したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

献血供給事業団なんでもコーナーⅡ

1河原:2008/12/31(水) 15:37:19
続きはこちらに投稿願います。
事業団の存続を真剣に考えた方が良いみたいですね。

2岡田:2008/12/31(水) 16:02:39
日下様は、青木の仕事を助け、支えてきた職員だったでしょう。それを
虫けら同然に切り捨てたんですからね。積もる思いもここら辺ではき出して
頂くのも良いでしょう。しかしながら、事業団の存続については、通りすが
りの関係者さんの話を期待したいものですね。

3Mr 鈴木:2008/12/31(水) 20:31:35
こういう腐った事業団は、さっさと処分するべきでしょう。
献血者の数を減らす原因にもなります。

4築地をどり:2008/12/31(水) 21:19:05
血祭に参加しよう!
事業団の悪行を頻回献血者に知らしめよう!

5最終処分場:2008/12/31(水) 21:38:55
今後、公務員と優良企業正社員以外の連中は
今まで「いかに充実した人生を送れるか」が目標から
「いかにして生活保護受給認定を受けるか」になりましたw

学校で真面目に勉強して優秀な成績を維持?
昔から人気者で小中高と友達多かった?
今まで犯罪なんてした事無いし倫理感も常識もある?

人間として本来望ましい姿だしそうあるべきだよね?

ところが残念ながらこの社会じゃ全く評価されませんww
人格だの能力だの一切関係ありませんww
人間性と倫理でメシが食えるならどうぞ気高く生きて下さいw
気高くあり続けようとして倒れた人間を、受給手続きの手間が省けて(ていうか手続き「だけ」して自分の懐に入れてるかもねw
そういう事件が「実際に」あったし事件として公表もされてたしw)今日も不労所得ゲットのゴキブリ公務員と
在日朝鮮ウジ虫と部落ダニが指指してゲラゲラ笑うでしょうけどねw
真面目な人間程搾取されて捨てられて終了ww
今後の日本で安定得たかったら生活保護認定受けるか受けないかww

今後は 生活保護認定=就職内定を勝ち取った、 のと同じ価値基準になるだろうなw
ていうかむしろ下手な企業の就職内定より堅いし充実保障ww
そろそろ「公務員試験専門学校」みたいに「生活保護受給認定指導専門学校」でも出来るんじゃね?www

「お母さん!やったよ!!生活保護認定されたよ!!倍率20倍の難関突破したよ!!!!」
「よかったね!!お母さんが言った通りなるべく暗い表情で小さい声で喋ったのも印象良かったんだろうね!!」
「お父さん今パチンコ行ってるから、帰ってきたら報告するよ!お父さんも近所に自慢できるね!」
「今日はじゃあ奮発してお寿司でも取ろうかwやっぱりアンタもやれば出来る子だねえw」
「頑張ってお父さんの言った通り欝の振りしたり自殺考えてる振りもしたもんねw最初の支給金で母の日にはカーネーション買ってくるよ!」
「本当にアンタは親孝行な子だねえw幾ら不況でも私達の家系が絶える事は無いねw早く孫の顔も見たいよw孫は成人と同時に申請させようかねえw」
「俺の子だもん、きっと大丈夫だよ!6歳位になったら欝の振りや自殺未遂のノウハウもちゃんと教えるからさw」

6升形:2009/01/01(木) 09:34:27
>>5
腐れ家族の正しい生き方なかなか面白いね。
事業団には、こういう考えを持った人間がウジョウジョいるね。
毎日、昼飯時に聞かされてうんざりだ。あと、総務の誰かさん
に誘われて、安い飲み屋に連れて行かれたときも、こんな話し
ばかし聞かされた。確かに事業団は夫婦で働いている奴が多い
から、こういう発想になるんだろうな。まさに井の中の蛙の
話だねぇ〜

7日下 一男:2009/01/10(土) 15:46:11
 お蔭様で良い正月を迎えました。但し今だに煙草を吸ってるので、子供達や孫達に嫌われました。昨年7月に父の十三回忌があり田舎に帰ったのですが、やはり同じ状況でしたので、今年は禁煙の努力をしたいと思います。
 ところで、読んだ人達から理解出来ない部分がある、という指摘があったので手短かに書きます。
 青木氏または青木は、青木繁之現理事長の事。竹内氏は、竹内實考氏(戦時は陸軍本部参謀、後、自衛隊の富士学校長やその他の要職を務め陸将補で勇退。事業団理事と局長で入団。理事長になる。勳二等の叙勲を辞退)。五代は、五代和夫で相互ブラッドバンクから入団。同じバンクから血液センターに入った相河氏から問題人物であるから気をつけるよう話があった。案の定、部下の時に様々な問題を起こした。ついには懲戒免職の辞令を当時の総務係長藤田賢二郎が書いたが、翌日に木村氏が仏心からか辞令を破棄した。
 親睦会は昭和42年6月から発足し、当初の会費は定率で後に定額になる。親睦会の旅行は5月にすでに終えてる。理事も含め全ての職員が対象。会長を木村氏がやるというので私が止めた。親睦会は一般職員が自由に運営すれば良いのではないかと。会則もそのような経緯があり、初代会長は児玉政夫。
 預金の7,5,3は、事業団が資金繰りに困った時、職員に銀行の利子以外に事業団が3年定期に7%、2年定期に5%、1年定期に3%を上乗せして返却。しかし親族などからお金を借りて預ける職員がいたので途中で止めた。
 財)日本血液研究所は、いわば子会社。木村氏が理事長。すぐに初鹿野裕氏が事務局長として着た。この人の事は書きたくない。後に事業団や木村氏、青木等を巻き込む大きな問題が生じている。
 この時期に作成したのが「在宅医療に関する供給サービス」と「医学用略語辞典」。在宅医療は役職停年や日本赤十字社、患者さん等含めた事業団の将来を念頭において纏めたもの。この事業は寄附行為を逸脱していない。また、50歳過ぎた人達の緊急走行から離せる仕事だった。略語辞典は4年かけてる。次々と新しい略語が出来る。原稿をワープロの専門家に依頼し、新しく出た略語をABCD順に間に入れる。キリがないので1989年で止めた。2000ページを超える膨大なもの。印刷は本部のコピー機を使用し製本のみ業者にお願いした。私は写真なども嫌うほど表に出たくない。だから辞典にも奥付は入れなかった。退団するとき各部所に挨拶に行ったが、その折に直筆の名前を入れたのが一冊あるのみ。
 これである程度は分りましたか。訂正があります。柏木修二は柏木修次です。
 もしご質問があれば答えられる範囲内で回答します。
 尚、この場で年末の忙しい折に「在宅医療」の原稿を返却してくれた田原総務副部長に御礼申します。

8日下 一男:2009/01/10(土) 20:04:10
 いつも追補になり申し訳ないです。
 以前から度々投稿されてる青木の行動や酒に関する事については否定しません。いろんな事があります。具体的な事柄は省きますが。私は大酒呑みでみんなが酔う頃には醒めています。しかし彼は酒が入ると大きな話をし、職員達と約束した事を実行したのは一度もないです。私は自分の為に交際費を事業団に請求した事も無いし、渡されていたタクシー券も使用しません。ただ有田美智世さんに5枚ぐらい券を渡した記憶があります。
 先に投稿した中で「資金繰り」に触れましたが、当時は献血された血液(200cc入り瓶)を全て事業団が買い取る仕組みになってました。東京都内の血液センターでの献血では足りず、大阪血液センターや北九州血液センターから空輸してもらい、且つ近県センターにも協力依頼し、昼夜を問わず血液を受け取りに行ったのです。医療機関からの翌日の供給に間に合わせる為です。受注されたものは必ずお届けするのに。保険手数料は3か月後です。血液センターへの支払いは1か月後ですからまさに自転車操業の様でした。思い出します。木村氏が武蔵野所長になってから清瀬病院で大量出血の患者さんがいて、しかもAB型、「新鮮血の緊急要請」があり、急遽に清瀬駅で待ち合わせ、木村氏と私の二人で駅前で献血のお願いをし、申し出て下さった人達を次から次と病院までピストン搬送、20人ほどで処置が終了、深夜に家に戻りました。でも爽やかな気持でした。これが事業団の存在意義ではないですか。青木に原点回帰を求めます。またこれを読む職員がいれば、これらの事を忘れないよう心に置いて仕事に励んで下さい。
 私の最初に投稿した文の書き出しは、過去、現在、未来でしたね。私は残念ながら移転した辰己の建物を見てないので、青木も電話で「辰己に来て」と言ってるので時間があれば行きます。閉じこもりを早く直して。本当に書き込みの様なら残念の一言です。働き易い職場にするのが理事長の使命です。

9通りすがりの関係者:2009/01/11(日) 02:21:56
本年も献血供給事業団で懸命に働いている皆様の御健康を御祈
り申し上げます。

さて、私も「通りすがり」と称して様々な事を記すのは如何な
ものかと存じますので、簡単にまとめます。

まず、実名で御健闘されている日下氏に関してはある立場を通
じて存じ上げております。投稿に関しては私の知る限り事実に
近いものと思われます。ですから、投稿に即して記させて下さ
いませ。

私の知っている献血供給事業団(以下事業団とさせて下さい)
は、木村氏、青木氏、日下氏が強く印象に残っています。
そして現状を理解する上で笹川衆議院議員が重要でしょう。
笹川議員は御自身のホームページでも記されている様に献血
に対し関係が有ります。これは日本赤十字社や厚生労働省に
対しても同様の意味があります。個人的には議員は好きな方
ですが、残念ながら必ずその権力を他者は利用したがるもの
です。事業団の権力構造を理解する為にはこの部分から切り
込む必要が有ります。…、誰が利用しているのか、を。

ですから、現状を打破するには外部を頼るしかないのです。
現場で奮闘している職員の方を思うと苦しくなります。
以前、事業団で権力争いが有った時、「怪文書」が出回った
と見聞しています。卑怯な人間を追い詰めるのは正義です。
弱い立場が実現出来る正義は共闘です。職員の皆様の連帯を
切に願います。

10田中:2009/01/11(日) 16:18:52
>>9
私もその通りだと思います。

>残念ながら必ずその権力を他者は利用したがるもの
>です。事業団の権力構造を理解する為にはこの部分から切り
>込む必要が有ります。…、誰が利用しているのか、を。
権力を利用しているのは北田を介して青木でしょう。おそらく、
会長の笹川は本当の事を知らされて無いのでしょう。権力闘争
の被害者は沢山おり、実際に退職した者や辞めさせられた者も
多く居るようですね。これからも現状を打破するためにも、また
犠牲になった者の為にも、外部の力を借り続けましょう。

11日下 一男:2009/01/12(月) 12:51:40
 私の手元に自伝記とも言えるものがあります。以前戸籍には満州国新京特別市西陽区千早町3丁目9番地50号で1943(昭和18)年2月1日に出生。今は中国としか記載されていない。翌2日にスターリングラードの独軍がソ連軍に降伏。この年の標語は「頑張れ!敵も必死だ」。9月8日イタリア無条件降伏。12月1日第一回学徒兵が入隊。薪が配給制になる。9月21日から官庁や工場、人の地方疎開が始まる。翌年の1944(昭和19)年、3月29日中学生の勤労動員決定。7月18日東条内閣総辞職。この年の標語は「進め、一億火の玉だ」。そしてドラマにもなってるB29が80機で東京を空襲。雑炊食堂出現。12月19日に日本が神風特別攻撃隊を編成。以下、各年毎に記載をしてる。献血や事業団には関係無い話と思われる人達もいるだろうが、そうではない。このような事を国立大で高分子工学を専攻したのに、何故、血液事業の世界に入っていったのか、日本赤十字社や事業団についての事も克明に記録してる。国立国会図書館にも4年ぐらい行き、献血の歴史も調べた。相当な分量になる。手短かになるが血液搬送の緊急車を最初に取り入れたのは大阪だった。献血供給事業団の誕生に至る経緯も詳しく書いている。最初は頭に日本がついてた。また事業団のマークも3種類の中から選ばれた。
 青木に渡した3冊のノートには事業団の倉庫にあった創立前の書類もあり、私の記録してたものと違うものも沢山あり、それらを含めた貴重なものでした。だから以前、後世に残る記念誌にしたかった、と書いたのだ。残念だが青木はそれを理解出来なかったのだろう。

 さて、話はころりと変わるが、体(組織)の維持に必要なのは何か?その儘にする、滅菌や殺菌、除菌、抗菌、消毒などいろんな方法がある。
 私が最初に投稿してから、このコーナーには真剣に事業団についての御意見が多くなり「気力の源は、感謝の心」を座右の銘にしてるので、本当に有りがたいです。
 今後も御忌憚のない意見を投稿される事、念願しております。
 最近は、不況のせいか、根強い昭和ブームが起きているとか、特に昭和30〜40年代のものが多いと。確かにこの頃は若者を中心に夢や希望が沢山あった時代でしたね。

12日下 一男:2009/01/12(月) 15:37:49
 忘れるとこでした。「通りすがりの関係者」さんの御指摘された「怪文書」は間違いなく存在してます。詳細は書きませんが、青木が青い顔して私に相談しに来ましたから。匿名で毎日新聞に投書し、当時部長だった藤田氏が部長会で問題にする、と言って。全て青木の自作自演としときます。木村氏を追い落とす事が目的です。その日の記録を時間を入れて克明に書いた文書があります。当時、事業団の(内部告発)を追っていたのが尾崎記者(後に社会部長、社長室長など歴任)。尾崎氏は10年ほど後に、明らかに事業団と分る内部告発についてのコラムを書いてます。コラムとしては異例とも言える大きなスペースでしかも全囲みです。簡単に言えば危うく誤報するところだった、と。
 これは上記された人へのせめてもの恩返しです。

13杉田公三:2009/01/12(月) 19:53:14
事業団ではこの様な事が起きてたようですが、なんとしてでも
隠そうとした幹部連中が居たようですが、日下殿は御存じでしたか?

http://www.rondan.co.jp/html/mail/0801/080107-9.html
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0710/071016-2.html

14日下 一男:2009/01/12(月) 23:50:58
私は、誠意を持って回答する、と前に書きましたのでお答えします。まず最初の記事については、私が病気で1年近くの休職中(入・退院も含む)の事で仔細については分りませんでした。しかし息子から「こんな記事が掲載されてる」と教えられ、その内容は読みました。「あってはならない事」などの役人用語を用いる事態ではない、と考え且つ鳥肌が立つほど寒気を感じました。これの事については職員の教育が充分にしなかった私にも責任があり、改めてこの場で御遺族に対しても、赤十字関係者の方々にも深甚より御詫び致します。事業団創立以来、職員教育にはかなりの努力はして来たのですが。山口専務の命を受け合宿などして緊急時の対応を図上演習までして、帰ってから参加者にレポート提出もさせました。出来の悪いのは改めて指導しました。その後も機会あるごとに教育をしてます。私が業務課長兼務城北支所長の時も何かと話題になってる北田靖則も城北支所で部下として教育をしました。
 二つ目の記事は分けて答えるのが適当です。長尾義光の件については噂があるのは知ってました。でも本人とは話した事はないです。この時点ではそのような立場にいなかったのです。次に赤十字の血漿分画製剤の口座獲得に努力した最大の人は小川茂君です。私も同行した事もあります。清水先生にも御願いしましたし、以前に記した叔父の息子が都立の病院で薬剤科長をしてたので。小川茂君はもっと出世して良い、と今でも思ってます。彼も木村氏の後輩で、創立時の忙しい折に学生ボランテイアとして寝泊りしてくれた中の一人です。次に五代和夫の件ですが、これは2つに分けます。1つは城北支所でなく城北出張所です。当時の上司は私です。血液台帳の消し込みが出来ない、と管理薬剤師から話があり、抜き打ちで城北出張所の血液台帳を本部に引き上げ、事実確認しました。結果は現金支払いの病院に裏伝票と裏領収書を作り自分達の懐に入れていたのです。仲間は唐田忠司です。二人とも格下げ処分にしました。もう1つは五代が葛飾出張所長の時です。当時、献血者に輸血をした際に自己負担を減らす、と言う事で一定の金額を請求すればその分、返金する仕組みになってました。ところがそれを葛飾センターの富田さんが同じ字で余りにも請求書類が多い事に気づいたのです。仲間が吉田知弘です。それで以前書いた様に、五代を懲戒免職にする事にしたのです。その辞令を仏心から木村氏が破棄したのです。木村氏の深層は私にも分りません。
 以上ですが、改めて事業団の創立に関った一人として関係者の方々に、心からお詫び致します。

15日下 一男:2009/01/13(火) 13:53:02
補足します。葛飾赤十字血液センターが開所したのが1967(昭和42)年6月です。すぐに派出所を創り2名の職員を派遣し血液搬送に従事させた。宿日直はなく本部(渋谷)の管轄です。当時の血液センター所長は森下敬一氏(玄米食の大家として有名)、事務部長が金子善平氏。10月に葛飾出張所(宿日直あり)を開設し初代所長が私です。以前書いたように事業団が全て献血血液を買い取るので、血液センターへの代金支払いは自由に出来ます。何故か山口専務と金子氏の折り合いが悪く度々支払いが遅れる事があり、金子氏が私の所に来て愚痴を溢しました。その都度山口専務に支払うよう話しました。センター職員と事業団職員は同室で宿日直をしました。私もセンターの中村さん等とも一緒に寝泊りしました。
 次に城北出張所は本部管轄で五代が所長、私が業務課長補佐(でも実質は課長みたいなもの、課長は東京都から天下りした石井鷲雄氏、血液事業を全く知らない人)です。話は変わりますが、職員の教育研修を行った成果はあります。三菱重工ビルの爆破事件の時、すぐに東大病院に冷蔵庫付きの車両を配置し、輸血を必要とする患者さんに対応、指揮は本部での私です。以前から東大病院とは電気使用料の契約をしてました。後、清水氏は高名な清水勝先生です。村上省三先生の愛弟子とも言える人で、日本輸血学会の会長などもされた方です。

16お節介者です:2009/01/15(木) 11:05:23
鹿児島県のある市で、市長が市議会議員について市民にアンケートを御願いする予定との報道をみた。市議会議員の個人名前一覧表にして。
献血供給事業団様でもこれを手本に、係長以上の方々について、当然理事なども含めてアンケートを職員から求めてみたらいかがですか?アンケートといっても一覧表の氏名に「はい、いいえ」を入れて。これを総務課の職員全員で集計する。
この結果をこのコーナーで公表する。楽しみにしてま〜す。

17日下 一男:2009/01/16(金) 09:19:35
 「通りすがり関係者」さんの投稿に対し、あれほど事業団の事に好意を持ち、且つ職員についても励みの声を述べているのに、職員から御礼の投稿もなく私は恥ずかしい思いです。もう職員には道徳観や倫理観などの心が無くなっているのでは、と情けない気持で涙が溢れるほどです。文面を何度も読み返し、日赤血液センターの大幹部であると思われます。私個人から「感謝の心」を表明します。改めて事業団にも良い人材もおりますので今後もよろしくお願い致します。事業団では総務部から各部所に対してこのコーナーを読む事を禁じる通達が出てます。
 次に、14、15の投稿について大幅に訂正をしなければいけないです。申し訳ない事をしました。御詫びして書きます。
 最近の「事業団の概要」を持っているのですが、最後の13ページに「沿革」があります。これを元にして回答しました。しかし幾つかの間違いがあります。五代と唐田の時は出張所ではなく派出所(日大板橋病院に設置)です。それから駒込派出所は大分前になります。全て私が関与してますから。事業団は再度「沿革」を訂正しなければいけません。次は葛飾出張所の件、初代は私ですが、次の出張所の所長は西林靖紘氏で五代は係長です。この時に五代と吉田が組んでやったのです。
 念の為、武蔵野支所の支所長は理事の木村雅是氏が初代です。当時、武蔵野赤十字病院の院長、神崎先生が都赤十字血液センターの所長を兼務してました。

18日下 一男:2009/01/16(金) 18:08:12
追記します。武蔵野には4月半ばから入江良雄氏(木村氏と同じで学生献血運動をした入江忠雄氏の弟)が専従職員として行ってるので、これも派出所と呼ぶべきです。彼の勤務期間は僅か3年程ですが、影の功労者として残すべき人物です。創立時には日赤中央血液センター(渋谷区)と東京都血液センター(武蔵野市)の2つしか存在してませんので。

19日下 一男:2009/01/18(日) 17:40:48
昨日、息子が来て深夜まで話をしました。その中で「お父さんが書く事は正しい。しかし自分のブログにならないように」と、指摘されたので、今後は特別な事がなければ回答しないし、皆様が御自由に投稿して下さい。
 ただ、どうしても伝えたい事があるので、以下長文になりますが最後まで読んで頂ければ幸いです。
1)1963(昭和38)年、11月に東海道線の鶴見で二重衝突があり死者161名、負傷者多数の事故が発生し、日本赤十字社は大変な活躍をしてます。しかし輸血に用いられたのはほとんど買血でした。国民は献血と言う言葉すら知らなかったのです。この時期前にすでに学生が献血運動を始めています。木村氏や青木氏、藤田氏・・・など十名ほどで全国を巡る献血キャンペーンキャラバン隊を作り車で。同じ11月に米大統領ケネデイ氏が暗殺されてます。彼の演説はオバマ氏より素晴らしいです。日米同時中継がされる予定でした。彼はヴェトナム戦争を終結宣言する予定でした。また12月にプロレスの力道山がヤクザに刺され重傷です。木村氏はプロレスが大好きでした。
2)1964(昭和39)年、この年は書き切れない事が沢山あります。9月に「献血の閣議決定」がされました。マスコミも献血について大きく取り上げました。代表的なのは読売新聞社の記者本田靖春氏が書いた「黄色い血」の連載記事です。これにより国民は献血に対しての理解を深めていったのです。勿論他紙も連載記事を掲載してます。外国との交渉も沢山ありますが、日本のみ記します。大きなものは6月に新潟大地震が起きてます。10月1日に東京〜新大阪間(約4時間)の新幹線が開業、10月10日に第18回東京オリンピックが開催されました。11月に公明党の結成大会が開かれています。「貧乏人は麦飯を食え」で有名な池田内閣が総辞職し、後継者は後にノーベル平和賞を授与された佐藤栄作氏です。話を飛ばします。
3)笹川堯氏が血液事業=献血に関与し始めたのは「通りすがりの関係者」さんの御指摘のように、1962(昭和37)年に日本赤十字社の格県支部で起きた手形事件が発端です。この事件はマスコミでも取り上げられています。御自身の著作「日本のドンを乗り越えろ」:昭和61年刊行・桐原書店、にもかいてます。参考までに述べますが、父君の笹川良一氏と以前書いた内藤良一氏とは深い親交関係です。世界でベストセラーになった「血液の物語」著者ダグラス・スター、翻訳・山下篤子:河出書房新社に詳細に書かれてます。この本に登場する日本人は僅か数名、村上省三氏や木村雅是氏など。
4)献血供給事業団の発起人と理事とは多少違いはありますが、初代理事長は吉田孝雄氏(富士重工会長、勲一等叙勲、在任期間は12年の長きに渡り、無給)、山口修秀専務理事(代議士政策秘書、有給)、笹川堯専務理事(日本トータ会社社長、無給)、村上省三理事(肩書き多く、主なものは日赤中央血液センター所長、東大教授、東京女子医大教授など、無給)、島田信勝理事(慶応大医学部教授、北里大教授など、無給)、木村雅是理事(献血運動の重鎮、有給)、日本赤十字社から外山良造理事(初代血液事業部長、無給)、東京都からの理事や日本医師会からの理事(いずれも無給)など錚々たるメンバーです。発足時の局長は理事でなく竹田武夫氏(人事院出身)で勿論有給です。つまり役員は2名の有給者のみです。1970(昭和45)年に入団された竹内氏が理事兼務局長が有給で職務をするのが、それからの慣行になりました。この年に忘れる事の出来ない事件がありました。葛飾出張所を視察したいと言う事で本部に御迎えに行き同乗して三宅坂付近で、ラジオから三島由紀夫が「盾の会」会員4名と市ヶ谷の自衛隊に突入した、というニュースが流れました。本部に引き返しました。当時の自衛隊の最高幹部が竹内氏の親友でした。三島由紀夫は部下の森と割腹自殺をしましたが。竹内氏は富士学校長の時、盾の会に実弾訓練を許可した事をその後、ず〜っと悔やんでおりました。
5)どうしても皆様にお伝えしたい事は、松永信夫氏が大田血液センター所長の折、無償で、当時、分離して捨てられていた濃厚赤血球を東邦医大大森病院に提供し、どの程度の分量があれば「患者さん」に有効であるか、試験してもらってました。東邦医大もこれに協力、約80%の赤血球があれば有効であるとの結論になりました。献血一本化になった直後です。改めて松永氏の血液事業に対する熱意に敬服します。

20いらっしゃいませさん:2009/01/18(日) 17:46:55
念願の初体験。しかもその相手はすでに嫁いだ実の姉。
用事で帰ってきたときになんとなくそういう雰囲気になったのだ。

新婚の姉はさすがに夫と毎晩のように楽しんでいるので、
その相手の弟である俺が初体験だと知って
少し余裕をもって、手をもってリードしながらやり方を教えてくれる。

「ここからが本番よ」という姉の声に促されて
いざ二人で始めると姉はいきなり俺の耳元でささやく。
「あ、右、左。そこはいやーん」
「あ。いっちゃうかな、いくいく。」
そして彼女も積極的に攻めてくる。
俺も必死に我慢する。我慢と緊張の連続。

しかし俺はとうとう待ちきれなくなり、
まっすぐな長い棒を下の方の深い谷間に挿入することを試みる。
初めてだったが、うまく入った。
快感で思わず「よし」とつぶやく。
すると彼女は「いやん・・・。それだけはダメなのに。」と叫ぶ。

動きがだんだん速くなる。
「いやん。そんなに早いと私、もうダメ・・・」
そしてついにフィニッシュを迎える。
姉が俺にささやく。
「初めてなのに上手だったわ」


俺は、初めてのテトリスで姉に勝利したのだ。

21物見遊山:2009/01/19(月) 04:20:02
う〜ん、興味のある、はなしぶか〜いものですな!
と、すると兄は日本赤十字社で嫁はんは
血液センター。俺は献血供給事業団。

近くに創立記念日があるとか。
たんまり姉さんからお小遣いを
もらうんでしょう。
そ〜んな生活、いや性活してみたい。

22ドナー:2009/01/19(月) 07:20:29
赤十字も信用できないや


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板