したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「生長の家」での児童虐待

1・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:32:59
生長の家・神の国寮の裁判の経緯
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2005/me050320.htm
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/index.html

2・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:33:25
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2005/me050320.htm
2005/3/20 生長の家・神の国寮の裁判和解について
 このサイトのトップに掲げていた生長の家・神の国寮の裁判和解が、2005年3月18日(金)付けの毎日新聞の夕刊に載ったという情報をある方からいただいた。和解条件のひとつとして、具体的金額を公表しないという内容があるとのことで、金額については私自身、知らなかった。新聞の「1000万円超支払い和解」の見出しに驚いた。翌日(3月19日)の讀賣新聞にも記事が載った。
 二つを総合して要約すると、
1987年7月、当時10歳だった原告の男性は、国立市の「生長の家神の国寮」寮内で、金銭が紛失した際に犯人と決めつけられ、元男性指導員やほかの寮生らに暴行され、左ひじと左手首を骨折。指などに後遺症が残り、96年に3級の障害者手帳の交付を受け、97年に施設を出たが、障がいのため定職につけない状態になった。2001年4月に、「生長の家社会事業団」と元指導員に約7500万円の損害賠償を求めて提訴。
今年(2005年)1月、東京地裁八王子支部・松嶋敏明裁判長のもとで和解が成立。
 和解協議は04年12月中旬。内容は、
(1)暴行による後遺症に対し、事業団側が損害賠償する義務を認める
(2)施設での再発防止に努める
(3)事業団と元指導員が連帯して、損害金を原告の男性(27)に支払う
など。
 男性側の代理人は、「施設内虐待の損害金としては前例がないほど高額」「見舞金ではなく、施設側が損害賠償義務を認めた損害金を支払うことで合意した」と和解内容を評価。事業団は、「被害者救済の見地から和解に応じることにした」としている。
**********

3・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:33:44
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2005/me050320.htm
 私が、児童養護施設・生長の家「神の国寮」の元園生に対する虐待を知ったのは、「STOP施設内虐待のサイト」から。2001年5月10日に行われた「全国養護問題研究会」の緊急学習会に参加し、そこで弁護団やSTOPの浦島さん、元寮生の佐々木朗さんにはじめてお会いした。(me010511)
 それ以前に「養護施設の子どもたち」という勉強会を三多摩学校・職場のいじめホットラインの仲間とともに開き、児童養護施設・二葉学園での施設内虐待の問題(http://homepage3.nifty.com/koseki-t/yougo3.html 参照)にも関心を抱いていた。知り合いにも働きかけ、八王子支部で開かれた裁判を傍聴してきた。
昨年6月の証人尋問のあと、和解協議が続いていた。途中何度か、担当弁護士に確認したところ、結論は出ていなかった。それが、今月になって、STOP施設内虐待のサイト・掲示板 http://hpcgi3.nifty.com/abuse/yybbs/yybbs.cgi で和解を知った。
その後、埼玉で開かれた児童養護施設内虐待に関するシンポジウム会場で、STOPの関係者ともお会いして、もう少し詳しい内容を知ることができた。
 私が今、いちばん心配するのは、Aさんの今後について。
障がいを負ったAさんの生活は苦しく、損害金が入ったことはよかったと思う。しかし、今まで見たこともない大金がいきなり転がりこんできたときに、計画を立てて上手に今後に生かすことができるだろうか。
この裁判の弁護団は、この裁判をAさんの個人的な問題とは捉えず、児童養護施設の子どもたちに対する人権侵害事件を代表するものと捉えて、実に献身的にAさんを支えてきた。しかし、裁判が終われば、弁護団の役割も終わる。裁判を支援してきた人びともまた、次々と起こり続ける新たな問題に対応していかなければならない。いつまでもAさんを支援してはいられないのが現状だ。ましてAさんは27歳。子どもではない。
 金はひとを変える。金めあてのひとたちがやさしい言葉で近づいてくる。一方で、本当にAさんのことを心配するひとたちの言葉は時には厳しい。
 施設という特殊な場所で育つと、一般家庭では当然のように経験することが、欠落してしまう。
 就職が決まってから初めて、ひとりで電車に乗る訓練が始まったりする。就職してはじめて、職員の関与なく金が使えるようになったりする。それまで抑圧されていただけに、初めての給料で計画性なく、今まで我慢していた遊びに金を使ってしまう。月の後半の生活ができない。安易にサラ金に手を出して返済できずに転落していく。そういう話も聞いた。

4・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:34:06
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2005/me050320.htm
 子どもたちを管理することばかりに目がいっている施設では、子どもの自立に向けての教育がなされない。施設に出て、いきなり厳しい社会の洗礼を受ける。その時にこそ、いちばん支援が必要であるのに、施設を出ると関係ないというばかりに追い返される施設もある(神の国寮もそういう施設だったときく)。
子どもたちを継続的に支えるシステムが必要だと思う。
 多くのひとの支援で実質勝訴の和解を得た。裁判で得た金がAさんの幸せにつながるように願わずにはいられない。
 二葉学園で元園生が得た金額は10万円だった。弁護士に謝礼を払うとマイナスになった。
 判決内容もけっして納得のいくものではなかった。直後は裁判を起こしたことを後悔しているような口振りだった男性が、数年後にあったときには、「やってよかったと思っている」と話してくれた。
 Aさんは障がいを負った。当然の金額だと思う。しかし、1000万円超の金は一生を支えるほどの金額ではない。無計画に使えばあっという間になくなってしまう。あとには、大金を手にしたときの感覚だけが残ってしまう。
地道に労働して、自力で生活することをあきらめないでほしい。「裁判をしてよかった」Aさんが本当にそう思えるかどうかは、彼の今後の生き方にかかっている。

5・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:34:27
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2001/me010511.htm
2001/5/11 児童養護施設の子どもたちの人権
 このサイトのリンクコーナーでも紹介しているエドワードさんのSTOP! 養護施設内虐待のページ(ここ何日か、なぜか見ることができない?)を見て昨日(5/10)、霞ヶ関の弁護士会館で行われた「全国養護問題研究会」の緊急学習会に行ってきた。
 テーマは、今井城学園と生長の家・神の国寮での人権侵害について。内容等については、上記のエドワードさんのページに詳しく載っているので、詳しく知りたい方はそちらを参照していただきたい。
ただ、養護施設に関わりのない一般のひとたち(例えば私のような)にも多く関心を持って欲しいという思いから、あえて「私の雑記帳」に報告と感想を書くことにした。
 児童養護施設内の人権侵害は、千葉恩寵園や鎌倉学園の事件で一般の人びとにも知られることになった。しかし、それは氷山の一角にしかすぎず、今もって多くの施設で、子どもたちの人権が踏みにじられている。
かつて、児童養護施設のことを研究している某大学福祉関係の教授にそのことを話したときに、それはごく一部の施設でのこと、ほとんどの施設では職員の献身的な努力により、子どもたちは大切に育てられている、あの報道で児童養護施設全体のイメージが悪くなって迷惑しているというような返事をされた。そのときに、専門家と言われる人たちですら、この程度の認識なのかと、閉鎖的な施設の問題の根深さを垣間見た気がした。もっと声を大にして、この問題を語る必要を感じた。
 もちろん中には、まともな施設もあるだろう。しかし、多くの児童養護施設での子どもたちの生活は、普通の家庭とはほど遠い。職員が無断で手紙を開封する、持ち物検査をする、体罰を行う、子どもたちの心を傷つけるようなことをわざと言うなど日常茶飯事と聞く。
 中でも、佐々木朗(あきら)さんの書かれた「自分が自分であるために」(2000年12月1日、文芸社発行、営業電話番号 03−3814−2455)の内容は衝撃的だった。
 文中の施設名や登場人物は仮名となっているが、生長の家・神の国寮のことだという。
 小学生の門限は午後3時。学校からまっすぐ寮に帰らなければならない。しかも、一旦帰ると外出は一切、許されなかった。同じ年齢の子どもたちが学校から帰ってから、お互いの家を行き来する、公園で遊ぶなど当たり前のことすら、許されなかった隔離された生活。

6・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:34:51
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2001/me010511.htm
 そして、佐々木さんが小学校5年生のときに来た、生活指導担当の職員は、さらに門限に厳しく、わずかな寄り道すら許されなかったという。口答えをしたり、門限に遅れたりすると容赦なく体罰がふるわれた。そして、男子は全員、丸坊主に、女子は全員おかっぱにされた。そんな髪型の小学生がほとんどいないなかで、まるで、施設の子どもとすぐにわかる目印、レッテルを貼られたような気持ちだったと言う。そして、担任の「学校が終わっても朗君とは遊ばないでまっすぐにお家に帰らせてあげてね」の言葉。
 施設から頼まれたにしろ、その言葉が、子どもたちにどう、受け取られるか考えはしなかったのだろうか。学校で同級生にいじめられ、まっすぐに寮に帰れば、指導員の思いつきで次々と作業をやらされた。自由時間も、宿題をする時間も与えられなかったという。そのことで、教師との関係が悪化する。勉強する気のない子どもという差別の目で見られるようになる。
 そして、その職員は、園生たちが可愛がっていた鳥を目の前で殺して、喰ってしまうという精神的な虐待もした。その時から、佐々木さんは鶏肉が食べられなくなったという。
 年に数えるほどしかない楽しい行事も、職員の独断で、廃止された。そして、木彫りの熊人形での殴打事件が発覚して、職員は辞めていく。理事長は自分たちの訴えを聞き入れてくれたと思った矢先、新しい職員もまた虐待を繰り返す。単なる首のすげ替えでしかなかったというやるせない事実。
 食べ盛りの男の子が、お腹をすかせてつまみ食いをする。どこの家庭でも見られる当たり前のできごと。それさえも、ぼろ切れのようになるまで痛めつける理由になってしまう。
 お菓子も、テレビゲームも許されない生活。友人が寮に遊びにくることすらままならない。リンチのような野球の練習を課せられる毎日。職員の顔色を窺っていつもびくびくしていなければならない日々。
そして、佐々木さんが退寮したあとも独裁者の支配は延々と続いた。
 今回、生長の家・神の国寮を提訴した男性は、当時まだ10歳。
 寮のなかで盗みを働いたと根拠もなく疑われ暴行を受けた。共犯者の名前を吐けと脅されて、追いつめられて苦し紛れに数人の名前をあげた。そして、体罰を受けても無実であることを訴え続けた子どもたちに職員は、「お前たちがこんな目にあったのは、こいつのせいだ」と言って、子どもたち同士に制裁を加えさせた。男性の腕は折れ、左手の指が4本動かなくなる障がいが残った。
 そのために職業さえままならず、苦しい生活を強いられている。

7・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:35:13
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2001/me010511.htm
 弁護士の平湯真人氏が言った。昔の日本の軍隊のようだと。初年兵同士に互いに往復ビンタをやらせる。最初はただ命令に従って仕方なくやっているだけ。しかし、やっているうちに、相手に対する憎しみが沸いてくるという。子どもたちにしても、本当は言われなき疑いをかけて、そこまで自分たちを追いつめた職員に反撃したい。しかし、圧倒的な権力、力の差の前に、それはできない。怒りは、自分たちを名指しした少年に向かった。肉体だけでなく、加害者と被害者の両方の少年たちの心にも深い傷が残ったことだろう。
 職員から暴行を受けても、子どもたちに訴える術がない。病院には職員が付き添い、「転んだ」「友だちと喧嘩した」とウソを言わされる。「本当のことは言うな」と脅される。
 それに、危険を冒して本当のことを言っても信じてもらえる保証はない。今までずっと、どんなに酷い目にあっても、大人たちから見捨てられてきた。冒険をおかす気にはなれないだろう。
 そうして、10数年たった今も、その職員は処罰を受けることもなく、ノウノウと処分を受けることもなく、相変わらず神の国寮で働いている。その間、どれだけの子どもたちが犠牲になったか、計り知れない。
 本では、他に、ある職員による子どもたちに支給されるはずだった手当金の押領、暴力、精神的な虐待、そして、少女たちが処女かどうかを確認したというセクハラ行為などを告発している。
 閉ざされた施設のなかで、堂々と犯罪行為が行われ、それを止めるもの、裁くものがいない。子どもたちの味方をする職員は去り、一緒になって暴力をふるう、あるいは強いものにおもねる職員のみが残る。
子どもたちを救ってくれる大人たちがいない。子どもたちは退寮するまで、ただ黙って耐えているしかない。その状況は今も変わらない。
 千葉の恩寵園から子どもたちが逃げ出したことは大きなニュースとなった。他に行く場所のない子どもたちが、施設を飛び出すにはどれほどの勇気と覚悟がいることか。それでも、大人たちの手であっさりと施設へ送り返されてしまった。
 今井城学園では、職員の仕打ちに耐えかねた子どもたちが、都の職員の監査のときにそっと手紙を渡したり、児童福祉士が来たときにおかしいと思うことを全て話したり、子どもの権利擁護委員会に電話をかけたりしたという。よくまあ、いろいろ考えて、手をつくしたものだと思う。それだけ必死だったのだろう。
しかし、大人たちは動かなかった。何も変わらなかったという。

8・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:35:40
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2001/me010511.htm
 今は、以前に比べると、いろんな機関が動くようにはなった。しかし、法的な強制力はない。施設に聞く耳がなければ、何も変わらない。
 そして、大人たちのする事実認定では、多くの子どもたちの証言よりも、職員の言葉が優先される。加害者がやっていないということは、よほどはっきりとした証拠でもない限り、やっていないことになる。子どもたちの証言は、勘違い、虚言癖、職員への恨みによるものとされる。
 そして、勧告に従って改善案が出されたとしても、形式的なものであったりもする。ほとぼりがさめたころには、元に戻ってしまう。
 政府が発動した第三者機関の導入でさえ、施設の理事が入っていたり、親戚が名前を貸していたり、施設側の言いなりになるひとが選ばれたりと、はじまったばかりですでに形骸化しているという。
 以前、本で読んだか、聞いたかしたことがある。
 ある施設で、子どもたちが自分たちの現状を外の世界に訴えるためには、誰かが自殺でもしなければ無理ではないかと話し合ったと。そこまで考えた。実際に、自殺未遂や自殺者も出ているし、施設から出たいがために短絡的に犯罪を冒した子どもさえいるという。
 子どもたちのプライバシー保護の名のもとに、外部の人間を一切閉め出した施設のなかで、子どもたちが措置費を目当てに食い物にされたり、大人たちの欲望や鬱屈した精神のはけ口にされている。
 誰かが死んだり、ひどい後遺症が残るほどの暴力で痛めつけられでもしない限り、周囲の大人たちが実状を知っても、手出しができない。行政も動こうとはしない。
高い税金を使って行う、数少ない貴重な子どもたちに対する処遇にしては、余りに情けない日本の福祉の実状だ。高学歴の人たちが集まってどんな知恵を出し合って、こんなシステムを作り上げたのか。そして、何故、次々と施設内虐待が報告されながらも、何も改善されないのだろうか。
 家庭内の虐待が社会問題になっている。しかし、行政措置により次々と子どもたちを施設に送り込んでも、そこでも新たな虐待が待っているのでは、いつまでたっても子どもたちは救われない。
 肉親に付けられた深い傷の上から、更に傷が加えられ、そして世間が塩を擦り込む。
 ため込んだ怒りのエネルギーの発散場所を求めて、大人たちを、人間を信じられなくなった子どもたちが荒れる。そしてそのことを理由に、児童養護施設出身者に対する偏見と差別が増大する。

9・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:36:03
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2001/me010511.htm
 多くの子どもたちが、児童養護施設出身者であることを他人に知られることをとても恐れる。施設出身だということを知って、手を差し伸べてくれる人間より、傷つける人間のほうが多いことの証でもある。
 そんななかで、いろいろ酷い目にも、苦しい目にもあったけれど、今は自立して生計をたて、著書まで出して名乗りをあげた佐々木さんの存在は、多くの児童養護施設出身者にとって、希望の光となるだろう。会合で挨拶された佐々木さんは、とても堂々として輝いて見えた。
 この本を支えにして、今回も退寮生が施設を訴え、証言してくれるひとも見つかったという。
 「自分が自分であるために」それは、児童養護施設の子どもたちだけでなく、また子どもたちだけでもなく、多くのひとたちへのメッセージでもあるだろう。
 第一回公判は、5月28日(月)午前10時から八王子地裁で行われる。
 これからの裁判の行方に注目したい。そして、児童養護施設のあり方にも。
 現在も発せられている子どもたちのSOSの声にひとりでも多くのひとに耳を傾けてほしいと思う。
 どんな環境に生まれようと、彼らがこの国の未来であることに変わりはない。その子どもたちを救えないような国に、明るい未来が拓けるはずもない。

10・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:36:35
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me020424.htm
2002/4/24 児童養護施設・生長の家 神の国寮 児童虐待裁判(ワ 第990号)の報告と裁判について
 2002年4月22日、神の国寮と虐待を行った職員を訴えた裁判(「わたしの雑記帳」バックナンバーme010511参照)の公判に、八王子地裁に行ってきた。
 303号法廷。傍聴席は4人掛けが4つの計16席しかない。しかも、同時に5〜6件の民事裁判を行う。
 裁判官はひとり。今回から交替したという女性の裁判官(30〜40歳代くらい?)。右陪席も左陪席もいない。事件名は言わず、公判番号と原告・被告の名前を読み上げては、原告席と被告席が次々と入れ代わり、同じ裁判官が次々に裁いていく。傍聴人も、自分の関心のある裁判が終わると席を立っていく。今まで傍聴してきた裁判に比べて、この裁判は裁判所の扱いが不当に小さいということなのだろうと、私自身は判断した。
 2件ほど、原告席に本人訴訟と思われる人が座った(男女各ひとりずつ)。弁護士を介さずに自分で渡り合う。被告席には弁護士が座る。金銭的な理由や、弁護士の引き受け手がいない場合、原告本人に法律知識がある場合などに本人訴訟を行うことがあるとは、ものの本で読んだことがあるが、実際に見るのは初めてだった。
 裁判官は、原告に対して、わかりやすく説明していた。本人尋問のやり方として、事前に原告が質問事項を書き出してくれば、当日、裁判官が質問を読み上げ、原告がこの訴訟にはどういう理由があるのかを答えればよいと言っていた。本には、相手の弁護士は専門家であるのだから、素人が太刀打ちするのは無理だなどと書いてあったが、思っていた以上に本人訴訟はあるのかもしれない。
 労働裁判か何かで、あちこち依頼した弁護士すべてに勝てないと言われて断られた訴訟で、本人訴訟以外に道がなく、がんばった結果、勝訴を勝ち取った例があるというのを聞いたことがある。ここでも、頑張っているひとはいるのだと思った。
 さて、該当の公判。次から次へと流れ作業のように処理されていく裁判。10時からとなっていたが、なかには多少長いものもあって40分ほど経過。原告の名前をよく覚えていなかったので、しかも、公判番号を控えていなかったため、書類の確認と次回期日とで、5〜6分で終わってしまったなかに、すでにあったのではないかと不安になってきてしまった。
 しかし、該当の公判では、平湯真人弁護士をはじめとする弁護団と、原告の男性とがずらりと並んで入り、それまでの裁判とは明らかに違う雰囲気で行われた。

11・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:37:00
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me020424.htm
 公判が始まってほぼ1年たつはずだが、まだ書類のやりとりの段階が続いていた。足りない書類等についての提出期日の確認等が行われて、すぐに次回期日(6月24日10時00分 303号室)が決まった。
いつもは公判のあとに説明があるとのことだったが、弁護団はこの後すぐに移動があるということで、残念ながらその日は話を聞けなかった。代わりに、「自分が自分であるために」を書かれた佐々木朗(あきら)さんが来ていて、原告のAさんと一緒にファミリーレストランで話をきくことができた。
 裁判はまだ書類のやりとりが続いているが、そろそろ証人尋問がはじまるだろうということだった。
テレビや「STOP児童養護施設内虐待」 http://www32.tok2.com/home/gyakutai/ で取り上げられたこともあって、当初はマスコミや大勢の傍聴人が押し掛けたが、ずっと書類のやり取りが続き、平日に仕事を休んで遠くから来ても、わずか10分程度で終わってしまうので、だんだんひとがすくなくなっていったという。ただ、そんな中でも、支える会の女性2人はずっと変わらずに傍聴に来てくれているという。
 Aさんと少し話して、児童養護施設・二葉学園での職員による体罰を訴えたFくんを思い出した。(http://member.nifty.ne.jp/takashikoseki/yougo3.html 参照)大柄なわりにシャイな感じ。ひととしゃべるのが苦手という雰囲気。
 形の上では、わずかながらも損害賠償金を得て勝訴したかのようなFくんの裁判だったが、実質的には敗訴の感が原告側には強かった。その裁判のなかで、証言台に立ったFくんは、裁判官の威圧的な態度やシャイな性格、馴れない場所のせいで、自分の思ったことをうまく話せなかったことを悔やんでいた。反対尋問で、児童養護施設に預けられたいきさつや母親のことなど、触れられたくないプライバシーに触れられて傷ついていた。一審判決に不満を持ちながらも、周囲の控訴を勧める言葉にもついに頷くことはできなかった。同じ思いをAさんがすることのないようにと、願わずにはいられない。
 闘うひとの勇気が判決でくじかれたとき、あとに続く人びとの気持ちをも砕かれてしまうことがある。
 水戸アカス裁判で、知的障害のある女性たちの経営者の男性に性的虐待・暴行を日々受けていたという証言が採用されなかったことを知って、養護学級で担任から性的虐待を受けた少女の親が訴えを取り下げたということを何かの本で読んだ。世間にさらしものにされるだけされても、訴えが実を結ばない。その結果、多くの被害者の声を塞いでしまった。弱い立場のひとほど、受ける影響も大きい。お金と名誉と、持てるもの全てをかけた結果が、司法からの拒絶であったなら、生きる気力さえ失いかねない。多くの被害者は余裕があって、裁判をしているわけではない。やむにやまれぬ気持ちで、他に方法がなくて、裁判に訴えている。裁判はやはり勝たなければダメだと思えてくる。弱い立場のひとが、裁判で勝ってはじめて、多くの人々に希望の光がさす。

12・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:37:23
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me020424.htm
  裁判官には、判決を出す前に、その裁判が世の中に与える影響について、もう一度よく考えてほしい。勇気をもって訴えた原告ひとりが辛い思いをするのではない。場合によっては、将来にわたって同じ思いをする人びとをつくり続けることになる。いじめ裁判で、学校の責任、加害者の責任が認められて来なかったから、学校の事故を告発した裁判でも、学校の責任、教師の責任が認められて来なかったから、学校は変わらなかった。加害生徒、加害教師を排出しつづけてきた。子どもたちは殺され続けてきた。
同じように、児童養護施設という、本来、子どもたちを守るべき場所で虐待が行われて、それを司法が放置するならば、施設の体質は変わらず、これからも何十、何百人ものAさんやFくんが生み出される。子どもたちの心と命が危険にさらされる。
法的に罰せられるものに対しては、組織も個人も、あらゆる努力と工夫で再発防止に務めるだろう。しかし、訴えられても原告が負けるとわかってたら、どれだけ通達を出して命の大切さを訴えたとしても、様々な理由をつけて何も具体的な対策を行わない。その間に事件は繰り返される。司法の役割と責任は大きい。

13・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:41:32
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me020628.htm
2002/6/28 生長の家・神の国寮の公判(ワ 第990号)の傍聴報告
 2002年6月24日、八王子地裁で、生長の家・神の国寮での児童虐待に対する公判が行われた。
前回は、該当の事件の口頭弁論(実際には書類のやりとりがほとんど)が始まるのが開廷から50分ほど経過してからだったが、今回は10時の予定が15分には始まった。
 合田智子裁判長は、素人にもわかる言葉で、とても丁寧におだやかに話されるので、今まで、多くのそうでない裁判官(仏頂面、ボソボソと何を言っているか聞き取れない、威圧的)ばかり見てきたなかで、もしこの人がそのまま最後まで担当していたら、いい判決がもらえるかもしれないと、つい期待してしまう。もっとも、戸塚大地くんの裁判のときも、良識的な感じの年輩の女性裁判官で、判決を期待していたら、途中で男性の裁判官に代わってしまったから、同じことがないとも限らないし、見た目と判決内容が必ずしも一致しないこともあるので、そのあたりはわからないが。
 今回は、原告側が出してきた園の安全配慮義務について、被告の園側が提示してきた準備書面は、「親権者がいる者に対する安全配慮義務」の内容だったということで、「親権者がいない者に対する安全配慮義務」について、原告代理人から、次回までにきちんとした答弁をお願いしたいと要望があった。
裁判官はも、そろそろ証人尋問についても、話し合っていきたいとした。

14・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:41:54
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me020628.htm
 公判は10分程度で終わったが、1階ロビーのところで、原告代理人の平湯真人弁護士から、今までの裁判の流れをざっと話していただいた。
原告側は、園で受けた暴力の後遺症により、障害等級3級の障害で左手が使えないことから、就職してもたびたび解雇されるなど被害を被ったとして、虐待した職員と、園に対して損害賠償請求訴訟を起こした。
対して、園側は、けがはフォルクマン拘縮を起こすような重傷ではなかったして、後遺症の原因を医療過誤に求めた。また、障害の程度も職業選択や日常生活には何ら支障はないと主張。
また、園生たちがやったこと(園生たちにやるように仕向けた)として、職員が直接がやったわけではないとして、園生たちに責任を転嫁した。
さらにこの事件は1987(昭和62)年7月(Aさんは当時10歳)。提訴したのが2001年4月10日(Aさんは23歳)。すでに時効であると主張。
 時効の問題は、おそらくこの裁判の最大の焦点になるのではないかと思われるが、原告側の弁護団は、Aさんの場合、権利を行使できたのにしなかったのではなく、親代わりの園の職員からの虐待であり、提訴することができる条件になかったことを主張。また、怪我のせいで仕事も見つからず、そういう中で、裁判も起こせない状況にあったと主張したという。
 いずれも、2001年5月1日に、霞ヶ関の弁護士会館で行われた「全国養護問題研究会」の緊急学習会(me010511)で、弁護団側が予測したほぼ範囲内という感じだ。児童養護施設の問題や子どもの虐待について著書(子どもの人権双書 第1巻「家庭の崩壊と子どもたち」、第2巻「施設でくらす子どもたち」/明石書店/1648円税込)のある平湯弁護士だけに、そういう点では安心して見ていられる。

15・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:42:20
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me020628.htm
 昨日(6月27日)は、かつて(1992年12月)児童養護施設・二葉学園の職員に暴力をふるわれてけがをし(後遺症なし)裁判を起こしたFさんと会った(me020424参照)。
 彼の場合、職員らに10万円の損害賠償を命じる判決が出た。しかし、改めて聞いてみると、原告代理人の相川弁護士はほとんど手弁当でこの訴訟を引き受けてくれて、裁判費用は法律扶助協会から30万円を借り入れたという。結局、金銭のことだけを言えば、賠償金命令は出たものの、20万円のマイナスとなった。それでも、「相手の謝罪が欲しかった」とするFさんは、裁判をしたことを後悔してはいないと言う。(実際には、職員からの謝罪はなく、判決も必ずしも納得のいくものではなかったが)
 Fさんのことをずっと見守ってきた男性は言う。裁判を通して、Fさんはめざましい成長を遂げたと。最初の頃に比べて、本人の問題意識が変わってきたと。
 判決が出たのが、1998年9月7日、当時19歳。その当時、私が報告会で会ったときには、裁判に幻滅をしていた。内容的には控訴すべきという周囲に対しても、もうしたくないと言っていた。
 今、23歳になって、振り返ってみれば、ということなのだろう。
 彼は今も、無口ななか、時折鋭い眼光で睨むようにひとを見る。
 当時はずいぶんと暴れたりもした。暴力もふるったという。自分たちは人間扱いされていない。モノ扱い、オモチャ扱いされてきたという。オモチャ扱いとは、気に入った子どもは可愛がる。性的な意味も含めて(世間知らずの児童養護施設の少女を愛情をエサに愛人に仕立てることなど造作もない)。気に入らない子どもは放置する。園から追い出す。気に入らない子どもを追い出しても、措置制度でいくらでも次の子どもが来るから、自分たちの収益に影響はないから、職員は好き勝手にできると言う。

16・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:42:42
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me020628.htm
 「暴力ふるってスカッとした?」私の質問に、いくらやっても暴れたりない感じがしたと答えた。
今も、彼のなかに「怒り」を見る。誰に対しての怒りなのか。大人たちへの、社会への、親への怒り?そして思い通りにならない自分への?もう、大人入りした。社会人になった。やがて親にもなるかもしれない。それでも彼のなかの「怒り」の炎は消えていない気がした。
 虐待を受けるということ、いじめや体罰を受けるということ。その人の人生に落とす影は、周囲が予想するよりはるかに深刻だ。Fさんの場合は、ほんとうに親身になってくれる大人がいた。何度裏切られても見捨てない人間がいた。だから今、私たちとも笑って話すことができる。
 そういう人が誰もいなかったら?立ち直るのはもっともっと困難だろう。
 ある少年は子どもの頃からずっと、ネグレスト状態にあった。トイレのしつけも、食事の世話も、満足にしてもらえず、中学に入ってから、親との力関係が逆転した。一番弱い祖母にあたる。殴っては年金を取り上げていく。親は、口では止めても、本気でやめさせようとはしない。ネグレストのあとは、今度は自分たちには手に負えないとして、逃避を決めた。いっそ、犯罪でもおかして少年院や刑務所にでも入って、自分たちの前からいくなってくれることを願っている。
 この少年のなかにも、きっと「怒り」がいっぱいに違いない。それでも、子どもというものはどこかで母親を憎みきれない部分があるのだろう。母よりも祖母にあたる。
 今さら、親をせめてもどうしようもないことはわかっている。暴力をふるう少年が悪くないとは言わない。しかし、今はすっかり悪者にされているこの少年をつくったのは大人たちだ。親だけでなく、どこかに本気で、この少年に関わってくれる大人がいたら、少しは違っていたかもしれないと思うと、とても残念だ。
 それが、けっして容易にことではないとはわかっている。本気で取り組んだからといって、すぐにわかってくれるものでもないから。殴られたり、ナイフで刺されたりするのは誰だって嫌だ、恐い。
 だからせめて、子どもが小さいうちに、一番、ひとの愛を素直に受け入れることができる時期に、もっともっと大人たちが真剣に子どもたちの問題に取り組まなければならないと思う。

17・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:43:05
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me020628.htm
 一度、愛情の飢餓状態に陥った人間はきっと、大きくなってもずっとひと以上に愛情を強く求め続ける。その思いが強すぎて、独占欲が強くなったり、相手の言動に過剰反応してしまったりするのだろう。
 深い愛情をすべての子どもたちにかけることが無理ならばせめて、少しずつでもいい、もっともっと多くの人の愛が子どもたちを包むことができれば、ささくれだった心を、怒りを、少しは和らげることができるのではないだろうか。
 児童養護施設という、虐待を受けた子どもたちが多く入所する施設で、虐待などあっていいはずがない。虐待問題はともすれば、親から保護して施設に入れさえすれば解決したと大人たちは思いたがる。しかし、その施設にはぬくもりがなく、かといって逃げ出す場所さえない。子どもたちのなかに大人たちへの不信感が累々と蓄積されていく。
 日本の児童養護施設は海外のNGOとは違う。国費、税金でまかなわれている。建物はりっぱでも、中身はどうだろう。もちろん、そうでない施設もあるだろう。本来は、それが当たり前。
ところが、現実には、「福祉」と名の付くものはいずれも惨憺たるありさま。誰が悪いのか?これは絶対に行政の責任だと思う。箱物を作っては、すべて丸投げ状態。金だけ出して、チェック機能を果たしてこなかった。そして、職員ほかからは、いろいろな要望が出されて改善もされて、受け入れる側のことは考えても、一番声の出しにくい、そこで暮らす人間のことを、本来主役であるはずの人たちのことを、そのひとの身になって真剣には考えてこなかった。施しをする、やってあげている、文句を言わずに従っていろ、という感覚でしかなかった。

18・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:43:27
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me020628.htm
 たしかに、今現在、人権侵害されている人びとをなんとか救済しなければいけない。
 同時に、これからはそうならないように、例えば法律など根本的なところから、解決していかなければならないと思う。二度と同じ人権侵害が起きないようなシステム。それには、専門家の意見を入れるのもいいだろうが、もっと当事者の声を反映させたものでなければいけないと思う。
 誰のための法律か。一番、弱い人たちに焦点をあてたものでなければいけないと思う。一番に国の援助を必要としているのは、そういう人たちなのだから。人間、元気なときには助けなどなくてもなんとかやっていける。そして、もしも、病気をしたら、障がいを負ったら、人生につまずいたら、そういう時の国のサポートがしっかりできているなら、元気なひとはますます元気に頑張れると思う。
 なんだか、途中からだいぶ、横道にそれたみたい・・・。でも、まっ、いっか!

19・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:43:59
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me021126.htm
2002/11/26 児童養護施設「生長の家 神の国寮」の裁判。原告青年の証言。
2002年11月21日、八王子地裁で、元園生のAさんが、児童養護施設「生長の家 神の国寮」の元職員と施設を訴えている民事裁判のはじめての証人尋問を傍聴に行った。今回は原告青年Aさんの証言。主尋問、反対尋問あわせて3時間近かった。その間、裁判官は時間をせかしたりせずに、じっと原告青年の証言に耳を傾けていた。判決がどうでるかは別にしても、ひどい裁判官をたくさん見てきた私には、この裁判官(合田智子裁判長)の姿勢は原告青年にとってとてもありがたいものだと思った。

一般的に児童養護施設の出身者の多くはコミュニケーションが苦手だ。親から虐待を受けていたり、養育してもらえなかったことで、自分自身を価値のないものと思っている。自分に自信が持てない。加えて、閉鎖的な施設の生活のなかで、様々な人とのコミュニケーションに馴れていない。更に統制が強かったり、職員からの虐待があるような施設では、自分の意見を言ったり、主張することさえ体罰の対象となる。そんな場所で多感な時期を過ごした子どもたちが人間不信になったり、自分の意見を言うこと、相手に理解してもらうことへのあきらめから、人と話すことが苦手になるのは当然のことだろう。Aさんもシャイな雰囲気で朴訥としたところがある。

しかし、心配していたにもかかわらず、Aさんは落ち着いていた。緊張のため昼御飯を食べられなかったこともあって、声は小さく、たびたび原告弁護団や裁判官や書記に注意をされるという場面はあった(けっして高圧的ではない態度にほっとした)が、きちんと裁判長のほうを見て、一つひとつの質問に丁寧に答えていた。

まず、原告弁護団の質問に答える形で、1987年7月8日、当時小学校4年生(10歳)の記憶を辿る。
きっかけは、給食費がなくなったこと。場所は職員居室。夕食を食べ終わったあと、職員のMに呼びだされて、「お金がなくなったのはお前のせいだ」と言われ、殴られたり蹴られたりした。4畳半くらいの部屋にはMのほかにも3人の職員が出たり入ったりしていたという。
どのようにと問われて、「素手で、平手やグーもあった」「お前が盗ったんだろうと言われ、わけのわからないまま殴られていた」とAさんは答えた。「給食費を盗っていない。ほんとうは認めたくなかったが自分だと言わないと殴られ続けると思ったので認めた」「一人でやったんじゃねえだろう。共犯者がいるんだろう」と言われて、何か言わなければまた殴られると思い、仕方なく、当時職員から目をつけられていた3人の名前をあげた。

20・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:44:26
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me021126.htm
名前のあがった児童が一人ずつ呼びだされた。最初にYくん。「お前もこいつと一緒に盗ったんだろう」と怒鳴り散らされたが、Yくんは否定し続けた。時間にして4〜5分。Yくんが殴られていたかどうかは覚えていない。しかしYくんの言い分は認められた。Mは「こいつがお前のせいにしたので、殴っていいぞ」と言い、Yくんから平手で一発殴られた。MOくんも同じように追及されて否定し、Mから殴っていいぞ」と言われた。

そして最後にKくん。5〜10分間、Mはすごい口調で怒鳴り散らし暴力を振るった。Kくんは「盗っていない」とずっと叫んでいた。最初はKくんの言い分を認めなかったが、そのうち認めて、「こいつのせいでお前が殴られたんだ」と言い、Aさんを殴らせた。Kくんは怒っていたので蹴ったり、殴ったりしたという。職員はみな近くにいた。2〜3分でMが「もうそれくらいでいいだろう」と言って止めさせた。

その後、またMから殴ったり、蹴ったりされた。「何を他人のせいにしているんだ」「(盗った金を)何に使ったんだ」と言ってすごく強くやられた。「自分一人でやって、一人で使った」と言った。ずっと正座をさせられていたが、殴られたり蹴られたりしているうちに、倒れ込むこともあったり、無理矢理立たされたこともあった。途中、2階の部屋に移されて追及されて、夜中の3時頃まで全身に暴行が続いたという。

左手がすごく痛くて、Mと一緒に部屋にいた職員のO(Mの言うことならなんでもきく、Mの手下みたいな職員)に伝えたが、「朝になって痛むようなら言ってこい」と言われ、また殴られそうに思えたのであきらめて部屋に帰ったという。「全身が痛くて眠れなかった」「手の動きが硬直したようだった」「指先がしびれて手の感覚がなかった」とその時の様子を証言した。

翌朝、OがAさんを車で病院まで連れていった。職員に殴られたことは言うなと言われた。学校で教師にけがの理由を聞かれたときも、Aさんは、階段で転んだと答えたという。
反対尋問のなかで、なぜ本当のことを言わなかったのかと聞かれて、言っても信用してくれないと思ったとAさんは答えた。また、他の園生にも言えなかった理由として、職員にばれたらまた殴られると思ったと答えた。

21・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:44:49
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me021126.htm
その後、中2の冬までにAさんは3回の手術を受けることになる。別のところから筋肉を移植したりもしたが、大きな傷跡(法廷で上着を脱いでAさんは裁判官に傷跡をみせた。後ろからチラリと見ただけで筋肉をとった腕が大きく変形しているのがわかった)を残しただけで結局、腕はよくならなかった。ただ、病院に入院しているあいだは、殴られる心配もなく、看護婦さんがかまってくれることもあって、普段よりむしろ活き活きとしていたらしい。

Mなりに責任を感じていたのか、MがAさんのリハビリを行った。畳のうえに手を置いて、足で踏んづけられた。痛くて毎日大声で泣き喚いたという。しかし、痛いだけで効果はなかった。(このリハビリと称されるものが、ほんとうに理学療法的根拠に基づいたものだったか非常に疑わしい。リハビリと言われ、お前のためだと言われれば、殴られることを恐れてのこともあり、Aさんはおとなしくされるままにならざるを得なかったが、単なる素人考えで治療とは関係なく、ただ激痛を与えるだけのものだったとしたら、虐待以外の何ものでもないと思われる)

一方で、けがが原因で左手が使えないからと言って、日常的な配慮は一切されなかったという。至近距離からドッジボールやキャッチボールを強要されて、うまくとれず、「なんでされないんだ!」と取れるまで練習を続けさせられたりしたという。(神の国寮ではこのほかにもスポーツを隠れ蓑にしたシゴキ=虐待が行われていたという)仲間との思い出を別にすると、Aさんにとって神の国寮でのいい思い出は何もないという。児童を保護する施設でありながら、子どもが幸せを感じられる施設になっていない。まして家庭で虐待されたり、愛情を与えられなかった子どもたちならばなおさら、愛情たっぷりに育てられるべきだと思うが。経済的困難さゆえに設備が整わない海外のNGO施設でさえ、子どもたちを幸せにできる環境を努力してつくっているというのに。

その後、Aさんは高校卒業の前の年、障害者手帳を交付される。就職も障害者枠での採用だった。そのために仕事は印刷会社で段ボールを運ぶなどの単純作業だった。しかし、左手がうまく動かず、他人より仕事が遅い。給料も約束より安く拘束時間も長いので仕事を辞めた。その後は仕事を転々とする。手が不自由であることを黙って就職して、バレてクビになったこともある。今も一日中働いて、アパートには寝に帰るだけのきつい仕事をしているという。

22・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:45:14
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me021126.htm
裁判を起こした動機について聞かれて、佐々木朗さんの「自分が自分であるために」(文芸社)が大きなきっかけだったという。母親がAさんを探し出してくれて一緒に暮らすようになったき、けがのことを説明しても、友だち同士のけんかで不自由になったという職員の言葉のほうを信じて、福祉の職員がそんなことをするはずがないと信じてもらえなかった。それが佐々木さんの本が出て、ようやく信じてもらえた。それでも最初は、裁判を起こすことについても今さらと思っていた。しかし弁護士さんたちの協力や他の施設でも虐待があることを知って、施設内虐待をなくしたいと思い、裁判をやろうと決心したという。

被告側の弁護士は3人。かなり高圧的な態度だった。内1人は聞いていても腹が立った。まるで被疑者の取り調べかヤクザの脅し。口調も態度も「恫喝」(どうかつ)とはまさにこのことだと思わせるものだった。細かい部分を何度もくどく追及し、さらには法廷で、原告の人格を貶めるのが目的としか思えないような質問を次々と浴びせた。被告弁護士は、原告弁護士の「あなたがたがこのような質問をするのは、そのことによって職員の暴行を正当化しようという意図ですか」の質問に思わず「そうだ」と答えて、あわててうち消した。ちなみに、被告側は職員が原告青年に暴行を加えたことすら事実とは認めていないという。

もちろん、原告弁護団は何度も「待った!」をかけたが、「こちらの尋問の番だ。発言を慎め!」などと開き直った。聞いていて胸が悪くなるような質問にもAさんはよく耐えた。表情やモーションたっぷりに脅しにかかる被告弁護士を見ずにまっすぐ、穏やかな顔の女性裁判官の顔をみて、一つひとつの質問にカッカすることもなく答えていた。わからないこと、覚えていないこともごまかさずに、正直に答えていると傍聴人に感じさせた。

23・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:45:53
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me021126.htm
赤い羽根募金から100円をとってガチャ玉に使ってしまったなどという、ふつうに考えれば、どの家庭の子どもにでも充分にあり得る、むしろほほえましいくらいのエピソードでさえ、攻撃の手段として使ってきた。小学生のたった1500円のお小遣いですら、自分自身で好きに使うことが許されず、職員同伴で買い物に行かなければならなかったなどという、ノーマライゼーション(普通の生活)とはほど遠い生活を異常とも思わずに被告側弁護士が自ら披露し、水鉄砲やプラモデル、カメなど、当時流行のおもちゃを買えるはずがないのに持っていたのはなぜかと詰め寄る。金額的に大して値の張るものではないこれらの子どもなら誰でもほしいと思うおもちゃを買う自由がなかったこと、持ち物すべてを施設職員がこと細かく把握し記録までされている、つまりプライバシーが全く守られていなかったことを被告側は自ら暴露したことに気づかない。中学か高校の時にオキシドールで髪を脱色したこと、ボンタンズボンをはいていたこと、Mを呼び捨てにしたことなど、一般家庭なら問題にもならない、法廷であげつらねる必要がなさそうなことまでも、得意げに並べ立てた。

原告の名誉のために、ここではこれ以上、多くを触れない。しかし、いくら被告側が原告の悪い点を挙げ連ねて、自分たちの行為を正当化しようとすることが常套手段とはいえ、この場合、被告の神の国寮は青年にとっていわば親がわりに育ててきた施設だ(もちろん国からの措置費をたっぷりともらって)。自分たちの施設の子どもの問題行動は自分たちの子育ての失敗だとは思わないのだろうか。それを言うことは天にツバする行為だとは思わないのだろうか。何より、そこには自分たちが育てた子どもに対しての愛情がカケラも感じられない。そして、このようにいざ裁判になったときには、施設側が子どもに関するすべての書類、証拠、プライバシーを握っていることの問題を浮き彫りにする。

なぜ親と暮らさないのか、なぜ面会した親に当時、職員からの暴行を話さなかったのかと詰問する。二葉学園の元園生が体罰を行った職員を訴えた裁判でもそうだった。児童養護施設で暮らさなければならなかった子どもたちにとって、一番触れられたくない親のこと、親との関係について、事件とは全く関係がないにもかかわらず、わざと法廷の場でしゃべらせようとする。
どんな事情があるにせよ、長年子どもを施設に預けていた、ましてや神の国寮のようにひどい施設に預けていた。そのことで子どもが親を恨んで、成長してからもその関係がうまくいかなかったとしても、責任は子ども側にはない。これがもし、神の国寮が子どもにとって暖かな心安らぐ居場所であったなら、少し寂しい思いはあっても、親への信頼関係もまた変わっていたかもしれないとは思わないのだろうか。

24・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:46:16
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2002/me021126.htm
毎日、殴られるのが当たり前の生活。何ひとつ自由にならない、思い通りにならない生活。職員の機嫌をうかがう毎日。愛されている実感などとうてい持てるはずのない生活。親から虐待されること、親元から離されることだけでも辛いのに、多感な時期にそんな生活を送らざるを得なかった子どもたちが、何の問題もなく、健やかに成長することができるだろうか。自分たちには何ひとつ落ち度がなく、ただ両親に理由があって養育ができなかったというだけの幼い子どもたちにひたすらがまんだけの毎日を強いたことに、施設側は今だ何の反省もない。
この裁判ではあくまで一番わかりやすい左腕が障がいを負った事件だけを問題にしている。しかし、実際にはその陰に数え切れないほどの人権侵害があった。園に在籍した子どもたちが、国の措置費が支払われるなかで、職員から家畜のような扱いを受けてきた。虐待を行っていた職員は一人ではない。殊更ひどいのはMだったとしても、園そのものがそういう体質を持っていた。

千葉の恩寵園で、あれだけマスコミに騒がれて世間で取り沙汰された後も何年も虐待は続いていた。児童養護施設の持つ閉鎖性。私たちには、今も神の国寮で虐待が行われているかどうか知る術はない。少なくともMが今はその施設にいないことの確認だけはとれているが。Mはまだどこかの施設で懲りることなく同じ行為を繰り返しているかもしれない。また、Mが去ったあと、第二、第三のMがいたかもしれない(実際にMの前にも虐待職員は神の国寮にいた。虐待は繰り返されてきた)。
閉鎖性をうち破るためには、過去の問題からまずは明らかにしていかなければ、今も起き続けているかもしれない問題にメスを入れることはできない。

次回、2003年2月20日(木)、14時から16時の予定で、八王子地裁401号法廷にて、元園生の勇気ある証言が得られる予定。Aさんと仲間でありながら、Aさんを殴らざるを得なかった。無実でありながらAさんにお金を盗った仲間と名指しされた彼もまたMの被害者だ。

余談だが、今回から体育の授業中の事故で亡くなった戸塚大地くんの裁判を担当した坪井節子弁護士が新たに弁護団に加わった。(購入したのは1年くらい前で最近になってようやく読んだ「養護施設の児童虐待 たちあがった子どもたち」/恩寵園の子どもたちを支える会編/明石書店で、恩寵園の裁判にもこの裁判の原告弁護士の平湯真人弁護士や坪井弁護士がかかわっていたことを知った)

25・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:46:49
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030223.htm
2003/2/23 児童養護施設「生長の家 神の国寮」の裁判(2003/2/20)傍聴報告。元寮生の証言。
「生長の家 神の国寮」の裁判、今回の証拠調べは元寮生のKさんの証人尋問。午後2時から始まる予定だったが、事情があって証人の到着が遅れ、約45分遅れの開廷となった。傍聴人はきちんと数えたわけではないが16、7名ほど。

冒頭で原告代理人弁護士に「どうして裁判で証言しようと思ったのですか?」と聞かれたKさんは、「寮で生活し今までも何人かけがをしている人があって、今後もあってほしくないから」と答えた。
かつて、児童養護施設職員の暴力を告発した元二葉学園の園生・Fさんも同じ理由で民事裁判を起こした。おそらくAさんも思いは同じだろう。

それにしても、Kさんは本当によく証言台に立ってくれたと思う。この裁判でKさんは被告ではないが、Aさんに暴力を振るったとして周囲から責められるかもしれない。社会の様々な差別や偏見にさらされて、児童養護施設出身者であることを隠して生活するひとは多い。ましてその施設がけっしていい思い出の場所でないとしたら、「思い出したくもない」日々であることは想像に難くない。過去を責められるかもしれない、いやな思いをさせられるかもしれない場所に、年齢も異なり、そう親しくもなかったAさんのために、自らの意思で出向いてくれたKさんの勇気を讃えたい。
以下、慣れない場所での緊張感でKさんの声が小さく、よく聞き取れなかった箇所もあるが、概要を記したい。

26・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:47:12
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030223.htm
「神の国寮はどういうところでしたか?」と聞かれたKさんは「刑務所に近いところ」と答えた。後の補足質問で具体的な内容を問われて、全体的に暴力が絶えない、殴られたりする、半強制的に操作がなされ失敗すると罰が与えられた、自分たちの言いたいことが言えない、やりたいことが自由にやれない、などをあげた。
子どもを守る場所であるはずの児童養護施設が、罪に対する罰と矯正のために存在する施設のようだったという。親と一緒に暮らせない寂しさを差し引いたとしても、この言葉は寮での生活を何よりも雄弁に語っているだろう。重大な罪を冒した少年たちでさえ、半年から2、3年で施設から出られる。何の罪のない子どもたちが選択肢もなく、下は保育園から、上は中学、高校までの年齢に達するまで、この刑務所のような施設で暮らさなければならなかった。あるいは現在も暮らさざるを得ないことの責任を国はどう考えるのだろう。

事件があったのは、昭和62(1987)年7月8日。当時、Kさんは中学校3年生。原告のAさんは小学校4年生。KさんのほうがAさんより5歳年上になる。
夜7時頃、みんなと食堂にいたKさんはMに呼ばれて1階の職員室に入った。いきなり理由も何も聞かされず「何かやっていないか?」と聞かれ、「何もやっていない」と答えた。再度、「本当はやったんだろう」と聞かれて、「やっていない」と否定すると、MはKさんを座らせて胸ぐらを掴んで殴ったり、蹴ったりしたという。

その後、Kさんは一旦、食堂に戻されている。ここでも、前回のAさんの証言にもあったが、周囲の寮生たちは関わりを恐れて何があったのか尋ねるようなことはしていない。
暴力を振るう職員の顔色をうかがって、子どもたちが自由にものを言える雰囲気になかったことがわかる。

食堂に戻ったあと、もう一回呼ばれて、今度は2階の角部屋に行った。そこには、Aくんと職員のMがいた。Aくんがなぜそこにいるかはわからなかったが、その弱々しい様子から何かあったあとだとはわかった。自分にも危機感を覚えたという。
ここでMから再度、「やったんだろう」と言われ、「やっていません」と言うと、殴られたり蹴られたりした。

27・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:47:37
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030223.htm
その後、MはKさんに「自分でないなら、お前は悪くないから、こいつが悪いから、なぐっていいよ」と言った。Kさんが躊躇していると、Mは2〜3回、「やっていいよ」と言ったという。Mに(逆らって)目をつけられたら大変だし、Mから(誤解したことに対して)謝りもなかったのでイラついて、殴ったり蹴ったりしたという。(補足質問の中で、それまでの経験から、従わなければ自分自身が殴られるか蹴られると思ったと答えている。)頭にきていたので力一杯殴ったり、蹴ったりしたという。2〜3分くらい、息が切れるくらい続けた。その間、見ていたMから「やめろ」と止める言葉はなかったという。Kさんが暴行をやめたのは、止められたからではなく、息が切れたから。Kさんがやめてから、Mは「もういいだろう」と言ったという。

Mの暴力についての質問では、殴られたことはよくあったという。また、野球の練習で至近距離でキャッチボールをさせて、ボールを落とすと蹴られたり、もっと至近から投げられたりした。ドッジボールでも至近距離から投げられて、恐くてとれなかった。突き指をしても病院に連れていってくれなかったという。また、寮生同士をけんかさせたり、ケツバットをするという話は他の寮生から聞いたことがあるという。5〜6年間、Mのいるなかで生活したが、関わりたくないと思ったという。

被告代理人からの反対尋問では、陳述書の内容はあっているか、いないか、今の記憶とは違っている部分はどこなのか、誰が書いたのかなどが矢継ぎ早に質問された。具体的に文章のどの部分を指して、どういう意図で言っているのかがわからず、証人にとまどいが見えた。結果的に、「あっていると思う」とKさんは答えた。

また、今の職業や中学を卒業した後の専門学校の話など当たり障りのない質問がいくつか出された。(あとで考えれば、結果的にKさんのこの部分に何ら後ろ指をさされるようなことが出てこなかったので素通りしたが、もしKさんが人生の様々な挫折を経験していたとしたら、あるいは攻撃の材料にされていたかもしれないと、疑心暗鬼かもしれないが思えた)
また、Aさんが裁判を起こしていることを知ったのはいつかとか、神の国寮の元寮生との現在のつきあい、当時のAさんとの親しさなどに話が及んだ。要するに、親しくしているAさんのためにあえて、Aさん側に有利な証言をしているという印象を与えたかったのではないかと思うが、Kさんの回答は、連絡をくれたのは弁護士で、元寮生との付き合いはひとりくらいであとはほとんどないこと、当時もAさんとは学年も違っており親しくはなかったことなどが話された。

28・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:48:00
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030223.htm
反対尋問の中心的内容は、Kさんが中学3年間続けたというクラブ活動、サッカーのことだった。サッカーをしていて誤って別の寮生の腕を骨折させたことを聞いたり、キック力は強いのだろうと言ったり、利き足を聞いたりした。
また、ほかにも切羽詰まったAさんのウソの供述からMに呼び出しを受けた寮生が、同じように「やっていい」と言われて、1人は何もせず、1人は1回だけ殴ったことを引き合いに出したり、Aさんとの年の差(Kさんが5歳上)を言って、罪悪感はないのかと聞いた。Kさんは、「まずいんじゃないかという意識はあった。(Mが)止めてくれるものだと思っていた」と話した。さらに追い打ちをかけるように、その時の暴行でけがをしたとしたら責任を感じるかと聞かれて、Kさんは「いい気持ちではない」と答えた。
被告側の意図は見えている。要するに、けがの原因をすべて、元職員のMではなく、Kさんに押し付けようとしている。その証拠に被告代理弁護士は尋問の最後に、「この事件に限定したとき、原告(Aさん)が職員に暴行されている場面を見たわけではないんですね」と確認した。

印象的だったのは、事件後、Aくんがギブスをしている様子をKさんは見なかったと陳述書に書いているが、それほど広い食堂でもないのにおかしいではないかと、間取り図まで示して尋問してきたときのこと。Kさんは「楽しい食事をしたことがないので、周りを見回すことはない」と答えた。まさに刑務所のような生活のなかで、楽しいはずの食事の時間でさえ、友人たちと楽しく雑談したり、周囲の様子を気にかけたりしながら食事をするゆとりさえなかったことを証言している。

この裁判はあくまで、Aさんへの暴行にのみに焦点を絞っている。しかし、それを明らかにする過程で神の国寮での生活そのものが、子どもたちへの虐待であったことを、(あるいは現在も続いているかもしれないということを)告発することも同時に意図している。
そういう意味でも、今回のこの証言の果たした役割はとても大きいと思う。

今回、被告側の弁護士は3人。なぜか元職員Mの代理人弁護士は来ていなかった。すべて、施設側弁護士におまかせということなのか。また、被告側はMの証人申請をしていないという。他の職員の証人申請はしているにもかかわらず、肝心の被告本人の証人尋問を避けよう、避けようとしているふしがある。

29・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:48:25
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030223.htm
そのMの消息だが、今は神の国寮にいない。どこへ行ったのか?偶然、元寮生が街でMをみかけたという情報が入った。ジャージ姿で、手に竹刀を持っていたという。身に染みついた恐怖感から、思わず物陰に隠れてしまったという。しかもそれは、ある児童養護施設の近くだった。

Mは、今もまだ別の施設で同じように子どもたちに暴力を振るい続けているのだろうか。前回のAさんの証言から察するに、Mに罪悪感は感じられない。逃げ場のない施設のなかで、今も毎日、子どもたちが殴られたり蹴られたりしているかもしれない。それを止める職員はいない。行政も長い間、放置したままだ。
本来、刑事事件で裁かれるべき人間が、誰も告発できるものがいないまま、結局はこのような形で、寮を出て何年もたってから民事裁判で争わなければならない。多くの子どもたちは、悔しさを抱えたまま、ただ泣き寝入りをするしかない。
税金を使って、この国の未来を担う子どもたちをこんな職員に任せて、行政は何もしない。家庭で傷ついた子どもたちが、再び絶望のどん底へと落とされる。心的外傷は大人になっても尾をひく。こんなことが一体いつまで続くのだろう。

30・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:50:57
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030411.htm
2003/4/11 児童養護施設「生長の家 神の国寮」の裁判(2003/4/10)傍聴報告。元寮生の証言2回目
昨日、八王子地裁の「生長の家 神の国寮」の裁判を傍聴してきた。傍聴人は10数人。午前11時から始まり、12時閉廷予定を20〜30分程度オーバーした。

まずは、法廷の入り口に貼ってある紙をみてびっくり。今回から裁判長が変わっていた。女性から男性へ。松嶋敏明裁判長。今までの裁判官の雰囲気がよかっただけに、どうなることか思った。

しかし、いざ尋問が始まると、今度の裁判官もそんなに悪くなさそう、というのが私の印象。ただ、今回の証人尋問は前回やり残したことの続きで、反対尋問から始まった。主尋問(原告側からの尋問)を書類上でしか知らないというのは、原告側にとって多少、痛いかもしれない。それに原告青年Aさんの証言も、結局、裁判長にとっては書類のみになってしまった。裁判長がどこまで書類を読み込み、原告の思いを受け取ってくれるかは未知数だ。

前回、証人であるKさんが遅れたために、反対尋問から始まった。
前回の内容の確認から始まる。裁判官が替わったためか、前回の証言との矛盾をつくつもりなのか、前回(2003/2/20 me030223参照)と同じ内容の質問が目立った。(実際の会話はですます調。原則、1回の質問で1内容だが、ここではスペースの都合上、並列表記している)

31・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:51:21
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030411.htm
Q:「M先生が『やっていいよ』と言ったから殴る蹴るの暴行を働いた。M先生の性格やいつもの状況から、ここでやらなければ、自分がやられると思ったからやったということだね?」
A:「はい」
Q:「実際に殴れと言われて従わなかったために殴られたことはある?」
A:「自分はないが、目の前で見たことはある」
Q:「AさんがM職員に殴られている現場を見た?」
A:「直接は見ていない」
Q:「なぜAさんがM職員に殴られたと思ったのか、Aさんが弱々しく見えたということだが、血を流していたとか、あざがあったとかあったのか?」
A:「血やあざはなかった。でも、普通に立ってはいなかったので。普通だったらまっすぐ立っているところを、ちょっとかがんだ感じで普通に立っていなかったから」
Q:「あなたがAさんを殴ったり蹴ったりした時、その場にいたと記憶している職員は誰か?」
A:「M先生だけ。他は記憶にない」
Q:「M先生以外に、寮生は誰がいたのか?MOくんは?Yくんは?」
A:「MOくんはいた。Yくんはいなかったと思う」
Q:「MOくんとは別々に呼びだされていたのではないのか?」
A:「1度目は別々に呼びだされ、2度目は一緒に呼ばれた」

32・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:51:48
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030411.htm
尋問では、佐々木明さんの名前も出た。
Q:「仕事がうまくいかないとき、結局、明くんのところに行ったりしたというのはどういう意味?仕事を世話してもらうという意味か?」
A:「そう。誰か知り合いのツテで、仕事を紹介してもらう」
Q:「そういう寮生はいっばいいるのか?」
A:「僕が知っている限りでは4人」
Q:「(神の国)寮に行って仕事を世話してもらうひとは?」
A:「頼りにすると思うが、あてにはならない」
Q:「そういう事例があるのか?」
A:「もともと関係がうまくいっていないので、そういう話自体がしずらい。結局、信頼していないし、信頼されていないから、うまくいくはずがない」
Q:「相互の信頼関係がないということか」
A:「そうだ」
Q:「卒寮してから何回か寮に行ったことがあるようだが、なぜ行ったのか?」
A:「自分の知っている子たちがいたので様子を見に行った。まだ(虐待が)続いているのかと思って。オープンには話せなかったが、軽くどうなっているのか」

その後、Kさんが自分の母親に、この事件のことを話したかどうかの質問があり、直接はないが、今回、弁護士さんから書類が来たりしていたので、裁判があることは知っているという話と、当時は話していないという内容の応答があった。

33・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:52:08
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030411.htm
2人目の被告・神の国寮の代理人からの尋問。
Q:「2回目に呼ばれたとき、今回はMOくんがいたと答えたが、前回の証言では自分一人だったと述べているが、どっちが正しいのか?」
A:「思い出したが、MOくんが近くにいた」
Q:「前回、記憶は確かかと確認して答えたのに、思い出したと言って証言を変えるのか。また思い出したと言っては証言を変えるのではないか?」

例のAさんの尋問のときと同じように、恫喝するような強い調子の尋問に、ここで裁判長から「そういう言い方は控えるように」と注意が入った。

A:「MOくんは後から来た。自分が呼びに行ったかもしれない」
Q:「何分くらいたってからか?」
A:「正確な時間はわからない。自分が呼びに行ったのか、3分から5分たってからだと思う」
Q:「殴り始めたときにはMOくんはいたのか?」
A:「いた」

この辺りまで、代理人弁護士は非常に高圧的な態度で、口調もぞんざいな言い方をしていたが、少し態度が改まった。ですます調になる。(原告弁護団の睨みがきいた?裁判長の不快そうな顔、言いたげな雰囲気が功を奏した?)

34・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:52:28
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030411.htm
Q:「M先生以外に先生はいなかったか?」
A:「いなかったと思う」
Q:「部屋にいたのは、あなたとMOくん、Aくん、M先生の4人か?」
A:「その通り」
Q:「利き足は左と前回、言っていたが、Aくんを蹴ったのはどっち?」
A:「左右」
Q:「蹴ったときAくんの姿勢は?」
A:「座っていたと思う」
Q:「どのへんを蹴ろうとしたのか?」
A:「たぶん頭以外」
Q:「どのへんを目指して蹴った記憶があるか?」
A:「足とか、背中」
Q:「腕に当たった記憶はないか?」
A:「何発か蹴ったので、当たっていると思う。よくわからない」
Q:「顔を蹴ろうとして、Aくんが避けようとして腕で顔を覆ったところを蹴った覚えはないか?」
A:(よく聞き取れなかったが、違うというような答え)
Q:「MOくんが話したことをS先生が報告書で出している。顔あたりを右足で蹴ったときに、Aくんが左腕で防御したために左腕で受けてしまったと書いてあるが、知っているか?」
A:(しばらく考えて)「あったと思う」

35・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:52:47
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030411.htm
ここで、原告側弁護士が異議をはさむ。証拠保全を出してはいるが、現物の報告書がここにないこと、MOくんの居所がわからず、連絡がとれていないことなどを理由に、質問の仕方が適切でないことを指摘したが、裁判官からは、現物がなくともそういう質問の仕方はできると却下された。

そのあと、被告弁護士からは再度、前回の証言では一人だったと言い、今回はMOくんが部屋にいたと証言したのは、思い出したのではなく、原告弁護士からそのように言うように、前回から今回までの間に打ち合わせで、そういうように証言しろと言われたからではないかとの質問がくり返しあった。
Kさんは、弁護士が言っている意味がよくわからないようで、最終的に「そうです」と答えてしまった。

被告弁護士からは引き続き、他の女性の寮生のことを名指しして、知っているかなど聞かれたり、けんかや非行について、いろいろと聞かれた。(中略)

Q:「寮生の前で事件についての報告はなかったのか。Aくんのけがについて、最後までほんとうに知らなかったのか?」
A:「報告はなかった」「けがについては知らなかった」
Q:「Aくんがどうなったか気になったことは?」「食事の時、一緒だったのだから、ギブスをしているのが見えるはずではないか?」
A:「気にはなった」「距離があって、わざわざ見たりしているわけではないので知らなかった」
Q:「2〜3分、息が上がるまで蹴り続けたというが、サッカー部で、かなりキック力があっただろう。かなりのショックを与えたのではないか?相手側のダメージはわかるか?」
A:「だいたい」
Q:「蹴り続けたあとのAくんの様子は?」
A:「そこまではわからない」

36・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:53:06
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030411.htm
3人目のM元職員の代理人弁護士からの質問。(上記とダブる質問内容ははぶく)
Q:「M先生はMOくんにも2〜3回、やってもいいと言ったのか?」
A:「MOくんにも言った」
Q:「それでMOくんは殴ったりしたのか?」
A:「いいえ。殴らなかった」
Q:「あなたは殴らないとM先生に何をされるかわからないと言っていたが、MOくんは何故殴らなかったのか?」
A:「早くこういうことから逃れようと思ったからではないかと思う」
Q:「MOくんはM先生に何かされるとは思わなかったのか?」
A:「MOくんは1度しか指示されなかった。自分には2〜3回あった」
Q:「2〜3分間、蹴ったりしたということだが、相当、頭に血が上っていたということはあるか?」
A:「けっこう、頭にきていた」
Q:「その間、Aくんは無抵抗だったのか?」
A:「無抵抗だった」
Q:「Aくんは立っていたか、座っていたか?」「倒れたか?」「Aくんの様子は?」
A:「床に倒れた」「痛々しい感じだった。横たわって丸まった感じだった」
Q:「相当大きなダメージを受けていた様子か?」
A:「表向きはそうは見えなかった」
Q:「あなたは中学生でしかもサッカーをやっていた。Aくんは小学生で細くて小さかったわけだが、心配しなかったのか?」
A:「ちょっとは心配した」
Q:「M先生は、やっていいよと言ったのか。普段からそういう口調で話すのか?」
A:「そういう柔らかい口調ではない。いつも一緒で命令形の口調。「やれ!」と言った。

37・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:53:27
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030411.htm
ここから、原告代理人からの尋問。
最初に、先ほどの答弁のなかで原告代理人に言われて、証言を変えたのではないかという質問に「はい」と答えてしまったことについて、前回と今回との出廷の間に打ち合わせをしたのは、この法廷が始まる直前のわずか5分程度。思い出したことがあったら言って欲しい、自由に話していいという話以外には、ほとんど何の指示も受けていないのではないかということが、はっきりと確認された。

また、弁護士からの連絡ではじめてAくんの腕の後遺症害が残ったことを知ったこと、それを聞いてどう思ったか聞かれて、かわいそうだと思ったなどと述べられた。

Q:「Aくんを蹴ったり殴ったりした理由は?」
A:「やれと言われて逆らえなかった」「M先生に疑われて腹が立ったから」「自分自身が殴られたことも腹がたった」
Q:「2〜3分の殴ったり蹴ったりの暴行の間、M先生はどうしていた?」
A:「腕を組んで見ていた」

次に原告代理人の平湯真人弁護士のほうから、前回、法廷に遅れた理由について、質問形式で説明があった。仕事の関係で泊まり込みがあって時間に間に合わなかったこと。そして、今回も他の人との休みが重なって、法廷に出向くのに危ぶまれたところを、なんとか社長を説得して、今日再び主廷してきたということが話された。

Q:「仕事に差し支えるし、自分にとって何のプラスにもならないのに、証人として2回わたって来てくれた。なぜ?」
A:「寮で生活している子というのは、親がほとんどいない。親がわりの職員が面倒をみてくれないと生活できない。今後もこういう事件が二度とあってほしくないから」

38・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2005/09/30(金) 05:53:48
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2003/me030411.htm
最後に裁判官のほうからいくつか質問があった。
Q:「2度目に部屋に行くと、Aくん、MOくん、M先生がいた?」
A:「MOくんは後から自分が呼びに行ったと思う」
Q:「MOくんが来てからすぐにM先生はやっていいと言った?」
A:「もう一度質問されていると思う」「自分がやったんじゃないか、グルじゃないのかと責め立てられた。その後、MOくんを呼びに行った」
Q:「MOくんにやっていいと言ったのは、あなたの暴行のあとか?」「同時に言われたのか?」
A:「ほぼ同時に言われた」
Q:「あなたは暴行したが、MOくんは暴行しなかった?」
A:「はい」

その後、進行協議に入った。後遺症害の立証はどういう資料に基づいて行われたのかの問いに、原告弁護団は、身体障害者手帳申請時の診断書をあげ、その後の診断書も証拠提出できる可能性があると答えた。
また、神の国寮と、M元職員からの陳述書が出ていないことについて、5月20日までに提出してほしい旨、約束がなされた。神の国側Aさんを病院に連れていった際のカルテについては、病院がすでに潰れてしまっていること、そのあとリハビリに通った病院にもカルテの法的保存期間が過ぎているため手に入れられなかったことが出された。原告側は元寮生の佐々木さん、ほかと、児童養護施設について詳しい専門的な研究者の証人申請を口頭で行った。

Kさんは、今回もほんとうによく頑張った。法廷で、自らは被告でもないのに、ひとり加害者として責め立てられて、触れられたくもないプライバシーにまで言及されて。被告のAさんとは親しいわけでもない。誰かに義理があるわけでもない。本人に何一つ利益があるわけでもないのに。ただ、立場の弱い子どもたちが、二度と自分たちと同じ目に会わないようにと、そのために証言台に立った。けっして、誰でもができることではない。とても勇気ある行動だと思う。AさんやKさん、佐々木さんの思いが、どうか、この裁判に反映されますように!

39・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2013/09/19(木) 14:31:08
児童虐待相談件数、過去最多 平成23年度は5万9862件
 
1 匿名(12/07/28(土)06:31:41 ID:dtzFO.N4o) 〆返信
児童虐待相談件数、過去最多 平成23年度は5万9862件 大阪、神奈川、東京都の順で多く
2012.7.26 14:32

全国の児童相談所(児相)が平成23年度に対応した虐待相談の件数は5万9862件(速報値)で、集計を開始した2年度から21年連続で増加し、
過去最多を更新したことが26日、厚生労働省のまとめで分かった。
都道府県別では、大阪府が2年連続で最も多く8900件。
以下、神奈川県7296件、東京都4559件、埼玉県4360件と続いた。


http://sankei.jp.msn.com/life/news/120726/trd12072614330010-n1.htm

40・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2013/09/25(水) 01:30:21
児童虐待、初の年6万件超
 
1 匿名(13/07/25(木)15:13:43 ID:3C0zA1gls) 
全国の児童相談所が2012年度に対応した児童虐待の件数は
6万6807件(速報値)で、過去最多を更新したことが25日、
厚生労働省の集計で分かった。1990年度の集計開始以来、22年連続の増加で、
初めて6万件を突破した。

 同省は「社会的な意識の高まりに加え、警察などと連携が進んで
通告や相談に結び付いている」とみている。
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20130725056869.html

41・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2013/10/01(火) 13:01:24
271 名前:名無しさん@3周年 :2013/09/30(月) 21:25:15.24 ID:1H9+Xl2s
日本人はもうダマってないで
どんどん叱るべきだよ
教師も給食業者も国民が雇っているんだよ
駄目なときはきちんと叱ろう!

日本:ハエ入りパン給食、パン一つにクロバネキノコバエが1〜5匹も!
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/3196536/

42・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2013/10/16(水) 08:58:12
320

ぬるぽ ◆XRrQj4uw5s [] 投稿日:2013/09/14 17:05:50  ID:yUdPSMnC(2)
>319
生活保護者だったということだが、
---
 石塚容疑者は結婚しておらず、凛愛ちゃんと2人暮らし。
平成23年8月から生活保護を受けていた。昨年6月に入居した現場のアパートは
メゾネットタイプで、1階はエアコンがあるが、寝室などがある2階にはなかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130913-00000515-san-soci
---
自立を目指していたかということは記事からは判断できないし、
生活保護を切られたということもわからない。
子供を置き去りにするようにCWが指導していたとしたら、問題は別のところにも
有りそうだが、詳しくはわからない。

43ルイヴィトン ヴェルニ トート:2013/10/16(水) 17:58:15
Charla Nash, the sufferer of a vicious chimp attack in Stamford in 2009, is one of only a few persons inside the Us to obtain been given an entire confront transplant.
ルイヴィトン ヴェルニ トート http://www.slipsesiden.dk/images/louis-vuitton-16-store.html

44Louis Vuitton アウトレット 財布:2013/10/16(水) 17:58:37
La Ville de Lvis, quant elle, accueille la nouvelle avec enthousiasme. La faillite avait entran des pertes en taxes de prs de 2 tens of millions de bucks par anne pour la Ville. La mairesse de Lvis, Danielle RoyMarinelli, indique qu'elle se rjouit surtout du retour au travail likely de centaines d'employs.
Louis Vuitton アウトレット 財布 http://www.qacomputing.co.uk/business_users/voip/louis-vuitton-2-cheap.html

45Louis Vuitton 新作 バッグ 2011:2013/10/16(水) 17:58:47
Pour la premire fois depuis 2002, moins de 50% des investissements en immobilisations sont financs par des emprunts lengthy terme. Le fait que la Ville de Qubec emprunte moins amliore sa cote de crdit et le taux d'intrt sur les emprunts sont presque deux fois moins levs en ten ans. Ainsi, en 2002, ce taux tait correct 5,32%, alors qu'en 2012, il tait de two,93%.
Louis Vuitton 新作 バッグ 2011 http://www.bgm.com.tr/mma/includes/shop-13-louis-vuitton.html

46・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2013/10/17(木) 00:56:31
163 :名無しさん@初回限定:2013/10/13(日) 10:09:55.53 ID:4rbCO3KtP
アグネスの件で日本ユニセフが週刊新潮を脅し!? 記者がア然

タレントのアグネス・チャン(本名 陳美齡)さんは2010年2月、
日本ユニセフ協会大使として治安が悪化し危険度最大レベルといわれているソマリアに行き、
戦乱と貧困に苦しむ子どもたちを視察した。……と、日本ユニセフ協会は発表した。

しかし、実際はソマリアに行ったのではなく、比較的安全なソマリランド共和国に行っていたのが判明。
ソマリランドは国として認められていないため、ソマリアの一部となっているものの、事実上の独立国家として認識されている。

アグネスは安全な地域に行って何をしてきたんだ!? と、インターネット上で大きく非難され、「単なる旅行か」とまで言われている。

この件に関して新潮社の『週刊新潮』が日本ユニセフ協会に問い合わせたところ、
信じられない返答があったという。
なんと、「なお、貴誌で本件をお取りあげになられた場合、記述の<事実誤認に基づく誹謗中傷>が
ネット上などで行われている現状も鑑み、
その反響次第では、本信ならびに〇〇様(本誌記者のこと)のご質問の文面を
当方ホームページなどで公開させていただく所存です。予めご了承ください」と返答されたというのだ。

その返答を読んで『週刊新潮』はア然としたのか「これって、脅し?」とポツリ。
また、昨年に奥様と旅行でソマリランドに行った漫画家の やくみつる氏は、「ソマリランドは避難勧告は必要ない」と同誌でコメントしている。
ttp://news109.com/archives/2926750.html
ttp://news.livedoor.com/article/detail/4671112/
画像(アグネスいわく自宅兼事務所。慈善団体にしては豪華すぎ)
ttp://livedoor.blogimg.jp/kyanews/imgs/0/f/0f9ab164.jpg
ttp://livedoor.blogimg.jp/kyanews/imgs/1/2/1238e3d7.JPG
ttp://livedoor.blogimg.jp/kyanews/imgs/c/a/ca8a2709.jpg

【ユニセフと日本ユニセフの違い】ttp://livedoor.blogimg.jp/kyanews/imgs/c/a/cad1f2ab.jpg

47Louis Vuitton 財布 新作 メンズ:2013/10/17(木) 10:50:43
Assert CME credit history for attending Beaumont CMEcertified consistently scheduled sequence (grand rounds, tumor board, M circumstance meeting or journal club) meetings only.
Louis Vuitton 財布 新作 メンズ http://www.ageconcern.bm/gallery/images/13-louis-vuitton-shop.html

48ルイヴィトン ダミエ 財布 新作:2013/10/17(木) 10:50:54
Beauchamp wasn't the girl's father, but he was the boyfriend of her mother. The two have been drug addicts for the time and struggling to aid or care for the little one.
ルイヴィトン ダミエ 財布 新作 http://www.ageconcern.bm/admin/images/15-louis-vuitton-cheap.html


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板