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yoshiko

6編集部:2014/04/14(月) 23:24:05
小宮弘敬君のこと 
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          ??小宮弘敬君のこと 





 コンちゃんとは高校のクラスで一緒になったことがあったのか、それともなかったのか
はっきりと覚えてはいない。彼とは中学も違ったから高校になってから知った訳だが、そ
の後短期間のうちにかなり親密に付き合いだしたのは確かである。それは高校卒業三十周
年記念のとき発行された記念誌「青春のあの日」に投稿した私の下記の文章に書いてある
から間違いない。

        梁山泊考                 20組 古賀 和彦
   当時私の部屋は空間・時間を問わず出入りが自由で、水滸伝の面々ほど野心家や豪
   傑ではなりけれど、将来の可能性を信じ、かと言って大した努力もしない連中が常
   に数人屯していて、あたかも梁山泊の如きであった。そこで彼らのその後を、独断
   と偏見をも のともせず記念誌に残そうと思う。
   ○小宮 弘敬〈通称 コンチャン)
  ??写真の勉強をしていたので、てっきりカメラマンになるかと思っていたら薬九増倍
   の魅力に勝てなかったか? ともあれ兼好法師も言っている様に、物くるる友、薬
   師云々、これからはお世話になります。

 コンちゃんの家は佐賀駅から数分の、表通りから一本入った道に百草園という漢方薬の
店であった。時々店の奥の小川に面した彼の部屋に泊まりにいったものであるが、店に飾
ってあるイモリの黒焼きをみて驚いたり、その他ゴウカイ、ウマビル、アブ、サツマゴキ
ブリ、キョクトウサソリ、マンモスの化石、タツノオトシゴなど、普段では考えられな漢
方薬の世界を覗かせてくれた。
 彼は長男だったからてっきり百草園を継ぐのかと思っていたら、大学の芸術学部の写
真科へ進学した。そのころ私は学生浪人で恵比寿の三帖一間の下宿に住んでいた。たまた
まコンちゃんは、軒を接してひしめく街・私の下宿から望む高台にある高級住宅街の親戚
の家に身を寄せていた。「小宮家は男爵から乞食までいる」などと言ってハハハと笑って
いた。
 それからまたお互いに離ればなれになって暮らしたのだが、帰省の度に百草園の店に座
っているコンちゃんを訪ねた。しかしここ数十年その機会が作れなかったのが今になった
らくやまれる。どこか異国のDNAを引き継いだような彫りの深い顔立ち、温和しくてあ
まり自己主張しない性格は皆から好かれる一方で、損な役割を背負わされることもあった
であろう。
 私の命を託そうと期待していた薬師が先に逝ってしまったのが残念である。捻者、悪者、
嫌われ者は長生きするという諺は本当だろうか。

2014年/4月/13日 (斜光19号)



7編集部:2014/05/01(木) 08:49:13
徳永信子さんのこと 
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          ??徳永信子さんのこと 




 一昨年K・K君の急逝によせて下記のような追悼の文を書いた。

死に対する哀しみや無常観よりも
私は彼の生きた人生に賛美を送ろう
苦しいことや悲しいことがあったにしろ
見事にここまで生き抜いて来たのだから

この宇宙は生命の無いことが普通なのだから
生命があることが希有なことであるから
存在する或いは存在したということが
奇跡のようなものだから

私達はK・K君と同じ時間に同じ空間に
生きてたことに喜びがあり
彼の一生が長い短いにかかわらず
見事に生命を全うしたことを祝福しよう

 徳永さんとは若い頃は全く知り合うことは無かった。それが同人誌「斜光」への投稿や、
「同人α」の熱心な愛読者として知己を得、その後シネマの会で時々銀嶺でお会いした。
いつもにこにことしたおだやかな人柄だった。、しかし時にはドキッとするような辛辣さ
も持っている鋭い観察眼を秘めた人だった。一度っきりの、そして誰にとって代わること
の出来ない命、それが長かろうが短かろうが「生きた」という事実、そしてその存在価値
は揺らぐことはないと思った。

2009年6月24日 (窓辺にて)



8つる:2022/06/20(月) 22:42:23
博田さん追悼ー逆旅
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          ??博田さん追悼ー逆旅 



◆20211230 博田さん追悼ー逆旅(げきりよ)
 『同人α』のメンバーの博田さんがこの世という逆旅(げきりよ)から昨年の九月にあの
世という別の次元に旅立った。二年前最後のメールのやりとりがあった。

博田さんへ

 『同人α』の編集会議もコロナ禍のために中止続きで、随分ご無沙汰しています。
 銀杏や桂、紅葉はまだ色づき始めたばかりで、たぶん今月の末から十一月中旬が見頃と
なるようです。家の紅葉の大木はさらに遅くなりそうです。
 また、山中湖の別荘で頂いた丁字草は、当初は寂しそうな一本の姿でしたが、近年ここ
の環境になじんだのか丁字形の青い地味な花をたくさん付けた大きな株になりました。




    まだあげ初めし前髪の
    林檎のもとに見えしとき
    前にさしたる花櫛の
    花ある君と思ひけり

    やさしく白き手をのべて
    林檎をわれにあたへしは
    薄紅の秋の実に
    人こひ初めしはじめなり

    


 小生、昔より島崎藤村の詩集『初恋』の林檎に思いを馳せて、土地購入に併せてその木
(ふじという種類の林檎)を記念に植えました。数年後には花と実がなるでしょうが、高
山造園の社長の言のように、実は猿との戦いになると覚悟していますので、花だけはきれ
いに咲いて欲しいと思っています。しかしこの所、薔薇や紫陽花、桔梗、百日紅の葉をす
べて鹿に食べられましたので、林檎の木は罪人のごとく竹矢来と鳥よけ網に閉じ込められ
ています。
 数年前から「買ってくれんね」という近藤君からの提案で私と地続きの彼の土地を買い
取ることにしました。上と下の敷地で合計百五十坪になり、新しい土地を林檎の木の他に
何に使うか思案中です。

 さて病気の話ですが、貴女の状況をすこし漏れ聞いていましたが、お手紙を読んでちょ
っと安心しました。抗がん治療は怠(だる)さや嘔吐、食欲不振などで不快なものだと聞
いていますがいかがでしたか?
 ところで小生も本態性血小板増多血症という難病と認定されました。どうも遺伝子の血
液のがんで、血が増えてドロドロになり血栓ができやすくなるということです。根本的な
治療方法がないとのことですが、対症療法をすれば九十才くらいまでは生きるでしょうと
医者は保証してくれました。ともかく今のところ痛くも痒くもなく助かります。
 いつか『同人α』の編集会議を河口湖畔で開催したいと思っています。その時は皆さん
のご参加をおおいに願っています。      ではまた・・・・・。

 今度『斜光』に投稿したエイプリルフールの題は「猫の労働争議」です。
 河口湖の村で活躍中の主人公の「モロ」の最近の写真です。

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     博田さんより

     ワード開いて読めました。
     私も藤村の?初恋?は大好きです、
     林檎の木に囲まれた山荘なんて一段と素敵になりそうですね。
     夢は大きく理想は高く・・・・
      丁子草根付いて育っているようで嬉しいです。
     家にもってきたのは暑すぎるようで色も薄くなり元気がありません。
      血小板一人は多すぎ一人は少なすぎ、今日は下限値の半分72しかありませ
     んでした。
     来週はどうなっているやら、いささか疲れました。
      今日の東京の最高気温は十五度、一挙に初冬です。春と秋がなくなりそうな
     昨今の気候ですね。
     ご自愛下さい。           博田 喜美子



 博田さんと私たちの交流は六十数年に及ぶ。高校時代我が家にたむろする十数人を、後
日私が手前勝手に「梁山泊のメンバー」と称している。高校生のころは季節ごとにあちこ
ちとハイキングに行ったものだ。写真は基山の草スキーを楽しんだ時のものである。写真
を撮している損な役を引き受けている中島君をふくめ、十二人のメンバーである。しかし
現在はこのなかの五人がすでに鬼籍に入っている。

      


 私が博田さんの文才に気づいたのは学園祭のあと発行された文集に書かれたものを読ん
だときからだった。もはやその文集自体の存在も判らないが、バザーの模擬店でうどんを
作って出したという内容だったと思う。我ながら上手くできたということか、たくさん売
れて実入りが多かったという感慨か、とにかく生き生きとした文だった。その後『同人α』
のメンバーとして活動された作品も、彼女独特の物事を見る視点の斬新さと清々しい言葉
使いは彼女のたぐいまれな個性と私は大いに評価している。

 そこで博田さんの『同人α』に投稿された文章を二、三掲載して、彼女の面影を偲んで
みたい。

 ◆そよぐ
 『48号』の言葉に?そよぐ?が選ばれた。私もこの言葉が好きだ。
 初秋の風が川面や稲田や草原を吹き渡り、葦や稲葉やえのころ草や小判草をそよがせて
いる。そう思い浮かべるだけで気分が晴れてくる。
 風にちなむ歌はたくさんあるが、「誰が風を見たでしょう/僕もあなたも見やしない/
けれど木の葉をふるわせて風は通りぬけてゆく・・・・」(クリスティナ・ロセッティ作
西條八十訳詞)という歌が一番好きだ。単純だけどとても風の本質を感じさせる。山荘の
ベランダで風に吹かれて木の枝がゆれるのを見るといつもこの歌が思い出された。
 風は見えてないけれど見えている。

 ◆小鳥スナック松原
 二○○二年に同人誌『斜光』に、?レストラン閉店?という題で、小鳥レストラン松原
の閉店顚(てん)末(まつ)記を載(の)せた。時の流れは早いもので、もう十七年も前になる。
 世の中も変わり私の身のまわりも変わり、五人の家族と犬が暮らした家に、私は今ひと
りで住んでいる。閉店するきっかけとなった東隣りの家もご夫婦は亡くなりずっと空家の
ままで、今ではこちらが困るほど草木が繁(はん)茂(も)している。
 隣家から苦情がくることもないし、冬の庭は寂しいので三年前にレストランを再開した
が、レストランというのはいささかおこがましい。町はずれのスナックというのがあって
いる。常連客はシジュウカラ、メジロ、ヒヨドリ、キジバト、スズメだが数が少ない。ジ
ョウビタキはたまの珍客、カワラヒワやツグミは姿もみかけない。
 店主の私も歳をとった。みかんやりんご、ひまわりの種やヒエアワの飼料を買ってくる
のは重く、一人で毎日欠かさず用意するのが負担になってきた。十七年前にはこんなこと
思ってもみなかった。
 餌台のある冬の庭は楽しい。庭が生々とする。細々(ほぞぼそ)でも小鳥スナック松原は
続けてゆこう。

 ◆ 静かな風景
 二〇一二年秋にイタリアを旅した。ローマから列車やバスを乗り継ぎトスカーナ地方の
小さな町ピエンツァを訪れた。着いたのは午後も遅かったのでさっそく町を散策した。十
月終わりの夕暮れの気配が城壁から見晴らすオルチャ渓谷の谷間をつつみ始めていた。曲
がりくねった道に沿った糸杉が長い影をおとしていた。城壁にからんだ蔦(つた)や萩や草
は色づき、鳥の声が時折ひびいていた。遙か西方の重なる小高い山並に陽が沈もうとして
いた。空には、少し紫がかった色からゆっくりと青紫の菫(すみれ)色、竜胆(りんどう)色
へ、さらに紫から赤紫の菖蒲(あやめ)色、牡(ぼ)丹(たん)色へと染(そ)まり移り変わって
ゆく雲がたなびいていた。陽が山の向こうに没(ぼつ)するまで二人で黙ってじっと見つめ
ていた。残照がいつまでも残っていた。
 その時、何の理由(いわれ)もなく、ヨーロッパへ来るのはこれが最期ではないかという
思いがふいに心に浮かんだ。夫も口には出さなかったがそう感じたのではないだろうか。
 あれから二年後、夫は亡くなった。あの穏やかな静かな西の空、夕陽の彼方へ還ってい
ったのだろうか。忘れられないイタリア・トスカーナの秋の夕暮れだった。

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 夫れ天地は万物の逆旅(げきりよ)にして、光陰は百代の過客(かかく)なり。(そもそも
天地は万物を宿す旅館のようなものであり、月日は永久に往いて帰らぬ旅人のようなもの
だ)
    李白の「春夜桃李の園に宴するの序」。
 そしてまもなく私もこの世の(逆旅)を旅立つ日がくることであろう。



注記:丁字草
   花言葉は「上品な優雅さ」
   二○○○年版環境省レッドデータブックでは、千年後の絶滅確率が約 97% と推計
   され、絶滅危惧?類(VU)に指定されている。二○○七年八月の新しい環境省レ
   ッドリストでは、準絶滅危惧(NT)に評価替えされた。
??  チョウジソウの花を横から見ると「丁」のように見えることから、丁字草(チョウ
   ジソウ)と呼ばれるようになったという説がある。

(2022年4月(同人α60号「逆旅」より)




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