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悟り開こうよ 25次元目

1 シヴァージ ◆Mh/HW8c4EM :2017/12/07(木) 11:02:57
みな、悟りを開くのじゃ……グフフフ……


そんな怪しいスレではないのですが、

現状、カードリーダー、シナジストのしゅりけんさんの
アップしてくださる3枚カード占いを見て、
「おのおの方、気づきを拡大していこうよ♪」という
まったりペースで進行しております。


しゅりけんさんのブログ
【 原初宇宙からのカードリーディング 】
http://ameblo.jp/card-de-go


【 悟り開こうよ まとめwiki 】 過去スレはこちらから、どうぞ
PC版サイト : http://seesaawiki.jp/satori/
モバイル版サイト : http://m.seesaawiki.jp/satori/


このスレは、コテハン&トリップ推奨です。
(最初はなくても構いませんが、何度も書き込むようなら、ぜひ付けてください)

507 不思議な名無しさん :2018/10/06(土) 06:04:20 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十二章

「すべての生き物に対して、慈悲のある者、
幸福と不幸を平等に受け容れ、寛大である者、
足るを知っている者、こういう人を私は愛する。」

「誰にも迷惑を掛けず、他を干渉しない者、
誰からにも影響を受けず、他を強制しない者、
私心を捨て切った者、こういう人を私は愛する。」

「順境にも、逆境にも、心が動揺しない者、
全てに淡々と振る舞って、何も苦悩しない者、
見返りを求めない者、こういう人を私は愛する。」

「敵方や味方を問わず、他に平等である者、
名誉と侮辱に心が動かず、常に平静でいる者、
相対を越えている者、こういう人を私は愛する。」

「無益な交際を避けて、真我を信愛する者、
無益な言葉に捕らわれず、真我に奉仕する者、
無益な言葉に捕らわれず、真我に奉仕する者、
バクティを修める者、こうした人を私は愛する。」

「住む場所に囚われず、究極の道を進む者、
断固とした決意を持って、不滅の道を歩む者、
真我を目的とする者、こうした人を私は愛する。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

508 不思議な名無しさん :2018/10/09(火) 07:28:06 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十三章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
もう一度、君に、最高の知識を話しておこう。
古の聖者は、これを知って、完成の域に達した。」

「この知識を、体得することによってのみ、
あらゆる生命は、真我である、私と同化して、
物質宇宙の創造と破壊に、巻き込まれなくなる。」

「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
プラクリティは、大ブラフマンとも呼ばれて、
わたしが、種子を蒔くと、生物が現われてくる。」
「クンティーの息子である、アルジュナよ。
私は、生命の種子を蒔く、すべての父であり、
同時に、生命を子宮に宿す、すべての母である。」
「プラクリティには、三つの性が存在する。
即ち、サットヴァ、ラジャス、タマスであり、
プラクリティに接触すると、霊魂が束縛される。」

「バラタ一族の勇者である、アルジュナよ。
サットヴァは、幸福を求める、善の性であり、
他より優れているが、他と同じく魂を束縛する。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
ラジャスは、欲望を昂らせる、動の性であり、
際限なく、利益を求める行為に、魂を束縛する。」
「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
タマスとは、迷妄に陥らせる、暗の性であり、
狂気や怠惰や多眠に塗れさせて、魂を束縛する。」

「タマスは、人々が怠惰に執着してしまい、
ラジャスでは、人々が利益に執着してしまい、
サットヴァでは、人々が幸福に執着してしまう。」

「サットヴァが、優勢になったかと思えば、
別の時には、ラジャスやタマスが優勢になる。
こうして、三つの性質は、互いに競合している。」

「アルジュナよ、善性が優勢になった時は、
両目、両耳、両鼻、口、肛門、生殖器、即ち、
肉体の九門が、智慧の光により輝くようになる。」
「アルジュナよ、動性が優勢になった時は、
激烈なる執着、利益を求める活動、焦燥の感、
激しい努力、昂ぶる欲望、飽くなき追求である。」

「アルジュナよ、暗性が優勢になった時は、
人は、暗愚になり、邪悪になり、物臭になり、
無気力、狂気、妄想などが、現れるようになる。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

509 不思議な名無しさん :2018/10/10(水) 06:17:07 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十三章

「タマスで死ねば、無智に陥る家に生まれ、
ラジャスで死ぬなら、仕事を追う家に生まれ、
サットヴァで死ぬなら、信仰を培う家に生れる。」

「タマスで行えば、行うほど、愚昧になり、
ラジャスで行なえば、行うほど、苦痛になり、
サットヴァで行なえば、行うほど、善良になる。」
「タマスから、愚鈍や狂気が生まれて来て、
ラジャスからは、食欲や貪欲が生まれて来て、
サットヴァからは、真実や智慧が生まれて来る。」

「タマスで生きると、低い世界に転生して、
ラジャスで生きるなら、同じ世界に転生して、
サットヴァで生きるなら、高い世界に転生する。」

「すべての行為は、自分が行うのではなく、
これら、グナの働きに過ぎないと、知る者は、
三グナの働きを超越して、真我の元に辿り着く。」

「肉体を纏った者が、三グナを超越すれば、
生老病死の苦しみから、完全に解脱を果たし、
現象界にいる内から、至福の神酒を飲むだろう。」
アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「グナを超越した人の、特徴とは何ですか。
彼は、どのように生活し、どのように行動し、
さらに、グナを、どのように超越するのですか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「パンドゥ王の息子である、アルジュナよ。
サットヴァの光、ラジャスの欲、タマスの闇。
これらの、三つの性質に、中立を保ち続ける者。」

「真我に定住して、幸福と不幸を区別せず、
石と金を平等に見て、善悪の感情を起さない。
賞賛と非難や、名誉と恥辱に、心を動かさない。」
「友と敵を同じように見て、平等に扱う者、
物質を求める仕事には、全く手を出さない者、
以上のような人は、三グナを超越したと言える。」

「いかなる場合も、自我を放棄している者、
真我を信愛しながら、真我に奉仕している者、
以上の者は、速やかに、ブラフマンに到達する。」

「そして、私が、ブラフマンの住居である。
即ち、不滅の一元であり、永遠の法則であり、
相対の幸福と不幸を越えた、絶対の幸福である。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

510 不思議な名無しさん :2018/10/11(木) 07:13:39 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十四章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「根が上に枝が下に、葉がヴェーダの讃歌、
決して枯れない、菩提樹がある、と言われる。
この樹を知る者は、すべての、ヴェーダを知る。」

「無数の枝は、グナに養われる感覚の対象。
下に伸びる根は、利欲に培われる人間の名利。
この無数の根こそ、人の世界に縛る行為となる。」

「この世に住む者は、この枝の姿が見えず、
始まりも終わりも、根ざす所も分からないが、
無頓着の斧を持って、樹を切り倒すべきである。」
「それから、不退転の境地を求めるが良い。
そこから、全てが開始して、総てが展開する。
そこは、至上神に、すべてを任せる境地である。」
「名声を望むことなく、迷妄を出離した者、
欲による善と悪を越えて、真我に安住した者、
これらの者は、必ずや、不滅の境地に導かれる。」

「真我の住処は、日も月も火も必要がない。
自らが光り輝いて、ここを訪れた者は誰でも、
現象界に戻ろうとは、決して考えないのである。」

「生命に内在する魂は、真我の部分である。
魂は、眼耳鼻舌身意、六つの感覚を使用して、
苦労を重ねながら、肉体を操っている、と知れ。」
「あたかも、春の風が、香りを運ぶように、
魂は、自らの想いを、次の体に運ぶのである。
こうして、人は、体を乗り換え、生まれ変わる。」

「不滅の魂は、六つの識別の作用、つまり、
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識を持ち、
それに応じた、生まれ方や、生き方をしている。」

「霊魂は、三つのグナに、支配されながら、
様々に経験して、時が来れば、肉体を離れる。
しかし、無智なる者には、この事実が見えない。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

511 不思議な名無しさん :2018/10/12(金) 06:52:16 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十四章

「自己の本性を悟るとき、この事実を知る。
しかし、未熟ゆえに、自覚できていない者は、
不滅の魂を見とめることが、出来ないのである。」
「すべての世界を照らす、太陽の光にせよ、
月の光にせよ、火の光にせよ、私の光である。
すべての輝きは、真我である私から発している。」

「天体は、真我の力で、天空を回っている。
真我の神酒は、大地の食物を養い育てている。
地の植物に、滋養が溢れる、甘露を与えている。」

「生物は、真我の力で、生命が宿っている。
呼気と吸気に合せながら、四種の食物、即ち、
飲む物、噛む物、舐める物、啜る物を消化する。」

「真我は、全ての人類の心臓に宿っていて、
彼らに、記憶と知識と忘却を与える役がある。
ヴェーダは、真我を知るため、真我に著される。」
「この宇宙には、必滅と不滅の二つがある。
物質の世界は、必滅なるが故に、無常であり、
霊魂の世界とは、不滅なるが故に、常住である。」

「この二つを超越して、至上者が存在する。
それは、不死不滅である、真我のことであり、
三界に入ってきて、すべてのものを支えている。」

「わたしのことを、真我であると知る者は、
迷いの無い者であり、すべてを知る者である。
彼らは、全霊を以って、真我を礼拝し奉仕する。」

「今、私は、最も神秘的な教えを明かした。
アルジュナよ、この秘儀を解する者は誰でも、
必ずや、智慧を得て、究極の目的を果すだろう。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

512 不思議な名無しさん :2018/10/13(土) 18:20:52 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十五章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「無畏、善性の増大、智慧のヨーガ、布施、
節制、祭祀、ヴェーダの学習、非暴力、廉直、
不瞋恚、苦行、正直、離欲、生類に対する慈悲。」

「小言を言わないこと、欠点を探さぬこと、
平静、威光、寛容、堅固、清潔、柔和、謙虚、
アルジュナよ、以上は、神性に属すものである。」

「口が煩いこと、他の人の欠点を探すこと、
思い上がり、尊大、高慢、憤怒、粗暴、無知。
アルジュナよ、以上は、魔性に属すものである。」
「アルジュナよ、君は、神性を持っている。
神性は、天人の性質であり、人を解脱に導き、
魔性とは、修羅の性質であり、人を束縛に誘う。」

「世の創造物に、神性と魔性の二つがある。
既に、神性について、君に説明しているから、
今度は、魔性について、君に解説するとしよう。」

「魔性の者には、勧戒と禁戒の分別がない。
礼儀も弁えないし、清らかさの欠けらもない。
彼らは、不誠実であり、誰もが、不正直である。」

「魔性の者は、得てして、このように言う。
世界は幻影であり、因も無いし、神も居ない。
すべては、性欲により、生じているに過ぎない。」
「このように考えるため、彼らは自ずから、
知性を失い、無智に覆われ、堕落を免れない。
残酷な行為を喜んで、世界を破滅に導いていく。」

「欲は飽きを知らず、独善に嵌り慢に陥る。
迷妄なるがゆえに、誤まった見解に囚われて、
不浄なる信念を抱き、邪まなる行動に捕われる。」

「欲望を満たすことが、進化に必要である。
魔性の者は、このように考え、死に至るまで、
欲望の享受に没頭して、焦燥感に苦しめられる。」

「数え切れない、欲望の網に捕らえられて、
情欲と瞋恚に心身を委ね、快楽を求めるため、
彼らは、不法な手段で、富を蓄積しようとする。」
「魔性の者は、無智のために、妄想してしまう。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

513 不思議な名無しさん :2018/10/14(日) 09:13:02 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十五章(つづき)

“私は、財産を、増やさなければならない。
私は、現在、これしか、財産を持っていない。
しかし、将来、これより、財産を持てるはずだ”

“私は、宿敵を、減らさなければならない。
邪魔者は消せ、わたしだけが、主人公である。
成功者であって、有力者であり、資産家である”

“私は、血統を、誇こらなければならない。
高貴な血筋の縁者に囲まれ、私は幸福である。
祭祀を行ない、慈善を行なう、我が喜びである”

「アルジュナよ、心配と焦燥に囚らわれて、
幻影の呪縛に、捕えられてしまった者たちは、
欲望の満足に執着し、地獄の底まで落ちていく。」

「彼らは、独善的であり、無遠慮であって、
いつも、売名の目的で、偽善を誇らしくする。
規則に従わず、無礼に振る舞って、頑固である。」

「魔性の者は、非常に、利己的であるため、
権力欲と自尊心に囚われ、情欲と瞋恚に耽る。
彼ら自身の中に住まう、真我を軽蔑しさえする。」

「彼らは、嫉妬心や羨望心が、極めて強く、
他に害を加える事を、喜んで良しとするため、
繰り返し繰り返し、修羅の胎内に投げ込まれる。」

「修羅に転生する者は、真我に近づけない。
生まれ変わるごとに、悪趣の世界に沈み込み、
最終的には、最も忌わしい存在に生まれ変わる。」

「地獄に至る原因に、三種類の欲望がある。
その三つの欲とは、肉欲と憤怒と食欲である。
魂を堕落させる、この三つの欲望を切り捨てよ。」

「これらの、三つの悪しき門を避けた者は、
真我の実現に、相応しい道を歩むことが出来、
次第に向上して、必ずや、究極の目的を達する。」

「アルジュナよ、聖典が示す道を軽視して、
欲望のまま行動する者は、生命の完成を損い、
絶対の幸福が得られず、至高の目的に至らない。」

「アルジュナよ、聖典が示す教えに拠って、
行うべきを為して、為さないべきを行なうな。
それを知り、それを守り、向上の道を突き進め。」

(´・(ェ)・`)
(おわり)

514 不思議な名無しさん :2018/10/15(月) 07:10:46 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十六章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「以下のものについて、私に教えて下さい。
すなわち、プルシャとプラクリティについて、
活動と活動の実感、知識と知識の対象について。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「我々の身体こそが、活動する主体であり、
身体を統御する精神が、実感する主体である。
そして、真我こそが、一切を認識する者である。」

「真の知識とは、この関係を理解すること。
アルジュナよ、では、認識する者とは、何か。
如何に解釈して、知識とするのか、聞きなさい。」

「この知識について、古来から聖者たちは、
賛歌や格言の形で、様々に表現を為している。
取り分け、ブラフマ・スートラに、明瞭である。」

「地水火風空、個我、仏性、プラクリティ、
意識、十門、五感、欲望、憎悪、喜楽、悲苦、
意志力、肉体、知力、以上により、解釈される。」

「アルジュナよ、慢心や虚栄を捨てること。
欲望の対象から心を離し、我執を無くすこと。
非暴力、寛容、正直、奉仕、清浄、決意、自制。」

「生老病死を苦と見て、本質を究めること。
あらゆる執着を捨て去り、愛着を越えること。
好きなこと、嫌いなことを、平等に捉えること。」

「至上者に対する信仰、世俗を離れること。
無益な交際を避けて、悟る意義を認めること。
以上が智慧であり、これに反すれば無智である。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

515 不思議な名無しさん :2018/10/16(火) 04:25:42 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十六章(つづき)

「永遠の生命を得るため、知るべきことを、
アルジュナよ、今から君に、説明しておこう。
ブラフマンは無始であり、有無を超越している。」

「至る所、彼の手や足や目や頭や顔があり、
至る所に彼の耳があり、すべての音を聞いて、
すべてを覆い尽して、彼は時空に充満している。」

「彼は、すべての感覚機能を具えているが、
彼自身は、すべての感覚器官を持っていない。
彼は、グナを楽しみながら、グナを越えている。」

「彼は、万物の内にも、万物の外にも在り、
動であり不動であり、遥かに遠く極めて近い。
その精妙なること、とても、肉眼では見えない。」

「個々に、分かれているように、見えるが、
決して、分かれることなく、常に同一である。
創造者にして、維持者であり、破壊者でもある。」

「彼は、光輝の中の光輝、光の源泉であり、
グナの明暗を超越した所で、光り輝いている。
彼は、知識の目的であり、すべての中心に住む。」

「以上のものが、活動と知識の説明である。
以上のことを解する、私の熱心な信者だけが、
真我である私の浄土に、来ることが出来るのだ。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

516 不思議な名無しさん :2018/10/17(水) 07:46:48 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十六章(つづき)

「プルシャとプラクリティは、無始であり、
変化作用のヴィカーラーと、属性の三グナは、
どちらも、物質源である、プラクリティである。」

「プルシャは、精神源であり、経験の主体。
プラクリティは、物質源であり、現象の因果。
全ての物理現象は、プラクリティが源泉である。」

「プルシャが、プラクリティである三グナ、
三つの属性に干渉され、物質世界が誕生する。
トリグナの干渉の仕方で、善悪二元が出現する。」

「一方で、体の中に、至上霊が宿っている。
それは、パラマートマー、至上我と呼ばれて、
全ての活動を経験して、全ての体験を監督する。」

「プルシャとプラクリティの、相互の関係、
あるいは、三グナの相互の作用を解する者は、
たとえ、どの環境に居ても、地上に再生しない。」

「これを、人は、瞑想や哲学や奉仕で悟る。
或いは、他の人から聞いて、私を拝み始める。
こうした人々も、生死の鎖から解放されるのだ。」

「バラタ一族の勇者である、アルジュナよ。
動く者も、動かない者も、すべての生き物は、
肉体と霊魂、対象と認識者の結合であると知れ。」

「すべての生命には、至上主が等しく宿る。
必滅の中に、この不滅のものを見とめる者は、
真に存在の実相を見ていると、言えるのである。」

「あらゆる場所や、また、あらゆる生命に、
至上主の存在を、等しく見とめている者達は、
自分を傷つけることなく、至高の境地に達する。」

「プラクリティが、カルマを作るのであり、
アートマンは、無関係であると見とめる者は、
真に存在の実相を見ていると、言えるのである。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
アートマンは不滅であり、物質を越えている。
それは、肉体に宿るが、決して影響を受けない。」

「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
あたかも、太陽が、世界を照らし出すように、
霊魂は、肉体の中で、意識を照らし出している。」

「智慧の芽を開き、霊魂と肉体を見る者は、
プラクリティの鎖を、断ち切る法を見とめる。
彼らは、速やかに、至上の目的に達するだろう。」

(´・(ェ)・`)
(おわり)

517 不思議な名無しさん :2018/10/19(金) 06:23:38 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十七章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、聖典の教えには従がわず、
独特の信仰により、神々を礼拝する修行者は、
サットヴァ、タマス、ラジャス、どれに属すか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「肉体を有する者には、三つの信仰がある。
それは、生まれながらの、三グナで決定する。
これから、それぞれについて、君に説明しよう。」

「生まれつきの性格で、異なる信仰を持つ。
信仰とは、その人の性質を表わすものであり、
その実、信仰の本体は、その人自身の姿である。」

「タマスが優位な人は、幽鬼を信仰し易く、
ラジャスが優位な人々は、魔神を信仰し易く、
サットヴァが優位な人々は、善神を信仰し易い。」

「聖典に従うことなく、禁欲を行なう者は、
その実、虚栄心のために、苦行を為しており、
すればするほど、欲望と執着の虜になっていく。」

「プラクリティである、三つのグナにより、
人々が好む食物について、三つの種類がある。
供養、修行、布施について、同じことが言える。」

「サットヴァの人が愛する、食物とは何か。
水分や脂肪が豊富であり、生命力を増進して、
体を浄化して、力と健康と幸福と歓喜を与える。」

「ラジャスの人々が愛する、食物とは何か。
苦味や酸味や塩味が強く、熱くて乾いていて、
刺激性が高いばかりに、心身の病の原因となる。」
「タマスの人が愛している、食物とは何か。
新鮮でない、悪臭がある、不味いものであり、
食べ残しなど、食べてはいけない不浄物である。」

「サットヴァの人が愛する、供養とは何か。
聖典の指示に従がって、果報を望むことなく、
ひたすら、真我を愛して、供養に専心している。」

「ラジャスの人々が愛する、供養とは何か。
聖典の指示に従わず、現世の利益を得るため、
虚栄のため、名声のため、供養に専心している。」

「タマスの人が愛している、供養とは何か。
聖典の指示に従わず、信仰心が伴うことなく、
真言も唱えず、食物も供えず、供養を軽蔑する。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

518 不思議な名無しさん :2018/10/20(土) 14:18:23 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十七章

「サットヴァの人が愛する、修行とは何か。
清らかな信仰心を持ち、果報を望むことなく、
身と口と意に於ける、三種の修行を修めている。」

「ここで、身の修行とは、如何なるものか。
神々を礼拝し、先達を尊敬し、師匠に仕える。
清潔、正直、節制、非暴力、以上に努めること。」

「ここで、口の修行とは、如何なるものか。
悪口を言わないこと、ヴェーダを唱えること、
優しい言葉を語ること、有益な言葉を語ること。」

「ここで、意の修行とは、如何なるものか。
自己を抑制して、心身の浄化に精進すること。
実直であり、率直であり、心が穏かであること。」

「ラジャスの人々が愛する、修行とは何か。
尊敬を受けるために、名誉を得るためにして、
不安定で長続きしない、苦行に励むことである。」

「タマスの人が愛している、修行とは何か。
自分を傷つけるため、他人を傷つけてしまい、
自他のためにならない、無智に励むことである。」

「サットヴァの人が愛する、布施とは何か。
適正な時に、適切な所で、適当な人に対して、
果報を求めることなく、布施を喜ぶことである。」

「ラジャスの人々が愛する、布施とは何か。
果報が有ると歓喜し、果報が無いと後悔する。
果報を求めるあまりに、功徳を損うことである。」

「タマスの人が愛している、布施とは何か。
不適な時に、不適な所で、不正な人に対して、
敬意を供えることなく、無礼を施すことである。」

「創造の元始より此の方、三つの聖なる言、
オーム・タット・サットは、至上者を示した。
僧侶は、いつも、礼拝の時に、この語を唱えた。」

「それゆえ、ブラフマンを知っている者は、
礼拝や布施や修行をする時に、聖典に従がい、
必ず、はじめに、聖音オームを唱えるのである。」

「あるいは、この世界から解脱を願う者は、
現象界に結び付ける、果報を求めることなく、
いつも、心から、聖音タットを唱えるのである。」

「聖音サットは、実在や善行の意味であり、
礼拝や布施や修行による、最高の境地であり、
それらを、すべて、至上者に奉げることである。」

「アルジュナよ、たとえ、信仰のない者が、
礼拝や布施や修行をしても、徒労に過ぎない。
それはアサットと呼ばれ、図らずも無益である。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

519 不思議な名無しさん :2018/10/21(日) 09:14:30 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十八章 (最終章)

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「無限の力を持たれている、クリシュナよ。
離欲とは何か、出家とは何か、教えて下さい。
ケーシ鬼を、打ち滅ぼされた神、ヴィシュヌよ。」

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「アルジュナよ、賢者は、このように見る。
離欲は、行為の果報を、望まないことであり、
出家とは、果報の行為を、行わないことである。」

「アルジュナよ、学者は、このように言う。
全ての行為を止めなさいと、言う者が居れば、
布施と供養だけ続けなさいと、言う者も居よう。」

「バラタ王家の勇者である、アルジュナよ。
ここで、離欲について、わたしの見解を聞け。
聖典には、離欲に三種があると、説かれている。」

「供養と布施と修行に関する、三つの行い。
これらはの行為は、決して止めてはいけない。
それを行う者を、浄らかに変える、からである。」

「しかし、たとえ、この行為を行なう時も、
果報を求めることなく、義務と考えることだ。
アルジュナよ、これこそ、わたしの見解である。」

「ラジャスの人々が愛する、離欲とは何か。
行なうべきことが苦しく、苦しい故に離れて、
怠ける故に疎かになり、成長しないことである。」

「タマスの人が愛している、離欲とは何か。
自分に与えられた義務を、遂行することなく、
ひたすら、為すべきことを、避けることである。」

「サットヴァの人が愛する、離欲とは何か。
名誉や利得に関心がなく、願望することなく、
ひたすら、為すべきことを、行なうことである。」

「アルジュナよ、サットヴァの離欲者とは、
不運な仕事を嫌わず、幸運な仕事に囚われず、
為すべきことを行なう、信念を有する者である。」

「肉体を持っている人にとって、実際的に、
あらゆる行為を捨てることは、不可能であり、
行為の果報を求めない者が、真の離欲者である。」

「離欲しないと、死後に生前の業が現れる。
楽や苦や不苦不楽、三つの果報が現れ始める。
しかし、離欲すれば、これらの果報は現れない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

520 不思議な名無しさん :2018/10/22(月) 08:11:44 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十八章(つづき)

「アルジュナよ、行為を全て完成するには、
五つの因があると、奥義書では説かれている。
これから、これについて、わたしの言葉を聞け。」
「行為の場である体、行為の主である自我、
器官があること、運動すること、宇宙の意思。
これら五つのものが、行為の要因であると知れ。」
「身口意において、善い行為をするにせよ。
身口意において、善からぬ行為をするにせよ。
どちらも、これら五つのものが行為の因となる。」
「それゆえ、行為するのは自分だと考えて、
この五つの要因に、考えが及ばない愚か者は、
意識の深層、宇宙の真相を見ることが出来ない。」
「自らの欲のために、行為していない者は、
たとえ、多くの人を殺し、悪い業を積んでも、
悪しきカルマの報いに、苦しめられる事がない。」
「知る事、知る物、知る者が、行為の原因。
行なう感官、行う事、行う者が、行為の条件。
これらが揃い、行為という結果が、現れて来る。」
「プラクリティである、三つのグナにより、
人々が好む知識について、三つの種類がある。
知識、行為、主体について、同じことが言える。」
「サットヴァの人が愛する、知識とは何か。
すべての存在に、真我が実在することを知り、
無数の異なる姿に、分かれたと知ることである。」
「ラジャスの人々が愛する、知識とは何か。
分かれているものは、違うものと考えるため、
実は同じものであると、見とめないことである。」
「タマスの人が愛している、知識とは何か。
部分を捉えるだけで、全体と捕えているため、
確かめることなく、盲目的に信じることである。」
「サットヴァの人が愛する、行為とは何か。
囚われることもなければ、避けることもなく、
果報を求めることなく、義務を果すことである。」
「ラジャスの人々が愛する、行為とは何か。
自我に囚われているため、欲望が大きくなり、
欲望を満たすためなら、苦労を喜ぶことである。」
「タマスの人が愛している、行為とは何か。
将来のためにならず、他人のためにもならず、
聖典を修めることなく、迷妄に陥ることである。」
「サットヴァの人が愛する、主体とは何か。
成功に囚われることなく、失敗に捕われない。
私欲を捨てているのに、熱心に行なう者である。」
「ラジャスの人々が愛する、主体とは何か。
成功に囚われているため、失敗に捕らわれる。
熱望と絶望の間を、飽きずに行き交う者である。」
「タマスの人が愛している、主体とは何か。
無智に覆われているため、分別が侭ならない。
高慢と卑屈の間を、懲りずに繰り返す者である。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

521 不思議な名無しさん :2018/10/23(火) 07:23:56 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十八章(つづき)

「プラクリティである、三つのグナにより、
人々が好む知性について、三つの種類がある。
知性、決意、幸福について、同じことが言える。」

「サットヴァの人が愛する、知性とは何か。
束縛するものと解放するもの、活動と非活動、
勧戒と禁戒、美徳と不徳を分別するものである。」

「ラジャスの人々が愛する、知性とは何か。
束縛するものと解放するもの、活動と非活動、
勧戒と禁戒、美徳と不徳を分別しない事である。」

「タマスの人が愛している、知性とは何か。
束縛するものと解放するもの、活動と非活動、
勧戒と禁戒、美徳と不徳を取り違える事である。」

「サットヴァの人が愛する、決意とは何か。
ヨーガの修行することで、精神が不動となり、
マナスとプラーナと感覚を、支配する事である。」

「ラジャスの人々が愛する、決意とは何か。
世間に於いても、修行に於いても、ひたすら、
名誉と利欲を得ようと、努力し続ける事である。」

「タマスの人が愛している、決意とは何か。
恐れること、嘆くこと、悲しむこと、愚かさ、
これらを愛して、抜け出そうとしない事である。」

「サットヴァの人が愛する、幸福とは何か。
始めは毒薬のようで、後で甘露のようになる。
覚醒の道を進むことで、清純に至ることである。」

「ラジャスの人々が愛する、幸福とは何か。
始めは甘露のようで、後で毒薬のようになる。
感覚の味を得ることで、錯覚を喜ぶことである。」

「タマスの人が愛している、幸福とは何か。
始めが幻想のようで、後も妄想のようである。
真我を覆い隠すことで、幻影を見ることである。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

522 不思議な名無しさん :2018/10/24(水) 05:31:53 ID:???O
バガヴァッド・ギーター 第十八章

「悪人を懲罰する者である、アルジュナよ。
地上の世界に於いても、天上の世界に於ても、
プラクリティのグナから、解脱した者は居ない。」

「僧侶のバラモン、武人たるクシャトリア、
平民であるヴァイシャ、奴隷であるスードラ、
生まれつきのグナにより、義務が決まっている。」

「忍耐できる、自制すること、修行、純潔、
平静であること、信仰すること、智慧、正直。
アルジュナよ、これらは、僧侶のカルマである。」

「決断できる、支配すること、武勇、知謀、
寛大であること、指導すること、勇敢、戦闘。
アルジュナよ、これらは、武人のカルマである。」

「バラタ王家の子孫である、アルジュナよ。
農耕や、牧畜、商売は、平民のカルマであり、
強制的な、労働、使役は、奴隷のカルマである。」

「自分に与えられた、天命を果たしながら、
すべての生き物は、いずれ完成の境地に至る。
それには、どうすればよいか、良く聴きなさい。」

「自分に与えられた、義務を果たしながら、
あらゆる所に遍在する、真我を礼拝する者は、
善人であれ、悪人であれ、究極の完成に達する。」

「自分のカルマを、完全に果たせなくても、
他人のカルマを、完全に果たせるよりもよい。
与えられたカルマを遂げる者は、罪を犯さない。」

「さながら、火には煙が付いて回るように、
たとえ、自らの義務に障害が付いて回ろうと、
アルジュナよ、決して天命を諦めてはならない。」

「何事にも執着しない、鋭い知性を持って、
自我を克服しながら、何事も切望しない者は、
すべてのカルマを超越して、完成の境地に至る。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

523 不思議な名無しさん :2018/10/26(金) 18:28:48 ID:TUXTJyrgO
バガヴァッド・ギーター 第十八章 (つづき)

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
どのように、この完成の境地に到達するのか。
ブラフマンに到達するのか、話して聞かせよう。」

「静かな所に住んで、多くの物を食べない。
身口意を統御して、世事に囚われることなく、
ヨーガを修める事に、ひたすら、専念し続ける。」

「権力、物欲、名誉、情欲、瞋恚を捨てて、
自我を所有することなく、常に平静である者。
彼は、ブラフマンと合一し、完成の境地に至る。」

「この地に達した者は、絶対の歓喜に浸り、
憂いもなく、望みもなく、全てを平等に見る。
そして、真我に対して、純粋なる信愛を奉げる。」

「人は、信仰と慈愛に通じることによって、
真我である、わたしの実相を知るようになり、
彼は、直ちに、わたしの浄土に入るようになる。」

「たとえ、如何なるカルマを果していても、
私を信愛して、奉仕する者は、私に守護され、
私の祝福により、永遠の楽土に、至るのである。」

「いつでも、真我を思って、活動を行ない、
全ての活動を、真我の保護の下で行うがよい。
心から真我を信愛して、心を真我に集中させよ。」

「真我に奉仕すれば、真我の守護によって、
必ずや、すべての障害が取り除かれるだろう。
真我に仕えず、自我に疲れる者は、必ず滅びる。」

「たとえ、私に逆らい、君が戦わなくても、
クシャトリアとして、武人の義務がある限り、
君は、カルマによって、戦うことになるだろう。」

「バラタ王家の子孫である、アルジュナよ。
君は情に流されるばかり、私の命を逆らうが、
必ず、カルマによって、従うことになるだろう。」

「真我は、人の胸に宿り、彼らを指揮する。
アルジュナよ、真我に対して、絶対服従せよ。
そうすれば、真我に導かれ、永遠の浄土に至る。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)

524 不思議な名無しさん :2018/10/27(土) 09:55:06 ID:TUXTJyrgO
バガヴァッド・ギーター 第十八章(つづき)

「最後に、君に、秘儀の中の秘儀を語ろう。
アルジュナよ、このことを充分に考えてから、
戦うにせよ、逃げるにせよ、君が望む通り行え。」

「アルジュナよ、君は、最愛の友人だから、
今から君に、無上の真理を話して聞かせよう。
この真の理は、真の利になるから、良く考えよ。」

「あらゆる宗教を退け、わたしに服従せよ。
わたしが、すべての悪業から、君を救い出す。
恐れることは何もない、ひたすら、私を畏れよ。」

「わたしを信じない者、わたしに逆らう者、
禁欲しない者、修行しない者、学習しない者、
これらの者には、この秘儀を解いてはならない。」

「わたしを見とめる者、わたしに従がう者、
禁欲をする者、修行をする者、学習をする者、
これらの者だけに、この秘儀を説くことである。」

「こうして、この秘密の教えを説くことは、
真我に対して、無上の奉仕をしたことになる。
こうした奉仕者は、私が愛して、私の元に来る。」

「アルジュナよ、私は、ここに、宣言する。
この我々の対話を学ぶ者は、その知性により、
必ず、私を信愛して、私を礼拝するようになる。」

「また、疑うことなく、信じて確める者も、
諸々の悪業から解脱して、吉祥の世界に至る。
さあ、アルジュナよ、汝の迷妄は取り払えたか。」

アルジュナは、クリシュナに、このように叫ぶ。

「ああ、クリシュナよ、貴方の慈悲により、
我が迷妄は消え去り、私は真知を取り戻した。
私の信念は揺るぎ無い、私は貴方に付き従がう。」

すべてを見ていた、サンジャヤは、王に言った。

「奥義の内容に、私の頭髪は逆立っている。
わたしは、神仙に与えられた、天眼通により、
この神聖なる対話に、巡り会えることが出来た。」

「王よ、クリシュナが示した、普遍の真相、
あの言語に絶する、偉大な形相を思い出すと、
何度でも驚嘆し、私は歓喜に満ち溢れてしまう。」

「ヨーガの支配者、クリシュナが立つ陣営、
弓の名手である、アルジュナが居る敵陣こそ、
勝利と繁栄が存在すると、そう、私は確信する。」

(´・(ェ)・`)
(おわり)

525 くまこう(´・(ェ)・`)つ :2018/10/28(日) 10:20:57 ID:???O
18/07/28〜
パタンジャリのヨーガスートラ
18/09/01〜
バガヴァッド・ギーター

次の読書会の準備中であります。
しばらく、お待ちくだされ。
(´・(ェ)・`)つ

526 不思議な名無しさん :2018/10/28(日) 15:38:50 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経)

わたしはこのように聞きました。

ある時期、ブッダは クル国 のカンマーサッダンマという町に滞在していました。ある日ブッダは「修行者たちよ」と声をかけられました。
「はい、尊者よ」 と修行者たちが返事をすると、ブッダは次のように説き始められました。
たった一本の道があります。その道とは、生きているものを清らかにする道です。悲しみや嘆きを乗り越える道です。 肉体的苦痛や精神的苦痛を終わらせる 道です。
正しい道 を見つけ、 ニルヴァーナ を実現する道です。そのたった一本の道とは、四つの サティパッターナ です。
この四つとはそれぞれ何でしょう。
身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない と気を抜くことなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを
遠ざけるのです。
感覚 は感覚にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない と気を抜くことなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを
遠ざけるのです。
心は心にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない と気を抜くことなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざ
けるのです。
心の中味 は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない と気を抜くことなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲
や憂いを遠ざけるのです。
(わたしはこのように聞きました 了) (´・(ェ)・`)つ

527 不思議な名無しさん :2018/10/29(月) 05:12:57 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
1. 息を吐く・息を吸う

では、どうすれば、身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない といつも感じて生きることができるでしょう。
森に行き、樹の下か、誰もいない静かな場所で脚を組み、背筋を伸ばして座り、深い気づきをその対象に向けます。そして、研ぎ澄まされた深い気づきで、息を吸い、息を吐きます。
長く息を吸う時には 「長く息を吸っている」 と自覚します。
長く息を吐いている時には 「長く息を吐いている」 と自覚します。
短く息を吸う時には 「短く息を吸っている」 と自覚します。
短く息を吐いている時には 「短く息を吐いている」 と自覚します。
「呼吸する身体全体を感じながら、息を吸おう」 このように訓練します。
「呼吸する身体全体を感じながら、息を吐こう」 このように訓練します。
「呼吸を静めながら、息を吸おう」 このように訓練します。
「呼吸を静めながら、息を吐こう」 このように訓練します。
熟練の轆轤 (ろくろ) 匠にしてもその弟子にしても、轆轤 (ろくろ) の紐を長く引く時には 「長く引いている」 と自覚しています。短く引く時には 「短く引いている」 と自覚しています。
そのように、修行者も長く息を吸う時には 「長く息を吸っている」 と自覚し、長く息を吐く時には 「長く息を吐いている」 と自覚するのです。短く息を吸う時には 「短く息を吸っている」 と自覚し、短く息
を吐いている時には 「短く息を吐いている」 と自覚するのです。
「呼吸する身体全体を感じながら、息を吸おう」 このように訓練します。
「呼吸する身体全体を感じながら、息を吐こう」 このように訓練します。
「呼吸を静めながら、息を吸おう」 このように訓練します。
「呼吸を静めながら、息を吐こう」 このように訓練します。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(息を吐く・息を吸う 了)
(´・(ェ)・`)つ

528 不思議な名無しさん :2018/10/30(火) 19:02:31 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ

2. 歩く・立つ・座る・横たわる

そして、歩いている時には 「歩いている」 と自覚します。立っている時には 「立っている」 と自覚します。座っている時には 「座っている」 と自覚します。横になっている時には 「横になっている」 と自覚
します。つまり、自分の身体がどのように動いているのか、止まっているのか、を自覚するのです。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。 他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも
感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(歩く・立つ・座る・横たわる 了)
(´・(ェ)・`)つ

529 不思議な名無しさん :2018/10/31(水) 07:56:14 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
3. きちんと把握する

修行者は、出ていく時も戻る時も、きちんと把握して行動します。
前を見ていても、どこを見ていても、きちんと把握して見ます。
手足を曲げる時も、伸ばす時も、きちんと把握してそうします。
托鉢の鉢を持つ時も、僧衣を身に着ける時も、きちんと把握してそうします。
食べる時も、飲む時も、噛む時も、味わう時も、きちんと把握してそうします。
小便をする時も、大便をする時も、きちんと把握してそうします。
歩く時も、立つ時も、座る時も、寝入る時も、目覚める時も、話す時も、黙っている時も、きちんと把握してそうします。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしで
もなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(きちんと把握する 了)
(´・(ェ)・`)つ

530 不思議な名無しさん :2018/11/01(木) 11:33:26 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
4. 不浄の観想

そして、足の裏から上へと、髪の毛の先から下へと、皮膚に覆われさまざまな不浄物でいっぱいのこの身体をじっくりと観想します。
「この身体には、髪、毛、爪、歯、皮膚、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、喉、顔、脳、胆汁、痰、膿、血、汗、固形脂肪、涙、液体脂、唾液、粘液、滑液、尿がある」 と。
両端に口があり、中にサーリ籾米、ヴィーヒ籾米、緑豆、豆、胡麻、玄米など、いろいろな穀物で一杯になっている袋があるようなものです。
見分ける眼を持った者が、袋を開けて 「これはサーリ籾米です。これはヴィーヒ籾米です。これは緑豆です。これは豆です。これは胡麻です。これは玄米です」 と調べるようにです。
このようにして、足の裏から上へと、髪の毛の先から下へと、皮膚に覆われ、さまざまな不浄物でいっぱいのこの身体をじっくりと観想します。
「この身体には、髪、毛、爪、歯、皮膚、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、喉、顔、脳、胆汁、痰、膿、血、汗、固形脂肪、涙、液体脂、唾液、粘液、滑液、尿がある」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(不浄の観想 了)
(´・(ェ)・`)つ

531 不思議な名無しさん :2018/11/01(木) 11:33:32 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
4. 不浄の観想

そして、足の裏から上へと、髪の毛の先から下へと、皮膚に覆われさまざまな不浄物でいっぱいのこの身体をじっくりと観想します。
「この身体には、髪、毛、爪、歯、皮膚、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、喉、顔、脳、胆汁、痰、膿、血、汗、固形脂肪、涙、液体脂、唾液、粘液、滑液、尿がある」 と。
両端に口があり、中にサーリ籾米、ヴィーヒ籾米、緑豆、豆、胡麻、玄米など、いろいろな穀物で一杯になっている袋があるようなものです。
見分ける眼を持った者が、袋を開けて 「これはサーリ籾米です。これはヴィーヒ籾米です。これは緑豆です。これは豆です。これは胡麻です。これは玄米です」 と調べるようにです。
このようにして、足の裏から上へと、髪の毛の先から下へと、皮膚に覆われ、さまざまな不浄物でいっぱいのこの身体をじっくりと観想します。
「この身体には、髪、毛、爪、歯、皮膚、肉、筋、骨、骨髄、腎臓、心臓、肝臓、肋膜、脾臓、肺、腸、腸間膜、喉、顔、脳、胆汁、痰、膿、血、汗、固形脂肪、涙、液体脂、唾液、粘液、滑液、尿がある」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(不浄の観想 了)
(´・(ェ)・`)つ

532 不思議な名無しさん :2018/11/03(土) 12:06:36 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体

[第1段階]
まず、死体置き場に捨てられ、死後一日、二日、三日と経ち、腫れあがり、青黒く変色し、膿の流れている死体を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
(´・(ェ)・`)
(つづく)

533 不思議な名無しさん :2018/11/04(日) 08:52:11 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第2段階]
死体置き場に捨てられ、カラスに貪られ、鷹に貪られ、ハゲワシに貪られ、サギに貪られ、犬に貪られ、虎に貪られ、豹に貪られ、ジャッカルに貪られ、さまざまな虫に貪られている死体を見るのです。 そうし
て、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )

[第3段階]
死体置き場に捨てられ、腱でつながり、血と肉がまだついている 骸骨でしかない死体 を見るのです。
そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
(´・(ェ)・`)
(つづく)

534 不思議な名無しさん :2018/11/05(月) 06:49:19 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第4段階]
死体置き場に捨てられ、腱でつながり、血のついた肉のない骸骨でしかない死体を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。 他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも
感じて生きるのです。 自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。 身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。身体が存在
する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見
方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
(´・(ェ)・`)
(つづく)

535 不思議な名無しさん :2018/11/06(火) 07:23:11 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第5段階]
死体置き場に捨てられ、腱でつながり、血も肉もついていない骸骨にすぎない死体を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。 身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
(´・(ェ)・`)
(つづく)

536 CIS :2018/11/06(火) 19:55:58 ID:ge0fEpG20
恋愛なら(復縁、恋愛成就に)・・・永遠なる愛を授けるラブフェザープレミアム

運気改善なら(運気上昇に)・・・聖なる運気に導くミラクルストーンプレミアム


金運上昇なら(収入増加、資産増加、臨時収入)・・・悪魔王の究極の財運石ノルダリフィリダ

心の癒しには(うつ病、自律神経失調症の治癒には)・・・ザルナンド・メギルダフィ

537 くまこう(´・(ェ)・`)つ :2018/11/07(水) 06:07:20 ID:???O
>>536
おはようであります。
ググったら、呪いの王国 とでてきたであります。
霊感商法でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

538 不思議な名無しさん :2018/11/07(水) 06:14:39 ID:???O
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一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第6段階]
死体置き場に捨てられ、骨があらゆる方向に散らばり、ばらばらの骨にすぎない死体を見るのです。ある所には手の骨が、ある所には足の骨が、ある所には足首の骨が、ある所には脛 (すね) の骨が、ある所に
は腿 (もも) の骨が、ある所には尻の骨が、ある所には肋骨が、ある所には背骨が、ある所には肩の骨が、ある所には頸 (くび) の骨が、ある所には顎の骨が、ある所には歯が、ある所には頭蓋骨が、散らばっ
ているのです。
そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。 自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
(´・(ェ)・`)
(つづく)

539 不思議な名無しさん :2018/11/08(木) 04:07:51 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第7段階]
死体置き場に捨てられた、ホラ貝のように白くなった骨にすぎない死体を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。

つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
(´・(ェ)・`)
(つづく)

540 不思議な名無しさん :2018/11/09(金) 05:55:57 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ
6. 九段階の死体(つづき)

[第8段階]
死体置き場に捨てられ、一年以上経ち、山積みの骨となった死体を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」 と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、原因 とともに、いつも感じて生きるのです。

つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や間違ったものの見方から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )


[第9段階]
死体置き場に捨てられ、骨が粉々になり、塵(ちり)にすぎない死体を見るのです。 そうして、その死体と自分の身体とを比べるのです。
「間違いなく、この身体はあの死体と同じなのだ、この身体もあのようになるのだ、それは避けられないことなのだ」と。
このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、原因とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や間違ったものの見方から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(九段階の死体 了)
(´・(ェ)・`)
(おわり)

541 不思議な名無しさん :2018/11/10(土) 09:23:52 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

二  感覚 のサティパッターナ

では、どうすれば、 感覚は感覚にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない といつも感じて生きることができるでしょう。
心地良い感覚を体験している時、 「心地良い感覚を体験している」 と自覚するのです。
心地悪い感覚を体験している時、 「心地悪い感覚を体験している」 と自覚するのです。
心地良くも悪くもない感覚 を体験している時、 「心地良くも悪くもない感覚を体験している」 と自覚するのです。
肉体的快楽と関係する心地良い 感覚を体験 している時、 「肉体的快楽と関係する心地良い感覚を体験している」 と自覚するのです。
肉体的快楽と無関係の心地良い感覚を体験している時 「肉体的快楽と無関係の心地良い感覚を体験している」 と自覚するのです。
肉体的快楽と関係する心地悪い感覚を体験している時、 「肉体的快楽と関係する心地悪い感覚を体験している」 と自覚するのです。
肉体的快楽と無関係の心地悪い感覚を体験している時、 「肉体的快楽と無関係の心地悪い感覚を体験している」 と自覚するのです。
肉体的快楽と関係する心地良くも悪くもない感覚を体験している時、 「肉体的快楽と関係する心地良くも悪くもない感覚を体験している」 と自覚するのです。
肉体的快楽と無関係の心地良くも悪くもない感覚を体験している時、 「肉体的快楽と無関係の心地良くも悪くもない感覚を体験している」 と自覚するのです。
このように、自分にとって感覚は感覚にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 感覚は感覚にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、感覚は感覚にすぎない、といつも感じて生きるのです。
感覚が存在する原因と、実際に感覚が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
感覚が存在する原因と、感覚が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
感覚が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、感覚のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが感覚は感覚にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(感覚のサティパッターナ 了)
(´・(ェ)・`)つ

542 不思議な名無しさん :2018/11/11(日) 09:46:17 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

三 心のサティパッターナ

では、どうすれば、 心は心にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない といつも感じて生きることができるでしょう。
心に欲望が生じた時、「心に欲望が生じている」 と自覚するのです。心に欲望が生じていない時、「心に欲望が生じていない」 と自覚するのです。
心に怒りが生じた時 、「心に怒りが生じている」 と自覚するのです。 心に怒りが生じていない時 、「心に怒りが生じていない」 と自覚するのです。
心に妄想が生じた時 、「心に妄想が生じている」 と自覚するのです。心に妄想が生じていない時、「心に妄想が生じていない」 と自覚するのです。
心にゆるみが生じ、怠け心が芽生えた時、「心にゆるみが生じ、怠け心が芽生えている」 と自覚するのです。気が散っている時には、「気が散っている」 と自覚するのです。
心に寛容が生じた時、「心に寛容が生じている」 と自覚するのです。心に寛容が生じていない時、「心に寛容が生じていない」 と自覚するのです。
心に劣等感が生じた時、「心に劣等感が生じている」 と自覚するのです。心に優越感が生じた時、「心に優越感が生じている」 と自覚するのです。
心に集中力が生じた時、「心に集中力が生じている」 と自覚するのです。心に集中力が欠けている時、「心に集中力が欠けている」 と自覚するのです。
心から一時的に汚れが消えた時、「心から一時的に汚れが消えた」 と自覚するのです。心から汚れが消えない時、「心から汚れが消えない」 と自覚するのです。

このように、自分にとって心は心にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心は心にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても、心は心にすぎない、といつも感じて生きるのです。心が存在する原因と、実際に心が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心が存在する原因と、心が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが心は心にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(心のサティパッターナ 了)
(´・(ェ)・`)つ

543 しゅりけん ◆/E1qjlPltw :2018/11/11(日) 20:48:15 ID:???0
トリの付け方、これでよかったであろうか・・・(ΦwΦ;)

お久しゅう。
くまこうどの、すごいでござるなぁ。

544 くまこう(´・(ェ)・`)つ :2018/11/12(月) 07:14:56 ID:???O
おはようである。
(´・(∀)・`)つ

545 不思議な名無しさん :2018/11/12(月) 07:52:42 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ

では、どうすれば、 心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない といつも感じて生きることができるでしょう。
1. 道の妨げとなる五つの障害 (渇望、嫌悪、怠惰、不安、疑心)
修行者は、五つの障害は五つの障害にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、五つの障害は五つの障害にすぎない、といつも感じて生きることができるでしょう。

渇望 (sense-desire)
肉体的欲望 がある時には、「わたしの中には肉体的欲望がある」 と自覚するのです。肉体的欲望がない時には、「わたしの中には肉体的欲望がない」 と自覚するのです。
まだ生じていない肉体的欲望が、どのように生じるのかも自覚するのです。生じた肉体的欲望が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた肉体的欲望が、どのようにすれば将来生じないかを自覚するのです。

嫌悪 (ill-will)
悪意 がある時には、「わたしの中には悪意がある」 と自覚するのです。悪意がない時には、「わたしの中に悪意はない」と自覚するのです。
まだ生じていない悪意が、どのように生じるのかも自覚するのです。生じた悪意が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた悪意が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。

怠惰 (sloth and torpor)
怠け心や倦怠感 がある時には、「わたしの中には怠け心や倦怠感がある」 と自覚するのです。怠け心や倦怠感がない時には、「わたしの中には怠け心や倦怠感がない」と自覚するのです。
まだ生じていない怠け心や倦怠感が、どのように生じるのかも自覚するのです。生じた怠け心や倦怠感が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた怠け心や倦怠感が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

546 不思議な名無しさん :2018/11/13(火) 06:51:11 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ (つづき)

不安 (distraction and worry)
注意散漫と不安 がある時には、 「わたしの中には注意散漫と不安がある」 と自覚するのです。注意散漫と不安がない時には、 「わたしの中には注意散漫と不安がない」 と自覚するのです。
まだ生じていない注意散漫と不安が、どのように生じるのかも自覚するのです。生じた注意散漫と不安が、どのように消えるのかを自覚するのです。
消えた注意散漫と不安が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。

疑心 (doubt or wavering)
動揺や疑念 がある時には、 「わたしの中には動揺や疑念がある」 と自覚するのです。動揺や疑念がない時には、 「わたしの中には動揺や疑念がない」 と自覚するのです。
まだ生じていない動揺や疑念が、どのように生じるのかも自覚するのです。生じた動揺や疑念が、どのように消えるのかを自覚するのです。消えた動揺や疑念が、どのようにすれば将来生じないのかを自覚するのです。

このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。 自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが五つの障害は五つの障害にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(道の妨げとなる五つの障害 了)

(´・(ェ)・`)つ

547 不思議な名無しさん :2018/11/14(水) 05:58:18 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
2. 執着を生む五つの集合体(肉体、感覚、知覚、反応、意識)

修行者は、執着を生む五つの集合体は執着を生む五つの集合体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、執着を生む五つの集合体は執着を生む五つの集合体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きることができるでしょう。
修行者はこのように感じて生きるのです。

これは肉体 (corporeal body) の働きだ。これは肉体の働きが生じる原因と、実際の肉体の働きの出現だ。これは肉体の働きが生じる原因と実際の消滅だ。
これは感覚 (feeling) の働きだ。これは感覚の働きが生じる原因と、実際の感覚の働きの出現だ。これは感覚の働きが生じる原因と実際の消滅だ。
これは知覚 (perception) の働きだ。これは知覚の働きが生じる原因と、実際の知覚の働きの出現だ。これは知覚の働きが生じる原因と実際の消滅だ。
これは反応 (mental formations) の働きだ。これは反応の働きが生じる原因と、実際の反応の働きの出現だ。これは反応の働きが生じる原因と実際の消滅だ。
これは意識 (consciousness) の働きだ。これは意識の働きが生じる原因と、実際の意識の働きの出現だ。これは意識の働きが生じる原因と実際の消滅だ。
このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが五つの集合体は五つの集合体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(執着を生む五つの集合体 了)
(´・(ェ)・`)つ

548 不思議な名無しさん :2018/11/15(木) 06:41:05 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
3. 六つの感覚器官と認識領域

修行者は、六つの内外の 感覚器官 は六つの内外の感覚器官にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、六つの内外の感覚器官は六つの内外の感覚器官にすぎない、といつも感じて生きることができるでしょう。
視覚と光景 (eye and visible objects) を感じます。視覚と光景を感じるので、それらに 束縛されているのを自覚します。また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。
生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

聴覚と音 (ear and sounds) を感じます。聴覚と音を感じるので、それらに束縛されているのを自覚します。また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。
生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

嗅覚と匂い (nose and odours) を感じます。嗅覚と匂いを感じるので、それらに束縛されているのを自覚します。また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。
生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

味覚と味 (tongue and tastes) を感じます。味覚と味を感じるので、それらに束縛されているのを自覚します。また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。
生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

549 不思議な名無しさん :2018/11/16(金) 07:36:17 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
3. 六つの感覚器官と認識領域(つづき)

体性感覚と感触を生むもの (body and tactile objects) を感じます。体性感覚と感触を生むものを感じるので、それらに束縛されている のを自覚します。
また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

心と心の中味 (mind and mind objects) を感じます。心と心の中味を感じるので、それらに束縛されているのを自覚します。
また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域は、六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域にすぎないと、いつも感じて生きる方法なのです。
(六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域 了)
(´・(ェ)・`)つ

550 不思議な名無しさん :2018/11/16(金) 07:36:20 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
3. 六つの感覚器官と認識領域(つづき)

体性感覚と感触を生むもの (body and tactile objects) を感じます。体性感覚と感触を生むものを感じるので、それらに束縛されている のを自覚します。
また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

心と心の中味 (mind and mind objects) を感じます。心と心の中味を感じるので、それらに束縛されているのを自覚します。
また、まだ束縛されていないが、これからどのように束縛されるかを自覚します。生じた束縛がどのように消滅するかを自覚します。消滅した束縛が、将来、どのようにすれば生じないかを自覚します。

このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )
これが六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域は、六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域にすぎないと、いつも感じて生きる方法なのです。
(六つの内なる感覚器官と六つの外なる認識領域 了)
(´・(ェ)・`)つ

551 不思議な名無しさん :2018/11/18(日) 10:11:18 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
4. 七つの悟りの要因 (気づき、探求心、努力、歓喜、平静、精神統一、平安)

修行者は、七つの悟りの要因は七つの悟りの要因にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、七つの悟りの要因は七つの悟りの要因にすぎない、といつも感じて生きることができるでしょう。

気づき (mindfulness)
悟りの要因である気づきが自分の中にある時、 「悟りの要因である気づきがわたしの中にある」 と自覚するのです。
悟りの要因である気づきが自分の中にない時、 「悟りの要因である気づきがわたしの中にない」 と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である気づきが、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である気づきを高めて完成させられるかを自覚するのです。

探求心 (investigation of phenomena)
悟りの要因である探求心が自分の中にある時、 「悟りの要因である探求心がわたしの中にある」 と自覚するのです。
悟りの要因である探求心が自分の中にない時、 「悟りの要因である探求心がわたしの中にない」 と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である探求心が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である探求心を高めて完成させられるかを自覚するのです。

努力 (effort)
悟りの要因である努力が自分の中にある時、 「悟りの要因である努力がわたしの中にある」 と自覚するのです。
悟りの要因である努力が自分の中にない時、 「悟りの要因である努力がわたしの中にない」 と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である努力が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である努力を高めて完成させられるかを自覚するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

552 不思議な名無しさん :2018/11/19(月) 06:52:45 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
4. 七つの悟りの要因 (気づき、探求心、努力、歓喜、平静、精神統一、平安)(つづき)

歓喜 (rapture)
悟りの要因である 歓喜 が自分の中にある時、「悟りの要因である歓喜がわたしの中にある」と自覚するのです。
悟りの要因である歓喜が自分の中にない時、 「悟りの要因である歓喜がわたしの中にない」 と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である歓喜が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である歓喜を高めて完成させられるかを自覚するのです。

平静 (tranquility)
悟りの要因である 平静 が自分の中にある時、「悟りの要因である平静がわたしの中にある」と自覚するのです。
悟りの要因である平静が自分の中にない時、「悟りの要因である平静がわたしの中にない」と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である平静が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である平静を高めて完成させられるかを自覚するのです。

精神統一 (concentration)
悟りの要因である 精神統一 が自分の中にある時、「悟りの要因である精神統一がわたしの中にある」と自覚するのです。
悟りの要因である精神統一が自分の中にない時、「悟りの要因である精神統一がわたしの中にない」 と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である精神統一が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である精神統一を高めて完成させられるかを自覚するのです。

平静 (equanimity)
悟りの要因である 平安 が自分の中にある時、「悟りの要因である平安がわたしの中にある」と自覚するのです。
悟りの要因である平安が自分の中にない時、「悟りの要因である平安がわたしの中にない」と自覚するのです。
また、まだ生じていない悟りの要因である平安が、どのようにすれば生じるかを自覚するのです。
そして、どうすれば生じた悟りの要因である平安を高めて完成させられるかを自覚するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

553 不思議な名無しさん :2018/11/20(火) 06:19:43 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経


四 心の中味のサティパッターナ
4. 七つの悟りの要因 (気づき、探求心、努力、歓喜、平静、精神統一、平安)

このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。

* (注 )
これが七つの悟りの要因は七つの悟りの要因にすぎないといつも感じる方法なのです。
(七つの悟りの要因 了)
(´・(ェ)・`)
(おわり)

554 不思議な名無しさん :2018/11/21(水) 06:59:30 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦 : 苦、集、滅、道)
修行者は、四つの真理は四つの真理にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、四つの真理は四つの真理にすぎないと、いつも感じて生きることができるでしょう。
「これが苦だ」 と、苦を実際に自覚します。 (苦の真理)
「これが苦の原因だ」 と、苦の原因を実際に自覚します。 (苦の原因の真理)
「これが苦の消滅だ」 と、苦の消滅を実際に自覚します。 (苦の消滅の真理)
「これが苦の消滅への道だ」 と、苦の消滅への道を実際に自覚します。 (苦の消滅への道の真理 )
(四つの真理 了)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

555 不思議な名無しさん :2018/11/22(木) 04:20:43 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
a. 苦の真理
苦の真理 とは何でしょう。
生まれることは苦です。
老いることも苦です。
死ぬことも苦です。
悲しみ、嘆き、肉体的苦痛、精神的苦痛、苦悩、これらも苦です。
嫌な人や嫌なことに遭遇しなければならないことも苦です。
愛する人々や好ましい物事と離れなければならないことも苦です。
得られないことを望むことも苦です。
つまり、執着を生む五つの集合体は、苦なのです。
誕生とは何でしょう。
ある種の中のある生き物として、誕生すること、生まれること、発生、受胎、存在の誕生、集合体の出現、感覚器官と認識領域を持つこと、これが誕生と呼ばれていることです。
老いとは何でしょう。
ある種の中のある生き物として、歳をとること、身体が衰えること、歯がなくなること、髪の毛が白くなること、皮膚がしわだらけになること、気力が失われ、感覚器官と認識領域が消耗していくこと、これが老
いと呼れていることです。
死とは何でしょう。
ある種の中のある生き物として、旅立ち消えること、破壊、消滅、死亡、寿命の終了、集合体の崩壊、肉体の破壊、肉体的生命力が破壊すること、これが死と呼ばれていることです。
悲しみとは何でしょう。
悲しむこと、悲しむ行為、心が悲しんでいる状態、内面的悲しみ、肉親や所有物の喪失による悲痛な内面的悲しみ、人が経験するさまざまな苦痛の状態、これが悲しみと呼ばれていることです。
嘆きとは何でしょう。
泣き叫び嘆くこと、泣き叫び嘆く行為、肉親の死や所有物の喪失により泣き叫び嘆いている状態、人が経験するさまざまな苦痛の状態、これが嘆きと呼ばれていることです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

556 不思議な名無しさん :2018/11/23(金) 08:35:23 ID:???O
>>555
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)

b. 苦の原因の真理  

苦の原因の真理とは何でしょう。それは渇望こそが、新たな転生を生むということです。
渇望は、たまたま生じたさまざまな個体の中、肉体的快楽の中に、大きな喜びを見つけ、味わい、我が物にします。
それは、肉体的快楽を求める渇望であり、よりよい生を求める渇望であり、解脱を求める渇望です。
そこには歓喜と執着が伴います。
この渇望が生じる時、どこで生じるのでしょう。
この渇望が定着する時、どこに定着するのでしょう。
この渇望が生じて定着する時には、喜び楽しむこの世の特性の中に生じて定着するのです。
喜び楽しむこの世の特性とは何でしょう。
この世では、視覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、視覚の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、視覚の中に定着するのです。
この世では、聴覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、聴覚の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、聴覚の中に定着するのです。
この世では、嗅覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、嗅覚の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、嗅覚の中に定着するのです。
この世では、味覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、味覚の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、味覚の中に定着するのです。
この世では、体性感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、体性感覚の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、体性感覚の中に定着するのです。
この世では、心は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が生じる時には、心の中に生じるのです。この渇望が定着する時には、心の中に定着するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

557 不思議な名無しさん :2018/11/24(土) 01:09:24 ID:???O
>>556
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)

b. 苦の原因の真理(つづき)

この世では、光景は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、光景の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、光景の中に定着するのです。

この世では、音は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、音の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、音の中に定着するのです。

この世では、匂いは、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、匂いの中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、匂いの中に定着するのです。

この世では、味は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、味の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、味の中に定着するのです。

この世では、感触を生むものは、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、感触を生むものの中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、感触を生むものの中に定着するのです。

この世では、心の中味は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、心の中味の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、心の中味の中に定着するのです。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

558 不思議な名無しさん :2018/11/25(日) 08:59:06 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理

苦の消滅 の真理とは何でしょう。
それはこの渇望の完全な停止と消滅です。放棄と廃棄です。渇望からの自由と分離です。
この渇望が放棄される時には、どこで放棄されるのでしょう。この渇望が止む時には、どこで止むのでしょう。
この渇望が放棄され、止む時には、喜び楽しむこの世の特性の中で放棄され、止むのです。
喜び楽しむこの世の特性とは何でしょう。
この世では、視覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、視覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、視覚の中で止むのです。
この世では、聴覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、聴覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、聴覚の中で止むのです。
この世では、嗅覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、嗅覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、嗅覚の中で止むのです。
この世では、味覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味覚の中で止むのです。
この世では、体性感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、体性感覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、体性感覚の中で止むのです。
この世では、心は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

559 不思議な名無しさん :2018/11/26(月) 07:14:10 ID:???O
>>558
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理(つづき)  

この世では、光景は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、光景の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、光景の中で止むのです。

この世では、音は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、音の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、音の中で止むのです。

この世では、匂いは、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、匂いの中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、匂いの中で止むのです。

この世では、味は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味の中で止むのです。

この世では、感触を生むものは、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、感触を生むものの中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、感触を生むものの中で止むのです。

この世では、心の中味は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中味の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中味の中で止むのです。

この世では、視覚 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、視覚意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、視覚意識の中で止むのです。

この世では、聴覚 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、聴覚意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、聴覚意識の中で止むのです。

この世では、嗅覚 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、嗅覚意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、嗅覚意識の中で止むのです。

この世では、味覚 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味覚意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味覚意識の中で止むのです。

この世では、体性感覚 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、体性感覚意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、体性感覚意識の中で止むのです。

この世では、心の 意識 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の意識の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の意識の中で止むのです。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

560 不思議な名無しさん :2018/11/27(火) 07:51:34 ID:???O
>>559
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理 (つづき)

この世では、視覚の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、視覚の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、視覚の接触の中で止むのです。

この世では、聴覚の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、聴覚の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、聴覚の接触の中で止むのです。

この世では、嗅覚の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、嗅覚の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、嗅覚の接触の中で止むのです。

この世では、味覚の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味覚の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味覚の接触の中で止むのです。

この世では、体性感覚の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、体性感覚の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、体性感覚の接触の中で止むのです。
この世では、心の 接触 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の接触の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の接触の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

561 不思議な名無しさん :2018/11/28(水) 07:11:28 ID:???O
>>560
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理

この世では、視覚の 接触 で生じた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、視覚の接触で生じた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、視覚の接触で生じた感覚の中で止むのです。

この世では、聴覚の 接触 で生じた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、聴覚の接触で生じた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、聴覚の接触で生じた感覚の中で止むのです。

この世では、嗅覚の 接触 で生じた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、嗅覚の接触で生じた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、嗅覚の接触で生じた感覚の中で止むのです。

この世では、味覚の 接触 で生うまれた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、味覚の接触で生うまれた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、味覚の接触で生うまれた感覚の中で止むのです。

この世では、体性感覚の 接触 で生じた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、体性感覚の接触で生じた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、体性感覚の接触で生じた感覚の中で止むのです。

この世では、心の 接触 で生じた感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、心の接触で生じた感覚の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、心の接触で生じた感覚の中で止むのです。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

562 不思議な名無しさん :2018/11/29(木) 06:18:57 ID:???O
>>561
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理(つづき)

この世では、光景の 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、光景の知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、光景の知覚の中で止むのです。

この世では、音の 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、音の知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、音の知覚の中で止むのです。

この世では、匂いの 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、匂いの知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、匂いの知覚の中で止むのです。

この世では、味の 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味の知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味の知覚の中で止むのです。

この世では、感触を生むものの 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、感触を生むものの知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、感触を生むものの知覚の中で止むのです。

この世では、心の中味の 知覚 は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中味の知覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中味の知覚の中で止むのです。
この世では、光景への志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、光景への志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、光景への志向の中で止むのです。

この世では、音への志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、音への志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、音への志向の中で止むのです。

この世では、匂いへの志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、匂いへの志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、匂いへの志向の中で止むのです。

この世では、味への志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味への志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味への志向の中で止むのです。

この世では、感触を生むものへの志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、感触を生むものへの志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、感触を生むものへの志向の中で止むのです。

この世では、心の中味への志向は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中味への志向の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中味への志向の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

563 不思議な名無しさん :2018/11/30(金) 14:15:19 ID:???O
>>562
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理(つづき)

この世では、光景への渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、光景への渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、光景への渇望の中で止むのです。

この世では、音への渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、音への渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、音への渇望の中で止むのです。

この世では、匂いへの渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、匂いへの渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、匂いへの渇望の中で止むのです。

この世では、味への渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味への渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味への渇望の中で止むのです。

この世では、感触を生むものへの渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、感触を生むものへの渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、感触を生むものへの渇望の中で止むのです。

この世では、心の中味への渇望は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中味への渇望の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中味への渇望の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

564 不思議な名無しさん :2018/12/01(土) 08:06:28 ID:???O
>>531を↓に差し替えるのである。

サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

一 身体のサティパッターナ

5. 元素 の観想
そして、身体がどのような構造になっていようとも、主要元素で構成されているものとして、この身体をじっくりと観想します。 「この身体は地の元素、水の元素、火の元素、風の元素でできている」 と。

腕の良い屠殺人かその弟子が、牛を屠殺して肉片に解体し、大道の 四辻 に座っているように、修行者も身体がどのような構造になっていようとも、主要元素で構成されているものとして、この身体をじっくりと
観想します。 「この身体は地の元素、水の元素、火の元素、風の元素でできている」 と

このように、自分にとって身体は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因 と、実際に身体が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
身体が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。

つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
* (注 )

これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(元素の観想 了)
(´・(ェ)・`)つ

565 不思議な名無しさん :2018/12/03(月) 07:21:36 ID:???O
>>563
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理(つづき)

この世では、光景についての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、光景についての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、光景についての一次思考の中で止むのです。

この世では、音についての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、音についての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、音についての一次思考の中で止むのです。

この世では、匂いについての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、匂いについての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、匂いについての一次思考の中で止むのです。

この世では、味についての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、味についての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、味についての一次思考の中で止むのです。

この世では、感触を生むものについての一次思考は喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、感触を生むものについての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、感触を生むものについての一次思考の中で止むのです。

この世では、心の中味についての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、心の中味についての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、心の中味についての一次思考の中で止むのです。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

566 不思議な名無しさん :2018/12/04(火) 08:08:32 ID:???O
>>565
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理

この世では、光景についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、光景についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、光景についての二次思考の中で止むのです。

この世では、音についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、音についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、音についての二次思考の中で止むのです。

この世では、匂いについての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、匂いについての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、匂いについての二次思考の中で止むのです。

この世では、味についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、味についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、味についての二次思考の中で止むのです。

この世では、感触を生むものについての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、感触を生むものについての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、感触を生むものについての二次思考の中で止むのです。

この世では、心の中味についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、心の中味についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、心の中味についての二次思考の中で止むのです。

これが苦の消滅の真理と呼ばれていることです。
(苦の消滅の真理 了)
(´・(ェ)・`)つ

567 不思議な名無しさん :2018/12/06(木) 07:09:47 ID:???O
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理

苦の消滅への道の真理とは何でしょう。
それは八正道のことです。
つまり、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことです。

では、 正見 (Samma-ditthi: Right View or Understanding) とは何でしょう。
苦の理解、苦の原因の理解、苦の消滅の理解、苦の消滅への道の理解、これを正見と呼びます。

では、 正思惟 (Samma-sankappa: Right Thought) と何でしょう。
肉欲からの解放へと導く思考、悪意のない思考、残虐さのない思考、これを正思惟と呼びます。

では、 正語 (Samma-vaca: Right Speech) とは何でしょう。
嘘、 陰口 、悪口、 うわさ話や無駄口 、これらを控えること、これを正語と呼びます。

では、正業 (Samma-kammanta: Right Action) とは何でしょう。
生き物を殺さない 、 盗みをしない 、みだりに 淫欲 にふけらない、これを正業と呼びます。

では、正命 (Samma-ajiva: Right Livelihood) とは何でしょう。
間違った手段で生計 を立てずに、正しい手段で生計を立てて生きていきます。これを正命と呼びます。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

568 不思議な名無しさん :2018/12/07(金) 08:19:30 ID:TUXTJyrgO
>>567
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理 (つづき)

では、正精進 (Samma-vdyama: Right Effort)とは何でしょう。
まだ心に生じていない悪意や不健全な状態が生じないように、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
心に生じた悪意や不健全な状態は放棄しようと、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
まだ心に生じていない健全な状態が生じるように、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
心に生じた健全な状態は維持し、その健全な状態が消えずに、広がり、大きく成長し、完全なものになるように、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
これを正精進と呼びます。

では、正念 (Samma-sati: Right Mindfulness)とは何でしょう。
身体は身体にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
感覚は感覚にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
心は心にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
心の中味は心の中味にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
これを正念と呼びます。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

569 不思議な名無しさん :2018/12/08(土) 09:33:22 ID:???O
>>568
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)

四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理 (つづき)

では、正定 (Samma-samadhi: Right Concentration) とは何でしょう。
肉欲や不健全さを克服した修行者は、 一次思考と二次思考 とを持つ第一の 禅定 に到達し、そこにとどまります。
そこには (五つの) 障害から離れていることで生じる歓喜と安楽があります。
一次思考と二次思考が弱まるにつれて、第二の 禅定 に到達し、そこにとどまります。
そこには内なる平静と、一点となった心があります。
一次思考と二次思考がなく、集中から生まれた歓喜と安楽があります。
歓喜がなくなると、気づきと正しい理解をともなった平安にとどまり、心身の中に満ち溢れた安楽を経験します。
修行者は、第三の 禅定 に到達し、そこにとどまります。
ここに到達した者は、平安と気づきを得て、安楽にとどまる者として聖者たちに称賛されます。
安楽と苦悩から離れることで、快楽と苦痛は消滅しているので、第四の 禅定 に到達し、そこにとどまります。平安が生む純粋な気づきの状態です。
これを正定と呼びます。
これが苦の消滅への道の真理と呼ばれていることです。

このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。

つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。

これが四つの真理は四つの真理にすぎないと、いつも感じて生きる方法なのです。
(苦の消滅への道の真理 了)
(´・(ェ)・`)つ

570 不思議な名無しさん :2018/12/09(日) 08:22:14 ID:???O
>>569
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経)

サティパッターナの成果( 阿羅漢 になるか 阿那含 になるか)

誰もがこの四つのサティパッターナを、七年間このように修行すれば、自分の中にふたつの成果のうちのひとつが実を結びます。
そのままで、阿羅漢の段階に到達するのです。執着心がまだ残っていれば、阿那含のような状態に到達します。

七年は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、六年、五年、四年、三年、二年、一年…。
一年は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、七か月、このように修行すれば、自分の中にふたつの成果のうちのひとつが実を結びます。
そのままで、阿羅漢の段階に到達するのです。執着心がまだ残っていれば、阿那含のような状態に到達します。

七か月は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、六か月、五か月、四か月、三か月、二か月、ひと月、半月…。
半月は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、七日間、このように修行すれば、自分の中にふたつの成果のうちのひとつが実を結びます。
そのままで、阿羅漢の段階に到達するのです。執着心がまだ残っていれば、阿那含のような状態に到達するのです。

わたしが最初に言った 「 たった一本の道があります。
その道とは、生きているものを清らかにする道です。
悲しみや嘆きを乗り越える道です。
肉体的苦痛や精神的苦痛を 終わらせる 道です。
正しい道 を見つけ、 ニルヴァーナ を実現する道です。
そのたった一本の道とは、四つの サティパッターナ です 」 というのは、このことです。

以上が尊者の説かれたことです。修

行者たちは喜び、尊者の言葉をありがたく思いました。

 Sadhu! Sadhu! Sadhu!


(´・(ェ)・`)
(おわり)

571 不思議な名無しさん :2018/12/12(水) 19:34:43 ID:???O
人気企画、くまと一緒に購読会
バックナンバー
1)18/07/28(土) 〜
パタンジャリのヨーガスートラ

2)18/09/01(土) 〜
バガヴァッド・ギーター

3)18/10/28(日) 〜
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経)

新企画、近々開始す!
(´・(ェ)・`)つ

572 不思議な名無しさん :2018/12/13(木) 20:38:59 ID:???O
お待たせいたしました。
いよいよ明日より『存在の詩』の連載を始めるのである。

本日は、くまと一緒に購読会の箸休め編として、「潜在意識、マーフィーの法則」か、アファメーション集を、お送りするのである。

1)とるべき道を教えてほしい時のアファメーション。
「私は答えが私の中に存在し、今私に与えられようとしていることを知っています。
潜在意識の無限の知性とかぎりない知恵は、私を通じてあらゆる決定をくだし、私の人生について唯一の正しい行為と正しい決定が行われます。
私はめざめた意識の中にやってくる導きを理解します。私がそれを見落とすことは決してありません。」

2)ツキを呼び込みたいときのアファメーション。

「私は今日を楽しみ、喜びます。 今日は私の人生に奇跡が起こるはずです。
私には今日驚くべき触れ合いがあるはずです。 私は、すばらしい、とても興味ある人々に会うでしょう。
そして私は、最善だけを期待するようにします。 私は、常に最善が私のところにもたらされることを知っています。
私は、幸運がいろいろな方法で私のところにもたらされることを知っています。

3)仕事を成功させたい時のアファメーション

「私は今日、私の仕事をすべて心の法則に従って完成し、偉大なことをなし遂げるでしょう。
私の潜在意識は、あらゆることをなし遂げる、新しい、よりよい方法を私に教えてくれます。
私は、無限の力のおかげでどんな障害物も、どのような妨げもないことがわかっています。
私の作業は神の作業です。 なぜなら、神は私をとおして作用しているからです。
神の作業の遅滞はありません。 いかなる人間も場所も事物も、神の作業を邪魔することはできません。 神はつねに成功し、いっさいの仕事を完成させます。
神の愛をとおして、神の秩序の中に、私は私のいっさいの仕事を遂行し、実現させます。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

573 不思議な名無しさん :2018/12/13(木) 20:40:49 ID:???O
>>572
「潜在意識、マーフィーの法則」(つづき)

4)過去の過ちを払拭したい時のアファメーション

「私は過去のすべての過ちを自分に対して許します。 私は誰も責めません。
過去の過ちはすべて、私の未来の成功、繁栄、前進のための踏み石となるはずです。
私は、潜在意識がいつも私を導いてくれていること、私がすることはすべて正しいと絶対的に信じています。
私はすべてのことに自分の全力を尽くしています。 私は恐れることなく自信を持って前進します。」

5)憎しみから解放されたい時のアファメーション。

「これまで私を傷つけた人をすべて許します。
彼らを永久に解き放ちます。
私は過去を忘れ、完全な健康と調和と平和の輝かしい未来に心を向けます。
私の心は落ち着き、澄みわたって静かです。」

6)お金持ちになりたい時のアファメーション。
「私はお金が好きです。私はお金を愛します。私はお金を賢明に、建設的に、思慮深く使います。お金はたえず私の生活を循環しています。
私はお金を喜んで手離し、それは何倍にも増えて私のところに戻ってきます。お金は良いものです。実に良いものです。お金は私のところになだれのように豊富に流れてきます。私はそれを良いことだけに使います。」

7)「私は今夜、夢を見ます。 そして明日の朝、その夢を思い出します。
問題の解決は夢の中で与えられ、私は答えがやってきた瞬間に目をさまします。
最初は解決できそうもないように見えた問題でも、新しい見解や答えが、夢の中で示されるにちがいありません。 」

(´・(ェ)・`)
(おわり)

574 不思議な名無しさん :2018/12/14(金) 23:03:24 ID:???O
『存在の詩』1

ティロパはその「マハムドラ-の詩」の中で次のようにうたっています・・・・・

マハムドラ-はすべての言葉とシンボルを超越せり
されどナロパよ、真剣で忠実なる汝のために
いまこの詩を与うべし
「空」は何ものも頼まず
マハムートラ-は何ものにも依らず
また労せず
ただゆったりと自然であることによりて
人はくびきをうち壊し
解脱を手の内にするなり

(´・(ェ)・`)
(つづく)

575 不思議な名無しさん :2018/12/16(日) 14:16:56 ID:???O
>>574
『マハムドラ-の詩』つづき

もし中空を見つめて何も見ず
そのとき心をもって心を観ずれば
人は差別を打ち破り
ブッダフッドに至るなり

空をさまよう雲には
根もなくまた家もなし
分別の思いの
心を漂いよぎるもまたしかり
ひとたび「自性心」の見らるることあらば
識別は止まん

空間に象と影の生ずることあれど
そは黒白に染まらず
万物は「自性心」より出で
しかも心は善悪に汚さるることなし

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

576 不思議な名無しさん :2018/12/17(月) 06:40:31 ID:???O
>>575
『マハムドラ-の詩』つづき

長き時ふる暗闇も
灼熱の陽を覆うこと能わず
カルパにわたるサムサーラ(輪廻)も
「心」のまばゆい光を隠すことを得ず

「空」を説くに言葉の語らるることあれど
「空」そのものは表され得ず
”「心」は輝ける光のごとし”と言うも
そはすべての言葉とシンボルを超越せり
本質に於いて空なれど
「心」は万物を抱き、そして容るるなり

(´・(ェ)・`)
(つづく)

577 不思議な名無しさん :2018/12/18(火) 06:30:22 ID:???O
>>576
『マハムドラ-の詩』つづき

からだに於いては何もせずにくつろがせ
口を堅く結びて沈黙を守り
心を空しくして何ものも思わざれ
中空の竹のごと汝のからだをくつろがせ
与えずまた取らず、汝のからだを休ませよ
マハムドラ-は何ものにも執着せざる心のごとし
かくのごとく行ずるによりて
やがて汝はブッダフッドに至らん

(´・(ェ)・`)
(つづく)

578 不思議な名無しさん :2018/12/19(水) 01:18:27 ID:???O
>>577
『マハムドラ-の詩』(つづき)

真言、波羅蜜多、の行
経文、訓戒の示すところ
宗門、聖典の教えも
甚深の真理の実現をもたらすことなし
欲望に満たされし心の
目標を追わざるを得ざれば
そはただ光を隠すのみなるがゆえに

いまだ識別を離れずしてタントラ教理を持する者
サマヤの精神にそむくなり
すべての行動を止め、すべての欲望を避けよ
あらしめよ、思考の
大海の波のごとく浮き沈むがままに
たえて無安住と
並びに無差別の原理をそこなわざる者
タントラ教理をささげ持つなり

切望を避け
かれこれに執着せざる者
聖典の真意を知るなり
(´・(ェ)・`)
(つづく)

579 不思議な名無しさん :2018/12/20(木) 01:40:40 ID:???O
>>578
『マハムドラ-の詩』つづき

マハムドラ-に於いて、人の持つ一切の罪は焼かれ
マハムドラ-に於いて
人はこの世の獄より解き放たれん
これぞダルマの至高の灯なり
そを疑う者
とこしえに不幸と悲しみにのたうつ愚者なり

解脱を目ざすにあたり
人はグルに依るべし
汝の心がその祝福を受くるとき
解放は間近なり

ああ、この世のすべては無意味にして
ただ悲しみの種子なるばかりなり
小さき教えは行いへといざなえば
人はただ大いなる教えにのみ従うべし
(´・(ェ)・`)
(つづく)

580 不思議な名無しさん :2018/12/21(金) 06:35:30 ID:TUXTJyrgO
>>579
『マハムドラ-の詩』つづき

二元性を越ゆるは王の見地
散乱を征服するは王の行
行なき道こそすべてのブッダたちの道なり
その道を踏む者、ブッダフッドに至らん

はかなきかなこの世
幻や夢のごと、それは実体を持たず
そを捨てて血縁を断てよ
欲望と憎しみの糸を切り
山林にありて瞑想せよ
労なくして
ゆったりと「自然なる境地」にとどまるならば
まもなく汝はマハムドラ-にたどり着き
無達成なるものを達成せん

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

581 不思議な名無しさん :2018/12/21(金) 06:35:35 ID:???O
>>579
『マハムドラ-の詩』つづき

二元性を越ゆるは王の見地
散乱を征服するは王の行
行なき道こそすべてのブッダたちの道なり
その道を踏む者、ブッダフッドに至らん

はかなきかなこの世
幻や夢のごと、それは実体を持たず
そを捨てて血縁を断てよ
欲望と憎しみの糸を切り
山林にありて瞑想せよ
労なくして
ゆったりと「自然なる境地」にとどまるならば
まもなく汝はマハムドラ-にたどり着き
無達成なるものを達成せん

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

582 不思議な名無しさん :2018/12/22(土) 06:57:31 ID:???O
>>581
『マハムドラ-の詩』つづき

木の根を断たば葉は枯れん
汝の心の根を断たばサムサーラは崩れん
いかなる灯の光も一瞬にして
長きカルパの闇を払う
心の強き光ただ一閃なれど
無知なるヴェールを焼かん

心に執着せる者の
心を越えたる真理を見ることなく
ダルマを行ぜんと求むる者の
行を越えたる真理を見出だすことなし
心と行をふたつながら越えたるものを知らんには
人はきっぱりと心の根を断ち切りて
裸眼をもちて見つむべし
しかして人は一切の差別を打ち破り
くつろぎにとどまるべし

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

583 不思議な名無しさん :2018/12/23(日) 09:10:26 ID:???O
>>582
『マハムドラ-の詩』つづき

与えず、また取らず
人はただ自然のままにあるべし
マハムドラーはすべての容認と拒絶を越えたるがゆえに
もとよりアラヤ(※1)の生ずることあらざれば
誰もそを妨げ汚すこと能わず
不出生の境界にありて
すべてのあらわれはダルマタ(※2)へと溶解し
自己意志と傲慢は無の中に消滅せん

※1、アラヤ:アラヤ識。根本識などとも訳される。一切の生命事象の根底に横たわる、ひとつの意識作用としてとらえられた存在の本体をさす。

※2、ダルマタ:世界を構成するすべてを支える五つの要素。地、水、火、風、空。識を加えて六つとされることも

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

584 不思議な名無しさん :2018/12/24(月) 01:11:43 ID:???O
>>583
『マハムドラ-の詩』つづき

至高の理解は
かれこれの一切を超越し
至高の行為は
執着なくして大いなる機知を抱く
至高の成就とは
望みなくして内在を知ることなり

はじめヨーギ(※1)は
おのが心の滝のごとく転落するを感じ
中ほどにてはガンガー(※2)のごと
そはゆるやかにやさしく流れ
ついに、そは大いなる海なり
息子と母の光がひとつに溶け合うところ-----

※1、ヨーギ:一般にヨーガの道の修行者

※2、ガンガー:ガンジス河のインド読み

『存在の詩』より
(´・(ェ)・`)
(つづく)

585 不思議な名無しさん :2018/12/24(月) 10:22:07 ID:???O
>>584
『マハムドラ-の詩』は前回でおわりでありました。

つづきまして、信心銘

01至道無難 唯嫌揀択 但莫憎愛 洞然明白

至道(しどう)無難(ぶなん)、唯揀(ゆいけん)択嫌(けんじゃく)。但(た)だ憎愛(ぞうあい)莫(な)ければ、洞然(とうねん)として明白(めいはく)なり 。

|\
∴∴∴
(´・(ェ)・`)
.(つ旦と)
.と_)_)
信心銘 は禅実践の極意、みたいなものらしいであります。
ちょぴっとづつ連載するであります。

586 不思議な名無しさん :2018/12/25(火) 07:31:37 ID:???O
>>585
信心銘

02毫釐有差 天地懸隔 欲得現前 莫存順逆

毫釐(ごうり)も差(しゃ)有(あ)れば、天地(てんち)懸(はる)かに隔(へだ)たる。現前(げんぜん)を得(え)んと欲(ほっ)せば、順逆(じゅんぎゃく)を存(ぞん)すること莫(なか)れ。

(´・(ェ)・`)つ

587 不思議な名無しさん :2018/12/26(水) 00:06:07 ID:???O
>>586
信心銘

03違順相争 是為心病 不識玄旨 徒労念静

違順(いじゅん)相争(あいあらそ)う、是(これを)心病(しんびょう)と為(な)す。玄旨(げんし)を識(し)らぞれば、徒(いたず)らに念静(ねんじょう)に労(ろう)す。

(´・(ェ)・`)つ

588 不思議な名無しさん :2018/12/27(木) 00:43:35 ID:???O
>>587
信心銘

04円同大虚 無欠無余 良由取捨 所以不如
 
円(まど)かなること大虚(たいきょ)に同(おな)じ、欠(か)くること無く余(あま)るこし無し。良(まこと)に取捨(しゅしゃ)に由(よ)る、所以(ゆえ)に不如(ふにょ)なり。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

589 不思議な名無しさん :2018/12/28(金) 03:26:57 ID:TUXTJyrgO
>>588
信心銘

05莫逐有縁 勿住空忍 一種平懐 泯然自尽

有縁(うえん)を逐(お)うこと莫(なか)れ、空忍(くうにん)に住(じゅう)すること勿(なか)れ。一種平懐(いっしゅへいかい)なれば、泯然(みんねん)として自(おの)ずから尽(つ)く。

(´・(ェ)・`)つ

590 不思議な名無しさん :2018/12/29(土) 01:53:15 ID:???O
>>589
信心銘

06止動帰止 止更弥動 唯滞両辺 寧知一種 

動(どう)を止(や)めて止(し)に帰(き)すれば、止(し)更(さら)に弥(いよい)よ動す。唯(ただ)両辺(両辺)に滞(とどこお)らば、寧(なん)ぞ一種(いっしゅ)を知らんや。

(´・(ェ)・`)つ

591 不思議な名無しさん :2018/12/29(土) 23:39:59 ID:???O
>>590
信心銘

07一種不通 両処失功 遣有没有 従空背空

一種(いっしゅ)通ざれば、両処(りょうしょ)功(こう)を失(しっ)す。有(う)を遣(や)れば有を没(ぼっ)し、空(くう)に従えば空に背(そむ)く。

(´・(ェ)・`)つ

592 不思議な名無しさん :2018/12/30(日) 11:40:48 ID:???O
>>591
信心銘

08多言多慮 転不相応 絶言絶慮 無処不通

多言多慮 (たごんたりょ)、転(うた)相応(そうおう)せず。絶言絶慮(ぜつごんぜつじょ)、処(ところとして)通ぜずということ無し。

(´・(ェ)・`)つ

593 不思議な名無しさん :2018/12/31(月) 15:16:19 ID:???O
>>592
信心銘

09帰根得旨 随照失宗 須臾返照 勝却前空

根(こん)に帰(き)すれば旨(し)を得(え)、照(しょう)に随えば宗(しゅう)を失す。須臾(しゅゆ)も返照(へんしょう)すれば、前空(ぜんくう)に勝却(しょうきゃく)す。

(´・(ェ)・`)つ

594 不思議な名無しさん :2018/12/31(月) 19:36:50 ID:???O
>>593
信心銘

10前空転変 皆由妄見 不用求真 唯須息見

前空(ぜんくう)の転変(てんぺん)は、皆(みな)妄見(もうけん)に由(よ)る。真(しん)を求むること用(もち)いざれ、唯須(ただすべか)らく見(けん)を息(や)むべし。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

595 不思議な名無しさん :2019/01/01(火) 16:14:10 ID:???O
>>593
信心銘

11二見不住 慎忽追尋 纔有是非 紛然失心

二見(にけん)に住(じゅう)せず、慎(つつし)んで追尋(ついじん)すること勿(なか)れ。纔(わず)かに是非(ぜひ)あれば、紛然(ふんねん)として心(しん)を失(しっ)す。
(´・(ェ)・`)つ

596 不思議な名無しさん :2019/01/01(火) 16:17:11 ID:???O
新年あけまして
   ∧_∧
  (´(ェ)`)
  /|=宗=|\
 (_)LLLLLL(_)

おめでとうございます
  /⌒⌒ヽ
  /⌒  ⌒ヽ
 (_(   )_)
   V ̄V

597 しゅりけん ◆/E1qjlPltw :2019/01/01(火) 22:44:50 ID:???0
(ΦwΦ)ノシ
明けましておめでとうございます。

598 不思議な名無しさん :2019/01/02(水) 00:18:49 ID:???O
>>595
信心銘

12二由一有 一亦莫守 一心不生 万法無咎

二は一に由(よ)って有(あ)り、一も亦(また)守ること莫(なか)れ。一心(いっしん)生(しょう)ぜざれば、万法咎(とが)無し。

(´・(ェ)・`)つ

599 シヴァージ ◆Mh/HW8c4EM :2019/01/02(水) 00:42:12 ID:???0
あけましておめでとうございます! (^^)

600 不思議な名無しさん :2019/01/03(木) 00:55:21 ID:???O
>>598
信心銘

13無咎無法 不生不心 能随境滅 境逐能沈

咎(とが)無ければ法(ほう)無し、生(しょう)ぜざれば心(しん)ならず。能(のう)は境(きょう)に随(したが)って滅し、境は能を逐(お)うて沈む。

(´・(ェ)・`)つ

601 不思議な名無しさん :2019/01/04(金) 01:23:35 ID:???O
>>600
信心銘

14境由能境 能由境能 欲知両段 元是一空

境は能に由って境たり、能は境に由って能たり。両段を知らんと欲せば、元(もと)是(これ)一空(いっくう)。

(´・(ェ)・`)つ

602 不思議な名無しさん :2019/01/04(金) 10:55:15 ID:???O
>>601
信心銘

15一空同両 斉含万象 不見精粗 寧有偏党

一空(いっくう)両(りょう)に同じ、斉(ひと)しく万象(ばんぞう)を含む。精粗(せいそ)を見ざれば、寧(いずくん)ぞ偏党(へんとう)有らんや。

(´・(ェ)・`)つ

603 不思議な名無しさん :2019/01/05(土) 21:17:28 ID:TUXTJyrgO
>>602
信心銘

16大道体寛 無難無易 小見狐疑 転急転遅

大道大寛(だいどうたいかん)なり、難無(なんな)く易(い)無し。小見(しょうけん)は狐疑(こぎ)す、転(うた)た急(きゅう)なれば転た遅(おそ)し。

(´・(ェ)・`)つ

604 不思議な名無しさん :2019/01/06(日) 04:47:37 ID:???O
>>603
信心銘

17執之失度 必入邪路 放之自然 体無去住

之を執(しゅう)すれば度(ど)を失(しっ)し、必ず邪路(じゃろ)に入る。之を放てば自然(じねん)なり、体(たい)、去住(きょじゅう)無し。

(´・(ェ)・`)つ

605 不思議な名無しさん :2019/01/07(月) 06:51:21 ID:???O
>>604
信心銘

18任性合道 逍遥絶悩 繋念乖真 昏沈不好

性(しょう)に任(にん)ずれは道(どう)に合(がっ)す、逍遥(しょうよう)として悩(のう)を絶(ぜっ)す。繋念(けねん)は真に乖(そむ)く、昏沈(こんちん)は不好(ふこう)なり。

(´・(ェ)・`)つ

606 不思議な名無しさん :2019/01/08(火) 07:53:01 ID:TUXTJyrgO
>>605
信心銘

19好不労神 何用疎親 欲趣一乗 勿悪六塵

不好(ふこう)なれば神を労す、何ぞ疎親することを用ひん。一乗に趣かんと欲せば、六塵を悪(にく)むこと勿れ。

(´・(ェ)・`)つ


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