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コルベ神父様

19カトリックの名無しさん:2016/02/04(木) 03:37:41
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)

42、フランシスコ会の貧しさ

汚れなき聖母の都市は二つの事柄の上に建てられた--貧しさと汚れなきおとめ--聖マキシミリアノはそう宣言した。

われわれは聖コルベの貧困の愛をどのように記述するかを知らない。それは彼の熾天使的父祖聖フランシスコに相応しい愛であった。聖マキシミリアノの貧困に関するページは初期フランシスコ主義の諸著作の一つの概説としてりっぱに役立ち得るであろう。そして汚れなき聖母の都市の貧困の模範はわれわれを最初のフランシスコ会共同体の貧困の模範へと連れ戻す。

小さなことにおいてと同様に大きなことにおいても、聖マキシミリアノは彼自身常に、心と身体においてこの世のすべての所有物から距離を置いた、何物をも所有することを欲しない貧しい人のように生きるために厳密に必要であるものに満足して、その結果完全に神の所有物となり、所有物として汚れなきおとめに無条件に委ねたアッシジのポヴェレッロ[小さな貧しき人]の忠実な追随者であることを証明した。

コルベは汚れなき聖母の都市のために、ポーランドにおいても、あるいは日本においても、どんな土地の所有権も望んだことはなかった。彼は言った。「なぜ所有権を持つのか?使用で十分だ。聖フランシスコのようでありなさい。何も所有するな。われわれは所有者がわれわれの滞在に同意する限りその場所にとどまろう。彼がわれわれにもはやとどまることはできないと告げるとき、われわれは別のところへ行くであろう。」

一人の同僚の修道士、アッシジのドミニック・ステラ(Dominic Stella)神父は聖コルベの上述の言葉について次のコメントをした。「これは彼の明確な考えと堅固な説得を伝えた。マキシミリアノの精神において最も重要なものが熾天使的父祖の精神と完全に一致した貧困の純粋な理想であるということは明らかなことであった。」

同様にまた、彼がインドにいたとき、エルナクラム(Ernaculam)の司教は彼にいくらかの土地、一軒の家、そして一つの礼拝堂を与えたかった。しかし聖マキシミリアノは「ただ用益権だけ」--すなわち、財産の使用とその産物への権利--を受け入れようとした。「なぜなら、私たちは所有権を欲しないからです」と彼は説明した。

http://www.d-b.ne.jp/mikami/kolbe09.htm

20カトリックの名無しさん:2024/05/13(月) 09:56:32


◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)
              >>2-20

21カトリックの名無しさん:2024/05/22(水) 13:37:41
>>2-20よりつづく
●The Fatima Crusader, Issue 09: Oct.-Dec.1982より
 ステファノ・マネッリ神父、O.F.M., Conv., S.T.D.

★聖マキシミリアノ・コルベ
 http://mikokoronet.web.fc2.com/kolbe01.htm 
★聖マキシミリアノ・コルベ II 
 http://mikokoronet.web.fc2.com/kolbe02.htm
★聖マキシミリアノ・コルベ III
 http://mikokoronet.web.fc2.com/kolbe03.htm
★聖マキシミリアノ・コルベ IV
 http://mikokoronet.web.fc2.com/kolbe04.htm

>>22へつづく


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