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明主様

46821番:2022/01/27(木) 15:24:59
紅白梅図屏風入手
これは 「現代を救う岡田茂吉」
(川上源太郎、講談社 、1985年12月 発行からです)
神慈秀明会ミホミュージアム 、新健康協会 晴明会館 (美術館) 関係の人も 見て頂きたい。

※《持った手が震えるような、そういう芸術品を》
抜粋 、若い頃一時は画家を志した事もある岡田教祖は、生来の 美意識に加えて、深く美術を学ばれました。
特に美術館建設の元となった美術品の収集期には、 各種の解説書や目録に、目を通すだけではなく美術展にもしげく足を運び、専門家や美術に造詣が深い人達から生きた知識の吸収も忘れませんでした。

昭和26年以降の積極的な関西巡業には、奈良京都の美術、仏教芸術を見聞する喜びもありました。
教祖は一年 々、収集する美術品の分野を広めながら、その鑑識眼を磨かれました。
教祖が目を通した美術商も日本絵画を、歴史的に網羅した「東洋美術大観 」全15巻、世界各地の主要美術品を集大成した「世界実観」全12巻、「 大正名器鑑」 全9巻 、白鳥美術館の所蔵品を収録した「白鳥ジヨウ」 全5巻、 根津美術館の「青山荘清賞」 全10巻、 法隆寺他の有名寺院の宝物図録など、多種多彩 に及んでいます。
中でも ザ、「 ユ ーモーフォポウロス・コレクション」は英国人のユーモーフォポウロスが1929年(昭和四年)にロンドンで限定出版した東洋美術の図録で、この図録自体が美術品だと言われるくらいに豪華で、
愛好家垂涎のもの。
当時日本には3部しかないと言われていたものです。

『持った私の手が 震えるような、そういう品物を持ってきてほしい』と、教組は美術商に対してよく語ったと言われます。
岡田教祖はかつて、 蒔絵の修行に励んだ時期もあり、実業家時代初めて持った店を「 光林堂」と名付けるほど、尾形光琳とその美を愛していました。

箱根の苔庭や、観山亭前、熱海の梅園や、つつじ山など聖地の造営に際しても、琳派の美を通した庭園づくりに生かされました。
その尾形光琳の最高傑作であり、日本美術の最高傑作でもある、国宝『紅白梅図屏風』は現在熱海の MOA美術館に展示されています。その『紅白梅図屏風』の入手の経緯は、教祖伝『東方の光』に次のように記されております。

※《立春の佳き日に届いた『紅白梅図屏風』》
「昭和28年かねてから、念願の尾形光琳の『紅白梅図屏風』購入の下話が持ち上がった時の事、価額の点で話が難航をした。
そこで間に立っていた、萩原安之助は事情を教祖に報告し、「 今、300万円余分にお出しになれば、お手に入りますが、お宅様で200万や300万多くお出しになります事は、何でもないと思いますが、奮発してお買いになられては、いかがですか。」と付け加えた。
光琳を心から愛し、日頃から『紅白梅図屏風』の入手を夢見ていた教祖ではあったが、にわかに 凛然(りんぜん)として、
『 私の教団は信者の浄財を集めてやっているので、そんな大金を軽く出す訳にはいかない。』 と言ってそれっきり、その話は打ち切りになってしまった。 この話が再び持ち上がったのは、それから1年後の事である。」




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