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悟り開こうよ 25次元目

1 シヴァージ ◆Mh/HW8c4EM :2017/12/07(木) 11:02:57
みな、悟りを開くのじゃ……グフフフ……


そんな怪しいスレではないのですが、

現状、カードリーダー、シナジストのしゅりけんさんの
アップしてくださる3枚カード占いを見て、
「おのおの方、気づきを拡大していこうよ♪」という
まったりペースで進行しております。


しゅりけんさんのブログ
【 原初宇宙からのカードリーディング 】
http://ameblo.jp/card-de-go


【 悟り開こうよ まとめwiki 】 過去スレはこちらから、どうぞ
PC版サイト : http://seesaawiki.jp/satori/
モバイル版サイト : http://m.seesaawiki.jp/satori/


このスレは、コテハン&トリップ推奨です。
(最初はなくても構いませんが、何度も書き込むようなら、ぜひ付けてください)

544 くまこう(´・(ェ)・`)つ :2018/11/12(月) 07:14:56 ID:???O
おはようである。
(´・(∀)・`)つ

545 不思議な名無しさん :2018/11/12(月) 07:52:42 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ

では、どうすれば、 心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない といつも感じて生きることができるでしょう。
1. 道の妨げとなる五つの障害 (渇望、嫌悪、怠惰、不安、疑心)
修行者は、五つの障害は五つの障害にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、五つの障害は五つの障害にすぎない、といつも感じて生きることができるでしょう。

渇望 (sense-desire)
肉体的欲望 がある時には、「わたしの中には肉体的欲望がある」 と自覚するのです。肉体的欲望がない時には、「わたしの中には肉体的欲望がない」 と自覚するのです。
まだ生じていない肉体的欲望が、どのように生じるのかも自覚するのです。生じた肉体的欲望が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた肉体的欲望が、どのようにすれば将来生じないかを自覚するのです。

嫌悪 (ill-will)
悪意 がある時には、「わたしの中には悪意がある」 と自覚するのです。悪意がない時には、「わたしの中に悪意はない」と自覚するのです。
まだ生じていない悪意が、どのように生じるのかも自覚するのです。生じた悪意が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた悪意が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。

怠惰 (sloth and torpor)
怠け心や倦怠感 がある時には、「わたしの中には怠け心や倦怠感がある」 と自覚するのです。怠け心や倦怠感がない時には、「わたしの中には怠け心や倦怠感がない」と自覚するのです。
まだ生じていない怠け心や倦怠感が、どのように生じるのかも自覚するのです。生じた怠け心や倦怠感が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた怠け心や倦怠感が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

546 不思議な名無しさん :2018/11/13(火) 06:51:11 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ (つづき)

不安 (distraction and worry)
注意散漫と不安 がある時には、 「わたしの中には注意散漫と不安がある」 と自覚するのです。注意散漫と不安がない時には、 「わたしの中には注意散漫と不安がない」 と自覚するのです。
まだ生じていない注意散漫と不安が、どのように生じるのかも自覚するのです。生じた注意散漫と不安が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた注意散漫と不安が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。

疑心 (doubt or wavering)
動揺や疑念 がある時には、 「わたしの中には動揺や疑念がある」 と自覚するのです。動揺や疑念がない時には、 「わたしの中には動揺や疑念がない」 と自覚するのです。
まだ生じていない動揺や疑念が、どのように生じるのかも自覚するのです。生じた動揺や疑念が、どのように消えるのかを自覚するのです。消えた動揺や疑念が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。

このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。 自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが五つの障害は五つの障害にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(道の妨げとなる五つの障害 了)

(´・(ェ)・`)つ

547 不思議な名無しさん :2018/11/14(水) 05:58:18 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
2. 執着を生む五つの集合体(肉体、感覚、知覚、反応、意識)

修行者は、執着を生む五つの集合体は執着を生む五つの集合体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、執着を生む五つの集合体は執着を生む五つの集合体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きることができるでしょう。
修行者はこのように感じて生きるのです。

これは肉体 (corporeal body) の働きだ。これは肉体の働きが生じる原因と、実際の肉体の働きの出現だ。これは肉体の働きが生じる原因と実際の消滅だ。
これは感覚 (feeling) の働きだ。これは感覚の働きが生じる原因と、実際の感覚の働きの出現だ。これは感覚の働きが生じる原因と実際の消滅だ。
これは知覚 (perception) の働きだ。これは知覚の働きが生じる原因と、実際の知覚の働きの出現だ。これは知覚の働きが生じる原因と実際の消滅だ。
これは反応 (mental formations) の働きだ。これは反応の働きが生じる原因と、実際の反応の働きの出現だ。これは反応の働きが生じる原因と実際の消滅だ。
これは意識 (consciousness) の働きだ。これは意識の働きが生じる原因と、実際の意識の働きの出現だ。これは意識の働きが生じる原因と実際の消滅だ。
このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが五つの集合体は五つの集合体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(執着を生む五つの集合体 了)
(´・(ェ)・`)つ

548 不思議な名無しさん :2018/11/15(木) 06:41:05 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
3. 六つの感覚器官と認識領域

修行者は、六つの内外の 感覚器官 は六つの内外の感覚器官にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、六つの内外の感覚器官は六つの内外の感覚器官にすぎない、といつも感じて生きることができるでしょう。
視覚と光景 (eye and visible objects) を感じます。視覚と光景を感じるので、それらに 束縛されているのを自覚します。また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。
生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

聴覚と音 (ear and sounds) を感じます。聴覚と音を感じるので、それらに束縛されているのを自覚します。また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。
生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

嗅覚と匂い (nose and odours) を感じます。嗅覚と匂いを感じるので、それらに束縛されているのを自覚します。また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。
生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

味覚と味 (tongue and tastes) を感じます。味覚と味を感じるので、それらに束縛されているのを自覚します。また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。
生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

549 不思議な名無しさん :2018/11/16(金) 07:36:17 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
3. 六つの感覚器官と認識領域(つづき)

体性感覚と感触を生むもの (body and tactile objects) を感じます。体性感覚と感触を生むものを感じるので、それらに束縛されている のを自覚します。
また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

心と心の中味 (mind and mind objects) を感じます。心と心の中味を感じるので、それらに束縛されているのを自覚します。
また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域は、六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域にすぎないと、いつも感じて生きる方法なのです。
(六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域 了)
(´・(ェ)・`)つ

550 不思議な名無しさん :2018/11/16(金) 07:36:20 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
3. 六つの感覚器官と認識領域(つづき)

体性感覚と感触を生むもの (body and tactile objects) を感じます。体性感覚と感触を生むものを感じるので、それらに束縛されている のを自覚します。
また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

心と心の中味 (mind and mind objects) を感じます。心と心の中味を感じるので、それらに束縛されているのを自覚します。
また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域は、六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域にすぎないと、いつも感じて生きる方法なのです。
(六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域 了)
(´・(ェ)・`)つ

551 不思議な名無しさん :2018/11/18(日) 10:11:18 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
4. 七つの悟りの要因 (気づき、探求心、努力、歓喜、平静、精神統一、平安)

修行者は、七つの悟りの要因は七つの悟りの要因にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、七つの悟りの要因は七つの悟りの要因にすぎない、といつも感じて生きることができるでしょう。

気づき (mindfulness)
悟りの要因である気づきが自分の中にある時、 「悟りの要因である気づきがわたしの中にある」 と自覚するのです。
悟りの要因である気づきが自分の中にない時、 「悟りの要因である気づきがわたしの中にない」 と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である気づきが、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である気づきを高めて完成させられるかを自覚するのです。

探求心 (investigation of phenomena)
悟りの要因である探求心が自分の中にある時、 「悟りの要因である探求心がわたしの中にある」 と自覚するのです。
悟りの要因である探求心が自分の中にない時、 「悟りの要因である探求心がわたしの中にない」 と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である探求心が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である探求心を高めて完成させられるかを自覚するのです。

努力 (effort)
悟りの要因である努力が自分の中にある時、 「悟りの要因である努力がわたしの中にある」 と自覚するのです。
悟りの要因である努力が自分の中にない時、 「悟りの要因である努力がわたしの中にない」 と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である努力が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である努力を高めて完成させられるかを自覚するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

552 不思議な名無しさん :2018/11/19(月) 06:52:45 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
4. 七つの悟りの要因 (気づき、探求心、努力、歓喜、平静、精神統一、平安)(つづき)

歓喜 (rapture)
悟りの要因である 歓喜 が自分の中にある時、「悟りの要因である歓喜がわたしの中にある」と自覚するのです。
悟りの要因である歓喜が自分の中にない時、 「悟りの要因である歓喜がわたしの中にない」 と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である歓喜が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である歓喜を高めて完成させられるかを自覚するのです。

平静 (tranquility)
悟りの要因である 平静 が自分の中にある時、「悟りの要因である平静がわたしの中にある」と自覚するのです。
悟りの要因である平静が自分の中にない時、「悟りの要因である平静がわたしの中にない」と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である平静が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である平静を高めて完成させられるかを自覚するのです。

精神統一 (concentration)
悟りの要因である 精神統一 が自分の中にある時、「悟りの要因である精神統一がわたしの中にある」と自覚するのです。
悟りの要因である精神統一が自分の中にない時、「悟りの要因である精神統一がわたしの中にない」 と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である精神統一が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である精神統一を高めて完成させられるかを自覚するのです。

平静 (equanimity)
悟りの要因である 平安 が自分の中にある時、「悟りの要因である平安がわたしの中にある」と自覚するのです。
悟りの要因である平安が自分の中にない時、「悟りの要因である平安がわたしの中にない」と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である平安が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である平安を高めて完成させられるかを自覚するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

553 不思議な名無しさん :2018/11/20(火) 06:19:43 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経


四 心の中味のサティパッターナ
4. 七つの悟りの要因 (気づき、探求心、努力、歓喜、平静、精神統一、平安)

このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。

* (注 )
これが七つの悟りの要因は七つの悟りの要因にすぎないといつも感じる方法なのです。
(七つの悟りの要因 了)
(´・(ェ)・`)
(おわり)

554 不思議な名無しさん :2018/11/21(水) 06:59:30 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦 : 苦、集、滅、道)
修行者は、四つの真理は四つの真理にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、四つの真理は四つの真理にすぎないと、いつも感じて生きることができるでしょう。
「これが苦だ」 と、苦を実際に自覚します。 (苦の真理)
「これが苦の原因だ」 と、苦の原因を実際に自覚します。 (苦の原因の真理)
「これが苦の消滅だ」 と、苦の消滅を実際に自覚します。 (苦の消滅の真理)
「これが苦の消滅への道だ」 と、苦の消滅への道を実際に自覚します。 (苦の消滅への道の真理 )
(四つの真理 了)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

555 不思議な名無しさん :2018/11/22(木) 04:20:43 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
a. 苦の真理
苦の真理 とは何でしょう。
生まれることは苦です。
老いることも苦です。
死ぬことも苦です。
悲しみ、嘆き、肉体的苦痛、精神的苦痛、苦悩、これらも苦です。
嫌な人や嫌なことに遭遇しなければならないことも苦です。
愛する人々や好ましい物事と離れなければならないことも苦です。
得られないことを望むことも苦です。
つまり、執着を生む五つの集合体は、苦なのです。
誕生とは何でしょう。
ある種の中のある生き物として、誕生すること、生まれること、発生、受胎、存在の誕生、集合体の出現、感覚器官と認識領域を持つこと、これが誕生と呼ばれていることです。
老いとは何でしょう。
ある種の中のある生き物として、歳をとること、身体が衰えること、歯がなくなること、髪の毛が白くなること、皮膚がしわだらけになること、気力が失われ、感覚器官と認識領域が消耗していくこと、これが老
いと呼れていることです。
死とは何でしょう。
ある種の中のある生き物として、旅立ち消えること、破壊、消滅、死亡、寿命の終了、集合体の崩壊、肉体の破壊、肉体的生命力が破壊すること、これが死と呼ばれていることです。
悲しみとは何でしょう。
悲しむこと、悲しむ行為、心が悲しんでいる状態、内面的悲しみ、肉親や所有物の喪失による悲痛な内面的悲しみ、人が経験するさまざまな苦痛の状態、これが悲しみと呼ばれていることです。
嘆きとは何でしょう。
泣き叫び嘆くこと、泣き叫び嘆く行為、肉親の死や所有物の喪失により泣き叫び嘆いている状態、人が経験するさまざまな苦痛の状態、これが嘆きと呼ばれていることです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

556 不思議な名無しさん :2018/11/23(金) 08:35:23 ID:???O
>>555
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)

b. 苦の原因の真理  

苦の原因の真理とは何でしょう。それは渇望こそが、新たな転生を生むということです。
渇望は、たまたま生じたさまざまな個体の中、肉体的快楽の中に、大きな喜びを見つけ、味わい、我が物にします。
それは、肉体的快楽を求める渇望であり、よりよい生を求める渇望であり、解脱を求める渇望です。
そこには歓喜と執着が伴います。
この渇望が生じる時、どこで生じるのでしょう。
この渇望が定着する時、どこに定着するのでしょう。
この渇望が生じて定着する時には、喜び楽しむこの世の特性の中に生じて定着するのです。
喜び楽しむこの世の特性とは何でしょう。
この世では、視覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、視覚の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、視覚の中に定着するのです。
この世では、聴覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、聴覚の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、聴覚の中に定着するのです。
この世では、嗅覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、嗅覚の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、嗅覚の中に定着するのです。
この世では、味覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、味覚の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、味覚の中に定着するのです。
この世では、体性感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、体性感覚の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、体性感覚の中に定着するのです。
この世では、心は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、心の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、心の中に定着するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

557 不思議な名無しさん :2018/11/24(土) 01:09:24 ID:???O
>>556
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)

b. 苦の原因の真理(つづき)

この世では、光景は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、光景の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、光景の中に定着するのです。

この世では、音は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、音の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、音の中に定着するのです。

この世では、匂いは、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、匂いの中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、匂いの中に定着するのです。

この世では、味は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、味の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、味の中に定着するのです。

この世では、感触を生むものは、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、感触を生むものの中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、感触を生むものの中に定着するのです。

この世では、心の中味は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、心の中味の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、心の中味の中に定着するのです。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

558 不思議な名無しさん :2018/11/25(日) 08:59:06 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理

苦の消滅 の真理とは何でしょう。
それはこの渇望の完全な停止と消滅です。放棄と廃棄です。渇望からの自由と分離です。
この渇望が放棄される時には、どこで放棄されるのでしょう。この渇望が止む時には、どこで止むのでしょう。
この渇望が放棄され、止む時には、喜び楽しむこの世の特性の中で放棄され、止むのです。
喜び楽しむこの世の特性とは何でしょう。
この世では、視覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、視覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、視覚の中で止むのです。
この世では、聴覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、聴覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、聴覚の中で止むのです。
この世では、嗅覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、嗅覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、嗅覚の中で止むのです。
この世では、味覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味覚の中で止むのです。
この世では、体性感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、体性感覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、体性感覚の中で止むのです。
この世では、心は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

559 不思議な名無しさん :2018/11/26(月) 07:14:10 ID:???O
>>558
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理(つづき)  

この世では、光景は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、光景の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、光景の中で止むのです。

この世では、音は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、音の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、音の中で止むのです。

この世では、匂いは、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、匂いの中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、匂いの中で止むのです。

この世では、味は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味の中で止むのです。

この世では、感触を生むものは、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、感触を生むものの中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、感触を生むものの中で止むのです。

この世では、心の中味は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中味の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中味の中で止むのです。

この世では、視覚 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、視覚意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、視覚意識の中で止むのです。

この世では、聴覚 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、聴覚意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、聴覚意識の中で止むのです。

この世では、嗅覚 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、嗅覚意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、嗅覚意識の中で止むのです。

この世では、味覚 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味覚意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味覚意識の中で止むのです。

この世では、体性感覚 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、体性感覚意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、体性感覚意識の中で止むのです。

この世では、心の 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の意識の中で止むのです。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

560 不思議な名無しさん :2018/11/27(火) 07:51:34 ID:???O
>>559
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理 (つづき)

この世では、視覚の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、視覚の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、視覚の接触の中で止むのです。

この世では、聴覚の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、聴覚の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、聴覚の接触の中で止むのです。

この世では、嗅覚の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、嗅覚の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、嗅覚の接触の中で止むのです。

この世では、味覚の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味覚の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味覚の接触の中で止むのです。

この世では、体性感覚の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、体性感覚の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、体性感覚の接触の中で止むのです。
この世では、心の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の接触の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

561 不思議な名無しさん :2018/11/28(水) 07:11:28 ID:???O
>>560
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理

この世では、視覚の 接触 で生じた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、視覚の接触で生じた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、視覚の接触で生じた感覚の中で止むのです。

この世では、聴覚の 接触 で生じた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、聴覚の接触で生じた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、聴覚の接触で生じた感覚の中で止むのです。

この世では、嗅覚の 接触 で生じた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、嗅覚の接触で生じた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、嗅覚の接触で生じた感覚の中で止むのです。

この世では、味覚の 接触 で生うまれた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、味覚の接触で生うまれた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、味覚の接触で生うまれた感覚の中で止むのです。

この世では、体性感覚の 接触 で生じた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、体性感覚の接触で生じた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、体性感覚の接触で生じた感覚の中で止むのです。

この世では、心の 接触 で生じた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、心の接触で生じた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、心の接触で生じた感覚の中で止むのです。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

562 不思議な名無しさん :2018/11/29(木) 06:18:57 ID:???O
>>561
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理(つづき)

この世では、光景の 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、光景の知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、光景の知覚の中で止むのです。

この世では、音の 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、音の知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、音の知覚の中で止むのです。

この世では、匂いの 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、匂いの知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、匂いの知覚の中で止むのです。

この世では、味の 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味の知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味の知覚の中で止むのです。

この世では、感触を生むものの 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、感触を生むものの知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、感触を生むものの知覚の中で止むのです。

この世では、心の中味の 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中味の知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中味の知覚の中で止むのです。
この世では、光景への志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、光景への志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、光景への志向の中で止むのです。

この世では、音への志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、音への志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、音への志向の中で止むのです。

この世では、匂いへの志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、匂いへの志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、匂いへの志向の中で止むのです。

この世では、味への志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味への志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味への志向の中で止むのです。

この世では、感触を生むものへの志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、感触を生むものへの志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、感触を生むものへの志向の中で止むのです。

この世では、心の中味への志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中味への志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中味への志向の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

563 不思議な名無しさん :2018/11/30(金) 14:15:19 ID:???O
>>562
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理(つづき)

この世では、光景への渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、光景への渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、光景への渇望の中で止むのです。

この世では、音への渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、音への渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、音への渇望の中で止むのです。

この世では、匂いへの渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、匂いへの渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、匂いへの渇望の中で止むのです。

この世では、味への渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味への渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味への渇望の中で止むのです。

この世では、感触を生むものへの渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、感触を生むものへの渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、感触を生むものへの渇望の中で止むのです。

この世では、心の中味への渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中味への渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中味への渇望の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

564 不思議な名無しさん :2018/12/01(土) 08:06:28 ID:???O
>>531を↓に差し替えるのである。

サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ

5. 元素 の観想
そして、身体がどのような構造になっていようとも、主要元素で構成されているものとして、この身体をじっくりと観想します。 「この身体は地の元素、水の元素、火の元素、風の元素でできている」 と。

腕の良い屠殺人かその弟子が、牛を屠殺して肉片に解体し、大道の 四辻 に座っているように、修行者も身体がどのような構造になっていようとも、主要元素で構成されているものとして、この身体をじっくりと
観想します。 「この身体は地の元素、水の元素、火の元素、風の元素でできている」 と

このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。

つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )

これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(元素の観想 了)
(´・(ェ)・`)つ

565 不思議な名無しさん :2018/12/03(月) 07:21:36 ID:???O
>>563
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理(つづき)

この世では、光景についての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、光景についての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、光景についての一次思考の中で止むのです。

この世では、音についての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、音についての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、音についての一次思考の中で止むのです。

この世では、匂いについての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、匂いについての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、匂いについての一次思考の中で止むのです。

この世では、味についての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、味についての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、味についての一次思考の中で止むのです。

この世では、感触を生むものについての一次思考は喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、感触を生むものについての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、感触を生むものについての一次思考の中で止むのです。

この世では、心の中味についての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、心の中味についての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、心の中味についての一次思考の中で止むのです。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

566 不思議な名無しさん :2018/12/04(火) 08:08:32 ID:???O
>>565
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理

この世では、光景についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、光景についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、光景についての二次思考の中で止むのです。

この世では、音についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、音についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、音についての二次思考の中で止むのです。

この世では、匂いについての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、匂いについての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、匂いについての二次思考の中で止むのです。

この世では、味についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、味についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、味についての二次思考の中で止むのです。

この世では、感触を生むものについての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、感触を生むものについての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、感触を生むものについての二次思考の中で止むのです。

この世では、心の中味についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、心の中味についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、心の中味についての二次思考の中で止むのです。

これが苦の消滅の真理と呼ばれていることです。
(苦の消滅の真理 了)
(´・(ェ)・`)つ

567 不思議な名無しさん :2018/12/06(木) 07:09:47 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理

苦の消滅への道の真理とは何でしょう。
それは八正道のことです。
つまり、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことです。

では、 正見 (Samma-ditthi: Right View or Understanding) とは何でしょう。
苦の理解、苦の原因の理解、苦の消滅の理解、苦の消滅への道の理解、これを正見と呼びます。

では、 正思惟 (Samma-sankappa: Right Thought) と何でしょう。
肉欲からの解放へと導く思考、悪意のない思考、残虐さのない思考、これを正思惟と呼びます。

では、 正語 (Samma-vaca: Right Speech) とは何でしょう。
嘘、 陰口 、悪口、 うわさ話や無駄口 、これらを控えること、これを正語と呼びます。

では、正業 (Samma-kammanta: Right Action) とは何でしょう。
生き物を殺さない 、 盗みをしない 、みだりに 淫欲 にふけらない、これを正業と呼びます。

では、正命 (Samma-ajiva: Right Livelihood) とは何でしょう。
間違った手段で生計 を立てずに、正しい手段で生計を立てて生きていきます。これを正命と呼びます。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

568 不思議な名無しさん :2018/12/07(金) 08:19:30 ID:TUXTJyrgO
>>567
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理 (つづき)

では、正精進 (Samma-vdyama: Right Effort)とは何でしょう。
まだ心に生じていない悪意や不健全な状態が生じないように、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
心に生じた悪意や不健全な状態は放棄しようと、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
まだ心に生じていない健全な状態が生じるように、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
心に生じた健全な状態は維持し、その健全な状態が消えずに、広がり、大きく成長し、完全なものになるように、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
これを正精進と呼びます。

では、正念 (Samma-sati: Right Mindfulness)とは何でしょう。
身体は身体にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
感覚は感覚にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
心は心にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
心の中味は心の中味にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
これを正念と呼びます。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

569 不思議な名無しさん :2018/12/08(土) 09:33:22 ID:???O
>>568
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理 (つづき)

では、正定 (Samma-samadhi: Right Concentration) とは何でしょう。
肉欲や不健全さを克服した修行者は、 一次思考と二次思考 とを持つ第一の 禅定 に到達し、そこにとどまります。
そこには (五つの) 障害から離れていることで生じる歓喜と安楽があります。
一次思考と二次思考が弱まるにつれて、第二の 禅定 に到達し、そこにとどまります。
そこには内なる平静と、一点となった心があります。
一次思考と二次思考がなく、集中から生まれた歓喜と安楽があります。
歓喜がなくなると、気づきと正しい理解をともなった平安にとどまり、心身の中に満ち溢れた安楽を経験します。
修行者は、第三の 禅定 に到達し、そこにとどまります。
ここに到達した者は、平安と気づきを得て、安楽にとどまる者として聖者たちに称賛されます。
安楽と苦悩から離れることで、快楽と苦痛は消滅しているので、第四の 禅定 に到達し、そこにとどまります。平安が生む純粋な気づきの状態です。
これを正定と呼びます。
これが苦の消滅への道の真理と呼ばれていることです。

このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。

つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。

これが四つの真理は四つの真理にすぎないと、いつも感じて生きる方法なのです。
(苦の消滅への道の真理 了)
(´・(ェ)・`)つ

570 不思議な名無しさん :2018/12/09(日) 08:22:14 ID:???O
>>569
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経)

サティパッターナの成果( 阿羅漢 になるか 阿那含 になるか)

誰もがこの四つのサティパッターナを、七年間このように修行すれば、自分の中にふたつの成果のうちのひとつが実を結びます。
そのままで、阿羅漢の段階に到達するのです。執着心がまだ残っていれば、阿那含のような状態に到達します。

七年は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、六年、五年、四年、三年、二年、一年…。
一年は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、七か月、このように修行すれば、自分の中にふたつの成果のうちのひとつが実を結びます。
そのままで、阿羅漢の段階に到達するのです。執着心がまだ残っていれば、阿那含のような状態に到達します。

七か月は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、六か月、五か月、四か月、三か月、二か月、ひと月、半月…。
半月は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、七日間、このように修行すれば、自分の中にふたつの成果のうちのひとつが実を結びます。
そのままで、阿羅漢の段階に到達するのです。執着心がまだ残っていれば、阿那含のような状態に到達するのです。

わたしが最初に言った 「 たった一本の道があります。
その道とは、生きているものを清らかにする道です。
悲しみや嘆きを乗り越える道です。
肉体的苦痛や精神的苦痛を 終わらせる 道です。
正しい道 を見つけ、 ニルヴァーナ を実現する道です。
そのたった一本の道とは、四つの サティパッターナ です 」 というのは、このことです。

以上が尊者の説かれたことです。修

行者たちは喜び、尊者の言葉をありがたく思いました。

 Sadhu! Sadhu! Sadhu!


(´・(ェ)・`)
(おわり)

571 不思議な名無しさん :2018/12/12(水) 19:34:43 ID:???O
人気企画、くまと一緒に購読会
バックナンバー
1)18/07/28(土) 〜
パタンジャリのヨーガスートラ

2)18/09/01(土) 〜
バガヴァッド・ギーター

3)18/10/28(日) 〜
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経)

新企画、近々開始す!
(´・(ェ)・`)つ

572 不思議な名無しさん :2018/12/13(木) 20:38:59 ID:???O
お待たせいたしました。
いよいよ明日より『存在の詩』の連載を始めるのである。

本日は、くまと一緒に購読会の箸休め編として、「潜在意識、マーフィーの法則」か、アファメーション集を、お送りするのである。

1)とるべき道を教えてほしい時のアファメーション。
「私は答えが私の中に存在し、今私に与えられようとしていることを知っています。
潜在意識の無限の知性とかぎりない知恵は、私を通じてあらゆる決定をくだし、私の人生について唯一の正しい行為と正しい決定が行われます。
私はめざめた意識の中にやってくる導きを理解します。私がそれを見落とすことは決してありません。」

2)ツキを呼び込みたいときのアファメーション。

「私は今日を楽しみ、喜びます。 今日は私の人生に奇跡が起こるはずです。
私には今日驚くべき触れ合いがあるはずです。 私は、すばらしい、とても興味ある人々に会うでしょう。
そして私は、最善だけを期待するようにします。 私は、常に最善が私のところにもたらされることを知っています。
私は、幸運がいろいろな方法で私のところにもたらされることを知っています。

3)仕事を成功させたい時のアファメーション

「私は今日、私の仕事をすべて心の法則に従って完成し、偉大なことをなし遂げるでしょう。
私の潜在意識は、あらゆることをなし遂げる、新しい、よりよい方法を私に教えてくれます。
私は、無限の力のおかげでどんな障害物も、どのような妨げもないことがわかっています。
私の作業は神の作業です。 なぜなら、神は私をとおして作用しているからです。
神の作業の遅滞はありません。 いかなる人間も場所も事物も、神の作業を邪魔することはできません。 神はつねに成功し、いっさいの仕事を完成させます。
神の愛をとおして、神の秩序の中に、私は私のいっさいの仕事を遂行し、実現させます。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

573 不思議な名無しさん :2018/12/13(木) 20:40:49 ID:???O
>>572
「潜在意識、マーフィーの法則」(つづき)

4)過去の過ちを払拭したい時のアファメーション

「私は過去のすべての過ちを自分に対して許します。 私は誰も責めません。
過去の過ちはすべて、私の未来の成功、繁栄、前進のための踏み石となるはずです。
私は、潜在意識がいつも私を導いてくれていること、私がすることはすべて正しいと絶対的に信じています。
私はすべてのことに自分の全力を尽くしています。 私は恐れることなく自信を持って前進します。」

5)憎しみから解放されたい時のアファメーション。

「これまで私を傷つけた人をすべて許します。
彼らを永久に解き放ちます。
私は過去を忘れ、完全な健康と調和と平和の輝かしい未来に心を向けます。
私の心は落ち着き、澄みわたって静かです。」

6)お金持ちになりたい時のアファメーション。
「私はお金が好きです。私はお金を愛します。私はお金を賢明に、建設的に、思慮深く使います。お金はたえず私の生活を循環しています。
私はお金を喜んで手離し、それは何倍にも増えて私のところに戻ってきます。お金は良いものです。実に良いものです。お金は私のところになだれのように豊富に流れてきます。私はそれを良いことだけに使います。」

7)「私は今夜、夢を見ます。 そして明日の朝、その夢を思い出します。
問題の解決は夢の中で与えられ、私は答えがやってきた瞬間に目をさまします。
最初は解決できそうもないように見えた問題でも、新しい見解や答えが、夢の中で示されるにちがいありません。 」

(´・(ェ)・`)
(おわり)

574 不思議な名無しさん :2018/12/14(金) 23:03:24 ID:???O
『存在の詩』1

ティロパはその「マハムドラ-の詩」の中で次のようにうたっています・・・・・

マハムドラ-はすべての言葉とシンボルを超越せり
されどナロパよ、真剣で忠実なる汝のために
いまこの詩を与うべし
「空」は何ものも頼まず
マハムートラ-は何ものにも依らず
また労せず
ただゆったりと自然であることによりて
人はくびきをうち壊し
解脱を手の内にするなり

(´・(ェ)・`)
(つづく)

575 不思議な名無しさん :2018/12/16(日) 14:16:56 ID:???O
>>574
『マハムドラ-の詩』つづき

もし中空を見つめて何も見ず
そのとき心をもって心を観ずれば
人は差別を打ち破り
ブッダフッドに至るなり

空をさまよう雲には
根もなくまた家もなし
分別の思いの
心を漂いよぎるもまたしかり
ひとたび「自性心」の見らるることあらば
識別は止まん

空間に象と影の生ずることあれど
そは黒白に染まらず
万物は「自性心」より出で
しかも心は善悪に汚さるることなし

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

576 不思議な名無しさん :2018/12/17(月) 06:40:31 ID:???O
>>575
『マハムドラ-の詩』つづき

長き時ふる暗闇も
灼熱の陽を覆うこと能わず
カルパにわたるサムサーラ(輪廻)も
「心」のまばゆい光を隠すことを得ず

「空」を説くに言葉の語らるることあれど
「空」そのものは表され得ず
”「心」は輝ける光のごとし”と言うも
そはすべての言葉とシンボルを超越せり
本質に於いて空なれど
「心」は万物を抱き、そして容るるなり

(´・(ェ)・`)
(つづく)

577 不思議な名無しさん :2018/12/18(火) 06:30:22 ID:???O
>>576
『マハムドラ-の詩』つづき

からだに於いては何もせずにくつろがせ
口を堅く結びて沈黙を守り
心を空しくして何ものも思わざれ
中空の竹のごと汝のからだをくつろがせ
与えずまた取らず、汝のからだを休ませよ
マハムドラ-は何ものにも執着せざる心のごとし
かくのごとく行ずるによりて
やがて汝はブッダフッドに至らん

(´・(ェ)・`)
(つづく)

578 不思議な名無しさん :2018/12/19(水) 01:18:27 ID:???O
>>577
『マハムドラ-の詩』(つづき)

真言、波羅蜜多、の行
経文、訓戒の示すところ
宗門、聖典の教えも
甚深の真理の実現をもたらすことなし
欲望に満たされし心の
目標を追わざるを得ざれば
そはただ光を隠すのみなるがゆえに

いまだ識別を離れずしてタントラ教理を持する者
サマヤの精神にそむくなり
すべての行動を止め、すべての欲望を避けよ
あらしめよ、思考の
大海の波のごとく浮き沈むがままに
たえて無安住と
並びに無差別の原理をそこなわざる者
タントラ教理をささげ持つなり

切望を避け
かれこれに執着せざる者
聖典の真意を知るなり
(´・(ェ)・`)
(つづく)

579 不思議な名無しさん :2018/12/20(木) 01:40:40 ID:???O
>>578
『マハムドラ-の詩』つづき

マハムドラ-に於いて、人の持つ一切の罪は焼かれ
マハムドラ-に於いて
人はこの世の獄より解き放たれん
これぞダルマの至高の灯なり
そを疑う者
とこしえに不幸と悲しみにのたうつ愚者なり

解脱を目ざすにあたり
人はグルに依るべし
汝の心がその祝福を受くるとき
解放は間近なり

ああ、この世のすべては無意味にして
ただ悲しみの種子なるばかりなり
小さき教えは行いへといざなえば
人はただ大いなる教えにのみ従うべし
(´・(ェ)・`)
(つづく)

580 不思議な名無しさん :2018/12/21(金) 06:35:30 ID:TUXTJyrgO
>>579
『マハムドラ-の詩』つづき

二元性を越ゆるは王の見地
散乱を征服するは王の行
行なき道こそすべてのブッダたちの道なり
その道を踏む者、ブッダフッドに至らん

はかなきかなこの世
幻や夢のごと、それは実体を持たず
そを捨てて血縁を断てよ
欲望と憎しみの糸を切り
山林にありて瞑想せよ
労なくして
ゆったりと「自然なる境地」にとどまるならば
まもなく汝はマハムドラ-にたどり着き
無達成なるものを達成せん

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

581 不思議な名無しさん :2018/12/21(金) 06:35:35 ID:???O
>>579
『マハムドラ-の詩』つづき

二元性を越ゆるは王の見地
散乱を征服するは王の行
行なき道こそすべてのブッダたちの道なり
その道を踏む者、ブッダフッドに至らん

はかなきかなこの世
幻や夢のごと、それは実体を持たず
そを捨てて血縁を断てよ
欲望と憎しみの糸を切り
山林にありて瞑想せよ
労なくして
ゆったりと「自然なる境地」にとどまるならば
まもなく汝はマハムドラ-にたどり着き
無達成なるものを達成せん

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

582 不思議な名無しさん :2018/12/22(土) 06:57:31 ID:???O
>>581
『マハムドラ-の詩』つづき

木の根を断たば葉は枯れん
汝の心の根を断たばサムサーラは崩れん
いかなる灯の光も一瞬にして
長きカルパの闇を払う
心の強き光ただ一閃なれど
無知なるヴェールを焼かん

心に執着せる者の
心を越えたる真理を見ることなく
ダルマを行ぜんと求むる者の
行を越えたる真理を見出だすことなし
心と行をふたつながら越えたるものを知らんには
人はきっぱりと心の根を断ち切りて
裸眼をもちて見つむべし
しかして人は一切の差別を打ち破り
くつろぎにとどまるべし

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

583 不思議な名無しさん :2018/12/23(日) 09:10:26 ID:???O
>>582
『マハムドラ-の詩』つづき

与えず、また取らず
人はただ自然のままにあるべし
マハムドラーはすべての容認と拒絶を越えたるがゆえに
もとよりアラヤ(※1)の生ずることあらざれば
誰もそを妨げ汚すこと能わず
不出生の境界にありて
すべてのあらわれはダルマタ(※2)へと溶解し
自己意志と傲慢は無の中に消滅せん

※1、アラヤ:アラヤ識。根本識などとも訳される。一切の生命事象の根底に横たわる、ひとつの意識作用としてとらえられた存在の本体をさす。

※2、ダルマタ:世界を構成するすべてを支える五つの要素。地、水、火、風、空。識を加えて六つとされることも

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

584 不思議な名無しさん :2018/12/24(月) 01:11:43 ID:???O
>>583
『マハムドラ-の詩』つづき

至高の理解は
かれこれの一切を超越し
至高の行為は
執着なくして大いなる機知を抱く
至高の成就とは
望みなくして内在を知ることなり

はじめヨーギ(※1)は
おのが心の滝のごとく転落するを感じ
中ほどにてはガンガー(※2)のごと
そはゆるやかにやさしく流れ
ついに、そは大いなる海なり
息子と母の光がひとつに溶け合うところ-----

※1、ヨーギ:一般にヨーガの道の修行者

※2、ガンガー:ガンジス河のインド読み

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

585 不思議な名無しさん :2018/12/24(月) 10:22:07 ID:???O
>>584
『マハムドラ-の詩』は前回でおわりでありました。

つづきまして、信心銘

01至道無難 唯嫌揀択 但莫憎愛 洞然明白

至道(しどう)無難(ぶなん)、唯揀(ゆいけん)択嫌(けんじゃく)。但(た)だ憎愛(ぞうあい)莫(な)ければ、洞然(とうねん)として明白(めいはく)なり 。

|\
∴∴∴
(´・(ェ)・`)
.(つ旦と)
.と_)_)
信心銘 は禅実践の極意、みたいなものらしいであります。
ちょぴっとづつ連載するであります。

586 不思議な名無しさん :2018/12/25(火) 07:31:37 ID:???O
>>585
信心銘

02毫釐有差 天地懸隔 欲得現前 莫存順逆

毫釐(ごうり)も差(しゃ)有(あ)れば、天地(てんち)懸(はる)かに隔(へだ)たる。現前(げんぜん)を得(え)んと欲(ほっ)せば、順逆(じゅんぎゃく)を存(ぞん)すること莫(なか)れ。

(´・(ェ)・`)つ

587 不思議な名無しさん :2018/12/26(水) 00:06:07 ID:???O
>>586
信心銘

03違順相争 是為心病 不識玄旨 徒労念静

違順(いじゅん)相争(あいあらそ)う、是(これを)心病(しんびょう)と為(な)す。玄旨(げんし)を識(し)らぞれば、徒(いたず)らに念静(ねんじょう)に労(ろう)す。

(´・(ェ)・`)つ

588 不思議な名無しさん :2018/12/27(木) 00:43:35 ID:???O
>>587
信心銘

04円同大虚 無欠無余 良由取捨 所以不如
 
円(まど)かなること大虚(たいきょ)に同(おな)じ、欠(か)くること無く余(あま)るこし無し。良(まこと)に取捨(しゅしゃ)に由(よ)る、所以(ゆえ)に不如(ふにょ)なり。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

589 不思議な名無しさん :2018/12/28(金) 03:26:57 ID:TUXTJyrgO
>>588
信心銘

05莫逐有縁 勿住空忍 一種平懐 泯然自尽

有縁(うえん)を逐(お)うこと莫(なか)れ、空忍(くうにん)に住(じゅう)すること勿(なか)れ。一種平懐(いっしゅへいかい)なれば、泯然(みんねん)として自(おの)ずから尽(つ)く。

(´・(ェ)・`)つ

590 不思議な名無しさん :2018/12/29(土) 01:53:15 ID:???O
>>589
信心銘

06止動帰止 止更弥動 唯滞両辺 寧知一種 

動(どう)を止(や)めて止(し)に帰(き)すれば、止(し)更(さら)に弥(いよい)よ動す。唯(ただ)両辺(両辺)に滞(とどこお)らば、寧(なん)ぞ一種(いっしゅ)を知らんや。

(´・(ェ)・`)つ

591 不思議な名無しさん :2018/12/29(土) 23:39:59 ID:???O
>>590
信心銘

07一種不通 両処失功 遣有没有 従空背空

一種(いっしゅ)通ざれば、両処(りょうしょ)功(こう)を失(しっ)す。有(う)を遣(や)れば有を没(ぼっ)し、空(くう)に従えば空に背(そむ)く。

(´・(ェ)・`)つ

592 不思議な名無しさん :2018/12/30(日) 11:40:48 ID:???O
>>591
信心銘

08多言多慮 転不相応 絶言絶慮 無処不通

多言多慮 (たごんたりょ)、転(うた)相応(そうおう)せず。絶言絶慮(ぜつごんぜつじょ)、処(ところとして)通ぜずということ無し。

(´・(ェ)・`)つ

593 不思議な名無しさん :2018/12/31(月) 15:16:19 ID:???O
>>592
信心銘

09帰根得旨 随照失宗 須臾返照 勝却前空

根(こん)に帰(き)すれば旨(し)を得(え)、照(しょう)に随えば宗(しゅう)を失す。須臾(しゅゆ)も返照(へんしょう)すれば、前空(ぜんくう)に勝却(しょうきゃく)す。

(´・(ェ)・`)つ

594 不思議な名無しさん :2018/12/31(月) 19:36:50 ID:???O
>>593
信心銘

10前空転変 皆由妄見 不用求真 唯須息見

前空(ぜんくう)の転変(てんぺん)は、皆(みな)妄見(もうけん)に由(よ)る。真(しん)を求むること用(もち)いざれ、唯須(ただすべか)らく見(けん)を息(や)むべし。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

595 不思議な名無しさん :2019/01/01(火) 16:14:10 ID:???O
>>593
信心銘

11二見不住 慎忽追尋 纔有是非 紛然失心

二見(にけん)に住(じゅう)せず、慎(つつし)んで追尋(ついじん)すること勿(なか)れ。纔(わず)かに是非(ぜひ)あれば、紛然(ふんねん)として心(しん)を失(しっ)す。
(´・(ェ)・`)つ

596 不思議な名無しさん :2019/01/01(火) 16:17:11 ID:???O
新年あけまして
   ∧_∧
  (´(ェ)`)
  /|=宗=|\
 (_)LLLLLL(_)

おめでとうございます
  /⌒⌒ヽ
  /⌒  ⌒ヽ
 (_(   )_)
   V ̄V

597 しゅりけん ◆/E1qjlPltw :2019/01/01(火) 22:44:50 ID:???0
(ΦwΦ)ノシ
明けましておめでとうございます。

598 不思議な名無しさん :2019/01/02(水) 00:18:49 ID:???O
>>595
信心銘

12二由一有 一亦莫守 一心不生 万法無咎

二は一に由(よ)って有(あ)り、一も亦(また)守ること莫(なか)れ。一心(いっしん)生(しょう)ぜざれば、万法咎(とが)無し。

(´・(ェ)・`)つ

599 シヴァージ ◆Mh/HW8c4EM :2019/01/02(水) 00:42:12 ID:???0
あけましておめでとうございます! (^^)

600 不思議な名無しさん :2019/01/03(木) 00:55:21 ID:???O
>>598
信心銘

13無咎無法 不生不心 能随境滅 境逐能沈

咎(とが)無ければ法(ほう)無し、生(しょう)ぜざれば心(しん)ならず。能(のう)は境(きょう)に随(したが)って滅し、境は能を逐(お)うて沈む。

(´・(ェ)・`)つ

601 不思議な名無しさん :2019/01/04(金) 01:23:35 ID:???O
>>600
信心銘

14境由能境 能由境能 欲知両段 元是一空

境は能に由って境たり、能は境に由って能たり。両段を知らんと欲せば、元(もと)是(これ)一空(いっくう)。

(´・(ェ)・`)つ

602 不思議な名無しさん :2019/01/04(金) 10:55:15 ID:???O
>>601
信心銘

15一空同両 斉含万象 不見精粗 寧有偏党

一空(いっくう)両(りょう)に同じ、斉(ひと)しく万象(ばんぞう)を含む。精粗(せいそ)を見ざれば、寧(いずくん)ぞ偏党(へんとう)有らんや。

(´・(ェ)・`)つ

603 不思議な名無しさん :2019/01/05(土) 21:17:28 ID:TUXTJyrgO
>>602
信心銘

16大道体寛 無難無易 小見狐疑 転急転遅

大道大寛(だいどうたいかん)なり、難無(なんな)く易(い)無し。小見(しょうけん)は狐疑(こぎ)す、転(うた)た急(きゅう)なれば転た遅(おそ)し。

(´・(ェ)・`)つ

604 不思議な名無しさん :2019/01/06(日) 04:47:37 ID:???O
>>603
信心銘

17執之失度 必入邪路 放之自然 体無去住

之を執(しゅう)すれば度(ど)を失(しっ)し、必ず邪路(じゃろ)に入る。之を放てば自然(じねん)なり、体(たい)、去住(きょじゅう)無し。

(´・(ェ)・`)つ

605 不思議な名無しさん :2019/01/07(月) 06:51:21 ID:???O
>>604
信心銘

18任性合道 逍遥絶悩 繋念乖真 昏沈不好

性(しょう)に任(にん)ずれは道(どう)に合(がっ)す、逍遥(しょうよう)として悩(のう)を絶(ぜっ)す。繋念(けねん)は真に乖(そむ)く、昏沈(こんちん)は不好(ふこう)なり。

(´・(ェ)・`)つ

606 不思議な名無しさん :2019/01/08(火) 07:53:01 ID:TUXTJyrgO
>>605
信心銘

19好不労神 何用疎親 欲趣一乗 勿悪六塵

不好(ふこう)なれば神を労す、何ぞ疎親することを用ひん。一乗に趣かんと欲せば、六塵を悪(にく)むこと勿れ。

(´・(ェ)・`)つ

607 不思議な名無しさん :2019/01/09(水) 07:30:39 ID:???O
>>606
信心銘

20六塵不悪 還同正覚 智者無為 愚人自縛

六塵を悪(にく)まざれば、還って正覚に同じ。智者は無為なり、愚人は自縛す。

鬼和尚の仏教勉強会ブログより。

(´・(ェ)・`)つ

608 不思議な名無しさん :2019/01/10(木) 07:55:58 ID:???O
>>607
信心銘

21法無異法 忘自愛著 将心用心 豈非大錯

法に異法無し、妄(みだ)りに自から愛著す。心を将(もっ)て心を用う、豈(あ)に大錯(たいしゃく)に非(あら)ざらんや。

(´・(ェ)・`)つ

609 不思議な名無しさん :2019/01/11(金) 01:03:19 ID:TUXTJyrgO
>>608
信心銘

22迷生寂乱 悟無好悪 一切二辺 浪自斟酌

迷えば寂乱(じゃくらん)を生じ、悟れば好悪(こうお)無し。一切の二辺、浪(みだ)りに自から斟酌す。

(´・(ェ)・`)つ

610 不思議な名無しさん :2019/01/11(金) 23:53:51 ID:???O
ジョニーが来たなら伝えてよ、二時間待ってたとぉ〜
て、歌が、くまのお気に入りであったと、
何故か今、思い出したくまである。
おやすみなさい。
(´-・(ェ)・-`)つ

611 不思議な名無しさん :2019/01/13(日) 22:39:24 ID:???O
こんばんは、諸くま君。
ちょぴっとネット的わけありで、講読会の開催が滞りまして、誠にすまぬであります。
しばらく、過去レスを復習しながらお待ちください。
とりわけ、現在連載中の信心銘が、おすすめであります。
(´・(ェ)・`)つ

612 不思議な名無しさん :2019/01/15(火) 19:31:31 ID:???O
>>611
信心銘

23夢幻虚華 何労把捉 得失是非 一時放却

夢幻空華(むげんくうげ)、何ぞ把捉(はしゃく)に労せん。得失是非、一時に放却せよ。

(´・(ェ)・`)つ

613 不思議な名無しさん :2019/01/21(月) 11:38:02 ID:TUXTJyrgO
>>612
信心銘

24眼若不睡 諸夢自除 心若不異 万法一如

眼(まなこ)若し睡らざれば、諸夢自から除く。心若し異ならざれば、万法一如なり。
(´・(ェ)・`)つ

614 不思議な名無しさん :2019/01/27(日) 16:50:29 ID:TUXTJyrgO
>>613
信心銘

25一如体玄 兀爾忘縁 万法斉観 帰復自然

一如体玄なり、兀爾(こつじ)として縁を忘ず。万法斉(ひと)しく観ずれば、帰復自然(じねん)なり。

(´・(ェ)・`)つ

615 不思議な名無しさん :2019/02/02(土) 21:14:30 ID:TUXTJyrgO
>>614
信心銘

26泯其所以 不可方比 止動無動 動止無止

其の所以を泯(みん)じて、方比すべからず。動を止むるに動無く、止を動ずるに止無し。

(´・(ェ)・`)つ

616 不思議な名無しさん :2019/02/09(土) 15:25:06 ID:???O
こんにちは、諸くま君。
修行ははかどってるでありましょうか?
本日も張り切って参りましょう!

>>615
信心銘

27両既不成 一何有爾 究境窮極 不存軌則

両(ふた)つながら既に成らざれば、一 何ぞ爾(しか)ること有らん。究境窮極(くぎょうくごく)、軌則(きそく)を存せず。
(´・(ェ)・`)つ

617 不思議な名無しさん :2019/02/16(土) 11:06:27 ID:TUXTJyrgO
>>616
信心銘

28契心平等 所作倶息 狐疑尽淨 正信調直

心の平等に契(かな)えば、所作倶(とも)に息(や)む。狐疑(こぎ)尽(ことごと)く浄(つ)きて、正信(しょうしん)調直(ちょうじき)なり。

(´・(ェ)・`)つ

618 不思議な名無しさん :2019/02/17(日) 06:06:56 ID:kHVWzA3.0
テスト 炁

619 不思議な名無しさん :2019/02/23(土) 20:26:32 ID:TUXTJyrgO
>>617
信心銘

29一切不留 無可記憶 虚明自照 不労心力 非思量処 識情難測

一切留めず、記憶すべきなし。虚明(こみょう)自ら照らして、心力を労せず。非思量の処、識情測(はか)り難し。

(´・(ェ)・`)つ

620 不思議な名無しさん :2019/03/03(日) 22:26:33 ID:???O
>>619
信心銘

30真如法界 無他無自 要急相応 唯言不二

真如法界、他無く自無し。急に相応せんと要(ほつ)せば、唯だ不二(ふに)と言うのみ。

(´・(ェ)・`)つ

621 不思議な名無しさん :2019/03/24(日) 14:20:07 ID:TUXTJyrgO
>>620
信心銘

31不二皆同 無不包容 十方智者 皆入此宗

不二なれば皆な同じ、包容せずと言うこと無し。十方の智者、皆な此(こ)の宗に入る。

(´・(ェ)・`)つ

622 不思議な名無しさん :2019/03/30(土) 04:04:35 ID:TUXTJyrgO
>>621
信心銘

32宗非促延 一念万年 無在不在 十方目前

宗は促延(そくえん)に非ず、一念万年(いちねんまんねん)。在と不在と無く、十方も目前。

(´・(ェ)・`)つ

623 不思議な名無しさん :2019/04/07(日) 08:46:39 ID:TUXTJyrgO
>>622
信心銘

33極小同大 忘絶境界 極大同小 不見辺表

極小は大に同じく、境界を忘絶(ぼうぜつ)す。極大は小に同じく、辺表(へんぴょう)を見ず。

(´・(ェ)・`)つ

624 不思議な名無しさん :2019/04/27(土) 12:35:49 ID:TUXTJyrgO
>>623
信心銘

34有即是無 無即是有 若不如此 必不須守

有は即ち是れ無、無は即ち是れ有。若し此(か)くの如くならずんば、必ず守ることを須いず。

(´・(ェ)・`)つ

625 不思議な名無しさん :2019/05/01(水) 19:24:02 ID:TUXTJyrgO
>>624
信心銘

35一即一切 一切即一 但能如是 何慮不畢

一は即ち一切、一切は即ち一。但(た)だ能(よ)く是(か)くの如くならば、何ぞ不畢(ふひつ)を慮(おもんばか)らん。

(´・(ェ)・`)つ

626 不思議な名無しさん :2019/05/08(水) 21:48:56 ID:TUXTJyrgO
>>625
36信心不二 不二信心 言語道断 非去来今

信心不二、不二信心。言語(ごんご)の道断え、去来(こらい)今(こん)に非ず。
(´・(ェ)・`)つ

627 不思議な名無しさん :2019/05/08(水) 21:57:49 ID:TUXTJyrgO
>>626
信心銘、おわりであります。

ここに於ける「信心」は、一般に使われる意味=神仏に対する信仰・とは違うそうであります。
「信」とは「悟り」のことであり、己の「心」を観察することが悟りへの道であることを示しているそうであります。

くまの一番のお気に入りであります。
是非、ネットにもたくさん解説あるので読んでみることをおすすめするであります。
(´・(ェ)・`)つ

628 しゅりけん ◆/E1qjlPltw :2019/06/18(火) 06:38:01 ID:???0
|wΦ)<オハヨー

629 不思議な名無しさん :2019/06/19(水) 20:38:24 ID:TUXTJyrgO
>>628
こんばんは。
(´・(ェ)・`)つ
読者の皆様、たいへんお待たせいたしました。
講読会を再開いたします。

630 不思議な名無しさん :2019/06/19(水) 21:00:31 ID:TUXTJyrgO
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】

 質問者 毎朝、目覚めとともに世界が突然現れるのは、日々体験することで
 す。それはいったいどこからやってくるのでしょうか?
 マハラジ
 何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。
 すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提とし
 ている。
 質問者 目覚める前、私は無意識でした。
 マハラジ
 どういう意味だろう?
 忘れてしまったのか、それとも体験しなかったのだろうか?
 たとえ無意識のときでも、あなたは体験しないと言えるだろうか?
 記憶の忘却、それが存在していないことの証明になるだろうか?
 あなたが存在していなかったと、実際の体験として語ることができるだろう
 か?
 マインドが存在しなかったと言うことさえできない。
 呼びかけられて、あなたは目を覚ましたのではなかったか?
 そして、目覚めて最初に起こった感覚は、「私は在る」(I AM)ではなかっ
 ただろうか?
 眠り、または気絶の間にも、意識の種子は存在していたはずだ。
 目覚めの時の体験は、「私は在る―身体―世界」とつながっていく。
 それは連続して起こるように見えるが、実際には、世界の中で身体をもつと
 いうひとつの観念として、すべて同時に起こるものだ。
 誰かとして在ることなく、「私は在る」という感覚がありうるだろうか?
 質問者 私はつねに記憶と習慣をもった「誰か」です。それ以外の「私は在
 る」を私は知りません。
 マハラジ
 何かがあなたを知ることから妨げているのだろうか?
 ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろ
 う?
 質問者 彼らの指導のもとにその知識の源泉を探るでしょう。
 マハラジ
 あなたにとって、あなたが単なる身体にすぎないのか、あるいは何かそれ以
 外のものなのかを知ることは、重要ではないだろうか?
 あるいはまったく何ものでもないかもしれないということを?
 あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題――食事、衣服、
 家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか?
 これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消え去
 るのだ。
 質問者 私がこの身体ではないと知ることが何の役に立つというのでしょう
 か?
 マハラジ
 あなたが身体ではないと言うことでさえ、まったくの真実とは言えない。
 ある意味では、あなたはあらゆる身体、ハート、マインドのすべて、またそ
 れ以上なのだ。
 「私は在る」という感覚のなかに深く入っていきなさい。
 そうすればあなたは見いだすだろう。
 忘れ去ってしまったものを見つけだすにはどうするだろう?
 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。
 「私は在る」という存在の感覚が最初に現れる。
 それがどこからやってくるのか、自分に尋ねなさい。
 あるいは、それをただ静かに見守りなさい。
 「私は在る」という感覚のなかにマインドが動じることなく定まったとき、
 表現不可能な、しかし体験可能なひとつの境地へとあなたは入っていく。
 何度も何度も試みることだ。
 そうすれば、「私は在る」という感覚は、つねにあなたとともにある。
 あなたが身体、感情、思考、観念、所有物などをそれに付随させてきただけ
 だ。
 こういった自己同化は、あらゆる誤解を招く。
 そのため、あなたは本当の自分ではないものを自分自身と見誤ってきたのだ。
(´・(ェ)・`)y-~

631 不思議な名無しさん :2019/06/20(木) 19:50:07 ID:TUXTJyrgO
>>630
『I AM THAT 私は在る』
【 1「私は在る」という感覚】(つづき)

 質問者 では、私とはいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが何ではないか、ということを知ればそれでいい。
 あなたが何なのかを知る必要はない。
 なぜなら知識とは既知なるもの、知覚されるもの、あるいは観念としてしか
 表せないため、自己知識といったものはありえないからだ。
 それゆえ、あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せな
 い。
 あなたに言えることは、「私はこれではなく、あれでもない」ということだ
 けだ。
 意図をもって「これこそが私だ」ということはできない。
 それはまったく意味をなさない。
 あれやこれ、と指し示すことができるものは、あなたではありえない。
 何かほかのものだとさえ言えない。
 あなたは知覚や想像を超えた何かだ。
 それにも関わらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。
 あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観
 察する。
 そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆
 しているのだ。
 あなたなしで知覚や体験が可能だろうか?
 体験とはかならず何かに帰属するものだ。
 誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。
 体験者なくして体験はありえない。
 体験者が体験にその実在性を与えるのだ。
 あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?
 質問者 体験者としての存在の感覚、「私は在る」という感覚もまた体験で
 はないでしょうか?
 マハラジ
 明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。
 そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底に
 おいて共通の要因があるためだ。
 同一性と連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は
 同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々であ
 りながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」
 なのだ。
 質問者 どのようにしてそれを得るのでしょう?
 マハラジ
 それを得る必要はない。
 なぜなら、あなたがそれなのだ。
 あなたがそれに機会を与えれば、それがあなたを得るだろう。
 非実在のものへの執着を解き放ちなさい。
 そうすれば、実在はそれ自身へと即座に速やかに入りこんでいくだろう。
 自分自身の存在をあれやこれや想像するのをやめることだ。
 そうすれば、あなたがすべてのハートであり、源泉であるという認識は明ら
 かになるだろう。
 それとともに選択でも、偏愛でも、執着でもない、すべてのものを愛すべき、
 そして愛する価値あるものへと変容させるひとつの力、大いなる愛が現れる。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

632 不思議な名無しさん :2019/06/21(金) 04:31:54 ID:n2lrj4/o0
最近わかったことだけど、腸と口の中にいるカビが炎症させてる。

腸がアルカリ性になったとき、カビが糸のような形に変化し、腸に穴を開けて炎症する。

ここから有害物質が血液に入り、アレルギー、原因不明の全身の痛み、リーキーガット症候群を引き起こす。

口内炎が治りにくい人は口の中にカビがいる。

このカビは大量の砂糖(炭水化物、糖質)を栄養にしていて、人間の食欲を操って砂糖を食べたくさせてる。

ラーメンを食べたくなるのは、このカビが人間にラーメンを食べたくさせたから。

砂糖は血液に5グラムあればいいだけなので、できるだけ砂糖(炭水化物、糖質)を採らないことが大事。

日本人の7割はリーキーガット症候群を発病してると言われている。

砂糖を食べると統合失調症と欝病になる。

子供が不良になる原因の一つは砂糖(炭水化物、糖質)の食べすぎで統合失調症と欝病になったから。


体調を良くする方法
・肉、魚、脂、油を高温で調理しない(できれば100度以下が良い)
・砂糖、炭水化物を控える
・抗酸化作用の高い野菜を食べる(赤いパプリカ、スプラウトがお勧め)
・腸の炎症を抑える油(アマ二油、えごま油)を採る。アマ二油、えごま油は体内でDHAに変化し脳に良い。
 酸化しやすい油なので熱を加えないでそのまま食べる。朝起きたときにスプーン1杯食べると良い。

633 不思議な名無しさん :2019/06/22(土) 17:01:05 ID:TUXTJyrgO
>>631
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】
                   
 質問者 マハラジ、あなたは私の前に座り、私はあなたの足もとにいます。
 私たちの根本的な違いは何なのでしょうか?
 マハラジ
 根本的違いなど何もない。
 質問者 それでも、どこか実際に違いがあるはずです。私はあなたのもとに
 来ましたが、あなたは私のもとには来ません。
 マハラジ
 あなたが違いを想像して、あちこちへと「優れた」人を求めてさ迷うのだ。
 質問者 あなたもまた優れた人です。あなたは真実を知ると言明しますが、
 私はしません。
 マハラジ
 知らないからといって、あなたが劣っていると言っただろうか?
 そんな差別を生みだした者たちに証明させるがいい。
 私はあなたの知らないことを知っていると言いはしない。
 事実、私の知っていることは、あなたよりはるかに少ないのだ。
 質問者 あなたの言葉は賢明で、立ちふるまいは高尚、恩寵(おんちょう)
 は偉大です。
 マハラジ
 私はそのようなことをまったく知らないし、あなたと私の間に何の違いも見
 ない。
 私の人生は、あなたの人生と同じように出来事の連続だ。
 ただ私は固執せず、過ぎ去るショーをただ過ぎ去るショーとして見ているだ
 けで、あなたは物事に固執し、それとともに動き回るのだ。
 質問者 何があなたをそのように冷静にさせたのでしょう?
 マハラジ
 何も特別なことはない。
 私のグル(師)を信頼するということが起こっただけだ。
 彼が、私は私自身以外の何ものでもないと言い、私は彼を信じた。
 彼を信頼し、そのとおりに生き、私ではないもの、私のものではないものに
 注意を払わなくなったのだ。
 質問者 私たちの信頼が言葉や名目ばかりなのに、なぜあなたは師を完全に
 信頼するという幸運に恵まれたのでしょう?
 マハラジ
 誰が答えられよう?
 ただそうなっただけだ。
 ものごとは理由も原因もなしに起こる。
 そして結局のところ、誰が誰なのかなど問題ではない。
 私に対するあなたの高い評価も、あなたの意見に過ぎない。
 あなたがいつそれを変えても不思議はない。
 なぜ人の意見を、たとえ自分の意見でさえ、そんなに重要視するのかね?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

634 不思議な名無しさん :2019/06/23(日) 23:09:37 ID:TUXTJyrgO
>>633
『I AM THAT 私は在る』
【2 身体への固執】(つづき)

 質問者 それでもあなたは違います。あなたのマインドはいつも静かで幸福
 なように見えます。そしてあなたのまわりで奇跡は起こっています。
 マハラジ
 私はそんな奇跡など何も知らないし、自然がその法則に例外を許すとも思え
 ない。
 すべてが奇跡だとするなら別だが。
 私にとってそのようなものは何もない。
 ただその中ですべてが起こる意識が在るだけだ。
 それは皆の体験においてまったく明らかだ。
 あなたが注意深く見ていないだけだ。
 よく見てみなさい、私が見るように。
 質問者 あなたは何を見るのでしょうか?
 マハラジ
 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
 とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
 自分がどのように行動しているのか見てみなさい。
 行動の動機と結果を見守りなさい。
 あなたが自分のまわりに、不注意によって築いてきた牢獄を見てみなさい。
 あなたが何ではないかを知ることによって、あなたは自分自身を知ることに
 なる。
 拒否と否定を通してあなたは真我へと帰り着く。
 ひとつ明らかなことは、真我とは想像されたものではない。
 それはマインドの産物ではないということだ。
 「私は在る」という感覚さえ継続しない。
 それはどこを探すかを知る有用な指針ではあるが、何を探すのかには用をな
 さない。
 ただよく見てみなさい。
 ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
 だろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。
 私たちの唯一の違いは、私は私の自然な状態に気づいているが、あなたはそ
 れを見失っているということだ。
 あえてそう思わないかぎり、装飾品として加工された金が、金粉の金より価
 値があるわけではないように、私たちも異なるのは外見だけで、存在におい
 てはひとつなのだ。
 真摯(しんし)に日々それを求め、尋ね、問い、その探求に生涯を捧げるな
 らば、私たちはそれを見いだすだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

635 不思議な名無しさん :2019/06/27(木) 20:42:48 ID:TUXTJyrgO
>>634
『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】

 質問者 私が見るかぎりでは、私の身体にも実在にも、何も問題
 はありません。どちらも私がつくりあげたものではなく、
 改善する必要もありません。何がおかしくなってしまっ
 たかと言えば、「内なる身体」です。マインド、意識、
 アンタカラナ、名前は何であれ。
 マハラジ
 あなたのマインドのどこがおかしくなったというのだろう?
 質問者 落ち着きがなく、快楽に貪欲(どんよく)で、不快を恐
 れていることです。
 マハラジ
 快楽を求め、不快を避けようとすることのどこが間違っているの
 だろうか?
 苦痛と快楽の両岸の間を生の川が流れていく。
 生の流れとともに流れていくことを拒んだとき、それは問題とな
 るのだ。
 生の流れとともにいくとは、来るものは拒まず、去るものは追わ
ずという受容を意味している。
 求めず、恐れず、起こるままの現実を観察しなさい。
 起こることがあなたなのではなく、あなたにものごとが起こるの
 だ。
 結局、あなたは観察者でさえもない。
 あなたはすべてを包括する意識の究極的可能性であり、その表現、
 その顕現なのだ。
 質問者 それでも、身体と自己との間には思考と感情の雲が横た
 わり、それが妨げとなっています。これら思考と感情は
 浅はかな、はかなく無意味なもので、私を盲目にし、息
 を詰まらせるただの思考のほこりにすぎません。それで
 もそれらはそこにあり、光を奪い破壊するのです。
 マハラジ
 確かに出来事の記憶が出来事そのものとして通用することはない。
 出来事の予測もまた同じだ。
 現在の出来事には何か独特な、以前起こったこと、あるいはこれ
 から起こるであろうことにはない例外的な何かがある。
 生き生きとして、実在であり、輝くように際立っている。
 そこには過去も未来ももっていない実際の「真実のしるし」があ
 るのだ。
 質問者 「真実のしるし」を現在に与えているものは何なのでし
 ょう?
 マハラジ
 現在のなかに、過去や未来から区別するような、特別な何かがあ
 るわけではない。
 ほんの一瞬前、過去は未来であったし、未来もまたそうなる。
 何が現在をそれほど特別にするのだろう?
 明らかに、それは私の存在だ。
 つねに今ここに在るからこそ私は現実なのだ。
 そして私とともに在るものに私の実在は分かちあわれる。
 過去は記憶のなかに、未来は想像のなかにある。
 今現在の出来事のなかに、それを真実として際立たせる何か特別
 なものがあるわけではない。
 それは何かただ過ぎゆく一瞬のなかに起こる、時計の刻む音のよ
 うなものかもしれない。
 連続して刻まれる音が等しいということを私たちは知っているに
 もかかわらず、現在を刻む音は、以前記憶された、あるいは次に
 予期されるものとはまったく異なっているのだ。
 今現在に焦点を置かれたものは、私がつねに今に在るからこそ、
 私とともに在る。
 私が私自身の実在性を現在の出来事に与えるのだ。
 質問者 しかし私たちは思い起こされたことがらも、現実のよう
 に扱います。
 マハラジ
 それが現在のなかに入りこんだときだけ、私たちは思い出につい
 て考える。
 今にもちこまれないと忘れ去られたことを思い出すことはない。
 質問者 そのとおりです。現在のなかには一過性の事実に一瞬の
 真実を与える、何か未知なる要因があることがわかりま
 す。
 マハラジ
 未知と言うまでもない。
 なぜなら、あなたはそれがつねに作用しているのを見ているから
 だ。
 生まれて以来、かつてそれが変わっただろうか?
 ものごとや思考はつねに変わりつづけてきた。
 だが、この現在が真実だという感覚は、夢のなかでさえもけっし
 て変わらなかったのだ。
 質問者 宇宙は因果関係の法則に支配されるのか、それともその法則の枠外
 で存在し機能するのかという質問がたびたび取り上げられてきまし
 た。すべては、たとえ小さくとも因果関係なしに、まったく何の理
 由もなく現れては消え去るというのが、あなたの見解だったと見受
 けられますが。
 マハラジ
 因果関係とは、物理的あるいは精神的空間のなかで起こる出来事の時間的連
 鎖を意味する。
 時間、空間、因果関係は精神的領域にあり、マインドとともに現れては消え
 ていく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

636 不思議な名無しさん :2019/06/29(土) 06:46:14 ID:TUXTJyrgO
>>635
訂正
【3 今を生きる】は、
> だが、この現在が真実だという感覚は、夢のなかでさえもけっし
 て変わらなかったのだ。
まででした。

(´・(ェ)・`)つ

637 不思議な名無しさん :2019/06/29(土) 08:41:18 ID:TUXTJyrgO
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】

 質問者 宇宙は因果関係の法則に支配されるのか、それともその法則の枠外
 で存在し機能するのかという質問がたびたび取り上げられてきまし
 た。すべては、たとえ小さくとも因果関係なしに、まったく何の理
 由もなく現れては消え去るというのが、あなたの見解だったと見受
 けられますが。
 マハラジ
 因果関係とは、物理的あるいは精神的空間のなかで起こる出来事の時間的連
 鎖を意味する。
 時間、空間、因果関係は精神的領域にあり、マインドとともに現れては消え
 ていく。
 質問者 マインドが作用するかぎり、因果関係の法則に効力があるのですね。
 マハラジ
 すべての精神的なものがそうであるように、いわゆる因果関係もそれ自体が
 相矛盾するのだ。
 存在のなかで、ある一定の原因を持っているものは何ひとつない。
 宇宙全体がもっとも小さなものの存在の一因となる。
 宇宙がそのようではないかぎり、何ひとつあるがままでは在りえない。
 あらゆるものの土台と源が、起こることすべての唯一の原因であるとき、因
 果関係を宇宙の法則と見なすのは不当だと言えよう。
 宇宙の潜在的可能性は無限のため、その内容物によって限定されることはな
 い。
 しかもそれは基本的に、完全に自由な原理の表現または顕現なのだ。
 質問者 ええ、結局ひとつのものが、ほかのものにとって唯一の原因だとす
 るのは、まったく間違いだということがわかります。しかし、実際
 の人生では、結果を見込んで行動を起こすのが私たちのつねなので
 す。
 マハラジ
 そうだ。
 無知のために、そのような行動はいたるところで見られる。
 全宇宙がそれを起こさないかぎり、何事も起こりはしないということを人び
 とが知るなら、彼らはよりわずかなエネルギーでより多くを達成するだろう。
 質問者 もしすべてが原因全体の表現だとするなら、ひとつの達成に向けて
 の目的ある行動などというものがありうるのでしょうか?
 マハラジ
 達成しようとする衝動自体も全宇宙のひとつの表現なのだ。
 それは潜在するエネルギーが、ある一定の地点で現れたことを意味するにす
 ぎない。
 時間という幻想が、あなたに因果関係について語らせるのだ。
 過去と未来が共通のパターンの一部として、永遠の今において見られるとき、
 原因と結果という概念は効力を失い、創造的自由が現れる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

638 不思議な名無しさん :2019/07/04(木) 07:56:02 ID:TUXTJyrgO
>>637
『I AM THAT 私は在る』
【4 真の世界はマインドを超える】(つづき)

 質問者 それでも、どうして原因なしに何らかの存在が現れるのか、私には
 理解できません。
 マハラジ
 私が、あるものが原因なくして在ると言うとき、それはひとつの特定の原因
 なくしてという意味だ。
 あなたの誕生のために、あなたの母親は必要なかった。
 誰か他の女性から生まれることもありえたのだ。
 しかし、太陽と地球なしには生まれてくることはできなかったろう。
 それらでさえもっとも重要な原因なしでは、あなたの誕生の原因とはならな
 いだろう。
 生まれてきたいというあなた自身の欲望なしには。
 感情を与え、名前と形を与えるのは欲望なのだ。
 欲せられたものが創造され、望まれて、触れることができ、思い描くことの
 できる何かとしてそれ自身を顕現させる。
 このようにして、私たちの住む個人的な世界は創造されるのだ。
 真の世界はマインドを超える。
 私たちはそれを快楽と苦痛、正と誤、内と外に分割された欲望の網の目の向
 こうにかいま見る。
 宇宙をあるがままに見るためには、その網を越え、一歩踏みださなければな
 らない。
 難しいことではない。
 なぜならその網は大きな穴でいっぱいだからだ。
 質問者 穴とはどういう意味でしょう? そして、どうすれば見いだせるの
 でしょうか?
 マハラジ
 網とその多くの矛盾を見るがいい。
 ことあるごとにあなたは何かを為(な)し、そして取り消す。
 愛と平和と幸福を求め、熱心に働きかけたあげく、苦痛と憎悪と戦争を生み
 出す。
 長寿を求めながら過食し、友情を求めながら搾取する。
 あなたの網の目が矛盾に満ちていることを見てとりなさい。
 そしてそれを取り払うのだ。
 見るという行為そのものがそれを消し去るだろう。
 質問者 見るという行為がそれを消し去るのならば、見ることと消えること
 の間に因果的関連があるのではないでしょうか?
 マハラジ
 たとえ概念としても、因果関係は混乱には当てはまらない。
 質問者 欲望はどの程度まで因果関係の要因となるのでしょうか?
 マハラジ
 欲望は多くの要因のなかのひとつだ。
 あらゆるものには無数の因果の要素がある。
 しかし、そのすべての源はあなたの中にあり、それは愛と力と光をすべての
 経験に与える至高の実在なのだ。
 だが、この源が原因なのではなく、またどの原因も源ではない。
 それゆえ、私はすべてのものに原因はないと言うのだ。
 あなたはどのようにしてものごとが起こるのか、その由来をたどってみよう
 とするかもしれない。
 だが、なぜものごとがあるがままなのかを見いだすことはできない。
 ものごとはあるがまま在るのだ。
 なぜなら宇宙はあるがまま在るからだ。
(´・(ェ)・`)つ

639 不思議な名無しさん :2019/07/06(土) 10:54:57 ID:TUXTJyrgO
>>638
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】

 質問者 観照意識とは不変のものでしょうか?
 マハラジ
 それは不変ではない。
 知る者は知られるものとともに現れ、ともに消えるのだ。
 その中で知る者と知られるものが現れては消えていくそれは、時を越えて在
 る。
 不変あるいは永遠といった言葉は当てはまらないのだ。
 質問者 眠りのなかでは知る者も知られるものも存在しません。何が身体に
 感覚と受容力をもたせるのでしょうか?
 マハラジ
 知る者が不在だったと言うことはできない。
 ものごとや思考の体験がなかった、それだけだ。
 しかし、体験の不在もまた体験なのだ。
 それは暗室に入って、「何も見えません」と言うようなものだ。
 生まれつき盲目の人が暗闇の意味を知らないように、知る者だけが知らない
 ということを知っている。
 眠りは単なる記憶の喪失であり、生は続いていく。
 質問者 では死とは何でしょうか?
 マハラジ
 それはある特定の身体にとっての、生の過程における変化だ。
 統合が終わり、そして崩壊が始まる。
 質問者 しかし知る者はどうなるのでしょうか? 身体の消滅とともに知る
 者も消え去るのでしょうか?
 マハラジ
 誕生において身体を知る者が現れたように、死において知る者は消え去るの
 だ。
 質問者 そして何も残らないのですか?
 マハラジ
 生命が残る。
 意識は顕現するために、媒体と手段を必要とする。
 生命が別の身体を創造するとき、別の知る者が現れるのだ。
 質問者 連鎖継続する身体とそれを知る者、あるいは「身体―精神 *」との
 間には、何か因果関係があるのでしょうか?
 * 訳注 「身体―精神」 Body-Mind
 身体―精神という有機的組織体ある
 いは身体精神機構を意味する。マハラジの最たる通訳者であった
 ラメッシ・S・バルセカールは、Body-Mind orgnism, Body-Mind
 mechanism, psychosomatic apparatusなどと解釈している。
 マハラジ
 そうだ。
 そこには為(な)してきたこと、為し遂げたかったことの想いをすべて記録
 した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何かがある。
 それはイメージの雲を集めたようなものだ。
 質問者 この分離した存在の感覚はいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは分離した身体のなかに現れる、唯一の実在の反映なのだ。
 この反映のなかで、かぎりあるものと無限なるものが混同され、同じものと
 して見なされてしまった。
 この混乱の解消がヨーガの目的なのだ。
 質問者 死はこの混乱を解消しないのでしょうか?
 マハラジ
 死においては身体だけが死ぬ。
 生命、意識、実在は死なない。
 そして生命は死の後、かつてなかったほど生き生きとするのだ。
 質問者 しかし人は生まれ変わるのでしょうか?
 マハラジ
 生まれたものは死ななければならない。
 不生なるものだけが不死なのだ。
 けっして眠ることも目覚めることもないものが何なのか、私たちの「私」と
 いう感覚が誰のおぼろげな反映なのか見いだしなさい。
 質問者 どのようにしてそれを見いだしたらいいのでしょう?
 マハラジ
 何かを見いだそうとするとき、あなたはどうするだろうか?
 マインドとハートをそれにとどめておくのだ。
 それに対する関心と、確固とした記憶が必要だ。
 覚えなければならないことを覚えること、それが成功の秘訣(ひけつ)だ。
 真剣さがそれをもたらす。
 質問者 見いだそうとするだけで充分なのですか? もちろん、能力と機会
 が必要なはずです。
 マハラジ
 真剣さがそれをもたらすだろう。
 もっとも重要なことは、目的地とそこへの道が異なったレベル上にあっては
 ならないこと、生活と光が調和すること、行いが信条を裏切らないこととい
 った矛盾から自由であることだ。
 誠実さ、清廉さ、完全性と呼んでもいい。
 後戻りしてはならない。
 やり直しはできない。
 一度征服した地を、離れたり見捨てたりしてはならない。
 目的に向かうねばり強さと、それを遂行する真剣さがあなたを目的地へと導
 くだろう。
 質問者 ねばり強さと誠実さは天が与えるものです。私にはそのほんのかけ
 らもありません!
 マハラジ
 あなたが突き進むにつれて、すべてはやってくるだろう。
 まず第一歩を踏み出しなさい。
 すべての恩寵(おんちょう)はあなたの内側からやってくる。
 内面に目を向けなさい。
 あなたは「私は在る」ことを知っている。
 自発的にそこへ戻ってくるようになるまで、もてるかぎりの時間をそれとと
 もに在りなさい。
 それ以上やさしい方法はないのだ。
(´・(ェ)・`)つ

640 不思議な名無しさん :2019/07/12(金) 07:47:06 ID:TUXTJyrgO
>>639
『I AM THAT 私は在る』
【6 瞑想】

 質問者 すべての霊的教師たちが瞑想するように勧めます。瞑想の目的とは
 何なのでしょうか?
 マハラジ
 私たちは感覚や行為といった外側の世界は知っているが、思考や感情といっ
 た内なる世界のことはほとんど知らない。
 瞑想の初歩的な目的は、私たちの内なる生をより身近に自覚することだ。
 そして究極の目的は、生の源である意識にたどり着くことだ。
 付随的にだが、瞑想の修行は私たちの人格に深く影響を及ぼす。
 私たちは私たちが知らないものの奴隷だ。
 知るものに対しては私たちが主人だ。
 何であれ、私たちの欠点や弱点を発見し、その原因や働きを理解する、知る
 ということ自体がそれを克服するのだ。
 無意識は意識層にもちこまれることによって溶解する。
 無意識の溶解はエネルギーを解き放つ。
 マインドはそれを適切だと感じ、そして静かになるのだ。
 質問者 静かなマインドは何の役に立つのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが静かになったとき、私たちは自分自身が純粋な観照者であること
 を知る。
 私たちは経験と経験者のどちらからも身を引き、その間であり、またその二
 つを超えた純粋な気づきとして離れて立つのだ。
 自分自身を、「私はあれやこれだ」と想像し、自己同一化をもととする人格
 は続いていく。
 しかし、ただ客観的世界の一部としてだけだ。
 観照者としての自己同一化は終焉(しゅうえん)する。
 質問者 私が理解するには、私は多くの異なったレベルに生き、その生の各
 々のレベルはエネルギーを必要とします。自己はその本性としてあ
 らゆることを楽しみ、そのためエネルギーは外側へと流れていきま
 す。このエネルギーをより高いレベルに蓄え、向上させ、豊かにす
 ること、それが瞑想の目的ではありませんか?
 マハラジ
 それはグナ(性質)のレベルの問題ではない。
 瞑想は純粋な行為であり、その目的はタマス(不活発性)とラジャス(活動
 性)を完全に除去することだ。
 純粋なサットヴァ(調和)は、怠惰と落ち着きのなさからの完全な自由だ。

 質問者 どうやってサットヴァを強く清らかにするのでしょうか?
 マハラジ
 サットヴァはつねに強く純粋だ。
 それは太陽のようなものだ。
 雲やほこりに見え隠れすることはあっても、それはただ見る者の視点による
 のだ。
 太陽にではなく、太陽を隠す原因となるものに対処しなさい。
 質問者 サットヴァは何の役に立つのでしょうか?
 マハラジ
 真理、善、調和、美、これらがいったい何の役に立つというのか?
 それらがそれら自身の目的なのだ。
 ものごとがそのまま干渉されず、避けられず、求められず、概念化されず、
 ただあるがままに完全な気づきのなかで体験されるとき、それらは自然に努
 力することなく現れる。
 そのような気づきそのものがサットヴァなのだ。
 それは人やものを利用するのではなく、それらを満たすのだ。
 質問者 サットヴァを高めることができないのなら、タマスとラジャスのみ
 に対処するのでしょうか? それらをどう扱えばよいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのなかで、それらがどう影響を与えているかを見守ることによってだ。
 それらがどう作用するか気づいていなさい。
 あなたの思考、言葉、行為を見守りなさい。
 そうすればそれらのあなたへの支配は徐々に減っていき、サットヴァの澄ん
 だ光が輝きだすだろう。
 それは困難でも長い過程でもない。
 真剣さ、それが唯一の成功への条件だ。
(´・(ェ)・`)つ

641 不思議な名無しさん :2019/07/18(木) 09:17:23 ID:xm61ZkQg0
転生間惑星滞在について理解しなさい

642 不思議な名無しさん :2019/07/20(土) 16:01:07 ID:TUXTJyrgO
>>638
『I AM THAT 私は在る』
【5 生まれたものは死ななければならない】

 質問者 観照意識とは不変のものでしょうか?
 マハラジ
 それは不変ではない。
 知る者は知られるものとともに現れ、ともに消えるのだ。
 その中で知る者と知られるものが現れては消えていくそれは、時を越えて在
 る。
 不変あるいは永遠といった言葉は当てはまらないのだ。
 質問者 眠りのなかでは知る者も知られるものも存在しません。何が身体に
 感覚と受容力をもたせるのでしょうか?
 マハラジ
 知る者が不在だったと言うことはできない。
 ものごとや思考の体験がなかった、それだけだ。
 しかし、体験の不在もまた体験なのだ。
 それは暗室に入って、「何も見えません」と言うようなものだ。
 生まれつき盲目の人が暗闇の意味を知らないように、知る者だけが知らない
 ということを知っている。
 眠りは単なる記憶の喪失であり、生は続いていく。
 質問者 では死とは何でしょうか?
 マハラジ
 それはある特定の身体にとっての、生の過程における変化だ。
 統合が終わり、そして崩壊が始まる。
 質問者 しかし知る者はどうなるのでしょうか? 身体の消滅とともに知る
 者も消え去るのでしょうか?
 マハラジ
 誕生において身体を知る者が現れたように、死において知る者は消え去るの
 だ。
 質問者 そして何も残らないのですか?
 マハラジ
 生命が残る。
 意識は顕現するために、媒体と手段を必要とする。
 生命が別の身体を創造するとき、別の知る者が現れるのだ。
 質問者 連鎖継続する身体とそれを知る者、あるいは「身体―精神 *」との
 間には、何か因果関係があるのでしょうか?
 * 訳注 「身体―精神」 Body-Mind
 身体―精神という有機的組織体ある
 いは身体精神機構を意味する。マハラジの最たる通訳者であった
 ラメッシ・S・バルセカールは、Body-Mind orgnism, Body-Mind
 mechanism, psychosomatic apparatusなどと解釈している。
 マハラジ
 そうだ。
 そこには為(な)してきたこと、為し遂げたかったことの想いをすべて記録
 した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何かがある。
 それはイメージの雲を集めたようなものだ。
 質問者 この分離した存在の感覚はいったい何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは分離した身体のなかに現れる、唯一の実在の反映なのだ。
 この反映のなかで、かぎりあるものと無限なるものが混同され、同じものと
 して見なされてしまった。
 この混乱の解消がヨーガの目的なのだ。
 質問者 死はこの混乱を解消しないのでしょうか?
 マハラジ
 死においては身体だけが死ぬ。
 生命、意識、実在は死なない。
 そして生命は死の後、かつてなかったほど生き生きとするのだ。
 質問者 しかし人は生まれ変わるのでしょうか?
 マハラジ
 生まれたものは死ななければならない。
 不生なるものだけが不死なのだ。
 けっして眠ることも目覚めることもないものが何なのか、私たちの「私」と
 いう感覚が誰のおぼろげな反映なのか見いだしなさい。
 質問者 どのようにしてそれを見いだしたらいいのでしょう?
 マハラジ
 何かを見いだそうとするとき、あなたはどうするだろうか?
 マインドとハートをそれにとどめておくのだ。
 それに対する関心と、確固とした記憶が必要だ。
 覚えなければならないことを覚えること、それが成功の秘訣(ひけつ)だ。
 真剣さがそれをもたらす。
 質問者 見いだそうとするだけで充分なのですか? もちろん、能力と機会
 が必要なはずです。
 マハラジ
 真剣さがそれをもたらすだろう。
 もっとも重要なことは、目的地とそこへの道が異なったレベル上にあっては
 ならないこと、生活と光が調和すること、行いが信条を裏切らないこととい
 った矛盾から自由であることだ。
 誠実さ、清廉さ、完全性と呼んでもいい。
 後戻りしてはならない。
 やり直しはできない。
 一度征服した地を、離れたり見捨てたりしてはならない。
 目的に向かうねばり強さと、それを遂行する真剣さがあなたを目的地へと導
 くだろう。
 質問者 ねばり強さと誠実さは天が与えるものです。私にはそのほんのかけ
 らもありません!
 マハラジ
 あなたが突き進むにつれて、すべてはやってくるだろう。
 まず第一歩を踏み出しなさい。
 すべての恩寵(おんちょう)はあなたの内側からやってくる。
 内面に目を向けなさい。
 あなたは「私は在る」ことを知っている。
 自発的にそこへ戻ってくるようになるまで、もてるかぎりの時間をそれとと
 もに在りなさい。
 それ以上やさしい方法はないのだ。
(´・(ェ)・`)つ

643 不思議な名無し :2019/08/11(日) 16:08:35 ID:GwaHI65o0
色即是空
全て形有るものは因縁によって生じたもの。
それを永劫不変の実体がない。

『色』とは、形有るもの、
全て形有るものは因縁によって生じたもの。
永劫不変は、いつまでもの変化しないこと『永劫』は永久に終わることのなく続く。
不変は変わらないこと。

運命の因縁
運命を結果とすると『因』は私たちの行い。
『縁』は環境や他人の行い
自分の行い以外の全ての要因
私たちの行いを『業』とも言いますが、何かの行いをするとそれは、目に見えない『業力』となって消えずに残る。
それがやがて縁が来た時、目に見えない結果となって現れる。
『縁』は、業力が運命になる引き金のようなもの、それは、『因』だけでも『縁』だけでも結果は起きない。
それを『因果の道理』又は、『因縁果の道理』とも言う。


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