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【今日】読んだ本と聴いた音楽をひたすら記録するスレ#4

84がぢろ:2004/01/18(日) 13:18 ID:VECoDtZE
ブライアンは私もピンときませんでした。
アーサー王伝説を茶化したホーリーグレイルは笑えるんだけど。ニッ!
Meaning of Lifeのクレオソートはいつ見ても(略)。
>>82の本にクレオソートの顔つけて現場を仕切るテリー・ジョーンズの写真があって笑えます。

パイソンのオフに昔参加してた時期、マニアックな人がテリーの講演会ききにいったそーです。
ウエールズまで行ったのかな。
テリー・ジョーンズはたまに歴史ものの番組に出てきますね。
十字軍の研究についてはけっこう著名だとか。
マイケルはよく本屋で著書のサイン会やってますね。
相変わらず「いい人」だそうですが。
サタデーナイトライブで楽しそうにやってるの見ると、もっとパイソンでいろいろやりたかったんだろうなと思います。

パイソンズはやっぱりテレビのほうが私は好きです。
年末大掃除しながらフォルティタワーズみてつくづくそう思いました。

85まつざき:2004/01/18(日) 22:26 ID:Rf3sN28o
 >>79でご紹介した『酒乱になる人、ならない人』ですが、昨日のことも踏まえて、さらにチラッとご紹介。

 アタシが一番、気に入ったのは、なぜブラックアウトするのかを、説明してくれているところでした(pp.146-156)。

 この本によると、脳において記憶中枢をつかさどる海馬がアルコールによってその働きに抑制を受けることがブラックアウトだと説明されています。

 脳内ではシナプシスの長期増強という現象によって記憶が形成、保持されていくということですが、記憶形成の働きに必要なCAIという領域がアルコールによって活動が抑制されるそうです。さらに内側中隔から海馬に向かって1秒間に6〜9回のリズムで規則的に刺激が送られているのですが(θリズム)、このリズムも抑制される、と。

 こうした一連の抑制の結果、海馬の神経細胞がその働きを失い、長期増強という現象がおこらなくなり、記憶を形成することができなくなった状態がアルコールによる一過性全健忘(ブラックアウト)だと。

 しかし、海馬の働きが抑制されても、言語中枢は働いているかせ楽しくしゃべることはできるし、空間的に認識をつかさどる中枢は働いているから、家に帰ることもできる、と。

 そして、こうしたアルコールによる海馬の機能抑制を防止する物質(クロシン)が発見されていて、動物実験まではOKだとうことです。

 いや、マジでこのほかも勉強になりますから、酒飲みの方は一冊、ぜひ。

8618号:2004/01/18(日) 23:43 ID:iMoxs9b.
>>85
うーむ・・・ 一応読んでおこうかなあ。

でもブラックアウトって人によってずいぶん差がありますよね。
私はしょっちゅうだけどコイケサンは結構飲んでも全部覚えてるそうです。 ナンデダロ?
ま、私としては大助かりなのでいいんだけど。

関係ないが「ら」と「せ」を打ち間違えるのはカナ入力ならではですね。

87鞠6番♀:2004/01/19(月) 07:39 ID:rcBLaD9w
にいやん、ありがとう…読みます⊂⌒~⊃。Д。)⊃

88まつざき:2004/01/19(月) 10:49 ID:qLnHrf8o
>>86
それは、アル中に関するふたつの遺伝子多型によって説明できる、とこの本では書いてありました。
ひとつは血中アルコール濃度の上昇が早いか遅いか決まる遺伝子。もうひとつはアルコールの分解が早いか遅いか決まる遺伝子。

つまり、血中アルコール濃度の上昇が早く、分解が遅い人はアル中になりやすい、と(日本人では1/6の確率)。
一方、血中アルコール濃度の上昇が遅く、分解が早い人はまったく酔っ払わないけど、肝硬変など肝臓への負担が重くなる、と。

とにかく、クリアカットに説明されすぎている感じはするけど、新書だし安いから、ぜひ。

89まつざき:2004/01/20(火) 00:39 ID:42H32QpI
なんか、三谷幸喜脚本ということでチラッと見た『新撰組!』が面白かった
ので、フト、司馬遼太郎さんの作品で読んでなかった『燃えよ剣』を読むこ
とに。バカ面。

ふーん、『燃えよ剣』って土方歳三が主人公の話なんだぁ、みたいな。

90どとねと:2004/01/20(火) 02:48 ID:gup/0o7o
ハイビジョンでやってるから録画してまつ>新撰組!

91ひみこ:2004/01/20(火) 09:47 ID:cQ/ozZVs
>>89
我が家も同じ流れですw

92まつざき:2004/01/23(金) 15:52 ID:atsJmKOc
『歴史学ってなんだ?』小田中 直樹、PHP新書
東北大学の若手の助教授が、かなり分かりやすくつーか、くだける寸前で「歴史学って結構面白いんでひとつ一般の方々もよろしく」と腰を低くして語りかけるような良書。
啓蒙書でも学者さんが書くと「オレがオレが」とつまらぬ新説を中心に資料をブチまけるような場合が多いけど、この人の場合は、自分の主張は抑え気味にして、面白歴史本のブックガイドをするような感じで、歴史関係の良書をどんどん紹介しつつ、記述を進めていくのがうれしい。人柄なんだろうか。贔屓にすることに決定。
この本のおかげで、『青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年』良知 力、『路地裏の大英帝国―イギリス都市生活史』角山 榮ほか編、『動物裁判―西欧中世・正義のコスモス』池上 俊一などを知ることができ、すかさずAmazonで注文してしまった。こういう、中途半端な古い本を捜そうとすると、昔は神田で半日かけなければならなかったけど、いまじゃ、Amazonユーズド市場からすかさずゲットできるのは本当にありがたい。
内容的には1)歴史学者の仕事はどんなもんなんだろうということを塩野七生さんの『ローマ人』の仕事を批判しながら紹介していき2)果して歴史の真実というのは確定できるのかという問題を従軍慰安婦問題を通して考えていく―みたいな構成。どちらも、非常にバランスがいいというか、逆にいえば物足りないけど、筆者の「コモンセンスを大切にしたい」という主張もわかる。
なんか、久々に新しいジャンルの本をいろいろ読めそうな気がして嬉しい。ぜひ。

関係ないけど、これから塩野七生さんの『ローマ人』は批判がかなり出るたろうな、と思った(おいらもAmzonのブックレビューに批判を書いてしまったら、けっこう『参考になった』という票をいただいていたりして)。

93まつざき:2004/01/24(土) 13:44 ID:GNGVaf7c
『「ならずもの国家」異論』吉本隆明、光文社
 久々の吉本さんの本。イラク戦争、拉致問題などを語っています。まあ、もうお年だから、言うことに新味はなくなっちゃっているし、前にも書かれていたことだなぁ、と思うのですが、それでも、なつかしく読みました。

 拉致問題では、北朝鮮は明治以降の民族虐待を持ち出せば帳消しになると思っていたし、日本でも拉致だ拉致だと大騒ぎすれば向こうから反論されるだろうということで、問題が長引いたと指摘しているのは「そういえば忘れていた見方だなぁ」と思いました。

 後は最近の持論ですが、「宗教自体が発達していく、あるいは文明が進んでいくと、そうした宗教は法律になったり、国家になったり、国の政権になったりします。宗教が法律や国家に変容・転化するわけです」(p.88)という文脈の中で、イラク戦争を見るところ。

 実はこの本で文章として一番素晴らしいのは「まえがき」でして、アフガンからイラク戦争までの問題は「国家と宗教が分離していてその間に産業が介在している高度な文明国家と宗教とが未分化のまま融合している後進的な共同体とが、宗教や文明を異にし、社会段階や利害を異にしているため、この紛争は起こっていると言ってよい。-中略-宗教と共同体が未分化のまま直接に一体となった共同体国家と、宗教が民族国家として宗教発達史の最終段階にある国家との対立を基底している姿だともいえよう」というところでしょうか。

 ということで、最近のモチーフである「宗教なんていうのは仏教もキリウト教もイスラム教も全部同じ」「宗教が高度になったのが国家」「ただしその国家には段階がある」という三代噺につながっていきます。

94鞠6番♀:2004/01/29(木) 20:58 ID:mQUoUZM6
>にいやん
>>79 読み終わりますた。
へ〜なるほど〜ってべんきょになったよ。
だからと言ってヨパラーイに変化はないわけでつが…w
おもろかったです!

95まつざき:2004/01/30(金) 17:57 ID:zdKeDjKg
『アメリカの大学院で成功する方法―留学準備から就職まで』吉原真里、中公新書1732
日本の大学を出た後、アイビーリーグのブラウン大学の大学院で博士号を取得、ハワイ大学に職を得て、テニュア(tenure、終身在職権)までかちとった帰国子女である筆者が書いた、アメリカの大学院で生き残る方法。

日本でも外国でも大学に職を得ることはどんどん難しくなってきています。海外での博士課程取得の苦労本なんかでは『ウィーン愛憎』中島義道なんかがすぐ浮かぶけど、この『アメリカの大学院で成功する方法』はカラッとしたハウツー本みたいな感じで、「おいらも頑張れば」みたいな感じを与えるのが怖い(『ウィーン愛憎』なんかはヤダヤダみたいな読後感とは大違い)。

とにかく、あっけらかんと英語を母国語とせず、甘々の学部教育しか受けてこなかった日本人留学生が、「死の大学院生活」をサバイバルできるかを解説している。ぼくが知らないだけだったのかもしれないけど、博士課程修了を最初から目標にしていた方が、修士課程からのステップアップより、大学から得られる援助が大きいとか、ABD(博士論文を残すだけとなった状態)までの勉強方法と、博士論文の実際の書き方(指導教授とのネゴの仕方なども含む)、論文にメドが立ってからの就職活動のやり方、大学に籍を得てからのテニュアのとり方まで、実にアメリカンというかシステマチックに書かれていて圧倒される。

毎日、1冊の学術書を読みこなすコース・ワーク(修士課程)の激しさは凄いなぁ、と思うけど、原語で素早く読んでいくためのアドバイス(書評を読めというなんとも実際的な対処方法!)は「ふーむ、やっぱり」と参考になったし、第5章の研究論文の書き方は特に懇切丁寧。指導教授陣(修士でも複数の教官が面倒みてくれるのですが、博士課程でも、もちろん複数)を選ぶ際には、執筆期間が数年に及ぶ博士論文を書かなければならないので、執筆を励ましてくれるような「モラル・サポートを充分に提供してくれる教授を一人は入れておきたい」(p.111)というあたりは女性ならではのきめ細かな指摘だと思う。

まあ、大学院などに入りなおして研究生活に戻ることや、博士課程への再チャレンジを密かに狙っているような人も、けっこう励まされるし、参考になるので、ぜひ。

『私小説 from left to right』水村美苗、新潮文庫なんかも読んでみようかな、とか思った。

.........

>>94
なかなか「ふむふむ」だったでしょ!実際の「明るいアル中ライフ」wを知りたい場合には『今夜、すべてのバーで』中島らも、講談社文庫が絶対のお奨め。だまされたと思ってぜひ。

96鞠6番♀:2004/01/30(金) 20:57 ID:mv3OR52g
>にいやん
らもさんの本は一時期結構読んでますた。
「今夜〜」も読んだはずなんだけどガンジャの本と記憶がごっちゃになってるかも…
いずれにしても、そーゆー状態wで読んでるから過去の反省ついでに読み直してみまつ。

97まつざき:2004/02/02(月) 00:17 ID:1brgNFVo
 ウィーンの3月革命というと、トホホな革命劇といいましょうか、ヨハン・シュトラウスが皇帝派である父の「ラデツキー行進曲」に対抗して、「革命行進曲」なんかを作っちゃうみたいな、全体的には多少は死者もでたことは出たけど、フランス革命ほど犠牲者が多くはないかったし、なんとなく終結してしまった、わけのわからない革命劇みたいな感じがしていました。

 だいたい、無能だけど「善人フェルディナント」と呼ばれた皇帝がメッテルニッヒが打倒された3月革命の真っ最中に市内をまわることで、革命派の市民から拍手喝采を浴びて、憲法を発布しちゃうみたいなのもよくわからないけど笑える(結局、この皇帝は途中でウィーンを脱出して、最後は革命派を攻撃するのですが)。

 そんなウィーン革命を描いたのが『青きドナウの乱痴気』良知力、平凡社、1958。

 ウィーンはオスマントルコに包囲されたときの教訓から、二重構造の壁によって守られ、外側のリーニエと中心部の中間地帯は緑地化されている、みたいな構造から説明され、そのクーリエ外に住まざるをえなかったプロレタリアートと、生活をするために売春のアルバイトをせざるを得なかった女性たち、そして学生たちというウィーンの最底辺の人たちが、最後の最後にウィーンを方位する皇帝派の軍と戦うみたいな悲しさは伝わってくる。

 当時40万人といわれていたウィーンの人口の1万人〜2万人は春をひさいでいた(p.194)みたいなトホホな統計なんかもいっぱい入っていて、人間喜劇としてのウィーン革命の乱痴気ぶりが門外漢にも楽しく理解させてもらえます。

 著者の良知さんは一橋のマル経から派生した社会思想史の教授で、この本が遺作。つか、あとがきでガンと知りつつ最後の力を振り絞って書いたみたいなことを書いていて、なかなか立派だな、と。ウィーン留学時代に親しくなった明るい身障者のグレーテが、悲しいことがあっても、シュトラウスを聴いて呑み込んでしまうみたいなことを書いて「万感の想いはグレーテにならってグイと喉から呑みこんでしまおう。シュトラウスが聞こえないのが残念だ」と筆をおきます。

 なぜシュトラウスが聞こえないというと、たぶん病室で書いていたんじゃないかと思うのですが、とにかく、この後、2週間で良知さんはお亡くなりになるそうです。ここら辺は>>92の『歴史学ってなんだ?』小田中直樹が書いていて、それで読みたくなったんですが、今でも平凡社ライブラリーで現役ですから、ひぜひ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582760244/qid=1075648253/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-9285786-3815524

 にしても、途中で、クロアチアからの傭兵が皇帝軍ではとても怖かったみたいなことが書かれているんですが、当時からロクアチアは、男のマッチョぶりが有名で、しかもわりと反動勢力みたいなのと手を結んで独立をかちとろうみたいな作風でやってきたのかな、みたいなことがうかがえて面白かったかな(クロアチアは、ナチスと結んで独立したりする)。

98マグロ:2004/02/04(水) 00:31 ID:muVjv5kU
兄やん家から半ば強奪した(兄やんサンキュー)

フェルナン・ブローデル「地中海」(フェリペ二世時代の地中海世界)

やー面白い面白い。
借りたのは第1巻の「環境の役割」だけなんだけど、
ヨーロッパ南部にマラリヤがあった(ある?)ことや
ミストラルという言葉が季節風だったこと(南仏で冬に吹く北風)
を初めて知りました。

惜しむらくは、イスラーム圏に対しての偏見なんだけど、
それを意識しなけりゃ全くもっての良書。
誠実であろう資料走査と、彼の前時代までにおける一国史全盛時代に風穴を
あけた功績はやはり大きい。いま読んでも全然面白い。

あ、ついでに言うと、一節の文章量が少ないので、ちょい長めの通勤されている方
にもいい感じです、この本は。漏れはその長所を最大限生かしてまつ。

99まつざき:2004/02/08(日) 13:51 ID:cN3DqjBQ
『異形の心的現象―統合失調症と文学の表現世界』吉本隆明、森山公夫
 精神分析医で『統合失調症―精神分裂病を解く』ちくま新書で、独自の統合失調症(精神分裂病の言い換え)に関する理解をまとめた森山公夫さんが、古いつきあいの吉本隆明との対話をまとめた本。
 最近、吉本さんがとみに高い評価を与えている中沢新一さんの仕事について「精神の考古学」(p.53)と評価して、昔の人が何を考えいたのか、人間は何を克服して現在に至っているかのはチベットの坊さんの言うとおりに修行するより「手段がないというか、手だてがない」(p.55)と語ることです。吉本さんはずつとヘーゲル、マルクスの系譜で世界を理解しようとしていたと思うのですが、ホモサピエンスから旧石器時代までの間にボーッと考えていたことは世界史の中に入ることはないんだというヘーゲルの分析は限界があるとハッキリ語っているところには「ついに『最後の隆明』が始まっているのかな」と思いました。
 一章は『夏目漱石を読む』の焼き直しだし、三章の四次元的文体は掘り下げ不足で納得感が乏しいけど、この二章は秀逸だった。

 そして、カスタネダの文章に感心したと語る最後の補章「僕のメンタルヘルス」では「『段階』という考え方はヘーゲル、マルクス流の良いところだな、捨て難いものだなと思いますけれども、野蛮、未開段階のものの考え方と西欧近代を頂点とした文明観とを考えると、この頃、こっちの方が根本的なことを言えているよという気になるんですね」(p.185)という言葉は、80年代以降『アジア的』『アフリカ的』という思索を続けてきた吉本さんの結論めいたものがうかがえて興味深かった。

 この「段階という考え方以外には未開の思想に深さの点でヘーゲル、マルクスは及ばない」という言い方は、吉本さんにいわせれば親鸞が最後に到達した「不存知」(浄土に行けるかどうかなんて知っちゃいねぇよ)に通じると思います。

 しかし、吉本さんは力が衰えているんですしょうか。それともテープおこしした人間の力量不足なんでしょうか、いくつか論旨が不明確なままなところがあったのが残念。森山理論に関して「やったな」(p.75)と書いているんですが、ちっとも「やったな」感が伝わらないところ、最後の「原生的疎外」のところがあいまいなまま終わっているところは残念だった。

 あと三木成夫『胎児の世界』にふれて、哺乳類から唇を使った「マ」音が発達し、爬虫類の口蓋を使った「カ」音とは区別されるという部分の引用とともに、言葉は他人に対して自分の意思を伝えることも重要だけど、自分を確認する意味合いをもっと強調してもいいんじゃないかというところに新味はあったかな(p.71)。

100まつざき:2004/02/08(日) 15:07 ID:cN3DqjBQ
『路地裏の大英帝国―イギリス都市生活史』角山榮、川北稔編、平凡社

 『歴史学ってなんだ?』小田中直樹に紹介されていて読んだ2冊目の本。
 
 産業革命は人々の生活をどう変えたのか。9人の学者が淡々と専門分野について書いたアンソロジー。こうしたアンソロジーは、えてして焦点がぼやけてしまい、一冊の本としては印象が残らないものだが、「生活社会史」の研究メンバーの仲が良かったのか、それとも、データを集めて、特に分析するでもなく、それをそのまま提示するという手法が学者さんの肩をこらせないのか、全ての章が楽しめた。

「1 都市文化の誕生」は「ロンドンのような都会では、コーコーハウスや呑み屋、小料理屋、屋台などが十分発達していて、外食生活さえ不可能ではなかったのである」。「2 家庭と消費生活」では「婦人を中心とするブルジョワ的消費生活の展開は、家事労働からの解放にともなって、音楽、美術、手芸、文学、スポーツなど文化への領域へ拡がってゆくのである」という最後の部分が面白かった。

 また「3 白いパンと一杯の紅茶―庶民の食べ物」では、加工食品へのまがいものの混入が産業革命当時から問題にされていたというのを始めて知ったし、「4 病気の社会史―工業化と伝染病」の「古来、人びとは、戦争と不慮の事故によるのでなければ、まずたいていは病死をもってその生をまっとうするのが常であった」という簡潔な指摘に感心した。「5 いざというときに備えて―保険金幼児殺人事件」では、パブなどを拠点とした友愛会組織が発展したのが保険制度であることや、その当初から医療保険が主な目的のひとつだったということ。そして、保険金目当てに自分の子供を殺すという犯罪が制度の設立当社からあったことなどは人間というのは所詮あまり変わらないなという気分にさせてくれる。

 「6 ヴィクトリア時代の家事使用人」では、使用人が19世紀の「当時のイギリスで最大の職業上のグループを形成していた」(p.150)というのは知らなかった。「7 地方都市の生活環境」では産業革命がいかに地方都市ほ破壊し、またそうした状態からいかに復活していったかが描かれている。

「8 リゾート都市とレジャー」では、温泉から水浴というレジャーの流行の移り変わりを描き、入浴の代名詞ともなっていたバースの凋落も模様も興味深い。最後の「9 パブと飲酒」では、昼間からビールを何パイントも飲んでいた労働者の生活ぶりも興味深いし、効率化を求めてすぎた路線は長続きせず「人びとがパブに本当に求めるものをついにみたすことができなかった」という指摘は納得的。

これも平凡社ライブラリーで現役

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582763812/qid=1076217048/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-8292919-5713011

101まつざき:2004/02/13(金) 07:05 ID:HMIWzDFA
『動物裁判―西欧中世・正義のコスモス』池上遼一、講談社現代文庫

 大きく第一部「動物裁判とはなにか」、第二部「動物裁判の風景―ヨーロッパ中世の自然と文化」に分かれるが、圧倒的に面白いのは第一部。

 幼子を食い殺した罪で法廷に立つブタ、破門されるミミズやイナゴ。しかし、意外にもそれらを弁護する法学士はモグラの安全通行権や毛虫の居住権までも勝ち取るという史実のバカさかげんに圧倒される。そして、圧倒的に多かったであろう獣姦罪の数々。獣姦罪で有罪となった人と動物はほとんどの場合、炭になるまで焼かれ、裁判記録も不浄のものとされて同時に燃やされるかしていたのに、それでも残っている数々の記録は、獣姦がいかに多かったかをうかがわせるという。

 ここまでワクワクさながら、新書という構成上しかたないのかもしれないが、第二部は尻すぼみ感がいなめない。

 実は中世において本当の意味でのルネサンスや産業革命はなされていたのだという、今日では主流派の考え方にのっとり、人間と動物(自然)を対等と見てという精神が出現した重大さを指摘する。本来恐るべきものであった森に代表とされる自然が、農業の発達とともに、人間が征服し始めることによって、人間の従属物へと変化していく。動物裁判とは、そうした時代の過渡期に現れた現象であるという指摘は、べつに合っていてもあっていなくてもつまらん。

 これも『歴史学ってなんだ?』小田中直樹に紹介されていて読んだ本で、3冊目。

102まつざき:2004/02/13(金) 07:20 ID:HMIWzDFA
中沢新一さんのカイエメソバージュが『対象性人類学』でいよいよ完結しましたね。昨日買ってきて、今日から読みます。
にしても、沢木耕太郎さんの『杯』って、サッカー関係の人たちからは無視されているんだろうか…。おいらも、チラと立ち読みして「いいや」とか思ったけど、あまり誰も読んでないんなら、いつか読もうかな、と。

にしても、サッカー本、いいのが最近、出てないよぉ…。

103まつざき:2004/02/17(火) 12:11 ID:1/Qok1Xw
『ただ栄光のために―堀内恒夫物語』海老沢泰久、新潮文庫
個人的な話で恐縮ですが、アタシの場合、ものごころついたあと、最初に好きになったピッチャーは堀内でした。155km/hは出ていたといわれるストレート。そして、空前絶後という言葉がこれほどぴったりくるようなものはないほどのカーブ。

直木賞の海老沢泰久さんが、多くの関係者にインタビューしてまとめた本ですが、堀内が巨人の監督になったことから、新潮文庫から再び出ました。

デビューした年の44インニング連続無失点はルーキーとして誰も敗れないだろうし、ルーキーイヤーに記録した勝率.889(16勝2敗)はオールタイムのセリーグ記録としていまも残っている。さらにピッチャーとしての3打席連続ホームランとか、輝かしい記録ばかりが思い出させる堀内。

にしても、まだサッカーライターでは海老沢泰久さんクラスの人はあらわれていないよな…。

アタシも草野球やっていて、ベンチからマウンドに上がるとき、白線をすごくキレイだと思うし、それをまたぐとなんかピッチングが始まるという感じがするのですが、こうした気分をここまで書いてくれた海老沢さんの筆力は素晴らしいと思う。

「堀内は三塁側のファウルラインをスパイクで踏みそうになって、ひょいとまたいだ。グラウンドに引かれた白線を平気で踏む選手がいるが、彼にはそれは信じ難いことだった。誰かが踏んづけるのを見るたびに、どうしてあんなきれいなものを踏めるんだろうと思わないわけにはいかなかった」(p.19)

104まつざき:2004/02/22(日) 00:17 ID:OpUseMk2
『対称性人類学  カイエ・ソバージュ第5巻』中沢新一、講談社選書メチエ
 2年半かけて一応の完結をみた『カイエ・ソバージュ』全5巻において、中沢さんは一貫して「現生人類の知的能力は三万数千年前におこったと考えられる、大脳組織の飛躍的な変化以来、本質的な変化も進化もとげていない、という現代の認知考古学の見解を支持する立場に立ってきました」(p.24)と述べています。その進化とは「ニューロンの接合様式の革命的な組み換えによって、それぞれの領域で特化して発達していた認知領域を横断的につないでいく通路が形成され、そこで流動的な知性が運動を開始した」(pp.74-75)ことです。そして、現生人類こそが無意識をもって地上に出現したヒトであり、心の本質をかたち作っているものが無意識なのだ、というのが5巻目の主題となります。

 以前、中井久夫さんの『清陰星雨』(2002、みすず書房)を読んでいたら、新約聖書のパウロの手紙で面白い解釈が紹介されていて、それによると英語のconscienceをはじめ、フランス語、イタリア語、スペイン語は「良心」と「意識」が同じ言葉だそうです。西欧の精神医学は「無意識」という概念を認めるのに反発を覚え、無意識に行動が左右されるということは耐えられなかったのかもしれないと、中井さんは書いているのですが、中沢さんは「仏教のような思想伝統では、それは『無意識=意識がないもの』とは言わずに、いつさいの心的現象の基体をなか『心そのもの=心性』なのです」(p.77)として、仏教の可能性を追求していきます。

 現代の思想に神話的思考が敗れ去ったいま、残されているのは「言語的な知性が発生するのに必要な『原初的抑圧』のシーンを、ことさら古代に取り上げて強調する宗教とは異なって、むしろこの『原初的抑圧』の向こう側に広がる、流動的知性の働きの中に踏み込んで、その働きを開花させて、ふつうの論理で動いている世界にその働きを持ち込んで、世界を変えようとする思想である」(p.178)とまで宣言するのです。p.148-151に記されたネパールで経験したチベット仏教の修行で経験し、殺される山羊を自分の母親であると観想し、山羊との同質性を感じて激しい感動におそわれたというシーンは、もしかして、この本のクライマックスなのかもしれない。しかし、中沢さんは仏教は宗教などではなく、思想である、とするのです。

 これから、中沢さんの「最後の仏教」の探求が始まるのかな、と楽しみにはなってきます。

105まつざき:2004/02/25(水) 12:56 ID:SbrpguUI

『理想のフットボール敗北する現実』大住良之、双葉社

名著。時間がない人は最後のミッシェル・イダルゴのインタビューだけでも読んでほしい。

おおざっぱな内容は、現在のレアル・マドリー、74年のオランダ代表、82年のブラジル代表、プラティニ時代のフランス代表という4つのスーパーチームに関する詳細なレポートというもの。なーんだ、と思う人も多いと思う。それほど、この4チームに関しては書かれてきたからだ。でも、様々なディテールが盛り込まれていて、飽きさせない。ぼくが知らないだけなのかもしれないが、アヤックスはユダヤ人が援助していたチームだったのでナチス時代にはスタジアムが破壊されたとか(p.68)、野球少年だったクライフがキャッチャーとしてメジャーリーグを目指していたとか(p.74)、バルサに去ったミルケスに代わってアヤックスのコーチとなったコバチはバスケットを参考にプレッシングの概念を思いついたとか(p.86)、オランダ篇だけでも頁を折った箇所はたくさんある。

それと改めて「そうだったなぁ」と思い出すのは、82年のブラジルもフランスも、攻撃的なミッドフィルダー4人で中盤をつくる形は、偶然に生まれたということ。ブラジルの場合は強力なFWがいなかったから、W杯初戦の後、FWをひとり減らして4人を決めたわけだし、フランスの場合も、プラティニがケガした時に代役でつかったジャンジニの出来があまりにもよかったから「プラティニ、ジレス、ティガナ、ジヤンジニ」の4人同時起用をイルダゴが賭けとして行なったものだ。どちらも4人同時起用の初戦がスコットランド、北アイルランドという力がやや劣るオーソドックスなチームというやりやすい相手だったということもあり、爆発的な効果を発揮して、以降、定着したわけだが、こうしたディテールは改めて指摘されないと忘れていたな、と。

それにしても、最後のイダルゴのインタビューは素晴らしい。2chではトルの取り巻きとしてしか思われているかもしれないけど、田村修一さんの語学力は素晴らしいんじゃないかと思う。だてに文芸春秋から本は出してもらえないな、と改めて感心した。

―― スペインワールドカップでは、やはりセビリアの話は避けて通れません。
イダルゴ きたか…。西ドイツ戦は今も心の傷だ。(p.265)

イダルゴ (前略)人生においては、好きなことだけをやればいい。それ以外は何をしてもメリットなどない。
―― メリットはありませんか?
イダルゴ ない。多くの人びとが、自分が選んだのではないかとをやっている。しかし君は、ジャーナリストになりたくてなったのだろう。すばらしではないか。(p.271)

など原文というか、イダルゴの話を聞いてみたくなるような素晴らしい翻訳だ。

最後は、ジーコの師である、テレ・サンターナが親善試合のソ連戦で破れたとき、非難を受けて答えた言葉を紹介して終りたい。

「プレーヤーたちの能力に疑いはない。相互理解が深まればすべてよくなるはずだ」(p.142)

これはジーコも言いたいことだと思う。

106まつざき:2004/02/27(金) 01:23 ID:zop05iXc
『杯 WORLD CUP』沢木耕太郎、朝日新聞社
 1月に出てから、コアなサッカーサイトで誰か、この本の批評を書くかな、と思ってチェックしていたのですが、結局、見つかりませんでした。ぼくも立ち読みで、2002年W杯の日本代表選手が発表される記者会見のくだりを読んだだけで「ちょっと致命的に勉強不足だ」と思って買わないでいたのですが、かといって、若い人たちが、沢木さんの本を完全に無視するのもひどいんじゃないかと思い、なかば義務感にかられて読みました。

 この本のキーワードは、もしかすると過剰な深読みかもしれないのですが、p.67の「非専門家」という自己規定です。親鸞が自分を「非僧非俗」と規定していましたが、沢木さんがわざわざ自分を「非専門家」というザラついた日本語で呼んだことは、遠く親鸞のことまで考えたんじゃないのか、というぼくには思えてまりません。「非僧非俗」という言葉には出家者の共同体である僧(サンガ)には属してはいないけれども、やはり俗でもない、という重層的な否定の中で自分をみつめた省察が込められています。同じように沢木さんの「非専門家」という言葉にも、本格的な戦術論や選手の技術については語れないけれども、日本語でスポーツジャーナリズムを切り開いてきた人間として、やはり触れなければならなかった、という意味さえ感じられます。

 出だしで沢木さんは23人のメンバー発表の席にトルシエ監督がいなかったことに腹をたてますが、これは、フランスW杯のとき、岡田監督に選手発表をやらせて、それがカズ落選という爆弾を含んでいたために、監督の本来業務にも差しさわりが出てしまったということを踏まえて、最終的なメンバー発表は協会が行おうという反省の上にたって行われたものです。それを知ってか知らずか、まあ、W杯は事実上、その日から始まったという形から入りたかったのかもしれないけども、コアなサッカーファンならば、ここの部分を読んだら「あとは推して知るべし」と本を置いてしまうことは十分考えられます。

 しかし、沢木さんは、個々のサッカーの試合を見るだけでなく、日本と韓国のスタジアムを「激しい移動」で往復し、朝日新聞が借りてくれた新村のワンルームマンションに泊まりながらヒートアップしていく様子を冷静にレポするのです。ワールドカップという熱にうかされた日韓両国を、まるで沢木さんが好きだったハードボイルド小説の主人公、リユー・アーチャーのように「入って、そして出て行き」冷静に書き留めるのです。

 沢木さんは日本代表がトルに負けた後の様子を「日本の選手たちのクールさは際立っている。もしかしたら、それが彼らの強さの淵源であったのかもしれないのだが」(p.243)と深いシンパシーをのぞかせながら分析します。その姿は、孤独な魂を抱えて、激しい移動を繰り返し、旅人としてワールドカップの一ヶ月を通り抜けていった沢木さんとどこかオーバーラップします。

 それにしても、ワールドカップから1年半たった後で、こうし本を出してもらえる沢木さんは幸せ者です。筆力だけで読ませます。ただし、06年のドイツでもサッカーのことを書くならば、もっと勉強してほしい。そして、ようやくできるようになったと最後に告白しているリフティングもうまくなっていてほしい。

107まつざき:2004/02/28(土) 01:45 ID:KeIyugBY

『ぽいち 森保一自伝』森保一、西岡明彦、アスペクト
 ベガルタでユニフォームを脱いだ、ドーハ組の中心選手のひとり、ポイチこと森安選手の自伝。誰からも愛されるキャラクターというか、テレビの画面からも誠実さが伝わってくるような選手でした。なくとなく、ドーハのことを考えていたら、新刊本であったので購入、聞き語りみたいな感じの文章なので帰りの電車で読了。

 長崎出身で小嶺監督が島原高校から国見へ移る時期に高校入学を決めなければならなかったけど、結局、長崎日大高校に特待生で入って、ほとんど中央では無名の存在で過ごした、というが彼らしい。高校の就学旅行は中国への船旅だったらしいけど、その船内で後に結婚することになる同級生と撮った写真がなんともいえない(p.52)。「ああ、こういうまっとうな人生もあるんだなぁ」みたいな。

全国大会への出場経験がない彼には大学からの誘いはなく、けっこう偶然に練習を見に来ていたオフトと当時のマツダの監督だった今西さんにひろわれる形で広島に。しかも、マツダの本社採用ではなく、マツダ運輸という子会社の採用だったというのも泣かせる(現在、この会社はマロックスって社名変更したんですが、結構何回もも取材に行った経験あり…)。オフト監督に代わり、たまたまサテライト(マツダサッカークラブ東洋)で守備的MFとしてプレーしていたのを気に入られ、トップチームに昇格。マンUへの短期留学なども経験しプロへの意識を高めていたときに、代表監督に就任したオフトから代表に呼ばれる、という経緯を書くとオフトと森安というのは切っても切れない関係だったのかな、と。おっかなびっくりで参加した初の代表合宿では、同室の凍傷にいじめられつつも、アルゼンチン戦でいきなり先発。いいプレーを披露して相手監督にも誉められてレギュラー定着とトントン拍子でドーハに向かって駆け上がっていくところなんかは躍動感があってよかったな。

 森安は若手に「試合前どうしても緊張して困るんですが」と相談されると「それはお前が試合のことをいろいろ考えて準備している証拠だ」と答えていたそうですが、なんと、その言葉は代表合宿で凍傷から聞いた言葉そのものだったそうです。

 肝心のドーハは「なにもかも記憶がほとんど飛んでしまっている」(p.120)ため、あまり詳しくないのは残念だけど、そこまでのショックとは知らなかった。ユニフォームを脱いだ現在、広島に戻って小学生を教えながらS級ライセンス取得に向けて頑張っているというのも好感がもてます。

108まつざき:2004/03/11(木) 07:48 ID:bsBE7sFc
花粉症はヒドイし、新刊本は面白いのないしということで、ここんとこ『胎児の世界』三木成夫を読み直したり、『統合失調症』森山公夫を読んでいました。あと、買うかどうか悩んでいた『ルバイヤート』オマルハイヤーム 、陳舜臣訳を買ったぐらいかな。

『阿片戦争』なんかの陳舜臣さんは、台湾出身。終戦末期、大阪外大時代に訳して筺底に秘していたルバイヤートを半世紀ぶりに公開したという内容。2400円というのが高いなぁとは思ったのですが、序文が泣かせる。時間のない方は序文だけでもどうぞ。酒姫(サーキー、お稚児さん)の修辞的な意味んかも書いている解説も、ペルシア語とかまつたくわからんあたしには蒙を啓れた話でした。

109まつざき:2004/03/13(土) 09:13 ID:DoWvY1Aw
『ルバイヤート』オマルハイヤーム 、陳舜臣訳

 『ルバイヤート』の翻訳としては、岩波文庫から出されている小川亮作さんのものが「外国の詩を日本語で表現したもののうちで、これにまさるものはない」(p.9)ほど素晴らしい訳業だといわれてきました。小川訳が世に出たのは1949年。しかし、大阪外語大学の学生だった陳舜臣さんは、戦時中さまざな想いもののとで、ひとり日本語訳を続けていたのです。

 本人は小川訳が出たからには「拙訳はもはや筺底に秘して、青春の思い出として封じ込めるべきだと思った」そうです。しかし、終の棲家に引っ越すことになり、手伝いにきた編集者の目にとまり、今回、出版されることになったそうです。

 陳さんは台湾出身。日本の大学で学んではいましたが、学徒出陣から逃れることができ、台湾出身者に徴兵令が施行された1945年には適齢期をオーバーしていたということもあって、なんとか戦争の時期を乗り切ります。しかし、命の心配がなくなったものの、台湾が中国に返還され、日本国籍を失うこととなり、国立大学での職を得ることが不可能になってしまうのです。私立大学に職を求めようにも、インド語やペルシア語学科などはなく、一度、台湾に帰ることとなりす。

 しかし、そうした間にも「ルバイヤートを写した紙片はつねに私の身辺にあ」り(p.8)「ペルシア語の原詩は筺底に秘したといっても、私の脳裏にあるのだから、ときどき口を衝いてでてくることはあった」というのです。この序文には感動しました。

 肝心の翻訳ですが、50年前の日本語といいますか、古めかしい表現は「その時代のにおいを尊重」するということで、そのままにしてあるそうです。

 一番好きな詩を小川訳と比べてみても、その古めかしい感じはよくわかります。

この道を歩んで行った人たちは、ねえ酒姫(サーキー)
もうあの誇らしい地のふところに臥したよ。
酒をのんで、おれの言うことをききたまえ―
あの人たちの言ったことはただの風だよ
(小川亮作訳、岩波文庫、p.19)

サーキーよ、かつて行きすぎた人
誇らかに塵土に眠れり
行きて酒を干せ、われ真実を語らん
ああ  かれら語りしは風の言葉にすぎざりき
(陳舜臣訳、集英社、p.28)

 テキストの異同などにふるた解説も素人のルバイヤートファンはありがたい。もう一回、小川訳を読み返したくなりました。

110まつざき:2004/03/13(土) 09:49 ID:DoWvY1Aw
『サッカー批評』が今のスタイルで出す最後の号が発売されたけど(22号)、で塩竃FCの話はよかったなぁ。

 ズブの素人の小幡忠義さんという人が小学校でまだサッカーが教えられてなかった頃にサッカー少年団をつくり、加藤久なんかも輩出しながら公設民営の2万坪の敷地を持つクラブをつくり、いまも毎日、育成にたずさわっているという話は本当に素晴らしいな、と。

 98年W杯の日本代表メンバーのうち7割ぐらいは静岡地区の出身だと思うけど、02年にはそれが拡大し、小笠原みたいな東北出の選手も出場している。『山本昌邦備忘録』で、大船渡高校の斉藤重信監督が嫁の実家に帰っていた山本さんに「小笠原というすごい中学生が来てくれることになったんだよ」と嬉しそうに語っていたというエピシードが紹介されているんですが(p.302)、日本のサッカーはこうした宝物のような人たちが選手を手塩にかけて育ててくれたおかげで成り立っているんだな、と04年のJ開幕にあたって思ったりして。

111まつざき:2004/03/18(木) 18:11 ID:/iQB1Y46
ナンバー最新号は車内吊りの「ネッツァーが見たレアル×バイエルン」というのに惹かれて買ったのに、2頁しかないっつうのはサギだろ。まあ、写真はいいけどさ。

ということですが、おこちゃまBlogerとなりましたので、これから、基本的にサッカー以外の本に関してはそっちで書いていこうかな、と…。

http://pata.air-nifty.com/pata/

112どとねと:2004/03/19(金) 00:42 ID:uU5A9WGM
開設おめでとうございます。
これもblogっていうのでしょうか?w

113まつざき:2004/03/19(金) 12:31 ID:V1F8SjfA
早く大人の仲間入りがしたいですw

114どとねと:2004/03/23(火) 00:13 ID:uU5A9WGM
がんばれにいやん!

つか旨いモノ食いすぎです。うらやましい

115<font color=#FF0000>dancing@ますたろう★</font>[TRACKBACK]:2004/03/24(水) 04:52 ID:HsNa6TG.
http://blog.melma.com/00106993/20040324023424#trackback

ここにお気に入り登録されてましたね。
内容面白いので自分もよく行くとこです。

116<font color=#FF0000>dancing@ますたろう★</font>[TRACKBACK]:2004/03/24(水) 04:54 ID:HsNa6TG.
http://blog.melma.com/00106993/20040324023424

トラックバックはこっちかな?

117まつざき:2004/03/24(水) 09:04 ID:m2VFUmfM
おお…
もっと頑張って更新しよ…
お知らせいただき、サンクスでした!

118まつざき:2004/03/24(水) 09:19 ID:m2VFUmfM
>>114
こんど、古本ツアーとかやりましょ!

119まつざき:2004/03/25(木) 23:33 ID:P/VeF7Hk
『Football Nippon』講談社

 「ナショナルフットボールマガジン」というサブタイルは何か悪い冗談だと思っていたのだが、ついに講談社から『Football Nippon』が本格創刊された。

 『山本昌邦備忘録』、潮さんの『日本代表監督論』、岡田監督の『蹴球日記』などのFootball Nippon Booksのラインアップはなかなか悪くないと思うが、それにしても、読売日本フットボールクラブ並みの勘違いだと思うのだが。どこか間違いだったら教えていただきたい。

 それにしても、今回の創刊号でわかったことがある。Football Nippon Booksに潮さんの本が入ってるし、連載で船橋洋一さんが書いて、しかも岡田監督が『蹴球日記』の中で、韓国から日本に戻る時、NHKの出演にどうしても間に合わせるため、朝日新聞がチャーターしたセスナ社の小型ジェットに同乗させてもらったとか書いていたが、ここら辺から、講談社と朝日新聞のつながりはあったんだろうか、と思ってしまう。まあ、ぼくはまったくいいんだけど。

 夜、六本木ABCで買って、帰りの中で読んだ感想を箇条書きで書いてみると

1.写真がNumberよりは相当落ちる(つか、ひょっとして、朝日新聞の写真部から大量に借りるというか提携しているんだろうか?ニコンのデジタル一眼特有の粗く、コントラストの強い写真が目立っている)
2.中田英のメールが大量に引用されてるが、独占的に使っていいという契約を結んだのだろうか?
3.ジーコに増島みどりさんがインタビューしているが、これも中田英つながりなのだろうか?

 なんとなく、講談社+朝日新聞のサッカー出遅れ組連合が、手当たり次第にコネを使って、一見、豪華にブチあげました、という意図が見え隠れしている。その出遅れ連合軍には岩波書店から『地図にない国からのシュート−サッカー・パレスチナ代表の闘い−』を出した今拓海さんが加わって、巻頭の6ページのレポートを飾るというのだから、なんだか、一見アカデミックな弱小連合っぷりがさらに際立つ。しかも、巻頭レポートが来日したイラク代表にちょこっとインタビューしたのをまとめた「スポーツと戦争」ときたもんだ。この時点でささくれだったココロは、文末の「恐るべき相手と日本は戦うことになるかもしれない」といういかにもな結びで「いい加減にしろや」と爆発しそうになる。

 まあ、個人的には増島みどりさんのジーコインタビューは出色のできばえだったから、これだけを読むためにも、880円は安いと思った。男のライターのインタビューは、タメはろうとしたり、妙に媚を売って取り入ろうとしたり、下心が見え透いてイヤだが、女性インタビューというのは、まっすぐな感じがするから、意外に好きだ。しかし、これだけ素晴らしい内容にもかかわらず巻頭にもってくれないというのは、ジーコには人気がないんだな、とつくづく悲しい。

 ありがちだが、記事にサッカー風の採点をつけたいと思う。

今拓海の巻頭レポート  4.0:ライターも編集も勘違いしている
大住、後藤対談     5.5:ネット上でもう見飽きた議論だが、敬意を表して
ヒデメール 3.5:こういうのを本当の「糊と鋏」でつくった記事という
増島ジーコインタビュー 7.5:素晴らしい、出色のできばえ
井原、洪対談      5.0:緊張感のない終わった人同士の対談
楢崎インタビュー    5.0:既読感に襲われた
村上龍連載       6.5:村上龍さんは、こういう雑誌で見開きぐらいで書かせると最高にうまい
船橋連載        4.5:これでよく原稿料をとれる
U23特集         6.0:さすがに資料は、新聞社と提携しているだけあって豊富?
モノクロの埋草     4.5:活字がたちあがってこない

120まつざき:2004/03/27(土) 11:32 ID:vU4koYUU
『ジーコの考えるサッカー―ゲームに生かせる実践Q&A』ジーコ、NHK出版

ジーコが少年サッカーや高校生(なぜか灘高とかも入っている)の選手、それに指導者たちから寄せられた疑問、質問に対して、答えるというスタイルで122のQ&Aが収録されている。昨日、久々に大型書店でみかけたら、2002年12月5日の17刷というのがあった。ぼくが持っているのは重版だけど、初版は94年3月25日。とにかく、すごいロングセラーだ。サッカー関連書籍で、17刷というのはあまりお目にかかったことがない。少年サッカーの指導者たちなんかにバイブルとして使われているんだと思う。エディトリアルも含めてカネがかかっているなというのがひと目でわかる素晴らしいつくりの本だと思う。あらためてこの本の価値を見直して、知り合いのサッカー少年へのプレゼントとして1冊買ってしまった。

読後感が素晴らしいのは、質問している人間が現役のサッカー少年、高校サッカーの選手たちなので、的外れな質問がないこと。実際のプレーしている中での疑問、ぶつかった壁について、真摯に質問している。「壁パスのタイミングがはかれません」「タイトなマークをされたとき、まったく動けなくなります」「重要な試合前、キャプテンはチームに対してどのような仕事をすればいいのでしょうか」「夏場など食欲が落ちたときに、どうやって体調を維持しますか?」など、実践そのものの内容だ。

間違ってもネットのサッカー論議で主流になっている戦術や組織なんかに関する観念的な質問などない(ネット上での観念的な話はとめどもなく流れていき、どんどん現実からかけ離れていくのが特長だ)。

その答えもまた、見事だ。シュートの際、GKの位置が見えないという質問に対し、キーパーの位置などはまったく問題にならない、と断言し「ゴールの隅をねらう」ことだけに集中すべきだ、という。考えてみれば当たり前のことで、GKはボールの位置によって、どこにいればもっともゴールマウスを遮蔽することができるかということを訓練されているわけだから、とにかく需要なのはコントロールされたシュートなのだ(p.64)。

ファイティングスピリットの意味に関しても「試合、練習に関係なく、自分の行動に責任を持つこと。次にその行動がけっして間違っていないと責任をもつこと」という見事な答えを用意してくれる(p.54)。

その答えは基本通りかもしれない。しかし、3分冊のLevel2で小山道雄さんが書いているように「ジーコは彼の長い現役生活を通して、その『基本としてあるべきことがら』を実践してきた。だらかこそ、彼、ジーコは偉大なんだ、と私は思っている」(p.185)ということなんだとぼくも思う。

121<font color=#FF0000>dancing@ますたろう★</font>[TRACKBACK]:2004/03/31(水) 16:15 ID:1sWU5has
http://blog.melma.com/00106993/?word=%5b%c6%fc%a1%b9%c5%cc%c1%b3%5d


ここでほめられております。

122KIND:2004/03/31(水) 19:22 ID:la5SQZMY
すっげー参考になりますた

123まつざき:2004/03/31(水) 21:28 ID:BPrxtWa.
タカどうしたんだ…

124まつざき:2004/04/01(木) 11:28 ID:ebGr2ktM
>>122
恐縮です…

125まつざき:2004/04/06(火) 14:13 ID:6gNcBAog
『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』蓮實重彦、青土社

 前から、ちょこちょこ文芸誌やスポーツ雑誌などに書き散らしていた(失礼!)文章をまとめて、書き下ろしの序文をくっつけて一丁あがり、という感じはいなめない。
 
 しかも、オマーン戦直後に書き下ろした序文では、あせっていたのだろうか、それとも、青土社にサッカーに詳しい人間がいないからなのだろうか、シドニーでPKを外した中田英が「外したことによって、彼の中に潜在的なものが顕在化するきっかけを掴むのです。その後のペルージャでの活躍がそれを物語っています」(p.21)というかなり致命的なミスを犯している。所属していたのは当然ローマだし、しかもシドニーの後、中田は干されていたので活躍は年明けのシーズンも押し詰まったほぼ1年後を待たなければならない。

 でも、まあ、そうしたケアレスミスは誰でもあるとして、蓮実先生が宣言している運動に対する感受性の復権に関しても「とりわけ日本のジャーナリストたちは、無意識のうちに『運動』が嫌いな人類の代表として振舞ってしまう」(p.11)「文化の大量消費時代では『運動』は運動としては流通しなくなっているからです。運動の結果としての数字ばかのが流通するのです」(p.38)と勇ましいことは勇ましいが、具体的な提案はないし、言葉だけという感も。

 だいたい「批評宣言」なんてマニフェストは所詮マニフェストであって、現実にどうするのかという問題に関しては、常に痩せた解答した提示できない。オマーン戦後、蓮実先生は、もし自分がインタビュアーだったら「なぜあなたがPKのボールを蹴らなかったとやや曖昧な言葉を口にしたでしょう」としている。中田がPKを蹴らないのは、単純にヘタだからであり、昔は外したことないとか豪語していた割には、2000年以降は、決してPKを蹴らなくなったしまったという事実すら無視している。

さらには、02ワールドカップのKorea/Japanという表記は、韓国側が決勝戦を日本に譲る代わりに、表記を先にしてほしいと頼み込んだのに、それを全く知らないのか、フランス語のアルファベットではこれでいいなどと対談で恥じをさらす(p.48)。

さすがと思わせるいいまわしや、エスプリは感じられるものの蓮実先生のスポーツジャーナリズムへの参戦は、サッカーでいえば、3-0か4-0の負けといっても過言ではないと思う。東大の学長をここまで恥さらしにした青土社の編集もどうにかしている。

サッカーごとき、偉い先生同士が語り合えば、すぐに批評できると考えているんだろうな。これで文化なんていわないで。もっとも、蓮実先生は、文化を動物が壊すのがサッカーの醍醐味とかのたまわってはいるが、その程度のこと、居酒屋でくだまくオヤジぐらいだっていえそうだ。

126dancing@ますたろう★:2004/04/07(水) 00:58 ID:j23fmdbg
>>125
蓮実先生のサッカー関連の文章はひどいです。
いつだったか、「ユリイカ」の「サッカー批評宣言」と題する号の対談もひどかった。



そういえば、ウンベルトエーコのサッカー論を紹介した、
「エーコとサッカー」という本も出ていました。

総じて、現代思想がらみの人間が書くサッカー本は大変つまらないです。


結局、記号としてのサッカーなんかどうでもいいんですよ、といいたい。

1277号:2004/04/07(水) 01:24 ID:s87A/ScM
>>125-126
蓮見重彦は、やきぅの人ですから、多くを求めちゃいけませぬ。

128まつざき:2004/04/07(水) 10:54 ID:X1qIYej.
>>126-127
つか『表層批評宣言』のヒトだから、というオチが本文中にもありますたw


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