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伊東静雄の詩の転機に関するメモ(3)
1
:
Morgen
:2025/02/06(木) 04:01:24
1、(伊東静雄詩研究者達の登場) 昭和一桁生まれの詩人・評論家たちは…
1970~80年代の伊東静雄論のリーダー達/ 川村二郎(1928年~2008)、菅野昭正⁽1930年~2023年)、大岡信(1931年~2017年)、饗庭孝雄(1930年~2017年)、小川和佑(1930年〜2014年)各氏。/いずれも終戦前後に『春のいそぎ』(昭和18年)『反響』(昭和22年)、『現代詩集』(昭和15年刊)などを古本で買って、伊東静雄の後期の詩から読み始めた。『わがひとに與ふる哀歌』や『夏花』などは古本でも手に入らなかった。そんな事情もあって初期の静雄詩の解読には大変な苦労があった。(参照;『ユリイカ』1971/10 共同討議「ものと超越伊東静雄をめぐって」など)
2、「フランス・サンボリズム」の視点―『夏花』は根源の場所への近接の断念、硬質の詩語の放棄という指摘(菅野昭正「曠野の歌―深層のレアリスム*」「現代詩手帖」1964) 「深層のレアリスム*」とは、「曠野の歌」で歌われている帰郷者の意識/…我々の存在がもともとそこで新しい生命力を汲み上げつづけねばならぬはずの場所。そんな根源の場所が確かに実在することを、更にまたその根源の場所への近接を自分が厳しく要請されていることを、伊東静雄は痛切に体験していたのに違いない。そして、彼はその体験のなかに詩が誕生する源泉を確認したのである。=プラトニスム=深層のレアリスム=サンボリスムの系譜につながる詩人となった。<『現代詩読本 伊東静雄』133頁 >「八月の石にすがりて」は、「根源への近接」への諦念、激しい断念と呪詛が示されている。参照:中島栄次郎「詩の論理と言語」
3,大岡信/『古今集』風…あるひとつのものをもってきて、同時に、そのものが背景に引きづっている全く別のコンテキストを同時に透かしてみせる。心情の二重構造。(褻の世界を絞め殺して晴れの世界を歌う屈折した心理) (憧れ+拒否)/二律背反的精神状態を保ちつつ、意志の純粋な指向性だけが残る。詩は純粋な精神現象としての、詩とよばれる構造物となる。(=「詩索」=「完成への意識的な拒絶」意味のはぐらかし・語の無方向性への志向・言葉の充実した空無の内に、時空の日常的限定を脱したポエジーそのものの出現を目指す)/詩の完成ということに対する疑念を方法的に詩作のエネルギーに転化したマラルメやヴァレリーとの共通性/「不条理の感覚・認識形式」は「八月の石にすがりて」まで引きついでいる。/「あゝわれら自ら弧寂なる発光体なり! 白き外部世界なり。」(自己を孤立した主体としてとらえ、同時にそれを、主体の 消滅し去った後の荒涼たる外部世界としてとらえる)→わずか10年足らずの間に「弧寂なる発光体」の光をみずから覆い消そうと努力するようになる。(『詩人たちの近代/昭和詩の問題』145~161頁)
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