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日本語の方言アクセント・イントネーション

170名無しさん:2010/10/24(日) 00:17:55
鎌倉期アクセントって院政期アクセントに比べると全然注目されないけど、
実は今の現代本土諸方言の全てのアクセントの祖形だよな。
今の本土方言のアクセントは鎌倉期までしか遡れない。

院政期アクセントと鎌倉期アクセントの大きな違いは、
院政期にあった昇拍が鎌倉期に消失し、降拍も低降、低低降…の形でしか現れなくなったこと、
そして助詞のアクセントが名詞のアクセントに拘束されるようになったことだが、
この点で見ると現代諸方言のアクセントで院政期アクセントの特徴を保持している方言はないはずだ。
本土方言のあらゆるアクセントは、鎌倉期アクセントからの変化で説明できるはず。
もしそうでない例(院政期アクセントを祖形に立てないと説明できない例)があったら教えてほしい。

中央アクセント史の次の段階である室町期アクセントを祖形として説明できるのは、
狭義の京阪式、垂井式、擬京阪式、内輪・中輪東京式などか。
伊吹島式、真鍋島式、外輪東京式、西南九州式などはそれ以前の段階の形から分岐している。

171名無しさん:2010/10/24(日) 00:25:24
「京都は歴史上一貫して京阪式アクセントだった」とか、「日本語のアクセントは全て京阪式を祖とする」というような言い方がされることがあるが、
南北朝期までの京都アクセントは「京阪式」というには問題があると思う。
室町期以降の京阪式アクセントは、「高起式/低起式の区別と下げ核」、
もっと一般化して言えば「複数の式の区別と1種類の位置アクセント」で説明できるが、それ以前ではその説明ができない。
上げ核を設けるにしろ音節声調とみなすにしろ、現代方言にあるシステムからはみ出す要素が必要になる。

この時期の京都アクセントは、現代方言にはもう見られない体系を持っている。「京阪式」ではない何か別の名称を付けるべきではないだろうか。
南北朝期の凹型の音調のあと、後ろの高い部分が消え、すなわち上がり目が消失し、式のほかには下がり目だけを弁別するようになったとき、
そのときを「京阪式アクセントの誕生」とみなすべきだろう。

172名無しさん:2010/10/24(日) 00:35:04
讃岐式も。室町期より前に遡るもの。

>>171
たしかにそう。
「讃岐式は京阪式から分かれ出て独自に発展した」みたいに言うことがあるが、
鎌倉以前のアクセントから二つに分かれた一方が讃岐式、他方が京阪式であって、
讃岐式を京阪式の変種扱いするのは良くないと思う。
ただ共時的に見ればどちらも高起・低起と下げ核の体系で同種に括られるんだろうけど。

173名無しさん:2010/10/24(日) 00:55:37
「なぜ、京都における南北朝期以前のような体系のアクセントは、現代諸方言では全滅してしまっているのか」というのは
それなりに面白いテーマだと思うなあ。今の諸方言のアクセント体系は全て祖形に比べると簡略化されている。

共時的に見ると、現代諸方言のアクセント体系は、

* 2種類の式(語声調)と、1種類の核(位置アクセント)を持つ(京阪式、讃岐式、真鍋島式など)
* 3種類の式(語声調)と、1種類の核(位置アクセント)を持つ(伊吹島式)
* 1種類の核(位置アクセント)を持つ(東京式、垂井式など)
* 2種類の式(語声調)を持つ(西南九州式)

のように見なせると思うんだが、古い時代に遡って行くと、鎌倉期〜南北朝期の京都アクセントは、

* 2種類の式(語声調)と、2種類の核(位置アクセント)を持つ

というべきアクセントになるし、さらに院政期にまで遡ると、

* 4種類の音節声調が、形態素内で高さの谷が出ない範囲で自由に付く

という全く違うアクセントと見なさなければならなくなる。

174名無しさん:2010/10/24(日) 08:52:03
なぜ、「何・いつ」は頭高型で「誰・どこ」は平板型になる、という地域は少ないのか。
前者は4類、後者は1類で、そうなることが予想されるのに。
類を超えて「疑問詞」というくくりになって、東京ではすべて頭高に、東海ではすべて平板になっている。

175名無しさん:2010/10/24(日) 09:19:13
>>174
疑問詞だと相手に注目させたいって気持ちもあるだろうし、イントネーションの影響も受けるんじゃないか?
頭高型ならともかく、平板型になるのはよく分からないが。

「東海では」って、名古屋のような東京式アクセント地域でも、三重のような京阪式アクセント地域でもそうだということ?

176名無しさん:2010/10/24(日) 09:56:02
「東海」は東京式の地域。
詳しくは知らないが、愛知、岐阜、静岡西部あたりは平板に統一されるらしい。

177名無しさん:2010/10/24(日) 18:48:46
素人的質問で申し訳ないのだが、京阪式というときの式と
二つの式と上げ核を持つというときの式はどうちがうの

178名無しさん:2010/10/24(日) 19:13:20
>>177
まったく別物。

179名無しさん:2010/10/24(日) 19:16:32
「別物」とだけ答えられてもな……

180名無しさん:2010/10/24(日) 19:16:39
>>177
「京阪式」「東京式」「垂井式」「讃岐式」「西南九州式」などの呼び方は、アクセントの大まかなタイプを分類したもの。
アクセントの体系や語彙の分属などが異なるものをまとめている。
別に「式」と呼ぶ必要はなくて、「京阪タイプ」とか「東京タイプ」でもいいはずだが、「〜式」が定着している。
「〜式」の前には何となく代表になりそうな地域の名前が付いていることが多い。

広義の京阪式(讃岐式、真鍋島式を含む)や伊吹島式における「式」は、上の呼び方とは全く関係がない。
これらのアクセントでは、下げ核や下がり目の位置だけではなく、単語全体(あるいは核の前全体)の音調が複数ある。

京阪式でいうと、「高起式」と「低起式」という2種類の音調があって、典型的には高起式は高く始まり、低起式は低く始まる。
下がり目の位置が同じでも、この「式」が違うと、アクセントとしては違う型に属することになる。
方言により音調が違って、「下降式」と呼ばれる式がある場合もあるが、いずれにしろ単語のアクセントを記述するのに、
下げ核の位置に加えて、どの式に所属するかを明らかにしなければならない。
日本語の方言アクセントにしか使われない用語だが、他言語で相当するものを探すと、広い意味での「語声調」にあたるものとされる。

181名無しさん:2010/10/25(月) 01:00:54
>>170-173
言いたいこと(問題意識)は完全に共有するよ。
本土どころか現存する全ての日本語族の諸語(方言)アクセントの共通の祖は、
院政京都ではなく鎌倉期京都アクセント。
ところが、少なくとも京都では、この祖アクセントは100年維持できなかった。
この意味するところは大きいと思う。つまり鎌倉期京都アクセントと言うのは、
「祖語論的な『起源完全』の完璧な具現」でありながら、それ自体は極めて不安定で、
すでに動態的な変化の契機を内包している、もっといえば「変化分裂を始めている」アクセント。
初拍高低・上がり目・下がり目という3元構成は、本質的に不安定なのだろう。

182名無しさん:2010/10/25(月) 23:23:38
>>173
言いたいことはとてもよくわかるし、問題意識には完全同意だけれど、明らかに誤解を招く表現(まとめ方)だよ。
何度も繰り返し書いている「早田理論のもたらす致命的害悪」の繰り返しで、
早田の所為でどんな悲惨な推論がなされてしまうかも、すでに論文の例をあげているけれど。
京阪式の「語声調」と、西南九州の「語声調(?)」は、実際には系譜が途切れていて全くの無関係。
見掛け上系譜がつながっているように見えるが、
それは、間に大分型(保守的な乙種外輪)の「完全な位置アクセント一元体系」を挟んでいて、
「振り分けが一致する」だけで、声調としては完全な別物。
道具立てを慎重に用いて行うこういう丁寧な通時的分類というのは非常に重要であって、
これが「別物であること」を見えなくさせてしまう分類ツールは、たとえ共時分類でも明らかに糞理論以外の何物でもない。
しかし、早田説の異様に平板的な共時適用自体はまったくの糞であっても、
核(位置)と式(低起/高起)と純然たる声調の区別自体は、俺も当然に承認するわけで、
その意味で、鎌倉と院政の決定的差異は、もっと注目されるべきだと思う。
さらに言えば、
今の京阪式の「式」も、院政京都直系とは言い難い面を持っている。
今の京都アクセントの下がり目の大半は「上がり目の凹の名残」であって、
従って、高起類の大半は「なんちゃって高起類」なのが現状だ。
「式の振り分けが乱れた」というレベルを超えて、同一性は認めがたいとさえいえないだろうか。

183名無しさん:2010/10/26(火) 00:04:43
今話題の西南九州式のアクセントを持つ各地の音調のまとめ
A型は二拍名詞一類・二類(単独・助詞付)、B型は二拍名詞三類・四類・五類(単独・助詞付)の音調を示している。
「中」は、丁寧な発音では低くなるが、自然な発音では高くなる傾向がある拍・音節。

A型         B型
二拍 三拍     二拍 三拍
高低 高高低   低高 低低高  長崎式   長崎県彼杵地方、高来地方など
高低 高低低   低高 低高低  三河内式  長崎県東彼杵郡北端
高低 高低低   低低 低低低  藤津式   佐賀県藤津郡地方
高低 低高低   低低 低低低  杵島式   佐賀県杵島郡地方など
高低 高高低   低低 低低低  玉名式   熊本県西北部
高低 低高低   低高 低高高  芦北式   熊本県西南部
高低 高低低   低高 低低高  長島式   鹿児島県長島郡の一部
高低 低高低   低高 低低高  鹿児島式  鹿児島県の大部分
高低 低高低   低高 中低高  南薩摩式  薩摩半島の南岸
低高 中低高   高低 低高低  枕崎式   枕崎市地方
高低 低高低   低高 高低中  江石式   鹿児島県上甑島の一部
高低 高低低   低高 低高低  屋久式   屋久島の一部
高低 低高低   低高 低高低  一湊式   屋久島の一部
低高 低高低   低高 低低高  栗生式   屋久島の一部
低高 低低高   低高 低低高  都城式   宮崎県南端、鹿児島県東端、五島列島の福江島西部 ※尾高一型式

恐らく三河内式、屋久式の形が祖形だと思われる。

184名無しさん:2010/10/26(火) 00:29:13
西南九州というより(これはこれで面白いが)京阪式の話を少し続ける。
今の主流京阪式をつぶさに眺めると、
教科書的な高起/低起の『峻別』とはかなり異なる様相が見えてくるように思う。
この「類(または式)」は、実は3つにわかれる。
A 真正高起類
B なんちゃって高起類(本籍は院政アクセント低平連続上がり目型)
C 真正低起類
AとBでは、複合語に関する金田一法則の適用が明らかに違う。
さらに細分化すると、今の京阪神アクセントに通底する動態的な変化が見えてくる。
A1 高起平板(無核)類(全品詞1類)…これが「鉄板の高起類」で揺らぐことはない
A2 真正高起有核類…絶滅危惧種
B なんちゃって高起類…甲種の中でも核の位置が結構揺らぐ。真正の核ではないからだろう。
C1 低起有核類…(祖形LH…HLL…)この核は真正の下がり目からか意外と揺らがない。
C2 低起無核類…京都でいう「尻上がり音調」。祖形はLH…Hだが、空席の「低平連続」を簒奪した。
以上より、結局、高起/低起の対立は、A1とC2の対立に収斂しつつある。
Bに「出生の秘密」があるため、実はC1と実際の音声では融通がきくところがあり、
A1/B&C1/C2の対立となっていて、
形は違うが、乙種に広くみられる平板/起伏/頭高の3元対立とよく似た形になる傾向にあるようだ。

185名無しさん:2010/10/28(木) 22:08:36
京阪式の「式」と西南九州式の「語声調」を同じもののようにするからいけないんだな。
確かに「式」という専用の用語を使わず、汎言語的な用語を探せば「語声調」になるのだろう。
だが、京阪式の「式」の内容は、東京式の「句音調」のようなものだ。

例えば、東京なら、句音調は基本的に低く始まり、第二拍から上昇し、核まで高く平ら。
名古屋なら基本的に低く始まり、第三拍から上昇して、核まで高く平ら。
福山なら全て最初から高く、核まで高く平ら。
秋田なら最初は低く、核まで平らか、二拍目から僅かに上昇し、核があれば核だけ高い。

京阪式では、この句音調に2種類があって、どちらを適用するかが語ごとに決まっている。
京都の高起式は最初から高く、核まで高く平ら。
低起式は最初は低く、僅かに上昇しつつ、核があれば核だけ、無核で低起式が続けば最終拍だけ高い。
高知なら、高起式は京都と同じで、低起式が基本的に二拍目から上昇する。
丸亀なら、高起式(下降式)が高く始まり核までやや下降調。低起式は低く平らで核だけ高くなる。
高松なら、高起式は低く始まり二拍目から核まで高く平ら、
低起式は低く平らで核があれば核だけ高い。

伊吹島式なら3種類あって、高起式は京都や高知の高起式と同じ、下降式は丸亀の高起式(下降式)と同じ、
低起式は京都の下降式と同じような音調。

186名無しさん:2010/10/28(木) 22:11:24
西南九州式の「語声調」は、京阪式の句音調的な「式」とは内容がかなり違う。
例えば鹿児島の場合、A型は「最後から二音節目だけ高い」、
B型は「最後の音節だけ高い」となる。

東京式の句音調、京阪式の「式」は両方とも、
句の先頭から核までの間について、始まる高さと、
その後の高さの変動の向きを指定するという感じだが、
西南九州式の「語声調」はかなり違う。むしろ位置アクセント的な指定だ。

西南九州式を「位置アクセント」に含めないのは、
付属語が付くと下降の位置が移動するものが多いからだろう。
ただ、こういうものも、「句の末尾から数える位置アクセント」と考えることもできそうだ。
東京式で、動詞が「0型」と「-2型」の二型だと考えるようなものだ。
長崎式や鹿児島式では、「-1型」と「-2型」の二型の位置アクセントがあるとも言えるかもしれない。

ただ、「先頭から数えるか」「末尾から数えるか」だけの違いで済めばいいがそうではない。
東京式や京阪式の位置アクセントはあくまでも語頭からで、前に付属語が付いても核が前に移動したりはしない。
例えば、前に「この」が付いたら下降が二拍前にずれるというようなことはない。音素に対する位置も変わらない。
一方、例えば鹿児島では、後に「が」が付いたら一音節、「から」が付いたら二音節下降が後にずれる。
語が単位か句が単位かという違いがある。結局西南九州式はどう考えればいいんだろう。

187名無しさん:2010/10/28(木) 23:39:01
>>186
ごく素直に、鹿児島などでは「助詞等も語尾化している」でいいんじゃないの?
より膠着度が高く屈折化しているために「文節がアクセントの『1単位』として働いている」ということ。
実際、沖縄方言などはかなり助詞の癒着が強く「は」なども語尾に取り込まれてしまっている。
語尾の屈折化を度外視したとしても、
鹿児島方言のようなふるまいは日本語の方言においても決して奇異なことではなく、
例えば助詞の独立性が極めて高いとされる京阪式などでも、
連用形などの滝の位置は、後続する付属語に影響されないが、
動詞の未然形と仮定形は「後続する付属語込みで1単位」としてふるまっている。
ずっと同じことばかり言って早田を非難してばかりいるような気もするが(笑)
早田理論は、本当に百害あって『一利しかない』と思う。
「語声調と位置アクセントを区別する」という観点の提供?だけが「一利」。後は全部「百害」(笑)

188名無しさん:2010/11/06(土) 11:20:41
各方言での動詞や形容詞の活用形アクセントはどうなってるんだろう?

189名無しさん:2010/11/06(土) 18:30:45
>>188
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%BC%8F%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88
ここに東京式アクセントの浜松、名古屋、広島県油木町あり。

190名無しさん:2010/11/06(土) 23:17:14
金田一春彦説の東京式成立過程って、

高高→低高
高低→低高
低高→低低→低高

高高高→低高高
高低低→低高低
高高低→低高高
低高高→低低高→高低高→高低低
低高低→低低高→高低高→高低低
低降低→低低高→高低高→高低低
だったっけ?

191名無しさん:2010/11/07(日) 00:59:25
>>190
大体あってるけど、その書き方だと平板型と尾高型の区別が付かないので、

高高→低高
高低→低高’(→低高)
低高→低低→高低

高高高→低高高
高低低→低高低
高高低→低高高’(→低高高)
低高高→低低高 →高低高 →高低低
低高低→低低高’→高低高’→高低低
低降低→低低高’→高低高’→高低低

と書いたほうがいいかな。
京阪式からの変化で単純に考えれば尾高型になるもののうち、
文末に立つことができず、必ず後に何か続く型は、中輪東京式では平板型に変化した。
例えば「日も」「風も」「体も」「赤い(連体形)」「悲しい(連体形)」など。
内輪東京式ではこのような場合も尾高型のままだったはず。

あと、中輪東京式では一拍名詞二類が平板型なのに対し、内輪東京式では頭高型。
これは、東京式への変化の時点で、中輪式では既に一拍名詞の短呼化が起きていたのに対し、
内輪式ではまだ現代京阪式地域のように二拍分に長呼する形だったのが理由だとされていたはず。

中輪式では助詞付の場合において高低型に準じて変化し、平板型になって一類と合流したが、
内輪式では助詞付の場合に高低低型のような変化を遂げ、低高低型になったあと、短呼化が起きて高低型になり三類と合流した。

外輪東京式の場合、一番最初の段階で高起式の型が全て高平型に合流したとされる。
その後の経過の説明は内輪・中輪と同じ。

192名無しさん:2010/11/07(日) 07:16:35
爆発的に売れる本か映画が出れば、
また日本語は少し変わるんだろうな

ハリーポッターでは何も変わって無いけど

193名無しさん:2010/11/07(日) 11:27:48
>>191
つまり、
アクセントの山が一つ後退し、
語頭に「低」が二拍続いたら第一拍が「高」になり、後半の「高」が消える
という変化だよね?

194名無しさん:2010/11/07(日) 11:35:45
>>193
そうだね。2つめの変化は、南北朝時代の京都で実際に起きたことが文献上確認されている。

また、1つめの変化も、外輪東京式からさらに起こした方言が岩手南部から宮城北部にかけて、
外輪東京式から条件付きで起こした方言がいわゆる北奥羽式として、岩手沿岸部を除く北奥羽方言と雲伯方言に、
中輪東京式から条件付きで起こした方言が千葉県中部に分布している。

能登半島には、1つめの変化を起こしたうえで2つめの変化を起こしかけている方言や、
2つめの変化を起こして内輪東京式になった方言もある。

195名無しさん:2010/11/08(月) 01:17:45
アイヌ訛りは?
http://www.youtube.com/watch?v=fYEhubSOtcI

196名無しさん:2010/11/08(月) 10:13:56
アイヌ語話者が身につけたアイヌ語訛りの日本語のアクセントは、
「高い拍が必ず1つはあり、しかも1拍に限る」という特徴があったらしい。
これはアイヌ語のアクセントの性質と一致する。

金田一は、このような性質を持つアクセントが日本語圏の中で青森などにのみ見られることに注目して、
このような特徴はアイヌ語の影響を受けて成立したのではないかと述べていた。

青森でのやや古い形のアクセントの場合、秋田と似たような一音節卓立の形だが、
平板型にあたる型の最後の音節が高くなる。このため上のような性質が成り立つ。
ただし昇り核化した形では、核より後の複数音節に高い拍が及ぶためこれは成り立たない。
また、秋田や盛岡では平板型が低平型になるためやはり成り立たない。

アイヌ語訛りの日本語にアクセント上の特徴があったのは確かだが、
それと北奥羽のアクセントを結び付けられるかは微妙なところ。

197名無しさん:2010/11/09(火) 00:02:16
島田紳介が東京式を真似てしゃべる時、ちゃんと一応東京式になってる時はやはり名古屋のアクセントになってるね。
理由はわざとらしいから。
名古屋は「わざとらしい東京式アクセント」である。

198名無しさん:2010/11/09(火) 00:20:16
単に名古屋が内輪東京式で京阪式との対応が単純だっていうのと、
京阪式の低起式にも名古屋にも遅上がりがあるってのが似て聞こえる理由じゃないの?
あとは形容詞のアクセント統合などか。
さすがに「上がる」と「下がる」が統合するような変化は起きてないと思うけど。

199名無しさん:2010/11/13(土) 23:00:36
世界の高低アクセント言語で、日本語の諸方言のアクセントに似た体系のものはあるの?

たとえば東京式のように、「直後で高さが下がる拍・音節の位置・有無を弁別する」という体系の言語はあるの?
あるいは京阪式のように、「高く始まる型と低く始まる型の区別があり、それに加えて直後で高さが下がる拍・音節の位置・有無を弁別する」という体系は?

日本語諸方言の高低アクセントの中で、世界的に見て一番普遍的なタイプはどれなんだろう。

200名無しさん:2010/11/14(日) 16:34:43
>>196
東京式枠内でLHH…調が北奥羽のような卓立調になるのは自然な変化だし、
鳥取や広島にもあるんだから、わざわざアイヌ語と結びつける必要はない。
完全な日本語の一種である北奥羽方言が、
体系的なもの、しかもそのうちアクセントだけアイヌ語の影響を受けているとは考えにくい。

201名無しさん:2010/11/14(日) 22:05:49
北奥羽式は原則一拍卓立と言われているけど、実際は地域差があるんじゃないかと思う。
盛岡あたりの言葉は、俺には任意の位置で上昇しているように聞こえる。初拍から高いことも結構ある。

202名無しさん:2010/11/14(日) 22:11:48
>>200
青森の場合に他の一拍卓立型と違うのは、平板型が低平型にならず最後の拍が高いこと。
だから、「一つの拍だけが高いか、一つも高くない」ではなく、「必ずどれか一つの拍だけが高い」となる。
ただし、実際には昇り核化で高い部分が複数拍に及んだりするので、結局あまり上手く成り立たないし、
アイヌ語と結びつけるのも怪しいとは思うが。

203名無しさん:2010/11/14(日) 22:23:57
そげそげ。

204名無しさん:2010/11/14(日) 22:31:49
一拍卓立の典型例として挙げられることが多い秋田も、
完全な低低、低低低、低低高、低低低低、低低低高、低低高低などではなく、
低中、低中中、低中高、低中中中、低中中高、低中高低のように、
二拍目から弱い上昇が見られることが多い。ただし平板型と尾高型は単独で区別できる。
また、世代が上がるほど低平に近くなり、丁寧な発音を内省してもらうと低平型だと答える。
若い世代では共通語にかなり近付き、単独での平板型と尾高型の区別も失われつつある。

205名無しさん:2010/11/15(月) 00:47:09
>>199
古典ギリシア語のアクセントが、東京式アクセントと良く似ている。
重アクセントの読み方によっては、京阪式のほうが近いという人もいる(俺は懐疑的)
古典期のラテン語もよく似ているが、こちらはアクセント核が固定していて、
東京方言における「起伏型で外来語を読んだとき」とそっくり。
下の方法でアクセントをつけると、本当のラテン語のアクセントの位置と95%以上一致する。
ラテン語を「カタカナに潰して」、
東京方言のやりかたでアクセント核(滝)を決めて、
それを秋田の卓立か名古屋の遅上がりで読む。
キケロの演説やヴェルギリウスのラテン詩の雰囲気が味わえる(笑)

206名無しさん:2010/11/15(月) 09:29:18
「どこかの音節が高い(どの音節が高いかが問題になる)」というのはよくありそうなタイプだけど、
東京式の平板型にあたるものがある言語ってあるのか?無核型というか。
その点、筑前式は必ず核があるからより古典ギリシア語やラテン語などに近いのかな。
これらの言語が後に強弱アクセントになったのは、必ず核があるというのも大きな要因だったと思うけど、
筑前式も放っておけば強弱アクセントに移行する余地があったということか。

207名無しさん:2010/11/16(火) 03:16:12
>>205
音源ないの?再現の

208名無しさん:2010/11/20(土) 23:14:25
京阪式に似たアクセントは世界にないの?

209名無しさん:2010/11/23(火) 18:10:15
フジ系列でさっき「イルミネーションから突然出火、あなたのうちは大丈夫」。
「大丈夫」を下降調で発音したぞ。
最近のアナウンサーの質の低下は凄まじい。

210名無しさん:2010/11/23(火) 18:22:22
本来は「大丈夫?」と上昇調(疑問)で言うべきところを「大丈夫。」と下降調(断定)で言ってしまったってこと?

211名無しさん:2010/11/23(火) 18:51:36
>>210 そう、その通り。でCM挟んで本格的に始まったレポートの字幕には
「大丈夫?」となっていた。から当然上昇調(疑問)で言うべきところだ。

212名無しさん:2010/11/24(水) 16:40:04
>>208 このような説もあります。↓

O2a M95* 1.9% % 越人/丹砂採集/前方後円墳
O3a3 LINE1 3.1% 呉人/物部/銅戈・青銅器鋳造/軽工業(含養蚕)
O3a3c M134 10.4% 秦人/仙薬/銅鏡
逆に、関西以外にはこうした集中はなかった。倭人伝が邪馬台国に接近するに従い会稽・東冶に
近づいたと錯覚したのはこれが大きな原因。

213名無しさん:2010/11/24(水) 21:18:24
>>208
http://nihonjinxx.exblog.jp/

214名無しさん:2010/11/24(水) 21:31:34
>>212
日本語のアクセントの起源は不明だが、青森から与那国島までの全ての有アクセント方言のアクセントが非常によく対応する以上、
青森方言から与那国方言にいたる全ての日本語族が分岐する前の日本祖語(日琉祖語)の時点で、既にアクセントがあったのは確実だろう。
そしてそれは、文献上最古の院政期京都アクセントに近いもの(>>171のように厳密には京阪式とはいえない)だったと考えられる。

奈良時代前後の渡来人によってアクセントが持ち込まれた、それ以前の日本語は無アクセントだったなどという説もあるが、これは言語学的にはトンデモと言ってよい。
まず、元が無アクセントなら、いくら他言語の影響を受けようと、無アクセント言語にアクセントが付く道理がない。
日本祖語のアクセントと考えられるものは文法的機能や意味に関係がなく、各語にこのアクセントが付くという必然性がない。
例えば「口」「爪」「鼻」は高高だが「足」「髪」「舌」「腹」「骨」「耳」「指」は低低、「肩」は低高というように。
日本語と関係ない語彙を持つ言語の影響を受けて、日本語固有の語彙にこのような恣意的なアクセントが付くというのは非常におかしな話。

高低アクセントの起源は、無声/有声の対立の消失、語末子音の消失など、何らかの要素の消失の代償に求められると考えられている。
有名なのはベトナム語で、今は6種の声調があるが、語頭の無声/有声による2種、語末子音による3種で2×3の6種が発生したことが分かっている。
日本語のアクセントも、今は失われた何らかの要素の消失の代償として発生したと考えられるが、それが何かはもはや分からない。

また、渡来人が多くやってきた時代は主に4世紀末〜6世紀だが、日琉祖語の時代(琉球語派の分岐)は3世紀頃に遡ると言われる。
従って、渡来人がアクセントを持ち込んだなどという説は時代的にも成り立たない。
3世紀以前から、「kuti(HH)」「pana(HH)」「mimi(LL)」「kata(LH)」のように語形とアクセントがセットで存在していた。
語形だけが先にあって後からアクセントだけが外から持ち込まれるというのは有り得ない。

さらに、今でこそ京阪式アクセントは近畿・四国付近だけに残っているが、元々は全ての方言アクセントが京阪式(厳密には違うが)に遡る。
魏志倭人伝の時代にはまだ各方言が分岐してから年代が浅く、各地のアクセントは京阪式に近いものだっただろう。

ただし、「越人」「呉人」「秦人」が和人と似た言語(当然シナ・チベット語族や朝鮮語とは無関係)を話していた可能性はある。
しかし、もしそうだとしたらそれらの言語は既に消滅しており、現代の言語の中に京阪式に似たアクセントを求める>>208の趣旨とは合わない。

215名無しさん:2010/11/24(水) 21:44:40
>>213
遺伝子には関心があるようだが言語学部分は全くの素人だな。
「標準語は長州藩の山口弁」とか、結構耳にするが真面目に主張してるのは笑いものにしかならない。
今じゃこういうレベルの言語学素人がアクセント論にまで大真面目で割り込んできてトンデモ説を主張してるから笑えないが。
恥ずかしいからそんなブログを宣伝するのは今日までにしておけ。

216名無しさん:2010/11/24(水) 22:09:00
>>214
>3世紀以前から、「kuti(HH)」「pana(HH)」「mimi(LL)」「kata(LH)」のように語形とアクセントがセットで存在していた。

何で3世紀以前のアクセントがわかるのですか?

217名無しさん:2010/11/24(水) 22:17:24
>>216
とりあえず、文献記録から11世紀の京都のアクセントは非常に詳細に分かっている(アクセント符号付きの辞書などがある)。
で、本土の方言のアクセントはその記録されたアクセントと非常によく対応するから、
11世紀の京都のアクセントに非常に近いものが、本土の全てのアクセントの祖だと言われている。
11世紀の京都からどう変化すれば各方言のアクセントができるかという説明もほぼできている。

また、琉球方言のアクセントも、11世紀の京都のアクセントとよく対応する。
ただし>>72-75にあるように、無視できない程度のズレがあるので、実際は本土と琉球の両方の祖形アクセントは
11世紀の京都アクセントとは多少違うかもしれない。しかし似たものと考えても無理はない。
日本語と琉球語が分岐したのは基礎語彙の分析から3世紀〜8世紀と考えられるが、
語彙は分岐後にも影響があったと考えられるから、最下限の3世紀をとってもそう問題はない。
特に分岐が古い南琉球方言にも本土とよく対応する語彙とアクセントがあるというのは重要だ。
つまり、本土方言と南琉球方言が分岐した時点で、既に語彙とセットの高低アクセントがあったということになる。

218名無しさん:2010/11/24(水) 23:21:17
>>217
なるほど、ありがとう。でも難しい。w

>ただし、「越人」「呉人」「秦人」が和人と似た言語・・・

そこのところは「越人」「呉人」「秦人」が倭人ではないかということです。

219名無しさん:2010/11/25(木) 00:19:25
>>74
あたりを見ると、日琉祖語の時点では平安京都式とはだいぶ違っていたんじゃないかという気がする。
類が半分分裂しまっているように見えるが、これはかつてあった区別じゃないのか。

日琉祖語の時点では二拍名詞では
ア類(一類):飴・烏賊・牛・枝・風・傷・釘・口・腰・酒・砂・袖・箱・鼻・羽・筆・臍・星・水
イ類(二類):石・歌・音・紙・牙・夏・橋・人・冬
ウ類(三類B): 網・犬・芋・色・馬・草・雲・米・島・角・波・糠・花・豆・耳・山
エ類(四類B):板・稲・瓜・傘・肩・角・鎌・汁・種・味噌・蓑・麦・藁
オ類(五類B):雨・腿・夜
カ類(三類C):瓶・蚤・浜・骨・鞠
キ類(四類C):息・糸・臼・海・中・箸・針・船・箆・松
ク類(五類C):汗・桶・影・声・猿・足袋・露・鍋

の少なくとも8類の区別があって、
ここから時代が下って本土では奈良時代までにア/イ/ウカ/エキ/オクに統合し、
琉球では別の統合(たとえばアイ/ウエオ/カキク)をしたのでは。

220名無しさん:2010/11/25(木) 00:44:56
http://www.thomaspellard.info/pdf/unforgotten_islands.pdf
ここの「音調体系をめぐって」だと
「2 音節語には8 種の音調型もあったとするのは数から見て問題である」とあるが、
各音節に高・低・昇・降が自由に付くようなアクセントなら問題なさそう。

221名無しさん:2010/11/25(木) 01:54:14
高低昇降が自由に付けるなら16種類あるべきだろう。8種しかないのは逆に少なすぎる。
しかし高低の組み合わせが基本なら8種は多すぎる。

8種の区別が再構されるとしても、それが本当に全てアクセントの区別に由来するとは限らない。
その論文でも示唆されているように例えば母音の長さによって類が分裂したということも考えられるし、
他の既に消えた音韻の条件によって分裂したのかもしれない。
音韻の区別だったのがアクセントの区別に移行した可能性があるということだ。

222名無しさん:2010/11/25(木) 02:34:54
>>217
http://www6.kokken.go.jp/siryokan_data/hogendanwa_db/cd.htm
全国方言談話データベース

11世紀の京都のアクセントがここで聞かれる琉球方言のアクセントと似たものだったのですか?

223名無しさん:2010/11/25(木) 10:35:22
>>222
当然ながら、今の琉球方言のアクセントは、11世紀の京都アクセントとも、想定される琉球祖アクセントともかなり違っている。
一般的には、現代の諸方言から再構される琉球祖アクセントは外輪東京式に近いものとされる。
現代で外輪東京式を持つのは例えば新潟・長野・豊橋・米子・小倉・大分など。
これは一番最初が外輪東京式だったというわけではなく、現代の琉球諸方言から遡れる最も古いアクセントが外輪東京式に近いという意味。
外輪東京式も11世紀の京都アクセントから変化したものとされているので、結局は同じ元のアクセント。

ただし、上にあるように琉球祖アクセントと外輪東京式には無視できないズレがある。
11世紀の京都アクセントも琉球祖アクセントも、さらに古い共通の段階から変化した可能性が高い。

なお、そのページにある地点でいうと、今帰仁は外輪東京式に比較的近いもの。琉球祖アクセントからの変化は比較的小さい。
一方、平良は一型アクセントから無アクセントへ変化しつつある段階らしく、既にアクセントによる語の区別を失っている。

現代琉球諸方言のアクセントは非常に地域差が激しい。

224名無しさん:2010/11/25(木) 11:28:38
>>221
語内に谷を作らない、という条件をつければ
高高、高低、高降
低高、低低、低降、低昇
昇高、昇低、昇降
降低
の11種類。このうち平安期の京都にあるのは9種類。
降拍や昇拍が、琉球では長音化したという考え方もできる。

225名無しさん:2010/11/25(木) 13:09:43
>>219
俺は琉球のB/C群は二次変化だと思うがなあ。明らかで一貫した偏りがある。
2拍の場合は、3類((院政京都:以下略)LL)はB群優勢、5類(LF)はC群優勢、4類(LH)が分断状態。
3拍の場合は、4類(LLL)と5類(LLH)にしかB群は見られない。
明らかに一貫した特徴がある。
B群は「なかなか音調が上昇しない場合」に親和的に見える。C群はその逆。
どうやら、カギは、2拍3類、3拍4類(つまり低平調)にあるのだろう。
考えられる選択肢は2つほどあるように見える。
A説:南北朝の有名なせり上がり現象(低平連続崩壊)に近い現象が琉球でも起きた時に、
琉球では、低起類の他の類も巻き込んで再編が起きた。
B説:逆に、低平類が核となる新たな上位類概念が誕生し、他の類との間で争奪戦が起きた。
A説は、上のほうにある外輪乙種の別のメカニズムでの説明を使っても、
また別のルートで同種の議論は構築可能と思う。

226名無しさん:2010/11/25(木) 20:19:35
本土と琉球の分岐が三世紀って数字はどうなのかね。
こういうところには恣意的に分岐を古くしたがるバイアスがないかね。

227名無しさん:2010/11/25(木) 20:42:37
>>226
語彙統計学というのがあって、基礎語彙の一致数から分岐後の年数を概算するという手法がある。
ここから京都方言と首里方言の分岐年数を出したある研究では1450年前ないし1700年前という結果を出していた。
ただし、琉球語派は分岐後も日本語派に語彙の影響を受けていただろうから、これは実際の分岐年代より新しい方向にずれている可能性がある。

また、音韻面や文法面で、文献上最も古い日本語派の記録よりさらに古い状態を保持していると疑わせる点がいくつかある。
ハ行にp音を保持している方言があること、上代特殊仮名遣の区別を残していると疑われる例があること、
南琉球語群で動詞連用形・終止形・連体形が連用形にあたる形で統一されていること(後世の改新の可能性もある)など。

少なくとも、ア行とワ行の区別が完全に保たれていること、一部にハ行転呼を起こしていない語例があるなどの点から、
平安時代以降の分岐という説は成り立たない。言語学的に見ても奈良時代かそれ以前ということになる。
日本語族の拡大という観点からすると、弥生時代に入ってから農耕技術を得た日本語族が急速に拡大したというのがそれらしい。
その時点で「山」「口」「耳」などの基礎的な語彙が、高低アクセントを伴って広がったということになる。

228名無しさん:2010/11/25(木) 21:01:11
>>227
畿内ではハ行は早くから摩擦化していたが、実は九州ではこの変化が遅れていて
かなり700年代の頭ではまだ[p]だった、とか理由をつければ
琉球の分岐の古さの主張はどうにでもならないか?
上代特殊仮名遣いの痕跡にしてもそうだ。難癖はつけられる。

229名無しさん:2010/11/25(木) 21:10:13
>>228
まあそういう意味では何とでもいいようがあるし、絶対的年代にこだわることにはあまり意味がないかもしれない。
ただ、「奈良時代の奈良語」よりも前の段階から琉球方言が分岐したかどうか、というような意味での古さについて考えるのは意味があるだろう。
九州などは奈良時代以後に一旦中央語化がかなり進んだ疑いがあるし、単純な分岐モデルで考えるのも問題がある。

本土と琉球のアクセント分岐の問題でいうと、本土のほうも11世紀以前にしっかりと遡れないという弱みがある。
日本書紀α群には、音韻だけでなくアクセント(声調)の一致も考慮して漢字を選んだと思われる部分があり、
そこの部分から推定されるアクセントは院政期京都アクセントとかなりよく一致するらしい。
また金田一則(式保存の法則)もあることから、少なくとも奈良時代から院政時代までの間は
アクセントに大きな変化は無かったと推定されている。
そしてこのアクセントからの変化で本土方言のアクセントをほぼ全て導くことができる。

このアクセントが日琉祖語のアクセントとみなせれば話は簡単なんだが、
琉球祖語アクセントを再構してみると本土祖語アクセントとは無視できない違いがあるというのが問題。
ただ、本土祖語の二拍一類・二類が琉球祖語のA系列に綺麗に対応するというような事実もあるので、
やはり単一の祖アクセントから変化したものだろう。

230名無しさん:2010/11/26(金) 23:08:12
日本書紀成立論小結−併せて万葉仮名のアクセント優先例を論ず− 森 博達
(『国語学』 第54巻3号 2003.7.1)
http://ci.nii.ac.jp/els/110002533370.pdf?id=ART0002805194&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1290777015&cp=

たとえばここの10頁に、高山倫明「原音声調から観た日本書紀音仮名表記試論」(1981年)によって、
日本書紀α群の音仮名の声調と、平安後期に加点された声点とがきわめてよく一致する歌謡が指摘された例が載っている。

日本書紀α群は中国語母語話者が執筆した部分。
その際に執筆者は、当時の日本語を表記するための漢字を選択する際に、音韻だけでなくアクセントをもなるべく再現できるように選んだ。
日本語での高拍は中国語で上声か去声の漢字、日本語での低拍と降拍は中国語で平声の漢字を用いて表記した。
恐らく執筆者は薩弘恪で、執筆時期は690年代と考えられる。
一方、平安後期の声点は、日本語母語話者が加えたもので、いわゆる院政期京都アクセントと一致するものだ。

そして、これらの声調と声点がきわめてよく一致するということは、690年代の日本語のアクセントも、
いわゆる院政期京都アクセントとほとんど同じものだったということを示唆する。
一致しない部分は、子音、母音、アクセントの全てが一致する漢字がなかったために、アクセントを犠牲にした字と考えられる。

β群を含む他の部分にも声調とアクセントの一致率が有意に高い部分がある。
本土のアクセントは11世紀の京都までではなく、7世紀末期の奈良までは遡れるだろうと言える。

231名無しさん:2010/11/26(金) 23:56:32
>>230
先行研究も含めてだが、森さん、本当にいい仕事をしているよなあ。
もっと評価されるべき、と言いたいところだけれど、
こういう珠玉の研究をする稀有な研究者は、あまり雑務や広報活動にはかかわらず、
出来る限りの研究を文章で残すことに専念することが、世の中のために一番良いのかもしれない。
この世界は、本当に玉石混交だからねえ。
森さんのよう千年に1人単位の神のような研究者もいるかと思えば、
山口幸洋なんかが「古希記念論文集」なんてものを出す栄誉にあずかれたりする。
研究者としての一般的ステータスが、研究レベルと全く比例しない。
黄金を黄金、糞を糞と見抜ける力がないと、何がまともかさえ五里霧中になる。

232名無しさん:2010/11/27(土) 10:56:04
具体的には山口幸洋のどのあたりがクソの臭いを出している部分ですか?

233名無しさん:2010/11/27(土) 11:29:05
231じゃないけど、やはり「日本祖語は無アクセントで、あとから高低アクセントを獲得した」というのがトンデモだろう。

現代の諸方言アクセントを、「何らかの原因で高低アクセントを獲得した京阪式と接触し、それを不完全に受容したもの」として説明しようとしているが、
まず、その元になった「京阪式アクセント」がどこから来たのか全く説明できていない。
何か他言語から持ち込まれたようなことを言っていたと思うが、全く無関係で語彙などが全然一致しないような言語からアクセントだけ持ち込まれて
それで院政期京都アクセントのような体系が出来上がることなど有り得ないだろう。

やはり言語学のセオリー通り、何らかの音韻の消滅の代償でできた可能性が高い。
それは現代の諸方言(琉球諸語を含む)によって遡れる「日琉祖語」よりもさらにずっと前の年代で、
琉球諸語以外に日本語と関連する言語が見つかるということでもなければ、既に手がかりが消滅して分からなくなってしまっている。

アクセントの「接触」で様々なアクセント変化を説明しようとしているのもおかしい。
足利市の例を挙げていたりするが、あのように近代以降に東京大都市圏化の大波に飲み込まれようとしているような例を
過去のアクセント変化の例に持ち出すこと自体がおかしい。数十年スケールの話と数千年スケールの話を混同しているし。

各地のアクセント変化はほぼ全てが自律的内的変化で説明できるもので、接触で説明できる部分はほとんどないだろう。
武将が移住しただの海運交通があっただのいう例だって、語彙の借用が時に見られるだけで、アクセントが「伝播」した例なんて全然ない。
アクセントは非常に体系的であり、かつ話者自身にも体系が把握しづらく、後からの学習・変更が最も難しい。

実際に複数のアクセントが接触したとして、起こるのは複雑なアクセントのほうの単純化であって、単純なほうが複雑なアクセントを「習得」することはまずない。
また、語彙のように地伝いに「接触」「伝播」していったとしたら、京都から離れるほど全ての区別が失われていくはず。
だが、実際は例えば、二拍二類と三類の区別は、北奥羽〜新潟・長野北東部、遠州〜東三河、讃岐、伯耆〜出雲、豊前〜豊後と別れて分布する。
伝播でこのようになることは考えにくい。各地で自律的内的変化が起こったのが事実だ。また、この区別は南北朝以前の京都にもあった。
接触して起こりうるのは「自律的に起こりうる内的変化の促進」であって、内的変化で起こりえない変化はよほどの強い影響がないと起こらない。

そもそも、文献記録が残る京都アクセントを見ても、その他の地域の断片的な記録を見ても、各地のアクセントはほぼ一貫して単純化する流れだ。
遡るほど複雑化していく。当然、祖語は複雑なアクセントを持っていたと推定できる。祖語が無アクセントだったなんて不自然極まりない。

234名無しさん:2010/11/27(土) 17:15:08
>>233
代弁してくれてありがとう。俺もそんなところだと思う。
その珍説、学問の自由・表現の自由とはいえ、本当に害悪が大きいよなあ。素人受けするというのが最大の問題。
俺自身、乙種アクセントの成立に関しては、かなり風変わりな考え方をしているが、
山口(や小泉)のような、完全電波ではないはずだと一応自負している。
一応論理的な反対説として許されるギリギリだろうとは思うが。
実は、俺は「乙種中輪は、南北朝京阪の子ではなく、外輪の子ではないか」と密かに思っているんだよ。
南北朝京阪式の子といえるのは、内輪と垂井で、この2つがいわば兄弟なのではないか。
鎌倉京阪の子が、甲種主流と、甲種讃岐と、乙種外輪(他にも真鍋島などがある)
甲種主流の子が、乙種内輪と、垂井
乙種外輪の子が、乙種中輪
伊吹島は、甲種主流と甲種讃岐が分裂した際に、体言に限り区別が遺存的に残った変種で、
系譜的には鎌倉京阪の兄弟(院政京都の子)だが、時期的にはおそらく主流京阪と讃岐の分裂と同時だろう。

235名無しさん:2010/11/27(土) 18:06:31
>>234続き。
なぜこのような技巧的な構成を採るかというと、
特に本州中部で顕著だが、2拍2類、3拍2類3類の所属が、特に外輪側でガタガタになっているという事実があるから。
俺は、ここだけは「京阪と外輪の接触」という、まるで山口のような考え方を採っているが(苦笑)、
上のほうにあった「上がり目説」を採用するなら、
「上がり目化」が起きた時に、高起類の「下がり目」が中途半端に消え残った場合があって、
それが、旧高起下がり目類(2拍2類、3拍2類3類。もともと所属が多くない)が
中途半端な帰属を示すようになったのではないか。
特に乙種中輪2拍2類の理念形LHH(L)は、実は見掛け上のまやかしかもしれない。
(これを解決するためには、乙種中外輪形容詞1類終止形の「−1」の説明が必要だが)

236名無しさん:2010/11/27(土) 18:08:20
>>234
具体的に

237名無しさん:2010/11/27(土) 18:10:49
そのガタガタこそ中輪と外輪が接触したために起きたんじゃないのか。

238名無しさん:2010/11/27(土) 19:15:55
>>235
アクセント型なんかも交えて具体的におねがい。

外輪と内輪の接触で,
外輪の一部が中輪になったという主張なの?

239名無しさん:2010/11/27(土) 20:56:58
>>238
結論から言うと、俺の考え方は、
「外輪が京阪に接触して(外輪から)中輪ができた」という説になる。
内輪と垂井は別に考える。
結論は大変に風変わりであることは分かっているし、いくつか大きな弱点もあるが、
立論として成り立ち得ると思うので、ここで論じてみるよ。

240名無しさん:2010/11/27(土) 21:05:31
まず第1段階として、鎌倉京都アクセントが、南北朝京都アクセントと、外輪東京式の原型に分裂した。
これは、通説だと乙種側の説明がやや鬱陶しくなるが、
>>159>>161説を採れば、この2つが「論理的に対等に分裂した」と考えることはごく自然だ。
「上がり核の凹について、甲種はL(低)、乙種はF(降)を選択した」と考えればよい。
そして、畿内周辺(讃岐除く)ではLが、三河・越後以東、安芸・伯耆以西ではFが選択され、
ここで一旦、「現在の乙種中輪・外輪圏全域が外輪乙種になった」と考える(ここがポイント)
そして、各々「凹拍の処理」が行われ、
東国と中国・九州では豊橋・大分型のアクセントに、尾張や吉備を含む畿内周辺では今の主流京阪式になった。
(続く)

241名無しさん:2010/11/27(土) 21:14:09
ところが、乙種圏において、その甲種圏と接する部分から、甲種アクセントの干渉を受けることになる。
具体的には、2拍2類や、3拍2類3類。
これらは、乙種からみると、自分たちのところには滝がないのに、甲種では滝がある。
そこでこれらに所属する単語が、「各個撃破」で個別的に起伏型に変わる現象が起きた。
その際、低起類については「1拍後ずれ」のように見えるので、
それにならって、1拍後ずれした形で滝がつくことになった。
この変化は、当時の甲乙境界線(つまり現在の内輪と中輪の境界線)近傍から進み、
北奥や九州にはついに達しなかった。
概ね撃破が完了した地方もあり、これが中輪ということになるが、
豊橋や松江のように、取り残される地方もあった(だから外輪が島状に孤立している)
また、撃破が中途半端な地方が、本州中部を中心にあちこちに残された。
(東京ですら、「上」などが取り残されている)
これで、2拍2類や3拍23類がガタガタであることの説明ができる。

242名無しさん:2010/11/27(土) 21:20:26
以上の変化の後、京阪式圏の音節構造が完全なモーラ言語化した後で、
京阪式辺縁のアクセントが(恐らく東京式の干渉を受けて)変化を始めた。
まず、今の能登や土佐幡多、十津川に見られるような1拍後ずれが、
濃尾平野と吉備平野で起きた。ここで内輪乙種が誕生する。
また、北陸を中心に更に内側で、1拍後ずれのない二次変化が起きた。これが垂井式。
だから、内輪地域では2拍2類のガタガタはないし、3拍のゆれも京阪式に準じている。
これで、現行の乙種地域のアクセント分布の大枠が説明されることになる。

243名無しさん:2010/11/27(土) 21:26:24
この仮説によれば、「外輪と中輪は、実は連続体である」と解することになる。
つまり、中間的なものがかなり存在するということ。
そして、20世紀後半に、北奥、北海道、越後などで劇的に進む外輪から中輪への変化は、
実は数百年前に既に広範囲に起きていたことを追いかけているということになるだろう。
また、>159説を採れば、「真正の1拍後ずれ」がおきたのは、内輪地域だけ、
つまり、まとまった地域としては濃尾平野と岡山平野だけということになる。
そしてこれが最近に起きたことは、岡山平野南端に、主流京阪式圏が存在すること、
幡多、十津川などで起きていることと連続して考えられることなどから裏付けできる。

244名無しさん:2010/11/27(土) 21:32:37
幡多や十津川ってそんな変化途中のアクセントなの?
具体的にどんなんだろ?

245名無しさん:2010/11/27(土) 21:40:06
付け加えておくと、この仮説は、本来穏当な説を立てる場合にはおきて破りであるはずの、
「歴史的な考察に、現在の方言地理区画をそのままあてはめる」
ということをやっているが、これは意図して行ったこと。
>>159>>161説を採るならば、>>240の変化が起きたのは、京都とほぼ同じ時期と考えてよい。
断片的だが能楽資料などを見る限り、室町時代には
「犬のアクセントが京都でHL、坂東筑紫でLH、四国でHH」とあり、
地理的分布はほぼ現在のものとベースを共通としてよいことを示唆する。
そして現に、アクセント境界線が移動したという事実は、明治来150年で存在しない。
おそらく、外中輪/内輪の境界は、おそらく14世紀に出来てしまったもので、
内輪/垂井/京阪の境界は、これを追いかけて江戸時代には完成していただろう。

246名無しさん:2010/11/28(日) 01:46:54
どっちの説でも三拍名詞6類の問題は解決されないようだ。

247名無しさん:2010/11/28(日) 04:26:42
>>241
>乙種圏において、その甲種圏と接する部分から、
>甲種アクセントの干渉を受けることになる。
>具体的には、2拍2類や、3拍2類3類。
これらを変化させるほどの京阪式の影響を受けたときに,
2拍2類や3拍2,3類の変化だけですむか?
という疑問はどうしても生ずる。

>>244
十津川や四国西南部のアクセントは,
移行中のものなんかじゃなくて,完全な東京式。

十津川は典型的な内輪東京式で,
幡多(四国西南部)は,内輪東京式ではあるけど,
1拍名詞のアクセントは中輪東京式。

確かに,能登島や和歌山の山奥で移行中のアクセントは存在したはずだけど。

248247:2010/11/28(日) 04:37:57
というか,>>241説をとるとすれば,
外輪が京阪式の影響で中輪化したとするよりは,
先に内輪を成立させた上で,
内輪の影響で外輪から中輪が成立したとする方が説明しやすいと思う。

かりにそうだとしても,
アクセントを変化させるほどの,
強い人間の交流が有ったとは考えづらいわけで,
そこを合理的に説明できないと,
オッカムの剃刀で切り落とされるよ・・ということで。

249名無しさん:2010/11/28(日) 10:26:48
内輪と外輪、中輪と外輪が接触したときに、二拍名詞二類などに個別に揺れが生じることはあり得るかもしれないが、
起こるとしても狭い範囲だろう。例えば長野県北東部での揺れ(南下するほど少しずつ二類で尾高型の語が増える)は
実際に中輪と外輪が接触して生じた揺れだと思う。

だけど、中輪全部をそれで説明しようとするのは明らかに無理だろう。
まず、接触アクセントにしては明らかに分布が広すぎる。しかも内輪と外輪が接触したと思えないところにも分布している。
接触とも考えられそうな分布は、例えば西三河(東三河の外輪と尾張の内輪に挟まれている)のような場合。
このぐらいの幅なら、実際に人的交流もありそうだし、個別の影響を受けてもおかしくないかもしれない。
だが、長野、山梨、静岡東部から西関東にかけて広がる広大な中輪地域はどう説明する?
これらの地域が全て、「各個撃破」がほぼ完了するほどの強い影響を内輪から受ける状況にあったとは考えられない。
広島から山口にかけての地域もそうだ。

それに、中輪の全て接触によるものなら、もっと二拍二類がガタガタになっていてもおかしくないだろう。
実際は、いくつかの語で揺れがあるとはいえ、多くの中輪地域ではほとんど安定して尾高型になっている。
これが「各個撃破」の結果だとは考えにくい。

250名無しさん:2010/11/28(日) 11:45:08
>>247-249
まあ普通は、内輪を先に成立させるのが自然なんだろうけれど、甲種を持ってきたのには、
>>248の隠れた、というより「敢えて隠した」理由があるんだ。
人口学的にみると、「近畿一極集中」が歴史上空前絶後のピークに達したのは、
古墳時代でも奈良時代でも平安時代でもなく、関ヶ原の戦いの起きた1600年の推計で、
このときの(現在の)近畿地方の人口は日本総人口の3割、2010年現在の「首都圏一極集中」にほぼ匹敵する「畿内集中」が起きていた。
だが接触について論じるときこそ、人的交流やら人種的考察を安易に持ち込むことは厳しく自重するべきと考えているから。
こういうことを安易にやってしまうから、山口や小泉のような珍説が生まれてしまう。
もう一つの理由は、内輪は、通説(金田一一元説)にのって考えないと説明できない事象が多すぎること、
それから畿内のモーラ言語化に後行すると考えないと説明が付かないこと、
また、岡山県児島半島南端に(讃岐式ではなく)主流京阪式を話す地区があること、
しかし16世紀後半に織田信長の全住民虐殺による人口の総入替えがあった三重県桑名郡長島町(合併前)が
純然たる東京式であること(これはあまりにも有名な事実)
などから考えて、内輪が1拍後ずれしたのは、16世紀前後と推定されるはず。
ここからスタートして、大干渉で今の中輪圏を作るのは、時間的にかなり苦しい。

251名無しさん:2010/11/28(日) 11:56:49
あと、「各個撃破」問題については、意外にハードルは低いと考えている。
2拍2類だけみるとハードルは高そうだが、>>61をこの観点から見ればはっきり分かるように、
3拍2類3類は、東京のような「純然たる中輪地域」でも、各個撃破は道半ばといったところ。
そして、2拍2類についても、中輪圏でも「平板に取り残された単語」が点在していて、
外輪圏とされる愛知県東三河など、2拍2類も実は半分近くが滝を獲得してしまっているし、
3拍2類3類でも、伝統方言でさえ明確に平板型が維持されているのは「女」くらい。
そして、このようなブレは、北奥や西南九州には(伝統方言では)見られない。

252名無しさん:2010/11/28(日) 12:37:05
>岡山県児島半島南端に(讃岐式ではなく)主流京阪式を話す地区があること、
>しかし16世紀後半に織田信長の全住民虐殺による人口の総入替えがあった
この辺の歴史のことがよく分からないので解説お願い。

それと畿内のモーラ言語化っていつごろだろう?

253名無しさん:2010/11/28(日) 15:53:52
近代以前の日本の人口統計
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

254名無しさん:2010/11/28(日) 19:17:52
>>251
おもしろいとは思うけど,
その仮説について焦点にすべきは,

むしろ,2類を変化させるほどの影響を京阪式から受けたのに,
なぜ2類だけの変化ですんだのかというところだとおもう。

3類・4類・5類は全くの無変化ですんでいるわけで,
ここの説明を詳細にしたほうがいい。

あと,逆に中輪が外輪に各個撃破されることもあり得るわけで,
それを中輪の方向に推し進めた強力な要因は何かというのも問題になるかと。

255名無しさん:2010/11/28(日) 21:05:46
>>254
おそらくそのカギは、>>159>>161説を採ると見えてくると思う。
つまり、甲種と乙種の相違点は、鎌倉京都アクセントの低起類がせり上がりを起こした時、
上がり拍の凹に「Lを採る」か「Fを採る」かの差だった。
だから、低起類については、実は各々のアクセント核は、甲種/乙種で姉妹あるいは二卵性双生児に過ぎない。
双子である以上、体系論的な一定の互換法則が保証されていて、干渉は起こらなかったのだろう。
ところが、甲種では高起類に古来の下げ核が残っている。(外輪)乙種では存在しない。
こうなると、既に確立した乙種の「平板/起伏」の対立関係に対して、甲種にはもう一つの下げ核類が存在することになる。
これは無論祖語の高起類に対応するものだが、当の甲種で、高起/低起の境界線は既に崩壊しているわけで、
外輪からみると、甲種には「高起起伏類のなかの一部に、乙種と対応しないものがある」ように見える。
しかもその絶対数はさほど多くない。
ならば、勝手にアクセント核を類推してつけてしまえという発想法が、境界付近で起きても不思議ではない。

256名無しさん:2010/11/28(日) 21:16:03
いろいろ理由をつけてるけど、都合よすぎだろという意見はぬぐいきれまい

257名無しさん:2010/11/28(日) 22:07:16
>>255続き。
実はこの類推論最大の問題(障碍または反例といってもいい)は、3拍7類にある。
甲種の7類は、低起類にも関わらず、その下がり目は「古い下がり目」そのもの。そして具体的な形はLHL。
ここから乙種話者が、>>255と同じ類推を始めようとすると、
実際のHLLからLHH(L)ではないかという類推を行うのが筋になるはずなのだ。
しかし具体的に中輪の3拍7類は、HLL(L)鉄板、一部がLHH(H)であって、
LHH(L)は出てこない。
これは、通説構築の際、単純な1拍ずれ論の一つのハードルでもあったところだが、
「単純類推論」をとると、再びこの問題がむき出しで出てきてしまう。
なんとなく、ドイツ民謡(アメリカ民謡)の「バケツの穴」のような話だが。

258名無しさん:2010/11/29(月) 00:34:52
追加で書くと、俺がこのような奇妙な説を考える契機になったのは、
通説にとって、外輪乙種の生成過程がどうしても理論上のボトルネックになるから。
金田一通説をとると、内中外の中で、外輪が最も複雑な論理操作を行わないと導けないのに、
地理的には、北奥羽、中部地方南端、中国地方北端、九州沖縄という4か所で
同時多発でこの変化が起きたとしなければならなくなる。
最低でも、新潟、豊橋、松江、大分の4ポイントで、全く同じ変化をさせなければならない。
同時に2か所なら分かるが、同時に全くバラバラで地域交流ゼロの4か所というのはかなりきつい。
尤も、「外輪のメルクマール」を徹底縮減して、
「(鎌倉京都を親にして)下げ核が消えた」という1点に絞るなら、4か所同時多発でも現実性を帯びてくるかなあとは思うが。
ただ、この1点だけで外輪の説明がつくかどうかは、4拍まで見ないとわからない。

259名無しさん:2010/11/29(月) 01:23:25
>>255
>ならば、勝手にアクセント核を類推してつけてしまえという発想法が、境界付近で起きても不思議ではない。

こういう,重大なところを一行で済ませてしまうと,
都合が良すぎるように見えるんだよ。

ある場所をうまく説明しようと試行錯誤している割には,
他の場所で無理のある説明を,簡単に済ませてしまうのはよくない。

少数説を多数派に対して納得させるつもりなら,
余計に精密にやらないといけないんだよ。

260名無しさん:2010/11/30(火) 00:11:37
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1130577771

このような説もあります。

261名無しさん:2010/11/30(火) 00:17:32
>>260
これはまさに、>>234>>250などで批判されている完全トンデモ説であり、小泉保の「縄文語の発見」に影響されたものだろう。
アクセント論的には本当にデタラメで、言語学の舞台に上げてはいけないレベルのものなのだが、
変に歴史ロマンを刺激して一般受けするために、これをすっかり信じてしまっている一般人がたくさんいる。
こうやってネット上でこのトンデモ説が広がっていく光景を見るたびに怒りを覚える。一刻も早くこのトンデモ説を叩き潰して根絶させなくてはいけない。

262名無しさん:2010/11/30(火) 23:36:21
>>260
知ったかぶりでこういうこと言う人が一番迷惑だね。

263名無しさん:2010/12/01(水) 22:20:52
>>233
各地のアクセント変化はほぼ全てが自律的内的変化で説明できる

アクセントは非常に体系的であり、かつ話者自身にも体系が把握しづらく、後からの学習・変更が最も難しい。

ここは矛盾している。
アクセントは、それを話す個々の話者一人一人が心の中・脳内に共有する
話し方についての決まりごとであり、体系的知識である。
アクセントが変化するということは、話者一人一人の体系的知識が一斉に変化・変更するということ。

幼少の頃に身に着けた体系的知識は年を取ってから容易に変えられるものではないだろうし
まして一人一人の知識が一斉に変化することは有り得ない。

264名無しさん:2010/12/01(水) 23:11:40
>>263
矛盾していない。アクセントというのは、語彙のように自覚可能で変更が容易な「知識」からはかなり遠い。
語彙、文法、音韻、アクセントの順に自覚しやすい。
アクセントというのは極めて体系的なものだが、同時にその体系を極めて自覚しにくいものである。

例えば東京方言のアクセントは、「高低アクセントである」「下降の位置のみが弁別的である」
「N拍の語にはN+1種類の型が存在する」「特殊拍には下げ核を置くことができず、イや無声化拍には下げ核を置きにくい」
などのはっきりとした体系がある。

だが、言語学的知識が全くない一般の東京人に自らのアクセントについて尋ねて、
このようなことをいきなり記述できる人が果たしてどれだけ存在するだろうか?
まず「高低アクセント」ということを内省できる人ですら意外と少ない。強弱アクセントと勘違いしている人もいる。
「N拍の語にN+1種類の型が存在する」ということだって、かなり慎重に内省してようやく一部の人が自覚できる程度だ。
「端」「橋」「箸」の違いについて的確に記述できる話者は相当限られる。自覚可能な「知識」として覚えているわけではない。

アクセント変化も、意識的な「知識の変更」として行っているわけではなく、アクセント変化自体を話者が自覚していないこともしばしばある。
変化自体に気づいている場合も、それをうまく記述できる人は少ない。
アクセント体系を話者自身が自覚することが困難だからこそ、後から母語以外のアクセントを習得することが困難にもなる。

265名無しさん:2010/12/01(水) 23:33:41
例えば、方言と共通語や、場面による丁寧な言葉とぞんざいな言葉の使い分けを見ても、
自覚しやすい要素と自覚しにくい要素の違いが出る。

語彙は最も自覚しやすく、場面などにより使い分けることも非常に容易だ。そして個別的でもある。
例えば「腹」というか「お腹」というか、「食う」というか「食べる」というか、
「父」というか「父さん」というか「お父さん」というか「親父」というか、などのような例だ。
話者は意識的にどの語を使うか決められるし、それを容易に自覚できる。場面により使い分けることもある。
その語だけを変更すればよく、他の語には影響を及ぼさない。言語習得期を遥かに過ぎても新たな習得や変更ができる。
文法もこれに準じる。ただし特に自覚しやすい語彙的な部分と、やや自覚・変更が難しい部分がある。

音韻になると自覚が難しくなり、変更も難しくなる。その一方で体系的にもなる。
場面による変更が困難になり、方言的な音韻の特徴が共通語でも出ることもある。いわゆる「訛り」だ。
例えば東北方言の話者では、中舌的なイ・ウ段、狭母音に近いエ段、清音の有声化、濁音の鼻音化などの特徴を消すのが困難だ。
特に老年層では共通語的場面でもこれらの特徴が残る。一方で、これらの特徴が消えた若い世代では、逆にこれらの特徴を出すのが難しくなる。
音韻変化は自覚されることもあるが、自覚されずに進行する音韻変化も多い。例えば東京のガ行鼻濁音の消失は多くの人には自覚されない。

アクセントは最も自覚が難しく、場面による使い分けも最もしづらい。
語彙、語法、音韻では見事に共通語を使いこなしていても、アクセントの特徴が残っているので出身地が分かるということは珍しくない。
ある程度の年齢を過ぎてから新しいアクセント体系を習得するのは非常に困難だ。
複数のアクセント体系をうまく使い分けできるのは、子供の頃から使い分けする環境にあった人にほぼ限られる。

266名無しさん:2010/12/05(日) 22:50:03
>>258
通説の外輪東京式の生成過程は、「高起式が全て無核型に統合」という変化が最初に起こったこと以外は中輪と完全に同じだっけ?

267名無しさん:2010/12/08(水) 23:18:10
ここのスレの書きこみを見てください。

常用アクセントの違いから、日本語を聞き取れなかったと思われる人物がとんちんかんなレスをしています


有名人の外国語力(英中韓除く)の実態 Ⅲ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1288153972/

268名無しさん:2010/12/12(日) 13:14:10
やっぱ山口のアクセントも名古屋っぽいな!

269名無しさん:2010/12/12(日) 15:31:30
>>268はマルチポスト


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