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Web誌友会 板/2

1576髪の子:2013/06/01(土) 08:16:40 ID:0ZjosHJM

皆様ありがとうございます。
皆様の意見を聞かせてもらいながら、大変勉強になります。
感想を述べさせてもらいます。

生長の家は「ねばならない」をとく教えだと言われます。
確か、雅春先生はどこかのご著書で、真理にさえもひっかかるなというお言葉を拝見した記憶ございます。

「ねばならない」は「生きるぞ」と力み込んでいるように思います。
「ねばならない」の気持ちから解放される時「生かされている」の心境に思います。しかし雅春先生は「真理」としてお説き下さったときには、ねばならないの表現はあった気もします。

「宇宙の大生命の生きる力に任せて生かされよう…。朝が来たらご飯を食べよう。人前でおならをしたら、謝ろう。人間死なしというけど、やはり亡くなってその人に会えないのは寂しいよ」など、そういう自然に発する思いや、自らの行動も、そのままの心なのかな…。
もし、そこで間違いというか、秩序に反する事があれば、必ず修正の機会が来るようにも思います。

1577髪の子:2013/06/01(土) 08:33:48 ID:ZTt15T/6

参考までにお伝えします。
光明掲示板で「そのままの心」と入力検索してみてください。
童子様、マリーゴールド様、コスモス様が雅春先生のご著書を謹写されている「そのままの心」に関するご文章が出て参ります。

1578志恩:2013/06/01(土) 13:42:34 ID:.QY5jUA6
>>1577:髪の子様、

早速、光明掲示板の方で、「そのままの心」、検索してみましたら、載っていました。感謝。
只今、このWEB誌友会板では、【そのままの心】とは、についてでディスカッションの最中ですので、
そのところを重点的に、転載させて頂くことに致しました。
-------------------------------------------------------------

  ☆ そのままの心 ☆ について〜

光明掲示板より

十月十日 【そのままの心に成る日】 (本日午後一時より小倉市堺町国民学校にて白鳩会) (2280)

日時:2012年10月07日 (日)

名前:童子

 ‘そのまま’の心とは、天地は本体『一』であるから、天地一切と調和ちたる心である。

人は生れたるままの心 ―― 即ち『實相の心』 ―― になることが必要である。

      ‘そのまま’が天衣無縫である。どこにも隙がないのである。

      天衣無縫が無敵であり、うまれたる侭さながらである。

『無敵の用(はたらき)は生れながらにして其形像幼童の如し』ともあり、『平法は温和にして心広し。故に無敵にして其体豊か也』とも『無敵の体は広大也。
 天地の万物を包括せるが如し』ともある。

 ひろびろと‘そのまま’の心になる時、天地は‘わがもの’。‘わがもの’となる時、もう何処にも敵がないのである。


 『敵と成る者山河を動かすとも、我が心体の裏にして、何ぞ外に向って敵として戦ふべきか』と云う山内翁の語(ことば)に至っては、
 実に、天地は‘わがもの’ ―― の自覚あってのみ云い得ることである。

 この点、宮本武蔵の『五輪書』などに、敵に対する技巧について細々と書いてあるのに比較して、山内蓮心翁の『平法』の方が偉大であるとも云える。

 宮本武蔵は敵に勝つことに心逸った趣があったが、山内蓮心は敵無きことをその極致としたのである。
敵は外部にあらわれて『山河大地を動かす』とも、その姿は外にあらずしてわが心内の姿の映像とせるところ、

また先ず内の敵を斬ることを先にして、『何ぞ外に向って敵として戦ふべけんや』を後にせる素晴らしい心境である。

1579志恩:2013/06/01(土) 13:46:47 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より ☆そのままの心☆ について

日時:2013年05月24日 (金) 08時57分
名前:童子

    生長の家信徒行持要目

 (前略)

 ニ. そのままの心を大切にすべし。

  そのままは零なり、一切なり、
○(まる)なり、円満なり、無礙なり、無限供給なり、調和なり、病なきなり、
一切の不幸、災厄、病難は‘そのまま’を外したるときあらわれるなり、

 顧みてそのままの心に復(かえ)るとき、一切の不幸は滅す。

 (後略)

1580志恩:2013/06/01(土) 13:53:21 ID:.QY5jUA6
そのほか、
マリーゴールド様、コスモス様も 
☆ そのままの心 ☆ についての謹写を
されておられますが、長文ですので、以下のスレッドをご覧下さいませ。

光明掲示板より
「そのままの心」に関する投稿文が 多く掲載されているスレッド
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou

1581志恩:2013/06/01(土) 14:06:13 ID:.QY5jUA6
1580に、【そのままの心】スレッドは、載せられませんでした。
で、つづきは、
長文ですので、聖典引用板のほうへ、載せさせていただきます。

1582志恩:2013/06/01(土) 14:33:23 ID:.QY5jUA6
ahopeさま
1574:『そのままのでいい』 a hopeさまの見解


>>神の心=大和精神=愛
『そのままでいい』=『神の心のままでいい』ということになると思います。<<

簡潔に平易な言い方をすれば、これでしょうけれど、
そのまま=神の心のまま

が、自分では 神の心のまま のつもりが、我の心になってみたり……
人間は、日々、学びながら生きているのですよね。

1583髪の子:2013/06/01(土) 19:18:52 ID:ZAz7ASpg

志恩様、「そのままの心」に関する聖典の転載くださりありがとうございました。

第二青年の書P163の「人生の目的と、神の愛を生きるには」の項にも、''そのままの心''に関するご文章がございます。
御本をお持ちでない方は、「生長の家本流復活青年掲示板」に、さくらふぶき様が、謹写されてくださっています。第十三章にございます。

その後、同書P194の第十五章を拝読戴けましたら、「そのままの心」は日本精神であることに悦び溢れることと思います。
そのままの心について語りあえることは、私たちの日本人としての遺伝子にあるから、だからこそなのですね。

ahope様が>>1574で最後にお尋ねなられてますが、私的には、そのままの心に近づく為でなく、既にある、そのままの精神を自覚すると申しますか、顕現する為に、神想観や聖典拝読を行っていくのだと思いました。

1584髪の子:2013/06/01(土) 19:48:13 ID:dwuUzalc

生長の家本流復活青年掲示板

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&mode=res&log=61

1585ユタカ:2013/06/01(土) 22:21:56 ID:R1D4Jmeg
みなさま、ありがとうございます。
ゆっくり読み返しさせていただきました。皆様が真理の研鑽をされている中に私は感想になってしまうかもしれません、それなのに、すみません・・・発言させて下さい。

外では裁判で、なんやかやと大騒ぎしている中で、このWEB誌友会板で皆さまが真面目に真理に向き合いながらその一つ一つに真剣な気持ちがこめられていることが伝わって来て、非常に感動し、涙が出そうになるのを我慢しました。
こういう時期に、皆様が「谷口雅春先生の御教えの生長の家」を愛し、仲良く研鑽されているお姿が尊くて神様に見えました、その感動に『そのままの心』を実感した気になりました。

そして、私自身も皆様と同じ一つの生命の中にいて生かされている一体感でいっぱいになり、「そのままのこころ」とは、
神様の御心、 神はすべてのすべて 神のほかにあるものなし との言葉が心に浮かんで自分の中でそのように感動しながら納得しました。

ここにいらっしゃるすべての皆様の真理を研鑽なさる尊いお姿が、神様そのものに見えて・・・
皆様の存在自身が『そのままの心』と思いました。

そのままのこころ=神さま=すべてのすべて とユタカはこのようになりました。


以上が今の感動を速報する素直なそのままの感想です。

そして、信徒同志は神の子を磨くために手に手をとり仲良く向上していくことが生長の家の信徒となり、自分が変われば世界が変わる。信徒同志が仲良くして生長の家を勉強しそれを生き抜くときそこに道が出来てゆくことを信じます。

1586ユタカ:2013/06/01(土) 22:50:18 ID:R1D4Jmeg
そして、「そのままの心」は血液の中に白血球を創り、本来はない病菌が迷いによって仮の姿を現したとしても対応できるように準備している偉大なる神様の御計らいを考えると、

実相世界に戦争はありませんが、人類全体の映しこの世で、尖閣諸島問題や著作権問題などは「そのままのこころ」で適当な対応が必要です、とこう思います。

1587人気店:2013/06/01(土) 22:54:22 ID:kMrMC83s
人気店
商品は長期にわたり更新します
新型は途切れません
多く見学してか下さい
入ります:
◆★担当者:川古琴心
◆★連絡先:brandvbag@gmail.com
◆★当社URL:http://www.brand-vbag.com
http://www.bag-better.com
http://www.brand-cuco.com

1588志恩:2013/06/02(日) 00:22:11 ID:.QY5jUA6
髪の子様

あれこれと家事に忙しく、PC の前になかなか座れずにおりまして
お礼の言葉が遅くなりましたが、
さくらふぶき様が謹写されました「そのままのこころ」に関するスレッドを
ご紹介下さって、ありがとうございました。

聖典板の方へ掲載させて頂きました。

この生長の家本流復活青年掲示板に、「第二青年の書」をまるまる1冊分を謹写された 
さくらふぶき様も
たしか、髪の子様なのでしたよね。ほんとうに、あなたさまは、貴いことをされ続けていらして、
頭がさがります。心から尊敬いたしております。ありがとうございます。

1589ユタカ:2013/06/02(日) 00:32:05 ID:R1D4Jmeg
トキ様 復興G様 元本部職員D様 訊け様 志恩様 こんにちは様 a hope様 髪の子様 goro様 神の子様 解説者様
あさひ様 ありがとう様 SAKURA様 さくら様 皆々様(WEB板でユタカが帰ってきてから話した方々です、その前やもれてしまい書いていなかった方がいたらごめんなさい!)

読み返すとまた感動して、今は近くに人がいないので泣いてしまいます。皆々さま、本当にお世話になります、合掌、有難うございます。

>>「現象はない、実相においてはすべてが一体で、すべてが自分自身なのだから、自由自在に、なんにも引っかかることなく、平常の心で、内からわき起こる思いのままが“そのまま”の心、実相の心なのだ。

まさに、「そのままの心」は「そのままの心」で、自由自在な自発の心である、と私は思っています。


復興G様、いつもいつも正しく深く的確な素晴らしいご指導をありがとうございます。こんにちはさま、ご解説をありがとうございます。「そのままのこころ」のところより前にいらした元本部職員D様、分かりやすく、丁寧に教えてくださいました、ありがとうございます。
志恩様、資料をあちらこちらから集めてたり、活発なご意見を沢山下さったり、お世話くださり有難うございます。 a hope様いつも話題の提供と勉強会のおつきあいをありがとうございます、ご回答にも勉強させていただいております。 髪の子様 活発で親切で自由自在なご発言に感謝しています、ありがとうございます。あさひさま、ありがとうございます。神の子さまありがとうございます。ありがとうさまありがとうございます。SAKURAさまありがとうございます。さくらさまありがとうございます。
最後になりましたが、トキさま、心から感謝します、ありがとうございます。。。

WEB板の皆々様、これまで、返信しないで、すごいスピードで前進して失礼の段、お詫びいたします。申し訳ございませんでした。
これからも、よろしくお願いいたします。 また、もれていらっしゃるかたがいましたら、再度お詫びいたします。

1590ユタカ:2013/06/02(日) 01:05:45 ID:R1D4Jmeg
感動したので、ここにも転載させて下さい。 ルール違反?

>2336 :志恩:2013/06/01(土) 21:51:08 ID:.QY5jUA6
本流青年掲示板より
 「そのままの心」について〜

第十三章  青年と真理を語る  (2) (394)
日時:2011年08月14日 (日) 21時28分
名前:さくらふぶき

 人生の目的と、神の愛を生きるには

 岩間 人生の目的というのがよくわからないんでお訊きしたいんです。

 愛行そのものを人生の目的として愛念を実行すること、それから神様と一体となる、そういうような実感を得るのを人生の目的とするかということ、
 そういうことでいろいろ悩んでいるんですけど。
 それでどうも生活がちぐはぐになっていくのを引きしめるために、どういうふうにして目的をたてていくかということをお聞きしたいのです。

 谷口 人生の目的という問題は、いつも講習会で一日の講義の課題になっておるのでありまして、それを唯今の短時間で全部話すということは、
ちょっと難しいんでありますけれども、
大体もう予備知識もある方だと思いますから簡単にいいますと、人間は神様の自己実現であり、
しかも最高の自己実現として、万物の霊長として現れているのであります。

 そこでその神というのはいかなるものかというと、「神は愛なり」とキリスト教ではいいますし、仏教では仏心とは大慈悲心だともいいます。
 その大慈悲心そのものの顕れが観世音菩薩であるといわれているのであります。
 だからキリスト教でも仏教でも慈悲とか愛とかいわれるのが仏様や神様の内容を為しておると見ていい訳であります。

 それで神の愛を人間が実現するということは、人間が地上に顕れたところの究極の目的であるといえます。
 愛を本当に実現し得た時に、人間は本当に深い喜びを感ずることが出来るのはそのためであります。

 そこで愛を実現するには、どうしたらいいかということになるのでありますが、
 これは趙州和尚が「平常心是道」と言ったように、先ず第一、平常の心――そのままの心――を大切にすべしというのが、

 あの生長の家の信徒行持要目に書いてありますが、「そのままの心」というのになることです。
「そのままの心」です。「そのままの心」というのは〇(ゼロ)の心であって、〇(ゼロ)っていうのは一体何かというと、我というものが無い心です。

 我というものは一種の個人主義を持っています。そして肉体的な性格を持っているのであってその自己中心的な性格を一遍精算してしまって、
 これから必ず人の為にだけなることを実行致しましょうというように大決心をすることです。

 その大決心によって「自己中心的」な自分というものを自己抛棄し、捨て去って、そこから自然に動き出してくるのが「
 本当の平常心」「そのままの心」ですね。

 自己愛や利己心もそのままにあるのが、「そのままでいいんだ」と、

 そういう「そのままの心」じゃなくって一遍「ニセモノの自分」を捨ててホンモノの「そのままの心」ですね。

 そのまま自我の我というものがなくなって、〇(ゼロ)になったときの「そのままの心」です。

 無我になると、そうすると物事がなんでもスラスラといくようになるのです。
 なんでも我というものがあるとスラスラといかない。
 自分の「我」の形に引っかかるわけです。

 そして周囲が「我」の形にぴったりと添うてくれなかったら、摩擦がおこってうまくいかない、
 つまりチグハグになるのだから自分というものをまず〇(ゼロ)にするんですね。       つづく

1591ユタカ:2013/06/02(日) 01:07:59 ID:R1D4Jmeg
続き

>2337 :志恩:2013/06/01(土) 21:55:49 ID:.QY5jUA6
 (つづき)

   大体人間が神の自己実現として、神をこの世の中に実現するには、二つの方法がある。

 一つは、自分が〇(ゼロ)になって神様に全部無条件降伏をすることなんです。
 そうすると、その自分の我が無条件降伏したら、自分というものがなくなって、神様がそこに顕れて、

 神様が「本当の自分」だから、それで「自分がやること」が即ち「神のやること」であるということになるのです。


 もうひとつのやり方は、自分というものをできるだけ拡大すること。
 「自己拡大」を徹底的にやるのであって、それは自分は「神の子」であるということを一心に念じて、

 常に「自分はここに神が生きているのである」という念を、ふだんも常に念々持続して絶やさないように精進努力をして、
 そして神想観を一所懸命に励んで、そして自分の努力によって、自己の自覚を拡大してゆく、今日は昨日よりも拡大し、

 明日は今日より、あさっては明日よりも拡大してですね。
 毎日毎日神想観を励んで、われ神の子なりの自覚を一層深めていくというその修業によって、自分が拡大されて、

 ついに神と同じような偉大な生活に入っていくというわけで、その自分で努力して一所懸命にやっていくのが、
 いわゆる自力門とか聖道門とかいわれるのであって、よほどの大努力を要するわけなんです。

 もっとも第一の「自己抛棄」の方も「抛棄する努力」はいるけでども、
 とも角それは現象の自分の現在というものがほんとうに見苦しいものだ、こんなにきたない、無力なものであると気がついて、

 自分では努力しても甲斐がないというので、へりくだりの心を起してすっかり自分の「我」というようなものを捨てて、
 “神様どうでもして下さい、神様のせよとおっしゃることを、なんでも素直に致します”というので、それに無条件降伏するんです。

 即ち、神のとりこになる。神の捕虜になってしまうのです。
 神の捕虜になったら反抗するわけにはいかんのであって、神様がするとおりにさせられるということになって、
 ここにはじめて「自分の置換」というものが他動的に行われるということになるんです。

 まあその二つの他力的方法か、自力的方法か、
 どちらかによって自分というものを自己抛棄して他力的に乗托して自分というものをおきかえるか、

 自己拡大してついに神に達するかによって、
 自分というものが「ここに神が生きておる」という大自覚のところへ入っていくのでありますね。

 他力的方法も自力的方法も、いずれも兎も角、現在の不完全な自分は否定しなければならぬ。

 そして「神が自分に生きている。神は愛である」ということがわかってくると、
 それが実際に生活に実現してくるのでありまして、それがなお、いろいろと摩擦があったり、さわりがあったりするのは、
 まだその自覚に到達しないのであるから、そこのところをよく反省して、自分を捨てるか、

 それとも自己拡大するか、まあ自分の生まれつきの性格に従って、どちらでも選んで、そして精進努力して行かれれば、
 やがて、本当に神を自己の内に自覚せられる時が来るにちがいありません。

1592志恩:2013/06/02(日) 01:21:25 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

「そのままの心」についての感想を書いて下さいまして,ありがとうございます。

>>そして、私自身も皆様と同じ一つの生命の中にいて生かされている一体感でいっぱいになり、「そのままのこころ」とは、
神様の御心、 神はすべてのすべて 神のほかにあるものなし との言葉が心に浮かんで自分の中でそのように感動しながら納得しました。

ここにいらっしゃるすべての皆様の真理を研鑽なさる尊いお姿が、神様そのものに見えて・・・
皆様の存在自身が『そのままの心』と思いました。

そのままのこころ=神さま=すべてのすべて とユタカはこのようになりました。

そして、「そのままの心」は血液の中に白血球を創り、
本来はない病菌が迷いによって仮の姿を現したとしても対応できるように準備している偉大なる神様の御計らいを考えると、

実相世界に戦争はありませんが、人類全体の映しこの世で、尖閣諸島問題や著作権問題などは「そのままのこころ」で適当な対応が必要です、
とこう思います。>>

ユタカ様は、私達1人ひとりを、いつも神の子と礼拝して下さって、元気を頂ける言葉で励まして下さるので、大変、ありがたく
幸せな気持ちにならせて頂けます。

私は「そのままの心」で心に浮かぶのは、義母と実母のふたりのことなんです。
ふたりとも、毎朝、甘露の法雨読誦と神想観を欠かしたことはないのですが、それだけでなく、24時間、神想観…

口を開けば「かみさま、かみさま」が口ぐせで、肉じゃが1つこしらえる時でさえ、「かみさま〜っ、美味しくできますようにぃ〜♫」
と言ってました。(義母は亡くなり,実母は生存中)

私も、それは見習って、生きております。

1593復興G:2013/06/02(日) 05:14:35 ID:AB6RqYXc

合掌 ありがとうございます。

ユタカさんの素直な清らかな心に感動しています。

「そのまま」の「そ」は「素」であり「もと」であり「一」であり、神である。

だから、「そのまま」は「神のまま」であり、構えない、対立しない、空っぽの心である。
それが大和精神であり、愛の心、大調和のこころである。

そう思いました。ありがとうございます。

1594髪の子:2013/06/02(日) 12:23:15 ID:GpLjp1XI

>>1588

志恩様、聖典板にも、さくらふぶき様の謹写の転載をありがとうございます。そして、さくらふぶき様のご愛念に感謝申し上げます。

私は、さくらふぶき様ではございません。
谷口雅春先生を心から感謝尊敬申し上げ、様々な掲示板を閲覧勉強させて貰っている1信徒です。昨日、第二青年の書を拝読しておりましたら、「そのままの心」に関するご文章を目にしまして、こちらの掲示板でお伝えしたいと思った次第です。

志恩様、いつもありがとうございます。

ユタカ様、ユタカ様のお優しい気持ちに感謝申し上げます。
皆々様、ありがとうございます。

1595志恩:2013/06/02(日) 12:42:08 ID:.QY5jUA6
髪の子様

そうですか。髪の子様は、さくらふぶき様ではいらっしゃらないのですか。
それは、失礼しました。

以前に、みすはなまる様というお方がいらして、他にも、みすまる様というお方が、いらして、
どちらのお方だったか、
マリーゴールド様、さくらふぶき様 つながりのことを話して下さったことがあるのですが、

似た様なお名前の方々が多々ありましたので、混ざっているのだと思います。
それでなくとも、私は、そそっかしい性格のところが、ありまして、、

これは、いいわけですけれど…(笑)間違えてすみません。

それにしましても、
髪の子様は、ものすごく記憶力がいいお方でいらっしゃいますねぇ。

どこに書いてあったのか、ピンポイントで探し出せるのですから、おどろきですよ。
また、いろいろと、教えてくださいますように、ありがとうございます。
今後も よろしくお願いします。

1596ユタカ:2013/06/02(日) 17:36:01 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、みなさま、
昨日は突然、感謝の心で一杯になってしまいました。。失礼しました。

>「そのまま」の「そ」は「素」であり「もと」であり「一」であり、神である。

だから、「そのまま」は「神のまま」であり、構えない、対立しない、空っぽの心である。
それが大和精神であり、愛の心、大調和のこころである。


復興Gさま、逸脱したので軌道修正をありがとうございました。
復興Gさまのお書き下さいました沢山の資料からの御愛念が放出されていて・・・涙が出てしまいました。

さてと・・・今週は待ちに待った、復興G様のWEB誌友会があります。

復興Gさま、予習箇所、本などありましたら、お書きください。各自で予習出来ればありがたいです。

1597a hope:2013/06/02(日) 19:00:56 ID:edEDolt2

みなさま、ありがとうございます。合掌。

わたしは、>>1598のユタカさまのコメント中の「有難うございます」「ありがとうございます」という言葉から、
ユタカさまの真(まこと)の心=神の心を感じさせていただきました。

「生長の家」では、相手に合掌して「有難うございます」というのが挨拶がわりに言われてていますが、
わたしは、教団の信徒だったころは、自分の気持ちに、相手に対する感謝の気持ちが少しもないのに、
簡単に「ありがとうございます」ということにとても抵抗がありました。

ですが今は違います。
ここで、たくさんの素晴らしい出会いをさせていただき、このような素晴らしい「真理」のお勉強をさせていただけることは、
本当に『有難い』(奇蹟のような出来事)なんですよね。
そう思うと、わたしもユタカさまのように、みなさまに、そして神さまに「有難うございます」「ありがとうございます」と
何度でも言いたくなります。

いつだったか、どなたかが(うのはなさま?)、『日本語の「ありがとう」意味、は英語の「Thank you」とは違う…』
というような文章を紹介してくださっていましたが、その本当の意味が今、やっとわかりました。

a hopeは、みなさまのペースにはついていけませんが、自分のペースで、しっかり勉強させていただいています。


今週末は、いよいよ、復興Gさまのご講話と、訊け管理人さまご司会のweb誌友会が開催されるのですね!


復興Gさま、訊けさま、トキさま、ユタカさま、

きっと、たくさんの閲覧者の方々が、心待ちにされていると思います。
わたしにも、何かお手伝いできることがありましたら、喜んでお手伝いさせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

感謝 合掌。

1598ユタカ:2013/06/03(月) 09:31:34 ID:R1D4Jmeg
a hope様 ありがとうございます。次回の誌友会の意気込みに、熱いものが伝わってきます!嬉しいです。 ありがとうございます。

今週は復興G様が担当されて、司会が訊け様だから、訊け氏と相談してお手伝いなさってください。(訊け氏が暴走したら止めると言うのもお仕事のうちでないですか?、だけど、訊け氏は絶対に人のいう事聞きません。。。薩摩男の代表です。暴走とは・・・野球で例えるなら、自分でプレイボール!と宣言して、すぐさまピッチャーやって、即バッター席に立ちヒットをとばして、あっという間にホームベースに帰ってくる人。ある意味スゴくてのびっくり仰天です。で、部外者と言いながら人3倍しっかり』勉強しているから、自分の大好きな先生の大量投稿で持論を述べるのを少量で勘弁してもらえるようにお願いすることもお手伝いのうちかも?周りが圧倒されて、読みこなすのが・・・。訊け様のおしゃべりは本当に上手でおもしろくて、素晴らしいのですが、講義は復興Gさまを中心に振って欲しいです。次回はよろしくお願いします。)
ユタカの場合は今まで自主勉強ですから次回は参加者になります。自主勉強の時は、大勢の人が助けてくれて、感謝、感激してます。ありがとうございます。
あと、a hopeさま、ユタカは40巻通読を目指しているので、週に2章は読みたいと思っています。ここで、いろいろ話題が出ていても、見えないところで読み進んでいきませんか?ってユタカは2章づつ読み進んでいます。
先週の土曜日まで 第3巻の 生命編生命の円相の真理(上) 第1章2章までを読んで、今週はWEB誌友会があるので生命編生命円相の真理(上)第3章だけを読みましょう。
次の週 6月10〜15日 の週は 第4章・第5章を読んで、次は第4巻をご用意ください。
通読していきましょう。 分からない箇所があれば、復興G様にご質問させていただけるチャンスがあるので、とてもラッキーですから、このチャンスを生かさないと勿体ないです!!

他では教えてもらえないので、まさに、ビックチャンスです!! 本当に有難い奇跡のような勿体ないことです。
とにかく、読み進んで、G様に、教えていただきましょう! 感謝、感謝。

復興G様、どうぞよろしくお願いします。。。ありがとうございます。合掌。

1599a hope:2013/06/03(月) 11:19:32 ID:edEDolt2
>>1598ユタカさま

ユタカさまって、ホント中性的な魅力のある素敵な方ですね。

ところでわたしも今回より、web誌友会の主導権を手放させていただき一参加者として参加させていただくつもりですが、
新しい形でのweb誌友会を提案させていただいたので、もう一度わたしの提案した形のweb誌友会を紹介させていただきながら、
第14回web誌友会の「予告」をさせていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

《第14回 web誌友会予告》

・前半 (司会 復興Gさま)
日時:6月7日(金)
内容:復興Gさまのご講話 質疑等


・後半 (司会 訊け管理人さま)
日時:6月8日(土)
内容:自由参加の誌友会

☆ ☆ ☆ ☆ ☆



前半の司会は復興Gさま 後半の司会は訊け管理人さまですから、
時間配分や内容等に関しましては各司会者さまにお任せする形でいいのではないかと思います。
ですから、具体的な時間や内容は、復興Gさまや訊け管理人さまが、加筆くださるとありがたいです。


お手伝いに関してのユタカさまの提案ですが、

<<訊け氏が暴走したら止めると言うのもお仕事のうちでないですか>>
<<自分の大好きな先生の大量投稿で持論を述べるのを少量で勘弁してもらえるようにお願いすることもお手伝いのうちかも?
周りが圧倒されて、読みこなすのが・・・。訊け様のおしゃべりは本当に上手でおもしろくて、素晴らしいのですが、
講義は復興Gさまを中心に振って欲しいです。次回はよろしくお願いします。>>

こちらのお手伝いに関してですが、了解しました!
今回は、講義(講話)と誌友会が前半・後半と別れていますから、講義は復興Gさまが中心でしてくださいます。
後半の誌友会に関しましてはわたし個人的には、閲覧者のみなさまが余裕をもってついていけて、
出来るだけたくさんの方が参加しやすいような話題を提供していただけるといいな〜と思っています。
訊け管理人さまは、とても頭よい方なので、きっと上手に司会をしてくださると信じています。


<<あと、a hopeさま、ユタカは40巻通読を目指しているので、週に2章は読みたいと思っています。ここで、いろいろ話題が出ていても、見えないところで読み進んでいきませんか?ってユタカは2章づつ読み進んでいます。
先週の土曜日まで 第3巻の 生命編生命の円相の真理(上) 第1章2章までを読んで、今週はWEB誌友会があるので生命編生命円相の真理(上)第3章だけを読みましょう。
次の週 6月10〜15日 の週は 第4章・第5章を読んで、次は第4巻をご用意ください。
通読していきましょう。 分からない箇所があれば、復興G様にご質問させていただけるチャンスがあるので、とてもラッキーですから、このチャンスを生かさないと勿体ないです!!>>


本当ですね!わたしも、ユタカさまのペースに合わせて、自主勉強を続けていきます。
ユタカさま、色々ありがとうございます。

これから、仕事です。
夜、また、戻りましたら、自主勉強の方の範囲の再確認させていただきます。

それでは、みなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

1600トキ:2013/06/03(月) 12:32:01 ID:sx0OB4XI
 誌友会、とても楽しみにしております。
復興G様、その他の皆様、よろしくお願い申し上げます。

1601ユタカ:2013/06/03(月) 12:33:43 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

はい、わかりました。 ahopeさまの提案素晴らしいですね、すでにそのように決定していたのに、余計なことを心配しすぎてすみませんでした。そして、人のこと言えないですね、ユタカが大暴走しちゃて・・・・ははは(笑)すみません・・・
そして、ありがとうございます。 新しいWEB誌友会をとても楽しみにしています。

よろしくお願いします。

1602復興G:2013/06/03(月) 18:50:57 ID:AB6RqYXc

ユタカ様、a hope様、トキ様、皆々様。

熱烈な 真理を求めるお心、ご愛念――すごいなと、感謝、感動措く能わずであります。

お返事おそくなって、たいへん失礼しました。

土日は私、リアルでの各種学習会や、人との面談などが次々にあり、そのことからまた新たに急いで行いたい仕事ができて、それに専念し失礼していました。

ユタカ様発議のWEB誌友会自主勉強会は、今まで数ヶ月なんとかやってたWEB誌友会とは見違えるように活発な勉強会で、私もたいへん啓発されました。

このまま、そういうのを続けられたらいいのではないか。
「訊け」どんが司会を引き受けてくれもうしたことでもあるし――あとはユタカさんと訊けどんに、やり方をお任せすればよいのではないか、という気もしていました。

しかし、a hope様が>>1599で書かれているように、

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
《第14回 web誌友会》
・前半 
日時:6月7日(金)
内容:復興Gの講話 質疑等(司会も復興G)
・後半 (司会 訊け管理人さま)
日時:6月8日(土)
内容:自由参加の誌友会
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

という提案があって、私がそれに同意していたということがありましたから、それはそれで実行すべきかと考えなおしてもいます。

その場合、テキストの範囲は、もう「神示」を2つずつというのではなく、神示のすべてと、第3巻「光明篇」全部(第1章〜第4章)にしたらよいと思います。
それですでに自主勉強会で予備学習済みですから、その蒸し返しではなく、新たな視点から、さらに生活・伝道に生かす研鑽をしたい。

今、『生命の實相』出版権をめぐる裁判に決着がついたので、そのことも無関係ではあり得ないでしょう。

「今こそ正念場」と私は>>1556に書いていましたが、この「正念場」において、観念論ではなく、どのように「正念」を顕して行くか。「今、起て!」と神は宣り給う。どのように起つか。

一人ひとりにその課題が突きつけられていると思います。
それを研鑽してまいりたいと思う次第です。

皆様、どうぞ第3巻95頁までをもう一度拝読しなおして、それをより具体的に、「そのままの心」をあらわにして真剣に語り合ってまいりましょう。

――と、ここまで書きましたら、それならもう「前半」の「復興Gの講話」は要らないのではないか。いきなり訊けさんの司会で「自由参加の誌友会」に入ったらいいのではないか、という内なる声が聞こえてまいりました。

どうしましょう。

1603復興G:2013/06/03(月) 19:24:14 ID:AB6RqYXc

>>1596でユタカ様が
>>さてと・・・今週は待ちに待った、復興G様のWEB誌友会があります。
復興Gさま、予習箇所、本などありましたら、お書きください。各自で予習出来ればありがたいです。<<

と書き込まれていました。

その予習箇所は、新たな箇所ではなく、自主勉強会の内容の総括を、みなさん各自でなさってみたらいかがでしょうか。

膨大な量の貴重な書き込みがあったわけですが、まだ不消化なところもありましょうから、いまいちど読み返して
(できればプリントアウトして重要と思われるところには赤線を引くなどして)
それに対する自分の考えを確立しておく。

私もこれから、それを行います。

そうして、それぞれの「総括」をぶつけ合えば、また何か
すごいものが生まれてくる可能性があるように思います。

1604a hope:2013/06/03(月) 23:27:44 ID:edEDolt2
ユタカさま

改めまして、>>1598のユタカさまの自主勉強会のご提案、大賛成です!

勝手にまとめさせていただきますと、

《ユタカさまの自主勉強の予定範囲》
6月3日(月)〜8日(土)第3巻の 生命編生命の円相の真理(上)第3章
6月10日(月)〜15日(土)第3巻の 生命編生命の円相の真理(上)第4章、5章
6月17日(月)〜22日(土)第4巻〜

このようになりますね!

わたしは、「生命の實相」は頭注版を40巻まで揃えてあります。
ですが、他にも、読んでいる本がたくさんあるので、今、「生命の實相」は第24巻で足踏み状態です。
わたしもいずれは全巻通読を目標にしてはいますが、「生命の實相」は、
ただ全巻読破すればいいというものではないと感じています。

昔は、第1巻を読むだけで、病気が治ってしまったり、人生が好転した人が続出したのですから、
その拝読の仕方や、心の持ち方に重要なポイントがあるのではないかと感じています。

先週の範囲からですが、わたしが赤線を引いた所を一部紹介させていただきます。
第3巻 生命編生命の円相の真理(上)第1章 p126 5行目〜

『聖典『生命の實相』や、月刊『生長の家』や諸種の小冊子を読んで、
それに書いてある真理を心のうちに飲んだ患者は、
物質的医学で治らなかった難病が、断然物質的治療法を無視して治っているのであります。
そしてまた、それに書いてある真理をよく理解した人が他の人に伝えてあげれば、
それだけで、物質的医学のもてあました病気が治っているのであります。…』

ここに、『真理を心のうちに飲んだ』や、『真理をよく理解した』という表現がありますが、
わたしは、そのような拝読の仕方を心がけていきたいと思っています。

1605a hope:2013/06/03(月) 23:30:00 ID:edEDolt2
>>1602 1603復興Gさま

<<その場合、テキストの範囲は、もう「神示」を2つずつというのではなく、神示のすべてと、第3巻「光明篇」全部(第1章〜第4章)にしたらよいと思います。
それですでに自主勉強会で予備学習済みですから、その蒸し返しではなく、新たな視点から、さらに生活・伝道に生かす研鑽をしたい。>>
<<皆様、どうぞ第3巻95頁までをもう一度拝読しなおして、それをより具体的に、「そのままの心」をあらわにして真剣に語り合ってまいりましょう。>>
<<その予習箇所は、新たな箇所ではなく、自主勉強会の内容の総括を、みなさん各自でなさってみたらいかがでしょうか。
膨大な量の貴重な書き込みがあったわけですが、まだ不消化なところもありましょうから、いまいちど読み返して
(できればプリントアウトして重要と思われるところには赤線を引くなどして)
それに対する自分の考えを確立しておく。>>

こちらの、復興Gさまのお言葉を a hope が要約させていただくと、

予習範囲:
①第3巻「光明篇」全部(第1章〜第4章)p95までを拝読しなおす。
②自主勉強会の内容の復習 
*このweb誌友会板の>>961から、自主勉強会用の参考資料として復興Gさまによる
「谷口雅春先生著 神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より」の謹写が始まり、
その後、ユタカさまによる最初の自主勉強会が始まっています。

復興Gさまもおっしゃていますが、>>961からですと本当に膨大な量の書き込みの量になるかと思います。
復興Gさま、もしできましたら復興Gさまのご講話の「テーマ」や「内容」等をだいたいでいいので決めていただくと、
閲覧者の皆さまも予習がしやすいのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

たとえば、復興Gさまの>>1556のご投稿内容からのテーマでしたら、「組織と信仰」みたいな感じで決めていただいてあると、
そのことについて、より深く個人個人が考えてweb誌友会に参加できるのではないかと思うのですが・・・。

わたしが、あまり発言してしまうとまた主導権を握ってしまうことになりそうなので、発言はこれくらいにさせていただきますが、
個人的には、復興Gさまのご講話は、訊け管理人さま司会の誌友会とともにとても楽しみにしています。
おそらく、他にもたくさんの方々が心待ちにされていると思われます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

1606復興G:2013/06/04(火) 09:48:01 ID:AB6RqYXc

>>1605 :a hope様。

>>予習範囲:
①第3巻「光明篇」全部(第1章〜第4章)p95までを拝読しなおす。
②自主勉強会の内容の復習 
復興Gさま、もしできましたら復興Gさまのご講話の「テーマ」や「内容」等をだいたいでいいので決めていただくと、閲覧者の皆さまも予習がしやすいのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

たとえば、復興Gさまの>>1556のご投稿内容からのテーマでしたら、「組織と信仰」みたいな感じで決めていただいてあると、そのことについて、より深く個人個人が考えてweb誌友会に参加できるのではないかと思うのですが・・・。<<

――それは、いいですね。

「組織と信仰」――実は、私も「組織」というのが苦手で、今までやってきました。果たして「組織」と「信仰」は両立するのか? という疑問を感じながらやってきました。

しかし、「信仰」は個人のものでありながら同時に個人のものではない。
内面的には個人のものであるけれども、実際生活に於いては、『生命の實相』第3巻の巻頭にありましたように、

≪一人の生命が全体の生命のために生命を投げ出したとき、その生命は、全体の生命と一つになる。ひとりの生命がはなれ離れに動き出そうとするときには、いろいろの衝突や摩擦が起こるが、全体の生命とひとつになって、宇宙といっしょに動き出すならどこにもわれわれの活動に無理はおこらない。

 われわれが各個人(ひとりひとり)離ればなれに動き出すのは、たとえば、時計の針が針の力ばかりで動き出そうとするにもひとしい。そこには無理があり摩擦があり、ひょっとすればその時計の針が折れるかもしれないのである。

 しかし時計が全体の力で動いているときは実に小さなバネの力で長時間なめらかにそれは運転をつづけるのである。全体といっしょに動く生活、全体の力で生きる生活、自分だけの力で生きない生活、「我」で生きない生活、捨てたときおのずから生きてくる生活、これならいつまでたっても行きつまる気づかいはない。これが「生長の家」の生活である。≫

――そういう意味では、信仰生活は個人のものではない。全体の生命とひとつになって、全体とともに生きる生活でなければならない。

「個即全」というのが神の国のすがたであり、それを現実の国のすがた――国体として顕してきたのが日本ではなかったのか。

今、「組織と信仰」と言えば、教団に属している人は教団の組織運動と生活、ということを思い浮かべるでしょう。
しかし、その教団が本来の「一」なる神から離れておかしくなっているのではないかというので、“こちらこそ本流”と名乗る別派が幾つも生まれているのが現状です。

ですから、「組織と信仰」と言っても、人によって感じ方は様々であると思います。

「組織運動と信仰生活」と言えば、ややテーマが具体的に受けとりやすくなるかな――とも思いますが。

神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。

その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。

では、信仰者として、われわれは今、何を為すべきか。

――そういう意味を含んだ「組織運動と信仰生活」というのをテーマにしたらいかがでしょうか。とても、とても大きな課題になると思いますが――。

1607志恩:2013/06/04(火) 11:07:25 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様は、以前より、好き嫌いがはっきりされてるお方でいらして、
前々から、本流の方々が、だいきらいでいらっしゃることが、
復興G様のお言葉の端はしで、感じてまいりましたが、

このたびも、1606:で、元々の教えに回帰運動されてることについて、
分裂抗争しているのでは、話にならないと、本流の運動をされている方々を、酷評されてますが、

分裂しててでも、教えを護らなければ、と思われて運動されておられる方々に対する、
それは、復興G 様の するどい批判のお言葉に、私には聞こえます。

だれだって、したくてやってるわけでは、ないですよ。
しなかったら、どうなるか。。という想いで,皆様されておられるのです。

それでは、復興G様は、
雅宣総裁が、どのようなひどい行為をされても、すべては自分の心の鏡だ、合わせ鏡だと
とらえて、雅宣総裁の行為である現象はいっさい見ずに、おかしいことは、おかしいと思わないように、思わないように、
自分の心を諌めながら、雅宣総裁の実相を拝み、みずからは、神想観、聖経読誦、聖典拝読、

そして、愛行を、ひたすら実行して生きているのが、生長の家の信徒の、本当の生きかたであると
お示し下さっておられるのでしょうか?


雅宣総裁が、目にあまるようなあこぎな行いを、過去のみならず、現在進行形であるのに、
それらも、自分の責任だからと受け止めて、批判せず、分裂なんて言わず、ひつじのように、おとなしく生きていけと、おっしゃるのでしょうか?

私は、その考え方は、納得いきません。

合わなければ、分かれればいいでしょう。

雅春先生は、前の女性と別かれて、輝子先生と結婚されました。
恵美子先生も,前の夫と別れて、清超先生と結婚されました。
佳世子様も、前の夫と別れて、再婚されました。

合わなければ、別れておられるじゃないですか。

そして,その後、お幸せにお暮らしです。

無理矢理、トップの理不尽な考え方や,トップのあこぎな命令に合わせるのが、この教えの真理の生き方だとは、思えません.

根本の教えと違った方向へ行ってしまった。

いけないことは、いけないことなのですから。
人類にとっての、幸不幸を一番大切に考えて、真摯に生きてこそ、本来の生長の家の信徒の生き方ではないかと、
私は思います。


復興G様のお言葉〜

>>「組織運動と信仰生活」と言えば、ややテーマが具体的に受けとりやすくなるかな――とも思いますが。
神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。

その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。<<

1608志恩:2013/06/04(火) 11:09:39 ID:.QY5jUA6
このような一見、分裂抗争があるから、
結果的には、将来、大調和という いい方向へ行くのではないでしょうか。

1609復興G:2013/06/04(火) 14:43:25 ID:AB6RqYXc

>>1608 :志恩様。

その通りだと思います。

私は、志恩様が >>1607で引用されたように、

>>「組織運動と信仰生活」と言えば、ややテーマが具体的に受けとりやすくなるかな――とも思いますが。
神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。<<

と申し上げただけであって、それ以外に何も言っておりません。

>>1556で志恩様が

>>復興G様 謹写〜
>>神の造りたまえる存在の実相に透徹し、その実相を雛型としてそれを現実世界に現わして[のみ]この世界は本当に地上天国となるのであります。我欲や見当違いで改造改造と力んでみても、各自の心に神の子としての生命の実相が見真されていなければ、盲人の手引きで、多数の盲人を河中へ突き落とすようにエッサエッサと改造の掛け声を掛けながら、現在の人類をまた別の地上地獄へ突き落とすに違いないのであります。
心が形の雛型となる! ではまず心に自己の生命の円相を自証せよ、組織は自然に浄まるであろう。
  (『生命の實相』第3巻 94頁より)<<
この謹写につきましてのことですが、これは、教団も、本流も、…われわれも、この精神で、、ということだと存じます。
しかし、もしも、これが、我欲や見当違いで、、ということが、本流のみを批判されるものでありましたら、それは、それこそ、見当違いだと、私は思います。<<

と書かれましたことは、その通りであると思っております。

>>1606で書いたことも、同じことです。
(本流のみを批判したわけではなく、これは、教団も、本流も、…われわれも、、、ということ。)

ありがとうございます。

1610復興G:2013/06/04(火) 14:46:24 ID:AB6RqYXc

間違えました。

上記の >>1556 は、 >>1566の間違いでした。

お詫びします。

1611志恩:2013/06/04(火) 14:56:25 ID:.QY5jUA6
復興G様

早速に、お返事をありがとうございます。
納得させて頂きました。

合掌 礼拝

1612ユタカ:2013/06/04(火) 17:24:11 ID:R1D4Jmeg
>>1605 a hope様 復興G様

>復興G様のを要約すると・・・・

と書かれてありましたが・・・ 復興G様が素晴らしい具体的な内容を提案なさっておられるのが書かれていらっしゃいませんので掲載させていただきます。

>>1602 今、『生命の實相』出版権をめぐる裁判に決着がついたので、そのことも無関係ではあり得ないでしょう。

「今こそ正念場」と私は>>1556に書いていましたが、この「正念場」において、観念論ではなく、どのように「正念」を顕して行くか。「今、起て!」と神は宣り給う。どのように起つか。

一人ひとりにその課題が突きつけられていると思います。
それを研鑽してまいりたいと思う次第です。

上記は非常に重要な見落とせない内容であると思われます。 吾々はこのような事態でどのように考え、行動していったらよいのか!!

今の状況にあった内容ですし、すぐには、答えがみつからないかも知れませんが、大いに発言できる内容だと思います。

今回はぜひ、吾々の「今を起つ」をどうしたら、どのように との内容で進行してまいりましょう。

よろしくお願いいたします。

1613ユタカ:2013/06/04(火) 17:27:15 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

再掲すると・・・

>>「今こそ正念場」と私は>>1556に書いていましたが、この「正念場」において、観念論ではなく、どのように「正念」を顕して行くか。「今、起て!」と神は宣り給う。どのように起つか。

一人ひとりにその課題が突きつけられていると思います。
それを研鑽してまいりたいと思う次第です。

==========
上記のように、復興G様のご提案で進行をさせてください。

どうか、よろしくお願いいたします。

1614a hope:2013/06/04(火) 20:20:38 ID:edEDolt2
>>1606復興Gさま

<<神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。
その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。
その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。
では、信仰者として、われわれは今、何を為すべきか。
――そういう意味を含んだ「組織運動と信仰生活」というのをテーマにしたらいかがでしょうか。
とても、とても大きな課題になると思いますが――。 >>


「生長の家」の教えを信仰する組織は、具体的にはどのような運動をしていくことが生長の家の大神の御心に沿うことになるのか?
そしてそれは、信徒個人の信仰生活とどう結びついていくのか?

わたしは、そういう復興Gさまのご講話が聴けて、さらに今回のweb誌友会で皆で話し合うことができたら素晴らしいと思います。
これは、教団側、本流(分派)側では、意見が大きく分かれるのではないかとも予想されます。

わたしは、「組織運動と信仰生活」というテーマでお勉強させていただきたいです。

1615a hope:2013/06/04(火) 20:21:29 ID:edEDolt2
>>1612 >>1613 ユタカさま

そうですね。
わたしは、一参加者としてweb誌友会に参加させていただく上で、どのような予習をしていったらいいのかと考えて、
そこに関する所だけを復興Gさまのご投稿からピックアップさせていただき要約させていただきました。

<<「今こそ正念場」と私は>>1556に書いていましたが、この「正念場」において、観念論ではなく、
どのように「正念」を顕して行くか。「今、起て!」と神は宣り給う。どのように起つか。
一人ひとりにその課題が突きつけられていると思います。
それを研鑽してまいりたいと思う次第です。>>

こちらの復興Gさまのご提案に関しましては、後半の誌友会の司会者である。
訊け管理人さま、ユタカさま、トキさまなど運営にかかわるか方々でお話を進めて行って下さったらうれしいです。

ですが、このことは「組織運動と信仰生活」というテーマとも、密接につながってくることだとも思います。
ですから、もちろん、わたしには異論はありません。

1616a hope:2013/06/04(火) 20:22:30 ID:edEDolt2
訊け管理人さま

復興Gさまが、ご講話のテーマを提案してくださっています。
後半の誌友会は、どのように進行されますか?
わたしは、訊け管理人司会の誌友会も、心から楽しみにしています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

1617a hope:2013/06/04(火) 20:28:24 ID:edEDolt2
>>1616
本文中の「訊け管理人」さまの名前に敬称が抜けました。
申し訳ありませんでした。

1618ユタカ:2013/06/04(火) 22:05:31 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

よく読んでおりませんでした。結局一緒ですね、そのようで結構です。

よろしくお願いいたします。 楽しみにしています。

1619復興G:2013/06/05(水) 05:33:31 ID:AB6RqYXc

皆様、おはようございます。

ユタカ様、a hope様、志恩様、「訊け」管理人様、トキ様、皆々様。

ありがとうございます。

第14回web誌友会は、「まさに正念場」。
とても重要な意味のある誌友会になりそうです。

日程等の確認をしたいと思います。

日程は、a hope様が>>1599で書かれた通り、

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

《第14回 web誌友会予告》

・前半 (司会 復興G)
日時:6月7日(金)
内容:復興Gの講話 質疑等

・後半 (司会 「訊け」管理人さま)
日時:6月8日(土)
内容:自由参加の誌友会

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

とさせてください。

>>1602で、
>>もう「前半」の「復興Gの講話」は要らないのではないか<<
と書いたのは、撤回します。

そして、

>>前半の司会は復興Gさま、後半の司会は「訊け」管理人さまですから、時間配分や内容等に関しましては各司会者さまにお任せする形でいいのではないかと思います。
ですから、具体的な時間や内容は、復興Gさまや訊け管理人さまが、加筆くださるとありがたいです。<<

ということでした。で、前半については私が決めます。

前半の「講話」は、6月7日(金)午後8時(19時)までに終えるようにします。

講話が一応終わったら、質疑に入ります。

テーマは、昨夜ユタカさまが、(>>1618
「(表現は違っても)結局一緒ですね、そのようで結構です。」
と言ってくださった通りでまいりましょう。

「組織運動と信仰生活」とし、内容は ユタカ様が>>1612>>1613に書かれたとおですが――

具体的には、これまでに書いてきたこととは別の視点から――2.26事件の背景を今までに聞いたことのない切り口で語られる 橋本徹馬氏の自叙伝資料などを提示しつつ、歴史に何を学ぶか、大局的な新たな視点から、今のことを考えてみることも致します。


前半の6月7日(金)についてはそうしたいと思いますが、
後半の6月8日(土) 具体的な開始・終了時間などについては、司会の「訊け」さま、お世話役のユタカ様などで相談して決めて下さい。
よろしくお願いします。

ありがとうございます。

1620復興G:2013/06/05(水) 06:28:07 ID:AB6RqYXc

>>1619 訂正です。

× 書かれたとおですが――

○ 書かれたとおりですが――

1621「訊け」管理人:2013/06/05(水) 09:04:11 ID:???

>>1619復興Gさま


 ありがとうございます。「組織運動と信仰生活」をテーマにやり取りをする今回ですが、橋本徹馬氏の自叙伝資料など、興味深い誌友会になりそうです。ですので個人的にも、今から楽しみであります。

 さて、誌友会後半に関して以下ご提案致します。
 この誌友会「後半」ですが、開始するのは「質疑応答の終了後」頃を考えております。さらには内容ですが、「前半の話の流れ次第」ということに、決定しようと思っております。いやいったい、どんな話になっていくのかが現時点、全く読めぬためであります。ですので仮決定になりますが、誌友会後半は現時点、

○ 開始時期は、誌友会前半部の「質疑応答の終了後」頃
○ 内容は、「前半部の流れ次第」

 という感じを、考えております。状況次第で軌道修正を行いますが、基本線はこれで行こうと考えております。

 以上なにかご提案等あらば、賜れましたら幸いであります。宜しくお願い致します。



1622復興G:2013/06/05(水) 16:21:25 ID:AB6RqYXc

>>1621 :「訊け」管理人殿

今日は日中、他の仕事に入っておりましたので、お返事が遅くなり、失礼しました。

ええと、web誌友会前半は7日(金)、後半は8日(土)という予定になっていたんですが、何も日を変える必要はなかったんですね。

それなら、7日の質疑応答から、もう貴殿の司会で進めて頂いてもよいと思います。

それでよろしいでしょうか?

1625「訊け」管理人:2013/06/05(水) 16:46:33 ID:???

>>復興Gさま


 以下の件ですが、了解致しました。

>>それなら、7日の質疑応答から、もう貴殿の司会で進めて頂いてもよいと思います。<<

 ただし、以下二点をお知らせ致します。目下この様な状況でありますので、貴殿より「それでも宜しい」とのご快諾を頂戴できれば、当方は上記の件受けることは可能であります。その、目下の状況とは、

○ 7日(金)19:00直後くらいは、PCの前にいられるかどうか不明である事。
○ なお司会ですが、「論点整理の役目である」と云う認識を当方は持っている事。

 です。

 補足致しますが一点目に関しましては、現誌友会システムでは「ある程度、時間の融通は効く」との認識であります。19:00直後くらいに参加出来ずとも、皆さんへの迷惑は回避されましょうか。もしもご返答が「その通り。迷惑にはならぬ」で御座いましたら、当方は7日の質疑応答から司会が出来ると思います。

 さらに二点目ですが、「あくまでも論点整理をする役目」との認識であります。いろいろな質問が寄せられましょうから、当方では「それはこういう意味でしょうか」等の、なんと言うのか、「質問明確化の役目」との認識でおります。これについても、貴殿ご返答が「その通り」と云うことであらば、当方は7日の質疑応答から司会が出来ると思います。

 まとめますが、

○ 7日(金)19:00直後くらいは、PCの前にいられるかどうか不明。されど、8日(土)午前零時以降であれば、「参加可能か?」と云う状況です。
○これでご迷惑にならぬのならば、司会をすることは可能です。
○あくまでも「論点整理」が、メインとの認識です。(司会について)そうであれば質疑応答からの司会も、可能だと思っております。

 となります。

 以上、今回誌友会に関する、当方の状況報告で御座いました。



1626復興G:2013/06/05(水) 17:40:04 ID:AB6RqYXc

>>1625 :「訊け」管理人殿

ええと、私は第13回web誌友会までの のんびりしたペースを考えていました。

つまり、50時間、3日間にわたる、のんびりした誌友会のペースです。

それをいっぺんリセットして、ユタカさん主導の自主勉強会のペースに切り替えて考えなくてはいけなかったのですね。

前半・後半に分けるという案は、最初>>800でa hopeさんが提案され、>>837で私が、
「前半の講話に厄半日」
「後半の自由会話が1日」
で合計1日半ぐらいかけて、という提案をしていました。

私の考えでは、夜は11時頃に終えて寝(やす)み、
翌日また夜に後半を始める、ということを思っていました。

しかし、「訊け」殿のお考えは、夜から午前様になっても寝まず続けるということのようですね。

熱意はすごいなと思いますが、あまり無理せずに夜は寝て、翌日適当な時間に再開でもよろしいのではないかと、私は年のせいもあって、そう思っていたのですが……

いかがでしょうか。

1627初見者:2013/06/05(水) 18:06:00 ID:NqKwCCw6

複雑な誌友会ですねー。生長の家の誌友会ってこんなにややこしいものですか?

1628復興G:2013/06/05(水) 18:16:41 ID:AB6RqYXc

では、7日(金)は夜11時で一応お開きにします。
それまでは、皆さんのお助けをいただきながら、私がなんとか司会兼務の覚悟でさせていただきましょう。

11時以後は、書き込みしたい人は自由に書き込みをする。
それは、今までの「後夜祭」に当たりますが、同時に今度は次の自由会話誌友会の始まりになる――ということで、あとは貴殿がユタカさんなどとも相談して決めていただいたらありがたいと思います。

1630トキ:2013/06/05(水) 18:31:48 ID:7x7v50rs
>>1627

 リアルの誌友会でも、時間の制限はあります。ネット上の場合、ネット独特の制限は必要だと
思います。

合掌 ありがとうございます

1632トキ:2013/06/05(水) 21:47:13 ID:7x7v50rs
>>1629の御発言は、誌友会開催の関係から、別板の浄心行板へうつしました。
投稿者様には申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1633復興G:2013/06/05(水) 22:35:04 ID:AB6RqYXc

トキ様、お心遣いありがとうございます。

合掌

1634トキ:2013/06/05(水) 22:44:56 ID:7x7v50rs
>>1633

復興G様

 こちらこそ、行き届かないで、申し訳ありません。

 これは「暴論」かもしれませんが、誌友会開催中、不規則発言は、講師と司会の方がご意見が一致
したら、管理人の意見に関係なく、別板へうつす、という約束もあり得ると個人的には思います。

 実際には少しタイムラグはありますが、不規則発言の抑止にはなると思います。

1635ユタカ:2013/06/05(水) 22:51:19 ID:R1D4Jmeg
復興G様 ありがとうございます。

7日の開始時刻は何時でしょうか? すみません、長いことお休みしていてわからないのです、教えてください。(a hope様、ご存知でしたら教えてください。) 訊け様の8日の午前0時継続の提案ですが・・・訊けさんの体力とやる気は本当に素晴らしいですね。 ですが、復興G様は、お身体にさわるといけませんので仰いますように、その日は終了時間になりましたら、それ以降は早い時間から準備されていらっしゃいますでしょうし、一旦終了してお休み下さい。ご回答なさる明日以降〜に備えて一旦、ご退場・・・なされてくださいませ。  私も一旦終了して頂いてあとは自由ですと有難いです。


訊け様、

ありがとうございます。 WEB誌友会創始者の訊け管理人様のご登場を心から嬉しく有難く思います!!
お世話になります。再びの名司会を楽しみにしています、そのままの心を大切に!と言うことですから、蝶ネクタイ(かな?今回は別のサプラズかな?)の訊けさまで颯爽と??頑張ってください。司会のみは訊けさまで、ご講義・解説は復興G様で、生長の家の真理を<正しく学べる>と言うのが嬉しいひと時です。。。 私は参加者ですが、今の考えを発言させてください。7日は<夜通し>ですと、皆さんも大変ではないでしょうか?。訊け様も、どうぞお休みなってください、と思いますが、それは訊け様の自由です。私は参加者ですので睡眠とります。。で、その日の終了時間からは、遅い時間からの参加者様もおられるでしょうし、自由に書きたい皆様がいらしたら自由に書いていただいて、
次の日に<訊け様が要点の整理>をなさって、夜に再び登場されて復興Gさまのご都合にあわせて<御回答を復興G様に頂くよう>になさったらいかがでしょうか? 8日の土曜の昼間は皆さんそれぞれいそがしいでしょうから、夜からスタートしていただければ有難いのではないでしょうか。 復興G様もそのように仰っていますし・・・如何でしょう?

あと・・・志恩様を、どうかおとりなしくださいますようよろしくお願いいたします。

1636復興G:2013/06/06(木) 05:20:16 ID:AB6RqYXc

>>1635 :ユタカさん

ユタカさんの参加があれば、もうweb誌友会は活性化すること間違いなし! うれしいです。

ありがとうございます。

7日、と言えば明日ですね。
開始時間について――まだ決めていませんでした。

やはり開会の祈りをして、神様の天降る誌友会にしたいと思いますから、その時間を決めましょう。

いつものように、21時(夜9時)以後がよろしいのでしょうね。21時に開会の祈りでよろしいでしょうか。
祈りの言葉は、どなたか書き込んでいただけますか?

(a hope様も、“お役に立てることがあればお手伝いしたい”と言ってくださっていましたね。)

しかしその前に、午後の早い時間にでも、“2.26事件に光を当てる” “歴史から「今」を学ぶ” というような復興Gの講話といいますか、論文の投稿をしておきます。

それを読んで頂いて、ご意見あるいは質問の発表を用意して頂き、実際の質疑開始は原則として開会の祈りのあとから、ということにして頂けたら……と思います。

いかがでしょうか。

1637復興G:2013/06/06(木) 05:33:30 ID:AB6RqYXc

なぜ、生長の家の誌友会に2.26事件の話など持ち込むのか? 

「現象は、ナイ」と言われるが、歴史とは何なのか?――

≪歴史というものは、実在の生命が『無』の世界を征服して進軍する結果として現象界に現れる作用すなわち生命は如何なる階調序列をもって其の現れ方をなすか、更に『生命』が、『無』を征服する際に起こる反作用すなわち其処に如何なる自壊作用を起こすかという事の跡を辿って行くことによって、ちょっと考えると過去の出来事であって今の事とは何の関係もないように見えている過去の記録の中に、生命の『今』、生活の『今』が現れている。

過去の記録と見えるものの中に現在があり、今があり、久遠の相(すがた)があり、その久遠の相が過去に於いても現実に現れて来たし、今もこれからも現実に現れて来るのであるから、その歴史を把(つか)むことによって、『今』を知り、そうして『久遠』を知り、未来を知るということが出来るのであります。≫

――と、谷口雅春先生は『限りなく日本を愛す』の135〜136頁に書かれています。

そういうわけで、過去の歴史を調べて『今』の私たちの生き方を考えてみるのは有意義なことであると思うのであります。どうぞよろしくお願いいたします。

1638ユタカ:2013/06/06(木) 08:02:04 ID:R1D4Jmeg
復興G様

21時開始ですね。有難うございます。よろしくお願いいたします。
お祈りは今まで通りa hope様がなさると思います。

復興G様構想の歴史から紐解いた今を起つ信仰と組織との誌友会は、内容が重厚で盛り沢山で皆さんも喜ばれると思います。
住吉大神様の聖霊天降る素晴らしいWEB誌友会にご尽力くださいまして有難うございます。

1639a hope:2013/06/06(木) 08:54:47 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

第14回web誌友会に関しまして、復興Gさま、訊け管理人さま、トキさま、ユタカさまなどで、
お話し合いを進めて下さっているようでありがとうございます。

>>1636で、復興Gさまが、

<<やはり開会の祈りをして、神様の天降る誌友会にしたいと思いますから、その時間を決めましょう。
いつものように、21時(夜9時)以後がよろしいのでしょうね。21時に開会の祈りでよろしいでしょうか。
祈りの言葉は、どなたか書き込んでいただけますか?
(a hope様も、“お役に立てることがあればお手伝いしたい”と言ってくださっていましたね。)>>

と、おっしゃってくださっています。
そして>>1638でユタカさまも、

<<21時開始ですね。有難うございます。よろしくお願いいたします。
お祈りは今まで通りa hope様がなさると思います。>>

とおっしゃってくださっています。
ありがとうございます。


今まではa hopeが、第2回web誌友会でユタカさまが用意してくださった『準備祈願』を、ユタカさまの代わりに再掲載させていただだいたあと、
聖経「真理の吟唱」より祈りの言葉を謹写させていただいておりました。

ですが、今回はユタカさまも登場されていますし、すでに午後から復興Gさまがご講話を始められるご予定のようですし、
わたし自身明日の日中は仕事で参加できませんので、今回は開会の「祈りの言葉」のみを担当させていただきたいと思います。
(ですが、開会の「祈りの言葉」はいくつあってもいいと思いますので、他にも「祈りの言葉」を謹写されたい方があったら遠慮してくださいね!)

a hopeの予定としましては、明日の21時(夜9時)になりましたら、「招神歌」のあと、聖経「続真理の吟唱」より『住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り』、
そして、「みすまるの歌」を謹写させていただきたいと思っております。
(リアルタイムでの謹写は不可能ですので、明朝の神想観で心を浄めた後謹写させていただき、
開会直前にもう一度お祈りした後、心をこめて掲載させていただく予定でいます。
みなさま、ご理解いただけますようお願い申し上げます。合掌。)

1640a hope:2013/06/06(木) 08:58:55 ID:edEDolt2
>>1639訂正
遠慮してくださいね!→遠慮なくなさってくださいね!

みなさま、どうぞ、このようにアホなアホープに遠慮なさらず、どんどんご参加ください。(;'∀')

1641ユタカ:2013/06/06(木) 09:05:16 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま ありがとうございます。

続吟のお祈り! 最高だと思います! 何か、今回の誌友会にピッタリと思いました。 神業ですね。

真心こもったご愛行を有難うございます、お世話になります。 よろしくお願いいたします。

1642「訊け」管理人:2013/06/06(木) 10:43:25 ID:???

>>誌友会関係者各位


 皆さん、ありがとうございます。さて、現時点での感想を述べますと、「よく分らない」ということになりましょうか・・・・いや、今後の展開が「読めない」上に7日(金)ですが、未だ予定がつかないのです。(申し訳ありません・・・)無論、19:00頃から参加出来るかもしれませんが、あくまでも「かも」なのです。確定が出来ぬため復興Gさまには、ご迷惑をおかけ致します。

 まあそれでも、後半は「流れで」行いたいと思います。

 流れで行くとは一見、いい加減に映りましょうけれども、さにあらずです。前半の誌友会で問題に上がった点など「どこを膨らませるか」とか、「どこに関して補足資料を挙げるか」とか、現時点でまったく読めぬのです・・・・ですので「流れ」で行きたい、後半部です。

 なお、8日(土)も個人的には、「午前中から開始する」方向で調整しておりました。ところが拝読する限り、なにか違っていたみたいですねえ・・・・まあ、余りご迷惑をおかけせぬ方向で調整します。いやなにせ、現時点では「まったく読めぬ」のです。こんな返答で、誠に申し訳ありません・・・・




1643ユタカ:2013/06/06(木) 13:40:15 ID:R1D4Jmeg
訊け様

すみません、訊け様のやりやすいように土曜日はなさってくださいませ。。。
ご発言が沢山出ていたりしたら、時間があるようでしたら、どうぞ、そのようになさってくださいませ。。 よろしくお願いいたします。

あと・・・・<補足資料 >って??  どういう場合に補足がいるのでしょうか?
補足でなくて、いつもの例題のような<紹介文>という資料のことなのですよね? 

あまり先を心配せずに力を抜いて、皆さんと一緒に勉強するつもりでいつもの「そのままの」訊け様で充分にOKでないですか?『流れ』で充分だと思います、有難いです。皆さんが一杯ご発言できるように導いて下さいませ。
楽しみにしています、どうぞよろしくお願いいたします。

住吉大神様の聖霊天降るWEB誌友会ですから、神様の流れに乗らせていただいて、明るく楽しくされど勉強は真剣にやりましょう〜。^^ありがとうございます。

1644復興G:2013/06/06(木) 15:22:01 ID:AB6RqYXc

>>1639 :a hope様

7日 開会の祈りなど、どうぞよろしくお願いします。

「訊け」様

>>1643 :でユタカさんのおっしゃってるように、『流れ』で充分・・・・・・土曜日午前中からでも、やりやすいようにやってください。

皆様、よろしくお願い申し上げます。

礼拝

1645復興G:2013/06/07(金) 16:47:14 ID:AB6RqYXc

合掌 
皆様、ありがとうございます。

只今より、第14回web誌友会の「第1部」(前半)、
基調講話のようなものの投稿を始めさせて頂きます。

生きとし生けるものを生かし給える御祖神
元津みたまゆ幸はえ給え
わが生くるはわが力ならず 天地を貫きて生くる祖神のいのち
わが業はわが為すにあらず 天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし 生長の家の大神守りませ


ありがとうございます。ありがとうございます。

生長の家大神様
只今より 第14回web誌友会の基調となる講話を始めさせて頂きます。
われ心を空しくして大神の御導きにしたがい奉る。
この投稿文が大神の御導きのままに正しい真理を現すことが出来ますことを感謝申し上げます。

このweb誌友会にご参加あるいは閲覧くださいますすべての方々の神性仏性、神の子の魂にひびく書き込みが出来、すべての人・物・事を生かすことができますように。


大神様、ありがとうございます。ありがとうございます。
大神の大いなる御導きに感謝申し上げます。
ありがとうございます。ありがとうございます。


天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり
天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり

1646復興G:2013/06/07(金) 16:48:07 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

今回 第14回web誌友会のテキストは、『生命の實相』 第3巻 巻頭に掲げられた神示から 第4章の終わり 95頁まででございます。

既に2回にわたって自主勉強会が行われています。
まずは、そこで学んだことを 「今」、実生活、信仰生活にどう生かすべきか。

「組織運動と信仰生活」

をテーマとして、おさらい、まとめをさせて頂きたいと思います。

まずは、テキストから「ここぞ」と思われるところを抜粋させて頂きます。( )内の頁数で、書名が書き入れてないものはすべてテキスト『生命の實相』第3巻です。

       ○

○ 「言葉の宇宙」が先ず出来て、「形の宇宙」がその映像(かげ)としてあらわれるのである。(p.1)

○ 『生命の實相』が展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。(p.2)

○ 精神界が先きで現実界はその影である。(p.3)

○ 形あるものはすべて、「生命」そのものが表わした影であります。(p.20)

○ 元来、人間は行をしなければ、水で身体(からだ)を洗わなければ、浄まらないというふうな窮屈な不完全なものに作られていないのであります。また人間は神様がお造りになったものでありますから、病気になるように不完全には造られていないのであります。それから神は人間を罪を犯すように造っておき、その人間を罰するというような矛盾はされないのであります。神さまのお造りになったこの世界には罪もなければ、病気もない。そういう不完全な人間を神さまがお造りになっていると思うのが迷いであったということがわかってきて、今までの信仰に革命ができ、この新しい信仰を発表するために生まれましたのが、「生長の家」であります。(p.26)

○ 「生長の家」の発見しました縦を貫く真理は、「人間は神の子である、神そのものである」という真理である。(p.28)

○ 「生長の家」の真理を体得するには、神想観や『生長の家』の読誦などという静的の工夫のほかに、動的の工夫が要るのであります。真理は生命そのものでありますから、そして生命は「動」が本態でありますから、動的の工夫に移って、真理というものは、はじめてその潜在していた生命の正体――生かす力の正体をあらわすのであります。(p.33)

○ 「できたら、しよう」というのではなく、意を決してすればできるのであります。「余裕があったら、しよう」というのではなく、断じて行なえば、必ず余裕ができてくるのであります。(p.35)

○ われわれあの「本質」は無限の智慧であり、無限の愛であり、無限の生命であっていろいろ多方面のハタラキをするものであって、その完全な発現を大和精神(やまとだましい)というのであります。完全にわれわれが自己「生命」の実相(ほんとのすがた)を自覚し、大和精神が発揮されますと、いろいろ多方面において自分の生活が自由自在になってくるのであります。(p.38)

○ 一人が真理を知ればその人一人が光明に照り輝くばかりでなく周囲までもその光明に化せられる。光明は感染する。ではではできるだけこの光明を人に伝えようではありませんか。……時は今、常に時は今である。(p.50)

○ 「生長の家」所説の真理は、神が、至上の愛が、万物を生かすところの真理を人間に吹き込んで、その人間の筆により仮に書かせたものであります。だからこの真理によって生かされないものは何物もないのであります。読んで病気が治るばかりでなく、家が「生長の家」となり、国が「生長の国」となります。(p.51)
<つづく>

1647復興G:2013/06/07(金) 16:48:50 ID:AB6RqYXc

<つづき>
○ われわれはいかにしても本当に実在せる世界、すなわち「実相世界」においては神から離れることはできないのであります。(p.75)

○ 神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。(p.76)

○ “正念”というのは、「ここは正念場だ」などというでしょう。「ここが正念場だ」というのは、正念を出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。(『真佛教の把握』50頁)

○ 本当の神というものはただ一つ――それは力が足りないこともない、愛が足りないこともない、われわれが悪いからとて神罰をあてるということもない、といってわれわれを悪いようにも造ってい給わない(われわれが罪を犯すように見えるのは本当の相ではないのであって、念の仮作せる影であります)。無限の力で、われわれとこの世界とを実に円満完全に神そのままの相(すがた)に造ってくださった神が本当の神であります。(p.77)

○ 生長の家の神というのも固有名詞ではないのでありまして、生長の家において顧わされた宇宙神であります。しかし今まで、神はいろいろの相をもって顕われ給うたのであります。時にはいろいろの名称をもって呼び奉る日本の神々として、時には旧約のエホバ神のように怒りの神、嫉みの神の相(すがた)をもって、時にはまた、いったん万人の罪の実在を肯定しておいて、万人の罪にかわって十字架にかかるというような愛の相において、時には阿弥陀如来のように肉体死後の世界において霊魂をお浄土に救いとってくださるというような相(はたらき)において、しかし、今、神は生長の家において万教の本尊は「一」であるというその全相が実に円満完全なそのままの相で顕われ給うたのであります。(p.77〜78)

○ あなたは万事万般、どんな些細なことでも自己の内からの催しで導いてくださる本当の神にお頼りになりたくはありませんか。(p.86)

○ 神からの十全の神徳を真っ直ぐに射し込ましていただくに必要な条件であるところの、神を完全の相(すがた)において理解した上で神を信ずるというのが「生長の家」の信仰なのであります。ただ、なんでも彼(か)でも怪力だから信ずる、御利益(りやく)があるから信ずる、霊力があるから信ずるというのでは生長の家の信仰ではないのであります。(p.88)

○ 神をその十全の神徳において理解し、同時に神の創造(つく)り給える「実在世界」の実相を理解して、本当のおかげを得ていただくために、わたしは聖典『生命の實相』を世に贈り出したのであり、また毎月の『生長の家』誌を書いているのであります。(p.88)

○ 同志よ、同志を作れ、そしてこの人類光明化運動を燎原の火のごとく野火のごとく広がらしめよ。(p.93)

○ 現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。(p.94)

○ では世界の改造運動に内より燈(ひ)を照らすものは生長の家でなければならない、だから世界の改造家がもし切実に人類を愛し、本当に地上天国をこの世に招来しようと思うならば、まず生長の家に来り地上天国の雛型たるべき各自の生命の実相を「見真」しなければならないのであります。(p.94)
<つづく>

1648復興G:2013/06/07(金) 18:39:45 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 勉強のテーマは、「組織運動と信仰生活」でありました。

 さて、「組織」 は 「生命体」 であります。

 動植物あるいは人間の肉体組織も生命体であり、社会組織も生命体であります。

 個生命は、組織の中で役割を果たすことによって生かされます。

 服部仁郎先生の『今を生きる』という本の中に面白いご講演記録がありました。その一部を謹写させていただきます。

       ○

    「自他一体」を生きる

 「今を生きる」というのは具体的にどういうことかと申しますと、生命が生命の目的を生きることなんですよ。それは、皆さん、夫婦喧嘩の目的はと申しますと、喧嘩の目的は勝つこととすぐに思いますけれども、夫婦喧嘩の目的が勝つことにあるとしますと、それは理屈が正しいか、力が強い方が勝ちますよ。勝ったら勝った方はよろしいが、負けた方はくやしいな。一方の目的がかなえば一方の目的はかなわん。自他一体なら、両方の目的がかなわなければいかん。

 そうすると、喧嘩の目的はというと、勝つことは過程であって日的はちがうんです。目的はいったい奈辺にあるかというと、それは結婚生活の陶冶にあり、仲のいい幸福な家庭を作ろうということにあるでしょう。それを一方はすんだ過去のことを言っているんだ。そうすると一方は、そんなすんだことを言っては困るといって未来のことを言っているんだ。過去と未来のチャンバラが喧嘩なんですな。

 しかし目的は、仲よくすることにある。仲よくなったらもう、喧嘩はありませんわな。目的を観じ目的をすぐ生活するんですな。それが宗教です。

 谷口先生がお説き下さっている宗教は、即生活です。そこで私たちはその生活をいかにすべきか――それは、宇宙普遍の法則にのっとった生活、自と他が一体であるという自覚を深めないといけない。自と他が一体であるという自覚が深まると、最も合理的な生活ができる。自分が一人の生活をするように、矛盾なく自と他が一体の生活の合理化ということができる。

 この生活の合理化が科学となり、教育となり、哲学となる。そしてそれが実生活に行われる時に、政治になり、あるいは経済になり、自然科学、医学等にもなる。科学の目的も人類が幸福で平和な生活をするためにあるんですね。宗教というのは、自と他が一体であるという自覚のもとに高度の生活をすることであるわけです。

 神社の前で合掌する、あれは宗教の行事です。信仰というのは一人一宗であります。一軒の家にキリスト教の人がいらっしゃってもいいし、天理教の人がいらっしゃってもいいし、あるいは日蓮宗の人がいてもいいでしょう。キリスト教では「天にましますわれらの父よ」と言って、偶像崇拝を排斥しますが、お宮をそこに置いたから偶像というのではなく、「天にまします神」というのが偶像のような信仰だったら、これも同じことだと私は思いますよ。

 ともかく神仏の前で皆さんが合掌する。こうして合掌して、まさか「バカヤロウ」「コンチクショウ」はないはずです。

 争っていた人が仲なおりするのに、仲裁にはいった人が「手打ち」をしますね。手は右と左は反対ですな。反対だからってこれがお互い自分の立場を主張してゆずらなかったら、永遠にこの手は合わん。それを合せるのです。神仏の前で合掌すると、どんな場合でもスカッとやましい心が消えてしまう。今の自民党も社会党も、ひとつこうやって合掌してやってほしいですな。
<つづく>

1649復興G:2013/06/07(金) 18:40:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 生長の家の信徒行持要目で、「そのままの心を大切にすべし」と唱えますが、私たちは合掌して美しい心でそのまま生活する、それが宗教です。それが本当にできますと、病気や不幸というものがなくなる、というよりは、はじめから存在しないということです。

 それでは「自他一体」の証明をしてみい、といって一体できるかなあということですなあ。私たちは、親子は一体だ、夫婦は一体だというが、いまだかつてその一体であるというのを証明してくれと言った人はないはずです。これはとうてい証明しようったってできない。そこでそのまま私たちは鵜含みにしているのね。自覚というのはね、証明を用いずして了知する、というのが自覚ですな。

 八紘一宇、四海同胞というのもこの自覚です。

 かりに私という一個の人間の各部について「自他一体」を説明しますと、「ごちそうができたよ」ということを聞きますね。そうしますと、私の足は疲れていても体全体をそのごちそうの場へ運んで行く。眼がそれを見ると、「えらいごちそうだ。私はごちそうをいつも見るだけでいっぺんも食ったことない。口ばっかり食べて損だなあ」という。鼻は、「私はちょっとにおいを嗅いだだけで、私の前はいつも素通りだ。」手は、「私はいつもごちそうを口まで運んでやって、いまだかつて一粒のごはんもごちそうになったことない。」耳は「私は、ごちそう、ごちそうって聞いてるけど見たことない。」

 ――みなさん、足はどうでしょう。足はいまだかつてごちそうだって見たことない、においをかいだこともない。それでお腹がすいたときには体全体をそこへ運んで行く。何も楽しむことはなく、献身的に尽しているけれども、いっぺんも足を上位に置いたということがない。いつも尻の下に敷かれている。それでも足は「これほど皆さんに協力したけど、いつも尻の下にしかれて」なんて文句を言わない。しかし、足が動かん限り、全体があっちこっちに行けないとするなら、足はすべての支配者にもなっているということではないかと思うね。

 その場合に、それぞれが意見を出して、「口ばっかりごちそうを食べて」と言って口を排斥するようになれば、おそらく口は言うでしょう、「それでは、私はもう食べない。これからストをやろう。そら、耳よ食え、鼻よ食え、眼よ食え」と言いだしたら、たいへんだと思いますね。

 私たちの体のどこ一つも切って捨てることはできない、そのように私たち三十億の人類のだれ一人も切って捨てることはできないのだということを知らなければなりません。宗教は自他一体の教えであります。
<つづく>

1650復興G:2013/06/07(金) 18:41:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

    宗教の極意はここにある

 皆さん、生長の家の極意は、『甘露の法雨』の最初に書かれていますね、「七つの燈台の点燈者の神示」の中にね。「汝ら天地一切のものと和解せよ」という和解の神示。その「和解する」ということは「感謝する」ということだと書いてある、それが極意ですな。本当に感謝ができるようになれば、価値ある生活ができるようになる。

 昔から、「猫に小判」という諺がある。猫は、どれほど小判を積んでやりましても、それは感謝がないから値打がなく、一文にもつかない。感謝をすると、そのものの値打が出る。その値打のもとはいったい何か――金とか物とか、それは私たちが払った生命に対する裏づけですな。その値打を知るものはやっぱり感謝です。

 だれかが紙を一枚くれたとき、「なんだ、紙一枚くらい」という場合にはなんらそこに値打がない。その紙一枚でも「ありがたい」と思ったときに、千枚、万枚とおなじ値打が出てくる。値打を知ることができたら、値打のあるように生かされる。感謝というのは、絶対価値の認識である。宗教は、感謝に始って感謝に終るわけですね。

 ところがその「心」の問題であります。宗教は即生活。お釈迦さんは「天上天下唯我独尊」自分の立ったところが宇宙の中心である、東西南北本来なしと言われた。

 せんだって私の家内の妹が、「兄さん、わたし家を買うので、お忙しいでしょうけどちょっと見てくれませんか」というので、見に行ったところが、つまらん家なんです。
 「こんな家、買ったってしょうがないじゃないか。こんなんだったら、ぼくの方にもっといい家があるよ」
 「ところが兄さん、わたし易者に見てもらったら、方角が、ともかくこっちの方がいいんだって」
 「こっちって、どちらだ」
 「私は西の西の西の、西へ行くほど今いちばんいいんだそうです」
 「そうか。それだったら、ぼくの方に来ないか」
 「だって、兄さんとこは東……」
 「西がいいんだろう。だったらぼくのところへ来なさい。地球は丸いんだから、西の西の西の、いちばん西じゃないか」
 と言ったんですがね。

 東西南北はもともとないもの、自分が立ったところに東西南北を立てているんですね。

 ではその自分とは、この肉体が自分かということ。神様につくられた自分とはいったい何か。神様につくられた自分とは、心でありますね。

 神様は宇宙の一切をお持ちになっていらっしゃるので、私たち人類三十億の一人一人に宇宙の一切を満ちそなえて生命の生みなしをされたのであります。一切(いっさい)であって、一切(ひとき)れではありませんよ。すべて、無限ですね。

 私たちは宇宙の一切をもっているから、各自が男であり女でありながら、そのまま自由自在で、平等であるということです。各自が宇宙をそっくり持っている。この辺からこの辺までという限りあるものではありません。

 いま、私が何千億円のお金を銀行に預けていて、その通帳を持っているとします。私はこの通帳に関しては、いくら引き出そうと意志の自由をもっていますね。かりに私が百円と書いて出せば、百円出してくれる。それでもあんたは何千億円あるんだから、まあ一千万円出してやろうとか、あるいは百万円やろうということはないね。こっちが書いて持って行っただけしか、払い戻してくれない。これが宇宙の法則ですね。

 神さまは、宇宙をそっくり持っていらっしゃるんでしょう。そっくり持っていらっしゃる神さまが、一人一人にそっくりくれると、鉢合せしはしないかと御心配の方もいらっしゃるでしょうけどね、けっして鉢合せしない。それは、太陽系統が何万年運行していてもけっして鉢合せしない、その通りです。
<つづく>

1651復興G:2013/06/07(金) 18:42:21 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 神さまは宇宙をそっくりくれるというのは、どういうようにしてくれるかというと、私たちは、持っとると自由だと思うけれども、これは思いちがいですね。

 私は、だれにも「服部、お前白墨を持って説明せい」といわれておらん。それをただ私が「白墨を持って皆さんに説明する」というので右の手に白墨を持っている。だれが私を制約したか、私が制約したんですね、皆さん。すると、私はもっとたくさん持てる力があるのに、これだけしか持てん。

 そこで皆さん、持たないということがいちばんいいのであります。それを私たちは、この現象の世界では自分で自分の自己制約をしているんでしょう。そして、なんの自由自在平等があるかということです。

 五尺何寸という肉体の制約、そして私は男だ、私は女だということも自分で自己制約しているんです。それはそれだけに制約しているから、それだけの自由がある。

 神様は宇宙をそっくりくれて、けっして私たちの自由を束縛しない。そっくり預ってくれているんですね。

 銀行に金を預けますと通帳をくれますが、神様はそっくりくれてそっくり預って、どういう通帳をくれたかというと、「心」という通帳であります。

 この「心」という通帳には、男もなければ女もない。『生命の實相』に、人間は死んで霊になったら、男も女もないと書いてある。神様の通帳にも男も女もないんですよ。

 そしてこの通帳は、自他一体のただ一つの通帳であります。
 この一つの通帳から、私は彫刻家だという自分の使命感をもって、彫刻を引き出す。ところが私がいくら彫刻を作っても作っても、これは減りはしない。作るほどふえているんですね。みんなそれぞれがそれぞれの与えられた職場で、力いっぱい生産をして行くならば、どこも減りはしない。

 これが本当にわかったら、およそこの世の中に、搾取するとか、搾取されるということはないということを知らなければなりません。

 神様はそっくりくれて、そっくり預ってくれている。この通帳はですよ、戦災で全国各地の都市が焼けたって、このように復興してきたのは、この通帳が焼けなかったからです。

 災禍にあって無一物になって、この通帳をいっぺんもひろげてみない人がある。そっくりしまいこんで、「もうだめだ」というような人もある。今からでも遅くはない、もしそういう人がいらっしゃったら、その通帳からいくら出しても減らないんですよ。神様のつくった世界は、けっして出したら減るということはない。

 この通帳は自他一体のものですね。自と他が一体であるという自覚を深めて行きますと、自分というものの使命を感ずる。
 そして、人間のからだで言えば、眼は眼の役をするため、鼻は鼻の役をするため、口は口の役をするため、私たちは合理的な生活をする。現象世界は有限の世界ですね。有限の世界で、無限の自由を求めるというのはおかしい。これは自己制約をしているのであります。

 お釈迦さんはこの世界について、「三界は唯心の所現である」と言われた。生長の家ではこれを「心の法則」と言いますね。既成宗教家にお説法をきくと、因果律ということを言います。因縁因果ですね。私はどういう因縁か、とか、どうして私はこういう因果でしょう、どうして私はこんなに業(ごう)が深いんでしょう、などという。

 この因果の法則というのは、昧(くらま)すことはできない。皆さん、よくいうように「蒔かぬ種は生えない。」だれも知らんだろうと思ってやったことが、自と他は一体ですから必ずだれかに知れる。「悪事千里」とも言いますな、皆さん。かくそうたって、かくせない。お米を蒔けばお米が生える。そのお米は、食べればなくなる。そういうようにして、現象というのはまた、なくなって行きよる世界ですね。
<つづく>

1652復興G:2013/06/07(金) 18:42:56 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 この世界は、仏教では、業の流転(るてん)の世界という。業は業のもつ因果の法則によって、業自身が流転して本来の無に帰って行く。それはそれにまかせることです。

 すべての争いをやめて、自と他が一体だということがわかったら、心というのはさっき申しましたように、男もなければ女もない、神様の通帳は一つなんです。

 お互いが無限を持っている、そこにお互いが自分を振向ける。これを廻向(えこう)と申します。これが即身成仏――この身このまま仏ですね。私たちは五尺何寸というようなチッポケなものじゃないですよ、皆さん。宇宙いっぱいに遍在する、その自分を男にし、女にし、そうやって縛っていた。その縛りを解きまして、もうひとつこっちへもってきて、この「有限」というのを見なおす。私は男だ、私は女だ、親は親であるし、子は子、夫は夫、妻は妻と、そこにはおのずから秩序がある。その秩序に従った生活が、自と他が一体で、「差等ある平等」の生活となる。そうしますと、現象と実相が別々でなく、現象即実相となる。これが生長の家の生活です。

 ところが、私たちの病気や不幸は一体どこから出てくるか。私たちは自己制約している肉体の自分をもって、自由自在平等をあこがれ、あれもこれもたくさん自分が持ちたいと思い、物に対する執着が出てくるからであります。体に執着をいたしますと、体は病気になる。現象を実在だと思う思いちがいからそういう不調和な世界ができる。

 つねに生活を、正念(しょうねん)をもってすることですね。すると妄念(もうねん)がなくなって、執着がなくなる。

 私たちは宗教生活がそのまま目的です。病気治しが目的でもなんでもないんですよ。結局私たちは、本当の生活ができたら、病気がなくなって、不幸がなくなる。病気や不幸はだれがつくったかというと、だれもつくらない。それは思いちがいなんですね。
<つづく>

1653復興G:2013/06/07(金) 19:36:11 ID:AB6RqYXc

<つづき>

『幸福を招く365章』の117頁〜には、次のようなご教示がありました。

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。

 地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。

 尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。

 吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。

         ○

 さて、私は “2.26事件に光を当てる” というような資料――私たちが 「今」 どう起ち上がるべきかを考える資料を提示して、“歴史から「今」を学ぶ” よすがにしたいと、予告申し上げていました。

 遅くなりましたが、あと制限時間が2時間以内に迫りましたので、できる範囲でそれをこれから書き込ませて頂きます。

 2.26事件というのは、昭和11年2月26日、陸軍の青年将校らが「昭和維新」を掲げて1400人以上の兵を動かし、岡田啓介首相、高橋是清蔵相、斎藤実内相、渡辺錠太郎教育総監らを「君側の奸」として襲撃したクーデター未遂事件。昭和天皇がこれを断固として鎮圧を命じられたことはご承知のとおり。

 それについて、最近私は、友人から 「2.26事件とその背景」 という橋本徹馬氏の自叙伝によるユニークな資料をもらいました。氏独自の人脈による資料提示と見方があって興味深く、現在の生長の家教団の有様についても考えさせられましたので、皆様にもご披露したいと思います。

<橋本徹馬(はしもと てつま。1890-1990)氏は政治評論家、紫雲荘初代主幹、紫雲山地蔵寺初代住職 (開山者)。
明治23年(1890)2月4日、愛媛県西条市に生まれる。
早稲田大学在学中、大隈重信に寵愛され、また原敬首相との交誼もあった。在学中政治団体青年党を結社、政治家を目指すも、政治裏面の醜悪に嫌気がさし、のち激しい修行と共に、政治評論家として活躍。戦前毎月、東京、大阪の新聞紙上に、約半頁大の声明文を発表し続けた。佐藤栄作元首相の精神的指導者としても知られ、佐藤首相に為政者の心構えとして「般若心経」の写経を勧めたのも橋本氏である。佐藤首相の雅量は、橋本氏の影響もあるといわれる。平成2年(1990)5月19日、満百で逝去。葬儀委員長は福田赳夫元首相であった。
橋本氏はかつて生長の家の誌友でもあったと聞いています。>

さて、歴史とは何か。

「歴史というものは、実在の生命が『無』の世界を征服して進軍する結果として現象界に現れる作用すなわち生命は如何なる階調序列をもって其の現れ方をなすか、更に『生命』が、『無』を征服する際に起こる反作用すなわち其処に如何なる自壊作用を起こすかという事の跡を辿って行くことによって、ちょっと考えると過去の出来事であって今の事とは何の関係もないように見えている過去の記録の中に、生命の『今』、生活の『今』が現れている。

過去の記録と見えるものの中に現在があり、今があり、久遠の相(すがた)があり、その久遠の相が過去に於いても現実に現れて来たし、今もこれからも現実に現れて来るのであるから、その歴史を把(つか)むことによって、『今』を知り、そうして『久遠』を知り、未来を知るということが出来るのであります。」

と、谷口雅春先生は『限りなく日本を愛す』の135〜136頁に書かれています。

そういうわけで、過去の歴史を調べて『今』の私たちの生き方を考えてみるのは有意義なことであると思うのであります。
<つづく>

1654復興G:2013/06/07(金) 21:04:43 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 橋本徹馬氏は当時50歳弱、政治評論家として国を揺るがす朝野の政治家、軍人との頻繁な交流もあった。

 同氏『自叙伝』(「私の昭和史」)によると、当時の青年将校たちは北一輝(きた・いっき)の感化を受けつつあり、純真にして無垢の将校を思うにつけ、その危険性を第一師団長柳川将軍と語ったことがあるという。

≪北 一輝(きた いっき1883-1937)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。
明治維新の本義は民主主義にあると主張し、明治憲法における天皇制を激しく批判した。 すなわち、天皇の国民ではなく、国民の天皇であるとした。国家体制は、基本的人権が尊重され、言論の自由が保証され、華族や貴族院に見られる階級制度は本来存在せず、また、男女平等社会、男女共同政治参画社会など、これらが明治維新の本質ではなかったのかとして、再度、この達成に向け『維新革命』『国家改造』が必要であると自著で主張した。当時の内務省は、北の考えを”危険思想”とした。後に、北に直接の関与はないが、この主張等に感化された若手将校たちによる2.26事件で、理論的指導者の内の一人として死刑判決を受け、銃殺刑に処された。
よって、北が、生前にその『維新革命』『国家改造』の実現を見ることはなかったが、8年後、連合国軍が、軍国主義を突き進む日本を武力で倒し、北の主張の多くは、占領政策を実施したGHQ主導による日本の戦後改革で実現されることとなった、とも言われる。≫

 そもそも2.26事件の事件の背景としては、陸軍部内に 「皇道派」 と 「統制派」 と呼ばれる二つの派閥の激しい相克があった。

 「皇道派」は、北一輝らの影響を受けて、天皇親政の下での国家改造(昭和維新)を目指し、対外的にはソビエト連邦との対決を志向した。「統制派」は皇道派青年将校と異なり、陸軍大臣を通じて政治上の要望を実現するという合法的な形で、列強に対抗し得る「高度国防国家」の建設を目指した。陸大出身者がほとんどいなかった皇道派に対し、陸大出身者が主体で軍内の規律統制の尊重という意味から統制派と呼ばれる。皇道派の中心人物である荒木貞夫が陸相に就任した犬養内閣時に断行された露骨な皇道派優遇人事に反発した陸軍中堅層が結集した派閥とされるが、皇道派のような明確なリーダーや指導者は居らず、初期の中心人物と目される永田鉄山も軍内での派閥行動には否定的な考えをもっており、「非皇道派=統制派」とする考え方もある。

 この二つの派閥に分かれて険悪な雰囲気があった。
 そうした中で、

 1.浜口内閣の不景気対策以来の国政宜しくないため、入営兵士の中、家庭が窮乏する兵士も多く、甚だしきは日曜日に紙屑拾いまでして郷里の家計を助けている兵士たちさえあるという有様であった。こういう事情が上官である青年将校たちを刺戟したこと。

 2.「国体明徴運動」に対する当時の政府、元老、重臣等の態度を許し難いと思ったこと。

 (「国体明徴運動」とは、幕末以来、記紀神話を基礎としながら、日本国の特色は万世一系の天皇をいただく神国である点にあると主張する国体論が起こってきたが、それをうけた明治以後の国体論は二つの方向で展開された。第1は,1890年の教育勅語が、忠孝の道を〈国体の精華〉としたように、天皇崇拝を国民道徳の根幹にすえようとする方向であり、第2は、国体を統治権の所在によって分類し、大日本帝国憲法は天皇を絶対とし統治の全権が天皇にあると規定している、という憲法解釈を軸とするものであった。)


 3.陸軍部内の統制派が国体明徴運動について、時の政府や元老重臣等と妥協しつつあったこと。さらには皇道派を抑えようとしたことにも憤激していたこと。

 4.昭和8年3月、日本の国際連盟脱退後、日本の国際的立場が憂えられ、大戦争に至るやもしれない、時局対処上、危険至極であると考えたこと……等である。
<つづく>

1655復興G:2013/06/07(金) 21:05:30 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 2.26事件で決起した青年将校たちは、自分たちは「君側の奸」を斬って天皇をお守りするために決起したので、天皇にお喜びいただけるものと信じていた。

軍事参議官によって宮中で非公式の会議が開かれ、穏便に事態を収拾させることを目論んで26日午後に川島陸相名で告示が出された。

一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、之以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ

この告示は、二、の「真意」というところが「行動」に差し替えられて伝わり、決起将校たちは自分たちが認められたと思って喜んだが、豈計らんや、この事件に対する陛下の憤りは深く、特にその後、二ヶ月余を経た同年5月1日に至ってもなお、

 「今次東京に起これる事件は、朕の憾(うら)みとするところなり」

 という激しい勅語が下されたほどであるから、自分たちの忠誠を信じて疑わなかった叛乱将校たちは、全く夢想だにもしなかった逆徒の汚名を着せられ。秘密裁判の結果、その心事を国民に訴える機会も与えられぬままに、銃殺されてしまったのである。

 以下、橋本徹馬氏の自叙伝より、抜粋転記させて頂きます。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  湯浅内大臣と筆者との争点(自叙伝より)

 かくして叛乱将校たちに対する、秘密裁判(後段紹介)が進行中の或る日(昭和11年5月のこと)、私は湯浅内大臣に面会して

「今回賜った、朕の憾(うら)みとする処という勅語の奏請者は誰であるか」
と問うと、「それは広田内閣が奏請したので、私の与からぬ処であるが……あの勅語に対してあなたに意見があるなら、試みに私が承りましょう」といわれたので、私は詔勅を論議することの不敬を謝した上にて「ああいう勅語を奏請するのは間違いであって、非常に悪い影響を及ぼす」意味のことを述べると、湯浅内大臣は、「憾みとする処とは、遺憾に思うというところである。あなたはああいう事件が起こったのを遺憾に思わぬのか」といわれた。私はいった。

 「遺憾なことは相違ないが、詔勅はその影響する処を考えて奏請すべきものである。あれでは叛乱将校たちに対して、陛下の深い御憎しみがかかっていることが観取されるから、所謂皇道派と統制派との争いが一層ヒドクなる。それが下に至るほど鋏状に甚だしくなってゆくことを、お考えになりませんでしたか」(中略)

「それではどういうお言葉ならよいのか。あなたの考えをいってごらんなさい」と湯浅内大臣がいうから、私は御免を蒙っていった。
「国家に不祥事が起こった時には、如何なる場合にも陛下は、

『朕の不徳による』
と仰せられるようでありたい。今回のことでもあの詔勅によって軍部内の二派の争いが一層ヒドクなるが、あれが若し『朕の不徳による』というお言葉であったならば、皇道派も統制派も共に恐れ入り、理非は何れにあるにしても速やかに相克をやめねば、陛下に申し訳ないという考えになるでしょう」

 湯浅内大臣はそれでもなお「遺憾に思うというのがなぜ悪いか」と口の中でつぶやいていた。
<つづく>

1656復興G:2013/06/07(金) 21:06:06 ID:AB6RqYXc

<つづき>

  各将軍たちの感想

 右の如き勅語問答を、その頃問題の人であった眞崎、柳川両将軍にお話ししたら(二人は叛乱将校たちの与望を負っていたから、統制派から憎まれていた)、二人の将軍は眼に涙を浮かべて何も言わなかった。事件当時の陸相であった川島大将に話をすると、同じく涙ぐまれて、

「ああ若(も)しそういうお言葉であったらなァ……」
といわれた。さらに皇道派の間に立って、散々苦労をせられた林陸相は
「そういう勅語を賜ったのならば、これほど有り難いことはなかった。そうすれば万事よくいったのだが……残念であった」といわれ、これも涙をおさえられた。

 私は今でもああいう勅語を奏請した広田首相等及び、それをそのまま看過した湯浅内大臣は、非常な誤りを犯したものだと考えている。

  筆者と内大臣の第二の問題

 今一つ、私が湯浅内大臣に進言したいことは、「叛乱将校たちが勝手に兵を動かし、そのうえ重臣たちを殺傷した罪は万死に値いする。それゆえ彼等が如何なる極刑に処せられても、私に異論はないが、ただあの人たちは全く純真に国を思い、陛下の御為と思って事を起こしたのであるから、陛下に対する叛逆の罪名だけは、彼等が処刑される以前に取消して戴きたい……そうしないと彼等は浮かばれないです」ということであった。

 湯浅内大臣は一向平気な顔をしているので、私はさらにいった「若し彼等を叛逆者として処刑したならば必ず今後にたたりをなすでしょう」

  栗原中尉は幽鬼となった

 さらに栗原安秀中尉は、銃殺の刑と聞いた時、どうしてもそれが信じられない。

 「わしが銃殺されるなどという事があるものか」と言いはった。つまり彼はこの純真に天皇の御ために起った自分が、如何に間違っても銃殺などされるはずはない」と信じて疑わなかったのである。その愚かさを笑う者は笑え、私にはどうにも笑えないのである。栗原中尉の遺書にいう。

 「……余万魁の憾みを呑み、怒りをふくんで斃れたり。我が魂魄、この地に止まり、悪鬼羅刹となり、余は断じて成仏せざるなり、断じて刑に服せしに非ざるなり。余は虐殺せられたり、余は斬首せられたり(中略)」

 「余輩国家の非常時を座視するに忍びず、可憐なる妻を捨て故旧と別れ、挺身ここに至れり。而もその遇せられるこの状なり。何んぞ何んぞ安心立命する能わんや」
 死体下げ渡しの報に接して駆けつけた栗原中尉の父親は、棺を開けて見ると栗原中尉の顔は無念の形相凄まじく、到底二た目と見るに忍びなかったという。父親はたまりかねて、

 「安秀、よくやった。お父さんはお前のやったことに満足しているぞ」

 といわずに居られなかったという。


  嗚呼皇軍この日に滅ぶ

 拙著『天皇と叛乱将校』には、この事件の結論を下記の如くに書いてある。率直にいえば、叛乱将校達を反逆者として処刑した時、大元帥陛下の率い給う皇軍すなわち天皇の軍隊は滅んだのである。

 彼等を銃殺のために撃った銃声は、実は皇軍精神の崩壊を知らしめる響きであったのである。しかもその銃には菊の御紋章の入っている銃で、刑死の瞬間まで尊王絶対を信念とした人々を、極度の憎しみで射殺したのである。この深刻な不祥事の国運に及ぼす悪影響を思うと、戦慄せざる者は神経の麻痺者であろう」

 かくして忠君や尊王をいう者が馬鹿者扱いされる時代が始まったのである。私のこれらの言葉を誇張であると思う者は、その恐るべき我が国運の推移を見るがよい。
<つづく>

1657復興G:2013/06/07(金) 21:06:38 ID:AB6RqYXc

<つづき>

  前門の虎を防ぎ後門には

 国体明徴派を嫌い抜いた人たちは、これで狂信的愛国者の、根を絶つことが出来たと考えたであろう。何んぞ知らん、それは前門の虎を防ぐことに急であったため、後門に狼を招きよせたことに、気づかなかったのである。

 もっと明白にいえば、うるさいと思う皇道派を徹底的に叩きつけたことは、軍隊の指導権を皇道の何んたるかを知らぬ統制派に渡したことである。やがてその者等は大元帥陛下の御命令をも奉じなくなって「兵馬の権」は統制派の手に帰し、「また中世以降の失態」を招くに至ったのである。

 そうして「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざる可からず」という兵法第一の戒めさえ弁えぬ者たちが、妄りに功を急ぎ事を構えて、遂に陛下の御心にもなき戦争に突入し、敵味方も多くの生霊を殺して、無数の寡婦孤児を造ったのちの、敗戦降伏までに至ったのである。


  争民なくんばその国危し

 それにしても、あれほどの事件から――いわば叛乱将校たちに死の直観から、何の教訓も学び得なかった、元重臣たちの失態は最も大きい。

 若し諸君も尊王の大義に徹し、その奉公において欠ける処のない人であるならば、手段を誤ったとはいえ、先の相沢中佐や(昭和10年8月、永田軍務局長を斬殺した人)今回の叛乱将校たちに対して、深刻悲痛な同情心を持つべきはずである。又その間にしばしば陛下に御進言すべき事もあったはずである。

 明治天皇にお仕えした山崎侍従や、藤波主馬ノ頭の如きは、陛下の好ましからぬ御嗜好をお諫めするためにさえ、一身を賭している。況や国家の非常重大事においておやである。国に争民なくんばその国危うしという、古人の金言も思い合わせられて残念至極である。

 若し日本国が私の先にしばしばいうが如く「各国間に大調和あらしめて、等しく万人の栄える時代の招来」を国是として、実際その如くに行動をしているならば、その国が止むに止まれずして起った時、天佑が伴うのは当然である。然らざる場合には天佑が伴わぬことも当然である。

 戦争は好む処ではないが、既に戦争に臨む以上は、「正しい国の戦争には必ず天佑が伴うのである」ことを示すのも、日本が人類文明史上に貢献する一つの道であるが、過般の戦争は日本の歴史上それとは全く逆の汚点を残した。

  嗚呼天佑なき戦争よ

 下記に掲げるのは広島県江田島の旧海軍兵学校に保存されている、特攻隊勇士の遺書の一つである。広島市山仲一二氏より送られたものである。

     ○

お父さんお母さん
この世に生まれて死を厭うことは、今昔ともに変わりありません。故に万人が長寿を願った昔話が今も残っています……けれども若干二十五歳で戦死しても決して驚いてはなりません。悲しんではなりません。
たとえ私が敵艦とともに砕けなくとも、私の運命はその時に止まっているのです。父上にはそのことが十分解っていただけるとは思うのですが、お母さん!やさしいお母さんでした。ある時は私の寝顔に、夜具をかけて下さいました。久喜(本人の名であろう)は、あれほど可愛がられ、何の報いもせずに散るのが、母上にすまないと思います。
然し私の胸の奥底には、大きな願いがあるのです。それは大義に生きることです。お母さん、決して悲しんで下さるな……その悲しみに打ち耐えて、強く生きる一億の母がいることを思い起こしてください。(下略)

     ○

 遺書の残っていない他の特攻隊の勇士の感想もこれに似たものが多いであろう。天佑なき戦争でかかる純真可憐な青年を殺して、申しわけがたつであろうか。戦時中に生きた私たちは、深く深く責任を感じて、天佑なき戦争は、将来絶対にしないことを誓わねばならぬ。その反面に、戦う時は必ず天佑のあるようにこの国政を運用すべきである。
<つづく>

1658復興G:2013/06/07(金) 21:07:14 ID:AB6RqYXc

<つづき>


  英霊は死なぬ、生きている

 あの事件で刑死した諸君は、最早成仏したであろうか。いや私は成仏していないと思う。

尊皇愛国を口にする者は、馬鹿者扱いされ、或いは不逞の徒扱いされるこの国で、あの諸君が成仏出来るはずがない。

 過去において、国家のために命を捨てた人たちを祀る、靖国神社の祭典さえ、公式にすることも出来ぬ年月が続いているではないか。

 ああ早く日本をあの諸君の安らかに眠り得る時代にしたいものである。


    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 以上で、橋本徹馬氏の自叙伝からの転記を終わります。

 皆様は、これを読んでどうお考えになりますか。

1659a hope:2013/06/07(金) 21:11:31 ID:edEDolt2
復興Gさま、ご講話をありがとうございます。
これから、最後までじっくり拝見させていただきます 。合掌。

それでは、みなさま
これから、みなさまどなたでもご参加いただける、第14回web誌友会の開会となります。
開会の前に、 a hopeが、今朝謹写しました「祈りの言葉」を謹んで転写させていただきます。

1660a hope:2013/06/07(金) 21:12:55 ID:edEDolt2
聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉

生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生長の家の大神守りませ。

(招神歌四首朗誦の後、次の如く祈る)

龍宮実相世界の本宮にまします住吉大神の御前に谷口雅春(ここへ各人の姓名をとなえる)畏みかしこみ祈り奉る。

大神よ、龍宮の本宮より出御(しゅつぎょ)ましまして、大神の稜威(みいつ)をあらわし給いて、
現(うつ)し此の世の迷いの雲を祓い給いて、宇宙いよいよ清まりて、日本国の聖なる実相を顕現せしめ給え。
天照大御神の大御光(おおみひかり)を岩戸の彼方に幽閉することなく、その大御光をあまねく六合(りくごう)に照り徹(とお)らしめ給え。
すめらみことの身に恙(つつが)なく、憂えなく、その御徳(おんとく)いよいよ冴え輝きて、
此の世の人々悉くその光を仰ぐことを得せしめ給え。

凡そ〝悪〝と見ゆることは、実は〝悪〝が存在するにはあらずして、
天照大御神の御光がいまだ其処にあらわれざるという消極的な姿にてあれば、
天照大御神、天之岩戸より姿をあらわし給うならば、光が必ず闇を消すごとく、
此の世のすべての暗雲と不浄と争いと戦いと混乱と騒擾(そうじょう)とは消え去りて、
あとかたも無く、光あまねく人生の隅々までも射貫ぬきて、
一切の禍と不幸とは此世よりその姿を消し去ること必定なり。
今より後、人類に悲しみなく、嘆きなく、苦しみなく、ただ喜びのみに満たされて、
人生の不幸ことごとく消え失せん。

住吉大神、龍宮実相の本宮より出でまして、尽十方(つくし)の光明遍照(ひむか)の、
竪端(たちばな)の音霊(おと)のひびきにて宇宙を浄化したまう時熟しぬ。

堅端の音のアハギが原とは、〝今此処〝の祓いの事であるのである。
即ち迷いをハギ取り実相の完全さを開顕するための言霊五十音配列の竪(たて)の端(はな)にある
〝アオウエイ!!〝の母音が唱えられる場所のことであるのである。
発声の語尾にアオウエイの音霊(おんれい)をつづけるとき、
宇宙すべての言葉は浄まりて、
一切の災いも、病いも、悲しみも、悩みも悉く雲散霧消(うさんむしょう)して、
住吉大神の御光あらわれ、
一切の〝悪〝と見えるものは消え去り、
すべての妖雲はその姿を消し、
今まで覆われていましたる天照大御神の大御光は白日となって六合(りくごう)に照り渡り、
万物・万生ことごとく、その光を受けて、
暗黒は消え、禍は滅し、病いは癒え、争いはなくなり、
まことに天国浄土を今此処に顕現するのである。

そのゆえに我れ今〝竪端の音霊(おと)〝を大神の光を迎え奉るコトバの力として恭(うやうや)しく唱え奉る。

(朗らかに高音にて次の如く朗吟する)

アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!(三回)

(かくて宇宙浄まりて天照大御神輝くことを心に瞑視しながら、〝みすまるの歌〝を次の如く朗誦すること二回)

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。
天照す御神の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。

1661a hope:2013/06/07(金) 21:14:04 ID:edEDolt2
 聖経「続真理の吟唱」より
〈如意宝珠を神より授かる祈り〉

わたしは〝神の子〝であると言うとき、それは神なる無限力がわたしに於いて具象化し、
現象的姿をもって顕われていることを意味するのである。

〝神の子〝は要するに〝神〝以外の何物でもないのである。
〝人間の子〝と言うとき、それは人間以上の何者でもないのと同じなのである。
それゆえに、〝神の子〝は神が応変自在、神通無礙(むげ)であるのと同様に、
人間も〝神の子〝を自覚すれば、妙智自在、事に応じ、物に応じ、人に応じ、
場所に応じて、迅速無礙に最も適当なる処置がとれるのである。

〝神の子〝は神の有(も)ち給えるあらゆる善き性質を承(う)け継(つ)いでいるのである。
神は愛であるから、わたしは神の愛を完全に承けついで、充分に愛深い人間なのである。
神の愛は偏りがなく、平等の愛であるから、わたしの愛も平等の愛であって、
決してある人を偏愛し、ある人には冷淡だということはないのである。

神は無限に完全であり給う。
それ故に実相に於いて、わたしたちは〝神の子〝として無限に完全なのである。
従ってわたしたちは実相に於いて病気に苦しんだり貧乏に悩んだり、色々の不調和に煩労することはないのである。

凡そ、〝神の子〝たる人間が病気するということは、実相に於いては無いのであるから、
もし病気がわたしたちの身体にあらわれるならば、それは夢を見ているのである。

凡そ、〝神の子〝たる人間は龍宮無限の富を自己の内に包有しているのであるから、
実相に於いてはわたし達は無限の富者(ふうじゃ)であり、貧乏に苦しむなどということはないのである。
それゆえにもし貧乏に苦しむようなことがあれば、それは実際ではなく、夢中に貧乏を見ているに過ぎないのである。
凡そ一切の不調和は、神のつくりたまえる実際の世界には存在しないのであるから、
その不調和は単なる夢に過ぎないのである。

わたしたちは、わたしたちの眼耳鼻舌身(げんにびぜつしん)の感覚にて知覚せられる一切の不調和を「有り」と観じてはならないのである。
それは五官の眼には「有る」かの如く見ゆれども、真実に於いて「実在」しないのであると積極的想念を思念する事によって否定しなければならないのである。
その思念による否定が強力であるならば、現象の不調和は一瞬にして消えはじめ、
ついに完全に、その不調和な姿は、本来の〝無〝の世界に没し去るのである。

わたしは今、積極的想念により、唯〝善〝のみ実在する世界を肯定し、
唯、調和のみ実在する世界を肯定し、一切の悪と不調和とを完全に否定し去るのである。
〝善〝の実在のみを肯定する想念を潮満珠(しおみつのたま)と謂い、悪の存在を完全に否定する想念を汐干珠(しおひるのたま)と称するのである。
われ今、住吉大神より潮満珠と汐干珠との陰陽二つの如意宝珠を授かり、
これを自由自在に駆使して神通自在に国を護り、世界を護り、家族を護り、自己を護り、
この地上に龍宮海そのままの住吉世界を実現するのである。
今われら大神の神護無限に感謝し奉り、大神の御心に副(そ)い奉らんことを契(ちか)い奉る。
ありがとうございます。

1662a hope:2013/06/07(金) 21:16:20 ID:edEDolt2
それでは復興Gさま、ご司会、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。合掌。
>>1646から復興Gさまのご講話が始まっています。

みなさまのたくさんのご参加よろしくお願いいたします。

1663復興G:2013/06/07(金) 21:22:57 ID:AB6RqYXc

a hopeさま

すばらしい

聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉

と、

聖経「続真理の吟唱」より
〈如意宝珠を神より授かる祈り〉

のお書き込みをありがとうございました。

感動です。

皆様、どうぞ 上述の資料をごらんになって、ご意見、ご感想やご質問など、ご自由にお書き込みください。

ありがとうございます。

1664ユタカ:2013/06/07(金) 21:28:21 ID:R1D4Jmeg
復興G様、a hope様有難うございます、まず、読ませていただきますが、時間内に投稿できないかもしれません。

では、続けて、読んでまいります。。。

1665髪の子:2013/06/07(金) 21:34:57 ID:zcruWQj2
復興G先生、ありがとうございます。
ご講話、ゆっくり拝聴させて戴きます。
ありがとうございます。

1666ユタカ:2013/06/07(金) 21:39:47 ID:R1D4Jmeg
今、自分が宇宙をそっくり持っている、と言うところを読んでいます。

自分ってなんて素晴らしいのだろう!!! と嬉しくなっています。。。

また、続けて読んできます。

1667復興G:2013/06/07(金) 21:43:09 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、髪の子さま、皆々さま。

私の投稿文の量が多いので、どうぞごゆっくりお読みくださって、時間外になっても・・・・・・明日になってでも、ご意見など出して頂けたらありがたく思います。

そのときは、「訊け」管理人さま、司会をよろしくお願いいたします。

合掌

1668a hope:2013/06/07(金) 22:06:07 ID:edEDolt2
復興Gさま

わたしは、今まで、2.26事件に関してほとんど無関心でしたので、今拝読し終わって衝撃を受けています。
個人的な感想もありますが、内容がとても深いので、プリントアウトしてもう一度しっかり心読してから発言します。

わたしもユタカさま同様、時間内の投稿はできないかもしれません。

明日は、早朝から仕事ですが午後は戻ります。
訊け管理人さま、ご司会のweb誌友会(後半)には参加させていただく予定でいます。

それでは、もう一度、ゆっくり拝読します。

1669:2013/06/07(金) 22:13:29 ID:ip8PrAeo
復興Gさま、ご指導ありがとうございました。
まだ、十分に読み込めていないところもありますが、まずは最初の部分の感想から。

復興Gさまがご紹介して下さいましたご文章

○ 本当の神というものはただ一つ――それは力が足りないこともない、愛が足りないこともない、われわれが悪いからとて神罰をあてるということもない、といってわれわれを悪いようにも造ってい給わない(われわれが罪を犯すように見えるのは本当の相ではないのであって、念の仮作せる影であります)。無限の力で、われわれとこの世界とを実に円満完全に神そのままの相(すがた)に造ってくださった神が本当の神であります。(p.77)

上記のご文章を読んで、改めて、感動いたしました。
不完全な、未熟な自分を心の法則で責めたりしていた時、この生命の実相の教えによって、心が解放されました。
神様の大いなる愛に包まれていることを知って、はじめて、生きている喜びを感じるようになりました。
その喜びは、魂の奥底から湧き出てくる喜びでした。

本日のWeb誌友会で、感動を新たにしたところです。
ありがとうございます。

1670復興G:2013/06/07(金) 22:39:04 ID:AB6RqYXc

>>1668 :a hopeさま

どうぞゆっくりレスしてください。衝撃的な、むつかしい投稿をして、すみません。


>>1669 :香さま

ご投稿ありがとうございます。

>>この生命の実相の教えによって、心が解放されました。<<

よかったですね。

私も解放された気持で、うれしいです。

ありがとうございます。

1671ユタカ:2013/06/07(金) 22:41:00 ID:R1D4Jmeg
復興G様、 今1656を読んでいる途中ですが、まず、漢字の読み方が分からないのが多々あります。

明日は辞書を持ちながら読み直しします。。。 あ〜〜〜、難解、、、誰か日本語にして! と言いたい位難解・・・

コメントどころか<読めない・・・> です。   皆さん、先にドンドンコメントして下さい。 それを読んだら、意味がよく分かりそうな気がします・・・・

1672復興G:2013/06/07(金) 22:44:41 ID:AB6RqYXc

>>1666 :ユタカさま

>>今、自分が宇宙をそっくり持っている、と言うところを読んで 自分ってなんて素晴らしいのだろう!!! と嬉しくなっています。。<<

服部先生のご講演は、ほんとに深くて説得力があって、楽しくて、すばらしいですね。

1673復興G:2013/06/07(金) 22:53:44 ID:AB6RqYXc

>>1671 :ユタカさま

行き届かず、すみませんでした。

読み方を(  )で入れようかとも思いましたが、あまりそれが多くなるとかえって読みにくくなるかと思い、また漢字を見ればだいたい意味はつかめると思って、そのまま転記していました。

生長の家の現在の分裂状態も、なにかこの2.26事件の時と似ている点もあるのではないかという気がして、転記させていただきました。

1674復興G:2013/06/07(金) 23:06:52 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

では、予定時刻になりましたので、今夜は一応お開きにさせていただきます。

どうぞ、このあとも、また明日にでも、ご自由にご意見などをご投稿ください。

そのときは、「訊け」管理人さま、自然体で、司会をよろしくお願いいたします。

では、皆さま おやすみなさい。

ありがとうございました。

1675ユタカ:2013/06/07(金) 23:11:19 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、皆様、有難うございました。

天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり
天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり

おやすみなさいませ。


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