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瀬島龍三《真正売国奴》スレッド

83・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2010/03/04(木) 11:13:07
>>82
「反共の闘士」はソ連に篭絡されていた!?

 モスクワのホテルで録音した三時間分のコワレンコのインタビュー・テープは、実はその後、私のデスクの奥で長いことホコリをかぶっていた。なぜなら、私のしつこい質問の数々についに元「闇の司祭」が怒り出し、「このインタビューはなかったことにしろ」と言い出したからだ。取材としては最悪のパターンだったが、気難しいロシア人相手の取材ではときどきあることだった。彼らは“本当のこと”を聞かれることに慣れていないのだ(ちなみに、私は当時、モスクワに在住しており、毎日のようにそんなロシア人に会っていた)。
 そんなわけで、「対日工作の黒幕が初めて過去を語る」というスクープはお蔵入りになってしまったのだが、それから五年後の九六年十ニ月、なんとコワレンコは日本で手記を出版したのである。
『対日工作の回想』と題するその自伝は、政界でも密かな注目を集めたという。とくに、うやむやに終わったレフチェンコ・メモの中味について、何か決定的な情報が暴露されなかったか、という点が注意を引いたのだ。
 もちろん、“スパイ・マスター”コワレンコが、そんな隙を見せるはずはなかった。レフチェンコのことも、「プロの情報員ではなく、何も知らない」「麻薬中毒で、人間性も信用できない」と切り捨て、レフチェンコ・メモもすべてデタラメであると断言した。
 だが、注目される新情報もいくつかあった。その筆頭が、中川一郎との“秘密のコネクション”だった。
 コワレンコが自著の中で自慢気に語っているのは、明らかに中川篭絡の手口だった。コワレンコは、自主外交派の中川を支援することで日本を反米・反中路線に誘導することができると考え、中川の利権マタ―である日ソ漁業交渉で便宜を与えることで、彼を「親ソ派」に取り込もうとしたというのである。
 接触は八二年九月、レフチェンコ・メモにも名前のあった三浦甲子二・テレビ朝日専務の仲介で極秘裏に行われたという。その席で中川は「在日米軍の撤廃」「ソ連との長期的善隣関係構築」などの持論をぶち、果ては「北方領土は原則的な問題ではない」「中国の脅威に対抗するため、日ソ軍事条約締結の考慮の可能性もある」などとも発言。さらには、中川のほうが日ソ漁業交渉の便宜供与の早期実現を要求し、秘密接触のためにその後は大使館などの公式ルートを使わずに三浦ルートなどを使うことにも合意したというのである。
 驚くべき内容である。私とのインタビューでも語っていなかったことだ。これが事実なら、中川はまさに、コワレンコの術中にはまったといっていいだろう。それは、KGBより上位の共産党中央委員会国際部に直結する超A級の“協力者”に仕立てあげられたことを意味していた。
 だが、前述したように、私はコワレンコの“物語”には常に欺瞞が含まれていると確信している。おそらく、コワレンコが中川を篭絡しようとして「中川=コワレンコ会談」がセットしたのは事実だろう。だが、いくらなんでも「日ソ軍事条約」などのアイデアは青嵐会の“反共の闘士”とは結び付きづらい。この記述はかなり“脚色”されている可能性が高いというのが私の率直な〝勘〟である。
 しかし、それでももし本当に中川がコワレンコと極秘接触を続けていたとしたら、それだけでもレフチェンコ・メモの中味に「もしかしたら自分が?」と思い込んでも不思議ではないのかもしれない。日本の公安当局が最重要対象者としてマークしていたコワレンコの正体を、中川が知らなかったはずはないのだ。

 だが、果たしてそんな“疑惑”だけで果たして人は死ぬだろうか?――というわけで登場したのが「CIA暗殺説」だった。
 が、これもそのネタの出所は在日ソ連大使館筋=つまりコワレンコ周辺だった。コワレンコがやはり自著に書いているのだが、中川怪死に際し、在日ソ連大使館から本国へ「中川を日本の首相にさせたくなかったCIAが彼を暗殺した疑いがある」と報告していたというのである。おそらく、その話に尾ひれがついて流出したというのが真相だろう。
 コワレンコ自身は「在日ソ連大使館の分析担当者が憶測で書いたもの」と逃げているのだが、私には、そうした情報が流された背景にはコワレンコ本人の意図もあったのではないかという気がしてならない。いかにも「闇の司祭」がやりそうなことだからだ。


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