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トーキングスティックボード

373義春:2011/10/27(木) 16:08:02 ID:SjZg29/2
>>371
初心者さま
まぁ…確かに。人間知を否定する事は考えなくて良いという事に繋がりますね。
…ですが、彼等はそれで解決出来ても、万人向けとは言い難いと感じます。
例えば、悩んでいる友人達やらに、それをぶつけたら、恐らく、友人達は傷付きます。その言葉は友人達が悩み苦しむ、そういった事を全て否定しますから…。これは目に見えて分かります。

初心者さまの仰る様に、そんな人達を彼等は見下ろすだけなのでしょうね。ちょっと私には出来ません。

彼等に人間知と見下ろされたとしても、ずっと話を聴き、共に悩み、共に泣き、共に考える…少なくとも、見下ろすよりも、神ならそう在ろうとされると信じますから。
まぁ…この色々な事に関して、彼等の行動で何かしら実相知が発揮されたのでしょうか?私はちょっと見当たらない様な…というのが感想です。そして、いい加減、その実績を見たいなって想ったりします。

374さくら:2011/10/27(木) 17:21:32 ID:wzws7xnM
雅宣総裁のことを書いても、反対も、賛成も、ありませんね。
宗教組織のことも、トキさまの体験がわかっただけで…。

納得できない、ボードは、いつまで、続くたら、良いでしょうか?
ボードが終わったら、旅に出たいので。

義春さま、彼らって誰でしょうか?

375さくら:2011/10/27(木) 17:29:21 ID:wzws7xnM
誰か、次のスティッカー候補は、いますか?

今の方針かくなら、本流対策が、良いのか、
違うスレッドででも、呟くか。

トキさまは、ここの司会ですか?
どちらでも、構いません、
ご判断お願いします。

376さくら訂正:2011/10/27(木) 17:42:12 ID:erAfhhIE
続くたら→続けたら

377義春:2011/10/27(木) 18:02:10 ID:iu5Ar./Q
さくら様
 いやぁ、初心者さまが仰る人間知をさけずむような発言をしている人達、
その人達を指して、彼等って言ってるんですよ。

378さくら:2011/10/27(木) 18:22:52 ID:T/77sMGw
義春さま

変なこと聞いてごめんなさい。
さくらは、ステイック持ってから、少し焦りがあるのか、
気持ちが時々、突っかかってしまったりして、
…まだまだ未熟者ですみません。

義春さまは、今の組織に、なにか、可能性を感じられますか?
義春さまなら、何が出来るとお考えですか?
組織にこだわらなくても、青年会の残った仲間でも今、何が出来ると思いますか?
どんな行動をして、影響を与えられますか?
義春さまの深い体験や見地から知恵を、お借りしたい気持ちです。

わたしも、大切にしたいのが、人に寄り添う気持ちだと思っています。
何もできないと…思う時がありますが、寄り添う気持ちを大切にしたいし、
何が出来るかを、考え続けて行動できたらと思っています。

379義春:2011/10/27(木) 18:56:15 ID:iu5Ar./Q
さくら様
 まぁ…私は活動を離れて何年にもなる不良信徒なので、今の青年会の現状に関して
絶対量の情報が不足しており、あまり知らない本当の所でありますが、
思うままに少し書かせて頂きます。

 孫子には組織で重要視しないといけない項目のトップに『信』を置いています。
信とは何かですが、それは信頼関係になろうかと思います。
戦場に於いて、連絡等を綿密に取れる環境ではないので、日頃からの信頼関係による、
阿吽の呼吸が重要視されたといえます。
又、西洋に於いてもドイツのモルトケも、そういったものを重視したというのが
西洋での軍事関係の本にもありました。

 それだから、基本的な話で申しわけないのですが…本当に実情が分からないので、
堪忍して頂きたく思います。

380初心者:2011/10/28(金) 10:29:22 ID:hogyfr1M
なんどもいうようでありますが、実相知、実相知といわれるのであれば、その叡智を
存分に発揮なさればよいのでありますよ。それほどまで卓越した能力をお持ちで
あれば、それを発揮して問題を解決なさればよいだけの話なのでありますよ。

あなた方は、実相知を、人間知をさげすむという、ただのそれだけの目的でしか
使っておられません。それでは、あまりにももったいないことでありましょう。あなた
方は、人間知をはるかにしのぐという実相知を発揮できる立場におられるのであり
ますから、その実相知を発揮なされて、人間知では解決できない問題を、てきぱきと
解決してゆかれれば、それでよいのでありますよ。

実相知から見れば、解決すべき問題はどこにも存在しない。だからなにもしなくて
もよいのだ、とお考えなのでありましょうか。なるほど、それはそれで、すばらしき
悟りの境地でございます。そうやって、問題解決のために、日々努力をつづける
人間知をさげすんでおられれば、それでことたりてしまわれるのでありますから、
たしかに実相知の功徳には、はかり知れないものがあるということなのでございましょうね。

実相知。それは安住の地でごさいますね。その高みにのぼってさえいれば、人間知
のすべてを見おろすことができて、自分ひとりを高しとすることができるのでありま
すから、いちどでもそうした境地の快楽を味わってしまわれれば、ふたたび手放す
ことなどできた相談ではないというのは、たしかな道理というものでございますね。

実相知とは、ようするに能力とは無縁の世界ということでありますね。その言葉を
知ってさえいれば、それですべてがことたりてしまうという世界なのでございますね。
実相知という言葉さえおぼえてしまえば、オールマイティーのカードを手に入れた
も同然なのでございます。むろんそれは、生長の家の内部だけに通用するカード
であって、世間一般ではまったく相手にされないカードでありますが、少なくとも
内部においては、絶大な威力を発揮するカードということになるのでござまいす。

カードを手にされたみなさま、使い心地はいかかでございましょう。ヘーゲルの
「主と奴の相克の弁証法」のたとえにちなみますなら、カードを手にされたみなさま
は、「主」ということでよろしゅうございますね。そして、人間知で問題を解決しようと
するものたちは、さしずめ「奴」に身を落とした輩ということになるのでございましょうね。

「奴」は、自由を得るために「主」に戦いをいどみます。わたくしがここでやろうとして
いるのは、「主」であるみなさま方に向けた、「奴」の解放運動なのでございますよ。
むろん、総裁先生であろうとも、人間知の信奉者であり、その権化でもあるという
意味では、「主」であるみなさま方のまえでは、ひとりの「奴」にすぎないということに
なるのでありましょうね。

わたくしは、総裁先生と同類の「奴」として、カードを手にされたみなさま方に戦いを
いどまなくてはなりません。「主と奴の相克の弁証法」。それを現象世界に顕現して
みせるというのが、現教団の活動目標のひとつであると考えております。総裁先生が
なにをお考えになり、現教団がなにを実現しようとしているのか。その全貌がようやく
見えてきたような気がいたします。

おもえば、ヘーゲルの『精神現象学』は、予言の書でもあったような気がいたします。
こんにちの事態を、ヘーゲルは、まるで予知していたかのような錯覚にとらわれて
しまいます。哲学学徒とは無縁のド素人の悲しさか、なかなか理解は進みませんが、
「主」との戦いをまえにして、ぜひとも知っておきたいことがらが、同書には記されて
いるような気がしてならないのであります。

381トキ:2011/10/28(金) 10:42:57 ID:lV3PWRPw
>>374

 ご本人が納得するまでは続けて大丈夫なんですが。

 どうでしょう、疑問に思われる点を具体的に挙げてみてはどうでしょうか?
私も、昨日は、間違って「女子」板に書いてしまいましたが、続きはこちらで
書きますから。

合掌 ありがとうございます

382さくら:2011/10/28(金) 11:31:56 ID:T/77sMGw
トキ様
疑問というより、書いたことに何か、意見があれば、
考えをまとめたいのですが、。
なんだか、自分が伝わってる文を書いてるのか、
今のままだと、よく分からなくて、
心が揺れまして、
すみませんでした。

すみません、まだボード使わせて下さい、。

疑問といえば、
今は、宗教組織の問題点と、
今の教え、の可能性なのですが、。
週末は、まとめて、書けないので、
また来週書いてきます。
長く使って、迷惑なら、いい加減なところにしますから。

お手数おかけして、申し訳ありません。

383トキ:2011/10/28(金) 11:40:52 ID:lV3PWRPw
 活動について、少し小さな事を書きます。

 以前は、本部の幹部が教区に来ると、用事が終わった後に、本部の幹部と教区の役員が会食をすることがありました。
この時、教区のお金で飲食をするケースが多くなったため、本部通達が出て、本部の幹部への接待は禁止となりました。
私個人も、公費での飲み食いは嫌いなので、それ自体は歓迎する措置だと思います。

 しかし、最近は、本部の幹部が教区に来ても、用事が済んだらすぐに帰る、というケースが目立つ様になりました。
もちろん、出張の多い本部の幹部が、教区に来るたびに、余計な支出を繰り返したら破産してしまう、という事情もあ
るし、余計な事をして、誤解されたくない、という気持ちもあるでしょう。
 が、従来、用事が終わってからの飲み食いの席で、教区の人間と本部の幹部が、腹を割って話す事も多かったので、
そういうコミュニケーションという意味では、貴重な場を失った、という気持ちもします。公式の会議、例えば講習会
後の懇談会なども、総裁と教区の幹部はやりとりをしますが、あれは教区の人間にとっては、本音を言っている場では
ありません。会議では建前、お互いに本音を出し合うのが会議後というのは、ある意味、日本的なんですが、それで
ある意味、うまく回っていたのも事実なんです。

 最近、本部のやる事が的外れなのも、こういう場面が背景にあるような気がします。

384さくら:2011/10/28(金) 12:39:45 ID:T/77sMGw
トキ様

いつも、真摯に、トキ様の実感としての組織に対する思いを、書いてくださり、ありがとうございます。

私は、組織の運営的な面と、本当の意味での信仰心、というのは、
完全な一致というのは、難しいと考えていました。
宗教組織が不必要とまでは言いすぎだと思いますが、
トキさまが色々な内部の事情なども書いてくださったことからも分かりますが、宗教としての組織というのは、弊害が多いと感じてました。

誰に対して、弊害が大きいのかは、団体に属する信徒だと感じています。
その教えを純粋に信じて信仰していこうとする、団体に属した信徒にとって、だと思います。

また、組織化する宗教は、教えがイデオロギー化してしまうというか・・そうならざるを得ない面があるのかな、などの疑問もありました。


組織運動は、何か一つの目的や理想を掲げて(数や利益?なども)全員が一つにならなければなりませんが、
信仰というのは、全く神と自分との世界を見出していくことで、次元も違うのではないか・・とも感じます。

組織は組織で、使命があると思うので、運動の展開の可能性を、考えていくことが大切だとは思うのです。

組織の運動や管理の体制も、絶えず周囲の環境、社会情勢によって変革しなければならないと思いますが・・それは、「普遍的な教え」の展開として、どういう変革をしていくべきなのかは、難しいことですね。
だから、組織は完全ということはなく、失敗も当然だと思いますし、それでこれからどうしたらよいか、それをオープンに話し合うのが良いとは思いますが・・

でも、一部では、いまだに、過去の発言がこうだから、正しかった、正しくなかった、ということばかり問題にされて、正直、新しい展開への理解などが、よく見えないような気がしています。

トキさまが肌で感じておられるような細かい事柄からそうですが、
生長の家も、やはりオープンな議論や本音の話しあいができない体制がつくられてきて、改善が困難だったり、いまの総裁に対しても、内部の方でさえ、何も提言もできないような体質になっている、そういう事情が色々とあるのだと、思います。
でも、その体質は、誰がつくってきたのでしょうか・・。
わたしのような、一般信徒には分かりません。
組織の問題や、矛盾点はどこにでもあると思いますが、宗教団体のようにもっとも人間存在の根本になるような信仰や真理を掲げている団体においては、
その信仰を求めてくる信徒には、そうした組織の体質を感じれば、
余計に迷いや葛藤も大きくなるのではないかとも、思います。
組織に期待ができなくもなる原因になってもいると思います。

だから、このような場でも、トキさまのように実感として組織の弊害を話していただくと、
改善点も分かってくるのではないと思います。

385初心者:2011/10/28(金) 12:41:20 ID:hogyfr1M
さくらちゃんへ

どうもわたくしは、この場を、自分の考えをアピールする場として使っているような気がいたします。それはそれで、十分に申し訳のないことでありますが、さくらちゃんの考えとも近似した考え方でもあるはずでありますから、どうかお許しいただきますようお願いいたします。

>実は、生きて体験していく、というのは、絶対的な真に安定する、というよりも、たえずある対立や分離された意識の中にあって、ある否定性の中に留まる状態である、というのが、本当は、生きている実感なのではないかと思うことがあります。
でも、そこから、何かを見出していけるのが生きていることだし、「見せかけの存在のむなしい身振り」にも、意味があり、体験を与えられているのだとも、考えます。

これは、生長の家のコアな信仰者の方々には、とうてい受け入れていただけない考え方でありますね。絶対的な真に安定するというのが、コアな信仰を持った方々の唯一の望みでありますから、その否定性を認めながらも現象的世界にひたすら留まってみせるという考え方は、そうした方々にはとうてい受け入れてはいただけない思考方法ということになってくるのであります。

絶対的な真に安定したければ、すればよいのですよ。好きなだけ安定なさればよいのでありますよ。ただ問題は、こうした方々が、現象世界に留まって見せようとする人たちの足を引っ張ろうとすることなのでありますね。絶対的な真に安定することだけを唯一の価値観とする人たちには、そうでない価値観を受け入れるという選択肢などあり得ないのでありますね。だからこそ、留まろうとする人たちが許せなくて、批判するだけでなく、自分たちの価値観になにがなんでも従わせなくては気がすまなくて、足を引っ張ることだけを考えるようになってしまうのであります。

問題の核心というのは、絶対的な真に安定するというのが生長の家の唯一のあり方なのかということでありますね。生長の家に、現象世界という否定性に留まるという選択肢はないのか、ということなのであります。コアな信仰をお持ちの方々は、現象世界に留まるという選択肢を認めません。絶対的な真に安定するという価値観以外は、絶対にお認めにならない方々なのでありますね。

これまで、生長の家は、実相世界へのひきこもりを標榜してきましたから、これは絶対にゆずれない一線なのでありますね。現象世界を認めれば、それは生長の家ではないとする考え方なのでありますね。これはいってみれば、実相世界という素晴らしい世界があるのに、なぜ現象世界に留まるのかという批判であったわけですが、これにたいして、実相世界がたとえどんなに素晴らしくとも、それでも現象世界に留まることの意義を見いだそうとする人たちが、どうやら新しい流れとしてあらわれてきたようにも思えるのでありますね。実相世界のことはわかったから、それなら余裕で現象世界を楽しんで見せようとする、そうした人たちがあらわれてきたということなのでありますね。

コアな信仰者の方々は、そうした「余裕」に気づけないのであります。それは「余裕」であるのに、「迷い」に見えてしまうのでありますね。だから、どうしても批判せずにはおれないという話になってくるのでありますね。

余裕で真理と現象世界を、ともどもに味わってみせる。今はこうした流れにあるはずです。かつての時代であれば、真理を自分のものにするということは大変なことでありましたね。だからこそ、いちど手にした真理は手放せないとする強迫的な観念にしばられるのが当たり前のこととして受け入れられてまいりました。ですが、今はちがいます。真理は、それなりに楽に手に入れられる人たちが増えてきたようにおもいます。易々と手に入れた真理にしばられる必要はない。手放すときは、いとも簡単に手放してみせる。そうした余裕派があらわれてきたということなのでありますね。

真理を手に入れるために人生のすべてをささげ、その至上性という絶対観念にしばられた人たちには、いくらかの苦悩を体験しながらも、それでもいともあっさりと真理を手にし、余裕で楽しもうとする人たちの存在は、とうてい許せるはずもないのであります。そう簡単に味あわせてなるものか。これが本音だろうという気がします。問題を大きくしたがるというよりも、真理を大きくしたがる人たちなのでありますね。

386初心者:2011/10/28(金) 14:00:32 ID:hogyfr1M
義春さん

いい加減、その実績を見たい。これはいつわらざる思いでありますね。
そんなにいうなら、実績で示せ。どうしたって、いってみたくなりますね。

実相知でなにをしてらっしゃるのですか。それをたずねてみたくもなります。
じっさいは、なにもしてらっしゃらないでしょう。ただ言葉だけなのですね。

差別化。これは大事なことなのですよ。実相知と人間知はどのように
差別化されるのか。これは語られなければなりませんね。

言語学にひっかかるのは、人間知の浅はかさであると考えられているようで
あります。ならば、実相知では、言語はどのように解釈されるのか、それを
具体的に述べていただく必要がありますね。

実相知で語られる言語解釈が、ソシュールの人間知によって語られる言語解釈に
たいしてどれほどの優位性を持っているのか、それを示していただきたいもので
あります。

じっさいにはなにも示せないでありましょう。無理に語ろうとしても、ソシュールの
足元にもおよばないような、稚拙な解釈がなされるだけであります。語れば馬脚を
あらわしてしまう。馬脚をあらわさないために、実相知の持ち主はなにも語ろうとは
しません。実相知は、具体的なことはなにも語らないことでしか、その優位性を誇示
できないのであります。

人間知をさげすんでおられる方々には、人間知を超えるというその方法で、これまで
なにをやってこられたのか、まずはその具体的な実績を示していただきたいもので
あります。それと、本流掲示板において実相知がどのように展開されているのか、
その見解についても、ぜひうかがってみたいものであります。

387さくら:2011/10/28(金) 15:15:04 ID:T/77sMGw
いえ、初心者さま

初心者さまには、感謝しております。

私は、正直、今まで自分の実感を、言葉にすることを、おろそかにしていた気がします。

ここで、自分なりには、多少もがきながらでもそれを言葉にしてみよう、と思ってお願いしましたが、
言葉も知識も何も足らずもどかしかったり、表現することへの恐れがある自分があるのが分かりましたし。
でも、初心者さまが、それを見事にフォローしてくださっているようで、
感謝しています。
そんな風にできるのは、真理の探究に真摯に向き合われてきた初心者さまの世界があるからだ、と思います。

私は、宗教や精神世界を経験して、何を求めてきたのか、自分の実感をごまかしては来なかったか、「与えられる言葉」に、甘えてはいなかったか、真実の姿を見る真摯な姿勢よりも、そこに「癒し」や、「救い」をただ求めてはいなかったか、宗教組織に自分の信仰心をただ利用されるがままになっていなかったか・・とかなんとか、
色々反省があります。

>実相世界のことはわかったから、それなら余裕で現象世界を楽しんで見せようとする、そうした人たちがあらわれてきたということなのでありますね。

これも、私の実感を言葉にして下さったようで、うれしいです、笑。
そんなことです。だから、ある苦悩だって、楽しめるのです、笑。
真髄が流れているのが分かれば、何も手放すことを恐れることはない気がします。
後は、とことん「現象の迷い」の世界で何ができるか、行動するために考える、それだけの様な気がしています。

今、自然と共存する日本の復興や再生のあり方についても、考えていかなくてはならないと思いますが、漠然とした希望の方向があります。他のスレッドの皆さんの話を聞きながらでも、知恵をお借り出来たら、有り難いと思います。

それはまた、ちょっと時間が足りないので、またお願いします。

388さくら:2011/10/28(金) 15:15:52 ID:T/77sMGw
>337
トキさま

時間足りない時に見たので、前の処に戻ってすみません。

>そもそも、生長の家という組織というものが、何のためにあるかと言えば、生長の家という運動のためにあります。生長の家という運動が何のためにあるかと言えば、生長の家という信仰のためにあります。生長の家という信仰が何のためにあるか、というと、人間の幸福と国家の安泰、世界の平和のためにあります。だとすれば、講習会の受講券を購入するとか、聖使命会員を増やすのは、「手段」であり、「目的」ではないはずです。それ
が、今では、「手段」と「目的」が逆転していると思えます。このあたりの倒錯が、生長の家という組織の問題点であるのかもしれません。

つまり組織の目的は、人間の幸福と国家安泰、世界平和のためということでしょうか。

では信仰には、目的、というものが、果たしてあるのでしょうか。

前にマザーテレサの姿を思い出したことを書きました。
「人を救う、効率を考えては」
と人に言われて、
「効率なんて考えていない、ただ、1人を助けたいだけ」といって、戦場に向かっていったことです。

復興G様でしたでしょうか、
前に、「ハチドリのひとしずく」のことを書いていらっしゃいました。
ハチドリは、効率や、なにか目的の様なものの達成のために、山火事にひとしずくを、運んでいるのではないと思います。
やらずにいられないからそうする。それだけのことなのでしょう、と感じます。

組織には、目的があるけれど、信仰には、目的の達成ではない世界があると思いました。

総裁が「大海に一石を投じる」と表現されていましたが、
生長の家が今なにか運動をして、すぐに世の中が変わらないかもしれない、
でも、何かをやらずにいられないから、そうする。そのような信仰の衝動があるのだと思います。
雅春先生も、そうされてきたのだと思います。

大海に一石を投じた時には、何も変わらなくても、それを見た人が、自分にも、一石なら、出来るとおもって、行動を起こすかもしれない、そういう人が増えるかもしれない。
そうしたら、向こうでも、やっぱり同じように、一石を投じている人がいるのが分かり、協力し合う。石がどんどん増える。そうしているうちに、海に、一つの島ができるかもしれない、そんな希望が生まれる。
そのようなイメージがあるようです。

>組織も運動も、あくまでも「手段」である事を考え、本当の目的は何であるか? という原点に
戻って、組織や運動のあり方を考え直す必要はあるような気がします。



組織の目的があるなら、信徒の信仰を支える、目的でもあってほしいと思います。
信徒の信仰に寄り添い、まず、その信仰心を大切にできる組織作りが出来ていけばよいと思います。
教えの正しさを伝えるだけでなく、トキさまが仰るように、組織は、信仰のための「手段」であってほしいです、が、まず、組織ありき、「正しい教え」を伝える目的ありき、の様な気がしていますね。

>344
>講習会を始め、普及誌なども、もっと信徒の意見を取り入れるべきだと思います。(左翼運動の経験者が話しておりましたが、左翼系組織では定期的に、無記名アンケートや会員の意識調査を実施し、部内の世論を調べているそうです。)

>もう一つは、今までとは違う、「ビジネスモデル」を構築する事です。教区が今、着目しているのが、練成会です。これは、ある程度の収入が見込めます。講演会もある程度の条件付きで、復活してもよいと感じます。
>あと、大事なのは、本部と教区がもっと対話をする事です。お互いに、相手に不信感を感じております。これは良くない事です。相手の良い分を謙虚に聞く姿勢が大事だと感じます。

オープンな話し合いや、改善のためのオープンな話し合いができない体質は、
なぜなのでしょうか?
まず、信徒の信仰、を第一に考える、という視点の一致を、大切にしていきたいのですが、やはり「組織の目的」第一の様な気がします。その目的は、立派な大義名分やイデオロギーかもしれませんが、信徒の声が届きにくい、体質をつくっているような気もします。

練成は、やはり一番、信徒の信仰に近い場所にあると思います。
でも、あまり昔と違って人が集まらない、とか問題があれば、
魅力ある練成は何なのか、考えることも大切ですね。
今の時代に魅力ある、練成会ってどのようにしていけばいいかも、話し合いがされると良いのに、と思います。

390トキ:2011/10/28(金) 17:36:32 ID:lV3PWRPw
さくら 様

 長文のコメント、ありがとうございました。論点というべき点がいくつもあり、考えさせられますね。

 何回かに分けてご返答をさせていただきます。すみません。

 もともと、生長の家という組織は、結構、自由度の高い組織でした。谷口雅春先生はあまり他人を束縛するのを嫌われたらしいし、あと、生長の家の地方組織というのは
現地の信徒が自発的に作ったという背景があるからです。教化部なども、信徒の寄付で出来た場所も多いと聞きました。本部にそれほどお金も人のなくて、どうしても
地方組織については、手が回らないという事情もありました。結果、教区から見れば、自分達の力で組織を作ったのだから、本部からあれこれ言われる筋はない、という
発想が強くなりました。

 こういう歴史があったので、地方組織が本部の言う事をきかないケースが頻発しました。これは、生長の家という教団にとっては、たいへん困る事でした。そこで、
本部は地方組織をなんとか自分の言う通りに動かそうとやっきになります。生長の家政治連合時代以来、その傾向が強まったとも聞いております。この傾向は、生長の家
政治連合がなくなってからも強まりました。例えば、教化部長の報告書も、以前は理事長宛でしたが、最近は総裁宛に直接メールで詳細に送り、それに対して総裁からも
細かい質問が届くと聞いております。そして、最近では、教区は本部の言う事には全く反対できない状態であると聞いております。特に、オーストラリア教化部の包括関係
離脱や生長の家社会事業団の反乱以来、相当、神経を尖らせているみたいです。

 そういう状態になると、教区の裁量というものが極端に狭くなります。また、一々、本部にお伺いをたてないと、動けない状態になると、運動へ主体的に参加する意思は
落ちます。この状態が行き着くと、もう本部のご機嫌だけとって、大過なく年月を送ろう、という発想になります。その本部の方針が納得のできるものだと会員も従おうと
いう気持ちにはなりますが、最近のように、環境とか絵手紙だけの運動になると、もう馬鹿馬鹿しくて、やっておれない、という感情になります。しかも、本部も議論をし
て負けそうになると、「嫌なら、辞めろ」という伝家の宝刀を抜くので、教区から見たら「ずるい」ということになります。

 思うに、生長の家が発展したのは、教区の「独走」があったからです。その弊害もありましたが、教区を監視対象とする現在の本部の姿勢では、教区も活動をしようとい
う気持ちにはなりません。北海道から沖縄まで、金太郎飴のような組織ではなく、地域の個性を生かせる体制をつくるべきではないか。もちろん、教区独自の運動になると
「地域ボス」みたいな人が出て来たり、あるいは組織の大きな方針にも反する行動をする可能性はあるけど、それはそれで個別に手当をすれば良いと思います。
(つづく)

391トキ:2011/10/28(金) 18:47:27 ID:lV3PWRPw
 マザーテレサのお話の中で、彼女の偉大さは、「他人の信仰を尊重する姿勢を見せた事」だと思います。
昔、内村鑑三が、アメリカ留学から帰国した後、ミッションスクールに就職したが、「信じる事は、何ごとも
自由です。」と言って、仏教信徒の生徒に基督教への改宗を強要しなかったという話に通じるものがあります。
 また、お話にあったように、一人の人を救いたい。そういう発願を大事にした姿勢は、素晴らしいと思います。
 今、目の前に居る人を救いたい。そういう動機での行動をするときに、その人の信仰はそれほど重要ではあり
ません。ただ、本当の信仰を伝える事で、その人が幸せになるのなら、伝えたいというだけかと思います。

 余談ですが、ベテランの活動者を見ていると、「個人救済」に力を入れる人と、「組織指導」に関心を持つ人
とに分類できるような印象を持っています。具体的に言うと、個人指導を頼まれると、何時間も、それを何日も
辛抱強く対応する人がいるかと思うと、行事で華やかな場所に行きたがる人もいます。組織指導に関心を持つ人
はやはり幹部に多いです。個人救済派の人は、少し目立たない人が多いです。しかし、長い目で見ると、尊敬を
集め、また、組織内でも長く活動をする人は「個人救済」派が多いみたいです。

 例えば、楠本加美野先生は、青年会副会長も経歴もありますが、大半が練成道場生活で個人指導をメインにされ
ていました。理事としては、非常勤理事だったと記憶しております。しかし生長の家という世界の中では、現在、
最も尊敬されている人の一人でしょう。影響力も大きいです。同時期に活動をした人の大半が消え去っている中、
現在も活動をされています。尊敬に値する指導者だと思います。

 今までの生長の家という組織の考え方は、生長の家という信仰を広める為には、生長の家の運動を活発にしなければ
ならない。そのためには、生長の家という組織を大きくしなければならない。そのためには、信徒は多少の事は我慢して
運動をしなければいけない、という発想でした。(ある時期、そういう運動をする事は大切かもしれませんが。)

 しかし、組織にあまりにも入れ込み過ぎたために、個人というものが忘れ去られたと思うのです。

 組織と個人との関係を、今までのように対立関係ではなく、相互に補完する関係にする。そういう発想を、これから
考えていく時代になっているような気がします。(しばらく休んでから、続きをかきます。)

392初心者:2011/10/29(土) 09:46:14 ID:hogyfr1M
わたくしごとを申し上げます。生長の家の組織を離れて20年以上の月日が
たちますが、このかん、生長の家にたいしましては、よい感情を持ちつづける
ことができていたようにおもいます。今年の6月に、そうした好意的な感情は
嫌悪感へと一変いたしました。生長の家にたいする否定的な感情が、一気に
押し寄せてまいりました。いうまでもなく、その原因は本流掲示板であります。

あの掲示板に集まってらっしゃる方々の、高慢で威圧的で自己中心的で、しかも
他者を自己の望むままに支配したいとする欲求があからさまに表明された言葉
づかいにたいして、次第に嫌悪感をつのらせるようになっておったのであります。

ここでみなさまにおうかがいいたします。信仰心とは、はたして何なのでありま
しょう。原点に立ち返って、信仰心とは何かということを、みなさまにおたずね
いたしたいとおもいます。

予想される回答は、それがきれいごとでうめつくされるということであります。
きれいごとによって語られる信仰心が、その回答になるであろうということが、
確実に予想されるのであります。

信仰をきれいごとで語りたい。これが、宗教に関係する人たちに共通する、基本的
な欲望なのでありますね。現代の信仰とは、欲望の充足なのであります。ですから
それは、きれいごとで語られなければならなくなっているのでありますね。

信仰の原初のあり方というのは、得体の知れぬ自然にたいする怖れや畏怖の念で
あったはずでありますね。過剰な欲望を満たすというのではなく、自然をうやまう
ことで、ひたすらおのれの身の安泰を願うという、必要最低限ともいえる欲望の
充足であったともいえるはずなのでありますね。ですから、この時代の信仰は、
きれいごとで語る必要もなければ、語られるはずもない信仰であったということ
がいえるはずなのであります。

かつての時代、自然とは、人間の力が及ぶはずもない怖れの対象でありました。
そうした自然にたいして、人々は、ただ恐怖と畏怖の念で向きあうよりほかに、何も
できなかったはずなのであります。

ロゴスの誕生とともに、人は、自然の制圧を欲望しはじめました。その欲望が実を
結んだのが近代科学でありますね。人は、近代科学の力によって、自然の秘密を
つぎつぎと解き明かし、それまで、人間の手には負えないものと考えられていた
自然を、欲望の対象へと置き換えることに、徐々に成功するようになってきたので
ありますね。

当然のことに、近代において、信仰のあり方も大きく変貌してまいりました。自然に
たいする恐怖や畏怖の念から、欲望の充足へと、信仰のあり方が置き換えられる
ようになってきたのであります。現代の信仰は、ロゴスの成果である近代科学の
発想の延長線上に、それと酷似する形であらわれてきたということがいえるはず
でありますね。

                                 つづく

393初心者:2011/10/29(土) 09:47:05 ID:hogyfr1M
恐怖心を取り去る。これが生長の家が説く光明思想の発想の原点でありますね。
それはまた、近代科学がめざしてきた方向性とも完全に一致する考えかたなの
であります。自然の秘密を解き明かし、自然にたいする恐怖心から人類を解放
するというのが、近代科学の出発点であり、生長の家が説く光明思想の出発点も
また、同様の場所にあったはずであります。

近代科学の発達によって、人類は、得体の知れない自然へと向けられていた
恐怖心から解放されました。それとともに人類は、自然を欲望の対象へと置き
換えることにも成功しはじめたのでありますね。

いまや自然は、人類にとって欲望の対象でしかありません。そして、生長の家が
説く光明思想もまた、自然状態の恐怖から人々を解き放ち、周囲の環境を欲望の
対象へと置き換えることにも大きく貢献してきたのであります。

実相とは何かというと、それは恐怖に満ちた自然状態ではなく、欲望の対象としての
周囲の環境ということになっているのであります。欲望が満たされたとき、生長の家
では「実相があらわれた」とみなします。恐怖に満ちた自然状態は、ほんらいあるはず
のない現象世界とみなされます。こうした見方ができるようになったということは、
近代科学と光明思想によって、恐怖に満ちた自然状態から、自然的世界を欲望充足
の対象とみなす文化的状態への転換がみごとに果たされたということなのであります。

周囲の環境を欲望充足の対象とみなし、いつまでも光明思想の恩恵に浴して
いたい。これが本流掲示板に集まってらっしゃる方々の本音でありますね。
総裁先生は、そうした本音にたいして、おそらく反対の意思を示しておられるので
ありましょう。欲望の充足を求める本流復活派と、欲望の充足からの離脱を表明
しているようにもおもえる現教団との対立は、むしろ歓迎すべき事態でありますね。

生長の家におけるこのゴタゴタは、欲望の充足を求める勢力と、そうした状態からの
離脱を遂行しようとする勢力との対立と見ることができるでありましょう。両者の和解
にはたしてどのような意味があるのか。現代の信仰が、はたして欲望充足型の信仰
であるのかないのか。考えるべきは、まずはこのことであるような気がいたします。

394トキ:2011/10/29(土) 15:25:39 ID:wJoHOt/6
初心者様

 評論家の立花隆さんが、昔、雑誌でご自分のご両親の事を書いていたのを読んだ事があります。

 彼のご両親は、無教会派基督教を信仰しており、その影響で基督教というものが特別な宗教で
あるという観念から抜けきれなかったと言います。ところが、後年、エルサレムに行き、本場の
基督教と見ると、結構、土着的で原始的な、言い換えると、加持祈祷に近い形だったので、その
観念というか、呪縛から逃れたらしいです。
 
 これは、考えると、基督教も、日本に入って来たら、日本人は日本式に変えて信仰をしてきた
のでしょう。基督教だけでなく、仏教もかなり日本流に変えて信仰をしてきました。同じ基督教
でも、韓国の基督教は、もっと現世利益を全面に打ち出すものらしいです。仏教も、小乗仏教と
いわれる国々と大乗仏教と言われる国々で、違いはみられます。分派とまで言わなくても、信仰
の「個性化」という流れは昔から、程度の差はあれ、存在しました。

 こういう傾向はもっと強まると感じております。これだけ価値観が多様化すると、一つの信仰
例えば、「生長の家」と称しても、それでどこまで組織が個人を束縛できるか、疑問に思います。
今、教団を脱退する人が増えているのは、今の総裁の方針に納得できないという点もありますが、
それ以上に、もう教団に束縛されたくない、という人が増えたという感想を持っています。内村鑑三
が「信じる事は自由です」と言いましたが、その自由が奪われるという印象を信徒がもっていると
感じます。
 「本流掲示板」がいまいち、人気がないのは、初心者様が指摘された通り、傲慢な姿勢に嫌気が
さした人が多いからでしょう。

 ただ、純粋な個人の信仰ばかりだとすると、運動は停滞してしまいます。そのバランスは難しい
ですが、信仰のあり方ーそれは、もっとシンプルで、単純なものになるでしょうがーを再検討し
その上で、組織のあり方を考える時期が来ているとも考えています。

395トキ:2011/10/29(土) 15:43:21 ID:wJoHOt/6
 それと、付け加えると、本流復活派は総裁の悪口だけを言っているけど、理事会に居た人達、あるいはいる人達も含めて
少し反省すべきだと思います。

 例えば、相愛会では、一時期、「父親教室をしよう」という方針で頑張っていました。が、統括実行委員長が変わると「父親教室」
はどっかへ行ってしまいました。長期的な視点がなくて、目先の数字だけをあげるような方針ばかりだと現場は感じていました。今
本流復活派にいる人達で、かって理事などをしていた人達にもそれは共通していると感じます。
 今、やっとみんなが考えだしたのですから、もっと地に足をつけた、着実な運動や信仰のあり方を考えるべきだと思います。

 これは、勝手な感想ですが、信仰のあり方とか、信仰の定義などを、あまり組織が会員に強要するのは、これから難しくなるような
気がします。もちろん、あまりゆるゆるにすると間違いますが、ミニマムな部分はきめるが、それ以上、会員がどうするべきかは、
会員の自由にしてもらうのが良いかと思います。大事なのは、現場の会員が納得して活動をしてもらうことで、それは、本部と現場
、さらには現場の幹部と会員がよく話し合って決めたらよいかとも考えています。ただ、それをオープンにすることで、内外の批判を
現場も覚悟する必要があるとは思います。権力の濫用の危険性は本部だけではなく、現場の幹部にもあります。おかしいときは、やは
り、批判や外部の介入は必要で、そのためにも本部の介入権は必要だと思います。

 すみません、とりとめもない内容になってしまいました。

396SAKURA:2011/10/29(土) 19:10:12 ID:zrpEHTE.

>395
トキ 様…
〜〜それと、付け加えると、本流復活派は総裁の悪口だけを……言っているけど……?

私も失礼ながら…此の掲示板を参考にしながら〜〜双方の反省点があると思います。
トキ様のおっしゃることは…賛同します〜〜ネ…。 (微笑)
さて!現総裁「雅宣先生」…どうかしますと?「昆虫」に興味がかなりあられますよ〜ネ!

先日も…「フェイスブック」にて「ゴキブリ…」の記事
――>コメントさせて頂きました…。

やはり「この世界は想念・感情」世界ですよね〜〜♫
ゴキブリさん…10cm巨大??
ある男の子の“腕”だけその“ゴキブリさん”のらなかったとの事です…。
きっとその時…男の子に“ネガティブ感情…”――>“叩いて殺す?”
2回目も…腕には乗らな〜〜イ!他の子供には…全ての腕に乗った“ゴキブリさん”
やっと〜やっと〜3回目に〜〜“ゴキブリさん”彼の腕に???
“ゴキブリさ〜ン” 僕の腕にも…乗って〜〜ネ!
従いまして「ポジティブな素直な感情」は、“ゴキブリさん”にも通じるモノが〜〜♫
(個人的には?嫌いですが…?)

現総裁先生は…別の観点からの「生命の実相哲学」述べられている様に思います…。
当に「頭の体操…」かしら〜〜ン♫
そのように思います…。如何でしょう〜〜かしらん♫
そして、「人間・生物・自然」の共存世界は、もはや時間が内容に思います。

【理想世界 = 実相世界】エデンの園〜〜♫〜〜♫
行ってみた〜〜イ☆              合掌

397SAKURA:2011/10/29(土) 19:25:11 ID:zrpEHTE.
訂正させて頂きます…。「オバケ目」にて…ごめんなさい!

もはや時間が内容に思います。
  <変更後>
もはや時間がないように思います。 ウフフ
                     合掌

398初心者:2011/10/29(土) 19:33:43 ID:hogyfr1M
トキ様、掲示板をおさわがせして申し訳ありません。こちらでわたくしの考えを展開
させていただくにあたって、いちぶの強固な信念を持った方々をけん制する必要が
あると判断いたしましたので、あえて過激な表現を使わせいただいておるところで
あります。

これからの教団の組織運営ということでいえば、試行錯誤の連続になるかとおもわれ
ますので、チャレンジ精神を持った方々の活躍が期待されるところであります。
トキ様が述べておられますように、個人の自由を尊重するという組織運営が、なに
にもまして重要になってくるものとおもわれます。

わたくしはこれまで、教団と本流復活派の和解を訴えてまいりましたが、ここへきて、
和解ではなく完全分離をつよく意識するようになってまいりました。対立するふたつ
の勢力をひとつに混ぜあわせてみたところで、なにが実現できるものでもないと
いう気がしてまいったのであります。ふたつの勢力を分離し、それぞれがめざす
べき方向へと進んだほうが、よほど多くのことが実現できるのではないかと考える
ようになりました。

本流を復活させたい方々は、復活させればよいのでございますよ。本流とは
異なった方向へ進もうとする人たちを、あえて巻き込む必要などどこにもないので
ありますよ。

生長の家は、これまで万教帰一をうたい文句にしてまいりましたが、そのために
何をしてきたのかといえば、じつは何もしてきていないのでありますね。総裁先生は、
環境問題への取り組みをきっかけとして、世界の主要な宗教との連携を模索して
おられるようでもあります。対立する教派を、環境問題という、人類共通の課題を
とおしてひとつにまとめあげるという難題に挑戦しておられるようにも見受けられる
のでありますね。

成功の可能性はともかくとして、これまで誰ひとりとして取り組むことのなかった、
万教帰一の理念の実現に情熱を傾けておられるとするなら、その姿勢は尊重される
べきであり、こうした局面において、あえて辞任を要求するとすれば、それは万教
帰一の理念の否定につながるものと心得なくてはなりませんね。

真偽のほどはともかくとして、総裁先生が、じっさいの活動をとおして万教帰一の
理念を実現なさろうとしておられるとの解釈は可能でありますので、こういった
観点からも、総裁先生のよい面を観てさしあげるということが必要なのではないか
という気がいたします。

本流復活派の方々には、現教団へのアプローチは断念していただいて、みずから
が進むべき方向へと時間とエネルギーを費やされたほうが、よほど有意義であると
いうことに、一刻も早く気づいていただきたいものであります。

399役行者:2011/10/29(土) 21:17:53 ID:Un8dQjys
 合掌!

 初心者さまとトキ様の御文章が順番に掲載されているので、自分の意とは反し、比較をしてしまいました。失礼致しました。

 双方のコメントは、立ち位置、視点が違うなあ!というのが感想です。

 まず、ヒトコトで云いますと、
 初心者さまは大局的な立場から述べられ、一方、トキ様は現場の立場から語られています。

 この大局的な立場とは、生長の家教団における立場というより、地球史、人類史から観て、人類の進むべき使命を説かれているかと思うのです。
 
 
 >かつての時代、自然とは、人間の力が及ぶはずもない怖れの対象でありました。 そうした自然にたいして、人々は、ただ恐怖と 畏怖の念で向きあうよりほかに、何もできなかったはずなのであります。 ロゴスの誕生とともに、人は、自然の制圧を欲 望しはじめました。その欲望が実を 結んだのが近代科学でありますね。人は、近代科学の力によって、自然の秘密を つぎつぎと解き明かし、それまで、人間の手には負えないものと考えられていた 自然を、欲望の対象へと置き換えることに 徐々に成功するようになってきたので ありますね。 当然のことに、近代において、信仰のあり方も 大きく変貌してまいりました。自然に たいする恐怖や畏怖の念から、欲望の充足へ と、信仰のあり方が置き換えられる ようになってきたのであります。現代の信仰 は、ロゴスの成果である近代科学の 発想の延長線上に、それと酷似する形であらわ れてきたということがいえるはず でありますね。<



 自然状態から文化的状態への変貌の末、その終焉期を迎え、光明思想の生長の家が誕生した。 
 
 そして、下記文章に続く、


 
 >近代科学の発達によって、人類は、得体の知れ ない自然へと向けられていた 恐怖心から解放されました。それとともに人類 は、自然を欲望の対象へと置き 換えることにも成功しはじめたのでありますね。いまや自然は、人類にとって欲望の対象でしかありません。そして、生長の家が 説く光明思想もまた、自然状態の恐怖から人々 を解き放ち、周囲の環境を欲望の 対象へと置き換えることにも大きく貢献してき たのであります。実相とは何かというと、それは恐怖に満ちた自然状態ではなく、欲望の対象としての 周囲の環境ということになっているのであります。欲望が満たされたとき、生長の家 では「実相があらわれた」とみなします。恐怖 に満ちた自然状態は、ほんらいあるはず のない現象世界とみなされます。こうした見方 ができるようになったということは 近代科学と光明思想によって、恐怖に満ちた自 然状態から、自然的世界を欲望充足 の対象とみなす文化的状態への転換がみごとに 果たされたということなのであります。<


 歴史の必然であるのか、生長の家教団は結果的に、

 “それは恐怖に満ちた自然状態ではなく、欲望の対象としての 周囲の環境ということになっているのであります。欲望が満たされたとき、生長の家 では「実相があらわれた」とみなします。”

 この“みなします”という言葉にこの文章の深さがあると思います。

 上記、“結果的に“に下記文章をつなげます
。 
 人類の欲望の充足を援助していたことになってしまう。

 続く!

400役行者:2011/10/29(土) 21:22:24 ID:Un8dQjys

 続きです。
 
 この人類史の変貌期に、果たして、生長の家教団は、このままで、いいのだろうか?
 生長の家教団の使命はどこにあるのか!だと思うのです。


 >生長の家におけるこのゴタゴタは、欲望の充足 を求める勢力と、そうした状態からの 離脱を遂行しようとする勢力との対立と見るこ とができるでありましょう。両者の和解 にはたしてどのような意味があるのか。現代の 信仰が、はたして欲望充足型の信仰 であるのかないのか。考えるべきは、まずはこ のことであるような気がいたします 。<


 初心者さま!もうしわけないですけど、上記文章の“対立”に関しては、飛躍しすぎと思われます。現総裁に人類史的な意識があったもしても、まわりはついてきてないと思われるのです。
 なんと云っても、人類史の維新に関することですから・・・

そこで、トキ様の御文章ですが、

 トキさんの文章の根底に流れているのは、実際に運動を現場で、一歩一歩してきた方の声が反映されていると思います。 

 ですからそのことを含め、ヤッパリ、下記コメントに集約されるのではないでしょうか。


 >信仰の定義などを、あまり組織が会員に強 要するのは、これから難しくなるような 気がします。もちろん、あまりゆるゆるにする と間違いますが、ミニマムな部分はきめるが それ以上、会員がどうするべきかは 会員の自由にしてもらうのが良いかと思いま す。大事なのは、現場の会員が納得して活動を してもらうことで、それは、本部と現場、さらには現場の幹部と会員がよく話し合って 決めたらよいかとも考えています。ただ、それ をオープンにすることで、内外の批判を 現場も覚悟する必要があるとは思います。権力 の濫用の危険性は本部だけではなく、現場の幹 部にもあります。おかしいときは、やは り、批判や外部の介入は必要で、そのためにも 本部の介入権は必要だと思います 。<


 つまり、話し合い、共鳴、共感することが大切だと思うのです。

 もう一度、初心者さまの文章を掲載します。

 >現代の 信仰が、はたして欲望充足型の信仰 であるのかないのか。考えるべきは、まずはこのことであるような気がいたします 。<

 応えますと、生長の家教団を含め、現代の信仰は、“”である“”でしょう。

 いち早く、その転換に気づき、人類に貢献するため、話し合いの場をもつことでしょう!! 

 また、初心者さまが仰るよう、本流に対しての対策は大切ですが、まず、人類史のビジョンを語っていくことが大切かと思います。

 そのなか、素晴らしい神縁が生まれてくると思われるのです。

401神の子さん:2011/10/29(土) 22:09:26 ID:ZtQPM/ao
吾が臨れるは物のためではない、生命のためである。

肉のためではない、霊のためである。

これを悟るものは少ない。

物の消滅に心を捉えられ、物が殖えたときに信仰を高め、

物が減ったときに信仰を失い、

身体が健康になったときに神を讃え

家族の誰かに病気が起こったと云っては

信仰を失うが如きは

神を信じているのではなく

物を信じているのである。

物は結局移り変わるものであるから

物のご利益の上に建てられた信仰は

物の移り変わりによって壊れるのである

神が病気を治して見せるのは

肉体は心でどうにでも移り変わらせることができる

という事実を見せて、「体」は念の影だという真理を悟らせるためである

・・・・・・・・・・・・・
「久遠生命」の神示   の一部
・・・・・・・・・・・・・

生長の家は 「ご利益信仰」では決してありません!!

402トキ:2011/10/29(土) 22:42:42 ID:wJoHOt/6
>>401

 すばらしい投稿、ありがとうございます。

本当にその通りですね。甘露の法雨の真の意味を信徒全員が深く味わうべきだと
思います。

403神の子さん:2011/10/29(土) 22:56:08 ID:zvvAb1BE
信仰の目的は

真理を悟ること ですね

それ以外ないと思うんですが

404初心者:2011/10/29(土) 23:00:07 ID:hogyfr1M
役行者様

>現総裁に人類史的な意識があったもしても、まわりはついてきてないと思われるのです。 なんと云っても、人類史の維新に関することですから・・・

たしかに、対立と呼べるほどの現象はまだ起きてはいませんね。それでも、書いて
みたかった。わたくしの欲望とご理解いだければ、ありがたく存じます(このことに
気づかれるほどに関心をもって読んでいただきましたことに感謝いたします)。

ですが、わたくしは、教団内部で小さな変化がおきていると見ています。総裁先生の
意図を理解する人たちがあらわれてきた。そのことを実感しています。わたくしも
また、内部に属してこそいませんが、それなりに理解が進んできているものと考え
ています。

すでに変化がはじまっている。このことを実感せずにはおれません。波に乗り遅れ
まいと、いまはそのことばかりを考えています。面白いですよ、この流れ。役行者様
がいわれるように、まさしく人類史的な流れでありますね。行き先は不明でも、波に
ひとまず乗ってみるしかないでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=xMwU30Cw5q8&amp;feature=related

405トキ:2011/10/29(土) 23:03:56 ID:wJoHOt/6
初心者様

 教団分離論は、少数ですが、私の周囲にも言う人がいます。実際、昔の本流掲示板にも
そういう趣旨の投稿があり、即座に管理人から削除されていました。やはり、ある程度の
数の賛同者はいると思われます。ただ、それですぐに騒ぎが収まるか、というと、個人的には少し
疑問かと思います。

 つまり、いくら教団側が休戦を宣言しても、本流復活派は喧嘩を止めないで、むしろ、
エスカレートすると思います。もちろん、本流復活派と言っても一枚岩ではないので、各グループ
で対応は別れるでしょうが。

 このあたりは、少し難しい話題なので、あらためて投稿をしてみたいと思います。

 どうも、歯切れの悪い返答で申し訳ありません。

合掌 ありがとうございます

406初心者:2011/10/29(土) 23:09:20 ID:hogyfr1M
神の子様

信仰の目的は、たしかに真理を悟るためでありますね。ですが、いまは、悟ったあとに
どうするかという、その生き方が問われているような気がいたします。

大きな問題が起こっていますね。神の子様のような、純粋な信仰心をお持ちの方は、
さぞかし御心を痛めておられることでありましょう。

問題解決のために、ダーティーな役柄を引き受けるものが必要なのでありますね。
誰がそれを引き受けるのか。今はそれが問題なのであります。本流掲示板で
書き込みをつづけておられる方々も、きっとそうした覚悟ができておられる方々ばかり
なのでありましょう。

どっちがよりきたない役柄を引き受けるか。それで勝負が決まるような気がいたします。

407トキ:2011/10/29(土) 23:10:44 ID:wJoHOt/6
役行者 様

 現場の立場になると、確かに大きな事を考える余裕はなくなります。(こういうのを”意思決定に関するグレシャムの法則”というらしいです。)
自殺者が1年に3万人とか言いますが、現場の立場からは、環境がどうの、国家がどうの、というよりも
目の前で、明日の食事にも事欠く人の相手をしなければなりません。しかも、これをボランティアでしている、という
ことですから、どうにも納得できない点はあります。

 ただ、こういう事を現場も声を上げなかった、という事は認めるべきだと思うのです。

 マクロの視点とミクロの視点をあわせて、どうすれば良いか。これから、両者が話し合いを始めるべきだと思います。

合掌 ありがとうございます

408役行者:2011/10/29(土) 23:16:46 ID:Un8dQjys

 合掌

 生長の家の説く教えは、ご利益信仰ではありません。
 また、キリスト、
釈迦の説く教えもご利益信仰ではありません。
  
 現代文明に迎合して組織を維持しようとしたとき、どんな高尚の教えもご利益信仰に陥りやすいのです。

 それも、現代における業でしょう。人類史の転換期において、否が応でも、久遠生命の神示を生きれるような時代になると信じてます。
 また、そのような時代を向かえるために、お役に立つにはどうしたら良いかを、話し合う必要はあります。

409初心者:2011/10/29(土) 23:22:37 ID:hogyfr1M
トキ様

たしかに分離は簡単ではありませんね。教団は教団のやり方を遂行するしか
ないような気がいたします。それで実績をつくっていくよりほかはないでありま
しょうね。たしかな実績をつくって対抗勢力を黙らせる。いまはこれしかないような
気がいたします。

410神の子さん:2011/10/29(土) 23:30:30 ID:.F278eQo
初心者様

ありがとうございます

いつも楽しみに読んでます

           拝

411義春:2011/10/29(土) 23:31:50 ID:iu5Ar./Q
>>398
初心者さま
 本流掲示板等での本流復活の方々のご意見を拝読するに、私も同意見であります。
又、教団側が、もしその様な考えであれば、非常に魅力的であり建設的であります。
私のような若い世代は、そういったものにこそ生きがいを感じます。

 本流のこれからの行動に関しましては、>>405でのトキ様のご意見と同意見であります。
トキ様の仰る様に、本流の各グループでも色々な考えがあるみたいですから、
動き方も様々でしょうが、教団を攻撃する事で、アイデンティティを確立する
グループもあろうかと存じます。
こういったことになれば、現場の人間としては少々悩みます。
まぁ、正直なところ、私のような一般の役職なしの人間には然程気にはなりません。
教区も個人には行動に然程干渉できませんから。
ただ、教区の幹部の方になればなるほど、気を使う事ばかりになってしまい大変になろうかと感じております。

 ですが、本流掲示板を拝見するに、手段の目的化をしているので、
如何に>>409で初心者さまが仰る様に、実績を作ろうとも、攻撃の手を緩めることはないと予想できます。
それよりも、まぁ、現実的に可能かどうかをさておき、
一定の緩衝地帯的な会議なり、何かしら接触する機会を設けて、
お互いの調整をする事が良いのではないかとも勝手ながら感じています。

412役行者:2011/10/29(土) 23:33:41 ID:Un8dQjys

 >初心者さま

 わたしも、そのように思います。

 是非、人類史の波に乗っていきたいものです。個人としても、生長の家教団としても・・・

 YouTubeを見れない環境なので、また改めて感想を述べます。

413役行者:2011/10/29(土) 23:49:53 ID:Un8dQjys
 >トキさま

 >目の前で、明日の食事にも事欠く人の相手をし なければなりません。しかも、これをボラン ティアでしている、という ことですから、どうにも納得できない点はあり ます。 ただ、こういう事を現場も声を上げなかっ た、という事は認めるべきだと思うのです マクロの視点とミクロの視点をあわせて、ど うすれば良いか。これから、両者が話し合いを 始めるべきだと思います。


 私もそのように思います。
マクロ的視点とミクロ的視点を合わせもつことは、大切かと存じます。ですから、建設的な話し合いの場をもつべきでしょう。

414義春:2011/10/29(土) 23:52:43 ID:iu5Ar./Q
>>412
 最後の調整云々に関してですが、正直なところ、現実的に不可能とも
感じております。ただ、昔、教区での活動をしていた頃を思い出すと、
教区の上の役職の人達は色々気を使っていたのだろうなぁ…と思い出す事が多いのです。
そして、教区での活動はトキ様の仰る様に、ボランティアで、色々気を使っているので、
そういった事まで、気を使うのは大変だろうなぁ…と感じて、そう書かせて頂きました。

415さくら 拝:2011/10/30(日) 05:11:44 ID:mtaNjOeA
初心者さま、ありがとうございます…

スティッカーは、あなたがふさわしい。
みんな、あなたなら、きいてくれるから、
あなたにはわたしの気持ちをわかってくださる。
ほんと、読む時間なくて、すみません。

気持ちを組んでくださってありがとうございます。
わたしは、今の生長の家で、具体的にやりたいことが、たくさんあるし、
出来る事がたくさんあると思う。っていうか、ある。

自殺の問題、経済の問題、だって、いろんな問題に取り組める、
たくさんの可能性がある、別に、ことさらいえない、だけ。

そのためのつながり、アイデアを、私たち、大切にする。
やってますよ、もがいてなにがわるい。

生長の家を愛している。雅春先生と、おなじように、
雅宣先生も、理解し、愛する。だめですか?
今の生長の家は、環境ばっか、様々、文句いうなら、
もうむしろ、ほおっておいて欲しい。
偉そうにいえば、それらしいもんね。
組織や、なんやら、期待や、救いを求めてはいない。

すみません、失礼お許しを、お許しください。
ここに具体的に書けない、本音も立場もアイデアも、
たくさんある。
わかる人だけで、やっていきたい、もう。

では、

416さくら 拝:2011/10/30(日) 05:53:55 ID:mtaNjOeA
全く、前の文、読んでないこと、前提で。お願いします、

いろんな人の、新しい、アイデアや、想いを実現するために、今の組織にも、変わってほしい。
でも、今までの、です。
今までの、生長の家の組織の、体質、や、体制では、絶対、無理。
誰がつくってきたのですか?
もと本部職員ですか?
だから、その矛盾や、私なんか、どうしようもない現実を明らかにして欲しい、改善をしようとして欲しいと思ってました。
それが、今が、チャンスではないか、と思いました。

環境ばかりで何もやってない?
そんないっしょくたに語るだけですか?
出来る事ならたくさんある、
大きな流れで、人類の救いの方向がある。寄り添うような信仰姿勢や祈りで、やっていける。
現代社会の様々な問題を、どう解決できるのか、を考えていける。

本流さまには、感謝してます。
わたしの想いがはっきりして、
生長の家にもどしてくれたから。

では、トキ様、スティッカーは、終了します。

ありがとうございました。

417さくら 拝:2011/10/30(日) 06:09:44 ID:mtaNjOeA
何度もいいたい。
考えてるのは、環境だけの、問題だけではない。
寄り添うような祈りで、今の現実的問題に、
信仰者として、とりくめる。
今度こそ、
沈思黙考。

418役行者:2011/10/30(日) 07:58:24 ID:fRqafFrE
>初心者さま

 吃驚(゚ロ゚)  YouTube!

 古き良き時代のサウンドが耳に飛び込んできました。

 ビーチボーイズのSurfinUSA!

  今日も、乗っていきます

  (^^)/~~~

 ありがとうございます。

419初心者:2011/10/30(日) 11:00:45 ID:hogyfr1M
さくらちゃん、スティックを手放さないでください。今後の組織活動を考えるに
あたって、重要な話し合いがなされているような気がいたします。いましばらく
スティックを持ちつづけていただきますようお願いいたします。

420さくら 拝:2011/10/30(日) 12:21:50 ID:SG2dIIkE
初心者さま
いつも、ありがとうございます。
携帯で、細かなことが、しばらく、読めません。
みんな、あなたなら、聞きますから。
しかも、わたし、失礼なことばかり、言ってしまった。

つたわらない。
もどかしすぎて、心がゆれゆれ。
未熟者ですみません。

421役行者:2011/10/30(日) 13:00:16 ID:cNauvTqQ
>さくら様

 なんか、元気なさそうですね?

 時々、さくらさまをそっちのけで、走ってしまうことがありましたが、きっと、大きな寛容な心の持ち主なので、大船に乗った気持ちで甘んじておりました。
 生長の家は現世利益ではありません!と純真な自分の気持ちを素直に投稿して
くださる神の子さんも現れました。
 現場の気持ちをもっともっと、この掲示板をとおして、伝えてゆくことが大切
かと思いますし、それを受け入れる方の度量も大切だと思います。

 総合的に考えまするに、さくらさまが適任かと思われます。 

 さくらさまが居られないとき、忙しいときは、勝手にやっておりますので大丈夫です(^。^;)

 ということも、気楽に言えるお人柄なのです。

 ということで、宜しくお願いします。

422八百比丘尼:2011/10/30(日) 14:34:31 ID:j8iOdie.

 さくらちゃん。
たまには女子会に来て、まったりしない?
明日の夜はハロウィンね。
パンプキンパイとかぼちゃのスープはいかが。

それとも、かぼちゃの馬車に乗って舞踏会にでも行ってみる?



        −−鈴夜 魔女のお供で空を飛ぶーー

《 比丘尼は仮装しなくても、そのままで大丈夫だから。
  ん、何かチクチク衣装縫ってるな。
  え、オレの?
  わあっ! かぼちゃぱんつ はカンベンして。

  比丘尼は、箒が見当たらなくて、掃除機にまたがって壊しやがった。
  これから慌てて電器屋に走るところだ。
  秋葉原ならオレも連れてけ。
  メイド喫茶で、ネコ耳娘に会いたいもんだ。
  そしたら、オーロラ姫んところの13番目の魔女から箒、借りといてやる。
  もちろん、魔女の宅急便でな。 》

423神の子さん:2011/10/30(日) 15:29:06 ID:ZtQPM/ao
さくらお姉さま

元気を出してください

応援してます

同名のお姉さまも

あまりかんぐりを入れないように

皆さま信じあえる仲間だと思いますよ

難しい理屈は苦手なので

皆様の会話が100%理解できてないですが

生長の家は大好きなので

応援してますよ

神の無限の調和の海!

ありがとうございます

        拝

424トキ:2011/10/30(日) 18:42:24 ID:IwKk3t02
 今日は、原宿教団の行事があり、登場が遅れました。ごめんなさい。

 さくら様のスティックの件ですが、どうしても・・・・と言われるのなら仕方がないですが、
もうしばらく続けてみてはどうでしょうか?

 教団分裂論ですが、肯定説の論拠としては、信徒の選択の幅が増える、というものがあります。
歴史的にも、宗教団体は分裂をするケースが多いですが、例えば浄土真宗の場合、連合会を作り
相互に連絡をとりあっています。天理教など、本体の天理教が衰退傾向にある反面、分派の
「ほんみち」などの教団は健在なので、今では、分派の方が盛んである、という現象すらあります。

 ただ、こういう分裂論の背景にあるのは、教義解釈という面だけではなく、人間関係がからむ
場合もあります。日蓮宗の場合、日蓮上人が亡くなった後、7人の弟子のうち、一人が後の6人と
仲が悪くなり、その人が飛び出して日蓮正宗を作り、それが今の創価学会の元になっています。

 今の生長の家の場合、教団側も本流復活派も感情的になっている部分があるとも思えます。
ただ、本流復活派と言っても、いくつものグループがあります。その中で、話し合いが出来る人とは
とにかく話し合いを始める姿勢は必要かと思います。

 教団には、たくさんの信徒さんがおられます。こういう人達のために、まずは、双方、話し合いを
はじめて欲しいですね。

425トキ:2011/10/30(日) 20:55:51 ID:IwKk3t02
 運動について考えると、少し思う事があります。

 立教当時の先達であるとか、あるいは生長の家学生連合会の活動家もそうだけど、
「これは自分達の運動である」という意識が高かったと思います。特に、谷口雅春先生が、
「人類光明化のパテントは諸君らに譲られた!」というご文章を発表してから、信徒の間では
「生長の家は私達の運動である」という思いが強く、これが高い活動意欲へとつながったと
感じます。

 それが、生長の家政治連合の頃から、本部が命じる運動になり、「運動の主体は本部。信徒
はやらされているだけ」という考えを持つ人が増えています。当然、士気もおちます。

 冷たい言い方ですが、仕事や学業をしている一般信徒にとって、やはり生長の家の運動よりも
仕事や学業、家事のほうが大事です。その中で、貴重な時間を使うのですから、やはり「義理
でやらされている」運動には、あまり熱は入りません。逆に、自分も楽しいし、人も喜ぶ運動で
ないと難しいでしょうね。

合掌 ありがとうございます

426トキ:2011/10/30(日) 21:07:59 ID:IwKk3t02
 それと、追加すると、本部の人でも、青年会出身者と相愛会や白鳩会から入った人とでは、
考え方が違う場面はあります。両者とも、優劣はつけがたいのですが、青年会の活動者から専従に
なった人は、どうしても、学生時代や青年会時代の運動の感覚を引きずる傾向があると思います。
まあ、私も青年会出身ですから、昔の美しい思い出には、感謝しています。でも、そういう人は
とにかく「活動をする人は良い人だ」という世界になりがちですから、極端な話、仕事や学業よりも
活動を優先するのが良い事だ、という話にもっていきがちです。
  
 でも、大人になり、仕事をもち、家庭を持つと、その世界では回らないのです。
もう、仕事で毎日、フラフラになります。その中で、貴重な休みを活動をまわすのです。行事が続く
と正直、疲労困憊です。こういう言い方をするのは失礼ですが、本部のエラい人はその点、どこまで
ご理解下さっているのか、と思う事はあります。こういう感覚を理解した上での対応は必要でしょう。

 白鳩会の活動も、最近は仕事をする女性が大半ですから、昔のような感覚では難しいと思います。
 つまり、時間も無制限ではなくなってきた、と思います。このあたりをどうするか。宿題です。

 もちろん、定年後の時間をフルに活動に使う人もいますが、そういう人以外には、少し辛い運動の
形態になっています。普通の社会人が参加できる運動や組織であるべきとは感じる次第です。その意味では
まず、仕事や家庭と信仰というものの関係を考える必要はあると思います。

427旧閑鳥:2011/10/30(日) 21:23:50 ID:???
 こんにちはー旧教団幹部のw旧閑鳥です。
以前一部の人にご迷惑をかけたので少し反省してこの名前で心機一転?よせばいいのにとも思いましたが書き込みをさせていただきたいと思います
。といいますのは・・・トキさんが今回

>>今の生長の家の場合、教団側も本流復活派も感情的になっている部分があるとも思えます。
ただ、本流復活派と言っても、いくつものグループがあります。その中で、話し合いが出来る人とは
とにかく話し合いを始める姿勢は必要かと思います。

と発言されていることにある変化を感じたからです。
この場(掲示板全体)では今まで「本流復活派」という誰が命名したのか定かではない名称が一人歩きして
ついには教団と「本流復活派」との2つの争いが前提となって言いたい事を言っている状態になり、あきれかえってしばらく
この掲示板に書き込む空しさを感じて遠のいておりました。特にあの本流復活掲示板に時おり顔を見せて過激な書き込みをする人物をもって
全ての「本流の復活と教団の再生を望む人達」(まさに様々な考えの人達)と同じと思い込む傾向にはあきれ返っていたものでした。

このたびはトキさんが「本流復活派」といってもいくつものグループ(本当はグループを作らない人もいます)があると管理人として正しい認識を示していただいたので
安堵致しました。
私は現教団はもちろんのこと、新教連やときみつる会や学ぶ会にも親しくお話が出来る幸運に恵まれておりますし、トキさんのお嫌いなw森田先生ともお話が出来る幸運な男です。
その私からあちらこちら拝見し、とくに本流復活掲示板には以前とても危険な臭いを感じておりました。以前と申し上げたのは、最近はかなり精度の高いおそらく昔の本部の仲間たち
であろう書き込みが増え部外者の過激な書き込みが減ったと感じて少し安心して拝見しています(しかし・・お笑いネタは引きますがネ)
新教連もときみつる会も感心するのは、現教団や雅宣総裁をあからさまに批判することは機関誌を読んでも、講演会においても皆無であると認識しています。また学ぶ会も以前と違って
機関誌における批判は少なくなり(しかし自分たちの役割は批判はうけても、あえて間違いは正していく事をポリシーとして持ってはいます)1日見真会などをきっかけに、旧き良き時代の真理講演会や行を
行っておられるようで随分と当初より変化がみられ私は実は以前はあまり受け入れられなかったのですが・今では好感度がアップしているところです。
森田先生は主要各地で「古事記講義」をとおして雅春先生の語り部としての使命を粛々と果されていて、特に外部の有識者の方々から高く評価されておられます。
トキさんもご存知の鈴木邦男さんも、熱心に講義に参加されておられます。

さて、トキさんにお伺いしますが、トキさんは以前から「話し合い」を強く希望されておられますが、これは誰でもそのように願うことなのですが、
 ①具体的にどのグループの人達と原宿教団のどの人達がどの様に「話し合う」のでしょうか。(きっと現役のトキさんならイメージがおありの事かと存じての質問です)

 ②そしてその実現性はどの程度あると考えられますか。

 実は、私の知る限りでは教団が今日のように混乱する原因を以前から「話し合い」によって回避できたと私は考えています。その「話し合い」を完全に拒否してきた数々の実例をここでも明らかにすることが出来ます。
「話し合い」が整っていれば、全ての原因の始まりとなった「愛国聖典の発禁」や「雅春先生のご文章を軽視する出版方針」は防げたはずなのです。それを強引に理事会をも軽視して実行したのは誰だったのか。
  それに対する意見の相違を強権を使って「人事」によって排斥し、当時何度も「話し合い」を切望していた理事長に
「話し合ってなんかいたら、何にも決まらないじゃないか!」
と当時の総裁谷口清超先生にすら連絡もさせずに強行採決をさせた「今の人」と、誰がどのようにして「誰」と話し合う場を作るのでしょうか。
ゴメンナサイね、トキさん。だから私は以前に
「この問題を解決するためには、あの方に浄心行を受けていただくしかない」と申し上げたわけです。谷口雅春先生ですら毎月「浄心行」をされたこともご紹介したとおりです。

428トキ:2011/10/30(日) 21:25:51 ID:IwKk3t02
 もうひとつ、付け加えると、だからと言って、生長の家の「個性」をなくするのは運動には逆効果だと思います。
生長の家独自の組織文化、これに魅力を感じて参加する人も多いですから、そういう面をなくすると、まずいです。
 これも申し上げます。

429さくら 拝:2011/10/31(月) 02:20:00 ID:T/77sMGw
まだゆっくり読めも、かけもしませんが、

じゃ、スティッカーは、続けていいですか?
ここの板の、スティッカーの趣旨を私が理解してないのか、誰が説明してくださいますか?
ここは、私のような一般信徒の素朴な疑問も書いて良いと想い、
スティッカーを、希望したのですが、
未熟な一般信徒は、事情もしらないで、
組織の疑問を持って、信仰の話をしてはいけませんか?

完璧な信仰持ったものだけが、組織を語る資格がある、
というような意見もあるみたいですが、
「完璧な信」ってなんですか?その様な方は、どちらにいらっしゃって、
どこで、その完璧な組織論を、未熟な信徒のいないところで、
語っているのですか?未熟な信徒を従わせるために、どこで語ってるんですか?
「不完全で迷える人間を、救う」すごい目的のために、
完璧な組織論をどこで、語っているのですか?

430さくら 拝:2011/10/31(月) 02:21:01 ID:T/77sMGw
まだゆっくり読めも、かけもしませんが、

じゃ、スティッカーは、続けていいですか?
ここの板の、スティッカーの趣旨を私が理解してないのか、誰が説明してくださいますか?
ここは、私のような一般信徒の素朴な疑問も書いて良いと想い、
スティッカーを、希望したのですが、
未熟な一般信徒は、事情もしらないで、
組織の疑問を持って、信仰の話をしてはいけませんか?

完璧な信仰持ったものだけが、組織を語る資格がある、
というような意見もあるみたいですが、
「完璧な信」ってなんですか?その様な方は、どちらにいらっしゃって、
どこで、その完璧な組織論を、未熟な信徒のいないところで、
語っているのですか?未熟な信徒を従わせるために、どこで語ってるんですか?
「不完全で迷える人間を、救う」すごい目的のために、
完璧な組織論をどこで、語っているのですか?

431さくら 拝:2011/10/31(月) 02:22:18 ID:T/77sMGw
二回いれました、トキ様。
430
削除してください。

432初心者:2011/10/31(月) 07:32:01 ID:hogyfr1M
さくらちゃんへ

個人的には、スティッカーを続けていただきますことを希望いたします。
生長の家には不明瞭なことが多すぎますね。それをあきらかにいたしましょう。

生長の家の教えは、「広大無辺」という言葉で語られることが多かったように
おもいます。広大無辺ということは、よくわかっていないということなのですね。
あいまいであるがゆえに、それは広大無辺に感じられていたのでありますね。

組織活動だけでなく、教義にかんしても、なにもかもはっきりさせましょう。これが
わたくしの希望であります。あいまいであるがゆえに、それは、個人のロマンを
いたずらにかきたて、シニフィアンを暴走させ、教義のイデオロギー化をまねいて
きたようにおもわれるのであります。

なにもかもはっきりさせましょう。たとえば、名称が問題にされていますね。本流
復活派。この名称には問題があるようでありますね。教団外部には多くのグループ
が存在するようです。それがどんな人たちの集まりであるのか。それは問題ではあり
ませんね。問題は、その人たちが何をなそうとしているか、ということなのであります。

それも、最終的に何なそうとしているかなのです。教義の再活性化。それが当面の
目標であるにしても、その目標を達成したあとに、何をなそうとしているのか、それが
問題なのであります。

教義の再活性化は、最終的な目標を達成するための手段でしかありませんね。
しかしですね、わたくしの見るところでは、ここでも手段の目的化がおこなわれて
いるような気がしてならないのでありますね。教義の再活性化が目的化している。
このようにおもわれてならないのであります。

手段の目的化。これは、かつての教団において、延々と続けられてきた手法なので
あります。百万運動は手段でしかなかったのに、目的化しましたね。これとおなじ
ことがふたたびくり返されようとしている。それはあきらかなのでありますね。

なぜそれがあきらかなのかといえば、教義の再活性化を達成したあとの、最終的
な活動プランが、おそらくは何も示せていないということが予想されるからなので
あります。彼らは何をなしたいのか。それがあまりにも不明瞭でありますね。

名称の問題とは、それがどんな人たちであるかではなく、何をなそうとしている人たち
であるのか、ということでありますね。それも、最終的に何をなそうとしているのか、と
いうことが問題なであります。

本流復活は、いうまでもなく手段でしかありません。こうした手段をもちいて何をなそう
としているか、問われるべきはこのことなのでありますね。つまり、彼らは何をなそうと
しているのか、このことによってこそ名称はつけられるべきなのでありますね。しかし、
何をなそうとしているのか、それがおそらく誰にもわかっていないのであります。

何をなそうとしているのかがわからなければ、名称の名づけようがない。それである
がゆえに、本流復活派と、ひとくくりに名づけるよりほかにしようがないということに
なっているのでありますね。

とにかく、このボードにおいて何もかもはっきりさせましょう。何をなしたいのかを
はっきりさせましょう。ふたたび客人があらわれましたね。それぞれのグループは、
教義を再活性化させることで何をなそうとしているのか、それをまずはあきらかに
していただくことにいたしましょう。それが出発点でありますね。

433役行者:2011/10/31(月) 08:32:53 ID:zbCKOe6A

 >さくら様

 スティッカーの趣旨はもう、ある意味、ファージーで構わないですよ。

 さくら様! 気にしないで、ドンドン行きましょう!(^^)!

 さくら様が、忙しいときは勝手に走ってますから(^_^;)

 重く考えなくて大丈夫ですo(^-^)o

434トキ:2011/10/31(月) 12:01:32 ID:1Nua6Pkk
>>427


旧閑鳥 様

 このたびは、ご丁寧にお返事を頂戴し、深く感謝申し上げます。

 先ず、森田征史先生は、青年会出身者にとって神様のような存在です。私は直接ご指導を受けた経験はありませんが、親分肌の頼りになる先達だと聞いております。
ただ、「経営の神様」松下幸之助さんでも戦後の一時期、経営に行き詰まり、「熱海会議」でお詫びをされた事があるように、全く失敗がなかった訳ではないとも
考えています。しかし、生涯を谷口雅春先生の理想に殉じた、尊敬すべき先生であると思っています。私のような「三下」からみたら、仰ぎ見る存在だと思います。

 「本流復活派」の名称は、かの「本流掲示板」で、投稿者様から「本流復活」の名称を使用しているので、使いました。ただ、いわゆる本流復活派をひとくくりに
批評していたように思えたとしたら、これは私の表現が稚拙であったためであり、深くお詫びしたいと思います。

 御質問の「和解」の件ですが、私は、本流復活派もそうだが、総裁を含めた教団側も反省すべき点は反省して、話し合いの場について欲しいと願っています。私は現場
の人間ですから、本部の事情は分かりませんが、本流復活派の主張を聞くと、ある程度、説得力のある部分もあります。ですから、半分は本流復活を願う人達に呼びかけて
いますが、半分は教団側にも呼びかけているつもりでございます。

 さて、具体的に名前をあげるのは、おそらく、今は裁判上「和解」*の話し合いが進んでいるので、その妨害になる危険性があるので、少し躊躇します。が、原宿教団に
反対する、あるいは独立して活動をしているグループの中には、「マサノブをホームレスにしろ」と叫んでいる人達もいれば、現実的に見て、話し合いに応じる可能性が
高い団体もあると思います。こういう人達の中で、話し合いができる人や団体を個別に教団側が話し合いを開始し、お互い修正すべき点は修正し、その上で「和解」を
考えるべきかと思います。
 つまり、争いをいつまでも継続する事は、教団にもマイナスですが、本流復活派の個人や団体、さらには生長の家全体にとってもマイナスです。これは、皆様、頭が
よいですから、もう気がつきだしているとは感じています。とくに、これ以上、争いが続くと、困る人達は本流復活派にもいる訳で、こういう人達とは話し合いは開始
できると思っています。
 (と、こういっても、教団側も良い気にならないほうがよいとは思います。争いが続くと、困るのは教団側のほうが大きいですから、)

*裁判上の「和解」は、いわゆる宗教上の「和解」と異なり、裁判官が中心になり、判決に代わる代替案を提示し、紛争の両当事者に裁判の終息を促す行為の事を言います。
 これは、どの裁判でも、だいたい行われる行為です。

 「和解」の可能性ですが、私はこの点は、楽観できないと思っています。しかし、可能性がない訳ではない、とも思っています。ただ、現場の人間ですから、その程度
については、未知の部分が多いのはご理解下さい。

 鈴木邦男さん、古事記講義に行かれているのですか。すばらしいですね。鈴木さんは、文字を書かれても達筆すぎて、何が書いてあるか、どうか分からないので、ペン習字も
されたほうが良いかと思っていたのですが(ごめんなさい)、それもすばらしいです。宜しくお伝え下さい。

 以上、走り書きで申し訳ありません。今後とも、ご指導のほど、宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

435a hope:2011/10/31(月) 12:02:46 ID:JZDU.bbQ

①トーキングスティックを握っている人だけが発言できる。
②そのトーキングスティックを持っている限り、理解されたと納得できるまで一人で話すことができる。
③他者は主張することも異論を唱えることも反対や賛成することもできない。
④彼らにできることは、発言者を理解し、理解したことを説明しようと努めることだけである。
⑤発言者が理解されたと認識できるように、傍聴者は発言者の主張の趣旨を正しく説明する必要がある。
(以上、『訊け』さまブログから引用させていただきました。)

トーキングステックの本来の趣旨(方法?)を挙げさせていただきました。(要約したものですが...)
さくらさまの前に、わたしがトーキングステックの方法を勝手に変えてしまったので、
ちょっと気になってます。


さくらさま

今は、さくらさまがステッカーですので、さくらさま負担にならないような、
やりやすい方法でお話を展開されていかれたらいいのではないかと、思いますよ。

436さくら 拝:2011/10/31(月) 13:26:01 ID:qHqWxX0U
ありがとうございます、女神、a hopeさま。

では、

思うことを、前後関係なく書きます。

生長の家の学校建設に関することですが、
清超先生が、「学校をつくったからと言って、真の信仰者がふえるわけではないからね。」と言われたという話を聞いて、
私にはですけど、この言葉からも、清超先生は、真の信仰者だと、感動したんです。

なぜ、学校を作らなかったか、内部の諸事情は、分かりませんが、
この言葉でも、清超先生の目指される生長の家は、「信仰運動」だと、私にとっては、確認した言葉でした。

はっきり思っているのは、信仰で世の中を変えられる、と考えるのは、私は「危険」だと思っています。
それは、信仰ではないもの、だからです。

完璧な信があり、そして物足りないと感じるかたは、今の政治や経済の問題を朝まで論じて、世の中を本気で、変えたいと思い、変えられる能力のある方は、政治運動や、改革団体で、ご活躍されたら良いと思います。それは、大切なことです。

ただ、そのような問題は、雅宣先生も、百も承知だと思います。

でも、今まで宗教団体としての生長の家は、そのような活動をしてきた時、世の中、変わったんですか。
生命の實相を読めばいいって、いいますが、それを「効率よく」広める運動は、今まで成功しているんですか。いまの時代にそのまま、通用するんですか。

雅宣総裁は、そのことをつくづく感じておられたのではないと私には、思えます。
雅宣総裁のやり方が正しかったとは言いませんが、そのことに、つくづく学ぼうとされたようです。
そして、生長の家は、信仰運動だとはっきり言っています。

組織はいつも完璧でないし、今試行錯誤で進めようとしている過渡期だと思います。
それに、組織の体質や複雑な事情とか、信仰求めてきた信徒が巻き込まれることが、あります。

だからと言って、今の組織をただ批難したり、潰したりすることは、良いことですか。

世の中の問題を解決し、ある目的のための手段に、雅春先生の教えを利用するなら、違う団体を作り、活動すれば良いと思います。

でも、それは、「地上天国実現」とか、「人を救う」とか、いうような、どんな崇高な目的であっても、
私には、ある、欲望の実現を目指す方向であることには、変わりはない、と思っています。

私はそれが出来ないので、
友達が、自殺願望を持っていた時には、一晩中一緒に街を歩いたり、統合失調症やうつの知り合いがいれば、時間に関係なく、電話や話を聞いり、
悩んでいたり困る人がいれば、何か出来ないか、オロオロするし、
それが出来るのは、信仰があるからだと思っていますし、そういう方に私も助けられたし、尊敬してるので、見習いたいと思ってきました。

でも、はっきり言って、世の中を変えたいからではありません。

組織の方針とか評価とか、全く関係ないのです。

今の方針が、環境ばかりで、自殺問題扱わないという方にとっては、どうなのですか。

例えば、肉を食べない選択は、地味なことで、今の飲食事情を考えれば、面倒なことです。
でも、私は、動物の感情や、霊的に起こる結果、世の中の流通システムを知り、肉は食べません。
それは、そうせざるを得ない、良心の衝動であって、
「世の中を変えたい」からではありません。
そして、それを縁ある「隣の」知人に伝えていきたいだけだと思っています。

効率も、完璧な信仰を確立してからも、関係なく、実行したいと思っています。

生長の家の組織にいるのは、
信仰運動ができる可能性がある、世の中では、貴重な宗教団体かもしれない、と思ったからです。

どなたか、私の言いたいことは、伝わってますか?

どなかか、伝わってますか?

437神の子さん:2011/10/31(月) 13:41:44 ID:eYqWhirs
さくらさま
伝わってる。
泣きながら読んでる。

438a hope:2011/10/31(月) 13:43:56 ID:JZDU.bbQ

http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65572497.html

さくらさまの発言の後になってしまいましたが、「訊け」ブログの、トーキングスティックの記事を、
見つけたので、貼り付けました。

こちらをごらんになれば、トーキングスティックの趣旨がわかると思います。

でも、ちゃんと張り付いてるかな?

439神の子さん:2011/10/31(月) 14:44:22 ID:eYqWhirs
管理人様
ルールをしっかり理解せず、こころにこみあげてくるまま書きこんでしまいました。
すみません。
437と438を削除してください。

440神の子さん:2011/10/31(月) 14:44:56 ID:eYqWhirs
訂正
437と439の削除です。

441さくら 拝:2011/10/31(月) 14:50:50 ID:qHqWxX0U
神の子さま、お願いします、消さないでください。

私が、どれほど、その言葉に、救われてるか、分かりますか?

人は、理解されたと思う時、救われます。
少なくても、私は、その経験を、ずっと、忘れない。

神の子さまの、花を、私は受け取りました。

a hopeさま、貼れています、本当に、ありがとうございます、涙。

442初心者:2011/10/31(月) 14:57:45 ID:hogyfr1M
天皇国日本の実相顕現とは何をなさりたいのでありましょうか。国家の体制を
変える?そういうことなのでありましょうか。それは政治的な活動でしょうか。
それとも、信仰運動なのでしょうか。

もしもそれが信仰運動であるとすれば、その目的は、日本人を天皇信仰一色に
塗り替えることなのでありましょうか。みなさま方は、いったい何をなそうとして
おられるのでありましょうか。

わたくしには、天皇国日本の実相顕現とは、それを希求しておられる方々のエゴで
あるとしかおもえません。みずからの欲望の充足のために、素朴な信仰心を巻き込み
利用しようとするエゴ活動としかおもえないのであります。

エゴの充足以外に、みなさま方は、いったい何を実現なさりたいのでありましょうか。
具体的に、どうなることを望んでおられるのでありましょうか。目標をかげてその目標
に他者をしたがわせる。みなさま方がなさろうとしておられるのは、これが本音の
エゴ活動なのではありませんか。

さくらちゃんはきっと、そんな活動に、素朴な信仰心を巻き込まないでほしいと
いっておられるのでありますよね。現教団のことはほっておいて、なさりたいこと
があれば、べつの団体をこしらえて、そちらのほうでやってほしいと訴えておられる
のでありますよね。

エコ活動と信仰とを結びつけるのはやさしいことではありませんが、それでも、エゴ
活動のほうが、よっぽど信仰とは遠いということを、わたくしもついでにいっておこう
とおもいます。

443さくら 拝:2011/10/31(月) 15:01:30 ID:qHqWxX0U
信仰とは、なんですか?
信仰運動とは、なんですか?
不完全な人間を嘆く、世の中を変えたい方、教えてください。
なぜ、ここに、書き込んでくれないのですか?

別のスレッドで、世の中を変える議論ばかりが、続く。

しかも、生長の家を熟知されてる、信を確立した方ばかりなんですから、
なぜ、今の組織でもがいている、未熟な信徒に答えて下さらないのですか?

444神の子さん:2011/10/31(月) 15:05:53 ID:eYqWhirs
>>441
管理人様にお任せします。
さくらさまの言葉は、わたしには、柔和です。
でも、わたしがこう書いたからって、柔和ってことばにとらわれないでくださいね。
さくらさまはさくらさまでいらしてください。

445さくら 拝:2011/10/31(月) 15:10:01 ID:qHqWxX0U
今の組織の事情も、変えられないで、
世の中って変えられるものなのですか?

組織の事情も、熟知されてるかた多いみたいですが、
なぜ、一信徒の疑問には、無関心になのですか?
生長の家は、冷たいところが、ありませんか?
それも、疑問でしたが。

446トキ:2011/10/31(月) 15:30:58 ID:1Nua6Pkk
>>441

 さくら様もおっしゃられている事ですから、削除する必要はないかと思いますが、
それでよろしいでしょうか?

管理人 敬白

447神の子さん:2011/10/31(月) 15:41:55 ID:eYqWhirs
>>446
はい

448トキ:2011/10/31(月) 16:00:47 ID:1Nua6Pkk
>>447

ありがとうございました。

449さくら 拝:2011/10/31(月) 16:51:12 ID:T/77sMGw
トキ様、少し感情的になり、失礼な発言があれば、
ご迷惑おかけして申し訳ありません。
柔和、を、心がけねば、なりませんね…。
トキ様には、組織の事情をかたって頂き、
何を改善すべきか、ポイントを押さえて教えてくださり、
感謝しています。
前の分、何個か読んでませんが、ストッカー続けて良いですか。

私は、全く賛同意見ばかり聞きたいわけではありませんし、
知らない事情があれば、教えて頂きたいし、
誤解があれば、違う意見も広く、聞きたいと思っております。

が、ここの趣旨が、わからなくなるくらい話の方向が見えなくなったので、
個人的感情に走り、失礼しました。


20年も組織を離れた初心者さまが、理解してくださり、感謝します。
またよく読んで、書きます、ありがとうございます。

450かぴばら:2011/10/31(月) 17:27:46 ID:TjlpqfpM
さくら様

有難うございます。

宮沢賢治の雨ニモ負ケズの詩と一緒ですね。

そういう人に私もなりたい。

451八百比丘尼:2011/10/31(月) 18:08:33 ID:j8iOdie.

言葉で語ろうとしても、語りつくせないもどかしさ。
言葉以前の心を、どうして伝えよう。
愛という言葉が、あまりにも空々しく思えるのは
私の心に愛が無いからでしょうか。
「愛している。」という言葉を花びらのように降り注いでくれる人の中で
私の心は、寂しくて寂しくて、死んでしまいそうだった。
仮面の下で虚無の底に沈んでゆく心は、何処へ還ってゆくのでしょうか。

私は誰に向かって語り続けているのですか。
神ですか、宇宙の大生命ですか、
それとも、何も答えてはくれない誰か・・・・・でしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=WHtpKwBuelQ&amp;feature=related

452さくら 拝:2011/10/31(月) 19:12:28 ID:.8ttVlu6
かぴばらさま、ありがとうございます。すみません、なってなくて。
宮沢賢治、大好きで。
震災の少し前、遠野へ、美しい旅をしたことを思い出します。

比丘尼おねえさま、
私は言葉では伝えられないことを、
ここで無理に言葉にしようとしてるのかもしれませんね、
ひっそりわかってくれる人と、共有したい想いであり、
正直、ここに書く意味があると、思えなくなってます。
比丘尼さまは、ほんとうに、不思議に、です。
ありがとうございます。

453トキ:2011/10/31(月) 21:12:45 ID:1Nua6Pkk
>>449

さくら様

 そんな事、全然、気にしないで下さい。組織と運動のあり方、難しいですね。

454トキ:2011/10/31(月) 21:39:48 ID:1Nua6Pkk
 宮沢賢治ですね。いいですね。

 彼は、実は、國柱会という法華宗系統の新宗教団体の熱烈な信徒なんです。
入信時、國柱会のエラい人から「自分の得意な方法で布教すればよい」と言われ、
「では、自分は文章を書くのが得意だから、文章で布教をしよう」と決意し、法華経の世界観をバックに
書いた童話や寓話が死後、高い評価を受けるに至ったのです。國柱会は、例えば、創価学会とは敵対関係にあり
ますが、その創価学会ですら、宮沢賢治を高く評価しているのを見た事がありますから、ある意味、最大の布教
功労者なんでしょうね。

 ちなみに、今でこそ、「國柱会? 何、それ?」と知らない人が多いでしょうが、近衛篤麿(近衛文麿の父)
石原莞爾、高山樗牛、武見太郎と言った歴史上のビッグネームが信者だったのです。意外な人物も多いでしょうね。

 意外な人物、と言えば、平塚らいてうさんがいます。日本の“女性解放運動”の先駆者という評価が高い人ですが、
谷口輝子先生の回想記によれば、平塚らいてうさんは、生長の家の考え方に共鳴していたそうです。平塚さんが
主催していた「新婦人協会」の会員の中には、平塚さんから生長の家の信仰を伝えられ、幹部になった人も実際
にいるとか、ご主人の奥村博史さんは、生長の家のバッジをデザインして作った、という話も書かれています。

 余談ですが、谷口輝子先生は、平塚さんと会ったときの印象を、物静かな女性であったと書かれています。

 平塚さんの戦後の左翼運動とのかかわりを知る人には、少し驚きかもしれません。

455義春:2011/10/31(月) 21:48:57 ID:iu5Ar./Q
>>454トキ様
平塚らいてうさんが…本当なのですか!?
某空き缶な人を観ているだけに驚きではありますが…まぁ、空き缶は、平塚さんを、
利用していた様な感もあるだけに何とも言えませんが…。

456トキ:2011/10/31(月) 21:56:07 ID:1Nua6Pkk
 少し余談ですが、今の生長の家の信徒の中にも、個性的な人や知名人、高い能力を持った人は多いです。
でも、そういう人の相当数の人が、実は、今の組織を毛嫌いしています。別に、政治的な傾向を嫌うのでは
ないです。その理由が、意味のない数の運動を強要されるのと、軍隊の内務班のような窮屈で理不尽な体質
を嫌うのです。

 本人から聞いた話ですが、少し内容をぼかして書きます。ある生長の家の会員で少し社会的な地位のある
人が、教区の講演会での講演を頼まれました。本部から来られた幹部の方とのセットの講話でしたが、その
時の待遇にあまりの差があるのに、ほとほと嫌気がさした、と話していました。
 本部から来た人には、過剰なほど丁寧に接するのに、会員である自分は、誰も対応をしてくれず、冷たい
対応であった、と言います。それで、一気に嫌気がさし、それから後は、組織とは極力、かかわりを持たない
ようにしている、と話をしていました。しかし、その人も生長の家の信仰は好きで、毎日、行はしています。

 また、講習会でも、普及誌でも、その他運動でも、数集めの運動をしているのを見ると、本当に嫌気がさ
す、ともよく聞きます。能力のある人は真剣勝負を社会ではしています。そういう人達が、教団の数字合わせ
の運動を見ると、本当に嫌気がさしてきます。こういう運動をするのは、ある意味では、光明化運動では
なくて、むしろ足を引っ張っているとも思います。

 もちろん、運動ですし、組織だから、ある点では締め付けは必要です。でも、今の組織や運動のあり方
特に数合わせの運動や極端な中央集権型の運動では、現場から見たら、あほらしい、という感想になり
ます。実際、聖使命会員など、どんどん落ちています。ごまかしのきく(失礼!)講習会の参加者が増えた
と言って、喜んでいる状態ではないですよ。言い方が悪いですが、馬の先に人参をぶらさげて走らせるよう
な運動は、これから先は通用しないと思います。もちろん、急激な変化は難しいでしょうが、少しみんな
考えるべきだと思いますね。

457義春:2011/10/31(月) 22:18:36 ID:iu5Ar./Q
>>456
トキ様
 個性的な人間と云うと私なんかは青年会で悪名高いものですが…
確かに、活動の末期で窮屈に感じましたね。
そして、個性的な人達は段々来なくなっている感じはしています。
ちょっと…いや、かなり寂しいものですね。
正直なところを申しますと、私達のような悪餓鬼は消え行く運命なのかもしれません。
私自身は、そういった運命を受け入れ、消えようと何度も考えました。
そして、何度か実際に行動に移しかけた事もあります。今でも時折考えたりもします。
それでも、やはり生長の家が純粋に好きなのと…此処が家だから、今でも残っている、
それが偽らざる想いです。今は居れるだけ居て、後輩達の為に自分の経験を活かそうと想っています。

458役行者:2011/11/01(火) 01:40:31 ID:8t9kpbes

>>432
>>434

◆教団の進むべき方向!

テーマは和解!

 またまた、初心者さま、それから、どうでもいい役行者のコメントを挟んで、トキ様と続けざまに読んでしまいました。


 ということで、私の意に反して、また比較論評させていただきます。失礼いたします。

 表題にありますように、テーマは、教団の今後と和解です。

 
 お二方とも、またまた、和解についての視点が違うなあ!と思いました。


 結論からいいますと、初心者さまはまず、ビジョンあって、そのための道筋を立てるなか、何を目的にどのような手段で取り組むべきか?を問われ、はじめて、同じテーブルにつける!と述べられているように思えます。
 一方、トキ様は、いま、現在!現実に、和解するための譲歩、譲り合い、進歩的な交換条件などなどを述べられているように思いました。
 あくまでも私的所感であり、また、双方の良し悪しを云っている訳でもありません。

 和解について有意義な話し合いができればと思い、問題提起させていただきました。

 初心者さま曰わく、


 >どんな人たちの集 まりであるのか。それは問題ではありませんね。問題は、その人たちが何をなそうとしているか、ということなのであります。 それも、最終的に何をなそうとしているかなのです。教義の再活性化。それが当面の目標であるにしても、その目標を達成したあとに、何をなそうとしているのか、それが 問題なのであります。教義の再活性化は、最終的な目標を達成するための手段でしかありませんね。しかしですね、わたくしの見るところでは、ここでも手段の目的化がおこなわれているような気がしてならないのでありますね。<

 >教義の再活性化が目的化している 。このようにおもわれてならないのであります 手段の目的化。これは、かつての教団におい て、延々と続けられてきた手法なので あります。百万運動は手段でしかなかったの に、目的化しましたね。これとおなじ ことがふたたびくり返されようとしている。そ れはあきらかなのでありますね 。なぜそれがあきらかなのかといえば、教義の再 活性化を達成したあとの、最終的 な活動プランが、おそらくは何も示せていない。 ということが予想されるからなので あります。<

 >何をなしたいのかを はっきりさせましょう。ふたたび客人があらわ れましたね。それぞれのグループは 教義を再活性化させることで何をなそうとして いるのか、それをまずはあきらかに していただくことにいたしましょう。それが出 発点でありますね 。<

 つまり、和解をするための、同じテーブルにつける最低条件を述べられていると思われます。


 一方、トキ様は、


 >御質問の「和解」の件ですが、私は、本流復活派もそうだが、総裁を含めた教団側も反省すべき点は反省して、話し合いの場について欲しいと願っています。私は現場 の人間ですから、本部の事情は分かりません が、本流復活派の主張を聞くと、ある程度、説得力のある部分もあります。ですから、半分は 本流復活を願う人達に呼びかけて いますが、半分は教団側にも呼びかけているつ もりでございます 。<


>グ ループの中には、現実的に見 て、話し合いに応じる可能性が 高い団体もあると思います。こういう人達の中 で、話し合いができる人や団体を個別に教団側 が話し合いを開始し、お互い修正すべき点は修 正し、その上で「和解」を 考えるべきかと思います。<

 と、いま現状の状態での和解を提唱しているよう思えます。

 どうでしょうか?

 わたし、個人的な意見を述べますと、確かに、どちらのグループにしても、問題は山済みであると思われます。ですから、そのいたらない点を指摘しあい、改善していくのも一つの方法だと思います。
 がしかし、同じテーブルに付く前に、それぞれのグループでまず、何をしたいのか?それを明らかにし、それぞれ進化向上するための改善策を練り直し、
そのうえで和解交渉したとしても、遅くはないと思うのです。

 まだどちらのグループもしっかりした、明確で、具体的な、ビジョンを明らかにしてないと思われるのです。そこからがスタートだと思います。

459さくら 拝:2011/11/01(火) 05:37:18 ID:T/77sMGw
…ちょっと待ってもらって、いいですか?
役行者さま。
今スティッカーのテーマは、
教団の今後と和解ではないのですが…。

やっと昨日前のとこやっと少し読めたんですが、
まだ、書いてる途中なんですよ。

このままの状態が続くなら、本当に初心者さま、
スティッカー変わってもらえますか。

460さくら 拝:2011/11/01(火) 05:44:36 ID:T/77sMGw
書いて下さって、勉強なるのですが…
スティッカーとは、なんのために、いるのですか?
スティッカーのことは、初心者さまが、決めてください。

今、私が、読めない間に、和解がテーマになったんですか

461さくら 拝:2011/11/01(火) 05:52:56 ID:T/77sMGw
今日も、仕事で書くひまが、ありません。
その間に、和解をテーマに話がすすむんですか?

私は独り言の様に、後から、ここに書き込むしかありません。
トキ様にも、前のところで、お尋ねしたいことなど、
今、やっと書いてるのですが、
今日できるとしても夜中しか、かきこめません。
その間に、違うテーマではなしが進むのですか?

書いて下さって、本当に感謝はしてるのですが、
スティッカーとして、このままの状態なら、
正直、苦痛です。
スティッカーのことは、初心者さまか、トキ様、決めてください。

462さくら 拝:2011/11/01(火) 05:54:35 ID:T/77sMGw
前の文、言ってることは、伝わってますか?

463さくら 拝:2011/11/01(火) 05:59:54 ID:T/77sMGw
意味が分からなければ、だれか親切な方、おたずねくださいますか?

トキ様や、初心者さまが、かいて下さった前のところ、
やっと読んで、書いてるところなんですが、
時間がなくてまだ、書き込みできません。
その間に、話は、違うテーマで、進むのですか?
私が、書いたらまた、書き込みとまりますか?

464さくら 拝:2011/11/01(火) 08:02:08 ID:T/77sMGw
具体的にやりたいこと書くので、時間をくれますか。

465さくら 拝:2011/11/01(火) 08:03:18 ID:T/77sMGw
これは、少しずつ、自分のペースですすんでいいのですよね、
書くので待ってください。
…今日は、遅刻…。

466役行者:2011/11/01(火) 08:24:28 ID:8t9kpbes
>さくらさま

 朝起きたら、ビックリですね!
 失礼しました。
 さくらさまの許容の大きさに甘えてしまいました。

 スティッカーの持ち主の好きなようにされてください。

 当然です。
 今後の展開に、微弱ながら、私も協力させていただきます。
 ありがとうございます。

467初心者:2011/11/01(火) 08:46:27 ID:hogyfr1M
さくらちゃん、ごめんね。

反省してます。

スティッカーは、さくらちゃんがつづけてください。

468さくら 拝:2011/11/01(火) 08:56:16 ID:X99uIfig
役行者さま
理解をして下さり、心より感謝いたします。

初心者さまにも、
いつも助けられ、感謝しております。

このボードは、普段言えない本音を言って良い、との趣旨も読みましたので、ここだけでは、わがままを言わせて頂きます。

色々な組織の事情やみなさまの本音を書いて下さることは、大歓迎です。
そして、方向性を示して下さることも、大変有難いんです。
書き込みして下さい、お願いします。

でも、スティッカーのテーマをずらさないで、理解を示して下さいませんか?
誤解があるなら、やんわり、訂正してくださいませんか?
言ってること分からなければ、やんわり、聞いて下さいませんか?
時間を下さいませんか?
その間に、スティッカーが、はなしが見えなくなることがないようにご配慮願えませんか?


やってることは、具体的にかけませんが、
話を簡単にまとめて、次やりたいことを相談しますので、待ってもらえますか?

読んでる方は、この文の意味が分かりますか?
分からなければ、親切なかた聞いて頂けますか?

469さくら 拝:2011/11/01(火) 09:05:33 ID:X99uIfig
理解し難いものを、
理解しようとする。

それは、愛がなければ、絶対に出来ないことです。

470トキ:2011/11/01(火) 10:18:44 ID:uoY2yMQI
 さくら様、どうも行き届かず、申し訳ありませんでした。

 どうぞ、続けて下さい。宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

471さくら 拝:2011/11/01(火) 10:21:09 ID:X99uIfig
トキ様、ありがとうございます。

トキ様は、司会のようですので、頼りにしているんです。
お願いいたします。

472初心者:2011/11/01(火) 14:26:11 ID:hogyfr1M
さくらちゃんへ

自分の思いを伝えるというのは、むつかしいものですよね。その思いが「和解」で
あれば、多くの方々と共有できる思いでありますから、誰にでも伝わりやすいと
いうのはあるでしょうね。

ですが、それが個別の思いとなると、なかなか伝わるものではありませんね。当の
本人でさえ、その思いがどんな思いであるのか、明確にできないもどかしさを感じる
といったようなこともまた、ありがちなことでありますよね。

込み上げてくる思いは、言葉にしにくいものです。わたくしもですね、本流掲示板に
書き込んでいた当初から「世界の再魔術化」という言葉を、なんどとなく使ってまいり
ましたが、この言葉でいったい何をいいたのかというと、それを明確に語ることは
いまだにできてはおらないのでありますよね。

個人的な解釈としては、自分の内なる世界と外なる世界はつながっているので、
想念の力で、内なる世界と外なる世界を一致させることができる、というのが「世界
の再魔術化」の定義ということになるのですが、じつはこの言葉は借り物でしてね、
モーリス・バーマンという人が、『デカルトからベイトソンへ』という著作のなかで用いた
言葉の日本語訳なのでありますよね。

早い話が、「世界の再魔術化」という言葉が気に入った、といった程度のことなの
ですよ。気に入ったからには、この言葉を連呼したくなるというのが道理というもので、
ことあるごとに使ってみたくはなるのですが、じつは自分でも、この言葉の深い意味
が理解できているのではなく、この言葉によって触発される思いというものがあって、
それが自分のなかから込み上げてくるのはいいのだけれど、それをうまく言葉として
表現できないといったもどかしさに、いつもながらにさいなまれているというのが
実情なのでありますよね。

それでこの込み上げてくる思いをもっとうまく表現してみたいというので思いつくの
が錬金術なのでありますよ。例の「3倍偉大なヘルメス」の異名をもつヘルメス・トリ
スメギストスですよね。ヘルメス・トリスメギストスは、世界を「一者の流出」と見てま
した。ヨーロッパのすべての神秘主義は、「一者の流出」にたどりつくとさえいわれ
ているようですね。この「一者の流出」からはじまるのが錬金術のようであります。

錬金術とはなにかというと、世界は完全でなければならないとする思想です。世界の本質は「一者の流出」でありますから、完全でなければならないと考えるのは当然の
ことでありますよね。そこで錬金術師は、鉛は不完全な金属であるから、それを完全
な金属である金に変えなければならないと、このように考えたのであります。

このあたりが、生長の家の考え方とは異なっているのであります。生長の家では、
不完全なものはない、とみなしますね。ところが錬金術師たちは、不完全な存在を
認めて、それを完全な存在に変えなくてはならないと考えたわけです。そして、
不完全を完全に変えるために想念の力を用いようとしたのでありますね。

「一者の流出」とは、ある意味で2元論ということがいえそうであります。一者である
完全な部分と、一者ではない不完全な部分とを認めて、この不完全な部分に、
一者の完全性が流出すると見ているようにおもわれるのであります。

                             つづきます


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