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「部室」板/4
546
:
「訊」
:2015/10/16(金) 07:25:39 ID:BbS6ePJM
>>545
生長の家の教えとはなに様
さてその、顕斎の必要性に関しては、『類纂 神の真義とその理解―住吉大神顕斎の意義』です。ここに明示されておりまして「神殿不要なのになぜ顕斎するのか?」の理由に関しましては同書「第三篇 」の第一章「何故住吉大神の顕斎が必要か」173頁がご参考になるのではなかろうかと思います。
拜
◆ 鎮護国家安泰のための“龍宮住吉本宮”
『生命の實相』の中には、「吾れに神殿は不用である。吾が神殿は既に成れり、『生命の實相』という。そしてこの『生命の實相』の扉を開いたならば、其処に真理があり、神が在る。だからその真理を内に包蔵しているこの『生命の實相』の本が“神殿”である」と書かれている。これに対して住吉神社を建てるということは、どのように説明するのであるかという問題もあったのであります。
それから住吉神社というのは、日本に十何社とかありまして、その内の一つであると誤解されるのもいかぬし、それから住吉大社というのは、大阪にあるが、その“住吉大社”と混同するような名前を附けるのはさし障りがあってまずいのではないかというような問題やら、色々な問題があったのであります。
神想観をしていますとこういう名が浮かんだのです。
“龍宮住吉本宮”――龍宮の住吉大神の本の宮――という字です。それは奥の院というか本当の神様の在ますお宮です。そのお宮が“龍宮住吉本宮”でありまして、それから本宮の前面に拝殿に当るものをつくるのです。
ところで宇治には“入龍宮幽斎殿”というのがある。しかし九州の本山に建てるのは、鎮護国家、国家を鎮め護る、国家を安泰に護る――その目的であの住吉本宮というものは建てるわけであって、吾々個人が御利益を得るために建てるのではないのです。
龍宮から住之江大神の御神威の出現を願って、この世界を浄化して頂いて、天照大御神の御光を六合に照り徹らして頂く道を開いて頂き、日本国家を千万年安泰にする霊的礎を築くために建立する住吉本宮であって、吾々個人が御利益を貰うために拝むとか言う、そんなお宮ではないのです。端的にいえば、鎮護国家を目的とするお宮であって住吉大神の御出御をお願いするための社である。それが“龍宮住吉本宮”であります。
◆ 住吉大神が出御遊ばす“出龍宮顕斎殿”
その“龍宮住吉本宮”の拝殿にあたるところで、住吉大神の御出御をお願いするために顕斎の儀式を行う。“幽斎”に対する“顕斎”であります。拝殿ではあるが、単なる拝殿と称せずして――宇治は“入龍宮幽斎殿”でしたが、これは“出龍宮顕斎殿”という名前にする。龍宮から住吉大神がお出ましになるための“出龍宮”、その住吉大神をお迎えするために顕斎を行うところのその拝殿ということにしたわけなのであります。これは神示「吾が神殿は既に成れり。『生命の實相』という」と矛盾する訳ではない。神は言葉であり、真理であって、扉を開けば真理のコトバが出て来る本というものは確かに神殿である。
しかしその神殿は吾々が真理を悟るために、その神殿の扉を開いて読むと、自分自身の魂が向上し、悟りを開き個人が救われるための神殿が『生命の實相』である。自分が悟りを開いて魂が高まり、浄まる、それが更に清まり高まったら、結局、個人の利益でなしに、国家の成仏になって来るのであります。
しかし、ともかく個人が悟りを開いて、段々と高まって行って、やがて国家も護れるというのには時間がかかる。今は国家の危急の時であるから、一方に於いてはその個人が真理の言葉の扉を開いて入って行く為の「吾が神殿は既に成れり」が『生命の實相』の本であり、霊的修行によって個人が龍宮界に参入するための斎殿が宇治別格本山の「入龍宮幽斎殿」であります。“入龍宮”と言ってあるのは、龍宮は実相世界でありまして、『生命の實相』を読んで真理を知って龍宮に入るのは“知的悟り”で今此処が龍宮海だと知るのですが、幽斎というのは鎮魂であり、神想観をして目無堅間の小船に乗って龍宮に入って行って、吾々の魂が住吉大神の許に行って、住吉大神と一体となる、無量寿の生命と一体となり、無限供給の生命と一体となる――それが“入龍宮幽斎殿”の修行なのですが、今度のは、“出龍宮顕斎殿”である。住吉大神御自身が実相龍宮界から御出御遊ばして日本の国を護り給うための御出御の扉を開く社であります。
結局、この龍宮というのは「久遠を流るる生命の世界」が“龍宮”なんであります。それは時間の流れを超越していながら、無限の時間が今其処にある世界なのです。それで“有限即無限”“久遠即今”のその世界が龍宮であって、その龍宮の本尊が住吉大神である――それを自覚したときに住吉――住みやすい――つまり極楽世界が実現して来るということになる訳であります。
<了>
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