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生長の家傍流掲示板/別板1

50さくら@しま:2012/07/26(木) 13:16:47
トキさま
訊け管理人さま

ありがとうございます。

宗教のなかで、「百万運動」のような部類の背景にある論理を、わたしは、けっきゃく、信用していません。
理屈的には数が多ければ、「人類光明化」「人類救済」の力になる、ということでしょうが、
現実の活動の中で、人間のこころに向き合うという、その姿勢が、実際、欠落することにもなりますよね。

トキさまが書いてらしたように「教えを生かす」とは、それぞれの立場において、実際のもんだいに対しどう対処していけるか、人間力を養うことともいえるのではないかとおもうのですが、

今までの組織は、教えにふれると、すぐ組織活動に繋げて組織に役立つ人間にすることを目的にしていたようなところがありますね。
トキさまが前にご指摘されていましたが、「中心帰一」や第一のものを第一にする、というような言葉が、「組織教学」と言われる論理のなかで、組織を拡大することに利用されることはなかったか、ということをかんじています。

わたしは、経営者なら経営者、主婦なら主婦、教育者なら教育者の、それぞれみ教えを生かす
それを養う学びの場と、あとは、み教えを生かす活動のための、「共同体」のようなもの、ボランティアネットワーク、のような形がよいのではないかと、イメージしてるのです。
人や組織に依存しないものです。

み教えを護ることは、生かすこと以外ないのではないかとおもいます、伝道も、基本的には「手渡し」の運動がよいのだとおもえます。

トキさまが、歴史の反動で、このような組織方針がつくられたと書かれてますね。
学んだのは、ある一面を拒否し、否定すればするほど、その否定するものに呑まれる、ということではないかとおもいます。
だから、いまを否定してはじめるのではなく、違う側面からの発想が必要なのでは、とかんじます。

また、いろいろ、ご教示ください。


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