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Web誌友会 板/2

5012a hope:2015/01/11(日) 13:25:52 ID:cEpBaIdo

虚説に和解してはならぬ

 虚説の中でも、最大の虚説は「物質はある」という見解であります。『生長の家』誌友の中で近ごろ脱線して「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり、「現象も真我のあらわれである」という説に惑わされたりした人がありました。その理由は、われわれは天地一切のものと和解しなければならないから、「物質はある」という説とも和解したとき、本当の真理がかえってわかるのだという理論から、虚説に対しても一応は耳を傾けなければならないというわけだったのであります。われわれは天地一切の実在(もの)と和解しなければなりませんけれども、虚説に対して和解してはならないのであります。「人は二人の主に事えることはできない」という諺があります。虚説に和解したら実相をくらますことになります。実相をくらませばみずから迷うことになるのであります。迷えば迷いの影を現象界にうつして、現象界がままならぬ相(すがた)にあらわれてくるのであります。

 「物質もある、心もある」という二元論に引っかかって、現象界が変にみだれて集金が集まらなくなったり、商売がうまくゆかなかったり、歯痛(はいた)が酷くなった数氏の実例は、かつて『生長の家』に書いたとおりであります。

 最近また「真我も迷う」の妄説に引っかかって、絶えて久しく煩わなかった頭部の湿疹になやまされて、すんでのことに医者にかかりそうになった時、初めて気がついた人があります。それは最近「生長の家」の説を受け売りして、少しばかり異色を見せて独立しようとして「迷いは真我より起こる」と発表した某々氏の雑誌を読んで、その妄説にまどわされ、真我は迷うものやら、迷わぬものやらわからなくなって、心が迷って、「本来清浄の実相」を見ることができなくなったことに原因するということを知り、神想観をして、本来迷わぬ「本来清浄の実相」を観ることを努めたところが、その頭部の湿疹が癒ってしまったという報告を受け取りました。

 「生長の家」の家族となり「真我は神であり、本来清浄の実相である」ということを知らされながら、時々そういう異端邪説に耳を傾けるようになるのが、これいわゆる「試みに逢わせられる」のであり、「引っかけ戻しの仕組み」であります。精神統一せんとすればするほどかえって雑念が浮かぶのと同じであります。この時に雑念妄想の方に心を傾けたら永久に精神統一しがたいのと同じように、この時に異端邪説に和解して耳を傾けたら、自分の実相が昧まされ不幸があらわれるのであります。

 「なんじの敵を愛せよ」といったイエス・キリストさえも、「サタン」に対しては和解していないのであります。イエスが四十日四十夜、精神統一の修行をしている時、そこに幻のように現われたサタンに対しては、イエスはそのサタンの邪説に耳を傾けようとしないで、「神を試むべからず、サタンよ退け、主なるなんじの神を拝し、ただこれのみに事(つか)うべし」と、一喝しているのであります。この場合、サタンとは異端、邪説、妄説、妄想、雑念のことであります。「ただ神のみ――ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、ただこれのみに事うべし」ということです。そのほかの妄説妄想には決して和解して、耳を傾けてはいけない。ただ「サタンよ、去れ」と一喝しているところに、イエスの示されたる「サタンに和解すな」との範例をわれわねは見なければならないのであります。

以上、「訊ブログ」より転載させていただきました。感謝 合掌。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65589252.html

5013a hope:2015/01/11(日) 13:27:24 ID:cEpBaIdo

>>5010 「訊」さま

<<『生長の家』誌友の中で近ごろ脱線して「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり>>
とありますが、わたしは、まさに、雅宣先生のご思想がこの二元論なのだと思っているのです。

二元論に惑わされてしまっている「生長の家」の総裁のご著書を読むことで、
その総裁に中心帰一を強いられている信徒も同じく二元論に惑わされることにならないでしょうか?

つまり、無意識に、自分の意志とは別に、「虚説」をつかまされてしまうのです。
実際、わたしも入信した後、その経験をしているのです。

それだけ、「生長の家」総裁としてのご発言は重大なのです。

わたしは、どう考えても、雅宣先生や純子先生が「生長の家」の聖典「生命の實相」の実相独在の真理を体得されるまで熟読されているとか思えないのです。


「訊」さま

わたしは、自分の主張を押し通したいからこの掲示板で雅宣先生や純子先生を批判しているのではないのです。

一日も早く、本来の「生長の家」の教えの素晴らしさを思い出していただき、本来の「生長の家」あるべき姿に戻していただき、
生長の家総裁副総裁として、本来の「人間神の子」の真理を伝える「人類光明化運動」を指揮していただきたいと願っているからなのです。

ですが、もちろん、わたしの方が野狐禅である可能性はあります。
ですから、わたしの見解へのご指摘、ご批判、なんでも素直にお受けする覚悟はできています。

5014a hope:2015/01/11(日) 13:35:52 ID:cEpBaIdo

>>5011 「訊」さま

雅宣先生は、〝現〝 生長の家総裁です。

今、現在もブログでご自分のご思想を信徒に向けて発言し続けておられます。

わたし自身の経験したことだけでいえば、それは過ぎ去った過去の話ですが・・・。

5016a hope:2015/01/11(日) 14:19:29 ID:cEpBaIdo

>>5015 「訊」さま

<<*「物質もある、心もある」という二元論と云うその物質もなく心もないのが生長の家ではないですか?唯物論でもなく唯心論でもなく
 唯神実相論であると云われている。にもかかわらず『二元論』なんて端から存在しないものを言揚げする先生は?>>


確かに「唯神実相論」が生長の家の中心真理だと思いますが、「唯心所現」も横の真理として雅春先生は説かれていましすよね?
『二元論』に関するご説明は、そちらの真理に関わっているのだと思います。
わたしは「人間の我の心はない」でも「神の子の心はある」と信じています。



<<*そのない心で一瞬に体験した、全て体験したと云う夢の中の出来事、人間の生死と同じ、生まれたことも死ぬこともない人間が、
生まれて死ぬと云う夢を見ている。あなたは生まれていろいろ体験していると思っているでしょう。そしていつか死ぬと。
生死が夢ならばすべての体験も思いの世界のものでしかないのでは。>>


この現象世界の出来事は、しょせん影ですから、確かに夢なのかもしれませんが、
せっかく神さまがこの現象世界にわたしを投影してくださり自由に生きるという経験をわたしにさせてくださっているのですから、
たとえそれが夢であっても、わたしは精一杯自分のできることをして生きて、神さまに褒めていただきたいです。

5017a hope:2015/01/11(日) 14:41:50 ID:cEpBaIdo

ところで、訊けさま

今日のweb誌友会の書き込みって、本当に全部「訊」さまご本人ですか?

5018トキ:2015/01/11(日) 15:01:27 ID:cQ90QTGI
>>5017

謹告

 本日のは、訊け管理人様の名前を勝手に使った
曳馬野さんのなりすましです。これは、卑劣な行為です。

 当該投稿を削除の上、厳重に注意します。
今後は絶対に他人のHNを詐称しないでください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5019茅ヶ崎:2015/01/11(日) 15:02:06 ID:???
私もそれが知りたいと思ってました
「訊」と「訊け」さんは同じ人?

5020茅ヶ崎:2015/01/11(日) 15:03:04 ID:???
>>5018
リロード遅れまして間抜けな質問してしまいました。すみません。

5021トキ:2015/01/11(日) 15:05:13 ID:1j83ED3E
謹告

 本日、この時間までの投稿は、訊け管理人様からの
投稿はありませんでした。

 ご注意ください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5022a hope:2015/01/11(日) 15:24:07 ID:cEpBaIdo

やっぱり、一連の書き込みは「訊」さまではなかったのですね。
なんとなく、文章の感じが曳馬野さまににてるな〜と思ってました(笑)。

ご感想やご意見をいただけるのはありがたいのですが、
なりすましは混乱するのでやめていただきたいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

5025a hope:2015/01/11(日) 17:45:48 ID:cEpBaIdo

>>5023

申し訳ありませんが、「訊」さまになりすましをしていらっしゃるような、
どなたかわからない方のご文章は拝見する気にもなりません。

真理を追究される前に、人としての道を正しく歩まれたらいかがですか?

夕食の支度があるので、失礼いたします。

5030トキ:2015/01/11(日) 22:39:07 ID:DdasF.5E
>>5025

a hope様

 本当に、その通りです。しかも、なりすましをするような人が
青年会の先達を自称するのですから、驚いています。

 こういう人たちに関わり会わずに、真摯に谷口雅春先生の教えの勉強
をしましょう。

5038るん吉:2015/01/12(月) 09:03:52 ID:???

>>物質もある、心もある」という二元論に引っかかって、現象界が変にみだれて集金が集まらなくなったり、商売がうまくゆかなかったり、歯痛(はいた)が酷くなった数氏の実例



現象有り、という説(妄説)を心に受け入れると、とたんに 上記のようになっちゃうんですね。

・・・・・

5039a hope:2015/01/12(月) 10:03:18 ID:cEpBaIdo

>>5038 るん吉さま

そうなのですよ!
だから、わたしは4年前からそのことに警告を発しているつもりなんです。
当初は本流宣言掲示板へ投稿していましたが・・・

雅宣先生のご文章や祈りの言葉の内容は現象や物質を認めてしまっているんです。

現教団の運営はうまくいっているのでしょうか?
病人が増えてはいないでしょうか?
人間関係はどうでしょうか?

心が調えば環境(現象)もおのずから調うというのが、本来の「生長の家の教え」なのだと思うのです。
そして、その教えを広めるのが人類光明化運動ですよね。

それなのに雅宣先生は人間の犯した罪だとか欲望だとか、破壊されつつある自然だとか、
そのような暗い現象面を最初に見つめるところから、運動を出発させてしまっているから、
その認めた通りの現象がこれからどんどんあらわれてきてしまうのだと思うのです。

よくこういうと、雅春先生も人類が苦しんでいる姿(現象)をみて人類光明化運動を始められたという方がいらっしゃいますが、
これは、復興Gさまもおっしゃっていましたが、まったく違うと思います。

雅春先生には最初に、完全円満な「実相世界のお悟り」があったのです。
そのお悟りの心(明るい歓びの心)を人類に伝え、地上天国を実現したいという使命感から立たれたのです。

雅宣先生の運動とは全く違うとわたしは思っています。

5040曳馬野:2015/01/12(月) 13:04:24 ID:???
 本当に、その通りです。しかも、なりすましをするような人が
青年会の先達を自称するのですから、驚いています。

訊け本人が何も言わないうちからなりすましだと判断し、削除と云いだすこの不思議さ驚き桃の木山椒の木

トキ=訊け なんかな そして教団の大幹部

5047a hope:2015/01/12(月) 15:38:54 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第15巻 p123 後から4行目〜

谷口――わたしは誌友の方に、推しつけがましいことをいっさいしようとは思っていません。「生長の家」は誌友が助かるために出現したのであって、わたしの生活費が助かるために出現したのではないのですから、誌友が自分で進んで聖典を欲しいと申し込まれるのでなければ送ろうとは思いません。

そうでないと義理に縛られて聖典をとるというようになられると「生長の家」で説く道が立たなくなるのです。誰かのためになるということが、そのためになったことをいいがかりにして、あとでその恩義でその人を縛るようなことにでもなると、始めからその人のために尽くさずにいればよかったということにもなるのです。

「生長の家」の生きる道は、人間を縛る道ではなくて、いろいろのものから縛られているその縛りからその人間を解放する道なんです。医学や衛生に縛られている人なら医薬や衛生から解放する、人相や家相に縛られている人なら人相や家相から解放する、因縁に縛られている人なら、その因縁から解放する。職業に縛られている人なら、その職業を乗り越えてなお生きる道があることを示す。

こういうように人間の生命を縛っているあらゆる束縛を解き放って「生命」本来の自由さを奪還させるのが「生長の家」の道なのですから、「生長の家」が誌友に対して少しでも押しつけがましいことをすれば、たとい聖典の売れ行きはよくなり、経済的に、「生長の家」が大きくなっても「生長の家」の道が立たなくなるのです。

5048a hope:2015/01/12(月) 15:40:56 ID:cEpBaIdo

>>5042 a hope所感)

この第四章の対談も、まだ、雅春先生がバキュームオイルカンパニーでお仕事をされながら、「生長の家」誌を発行されていた時のようです。
野田氏(第三章に出てこられた野田氏と同一人物でしょうか?)が雅春先生に、今の仕事をやめて「真理」の執筆に専念した方が、
「生長の家」も発展するし、「生長の家」の生き方にかなっているのではないかと、提案されています。

何年か後には雅春先生はそうされたようですが、当時はその提案を否定され、

<<人間の生命の偉大さは、その仕事の形の大いさで計られるべきものではないのです。欧州全土を征服したナポレオンの事業よりも、本間俊平氏が困れる人に与えた一足の草鞋(わらじ)の方が尊いのです。>>p138 後から8行目〜

といわれ、ナポレオンも偉大だけれども、それよりも、キリストが『兄弟のいと小さき者になせる愛の行為はわれにしたのと同じことである』
と言われたように、本間俊平氏のごとく今の自分にできることをして、目の前の困った人を助けることこそ、
神の御心にあった生き方であると教えてくださっています。

[
「生長の家」の信仰の基本ですね!

5059a hope:2015/01/12(月) 17:13:52 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p140 5行目〜

谷口―― 
(略)
「生長の家」の生活が我の生活ならわたしの定めたように進んでも行きますが、聖意(みこころ)を行わんがために出現した生活であるこの生活は神のみこころに従って千変万化するほかはありません。

我で貫きとおす自信と、大生命にバックされて大生命の流るるままに動く自信とがあります。ナポレオンの自信が前者ならば、「生長の家」の自信は後者です。

時が来ればわたしは会社員生活を止(よ)すことにもなるでしょう。また止さないかもしれません。いずれにせよ、それは雑誌を大きくするという野心のためにするのでは普通の雑誌業者になってしまいます。

わたしが今会社員でいるのは、人類全体が今はまだわたしに普通の会社員生活をしながらでも、自分も生き、人も助け、万人に光を与える生活ができるという範例を示してくれと望んでいるからです。

もうそんな範例は十分見せてもらったから、今度は会社員でない生活も見せて欲しいという人類の声がより多くなってくれば自然に神催(かんもよお)しでわたしの生活は変わってくるのです。それは自然に神催しにです。「我」で変えるのではないのです。

「生命」はどういう形でいけねばならぬということはない。大生命に押し流されて生きる時最も自由なのです。形の方は「執して執せず」です。形というものは影であるから執する必要はないのです。「生命」が主です。「生命」さえわれかくのごとくして生きるという筋道が立っているなら、形は千変万化してもよいのです。

その反対に形は一つを貫いていても、形を維持することに「生命」の方が支配されていてはその人の生活は生きたものではありません。そうかといって形の方をむやみにやり方を始終変えてゆくのかというとそうでもないのです。しっかりと自分の魂の底に死んでも死なない生きとおしの生命が自覚されてきますと、自然に時に応じた最も適当な生き方ができてくるのです。

「我」の力で焦る生活、力む生活、こうでなければならぬと形を極(き)めすぎた生活は、ある時期は大いに生長してもやがては行き詰まるのです。幸いにして、その人が死ぬ瞬間までは行き詰まらないにしても、そのいよいよの瞬間には行き詰る。ナポレオンも行き詰り、豊臣秀吉も行き詰ったのです。いわんや雑誌経営の夢は捨てなければならないでしょう。われわれは死の時になってさえも行き詰らない生活をしなければならないのです。

形には執して執さず、ただわれわれの「本当の生命」が影を映して進む生活なら、死んでさえも行き詰らないのです。

5064a hope:2015/01/12(月) 17:17:23 ID:cEpBaIdo

>>5059 a hope所感)

「生長の家」の生活は、神催しの生活で自由自在なのですね。

<<「我」の力で焦る生活、力む生活、こうでなければならぬと形を極(き)めすぎた生活は、ある時期は大いに生長してもやがては行き詰まるのです。>>

『都会ではいけない、森でなければいけない』って本当に「生長の家」の生活でしょうか?

5067a hope:2015/01/12(月) 17:18:31 ID:cEpBaIdo

閲覧者のみなさま

わたしの雅宣先生批判などの投稿が気持ち悪ったら、読まないようにしてくださいね。
身体によくないですから・・・

ところで、今までずっと観察してきましたが、わたしが、聖典の真理に照らし合わせて雅宣先生の教えを批判すると、
曳馬野さまが激しいアラシを開始されるようです。
(わたしの思い違いならごめんなさい)

曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまにソックリですね。

5077神の子さん:2015/01/12(月) 17:33:03 ID:3/GnsEUs
これほどしつこく妨害する曵馬野さんは
この掲示板に素晴らしい投稿があると認めているんですね。

5078a hope:2015/01/12(月) 17:35:12 ID:cEpBaIdo

トキさま

いつも、お世話になっています。
わたしは、曳馬野さま(「訊」さまを名乗る)から何を言われても大丈夫ですので、
ご心配なさらないでくださいね。

まだ、どれだけアラシが続くかわかりませんので、削除は明日にでもまとめてしてください。

トキさまの優しい心遣いには、いつも心から感謝しています。 合掌。

5099a hope:2015/01/13(火) 08:20:40 ID:cEpBaIdo

>>5067 訂正

曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまにソックリですね。
     ↓
曳馬野さまって、初心者さまやさくらさまとされることがソックリですね。


誤解を招く発言をし、申し訳ありませんでした。
わたしは、曳馬野さま=初心者さま=さくらさま だとは思っていません。
ただ、お三方とも、聖典「生命の實相」の真理が蘇ると都合が悪いお立場にいる方なのかもしれませんね。

5103a hope:2015/01/13(火) 21:01:02 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p147 3行目〜

肉体の年齢は仮の年齢であって、本当の年齢ではない。本当の人間の年齢はその霊魂の年齢である。霊魂の年齢とは、どれだけその人間が真理を悟ったか、「実相の人間」に近づいたかということで定(き)まるのです。

5104a hope:2015/01/13(火) 21:04:05 ID:cEpBaIdo

>>5103 a hope所感)

以前、このweb誌友会で霊界篇をお勉強しているときに、
神の子さんが小林春恵先生の「わが信仰の旅路」を紹介してくださいました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/3670

その時は、トキさんや志恩さんもいろいろ春恵先生のお話を紹介してくださったりしたので、
わたしも興味をもったので、「わが信仰の旅路」を拝読してみました。

そして、衝撃を受けました!
なんと、春恵先生は、20歳年下の小林昭三氏と結婚されたのですよね!!

当時、そういうことは珍しいことだったと思いますが、
「生長の家の教え」では『肉体の年齢は仮年齢であって本当の年齢ではない』とありますから、
春恵先生も、昭三氏もその真理をよく悟られていたのでしょうね。

また、この第5章には、楠野という青年が登場して、自分の恋愛問題を雅春先生に相談しています。

当時の「恋愛」は当事者同士の問題にとどまらず、家族、親せき、霊学者なんかまでも関わってきていて、
なんだか大変そうです(;´∀`)

今の日本では、不倫や離婚があたりまえのようになってしまっていますが、この章を拝読していると、
当時は、今ほど恋愛の自由がなかったかもしれませんが、
現代よりも、もっとずっと純真な美しい恋愛をする人が多かったのではないかと感じます。

5106神の子さん:2015/01/14(水) 00:15:53 ID:???

1908 :神の子さん :2015/01/13(火) 23:46:42 ID:???
>>1905 レイさん  くだらんレスするな。汚物は消毒だ〜!

管理人を真っ先に消毒しなければなりません。なりすましはいかんと速攻消毒にかかった管理人でありましたが、


1901 :トキ :2015/01/12(月) 12:41:18 ID:A3MA1f1M
>>1900  曳馬野 様  あらあら、とうとう、うのはな様まで攻撃の対象にしましたか。うのはな様、味方と思っていた曳馬野 様が裏切りました。  の投稿に対して何もしない。

一日半何もしないと云うことは、なりすましではないと云うことになります。となりますと独占版でうのはなさんが、この一連のやり取りについて正しく読んでおられる。
管理人は簡単な内容を敢えて、『裏切りました』という言葉を使うことで、荒れる版にしようと自らしたことになります。管理人の価値が全くないと云うことになります。また

>>1901の投稿者「トキ」なるものがナリスマシであるならば、消毒の措置に出るのが管理人の一貫性から当然であります。然るに削除の行為はしない。ナリスマシを肯定している。

どちらにしても版が荒れればよいと云う行動をトキ管理人自ら採っているのです。

こんな管理人に護ってもらいながら投稿したい、いくら気取っても腹の中は詮索好きの、人を軽蔑する傲慢な人間、a hopeさん

5107a hope:2015/01/14(水) 09:26:34 ID:cEpBaIdo

>>5105 曳馬野さま

わたしが詮索好きだと見抜かれたようなので、それならば、正々堂々と反論させていただきます。

本当に雅宣先生が「生長の家」の教えを正しく法燈継承されていて、
教えの神髄を変えることなく時代に合わせて説いていらっしゃるのであれば、
わたしのこの掲示板での雅宣先生の教えへの「批判」など、なんの影響力ももたないと思います。

曳馬野さまや初心者さまやさくらさまは、雅宣先生の教えが、
本来の「生長の家」の『光明思想』とは真逆の『暗黒思想』であるとわかっていて、
敢えて援護されているのではないですか?

その目的は何ですか?

5110a hope:2015/01/14(水) 21:57:08 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第1巻 p152

「言葉」でこの世界に健康を満たせば、この世界の人類が健康になる。「言葉」でこの世界に光明を満たせばこの世界が光明化される。「生長の家」は実にこの「言葉の力」によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化せんがための「神の国運動」であって、「生長の家」の発行部数がふえるほど、この世界に「善き言葉の力」がふえることになる。

「善き言葉の力」がふえればそれだけ人間の心が光明化し、地上に浮動している人間の「想念波動」が光明化し、いっさいの現実的悪の種子(たね)が浄められ、キリスト教でいえばキリストの再臨、仏教でいえば弥勒菩薩下生、すなわち地上天国建設の時期が早まることになるのであります。


こうして「コトバの力」の見地から考えてみますときには「生長の家」のコトバの力によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化しようという運動に相反して、いかにこの世界にはコトバの力によって人類を不健康化し、不幸化し、暗黒化そうという運動が多いことでしょう。

毎日日本国中に合計なん百万なん千万という発行部数をもったジャーナリズムは皆いちようにこの人類生活不健康化、不幸化の運動に味方しているようにみえる。全世界でいうときは十数億の発行部数に達するジャーナリズムが毎日コトバの力で人類生活を不健康にするための印刷物をバラまいていることになる。

新聞紙の大半は栄養剤と薬との広告で埋まっている。その広告は「おまえたち物質で造られた人間よ、おまえたちはこの薬を飲まないと治らないぞ」「この栄養剤を飲まないと健康になれないぞ」とおどしつけている。

これは新聞が広告料という金のために牽制されて「悪しき言葉」の力の宣伝に利用されているからであって、こんな広告を読めば読むほど、われわれ人間が神の子だという信念、物質ではなくて生命であるという信念が失われて、人間は物質であるから永久に薬物の奴隷として永久にその前にひざまずくべきものなりとの烙印を押されることになるのであります。

5111a hope:2015/01/14(水) 21:58:58 ID:cEpBaIdo

>>5110 a hopeまとめ)

「コトバの力」の見地から考えてみる『光明化運動』と『暗黒化運動』

『光明化運動』――「生長の家」のコトバの力によって人類生活を健康化し、幸福化し、光明化しようという運動

『暗黒化運動』――『おまえたち物質で造られた人間よ』という「悪しき言葉」の力によって人類を不健康化し、不幸化し、暗黒化そうという運動


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