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メモ

1:2020/04/22(水) 11:43:08
人が増えるまで個人的に使わせて貰おう。

2名無しさん:2020/04/22(水) 11:48:48
筋トレの哲学

何事もそうだが、一度為した事は継続される法則がある。
筋トレは一度やれば次回は無意識に同じことをやっているので初回が出来るかどうかが勝負である。
そして「記録」することも大事かもしれない。
私は筋トレをする度にカレンダーにシールを貼っている。するとカレンダーを見る度に筋トレをしているようになる。

3名無しさん:2020/04/22(水) 18:36:24
紛争解決の原理論として「自由の相互承認」は良いとしましょう。
しかし「いかに生きるべきか」というテーマはまた別次元の問題ではないかと思う。
ある意味では、大昔から言われている「信仰・思想の自由論」を繰り返しているともいえるし、実際そうなのだが。
竹田氏は、善真美のような価値論を説くのではなく、「欲望論」に解決の糸口を見出したのではなかろうか。(氏の『欲望論』はまだ読んでいないが。)
そして人間の最大の欲望は「承認欲求である」というような見通しがあるのだろう。
例えば「ミュージシャンになりたい」とか「哲学者になりたい」というような承認欲求である。
結局、ヘーゲル的には労働を通してその承認欲求も結果的に?或いは労働の方が承認欲求の産物なのか、満たされると。
当初主観的独りよがりであった仕事が客観的な価値を持つようになると、意識の空無な夢や願望に過ぎなかった「ミュージシャンになりたい」が「ミュージシャンである」というように存在へと転化する。
その契機になるのが「労働」だったりするのではないかと思う。
労働を通して無が存在に転化する。
苫野氏は欲望が苦悩をもたらすケースとして「能力の問題」を上げている。
例えば「ミュージシャンになりたい」→「ミュージシャンである」(自己実現)が達成されるには「能力の問題」が横たわるというわけだ。
苫野氏は「欲望のハードルを下げるか、別の欲望にチェンジするか、欲望を断念するか」というようなことを述べている。
「ミュージシャンである」ためには必ずしも武道館で客をいっぱいにする必要はなく、「地域のイベントで演奏する」とか「趣味で演奏する」というものもあり得るわけだ。
むしろこのようにして音楽を楽しんでいる人の方に「資本主義経済の下で操作された欲望」から脱却している場合もあるかもしれない。

4名無しさん:2020/04/22(水) 18:48:59
正直、このような人間の在り方はハイデガー的に言うと「頽落」な訳で、竹田さん始めお弟子さんたちがやたらとハイデガー思想を
毛嫌い無いし「脱構築」しようとするのはそれなりに「痛いところを突かれている」からではないかと思う。
というのもハイデガーの哲学はまさにヘーゲル哲学的な「お互いの欲望を肯定し合った市民社会」にどっぷり漬かって生きている人々が忘れているもの、つまりそのような市民生活の
根底に存在している「存在」なるものへの問いであるからである。
ただ、ハイデガーは、こういった市民的価値を全否定している訳ではなく、少なくとも消極的には肯定しているのではないかと思う。
というのも、こういった自我承認の世界が無ければ、あとは「死の世界」が横たわるだけだからである。とはいえ我々が「無」や「死」というものに、ある意味では「包括されて」生きているのも
事実な訳で、このところを忘却して生きることが「不安」や「絶望」のような心理を喚起するというのは確かではないかと思う。
ヘーゲルを表の世界の哲学者だとすれば、ハイデガーは裏世界の哲学者ということが言えると思う。
この表裏一体になっているところに我々の生の本質がある訳で、相補的な関係にもなっていると考えられないだろうか。

5名無しさん:2020/11/07(土) 12:34:53
人生をより楽しく充実して生きる為に考えるべき要件について

多くの場合、考えるべき対象を考えると言う作業なしに、職場(学校)と家庭に関することのみを考えている。
しかし、あえて問うべきである。より善く生きる為には何を考えるべきなのか

①健康
②住環境
③職場環境
④政治
⑤哲学
⑥家族
⑦友人


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