞
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/ASLCK5QF2LCKPIHB00K.html

 市名変更への賛否を問う全国的にも珍しい兵庫県篠山市の住民投票が18日、成立する見通しになった。期日前投票者数とこの日の投票者数の合計が午後1時現在で当日有権者数の50%を超え、開票要件を満たした。黒枝豆などで有名な「丹波ブランド」を強く意識した「丹波篠山市」に変えるかどうか、18日夜には市民の「意思」が判明する。

 住民投票は出直し市長選とのダブルで、当日有権者数は3万5005人。住民投票は、期日前投票者数1万479人と、18日午後1時現在の投票者数の7728人を合わせた投票者数が1万8207人となり、投票率が50%を超えた。

 住民投票は投票率が50%に達しないと成立せず開票されないと、市の条例は定めている。前回の市長選は無投票で、前々回は投票率が過去最低の48・45%。この1、2年、各地の住民投票は条例の多くが成立条件とする投票率50%に達せず、開票されない例が相次いでおり、投票率も注目されていた。

 市長選は、前市長の酒井隆明氏(64)=自民、国民、公明、維新推薦=と、前市議会副議長で住職の奥土居帥心(すいしん)氏(60)がいずれも無所属で立候補し、舌戦を展開した。

 市名変更を巡っては、隣接する同県丹波市の誕生後、農業関係者や経済関係者らの間で黒枝豆や焼き物などのブランドイメージを奪われる懸念が強まり、市名に「丹波」を加えるべきだとの声が上がった。市長だった酒井氏が今年8月、変更の方針を発表。ところが、市民団体「市名の名付け親になろう会」が「市民の手で市名を決めよう」と、住民投票の実施に必要な数を大きく上回る1万人を超える署名を集めた。

 実施が決まると、酒井氏は「市名変更を進めた活動の信を問う」と3期目途中で辞職し、出直し選への立候補を表明。奥土居氏も立候補を表明した。両氏ともに住民投票の結果を尊重するとしている。

5012 とはずがたり :2018/11/19(月) 08:34:24
兵庫・篠山市
「丹波篠山市」変更が賛成多数 住民投票
毎日新聞2018年11月18日 23時15分(最終更新 11月19日 00時31分)
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20181119/k00/00m/010/115000c

出直し市長選、改名進める前市長の酒井隆明氏が4選
 「丹波篠山市」への市名変更の賛否を問う兵庫県篠山市の住民投票が18日、投開票された。「賛成」は1万3646票で、「反対」の1万518票を上回り、賛成多数となった。同日あった出直し市長選では改名を進める前市長の酒井隆明氏(64)が4選を決め、「丹波篠山市」の誕生に大きく前進した。

 市名変更を巡る住民投票は異例。投票率は69.79%で、条例で成立要件とする50%を大幅に上回った。市選挙管理委員会によると、当日有権者数は3万5005人で、3割に当たる1万479人が期日前投票し、市民の関心の高さを示した。

 酒井氏は市内で支持者を前に「市名の問題をやっと解決できる。住民投票の結果を尊重し、手続きを進めたい」と述べた。12月の定例市議会にも改名の条例案を提出し、改元に合わせて来年5月の市名変更を目指す方針だ。

 これまで市特産の「丹波」ブランドの黒豆やクリなどが、隣接する兵庫県丹波市や京都府京丹波町の生産と間違われる事例が頻発。2007年に市長に就いた酒井氏は、「丹波」を冠した市名に変更する条例の準備を進めた。しかし「トップダウン」との批判から市民団体「市名の名付け親になろう会」が先月に住民投票を請求し、酒井氏も辞職して市長選と同日実施する異例の事態に発展した。

 市民の間では「『丹波篠山ブランド』が特産品のPRに役立つ」という賛成派と、システム改修をはじめ市支出は6550万円に上ることなどから「費用や手間がかかる」とする反対派に二分された。改名への賛否を呼び掛ける行為が市長選候補の応援と捉えられるおそれもあり、市民団体などは11日の告示以降は活動を控えた。それでも投票率は50%以上となった。

 同会の小寺恵美代表(35)は「市名論争に終止符を打ち、賛成、反対を超えて市を良くするため力を合わせたい」とコメントした。【丸井康充、目野創、黒詰拓也】

旧国名「丹波」付けるのは今の時流にも合致
 辻幸恵・神戸学院大教授(ブランド論)の話 ブランド化のため自治体名を変えるのは一つの有効な手法。自治体名、地名、商品名の関係が密になるほどイメージされやすい。旧国名の「丹波」を付けるのは、古いものを見直す今の時流にも合う。ただ、全国の「○○銀座」が全て栄えたわけではないように、特産品も「篠山」ならではの具体的価値を生み出さなければ埋没してしまうだろう。

「丹波篠山市」への市名変更を巡る動き
1999年 4月 4町が合併して兵庫県篠山市誕生

2004年11月 兵庫県丹波市誕生

  05年10月 京都府京丹波町誕生

  17年 2月 篠山市商工会などが市名変更の要望書提出

  18年 8月 酒井隆明市長が丹波篠山市へ改名する意向表明

         市民団体が住民投票を求める署名活動開始

      9月 市民団体が約1万人分の署名提出

     10月 住民投票の実施決定。酒井市長が辞職表明

  11月11日 住民投票と出直し市長選告示

     18日 住民投票と出直し市長選投開票

5013 とはずがたり :2018/12/15(土) 20:58:59
木下さんの本買うだけ買って読んでない,,
この本も買うかなあ。

東京より成長できる"平日ガラガラ"の福岡
100万人増えても、まだまだ余裕
https://president.jp/articles/-/26962
政治・社会 2018.12.14 #福岡市 #国内経済
長崎 洋二
観光経営研究者 長崎 洋二
PRESIDENT Online
一覧
メールでシェア
印刷

前のページ1 2 3 次のページ
福岡市の人口が増え続けている。人口増加率は日本一で、2035年には160万人に達すると試算されている。観光経営研究者・長崎洋二氏は「福岡人が『平日はガラガラ』とよく言うくらい、もともと都市機能の割に人口が少なかった。そのぶん伸びしろが大きい」と分析する――。
※本稿は、長崎洋二『福岡人はなぜ超活躍するのか』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

5014 とはずがたり :2018/12/15(土) 21:02:05

木下さんの本買うだけ買って読んでない,,
この本も買うかなあ。

勝田線を復活させて福岡市交と相互乗り入れさせよう♪

東京より成長できる"平日ガラガラ"の福岡
100万人増えても、まだまだ余裕
https://president.jp/articles/-/26962
政治・社会 2018.12.14 #福岡市 #国内経済
長崎 洋二
観光経営研究者 長崎 洋二
PRESIDENT Online

福岡市の人口が増え続けている。人口増加率は日本一で、2035年には160万人に達すると試算されている。観光経営研究者・長崎洋二氏は「福岡人が『平日はガラガラ』とよく言うくらい、もともと都市機能の割に人口が少なかった。そのぶん伸びしろが大きい」と分析する――。

※本稿は、長崎洋二『福岡人はなぜ超活躍するのか』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。



少子化時代に人口が増えている理由
なぜ、福岡は人口が増えているのだろうか。

それは「福岡市はもともと、都市機能の割に人口が少なかったから」である。

2018年現在、福岡市の人口は約150万人だが、試算では2倍の300万人前後まで増えても大丈夫だといわれている。研究者によっては500万人まで増えても大丈夫だという方もいる。この根拠は、福岡市発表の資料「構造改革特別区域計画」のなかからも求められる。

1500万人経済圏の中枢地域高速交通体系等の整備にともない、近年は、福岡に九州・山口1500万人経済圏の中枢管理機能がさらに集積しており、福岡を核として人・モノ・情報の交流構造が構築され、九州・山口の活性化に貢献している。また、九州は約4070億ドル(平成16年)の国内総生産(GDP)を有し、福岡県は、その約4割を占め、九州経済の中心地として発展している。

なぜ福岡が「日本を救う」のか?
上記の資料は2004年のものだが、2005年には九州のGDPは5000億ドルを突破している(九州経済調査協会)。

1500万人の経済圏で「福岡県は4割」と示してあるので、福岡県全体では「600万人の経済圏」とまず試算できる。ここから福岡市内のみのGDPに限定すると、約4〜5割なので、240万〜300万人となる。ただ、これは「経済圏」という文言であり「居住者(人口)」とはいっていないので注意が必要だ。しかし、それでも現在の福岡市内の人口150万人には遠く及ばず、定量データからは福岡市は「あと100万人程度は、人口が増えても大丈夫」といえるだろう。

さらに、筆者自身の肌感覚や福岡在住の方々の観察、いわゆる数値にはできない「定性データ」でもこのことは裏付けできうる。

たとえば、福岡空港と博多駅は混雑していても、福岡市営地下鉄のひとつ隣、東比恵駅、その次の祇園駅、中洲川端駅で降りると土日祝日であっても空いていることが多い。というよりも、よほど大きな祭りやイベントがない限り、ガラガラといえるレベルですらある。

5015 とはずがたり :2018/12/15(土) 21:02:18
>>5014
「福岡は都会といっても平日はガラガラやけんね」は、福岡市民の間では、けっこうよく使われる日常会話の言い回しでもある。

2035年には160万人を超えると予想
したがって、都市機能の割に人口が少なかった街に「特区」や「インバウンドビジネス」など、国策レベルでの後押しが入り、国内のみならず国外からも人気がでてきたというのが福岡市の人口増の支配的な要因だと思われる。

福岡市総務企画局の推計では人口は微増し続け、2035年、福岡市の人口は160万人を超えると予想されている。それでも200万人には届かないので、東京のように混雑することはないだろう。

ともあれ福岡は、大きな自然災害やミサイルが飛んでくるようなことが起こらない限り、あと約20年は人口増ボーナスの恩恵を受け、プレミア感が増していく都市であることは間違いないといえる。

日本全体では人口減となっている。ここ20年の福岡の活躍と伸びしろは、自県のみならず「日本を救う一翼を担う」といっても暴論ではないかもしれない。

どこからでも中心部へ1時間
また、福岡と東京と海外をトライアングルで行き来する筆者には、人口増のデータだけではなく、もっとハッキリみえてくることがある。

福岡市は、博多区、中央区、東区、西区、南区、城南区、早良区と合計「7区」で構成されており、さらにこの周辺に大野城市、春日市、那珂川市、筑紫野市など住み心地と利便性を兼ね備えたベッドタウンが点在する。

福岡市内の中心部へは、これらどこからでもタクシーなどクルマはもちろん、公共交通機関を使えば「ほぼ1時間以内」で到着できる。それゆえに、東京だと1時間半くらいなら通勤圏内だが、福岡の場合は「よくぞ遠方からきんしゃった(いらっしゃいました)」と労をねぎらうレベルなのである。JR、福岡市営地下鉄がとかく便利で、終電を逃し、タクシーで帰っても3000円前後で家路につくことができる。

この「終電を逃してもタクシーで数千円」は、「深夜まで飲む福岡人」をサポートしている。

「深夜まで飲める福岡」の裏付けデータとしては、大都市比較統計年表の「深夜における酒類提供飲食店営業数」を確認すれば一目瞭然だ。2013年のデータでは、東京都区部の3万6622店には及ばないものの、福岡市(6846店)と北九州市(5826店)の合計1万2672店は、横浜市(7267店)+川崎市(3491店)の合計1万758店より多い。人口は「横浜市+川崎市」のほうが「福岡市+北九州市」よりも2倍以上多いのに、深夜まで営業している店は福岡県のほうが多いのである。

この数値データは「いかに福岡人が夜遅くまで飲食をしているか(経済活動がおこなわれているか)」の裏付けといっていい。「東京は飲み会で帰るのが早い」と筆者は思っていたが、こうして数字でみると「福岡人が深夜まで飲み過ぎ」という言い方もできるのかもしれない。どっちが良いか悪いかは、人それぞれである。

長崎洋二
観光経営研究者
福岡県生まれ。観光経営、MICE(国際会議などのイベントマネジメント)、ホスピタリティ・マネジメントを研究。外資系、日系大手のIT企業、広告代理店の現場で培ったビジネス経験と学術的視点を融合させ、大学や企業で講師を務める。

5016 とはずがたり :2018/12/18(火) 17:44:03
YouTubeと「さびれた街」の共通点
http://qbiz.jp/article/145744/1/
2018年12月16日 03時00分 更新
記者:福間慎一

YouTubeとシャッター街の共通点とは…

福間慎一(ふくま・しんいち)
福岡市生まれ、2001年入社。文化部、長崎総局、本社報道センターなどで記者。1年間のヤフー出向を経て17年9月からqBiz編集長。特技は居酒屋のメニューを指1本でくるくる回すこと。

 「『人生の大半の時間を動画で台無しにすることができるね』なんて話してましたよ」

 福岡市・天神のアクロス福岡でイベントに登壇した、動画共有サービスYouTubeの共同創業者、チャド・ハーリー氏。創業当時を振り返る際に出たその言葉に、思わず「あ、あなたが “犯人”か…」と独りごちてしまった。

 というのも、わが家の下の子(4歳)、一通りいろいろ遊びを終えると、「見ていい?」と聞いてくる。YouTubeだ。

 もちろん「30分だけだぞ」などと決めて見せているが、その間は「人間ってこんなに集中することができるのか」というほど画面に見入る。時間が来たことを告げなければ、どこまでも見続ける勢い。まさに時間“泥棒”である。

 ハーリー氏が描いていたのは▽動画にコメントを付けられる▽関連する動画を表示する▽動画をウエブサイトに埋め込むことができる――といった機能。今でこそ当たり前のサービスだが、2005年のYouTube登場当時、こういうものはなかった。

 企業価値は1年半で8倍以上に。といっても実際の金額で言えば220億円が1850億円だ。ケタが違う。もちろん、誰もやっていなかったサービスを着想したということが一番大きいのは言うまでもない。だが、それを実現するために必要な要素がちゃんとあった。

 とても分かりやすかったので、自分なりに理解した部分を箇条書きする。

▽小さいチームで、小さく始める。チームが大きいと、コンセンサスを得にくい
▽外ではアイデアを盗まれることを恐れずに話す。するとサポートが得られる
▽最初のうちは、利益よりも「人」を増やすことを重視する
▽競合に入られないよう「この事業は大変だ」とホラを吹く
▽先々起こる問題のことは(あまり)考えない
▽自分の直感を信じる
▽成功には「運」も大事

★★  ★★  ★★

 世界でもまれに見る「成功者」の話を聞きながら思い出したのが、数日前に天神で昼食を一緒に食べた、事業家の木下斉さんの話だ。

 私より5歳年下だが、学生時代から全国の商店会に「でっち奉公」し、その後も熊本や女川(宮城県)など全国50都市以上で街おこしの現場にかかわってきた木下さん。「いや、もうひどいところは本当にひどいですよ」と言う。

 補助金を「麻薬」と断じ、全国の失敗事例を「墓標シリーズ」として有料コンテンツ化さえしてしまうその舌鋒は「狂犬」だとか「溺れる人に石を投げる」などとも言われる。その木下さんが見てきた、地域活性化の現場での悪例を思い出したのだ。これも列挙する。

▽マインドが暗く、物事を面白がらない
▽変化することで立場が危うくなると感じる人が、何か創ろうとする人を妨害する
▽「喜ばれるモノやサービスを作る」ことよりも、お金の出入りに執着する
▽「こんな懸念が」「ここが危ない」とリスクを見つけてばかりいる
▽必要のないものを無理やり作る
▽「誰も取り組まない」と愚痴を言い、その本人に当事者意識と覚悟がない
▽過去の成功体験に固執する

 多少のずれはあるが、見事にハーリー氏の言葉の「裏側」が表現されている。要は「新しいこと」と「再生すること」のプロセスは同じ。というか、再生することはもはや新しいことをやることだ。

 そういう意味では、「さびれた中心市街地」というのは、ベンチャー(冒険)の最前線なのかもしれない。

 さらに言えば、これは街に限った話ではない。今、私がいる新聞業界だって同じことだ。「さびれた」と書くと怒られそうだが、少なくとも紙の新聞の部数は今後も落ち続けるだろう。まだ人口は多くても、着実に衰退する中心市街地のようなものだ。ここでも、さきほど列挙した現象が見られる。「うんうん、うちも」という別業種の方もいるだろう。

 YouTubeのハーリー氏の言葉で印象に残ったことがもう一つある。「今でこそ、YouTubeの(成功の)ストーリーを語ることができるが、当時は自分でも何をやっているのかわからなかった」。

 先のことは分からない、だからとにかく信頼できる仲間と信じる方向へ一生懸命進め――。こう書くと実に平易な表現だが、やるのは簡単ではない。でも自分がいるところを元気にしたいのだったら、やるしかない。

5017 とはずがたり :2018/12/30(日) 14:07:45
出羽国・秋田県

立倉トンネルで出てくる南外村。その響きが違和感有りで調べてみた。
http://yamaiga.com/tunnel/tatikura/main.html

南外(なんがい)村・仙北郡所属。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い仙北郡南楢岡村,外小友村が成立。
1955年(昭和30年)3月31日 - 仙北郡南楢岡村、外小友村が合併し、南外村となる。南楢岡村の南・外小友村の外という外延部同士の合併と云う訳か。
2005年(平成17年)3月22日 - 大曲市、仙北郡中仙町、神岡町、太田町、協和町、仙北町、西仙北町と合併し、大仙市となる。

南樽岡村の相方は北樽岡村であるが元々神宮寺村の一部であったようで再合併後に神宮寺の神と北樽岡の岡で神岡町となったようだ。全然記憶にないなあ。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、神宮寺村、北楢岡村の区域をもって神宮寺村が発足。
1890年(明治23年)3月24日 - 神宮寺村の一部(北楢岡)が分立して北楢岡村が発足。
1955年(昭和30年)3月31日 - 北楢岡村が神宮寺町と合併して神岡町が発足。同日北楢岡村廃止。
2005年(平成17年)3月22日 - 神岡町が大曲市・西仙北町・中仙町・協和町・南外村・仙北町・太田町と合併して大仙市が発足。


一方,小友村は 秋田県由利郡にあって,合併により本荘市,現由利本荘市となる。
小友は由利郡であって由利郡の外,仙北郡下の小友が外小友って感じか。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、荒町村、万願寺村、三条村、南ノ股村、北ノ股村、金山村、大沢村、館前村、大中ノ沢村、二十六木村の区域をもって発足。
1954年(昭和29年)3月31日 - 本荘町に編入。同日小友村廃止。本荘町は即日市制施行して本荘市となる。

wikiの記述によると小友は結構内部であるから隣接はしていない。なんか飛び地的にあったのかな?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%8F%8B%E6%9D%91_(%E7%A7%8B%E7%94%B0%E7%9C%8C)
goo mapだと此処
https://map.goo.ne.jp/map/search/latlon/E140.5.30.938N39.21.19.889/q/%E7%94%B1%E5%88%A9%E6%9C%AC%E8%8D%98%E5%B8%82%E5%B0%8F%E5%8F%8B/zoom/8/?order=1&amp;qo=%E7%94%B1%E5%88%A9%E6%9C%AC%E8%8D%98%E5%B8%82%E5%B0%8F%E5%8F%8B
因みに小友村は出羽本荘藩領。仙北郡下の出羽本荘藩領とかだったんかね??wikiには仙北郡は全領久保田藩領だったとあるが。。

5018 とはずがたり :2019/02/15(金) 12:06:25
長崎の貿易現状は「鎖国」 日銀支店リポートで指摘 空港と港湾 機能に課題 [長崎県]
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/485795/
2019年02月10日06時00分 (更新 02月10日 07時07分)

 「“鎖国”から“開国”へ」がキーワード-。日銀長崎支店は、県内産業を巡る輸出の現状と課題をまとめたリポートで、こう指摘をした。江戸時代、海外に開かれた唯一の貿易窓口だった長崎が「鎖国」状態とはどんな意味なのか? リポートからは、港湾の施設や航路・航空路の数など貿易機能が九州他県に比べて脆弱(ぜいじゃく)で、県産品を海外に売り込む態勢が劣る実情が浮かび上がった。

 リポートは、豊富な水揚げを誇る魚介類を中心とした農林水産品などを、海外を含む県外に積極的に“輸出”することを「人口減少が著しい県内の経済発展の鍵」として奨励。アジアに近い地の利を生かし、県内から直接輸出する態勢を考察、問題点を探っている。

 データ分析の一例が、長崎港発着の定期貨物航路。週3便(昨年5月時点)しかなく、全て韓国行きだ。北九州港は42便、博多港は38・5便、伊万里港(佐賀県)は6便で、いずれも大消費地の中国行きがある。

 コンテナ輸出に関する九州7県の自県内港湾の利用率をみると、長崎が8・6%で最下位。コンテナの大半が、博多港や神戸港、伊万里港など県外から輸出されている実態を示した。

 また、長崎空港国際線の貨物取扱量(2017年度)は52トンで、福岡空港(約3万トン)に遠く及ばず、佐賀空港(1893トン)とも大きな開きが確認できた。県によると、長崎空港は貨物専用機の発着はなく、貨物は全て上海行き旅客機(週2便)の空きスペースに載せて送る鮮魚だという。

 九州7県で輸出された農林水産品の額を08〜12年と、13〜17年の年間平均で比較すると、長崎は7・2%減で、唯一減少していた。ただ、産出額ベースでは増えており、同支店は「県外港湾・空港を経由して輸出される割合が高まっている可能性がある」と指摘。県内企業の声として「毎日出荷できず、近隣の港に持って行くしかない」との見方も紹介した。「港湾の設備が他県に比べ見劣りしている」との、施設面の厳しい評価も加えた。

 リポートは「空港の24時間化を含め、需要地のニーズに合わせた物流体系の確立が急務」と総括。貿易の玄関口として(1)港湾や空港のインフラ整備(2)生産地から港湾や空港までのアクセスの整備(3)需要地に向けた航路、航空路の拡充-などの遅れている対応を列挙した。平家達史支店長は「これまでは長崎の中で商売していれば何とかなったので、販路の開拓を他地域よりしてこなかったのではないか」と辛口に評価する。関係者はどう受け止めるか。

   ◇    ◇

輸出額2846億円 2年連続減少 県内貿易概況

 長崎税関がまとめた2018年の県内貿易概況によると、輸出額は2846億8800万円(前年比11・4%減)で2年連続のマイナス、輸入額は2213億9000万円(同17・9%増)で2年連続のプラスだった。差引額は632億9800万円で40年連続の黒字となった。

 輸出の内訳は、船舶類が2323億6600万円(同14・3%減)で全体の8割を占める。新造船が45隻(同8隻減)、中古船が17隻(同8隻減)といずれも減少し、全体のマイナスに影響した。一般機械は、ケニア向けの発電プラント用資材の輸出があり、399億8700万円(同5・1%増)。

 輸入は、石炭や液化石油ガスなどの価格上昇に伴い、鉱物性燃料が1858億8500万円(同32・6%増)と大幅に増えた。韓国からの船舶建造用の資材が減り、金属製品は63億7300万円(同42・9%減)、鉄鋼は56億7000万円(同38・1%減)だった。

 港別では、長崎港の輸出額は1590億6400万円(2・9%減)、輸入額は684億3000万円(6・1%増)。佐世保港の輸出額は1253億6200万円(20・3%減)、輸入額は1520億3200万円(24・6%増)だった。

=2019/02/10付 西日本新聞朝刊=

5019 とはずがたり :2019/02/19(火) 14:22:14

慶応出てトラックの運転手に……稼いだ金で通う「消えゆくムラ」 24歳が「遠い親戚」づくりに励む理由
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190212-00000002-withnews-soci
2/18(月) 7:00配信

withnews
慶応出てトラックの運転手に……稼いだ金で通う「消えゆくムラ」 24歳が「遠い親戚」づくりに励む理由

「消えゆくムラ」に通う古川拓さん

 繁華街で信号を待っているときに、派手なトラックを見かけたこと、ありませんか? 慶応高校から慶応大学へ進み、そうした宣伝広告用トラックの運転手になった若者がいます。東京で稼いだお金で通うのは、群馬県にある小さな村です。南牧村。なんもくむら、と読みます。人口は60年間で5分の1になり、1875人。高齢化率は62%と全国一です。海外メディアからは「消えゆくムラ」と呼ばれています。若者はそこで「できるだけ長く続けたい」と話す活動をしています。さて、いったい何をしているのでしょう?(朝日新聞記者・藤原学思)

【画像】トラック運転手の給料で通っている意外な場所……渋谷とは別世界!奥深い谷、人の気配は……
「大学卒業後、フリーターをしています」

 話は若者の街、東京・渋谷から始まります。

 若者は、よくこの街で宣伝広告用トラックに乗り、スクランブル交差点付近を低速でうろついています。

 主張の強すぎる外装の車両から、宣伝対象が爆音で連呼されるおなじみの光景。

 いったいどんなひとが運転しているんでしょうか?

 「私です」

 え!?

 「まさに、ああいう車を運転しているんです」

 元気に答えるこの若者が、今回の記事の主人公。名前は古川拓さん。24歳。

 「車を運転するのが好きなんですよ。あと、ひとを観察するのも」

 なるほど。って、違う。渋谷と「消えゆくムラ」の関連性がわからない。

 もらった名刺をよく見ると、こう書かれています。

 「大学を卒業後、フリーターをしています。趣味は旅行、トラックの運転、カホン、DIYなど」

 そして、こう続きます。

 「誰もが第二第三の故郷を持つ時代を夢見て、全国各地で活動中」

 月8回ほどトラックで稼いだお金で古川さんが通っているのが、「消えゆくムラ」なのです。

 やっとつながった……。
もう一つの職業は「大学の事務局長」

 渋谷をうろつくトラックのドライバーが、「消えゆくムラ」に行くと、大学の事務局長になります。大学名は「なんもく大学」です。

 もちろん、正式な大学ではありません。でも、どこの大学よりもたぶん、キャラが立っています。

 2014年末から「開校準備」を始め、2016年5月に「正式開校」しました。村に通っていた会社員の女性が発起人で、現在、フェイスブック(FB)の登録者は1千人を超えています。

 いったい何をしているのか? 活動のテーマは「幸せな村が100年続くためのアクションを仕掛ける現代版寺子屋」。壮大です。

 メンバーは月1回程度、FBの募集に応じて現地に泊まります。地元の祭りの手伝いをしたり、メープルシロップづくりなどの体験学習を企画したり。学生たちの宿泊先でもある「キャンパス」は、村民が貸し出してくれている古民家です。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

■ したらば のおすすめアイテム ■

ドアノブ少女【通常版】 - 吾嬬竜孝(企画・撮影)


この欄のアイテムは掲示板管理メニューから自由に変更可能です。


掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板