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管理者日記

1メビウス@管理者:2010/11/16(火) 00:26:38
管理者のブログorツイッター代わりのスレです。

68メビウス@管理者:2011/06/06(月) 23:40:20
2chで自分が書いたものを形而上学的無主体論に書き加え。
永井氏の〈私〉はデカルト的なコギトが存在するための必要条件では
ないんですよね。
〈私〉は「魂」と言い換えることができると思いますが。
結局、最初永井氏が〈私〉についての問題意識を発表したときに指摘
されたように、「信仰の告白」だったのだろうと思う。

69メビウス@管理者:2011/06/11(土) 01:55:00
形而上学的無主体論を書き直し。
自己と、自己同一性の問題については一つの見地を確立できたかなと。

70メビウス@管理者:2011/06/16(木) 21:37:12
永井氏のページを大幅に加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html

永井氏にストーカーみたいに粘着してますがw
独在性を否定することが、自分の立場である遍在性の肯定に繋がるので、
いやでもストーカーにならざるを得ないw

71メビウス@管理者:2011/06/21(火) 00:23:15
時間について実在性を考究した哲学は多いけど、空間については少ないような。

まあ、時間と同じ論法で否定も肯定も出来るでしょうが。

時間と空間のあり方は、ロックが一次性質と二次性質を区別したことに
ヒントがあるような。

72メビウス@管理者:2011/06/24(金) 02:12:09
前にカントは上手い哲学者と書いたんだけど、改めて読んでみると凄く上手いw
物自体を仮定したのはロックの二元論に逆戻りと見えるようで、実は違う。

現象主義的な視点を維持したまま自然科学と相克せずに現象を説明できるし、
物自体が仮にエレア派的な「唯一」の存在だったとしてもカント哲学は矛盾しない。

カントが天才なのは誰もが認めるところだけど、ひょっとしたら大天才かもw

サールは現象主義に批判的なんだけど、カントをどう評価してるのやら。

とりあえず、カントのページを作らないといかんな。

73メビウス@管理者:2011/06/28(火) 01:00:26
永井氏はカントの超越論的な条件を、自己同一性を成り立たせる条件と
同一視してるんだけど、これは明らかに思い込みだろう。
ウィトゲンシュタインも同様っぽいけど。

カントの「条件」は現代風にいえば「法則」なわけで、これとヒュームの
自然の斉一性原理と重ねて考えれば個別的な自我は否定される。

これはあくまで現象主義的な思考なんだけど、ほぼ自然科学の立場と一致
してしまうな。

74メビウス@管理者:2011/06/29(水) 00:47:01
ようやくカントのページ作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/129.html

まあ、確証バイアスがあるかもですが。

75メビウス@管理者:2011/06/30(木) 00:32:59
次はデリダの「差延」について書こうかなと。
ポストモダンは無用の長物というのが個人的見解ですが、
差延は哲学史的に重要な概念で。
ハイデガーにも言及しないといけないし、また時間がかかるなと。

76メビウス@管理者:2011/07/01(金) 00:49:41
そういやハイデガーのページも作ってないな。
心の哲学とはあまり関係ないけど。
存在的、存在論的は重要な概念だし。
Wikipediaでは「差延」のページに存在論的差異との関係という形で
簡潔に紹介されてるんだけど。
その方法で自分なりに1ページにまとめてみるかな。

しかし時間がないな。

77メビウス@管理者:2011/07/05(火) 00:29:35
存在論的差異に絞って書いてみるかな……。
そう思って現象学関係を読み返してたら、
自分のサイトのフッサールのページが適当であることに気づいた。
他サイトからの引用で適当に書いてるページが結構あるので申し訳ない。
「差延」までページを作って、後はサイト内容の見直しに入ろうかと。

78メビウス@管理者:2011/07/11(月) 00:54:03
デリダの差延について調べてるんだけど、ゼノンのパラドックス的な詭弁を感じるw
まあソシュールの言語論や記号論がベースにあるんだけど。
そこに時間の無限分割を持ち込んだようなw
私としてはフッサールの「現象」解釈の方が正しいと思う。
やっぱり現代思想は無用の長物だなとw

79メビウス@管理者:2011/07/13(水) 00:30:46
ようやく存在論的差異と差延のページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/93.html
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/130.html

Wikipediaよりわかりやすく、より深く書いたつもりだけど。

竹田氏の存在論的差異の解釈は一般的なハイデガー解釈とは違うと思うけど、
ユニークだと思うし、自分も共感してるので、あえて載せることにした。

80メビウス@管理者:2011/07/14(木) 00:30:42
ユングは心の哲学とあまり関係ないのでページを削除。
替わりにデイヴィッドソンのページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/79.html

81メビウス@管理者:2011/07/15(金) 00:16:37
ストローソンは実証主義だと思ってたら、そうでもないような。
中立一元論とも思える形而上学的なことも書いてるし。
シュリックとともに調べなおしだな。

82メビウス@管理者:2011/07/17(日) 01:25:10
どうもウィトゲンシュタイン独我論の最深部には信仰があるっぽい。
まあ、信仰熱心な人物だったから必然的でもあるけど。
あちこち書き直さないとな。

83メビウス@管理者:2011/07/18(月) 23:09:34
形而上学的無主体論からエレア派に関する部分を削除。
自分の信仰にすぎないっぽいので。

渡辺氏のページも書き直しの必要があるな。

84メビウス@管理者:2011/07/21(木) 00:30:48
デレク・パーフィットはほとんど自分と同じ立場だな。
彼の死生観は渡辺氏と繋がる部分もある。

85メビウス@管理者:2011/07/24(日) 22:35:13
パーフィットに関連して永井氏の『転校生とブラックジャック』を読み返してみた。
永井氏は還元主義をきちんと批判してないな。
論点先取的にすぐ「私」が出てくるし、擬似記憶に対する批判で、
自分の記憶論ともいうべきものを述べてるんだけど、それも還元主義を否定する
ものになってない。

私のように直接経験(クオリア)に拘る者からしたら、「世界を開闢する」「私」
ではない直接経験など無いし、それがクオリアの本質なのだから、記憶があるからと
いってそれが人格の同一性の根拠になるわけでないし、還元主義の否定にもならない。

86メビウス@管理者:2011/07/30(土) 01:19:11
人格の同一性のページをだいぶ修正。

もっと前にパーフィットを知ってたらなとつくづく思う。
新品で1万円近い大著なので読む人が少ないのが問題かも。

しかし独力でパーフィットと同じ地点まで達してたのは
我ながら凄いと思ったりw

87メビウス@管理者:2011/07/31(日) 21:43:20
入不二氏は、直接経験が純粋に「隣接項のない」独我論的な経験であると
見てるから、私が無主体論のページで書いた派生問題に気づいてないわけがない。

永井氏は、パーフィットがスペクトラムの思考実験で自己を解体したのに対し、
記憶の特権的な能力で批判するわけだけど、それは昨日の自分と今日の自分、
あるいはその「特権的な記憶」と他の知覚の同一性を保障するものではない。
つまりヒューム的な還元主義に対する批判にはなってないと思うわけだが。

88メビウス@管理者:2011/08/04(木) 00:38:59
田崎晴明が言ってるのは私のサイトのことかなw
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/modphys/11/Ohmori.pdf

この人は哲学のことがなーんにもわかってないな。
カントが論証したように自然科学とは「現象」世界のことであり、
実体(物自体)には決してアプローチできないのだから、
科学の立場からゼノンにどうこう言っても、釈迦の手のひらで暴れる猿に
等しいわけだけどw

89メビウス@管理者:2011/08/05(金) 00:39:29
田崎氏は大森氏を素人扱いしてるんだけど、
大森氏も理学部物理学科卒業なんで、ゼノンのパラドックスの
数学的な解決法なんて知ってるわけだがw

90メビウス@管理者:2011/08/15(月) 00:41:21
大森氏はゼノンは正しいというのだけど、点時間を否定するだけで
運動そのものは認めるわけで、パルメニデスが提起した変化の矛盾も
点時間の回避で解消できると考えてるみたいな。

91メビウス@管理者:2011/08/19(金) 02:36:05
参考文献の表記方法を論文風に統一することにした。
最初は備忘録として始めたサイトなんで注意を払ってなかったけど、
googleからのアクセスも多くなってるんで。
著作権にも注意しないとな。

92メビウス@管理者:2011/08/23(火) 00:22:06
ヒューム哲学から必然的に派生する意識の連続性問題について考究してみた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/82.html#id_9b2a1244

93メビウス@管理者:2011/09/07(水) 00:21:12
チャーマーズはゾンビワールドが論理的に可能だというわけだけど、
逆に、唯心論的な「意識だけの世界」も論理的に可能だと思うわけで。

94メビウス@管理者:2011/09/07(水) 00:24:59
意識だけの世界が可能だとしても、問題は変化する意識とクオリアなわけで。

創発説も汎経験説もナンセンスと私は考えるのだけど、いずれも論理的に可能
か否かは判断し難い。

95メビウス@管理者:2011/09/08(木) 00:38:13
創発説はクオリアの由来の説明を放棄しているに等しい。
これは現象学の立場に似ているかも。

汎経験説の主張は「論理」ではないし。
延長・質量をもつものに対してのみ数学や論理は成り立つ。
「赤」や「美」や「恋」を足したり引いたりできない。

つまり「非論理性」こそが現象的意識の本質なわけで。

96メビウス@管理者:2011/09/08(木) 00:44:30
現象的意識は論理的整合性に反している。
けれど、それはあくまで現象的意識の内部の事実。

現象的意識を「一つの全体」としての存在者として見て、
なおかつその「一者」は時間と空間の外部にあると見れば、
論理的整合性に反していない。

97メビウス@管理者:2011/09/08(木) 00:46:39
上のような考えはカント哲学を延長すれば到達する一つの境地でもある。
形而上学的無主体論のページでも書いたんだけど。

チャーマーズも情報の二相理論で、時空について私と似たようなことを
書いてたので感動した。

98メビウス@管理者:2011/09/10(土) 01:08:21
ラッセルは時に鋭い分析をするんだけど、カントールで無限分割のパラドックス
が解けたと考えてるのは素朴すぎるような。

99メビウス@管理者:2011/09/10(土) 23:43:19
形而上学的無主体論を大幅に加筆修正。
>>94-97で書いた問題もまとめてみた。

100メビウス@管理者:2011/09/10(土) 23:44:35
それにしても、岩波書店の西田幾多郎全集は読みにく過ぎる。

101メビウス@管理者:2011/09/16(金) 00:39:34
渡辺氏のページに自分の意見ばかり書いてるのもどうかなと……。
大幅に修正が必要かも。

永井氏の記憶論についても批判を書きたいな。
記憶は個別的な意識のトークンでしかないから、昨日の自分との紐帯には
ならない。

102メビウス@管理者:2011/09/16(金) 00:44:58
ラッセルの刹那的独我論は、デカルトの世界連続創造説と繋がるものがある。
デカルトも刹那的独我論の可能性に気づいていたんだろうと思う。

103メビウス@管理者:2011/09/20(火) 00:34:33
渡辺恒夫『〈私の死〉の謎』は自我意識研究の歴史などが概観されていて面白い。
基本、渡辺氏は心理学者なんで『輪廻転生を考える』しか読んでなかったんだけど。
この本には「刹那転生」という概念が出てくる。これはほぼ還元主義の立場。

パーフィットといい、一時期の西田幾多郎といい、私もそうだけど、
この種の思考型では必然的にこういう結論に至るようだ。

104メビウス@管理者:2011/09/21(水) 23:30:14
勘違い。渡辺氏は還元主義の立場ではないな。
三浦俊彦とのメールのやりとりを見てわかったけど、
自己と独我論的問題については永井氏の立場に近い。
永井氏の場合は唯一性に対する現実性の概念で問題の所在を強調するけど、
渡辺氏は遍在性の概念で問題の解消を考える。

105メビウス@管理者:2011/09/21(水) 23:33:15
しかし、三浦氏はウィトゲンシュタインの独我論を知らないんじゃないかと
思ってしまう。

まあ、意識の超難問が擬似問題というのは同意だけど。
問題はそこから始まるというのが私の考え。

106メビウス@管理者:2011/09/24(土) 01:58:09
渡辺氏か三浦氏にメール送ろうかとも考えたんだけど、
両氏のやりとりは8年も前のことなんだな。

私が「人格の同一性」のページで考究したことが、両氏の
問題性の核心だと思うんだけど。

107メビウス@管理者:2011/09/24(土) 02:19:38
三浦氏からすれば、自分のコピー人間がいて自分と同じことを考えていた場合、
物理主義的に「同じ人間が二人」と答えるんだろうな。

「私」には端的な唯一性があるゆえに「同じ存在」「同じ性質」とは考え難い。
私の思考の出発点はそこなんだけど、両氏のやりとりは何とも……。

108メビウス@管理者:2011/09/26(月) 23:20:37
ラッセルの刹那的独我論は論理的に否定できないにしても、
実体の在り方はおそらく、その対極の絶対一元論的な在り方だろうと思う。
多元論は何か不自然であるような。

ウパニシャッドからエレア派、新プラトン主義、近代ではヘーゲルと、
実体の在り方を考究すれば、絶対一元論という最も無駄の無いシンプルな
思想に行き着くのは必然かも。

109メビウス@管理者:2011/09/28(水) 00:29:02
ラッセルの刹那的独我論にしても、ヒュームの知覚がそれぞれ個別の存在と
いう考え方にしても、意識の連続性がやはり問題になる。

やはり、個別のクオリアはそれぞれ唯一の現象的意識というものの「性質」と
考えた方が合理的だと思う。カントもウィトゲンシュタインも時間空間は対象の
形式と捉えるけど、それは暗に対象を見る自我を想定している。

還元主義的な立場ではその自我を否定するから現象的意識が丸ごと「一つ」の
存在者と考えた方が合理的。

110メビウス@管理者:2011/09/28(水) 00:35:21
あるいは「他者」の存在が問題になるかもしれない。

しかし還元主義では自分と他者に絶対的な境界はないとするから、
他者の現象的意識も自分の現象的意識も区別は不要になる。

むろん、今の自分と過去の自分には「記憶」という紐帯があるという
立場もあるけど、科学的には、記憶はその時々に創造される現象的意識に
すぎないし、また人は過去の自分について忘れていることも多い。

忘れている過去の自分は「他者」であると考えることもできるし、
それは逆に、他者とは「忘れている自分」であると解釈することもできる。

還元主義を透徹すればそうなる。

111メビウス@管理者:2011/10/11(火) 23:36:12
ウィトゲンシュタインは『論考』5.64で、
「独我論の自我は広がりを欠いた点にまで縮退し、自我に対応する実在が残される」
と書いていて、これを入不二氏は独我論的な無主体論と解釈してるんだけど、
その「実在」という言葉は「クオリア」に置き換えてもいいように思う。

永井氏は「〈私〉とは世界を開闢する原点」という言い方をするんだけど、
「世界を開闢しないクオリア」というのは無いわけで。

カントは統覚の働きが全ての表象に「我思う」を伴わせると考えたけど、
これもクオリアの側から考えれば、「我思う」が伴っていないクオリア
なんてない、といえるような。

112メビウス@管理者:2011/10/20(木) 01:01:08
チャーマーズは物理学者たちの影響を受けて情報の二相理論によって、
根源的な存在を「情報」と考えてるんだけど、
しかし「情報」とは誰か――主体に認識されることが前提の言葉だから
違和感がある。

だからこそ、「時空」そのものさえ情報空間の中にある可能性を想定して、
絶対一元論的な世界観を展望しているのかもしれない。
時空が実在しないとなれば、「認識」という動的な作用も想定する必要が
ない。だから「世界とは差異」という結論に至ったのかも。

113メビウス@管理者:2011/10/21(金) 00:18:07
あと多元論とネーゲルのページを作りたい。

いきなり忙しくなって本を読む暇も無いから
いつになるかわからないけど。

114メビウス@管理者:2011/10/29(土) 21:39:02
根源的な存在を「情報」と考えるのは暗に無主体論の立場を前提としてる。

またその情報が時空の内部にあるのでなく、逆に時空が情報の内部にあると
考えるのは、やはりチャーマーズは絶対一元論的な世界をイメージしてる。

それぞれの情報が因果関係によって繋がっているというなら、時空が実在
しないことを前提にすると、全ての情報は「唯一の存在」の一つらなりの
「性質」として解釈する他はない。

そう考えるとチャーマーズの思想は私の至った結論に極めて接近するわけだが。

115メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:46:49
ライプニッツが「モナドには窓が無い」としたのは、
他の存在に作用されるようでは「実体」の定義からしておかしいからで、
だから彼は神による予定調和を想定せざるを得なかったのだろうけど。

神の存在を信じない私や多くの現代人からすれば、存在間の相互作用の
方を信じるしかないわけだけど、そうなるとライプニッツが見抜いた
ように世界から「実体」が存在しなくなる可能性がある。
だからバートランド・ラッセルは実体を否定して「出来事」だけを想定
したのかもしれない。

116メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:51:03
ラッセルの「出来事」は現代の量子力学と相性が良いと評価する意見も
あるのだけれど、それでも実体を否定するとやはりおかしなことになる。
たとえば普通は、「波」とは「水の運動」であると、現象を説明するのに
実体の概念を用いるのであるけど、ラッセルのように実体を否定するなら、
「出来事の原因は出来事である」と循環論法になるような。

117メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:55:22
その循環論法を一気に解決してしまう方法はただ一つで、
「出来事の原因は出来事である」というようなものは、
全て「唯一の実体」内部の「性質」であると考えること。

というように、存在論から論理的矛盾を除去しようとすると、
どうしても絶対一元論に行き着いてしまう。

118メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:57:41
実体と多元論と、ネーゲルとウィトゲンシュタイン独我論の
ページを作らないとな。

忙し過ぎて何年も先になりそうな。

119メビウス@管理者:2011/11/20(日) 04:58:25
>>107に関連して、
三浦俊彦の「意識の超難問」批判があまりにずさんなので、
永井・渡辺両氏をフォローする形で書いといた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/133.html

120メビウス@管理者:2011/11/24(木) 00:57:47
>>119はウィトゲンシュタイン独我論とセットで説明しないとわかりづらいかも。

忙し過ぎて加筆する暇が無いな。

121メビウス@管理者:2011/11/30(水) 22:13:38
パーフィットの混合スペクトラムの思考実験が
現象的意識やクオリアについても適用できることを書いてみた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/128.html

122メビウス@管理者:2011/12/06(火) 22:27:57
ようやくウィトゲンシュタイン独我論の解説おわた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/75.html#id_13477f70
あちこちでウィトゲンシュタインを引用しておきながら、
その独我論についての説明が適当だったので、頑張って書いてしまった。

年末の忙しい時に何をやってるんだろう私はw

123メビウス@管理者:2011/12/07(水) 21:56:52
永井均への批判は上のウィトゲンシュタインの問題と重複してるので大幅に整理した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html

124メビウス@管理者:2011/12/12(月) 21:55:59
ウィトゲンシュタイン独我論と対の問題といえる
動物の心を大幅に加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/116.html

意識の境界問題や汎経験説まで関わってくるので面白い。

125メビウス@管理者:2011/12/15(木) 21:46:57
>>122-124と関連して、人格の同一性もかなり修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/128.html

まだ書き残したことがあるような気もする。
まあ、人格の同一性問題は哲学の問題が全て詰まってるし。
このページは永遠に完成しないかも。

126メビウス@管理者:2011/12/16(金) 02:52:35
他人の掲示板に書き込む際の最低限のマナーも知らないで、
的外れな批判をしている人を書き込み禁止にした。

ここは2chじゃないし、私もボランティアで講義してやるほど暇でもない。

127メビウス@管理者:2011/12/20(火) 21:47:11
大森荘蔵のページは他サイトからの引用ばかりで上手くまとまってない。
でもまとめる気力が無くなってしまった。
以前は夢中になって読んでたのに、今ではほとんど共感できなくなった
からだろう。

フッサールも同様。

128メビウス@管理者:2011/12/26(月) 01:07:55
今年はもうサイト更新しないと思う。
来年はたぶん引越しがあるのでネーゲルのページ作るのは
いつになるかわからない。

129メビウス@管理者:2012/01/10(火) 00:18:26
心の哲学の用語を若干修正する必要あり。
忙しすぎて週に一つぐらいしか出来そうにない。

130メビウス@管理者:2012/02/08(水) 01:37:14
ただ今引越し準備中。
まとめサイトの更新は当分お休み。

131メビウス@管理者:2012/03/10(土) 03:50:10
ようやく引越しの日時が決まった。

それはともかく最近、西田幾多郎って大したことないんじゃ?
思うようになってきた。「変化」を無条件に前提してるような
気がする。ベルクソンの影響を受けてるから当然かもしれないけど。

132メビウス@管理者:2012/03/28(水) 00:54:04
ようやく引越し終わった。
落ち着いたらまとめサイトの更新を再開したいと思う。

133メビウス@管理者:2012/04/05(木) 19:24:27
久しぶりに渡辺氏のページを見ると、遍在転生観についてこんなことが
書いてあった。

>遍在転生輪廻説の主張の最低限の要件は、他者とは時間を異にした私である、という点にあるからだ。
http://fantastiquelabo.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-fe89.html

私の考えを要約すると、時空は実在しない、ゆえに他者も存在せず、
ゆえに全ては〈私〉である、ということになると思う。

この辺のことは人格の同一性やパルメニデスのページでも書いてるけど、
時間論についてのまとめページを作るべきかもしれないな。

134メビウス@管理者:2012/04/08(日) 02:42:56
意識の超難問については、
物理主義によっては定義できない「何か」は確かにあるのだけれど、
仮にそれを「魂」や〈私〉だとしても、やはりパーフィットの
スペクトラムの思考実験では存在することは不可能に思える。

つまり一見、存在論的独我論と、それと相反する立場の主張が同時に
正しいよう思えるわけで。

そのことが示すのは、論理的に矛盾の無い〈私〉の在り方を模索すると、
素朴実在論を否定するしかない……ということになるような。

これは人格の同一性のページの終盤で考察した結果でもあるけど。

135メビウス@管理者:2012/04/09(月) 02:12:49
>>134の問題を超難問のページに加筆。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/133.html

136メビウス@管理者:2012/04/14(土) 13:06:41
ウィトゲンシュタインのページを微修正。

137メビウス@管理者:2012/04/18(水) 19:57:05
「コウモリの感覚」のページ名を「コウモリの視点」に変更。
「コウモリであるとはどういうことか」では長いし。
ネーゲルも「視点」の概念に拘ってるのでこれでいいかも。

人格の同一性のページにもネーゲルの見解を加えておけば、
ネーゲルのページを独立して作る必要はないような。

138メビウス@管理者:2012/04/19(木) 00:22:57
Wikipediaの関連項目リンクに「時空の哲学」を追加。

しかしWas a beeという人は存在論関係で随分頑張って書いてるな。
私のまとめサイトも見てるっぽい。
私の問題意識とほぼ重なってるし。

139メビウス@管理者:2012/04/27(金) 22:57:47
「人格の同一性」のページにネーゲルの見解を加筆。

140メビウス@管理者:2012/04/30(月) 13:42:05
大庭健は自分の問題意識から外れてるので著作を読んでも放置してたのだけど、
永井均やトマス・ネーゲルと並べて見ると面白いかもしれないと思って、
「意識の超難問」のページに大庭健の見解を加筆。

141メビウス@管理者:2012/05/06(日) 22:48:54
現在パルメニデスのページを書き直し中。
今読み直すと随分荒い文章だし。
他サイトからの引用部分も明確になってないし。
一元論に関する自分の意見はあちこちのページに分散して纏める必要がありそう。

渡辺恒夫氏のページも大幅に修正しないとな。
自分の思考の往路に過ぎない部分も書いてるし。

142メビウス@管理者:2012/05/16(水) 22:50:14
パルメニデスのページを書き直すために色んな資料を読んでるんだけれど、
エレア派が「空虚」を否定する論法は間違ってるな。

「ない(空虚)」を主語として考えなければならないのに、
「ない」ものが「ある」は矛盾だと、主語と述語と意図的に混同してる。

まあ、このような見方は一般的なものでWikipediaのエレア派の項目にも
似たようなことが書いてあるけど、問題はそれだけではないのが面白い所。

143メビウス@管理者:2012/05/22(火) 22:26:13
以前読んだ井上忠の『パルメニデス』を再読してるのだけど、
やはり解釈が強引なような。
『西洋哲学史1』の納富信留からも一般的な解釈ではないと評されてるけど、
やはりパルメニデスに関しては一番情報量が多い。

144メビウス@管理者:2012/05/30(水) 00:13:11
内山勝利の『ここにも神々はいます』は内容が薄くて残念。
しかしパルメニデスについては独特の見地をもっていて、
買って損はなかったかも。

しかし、哲学というのはどのように読み替えてもいいのだとなと
改めて思って、デリダの脱構築がいかに優れた概念かを今更だけど
理解したようなw

145メビウス@管理者:2012/06/01(金) 22:44:04
入不二氏のマクダガートは既に何度も読んだんだけど、
読む度に考え直させられるな。
時間論は底なし沼みたいなものだとつくづく思う。

時間論を考え尽くすには人生の時間が足りないw

146メビウス@管理者:2012/06/06(水) 22:51:05
私が「現象的意識の非論理性」の解として述べたことはデリダの
「差延」と類似のロジックであるような。
デリダの場合はあくまでポストモダン路線の認識論だろうけど、
私の場合は認識論であり存在論でもあるが。

入不二氏も類似のことを書いてたんだよね。
結局、懐疑主義をおし進めれば誰でも行き着く所は
同じということかな。

147メビウス@管理者:2012/06/12(火) 23:40:08
にしてもデリダの「差延」には時間論的な問題意識が感じられない、
というか感度が低いな。
ポストモダンの人だから当然ではあるけど。

フッサールの受動的総合=大森荘蔵の立ち現われ一元論の立場から見れば
デリダの認識論は問題ではないような。

148メビウス@管理者:2012/06/13(水) 22:54:51
「パルメニデス」のページを大幅に修正
http://www21.atwiki.jp/p_mind/editx/96.html
自分の一元論は「一元論の合理性」として書いた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/14.html#id_e9f8d93e

関連ページも大幅に整理しないとな。
あちこちのページに似たようなこと書いてるし。

149メビウス@管理者:2012/06/15(金) 01:59:50
入不二氏が時間の本性として、変化を否定した上で無数の「今」の間の
「現実性」の推移とした動機はわかるのだけど、私がこれに異論がある
のは「パルメニデス」で書いたとおり。

しかし入不二氏の論点から見えてくるものがあるような。

無数の「今」があって、それらが全て「現実性」を有していたとしても、
それは論理的に間違いでも矛盾でもないように思える。

150メビウス@管理者:2012/06/16(土) 00:23:18
「意識の超難問」を微修正。

渡辺氏が超難問に関心をもって遍在転生観を主張した背景には、
「私」が消えたり生じたりすることの不合理性を感じていたに違いないと思う。

ならば変化と時空の実在性を問わざるを得ないはずなのに、
渡辺氏は遍在転生観を科学的実在論と調和させようとしている。

151メビウス@管理者:2012/06/16(土) 21:16:37
「渡辺恒夫-遍在転生観」のページを大幅にスリム化。
他のページでも書いてることを削除した。

152メビウス@管理者:2012/06/22(金) 21:16:30
WikipediaでWas a bee氏が編集した「形而上学的ニヒリズム」にヒントを得て
「パルメニデス」のページを加筆。

形而上学的ニヒリズムは可能世界としてはあり得るような。
でもこの世界ではパルメニデスの論理で不可能性を主張できると思う。
しかし「引き算論法」というのは多様性が前提になっているので
論点先取のような気もする。

153メビウス@管理者:2012/06/23(土) 13:40:38
>>149に関連してるけど、大森氏がカントの物自体にならって
過去を「過去自体」としたのは優れた発想だなと改めて思った。

154メビウス@管理者:2012/06/27(水) 00:55:22
存在論においてどのような時間論の立場を取ったとしても、
最後に問題として残るのは特権的な「今」というリアルな
感覚が持続することだと思う。

自分にとってベルクソンは通り過ぎた人という感じだったけど、
もう一度読み直してみようかな。

他に修正しないといけないページもあるんだけど、
どうにも自分の時間論には、まだ大きく欠如した部分が
あるような気がする。

155メビウス@管理者:2012/06/27(水) 20:27:24
もちろん、その「リアルな持続する〈今〉」も
存在者であるクオリアの「性質」だとすることができる。

しかし、一度「性質」という大きな枠組みを作ってしまうと、
何でもその中に入ってしまうので、かえって何も解答していない
ような気がする。

156メビウス@管理者:2012/06/28(木) 01:28:02
>>149で書いたような、無数の「今」があって、それらが全て「現実性」を
有している、というのは「形而上学的無主体論」で書いたことに通じるわけだけど。
ヒュームは知覚が全て独立した存在者だと考えたけれど、特権的な「今」という
リアルな感覚の持続が説明し辛いことが致命的な弱点だと考えて『人性論』を
封印しようとしたのかも。

しかし、持続が感じられる特権的な「今」が説明し辛いというのは、結局の所、
「今」というリアルな「性質」のクオリアを線形で表現されている時間軸上に
位置づけようとしていることが原因で、時間が実在しないという立場を取れば、
これは問題自体が錯覚だということになるのかも。

大森荘蔵も時間というのは線形で表現できるというのが本質だとベルクソン
を批判したけど、それを私流に換言すれば、「時間の感覚」というクオリアが
線形時間という概念を派生させている、となるような。

つまり再帰的にカントの認識論を選択しているわけだけど。

157メビウス@管理者:2012/06/28(木) 01:34:48
それにしても、クオリアがそれぞれ、リアルな「今」という性質を
もって実在しているというのは、イメージするのは全く不可能。
この辺が人間の思考の限界なのかも。

かつてのヒュームだけでなくチャーマーズも類似の形而上学を
構想してるけど、やはり論理的帰結としてしか語られていない。
まさに「語りえない」もの。

158メビウス@管理者:2012/06/30(土) 01:42:52
クオリアを時間軸上に位置づけるのは間違いとするならば、あるクオリアと他の
クオリアはただ因果的関係として記述できるのみなのかもしれない。

「位置づける」という言葉自体が空間的であるし。
大森氏のいう「過去自体」や、未来と因果関係を持つ、ということのみが表現可能かも。

この点、ウィトゲンシュタインの論理空間内での「事実」同士の関係の類比かも。

159メビウス@管理者:2012/07/03(火) 20:38:53
「一元論」のページを多少加筆修正。
本当はこのページの自分の見解は「パルメニデス」のページに書きたかったこと
なんだけど、atwikiが1ページ50キロバイトまでという糞制限なんで分割せざるを
えなかった。

160メビウス@管理者:2012/07/04(水) 21:25:57
「観念論」と「認知的閉鎖」を微修正。

大森荘蔵を再読しようと思って著作を探してるんだけど、
どうやら引越しの際に大量に消失したもようorz
三年に一回ぐらい引越ししてるんで、引越しの度に本が消える。

161メビウス@管理者:2012/07/19(木) 21:18:29
大森荘蔵の著書で残ったのは2冊だけ。
さすがに失ったのを全部買いなおす気はしないので、野矢茂樹の
『大森荘蔵――哲学の見本』を基に大森哲学をまとめようと思う。
今の大森氏のページは引用だらけで全然なってないし。

野矢氏の本は上手くまとまってると思うけど、かなり突っ込んだ
解釈もあるような気が。
大森氏がアウグスティヌスと同様の時間論を選択したとは思えない。
確かに、『時は流れず』にそういう表現も一部あるのだけど。

162メビウス@管理者:2012/07/19(木) 21:27:05
大森氏が時間の矛盾を自覚しながらも変化を否定し切れなかったのは、
永井氏や入不二氏、そしてマクダカートがつまずいたのと同じ「現実性」の
問題が背景として存在していたからだろうと思う。
これは>>154-157で書いた問題。

163メビウス@管理者:2012/07/19(木) 21:34:49
ここで改めて、ハイデガーやパルメニデスとは違った視点から、そもそも
「在る」とはどういうことなのか問わなければならないような気がする。

時間・変化を存在者の「性質」と考える私の立場からすれば、「在る」とは
現実性を有した存在者そのものであり、その現実性とは、「無いものが在る
ものになる」という性質のことなのだ、と考えるしかないような……。

164メビウス@管理者:2012/07/21(土) 02:07:47
「今」の「リアル」という特権的性質が確かに問題の焦点なんだけど、
そのリアルには確かに「幅」がある。実在としての時間的な幅というのでなく、
「無いものが在るものになる」という性質としての幅。

これは一瞬でも「持続」として感じられるクオリアがそうだともいえるし、
一瞬でなく一年でも一生でも同じことであるような……。

165メビウス@管理者:2012/07/21(土) 02:13:01
入不二氏は「今」が変化して過去になり未来が到来するというのでなく、
変化を否定して「現実性が推移する」と考えたのだけど、
>>164のような考えなら、一生丸ごと「現実性」がある、としても矛盾では
ないような。

166メビウス@管理者:2012/07/23(月) 23:20:52
上で書いた現実性の問題について永井・入不二両氏が対談するそうな。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=164064&userflg=0

地方に転居したんで行けないけど、まあどうせ両氏の問題提起の仕方から
すると説得力のある論理的な解答は得られないだろうと思うし。

167メビウス@管理者:2012/07/26(木) 21:36:00
>>166のリンク先に
>現実性は可能性や必然性とならんで「様相」の一種だとされる

とあるけど、これは事実そうだろうと思う。
問題はその「在り方」。
永井・入不二両氏はその「在り方」の問い方を間違ってるんじゃないかと思う。


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