したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

管理者日記

1メビウス@管理者:2010/11/16(火) 00:26:38
管理者のブログorツイッター代わりのスレです。

2メビウス@管理者:2010/11/16(火) 00:43:23
約1年前にサイト作ってから放置しておいたのですが、最近になって活動再開しました。

永井均氏は初めて自分の独我論的問題意識を発表したとき、「信仰の告白だ」と指摘されたそうです。
渡辺恒夫氏も永井氏の影響を受けて遍在転生観を著作で発表したらしいですね。
私も自分の思想を告白する場所が欲しかったのかもしれません。
で、本来は心の哲学を私なりに整理するために作ったこのサイトで、自分の思想を開陳してしまいました。

私の思想は渡辺恒夫さんとほぼ同じで、以下のページに述べてあります。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/97.html

あと、永井氏を批判するという形でも述べています。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html

3メビウス@管理者:2010/11/18(木) 00:32:32
永井均と渡辺恒夫を独立したページにしました。
この二人は心の哲学というカテゴリーに入るかどうか微妙なので。

4メビウス@管理者:2010/11/19(金) 23:52:01
遍在転生観のページに書き加えたのですが、
因果律を連想の産物であると見なしたヒュームの考えを、時空の実在を疑いうるものと
演繹したのは飛躍しすぎだったかもしれません。

時間=因果の連鎖

という定義を前提にしたんですが。

5メビウス@管理者:2010/11/21(日) 01:19:08
パルメニデスの弟子であるゼノンは運動が実在しないことを示すために数々のパラドックスを作ったことで知られてますが、
書名は忘れましたが以前読んだ本によると、ゼノンのパラドックスを「打ち破った!」と主張する人は世界に何十人もいるそうで。
それぞれの人がそれぞれの論理でゼノンのパラドックスは間違いだと証明してるのですが、
私にとってはどれも今ひとつ説得力に欠けるものでした。

哲学者の大森荘蔵さんは、ゼノンのパラドックスを破った者は一人もいないと言ってましたね。
そして、いいかげんゼノンは正しいと認めたらどうかと書いておられたような記憶があります。

6メビウス@管理者:2010/11/21(日) 01:22:11
ネットで大森氏のこんな文を見つけました。

http://www.geocities.jp/oku2jp/
ベルグソンのようにそれは抽象化だとか、時間を空間化することだといって捨ててしまうのは間違いだと思う。時間を一本の直線で表現できるというのは、時間がやはりそういう性質を持っているからですね。今のような小刻み的な特質と過去、現在、未来という順序をもっているからこそ直線表示がやれるわけです。

7メビウス@管理者:2010/11/22(月) 23:16:58
永井氏のページを加筆修正。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/49.html

批判的なことばかり書いてますが、私が一番読んだ哲学者の本は永井氏の本なんですね。
初期の頃の著作から2007年の『哲学塾』までほとんど読んでます。
渡辺恒夫氏と似た自分の思想の対極にあるのが永井氏で、永井氏の思想を知れば知るほど
自分の思想が浮き彫りにされるという感じで。

ただ『哲学塾』で永井氏は機能主義で固まったような印象を受け、それ以降は読んでませんが。

8メビウス@管理者:2010/11/24(水) 00:16:20
これまでの永井氏の著作を回顧してみると、さまざまな思考実験とウィトゲンシュタインの
考察を併せて〈私〉の語り得なさを論証し、心の哲学における機能主義的な方法論に
辿り着いたという所でしょうか。

私としては永井氏のページに「批判」として書いたのですが、彼の思考実験に
視野の狭さを感じてしまいます。

永井氏がもし私の批判を見たら「あなたとは関心の対象が違うんだ」とおっしゃるでしょうが。

9メビウス@管理者:2010/11/28(日) 22:10:43
また永井氏のページに加筆。

パルメニデスは「無」から「有」が生じたり、「有」が「無」になるのは矛盾であると述べました。
この論理は疑い得ないでしょう。
もしその論理が間違っているなら、私の目前にいきなり1万円札の束が現れてもいいはずなのに、
そうはならないからパルメニデスの論理は正しい(笑)

そしてデカルトが懐疑主義を徹底した末に到達した「私は、自分が何であるか十分明晰には知らないが、
何かあるものである」という結論もまた疑いようがない。

私は以上のパルメニデスとデカルトの論理こそ〝思考の原理〟とすべきであると考えます。
そして永井氏のページに加筆したように、永井氏の独在性はその思考の原理に反していると考えます。

10メビウス@管理者:2010/11/28(日) 22:26:15
私はパルメニデス、ゼノン、近年の哲学者ではマクタガートと同じく
時間・変化は存在しないと考えます。

しかしパルメニデスように存在が「静止」しているとも思えません。
カントがいうように「運動」も「静止」も人間の認識の様式で捉えられたものに
すぎない。真に存在するものは運動や静止という人間の概念が当てはまらない
様態で存在しているのではないか……この考えだと排中律に反するような気も
しますが。

いずれにせよ人間には実在を理解する能力は無いのではないかと思います。
視覚の無いものに「虹」が理解できないように。

認知的閉鎖というやつです。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/51.html

11メビウス@管理者:2010/11/28(日) 22:31:15
>>10
>時間・変化は存在しないと考えます。

間違えた。正しくは、
時間・変化は実在しないと考えます。

12メビウス@管理者:2010/11/30(火) 00:09:11
>>9で述べたパルメニデスの論理はヒュームの因果論と対立するのではないかと
思う人もいるかもしれません。
パルメニデスの論理も所詮、経験によって得た知識ではないか?
それは事実でしょう。
しかしヒュームの因果論のエッセンスは、因果の存在を否定していることでは
ないと思います。
因果が人間の認識の中にしか存在しないということが、ヒュームの因果論の要点
だと思います。

13メビウス@管理者:2010/12/01(水) 19:22:10
メニューからもリンクしてるのですが、WEBの
対戦型哲学史は非常にレベルが高いですね。
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/
さまざまな哲学者の思想のエッセンスをきちんと理解した上で
簡潔に要約してるし。
今まで色んな哲学書を読み漁ってきましたが、初心者の入門
向けとしては最高ではないかと。

ポストモダンについては竹田青嗣さんの著作が最高だと思いますが。

14メビウス@管理者:2010/12/02(木) 18:23:51
メニューを大幅に修正しました。

しかしチャーマーズを一元論に分類するのは違和感がありますね。
彼は随伴現象説を支持してるような気もしますが。

15メビウス@管理者:2010/12/04(土) 01:20:18
随伴現象説は中立一元論に分類されるんでしょうが、
「提灯」と揶揄されるように、限りなく二元論に近いような。

17メビウス@管理者:2010/12/05(日) 16:40:43
まとめサイトはWkipediaからの引用が多いのですが、
Wikipediaは結構間違いがあるんですよね。
以前は私自身もWikipedia編集に関わっていましたが。
修正した後に誰かが書き換えてしまうのできりがない。
しかも書き換える人は「信念」持ってるので、すぐ編集合戦になるし。

そんなわけで最近はWikipediaから離れてしまいましたが。

18メビウス@管理者:2010/12/06(月) 00:44:54
結局、性質二元論を一元論のカテゴリーから二元論のカテゴリーへと戻しました。
存在論的には一元論なんですけどね。

現代では物理主義に対抗する二元論として議論されている状況なので。

19メビウス@管理者:2010/12/07(火) 23:27:32
現象判断のパラドックスのページを整理しました。

永井氏の『なぜ意識は実在しないのか』は読んだのですが、
チャーマーズに対する批判は的外れでしょう。

チャーマーズは哲学的ゾンビの思考実験で、随伴現象説の可能性を
模索しているようですが、永井氏はそこに「語りえぬもの」を持ち込んで
しまってる。

私から見れば永井氏が「語りえない」と言った時点で、「語りえない」もの
を示唆してると思うわけで。

20メビウス@管理者:2010/12/07(火) 23:32:35
「語りえない」と言うことが「語りえない」ものの語り方……
というと言葉遊びのように思えるけど、実際にその「語りえない」もの
が何であるか理解できるという点が存在論では重要であり、
「語りえない」で終わらせるのが言語哲学と機能主義のつまらない所だなと。

21メビウス@管理者:2010/12/10(金) 18:01:35
また永井氏のページを加筆修正。

私と永井氏は存在論的な関心の対象は同じだろうけど、
方法論が全く対極なんだろうなと。

22メビウス@管理者:2010/12/13(月) 01:21:06
動物の心の問題についても書きたいなと思ってます。
ネーゲルのコウモリは面白いのですが、しかしコウモリは比較的高度な脳を
持っていて、人間にとっても連想しやすいんですよね。

子供の頃、お婆さんの家の庭にいたカタツムリを見て、こいつに「心」は
あるのだろうかと真剣に考えたことがあります。
あるいはもっと単純な神経構造の生物ならどうだろうと。

猿や猫やコウモリなら「心」を持ってそうだけど、アリやノミぐらいになると
「感覚」ぐらいしかないと見做した方がよさそうです。

こういう思考実験からも独我論の弱点が現せますね。

23メビウス@管理者:2010/12/16(木) 22:30:21
以下のサイトを参考にパルメニデスのページを大幅に加筆修正。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mochi_space/ancient_philosophy/vorsokratiker/parmenides.html

パルメニデスについては10年ぐらい前に図書館に通って色々調べた経験があるのですが、
関連書籍が少なくて残念な思いをした記憶があります。

今はネットが普及してパルメニデスの哲学も容易に学べますね。
上で紹介したサイトは図書館で読んだいくつかの著作物より、ずっと
内容的に優れていると思います。

24メビウス@管理者:2010/12/18(土) 00:19:06
まとめサイトは毎日、少しづつ加筆修正してます。
最初はとりあえずWikipediaからコピペして、まとめwikiとして
体裁を整えてから加筆修正するつもりでしたので。

スピノザも修正しないと駄目っぽい。
その他あれもこれも……。
サイトの完成はいつになるやら……。

25メビウス@管理者:2010/12/23(木) 00:34:14
毎日少しずつ加筆修正。

原意識は稚拙な還元主義っぽいですね。

26メビウス@管理者:2010/12/28(火) 01:05:20
結局、観念論を一元論のカテゴリーに入れました。

厳密には観念論者にもカントみたいな二元論者がいるんですが。

観念論という言葉自体、定義が錯綜してますね。
スティーブン・プリーストは唯心論と同じ意味で使ってるし。

27メビウス@管理者:2010/12/30(木) 17:07:39
以前、時間と空間は実在しないと書きましたが、
カントは時空を認識の「形式」とか言ってるけど、
所詮は抽象観念なんですよね。

28メビウス@管理者:2011/01/07(金) 00:20:59
カタツムリから見れば人間は全知全能の神に見えるかもしれない。

逆に言うと、人間が宇宙や「存在」について知ってることなど、
神から見ればカタツムリ程度かも知れない。

認知的閉鎖の壁。

29メビウス@管理者:2011/01/08(土) 00:14:12
永井氏のページ修正しました。

脱人格的自我について勘違いしてた。orz

しかし、〈私〉は比類のないものだから「語れてはならない」というのは
論理的でないような。

比類の無いものだったとしても語れてもいいのでは?

30メビウス@管理者:2011/01/15(土) 01:27:15
>>22で言っていた動物の心の問題をまとめました。

ほとんど私の思想ですが。

31メビウス@管理者:2011/01/15(土) 19:45:45
時空は実在しないと以前書きましたが、変化はどうかなと。
時空が変化から生じた抽象概念なら、変化そのものは実在するものかも。

変化も抽象概念と言えなくはないけど。

32メビウス@管理者:2011/01/19(水) 19:41:57
もし時間と空間の実在を否定できたなら、心の哲学は根本的に変わるでしょうね。

デカルトの区別による心と物質の「違い」がなくなってしまう。
物質は空間を占める「延長」だから心身問題の解決が困難なわけで。

時空の実在を否定した上で心身問題を考えると、
在ると確信できるのは「心的現象」と「心的現象の背面である『物質』と知覚される何か」
というようになる。

現象学的な見方かもしれない。バークリー風の観念論でもあるし。

入不二基義さんの本をもう一度熟読してみようかなと。

33メビウス@管理者:2011/01/26(水) 22:46:56
ようやくスピノザのまとめが終わった。

スピノザを自然主義的な哲学者と見れば私が支持してる遍在転生観に多くの点で通じますね。

34メビウス@管理者:2011/01/28(金) 00:57:50
「唯識」を一元論からインド哲学のカテゴリーへ移動。

やはり西洋哲学の分類方法でカテゴライズするには無理かなと。

35メビウス@管理者:2011/01/29(土) 02:01:55
何度か書きましたが、時空の実在は十分疑いうるものだと思います。
もし時空が実在しないのであれば、心の哲学のみならず形而上学全般がひっくり返るでしょう。

時空の実在性を考慮しない大半の哲学者は巨大な砂上の楼閣を築いているだけかもしれない。

その意味では入不二基義さんは頑張ってるなと。

36メビウス@管理者:2011/02/02(水) 00:22:33
ようやくデカルトのページをまとめ終わった。
一部記憶モードで書いてますが。

ウィトゲンシュタインがデカルトの「我思う」を、
「思うということが我なのである」としたくだりを読んだときは、
この人は天才だと思った。
永井均さんが惹かれた理由がわかる。

ただ、その独我論を出発点として、私の関心事とは別の方向に
行ってしまったのが残念。

37メビウス@管理者:2011/02/05(土) 00:39:46
私の問題意識ですが。

観念論の立場から時間と空間を「変化」の属性として非実在的なものと
考えますが、なら変化そのものは存在するのか……

パルメニデスは変化は矛盾だとし、ゼノン、そしてある意味マクダカードや
ナーガルジュナも時間の非実在性を論証することで変化の実在性を疑おうと
しました。

ヒュームの懐疑論を演繹して、変化も抽象概念だと言えなくも無いですが、
しかし現前している感覚、クオリアは変化しているわけです。
パルメニデス流に言えば、「あるものがないもの」になっているわけで。

いや、パルメニデスは「だから感覚は信用できない」というわけだけど、
感覚を信じず理性を信じても、その精神現象は現に「変化」してるわけで。
「あるものがないものになる」という矛盾が精神の場では現に生じているわけで、
これをどう解釈すればいいのか……

これが私の問題意識なんですが。

38メビウス@管理者:2011/02/05(土) 00:47:26
そういえば茂木健一郎氏も、脳の作用の過程のある段階でなぜ突然クオリアが
生まれるのか、といった問題意識を書いておられたような覚えが。

物質は粒子で出来ているから消えたように見えても他の何かに変化してるだけ。
でもクオリアは他の何かに還元できない。「青」のクオリアが消えて「痛み」の
クオリアになりました、なんて考えるのは不可能だし。

39メビウス@管理者:2011/02/05(土) 01:57:14
ヒュームのように全てを感覚に還元して自我まで否定したとして、
最後には感覚は生成消滅する――「あるものがないもの」になる
という矛盾、難問が顕わになるわけで。

ラッセルみたいに全ては「出来事」だとクオリアの実在性を否定
しても、やはり「あるものがないもの」になるというのは矛盾のような。

40メビウス@管理者:2011/02/11(金) 18:03:16
マクタガートの議論は面白いと思うけれど、
観念論の立場からは時間が「実在しない」ことを証明する必要はないような。
証明するのも事実困難だったし。

私としては、時間が「実在する」ことは証明されていないことを論証するのが
方法論として正しいと思う。
時間も空間も「変化」から経験的に抽象された観念であることは確かだし。

つまり時空が実在しない可能性を証明することによって、同時に存在論・心身問題の
あり方が根本的に変わる可能性を提示するべきだったかなと。

41メビウス@管理者:2011/02/11(金) 21:48:54
時空が実在で無いことを前提に考えれば、心身問題はもちろん、
自己同一性や他我問題、独我論的問題その他、哲学の全てがひっくり返るような。

スピノザの神から時空の要素を取り除いたものになりそうだけど。

42メビウス@管理者:2011/02/16(水) 00:35:25
入不二さんの本を読んだら、マクダカートも>>37と同じように行き詰ってたw

43メビウス@管理者:2011/02/19(土) 14:56:32
存在論にしても心身問題にしても時間論が決定的な鍵になる可能性があるだろうと。
汎経験説対創発説でも書いたのですが、クオリアの最大の難問は生成変化することに
因果的な説明が困難だからで。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/108.html

44メビウス@管理者:2011/03/05(土) 00:23:16
2chの哲学板に書いたパルメニデスについての小論を、
パルメニデスのページに加筆しました。

入不二さんは時間について「現実性の推移」と書いてますが、
ちょっと苦しいような。
しかし、私個人の考え方と近いような気もしますが。

45メビウス@管理者:2011/03/06(日) 00:14:31
汎経験説も創発説も否定されるなら、消去法的に、ある種の観念実在論が
残るかなと考えてますが。

その場合、ヒューム的な無主体論になるしかないかなと。

46メビウス@管理者:2011/03/07(月) 21:57:30
観念実在論というと普遍論争の一方の立場になるので、
クオリア実在論と言ったほうがいいかな。

イデアとクオリアの類似性を指摘する意見は多いですね。

47メビウス@管理者:2011/03/28(月) 23:11:40
私の考えを形而上学的無主体論としてまとめました。
http://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/125.html

永井さんの西田幾多郎本を読んだのですが、西田幾多郎は自我について
私とほとんど同じ考え方だなと感動してしまった。

入不二さんがいうように一種の「思考型」なんですよね。無主体論は。

48メビウス@管理者:2011/04/02(土) 00:08:11
しかし西田幾多郎も後期には考え方が変わってるような。
永井さんの解釈は微妙に牽強付会っぽいけど。

49メビウス@管理者:2011/04/05(火) 22:42:26
読みたい本がいっぱいあっても時間が全然足りないな。
職業哲学者がうらやましい。

ただ、職業哲学者と違ってアマチュアであることにもメリットはあるわけで。
用語の使い方が厳密でないとか原書を読んでないとか、職業哲学者が守らなければ
いけないルールや思考法を無視して好き勝手に考究できるというのがアマチュアの
いいところ。

50メビウス@管理者:2011/04/07(木) 23:36:06
大森荘蔵さんの本を再読してるのだけど、10年ほど前読んだときは
共感する部分が多かったのに、今はほとんど共感する部分がないなw

おっと、また大きな地震が来た・・

51メビウス@管理者:2011/04/12(火) 23:13:24
入不二さんのウィトゲンシュタイン本に出会えたことは幸運だったと思う。
それまで僅かに同類はいたものの、多数派から見れば異常といえる自分の考えに、
「無主体論」という確かな枠組みを与えてくれたから。

52メビウス@管理者:2011/04/21(木) 00:14:10
ヒュームの本を再読してたら記憶の間違いに気づいた。
というより以前読んだ時はわからなかったことが、
今ではわかるようになったのかもしれない。

自分の考え方とヒュームはそっくりだと思ってたのに、
重大な相違があるような気が……。
どう解釈すればいいか難解な部分もあるのだけど。

53メビウス@管理者:2011/04/21(木) 23:45:20
ヒュームは知覚がそれぞれ別個の存在であるとして、
その別個の存在の結合のあり方を知ることはできないとする。
そして、それぞれの知覚が「何か」に内属してる可能性を否定しない。
この点は懐疑主義的。

54メビウス@管理者:2011/04/22(金) 23:07:11
ヒュームのページを加筆。
自我を共和国にたとえるのは西田幾多郎の立場に近いのかな。

55メビウス@管理者:2011/04/23(土) 23:32:38
しかし共和国という枠組みを想定するのはメタレベルの自我を想定するのに等しいような。
知覚同士の結合のあり方を考えるのも同様。

知覚がそれぞれ別個の存在であるというなら枠組みや結合など考える必要はないと思う。
それが無主体論の本質。

56メビウス@管理者:2011/04/27(水) 00:39:45
知覚がそれぞれ別個の存在であるとして、
その別個の存在の結合のあり方を知ることはできないとする。
これをヒュームは矛盾だと考えて、カントは「統覚」という概念で
解消しようとするのだけど、「統覚」とは上手く考えたようで、実の所
何の説明にもなってないような……。

永井氏の本では世界を成立させる作用として「統覚」を評価してる
んだけど、これは物理主義の「創発」と同じでは? と思ってしまう。

57メビウス@管理者:2011/04/28(木) 03:49:26
「人物」のカテゴリーにカントのページを作ってないんだけど、どうするかな。

重要な人物であることは事実だけど、個人的にカントは過大評価されすぎと
いう気が……。

カント哲学は「上手い」という印象だけど、パルメニデスやデカルトの
ように存在の本質にアプローチしたものでなく、プラトンやヒュームの
ように際立ってユニークなアイデアを創出したわけでなもない。

唯物論者から見れば観念論者であり、観念論者から見れば不徹底な観念論
者である。

上手く語っただけでも十分凄いんだけど。

58メビウス@管理者:2011/05/04(水) 00:44:22
渡辺恒夫-遍在転生観のページを大幅に加筆。

自然の斉一性原理を考究すれば必然的に一元論に至るような。

59メビウス@管理者:2011/05/05(木) 02:40:11
形而上学的無主体論のページでクオリア実在論とか書いてるけど、
自分でも説明に成功してるとは思えない。そもそも信じていいのかもわからない。

消去法的にそうなるのでは、という思考実験の結果で。
哲学は消去法で結論を出すべきではないのかも。

60メビウス@管理者:2011/05/09(月) 00:16:30
フッサールも『イデーン』の中で、言葉の意味は物があることと同じように
人間にとって存在してると書いてるわけで。

イデア論や中世の観念実在論もそうだけど、消去法的に考えるとこの結論に
辿り着くのは必然かも。

61メビウス@管理者:2011/05/18(水) 00:31:43
死んだらどうなるの? というシンプルな質問をもらったんだけど、
その疑問こそが哲学の核心的な問題なわけで、この疑問に何も答えない
哲学は哲学じゃないと思ってる。

そういう意味ではポストモダンは哲学じゃないなと。

しかしホーキング博士は、脳はコンピューターのようなもので、
壊れたコンピューターには天国も来世もない、と述べたそうで、
クオリアについて何も考えてないんだなと、がっかり。

62メビウス@管理者:2011/05/24(火) 01:28:48
結局、カントのいう「統覚」は、無主体論と対極の「思考型」なんだと思う。

63名無しさん:2011/05/29(日) 21:05:40
差異への関心に導かれてここまでたどり着いたけど、
ベルクソンって心の哲学にかなり関係があったんだな、と初めて知った。

64メビウス@管理者:2011/05/30(月) 00:34:56
空間的に位置を規定できる身体と違って、心は純粋に時間的なものとされてますからね。
ベルクソンの純粋持続は重要な概念です。対立するのが古代エレア派とヒュームの哲学で
しょう。

65メビウス@管理者:2011/06/01(水) 00:26:16
私個人はエレア派の時間論が正しいのではないかと思ってますが。

時間は変化の属性であり、変化の概念から派生した概念です。
時間の中に変化が在るわけでないのが重要です。
われわれは変化を時間的な流れの中にあるものと思いがちですが、
その素朴な見方は根本的に間違っているかもしれません。

66メビウス@管理者:2011/06/01(水) 00:29:52
上の考えは時間・空間を認識の「形式」とするカントの哲学を
飛躍させれば導かれることでもありますが。

そう考えるとカントはやはり重要な人物だなと。
時間があればカントのページを作りたいと思います。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板