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トーキングスティックボード

4810:2014/11/22(土) 21:15:21 ID:oeUx5MQw

 真の愛国心について   谷口雅春先生御著書『聖なる理想・國家・國民』より


 戦争が終わって、まだ幾年も経たない時のことであった。NHKの録音構成による大学生の座談が聞こえて来た。テーマは「愛国心」についてであった。

その中で「日本国を愛するといっても、愛せられるような日本国になったら愛せられるけれども、この敗戦の雑然混然たる醜しい日本国がどうして愛せられるか」というような発言をした学生があった。私はそれを聴いて憮然として嘆息したことがある。

彼は日本国の實相を見ず、ただ現象の相だけを見ているのである。彼はただ物質の相だけを見て、その奥にある日本の實相を見ないのである。


本当の愛は、魂と魂の触れ合いである。生命と生命との触れ合いである。


日本国を愛するとは、自分の魂と、国の魂との触れ合いによって、本来、“国そのものの魂”と“個人たる自己の魂”との一体感の自覚である。

“国のいのち”と“自己のいのち”との自己同一の自覚である。

これこそが本当の愛国心である。


“国”とは決して、自分の肉体が気持ちがよくなるために入る浴場の湯槽みたいな単なる生活の“場”ではない。

湯槽ならもっと入浴が快適になるように、タイルの浴槽にでも、エナメル鉄板の浴槽にでも、或は硬質ビニールの浴槽にでもどんな材料でも使って、どんな形にでも改造してもよいけれども、


国家は生命体であり、生きており、国家のいのちがあり、伝統ある個性があるのである。

続く

4811:2014/11/22(土) 21:25:10 ID:oeUx5MQw
続き

 国家のいのち、そしてその伝統ある個性美の特長を守りつづけ、そしてそれをその個性の方向に一層伸ばして行くことこそ、国家のいのちと一心同体である国民の使命であり、その使命に邁進せんとする国民の意志こそ愛国心なのである。


 釈尊が尼蓮禅河の畔の菩提樹下に結跏趺坐して悟りをひらかれたとき、釈尊は、すべての存在が、山も川も草も木も国土もことごとく物質でない事を感得せられたのであった。この悟りが「山川草木國土悉皆成仏」という語で表現せられているのである。この語の中には国家も単なる国土ではなく仏(宇宙の本体)のいのちの現成であるという意味が含まれているのである。

“宇宙のいのち”すなわち宇宙大生命が展開している“純粋世界”が“實相世界”である。

“純粋世界”は物質ではないから肉眼には見えないのである。

この“純粋世界”のことをキリストは“天”とか“天国”とか、“神の国”とかいう語をもって語られた。

キリストが「みくにを来たらしめ給え。み心の“天”に成るが如く地にも成らせ給え」と祈れと訓えられたのは、この“純粋世界”の写象として、純粋世界そのままの姿が、“地”すなわち現象世界に、実現するように祈るように勧められたのである。


この純粋世界は、神の創造になる世界であり、神の愛と叡智と生命力との展開せる世界であるから、

神が唯一の中心であり、すべての生物、すべての存在ことごとく、秩序整然として一つの中心に帰一して、各々その天分に従って、互いに扶け合い、大調和せる生かし合いの世界であるのである。

多元中心の世界の如きは、互いにその覇を争うために、権力闘争の世界を展開して永久に平和の世界を実現することはできないのである。

続く

4834:2014/11/22(土) 22:22:01 ID:oeUx5MQw

 愛は天上のものである、物質界を越える


 かつてNHKテレビ番組で好評を博していた「旅路」の中に出て来る岡本良平という汽車の機関士がある。

彼は真から汽車を愛した。そして北海道に住んでいた彼は北海道に特急列車が走るようになることを、あたかも自分の子供が出世することのように楽しみにしていたのである。

やがて列車の動力資源として石炭は斜陽となりディーゼル油が使われる前途が見えて来たので、北海道の鉄道局では古参の機関士にディーゼル機関の構造や操縦法の講習を受けさせることになったのである。

ところが彼はその受講をことわったのである。妻が受講をすすめても、先輩がそれを勧めても頑として応じなかった。

先輩がその時、岡本良平に、「北海道にいよいよ特急が走る時期が近づいたよ。君はその特急第一号に乗りたいといっていたが、その特急車はディーゼル機関車だよ。汽車はだんだん時代遅れになって、もう間もなくレールの上を走らなくなる」といった。


 その時、良平は「今まで、さんざ働いたあげく、古くなって価値がなくなったからといって棄ててしまう。わしはそんな薄情な気持になれないんだ。わしは汽車を愛しているんだ。

世間から棄てられ忘れられて行く汽車のことを思うと、最後の一台になるまで、その蒸気機関車をみまもってやりたいんだ」という意味で答えている。


こんな岡本良平は、“縦横厚み”の三次元世界での損得の世界を、“愛”のゆえに、踏み越えたのである。


 愛は天上のものである。それは物質界に属しない。物質界の損得を越えるのである。


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