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聖典紹介板

37さくら:2014/05/11(日) 13:51:49

「さらに、尊師谷口雅春先生は、仮に教団を組織されているが、
これは、『聖使命菩薩讃偈』にもある通り、「応化して仮に聖姿を顕じ、広大の慈門を開き給えり、名づけて生長の家と謂う」であって、
あくまで仮の応化が生長の家であると言われている。

即ち、教団も組織も仮の姿即ち現象として否定されているのである。
教団を組織されても、光明化運動をされていてもその中には居給わないのである。

尊師は教団もなく、組織もなく、光明化運動もないそのままで救われたのである。たった一人で救われたのである。
教団によって救われ給うたのでもなければ、組織愛行によって救われたのでもないのである。救われ給うてからこれらをつくられたのである。

これらのことについては、尊師はどこにも書いておられないが、それは尊師にとって至極当然のことでありすぎるからなのである。

教団、組織、愛行によってどころか、感謝によってでもなかったのである。
『大調和の神示』は、一番最初にかかげられてはいるが、尊師が受けられた啓示は、汝ら天地一切のものと和解せよではなかったのである。

むしろ、すべては心の影だと、解ってはいたが、その心が支配出来なくて、感謝出来なくて自分の心というものにあいそがついた時に、
感謝してからでなく、心を直してからでなく、先づ光であり、先づ実在であり、先づ神である實相を讃える神の声を聴かれたのである。

そして立ち上がって光明化運動をはじめられたのである。」

榎本惠吾先生「弟子像」より

38訊商業:2014/06/23(月) 09:21:08

二十三日の経言――

◆ 一念不動の言葉

 吾れはいま信仰によって不安なき平和のなかに静坐している。吾れは恐れない。吾がうちには無限の愛と信仰とが宿っているからである。此のやすらかさ!此のやすらかさ!此のやすらかさ!今、今、今、此のやすらかさ!吾れはやすらかなり!吾れは肉体的にもやすらかなり!吾れは精神的にもやすらかなり。

 吾れと神とは一体なるが故に、無限の霊的平和のうちに坐するのである。如何なる時にも神の子には一つの安き所が残されているのである。吾れは意識の無限伸展を感ずる。われはいま無限の生命と融会している―― それ故に、吾れは何事についても常に神に導かれるのである。
 吾れは小さき自我ではないのである。より大(おおい)なる真の自我である。何故なら吾れは無限の生命及び無限の智慧と一体であるからである。吾れは此の静かなる心境に於て、吾れを導き吾れを鼓舞したまう無限の智慧と信仰との光をたづさえて、現実の仕事に帰り行くのである。

 無限の智慧と信仰とを与えたまえる御親の神に感謝致します。

『日々読誦三十章経』より謹写――


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