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独習・丸山真男

1カマヤン:2002/12/24(火) 11:16
丸山真男『日本の思想』岩波新書(1961年)
http://www.esbooks.co.jp/product/keyword/keyword?accd=00701154
http://www.iwanami.co.jp/order/index.html
を、独習する。
以下、丸山の言説をまとめたものは、Mとする。Mの文は丸山の文を基とするが、
より文意を明晰にする意図で書きかえた部分もある。

注釈は、以下の2つを意図する。
1:丸山の文を理解する助けとする。
2:カマヤンによる考え(解釈)を述べる。

2・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/24(火) 11:17
M1;3-6p
1;
日本では、時代の知性的構造や世界観の発展、史的関連を辿るような研究は貧しい。
日本精神史という範疇は、(戦中に)日本《精神》史から《日本精神》史へ変容し、
独断的で狂信的な方向を辿った。
2;
日本では、違った立場が共通の知性の上に対決し、その対決の中から新たな
発展を生み出すという例は、少ない。
日本には、あらゆる時代の観念や思想に否応なく相互連関性を与え、すべての
思想的立場が、否定を通じてでもそれとの関係で、自己を歴史的に位置づけるような
座標軸にあたる思想的伝統は、(残念ながら)形成されなかった。
欧州のキリスト教や、中国の儒教が「座標軸」にあたる。
3;
K・レーヴィットは、日本的「自愛」を欧州の自己批判精神と対照させて論じた[1]。
(戦前の)「自愛」と(戦後の)「自虐」は矛盾しない。
4;
超近代と前近代とが独特に結合している日本の「近代」の性格を、私たち自身が
知ることが重要だ。
対象化して認識することが、傍観とか悪口とかほめるとかけなすとかいった、
もっぱら情緒的反応や感覚的嗜好の問題に解消して受け取られている間は、
私たちの位置から出発することはできない。

 注釈
 [1]K・レーヴィット『ヨーロッパのニヒリズム』について。
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN03147306
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/j-yasuda/kuki1.html
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/j-yasuda/nihonteki8.html
http://repre.c.u-tokyo.ac.jp/kankou/kanata/0006-takada1.html

3・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/24(火) 11:17
M2;6-8p
1;
日本の論争史は、(M1−2の意味で)戯画的だ。日本では論争の結果が共有財産化しない。
日本の論争は、どこまでの問題が整理され、ここから先の問題が残されているという、
けじめがない。
同じテーマで後に論争が始ると、前の論争の到達点から出発せず、そのたびごとに
イロハから始まる。
明治20年代の、キリスト教と國軆の関係をめぐる論争のとき、仏教徒や儒教思想家による
キリスト教徒への論難は、16世紀のキリシタン渡来のさいの論難を発展させた形跡がない[2]。
2;
この、論争の不毛の原因は、以下である。
A;日本の「学界」は「完成品」の輸入取次に明け暮れしている。
その反動で、評論・ジャーナリズムの世界では、断片的思いつきを過度に尊ぶ
「オリジナリティ」崇拝を再生産する。両者が互いに軽蔑するという悪循環がある[3]。
B;各時代各集団が、その当時に西洋で有力な国・思潮と、それぞれ横に繋がって
閉鎖的な欧州像を作り上げるので、縦の歴史的な思想関連が無視される。
C;論争がマスコミに取り上げられる時には、マスコミの敷いたレールに沿って行なわれる。
論争者の当初の意図からは遠ざかる。
3;「論争」は弁証法 dialectic の原始的な(基礎となる)形態である。

4・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/24(火) 11:18
 注釈
 [2]日本人は、歴史から学ばない。
 [3]本来なら、「オリジナリティ(と自称するもの)」を、「学界」が適切に判定するべきだ。
「学界」の本体の目的は真理の探求にあるのだから。が、相互「軽蔑」という情緒に
帰結させる構造、相互分断させる構造になっているため、客観的判定がなされず
(また判定だと認識されず)、日本の知を不毛化させる。
「学界」はレフリーとしての役割を正しく行なわず、ジャーナリズムは「学界」をレフリーと認めない。
これは「学界」とジャーナリズムだけの問題ではない。
「オリジナリティ」と自称するものは、単に先行する伝統を主観的に自覚していないだけ、
先行する伝統の断片を再構成・再演したデッドコピーを「オリジナリティ」と自称しているだけ
なことがしばしばある。自覚して再構成したものが「オリジナリティ」と呼ばれるべきだと考える。
オタク世界にある「自称創作至上主義」と「自称実践主義」の不毛な毟りあいは、
この問題の戯画化だと言える。

5・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/24(火) 11:18
M3;8-11p
1;
儒教・仏教、それらと習合して発達した神道、江戸時代の国学などが「伝統思想」と呼ばれ、
明治以後流入した欧州思想としばしば対比される。この2ジャンルの区別には意味がある。
が、「伝統」と「非伝統」というカテゴリで両者を分かつのは、誤解を招く。
外来思想を摂取しそれが生活様式や意識に採りこまれ文化的に消しがたい刻印を押した
という点では、欧州産の思想も既に「伝統化」している[4]。
問題は、それらが雑然と同居し、相互の論理的関係・占めるべき位置が判然しないところにある。
2;
維新の開国は、自己を外(国際社会)に開くと同時に、国際社会に対して自己を統一国家
として画す、という両面性があった[5]。
維新の開国により、思想の強靭な機軸を欠くことが問題化した。維新後「伝統思想(儒教・
仏教・神道など)」は断片的性格を強めた。

 注釈
 [4]丸山真男がこの文を書いた時点で約100年、2002年現在で約130年の伝統がある。
 [5]アイデンティティは、他者と出会い、他者から名指しされ、その名指しを自称する(告白する)
とき生まれる。
欧州の「告白」は自己を統一化する。日本の「自称」はしばしば自己を更に「表の自分」と
「内面の自分」へ分裂させる。
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=1274&KEY=1038415480&START=2&END=15

6・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/24(火) 11:18
M4;11-13p
1;
日本では、新たな思想・異質的な思想が、過去(の蓄積)との十全な対決なしに、次々摂取される。
新たな思想の勝利は驚くほど早い。
過去は、過去として現在と自覚的に向き合わず、傍らに押しやられ忘却される。
そして突如、「思い出」として噴出する。
2;
これは国家的・政治的危機の場合いちじるしい。
3;
思想的ストック(「思い出」の素材)は豊富だ。
舞台(政治背景・社会背景)が一転すると「思い出」セットが入れ替わる [6]。
配置替えされた「思い出」と自己を合一化することは、当人にとっては「本然の姿」・
「自己の本来の面目」に帰るものとして意識される。

 注釈
 [6]丸山は、以下の例をあげている。
戦中から戦後へと政治背景が変わると、日本人の「思い出」セットが、「万葉・吉田松陰・葉隠」
セットから、「啄木・資本論・魯迅」セットへ入れ替わった。
言外に、1930年代急速な右傾化も「思い出」セットの配置替えだと言っていると理解できる。
日本には「(蓄積された)思想」はなく、「思い出」セットに支えられたスローガンがあるだけだ。
「『思い出』セット」という呼称は、カマヤンが造語した。

7・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/24(火) 11:19
M5;13-15p
1;
欧州の思想が歴史的構造性を解体され(思想史的前提から切り離され)、
部品として取り入れられる結果、欧州では強靭な伝統に対する必死の抵抗表現が、
日本では「常識」的発想と合致するなどの(逆説的な、皮肉な)事態がしばしばおこる。
2;
異なったものを思想的に接合することを合理化するロジックとして、
「××即××」「××一如」という俗流仏教哲学がしばしば適用された[7]。
3;
相互に矛盾する思想を「無限抱擁」して、精神経歴に「平和共存」させる思想的「寛容」の伝統
にとって、唯一の異質的なものは、「精神的雑居性の原理的否認を要請し、
世界経験の論理的および価値的な整序を内面的に強制する思想」だった。
「異質的なもの」の代表は、明治のキリスト教と、大正末期からのマルクス主義だ。
4;
キリスト教とマルクス主義は正反対の立場にあるが、日本の知的風土では、
共通した精神史的役割をになった。
日本風土の要請に妥協させるなら精神革命の意味を失い、逆に精神革命を迫るなら、
雑居的寛容の「伝統」のゆえの激しい不寛容にとりまかれる。

 注釈
 [7]たとえば「物心一如」という言葉。「××即××」「××一如」といった言葉(スローガン)は、
あたかも深遠な真理を語っているかのような印象を読者に与えるが、実際には単なる没論理
であることが、しばしばある。
日本政治には、スローガン(情緒を動員する)はあるが、客観的論理・哲学(客観的真理)が
欠落していることが多い。
戦中のスローガンである『近代の超克』などに散見するもの(日本思想だと自称していたもの)は、
しばしば「妙味」という言葉を説明に用いている。
「妙味」という言葉が登場する時は、「実は矛盾しているのだが、そのことを指摘してくれるな」
「破綻しているのだが、そのことを指摘してくれるな」という意味だと解釈するべきだ。

9・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/24(火) 11:21
M6;15-16p
1;
欧州思想と日本の日常感覚の類似性を見出すこと自体は無意味ではない。
2;
違ったカルチュアの作品を理解するとき、それを徹底的に自己と異なるものと推定して
これに対面するという心構えの希薄さ、物分りのよさから生まれる安易な接合の「伝統」が、
かえって何ものをも伝統化しない、という点を意識することが重要だ。
3;
頭の回転の素早さで外国文化を吸収して来た「伝統」によって、「知られざるもの」への
感覚がなくなった。
最初は好奇心を示しても、すぐ、「ああ、あれか」ということになってしまう。
過敏症と不感症が逆説的に接合している。
4;
西欧やアメリカの知的世界では、民主主義の基本理念や民主主義の基礎付けは
今日でも繰返し「問わ」れ真正面から論議されている。
だが日本では「民主主義」は「もう分ってるよ」という雰囲気であしらわれる[8]。

 注釈
 [8]丸山の問いかけがまさに知的世界では「ああ、あれか」とされてしまったところに
丸山の不幸と、丸山の問いかけの射程の深さがあるとも言える。
知的世界では「ああ、あれか」扱いされる一方、丸山の問いはいっこう日本社会では
克服されていない。
 別な言い方をすると、「『知った気になっている』ものと、『知っている』ものは、別だ」
ということだ。
自分は何を知っているのか、ということを、繰返し自分へ問うことが重要だ。
「無知の知」とは、本来「自分は何を『知った気』になっていて、実は知らないのかを問う」
という意味だ。
 丸山真男を「『知った気』になっている」人のあまりの多さと、それが日本に反映されて
いないことの落差に、私たちは愕然とするべきだろう。

10カマヤン:2002/12/24(火) 11:22
とりあえず、>>2-9
ここまででちょっと力尽きた (;´Д`)ノ

11カマヤン:2002/12/25(水) 17:51
M7;16-17p
1;
ニーチェの反語やオスカー・ワイルドの逆説は、キリスト教の長年涵養した生(レーベン)
の積極的肯定が普遍化している社会でこそ、現実とのはげしい緊張感が生まれる。
日本のように生活の中に無常感・逃避意識があると、欧州でのアンチテーゼがテーゼとして
受け取られ愛玩される[9]。
2;
「進歩的知識人」にたいする、逆説家と庶民の「伝統的」実感―もしくはそれに寝そべる
マスコミとの奇妙な同盟が成立し、「進歩的知識人」は孤立する[10]。

注釈
[9]-1;
ここで丸山が問題としているのは、「語られているもの」が、置かれる文脈を変えられることによって、
別なものとして政治的に利用されること、摩り替えに利用されることだと理解していいと思う。
関連スレッド
http://jbbs.shitaraba.com/news/bbs/read.cgi?BBS=535&KEY=1039730401&LAST=100

12・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/25(水) 17:52
[9]-2;
 ニーチェ Friedrich Wilhelm Nietzsche 1844〜1900 
ドイツの哲学者・詩人・古典文献学者。
ニーチェの基本的発想のひとつは、キリスト教によって代表されるような伝統的価値が
当時の人々の生活において効力をうしなったという洞察である。この洞察を彼は「神は死んだ」と
いう言葉で要約した。彼によれば、伝統的価値は「奴隷道徳」を体現している。
この道徳は、強者に怨念(おんねん)や恨み(ルサンチマン)をいだいた弱者がつくりあげたもので、
やさしさとか温情といった言葉で形容される行動をほめあげるが、しかし、こうした行動は
弱者の利益にかなうものでしかない。彼はこうした伝統的価値にかわる新しい価値の創造を
提唱し、そうした価値の体現者として「超人」をえがいてみせた。
ニーチェにいわせれば、むれて徒党をくむ大衆が伝統的価値に迎合するのに対して、超人は
不撓(ふとう)不屈の孤高の人間である。彼の感情は人間存在の深淵(しんえん)にとどきながらも、
自制心をうしなわない。超人は、宗教が約束する来世の因果応報をきっぱりと拒否して、
人生においてさけがたい受難や苦痛もふくめた現世を肯定する。
こうした主張の背後には、ニーチェの辛辣(しんらつ)な西洋哲学批判があった。
彼は、西洋思想の歴史は、プラトンのイデアやキリスト教道徳といった本当はありもしない
超越的な価値を信じてきたニヒリズムの歴史であるとし、このニヒリズムが表面にあらわれてくる
われわれの20世紀を予言した。そして、ニヒリズムの極限形態としての「永劫(えいごう)回帰」を肯定し、
「力への意志」をもつことで、このニヒリズムを克服しなければならないと考えた。
日本では1901年(明治34)に高山樗牛がニーチェを紹介してから、大正教養世代の人生論の必読書になった。
"ニーチェ,F.W." Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

13・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/25(水) 17:52
[9]-3;
オスカー・ワイルド Oscar Wilde 1854〜1900 
イギリスの小説家・劇作家・詩人・批評家。「芸術のための芸術」を信条とする唯美主義運動を主唱した。
1895年、絶頂期にあったワイルドは19世紀裁判史上もっともセンセーショナルな事件の中心人物となった。
わかいアルフレッド・ダグラス卿としたしい関係にあったワイルドが同性愛の罪に問われたのである。
有罪の判決に、ビクトリア期の中産階級は騒然とした。同年、懲役2年の刑を宣告され、97年に出獄した
ときには、経済的に破綻(はたん)し、精神的にもうちのめされていた。その後はセバスチャン・メルモスの
仮名をつかってパリですごした。脳膜炎のためパリで死去。死の直前にカトリックに改宗した。
初期の作品には、息子たちのために書いた2つの童話集「幸福な王子」(1888)と「ざくろの家」(1891)や、
短編物語をまとめた「アーサー・サビル卿の犯罪」(1891)などがある。
唯一の小説「ドリアン・グレイの肖像画」(1891)は、美青年ドリアンが堕落していく過程をつぶさに
えがいた物語であり、警句のきいた見事な文体が際だっている。
ワイルドの特質をもっともよくあらわす魅力的な戯曲として、「ウィンダミア夫人の扇」(1892)、
「とるに足らぬ女性」(1893)、「理想の夫」(1895)、「誠こそたいせつ」(1895)の4つの喜劇がある。
「経験とは、だれもが己の失敗にあたえる名前である」や、「冷笑家とはなにか? すべてのものの代価を知り、
なにものの価値も知らない人のことである」といった台詞(せりふ)が有名である。
"オスカー・ワイルド" Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

14・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/25(水) 17:52
[10]1961年時点の「知識人」の絶対数は少なかった。「進歩的知識人」はマルクス主義を代表とする
社会科学知識を持った人々だった。「逆説家」は保守論壇の人々を指す。保守論壇は理論を持たず、
逆説と反語(感覚に訴える言説)を武器としていた。
丸山らの言説が、後に「庶民」的実感を拠所とする新左翼からも攻撃されたのは、アイロニカルだ。
60−70年代の新左翼は(遵法による)市民的権利に鈍感で、むしろそれを敵視する心情を抱えていたようだ。

15・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/25(水) 17:53
M8;17-20p
1;
合理的整序を要請するイデオロギーに直面したとき、「伝統的」反発は「イデオロギー暴露」という
形態をとりやすい[11]。
2;
近代欧州では、思想は、内在的価値・論理的整合性観点でまず計られた。
思想の果たす政治的社会的役割…現実の隠蔽や美化…の指摘、背後の動機の暴露を通じて
批判する様式は、第1次大戦後「観念の主張者の動機にたいする不信を目撃」して以後のことだ[12]。
3;
日本では、思想内在的批判に先立ち、思想のイデオロギー的機能批判が敏感に出現している[13]。
4;
「イデオロギー暴露」には敏感だが、日本では論理化=抽象化を斥けるため、「イデオロギー暴露」が
イデオロギー「批判」へなりにくい。たとえば本居宣長による儒教批判の様式はその例だ。
本居の論は、現実と規範との緊張関係を否認し、結果、生まれついたままの感性の尊重と、
既成の支配体制への受動的追随という、二重の意味での「ありのままなる」現実肯定に陥る。

17・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/25(水) 17:55
[11] イデオロギー Ideology
イデオロギーという語は、まずフランス革命で使われ始める。フランス唯物論哲学者たちによる
啓蒙主義国民教育の中で、「観念の論理学」という意味でイデオロジーという語がつかわれた。
はじめナポレオンは啓蒙哲学を賞賛していたが、執政につくと宗教を支配の道具に利用し、
啓蒙的哲学者たちを空論家という意味でイデオローグと蔑称した。
マルクスとエンゲルスは『ドイツ・イデオロギー』(1845〜46)で「イデオロギー」という語を(現実を隠蔽する)
「虚偽意識」として社会科学に定着させた。
人間の観念は自立性をもたず、つねに経済的な下部構造にしばられているとマルクスは捉えた。
法・政治思想・宗教・芸術・道徳などを、イデオロギー的な上部構造(現実隠蔽のための虚偽意識)
として批判する理論構造がつくられた。
マルクスの発想からドイツの知識社会学が生まれる。カール・マンハイムは、マルクスによって
低下させられた「啓蒙の理念」を救出しようとした。マルクスは経済を特権化し、階級を特権化し、
自ら(マルクス主義)を特権化しているのではないかと疑問を提出した。
"イデオロギー" Microsoft(R) Encarta(R) 98 Encyclopedia. (c) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.

[12] 「観念の主張者の動機にたいする一般的不信を目撃」
カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』の一節
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4624010175/qid%3D1040803443/250-0740769-7948219

[13]丸山は、幕末攘夷思想家会沢正志を例に挙げている。
会沢正志は、水戸学の藤田幽谷の弟子で、斉昭に仕えた。『新論』を著し、攘夷思想のバイブルとなった。

18ふじながたかみ@自称真性右翼:2004/05/03(月) 05:26
宮台さんによると、丸山真男ブームの本質は「思考停止」らしいです。

19カマヤン:2004/05/06(木) 01:08
>18
えらい乱暴な意見なので、もう少し背景文脈を丁寧に説明いただけませんでしょうか?

宮台先生、丸山真男からけっこう意見流用しているし。

20ふじながたかみ@自称真性右翼:2004/06/22(火) 00:57
丸山真男の著書は多くの人に読まれたんですが、読者は「丸山から学ぶ」よりも
「丸山をネタに盛り上がっていただけではないか」と宮台さんは(ひとつの可能性として)言うわけですね。
要は戦中の熱狂と同じく「お祭り」ということです。

21カマヤン:2004/07/05(月) 17:28
>>18-20への亀レス。

>>9の注釈部分と同じことを言うているわけね。

22カマヤン:2004/11/18(木) 13:51
「丸山眞男先生から教えられたこと
日本共産党の丸山眞男批判 田口富久治」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/taguchi.htm#hihan


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