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管理者日記

1メビウス@管理者:2010/11/16(火) 00:26:38
管理者のブログorツイッター代わりのスレです。

24メビウス@管理者:2010/12/18(土) 00:19:06
まとめサイトは毎日、少しづつ加筆修正してます。
最初はとりあえずWikipediaからコピペして、まとめwikiとして
体裁を整えてから加筆修正するつもりでしたので。

スピノザも修正しないと駄目っぽい。
その他あれもこれも……。
サイトの完成はいつになるやら……。

25メビウス@管理者:2010/12/23(木) 00:34:14
毎日少しずつ加筆修正。

原意識は稚拙な還元主義っぽいですね。

26メビウス@管理者:2010/12/28(火) 01:05:20
結局、観念論を一元論のカテゴリーに入れました。

厳密には観念論者にもカントみたいな二元論者がいるんですが。

観念論という言葉自体、定義が錯綜してますね。
スティーブン・プリーストは唯心論と同じ意味で使ってるし。

27メビウス@管理者:2010/12/30(木) 17:07:39
以前、時間と空間は実在しないと書きましたが、
カントは時空を認識の「形式」とか言ってるけど、
所詮は抽象観念なんですよね。

28メビウス@管理者:2011/01/07(金) 00:20:59
カタツムリから見れば人間は全知全能の神に見えるかもしれない。

逆に言うと、人間が宇宙や「存在」について知ってることなど、
神から見ればカタツムリ程度かも知れない。

認知的閉鎖の壁。

29メビウス@管理者:2011/01/08(土) 00:14:12
永井氏のページ修正しました。

脱人格的自我について勘違いしてた。orz

しかし、〈私〉は比類のないものだから「語れてはならない」というのは
論理的でないような。

比類の無いものだったとしても語れてもいいのでは?

30メビウス@管理者:2011/01/15(土) 01:27:15
>>22で言っていた動物の心の問題をまとめました。

ほとんど私の思想ですが。

31メビウス@管理者:2011/01/15(土) 19:45:45
時空は実在しないと以前書きましたが、変化はどうかなと。
時空が変化から生じた抽象概念なら、変化そのものは実在するものかも。

変化も抽象概念と言えなくはないけど。

32メビウス@管理者:2011/01/19(水) 19:41:57
もし時間と空間の実在を否定できたなら、心の哲学は根本的に変わるでしょうね。

デカルトの区別による心と物質の「違い」がなくなってしまう。
物質は空間を占める「延長」だから心身問題の解決が困難なわけで。

時空の実在を否定した上で心身問題を考えると、
在ると確信できるのは「心的現象」と「心的現象の背面である『物質』と知覚される何か」
というようになる。

現象学的な見方かもしれない。バークリー風の観念論でもあるし。

入不二基義さんの本をもう一度熟読してみようかなと。

33メビウス@管理者:2011/01/26(水) 22:46:56
ようやくスピノザのまとめが終わった。

スピノザを自然主義的な哲学者と見れば私が支持してる遍在転生観に多くの点で通じますね。

34メビウス@管理者:2011/01/28(金) 00:57:50
「唯識」を一元論からインド哲学のカテゴリーへ移動。

やはり西洋哲学の分類方法でカテゴライズするには無理かなと。

35メビウス@管理者:2011/01/29(土) 02:01:55
何度か書きましたが、時空の実在は十分疑いうるものだと思います。
もし時空が実在しないのであれば、心の哲学のみならず形而上学全般がひっくり返るでしょう。

時空の実在性を考慮しない大半の哲学者は巨大な砂上の楼閣を築いているだけかもしれない。

その意味では入不二基義さんは頑張ってるなと。

36メビウス@管理者:2011/02/02(水) 00:22:33
ようやくデカルトのページをまとめ終わった。
一部記憶モードで書いてますが。

ウィトゲンシュタインがデカルトの「我思う」を、
「思うということが我なのである」としたくだりを読んだときは、
この人は天才だと思った。
永井均さんが惹かれた理由がわかる。

ただ、その独我論を出発点として、私の関心事とは別の方向に
行ってしまったのが残念。

37メビウス@管理者:2011/02/05(土) 00:39:46
私の問題意識ですが。

観念論の立場から時間と空間を「変化」の属性として非実在的なものと
考えますが、なら変化そのものは存在するのか……

パルメニデスは変化は矛盾だとし、ゼノン、そしてある意味マクダカードや
ナーガルジュナも時間の非実在性を論証することで変化の実在性を疑おうと
しました。

ヒュームの懐疑論を演繹して、変化も抽象概念だと言えなくも無いですが、
しかし現前している感覚、クオリアは変化しているわけです。
パルメニデス流に言えば、「あるものがないもの」になっているわけで。

いや、パルメニデスは「だから感覚は信用できない」というわけだけど、
感覚を信じず理性を信じても、その精神現象は現に「変化」してるわけで。
「あるものがないものになる」という矛盾が精神の場では現に生じているわけで、
これをどう解釈すればいいのか……

これが私の問題意識なんですが。

38メビウス@管理者:2011/02/05(土) 00:47:26
そういえば茂木健一郎氏も、脳の作用の過程のある段階でなぜ突然クオリアが
生まれるのか、といった問題意識を書いておられたような覚えが。

物質は粒子で出来ているから消えたように見えても他の何かに変化してるだけ。
でもクオリアは他の何かに還元できない。「青」のクオリアが消えて「痛み」の
クオリアになりました、なんて考えるのは不可能だし。

39メビウス@管理者:2011/02/05(土) 01:57:14
ヒュームのように全てを感覚に還元して自我まで否定したとして、
最後には感覚は生成消滅する――「あるものがないもの」になる
という矛盾、難問が顕わになるわけで。

ラッセルみたいに全ては「出来事」だとクオリアの実在性を否定
しても、やはり「あるものがないもの」になるというのは矛盾のような。

40メビウス@管理者:2011/02/11(金) 18:03:16
マクタガートの議論は面白いと思うけれど、
観念論の立場からは時間が「実在しない」ことを証明する必要はないような。
証明するのも事実困難だったし。

私としては、時間が「実在する」ことは証明されていないことを論証するのが
方法論として正しいと思う。
時間も空間も「変化」から経験的に抽象された観念であることは確かだし。

つまり時空が実在しない可能性を証明することによって、同時に存在論・心身問題の
あり方が根本的に変わる可能性を提示するべきだったかなと。

41メビウス@管理者:2011/02/11(金) 21:48:54
時空が実在で無いことを前提に考えれば、心身問題はもちろん、
自己同一性や他我問題、独我論的問題その他、哲学の全てがひっくり返るような。

スピノザの神から時空の要素を取り除いたものになりそうだけど。

42メビウス@管理者:2011/02/16(水) 00:35:25
入不二さんの本を読んだら、マクダカートも>>37と同じように行き詰ってたw

43メビウス@管理者:2011/02/19(土) 14:56:32
存在論にしても心身問題にしても時間論が決定的な鍵になる可能性があるだろうと。
汎経験説対創発説でも書いたのですが、クオリアの最大の難問は生成変化することに
因果的な説明が困難だからで。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/108.html

44メビウス@管理者:2011/03/05(土) 00:23:16
2chの哲学板に書いたパルメニデスについての小論を、
パルメニデスのページに加筆しました。

入不二さんは時間について「現実性の推移」と書いてますが、
ちょっと苦しいような。
しかし、私個人の考え方と近いような気もしますが。

45メビウス@管理者:2011/03/06(日) 00:14:31
汎経験説も創発説も否定されるなら、消去法的に、ある種の観念実在論が
残るかなと考えてますが。

その場合、ヒューム的な無主体論になるしかないかなと。

46メビウス@管理者:2011/03/07(月) 21:57:30
観念実在論というと普遍論争の一方の立場になるので、
クオリア実在論と言ったほうがいいかな。

イデアとクオリアの類似性を指摘する意見は多いですね。

47メビウス@管理者:2011/03/28(月) 23:11:40
私の考えを形而上学的無主体論としてまとめました。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/125.html

永井さんの西田幾多郎本を読んだのですが、西田幾多郎は自我について
私とほとんど同じ考え方だなと感動してしまった。

入不二さんがいうように一種の「思考型」なんですよね。無主体論は。

48メビウス@管理者:2011/04/02(土) 00:08:11
しかし西田幾多郎も後期には考え方が変わってるような。
永井さんの解釈は微妙に牽強付会っぽいけど。

49メビウス@管理者:2011/04/05(火) 22:42:26
読みたい本がいっぱいあっても時間が全然足りないな。
職業哲学者がうらやましい。

ただ、職業哲学者と違ってアマチュアであることにもメリットはあるわけで。
用語の使い方が厳密でないとか原書を読んでないとか、職業哲学者が守らなければ
いけないルールや思考法を無視して好き勝手に考究できるというのがアマチュアの
いいところ。

50メビウス@管理者:2011/04/07(木) 23:36:06
大森荘蔵さんの本を再読してるのだけど、10年ほど前読んだときは
共感する部分が多かったのに、今はほとんど共感する部分がないなw

おっと、また大きな地震が来た・・

51メビウス@管理者:2011/04/12(火) 23:13:24
入不二さんのウィトゲンシュタイン本に出会えたことは幸運だったと思う。
それまで僅かに同類はいたものの、多数派から見れば異常といえる自分の考えに、
「無主体論」という確かな枠組みを与えてくれたから。

52メビウス@管理者:2011/04/21(木) 00:14:10
ヒュームの本を再読してたら記憶の間違いに気づいた。
というより以前読んだ時はわからなかったことが、
今ではわかるようになったのかもしれない。

自分の考え方とヒュームはそっくりだと思ってたのに、
重大な相違があるような気が……。
どう解釈すればいいか難解な部分もあるのだけど。

53メビウス@管理者:2011/04/21(木) 23:45:20
ヒュームは知覚がそれぞれ別個の存在であるとして、
その別個の存在の結合のあり方を知ることはできないとする。
そして、それぞれの知覚が「何か」に内属してる可能性を否定しない。
この点は懐疑主義的。

54メビウス@管理者:2011/04/22(金) 23:07:11
ヒュームのページを加筆。
自我を共和国にたとえるのは西田幾多郎の立場に近いのかな。

55メビウス@管理者:2011/04/23(土) 23:32:38
しかし共和国という枠組みを想定するのはメタレベルの自我を想定するのに等しいような。
知覚同士の結合のあり方を考えるのも同様。

知覚がそれぞれ別個の存在であるというなら枠組みや結合など考える必要はないと思う。
それが無主体論の本質。

56メビウス@管理者:2011/04/27(水) 00:39:45
知覚がそれぞれ別個の存在であるとして、
その別個の存在の結合のあり方を知ることはできないとする。
これをヒュームは矛盾だと考えて、カントは「統覚」という概念で
解消しようとするのだけど、「統覚」とは上手く考えたようで、実の所
何の説明にもなってないような……。

永井氏の本では世界を成立させる作用として「統覚」を評価してる
んだけど、これは物理主義の「創発」と同じでは? と思ってしまう。

57メビウス@管理者:2011/04/28(木) 03:49:26
「人物」のカテゴリーにカントのページを作ってないんだけど、どうするかな。

重要な人物であることは事実だけど、個人的にカントは過大評価されすぎと
いう気が……。

カント哲学は「上手い」という印象だけど、パルメニデスやデカルトの
ように存在の本質にアプローチしたものでなく、プラトンやヒュームの
ように際立ってユニークなアイデアを創出したわけでなもない。

唯物論者から見れば観念論者であり、観念論者から見れば不徹底な観念論
者である。

上手く語っただけでも十分凄いんだけど。

58メビウス@管理者:2011/05/04(水) 00:44:22
渡辺恒夫-遍在転生観のページを大幅に加筆。

自然の斉一性原理を考究すれば必然的に一元論に至るような。

59メビウス@管理者:2011/05/05(木) 02:40:11
形而上学的無主体論のページでクオリア実在論とか書いてるけど、
自分でも説明に成功してるとは思えない。そもそも信じていいのかもわからない。

消去法的にそうなるのでは、という思考実験の結果で。
哲学は消去法で結論を出すべきではないのかも。

60メビウス@管理者:2011/05/09(月) 00:16:30
フッサールも『イデーン』の中で、言葉の意味は物があることと同じように
人間にとって存在してると書いてるわけで。

イデア論や中世の観念実在論もそうだけど、消去法的に考えるとこの結論に
辿り着くのは必然かも。

61メビウス@管理者:2011/05/18(水) 00:31:43
死んだらどうなるの? というシンプルな質問をもらったんだけど、
その疑問こそが哲学の核心的な問題なわけで、この疑問に何も答えない
哲学は哲学じゃないと思ってる。

そういう意味ではポストモダンは哲学じゃないなと。

しかしホーキング博士は、脳はコンピューターのようなもので、
壊れたコンピューターには天国も来世もない、と述べたそうで、
クオリアについて何も考えてないんだなと、がっかり。

62メビウス@管理者:2011/05/24(火) 01:28:48
結局、カントのいう「統覚」は、無主体論と対極の「思考型」なんだと思う。

63名無しさん:2011/05/29(日) 21:05:40
差異への関心に導かれてここまでたどり着いたけど、
ベルクソンって心の哲学にかなり関係があったんだな、と初めて知った。

64メビウス@管理者:2011/05/30(月) 00:34:56
空間的に位置を規定できる身体と違って、心は純粋に時間的なものとされてますからね。
ベルクソンの純粋持続は重要な概念です。対立するのが古代エレア派とヒュームの哲学で
しょう。

65メビウス@管理者:2011/06/01(水) 00:26:16
私個人はエレア派の時間論が正しいのではないかと思ってますが。

時間は変化の属性であり、変化の概念から派生した概念です。
時間の中に変化が在るわけでないのが重要です。
われわれは変化を時間的な流れの中にあるものと思いがちですが、
その素朴な見方は根本的に間違っているかもしれません。

66メビウス@管理者:2011/06/01(水) 00:29:52
上の考えは時間・空間を認識の「形式」とするカントの哲学を
飛躍させれば導かれることでもありますが。

そう考えるとカントはやはり重要な人物だなと。
時間があればカントのページを作りたいと思います。

67メビウス@管理者:2011/06/02(木) 00:16:41
自己同一性についてのページを作りました。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/128.html
一般的な説の紹介だけですが。

遍在転生論とか無主体論を書き加えると難しくなりすぎるので。

68メビウス@管理者:2011/06/06(月) 23:40:20
2chで自分が書いたものを形而上学的無主体論に書き加え。
永井氏の〈私〉はデカルト的なコギトが存在するための必要条件では
ないんですよね。
〈私〉は「魂」と言い換えることができると思いますが。
結局、最初永井氏が〈私〉についての問題意識を発表したときに指摘
されたように、「信仰の告白」だったのだろうと思う。

69メビウス@管理者:2011/06/11(土) 01:55:00
形而上学的無主体論を書き直し。
自己と、自己同一性の問題については一つの見地を確立できたかなと。

70メビウス@管理者:2011/06/16(木) 21:37:12
永井氏のページを大幅に加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html

永井氏にストーカーみたいに粘着してますがw
独在性を否定することが、自分の立場である遍在性の肯定に繋がるので、
いやでもストーカーにならざるを得ないw

71メビウス@管理者:2011/06/21(火) 00:23:15
時間について実在性を考究した哲学は多いけど、空間については少ないような。

まあ、時間と同じ論法で否定も肯定も出来るでしょうが。

時間と空間のあり方は、ロックが一次性質と二次性質を区別したことに
ヒントがあるような。

72メビウス@管理者:2011/06/24(金) 02:12:09
前にカントは上手い哲学者と書いたんだけど、改めて読んでみると凄く上手いw
物自体を仮定したのはロックの二元論に逆戻りと見えるようで、実は違う。

現象主義的な視点を維持したまま自然科学と相克せずに現象を説明できるし、
物自体が仮にエレア派的な「唯一」の存在だったとしてもカント哲学は矛盾しない。

カントが天才なのは誰もが認めるところだけど、ひょっとしたら大天才かもw

サールは現象主義に批判的なんだけど、カントをどう評価してるのやら。

とりあえず、カントのページを作らないといかんな。

73メビウス@管理者:2011/06/28(火) 01:00:26
永井氏はカントの超越論的な条件を、自己同一性を成り立たせる条件と
同一視してるんだけど、これは明らかに思い込みだろう。
ウィトゲンシュタインも同様っぽいけど。

カントの「条件」は現代風にいえば「法則」なわけで、これとヒュームの
自然の斉一性原理と重ねて考えれば個別的な自我は否定される。

これはあくまで現象主義的な思考なんだけど、ほぼ自然科学の立場と一致
してしまうな。

74メビウス@管理者:2011/06/29(水) 00:47:01
ようやくカントのページ作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/129.html

まあ、確証バイアスがあるかもですが。

75メビウス@管理者:2011/06/30(木) 00:32:59
次はデリダの「差延」について書こうかなと。
ポストモダンは無用の長物というのが個人的見解ですが、
差延は哲学史的に重要な概念で。
ハイデガーにも言及しないといけないし、また時間がかかるなと。

76メビウス@管理者:2011/07/01(金) 00:49:41
そういやハイデガーのページも作ってないな。
心の哲学とはあまり関係ないけど。
存在的、存在論的は重要な概念だし。
Wikipediaでは「差延」のページに存在論的差異との関係という形で
簡潔に紹介されてるんだけど。
その方法で自分なりに1ページにまとめてみるかな。

しかし時間がないな。

77メビウス@管理者:2011/07/05(火) 00:29:35
存在論的差異に絞って書いてみるかな……。
そう思って現象学関係を読み返してたら、
自分のサイトのフッサールのページが適当であることに気づいた。
他サイトからの引用で適当に書いてるページが結構あるので申し訳ない。
「差延」までページを作って、後はサイト内容の見直しに入ろうかと。

78メビウス@管理者:2011/07/11(月) 00:54:03
デリダの差延について調べてるんだけど、ゼノンのパラドックス的な詭弁を感じるw
まあソシュールの言語論や記号論がベースにあるんだけど。
そこに時間の無限分割を持ち込んだようなw
私としてはフッサールの「現象」解釈の方が正しいと思う。
やっぱり現代思想は無用の長物だなとw

79メビウス@管理者:2011/07/13(水) 00:30:46
ようやく存在論的差異と差延のページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/93.html
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/130.html

Wikipediaよりわかりやすく、より深く書いたつもりだけど。

竹田氏の存在論的差異の解釈は一般的なハイデガー解釈とは違うと思うけど、
ユニークだと思うし、自分も共感してるので、あえて載せることにした。

80メビウス@管理者:2011/07/14(木) 00:30:42
ユングは心の哲学とあまり関係ないのでページを削除。
替わりにデイヴィッドソンのページを作った。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/79.html

81メビウス@管理者:2011/07/15(金) 00:16:37
ストローソンは実証主義だと思ってたら、そうでもないような。
中立一元論とも思える形而上学的なことも書いてるし。
シュリックとともに調べなおしだな。

82メビウス@管理者:2011/07/17(日) 01:25:10
どうもウィトゲンシュタイン独我論の最深部には信仰があるっぽい。
まあ、信仰熱心な人物だったから必然的でもあるけど。
あちこち書き直さないとな。

83メビウス@管理者:2011/07/18(月) 23:09:34
形而上学的無主体論からエレア派に関する部分を削除。
自分の信仰にすぎないっぽいので。

渡辺氏のページも書き直しの必要があるな。

84メビウス@管理者:2011/07/21(木) 00:30:48
デレク・パーフィットはほとんど自分と同じ立場だな。
彼の死生観は渡辺氏と繋がる部分もある。

85メビウス@管理者:2011/07/24(日) 22:35:13
パーフィットに関連して永井氏の『転校生とブラックジャック』を読み返してみた。
永井氏は還元主義をきちんと批判してないな。
論点先取的にすぐ「私」が出てくるし、擬似記憶に対する批判で、
自分の記憶論ともいうべきものを述べてるんだけど、それも還元主義を否定する
ものになってない。

私のように直接経験(クオリア)に拘る者からしたら、「世界を開闢する」「私」
ではない直接経験など無いし、それがクオリアの本質なのだから、記憶があるからと
いってそれが人格の同一性の根拠になるわけでないし、還元主義の否定にもならない。

86メビウス@管理者:2011/07/30(土) 01:19:11
人格の同一性のページをだいぶ修正。

もっと前にパーフィットを知ってたらなとつくづく思う。
新品で1万円近い大著なので読む人が少ないのが問題かも。

しかし独力でパーフィットと同じ地点まで達してたのは
我ながら凄いと思ったりw

87メビウス@管理者:2011/07/31(日) 21:43:20
入不二氏は、直接経験が純粋に「隣接項のない」独我論的な経験であると
見てるから、私が無主体論のページで書いた派生問題に気づいてないわけがない。

永井氏は、パーフィットがスペクトラムの思考実験で自己を解体したのに対し、
記憶の特権的な能力で批判するわけだけど、それは昨日の自分と今日の自分、
あるいはその「特権的な記憶」と他の知覚の同一性を保障するものではない。
つまりヒューム的な還元主義に対する批判にはなってないと思うわけだが。

88メビウス@管理者:2011/08/04(木) 00:38:59
田崎晴明が言ってるのは私のサイトのことかなw
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/modphys/11/Ohmori.pdf

この人は哲学のことがなーんにもわかってないな。
カントが論証したように自然科学とは「現象」世界のことであり、
実体(物自体)には決してアプローチできないのだから、
科学の立場からゼノンにどうこう言っても、釈迦の手のひらで暴れる猿に
等しいわけだけどw

89メビウス@管理者:2011/08/05(金) 00:39:29
田崎氏は大森氏を素人扱いしてるんだけど、
大森氏も理学部物理学科卒業なんで、ゼノンのパラドックスの
数学的な解決法なんて知ってるわけだがw

90メビウス@管理者:2011/08/15(月) 00:41:21
大森氏はゼノンは正しいというのだけど、点時間を否定するだけで
運動そのものは認めるわけで、パルメニデスが提起した変化の矛盾も
点時間の回避で解消できると考えてるみたいな。

91メビウス@管理者:2011/08/19(金) 02:36:05
参考文献の表記方法を論文風に統一することにした。
最初は備忘録として始めたサイトなんで注意を払ってなかったけど、
googleからのアクセスも多くなってるんで。
著作権にも注意しないとな。

92メビウス@管理者:2011/08/23(火) 00:22:06
ヒューム哲学から必然的に派生する意識の連続性問題について考究してみた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/82.html#id_9b2a1244

93メビウス@管理者:2011/09/07(水) 00:21:12
チャーマーズはゾンビワールドが論理的に可能だというわけだけど、
逆に、唯心論的な「意識だけの世界」も論理的に可能だと思うわけで。

94メビウス@管理者:2011/09/07(水) 00:24:59
意識だけの世界が可能だとしても、問題は変化する意識とクオリアなわけで。

創発説も汎経験説もナンセンスと私は考えるのだけど、いずれも論理的に可能
か否かは判断し難い。

95メビウス@管理者:2011/09/08(木) 00:38:13
創発説はクオリアの由来の説明を放棄しているに等しい。
これは現象学の立場に似ているかも。

汎経験説の主張は「論理」ではないし。
延長・質量をもつものに対してのみ数学や論理は成り立つ。
「赤」や「美」や「恋」を足したり引いたりできない。

つまり「非論理性」こそが現象的意識の本質なわけで。

96メビウス@管理者:2011/09/08(木) 00:44:30
現象的意識は論理的整合性に反している。
けれど、それはあくまで現象的意識の内部の事実。

現象的意識を「一つの全体」としての存在者として見て、
なおかつその「一者」は時間と空間の外部にあると見れば、
論理的整合性に反していない。

97メビウス@管理者:2011/09/08(木) 00:46:39
上のような考えはカント哲学を延長すれば到達する一つの境地でもある。
形而上学的無主体論のページでも書いたんだけど。

チャーマーズも情報の二相理論で、時空について私と似たようなことを
書いてたので感動した。

98メビウス@管理者:2011/09/10(土) 01:08:21
ラッセルは時に鋭い分析をするんだけど、カントールで無限分割のパラドックス
が解けたと考えてるのは素朴すぎるような。

99メビウス@管理者:2011/09/10(土) 23:43:19
形而上学的無主体論を大幅に加筆修正。
>>94-97で書いた問題もまとめてみた。

100メビウス@管理者:2011/09/10(土) 23:44:35
それにしても、岩波書店の西田幾多郎全集は読みにく過ぎる。

101メビウス@管理者:2011/09/16(金) 00:39:34
渡辺氏のページに自分の意見ばかり書いてるのもどうかなと……。
大幅に修正が必要かも。

永井氏の記憶論についても批判を書きたいな。
記憶は個別的な意識のトークンでしかないから、昨日の自分との紐帯には
ならない。

102メビウス@管理者:2011/09/16(金) 00:44:58
ラッセルの刹那的独我論は、デカルトの世界連続創造説と繋がるものがある。
デカルトも刹那的独我論の可能性に気づいていたんだろうと思う。

103メビウス@管理者:2011/09/20(火) 00:34:33
渡辺恒夫『〈私の死〉の謎』は自我意識研究の歴史などが概観されていて面白い。
基本、渡辺氏は心理学者なんで『輪廻転生を考える』しか読んでなかったんだけど。
この本には「刹那転生」という概念が出てくる。これはほぼ還元主義の立場。

パーフィットといい、一時期の西田幾多郎といい、私もそうだけど、
この種の思考型では必然的にこういう結論に至るようだ。

104メビウス@管理者:2011/09/21(水) 23:30:14
勘違い。渡辺氏は還元主義の立場ではないな。
三浦俊彦とのメールのやりとりを見てわかったけど、
自己と独我論的問題については永井氏の立場に近い。
永井氏の場合は唯一性に対する現実性の概念で問題の所在を強調するけど、
渡辺氏は遍在性の概念で問題の解消を考える。

105メビウス@管理者:2011/09/21(水) 23:33:15
しかし、三浦氏はウィトゲンシュタインの独我論を知らないんじゃないかと
思ってしまう。

まあ、意識の超難問が擬似問題というのは同意だけど。
問題はそこから始まるというのが私の考え。

106メビウス@管理者:2011/09/24(土) 01:58:09
渡辺氏か三浦氏にメール送ろうかとも考えたんだけど、
両氏のやりとりは8年も前のことなんだな。

私が「人格の同一性」のページで考究したことが、両氏の
問題性の核心だと思うんだけど。

107メビウス@管理者:2011/09/24(土) 02:19:38
三浦氏からすれば、自分のコピー人間がいて自分と同じことを考えていた場合、
物理主義的に「同じ人間が二人」と答えるんだろうな。

「私」には端的な唯一性があるゆえに「同じ存在」「同じ性質」とは考え難い。
私の思考の出発点はそこなんだけど、両氏のやりとりは何とも……。

108メビウス@管理者:2011/09/26(月) 23:20:37
ラッセルの刹那的独我論は論理的に否定できないにしても、
実体の在り方はおそらく、その対極の絶対一元論的な在り方だろうと思う。
多元論は何か不自然であるような。

ウパニシャッドからエレア派、新プラトン主義、近代ではヘーゲルと、
実体の在り方を考究すれば、絶対一元論という最も無駄の無いシンプルな
思想に行き着くのは必然かも。

109メビウス@管理者:2011/09/28(水) 00:29:02
ラッセルの刹那的独我論にしても、ヒュームの知覚がそれぞれ個別の存在と
いう考え方にしても、意識の連続性がやはり問題になる。

やはり、個別のクオリアはそれぞれ唯一の現象的意識というものの「性質」と
考えた方が合理的だと思う。カントもウィトゲンシュタインも時間空間は対象の
形式と捉えるけど、それは暗に対象を見る自我を想定している。

還元主義的な立場ではその自我を否定するから現象的意識が丸ごと「一つ」の
存在者と考えた方が合理的。

110メビウス@管理者:2011/09/28(水) 00:35:21
あるいは「他者」の存在が問題になるかもしれない。

しかし還元主義では自分と他者に絶対的な境界はないとするから、
他者の現象的意識も自分の現象的意識も区別は不要になる。

むろん、今の自分と過去の自分には「記憶」という紐帯があるという
立場もあるけど、科学的には、記憶はその時々に創造される現象的意識に
すぎないし、また人は過去の自分について忘れていることも多い。

忘れている過去の自分は「他者」であると考えることもできるし、
それは逆に、他者とは「忘れている自分」であると解釈することもできる。

還元主義を透徹すればそうなる。

111メビウス@管理者:2011/10/11(火) 23:36:12
ウィトゲンシュタインは『論考』5.64で、
「独我論の自我は広がりを欠いた点にまで縮退し、自我に対応する実在が残される」
と書いていて、これを入不二氏は独我論的な無主体論と解釈してるんだけど、
その「実在」という言葉は「クオリア」に置き換えてもいいように思う。

永井氏は「〈私〉とは世界を開闢する原点」という言い方をするんだけど、
「世界を開闢しないクオリア」というのは無いわけで。

カントは統覚の働きが全ての表象に「我思う」を伴わせると考えたけど、
これもクオリアの側から考えれば、「我思う」が伴っていないクオリア
なんてない、といえるような。

112メビウス@管理者:2011/10/20(木) 01:01:08
チャーマーズは物理学者たちの影響を受けて情報の二相理論によって、
根源的な存在を「情報」と考えてるんだけど、
しかし「情報」とは誰か――主体に認識されることが前提の言葉だから
違和感がある。

だからこそ、「時空」そのものさえ情報空間の中にある可能性を想定して、
絶対一元論的な世界観を展望しているのかもしれない。
時空が実在しないとなれば、「認識」という動的な作用も想定する必要が
ない。だから「世界とは差異」という結論に至ったのかも。

113メビウス@管理者:2011/10/21(金) 00:18:07
あと多元論とネーゲルのページを作りたい。

いきなり忙しくなって本を読む暇も無いから
いつになるかわからないけど。

114メビウス@管理者:2011/10/29(土) 21:39:02
根源的な存在を「情報」と考えるのは暗に無主体論の立場を前提としてる。

またその情報が時空の内部にあるのでなく、逆に時空が情報の内部にあると
考えるのは、やはりチャーマーズは絶対一元論的な世界をイメージしてる。

それぞれの情報が因果関係によって繋がっているというなら、時空が実在
しないことを前提にすると、全ての情報は「唯一の存在」の一つらなりの
「性質」として解釈する他はない。

そう考えるとチャーマーズの思想は私の至った結論に極めて接近するわけだが。

115メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:46:49
ライプニッツが「モナドには窓が無い」としたのは、
他の存在に作用されるようでは「実体」の定義からしておかしいからで、
だから彼は神による予定調和を想定せざるを得なかったのだろうけど。

神の存在を信じない私や多くの現代人からすれば、存在間の相互作用の
方を信じるしかないわけだけど、そうなるとライプニッツが見抜いた
ように世界から「実体」が存在しなくなる可能性がある。
だからバートランド・ラッセルは実体を否定して「出来事」だけを想定
したのかもしれない。

116メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:51:03
ラッセルの「出来事」は現代の量子力学と相性が良いと評価する意見も
あるのだけれど、それでも実体を否定するとやはりおかしなことになる。
たとえば普通は、「波」とは「水の運動」であると、現象を説明するのに
実体の概念を用いるのであるけど、ラッセルのように実体を否定するなら、
「出来事の原因は出来事である」と循環論法になるような。

117メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:55:22
その循環論法を一気に解決してしまう方法はただ一つで、
「出来事の原因は出来事である」というようなものは、
全て「唯一の実体」内部の「性質」であると考えること。

というように、存在論から論理的矛盾を除去しようとすると、
どうしても絶対一元論に行き着いてしまう。

118メビウス@管理者:2011/11/11(金) 00:57:41
実体と多元論と、ネーゲルとウィトゲンシュタイン独我論の
ページを作らないとな。

忙し過ぎて何年も先になりそうな。

119メビウス@管理者:2011/11/20(日) 04:58:25
>>107に関連して、
三浦俊彦の「意識の超難問」批判があまりにずさんなので、
永井・渡辺両氏をフォローする形で書いといた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/133.html

120メビウス@管理者:2011/11/24(木) 00:57:47
>>119はウィトゲンシュタイン独我論とセットで説明しないとわかりづらいかも。

忙し過ぎて加筆する暇が無いな。

121メビウス@管理者:2011/11/30(水) 22:13:38
パーフィットの混合スペクトラムの思考実験が
現象的意識やクオリアについても適用できることを書いてみた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/128.html

122メビウス@管理者:2011/12/06(火) 22:27:57
ようやくウィトゲンシュタイン独我論の解説おわた。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/75.html#id_13477f70
あちこちでウィトゲンシュタインを引用しておきながら、
その独我論についての説明が適当だったので、頑張って書いてしまった。

年末の忙しい時に何をやってるんだろう私はw

123メビウス@管理者:2011/12/07(水) 21:56:52
永井均への批判は上のウィトゲンシュタインの問題と重複してるので大幅に整理した。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html


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