…これらの貧民は,中世における無能力貧民ではなく,盗賊ともなりかねない労働能力をもつ貧民であり,その数もはるかに多く,国家の力をあげて組織的に対処せざるをえなかった。救貧法は近代的制度の嚆矢(こうし)とされるが,その集大成である1601年のエリザベス救貧法は,教(会)区parishを行政単位として,有能貧民と無能貧民に分け,有能貧民と児童とは労役場work house,懲治監house of correction,一般監獄などで懲罰を加えてまで就労を強制し,無能貧民は保護する,というものであった。