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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板
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:
中嶋康博
:2021/12/31(金) 16:45:03
今年の収穫書籍・雑誌より
今年の収穫書籍・雑誌より一部を御報告。(刊行日順)
『勢陽風雅』雪巌道人編 (伊勢地方の漢詩アンソロジー)宝暦8年 土地の名に『〇〇風雅』と名を付ける地方詞華集の濫觴でしょうか。
『勢海珠璣』家里松嶹編(同上趣旨の後継アンソロジー)嘉永6年 扉の「無能有味?(齋)」なる庵号に編者の性格が偲ばれます。
銭田立斎(金沢)『立斎遺稿』上巻 天保12年 金沢の富商詩人。大窪詩仏を歓待する詩が数篇あり『北遊詩草』にも彼に謝する五律を載す。
仲冬旬四日邀詩佛先生于艸堂
人事すべて縁の有らざるなし。尋常相遇ふ亦た天に関す。何ぞ図らん詩伯の千里を侵し、来りて吾曹と一筵を共にせんとは。
聊か素心を竭くして野蔌を供し、更に新醸を斟みて溪鮮を煮る。斯の如き良會の得難きを知る。況んや復た交遊の暮年に在るをや。
『増補書状便覧』弘化2年 手を掛けて修繕した本はとにかく可愛い!
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上田聴秋『月瀬紀行』乾坤2冊 明治21年 昨年知った郷土ゆかりの文人
高島茂詩集『喜ばしき草木』大正13年 信州の自然詩人。国会図書館未所蔵。
服部つや遺稿詩集『天の乳』昭和4年 岐阜県詩集で未収集だった本。今後おそらく現れないかも。
稲森宗太郎遺稿歌集『水枕』昭和5年 大切ないただきもの。
『小熊秀雄詩集』昭和10年 伏字に附箋を張って書込み補充しました。
龍木煌詩集『門』昭和10年 限定150部 椎の木社版の詩集。買へる場面に遭ったら迷はず買ひたい。
大木惇夫『冬刻詩集』昭和13年 伝記を読んで親炙するやうになった詩人の限定100部限定豪華装釘本。
北園克衛詩集『火の菫』昭和14年 限定200部 ほしくても手が出なかった永年の探索本。函欠なれど意匠は扉にも採用されてゐて満足。
圓子哲雄主宰詩誌『朔』92冊 昭和47年〜 圓子さんの辱知を得る以前のバックナンバーを一括寄贈頂きました。
揖斐高編訳『江戸漢詩選』上下巻 令和3年 斯界第一人者の先生よりゆくりなくも御恵投に与り感激。
冨岡一成『江戸移住のすすめ』令和3年 盟友の新刊。病臥の間に現在も新著を執筆中の由、再起を祈りをります。
『谷崎昭男遺文』令和3年 保田與重郎・日本浪曼派の逸話満載。
小山正孝詩誌『感泣亭秋報』16号 令和3年 過去最高に充実した内容。
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0001002.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0001002_2.jpg
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:
中嶋康博
:2022/05/18(水) 22:53:56
丹羽嘉言『謝庵遺稿』
尾張の画家、丹羽嘉言:にわ-よしのぶ(1742-1786)の遺稿集『謝庵遺稿』 享和元年(1801年)序[刊] を手に入れました。
再刊本『福善斎画譜』 文化11年(1814年)序[刊]と共に、原本はすでにデジタル公開されてをります。
わたしはどうしても小動物についての記述に目がゆきます。「蚊を憎む文を愛する説」といふ一文。(13-14丁)
丁酉(安永6年1777)六月 曬書の次に、清少納言の枕書(枕草子)を披き「蚊を憎む一節」に至りて、其れ言簡にして意至れるを愛づ。
早くに豹脚有りて、眉睫の間に翺翔するは、一に其の言の如し。
當初の清氏、後の数百歳、蚊の人と興に有ること今日の如きなるを豫め知り、而して筆を下し斯文を成せり。
予、今、斯文を玩し、而して後、數百年前、蚊の人を擾(煩わ)すこと今日と同じく、又た今より以後、數百千歳も、蚊の人と與に有ること一に今日の如く、而して斯文の終に亡ぜざるを知る也。
李笠翁云ふ。「蚊の為物(物となり)や、體は極めて柔にして性は極めて勇、形は極めて微にして機は極めて詐。地を擇びて攻め、?に乘じて以て入る。昆蟲庶類の善く兵法を用ゆる者、蚊に過ぎたるは莫し」と。
是の言、蚊のことを盡したるか。假し予をして蚊子に為らしめば、將に笠翁に於いて三舍を避けん(恐れ近づくまい)。
古人の筆を弄するは、景を見ては情を生じ、場に逢ふては戲を作す。惱むべく憎むべきの蚊を以て、變じて笑ふべく愛すべきの文に做(な)し、既にして以て自ら娯しみ、又た我が後の人を娯ます。蚊子は微物と雖も、亦たともに斯文に力有るは、豈に憎む可けん哉。
是に於て殘帙を理(おさ)め、蠹魚を撲ちて嗟嘆獨語す。蚊の既に我が臀の斑然たるに飽けるを知らずと。
丁酉六月 曬書之次 披清少納言枕書 至憎蚊一節 愛其言簡意至 早有豹脚 翺翔眉睫間 一如其言 當初清氏豫知後数百歳 有蚊與人如今日 而下筆成斯文 予今玩斯文 而後知數百年前 蚊之擾人同今日 又知自今以後數百千歳 有蚊與人 一如今日 而斯文之終不亡也 李笠翁云 蚊之為物也 體極柔而性極勇 形極微而機極詐 擇地而攻 乘?以入 昆蟲庶類之善用兵法者 莫過于蚊 是言盡蚊矣 假使予為蚊子 將避三舍於笠翁 古人弄筆 見景生情 逢場作戲 以可惱可憎之蚊 變做可笑可愛之文 既以自? 又?我後人 蚊子雖微物 亦與有力于斯文者 豈可憎哉 於是理殘帙 撲蠹魚嗟嘆獨語 不知蚊既飽 我臀斑然
また『福善斎画譜』においては第四帖。碩学森銑三翁もまたかういふ瑣末事を愛されたらしく、
「動物の方に「井邦高畫」とあるのが一面加はつてゐる。その猫と鼈との題辭に、謝庵のいふところがまた面白い。
「余素不喜畫猫與鼈偶見二物皆如讐観余余惡其?之不雅又不喜復見二物一日讀聖師録始知猫之仁鼈之義可傳賞于後世而憶吾之相惡不過一時頑擧也夫人貴乎博愛物固不可貌相猫與鼈可憐哉於是移寫舊圖以補吾畫録而不雅者竟不雅」
(『森銑三著作集 第3巻 人物篇 3』中央公論社, 1973 p465-474 「丹羽謝庵」より)
拙い訓読を添へて置きます。
「余、素と猫と鼈とを畫くを喜ばず。偶ま二物を見るに、皆な余を観ること讐(あだ)の如し。余、其の?の雅ならざるを惡み、又た復び二物を見るを喜ばず。一日、聖師録※を讀むに、始めて猫の仁、鼈の義を知る。後世に傳賞すべし。而して吾の相ひ惡むは一時の頑擧に過ぎざるを憶ふ也。夫れ人は物を博愛するより貴し。固より貌相の可ならざる、猫と鼈とは憐れむべき哉。是に於て舊圖を移寫し、以て吾が畫録を補ふ。而れども雅ならざる者は竟に雅ならざるなり。」
※図書館の蔵書を検索してみたところ、『聖師録』といふのは、どうやら彼自身の手で和刻した唐本のやうです。
清 王言原本・藤嘉言(丹羽謝庵)著『聖師録』 天明元年7月(1781)]跋[刊]
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB11610423
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA69280076
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0001003.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0001003_2.jpg
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