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1同人α総務:2014/03/03(月) 06:44:33
古賀幸雄の回想録について
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    古賀和彦君の父上、古賀幸雄の回想録について  1997年


厳冬の玄海灘で自分の乗った船が難破した。呑まず食わずで漂流すること五日。小さな
帆船で大波と嵐と闘いづめだ。助かってみると、この生きるか死ぬかの体験は、以後の生
きる力、苦難を堪え忍ぶ力となった。−−同窓生、古賀和彦君の父上、幸雄氏の回想録が
できた。
 恋は純情だった。置き手紙で恋心を知らせた。時に氏は十九、思われ人は十五。ふられ
たとみるや潔く身をひく。それでも思い続けた。娘さんが二十になり、歳も満ち、ようや
く自分の気持を示した。大丈夫か、本心か、思いやり深く氏は確かめ、奥ゆかしくも性急
にことを運ばない。
 氏の回想録には、我々の父母の時代ならさもあらむ、このようなエピソードが、随所に
ある。落語に出てくるような頑固な大家がいる。氏は見込まれ、家族に部屋を貸してもら
った。移り住んでみると、これが同じ屋根の下、家族の一員として暮らすという。飯の釜
が一つだ。氏でさえもこれには驚いたが、さらに間貸し賃はとらぬという。確かにそんな
こともあったろうなあ、と今ではまぶしさを覚える。
 さらに氏の「家族の幸せ第一主義」の人生設計。くだんの娘さんを貰い受けるに際し、
娘さんとそのお母さんを幸せにすることを約束する。そして生涯本当に身を粉にして働き
づめだった。ウーム、読んで胸を打たれる。自分本位になりがちな私たち子の世代であっ
た…のではないか。
 古賀和彦君は、希望者には贈呈すると言っているから、どうぞ、皆さん、詳細を読んで
ほしいと思う。楽しめ、裨益すること大、請け合いの本である。最後に、商売・ビジネス
サイドのエピソードを一つ。氏は事情あって、地元鹿島から佐賀へ出てきた。見知らぬ土
地で、農機具の修理、稲の雨避け片付け、町への使い、開店まで一年半というもの、何で
も無料でやった。この策が見事に功を奏して氏に信用がつき、店を開くや、恩を受けた人
たちが次々に買いに来てくれた。同業者が効率と低価格を標榜したのに、そっちは閑古鳥
が鳴いている。「営業は信頼の獲得から」と、この経済不振の時代に言われることを、氏
はとうの昔に実践していた。


注)父幸夫が残した回想録を本にしたいとの高校の同窓生(古賀和彦)の相談を受けその
  校正を引き受けたいきさつがあった。
????※『不器用に、ひたむきに』 −古賀幸夫回顧録−  1997/7/7
 ???? 発行者:古賀初代 監修:古賀和彦 印刷:日本印刷(株)

7同人α編集部:2014/04/22(火) 16:48:46
神野氏作「大首絵-4」評
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            神野氏作「大首絵-4」評





   神野氏エッセイ集のトップ画像「大首絵」に対するコメントがあります。
   勝手放題の評が繰り広げられていますが、ご本人は何を思いながら描いたのでしょう。
   笑って「僕のカミ(神)さん」と言いそうな気もしたが…。
??????最後にご本人のコメントがあります。




26号著者画像とコメント集 より  2011/4/24

またまた神野氏はお出かけで町田の屋敷を留守にしている。テレパシイ通信によると、い
まオリオン座の近くで起きた時空の捻れを修理しているとのこと。だから今回も写真が用
意できず、絵で我慢してもらいましょう。

何の道具でその捻れを修理するのかと問うと、和と洋を融合した武満徹作曲の 『ノヴェ
ンバー・ステップス』のCDを使うという。音楽を流せば時空の捻れが直るのかどうかは、
私の脳みそではとうてい理解できない。まあゆっくりオリオン座に腰掛けてその音楽を楽
しんできてよと返事しておいた。だから彼の書いた絵画帳から自画像らしきものを選んで
投稿した訳だ。想像の世界では独断や偏見という文字はどこにも見当たらないから大丈夫。

この絵は神代の角髪(みずら)を結っている神野氏のように見える。さてはこれは若かり
し頃の自画像で、 眉目秀麗の誉れ高き王子だった故、女性神のアマテラスが角髪を結う
呪術的な異性装を思わせるものがある。
   古賀 和彦




「人の像をした美しい青い地球ー前書きの絵 評の2」 より 2011/4/27

 パーツが一つ一つ生きていて、組み合わさって人の像になる。男か女かどうでもいい。
神野氏かどうかもどうでもいい。ちょっと目、フランス南部の気の良い子育てと料理に夢
中のふくよかなおばさんにも、我が儘なでもなぜか人気がある女優にも見える。じっと眺
めていると想像が膨らむのだ。気になった部分は三点、髪の毛と目と襟元だ。
 あの髪の流れ。縄目文様、撚糸の組み合わせにも見える。縄文の力強さと弥生の工夫も
ある。所々毛が飛び出て意志の強さを感じさせる。髪の次は目、四角の目に水色の瞳だ。
その右目から鼻、口を飛び越してのど元に走る一本の線。この人を貫く何かなのかもしれ
ない。最後襟元の赤と青の柄。単純に見れば花柄のようにも見えるけれど、この大柄の人
物には大きなイヤリングにも見える。じっと見続けると、向かって右、なぜかベンチに座
り顔を眺めている人の姿にも見える。勝手に想像が膨らむわけだが当の本人はしらっと一
人の女性を描いただけかもしれない。フランス語を教えてもらった忘れられない彼女、ま
たは理想の女性 ― 。
 詩と絵はよく似合う、同じく短編小説には音楽。そんなイメージを持っている。
この絵は今回の詩とよく似合う。
  万理久利




「人の像をした美しい青い地球ー前書きの絵 」より?? 2011/4/29

 私も先ず神野さんの手になる絵について、赤松さん・万理さんが述べられた感想の他に
お二人とは少し異なる観点から述べてみよう。
 先ず、襟元の赤青紫の飾りは、勾玉やガラスの直管などを連ねた首飾りのように見える。
さらに、画像を拡大縮小しても、大柄でかつ万理さんが指摘するふくよかな感じが失われ
ることはなく、自信にあふれた女性像を示しているようである。
つまり、太古の母系社会の堂々たる女性指導者すなわち巫女を象徴して描かれた絵なのだ。
だからこそ万理さんが指摘した以外にも、その頭髪中には色々な人の姿が垣間見える。
 さらに色使いをよく見ると、この絵の基調色は青色であることが、非常に重要である。

 今上に挙げた諸点を総合すると、この絵に描かれたのは、地上にあっては青が好きな地
母神であり天空にあっては青く美しい地球が大好きな京子さんこと女神ラートリなのだ。
因みに、今回の作品にも、この京子さんが出演している。

 赤松さんによると、この絵を描いた神野佐嘉江さんこと本名サカエ・ル・カミノさんは
現在オリオン座の近くで起きた時空の捻れを修理中とのこと。
内実は、勤務の合間に我々に隠れて、この京子さんと同所でデイト中であると見た。
もちろん語り合う言葉には、宇宙語が使われて居るに違いない。

 あ、そうだ。
京子役の女優さんも今度の製本前に決めておかないと、コンペに間に合わないな。
   長岡曉生




「北君からの掲載依頼にて投稿を代行します」より??2011/5/8

 ときに古賀君、「コメント集」で、拙作のキャンバスを久々目にしました。これは色重
ねが美しくなるように気は遣いながらも、自由気ままに、筆を走らせたものです。何を描
こうというのではなく、ある所でエイヤッと人の顔を拾ったという製作過程です(『言葉
集め星創り』の製作と同じこころ)。歌麿にならって「大首絵」と称しています。自分で
言うようですが、いい絵じゃないですか(笑)。懐かしいです。
有り難う。
   神野(北勲)



8同人α編集部:2014/05/13(火) 07:06:29
探梅行
青春のあの日??1991
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           ?? ???? 探梅行 




  春夜三更睡未成     春夜 三更 睡未だ成らず
  美人秉燭探梅行     美人 燭をとりて 探梅行
  管弦何處東風急     管弦いづこより 東風急なり
  細細繁星無限情     細細たる繁星 無限の情

美人はあきたらない。
雲に乗った。

何万本あるだろう。梅林である。美人は青竜刀をはらった。振り下ろすと一刀のもとに細
かくもない枝が落ちる。と、その幹から人とおぼしきうめき声が発せられる。一本から次
いで万本から。美人は快い。これまで死んだ全人類の声だ。「うめき」

「おうめ」の「もうめんと」
音の鳴る木だ。美人が切りつけると今度は歌いだした。



抜き身を揚げながら呂后(りよこう)は聞きほれる。

「いきうめ」は人が埋まっている。呂后が埋めておいたのである。生ある奴は意を迎えよ
うとする。近づく、と目が輝く。御衣(おんぞ)の裾をからげてなま温かいものをぶちかけ
るともううっとりだ。肉汁を滴らした者からは枝が出ている。花はない。

帰りしな深い山へ入った。
静かな谷を望んだ。
思いがけず老梅が咲いている。

  老梅黒樹白皚皚     老梅 黒樹 白皚皚(がいがい)
  数朶清香絶鮚埃     数朶(すうだ)の清香 鮚埃(てんあい)を絶す
  半幹崩軀何太巧     半幹 崩軀(ほうく) 何んぞはなはだたくみなる
  深山幽谷為誰開     深山 幽谷 誰が為に開かん



9同人α編集部:2014/05/22(木) 23:28:23
同人α編修後記集
.
??????????????????????同人α編集後記集
????????????????????????2010年5月(23号)〜2013(38号)






23号『蝶の夢』  2010/5

今回掲出の作品(どうも古いな)、四十余年前の若書きのものも含まれます。久しぶりで
読み返してみると、我ながら清新な感じはします。




24号 『夢碍无(むげん)』   2010/8

 自分が無限を正面に据えたのは、五十代の半ば。もう少し若い頃に知っていればなあ、
という残念無念の感じがつきまといます。
 無限は現代数学のじつにバックボーンであり、それも百年余も前からそうであるとい
う。こんなことも知らなかったとはとこれまた残念無念。さらに、南無阿弥陀仏の「阿弥
陀」が、原語で無限の意味という。 西洋がこの頃展開するようになった無限を、東洋は、
二千年余も前から世界理解の柱としていた。こんなことも知らなかったとは残念無念。
僕にとって無限は3つも無念さのつきまとう概念であり世界観です。




25号 『颯』   2010/11

月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水木金
金、月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水木金金、月月火水
木金金、月月火水木金金、月月火水木金金、そして月月火水木金金、月月火水木金金
とこの三月あまりこのように過ごしており、『α』もさぼっている次第であります。
もうしばらく続きますが、お許しあれ。




26号 『仮面』   2011/2

我が作品、若い頃に書いたままで内容の一部は赤面の至り今では恥ずかしい箇所がありま
す。αの倫理規定にふれるようでしたら、しかるべき箇所は■■の伏せ字にしてください。




27号 『こんとん』   2011/5

 『人の像をした美しい青い地球』は、若い頃抱いた、地球からエネルギーをもらって生
きようとの思いから、地球と人間の合体を試みたものです。 その後初老に至って「無」
「無限」が視野に入り、七十になんなんとする現在は「震災文学」が視野に入っておりま
す。
 このたびの震災は、小生にとって大変な衝撃で、今まで思い描いてきた「生きる」に対
して根本的な疑問を投げつける態のものでした。自分の「生きる」がやっとまともになっ
てきたような感じです。先々また新しい作品の展開ができればと思います。




28号 『震災列島』   2011/8

「震災列島」と自分でいいながら、作品にすることができませんでした。この度の3.11
大地震に関する新聞も「読売」「朝日」「日経」と集めておりますが、まだ全部目を通せ
ないでいます。 仕事がこのほど楽になってきましたので、これからかかれると思います。
『人の像をした美しい青い地球』も蔵から出しての掲出です。
まとまりがないところはご勘弁を。




29号 『兆』   2011/11

 だんだんストックが底を突いてきました。掲出のものは、新しい試みとして、冥界から
生を覗けば、という着想でやっていたものですが、このところちょっと離れていますので、
心がこもっているかどうか……。




30号 『沈黙』   2012/1

 皆さんに好評だったので「とんこづいて」、第五、六、七、八の続話を掲出します。
「よりよく生きる」とただの「生きる」がある。そうして「よりよく生きる」に奉仕する
ものが「価値あるもの」であり、そうでないものは値打ちのないものとして、わが視界か
ら消えていた。このことが我が生の事実としてこの頃はっきり分かってきました。
「価値のないもの」だって生の奇跡のうちです。 かくて「汚いはきれい」「ゴミは宝物」
「平凡は非凡」などと言うことになります。




31号 『遊び』   2012/5

????無し



32号 『造次顚沛』   2012/8

「瞬間」についてなにほどかのことが言えるようにこの一月余り奮闘してきましたが、
ハイデガー=古東哲明のみか、斎藤慶典にまで足を突っ込み、ずるずると深みにはまるば
かりで、いっこうにまとまりません。メモ的なものを掲出しても皆さんには少しも面白く
ないだろうと思われ、「一瞬」からははずれますが、ハイデガー=古東哲明流のそれの理
解のために必要と思われるα位相β位相の紹介に今回は変えました。)




33号 『無常』   2012/11

 九月に入ってから家屋の耐震補修工事をし、十月頭に終わりましたが、これでやっと
人並みの家になりました(と言っても新築には劣り、震度六強に耐える程度か)。
なにしろ、築三十年を超えるしろものですから。
今ではそれでも気が大きくなって「大地震よ、いつでも来い」の心境です。
 新作はできておりません。
というわけで、『人生詩』前々回の続きを載せることにしました。




34号 『息吹』   2013/2

 お待たせしました。原稿を送ります。よろしくお願いします。当方、一冊の本の翻訳の
仕事を請け負い、英語漬けの毎日です。朝も昼も夜も英語。土日も祭日もありません。
暮れの十七日から毎日がそうです。正月もありませんでした。今日辺りがちょうど折り返
しで、この状態がもう四,五十日続く見込みです。それが終わってからまた文学・哲学に
帰ります。




35号 『ラビリンス(迷宮)』   2013/5

 鼻が利かなくなっているのに気づいた。コーヒーもカレーも匂わない。それぞれ美味し
いと思うものの、どこか似たような感じで終わっている、という感じです。
一方、「生きてみなきゃわからない」と若い頃から思っていましたが、この頃「生きる」
も少しずつまとまってきています。片足棺桶に突っ込みながら、生成も自ずと成っていっ
ております。




36号 『言葉』   2013/8

 このごろまた詩や哲学に戻りつつあります。自分は、若い頃、人生生きてみなけりゃわ
からん、とうそぶいていました。七○年生きてきたけど、結局どうだったんだ。そろそろ
括り上げるなり、まとめ上げるなりしなければならないと思っています。
「人の形をした美しい青い地球」と合体させよう。このごろこの線で動いています。




37号 『古典』   2013/11
 『人生詩』を掲載している。十代・四十代・六十代、それぞれどんな生を営んでいたか。
同一期日をみることによって、世代の違いも見えておもしろかろうと目論んだもの。
七十代に入っている今、ジジ・ババライフを楽しんでいる。僕は親に請われて孫のお勉強
を見ているし、妻は孫に会いたさに先方まで一緒についてきて、下のほうの孫と戯れてい
る。
十代・四十代・六十代には思いもよらなかった生だ。八十代になればまたそれまでに思い
もしなかった生を営むこととなろうか。




38号 『心情風景』   2013/11

 先日、「やまとの湯」に浸かった。根津の湯も黒く、家族は「黒い湯」と言っていたが、
ここ町田郊外の湯も黒い。幾つかある湯船の中で小生は三十九度に、一時間浸かった。風
呂を上がればビールで乾盃。小田急沿線在住の柔道部の集まりだった。総勢五人。ビール
に次ぐ水割りは、一杯に終わるか、せいぜい三杯どまりで、かつての大酒飲み連中の酒量
もめっきり減っていた。



10同人α編集部:2014/12/18(木) 13:09:55
プレイコミック
神野 佐嘉江 短編小説集より 1994


  ??驚きの三部作作品
  ??今年、以前お願いしていた同人の本をついに手にしました。
  ??隠し持っているに違いない、同人誌に寄稿した作品以外のものも読みたかっ
  ??たから。本好きの私でも、それまでにあまり目にしなかった一種独特の世界
  ??を創り上げていると感じていたからです。
  ??数冊の中から一番目に読む本を物色しながら手にしたのが、渋い薄茶のA5
  ??サイズの冊子『神野佐嘉江 短編小説集』でした。第一作目がこの『プレイ
  ??コミック』。題からはとても想像できない世界です(編集部)





             プレイコミック




 洗濯を終えて妻は腰を伸ばす。それから次の作業に取りかかる前に、長い時間をかけて
腰の辺りを揉む。夜、こわばった筋肉を私が揉んでやると、妻はこもりがちの声でうなっ
た。
 妻の腰の痛みは、七・八ヵ月も続いたろうか。医者へ行くように、と私はすすめたが、
妻は子供に手がかかることを理由に、いつも言を左右にしていた。
 度重なることなので、私もとうとう業を煮やした。ある日、悪くって死ぬのはおまえだ
からな、とせいぜい嫌みを言った。翌日だったろう、彼女はあたふたと病院へ行った。
 何でも来るなら来るがいい、と私は思っていた。たとえ二つ目の悲惨であったとしても
私は自分に引き受ける気でいた。医者の見立ては子宮筋腫であった。私には聞きなれない
病名であった。家庭医学全書を調べると良性の腫瘍とあった。さすがにほっとして、私は
酒をあおってはめをはずした。
 妻の腰痛の訴えは、しかし、それからも続いた。今度も子供のせいだ。妻は医者にかか
る暇を見い出しえないと言った。そのうちに不穏当な出血を見た。病院へ駆け込んだら、
子宮ガンだった。最初の診断は誤診かもしれない、と今でも思っている。
混乱の中に妻はその病院で丁術をした。彼女はおびえていた。いちばん死に対するナイー
ブさを見せた頃だ。夢・を見たのか、ああ私はすんでのところで切り・刻まれ名ところだ
った、とまだその妖怪でも見つめているような面持ちで語ったりしかノ几気になってから
も、突然泣き崩れ、それが散歩の途中であったりすると、私を手こずらせた。 私の干が
依然その時の感触か党えている。抱き寄せると妻は小刻みに震えていた。
 その妻がまた病床にある。喘鳴(ぜんめい)していたからこの頃ガンはすでに彼女の肺
までも侵していたのかもしれない。
 彼女は変わってしまった。この頃は子供のおしめを縫うのに夢中で、私は止せというの
に、口に二・三枚、休み休みだが縫い上げる。一時の死に対する恐怖はどこかへ去った模
様だ。自分が生きている間に少しでも子供のためのものを残しておこうというつもりなの
だろう。
 妻は私のことを馬鹿にしているようであったが、その事に関しては私は割合平気であっ
た。妻の前で独り性を始末することさえあった。時々、妻は「あなた逃げていいのよ」と
いわゆる蒸発を勧めたが、居てもらいたいけれどもあなたの為を思えば、という響きの時
もあれば、頼りにならないから、という響きの時もあった。私はといえば、妻子は捨てる
まい、と固く心に決めていた。
 私は、息子の時に胃潰瘍を、そして妻の時に得体の知れない病を背負い込んでいた。夢
か現の物音に驚いてある夜半激しい胸の動悸を覚えたととがあった。翌日から手足がしび
れた。数日経つと肩が抜けるように痛み出した。そのうちに何かというと動悸がした。胃
潰瘍は一進一退で二年ぐらいのうちによほど悪くなっていた。吐血して死ぬことがその当
時から十分予想されている。
 それ以上に、私は敗北者だった。私の生命を犯しているのはむしろこの方だ。事件の顛
幸にほある。しかし不思議なことに、何がこうもまいらせたのか、いっこうに判然としな
い。今もってそうだ。それでいてその長い影は、私の生命を食い尽くすほど弊猛なのだ。
 かつての煮えたぎる情熱を懐かしむことはある。だが私が二度と再びそこへ身を投じる
ことはあるまい。何ものかが私の未来を奪い、私は私で再度それを打ち立てるつもりは露
ほどもない。私は幽霊のようなものかも知れない。どこにもいないし、少なくともこの世
にはいない。妻が私を馬鹿にするのもわからないわけではなかった。


 この頃私は東京の都心近くに住んでいた。古い洋館の二階を借り、六畳と四畳半に、妻
と子供それに私の三人が起居していた。自動車道から多少離れているとはいえ、朝方回転
窓を開けたりすると、淡い排気ガスが臭った。それでも私はこの住処が気に入っていた。
理由は幾つかあるが、まず筆頭に、出入り自由な大きな公園がすぐ傍らにあることを挙げ
なければならないだろう。
 その二階からは、公園の続きのような、隣家の広い庭と、その向こうの隙間なく並んだ
街の家並が見おろせた。くつろいだ時など、私は窓辺にたたずみ、空想にふけったことが
一度や二度ではなかった。

 四・五百年前、ここいらは、スダジイやアオキ、ヒサカキの生い茂る森だったろう。
一千年前、この森は精霊の住む聖域として人を近づけさせなかったろう。
 一万年前、家は草原の唯中に立っている。草が揺れるので野兎でも跳ねるのかと思った
ら、丈高い草を分けてひょっこり原始人が顔を出す。突然の展望に彼は驚き、不思議そう
に私の顔を見上げる。私は興味を持つが、彼の方はじきに引っ込み、私は待つが彼は二度
と姿を見せない。
 一億年前はずいぶん深い海の下だ。家は土砂やその他の堆積物に半ば埋まり、窓外に見
慣れない魚が泳ぐのを見ることができる。
 十億年前、海の中は著しく淋しくなる。目に留まる大型の生物は一匹もいない。辺りは
動かしようのない深い沈黙が代わって支配しているだろう。
 五十億年前、地球は誕生したばかりで、冷たい、零下二百度余りの岩石の塊り。いった
いこの岩石はどこでできたものだろう。
 宇宙創世と言われる百億年前までには、まだ地球の年齢とほぼ等しい五十億年が残って
いる。この問にもきっと地球のような存在と世界があったに違いない、とするのが私のい
つもたどりつく推測だった。つまり、そんな気の遠くなるような昔に、私らは生きていた
のかも知れない。同じような文明があったのかも知れない。してみると、私らの未来とは
たいへんな過去にあるかも知れないのだ。
 これから先こ一億年いや一千万年目には、私らの子孫は完全に絶えているだろう。また
もや見慣れない植物や動物たちで地球は賑わっているだろう。そして……
 私の空想とはざっとこんな具合いである。

 息子は独りで遊んでいて私と同じ部屋にいた。こいつのお袋は別の部屋だ。極という私
の息子は五つと八か月であった。本来なら私らは目を細めてその成長ぶりを喜ぶところな
のだが、私らには望むべくもなかった。極は三つの時に脳をかなり犯されてしまっていた。

 間もなく六つだというのに言葉も満足にしやべれない。私のことを「おとう」、母を指
して「かあ」、あと、「オシッシ」「ウンチ」に「マンマ」がせいぜい意味のある語彙と
いったところだ。
 にこにこしながら、「ぼくおもらししなくって恥ずかしい」とか「ぼくプリン食べて恥
ずかしい」とか、とんちんかんなことを言って私らを笑わせたのが最後だったろうか。こ
の時はそれでも頭が正常に働いていて奇妙な言説も単に恥ずかしいと嬉しいとを混同して
いたに過ぎなかった。
 急に行動が活発になってきたこともあった。 あれはこれより前、二つ半頃であろう。
不自由な狭い部屋をものともせず走り回る。冷蔵庫の上から飛び降りる。体当りはしてく
る。スペリ台からは落ちる。泥水を体に塗りたくる。妻は嬉しそうな悲鳴をあげていたも
のだ。
 その極が今は立って歩くことができなかった。手足がどこか狂っていてその用を為そう
とはしないからだ。子供はそれでも移動しようとするものだから、その奇妙な動きといっ
たら、表現するまともな言葉もないくらいだ。
 例えば、這って行こうにも手足が使えない。そこで極は首を使っていざっていく。腹這
いになってまず尻を高く上げる。次に肩と頭部との間の首を小刻みに伸縮し、少しずつ上
半身を前方へずらす。いよいよ体が平らになるとまた尻を持ち上げる。初めて目にした時
この動きは何かに似ている、と思ったが、何度か見ているうちに私は思い当たって膝を叩
いた。この動きは尺取り虫のそれだ。あの虫の!


 「取って来い! チョシ!」
 私は十分にはずんだ声でそう言って、肉屋で分けてもらった獣の骨を極の方へ放る。
 妻は嫌いなようだが、本人の極はことのほかこの遊びが気に入っていた。この遊びとい
うのは、現物を見せられたうえで遠くへ放り投げられ、それを捜し出してくる、例の犬の
訓練だ。こんな風変わりな遊びを極はどこでいったい覚えたのか不思議なのだが、外へほ
とんど連れ出さないから多分テレビででも見たのだろうと、一応踏んでいる。物が獣の骨
というのも、ほかの物では極が決して喜ばないので、いつとはなしに定まったものだ。
 極は私のかけ声で明るい笑い声をたてた。そして早速獲物を追いかける。
 取って来いチョシ遊びの時、極はいくらかでも速く進める動きをとる。即ち、尻上げ運
動とは反対に姿勢は仰向けだ。まず顎を突き出し加減に顔をのけぞらせ、首のアーチをつ
くる。次に頭を碇とし、体を押し気味にすると、自然と足元へ移動する。
 私もかけ声をかけるばかりでなく、同じ運動をして一汗流すのが常だった。
 目標に近づいたとなると、極は、仰向けからうつ伏せになり尻上げ運動に切り換える。
 さて、極と私は同じゴールを目指して双方から近づくことになるが。獣骨が鼻に接する
時、この遊びの一つの重要なポイントがある。つまり、間一髪、私は一声吠えて、獣骨を
ロでかすめ取るのである。でことでこがぶつかりそうになることも手伝って、極は面を伏
せたままの姿勢で笑い狂う。
 口の獣骨を、あらぬ方へ、(希望が持てる程度の遠方でないといけないが)放ることに
よって二度目のゲームが始まる。私も極も、仰向けになったり、うつ伏せになったりして
またぞろ獲物を追う。
 最後が何ゲームめかは微妙な問題で、極の期待感の量を計って決める。笑い声が力強く
なってくれば続け、少しでも下り坂になれば、そろそろ次の回が終わり、といった案配だ。
 最終の回なぞ、ゴールを目前にして、極は期待感から、腹這いを中止するほど、笑いの
発作を起こす。床の上によだれの小さなプールができる。私もすでに極と同じ大きさにな
って笑うのだが、まだ締めくくりが残っている。即ち、やおら経ったところで私は犬の吠
え声その他で競りたてて極を促すのだ。私は遠慮し、今度こそ極に獣骨をくわえさせる。
 極の顔は私の目の前にある。私はこの子の面(おもて)を見たい。あッ顔をあげた。何
という目の輝きだ! 口には骨をくわえ汗とよだれで薄汚れているというのに。目だけが
冬の星座に沈んでいるみたいだ。極は無理な姿勢なのですぐに面を伏せる。
 私はこの瞬間が好きで、子供が笑っている間中私も笑っている。四肢の不具にもかかわ
らず、血液に濡れて光る、整った筋肉を、私は思い浮かべてしまう。
 妻はこの遊びをみじめだというが私はそうは思わない。笑う極を美しいとさえ思うのだ。


 こんな家庭を、上京してきた親戚が訪れて来たことがあった。田舎の人のよくやること
で、連絡もしないで、荷物をいっぱい持ってひょっこり訪ねて来た。
 私は懐かしくて歓待した。久しぶりに故郷の話に花を咲かせようと思ったからだ。だが
その人は、尻も暖まらないうちに、一度降ろした荷物をかつぎ直して、わが家を辞した。
 後で伝え聞くと、ずいぶん息苦しかったということだ。そうかも知れない。


??「取って来いチョシ! チョシ!」と、私は喉を震わせた。子供ははしゃいで湧き上が
るような笑い声をたてる。極の催促がましいうなり声に負けて、ゲームを続行することに
した。例の骨がバウンドして床に転がる。
 そんな時にドブ臭いにおいが私の鼻をついた。すでに妻が身を動かしている証拠だ。私
は隣の妻を見た。妻が起きて来るのを私はひどく恐れていたからだ。
 もともと私は病んだ妻が風化する岩石である、というイメージを持っている。彼女が動
くと、その岩板が一つずつ剥げ落ちる感じがするのだ。サーモンピンクやどす黒い赤紫が
中には緑色のも混じった肉岩が、ドブ川に一枚また一枚と落ちる、その音を耳にする思い
がする時さえある。
 私は起き上がった。彼女はステレオに手を当て体を支え、そろそろと歩いた。用足しか
と思ったが、その為になら折れていいはずの道筋の所で妻は折れはしなかった。
 「水なら私が汲んでくるから」
 私はたしなめるように言った。 だが、妻は関係ないの、といったふうに首を振った。
そしてなおもこちらへ近づいた。
 彼女は岩山にいどむアルピニストを思わせた。即ち、ステレオや茶ダンスなどの家具が
岩塊だ。一本の命綱を頼りに、手触りで安全を確かめ確かめ、頂上を極めていく姿がそこ
にはあった。
 彼女が角を折れて冷蔵庫へとりついた時には、いっそのこと、疲れた馬車馬だった。家
具に手をさしのべ、それを掴んだとなると自らの体を引き寄せる、残ったわずかの力をか
き立てる態(てい)なのだ。だが彼女は急いでいるふうだった。
 彼女が骨につまずいてよろめいた。私が駆け寄ると、妻は、
 「近寄らないで!」
 と強い口調で言い、私を驚かせた。多分この頃はあまり耳にしなくなっていた調子だっ
たように思う。私はあっけにとられ、為す術(すべ)を知らず、妻が動くのを見守ってい
るだけだ。
 彼女は台所へ入った。そうしてすぐには動かないで戦車のようにしていた。今に崩れる
ぞ、と私は思った。駆け寄ろうという心か私の中で動いたのと水切りの鳴るのとほとんど
同時だった。
 私がその時足音を立てたせいだろうか、妻は私の方に向き直った。それからわずかの間
に何を見たか私は思い出すことはできないが、私の体には限度いっぱいのブレーキがかか
った。彼女の右手に、私は出刃包丁が光っているのを見たからだ。それは前方へ、外の方
へ向けられていた。切っ先が細かく震え、持つ手の震えをそのまま伝えている。


 ここに至って私は合点がいった。急ぐ様子なのも、私から離れようとしたのも、それに
第一、重いはずの体に無理をさせているのも、人を切る出刃包丁のためだったのか。しか
し私はいまひとつ腑に落ちなかった。刃物を立てる相手は私ではなさそうだし、本人の自
分に対してでもなさそうなのだ。そのためだろう、たとえ死を待っている私だとしても畳
の上で死ぬことを願っていたはずだが、紙製の出刃を向けられたかのように、彼女の前で
私は割合平気でいられた。
 ところが妻は壁伝いに横歩きし、子供の前で立ち止まった。子供をひたと見つめ、半歩
一歩と後退し、何か今にもはばたきしそうな勢いを持つ構えをとった。
 私には今や全ての事態が呑み込めた。妻は極を殺そうとしているのだ。あの強い目は子
供を殺せるか瀬踏みしている眼差しではないか。私は、妻が本気であることを悟った。
 「どうしたというのだ!」
 と、私は声高に詰問した。
 「極がふびんなの。残してはいきません」
 と、妻は低いがきっぱりとした声でこう言った。
 私には積乱雲のような怒りがこみ上げてきた。何か喉が破けるほど私はどなった。だが
心の中ではそれとは別の怒りの言葉が生まれようとしていた。それを掴みきれないまま私
がしたことといったら、彼女に飛びかかることだった。私が背後から抱きつくのと、彼女
が動き出すのとほとんど同時であった。私は腕ごと妻の胸の辺りを締めた。そうして自分
の手をいささか傷つけながら、彼女の手から、出刃包丁をもぎとった。
その時加えた私の力で彼女は床に投げ出された。


??私は体の中に、怒りという液体を抱えていた。で、それの赴くままに、私の歩き回る方
向もでたらめであった。凶器はその間に始末していた。拾い上げた所から人気のない方の
壁をめがけて私は無造作に、だが力まかせに投げつけた。が、壁は受け付けなかった。私
は床に落ちたのを拾い、狙った壁に深々と突き立てた。
 私は筋肉の血の色や不具の極ややがて訪れる妻や私の死のことを自分に向かって力強く
語っていた。私はそれらを妻に口でぶつけようとした。しかし、いざ言葉として引き出す
となると、うまくいかなかった。「俺たち親は死んでも、俺たち親は死んでも……」、で
絶句するのだった。今でも覚えているが、私はいささかうろたえ、あせった。
しかし、……にどんな言葉や文を持って来てもぴったり来なかった。考えの行き着く先は
決って、あの真つ赤な血の色をした筋肉なのだが……
 極が小さい心を傷めて、カタストロフィに遭遇したように泣いていた。私は自分の中の
言葉を捜すことを憤然として捨てた。


??妻は、床につかねられた衣布のように崩れていた。恐らく無理に握らされたものが何な
のかわけもわからず掴んでいたのだろう。私は彼女の耳元で繰り返し催促した。この骨を
投げろ……。彼女は初め、聞く耳は持たない、というふうに泣いていたのが、私の声を聞
き取るために、時には泣くのを止めるようになった。
 妻は驚いた様子だった。そして私を見つめていたのが、ぷいとあらぬ方を向いた。骨が
乾いた音をたてて彼女の手から落ちる。私は肯(がえ)んじなかった。
 骨は再び彼女の手の中に押し込められた。妻は観念してそれを放った。だがその態度た
るや、とんでもない方へは投げるし、投げるや否や、向きを変えて自分の寝床へ這い出よ
うとする始末なのだ。そのお座なりの態度で私の頭には血が昇った。私は彼女を引き留め
た。きっと余分の力がはいったのだろう、腰を抱かれた妻は悲鳴をあげた。
 妻は唇に色を失い、青い顔はいっそう青ざめていた。
  「どいてちょうだい」と彼女は怒ったように言った。
  [私はお布団へ戻るの]
 私は容赦しなかった。
  「極と骨で遊ぶんだっ」
語気を荒げて私はそう言った。
  「そんなことできるわけないでしょっ」
 私はこの言葉に逆上した。妻の背中をど突き、四つん這いにさせた。それから更に床に
突いた手を払って、腹這いにさせた。力余って彼女の頬をしたたか床に打たせた。彼女は
うぐっと言った。病勢が進むなら進んでも構わないだろう、私はその時そう思った。
 「取って来い! チョシー!」
 私は骨を放った。妻は大儀そうであった。私は彼女の尻を叩いた。妻はやっとのことで
動きだした。とても尻上げ運動と呼べる代物ではなかった。 ……左手がなんとか左へ伸
びたかと思うと、その方へわずかに移動し、右手がなんとか右へ伸びたかと思うと、その
方へわずかに移動し、こうやっていくらかでも進んだとうのに、今度は左足が後方へ伸び
体はそちらへ後退する……どこかアメーバの運動に似た奇妙な動きであった。妻はそれで
も骨へ向かって少しずつはかがいったが、私には、口を開けた黒い墓穴へ、のたくりなが
ら土まみれになって進む姿に見えた。
 極は、プリンでもないのに私のかけ声を聞くと泣くのを止め、たちまち笑い声を立てて
動き出した。腹這いの恰好から尻が高く持ち上がる。次に体全体が波打ちながら次第にな
だらかになっていく。また尻が持ち上がる。私が競りたてるたびに極の口から笑い声が宙
へ飛んだ。
 妻は声もなく体を丸めて横になり、肩でというか上体全体で大きい息をし、続けざまに
咳をした。極の筋肉が皮膚を透かして見えるか、と私は聞いた。妻は何とも答えなかった。
 極の方がゴールへ達するのは速かった。骨をくわえこんだ証拠に、物を吹き出すような
音、次いでけたたましい笑い声が起こった。笑いの発作で骨を吹き飛ばしてしまったのだ。
 あの笑い声が聞こえるか、と私は聞いた。妻は目をつぶっていたが、聞き耳を立ててい
るふうであった。 一緒に笑え、いや同じように笑ってみろ、と私は言った。とたんに、
妻は恨めしそうに私をにらんだ。一声でいい笑ってみろと私は催促した。妻は黙っていた。
一声でいいんだと私は催促した。妻はアハと嗄(しわが)れた声で笑った。違う、キャッ
キャッだ、と私はあえて訂正した。妻が私の命ずる通り、極と同じ笑い声を立てたのは、
そんな後のことではなかった。これでいつかはイチゴのような真っ赤な極の筋肉が妻にも
見えるようになるだろう。
 妻はもはや身動きすらならなかった。私は妻を抱き上げ肩を貸して布団まで運んだ。
 極はおしめのはずれた尻でうごめいている。極は何とか立ち上がろうとしている。四肢
を踏ん張った。それに体重を乗せると、四肢がぶるぶると震えた。それは生まれたばかり
の、濡れた仔牛のようであった。

(1972.12)




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