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【2024年度】春セメスター ゼミ報告内容

1河嶋直:2024/04/01(月) 13:35:53
このスレッドでは、2024年度秋セメスター内でのゼミ報告の内容を書き込んでください。ご自身がゼミでどのようなことを報告するのか、アドバイスを求めたいことは何かを書き込んでいただくようお願い申し上げます。

このスレッドでのルールは以下の通りです。
 ・報告者は報告の「報告前日の午前11時59分まで」に自身の報告内容を書き込むこと。
  (例)ご自身が「木曜日」に報告の場合→書き込み〆切は「水曜日の午前11時59分」まで。
 ・報告の順番に変更がある場合はこのスレッドで報告するのではなく事前に先生に連絡すること。

以上のことを守っていただきますようよろしくお願いいたします。

当スレッドでの書き込みの主目的は「研究内容を事前に知ってもらうこと」です。事前報告もゼミ報告の一つであり、また「始まり」でもあります。如何に努力した成果と研究内容への愛を相手に「魅せる」かがキーとなってきますので、くれぐれも忘れず書き込んでいただくようよろしくお願いいたします。

基本的な内容は以下の通りです。
①主要参考文献
②主要史料
③報告内容(概要や意義・問いなど)

6安藤大輝:2024/04/17(水) 17:50:24
スレッドの書き込みが遅くなり申し訳ありません。

4月18日の4限に報告する4回生の安藤です。
今回の報告内容は以下の通りとなっています。

①主要参考文献
古川岳志「公営ギャンブルのスポーツ化」谷岡一郎・仲村祥一編『ギャンブルの社会学』世界思想社、1997年、158-177頁
徳大寺彩「公営ギャンブルと日本社会」前掲『ギャンブルの社会学』世界思想社、1997年、244-252頁

②主要史料
『日本中央競馬会四十年史』(日本中央競馬会、1995年)
『日本中央競馬会六十年史』(日本中央競馬会、2015年)

③報告内容
報告のテーマは1986年〜1990年におけるJRAのイメージ改革です。広告媒体(CM等)を使用し、当時のアイドルホースなどから当時の実態を見ていきたいと思います。

7木全諄:2024/04/17(水) 19:43:44
スレッドの書き込みを失念しておりました。申し訳ございません。
4月18日の2限に報告をする木全です。
今回の報告内容は以下の通りになっております。

①主要参考文献
大槻健・浜林正夫『教育改革を問う』(大月書店)
深山正光ほか『臨教審答申をどう読むか』(労働旬報社、1985年)
堀尾輝久・浦野東洋一『東京都の教員管理の研究』(同時代社、2002年)
小国喜弘『戦後教育史』(中央公論新社、2023年)

②主要史料
教育政策研究所『臨教審総覧〈上覧〉』(教育政策研究会、1987年)
香山健一関係文書〈その2〉(国立国会図書館憲政資料室所蔵)

③今回の報告のテーマは、昨年から取り組んでいる教員の「多忙」問題について、臨教審の実施した教育改革との関連性から考えたいと思います。
現代において教員の多忙化が叫ばれていますが、問題解決の糸口は見えておらす、現状も問題の状況は変化していないと考えられます。
そこで、現代の多忙に繋がる源流を辿れば、これまでの研究で見られてこなかった「多忙」の歴史像が見えてくるのではないかと考えます。

8松尾 樹:2024/04/24(水) 12:32:18
4月25日の4限に報告する、4回生の松尾です。
今回の報告内容は以下の通りとなっています。

①主要参考文献
平山昇「関西私鉄・国鉄と「聖地」参拝―娯楽とナショナリズムの交錯―」(歴史地理学会編『歴史地理学』第 57 巻第 1 号 28 頁〜45 頁、2015 年)
永瀬節治「近代日本における参詣空間の創出に関する研究-明治期から昭和前期にかけての参詣をめぐる社会的文脈と空間づくり-」(東京大学博士学位請求論文、2010年)

②主要史料
『大阪電気軌道株式会社三十年史』(大阪電気軌道編、1940 年)
『伊勢新聞』(伊勢新聞社)

③報告内容(概要や意義・問いなど)
報告テーマは、現在の近鉄の前身である戦前の関西私鉄大阪電気軌道とその系列会社、及び沿線に多く存在する伊勢・橿原などの聖地に注目し、鉄道史の視点から聖地の都市空間や皇室、国民との関わりについて考えてみようと思います。
天皇や皇室の移動手段として御召列車が運転され、普段は国鉄線を使用することが多い中で、戦前の大阪電気軌道では珍しく私鉄の御召列車が度々運転されていました。そういった点から上記の内容について考え、鉄道技術史等に依らない鉄道史が分かるのではないかと考えます。

9横山真太郎:2024/04/25(木) 08:04:04
4月25日の2限に報告する、4回生の横山です。
今回の報告内容は以下の通りとなっています。
スレッドへの書き込みを失念してしまい当日朝の報告となってしまい申し訳ございません。

①主要参考文献
唐澤富太郎『學生の歴史』創文社、1955 年
町田祐一『近代日本の就職難物語』吉川弘文館、2016 年
伊藤彰浩『戦間期日本の高等教育』玉川大学出版部、1999年
坂野潤治『〈階級〉の日本近代史 政治的平等と社会的不平等』講談社、2014年

②主要史料
『九州大学新聞』九大法文会、1930-1931年
坪谷善四郎 著『知識階級と就職』早稲田大学出版部、1929年
京都市社会課編『調査報告』第35号(京都市、1936年)
京都市社会課編『調査報告』第34号(京都市、1935年)

③報告内容(概要や意義・問いなど)
報告テーマは、昨年から取り組んでいた昭和初期の大学生の就職難について扱います。
昨年、なぜ昭和初期という時代、それも京都という地域に限定しているのか、研究の目的がはっきりしていないとのご指摘を頂いたほか、
内容のみならず参考研究を載せていなかった点を始めとして体裁についてもスタートラインに立てて居ない状況でした。
今回の報告ではこれまでの研究を整理するとともに、新たな先行研究や史料をもとに研究テーマや扱う時代などをハッキリさせるというのが第一義にあります。

重ね重ねにはなりますが、投稿が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。

10服部友哉:2024/04/26(金) 18:23:02
4月27日に報告する服部です。
①主要参考文献
山室寛之『野球と戦争』(中公新書、2010 年)
玉置通夫「昭和19-20 年におけるプロ野球の非公式戦研究」『スポーツ史研究』第31 巻
(2018 年)、37〜42 頁。
金崎泰英「野球の健全性をめぐるわが国のプロ野球と学生野球の変遷―1930 年代から
1950 年代を中心に―」『現代社会文化研究』第59 巻(2014 年)、127〜144 頁。

②主要史料
鈴木龍二『鈴木龍二回顧録』(ベースボールマガジン社、1980 年)
御手洗辰雄『伝記 正力松太郎』((大日本雄弁会講談社、1955 年)
中日ドラゴンズ編『中日ドラゴンズ三十年史』(中日ドラゴンズ、1965 年)

③報告内容
「戦時下のプロ野球がいかにして存続したか」について、経営母体(親会社)や連盟に注目して報告します。
戦時下のプロ野球に関する研究は数が多くないうえに、戦時色が濃くなり、運営に苦労した事実や1945年に行われた非公式戦研究などが中心であり、プロ野球存続の理由に迫るものは少ないです。この点で、経営母体に注目することで、存続できた要因を明らかにできるのではないかと考えます。

11岩間拓良:2024/04/26(金) 22:08:03
4月27日に報告する岩間拓良です。掲示板への書込みが遅れてしまい申し訳ございません。

①主要参考文献
・林健太郎監修『実録昭和史‐激動の軌跡3 日本再建の時代 昭和21年〜昭和30年』ぎょうせい、1987年
・天野貞祐『教育五十年』南窓社、1974年

②主要史料
国会議事録検索システム 国立国会図書館 

③報告内容
ガリオア資金が打ち切られ学校給食の危機が訪れた際に、当時の議会での審議や予算問題から見て、どのようにして給食が復活していくのかを研究しています。先行研究では学校給食の危機に対する政治的や観点や動向が踏まえられていないことから、オリジナリティを出せるのではないかと考えています。
 今回の報告では、省庁の議会での審議を整理することにより、学校給食にたいする政府の姿勢や予算問題について明らかになると考えています。

12山本駿介:2024/04/30(火) 21:54:03
5/2 2限に発表する、4回の山本です。
今回の発表内容は以下の通りです。

① 主要参考文献
・『御殿場市史』御殿場市
 (内、『第7巻 近代資料編Ⅲ』(1980年)、『第9巻 通史編下』(1983年))
・『小山町史』小山町
 (内、『第5巻 近現代資料編Ⅱ』(1995年)、『第8巻 近現代通史編』(1998年))

② 主要史料
・静岡大学学生新聞会編『基地御殿場の実態と分析』静岡大学学生新聞会、1958年
・『広報おやま』第124号(昭和43年9月5日付)

③ 報告内容
テーマ:再軍備期の御殿場・小山地域における自衛隊の受容
 静岡県東部の御殿場市・小山町は、戦前は陸軍、戦後は自衛隊(警察予備隊、保安隊含む)との結びつきが強い地域です。
 先行研究整理でも取り上げる通り、同様に自衛隊との結びつきが強い地域があり、そのような場所では地域住民による受容・反発が自衛隊に対し見られます。隊は地域にどのような影響を与えて、今日まで存在しているのか。このような視点は、自衛隊と地域との未来を考えていく上で、非常に重要だと考えます。
 しかし御殿場・小山地域における自衛隊の受容がどのようなものであったのか、論じたものはありません。よって本研究は、その空白を少しで埋めることを目的としています。

 なお準備期間の関係上、今回の報告は先行研究整理と今後の課題についての報告に留めます。

13河嶋直:2024/05/16(木) 11:01:07
事前ゼミ報告内容の期限の変更について
現在までは報告日の前日(水曜日の11時59分)でしたが、報告日の3日前(木曜日報告→月曜日の23時59分まで 土曜日報告→水曜日の23時59分まで)に変更します。
以下、再度ルールを載せて置きます。

14河嶋直:2024/05/16(木) 11:06:31
このスレッドでは、2024年度秋セメスター内でのゼミ報告の内容を書き込んでください。ご自身がゼミでどのようなことを報告するのか、アドバイスを求めたいことは何かを書き込んでいただくようお願い申し上げます。

このスレッドでのルールは以下の通りです。 ・報告者は報告の「報告3日前の23時59分まで」に自身の報告内容を書き込むこと。 (例)ご自身が「木曜日」に報告の場合→書き込み〆切は「月曜日の23時59分」まで、「土曜日」に報告の場合→書き込み〆切は「水曜日の2359」までとします。
*報告の順番に変更がある場合はこのスレッドで報告するのではなく事前に先生に連絡すること。 以上のことを守っていただきますようよろしくお願いいたします。 当スレッドでの書き込みの主目的は「研究内容を事前に知ってもらうこと」です。事前報告もゼミ報告の一つであり、また「始まり」でもあります。如何に努力した成果と研究内容への愛を相手に「魅せる」かがキーとなってきますので、くれぐれも忘れず書き込んでいただくようよろしくお願いいたします。

基本的な内容は以下の通りです。
①主要参考文献 ②主要史料 ③報告内容(概要や意義・問いなど)

15山田渚紗:2024/05/20(月) 19:03:08
5月23日(木)4限に発表する山田です。
今回の発表内容は以下の通りです。
① 主要参考文献
1.上野清士「アトミック・ムービー-原爆映画史-」(1985.4-1986.12)
2.ドナルド・リチー「もののあわれ-映画の中のヒロシマ」(1999.8)
②主要史料
1.『キネマ旬報』『シネ・フロント』などを中心とする雑誌類
2.朝日新聞、長崎新聞
3.映画監督等のインタビュー、パンフレット等
③報告内容(概要や意義・問いなど)
今回の発表は、前回に引き続き戦後から現代までにおける原爆映画を中心に取り扱います。前回の質疑応答でいただいた「戦争責任の取扱」も定義を明確にできるようにすることを目標としていますが、研究を進めるにあたって原爆映画の戦争責任を主軸に据えるべきではないと自分自身で判断したため、戦争責任については触れるものの前回と似た形式で発表したいと考えています。
原爆映画は現在に至るまで数多くの作品が公開されていますが、先行研究では映画の内容や一つの作品の詳細な部分に焦点を当てるものが多く、映画監督等が長年の間どのような志を持って、逆境の中映画を製作し公開まで結びつけてきたか、その苦悩に迫るものはありません。そのことから、原爆映画製作環境を取り巻く社会状況に焦点を当てることでオリジナリティを見出したいと考えています。
構成については、前回同様『原爆の子』『ひろしま』の対立関係をまとめた後、以降の原爆映画について触れていきます。

16八木大輔:2024/05/20(月) 22:23:38
5月23日(木)2限に発表する八木です。
今回の発表内容は以下の通りです。
① 主要参考文献
1.『公認スポーツ指導者育成テキスト共通科目Ⅰ』
②主要史料
1.スポーツ庁予算案
2.朝日新聞
3.大学予算案
③報告内容(概要や意義・問いなど)
2010年代の政界や大学の予算案や周囲の情勢から大学での競技としての運動部について、どのような見方がされているかを明確にして大学運動部の位置付けを整理したいと考えています。
大学という学年が持つ運動の意味をはっきりさせ、大学体育会運動部の置かれている環境に注目することで、健康としてのスポーツや小中高での部活動といった研究との差別化を図りたいと考えています。

17岸 愛深:2024/05/27(月) 23:59:13
5月30日の4限に報告する、4回生の岸愛深です。
今回の報告内容は以下の通りになっております。

①主要参考文献
溝口 彰子 『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(太田出版、2017年)
竹中恵美子『働くこととフェミニズム』(ドメス出版、2020年)
木下直子 『「慰安婦」言説再考:日本人「慰安婦」の被害者性をめぐって』(九州大学、2013年)
荒木生『フェミニズムの新しい潮流――「第4波フェミニズム」』(上民文化42号、2019年)
牟田和恵『フェミニズムの歴史からみる社会運動の可能性―「男女共同参画」をめぐる状況を通しての一考察―』(日本社会学評論57号、2006年)

②主要史料
溝口 彰子 『BL進化論 「対話篇」ボーイズラブが生まれる場所』(太田出版、2017年)
霜月たかなか 『コミックマーケット創世記』(朝日新書、2008年)
コミックマーケット公式 『コミックマーケット30’sファイル』(PDF版、2005年)
文藝春秋 『CREA ゲイ・ルネッサンス』 (1991年2月号)
『CHOISIR』 20号 (1992年5月発行)

③報告内容
本報告において、昨年度までは二次創作の移り変わりについて取り組んでいましたが、それに関連する、女性向けジャンル(BLジャンル)について、本格的に登場し始めた1970年代の社会運動との関連性を考察していきたいと思います。
1970年代と言えば、第1回コミックマーケット、「花の24年組」と言われる漫画作家の活躍、テレビの普及、第2波フェミニズム運動など、BLジャンルの普及のきっかけとなる出来事が多く発生しています。それらによってなぜBLジャンルが普及し始めたのか、明らかにすることを目的としています。

18川田竜史:2024/05/28(火) 08:18:09
5月30日の2限に報告する、4回生の川田竜史です。
書き込みが遅れてしまい申し訳ありません。
今回の報告内容は以下の通りになっております。

①主要参考文献
福間良明『司馬遼太郎の時代-歴史と大衆教養主義』 (中公新書 2022年)

②主要史料
龍馬作品の各小説
作者の登場する各雑誌等
司馬史観に関する各雑誌等

③報告内容
今回の報告では前回取り扱った1995年までの龍馬小説の続きを見ていくとともに、当時の司馬史観に対する言及をみながら、司馬史観の影響力と龍馬作品の描かれ方の変化を見ていきたいと思います。
今後どうしていくべきか、なかなか定まっておりません。ご意見・アドバイスなどいただければ幸いです。よろしくお願いします

19白井岳歩:2024/06/03(月) 22:58:43
2024/06/06の4限に報告する、4回の白井です。

主要参考文献
岩佐 茂 主体性論争の批判的検討
芝田 進牛 現代日本のラディカリズム
小熊英二 1968上下・民主と愛国
絓秀美 1968年・革命的な、あまりに革命的な

主要史料
太田竜(栗原登一または小林富雄)の著書やそれに関連するもの
主体性論争に関するもの、特に梅本克己や田中吉六の著書

報告内容(概要や意義・問いなど)
日本の新左翼・トロツキズムに関して、太田竜・主体性論争を軸に捉え直す。

20福田敬知:2024/06/03(月) 23:31:37
6月6日の2限に報告する、4回生の福田敬知です。
今回の報告内容は以下の通りになっております。

①主要参考文献
信夫清三郎『安保闘争史 : 三五日間政局史論』(世界書院 1961)


②主要史料
朝日新聞(1960年)、読売新聞(1960年)などの新聞史料
各政党機関誌(社会新報、自由民主、アカハタ)
『再建:日本自由党中央機関誌』
各政治家(主に山本幸一)回顧録

③報告内容
今回の報告では、安保闘争の焦点が反安保改定から反岸内閣としての性格を帯びるにつれて、院内外の闘争が激しくなっていくにあたり、事態の収拾をしようとする動きが院内にあったため、院内に焦点をしぼって、事態収拾の動きを捉えていきたいと思います。その中で、社会党の批准前解散の計画と、自民党反主流派による反岸連合運動との連携策などの事態収拾策を見ていき、保革対立構造にほぼ焦点があてられていたと思われる60年安保研究に別の視点から見ていけたらと思います。
しかし、各政党各会派の事態収拾は実現しなかったことで安保闘争に関する研究としての意義があるのかどうか疑問が多々あります。
そこで、現時点では国対政治についての先行研究をとりあげ、60年安保における事態収拾のうごきを、後の自民党与党の立場での国対政治との関係性について考えることに及ぶまでの内容で報告しようと考えています。

21河嶋直:2024/06/08(土) 22:18:01
〇報告の概要
本報告では、軍事評論家平田晋策の1930年〜1932年に於ける思想と行動に着目し、1930年代に於ける「国家改造」の潮流の中で、平田がどのように「国家改造」を捉えていたかを明らかにする。

〇主要先行研究
・伊藤隆『昭和初期政治史研究:ロンドン海軍軍縮問題をめぐる諸政治集団の対抗と提携』東京大学出版会、1969年5月
・橋川文三著/筒井清忠編『昭和ナショナリズムの諸相』名古屋大学出版会、1994年6月
・丸山眞男『現代政治の思想と行動』新装版、未來社、2006年8月(初版:1956年/1957年)
・福家崇洋『戦間期日本の社会思想:「超国家」へのフロンティア』人文書院、2010年2月

〇主要史料
・「近藤栄蔵文庫」同志社大学人文科学研究所
・日本国民社会党準備会本部・新日本国民同盟本部著『国民社会黨準備会新日本國民同盟本部発行印刷物綴』日本国民社会党準備会 : 新日本国民同盟、1932年(「神田兵三氏、半谷玉三氏、山村直三郎氏旧蔵社会運動関係資料」同志社大学人文科学研究所所蔵、315.1||N318 932957009)
・平田晋策「軍部の指導精神を論ず」『經濟往來』7巻7号、日本評論社、1932年7月、112-119頁


22田中拓磨:2024/06/11(火) 22:58:40
6月13日4限に報告する、4回生の田中拓磨です。
書き込みが遅れてしまい申し訳ございません。

①主要参考文献
1.柏原町史
2.柏原市史第3巻(本編2)

②主要史料
1.河内国志紀郡柏原村三田家文書目録Ⅰ
2.朝日新聞(大阪、東京)
3.農業雑誌
4.官報
5.柏原市史第五巻(史料編Ⅱ)

③報告内容
河内国志紀郡柏原村三田七九郎とハブ草の関係から新たな三田七九郎像について解明していく。先行研究では見当たらなかったハブ草がどのようにして広まったのか、七九郎がハブ草の効能を広げるのにどのような形で貢献したのかを明らかにする。また、新たな三田七九郎像と当時の柏原村、七九郎の状況を結びつける。

23八木宣大:2024/06/17(月) 15:10:04
6月20日2限に報告する3回生の八木宣大です。
・主要先行研究
①岸川雅範「東京奠都と神田祭-明治初年の神田祭の変遷を素描する-」『明治聖徳記念学会紀要第46号』『明治聖徳記念学会、2009)
②阪本是丸『明治維新と国学者』神道文化叢書17(大明堂、1993)
・主要史料
①宮内庁『明治天皇紀』第一 (吉川弘文館、1968)
②品川区教育委員会『品川区史』続資料編二(東京都品川区、1976)
・報告内容
明治維新において京都から東京に天皇が奠都した際、東京にすでにあった神社は天皇を守る意味合いを持った。それが「準勅祭」であり、これは京都における「勅祭」と同じ制度を東京でもつくろうとした取り組みであるといえる。この観点から、明治政府が宮都としての「東京」を造営するにあたりどのように京都をインスパイアしたのかを研究することで、明治政府が持っていた古代観、天皇観を明らかにすることを目指す。

本研究は神道学と歴史学との学際研究、さらには古代と近代という時代横断的研究という位置付けになります。また先行研究も神道学の論文として書かれたものであるため、本研究で歴史学的な視点から再検討することを目指しています。
先行研究が薄い分野であり、また専門的な分野になるためロジックの構成に迷っている側面があります。また、私自身も出身が社家であるため、自分でも一連の事実を俯瞰しできているかが不安です。その2点についてご意見・助言等頂けたらありがたいです。

24鬼木翔大:2024/06/17(月) 18:21:42
【報告の概要】
本報告は、1868年(明治元年)〜1898年(明治31年)における佐々木高行や谷干城など土佐藩出身者の動向に主眼を置き、西南雄藩という位置付けの中で土佐藩の有した特異性について検討するものである。
(なお、今回の報告においては、明治10年前後〜明治20年前後までをその範囲とする。)

【主要先行研究】
・小林和幸「明治20年谷干城提出「意見書」とその周辺 ―「王道論」の射程 ―」『青山史学』23号、青山学院大学文学部史学科研究室編、2005年、15~23頁。
・小林和幸「谷干城における「民権」と「天皇」」『駒沢史学』54号、駒沢史学会、1999年、1~22頁。
・笠原英彦「元老院改革と保守勢力 ― 宮中と府中のはざまで ―」『法學研究:法律・政治・社会』95巻1号、慶應義塾大学法学研究会、2022年、1~33頁。
・西川誠「明治10年代前半の佐々木高行グループ」『日本歴史』484号、吉川弘文館、1988年、68~85頁。

【主要史料】
・東京大學史料編纂所『保古飛呂比 佐々木高行日記』7巻、東京大学出版會、1975年。
・津田茂麿『明治聖上と臣高行』原書房、1940年。
・平尾道雄『子爵谷干城傳』冨山房、1935年。
・宮内庁『明治天皇紀』第六、吉川弘文館、1971年。

【報告に際して】
6月20日(4限)に報告をさせていただきます、3回生の鬼木です。
さて、今回報告する内容ないしは研究全体を通して見たいことを一言で申し上げるならば、「土佐藩出身の首相っていなくね、何でなん?」ということに尽きると思われます。
土佐藩の研究といえば、その殆どが自由民権運動に関するものであり、明治政府内における藩閥という観点では土佐藩は薩長の影に隠れがちなものとして、あまり取り上げられてはきませんでした。「西南雄藩という枠組みにありながら、明治政府内において実権を掌握することが叶わなかった」、ここに本研究に係る疑問点が生じているのです。全力で理解していただきやすいように努めますが、基本は冒頭の一言を念頭にお聞きいただければわかりやすいのではと思います。  頑張るよ〜!

25上殿浩明:2024/06/17(月) 22:04:41
6月20日(木)2限に発表する上殿です。
今回の発表内容は以下の通りです。

➀主要参考文献
伊藤之雄『大正デモクラシーと政党政治』山川出版社、1987年。
前山亮吉「政友本党の基礎研究 : 現存する「党報」を素材として」『国際関係・比較文化研究』5巻1号、2006年、73〜91頁。

➁主要史料
牧野良三編『中橋徳五郎 上巻』大空社、1995年。

➂報告内容
研究全体としては、大正期における政友本党の立ち位置を、主に、政党幹部の動向から、明らかにすることを目的とする。また、本報告では、研究全体の意義、先行研究整理をし、簡単に、中橋ら約20人が政友本党から脱党した原因について、考察を行う。

26泉晴輝:2024/06/18(火) 10:56:31
【報告の概要】
本報告は、三井物産社員を経て政友会入りを果たし、主に田中内閣期から犬養内閣期にかけて対外強硬政策を主張し続けた森恪の政治思想に関する報告である。

【主要先行研究】
増田知子『天皇制と国家 近代日本の立憲君主制』青木書店、1999
栂井義雄「満州事変と三井財閥―山本条太郎・森恪との関係を中心に―」『社会科学年報』第6号、1972
小林昭平「戦間期の政治家森恪像の再考 ―山浦貫一編「森恪」に内在する矛盾した叙述を中心に―」『政治経済史学』第522号、2012
小林昭平「森恪の中国政策構想―満州事変前後を中心に―」『史林』第91巻6号、2008
浅井隆宏「政友会森恪の政軍関係」『法政論叢』第57巻、2021、218頁
小山俊樹『評伝森恪―日中対立の焦点』ウェッジ、2017

【主要史料】
山浦貫一「謀将・森恪」『文藝春秋』33巻12号
「非常時の非常手段」経済雑誌ダイヤモンド、ダイヤモンド社、1932年
「満蒙と我が特殊権益座談会」(文藝春秋)

【報告に関して】
本研究においては、従来軍国主義・軍独裁体制の一翼を担ったとされる森恪の内政観・対外観を再考する。内政観に関しては、先行研究がほとんど存在しない。そのため、森の対外観に加え、内政観も考察することで、森が軍独裁主義志向ではなかった側面を見出していきたい。

27石山航:2024/06/24(月) 13:46:08
お疲れ様です。
6/27(木)2限後半に報告する3回生の石山航です。
私の報告内容は以下の通りです。

①主要参考文献
・呉市史編纂委員会編『呉市史 第八巻』呉市役 所、2006年。
・上杉和央『軍港都市の150年 横須賀・呉・佐世保・舞鶴』吉川弘文館、2021年。
・河西英道『軍港都市史研究Ⅲ 呉編』清文堂出版株式会社、2014年。
・坂根嘉弘『地域のなかの軍隊 5 西の軍隊と軍港都市 中国・四国』吉川弘文館、2014年。

②主要史料
・伊藤博文『秘書類纂10 兵政関係資料』原書房、1970年。
・岩田豊雄『随筆海軍』新潮社、1943年。
・『呉市制一〇〇周年記念 体験手記集 『呉を語る』』呉市、2003年。

③報告内容(概要や意義・問いなど)
 戦後、広島県呉市を含む軍港4市 では平和産業港湾都市へと転換させるべく「旧軍港市転換法」を施行した。
 呉市では軍都から平和都市への転換を見せるかと思われた矢先、かつての海軍は海上自衛隊へ、軍事産業は重工業へスライドして地域に残った。
 『なぜ呉市では軍港都市転換法により平和都市化を標榜する一方、軍事機能を持ち合わせる海上自衛隊が受け入れられたのか』疑問に感じた。
 研究の軸を「呉市民の海上自衛隊受容」と設定したうえで、本報告では海軍と呉市民の関係性、海上自衛隊設置時の呉市民の反応の2点に絞り考察することを目指す。

28内藤貴也:2024/06/24(月) 20:27:50
お疲れ様です。
6/27(木)の2限前半に報告する3回生の内藤貴也です。
私の報告内容は以下のとおりです。

①主要参考文献
・栗原俊雄『特攻-戦争と日本人』中央公論新書、2015年
・一ノ瀬俊也『特攻隊員の現実(リアル)』講談社、2020年
・草柳大蔵『特攻の思想 大西瀧治郎伝』グラフ社、2006年
・李炯喆「終戦と無決定の本質」『長崎県立大学研究紀要』11号、長崎県立大学、2010年、161-173頁

②主要史料
現段階において、本報告で使用する予定の史料はありません。これから使う史料が出てくる可能性もありますので、
その際はスレッドに書き込む可能性があります。

③報告内容(概要や意義、問いなど)
「十死零生」の特別攻撃隊は、軍内部でも反対意見があった。また、特攻隊の創始者とされる大西瀧治郎は
特攻隊を「統率の外道」であると評価した。そのような特攻隊は、当初、捷一号作戦において実施し、航空母艦の
甲板を1週間程度使用不能にすることを目指した作戦であった。にもかかわらず、捷一号作戦が失敗に終わった後も
終戦に至るまで実施された。十分な戦果をあげることが難しかった特攻隊が当初の予定を超えて継続された理由を
終戦工作との関係性から考察することを目指す。

29山内葵生:2024/06/24(月) 21:50:21
お疲れ様です。6月27日(木)の4限に報告する3回生の山内葵生です。
報告内容については以下の通りです。

①主要参考文献
・関口浩「「蕃族調査報告書」の成立ー岡松参太郎文書を参照して 」『成蹊大学一般研究報告』第46巻第3分冊、2012年
・鶴見祐輔『〈決定版〉正伝 後藤新平3』(2005)東京:藤原書店
・春山明哲『近代日本と台湾』(2008)東京:藤原書店
・野林厚志「日本統治時代の資料からみた台湾原住民族の「疾病」観と食を通した健康」『日本健康学誌』2019年
・後藤武秀「臨時台湾旧慣調査会における「台湾祭祀工業令」の起草」

②主要史料
・『台湾私法』第1巻 不動産 上巻,臨時台湾旧慣調査会,明治43. 国立国会図書館デジタルコレクション
・「臨時台湾旧慣調査会規則ヲ定ム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A01200906500、公文類聚・第二十五編・明治三十四年・第三巻・官職一・官制一・官制一(内閣・外務省・内務省一)(国立公文書館)
・『臨時台湾旧慣調査会第一部調査報告書』第1回上巻,臨時台湾旧慣調査会,明36-42. 国立国会図書館デジタルコレクション

③報告内容について
 台湾は1895年まで清朝の支配下にあったが、同年から第二次世界大戦が終了する1945年までは日本の台湾総督府の統治下にあった。統治下において台湾は近代的な技術の導入や土地の整備が進む一方で、多くの台湾人が統治下で差別や抑圧を受けたという歴史がある。 その中で本報告においては、まず台湾統治にあたって現地の慣習を調査するために1901年に活動を開始し、1919年に解散した臨時台湾旧慣調査会についての整理と関係する人物の整理、先行研究の整理を行う。
 本研究においては、前近代的な行為を取り上げ、日本の行った統治行為について考察することを目標としているが、先行研究があまりうまく探せず、難航している部分がある。また、台湾現地の史料を読み下す技術についても私自身の知識が追いついていないため、特にこの2点について助言いただけたら幸いです。

30北村曉理:2024/06/24(月) 23:37:45
お疲れさまです。
6月27日4限に報告する三回生の北村曉理です。報告内容は以下の通りです。

①主要参考文献
·山本義孝『近代日本一五〇年 -科学技術総力戦体制の破綻』岩波新書、2018
·由井正臣『軍部と民衆統合 日清戦争から満州事変期まで』岩波書店、2009
·木村美幸『日本海軍の志願兵と地域社会』吉川弘文館、2022
·服部聡「第一次世界大戦と日本陸軍の近代化 -そのせいかと限界-」『国際安全保障』第36巻第3号、国際安全保障学会、2008

②主要史料
·臨時軍事調査委員会『参戦諸国の陸軍に就て』第五版、内閣、1919
·田中義一「地方ト軍隊トノ関係二就テ」帝国在郷軍人会、1911

③報告内容について
 第一次世界大戦を境に、戦争は国家が有する軍事力·技術力·経済力·政治力等、国力を総動員して戦う「国家総力戦体制」に変貌した。日本陸軍は大戦中から長期化するヨーロッパ戦争に強い関心を持ち、臨時調査委員会を設置した。調査の結果交戦諸国で動員する軍事力や生産力が遠く及ばないことを知り、欧米諸国に追い付くために日本国内で「国家総動員体制」を構築しようと試みる。しかし、第一次世界大戦が勃発した大正期前半は国民の中で社会運動が活発化し、軍部は公然と批判される対象であり、軍と軍人の社会的地位は低かった。
 今回の報告では当時の陸軍と帝国在郷軍人界、そしてそれらを取り巻く社会的情勢について調査し、陸軍が「国家総動員体制」に向けどのようなスタートをきったのかを考察することを目的としている。

31北村曉理:2024/06/24(月) 23:38:56
お疲れさまです。
6月27日4限に報告する三回生の北村曉理です。報告内容は以下の通りです。

①主要参考文献
·山本義孝『近代日本一五〇年 -科学技術総力戦体制の破綻』岩波新書、2018
·由井正臣『軍部と民衆統合 日清戦争から満州事変期まで』岩波書店、2009
·木村美幸『日本海軍の志願兵と地域社会』吉川弘文館、2022
·服部聡「第一次世界大戦と日本陸軍の近代化 -そのせいかと限界-」『国際安全保障』第36巻第3号、国際安全保障学会、2008

②主要史料
·臨時軍事調査委員会『参戦諸国の陸軍に就て』第五版、内閣、1919
·田中義一「地方ト軍隊トノ関係二就テ」帝国在郷軍人会、1911

③報告内容について
 第一次世界大戦を境に、戦争は国家が有する軍事力·技術力·経済力·政治力等、国力を総動員して戦う「国家総力戦体制」に変貌した。日本陸軍は大戦中から長期化するヨーロッパ戦争に強い関心を持ち、臨時調査委員会を設置した。調査の結果交戦諸国で動員する軍事力や生産力が遠く及ばないことを知り、欧米諸国に追い付くために日本国内で「国家総動員体制」を構築しようと試みる。しかし、第一次世界大戦が勃発した大正期前半は国民の中で社会運動が活発化し、軍部は公然と批判される対象であり、軍と軍人の社会的地位は低かった。
 今回の報告では当時の陸軍と帝国在郷軍人界、そしてそれらを取り巻く社会的情勢について調査し、陸軍が「国家総動員体制」に向けどのようなスタートをきったのかを考察することを目的としている。

32内藤貴也:2024/06/26(水) 21:20:12
お疲れ様です
6/27(木)2限前半報告の内藤貴也です。
今回の報告で史料を使うことになりましたので、直前の書き込みになり申し訳ありませんが、
記載させていただきます。
・「(2)航空特攻作戦」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C16120722900、特攻作戦(海軍の部)資料 昭和22.10(防衛省防衛研究所)
・「昭和18年9月16日 大東亜戦争終末方策」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C12120290500、昭和18年 大東亜戦争 戦争指導関係綴 一般の部(防衛省防衛研究所)
・野村実『侍従武官 城英一郎日記』(1982年、山川出版)昭和18年6月29日、292頁
以上3点です。

33山際こころ:2024/07/01(月) 19:06:27
お疲れ様です。
7/4(木)2限後半に報告する3回生の山際こころです。
私の報告内容は以下の通りです。

①主要先行研究
・新垣二郎「『昭和の大合併』の総括」『地方自治ふくおか』第64号、2018年
・鳴海正泰『戦後自治体改革史』日本評論社、1982年
・クラーマー スベン『「昭和の大合併」と住民帰属意識』九州大学出版会、2020年

②主要史料
・鳴尾村誌編纂委員会編『鳴尾村誌 1889-1951』西宮市鳴尾区有財産管理委員会、2005年
・西宮現代史編集委員会編『西宮現代史 第二巻』西宮市、2002年
・岡本静心編集代表『尼崎市史 第3巻』尼崎市役所、1970年
・川西市史編集専門委員会編『かわにし 川西市史第三巻』兵庫県川西市、1980年
・新修神戸市史編集委員会編『新修神戸市史 歴史編Ⅳ 近代・現代』神戸市、1994年

③報告内容
 兵庫県武庫郡鳴尾村は、一時は単独市制施行を構想していたが、やがて隣接する西宮市との合併に至った。
 単独での市制施行を目指していた鳴尾村がなぜ西宮市に合併されたのか、また、「昭和の大合併」より早い時期にこの合併が行われたことにどのような意義があったのか疑問に感じた。
 本報告では、西宮市・鳴尾村の合併過程の分析と、「昭和の大合併」の具体的な事例との比較を行う。
 今後は、西宮市・鳴尾村の合併を中心に、戦後から「昭和の大合併」が行われるまでの期間に実施された市町村合併について分析していくことを目標としている。しかし、研究対象をどこまで広げる、あるいは絞るべきか未だ決めかねているため、アドバイスをいただきたい。

34大西知明:2024/07/01(月) 20:52:17
お疲れ様です
7/4(木)に報告する三回生の大西知明です。報告内容は以下の通りです。

①主要先行研究
嶋田暁文「「平成大合併」の総括的検討」『地方自治ふくおか』64号、2018年
若山大樹・松山敬左「市町村合併に関する住民意識の測定 2004年能代山本地域合併意識調査の実態と問題」『地域学研究』38巻2号、2008年
丸山真央「「平成の大合併」をめぐる住民意識 高知市民の意識調査の分析を通して」『桐蔭論叢』20号、2009年6月
津川康雄「市町村合併と住民意識 群馬県を事例として」『地域政策研究』8巻2号、2005年11月
宮下量久「なぜ合併の合意形成は行われなかったのか 合併不成立地域における協議過程の検証」『Public Choice Studies』57巻、2011年4月
広田啓朗「市町村の選択行動と合併要因の検証 平成の大合併を事例として」『計画行政』30巻4号、2007年12月

②主要史料
斑鳩町「平成15年第1回臨時会 斑鳩町議会会議録」(2003年2月)
斑鳩町「平成15年第5回定例会 斑鳩町議会会議録」(2003年9月)
斑鳩町「平成15年第2回定例会 斑鳩町議会会議録」(2003年3月)
斑鳩町「平成16年第4回定例会 斑鳩町議会会議録」(2004年9月)
斑鳩町「市町村合併調査研究特別委員会」(2003年1月)

➂内容について
奈良県の西和地域では、平成前期に、7町で合併するのではないかという動きがあった。いわゆる平成の大合併のさなかでの出来事なのだが、最終的に一部の町の住民投票によって合併案が否決されてしまった。今回は、合併案がなぜ否決されたのか、その議論の過程について、斑鳩町議会や委員会、斑鳩町長の思惑などから探っていきたいと思う。報告の後半で、ゼミの皆様から意見をいただく場合がございますので、よろしくお願いいたします。

35三浦光太郎:2024/07/01(月) 21:35:40
お疲れ様です。
7/4(木)4限に報告する3回生の三浦光太郎です。
報告内容を周知させていただきます。

・主要先行研究
林茂『湯浅倉平』(湯浅倉平伝記刊行会、1969)
黒沢良『内務省の政治史』(藤原書店、2013)
松田好史『内大臣の研究-明治憲法体制と常侍輔弼-』(吉川弘文館、2014)
茶谷誠一「二・二六事件後の宮中勢力」(『史苑』第68巻1号、2007、pp.7-35)
李炯植『朝鮮総督府官僚の統治構想』(吉川弘文館、2013)

・その他の参考文献
清水唯一朗『近代日本の官僚』(中公新書、2013)
加藤伯伝記編纂委員会編『加藤高明』下(加藤伯伝記編纂委員会、1929)

・主要史料
湯浅倉平「地方官憲の党幣」『憲政』(憲政会本部、1923-08)p.30-31
湯浅倉平「低調なる政界の雰囲気」『憲政』(憲政会本部、1924-06)p.26-28
若槻礼次郎『古風庵回顧録: 若槻禮次郎自傳 : 明治、大正、昭和政界祕史』(読売新聞社、1950)
「政務総監となった湯浅倉平君」『実業の世界』(実業之世界社、1926-02)p.49-50
石森久弥「東京より」『朝鮮公論』(朝鮮公論社、1933-03)p.2-3

・報告内容
本研究において宮内大臣や内大臣を歴任した湯浅倉平の政治思想を分析していく。内大臣期や宮内大臣期の湯浅を分析した研究はいくつかあるが、それ以前に視点を向けた研究はほとんどない。当時の内大臣は天皇の相談役や後継首相の奏薦などを行っており、そのような人物の政治思想を明らかにすることは非常に重要であると考える。
そこで、今回の報告では内大臣・宮内大臣期から一旦視点を転換して内務官僚時代の湯浅について見ていく。彼が考える理想の政治とは何かについて明らかにしていくつもりである。

よろしくお願いいたします。

36片岡巧月:2024/07/01(月) 23:11:33
お疲れ様です。
7/4(木)2限に報告する3回生の片岡です。
報告予定の内容は以下の通りです。

①主要先行研究
西邑雅子、松田隆典「伏見酒造業の展開と産地構造」(『新地理』第45巻3号、1997年、19頁)
鈴木芳行『日本酒の近現代史』(吉川弘文館、2015年)
吉田元『京の酒学』(臨川書店、2016年)

②主要史料
「酔いもさめる値上げ 清酒大手(忠勇 富久娘)が実施 他も追随の恐れ」(『朝日新聞』1973年5月15日付、朝刊、3頁)
「[気流]清酒の値上げとんでもない まずリベート全廃せよ」(『読売新聞』1974年4月9日付、朝刊、9頁)

③報告内容
 日本酒(清酒)の消費量は1973年をピークに現在まで減少傾向にある。現在の日本酒状況について考察する文献は数多く存在するものの、1970年代当時の状況に言及した文献は見つかっていない。
 私の研究では、1970年代に日本酒離れが始まったということを歴史的な観点から実証することを目標として、本報告では新聞史料から当時の状況を探るつもりである。なお、主要史料は現状より変更・追加の可能性がある。
 研究手法に関してはまだ見えていない部分も多いため、意見を頂きたい。

37溝口当子:2024/07/04(木) 06:53:45
お疲れ様です。7月6日(土)の3限に報告する3回生の溝口当子です。
スレッドへの投稿が遅くなり申し訳ございません。
報告内容は以下の通りです。

①主要参考文献
・朱徳蘭『台湾総督府と慰安婦』明石書店、2005年
・藤永壮「植民地台湾における公娼制度の導入とその変遷―法令の分析を通じた基礎的考察―」『「日本帝国」の支配地域における公娼制度と接客業の実態分析』平成14~16年度科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書、2005年、1~24頁
・張曉旻「植民地台湾における公娼制の確立過程(1896年~1906年)—「貸座敷・娼妓取締規則」を中心に―」『現代台湾研究』34号、2008年、1~25頁
・張曉旻「植民地台湾における公娼制の導入過程の実証的検討―1896年の台北県を事例として―」『国際文化学』21号、2009年、1~17頁

②主要史料
・『台湾日日新報』ゆまに書房、1995.3-1998.9
・『台南新報』国立台湾歴史博物館台湾新聞データベース

③報告内容について
1895年に日本の統治下に置かれた台湾では、軍政期から民政期に移行してから約2カ月後の1896年6月に台北県令甲第一号「貸座敷並娼妓取締規則」が発布され、これが台湾の公娼制度の起源とされている。
既に先行研究において台湾の公娼制度は導入段階(1896~1906)・全島統一段階(1906~1921)・再調整段階(1921~1945)に区分できることが示されているが、本報告ではまだ研究があまり進んでいないと見受けられる再調整段階(1921~1945)の特に1920年代に焦点を当て、台湾の公娼制度の実態を当時の新聞から考察することを試みる。
現状、史料の収集が容易ではないことや研究テーマが明確になっていないことなど様々な問題を抱えているので、ご意見いただけると幸いです。

38中川美祈:2024/07/05(金) 00:36:52
お疲れ様です。
7月6日(土) 3限に発表する中川美祈です。
報告内容は以下の通りです。

①主要先行研究
•松田法子「温泉場の私娼とその空間―昭和初期熱海における酌婦と芸妓―」佐賀朝・吉田
伸之編『シリーズ遊郭社会2 近世から近代へ』、吉川弘文館、2014 年、231-257 頁
•初田香成「白山―東京の三業地」佐賀朝・吉田伸之編『シリーズ遊郭社会 2 近世から近
代へ』、吉川弘文館、2014 年、201-229 頁
•眞杉侑里「明治期『上毛新聞』にみる私的売春イメージ」『立命館大学人文科学研究所紀
要』、103 号、2014 年、71-112 頁
•寺澤優『戦後日本の私娼・性風俗産業と大衆社会―売買春・恋愛の近現代史―』有志館、
2022 年
•人見佐知子「明治初年の大阪における遊所統制と『再編公娼制』」大阪歴史学会編『ヒス
トリア』、大阪歴史学会、2008 年、215-241 頁

②主要史料
大阪府史編集室『大阪府布令集 三』大阪府、1971 年、807-808 頁
大阪府『大阪府統計書 明治 14 年』大阪府内務部、1881 年、80 頁
大阪府『大阪府統計書 明治 15 年』大阪府内務部、1882 年、75-78 頁
大阪府『大阪府統計書 明治 16 年』大阪府内務部、1883 年、87-91、482 頁
大阪府『大阪府統計書 明治 17 年』大阪府内務部、1884 年、83-87 頁

③報告内容について
私娼研究においては、関東地方に関する研究が多く、大都市東京では、公娼の就業審査が厳しかったことや関東大震災や昭和恐慌などの影響で私娼が増加したことが明らかにされている。本報告では、東京同様、大都市である大阪でも同じ現象が見られるのか、あるいは違う現象が見られるのかということを疑問に思い、大阪の売淫の増減とその要因のついて考察してみました。発表の準備を進めるにあたって、やはり史料の少なさを痛感し、強引な論理づけも多々あるため、テーマの再設定が必要だと感じています。テーマ設定やその際の参考文献など、ご意見頂けると幸いです。

39三木詩織:2024/07/05(金) 14:37:25
お疲れ様です。掲示が遅れてしまい申し訳ありません。
7月6日2限に報告する三回生の三木詩織です。報告内容は以下の通りです。

① 主要参考文献
・井上和子「大阪における戦後のセツルメント運動と学童保育」『大阪女子短期大学紀要』第10‐12巻、43‐54頁
・二宮衆一「学童保育実践の特質とその構造―「生活づくり」の歴史的変遷をたどりながら」『現代日本の学童保育』日本学童保育学会編旬報社、2012年、169‐195頁
② 主要史料
・白畠美智子「うちかて学童いきたいわ」『燃える放課後』大阪保育研究所、あゆみ出版、1983年、11-41頁
・横田晶子「大阪の学童保育のあゆみ」『燃える放課後』大阪保育研究所、1983年、
・「学童保育のハンドブック」全国学童保育連絡協議会編、一声社、1995年
・「新版学童保育のハンドブック」全国学童保育協議会編、一声社、1998年

③ 報告内容について
学童保育は、近年ようやく制度化された制度です。高度経済成長期から発展してきたそれは、近年ようやく研究が進んできた段階ですが、歴史研究に関してはまだまだ進んでいるとは言えません。本報告では、学童保育がどのように形成されてきたのかを、地域、家族に注目して考察していきます。
今回の発表では高度経済成長期の学童保育の始まりからを考察していくが、今後は現代の学童保育にまで言及していきたいと考えています。しかし、まだまだ史料の目途が立っているものが少なく、また内容の浅さを感じているので、皆さんの御意見をいただけると幸いです。よろしくお願いします。

40下山菜々子:2024/07/06(土) 17:19:45
お疲れ様です。7月6日(土) 2限に発表する下山菜々子です。報告内容は以下の通りです。

遅くなってしまい、申し訳ございません。
①主要参考文献
・中野光 『大正デモクラシーと教育』新評論、1990、93―105頁
・阿部彰 『文政審議会の研究』 風間書房、1975、251-279頁、274-307頁
・海後宗臣 『臨時教育会議の研究』 東京大学出版、1960、916-955頁
・廣嶋 龍太郎 「大正期における森文政の評価」『明星大学教育学研究紀要』
明星大学教育学研究室、2009

②主要史料
「各種調査会委員会文書・臨時教育会議書類・二ノ一速記録綴自第一号至第十号」JACAR(アジア歴史資料センター)(1917年10月27日)Ref.A05021030500、(第211画像)各種調査会委員会文書・臨時教育会議書類・二ノ一速記録綴自第一号至第十号(国立公文書館)
₂ 『東京朝日新聞』1917年10月29日2面 「愛国精神養成」
₃JACAR(アジア歴史資料センター)(1917年10月6日)Ref.A05021030500、(第116,117画像)像各種調査会委員会文書・臨時教育会議書類・二ノ一速記録綴自第一号至第十号(国立公文書館)
₄JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A05021030500、(第222,223画像)像各種調査会委員会文書・臨時教育会議書類・二ノ一速記録綴自第一号至第十号(国立公文書館)
₅JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A05021030500、(第226画像)像各種調査会委員会文書・臨時教育会議書類・二ノ一速記録綴自第一号至第十号(国立公文書館)
₆JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A05021030500、(第229―231画像)像各種調査会委員会文書・臨時教育会議書類・二ノ一速記録綴自第一号至第十号(国立公文書館)
₇JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A05021030500、(第234、235画像)像各種調査会委員会文書・臨時教育会議書類・二ノ一速記録綴自第一号至第十号(国立公文書館)
₈「各種調査会委員会文書・文政審議会書類・十一文政審議会議事速記録」JACAR(アジア歴史資料センター)(1924年4月14日)Ref.A05021065900、(第23-25画像)各種調査会委員会文書・文政審議会書類・十一文政審議会議事速記録(国立公文書館)
₉JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A05021065900、(第135-143画像)各種調査会委員会文書・文政審議会書類・十一文政審議会議事速記録(国立公文書館)
₁₀JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A05021065900、(第42,43画像)各種調査会委員会文書・文政審議会書類・十一文政審議会議事速記録(国立公文書館)
₁₁『東京朝日新聞』1924年10月4日2面「行悩みとなった軍事教育案 陸軍側の注文にオイソレとのらぬ文部省」

③報告について
1924年に設置された文政審議会での決議により、「軍事教練」や「青年訓練所」の軍事教育機関の設立をはじめ、陸軍省の教育への介入が目立つようになる。1930年代になると、軍国主義の影響により軍事教育・天皇制教育の教育一致が起こり、教育政策に占める陸軍省のウェイトが高まっていく。この動きの中での文部省の研究に関しては、社会主義の取締りに焦点をあてたものが多く、陸軍省の教育への介入について文部省がどう捉えていたのかという点に興味を持った。陸軍省が教育に介入するきっかけとなった文政審議会が設立された1924年以降に、文部省は陸軍省の事をどう考えていたか、文部省の方針はどのようなものだったのか。また、軍事教練施行後の文部省の教育方針について考察していきたい。

41鈴木琴葉:2024/07/08(月) 19:20:26
7月11日2限に発表する鈴木琴葉です。報告内容の予定は以下の通りです。

主要参考文献
青木枝朗訳『ヒュースケン日本日記』(註の部分)岩波書店、1989年
庭野吉宏「ヒュースケンという人物」『東日本英学史研究:日本英学史学会東日本支部紀要』10、日本英学史学会東日本支部事務局、2011年、69-72頁
O.スタットラー著、金井圓ら訳『下田物語(上)』現代教養文庫、1983年
O.スタットラー著、金井圓ら訳『下田物語(中)』現代教養文庫、1983年
O.スタットラー著、金井圓ら訳『下田物語(下)』現代教養文庫、1983年

主要史料
ヒュースケン著、青木枝朗訳『ヒュースケン日本日記』本文、岩波書店、1989年
フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェン著、上村直己訳『リヒトホーフェン日本滞在記』2013年
オイレンブルク著、中井晶夫訳『オイレンブルク日本遠征記 上』雄松堂書店、1969年

ヒュースケンについての研究をしたいと考えており、今回中心となっているのは先行研究で触れられていた「仲間たちからも愛された」という部分の掘り下げです。複数の記録から、評価を調査しました。どのように研究するかという部分についての方針が定まっておりませんので、ご助言いただければ幸いです。

42小林希颯:2024/07/09(火) 19:35:05
7月11日2限に発表する小林希颯です。
スレッドへの投稿が遅くなり申し訳ございません。
報告内容の予定は以下の通りです。

①主要参考文献
・和田悠・井上惠美子「1990年代後半〜2000年代におけるジェンダーバックフラッシュの経過とその意味」『多文化・共生コミュニケーション論叢』6号、横浜:フェリス女学院大学多文化・共生コミュニケーション学会、2011年、29‐42頁

・堀川修平『「日本に性教育はなかった」と言う前に ブームとバッシングのあいだで考える』柏書房、2003年
・松下清美・玉江和義「性教育の現状と課題〜性教育の歴史的変遷に着目して〜」『宮崎大学教育文化学部紀要.芸術・保健体育・家政・技術』25・26号、宮崎:宮崎大学教育文化学部、2012年、9‐20頁

②主要史料
史料はありませんが使うかもしれません

③報告内容について
日本の性教育について国会での討論の内容を掘り下げながら研究をしたいと思っています。なかでも1990年代は政権交代があり政府も不安定な中、フェミニズムやジェンダーフリーの風潮から性教育にもとめられるものも変化しました。また2000年代の東京においては学校現場での性教育に対して政府や都庁からバッシングが行われました。このことから性教育には政府などによる政治の意向が大きく関わっている点に研究の意義を見出しました。
全体的にアドバイスいただけたら幸いです。はじめて1人で発表するので緊張していますが、一生懸命頑張ります!よろしくお願いします!!

43梅野友翔:2024/07/09(火) 21:13:14
7月11日4限に発表する梅野友翔です。報告内容の予定は以下の通りです。

遅くなってしまい、申し訳ございません。
①主要参考文献
石橋知也・柴田久「1960年代の福岡市政の変遷にみる都市戦略のあり方に関する史的考察」『土木学会論文集D1(景観・デザイン)』Vol70,1,p1-15、2014。
小島大輔「福岡市の国際都市づくりにおける1995年ユニバーシアード大会の意義」『大阪成蹊大学紀要』8,p93-104,2022。
小島大輔「ユニバーシアード大会が福岡市の都市政策に与えた影響」『地理科学』78(3),p143ー151,2023。
久保隆行「地方中枢都市のグローバル化:「札仙広福」35年間の軌跡と展望」『都市政策研究』18,p71-96,福岡アジア都市研究所,2017。
佐々木喜美「福岡の都市文化史ー1961年〜2005年まで」九州大学,2006,博士論文。

②主要史料
福岡市役所「福岡市総合計画書ー基本計画ー1960」(福岡市、1961)
福岡市役所「福岡市総合計画書ー基本計画-1966」(福岡市、1966)
福岡市役所「福岡市総合計画書ー基本計画ー1981」(福岡市、1981)
福岡市役所「福岡市総合計画書ー基本計画ー1988」(福岡市、1988)
『西日本新聞』:「西日本都市診断」1962年8月29日1面
『西日本新聞』:「わたしの提案ー福岡市都市診断を見てー」(1)1962年9月6日
『西日本新聞』:「わたしの提案ー福岡市都市診断を見てー」(2)1962年9月7日
『西日本新聞』:「わたしの提案ー福岡市都市診断を見てー」(5)1962年9月11日
麻生グループ150周年プロジェクト委員会『麻生百五十年史』(麻生、2023)

③報告内容について
1990年代、バブル崩壊し、地方都市の衰退が進んでいき、東京一極集中がより進行した。そのような中、日本の地方中枢都市である「札仙広福」のひとつである福岡市はバブル崩壊期にもかかわらず「日本で一番元気な都市」と呼ばれるほど成長を遂げていた。
その要因として1988年に策定された「第6次福岡市基本計画」に都市像として「アジア」の文字が明記され、当時の市長である桑原市政からグローバル化が始まった。先行研究では基本計画による福岡市の影響を述べられているが、当時の福岡市内の人物軸、意思決定、桑原市政の背景が述べられていない。
本報告ではまず、福岡市政の特徴、「札仙広福」の中でなぜ福岡市を取り上げるのかについての意義を報告する。福岡市にだけ視点を絞ってしまったので、バブル期の「札仙広福」、東京の行政運営、地元企業がどのような影響を受けたのかなどのアドバイスいただければ幸いです。

44森倉ことな:2024/07/09(火) 23:43:14
7月11日(木)4限に発表する森倉です。
スレッドへの書き込みが遅くなってしまい申し訳ございません。
今回の発表内容は以下の通りです。

① 主要参考文献
・宍戸實『軽井沢別荘史 : 避暑地百年の歩み』住まいの図書館出版局、1987年。
・宮原安春『軽井沢物語』講談社、1991年。
・小林收『避暑地軽井沢』櫟、1999年。
・岡村八寿子『祖父 野沢源次郎の軽井沢別荘地開発』株式会社牧歌舎、2018年
・内田青蔵「リゾート軽井沢の知られざる仕掛け人--野澤源次郎と橋口信助」『別冊太陽 : 日本のこころ』128号、2004年、16-20頁
・前田一馬「近代〈軽井沢〉の成立に関する歴史地理学的研究 : 別荘地の拡大による「季節的な都市」の誕生」、博士論文、2022年

②主要史料
・本多静六 述『輕井澤遊園地設計方針:本多林學博士口述筆記』出版社不明、1911年、
・監修・解題 内田青蔵『雑誌『住宅』〔復刻版〕』第1巻、柏書房株式会社、2001年

③報告内容
 「軽井沢のイメージは?」と聞かれると、高原リゾート地、または緑豊かな別荘地などと思い浮かべる人が多いと思われます。しかし、明治中期までの軽井沢は寒冷な不毛地帯として、現在の軽井沢からは想像できないほどの原野でした。そのような軽井沢が避暑地として外国人に発見された1886年を起点に別荘地としての歴史を歩み始めたのです。そして、大正期に入ると軽井沢では都市型資本による計画的な別荘地開発がなされるようになるのですが、その代表的な人物である"実業家 野沢源次郎の別荘地開発構想に迫りたい"というのが私の研究テーマです。
 軽井沢の別荘地・避暑地研究はこれまで様々な分野から一定程度の蓄積がなされています。しかし、野沢源次郎の別荘地開発に迫った研究は乏しいように思われます。11日の報告では野沢源次郎の別荘地開発を迫る意義を、近年の軽井沢がもつ危機感に繋げて述べたいと考えております。

今回の報告では、考察で新たなる史料を提示できませんでした。これまでの報告者と少し異なる形とはなりますが、アドバイスご意見のほどよろしくお願いします。

45宮島夏音:2024/07/17(水) 05:05:20
7月18日(木)2限に発表する宮島です。
書き込みが遅くなり申し訳ございません。
今回の発表内容は以下の通りです。

① 主要参考文献
宮島三香子「現代の少年漫画に関する―考察―」『文教大学紀要』文教大学紀要委員会編、第11集、1978年。
宮島三香子「少年漫画「愛と誠」「男組」に描かれた思想性に関する考察」『文教大学紀要』、文教大学紀要委員会編、第12集、1978年。
内閣官房「「劇画」ブームとその社会的背景―映像世代のアイドル・メディアを分析する―」『内閣官房調査月報 21』1976年。
石子順造『戦後マンガ史ノート』紀伊国屋新書、1994年。
権藤晋「かつて劇画は生き死にをその本体としてあった」『通俗の構造―日本型大衆文化』太平出版社、1972年。

②主要史料
赤座憲久、原昌編『保育叢書 25 児童文化』福村出版、1982年。
星野健司「つげ義春論」『暁星論叢』第13号、1981年。

③報告内容
戦後マンガ史においてキーとなる劇画マンガに注目し、劇画マンガがどのように生まれ、
変わっていったのかをまとめ報告します。現状テーマが大雑把であるため、詳細なテーマを設定すること、
その研究意義を見つけることが目的です。かなり概説的な内容になると思われます。
皆さんからのアドバイスご意見も参考にしたい所存です。

46陰地竜暉:2024/07/17(水) 05:20:26
7月18日2限に発表する陰地です。
スレッドへの書き込みが遅れて申し訳ありません。
今回の発表内容は以下の通りです。

①主要参考文献
三橋順子「「性転換」の社会史(1)-日本における「性転換」概念の形成とその実態、1950〜60年代を中心に-」『戦後日本女装・同性愛研究』(中央大学出版部、2006年)
三橋順子「「性転換」の社会史(2)-「性転換」のアンダーグラウンド化と報道、1970〜90年代前半を中心に-」
山内俊雄『性転換手術は許されるのか 性同一性障害と性のあり方』(1999年、明石書店)

②史料
東京地方昭和四◯年(わ)第三◯七号、同年(特わ)第九二七号、麻薬取締法違反、優生保護法違反被告事件、同四四年二月一五日刑事第一ニ部判決

「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申

性同一性障害に関する答申と提言

③概要
1969年の性転換手術執刀医に対する旧優生保護法違反判決、通称ブルーボーイ事件により、日本では以降約30年に渡って手術の実施がタブー視されてきた。
しかし、判決は性転換手術そのものを違反としたわけではなく、また今後の手術実施に向けて先進的な指針の設定がなされていた。また、この内容は埼玉医科大学の答申に酷似しており、関連性が考えられる。

47渡邉凪紗:2024/07/17(水) 06:14:08
お疲れ様です。
7月18日(木)の4限に発表する渡邉です。
スレッドへの書き込みが遅くなってしまい、申し訳ございません。


①主要参考文献
・法月敏彦「ふたつの演劇改良-明治中期の大阪演劇改良会と東京演劇改良会-」『芸術研究:玉川大学芸術学部研究紀要』7号、玉川大学、2015年、1-11頁
・漆澤その子「明治歌舞伎にみえる時代性-役者と観客と「時代精神」-『武蔵大学人文学会雑誌』第55巻 第3・4号、武蔵大学人文学会、2023年
・松本和也「明治末年における劇壇の新機運-自由劇場を中心とした言説史」『人文学研究所報』68号、神奈川大学人文学研究所、2022年、1-20頁
・後藤隆基「京都演劇改良会再考:高安月郊と明治三十年代京都劇壇の一断面」、『立教大学 日本文学』110巻、2013年、59-70頁
・小櫃万津男「大阪演劇改良会とその周辺」『演劇学論集 日本演劇学会紀要』8巻、1966年、52-71頁

②主要史料
・渡辺保『明治演劇史』、講談社、2012年、192-201頁
・『大阪経済雑誌 第10年』、大阪経済社、16-17頁

③報告内容
 明治期における日本では、諸文化の近代化-西洋化が進められていった中で、演劇界でも同様の動きが見られました。明治十年代には九代目市川團十郎による歌舞伎の改良活動、中期には各地で行われた改良運動、末期には小山内薫や二代目市川左團次等が中心となった自由劇場での活動など、演劇の改良に対する様々な動きがありました。日本の演劇史において、明治期に改良が試みられてきた演劇が、どのように観客に受け入れられてきたのか、同時代の人々の反応・受容という観点を加えた研究をしたいというのが私のテーマです。このテーマを掲げた上で、本報告では、先行研究をもとに、明治中期の東京・大阪・京都に焦点をあて、当時行われた演劇改良運動に着目していきたいと考えています。
自身が設定したテーマについて、前提となる知識の不足や今後の研究の方向性など、至らない点ばかりですが、ご意見やアドバイスを頂けたら幸いです。

48高井結菜:2024/07/18(木) 10:20:44
お疲れ様です。
7月18日(木)4限に発表する高井です。
スレッドへの書き込みが遅れてしまい大変申し訳ございません。

①主要参考文献
・小島和貴「大日本私立衛生会とその「支会」」慶応義塾大学法学研究会、2024年
・小島和貴『長与専斎と内務省の衛生行政』慶応義塾大学出版会株式会社、2021年
・滝澤利行「大日本私立衛生会の民族衛生観」『民族衛生』第57巻第5号、1991年
・山本俊一『日本コレラ史』東京大学出版会、1982年

②主要史料
・滝澤利行「大日本私立衛生会の民族衛生観」『民族衛生』第57巻第5号、1991年
・内閣記録局編『法規分類大全』衛生門(1)、原書房、1979年
・大日本私立衛生会『大日本私立衛生会一覧』、1895年

③報告内容
とても抽象的で申し訳ないのですが、明治期のコレラ大流行と当時の政府機関、特に中央に加えて地方への対策も重要視していた大日本私立衛生会の設立から対応・施策に注目し、そこから中央でなく当時の地方の実態や本当に衛生会の施策が地方に浸透し流行拡大抑止の効果を発揮していたのかを可能な限り解き明かそうと考えています。
正直準備時間が足りず、史料集めや選択などに難航し、十分に論を展開できなかったため聞く方によっては説得性に欠けていると感じる方もいらっしゃるかもしれません。
初めてのゼミ発表で至らない点もあるかと思いますが、全力を尽くします。
ぜひご指摘や助言などよろしくお願いいたします。

49愛葉一真:2024/07/18(木) 15:29:04
スレッド投稿用

7月22日(補講日)に発表させていただきます愛葉一真です。
報告内容は以下の通りです。

①主要参考文献
・永平寺史編纂委員会『永平寺史』上巻、大本山永平寺、1982年
・永平寺史編纂委員会『永平寺史』下巻、大本山永平寺、1982年
・末木文美士『日本宗教史』岩波書店、2006年
・圭室文雄『神仏分離』教育社、1977
・福井県『福井県史』通史編2 中世、1994年
・福井県『福井県史』通史編3 近世一、1994年
・村上重良『国家神道』岩波書店、1970年
・吉田久一『近現代仏教の歴史』筑摩書房、1998年

②主要史料
・『読売新聞』朝刊2頁、1891(明治24)年6月27日 
・『読売新聞』朝刊2頁、1891(明治24)年8月20日
・『読売新聞』朝刊2頁、1902(明治35)年5月3日
・『読売新聞』朝刊2頁、1902(明治35)年5月10日
・『読売新聞』朝刊3頁、1913(大正2)年4月20日

③報告内容について
近代における永平寺について捉えたいと考えています。今回の報告では、神道の影響力があった近代の中で、永平寺と天皇家のつながりに意義を見出しました。。
拙い発表ですが、よろしくお願いします。

50川田竜史:2024/07/19(金) 20:21:56
7月22日(月)に発表させていただきます川田竜史です。
報告内容は以下の通りです。

①主要参考文献
・知野文哉『「坂本龍馬」の誕生』新人物文庫,2010年
・菊地明『龍馬「伝説」の誕生:進化する英雄像』新人物文庫,2010年
・箱石大「坂本竜馬の人物像をめぐって」『歴史評論』530号P45〜52,1994年6月
・髙橋小百合「表象としての<木戸孝允>:イメージの一五〇年史」北海道大学博士学位論文,2024年6月
・吉田松陰は田中彰『吉田松陰 変転する人物像』中央公論新社,2001年

②主要史料
「シミュレーション戦記はなぜ流行るのか」『Securitarian』6号、1995年6月
「戦争シミュレーション小説の流行るわけ」『諸君!日本を元気にするオピニオン雑誌』26巻11号、1994年11月

③報告内容について
「戦後において維新期の人物はどのように描かれたのだろうか。」という問題関心のもと対象を坂本龍馬として、戦後の小説で描かれ方がどのように変化したのかに着目して研究したいと思います。
今回はA41枚報告のため、問いと自分の立ち位置を明確にし、これまでの成果と今後の作業に関して報告したいと思います。
ご意見アドバイス等よろしくお願いします。

51橋本明日香:2024/07/20(土) 16:53:07
7月22日に報告させていただきます橋本明日香です。
スレッドへの書き込みが遅れてしまい大変申し訳ありません。
報告内容は以下の通りです。

➀主要参考文献
・添田仁「神戸外国人居留地と福原遊女・新撰組:神戸大学附属図書館所蔵コレクション「神戸開港文書」の可能性」『海港都市研究』5号、2010年、75—87頁
・人見佐知子「神戸・福原遊廓の成立と〈近代公娼制度〉」『日本史研究』544号、2007年、28—56頁
・人見佐知子「開港場・神戸と明治初年の売春統制策」『海港都市研究』3号、2008年、
89—99頁
・人見佐知子「開港場・神戸と明治初年の遊女統制」『近代公娼制度の社会史的研究』日本経済評論社、2015年、第3章、81—112頁
・人見佐知子「明治初年の神戸における外国人妾について―つる一件から―」『歴史と神戸』58号、2019年、13—29頁

②主要史料
・須田菊二『福原遊廓沿革誌:全』福原貸座敷業組合事務所、1931年
・開港三十年紀念会『神戸開港三十年史』上、原書房、1974年
・開港三十年紀念会『神戸開港三十年史』下、原書房、1974年

③報告内容
 幕末の開港と外国人の居住開始に伴い、治安維持を目的として神戸には福原遊廓が設置されました。吉原・島原に並ぶ遊郭を目指して福原遊廓と名付けられ、後に「天下の三原」と称されることもありました。神戸はそもそも横浜の4年後に開港予定でしたが、混乱によってさらに5年開港が延期となりました。その関係で準備期間があったことから擬洋式ではない本格的な建築であったり、居留地建設が間に合わなかったことから日本人と外国人の雑居が認められた雑居地があったりなど、神戸は遊廓関係なくそれ自体として興味深い土地です。福原遊廓では「つる一件」の研究から、外国人が遊女を一定期間買い上げ、自身の家で奉仕させる「洋妾(ラシャメン)」という形の遊女がいたことがわかっています。しかしながら、福原遊廓に関する先行研究は少なく、「つる一件」に関する裁判記録の他には福原遊女の実態が見えていない状態です。「つる一件」について知ったことで福原遊女の実態に関心を持った私は、福原遊女の実態についてラシャメンという形での営業の観点から迫りたいと考えました。また、そのようなラシャメンとしての福原遊女の実態から、神戸・福原遊廓の独自性を見出すことができればと考えました。
 しかしながら、圧倒的な史料不足に頭を抱えてしまいました。遊廓の、しかもその内部的な実態に迫る研究というのは難易度が高かったです。神戸・福原遊廓に関する史料集めに固執してしまったため、今回の報告ではあまり説得力のある論が展開できませんでした。この反省を活かし、今後は他の居留地遊郭にも目を向け、広くラシャメンとしての遊女を対象とし、比較してみることで福原遊廓・遊女の独自性の模索を検討したいです。それと同時に、居留地遊廓全体としての社会的役割や意義を考察していくことを今後はオリジナリティーとしようと考えています。
 拙い報告となってしまいますが、皆さまのご意見やアドバイスをいただけますと幸いです。よろしくお願いします。

52橋本千昌:2024/07/20(土) 21:03:46
7月22日(10時40分〜)に発表をさせていただく4回生の橋本千昌です。
書き込みが遅くなってしまい、大変申し訳ございません。
発表の内容は以下の内容です。

①主要参考文献
・安田直人,“新聞記事をもとにした日本人と鳥獣の関係”,動物観研究:ヒトと動物の関係学会誌(1),1990年
・石田戢,“動物の好みと年齢”,動物観研究:ヒトと動物の関係学会誌(1),1990年
・宇都宮直子 『ペットと日本人』(文春新書、1999年)

②主要史料
・『愛鳥の友』(1959年11月号)
・『愛鳥の友』(1959年12月号)
・『バードライフ』(1963年4月号)
・『バードライフ』(1963年6月号)
・『バードライフ』(1960年8月号)
・『バードライフ』(1960年11月号)
・『バードライフ』(1960年10月号)
・『バードライフ』(1962年11月号)

③報告内容
今回の発表では、過去に刊行されていた『愛鳥の友』と『バードライフ』という飼い鳥の専門雑誌を主に用いて、鳥と人との関係がどのようなものであったのかということをできる限り解き明かしていきたいと思っております。
久しぶりの発表で至らない点もあると思いますが、ぜひご指摘やアドバイスをよろしくお願いします。

53横山真太郎:2024/07/24(水) 23:36:00
7月27日に発表をさせていただく四回生の横山真太郎です。
直前の書き込みになってしまい大変申し訳ございませんでした。
①主要参考文献
唐澤富太郎『學生の歴史』創文社、1955 年
町田祐一『近代日本の就職難物語』吉川弘文館、2016 年
伊藤彰浩『戦間期日本の高等教育』玉川大学出版部、1999年
坂野潤治『〈階級〉の日本近代史 政治的平等と社会的不平等』講談社、2014年

②主要史料
立命館学誌 130号 1930年
亰都帝國大學新聞 第118號 1930年
亰都帝國大學新聞 第119號 1930年

③報告内容
前回報告へのご指摘を活かし、主に立命館学誌と京都帝国大学新聞を用いて京都の大学生の就職状況の実情を明らかにする。

54田中拓磨:2024/07/26(金) 23:38:56
7月27日に報告をさせていただく田中拓磨です。
書き込みが大変遅くなってしまい申し訳ございません。

①主要参考文献
天野宏、川端美奈子、尾花良枝、杉原正泰「明治の売薬と新聞雑誌』第1報〜第3報『薬史学雑誌』30巻2号、1995年
竹原潤、山田久雄『近代日本医薬品産業の発展(その6) 江戸時代から明治末期の薬広告について』「薬史学雑誌」33巻2号、1998年
植田知行『明治期における薬舗の売薬流通―大阪府池田市黒松家文書の事例をもとに―』「島根地理学会誌」第40号、2006年


②主要史料
『朝日新聞』大阪版
『朝日新聞』東京版
『農業雑誌』
『滋賀県農商工報告』
『中外医事新報』など

③報告内容
研究の方向性が迷走しているという指摘を受けて、ハブ草の方面に絞り、論点を立て直す。そして、明治中期〜後期のハブ草の特異性を明らかにする。

55竹村勇輝:2024/07/27(土) 06:52:34
7/27 1番初めに発表させていただく竹村です。失念しており大変申し訳ありません。


・杉原真琴「秋元康の歌詞における表現特性〜現代における大所帯アイドルグループを中心に〜」『野浪正隆研究室』国立大学法人大阪教育大学、2019年
・高木信「残酷な《秋元康》が支配する(1)—〈おっさん〉が「お見立て会」を作っている。欅坂 =櫻坂のために—」『相模女子大学紀要』第87号、相模女子大学・相模女子大学短期学部、2024年
・南雄太「再考・〈サヴァイブ系〉と〈空気系〉の狭間でーハイブリッドグループとしての欅坂46一」『應用語文學報』第十期、國立臺中科技大學語文學院、2019年


・日本経済新聞「秋元康が明かす 欅坂46と乃木坂46が向かう先」2016年10月12日(2024年7月27日最終閲覧)
・Yahoo!JAPANニュース「メンバー全員が同じ考えを持って押しつけるのは違う――19歳・小林由依の考える、欅坂46が支持される理由」2019年3月15日(2024年7月27日最終閲覧)
・菅井友香『あの日、こんなことを考えていた』中央精版印刷、2021年
・三宅明『別冊カドカワ 総力特集 欅坂46/櫻坂46』、株式会社KADOKAWA、2020年


今回の発表では、自身のこれまでの日本アイドル史の変遷やKーPOPアイドル研究の流れから、欅坂46に着目して、彼女たちのアイドル史上での特異性を見出していきたいと思っています。
内容が少しまとまっておらず理解しにくい発表になっているかもしれませんがお聞きいただけると幸いです。
ご意見、アドバイス等よろしくお願いします。


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