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倉工ファン Part 4

249名無しさん:2021/11/14(日) 10:30:01
☆ 長靴で入団テストに合格した魚屋の跡取り・土橋正幸  【越智正典 ネット裏】



「アイツは魚屋の長靴を履いてテストを受けに来て長靴のまま投げて合格さ」。
先輩たちが「アイツ」というほどに無名だった土橋正幸は長靴登板の伝説をプロ野球史に残している。

1954年秋、東映フライヤーズ合格の町のニュースは5歳年長の同じ浅草っ子、のちの王貞治の師匠、荒川博の耳にすぐに入った。


毎日オリオンズの荒川の実家は馬道の果物商で、浅草寺や浅草寺の少し先の待乳山聖天に信者が供える供物の果物を一手に引き受けている。
荒川は「魚屋の自転車は頑丈にできているから駒沢まで漕いで行くのが重かったろうな。いい根性してるよ」。

土橋の生家は浅草の千束町二丁目一八二番地、電話、根岸1309番、大きな鮮魚店「魚秀」。
「店の手伝いが忙しくて長靴のままテストを受けに行っちゃったんですよ」と土橋。


まさか、長靴のままで投げてはいないが、土橋の口ぐせを借りると「シでぇーもんだった」。
土橋は江戸っ子なので「ヒ」が言えない。広島カープは「シロシマ」になる。

「魚秀」のこの跡取りは35年12月5日に誕生。35年というと、関東大震災で焼けた日本橋の魚河岸の築地移転が決まった年である。
都立日本橋高校に入学。軟式野球を始める。下町は昔から軟式野球がさかんで、戦後は「菊水球団」が強かった。


菊水の大型二塁手“今井のオッチャン”は後楽園球場で巨人の3連戦が始まると毎日、浅草寺にお参りに行き、
仲見世のオセンベ屋で1袋500円のザラメセンベイを買って、少年時代浅草が遊び場だった王貞治に差し入れにとどけていた。
王はオセンベや大きなアメ玉が大好きだった。




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