田中正明の松井日記改ざん事件
一九八五年十一月二十四日付の朝日新聞は、翌日付けで発行される雑誌『歴史と人物』(一九八五年冬号)に板倉由明が執筆した「松井石根大将『陣中日記』改竄の怪」の要点を報道した。
陣中日記の原本は、南京攻略戦の最高指揮官松井大将が記したもので、自衛隊板妻駐屯地資料館に保管されていたのを田中正明が借り出し、走り書きの日記を判読して出版したばかりのところだった。
雑誌の編集部は、専門の読解者に手助けしてもらい、同じ原本と対照したうえ、解読を板倉に依頼したものだが、南京虐殺を否定する方向で九百か所以上の削除、加筆、誤記、文章の移動などが行われているのが明らかにされた。
板倉は同じ紙面で「誤読、脱落はありえても、もとの日記に書いていないことを付け加え、それに注釈までしているのではどうしようもない」と評し、田中は「言い逃れになるかも知れないが、体調などの悪条件が重なりミスしたもので、決して虐殺は虚構だという自分の主張に合わせて加筆や削除をしたのではない。申し訳ない」と釈明した。
本多〔勝一〕は、さっそく翌日の紙面で「松井大将が生きていれば、さぞ改ざんを怒り嘆くだろう」と追い討ちをかけ、洞富雄も『赤旗』紙上で「このエセ研究家にあえて一撃を加えた見識に……敬意を表したい」と述べた。さすがの田中〔正明〕も再起不能におちこんだか、と噂されたが、支援者たちに励まされてか再起の日は意外に早かった。
一年半後に、田中〔正明〕は『南京事件の総括』(謙光社)を刊行、虐殺派、中間派のライターたちを威勢よくなで切りしたあと「あとがき」で改ざん事件に言及した。
すなわち「そのほとんどは、私の筆耕の誤記や誤植、脱落、あるいは注記すべきところをしなかった等の不注意によるものであります」と弁解しつつ「字句に多少のズレはあっても、松井大将の真意を曲げることなく、その目的は完全に果たし得た」と自賛した。その心臓ぶりには脱帽のほかないが、シロウトばかりでなく学者のなかにも彼を全面支援する人がいるから不思議だ。
〔略〕渡部昇一上智大教授も〔田中正明を支持する〕別のひとりだが、この人は出世作の『ドイツ参謀本部』(中公新書、一九七四)で、写真ぐるみワルター・ゲルリッツのHistory of German General Staff(1953)を大幅借用したぐらいだから、盗用や改ざんには理解があるのかもしれない。〔略〕