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日本中世史スレ

174名無しさん:2015/11/09(月) 22:46:24
>>173

 また、共同体のタブーを犯すものがあれば「村八分」の扱いとするなど、良くも悪しくも封建農村が持つ、様々な特質を生かすうえで、儒学は有効な役割を果たします。

 そう、孔子(BC.552〜B.C.479)という人は紀元前6世紀の中国は魯の国で「古代の先王」に復古せよ、と儒学を立ち上げた人です。孔子が理想とした「周初」とは紀元前1046年頃、つまり今から3000年以上も昔のことで日本の用語を用いれば「弥生文明」そのもの、原始人国家への回帰を掲げたと言って外れません。

 あえて誤解を恐れず言えば、儒教とは「弥生信仰」原始崇拝という明確な側面を持っている。

 つまり灌漑に基づく大規模稲作農業によって原始の集落国家が成り立ち、人口の圧倒的割合を占める農民を統治するのに適切な「官学」を説いた人にほかなりません。

 そんな孔子の時代から1500余年、農業もガバナンスもはるかに進んだ中国「南宋」で朱熹(1130〜1200)が生み出した「朱子学」 にも、明らかな利点があったはずです。実際、李氏朝鮮や明によって国の学と定められ、以後数百年にわたってそれらの国の繁栄を支えた朱子学。日本でも徳川幕府が官学として朱子学を称揚している。

 いったいその利点は何なのか? 

 専門的にはいろいろあると思いますが、團藤先生の考え方に従うとき「文書主義」が有効だったと思われます。

■ 文書主義の適否様々

 いま仮に、ある架空の王国に法律も何もなかったとしましょう。権力者はその時々の思いつきで統治し、一貫性もなければ整合性もない。税金は思いつきで取り立てられ、犯罪があっても捜査は一貫せず、同じ罪を犯してもある人は重く罰せられ別の人は賞賛されて褒美を与えられる・・・。

 そんなアンフェアな政治がまかり通れば、民衆の不満がたまり、やがて爆発して紛争が勃発するでしょう。

 そういう「時代」が日本にも確かにありました。大きく言えば飛鳥時代以前の日本には、成文法と言えるものは実質的に存在していなかった。

 聖徳太子の「十七条憲法」が有名ですが、これは公務員の精神訓を列挙したような内容です。それでも、まだ、文章として記録されていれば、その時々の思いつきで勝手に捻じ曲げられたりするリスクは低いはず。当時の日本にはそれ以外に「法」と言える文書はほぼ存在しなかった。

 掟のようなものは言い伝えとして残っていたかもしれません。しかし正確に記録されていなければ、細かな整合性など取れるわけがない。そもそも文字というものが当時の日本にはなかった。人類の文化はみな、初めはそういう原始状態からスタートしたはずです。

 話を東アジアに限ると、この状態を大きく打ち破ったのが「律令制」の導入だったと言えます。つまり成文法によるシステマティックな統治の導入です。


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