「百丈野狐」の話も、百丈和尚と一老人の話になっているけど、老人は百丈自身の心中の人物、心の影なのだ、というのが谷口雅春先生の御解釈です。老人は「前百丈(ぜんひゃくじょう)」。説法している百丈大智禅師「今百丈(こんひゃくじょう)」の心の影、旧我である。前百丈は「私は人間ではありません(非人なり)」 “real man” でない、変化身(へんげしん)つまり野狐だと言う。それが
「修行に修行を重ね悟りを開いた人(原文:大修行底の人)は、因果(いんが)の法則の制約を受けるでしょうか、受けないでしょうか?」と問う。
a hope様は、「自分の考えや思いがまとまりましたら」とおっしゃっていますが、書き始めましたら、書いているうちに自然にまとまっていく、というのが私の体験からの実感です。私が書き始めたとき、何も考えはまとまっていませんでしたが、書いているうちに、なにものかが私にのりうつって書かせてくれ、自分で自分の書いたものに感動している、というようなことでしたから・・・・。
a hope様は、“忙しい主婦なので”とおっしゃってましたから、推薦をご遠慮していましたが、多分、時間というのはなんとかなるものだと思いますよ。ぜひご登場を、お待ちしています。