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人の言葉と一念三千
23
:
太ちゃん★
:2017/03/14(火) 02:17:33
舌の功徳――
法華経に「もろもろの苦渋物を食べても皆おいしく食べることができ、
深く清らかで美しい声をもって大衆に法を説くでしょう。
もろもろの因縁や譬喩をもって大衆に法を説くでしょう。
聞く人たちは皆、歓喜してさまざまな供養をする(趣意)」(法華経五四二頁〜)
とあります。舌の功徳には二種類あり、
一つは「何を食べても、おいしく感じられること」。
二つめは「法を説く、その人の声を聞いて、皆が歓喜すること」です。
池田先生は
「健康で生命がはずんでいる人は、質素な食事であっても、おいしい。
憂いに沈んでいれば、最高のごちそうでも〝砂を噛んでいる〟ようになる。
もちろん〝だから料理がへたでもいい〟ということではないが、
境涯というものは不思議なものです」
と述べました。これが舌の功徳です。
24
:
太ちゃん★
:2017/03/14(火) 02:18:48
身の功徳――
法華経に「その身が極めて清浄であることは、清らかな瑠璃(るり)のようであり、
衆生が皆、その身を見ることを喜ぶものとなる(趣意)」(法華経五四六頁)
とあります。池田先生は身の功徳を
「磨き抜かれた生命の輝き」と表現しました。
確かに「太陽」のように輝いた人がいると、
周囲まで明るくなるし、その場の雰囲気が変わります。
これは〝誰もが見たがるような気品ある姿や存在になっていける〟ということだと思います。
身の功徳のもう一つの特徴は、清浄な身であるがゆえに
〝磨き抜かれた鏡に一切が映るように、十界のあらゆるものが、
その身に映じる〟ということです。池田先生は
「ぱっと会っただけで、生命の傾向性がわかるということです。
自分が妙法に生ききっていれば、相手の生命が明鏡に映すようにわかってくる。
それは〝慈悲〟があるからです。決して、威張って
〝自分は人を見抜く力がある〟などと言っては絶対にならない。
お互いに凡夫です。また御本仏の家族であり、悪人は見抜かなければいけないが、
同志はどこまでも励まし合い、守り合っていくのです」
と述べました。これが身の功徳です。
25
:
太ちゃん★
:2017/03/14(火) 02:20:32
意の功徳――
法華経に「この人の精神は清浄で鋭敏であり、にごったところがない。
この優れた精神の働きをもって、上中下のさまざまな教えを知り、
経文の一偈一句を聞いただけで〝無量無辺の義〟がわかるようになる。
また次第に〝法(経文)〟の通りに、一か月、四か月、さらに一年でも自在に法を説いていける。
また全ての現象の姿を知り、法理にしたがって順序を知り、
名前と言葉も理解していて、自分が認識した通りに説くことができる。
この人の説くことは全て先に現れた仏の教えである。
この人はあらゆる衆生に喜ばれ、愛され、尊敬される(趣意)」(法華経五四九頁)
とあります。池田先生は
「話す内容が全部、宇宙の真理に、きちっとかなっている。頭だってよくなっていく。
生々世々、大学者、大智慧者にもなっていく」
と述べ、六根清浄とは
「全身これ広宣流布の武器たれ」と結論しました。
以上が、六根清浄の功徳です。
26
:
太ちゃん★
:2017/03/14(火) 02:22:19
仏法における〝一念の変革〟は、じつにこの六根清浄(即身成仏)にあるのです。
皆さん、どうですか――そういう人間に変わりたいと思いませんか?
「仕事が大成功して儲かった」
「病気が治った」
「家庭不和が解決した」
等々、確かにこれも立派な功徳であり人生哲学です。
しかし、これらは〝相対的幸福〟であって〝絶対的幸福〟ではありません。
たとえば、仕事が成功して儲かったから〝幸福〟ならば、
仕事が失敗したら〝不幸〟ということになります。
また、病気が治ったら幸福で、治らなかったら不幸というのでは、
長い目で見た場合、非常に不安定な幸福といえます。
人は必ず老いていき、いつかは死を向かえるのです。
もちろん仕事は成功した方がうれしいし、病気は治った方がいいに決まっています。
しかし本当の功徳や仏法で説く幸福観は、
またいつ変わるか分からないような相対的幸福が〝根本〟ではなく、
何があってもあきらめない、生きていること自体が幸福であるという
〝絶対的な不動の境涯革命〟が根本なのです。
その境涯革命の大功徳が六根清浄です。
日蓮大聖人や創価三代の師匠は、その〝絶対的幸福境涯〟を
体得する方途を繰り返し弟子に教えています。
その指導を最後に記して終わります。
日蓮大聖人曰く
深く信心を発して、日夜・朝暮にまた懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、
ただ〝南無妙法蓮華経〟と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり――(御書三八四頁)。
池田先生曰く
前進しきった人が、必ず勝つ。題目を唱えきった人が、必ず最後は勝つのです――(池田大作全集三十一巻)
弟子曰く――これ皆、真実なり。
― おわり ―
27
:
太ちゃん★
:2017/03/14(火) 02:32:09
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66093
御礼 ! 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 3月13日(月)19時28分37秒
一人のSGIさん
>教材として使わせていただいてもよろしいでしょうか。
フラフラさん
>早速座談会で使わせていただきます。
長いのに読んで頂いて、ありがとうございます。
この際ですから、はっきり ! キッパリ! 言うときます。笑
グリグリの「論考シリーズ」を
どう使おうが、
教材として使おうが、
自分の論として使おうが、
好きに使用してください。貼り付けも当然、OKです。
グリグリが望む事は、
日蓮大聖人の偉大な思想と、それを完璧に応用展開した池田先生の思想を
一人でも多くの人に知ってもらうことです。
そのためならば、ドンドン盗んで 自分の論としてさらに思索を重ね
池田先生に代わって、不幸に泣く人たちに伝えていってください。
それが、グリグリの一番の願いです。
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