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『インパール兵隊戦記』を読む

1カマヤン:2002/12/06(金) 22:19
以下、某教授に提出したレポート。
わりと教授に受け良かったので、いい気になってアップしてみるテスト。
テキスト;黒岩正幸『インパール兵隊戦記 「歩けない兵は死すべし」』(光文社NF文庫、1999年)

22・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/06(金) 22:36
6−3;政策提言の試み
 日本史学は政策提言を目的とした学問ではないだろうが、それでも過去からの反省を
現代政治へ生かすための提言を試みるのは悪くないと思う。それを以下試みる。
 「近代」の範型となったキリスト教社会には、聖書解釈の強靭な伝統がある。条文と
条文の間の矛盾をどう優先順位をつけて解釈するかの伝統がある。それは瑣末な事柄を
延々議論する伝統でもあるが、その蓄積は重要だ。中世キリスト教社会では教会による
「司法権」が絶大だった。日本にはこの伝統は、ない。近代政治に不可欠な審判が、
日本政治には欠けている。それが「統帥権」の暴走を許すことにもなった。解釈には、
その知的背景となる原則が必要だと私は思う。それを欠くと解釈は「事情変更の原則」により、
追認の言説へ転落する。
 現在の日本の憲法論議も同じだ。条文間が対立したときどういう原則であたるべきか、
日本ではまずそれを明言化しておく必要があるように思う。憲法を判定する基準として、
現在の日本ならば
 A;国家は国民に危害を加えない。
 B;国家は国民(主権)の命令に従う。
 C;国家は国家自体を守る。
このような原則を立てて明言化し、判定基準とするべきだと考える。
この三原則はSF作家アシモフのロボット三原則の変奏だが、同時にこれは工業製品に求めらる
「安全性」「利便性」「耐久性」の原則を表している。近代国家は人工物だ。この三原則は、
政治では「基本的人権」「国民主権」「防衛・福祉」に相当すると思う。
 政教分離原則のない戦中の日本の招いた悲劇から、私たちは何かを学ぶべきだろうと思う。

[19]  黒岩、前掲、216頁。
[20] だが、各自武装と武装解除のどちらが望ましいかは、難問だ。

24カマヤン:2002/12/06(金) 22:39
>>2-22
誤字・誤投稿を発見するたび、繰返し削除して再投稿… (;´Д`)ノ
分量は10レス。


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