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献血供給事業団なんでもコーナーⅡ

1河原:2008/12/31(水) 15:37:19
続きはこちらに投稿願います。
事業団の存続を真剣に考えた方が良いみたいですね。

2岡田:2008/12/31(水) 16:02:39
日下様は、青木の仕事を助け、支えてきた職員だったでしょう。それを
虫けら同然に切り捨てたんですからね。積もる思いもここら辺ではき出して
頂くのも良いでしょう。しかしながら、事業団の存続については、通りすが
りの関係者さんの話を期待したいものですね。

3Mr 鈴木:2008/12/31(水) 20:31:35
こういう腐った事業団は、さっさと処分するべきでしょう。
献血者の数を減らす原因にもなります。

4築地をどり:2008/12/31(水) 21:19:05
血祭に参加しよう!
事業団の悪行を頻回献血者に知らしめよう!

5最終処分場:2008/12/31(水) 21:38:55
今後、公務員と優良企業正社員以外の連中は
今まで「いかに充実した人生を送れるか」が目標から
「いかにして生活保護受給認定を受けるか」になりましたw

学校で真面目に勉強して優秀な成績を維持?
昔から人気者で小中高と友達多かった?
今まで犯罪なんてした事無いし倫理感も常識もある?

人間として本来望ましい姿だしそうあるべきだよね?

ところが残念ながらこの社会じゃ全く評価されませんww
人格だの能力だの一切関係ありませんww
人間性と倫理でメシが食えるならどうぞ気高く生きて下さいw
気高くあり続けようとして倒れた人間を、受給手続きの手間が省けて(ていうか手続き「だけ」して自分の懐に入れてるかもねw
そういう事件が「実際に」あったし事件として公表もされてたしw)今日も不労所得ゲットのゴキブリ公務員と
在日朝鮮ウジ虫と部落ダニが指指してゲラゲラ笑うでしょうけどねw
真面目な人間程搾取されて捨てられて終了ww
今後の日本で安定得たかったら生活保護認定受けるか受けないかww

今後は 生活保護認定=就職内定を勝ち取った、 のと同じ価値基準になるだろうなw
ていうかむしろ下手な企業の就職内定より堅いし充実保障ww
そろそろ「公務員試験専門学校」みたいに「生活保護受給認定指導専門学校」でも出来るんじゃね?www

「お母さん!やったよ!!生活保護認定されたよ!!倍率20倍の難関突破したよ!!!!」
「よかったね!!お母さんが言った通りなるべく暗い表情で小さい声で喋ったのも印象良かったんだろうね!!」
「お父さん今パチンコ行ってるから、帰ってきたら報告するよ!お父さんも近所に自慢できるね!」
「今日はじゃあ奮発してお寿司でも取ろうかwやっぱりアンタもやれば出来る子だねえw」
「頑張ってお父さんの言った通り欝の振りしたり自殺考えてる振りもしたもんねw最初の支給金で母の日にはカーネーション買ってくるよ!」
「本当にアンタは親孝行な子だねえw幾ら不況でも私達の家系が絶える事は無いねw早く孫の顔も見たいよw孫は成人と同時に申請させようかねえw」
「俺の子だもん、きっと大丈夫だよ!6歳位になったら欝の振りや自殺未遂のノウハウもちゃんと教えるからさw」

6升形:2009/01/01(木) 09:34:27
>>5
腐れ家族の正しい生き方なかなか面白いね。
事業団には、こういう考えを持った人間がウジョウジョいるね。
毎日、昼飯時に聞かされてうんざりだ。あと、総務の誰かさん
に誘われて、安い飲み屋に連れて行かれたときも、こんな話し
ばかし聞かされた。確かに事業団は夫婦で働いている奴が多い
から、こういう発想になるんだろうな。まさに井の中の蛙の
話だねぇ〜

7日下 一男:2009/01/10(土) 15:46:11
 お蔭様で良い正月を迎えました。但し今だに煙草を吸ってるので、子供達や孫達に嫌われました。昨年7月に父の十三回忌があり田舎に帰ったのですが、やはり同じ状況でしたので、今年は禁煙の努力をしたいと思います。
 ところで、読んだ人達から理解出来ない部分がある、という指摘があったので手短かに書きます。
 青木氏または青木は、青木繁之現理事長の事。竹内氏は、竹内實考氏(戦時は陸軍本部参謀、後、自衛隊の富士学校長やその他の要職を務め陸将補で勇退。事業団理事と局長で入団。理事長になる。勳二等の叙勲を辞退)。五代は、五代和夫で相互ブラッドバンクから入団。同じバンクから血液センターに入った相河氏から問題人物であるから気をつけるよう話があった。案の定、部下の時に様々な問題を起こした。ついには懲戒免職の辞令を当時の総務係長藤田賢二郎が書いたが、翌日に木村氏が仏心からか辞令を破棄した。
 親睦会は昭和42年6月から発足し、当初の会費は定率で後に定額になる。親睦会の旅行は5月にすでに終えてる。理事も含め全ての職員が対象。会長を木村氏がやるというので私が止めた。親睦会は一般職員が自由に運営すれば良いのではないかと。会則もそのような経緯があり、初代会長は児玉政夫。
 預金の7,5,3は、事業団が資金繰りに困った時、職員に銀行の利子以外に事業団が3年定期に7%、2年定期に5%、1年定期に3%を上乗せして返却。しかし親族などからお金を借りて預ける職員がいたので途中で止めた。
 財)日本血液研究所は、いわば子会社。木村氏が理事長。すぐに初鹿野裕氏が事務局長として着た。この人の事は書きたくない。後に事業団や木村氏、青木等を巻き込む大きな問題が生じている。
 この時期に作成したのが「在宅医療に関する供給サービス」と「医学用略語辞典」。在宅医療は役職停年や日本赤十字社、患者さん等含めた事業団の将来を念頭において纏めたもの。この事業は寄附行為を逸脱していない。また、50歳過ぎた人達の緊急走行から離せる仕事だった。略語辞典は4年かけてる。次々と新しい略語が出来る。原稿をワープロの専門家に依頼し、新しく出た略語をABCD順に間に入れる。キリがないので1989年で止めた。2000ページを超える膨大なもの。印刷は本部のコピー機を使用し製本のみ業者にお願いした。私は写真なども嫌うほど表に出たくない。だから辞典にも奥付は入れなかった。退団するとき各部所に挨拶に行ったが、その折に直筆の名前を入れたのが一冊あるのみ。
 これである程度は分りましたか。訂正があります。柏木修二は柏木修次です。
 もしご質問があれば答えられる範囲内で回答します。
 尚、この場で年末の忙しい折に「在宅医療」の原稿を返却してくれた田原総務副部長に御礼申します。

8日下 一男:2009/01/10(土) 20:04:10
 いつも追補になり申し訳ないです。
 以前から度々投稿されてる青木の行動や酒に関する事については否定しません。いろんな事があります。具体的な事柄は省きますが。私は大酒呑みでみんなが酔う頃には醒めています。しかし彼は酒が入ると大きな話をし、職員達と約束した事を実行したのは一度もないです。私は自分の為に交際費を事業団に請求した事も無いし、渡されていたタクシー券も使用しません。ただ有田美智世さんに5枚ぐらい券を渡した記憶があります。
 先に投稿した中で「資金繰り」に触れましたが、当時は献血された血液(200cc入り瓶)を全て事業団が買い取る仕組みになってました。東京都内の血液センターでの献血では足りず、大阪血液センターや北九州血液センターから空輸してもらい、且つ近県センターにも協力依頼し、昼夜を問わず血液を受け取りに行ったのです。医療機関からの翌日の供給に間に合わせる為です。受注されたものは必ずお届けするのに。保険手数料は3か月後です。血液センターへの支払いは1か月後ですからまさに自転車操業の様でした。思い出します。木村氏が武蔵野所長になってから清瀬病院で大量出血の患者さんがいて、しかもAB型、「新鮮血の緊急要請」があり、急遽に清瀬駅で待ち合わせ、木村氏と私の二人で駅前で献血のお願いをし、申し出て下さった人達を次から次と病院までピストン搬送、20人ほどで処置が終了、深夜に家に戻りました。でも爽やかな気持でした。これが事業団の存在意義ではないですか。青木に原点回帰を求めます。またこれを読む職員がいれば、これらの事を忘れないよう心に置いて仕事に励んで下さい。
 私の最初に投稿した文の書き出しは、過去、現在、未来でしたね。私は残念ながら移転した辰己の建物を見てないので、青木も電話で「辰己に来て」と言ってるので時間があれば行きます。閉じこもりを早く直して。本当に書き込みの様なら残念の一言です。働き易い職場にするのが理事長の使命です。

9通りすがりの関係者:2009/01/11(日) 02:21:56
本年も献血供給事業団で懸命に働いている皆様の御健康を御祈
り申し上げます。

さて、私も「通りすがり」と称して様々な事を記すのは如何な
ものかと存じますので、簡単にまとめます。

まず、実名で御健闘されている日下氏に関してはある立場を通
じて存じ上げております。投稿に関しては私の知る限り事実に
近いものと思われます。ですから、投稿に即して記させて下さ
いませ。

私の知っている献血供給事業団(以下事業団とさせて下さい)
は、木村氏、青木氏、日下氏が強く印象に残っています。
そして現状を理解する上で笹川衆議院議員が重要でしょう。
笹川議員は御自身のホームページでも記されている様に献血
に対し関係が有ります。これは日本赤十字社や厚生労働省に
対しても同様の意味があります。個人的には議員は好きな方
ですが、残念ながら必ずその権力を他者は利用したがるもの
です。事業団の権力構造を理解する為にはこの部分から切り
込む必要が有ります。…、誰が利用しているのか、を。

ですから、現状を打破するには外部を頼るしかないのです。
現場で奮闘している職員の方を思うと苦しくなります。
以前、事業団で権力争いが有った時、「怪文書」が出回った
と見聞しています。卑怯な人間を追い詰めるのは正義です。
弱い立場が実現出来る正義は共闘です。職員の皆様の連帯を
切に願います。

10田中:2009/01/11(日) 16:18:52
>>9
私もその通りだと思います。

>残念ながら必ずその権力を他者は利用したがるもの
>です。事業団の権力構造を理解する為にはこの部分から切り
>込む必要が有ります。…、誰が利用しているのか、を。
権力を利用しているのは北田を介して青木でしょう。おそらく、
会長の笹川は本当の事を知らされて無いのでしょう。権力闘争
の被害者は沢山おり、実際に退職した者や辞めさせられた者も
多く居るようですね。これからも現状を打破するためにも、また
犠牲になった者の為にも、外部の力を借り続けましょう。

11日下 一男:2009/01/12(月) 12:51:40
 私の手元に自伝記とも言えるものがあります。以前戸籍には満州国新京特別市西陽区千早町3丁目9番地50号で1943(昭和18)年2月1日に出生。今は中国としか記載されていない。翌2日にスターリングラードの独軍がソ連軍に降伏。この年の標語は「頑張れ!敵も必死だ」。9月8日イタリア無条件降伏。12月1日第一回学徒兵が入隊。薪が配給制になる。9月21日から官庁や工場、人の地方疎開が始まる。翌年の1944(昭和19)年、3月29日中学生の勤労動員決定。7月18日東条内閣総辞職。この年の標語は「進め、一億火の玉だ」。そしてドラマにもなってるB29が80機で東京を空襲。雑炊食堂出現。12月19日に日本が神風特別攻撃隊を編成。以下、各年毎に記載をしてる。献血や事業団には関係無い話と思われる人達もいるだろうが、そうではない。このような事を国立大で高分子工学を専攻したのに、何故、血液事業の世界に入っていったのか、日本赤十字社や事業団についての事も克明に記録してる。国立国会図書館にも4年ぐらい行き、献血の歴史も調べた。相当な分量になる。手短かになるが血液搬送の緊急車を最初に取り入れたのは大阪だった。献血供給事業団の誕生に至る経緯も詳しく書いている。最初は頭に日本がついてた。また事業団のマークも3種類の中から選ばれた。
 青木に渡した3冊のノートには事業団の倉庫にあった創立前の書類もあり、私の記録してたものと違うものも沢山あり、それらを含めた貴重なものでした。だから以前、後世に残る記念誌にしたかった、と書いたのだ。残念だが青木はそれを理解出来なかったのだろう。

 さて、話はころりと変わるが、体(組織)の維持に必要なのは何か?その儘にする、滅菌や殺菌、除菌、抗菌、消毒などいろんな方法がある。
 私が最初に投稿してから、このコーナーには真剣に事業団についての御意見が多くなり「気力の源は、感謝の心」を座右の銘にしてるので、本当に有りがたいです。
 今後も御忌憚のない意見を投稿される事、念願しております。
 最近は、不況のせいか、根強い昭和ブームが起きているとか、特に昭和30〜40年代のものが多いと。確かにこの頃は若者を中心に夢や希望が沢山あった時代でしたね。

12日下 一男:2009/01/12(月) 15:37:49
 忘れるとこでした。「通りすがりの関係者」さんの御指摘された「怪文書」は間違いなく存在してます。詳細は書きませんが、青木が青い顔して私に相談しに来ましたから。匿名で毎日新聞に投書し、当時部長だった藤田氏が部長会で問題にする、と言って。全て青木の自作自演としときます。木村氏を追い落とす事が目的です。その日の記録を時間を入れて克明に書いた文書があります。当時、事業団の(内部告発)を追っていたのが尾崎記者(後に社会部長、社長室長など歴任)。尾崎氏は10年ほど後に、明らかに事業団と分る内部告発についてのコラムを書いてます。コラムとしては異例とも言える大きなスペースでしかも全囲みです。簡単に言えば危うく誤報するところだった、と。
 これは上記された人へのせめてもの恩返しです。

13杉田公三:2009/01/12(月) 19:53:14
事業団ではこの様な事が起きてたようですが、なんとしてでも
隠そうとした幹部連中が居たようですが、日下殿は御存じでしたか?

http://www.rondan.co.jp/html/mail/0801/080107-9.html
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0710/071016-2.html

14日下 一男:2009/01/12(月) 23:50:58
私は、誠意を持って回答する、と前に書きましたのでお答えします。まず最初の記事については、私が病気で1年近くの休職中(入・退院も含む)の事で仔細については分りませんでした。しかし息子から「こんな記事が掲載されてる」と教えられ、その内容は読みました。「あってはならない事」などの役人用語を用いる事態ではない、と考え且つ鳥肌が立つほど寒気を感じました。これの事については職員の教育が充分にしなかった私にも責任があり、改めてこの場で御遺族に対しても、赤十字関係者の方々にも深甚より御詫び致します。事業団創立以来、職員教育にはかなりの努力はして来たのですが。山口専務の命を受け合宿などして緊急時の対応を図上演習までして、帰ってから参加者にレポート提出もさせました。出来の悪いのは改めて指導しました。その後も機会あるごとに教育をしてます。私が業務課長兼務城北支所長の時も何かと話題になってる北田靖則も城北支所で部下として教育をしました。
 二つ目の記事は分けて答えるのが適当です。長尾義光の件については噂があるのは知ってました。でも本人とは話した事はないです。この時点ではそのような立場にいなかったのです。次に赤十字の血漿分画製剤の口座獲得に努力した最大の人は小川茂君です。私も同行した事もあります。清水先生にも御願いしましたし、以前に記した叔父の息子が都立の病院で薬剤科長をしてたので。小川茂君はもっと出世して良い、と今でも思ってます。彼も木村氏の後輩で、創立時の忙しい折に学生ボランテイアとして寝泊りしてくれた中の一人です。次に五代和夫の件ですが、これは2つに分けます。1つは城北支所でなく城北出張所です。当時の上司は私です。血液台帳の消し込みが出来ない、と管理薬剤師から話があり、抜き打ちで城北出張所の血液台帳を本部に引き上げ、事実確認しました。結果は現金支払いの病院に裏伝票と裏領収書を作り自分達の懐に入れていたのです。仲間は唐田忠司です。二人とも格下げ処分にしました。もう1つは五代が葛飾出張所長の時です。当時、献血者に輸血をした際に自己負担を減らす、と言う事で一定の金額を請求すればその分、返金する仕組みになってました。ところがそれを葛飾センターの富田さんが同じ字で余りにも請求書類が多い事に気づいたのです。仲間が吉田知弘です。それで以前書いた様に、五代を懲戒免職にする事にしたのです。その辞令を仏心から木村氏が破棄したのです。木村氏の深層は私にも分りません。
 以上ですが、改めて事業団の創立に関った一人として関係者の方々に、心からお詫び致します。

15日下 一男:2009/01/13(火) 13:53:02
補足します。葛飾赤十字血液センターが開所したのが1967(昭和42)年6月です。すぐに派出所を創り2名の職員を派遣し血液搬送に従事させた。宿日直はなく本部(渋谷)の管轄です。当時の血液センター所長は森下敬一氏(玄米食の大家として有名)、事務部長が金子善平氏。10月に葛飾出張所(宿日直あり)を開設し初代所長が私です。以前書いたように事業団が全て献血血液を買い取るので、血液センターへの代金支払いは自由に出来ます。何故か山口専務と金子氏の折り合いが悪く度々支払いが遅れる事があり、金子氏が私の所に来て愚痴を溢しました。その都度山口専務に支払うよう話しました。センター職員と事業団職員は同室で宿日直をしました。私もセンターの中村さん等とも一緒に寝泊りしました。
 次に城北出張所は本部管轄で五代が所長、私が業務課長補佐(でも実質は課長みたいなもの、課長は東京都から天下りした石井鷲雄氏、血液事業を全く知らない人)です。話は変わりますが、職員の教育研修を行った成果はあります。三菱重工ビルの爆破事件の時、すぐに東大病院に冷蔵庫付きの車両を配置し、輸血を必要とする患者さんに対応、指揮は本部での私です。以前から東大病院とは電気使用料の契約をしてました。後、清水氏は高名な清水勝先生です。村上省三先生の愛弟子とも言える人で、日本輸血学会の会長などもされた方です。

16お節介者です:2009/01/15(木) 11:05:23
鹿児島県のある市で、市長が市議会議員について市民にアンケートを御願いする予定との報道をみた。市議会議員の個人名前一覧表にして。
献血供給事業団様でもこれを手本に、係長以上の方々について、当然理事なども含めてアンケートを職員から求めてみたらいかがですか?アンケートといっても一覧表の氏名に「はい、いいえ」を入れて。これを総務課の職員全員で集計する。
この結果をこのコーナーで公表する。楽しみにしてま〜す。

17日下 一男:2009/01/16(金) 09:19:35
 「通りすがり関係者」さんの投稿に対し、あれほど事業団の事に好意を持ち、且つ職員についても励みの声を述べているのに、職員から御礼の投稿もなく私は恥ずかしい思いです。もう職員には道徳観や倫理観などの心が無くなっているのでは、と情けない気持で涙が溢れるほどです。文面を何度も読み返し、日赤血液センターの大幹部であると思われます。私個人から「感謝の心」を表明します。改めて事業団にも良い人材もおりますので今後もよろしくお願い致します。事業団では総務部から各部所に対してこのコーナーを読む事を禁じる通達が出てます。
 次に、14、15の投稿について大幅に訂正をしなければいけないです。申し訳ない事をしました。御詫びして書きます。
 最近の「事業団の概要」を持っているのですが、最後の13ページに「沿革」があります。これを元にして回答しました。しかし幾つかの間違いがあります。五代と唐田の時は出張所ではなく派出所(日大板橋病院に設置)です。それから駒込派出所は大分前になります。全て私が関与してますから。事業団は再度「沿革」を訂正しなければいけません。次は葛飾出張所の件、初代は私ですが、次の出張所の所長は西林靖紘氏で五代は係長です。この時に五代と吉田が組んでやったのです。
 念の為、武蔵野支所の支所長は理事の木村雅是氏が初代です。当時、武蔵野赤十字病院の院長、神崎先生が都赤十字血液センターの所長を兼務してました。

18日下 一男:2009/01/16(金) 18:08:12
追記します。武蔵野には4月半ばから入江良雄氏(木村氏と同じで学生献血運動をした入江忠雄氏の弟)が専従職員として行ってるので、これも派出所と呼ぶべきです。彼の勤務期間は僅か3年程ですが、影の功労者として残すべき人物です。創立時には日赤中央血液センター(渋谷区)と東京都血液センター(武蔵野市)の2つしか存在してませんので。

19日下 一男:2009/01/18(日) 17:40:48
昨日、息子が来て深夜まで話をしました。その中で「お父さんが書く事は正しい。しかし自分のブログにならないように」と、指摘されたので、今後は特別な事がなければ回答しないし、皆様が御自由に投稿して下さい。
 ただ、どうしても伝えたい事があるので、以下長文になりますが最後まで読んで頂ければ幸いです。
1)1963(昭和38)年、11月に東海道線の鶴見で二重衝突があり死者161名、負傷者多数の事故が発生し、日本赤十字社は大変な活躍をしてます。しかし輸血に用いられたのはほとんど買血でした。国民は献血と言う言葉すら知らなかったのです。この時期前にすでに学生が献血運動を始めています。木村氏や青木氏、藤田氏・・・など十名ほどで全国を巡る献血キャンペーンキャラバン隊を作り車で。同じ11月に米大統領ケネデイ氏が暗殺されてます。彼の演説はオバマ氏より素晴らしいです。日米同時中継がされる予定でした。彼はヴェトナム戦争を終結宣言する予定でした。また12月にプロレスの力道山がヤクザに刺され重傷です。木村氏はプロレスが大好きでした。
2)1964(昭和39)年、この年は書き切れない事が沢山あります。9月に「献血の閣議決定」がされました。マスコミも献血について大きく取り上げました。代表的なのは読売新聞社の記者本田靖春氏が書いた「黄色い血」の連載記事です。これにより国民は献血に対しての理解を深めていったのです。勿論他紙も連載記事を掲載してます。外国との交渉も沢山ありますが、日本のみ記します。大きなものは6月に新潟大地震が起きてます。10月1日に東京〜新大阪間(約4時間)の新幹線が開業、10月10日に第18回東京オリンピックが開催されました。11月に公明党の結成大会が開かれています。「貧乏人は麦飯を食え」で有名な池田内閣が総辞職し、後継者は後にノーベル平和賞を授与された佐藤栄作氏です。話を飛ばします。
3)笹川堯氏が血液事業=献血に関与し始めたのは「通りすがりの関係者」さんの御指摘のように、1962(昭和37)年に日本赤十字社の格県支部で起きた手形事件が発端です。この事件はマスコミでも取り上げられています。御自身の著作「日本のドンを乗り越えろ」:昭和61年刊行・桐原書店、にもかいてます。参考までに述べますが、父君の笹川良一氏と以前書いた内藤良一氏とは深い親交関係です。世界でベストセラーになった「血液の物語」著者ダグラス・スター、翻訳・山下篤子:河出書房新社に詳細に書かれてます。この本に登場する日本人は僅か数名、村上省三氏や木村雅是氏など。
4)献血供給事業団の発起人と理事とは多少違いはありますが、初代理事長は吉田孝雄氏(富士重工会長、勲一等叙勲、在任期間は12年の長きに渡り、無給)、山口修秀専務理事(代議士政策秘書、有給)、笹川堯専務理事(日本トータ会社社長、無給)、村上省三理事(肩書き多く、主なものは日赤中央血液センター所長、東大教授、東京女子医大教授など、無給)、島田信勝理事(慶応大医学部教授、北里大教授など、無給)、木村雅是理事(献血運動の重鎮、有給)、日本赤十字社から外山良造理事(初代血液事業部長、無給)、東京都からの理事や日本医師会からの理事(いずれも無給)など錚々たるメンバーです。発足時の局長は理事でなく竹田武夫氏(人事院出身)で勿論有給です。つまり役員は2名の有給者のみです。1970(昭和45)年に入団された竹内氏が理事兼務局長が有給で職務をするのが、それからの慣行になりました。この年に忘れる事の出来ない事件がありました。葛飾出張所を視察したいと言う事で本部に御迎えに行き同乗して三宅坂付近で、ラジオから三島由紀夫が「盾の会」会員4名と市ヶ谷の自衛隊に突入した、というニュースが流れました。本部に引き返しました。当時の自衛隊の最高幹部が竹内氏の親友でした。三島由紀夫は部下の森と割腹自殺をしましたが。竹内氏は富士学校長の時、盾の会に実弾訓練を許可した事をその後、ず〜っと悔やんでおりました。
5)どうしても皆様にお伝えしたい事は、松永信夫氏が大田血液センター所長の折、無償で、当時、分離して捨てられていた濃厚赤血球を東邦医大大森病院に提供し、どの程度の分量があれば「患者さん」に有効であるか、試験してもらってました。東邦医大もこれに協力、約80%の赤血球があれば有効であるとの結論になりました。献血一本化になった直後です。改めて松永氏の血液事業に対する熱意に敬服します。

20いらっしゃいませさん:2009/01/18(日) 17:46:55
念願の初体験。しかもその相手はすでに嫁いだ実の姉。
用事で帰ってきたときになんとなくそういう雰囲気になったのだ。

新婚の姉はさすがに夫と毎晩のように楽しんでいるので、
その相手の弟である俺が初体験だと知って
少し余裕をもって、手をもってリードしながらやり方を教えてくれる。

「ここからが本番よ」という姉の声に促されて
いざ二人で始めると姉はいきなり俺の耳元でささやく。
「あ、右、左。そこはいやーん」
「あ。いっちゃうかな、いくいく。」
そして彼女も積極的に攻めてくる。
俺も必死に我慢する。我慢と緊張の連続。

しかし俺はとうとう待ちきれなくなり、
まっすぐな長い棒を下の方の深い谷間に挿入することを試みる。
初めてだったが、うまく入った。
快感で思わず「よし」とつぶやく。
すると彼女は「いやん・・・。それだけはダメなのに。」と叫ぶ。

動きがだんだん速くなる。
「いやん。そんなに早いと私、もうダメ・・・」
そしてついにフィニッシュを迎える。
姉が俺にささやく。
「初めてなのに上手だったわ」


俺は、初めてのテトリスで姉に勝利したのだ。

21物見遊山:2009/01/19(月) 04:20:02
う〜ん、興味のある、はなしぶか〜いものですな!
と、すると兄は日本赤十字社で嫁はんは
血液センター。俺は献血供給事業団。

近くに創立記念日があるとか。
たんまり姉さんからお小遣いを
もらうんでしょう。
そ〜んな生活、いや性活してみたい。

22ドナー:2009/01/19(月) 07:20:29
赤十字も信用できないや

23業団 ひとり:2009/01/19(月) 09:58:13
読めば読むほどスルメのような
味わいがありますよ。

兄嫁が青木で、俺が五代にすれば、
いろんな様子が分りやすい。

五代があんな悪さをしてるのに
青木は知らぬふり。
五代が営業で分画製剤の病院口座を
次から次と失ったのに。

そうか、青木が五代を傍に置いたのは
女と金だ。類は類を呼ぶもんね。
お金は日赤からたんまりだもんね。

創立パーテイに参加する連中も
同様なもんだろう!

24日下 一男:2009/01/20(火) 22:41:31
 No13杉田公三氏、投稿で指摘した「論談・目安箱」からの引用した記事について、回答する前に貴君の信じる宗教は何ですか、とお聞きしたい。
 
 多分、公明党=創価学会ではないですか?
 では、記事について回答します。結論はほとんど捏造です。当時の大槻忠男氏や平久江昭氏、東邦大学大森病院の輸血部担当者から詳細に聞きました。輸血部には患者さんの適合血液はまだありました。また、病院との口裏あわせなど全くなく、むしろ病院の担当医師が事業団に対し好意的です。都血液センター供給課長の田口が過剰に反応したとしときます。田口は昭和56年7月15日に出来た都駒込血液センターに採用された職員です。初代所長は松永信夫氏、事業団の初代所長は私です。田口は問題人物で現在、血液事業から離れています。
 大槻忠男の結婚式には事業団の代表と主賓で挨拶してます。大槻は勉強家で平久江も同様すし、いわば私の教え子のような存在です。長尾の件は大槻が人事に関し関係はないです。権限は当時の局長五代和夫が握ってました。今は退職してます。余談だが私が武蔵野支所長の時に一時期係長をしてますが仕事振りは全く駄目です。
 杉田公三氏、ここでもよいが「論談・目安箱」でどうですか。以前、エイズ問題の時に「目安箱」で櫻井よしこに真犯人が誰かをよく調べるよう注意した。安部英はむしろ被害者ですよ。それから桜井氏は血液事業についての本を出版してません。

25日下 一男:2009/01/20(火) 22:55:56
忘れるところでした。本日の「論談・目安箱」の投稿No19「re朝鮮宗教様のおかげです」投稿者:幼卒、さんの記事に注目です。クリックする手間がいりますが。

26業団 ひとり:2009/01/24(土) 16:59:25
事業団の臍帯血事業について
あまり書かないのはどうして?
あんなに苦労して立ち上げたのに。

青木からなんか圧力でも。
また歴史が歪められるよ。

27日下 一男:2009/01/24(土) 18:05:25
 いいえ、圧力なんか何も有りません。青木は私が怒ると怖い事を知ってるから。ただ、昨日青木と電話で話しました。なんか臍帯血事業についての本を書いて事業団にあると。それを読んでないのでコメントのしようが無いです。
 でも、現在、東京臍帯血バンク部には部長の幸道先生や平久江課長、小縣係長などの優秀な人材(人財)がいますし、私の後任になった北田がノイローゼ気味になり、初代企画課長として幹部研修を行った時に、部下の本橋係長の悪口を述べたので、青木と相談して部下を取り替えた。その時に入れ替えたのが林茂次君と島野明美さん。林君はそれ以来同じ部所にいるので、様子は分ると思う。事実や真実はいずれ分ると思ってます。心配なのは歪められたものが、後世に残るとしたら残念ですが。
 因みに、世界で最も信用されてる歴史書は中国の本。理由は王朝が倒れた後、二世代後に立派な学者が10名程で議論し、一致した記録ですから。日本の歴史書は信用されてません。当時の覇者が自分に取って都合の良い事を書いてますから。参考までに。
 ついでに問題を出しときます。日光東照宮には何故、徳川家の葵の紋以外に明智光秀の紋の桔梗があるのでしょうか。

28事業団職員:2009/01/24(土) 19:36:00
本当に北田のノイローゼには参ったね。
それを信用して任せた青木も問題だ。嘘ばっかりついて、部下を
振り回した北田はどうするの?

29日下 一男:2009/01/25(日) 10:04:33
 「事業団職員」様、良く覚えていますね。感謝します。今ではそのまま本橋喜代一と斉藤良治を北田の部下にしとけば良かった、と思う。北田は後に私にこう言った。「臍帯血事業に関して何もしなかった」と。部下を使いこなせない程度の能力しかないのだ。青木も同罪。初代臍帯血事業課長に任命の時の部下は国友真也。脳溢血で半身不随です。青木が本当に臍帯血事業を考慮してたなら前記したような人事は有り得ない。それでも私は全力を尽くし軌道にのせた。全ては有田美智世さんが知ってる。最初の幹細胞学会(現在:造血幹細胞学会)には私や有田さん、東大医科研の高橋先生も出席してる(会場は東京)。有田さんは献血や骨髄バンク、臍帯血バンクなど全てに関与してる。臍帯血バンクの設立に関する厚生省の委員会委員にもなってる。委員長は高久文麿。その他委員は主な人は、浅野氏や原氏、青木など。
 話を戻す。ある事件の時、北田は笹川氏の秘書をしてた(給料は事業団から)。その時北田は新聞記者に対し「事業団には戻らない」と述べた。だが笹川事務所所長の岩永米人(政策秘書)氏は「彼は使い物にならない」と言って事業団に戻した。その程度の男。以前にも書いたが、五代や北田を重用した青木の責任は重大だ。
 青木に電話したのは、まだ臍帯血バンクの設立以前や以後について知る人達がまだいるから、せめて重要人物の記録を残すように。ところが「お金が無い」と言った。これは何を意味するのか?

30日下 一男:2009/01/25(日) 12:11:59
追記:臍帯血事業にはあらゆる分野の人達の協力により成り立っています。カトリック信者の集まり「子羊の会:代表多田信子(犬養毅の孫)」、東大医科研の人達、特に浅野茂隆先生や高橋教授、須郷美智子さん、長山先生(臍帯血移植の腕前は超一流)、中畑龍俊先生(現:京大教授でiPS細胞研究センター副センター長。センター長は有名な山中氏)など。臍帯血採取の始めは浜田病院。院長が熱心だった。次が千葉の山口病院や都立墨田産院など。搬送は事業団職員や創価学会員のボランテア。また、移植先の病院搬送についてはANAやJAL、JRの乗務員に御願いしてました。到着先で血液センターや病院関係者が受け取り病院に届ける。これの話は纏る寸前だった。しかし、東京は血液センターとは別の組織を事業団が創った為に、これが大きな難点だった。だから以前に血液センターとの統合または連携について記した。当時は原先生のおられる兵庫医大と一番交流がありました。

学会には名古屋で開催した折、大槻忠男を連れて参加した。血液事業と臍帯血事業の違いを勉強させる為に。

兎に角、青木の電話の話は気になる。彼は島根県出身。島根といえば「どじょうすくいの踊り」が有名。まさかその様な姿でお金と掬ってドロンを目論んでいるのではないだろうな。

話は職員についてだが、定年延長について考えて欲しい。幹部にはすまないが、そのままの就業規則であれば、私も去年まで勤務してるのですよ。
確かに青木の人事はなってない。桑田が供給部長で三根が課長?更には私が退団した直後に規則を変え、柏木の役職停年を延長したと。無様すぎる。

ついでに記すが、木村氏と青木の軋轢があった時、幼馴染みの刑事部の人に、青木は「木村の素行調査を頼む」と言った。青木と別れてから彼はこう言った。「一男ちゃん、彼は哀れな人だ。私も警察のプロだ。顔や話言葉で全て分る」と。公安部にも友人がいるが、お互いに身分を知らない。

31いらっしゃいませさん:2009/01/25(日) 12:13:58
あまり過去に拘っていても、しょうがないと思います。

今いらっしゃる先生方、職員の方々が最高の人材なのだから
仮にそうでないと思う人がいても、これからみんなで
協力をして良い方向へ展開すべきと思います。
もっ視点を広くして、前向きに考えましょう。

32事業団職員2:2009/01/25(日) 17:25:00
>>31
一般論的にはそうだけど、尾を引いている奴をそのままに放置している
青木がおかしいね。今でもそうじゃないか。
臍帯血は赤十字とも連携する部分もあるではないでしょうか?独自性も
良いけどね。確かに過去の事をうだうだ言ってもしょうがないけど、
尾を引いたいる奴をそのまま継続させてもいい仕事できないよ。

あと、ここの掲示板を読んだり書き込んだりしないようにと言う
馬鹿馬鹿しい通達はやめた方が良いと思う。出所は青木→北田
なのは分かってるからさ。

しかし、日下殿の話は過去の副産物を確認するのには大変必要な
情報でです。これからもビシバシ投稿して下さい。

33通過人:2009/01/26(月) 23:58:25
事業団にもこういう堂々とした人が居たんだ。何でも臭い物には蓋を
するような今の体質を何とかしないとだめだね。

34日下 一男:2009/01/27(火) 11:01:55
 以前、書いたように組織には必ず良い人財がいます。この様な危機的状況にならばなるほど、異端児とも言える人が必要で、その様な人達の話に青木は耳を立て聴く事が求められます。私は事業団にはこの様な人達が多くいると信じております。幹部の中にもいると思います。しかし青木のいる本部にはそのような人は、白戸氏を含め全く居ません。白戸氏は五代程の権限は持たないでしょうが、退職させられた山口明弥のような役目をしてるのが実情です。青木は全て身の回りを、私からみればとんでもない幹部で固めているのです。難攻不落と思う職員もいるとは思いますがそうでもないですよ。
 「いらっしゃいませさん」、心配無用です。私の手帳にはその年の思いを最初に上書きしてます。昭和61年「散りぬべき ときしりてこそ 世の中は 花も花なれ 人も人なれ」昭和62年「常に前向きに いつも奥ゆかしさを」総和63年「気力の源は 感謝の気持であり 心である」。この年に天皇陛下が御病気になり毎日のように輸血を必要とし、事業団の車両で搬送したので、私は赤十字の車両で搬送すべきと主張した事は以前に書いてますよ。
 また、事業団創立前後からの血液事業に対する思いは、木村氏、青木氏、私は全く変化してません。青木も後年エイズ問題の時、大活躍してます。私達3人の心と絆は深いのです。だからお互い電話でも話が出来ます。ただ、何故、青木が変心したのか問うているのです。

35日下 一男:2009/01/27(火) 12:30:19
追記:木村氏とお会いした時、彼はこう述べました「青木を潰すのは簡単だ。しかし職員には家族もいる。全てを犠牲には出来ない」と。私も同意見。だが私が「事業団の歴史に問題がある。その為に戦後からの血液事業に携り、更に献血について努力された人達の事を3冊のノートに記し彼に渡した」。彼曰く「日下ちゃん、分るだろう。彼の能力は。だから大事な事柄は君と一緒にいつもしたんだ。酒好きでない僕がいつもクラブや料理屋で話をしたのはそれだけの意味があったのだ」。
 今、考えると確かに彼と私で事業団に残した仕事や財産は沢山あります。仕事では血漿分画製剤の販売や職員教育、その他。財産は土地や建物など。そして非常に職員を大事にし、利益は職員に出来るだけ還元しました。一周年記念品、二周年記念品、三周年記念品、・・・・。今でも愛用してる工具もある。それども利益が余ると職員に革ジャンパーなどプレゼントしたし、赤十字にも寄附をしました。買血業者を亡くし献血一本化になれば当然そうなります。これの経緯については「回顧録」として書いてます。
 どうですか青木氏、この機会に死ぬ思いでアメリカその他の国で取材したエイズ問題になった血漿の裏側の話をすれば。
 青木の良心を信じてますよ。

36検査課 双葉:2009/01/27(火) 14:22:05
事業団には様々な曰く付きがあるんですね。何れにせよ、とんでもない
幹部で固めているんでしたら、解体しないと物事改善しませんね。
どんなに優秀な人材がいても、武装集団で固めておいたら、言いた
いこともいえないだろね。

37日下 一男:2009/01/31(土) 09:52:28
 「双葉」さん、投稿有難う。「言いたいこともいえない」、確かにそうかもしれませんが、職員には投稿してる人達もおりますし、私が何故親睦会に理事の木村氏を会長にせず、職員が自由に運営するようにしたのか理由があります。それは青木も知ってますが、同じ会社で社員研修後に彼は東京支店、私は大阪支店に配属されました。上場企業です。会社には労働組合がありません。当時そのような会社のほとんどが労働組合をもってました。そこで私は大阪支店独自に組合を結成し書記長をしました。普段どうりの仕事を終えてから仲間達と打ち合わせたり、休日には署名活動したり。結成後には地方版記事になるほど賃金アップをしました。その経験から「もし、献血供給事業団が職員を大事にしない組織なら」と考えてそのようにしたのです。でも全くそんな心配はありませんでした。当時の山口専務理事や木村理事は青木や私と職員の待遇についてもより良い事はないか、と常に相談し、吉田理事長の許可を得てました。
 私は個人的に他人の住まいには行きませんが、山口専務の家には三度ほど伺ってます。それは血液がその年にどれだけ必要があるかを数理統計を用いて準備するためです。まだまだ買血業者が多かった時期です。業者は病院の検査室に社員を派遣し「交差試験」もしてたので、赤十字に献血の増加を求める資料を作成するために。五周年記念誌の第1部にはそれらのグラフも記しています。第2部は当時の血液事業関係者の座談会の記事です。
 話は戻しますが、親睦会はいつでも労働組合に変えられる仕組みにしてたのです。しかしその必要性がない事は以前書いてますし、今の記載でも分るでしょう。
 それだけ幹部は職員を大事にしてたのです。
 付け加えますが、制度面では2級主任と1級主任の試験があり、1級を得て始めて係長になるようにしてました。

38物見遊山:2009/01/31(土) 15:20:36
自慢なの?それとも
職員の教育のことなの?

39日下 一男:2009/02/01(日) 01:28:24
 当然、職員教育についての話です。首尾一貫してますが時には皮肉も入れてます。創立時には局長の下に総務課と業務課しかありませんでした。供給課などありません。職員が血液事業について充分勉強しなければ係長などになれない仕組みになってたのです。だから制度面に触れたのです。この制度が活用されてれば今のような人事は無いのです。無能集団がふんぞり返っていられないでしょう。
 私が過去について記したのは、自信を持って職員が血液センターの人達と論議が出来る事を望んでいましたから。実際に職員もそれなりに行動しましたので、別のスレッドで山口血液センターにいる田辺秀一氏(なべちゃん)に連絡してます。彼も熊本血液センターに一緒に行き樽見所長にもお会いしてます。彼も立派だし、また仔細について証言者ともなります。
 とにもかくにも、青木理事長がこのスレで滅茶苦茶に書かれるのは自業自得と認識しなければいけません。
 もう遅い時間ですから改めて、この場で彼に思いを伝えます。

40おおつ:2009/02/01(日) 08:41:35
自分語りするのなら、短歌や交友関係よりも自身の献血の事がよろしいかと

41日下 一男:2009/02/01(日) 10:54:34
献血については、すでに昭和44年1月17日に日本赤十字社に特別社員としての特別社員証書を頂いてます。それ以来も数え切れないほど献血もしてるし、仕事柄献血と呼べない血液の提供もし、すでに書いてる病院からも事業団に対しての感謝状もあります。ですからここに投稿される人達にもっと「献血供給事業団」についての知識を持って対処されるよう希望しているのです。日本赤十字社では戦後間もない時期にすでに当時の日赤病院内に血液センターの前身とも言える血液銀行が設置されてます。
 現在私自身は年齢的な制限で献血に協力できないですし、過去の過度な血液提供によるのか原因は定かでないが赤血球数も400にも満たないです。
 「おおつ」さんもいろんな所でお目に掛かりますから、私の投稿全てにお読みになって是非とも私達の意思を受け継いで下さい。
 少なくとも「献血供給事業団」の存在が無ければ売買血を追放し、「献血一元化」は難しかった、と誇りを私達は持っています。日赤では一時期買血しようとしたのです。それをしてればアメリカのような状況になっていたでしょう。私達が目指したのは英国並びに英国系の国々が導入した「国が責任を持って血液事業を行う」ということです。
 このような国々の赤十字職員の地位(給料でなく)は日本より遥かに高いです。尊敬もされます。

42おおつ:2009/02/01(日) 11:11:16
>>41
> 私の投稿全てにお読みになって

これハードル高いです
勘弁して下さい

43日下 一男:2009/02/01(日) 13:19:44
「おおつ」さん、勝手な解釈ですが、「好意」を持っての投稿と受け感謝をします。
政治的な発言はあまりしたく無いのですが、諸外国でNHKは国営放送と見做されています。英国のBBCと同じです。BBCは王室に対しても政府に対しても圧力に屈する事など無く、常に自由に、また公平な視点で報道をする事で世界で有名です。そのBBCが英国民に対し「世界で最も尊敬する皇族は誰ですか」というアンケートを求め調査結果を発表しました。その結果は第一位が日本の天皇陛下、第二位がローマ法王、第三位がエリザベス女王です。日本赤十字社は皇室と代々深い関りがあります。現在の日本赤十字社の名誉総裁は美智子皇后、副総裁は皇太子御夫妻を始め皇族が多数おります。そして日本赤十字社社長は近衛忠輝氏(公家のトップ近衛家の当主)です。平安時代には近衛家は京都御所のすぐ前に屋敷があり、朝廷を守る事に専念したのです。だから近衛は「近くで衛(まもる)」に由来してる、とも言われてます。
天皇は戦後に国民の象徴とおなりになり、大変な御仕事をなされております。昨年などは特に政治については公務が2倍近く増え、天皇誕生日には極めて異例とも思われる御言葉を述べられました。御自身の健康や御病気について話され、また皇太子妃雅子様の御病気についても御配慮されておられました。これが御家庭や御家族の「心と絆」である、と私は深い感銘を受けました。
これは献血供給事業団の会長である笹川堯代議士の奥様が御亡くなりになられた時の「愛の篭った」文章に反映されてると考えております。
青木理事長はどのように受け止めておりますか。また何故事業団の歴史について沢山話をしてるのか必ず追求します。

44日下 一男:2009/02/01(日) 14:50:11
追記:青木理事長、貴方が友達と私に話した現宮内庁長官の羽毛田氏(旧厚生省からの天下り:頭がつるつるなので自分で禿田と言ってる)ですが、昨年当初に天皇陛下御夫妻と皇太子御夫妻との事について発言したのを覚えていますか?彼は皇太子御夫妻を批判してます。年末に記者団に対し「出すぎた事」をしたと弁明してますが、こんな長官は即刻辞職するか罷免すべきと私は考えますが、青木からも忠告されては。雅子妃は元宮内庁長官で日本赤十字社の特別顧問の藤森昭一氏を側近とし、また良き相談相手にして一時期公務に戻られました。しかし羽毛田氏になってから病状はむしろ重くなり現在に至っているではないですか。青木にその権限は無いですが貴方が常に傘にしてる笹川氏なら自民党の総務会長ですから場合によっては可能でしょう。
更に今年の参賀に際し、天皇陛下は「国民の生活状況」に言及してます。戦前なら麻生総理は辞職ですが、そこに頭が回らないのか、天皇陛下の御言葉に何の反応もしてません。
麻生総理の態度は今の青木理事長と重なります。幾ら周りを固めてもすでに貴方は「裸の王」です。職務に励む職員に同情します。創立記念日に休み何をしてたのですか。せめて各部所を回り励ましの言葉を述べたら随分違うでしょう。事業団にお金が無いと電話で言ったが、それならあれだけの給料なら今月からでも無給にすれば良い。役員は無給、局長以下は%を決め減給すれば良い。それが経費削減に苦しんでいる日赤の血液事業にも寄与する。民間企業は正社員の賃金を下げたり、雇用解雇までしてるのですよ。
いずれ分ります。事業団の歴史が必要かを。ヒントは「血液事業のあゆみ:日本赤十字社」

45蝦夷っ子:2009/02/01(日) 15:26:25
北海道赤十字血液センターの霜山先生の件についても
お願いします

46日下 一男:2009/02/01(日) 17:59:14
 回答になるか分りませんが、一応知ってるのみ御返事します。本人とはお話した事はないです。但し、昭和52年に発足した「日本赤十字社血液事業学会(後の血液事業学会)」にはよく論文も投稿されてますし、また本も出版されてますから立派な学者であると認識してますが。何か問題でも?現在もいるかどうか分りませんが、種埼健(当時は総務課長)氏が知人(今は連絡取ってません)なので様子を御聞きになれば、と思います。
 補足しますが、初代所長の浜中氏は先見性があり、全国でも当時から道内の各血液センターは札幌で一元化してました。次の所長の関口氏は東京まで車椅子でお越しになり、会合に出席されてました。また、臍帯血事業を事業団がやるようになった時に東大医科研の高橋教授(理学博士)は関口先生の部下です。高橋教授にはお世話になりました。現在は海外にいます。関口先生の時代に私は退職してます。

47日下 一男:2009/02/02(月) 10:37:07
 当面は青木理事長の個人の話には触れないようにします。
 公益法人としての「財団法人 献血供給事業団」が後世に残す事があります。この仕事は難しいものではありません。企画課またはそれをやるのに相応しい人を任命し、私が略語辞典を作った時のように、製本用紙を購入し、それを表裏にコピーして、製本専門業者に依頼すれば「貴重な資料」になります。出来ればハードカバーにして。つまり事業団創立の折に佐藤忠司氏が3冊寄附してくれた「新聞記事」の事です。
 私が4年に渡り国会図書館で集めた新聞記事、これは昭和元年から医療関係に関するものです。当時、貴方が購入してくれたキャノンの機械に20以上の分類をして、昭和元年から昭和5年まで打ち込んだdiskがあります。それ以降は臍帯血事業に忙しく、昭和6年以降の新聞記事はそのままにして事業団に有る筈です。記憶には昭和42年ぐらいまで。その中から「日本赤十字社」「献血供給事業団」関係だけの記事を年月日順に整理すれば「重要な資料」になります。部数は製本業者と貴方が相談すればよろしいかと。事業団だけにすれば3冊は必要です。貸し出し用に1冊、あとの2冊は事業団に残すように。
 これを真面目に考えて。費用はそんなにかからないのでは。
 あとは前に書いた「血液事業のあゆみ 日本赤十字社」ですが、私は非常に怒ってます。通常は「誰が、いつ、何の為に、どのような目的で、何をした」と記載されます。それが全く抜けてます。巻末にある人達をみれば分りますが、編集委員長、委員、幹事、執筆者はほとんど知ってる人達です。その中に、幹事・執筆者として白戸恒勝氏がいます。このような人が事業団の専務理事・局長として存在してるとは。更に不思議なのは昭和60〜61年頃には完成してると思われます。文を読めば。でも出版は平成3年8月31日です。
 私は都センターで退職のために荷物を整理してる松永信夫所長にお会いしてます。この時に「血液事業のあゆみ」を読んでいたら、おそらく松永氏に信意を聴くでしょう。以後、その本は封印してました。
 だから青木理事長に何度も事業団独自の記念誌を書くように伝えたのです。このままでは日本赤十字社に事業団の記録は残りません。
 青木理事長の決断に期待します。このままでは血液事業から消えてしまいます。
 同じような事が臍帯血事業にも及ぶかもしれません。当時、厚生省は財)骨髄移植推進財団を創っています。役人のする事は分るでしょう。出来の悪い子でも可愛いものです。いつ統合するか企んでいるはずです。だから今の内に記録を残すように。

48蝦夷っ子:2009/02/02(月) 21:46:55
>>46
霜山先生が北海道赤十字血液センターともめてるんですよ
霜山先生が悪いとは思えないですけど
plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200804050003/

49日下 一男:2009/02/03(火) 10:44:52
「蝦夷っ子」さん、私は文を読んでも理解出来ないです。示してくれたものも消去されてます。霜山先生は現在どのような立場で、センターと揉めてるのか、また論点がどうなのか、も分らないですし、貴方の身分もどういう立場なのかも分りませんので、返答は無理です。ましてや私は部外者です。
 北海道について全く知らない事とは言えませんが。学生時代に旭岳に登山してるし、近くの天人峡に宿泊したり。叔父の勤務してた三菱鉱業の美唄炭鉱にも行ってます。また学会で何度も行ってますので、旭川センターや函館センターにも知人がいます。更に事業団の旅行や仕事でも行ってます。ですから非常に馴染みが深いです。
 私は調べようと思えばほとんど把握出来ます。例えば、警察庁は大きく分けて刑事部と公安部で長官は公安部からが慣例になってました。現在はテロ対策部があり、今後はここが実権を握ると思います。
 北海道は平成19年でも献血率が全国でトップです。日赤では毎年表紙の色を変えて「血液事業の現状」を出してます。年度でなく年で。
 北海道の社会情勢は非常に厳しいですね。大手デパートの丸井今井も馴染みがありましたが、破産したし、夕張始め危険な市町村も多いのに、「献血に協力されてる道民」には頭が下がります。本当に心の暖かい人達に感激してます。
 話を戻しますが、以上の事を頭において再度連絡して下さい。

50くまっ子:2009/02/03(火) 12:18:19
plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200804050003/

北海道赤十字センターの醜聞 その2
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 労働基準法73条では行政機関の認定を受けてからの即時解雇は有効だが、日赤側はこの手順を踏んでいなかったことも法廷論争のひとつのポイントになりそう。
 さらに霜山医師がテルモ社のフィルター事件を告発した事実が解雇の背景にあるとするなら、これは「公益通報者保護法第3条」に抵触する。
 霜山医師は日赤が準備書面で提出している職員の証言についても「個別に聴取し、私の悪口を誘導して書かせたもの。さらに裁判になってからは血液センターは、職員や出入り業者に対し、もし私からコンタクトがあった場合は逐一報告させるように指示を出している。私は元の職場の人間に連絡をとるようなことはしていないが、先般、ある印刷業者から『霜山先生の印刷物は受けないように』と言われたと連絡があった。そこまで姑息なことはするな、と私は申し上げたい」

 そんな矢先のことだった。この霜山医師が、UHBの朝のワイド番組「のりゆきのトークで北海道」に出演した。この日のテーマはメタボリック症候群。厚労省が習慣性の成人病予防のために一定の基準を示し、健康診断を義務化する方向であることから、いま、大きな波紋を広げている。この日の番組では現在セカンドオピニオンを開いている霜山医師がゲストコメンテーターとして出演を依頼された。
 ところがこの番組が終了して間もなくのことだった。UHBの視聴者相談室に数本の電話が入ったというのだ。内容はしめし合わせたように「あんな医師を何でテレビに出すのだ」というクレーム。しかもはっきりした理由もいわず、いずれも匿名の電話。UHB側もその真意が分からず戸惑いを隠せないが、霜山医師自身は「そういう電話をいっせいにかけてくるところは大体想像がつく」と語っている。
 匿名の電話やメール、これほど無責任なものはないし、たとえ、いま霜山医師が解雇をめぐって民事裁判で係争中であっても、メタボをテーマにしたテレビ番組に出演したとしても何ら関係のないこと。(以下略)


 この記事の中に、日赤血液センター職員(恐らく札幌血液センターのこと)による違法行為の一覧表が掲載されている。これには呆れる。例を挙げると、
●所長 公用車で帰宅しているのに通勤手当を満額受領
    学会のたびにオリンパス社やダイナボット社から供応を受けた
 部長 ススキノでホステスにセンターのチケットをばらまいた
 課長 新札幌出張所長時代、看護婦と不倫関係になり、職場を二人で牛耳った
    ガールフレンドを入社させようと上司を二人で接待した
 係長 献血者用テレホンカード横領

 上に引用したのはほんのごく一部。もしこれが「虚偽」なら、この雑誌の出版社は日赤に訴えられるだろうが、日赤が恐らくそうはしないということは、何らかの「証拠」を、出版社側が握っているからなのだろうとしか考えられない。
 ということで、この組織はどうなっているのだろうかと、ヨソゴトながら嘆息してしまった。


 恐らく、この先生がアップしているブログがここでしょう。
http://simo-ryu.cocolog-nifty.com/blog/

PS 以下は、上に紹介したサイトからの引用。
● 2008年4月29日 (火)
Cherryblossum
 昨日キリンビール園で花見をした。日本人にとって桜には散る美しさがある。侍精神であろう。私自身はさように情緒的ではないが。さて、参加者はバラエティに富み、途中から鈴木宗男夫妻が参加した。

かれは人気があり、いっしょに写メをとりたい人が続出し、ひと段落すると政治談議に花が咲いた。奥さんとは中川事務所であり、中川一郎の進めで結婚したとのこと、一男二女で、末娘さんが政治向きなのは皆さんご承知のところで、後継者と目されている。

 個人的な収穫としては、松山千春のコンサートチケットを手配してもらったことと、東京での訴訟に備えて、弘中淳一郎弁護士に紹介してくれること、さらに次期○○選挙で、新党大地公認を約束してもらったことだ。というのもあのとんでも弁護士を換えるためには移送しかないということだ。(引用終わり)

 ということで、私は鈴木宗男や松山千春や佐藤優をウンザリする連中だと思っているけれども、鈴木宗男は外務省経由で日本のエスタブリッシュメント(川島裕・緒方貞子・三井財閥)にも繋がっている実力者である。この「実力系譜」を後ろ盾(?)にして、赤十字と闘うこの先生の裁判結果がどうなるのか、興味深いものである。(4月29日)

Last updated 2008.04.29 19:17:45

51日下 一男:2009/02/03(火) 22:06:32
 正直に言うと全て読むのに疲れました。しかし、霜山先生に対する思いは充分分りましたし、関口先生もおそらく高橋先生を庇うために、敢えて手放したのでしょう。別のスレッドでも道内センターの事が沢山投稿されてるのも納得です。何か中国の詩人「春望」の景色です。時間がないので詳細は省きますが、霜山先生や御家族の人はくれぐれも身辺に留意されるように祈念します。
 比較するのも変ですが、事業団の会長笹川氏が遥かに立派です。逃げ隠れしません。昔、幹部会の忘年会で幹事をした時、会費を払わず帰ろうとしたので理由を述べ会費を貰いました。また御自分で庶子であるのも話されてます。私の故郷の宮城・松島に疎開されたのも、双子の男が誕生された際も「まいった」の一言。実に人情味があり、武士道のある人です。多分、父上の笹川良一氏の血を受け継いだのでしょう。戦後、同じ右翼として笹川良一氏と児玉誉士夫氏が同列に扱う人もいますが、全く違います。笹川代議士も話してますが、父に対しては常に直立不動の姿勢で児玉氏も同様です。闇の世界=ヤクザについても沢山知ってますが、いずれも親分はしっかりしてます。本当に怖い世界があります。これについては別の日に伝えます。明日は診療とナイトケアがあるので。
 本論に戻ります。霜山先生が血液事業から離れるのは絶対に駄目です。日赤にとっても献血者にとってもマイナスです。もう訴訟になってるので結果を待つしかないです。最高裁までいくなら亡くなられた遠藤誠氏が最も適任者でした。彼は右翼から左翼まで頼りにされてましたから。また高校の先輩で、貧乏な家庭でしたが、母の父(私にとってはおじいちゃん)がお金を出し東大を卒業しました。所謂社会派の弁護士で、仏教界の大御所で著作も沢山あります。先輩には今NHKの大河ドラマに出演してる宍戸錠や弟(奥様は千秋なおみ)など他にも多くいます。また大学の時同級生に浜田光男がいて「愛と死をみつめて」のロケに来てた浜田光夫と吉永小百合の4人で一晩飲みましたが、両浜田はダウン、結局は吉永小百合と二人、彼女は未成年、でも酒豪です。呆れてマスターが鍵を置いて帰りました。
 余談になりましたが、霜山先生には是非血液事業の世界に残って欲しいですね。必ず勝訴すると思います。
 今日は節分、貴方は道センターに向けて「鬼は外、鬼は外」と豆を投げて下さい。私に投稿したのはNo983からの投稿全て読んだ上での事と思い、応援します。尚、パワハラは立証しやすいですが、セクハラは難しいです。女相手なので同じ行動でも良い印象を持つ、逆に嫌な印象にとられる事もあります。実際に入院中に患者さんが看護師にそう受け取られ医者に説教されてます。経過の報告を待ってます。

なられた遠藤

52日下 一男:2009/02/05(木) 20:38:23
 青木理事長、昨日、論談に吹浦氏から投稿があり、それを読み私の思いを論談で伝えました。誹謗中傷との事は「事実は事実」と伝えました。
 以前から伝えていますが、No47の投稿を是非とも実現されるよう願ってます。
 次にこのスレで投稿するようになってから、真面目な投稿が多くなった、と感じていますが、貴方はどう感じていますか?私は時として皮肉も書いてるが、事業団に対する思いは強く、むしろ貴方をある面において擁護してます。全て述べれば大変な事になります。とにもかくにも血液事業から事業団の名が消えて欲しくないです。
 改めて伝えます。血液事業に事業団の名を残されるよう切望します。

53採血課:2009/02/06(金) 02:06:35
別に事業団の名が残っても別に良いと思います。
誹謗中傷されるのは、そういう事をするからされるんでしょう。
中身をそっくり入れ替えれば、よいことじゃないでしょうか?
多くの人の期待に応えられない方は辞めてもらった方が良いでしょう。
日下殿がいくらここで叫んでも、本人の自覚が無くてはどうしようも
ないことでしょう。

54日下 一男:2009/02/07(土) 17:32:37
「採血課」さん有難う。「本人の自覚が無い」のであれば仕方無いです。諦めましょうか?でもそれではNo983から投稿したのが無駄になります。折角なので次の事をお伝えします。
 今日、木村氏と「論談」の件で電話で話しました。それから再度「論談」に、吹浦氏に対し投稿しました。
 木村氏は私に対し「好きなようにして構わない」と。いわゆる「お墨付き」です。でも私と同じように「職員が無事に退職される事を望む」と。お互いに詳細に話をした上での事です。
 何とか青木理事長に創立の原点の心を取り戻して欲しいものです。論談には月曜日に掲載されるでしょう。

55物見遊山:2009/02/08(日) 11:46:34
青木理事長の反応に
注目ですね。
またスルーですかね?
論談も期待!

56余裕あり:2009/02/08(日) 17:08:45
俺は何を書かれても
平気だよ。
沢山お金も有るし。
これが青木の心だ。

57関西人:2009/02/08(日) 18:17:18
桃山学院大卒だもん

58日下 一男:2009/02/08(日) 23:03:12
 そうです。しかし青木を含め会社の試験を100人以上の受験者から10人程合格したのです。上智大や立教大などの人達と。当時、私は私大は早稲田大と慶応大ぐらいしか知りません。国立大なので面接しかしてません。案内してくれた人に聞いたら「採用試験だ」と。
 なので、彼は優秀だと思う。大阪支店に配属された事は以前に記したが、元来、織田信長の時代に商道は堺で楽市や楽座ですでに日本の基礎は出来てる。欧州では戦争で忙しい時期に。
 でも、関西だから、と言うのはちょっと気の毒。要は心の問題、真心だと思います。昨日木村氏と1年振りに電話で話が出来るのはこの心があるからだと思います。恐らく青木はこれが出来ないと思う。木村氏の話の内容から。
 私はこの「献血ちゃんねる」が好きなので、知人が「止めた方が良い」と言うが、投稿は続けます。あの超有名人で人脈の広い吹浦忠正氏が何と言おうとも。
 投稿された貴方の他に「おおつ」さんや「わさび」さんにも感謝してます。この人達はいろんなスレで投稿を読みますが本当に「献血」を理解してると思う。
 私は土曜のフアン・ジニと日曜の天地人(どちらもNHK)が好きで,今見終えて、書いてます。前作は「一流になる為の物語」、後作はほぼ史実に近い直江兼続の大河ドラマ。
青木にこの人の爪の垢でも煎じて飲ませたい。徳川家康から120万石から30万石に減封された上杉家だが、主人公の直江は一人も首切りせず、生きる方法を家老として職務を果たした。
 私はこの米沢で2年半工学部の高分子工学(今は機能高分子工学で、充実度は全国大学で4位にランク:河合塾調査)を専攻しました。このランクも先輩や後輩の努力によるものと感謝してます。同級生もここの教授をしてたが腰を痛めて任期途中で辞めたが。
 とにかく青木は自分の事ばかりでなく職員を大事にして。木村さんはそれを一番心配してました。
 外国旅行しなくても日本には素晴らしい所が沢山あり、それぞれの文化を持ち、八百万の神もおり、違う母語を持っても、世界にも無い綺麗な日本語があります。青木も経験したと思うが日本語ほど難しい言語はないです。縦書きや横書き、平仮名やカタカナ、更に英語の略語も入るし、主語が無くても話が出来る。
 他にも沢山あるが「木村さんの言葉(言霊と思えば良い)」は確実に伝えました。

59リーマン高杉:2009/02/09(月) 00:30:00
たしかに青木は職員を大事にしないね。チルチルミチルは
便利だから上手く使うのも一つの手ですか。
またそれにぶら下がっている部下がウジョウジョ居ることも
大きな問題だね。事業団=日和見集団とでも言いましょうか。
日下様の投稿は大いに意義があるでしょう。あと監事・幹事
は違うと言ってた方もいらしたようですが、これこそ世間一
般ので言う屁理屈も理屈の一つだと言うことと全く一緒で
しょう。

60日下 一男:2009/02/09(月) 06:40:01
投稿有難う。中学からの習慣で3〜4時には起きています。これは事業団に在籍してた時も今も変わりません。
事業団=日和見集団ですか。武士道のある人もいると思ってましたが。剣道がオリンピックの種目にならなくて良かったと思います。礼に始まり礼で終わる。この伝統は守りたいですね。柔道はオーストラリア人によって大きく変化し、見苦しい競技となりました。昨日飽く迄古来からの柔道に拘る内柴さんが優勝したが、拍手したいです。兎に角、日本が強い種目だったものは白人により全てルールが変更される。バレーボールもネットが高久なるし、札幌オリンピックのスキージャンプで1〜3位まで日本が独占したらまたルールを変更、身長の30センチ以上のスキー板は使用禁止になる。これでは身長の短い日本人は不利になります。
青木はこれと同じような事をしてる。私が退職したら4月から規則を変えた。く
厚顔無恥とはこれを指す。
私の大学では教養課程から総合数学は英語の原書。代数学や幾何学、数理統計学などは日本語だが。工学部は独語が必修なので教養課程で基礎を勉強、専門課程になると有機化学と化学実験は独語の原書。且つ、試験は出席日数が3分の2以上でないと受けられない。凄く厳しかった。クラスは40人だが4人は卒業出来なかった。
私は以前、主任には2級と1級があり1級を取らなければ係長になれない事を書いた。この制度は廃止されてない筈だ。これを活用すれば良い。
いつも言ってるが人は財産です。血の滲むほど努力が必要。創立時には寝ないようなもの。残業時間も130時間は超えてる。それを一緒にやったではないですか。残業時間は当時の労働法により、70時間分の給料でしたが。
何度も言うが無能な幹部は辞めさせなさい。高い給料を払うなんて日赤に申し訳ないと思わないのか。青木や白戸氏は初代理事長や笹川専務のように無給で良い。
「リーマン高杉」さん、吹浦氏について触れてくれて有難う。彼は秋田で私は宮城、同じ東北だから話は分ると思う。

61日下 一男:2009/02/09(月) 09:20:36
ついでながら「縁」とは不思議なものだ。社会人になった時3月半ばから会社の研修があった。その時に担当したのが武富氏。これを叔父とする職員が事業団にいる。彼に言っとけ。研修後に高卒の女子達が私だけ横浜の中華街に招待してくれた。これを武富が問題視して2名の有能な新卒女子が会社を辞めた。私は武富を憎む。企画課長の時、北田がノイローゼ状態の時に講師に来たのがこの会社の当時、名古屋支店長の内海氏。面識がなかったが懐かしかった。次は結婚まで考えた長谷川浩子。三越新宿店に勤務してた。デートの時に北村悦子さんが新宿の犬屋で犬を眺めているのを見てる(北村さんは忘れてる)。その後、歌舞伎町にあった王城(1階が喫茶店、地下がパブ)で彼女とデートで地下のパブに入った。しばらくしたらマスターが「あちらのお客様から」と言ってカクテルを私と彼女に置いて行った。しばらくしてから御礼に行きました。「どなたさんですか」と聞くと「事業団の日下さんですよね」と言われたので「全く心当たりがないのですが」と答えたら「相互ブラッドバンクから都日赤センターの検査課に入った相河です。今日は太田で勉強会があり、一緒に出席した女性とここに来ました」。それが相河氏との交際の始まりです。また池袋で池上幸尚氏の弟(NECに勤務し優秀な人で発明品で報奨金も貰ってる、飲んだスナックの常連客)と3人で飲んで「澄子」と言うママと話してたら段々田舎に近くなり「姓」と聞くと「西山」と答えたので「私の同級生で西山文子と言うのがいるが」と言ったらママは「文子の妹です」と言った。吃驚した。また事業団の話ですが、私の妹に「悦子」がいる。北村さんもそうだが、小懸悦子さんも同じ。しかも小懸さんの御主人は私の叔父の息子と同じ東京薬科大を卒業してる。今でも交流があるとか。
このように人は必ず何処かで繋がりがあります。また桜井よしこさんは小川茂君の先輩で、彼女を見てテニス部に入った、と彼は話してる。前に吉永小百合について書いたのは青木がさも親しいような話を私にしたから。
青木理事長、人は必ず「縁」があります。忘れないように。いずれ、木村氏や初鹿野氏についても青木との関係について書く日が来ると思う。

62日下 一男:2009/02/10(火) 10:34:19
サイトの「管理人」さんに迷惑と思いますが、事業団にとっても「歴史」に重要な事柄がありますので暫く投稿する事を許して下さい。尚、掲載不能と判断されれば連絡願います。
1976(昭和51)年5月に業務部が沿革どうりに間違いありません。この年は世界にとっても事業団にとっても重要な事柄が多いです。6月22日ロッキード事件で全日空丸紅から初の逮捕者、7月8日東京地検が外為法違反で全日空の若狭社長を逮捕、7月13日同容疑で檜山丸紅前社長を逮捕、7月27日田中角栄前首相を逮捕、その後佐藤孝行や橋本登三郎など同事件での逮捕者あいつぐ。7月3日ベトナム社会主義共和国発足。7月20日米国の火星探査機が火星軟着陸に成功。9月9日中国の毛沢東主席死去。
献血供給事業団の大きな変化は組織機構の改編による新体制であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
業務連絡会議(昭和51年4月12日午後2:00〜)
司会 竹内局長 (出席者)木村業務課長、菅野総務課長、青木武蔵野支所長、日下業務課長補佐、西林葛飾出張所長、山本城北出張所)
 議題 1 組織機構について
    1 それに伴う部内人事について
    これについては次のとおりとする。
 業務課を業務部とする。
 事務局ー業務部ー業務第一課、業務第二課、検査室 に改組する。
 業務担当について
          続く

63日下 一男:2009/02/10(火) 12:09:37
 業務第一課(1)輸血用血液の業務全般に関すること
      (2)輸血用血液の需給調整に関すること
      (3)輸血用血液の器具販売に関すること
 業務第二課(1)血漿分画製剤販売に関すること
      (2)その他医薬品に関すること
      (3)前二項に付随すること
 検査室 従来どおりとする
現在事業団職員は局長以下64名(女子10名)である。
 改組による人事異動は次のとおりとする。
業務部長兼務業務第二課長 木村雅是 業務第一課長 青木繁之
武蔵野支所長 日下一男 葛飾出張所長 西林靖紘 城北出張所長 山本嘉八
業務第一係長 五代和夫 業務第二係長 秋葉要明 武蔵野係長 児玉政夫
葛飾係長 唐田忠司 城北係長 本橋喜代一 業務第二係長 中沢政夫
 職員の異動について
古川繁治 総務課ー一課 紀平和美 業務ー総務課 山田善恵 業務ー葛飾
斉藤秀之 業務ー武蔵野 千葉敏明 葛飾ー一課 斉藤薫 武蔵野ー城北
山内功 城北ー武蔵野
 以上 人事異動の発令は5月1日付とする。
 その他議題
 1 本部事務所建設(地下一階、地上三階)
 1 車両整備
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 以上なことで新体制が発足した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 課長会議 (昭和51年6月4日)
司会 竹内局長 (出席者 木村部長 青木課長 菅野課長 日下武蔵野所長)
 議題 1賞与の件( 守秘義務により省略します)
    1建築の件(本部建物)
    110周年記念行事について
    1コンプータ導入の件
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 このように課長会議と業務連絡会議は厳然と区分された。つまり管理職会議とは課長会議である。
 これが私の以前に書いた自伝記の事です。

64日下 一男:2009/02/10(火) 15:14:50
追記:上記した6月4日の課長会議に藤田賢二郎氏がオブザーバーとして出席してるので、肩書きが無いですが何らかの重要な位置にいるか、単なる書記なのかハッキリしません。その翌年1997(昭和52)年の業務会議の事が記されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 業務連絡会議 (昭和52年5月13日午前10:30〜)
司会 竹内局長 (出席者)木村総務部長、青木業務部長、末綱総務課長、日下武蔵野支所長、西林葛飾出張所長、山本城北出張所長 藤田(肩書き不明)
局長から話が始まり次のような要点。
1.田中血液事業部長の就任に伴って招集された日赤の血液センター部長会議に私もオブザーバーとして出席したので、その一端を紹介する。
(1)現在日本国内で使用されている分画製剤に占める日赤の献血によっての原料血は20%足らずで残りは外国からの輸入である。
(2)血液事業学会を設立する。
(3)5か年計画で献血本数の引き上げを年々5%以上とする。
(4)全国的な供給体制の整備を行う。
(5)供給手数料について
日赤が委託している業者では東京都が一番安い。卸売連合会500円、岡山・徳島500円、事業団450円。
(6)海外研修について今年は9月25日からの二週間とする。52年アメリカ53年オーストラリア54年アメリカ・カナダの予定。
(7)51年度の血液センターの財政事情、全国センターの内で32〜33センターが赤字である。
続いて事業団についての討議に入る。
 以下に議題があげられ討議が続き、午後から課長会議が始まる。

65物見遊山:2009/02/10(火) 18:13:12
何のために一杯
書いたの?
いっぱい
飲まなきゃ。
青木はどうするの?

66ベンジャミン:2009/02/10(火) 23:04:34
しかし、献血供給事業団にもこんな立派な人がいたんですね。
それに比べて、今の青木軍団は何やってるんだろね。作業室
よりどでかい総務室を作って、この期にも及んでも、スペース
的にも制約がある中、役員室作って反っくり返っているんだから
救いようがない。日下殿、一度辰巳に来て事業団のレイアウト
見てやって下さい。どう見ても変だよ。

67日下 一男:2009/02/11(水) 00:19:44
訂正があります。昭和52年5月13日の中で木村氏が総務部長は業務部長、青木業務部長は業務第一課長が正しいです。申し訳ありません。この体制は昭和53年9月8日の会議まで続いております。また出張所長はどちらも「心得」が付いています。
更に昭和51年4月12日の会議での係長の件ですが中沢政夫と本橋喜代一については「暫定」がついてます。
改めて御詫びいたします。
藤田賢二郎氏の肩書きについては推測ですが、太田出張所長と考えられます。と、言いますのは彼の奥様は太田血液センターに勤務していましたので。

68日下 一男:2009/02/11(水) 01:57:37
「ベンジャミン」さん、投稿有難う御座います。いずれ、いずれと言いつつも、相変わらずの病院通いが続いています。
私は「献血供給事業団」の「歴史」正しいものになるのを希望しているのです。別のスレッドの書いてますが、今の献血制度になった論文は私が書いたのが「基本」になってます。この時の業務会議の事を参考に書きますが余りにも多すぎるので大事な項目のみ記します。大事な項目は{1}{2}{3}{4}{5}{6}{7}になっており、それぞれの項目はまた(1)(2)(3)・・・・というように沢山あります。この日の会議は午前10:00から始まっていますが終わっているのが午後の6時になってます。
この時の事に、私事について書いてますが、それは別にしてもそれが無いと読む相手に伝わりませんので原文のまま書きます。
「これが事業団での最後の会議参加であった。と言うのは、この時点で退職の決意が固まっており、9月に入って間もなく、10月31日付の退職願いをだしたからである。この事は竹内専務の預りで、9月15日まで青木克巳克巳局長以下幹部のしらぬ事であった。この頃、先に作り上げた血液事業関係の論文を印刷、製本する事が決まって、私にとっては記念誌となるものだった。3部作のものを一冊の本に纏める作業が急速に進められた。この時は紀平さん始め総務課の人達が頑張ってくれた。そして出来上がった。「輸血用血液の需給の現状と将来予測(全国と東京都について」というものでA5判もので108ページのもの。巻頭言は竹内専務理事が自ら書いてくださった。非常に嬉しかった。その後、日本輸血学会の村上省三会長が「世界の血液事情と日本の血液事情:献血供給事業団11月1日刊行*私の論文を引用」として、学会誌に発表され、大きな反響を呼び、昭和61年4月からの新献血制度になりました。

69日下 一男:2009/02/11(水) 02:23:39
またまた補充になります。「この時の業務会議」とは「昭和57年8月25日の業務連絡会議の事であり、出席者は竹内専務、青木克巳理事兼務局長、木村理事兼務総務部長、青木繁之業務部長、末綱、西林、藤田、山本、日下
オブザーバー五代」の事です。

70ベンジャミン:2009/02/11(水) 23:38:32
日下様お体大切に。
しかし、今の事業団の業務会議はくだらないよ。
こないだも、あまりにもくだらなすぎて、居眠り
扱いちゃいました。ここの投稿の事を語った奴
は犯人だとか・・まぁ、金玉のちっちゃぃ連中
ばかりだね。

71日下 一男:2009/02/12(木) 09:03:43
「ベンジャミン」さん有難う。病気克服に努力します。しかし、業務会議というのは、各部所においての業務報告やそれに対しての反省や良い事があればそれを取り入れるなどの会議であり、前向きな姿勢が望まれる場である、と思います。犯人捜しなどの会議でない筈ですが。
ところで、私が今まで書いた中に「沿革」についてのヒントを沢山記載してます。
創立以来、業務(血液供給)が優先されいろんな規則は、後回しの状態でした。以前、青木理事長に創立直後の就業規則についても不備がありそれについての加筆修正した書類を渡してますが、その書類は事業団にとって貴重なものである、と思われるので個人で持つために渡したものでは有りません。
この様な状況ですから、備蓄病院や派出所、出張所などの区分についても規則が整備されたのは、だいぶ後の事です。
ですから、今までの投稿で間違いなど指摘してます。また「沿革」には総務部の設立について記載されてませんが、私が武蔵野支所長から本部の業務課長兼務城北支所長として戻った昭和55年3月10日には、総務部長は木村氏、業務部長は青木氏ですので、これ以前に総務部がすでにあった筈です。昭和54年4月19日の課長会議には肩書きなしで記入されてますが、出席者は司会が竹内局長、以下、木村氏、青木氏、末綱氏、日下、西林氏、藤田氏になってます。それ以降の記載を読むとまだ木村氏は業務部長の立場なので、多分総務部は、昭和55年2月25日の課長会議で「組織及び職制に関する規則の改正」が議題の一つになってます。
この会議について、次に書きます。

72日下 一男:2009/02/12(木) 10:13:52
 課長会議 (昭和55年2月25日午前10:30〜)出席者は上記してる
議題1)組織及び職制に関する規則の改正
    総務部を設けその下に庶務課と経理課を置く。
  2)当直体制のとる所は支所とする。
    昼間のみ運用の所は出張所とする。
  3)幹部人事異動の件及び異動時期について
総務部長木村雅是、業務部長兼務業務第二課長青木繁之、業務第一課長兼務城北市所長日下一男、庶務課長藤田賢二郎、経理課長末綱忠雄、武蔵野支所長西林靖紘、葛飾支所長山本嘉八、尚、辞令は3月10日付とする。事務引継ぎについては速やかに行う。
4)係長昇格の件、南公文を係長として異動する。5)新入職員の配置について及び教育関係について、期間は4月1日〜13日までとする。6)八王子支所開設の件、5〜6月とする。7)寮借用は三鷹に一つ。8)旅費規定は改定を要す。9)交際費は残り少なく極力抑える。10)コンピュータ導入で日赤はストップする立場だが当団としては早い時期に行う。11)制服については部長以下に支給する。12)輸送バッグは25本入り15本入り二種の個数確認をする。
 以上

73日下 一男:2009/02/12(木) 10:43:20
どうですか?青木理事長、白戸専務や北田総務部長以下部長や職員の皆様、私はこのように克明に記録を残しているのですよ。これで総務部がいつ出来たか「沿革」に記入出来るでしょう。私は前から書いてるように事業団に対して愛着心があるので教えました。だから青木理事長に何度も「事業団の歴史」について話かけたのです。貴方はこのように克明な記録を残してますか?私に対しては大酒飲み程度に思っているんでしょうね。青木の性癖についても記載してますよ。でもそれには直接には触れてませんよ。
人は財産という事を再度考え、職員を大事にして下さい。

74日下 一男:2009/02/12(木) 14:16:01
再度「沿革」について。昭和42年10月の葛飾出張所開設は無く昭和44年6月1日が正しく、この時から宿日直をしてるし、先に書いたように葛飾支所は昭和55年3月と明記すべき。昭和43年10月の城北出張所は日大板橋病院内が正しい。都立豊島病院内に城北出張所を開設した時期について調べてみるが、今のところ記載事項がない。比較的早い時期少なくとも昭和50年前だと思う。また、都立駒込病院内の派出所は昭和47年頃で期間が短くすぐに備蓄病院になった。太田出張所については全く記載がなく、申し訳ない。だが、城北出張所を支所と呼称するのは昭和55年3月から(都立豊島病院内の出張所から)。これが独自に土地を氷川台に購入し、建物をつくり移転した城北支所に結びつく。あとは指摘する事はないです。

75当時を知る関係者:2009/02/13(金) 14:58:27
大筋について、分るが
当時は供給が優先され
整理は難しい筈。
買血時代の全盛
時代。

76断言はどうか?:2009/02/13(金) 22:59:47
再度調査されては
如何ですか?
何事にも完璧な
ものは無いです。
人の記憶も薄れて
しまいますし。
ノートに転記ミスも
有りうると。

77日下 一男:2009/02/14(土) 00:17:21
確かにそのような事もあると思います。昭和42年の記載にたった一行ですが次のような事が書いてありました。「夏に都立豊島病院に行きカルテ保存室を見た」。場合によってはこの記述が重要なものかも。出来るだけ当時の事を思い出し、また当時の事を知る人もいますのでそのような人達にも確認します。
問題なのは、去年の父の十三回忌の時に、五周年記念誌を始め重要と考えた書類など全て田舎に置いてきたので確認が取れません。また自伝記とも言えるノートを書いてから手帳やメモなどは焼却処分してるので、今のところ何も言えません。
もし間違いなどがあれば御詫びし、訂正箇所も正確に記します。もう少し時間を下さい。当時は確かに忙しくいろんな事をやってましたから。とにかく青木理事長にも何度も伝えたように、事業団の「歴史」を正しくする事を自分自身でもしなければならない、と考えて、ある意味で反省を込めて先に記述したものを訂正するかもしれません。

78日下 一男:2009/02/14(土) 22:09:18
全て分りましたので、御詫びして訂正します。No74の葛飾については自分の事であり、辞令は葛飾出張所(心得)です。実際は9月半ばに準備の為に行き、血液センターの人達と同室で女子事務員と一緒に作業しながら男子職員と血液の供給をし、一室を借用して運用したのが10月1日です。ですから「沿革」どうりです。次は私の記憶違いです。結論は「沿革」どうりです。これについてはポケベルが重要な武器になってます。更には各都道府県の「各血液センターの独立採算=採血区域=献血者数」が大きな要素を占めています。区域の詳細は省きます。結論は城北派出所は存在してません。日大板橋病院は大規模な備蓄病院で、都立豊島病院も同様です。本部からのルートは2とうりです。1つは新宿ー豊島ー板橋ー練馬、もう1つは杉並ー中野ー板橋ー練馬の病院を対象に。緊急を要する時はどちらかの病院から持ち出し供給します。ですから纏める前に当時の課長青木氏に都立豊島病院に城北出張所の件を報告し、彼が後は交渉したと思います。
後は太田です。これは2つになります。最初は蒲田にあり、児玉氏と山崎氏、大森赤十字病院の横に新しく作られた血液センター(昭和44年11月)での時は藤田氏、土本氏です。派出所といっても直勤は少なく本部から品川ー太田、目黒ー太田経由で太田派出所に行き、他県から空輸される血液を羽田空港まで受け取りに行き帰りも似たようなルートで血液供給しながら本部に戻る、これが多かった、という事です。人も少なく職員は最大に働き、また宿直や日直もし、また翌日も勤務する日々でした。何処の部所も同じです。理事長以下全て「献血一元化」に向けて邁進したのです。
献血者の皆様、「献血供給事業団」の創立後について再度考えて、投稿されるよう希望します。尚、現在の事業団の姿勢に異論があれば誰かが投稿したように「ビシバシ」指摘して下さい。青木理事長以下読んでる筈です。

79投稿しても:2009/02/14(土) 23:15:41
無駄でしょう。
腐れ東京赤十字がこんな団体に何年も運搬頼んでるだぜ。
献血者が投稿したってどうにもならんよ。

そうでしょ、青木理事長。
反論があるなら行動で示して頂戴。

80日下 一男:2009/02/15(日) 08:25:15
追補:この昭和32年10月から供給基地は4箇所になり、本部は業務課長青木繁之、武蔵野支所は支所長(理事の木村氏を除く)、葛飾出張所長心得日下一男、城北出張所心得五代和夫らを含め4基地で当直体制が出来ました。大型備蓄病院用の冷蔵庫は当時事業団基地が発注してた株)エバラ(後の荏原)が製作したものより小型化したものでです。更には山口専務と都産婦人科医師会と話し合いより小型化した冷蔵庫を10箇所ほど置きました。これの費用は医師会からの寄附です。これの特長は緊急時に近辺の産婦人科病院が使用可能になり、それでも不足の時は基地からの供給です。事業団独自に設置した病院もあります。
上記投稿された人への回答はいずれかの時機に必ずします。
この時代の買血業者の廃止年を記します。昭和43年千葉血清研究所、同44年(株)ミドリ十字東京支店、、北里研究所血液銀行、(株)ニチヤク王子、葛飾血液銀行の2つ、同45年富士臓器製薬(株)預血センター、同46年トーヤク(株)血液銀行、同47年(株)相互ブラッド預血センター、同48年(株)血漿研究所預血センター、合計9箇所を5年かけて東京から無くしたのです。これは短いようですが私達にはとっても長い時間です。この間に赤十字にも協力、前に書いた緊急時の新鮮血の駅前での呼びかけ、渋谷駅前から血液センターまでの献血者搬送など。この当時の献血の仕方は3とうり。1つは血液センターでの献血(これが母体献血),2つめは移動採血車による献血、3つめは大きな会社や団体での集団献血です。
今は以前書きましたが立川駅での献血ルームの設置により、この献血ルームでの献血がほとんど占有してますね。今後とも献血に御協力を御願いします。
私はNo78に投稿するため、いろんな人の話も聴きました。何十年ぶりの人、憎い人、暫くぶりの人、みんなそれぞれの感想は違いますね。正直にいうと青木理事長に好意を持ってる人は少なく、いわば麻生総理以下の支持率と思えばよろしいのでは。
青木理事長、「職員やその家族達、また事業団を退団した人達も注視してます」、これらの人達は事業団を誇りとしてるのです。
理事長の職務は逃げる事ではなく、難局を乗り切るために人材を活用しなければならないのです。でも私が一番最初に投稿した文の締めくくりは「人材教育を忘れた」でしたね。

81日下 一男:2009/02/15(日) 08:44:20
ごめん、書き出しの件、昭和32年でなく、昭和43年です。訂正です。
ついでに、青木理事長や専務理事兼務局長の白戸氏はもう無給でも充分生活出来る、また引退後の年金も充分でしょう。私みたいに苦しくない、と思いますが。個人としては給料も退職金も少額で、年金額も少ないです。でも何とか生きてます。何か私に木村さんが約束してくれた家も売ったとか。
お金は死んでからもつかえるのかな〜?

82しりたい:2009/02/16(月) 05:33:41
別のスレでエイズ問題の
委員会の委員に
青木がなぜ委員に?


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