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『インパール兵隊戦記』を読む

12・゜*ヽ(´ー`)/。・゜*:2002/12/06(金) 22:28
■3;『インパール兵隊戦記 「歩けない兵は死すべし」』について(以下、『戦記』と略す)
  黒岩は、「下っ端の兵士」として、この回顧録を書いた。
「下っ端の悲しみは、生きているときも死ぬときも、同じ下っ端の兵士でなければ
分からない」からだ[6]。
 この回顧録は戦後39年を経て発表された。アラカンの桜のエピソードを軸に
つづっている。書かれている個々の事柄は事実だろうが、実際に書いたものと書くのを
ためらったものとの葛藤を私は文章から感じる。
 「純情」という言葉が『戦記』には三回登場する[7]。現在において「純情」という語は
あまり用いられないし、必ずしも現在は美徳とはされない。黒岩は軍隊の残酷な
二重規範に「純情」を対峙させている。「純情」という語で示そうとした心情は、
人権と公正を求める正当な人道意識だ。
 黒岩は「輜重兵は軍馬を食わない」と記述している[8]。情の移った「身内」は特別
扱いするのが当然だ、とする考えだ。情としてこれは自然だが、この論理は軍隊の
二重規範をある面で下支えしてしまう。もちろん自然な情を否定するべきではなく、
法という参照点で公正な裁定がなされないこと、審判の不在に問題があるのだが。
 『戦記』の1944年七月二十七日の記述はやや幻想的だ。この日に人肉食をした
兵士の記述がある。また七月三十一日には「人間である限りノドを通らないものが
あるはずである」「わが中隊ではないが、野獣化した兵士が」「新しい死体の腰から
ももの肉を切りとって」などの記述がある。黒岩は否定しているが、これは黒岩が
実際に見聞した第三中隊内部の人肉食事件を示しているのではないかと私は思う[9]。
前述の軍馬の記述は、人肉食を非難する意図が強いのだろうと私は思う。
 中隊内での人肉食を語ることを避けるため、黒岩はアラカンの桜のエピソードを中心
につづるという手法を選択したのではないかと私は想像する。

[6] 同前、10頁。
[7] 同前、21頁、30頁、72頁。
[8] 同前、167頁。
[9] 同前、189頁、281頁。


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