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資料集 Part2

334アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:37:08
>>333

しかし、真理を手に入れた聖者だと言っても、グル自身、精神的な脆弱さを克服したわけではなく、ただ躁的防衛によって誤魔化しているだけである。

したがって、万能感を傷つけられるような事態に出会うと、自己愛的な怒りにとらわれ、さらには被害妄想的になったり、神経衰弱や自己断片化を起こして、崩壊していく。


麻原が衆議院選挙で惨敗を喫してから、被害妄想が強まり、ハルマゲドンに走って行ったように、また、人民寺院のジム・ジョーンズが、離脱した元教団幹部が、ジョーンズタウンは強制収容所だと内情を暴露し、マスコミや国会議員が動き出したことから、危機感を募らせ、ついには集団自決によって九百人もの信徒を道連れにしたように、崩壊が始まると、一気に破滅的な暴走に至る。

それは、社会に対する攻撃と自己破壊的願望が一体化しているという意味で、社会を巻き込んだ無理心中だと言えるだろう。


万能感の肥大した誇大自己を抱えた人は、自分が死ぬときには、世界を道連れにしたいという思いを抱きやすい。
その人にとっては、自分が世界より重要なので、自分が滅んだのちも世界が存在するということが許せないのだ。


そうしたグルや教祖が営む教団は、共感や愛をその教義に謳っている場合でさえも、支配と主体性の剥奪が起きやすく、独善性に陥ってしまう。そこでは、自由な精神の発露も、真の創造性や自然な情愛も圧殺される。

理想郷を目指したはずが、「強制収容所」が生み出されてしまう。それは嫌と言うほど歴史が繰り返した真実である。

これらの特徴は、宗教的グルに限らず、政治的なグルである独裁者の特徴ともぴたりと合致することに気づかれるだろう。

「マインドコントロール」(文藝春秋)

335アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:38:23
>>334

数々の挫折経験のたびに、その対象喪失がもたらす抑うつ不安に耐えらず
やがて公正な競争・努力を要する現実社会からドロップアウト。
最後には人間をやめて神になる。


大川自伝を読み解いてみれば、そこにはカルト教祖に共通する心理特性を見出すことができます。
洋の東西を問わず、時代が違おうとも、所詮は同じ人間がすること。
大川隆法もカルト教祖誕生の既定路線を歩んでいただけのことです。


自我の脆弱性や、正常な精神発達の障害が、カルト教祖を生む素地となっていることに、もはや疑問の余地はありません。

しかし、選挙での惨敗、教祖の離婚・再婚、世間での「イタコ芸」という呼び名が定着した陳腐な霊言の連発、またその中でなされる反社会的、破壊的発言の数々と、教祖が既に取り繕いようもないほど崩壊しているというのに、最盛期に比べれば半分以下の、実質的には発足当初の勢力にまで減退しているとはいえ、こんな状況でなお追随しようとする信者の心理は、一般的に理解しがたいところでしょう。


先の文章には、グルに対比した信者の心理についても述べられているので、引用を続けて考えてみましょう。

336アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:39:46
>>335

結局、宗教的カリスマも政治的カリスマも、自らが聖者や神となる以外には救われないほどに、誇大に膨らんだ自己愛を抱えた存在だと言える。

矮小な自己愛しかもたないものにとって、見かけ倒しに過ぎないとしても、自信と確信に満ちて「真実」を語るものは、強烈なインパクトをもって迫ってくる。

そして、自分もまた特別でありたいと願いながら、しかし、何の確信も自信ももてない存在にとって、「真実」を手に入れたいと語る存在に追従し、その弟子となることは、自分もまた特別な出来事に立ち会う特別な存在だという錯覚を生む。(霊的覚醒という感覚)


その錯覚のまやかし性は、グルが特別な存在だと信じることによって、自分も特別な存在だと証明されるという構造によって支えられている。

グルが、聖者などではなく、聖者のふりをしたペテン師だということになってしまうことは、グルが特別でなくなるだけでなく、自分のまた、ペテンにかかったただの愚か者だということになって、何ら特別ではなくなってしまうことを意味する。

つまり自分が特別な存在でありたいという願望が、グルを信じ続けるしかないという状況に、その人を追い込んでいく。
それを疑うことは、自分が生きてきた人生を否定するようなものだからだ。

337アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:40:57
>>336

カルトに陥った人は、さまざまな理不尽さや矛盾を味わう。しかし、それを見て見ぬふりをする。
理不尽さや矛盾と向き合い、グルが特別な聖者だという前提を疑うことは、自分自身の存在の支えを危うくすることだからだ。
都合の良い事実だけを見て、グルを盲信し続けるしかない状況に陥っている。


そうした構造は、妄想性の精神疾患でも、しばしばみられる。
何年にもわたって、自分が特別な存在だという妄想とともに生きてきた人は、薬物療法によって妄想が、妄想だとわかった時、危機を迎える。それは、長年自分を支えてきた世界の崩壊に等しい。

もう何も頼りにするもの、自分を支えてくれるものもない。ただ、自分が何年も妄想にとらわれて人生を無駄にしたという事実しか残らない。それはあまりにも残酷な現実と向き合うことだ。
妄想が取れた時、自殺してしまう人もいるのは、そうした理由からだ。


それと同じように、自分が信じたグルが、偽物だということを受け入れることの困難さは、カルトや反社会的集団からの離脱を難しくする要因にもなっているし、そこから脱した後、一時的な危機がやってくる原因でもある。


宗教的なグルに限らず、肥大した自己愛をもつ他者にすがって生きようとするものは、みんな同じ目に遭う。
DV男性や反社会的男性の愛情にすがった女性は、暴力をふるわれ、搾取を受け、第三者から見れば愛情とは正反対のものしか与えられていない。にもかかわらず、彼女たちは、男が性交の最中に囁いた愛の言葉の方を信じようとする。

なぜなら、その男の支えがなくては、自分は生きられないと思い込んでいるからであり、どんなに酷い目にあっても、その男が悪い人だと思うことは、自分の拠り所を失うことを意味するからだ。

「マインドコントロール」(文藝春秋)

338アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:42:09
>>337

グルに心理特性があるように、信者にも心理特性があります。
>>192->>207の「ダブルバインド」の中で、それを「メランコリー親和型」と指摘しました。


このメランコリー性格の持ち主というのは、自分より以上の対象、信者の目線で言えば教祖や教団に対して自己を合体させ、一体化を起こすことで安定し、教祖や教団の信条を自らの信条とし、対象に対して献身的で忠実であることに生き甲斐を見出します。


これはメランコリー性格の、元々やや主体性が動揺しやすい傾向によって、自己に対する確信を持ちきれず、妥当な自己評価として自己を肯定的に捉えることができないための、自己評価を保証してくれる他者への承認欲求の強さから成り立っています。


その関係性は実質的に依存であり、自分の身体、人生の全てを投入し、その一体化した共同体の中で、道徳、価値観も共有するようになっていくわけですが、それが過剰となるところに危険が潜んでいます。


道徳心や良心の形成に役立つ、発達過程における本来的な価値観の「摂取」とは異なり、こうした不安を背景にした他者からの価値観の「摂取」というのは、主体性を容易に喪失させ、委縮していた自我を肥大化させて、さらには自他の未分化な態勢へと人格を退行させるのです。


そして、その依存する対象や帰属する集団が人畜無害であれば、さほど問題はないのでしょうが、ここで自己の凝集性や調和の達成が危機にさらされると、不可逆的な自己の解体感を体験させることにつながり、自己障害の状態を生み出すことになっていきます。


主体性が動揺しやすく常に不安感を抱いている状態ゆえに、対象に帰属し一体化を起こすことで安定を得ようとする過程では、程度の差はあれ、自己がバラバラな分裂した状態に退行していく、「断片化」と言う自己の構造上の変化が進行しています。

339アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:43:14
>>338

自己の断片化というものは、通常は自己評価の喪失、空虚感など、激しい抑うつ不安をもたらします。

けれども、「寄らば大樹の陰」とばかり、類似性を受容してもらえる教団などの組織に参画していることによって、かりそめでも凝集性のある自己の構造を維持し続けることができているわけですが、そこで大きな挫折、失敗、葛藤と直面してしまったとき、それまで目を逸らしてきた断片化の局面にさらされることになります。


自分と一体化していた対象を失うことは、その対象と一体化していた自分をも失うこと。居場所を失うことは、即自己評価の低下を意味し、自己が凝集している状態から、自己の構造が喪失した状態へ退行し断片化していく、その主観的な自己喪失体験は、自己の死の感覚にも似た耐え難いものであるため、自己組織を維持し、断片化した状態に陥るのを避けようとした「行動化」が始まります。


自己喪失による無感覚に陥る体験を退け、自己評価を押し上げるには、環境に無理やり働きかけて、自己対象体験が供給されるよう操作しなければならず、この際の「行動化」は、絶望的な自己刺激の様相を呈します。

そして、浪費、性的倒錯、ギャンブル、薬物やアルコール依存、非行、様々な奇行など、それら狂乱めいた行動は、やがて敵対的で、反社会的な性質を帯びるようになります。


教祖ばかりでなく、職員や信者の姿に表れている症状、特にカルト末期にそれらが先鋭化する理由は、こうした作用によるものです。

340アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:44:25
>>339

また、ここまでの自己崩壊からは免れても、他に自己対象を探し求めて分派活動に傾倒するなど宗教難民化したり、或いは「モラトリアム人間化」する方向もあります。


精神医学の小此木啓吾氏は、「自分自身を常に仮の自分と思い、本当の自分は、どこか別のところか、これから先の未来にあると思う。一時的、暫定的な状態に身をおき、予期される変化への適応にそなえ、何事に対しても当事者になることを避け、どんなかかわりもそれが深まりすぎて傷つくことを恐れる」と、モラトリアム人間を定義しています。


現実から目を背けて、ニューエイジなるものに縋って再評価を夢想するとか、仮に今をご破算にしても、法を継ぐ者、再編纂をする者が現れるとか、場合によってはモラトリアムが時空をも超越して続くことがあります。

それらは、ジレンマに巻き込まれる傷つきや、錯覚的な自己喪失による絶望状態を恐れるあまりの、モラトリアム信者が、対象喪失―本質的には自分自身とー向き合わないで済むように編み出した幻想です。


悲しみを悲しみとして受け止め、苦痛を苦痛として味わい、対象喪失がもたらす、後悔、罪悪感などの様々な思いと、静かに、ありのままに対峙するプロセスを助けるのが、そもそも宗教の存在意義のひとつであったと考えられますが、カルトは逆に、その「悲哀の仕事」を最後まで達成することを妨げ、躁的防衛に逃避する心性を強化するのです。

341アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:45:36
>>340

防御機制 (defense mechanism)は、本来自我を崩壊から守るための成熟したメカニズムですが、同時に、防御機制が過剰に働いたり、自我の防衛に失敗することが、不安障害や精神障害の発症機序にもなっています。

躁的防衛が常態化し、それに過剰に適応してしまって、脳が過労状態となって思考力が低下しているのに、自覚できていないままイタコ霊言を連発し、またそれに追随していくのが、幸福の科学の教祖と信者の実情です。


自我が脆弱で、自己愛傾向が高く,社会不適応に陥っている様子そのものは同じで、自ずと信者は教祖の劣化コピーと言われるのもそのためです。


事実の気づきによって自ら覚醒する人たちの層は、もうあらかた離脱を済ませていて、現存するのは、自らに無批判なままの大川同様に品性が劣化した者たちであるとすれば、もう救われる余地がないようにすら見えます。

実際それは困難で、社会復帰を目指すなら、これより先は専門家の協力なしには、具体的な方策を打てない領域に入らざるをえないでしょう。
それでも、わずかな希望だけは失われることはありません。

信者が教祖の劣化コピーで、教祖と信者が、教団という共同体を通じていかに一体化しているとしても、個体としての自我の発達度合いには根本的な違いがあり、そこにバランスを取り戻す可能性が秘められています。

342アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:47:06
>>341

教祖の劣化コピー、「信者は金太郎飴」とも揶揄される没個性化。
防御機制の過剰な働き具合、まさしく下衆の極みと言うべき破廉恥な教祖の言動や態度にも、なお従順な知性を見るにつけて、信者も何らかの自己障害に陥っていると考えられて無理もありませんが、但し、果たして信者も大川と同じ自己愛性の自己障害ということになるのかどうか。


「DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引」には、人格の偏りの傾向によって、3つのカテゴリ、10の類型のパーソナリティ障害の分類がありますが、但し、その偏りは連続的なもので、必ずしもハッキリと線引きできるものではなく、この区分が固定的なものというわけではないとされています。


教祖と信者を比較したとき、対人関係における過敏的で傷つきに弱い傾向は一致しているものの、教祖にある誇大性の誇示や共感性の欠如は、躁的防衛によらない、少なくとも退行する以前の信者の人格には、ほとんど見受けられません。


パーソナリティ障害の症状の連続性から、特徴の一致点と差異を合わせて考えると、臨床現場において、「自己愛性パーソナリティ障害」 (Narcissistic personality disorder)と判別が難しいとされる、同じクラスターB 群(dramatic type)に分類されている「境界性パーソナリティ障害 」(Borderline personality disorder)の可能性が疑われます。

343アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/01/01(木) 16:49:19
>>317->>342 (後段)

一般的に、境界例、ボーダーラインなどと言われる「境界性パーソナリティ障害 」が、「自己愛性パーソナリティ障害」と似た点が多く、明確に区別できないのには、それが自己愛の観点から分析したとき、自己愛が委縮したタイプの自己障害の側面があるからです。


そして、この自己愛の歪みの性質の違いは、両者の決定的な差を示しています。

「自己愛性パーソナリティ障害」の自己愛が、他者性のない(共感性のない)幼児的万能感からのものであるのに対して、「境界性パーソナリティ障害 」の自己愛は、他者性に対し委縮した矮小な自己からの防衛によるものであり、未成熟な段階のまま発達の停止した自己愛と、幼児化によるものとでは、人格の発達の階層が別になってきます。


障害分類の仮定に基づき、それを人格の発達段階の視点から検討すれば、教団内の、教祖を頂点にしたヒエラルキーは、そっくりそのまま逆転し、最下層、最深部に独り鎮座するのが教祖の大川隆法で、少なくとも信者は大川より上位に位置することになります。


見かけからすれば、教祖に心酔し、奴隷の如く従う者であっても、人格構造からすれば、足を引っ張られて発達を妨害されている状態であって、教祖から伸びて足に絡み付いたその触手を断ち切ることができれば、個人差こそあれ、持って生まれた命の浮力の働きによって、水面に向けてバランスを取り戻す道は、あくまでも残っているのです。


願わくは、一人でも多くの方に、そうしたチャンスが訪れることを。



【参考図書】

「ようこそ精神医学へ」(ミネルバ書房)
「臨床精神医学ハンドブック」(創元社)
「自己愛と境界例」(星和書店)
「対象関係論を学ぶ」(岩崎学術出版社)
「自己愛の構造」(講談社選書)
「マインドコントロール」(文藝春秋)
「対象喪失」(中公新書)
「対象喪失の乗りこえ方」(大和書房)

個人的には、小此木啓吾氏著「対象喪失」(中公新書)をお薦めしたいところです。
立場によって読み方はそれぞれですが、読みやすい良書だと思います。


今後は現存信者に関する以上に、カルトへの入信予防という現実的な課題をテーマに注力していきたいと考えています。

http://algorabarchives.blog.fc2.com/

(ブログ開設します)

344アルゴラブ ◆gNfxxWHnBY:2015/03/19(木) 09:59:12

お知らせです。

「カルト・霊感商法被害110番」

オウム真理教による地下鉄サリン事件から20年。
今も破壊的カルト宗教や霊感・開運商法の被害が発生しています。

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主催:全国霊感商法対策弁護士連絡会 
電話:03-3358-6179(火・木曜 11:00〜16:00)

※火・木曜以外の問い合わせ先
「東京共同法律事務所」
電話:03-3341-3133
弁護士:山口・木村・中川

以上

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その他、現時点で直ちに解決策が示されなくても、実態や被害の類型が蓄積されることで、この先に繋がる可能性があります。
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