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倉工ファン Part 5
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☆ 同上
私が名古屋電気高校を見に行ったのは、同校のコーチに行っていた旧南筑中学、
33年早稲田大学入学の中野正夫さんの指導を勉強したかったからである。
中野先輩には、中等野球(高校)大会ノーヒットノーラン第1号投手・松本終吉さんに紹介していただいた
(市岡中学、早大、朝日新聞、東洋高圧砂川監督)。
名古屋電気高校は、81年夏、愛知大会で勝ち、第63回高校野球全国大会に出場。
工藤はくじの関係で2回戦になった長崎西高戦で、1回に先頭打者を四球で出しただけで奪三振16、4対0。
ノーヒットノーランをやってのけた。74年に金属バットの時代になってから、初めての快投だった。
当時、同高では練習が終わりに近づくと当番選手が配膳の手伝いにやってくる。調理は終わっている。
彼女は「お毒味をしてちょうだい。ハイ、口をあけて、アーン」。
選手たちはこのお毒味にこと寄せての慈愛のアーンで育っていく。彼女は回想する。
「工藤くんはほんとうはとても淋しがりやなんですよ。
でも、投げるようになってからは、公式戦の日はだれよりも朝はやく起きていました」
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