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倉工ファン

176名無しさん:2018/07/01(日) 10:11:17
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1981年8月19日  準々決勝  「 先輩の夢 」


きみたちの先輩が 甲子園にやって来たのは この日本が まだ歴史の荒波にもまれていた頃

34年も前になる きみたちにとって それは遠い歴史の一頁で もちろん知るすべもないが

何か その時の情熱が 時を超えてよみがえった気がする 


実に 実に 甲子園に似つかわしい敢闘であり 純白のユニホームが 夏の日に見事に映えた

一人一人が能力の限りをつくす 誰をかばうでも 誰を頼るでもなく 一人一人が同等の大きさに育った

見事な環が ここまで来た因であろう


黄金色に染った瀬戸の海を 銀鱗を光らせて躍る魚のように ピチピチと キラキラと そして 群れの美しさを見せて 

きみたちの印象は目に鮮やかだ 34年前のきみたちの先輩は もうきみたちの父親の歳を超えているが

今 真白なスタンドに はるかで しかし 明確な 夢を描いたことだろう

1981年8月19日 志度商業 準々決勝で甲子園を去る



準々決勝あたりのなると、意外に緊迫が薄れることが多い。無欲の限界というのだろうか、
力つきて大差になることがよくある。しかし、志度商業は劣勢にありながらも、一つ一つのプレーがきわ立ち、
その印象が変ることがなかった。

白井投手の力投はもとより、死球退場の竹内の代役一年生の野崎の打席での粘り、
セカンド斎藤の最後まであきらめない姿勢の超美技、記録帳には只の三振であったりするのだろうが、
このチームを象徴するプレーで埋められていた。




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