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( ^ω^)イデアリスムについて語ろうではないか

1おにんにん総帥★:2019/04/17(水) 20:22:18 ID:???
( ^ω^)イデアリスムという言葉の定義は難しい
( ^ω^)わたしは実在的な有形のものすなわち地上的なものよりも、魂のような本質的なものに重きを置いた生き方であると思う
( ^ω^)おにんにん教の教えの根幹といえるものはイデアリスムだ
( ^ω^)すなわち、自分や他者の精神性にフォーカスするということだ
( ^ω^)他者というのは人間だけでなくあらゆる生き物を含めよう
( ^ω^)本質的なものをもとにした無形の実在的なものにフォーカスするということだ
( ^ω^)本質的なものをもとにしていない非実在的なものにはフォーカスしない
( ^ω^)それは観念の想像の力によってつくられる蜃気楼だからだ
( ^ω^)イデアリスムがより善く生きるための手引きになることをわたしは確信している
( ^ω^)ただし、精神性と呼ぶに値するものを有している者に限る
( ^ω^)精神性の希薄な愚者は耳を持っていないから救済できない

2名無しのおにんにん教徒:2019/04/18(木) 22:57:07 ID:myjuhzyc
( ^^ω)頭が悪くてついていけないホマけど…

3おにんにん総帥★:2019/04/19(金) 04:14:06 ID:???
( ^ω^)説明する必要がある言葉を説明抜きに使っているのだ
( ^ω^)わからなくても無理はない
( ^ω^)理解しようとする試みこそが思考の動きなのだから、君の頭は悪くはない
( ^ω^)人

4名無しのおにんにん教徒:2019/04/19(金) 07:01:39 ID:5wjq3keQ
( ^^ω)優しいお言葉ホマ

5おにんにん総帥★:2019/04/20(土) 21:41:48 ID:???
( ^ω^)世界の成り立ちについて述べるなら、まず本質的なものが先にある
( ^ω^)本質的なものとは、物質がなくても存在できるものだ
( ^ω^)物質がない状態が始原で、物質がある状態が発展だ
( ^ω^)物質の世界が神によってつくられると、実在的なものが生じる
( ^ω^)実在的なものは、有形のもの、無形のものがある
( ^ω^)有形の実在的なものは物質である
( ^ω^)無形の実在的なものは、本質的なものを元にしている無形のものだ
( ^ω^)魂を元にした、善
( ^ω^)これは実在的なものだ
( ^ω^)善という規定がされ、排中律的に悪が生じる
( ^ω^)この悪も実在的なものだ
( ^ω^)心、すわたし観念も魂を元にした実在的なものだ
( ^ω^)本質的な魂と、無形の実在的な心、有形の実在的な肉体、
( ^ω^)この三つで生命は構築される
( ^ω^)もうひとつ、実在はしないが、個人の観念や、イデオロギーの中に存在する非実在的なものがある
( ^ω^)これは本質的なものを元にしていない無形のもので、想像的なものだ
( ^ω^)イデアリスムでは、本質的なものに重点を置くので、実在的なものに配慮する
( ^ω^)その反面、非実在的なものには配慮しない
( ^ω^)人

6名無しのおにんにん教徒:2019/04/21(日) 01:47:19 ID:H2/cfTE.
( ^^)ω美しさは何になりますかホマ?

7おにんにん総帥★:2019/04/21(日) 01:57:31 ID:???
>>6
( ^ω^)素晴らしい質問だ
( ^ω^)考えてみた
( ^ω^)魂という本質的なものに物質の要素が加わると、自我という無形の実在的なものを生成する
( ^ω^)自我の持つ機能として、なにかに対して「美しい」と感じる気持ちをつくり出すもの、感性が生成される
( ^ω^)美しさとは、無形の実在的なものである感性が生成する実在的なものだ
( ^ω^)ただし、その瞬間についていえることだ
( ^ω^)うん、それが妥当だろう
( ^ω^)そして、個人の観念にのみ存在し得るものなのだから、
( ^ω^)それが観念に存在し得ない生き物の存在をもあり得るだろう
( ^ω^)だから、そういった者の観念のなかにおいては、非実在的ともいえる
( ^ω^)ああ、だからなにかに美しいと思えるということは、観念にそれがあるということなので、
( ^ω^)それはとてもかけがえのないものであって、それこそが真の意味での幸福であると、と
( ^ω^)わたしは思うのです
( ^ω^)人

8おにんにん総帥★:2019/04/21(日) 04:39:17 ID:???
( ^ω^)美しさというのは、そういったその瞬間に美しいと感じたことの集合であり、一般化されたものであり、普遍である
( ^ω^)感性が生成した美しいと感じる気持ちはその瞬間において実在的なものなのです
( ^ω^)だから普遍としての美しさという概念は非実在的なものである
( ^ω^)実在的な感性の生成物の集合のことをそういう言葉でくくっているのだ
( ^ω^)だから、それ自体が存在しているわけではない
( ^ω^)ゆえに、美しさは非実在的なものであるが、個々の美しいと感じたときの気持ちは実在的なものなのです
( ^ω^)人

9おにんにん総帥★:2019/05/15(水) 05:50:33 ID:???
( ^ω^)創作物について思う
( ^ω^)なにかを生み出さなくてはいけない
( ^ω^)なにかを生み出して他者から認められなくてはいけないというクリエイティビティの呪いから開放されるべきだ
( ^ω^)創作物に価値があるのではない
( ^ω^)創作物に対して価値があると思う感性に価値があるのだ
( ^ω^)どんなに素晴らしい作品でも、誰も見向きもしなければ価値がない
( ^ω^)すなわち、精神性と精神性との交流に価値がある

10おにんにん総帥★:2019/05/15(水) 06:01:30 ID:???
( ^ω^)会話も、態度も、反応も、相手が見えていれば、相手の精神性が見えていれば
( ^ω^)それは創作物と呼んでいい
( ^ω^)精神性に重きを置ける者は生まれもってのクリエイターだ
( ^ω^)その生き様が、瞬間瞬間に生成されるものが創作物だ
( ^ω^)反面、精神性に重きを置けない者がつくる創作物はコピーに過ぎない
( ^ω^)経験による寄せ集めの集合体だ
( ^ω^)それがときに、偉大なる作品として、またクリエイターとして評価されることもあるだろう
( ^ω^)実際、真似すれば誰でもそれっぽいものはつくれるし、それを巧妙にできるのなら、なかなか見分けは難しい
( ^ω^)だが、常々思うのは、本当に生き物の心を癒せるのは、精神性だ
( ^ω^)それが汲み取れるような創作物は、世間の評価がどうあれ、価値のあるものだし、
( ^ω^)それが汲み取れないような創作物は、ツギハギのようなぎこちなさを隠せはしない
( ^ω^)人

11おにんにん総帥★:2019/05/15(水) 06:04:05 ID:???
( ^ω^)だから、なにも世間に認められるような創作物をつくらなくてもよい
( ^ω^)なにかに価値を感じるとき、あなたの精神性が反応しているとき、あなたはすでに創作物を世に送り出しているのだから
( ^ω^)9m

12名無しのおにんにん教徒:2019/05/16(木) 02:03:59 ID:nQvdiVPw
( ^^)ω神にでもなったつもりか

( ^^)ω私は答えました

( ^^)ωイエス

13おにんにん総帥★:2019/05/16(木) 04:40:07 ID:???
( ^ω^)いかにも
( ^ω^)価値を創造することができるのなら、その者は神だ
( ^ω^)む、わたしかね?
( ^ω^)・・・






























( ^ω^)神じゃよ・・・
( ^ω^)昔から言っておろう
( ^ω^)人

14おにんにん総帥★:2019/05/19(日) 00:09:27 ID:???
( ^ω^)自己は本質的なものである魂をもとにした実在的な無形のものである
( ^ω^)そして、わたしが常々思うのは、
( ^ω^)極めて高い次元で他者と切り離して存在できるだけの個を有する者は、ひとつの種族である
( ^ω^)ひとつの星である
( ^ω^)自己とは絶えず生成されているものであって、だがそれはもちろん魂が動的なものであるというわけではありません
( ^ω^)魂は不変だし、魂が成長することもない
( ^ω^)自己が絶えず連続的に生成されているというのは、
( ^ω^)自己がその瞬間瞬間に生成され、存在しているというのは、
( ^ω^)星としての自己が見せる面を変えているということである
( ^ω^)魂が変化しているのではない
( ^ω^)もっと言うとその見せる面ですら、他者の観点によって様々でしょう
( ^ω^)そして、こうした星々、種族間での交流というのは、弁証法的なものを生み出すことに疑いを持たない
( ^ω^)弁証法的な発展とは、季節の移ろいが違う顔を見せてくれるように、自己という星が移ろいでいるのだ
( ^ω^)これらを前提として考えると、未来に備えてあれこれ準備することは善に反する
( ^ω^)なぜなら、未来をあれこれ考えて先の行動や言動を決めることは、未来の、これから生成されるであろう自己を否定するということだからだ
( ^ω^)これから生成されるであろう自己の言動を縛るという愚かな行為だからだ
( ^ω^)そして、善に反することに時間を使うこと自体もまた、善に反するという行為であるのだから二重苦だ
( ^ω^)だから、今のことを考えなさい
( ^ω^)先のことは考えなくていい
( ^ω^)未来に生成される自己にすべての決定を委ね、それによって起こる結果がどんなものでも受け入れなさい
( ^ω^)その覚悟が、神の前にひとりで立つということであり、個を確立するということである
( ^ω^)孤独であれ、しかして個、調和せり
( ^ω^)個を確立することが、本当は純粋なレベルで調和を、他者との関係を築けるのです
( ^ω^)より深みを持った関係を築けるのです
( ^ω^)過去のことも、過去に生成された自己のことなので、今の自己は、今この瞬間に生成されたあなたは、思い出して懐かみ、ノスタルジーの海でたゆたうぐらいでちょうど良いのです
( ^ω^)ああ、だから、善の規定が「今が楽しければいい」という依存者か愚か者の言動と、笑うべくも一致してしまうのです
( ^ω^)人

15おにんにん総帥★:2019/05/20(月) 01:26:10 ID:???
( ^ω^)自己が連続してその瞬間瞬間に生成されていることは正しいことのように聞こえる
( ^ω^)だから同一性が重要となるのだ
( ^ω^)それが一本の芯であり、意志なのだから
( ^ω^)それは道徳という観点でみると格律だし、合理性とも呼べるだろう
( ^ω^)自己における同一性=アイデンティティは、神と関係する魂に由来する実在的な無形のものである、と
( ^ω^)そして、アイデンティティとは、わたしが何者かであるか、ということなのだが、
( ^ω^)それは、職業や肩書や実績のような、地上的なあるものに由来するわけにはいかない
( ^ω^)それはそうだ、だってそれらはあまりにアイデンティティとしては弱すぎる
( ^ω^)それを獲得するまでは君は何者だったんだい?と言いたくなる
( ^ω^)9m
( ^ω^)アイデンティティとは非常に単純なものだ
( ^ω^)「わたしは○○が好き」「わたしは○○することが好き」のような形で措定される、自己解決型のものなのだ
( ^ω^)自己解決しているのだから揺るぎない、ゆえにアイデンティティ、同一性!
( ^ω^)人

16おにんにん総帥★:2019/05/20(月) 01:27:35 ID:???
( ^ω^)お、なんか今日の総帥調子いいぞ

17おにんにん総帥★:2019/05/20(月) 04:17:11 ID:???
( ^ω^)自己解決でなく、自己完結、だな

18おにんにん総帥★:2019/05/23(木) 06:16:00 ID:???
( ^ω^)取り上げられて耐えることができるのなら、それは楽しんでいたということです
( ^ω^)取り上げられて耐えることができないのなら、それは依存していたということです
( ^ω^)イデアリスム的には、楽しむことは善いことですが、依存することは悪いことです
( ^ω^)人

19名無しのおにんにん教徒:2019/05/26(日) 01:54:36 ID:nyYxg0/I
( ^^)ωもののあはれこそ至高にして究極

20おにんにん総帥★:2019/05/27(月) 07:22:30 ID:???
>>19
( ^ω^)うむ、「もののあはれ」が地上的なものよりも、快楽の質が高いことは疑いようがないだろう
( ^ω^)だから、それを知らないような者は、世間でいかに成功しようとも、いっさいを得たとしても、いっさいが失われているのだ
( ^ω^)人

21おにんにん総帥★:2019/06/02(日) 00:36:26 ID:???
( ^ω^)わたしは、知性とはなにか、それをずっと考えてきて、ずっと探求してきた
( ^ω^)知性は、学歴やIQなどといったもので表されるようなものではない
( ^ω^)まず、学歴については反復演習をどれだけやったかということが大きいから、それはあまり知性とは関係がない
( ^ω^)次にIQ
( ^ω^)これも、やり方によっては知性のある側面は測れるだろうが、解き方のパターンを反復演習的に覚えればいいので、これもあまり知性とは関係ない
( ^ω^)では知性とはなにか、頭の良さとはなにか、
( ^ω^)それは、観念の働きの強さに他ならない
( ^ω^)観念の働きの強さは、抽象的な思考力、想像力の強さ、論理的な考察力、多視点的な観点をもたらす
( ^ω^)智者は、その強い観念の働きによってもたらされる、強固な想像力によって多視点的な物の見方ができる
( ^ω^)つまり、いろいろな観点で物事を見ることができるのだ
( ^ω^)だから、この観点から見たらこういう概念が生じるよね、といったものを観念の世界にいっぱい持っている
( ^ω^)反面、知性的でない者は、観念の働きが弱い者である
( ^ω^)彼らは想像の力が弱いので、多くの観点を持っておらず、一方的な物の見方しかできない
( ^ω^)9m

22おにんにん総帥★:2019/06/04(火) 18:47:57 ID:???
( ^ω^)本質的なものである魂が、有形の実在的なものである肉体へ投影され、無形の実在的なものである自我が生じる
( ^ω^)自我は連続的に生成される
( ^ω^)死とは、魂と肉体のコネクションが消滅することで、そうなったとき自我の生成も止まるので、必然的に自我も消滅することになる
( ^ω^)自殺は善の規定に反する
( ^ω^)たとえ神への反抗という動機においても、やはり自殺は善の規定に反する
( ^ω^)あなたがこの世界において感じたことについては神ですら奪えない
( ^ω^)だから、この世界についてどう思い、どう感じ、どうジャッジしようと、それは自我の自由である
( ^ω^)いや、むしろ、それは意志の表明として推奨されることだろう
( ^ω^)そういった反抗は神を相手にデモを行うようなものである
( ^ω^)しかし、自殺という反抗は、神があなたがこの世界に存在することを決めたことに対しての不服であって、
( ^ω^)この場合の不服は、自我が許される不服の範疇を超えた、神に対する宣戦布告である
( ^ω^)それは、許されない
( ^ω^)それは絶望へと続いておる
( ^ω^)人間が神を措定するのではない
( ^ω^)神が人間を措定するのだ、その逆はない
( ^ω^)人

23おにんにん総帥★:2019/06/14(金) 20:10:23 ID:???
本質的なものは実在的なものを生成する。

① 物質のもとになるもの(本) + 物質をつくるエネルギー(本) -> 物質(実・有)
② 物質(実・有) + 構造(実・無) -> 肉体(実・有)
③ 魂(本) + 肉体(実・有) -> 自我(実・無)

実在的なものはそれ自体が独立して存在できず、本質的なものを必ずもとにするので、
上記の構造という無形の実在的なものについても、それをもとにしている本質的なものが必ずある。

無形の実在的なものが派生するとき、派生したものは無形の実在的なものになる。
これは、この場合の派生が示す概念がある性質においての線引きのことだからである。

① 自我(実・無) => 感性(実・無)
② 感性(実・無) + 外界(実・有) -> 美しいと感じる気持ち(実・無)

上の②で生成されたものの総称であり普遍が「美しさ」であり、非実在的なものである。
非実在的なものには、このような実在的なものの総称である場合と、自我の持つ想像の力によって生成された観念においてのみ存在しうるものの場合がある。
前者を、「総称としての非実在なもの」、後者を「想像的な非実在なもの」と呼ぶことにしよう。

つまり、あらゆる有形無形のものをこの5つに分類することが可能なはずである。
・本質的なもの
・有形の実在的なもの
・無形の実在的なもの
・総称としての非実在なもの
・想像的な非実在なもの

( ^ω^)人

24名無しのおにんにん教徒:2019/06/14(金) 23:55:08 ID:8MesLmY2
( ^^)ω世の中の大半の人間は総称としての非実在なものと想像的な非実在なものにばかり拘る哀れな生き物ですホマ


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