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善とは何か
1
:
名無しさん
:2020/06/13(土) 20:19:56
我々は何をもって物事を善いとか悪いとか判断しているだろうか
例えば、ここにパソコンがあるとする。
善いとは①パソコンとしての機能を十分果たしていること②壊れにくいこと③デザインや色合いが美しいことなどを意味していると考えられる。
では、あの人は善い人だと言うとき、何をもって善いと言っているのだろうか?
①誠実さ②友誼に厚い③フランクさ④謙虚
物と人では善の条件が違う訳で、それは「その人を幸せにする性質」を我々が「善いもの」としているからではなかろうか。
7
:
名無しさん
:2020/06/14(日) 22:47:52
もし国家が「悪しき国家」であった場合、個人はいかにするべきであろうか。
8
:
名無しさん
:2020/06/16(火) 05:52:03
善についての過去の理論家を上げると
プラトン、アリストテレス、釈迦、孔子、孟子、老荘、カント、ニーチェ、ヘーゲル、ハイデガー、西田幾多郎のような人々から言説を抽出することは可能である。
もし、善を現象学的に考察する場合、これらのだれが真実を説いているかとか真実に近いかと言う方向性は取らない。
しかし、彼らは皆、死者であるので、間主観性を意識するのは、生者とコミュニケーションを取る場合とは違ってテキストの読みこみを通した対話が必要になる。
我々は彼らの言説から善の様々な側面を意識することが出来るが、善の形相的還元と言う段階では、削ぎ落とされる情報も出てくると思う。
9
:
名無しさん
:2020/06/29(月) 19:04:14
善とは何か
アリストテレスは善の目的は幸福であると考えました。そして幸福であるためには物事の本質や中庸を見抜く知性を発揮して生きる事が必要であるとしました。
確かにいかなるピンチも知性によって相対化することが出きればそれを楽しむことすら出来るのではないかと思います。
一方、カントは善を社会正義の次元で捉えました。もし、自分の行動が普遍化したした場合自己矛盾が起きないかを善の基準としました。
ヘーゲルや西田は個人の幸福感や正義感よりも精神の次元での善を尊重することを重視しました。
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