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大相撲ニュース速報

1管理人 ◆QNLQxRZAvA:2014/05/25(日) 10:13:05 ID:???
稀勢の里関や田子ノ浦部屋をはじめ、大相撲に関連するニュースを共有するスレッドです。

323名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:41:01 ID:2mcZrlOI0
引退の稀勢の里 成田山新勝寺の豆まき欠席 昨年まで14年連続参加 海老蔵「お疲れ様でございました」
1/16(水) 11:55配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000086-spnannex-spo

成田山節分会で豆まきをする稀勢の里
 横綱・稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)が現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)が16日、明らかにした。

 千葉県成田市の成田山新勝寺はこの日、稀勢の里が参加予定だった2月3日の節分会の豆まきを欠席すると明らかにした。稀勢の里は、同所での豆まきに2005年から18年まで14年連続で参加していた。

 節分会には、横綱・白鵬(33=宮城野部屋)や歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が参加する予定。海老蔵は自身のブログで「毎年成田山新勝寺様での節分でお目にかかる事が出来た事 幸せでした」と思い出にも触れ、最後は「お疲れ様でございました」と稀勢の里をねぎらった。

324名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:41:41 ID:2mcZrlOI0
白鵬 稀勢の里の思い出「63連勝で止められた時」
1/16(水) 11:56配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00448391-nksports-fight

横綱稀勢の里
稀勢の里の引退について、横綱白鵬(33=宮城野)が16日、都内の部屋での朝稽古後に心境を語った。一報は「朝、奥さんから聞いた」と言い、第一声は「さびしいって感じですね」だった。

【写真】白鵬顔真っ赤…大ファン武井咲から花束に照れまくり

稀勢の里の3日目までの相撲を土俵下から見た印象は「相撲をとろうって見えてました。表情も良かった。でも、終わってみて考えてみれば、心ここにあらずというか」だったという。

一番の思い出について問われると「それは63連勝で止められた時ですよ」と即答した。「遠慮なく向かって来た。だから、連勝を止められた。横綱になってくれた時はうれしかった。連勝を止めた力士ですからね。あの黒星があったからこそ、私も頑張れたんです」と話した。

稀勢の里の人柄を「本当に明るくて、初々しい感じ」と語った。「周りからは言葉少な、暗いとか思っているかもしれないけど、全く逆で、好青年ですよ、私も同じく。稽古場でもどこでも“いやです”と断られたことは1度もない」。

力士としては「上に上がって行こう、行こうっていう気持ちがあった。番付は自分が先に上がりましたけどね。一生懸命さは他の力士に比べると強かったと思います」とたたえる。

稀勢の里が8場所連続休場など、復活に向けて苦しんでいたことに「けがや痛みは、その人にしかわからない」と語った。その際、稽古で相撲をとったり、言葉をかけたりもした。「指導者になる時、横綱を務めた経験があると違います。できる限りのことをしようと思った。でも、一門が違うのでね。もっとこうしたら良かったという思いはあります」

稀勢の里に掛ける言葉は「本当にお疲れさまでした、しかない」という。日馬富士に続き、稀勢の里の引退で、横綱は2人になる。「(横綱は)つらい、大変なことなんです。周りからの見た目は良くても、勝たないとダメ。極端に言えば、引退、負けるっていうのは、死ぬってこと。託された感じになりますね。その分頑張っていくしかないです」と話した。

325名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:42:05 ID:2mcZrlOI0
朝青龍 稀勢の里の引退に「寂しいな」エール届かず…
1/16(水) 11:57配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000044-dal-spo

元横綱朝青龍
 大相撲の元横綱・朝青龍が16日、ツイッターを更新。第72代横綱稀勢の里が引退を決断したことを受け、「稀勢の里引退」「寂しいな」とつぶやいた。

【写真】横綱伝達式を終え、高安らに担がれガッツポーズの稀勢の里

 朝青龍はこの日、フジテレビ系「とくダネ!」にVTRで出演。引退が明らかになる前の稀勢の里について「正直言って特別なんですよ。日本を背負った男なんですよ」と語り、4日目についても「絶対に出るべきだと思います」となどとエールを送っていた。

 ふたりは稀勢の里が04年に幕内昇進後、朝青龍が引退した10年まで、幾度も名勝負を繰り広げた。

326名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:42:35 ID:2mcZrlOI0
稀勢引退にデーモン閣下「横綱のあり方考え直しては」 芸能界からねぎらいの言葉
1/17(木) 5:59配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000005-dal-ent

 デーモン閣下
 大相撲の横綱稀勢の里(32)が16日、東京・両国国技館で現役引退を表明した。これを受けて、アーティストのデーモン閣下(10万56)や女優の紺野美沙子(58)、タレントの山根千佳(23)ら芸能界の好角家たちが、ねぎらいの言葉を寄せた。

【写真】壇上で稀勢の里を持ち上げた白鵬

 閣下は「本人の会見を見ていても、本当はやり切ったと思っていない感じ。すごく悔しい感じが出ていた。もう1場所休んで、稽古ができたら…と思っていたかもしれない」と、稀勢の里の心中をおもんばかった。

 昨年の九州場所後、横綱審議委員会が「来場所での再起を期待する」などとした「激励」を決議したことについて「『どんな形でも出ろ』と言われたに等しい」と指摘し、「本当は新たなケガを完全に治してから出たいと、本人もそう思ってたのでは」と推察。

 「相撲の歴史や伝統も大事だけど、引退する決意というのを含めた横綱のあり方を考え直してもいいのではないか。アスリートなわけだからちゃんと治すまで待って、それでもダメなら引退、という形をね。考え方を変えるのは角界全体。ファンやメディアを含めてかもしれないな」と、警鐘を鳴らした。

 紺野は稀勢の里の「一片の悔いもない」という言葉に「涙がでました。その言葉に寂しさが少しだけ和らいだ気がします」と明かし、「優しいお嫁さんが来てくれることを願っています」と、私生活での幸せを祈った。

 何度もインタビューしたという山根は「口数が少なく一番苦戦しましたが、その中でも闘志や気持ちが表情から伝わってくるインタビューにいつも密かに感動していました」と人柄を振り返った。

327名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:43:54 ID:2mcZrlOI0
稀勢引退で角界からさまざまな声 「鮮烈な連続優勝」
1/16(水) 12:26配信 共同通信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000059-kyodonews-spo

2017年3月、大相撲春場所で2場所連続2度目の優勝を果たし、賜杯を手にする横綱稀勢の里=大阪市
 横綱稀勢の里の引退決断を受け、日本相撲協会関係者はさまざまな思いを述べた。審判部の阿武松部長(元関脇益荒雄)は「2場所連続の鮮烈な優勝は私も頭の中に残る。本音を言えば、横綱としてもっと土俵に上がって白星を重ねてほしかった」と残念がった。

 度重なるけがに苦しみながらも史上2位の通算1047勝を積み上げた浅香山親方(元大関魁皇)は「一つ勝てば変わる気はしたんじゃないか。本人が一番、悔しいと思う」と引退を惜しんだ。兄弟子に当たる西岩親方(元関脇若の里)は「残念という気持ちとよくやったという気持ち。けがをして苦しんだけど立派な横綱だった」とねぎらった。

328名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:44:20 ID:2mcZrlOI0
「生真面目で不器用」悲運の短命横綱ケガに泣く
1/16(水) 12:39配信 読売新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00050072-yom-spo

現役引退を発表した稀勢の里関のパネルと記念写真を撮る大相撲ファンら(16日午前、両国国技館で)=泉祥平撮影
 大相撲の横綱・稀勢の里関(32)が、土俵を去ることになった。横綱在位はわずか2年で、千秋楽まで取り切ったのは2場所だけ。待望の日本人横綱として注目されたが、2年前の春場所優勝の代償として負ったけがに最後まで泣いた。「生真面目で不器用」と評された悲運の短命横綱に、ファンからは惜しむ声が上がった。

 16日朝、引退を発表した師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)によると、前夜、初めて進退について30〜40分、話し合った。横綱は普段と変わらない様子だったが「我慢強い稀勢の里が引退の話をするというのは、それなりの覚悟があったと思う」と心情を察した。

 かつて同じ部屋に所属していて、兄弟子に当たる西岩親方(元関脇若の里)は「横綱になって結果が出なくて苦しんだが、自分の中では立派な横綱だった」と寂しそうに話した。阿武松審判部長(元関脇益荒雄)は「もっともっと、横綱として土俵に上がって白星を重ねてほしかった」と残念がった。

329名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:44:49 ID:2mcZrlOI0
やくさん「自分の型、愚直なまでに貫いた」 稀勢の里に
1/16(水) 12:44配信 朝日新聞デジタル
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000036-asahi-spo

稀勢の里の等身大パネルの前で写真を撮る人たち=2019年1月16日午前10時15分、東京・両国の国技館、小玉重隆撮影
 大相撲の横綱稀勢の里が引退を決断した。初場所で初日から3連敗して一夜明けた16日朝、師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が明らかにした。

【写真】東京・両国の国技館前で、稀勢の里の等身大パネルと写真を撮る人たち=2019年1月16日午前10時12分、小玉重隆撮影

 相撲通の漫画家やくみつるさんは初場所の取組について「限界を超えていたが、土俵に執着した。負けが続いても『こんなはずでは』と辞められなかった心情は大いに理解できるが、肝心の取組のほうにこの粘りがほしかった」と話した。

 「若くして横綱になり、さらに強くなっていく白鵬のようなタイプとは逆に、なかなか横綱になれずに30歳を過ぎてようやく昇進したのが稀勢の里だ」とし、成績はふるわなかったが「力士としての晩年にようやく横綱になった『到達型』の横綱だったということで、力士としての評価をいささかも減じるものではない」と評価した。

 横綱としての勝率は5割ほど。「それでも国技館が静まりかえるぐらい観客から感情移入された、まれな存在。解説者や評論家に取り口を変えるよう指摘されても自分の型を変えず、あるいは変えることができず、愚直なまでに貫いた。性格的にも白鵬とは対極にあり、沈黙すべきは沈黙する、昔の力士像を体現していた」と振り返った。


■玉木正之さん「苦労した分、良い親方に」

 大相撲の横綱稀勢の里が引退を決断したことについて、相撲に関する著書があるスポーツ評論家の玉木正之さんは「引退は非常に残念。日本出身の横綱として、もう少し活躍してほしかった」と残念がる。

 19年ぶりに誕生した日本出身の横綱だった稀勢の里。「ファンや報道、周囲が日本人横綱として意識し過ぎていたのかもしれない。ほかのモンゴル出身の横綱と常に比較され、孤立しているようにみえた」

 初場所の初日から取組を注視していたが、力が入っていないと感じた。「けがが重なって休みが続いた。稽古不足が気迫の無さに出ているように見えた」と振り返る。

 「土俵上でのガチンコの取組」が魅力だったと話す。「昇進するまでに時間がかかり、30歳を過ぎての横綱だった。けれどそれは彼の愚直さの表れで、だからこそファンも応援し続けた」とみる。

 「これからは苦労した分だけ、若い力士のつらい気持ちもくみ取れる、良い親方になってくれると思う」

330名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:46:15 ID:2mcZrlOI0
田子ノ浦親方「まだ現実をみてない、信じられない」 稀勢の里引退に
1/16(水) 12:47配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000043-sph-spo

田子ノ浦親方
 田子ノ浦親方の一問一答

 ―(初場所)4日目の出場は?
「出場しません。・・・今日で稀勢の里は、引退します」

 ―決断の理由は
「本人から昨日、話を聞いて、本人は理由というのは深くは語らなかったですけど、思ってるような相撲を取れていないと、全力では取っていましたけどなかなかとれていないというのが。横綱ですから結果をださないといけない。なかなかそういう結果にいかなかったと」

 ―昨日はどんな話し合いが?
「本人も思うことがあったと思いますし、30分、40分くらい。30分くらいですかね。まぁでもそう簡単に決断したことでは無いとは思います」

 ―師匠お二人で話しになった?
「二人で話しました」

 ―昨日の夜に最終決断?
「そうですね、夜。まあ今日もありますし、朝も。でも今日、昨日の夜話したことがやっぱりほとんどだったと思うので」

 ―横綱からはどういう言葉が
「まぁ本人からは、引退させて下さい、引退しますと言われました」

 ―どんな表情だった?
「んー、そうですね。まあ、んー、いたっていつも通りではありました。平常心では、あるようにみえましたけど、やっぱり色んな思いがあるのは見えましたけど」

 ―親方からはどういう言葉を
「自分からは、そうか、ごくろうさんと。ちょっとそれ以上は自分からは声をかけられなかったですね」

 ―引退届けはこれから?
「はい」

 ―3、40分というのはどのような内容だった?
「途中、時間もあけてるんですけど、まぁ、特にどういう話しというわけではなくて、考えることがあったんで」

 ―本人の言葉としては「思うような相撲が取れない」「引退させて下さい」だけ?
「引退させて下さいと。それだけですね。特になにかいろいろ、話す感じではなかった」

 ―思うような相撲が取れなくなった原因というのは?
「それはもう、本人の口からじゃないんで。ただ一生懸命稽古もやって、皆さんの前に結果を出せなかったというのが。気持ちの面もあったんじゃないか」

 ―引退される理由は聞いた?
「いや、聞いてないです」

 ―親方としては続けてほしかった?
「結果をだせるなら、もっとファンの方にも、本人にももっとやってほしかった、出来るんじゃないかとはおもってまたけど、稀勢の里は我慢強いですから。そういう力士が引退を話すと言うことはそれなりの気持ちと覚悟があったと思うので、それを考えたら、もっと続けてほしいとか、そいうのは、なかなか」

 ―今後は、親方として協会に?
「そうですねまた、将来も、これからもまたまだちょっと話してないので、でも将来的にはそうなってくる」

 ―親方として、稀勢の里の引退という決断をどう受け止めている?
「現役の時から一緒にやってきたので、師匠としてはそういう言葉はふさわしく無いのかも知れないですけど、まだ現実をみてないというか、ちょっとまだそこまで考えられてない。信じられないというか、そこまでちょっと考える余裕がない」

 ―場所に入ってからの横綱の様子は?
「いつも通りです、いつも通りです。だから別にもう、気負ってるわけではなく、いつも通り。」

 ―ただ昨夜は違った?
「違ったというか、平常心でしたけど、やっぱ一大決心してくるくらいなんで、色んな思いあるなぁ、というのは顔見ればすぐ分かるんで。」

 ―横綱は協会にいった?
「ちょっと今から行って、なると思いますけど、まだちょっと朝も早いので、も1回ちょっと話しします」

 ―3日目負けたら引退という話はしていた?
「そんなのはないです」

 ―兄弟子であり、師匠からみてどんな力士だった?
「あまり話とか上手い方ではないと思いますけど、でも一生懸命ですし、まじめですね。一番はやっぱり相撲・・・。」

 ―師匠から見て、この2年間はどんな2年間だった?
「んー、まぁ、横綱になってくれてすごく嬉しい面もありましたけど、一番近くにいたら、本人がすごく格闘してるなというのはわかりますし、今考えると2年ってあっという間だったなと思います」

 ―部屋の若い衆に説明は?
「いやまだ、まだしてないです。場所もありますし、とりあえずはまたかえって来たときに」

 ―理事長には伝えた?
「まぁそうですね。(昨日の夜?)まぁ…。また改めて、伝えないと・・・」

331名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:46:37 ID:2mcZrlOI0
引退の稀勢の里、2010年に白鵬の連勝「63」で止める金星
1/16(水) 12:49配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000052-dal-spo

白鵬の連勝記録を63でストップさせた稀勢の里=2010年11月15日
 横綱稀勢の里が16日、引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が報道陣に明かした。中学卒業にあわせて02年春場所で初土俵を踏み、17歳9カ月で新十両、18歳3カ月で新入幕と若くして期待され続けてきた。その土俵人生の中で輝いた瞬間の一つに2010年の九州場所で横綱白鵬の連勝を「63」で止めた1番がある。

 2010年11月15日、九州場所の2日目に東前頭筆頭の稀勢の里は白鵬と対戦した。この取組前の時点で対戦成績は稀勢の里の4勝20敗だった。

 立ち合い、白鵬がもろ差しになった後、間合いが開いた。稀勢の里は一気に押して前に出ると、得意の左四つに。投げ、足技と懸命に反撃する横綱を寄り切った。連勝記録を止める金星を挙げ大歓声を浴びた。

 2019年の今なお、第一人者として走り続ける白鵬に「これが負けか」と言わしめた一番。支度部屋では「実感がわかない」と何度も繰り返し、「右上手を取っても土俵際の逆転があるから最後まで勝てるとは思えなかった。勝ち名乗りを受けて、やっと『勝ったんだ』と思えた」と謙虚に振り返った。

 この時は24歳で将来が期待されるホープだった。「『日本人として記録を止めて』と場所前から言われていた。その気持ちがなかったと言えばウソ」とも話していた。ちょうど1年後の九州場所後に大関に昇進。そして、17年初場所後に横綱昇進を果たすことになるが、この頃も、この前からも、相撲ファンの期待を背負い続けていた。

 ◆稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)1986年7月3日、茨城県牛久市出身。本名・萩原寛(はぎわら・ゆたか)。中学までは野球少年だったが、卒業時に鳴戸部屋に入門。02年春場所で初土俵を踏む。04年九州場所新入幕。188センチ、177キロ。幕内優勝2回、殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回、金星3回。

332名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:47:11 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里、背負い続けた期待=和製横綱、短い幕切れ―大相撲
1/16(水) 13:02配信 時事通信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000051-jij-spo

 2017年初場所後、ファンが待ち焦がれた日本出身横綱として稀勢の里が19年ぶりの昇進を遂げた時、誰もこんな最後は想像しなかった。その翌場所で負った左胸などの大けがから再起できず、横綱としてわずか皆勤2場所での引退。約17年の力士人生に幕を下ろした。

 綱とりは30歳で成就。高齢での昇進とは言えたが、白鵬をはじめとするモンゴルの先輩3横綱に故障が目立つようになる中、大きなけがを抱えず、体力自慢の稀勢の里が角界の中心を担っていくものと思われた。「自分を信じてやるしかない。相撲協会のためにも、これから伸びてくる若い力士を引っ張り上げる立場。人間としても成長していきたい」と誓っていただけに、早過ぎる引退が惜しまれる。

 最近はめっきり少なくなった「中卒たたき上げ」。元横綱隆の里が師匠だった鳴戸部屋(当時)に入門し、猛稽古に耐え抜いて番付を駆け上がった。18歳3カ月での新入幕は貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ年少記録。相手を一発で横向きにする左からの強烈なおっつけを生かした馬力十分の取り口は「大器」そのものだった。

 モンゴル勢を筆頭に外国出身者が土俵を席巻。彼らに対抗する日本出身力士の旗手として、不祥事が相次いだ相撲界の人気回復の起爆剤として期待を集めるのは、ごく自然な流れだった。白鵬の連勝を63で止めたかと思えば、格下にあっさり負ける。そんな危うさも、ファンを引き付けた。

 自らを「不器用」と評したことがある。師匠が急逝した直後の2011年九州場所で大関の座を引き寄せた後、5年の足踏みを経て番付の頂点を極めたが、痛めた左を補うように右を使えていたら、巻き返しへの活路は広がっていただろう。

 「土俵上で良い姿を見せるのが仕事だと思っている。体が強くて経験があれば、何でもできる」。その言葉は横綱としては体現できず、結局はけがに泣かされた。もっと「横綱稀勢の里」を見たかった。

333名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:47:50 ID:2mcZrlOI0
鈴木大地長官、稀勢の里の引退に「けがとの闘いだったと思います」
1/16(水) 13:17配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000048-sph-spo

全日本大学野球連盟の監督会で講演を行った鈴木長官
 スポーツ庁の鈴木大地長官(51)が16日、大相撲の横綱・稀勢の里の引退を惜しんだ。

 横浜市内で行われた全日本大学野球連盟の監督会で講演。報道陣から稀勢の里の引退を知らされ、「横綱としての成績に、ご自身が納得いかなかったのかもしれませんね。けがとの闘いだったと思います。これまで大変、身を削りながらよく稽古されて、上り詰められた。満身創痍で、まずゆっくり休んでいただきたい。お疲れさまでした」とねぎらった。

334名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:48:35 ID:2mcZrlOI0
菅官房長官「残念で寂しい」、稀勢の里引退で
1/16(水) 13:29配信 産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000549-san-spo

会見に臨む菅義偉官房長官=16日午前、首相官邸(春名中撮影)
 菅義偉官房長官は16日午前の記者会見で、大相撲の横綱稀勢の里が現役引退を決めたことについて「非常に残念で寂しい思いだ。これまでの活躍に敬意を表する」と惜しんだ。

【年表】横綱昇進後の稀勢の里の成績

 菅氏は「19年ぶりの日本出身横綱として多くのファンを魅了した」とたたえた。同時に「近年はけがに悩まされ、納得のいく相撲が取れなかったのではないか」とも語った。

335名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:49:03 ID:2mcZrlOI0
最後の相手栃煌山「何とも言えない」稀勢の里引退
1/16(水) 13:37配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00448440-nksports-fight

15日、栃煌山(右)に寄り切りで敗れる稀勢の里
稀勢の里の最後の取組相手となった東前頭筆頭栃煌山(31=春日野)は16日、都内の部屋で朝稽古を終えた後に引退の報を知った。「何とも言えない気持ちですね」と率直な心境を口にした。前日3日目の取組は当たり勝ってもろ差しとなり、投げで崩して寄り切った。「基本、勝負は勝負。当たりが弱かったとかはなかったですよ。でも最後はスッと(土俵)出たというか…。土俵際の突き落としがある人なんで…」と振り返った。

【写真】笑顔を見せる稀勢の里

早生まれのため現在の年齢は1つ下だが、同学年。ただし角界入りは中卒の稀勢の里が高卒の自分より早く、兄弟子だった。「自分が新十両の時、もう小結でしたからね。その時から意識する存在でした。よく(一緒に)稽古しましたからね。巡業で当時は土俵がもう1つあったりして“山稽古”で『三番稽古をやろうか?』とよく誘ってもらった」という。幕内で43度も戦い、17勝26敗。「やるときは本当に気合も入るし、やりがいのある相手でした。それが、もうやれないというのは…」と残念そうだった。

336名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:49:35 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里の引退で思い出した、1人で福岡に通っていた懸命な姿。
1/16(水) 13:46配信 Number Web
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190116-00833202-number-fight

進退をかけて臨んだ初場所も初日から3連敗で1月16日、引退を表明した。 photograph by Kyodo News
 横綱として迎える2場所目となる2017年の5月場所を終えて、6月に入る頃でした。

 早朝便で羽田から福岡に向かう、稀勢の里関の姿がありました。

 同じ便に乗っていた僕は福岡空港に着いた時、取材や番組でお世話になっていたため、横綱に挨拶に行きました。

 そこで、少し話をしてくれました。

 「福岡に痛めた肩を治してくれる先生がいて、空いた時間はここに通っているんだよね」

 「横綱としてできるだけ長く、良い一番を取りたいからね、早く治さないとね」

 「今回は1人でね、自分で治療院に行きますよ」

 上手く動かない左肩を見ながら、そう語る横綱に付き人の姿はありませんでした。空き時間に人目に触れることなく、一刻も早く痛めた左肩を治すために、1人で福岡に通っていたのです。

治療の努力を見せない心意気。
 当時、僕は番組のオンエアで、このエピソードを明かしませんでした。自分のためというより、横綱として長く生き続けるために、この治療の努力を見せない。ファンの前では横綱として絶対に痛くない、問題ないと言いたい、というニュアンスを強く感じたからです。

 カメラの前では決して多くを語らない男、皆さんからはそんな印象が強いはずです。

 ただ、普段は朴訥とした印象とは少し違い、オンエア前の控室では色んな話をしてくれる男です。好きなスポーツや腕時計の話、家族の話、最近の出来事など、相撲以外の話を笑顔で気さくに話してくれる。だからこそ彼の周りに人は集まり、愛され、支えられ、メディアからも横綱として期待されてきたのでした。

ギリギリの身体とプライド。
 若い頃からとにかく休まなかった。怪我を抱えようが、腸ねん転になろうが、土俵に立ってきた稀勢の里関。休まないということがポリシーだった男が、横綱に辿り着いた時には、身体はギリギリの状態でした。横綱として生きるための、治療の日々。その姿を周囲に見せたくないというプライドがあったと、あの空港での言葉を今、思い出しています。

 横綱としての運命を生きた稀勢の里関。この経験を、これから生まれるであろう横綱に伝え、いつか横綱を生む存在になってほしい。それだけ豊かな人間力を持ち、周囲には言えない、言わない苦しき経験をしてきたと思います。

 とにかく今は傷だらけの心身を癒し、次なるステージへ準備を整えてもらいたい、そう強く願います。

(「大相撲PRESS」田中大貴 = 文)

337名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:49:57 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里引退、関西ファンからも惜しむ声
1/16(水) 14:07配信 産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000552-san-spo

横綱稀勢の里の引退を伝える大阪・道頓堀の電光掲示板=16日午後、大阪市中央区(寺口純平撮影)
 大相撲初場所で初日から3連敗を喫した横綱稀勢の里関が現役引退を決めた。再起がかなわぬままの引退の決断に関西のファンからも惜しむ声が上がった。

【表】稀勢の里・記録の足跡

 神戸市長田区の主婦、橋口弘美さん(54)は「けががなければもっと長く活躍し、偉大な力士になれていたはず。日本人の横綱として誇らしい存在だった。けがを完治させて、第二の人生を歩んでほしい」とねぎらった。

 10年前から応援してきたという大阪市浪速区の中山正人さん(72)は「昔は足腰が強くて、横綱になるのもうなずけた」と振り返り、「けがの影響からか、良い状態には見えなかった。正直、身を引いてほしい部分もあった」と複雑な思いを明かした。京都市左京区の松井健太さん(24)は「最近、相撲界には明るい話題がないと感じる。日本出身の横綱として、一つの象徴が消えるような気がして悲しい」と話した。

338名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:50:17 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里が現役引退を決断、ただ一人の日本人横綱
1/16(水) 15:19配信 AFP=時事
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000025-jij_afp-spo

明治神宮で奉納土俵入りに臨む横綱・稀勢の里(2018年1月9日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】大相撲で唯一の日本人横綱である稀勢の里(Kisenosato)が、長引く不振とけがに苦しんだ日々を経て、現役引退を決断した。

【写真】3横綱が明治神宮で新春恒例の奉納土俵入り

 1998年以来、久しぶりに誕生した日本人横綱だった稀勢の里は、初場所で初日から3連敗を喫したことを受け、土俵を下りる決断を下した。32歳の稀勢の里が予想されていた通り引退したことで、残る横綱は白鵬(Hakuho)と鶴竜(Kakuryu)のモンゴル出身力士2人となる。

 菅義偉(Yoshihide Suga)官房長官は会見で、横綱の引退は「非常に残念で寂しい」と話し、「19年ぶりの日本出身横綱として多くのファンを魅了した」と続けた。【翻訳編集】 AFPBB News

339名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:50:36 ID:2mcZrlOI0
日本相撲協会 稀勢の里の引退、年寄り荒磯の襲名を承認
1/16(水) 15:33配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000074-dal-spo

稀勢の里
 日本相撲協会が16日、理事会を開き、横綱稀勢の里の引退と年寄り荒磯襲名を承認したと発表した。

 稀勢の里は進退を懸けて臨んでいた今場所、初日から3連敗。この日、師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が都内で報道陣に対応し、稀勢の里が引退を決断したことを表明した。

340名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:51:44 ID:2mcZrlOI0
豪風、引退の稀勢の里へ「つらかったんじゃないか」
1/16(水) 16:05配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00448569-nksports-fight

常幸龍(後方)を押し出しで下した豪風(撮影・江口和貴)
<大相撲初場所>◇4日目◇16日◇両国国技館

東十両12枚目豪風(39=尾車)が常幸龍を押し出し、初白星を挙げ、1勝3敗とした。「落ち着いていたというより、必死でした。今日みたいな攻める相撲をしないとね」。

この日朝に稀勢の里が引退を発表した。「朝からヘビーなニュースでしたね」とこぼした。初土俵こそ稀勢の里が02年春、自分が同年夏と1場所ずれたが「向こうが中卒で3月、自分が大学出て5月だけど、同期みたいなもの。教習所も一緒だったし」という。対戦成績は5勝21敗だった。力士としての印象を「受けが強かった。簡単に身につくもんじゃない。稽古を重ねて攻めを強くなってきてね」と語った。

同じ時代を過ごしただけに、思い入れは強い。「日本人横綱に最も近いのは稀勢の里、そうずっと言われ続けてそうなって。つらかったんじゃないかな、本人もご両親も。勝っても負けても騒がれる。生きた心地がしなかったんじゃないか。そういうのも背負ってこその横綱というところを見せてくれた」。今後について「これからの方が長いけど、面倒見もいいし、いい指導者になるんじゃないかな」と期待した。

341名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:52:30 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里 場所直前「相撲って楽しい。やめられないですよ」と話していた…豊ノ島明かす
1/16(水) 16:27配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000122-spnannex-spo

<大相撲初場所4日目>若隆景(下)を寄り切りで破った豊ノ島(撮影・久冨木 修)
 かつて稀勢の里と出世を争った十両・豊ノ島が16日、引退を表明したライバルとの思い出を語った。15日夜にLINEで引退を伝えられ、豊ノ島から電話。「本人はすっきりした感じだった」と振り返った。

 場所前には琴奨菊とともに田子ノ浦部屋に出稽古し、稀勢の里と数年ぶりに相撲を取った。「自分の感想は強かった。こんな強いんじゃんって思った」と印象を口にした一方、稀勢の里から「相撲って楽しいですね。やめられないですよ」と言われたことも明かした。

 横綱の「重さ」を肌で感じた豊ノ島だったが、本場所が始まると横綱は3連敗と力を出し切れずに終わった。豊ノ島は「進退というのが重圧だったのでは」と持論を述べた。

 プロ入り当時の稀勢の里について、「バケモンみたいな15歳」と振り返り、「1日1日経つごとに強くなって何だこのバケモンは、と。(同年代の)琴奨菊と2人で10代関取もあるねと言っていた。そしたら17歳で関取ですから」とエピソードを披露した。

 同じタイミングで新十両となり、一緒に食事も行く間柄となった。その時には「当時は早く僕らに追いつきたいと、2人の背中追って頑張ってきたと言ってくれた。そしたら、アッという間に追いつかれて、あっという間に背中を追うことになった」と思い出して笑った。

342名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:54:19 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里と同じケガで引退 柔道・井上康生監督は「後悔」
1/16(水) 18:22配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000147-spnannex-spo

プライベートで親交のある稀勢の里にねぎらいの言葉を贈った柔道男子日本代表の井上康生監督
 柔道男子日本代表の井上康生監督(40)が16日、プライベートで親交がある大相撲の横綱・稀勢の里の引退に際し、後悔の思いを吐露した。東京都内で行っている強化合宿で取材に応じ、「まずはケガを負って苦しい戦いの連続だったにも関わらず、言い訳一つせずに最後まで戦い抜いたのは、本当に素晴らしかったと思うし、心からお疲れ様という言葉しかないと思います」とねぎらいの言葉を贈った。

 現役時代は柔道界の国民的ヒーローだった井上監督が後悔する理由は、稀勢の里と同様に大胸筋のケガが引き金となった自身の引退経緯にある。2、3年前に知り合ってからは何度も会話を交わす機会があったようで、横綱が大胸筋断裂を負ってからは、自然とケガが話題に上ることが多かったという。

 柔道界と大相撲界では取り巻く環境が異なるが、井上監督は「大胸筋断裂の“先輩”として、ケガを治すこと、休養すること、手術を含めて、強く説明しきれなかった。その部分の後悔というか、申し訳なさ、悔しさは若干あります」と吐露。その立場ゆえに完治しないまま土俵に立ち続け、結果的に横綱として短命に終わったことに後悔の念を募らせた。

 稀勢の里からは16日午前中にメールで引退の報告があったという。その際の返信で「伝えさせてもらいました」と自分自身の後悔を表明したという井上監督。「どちらにしても、最後まで横綱としてまっとうした姿は立派だったと思っています」と慰労の言葉が尽きることはなかった。

343名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:54:45 ID:2mcZrlOI0
館内に「稀勢の里、ありがとう!」の声が飛ぶ 錦木が不戦勝で
1/16(水) 18:12配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000100-dal-spo

錦木の不戦勝が告げられた=両国国技館
 「大相撲初場所・4日目」(16日、両国国技館)

 横綱稀勢の里(田子ノ浦)の引退により、前頭二枚目錦木(伊勢ノ海)が、不戦勝で4勝目を飾った。

【写真】無念の稀勢の里大応援団 国技館の客席埋めるも…

 館内に「稀勢の里、引退、従って錦木の不戦勝になります」とアナウンスが流れると、どよめきにまじり、「稀勢の里、ありがとう!」の声が飛んだ。騒然とするなか、錦木が勝ち名乗りを受けた。

 この日は、稀勢の里の出身地・茨城県牛久市から郷土後援会の応援団が両国国技館に到着。引退表明で惜しむ声が高まっていたが、拍手もわき起こった。

344名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:55:06 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里引退、スポーツ界から惜しむ声
1/16(水) 18:07配信 毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000058-mai-spo

引退の記者会見をする稀勢の里=両国国技館で2019年1月16日午後3時41分、渡部直樹撮影
 けがと闘いながら記憶に残る勝負を演じた稀勢の里の引退に、スポーツ界からもねぎらいの声が相次いだ。

【写真特集】15年前の稀勢の里、朝げいこで汗

 数年前から親交がある柔道男子日本代表の井上康生監督は「けがをして本当に苦しい戦いの連続にもかかわらず、言い訳一つせずに最後まで戦い抜いたのは素晴らしかった」とたたえた。ともに大胸筋のけがに苦しんだ経験から、相談を受けたこともあったという。井上監督は「(自分の体験を)伝えきれなかった申し訳なさ、悔しさがある」と話した。

 同じ茨城県出身で中学時代には野球で対戦経験のあるプロ野球・楽天の美馬学投手は「寂しい気持ちでいっぱい。連敗中、あれだけ言われながらも、ここまでやってきたことはすごい」と球団広報を通じてコメントした。

 スポーツ庁の鈴木大地長官は「けがとの闘いだったと思いますが、身を削りながら稽古(けいこ)して横綱まで上り詰めた。満身創痍(そうい)と思いますので、ゆっくり休んでいただきたい」とねぎらった。

 青山学院大陸上部・長距離ブロックの原晋監督は自身のツイッターに「通算800勝は立派な記録。栄光と挫折を体現した方は必ず良い指導者になる。今後は日本人横綱育成に尽力してください」と書き込んだ。【松本晃、浅妻博之、田原和宏】

345名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:55:36 ID:2mcZrlOI0
柔道・井上康生監督、引退の稀勢の里に「最後まで横綱として全うした姿は立派」
1/16(水) 17:42配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000085-sph-spo

井上康生監督
 柔道男子の井上康生監督が16日、東京都内で行われた日本代表合宿で取材に応じ、引退を発表した大相撲の横綱・稀勢の里について「本当に苦しい戦いの連続だったにも関わらず、言い訳一つせずに戦い抜いた。本当に素晴らしかったんじゃないかなというふうに思いますし、心からお疲れ様という言葉しかないかなと思っています。最後までしっかり横綱として全うした姿っていうのは立派だったと思います」と、コメントした。

 2人は2〜3年前から交流があり、時には直接会って、話をするなど「友人というか、その一人だった」。そんな稀勢の里には、かつて井上監督自身も負傷した大胸筋のけがについてアドバイスすることもあったといい「けがを治すこととか、休養すること、もしかしたら手術というところも含めた上で説明しきれなかった。その部分で自分自身の後悔というか、申し訳なさというか、悔しさはあるなというふうに思っている」と、思いを明かした。

 本人からは16日の朝にメールで連絡をもらったという。

346名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:56:50 ID:2mcZrlOI0
琴奨菊たまらず涙、66度対戦の稀勢の里引退に万感
1/16(水) 20:34配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00449027-nksports-fight

支度部屋で報道陣の質問に応える琴奨菊(撮影・山崎安昭)
稀勢の里との取組が史上最多66度を数えた東前頭4枚目琴奨菊(34=佐渡ケ嶽)が、泣いた。松鳳山との取組後、支度部屋で「稀勢の里はどんな存在だった?」と問われ、しばし無言。「朝聞いた時は涙が出た」と話した数分後、再び涙がこぼれ落ちた。「負けないように…やるだけです」と声を振り絞った。

【写真】引退会見で涙を見せる稀勢の里

場所前には田子ノ浦部屋へ出稽古した。「美談になるのがすごく嫌。強くなるために、若手では出せないものを(お互いが)出せるかなと思って」と話した。

今場所は、昨年初場所以来の顔合わせがあるはずだった。これまで34勝29敗(2不戦勝、1不戦敗)。「当たるの楽しみだったんだけどね。自分の成長を試せる、勝てば本当にノッていける相手だから」と残念がった。

347名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:57:32 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里引退、来年にもアキバで新生・荒磯部屋創設プラン
1/17(木) 5:03配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000183-sph-spo

引退会見で涙ぐむ稀勢の里
 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。当面は田子ノ浦部屋付き親方として後進の指導にあたるが、2020年にも独立して新生・荒磯部屋を創設するプランが浮上。候補地はJR秋葉原駅近辺で「世界のアキバ」から将来の横綱を育てる。

【写真】貴景勝の母が「ありえない美人」と話題沸騰

 たたき上げの和製横綱・稀勢の里が相撲人生に終止符を打った。茨城・長山中から15歳で「傘、ジャージー、下着」だけを持って旧鳴戸部屋の門をたたいた。17年前の新弟子時代に通った国技館内の相撲教習所の壇上で「覚悟をもって場所前から過ごして、稽古をしてきた。自分の中では『これで駄目なら』というくらい、いい稽古をした。一片の悔いもありません」と語ると、えんじ色の着物の襟元に涙がこぼれた。

 横綱審議委員会から初の「激励」決議を出された進退場所。昨年秋から3場所にわたる横綱ワースト8連敗(不戦敗除く)を喫した15日夜、師匠・田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)に引退意思を伝えた。負けて横綱が引退を決意するのは、03年九州場所中の武蔵丸以来16年ぶりだった。

 17歳で関取になり、30歳だった17年初場所の初優勝で番付最高位まで上りつめた。だが、翌春場所13日目の日馬富士戦で新横綱Vと引き換えに左大胸筋、上腕などを負傷した。大関時代まで休場がわずか1日だった「鉄人」は、年6場所制(58年)以降の横綱ワースト、8場所連続休場も経験。すがるような思いだったのか、今場所中は朝稽古前に都内の神社を参拝し、静かに手を合わせてからまわしを締めた。

 2年前の大けがを振り返ると「一生懸命やってきました…」と思い詰めて10秒以上も沈黙。「けがをする前の自分に戻ることはできなかった」と無念さをにじませた。休場覚悟で完治前に強行出場を続けたのは和製横綱としての相撲人気を守りたかったから。「ファンの期待に沿えないのは悔いが残る」と唇をかんだ。

 今後は荒磯親方として次世代力士の育成に心血を注ぐ。相撲協会の規定で最低1年間は部屋付きの親方として過ごすが、荒磯部屋として東京五輪開催の20年にも独立することが可能だ。土地購入も1年近く前から検討されており、複数の関係者によると予定地はJR秋葉原駅とJR浅草橋駅の中間地点。近隣に相撲部屋は少なく、アイドルグループ・AKB48の拠点に近いため「AKB(アキバ)部屋」と呼ばれる可能性もある。

 相撲道の根幹は、先代師匠の故・鳴戸親方(元横綱・隆の里)の教え。1日100番、正午過ぎまで続く猛稽古は当たり前で「(先代は)稽古が大事と教えてくれた。一生懸命、相撲を取る、けがに強い力士を育てたい」と決意表明した。当面は9月の秋場所後で調整中の断髪式準備に追われそうだが「稀勢の里2世」育成へ、17年の土俵人生で培った財産を角界に還元していく。

 ◆荒磯 1953年に第38代横綱・照国が荒磯部屋を創設。61年に伊勢ケ浜部屋に改称されたが、83年に小結・二子岳が名跡を継承、93年に二子山部屋から独立して部屋を創設。09年に親方の定年退職に伴い閉鎖され、名跡は同年に稀勢の里が取得した。稀勢の里の現役中は元前頭・玉飛鳥らが借株として使用していたが、18年4月からは空き株となり、引退後の即襲名に支障がなくなっていた。

 ◆年寄の独立 09年に年寄が部屋を新設できる規定が設けられた。〈1〉横綱もしくは大関(陥落した力士も含む)〈2〉三役通算25場所以上〈3〉幕内通算60場所以上(番付制限なし)のいずれかの条件を満たし、師匠の了承を受け、引退後1年以上経過した後の理事会の承認を経て部屋を新設することができる。

 ◆稀勢の里が負傷した日馬富士戦

 17年春場所13日目の結びで対戦。寄り倒された後に土俵下に左肩から転落し、痛みで顔をゆがめて30秒ほど起き上がれなかった。支度部屋では左腕を三角巾でつり、救急車で大阪市内の病院へ搬送。場所後の検査では「左大胸筋損傷、左上腕二頭筋損傷」で約1か月の療養が必要と診断された。

348名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:58:21 ID:2mcZrlOI0
実は冗舌な稀勢の里が普段から素顔を見せない理由
1/17(木) 5:00配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00449047-nksports-fight

花束を手にする稀勢の里(撮影・鈴木正人)
稀勢の里は現役力士でいる間、テレビCMやバラエティー番組にほとんど出演しなかった。なぜ素顔を見せないのか? 6年前の3月、こう打ち明けてくれた。

【写真】稀勢の里の取組に出た「ラオウ」の懸賞旗

「俺は勝って喜ばれたい。勝つことが恩返しですし、勝つことでいろんな人と出会える。相撲が基本ですから」

力士の本分を追求していた。大関に上がる前から自転車にも乗らなかった。7年前には、こう言っていた。

「外に行く時は必ず着替える。お相撲さんである以上、人に見られる。かっこよくいたい。呉服屋の人に聞いたら、先代はおしゃれだったと言っていた。何百万もする着物は自分はまだ着られない。シュッと着られる力士になりたい」

人気の理由は、日本人横綱だからではない。あるべき力士像を追い、それに共感する好角家が多かったからだ。

朝稽古に突然、若い女性アナウンサーや著名人が来ても、ニコリともしない。面識がなければ、ほとんど相手にしなかった。その代わり、足を運べば少しずつ口を開いてくれた。

オフレコの場面では冗舌で、ブラックジョークも珍しくない。親方になれば、NHK中継の解説も務めるはず。口の滑らかさに驚くファンもいると見ている。【10〜13年担当=佐々木一郎】

349名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:58:49 ID:2mcZrlOI0
好角家デーモン閣下、現役引退の稀勢の里をねぎらう「長く土俵を沸かせてくれた大功労者」
1/16(水) 23:21配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000182-sph-spo

デーモン閣下
 好角家でミュージシャンのデーモン閣下が16日、自身のブログを更新し、大相撲の横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の引退を惜しんだ。

 この日、東京・両国国技館の相撲教習所で引退会見を行った稀勢の里に「よく頑張った。だけど身体が追い付いてこなかった。やむなし、という感じである」と切り出したデーモン閣下。

 「本人は会見で『悔いなし』と発言したが、本当はやり切ったとは思えていない、悔しさがにじみ出ていたと吾輩には感じられた」と稀勢の里の会見を回想し、「怪我をちゃんと治し、もっと鍛え直してから進退を懸ける場所に臨みたいと、本人もそう思っていたのではなかろうか。怪我はちゃんと治すまで待つ。そして納得がゆくまで鍛え直す。それで再起を懸け、それでもダメなら引退、という形を横綱にも」と問題提起した。

 そして「横綱としては数字の上で大きな成果に至れなかったかも知れぬが、『力士』としては幕内で約14年間、長く土俵を沸かせてくれた大功労者である。悔いはあるかも知れないが『誇りに思ってくれ給へ!』と言いたい」と、横綱・白鵬(33)=宮城野=の連勝記録を止めた一番などを振り返り、荒磯親方として後進の指導にあたる稀勢の里をねぎらった。

350名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 17:59:58 ID:2mcZrlOI0
田子ノ浦親方 稀勢引退に目潤む「先代の夢かなえてくれた」
1/17(木) 6:00配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000044-spnannex-spo

引退会見を終え、田子ノ浦親方(右)と言葉をかわす稀勢の里(撮影・三島 英忠)
 ◇横綱・稀勢の里引退

 稀勢の里の引退会見に同席した師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)も目を潤ませた。「一番近くで見ていたので、どれだけ相撲に熱意を持って必死に稽古をやってきたか分かる。努力で横綱まで上がった。先代師匠(故鳴戸親方、元横綱・隆の里)が夢に描いた初優勝、そして横綱と、僕たちができなかったことをやり遂げてくれた。凄く感謝している」とねぎらった。

 稀勢の里が鳴戸部屋(当時)に入門した時、10歳年上の田子ノ浦親方は十両力士。06年の引退後も部屋付き親方として弟弟子を見守った。11年11月に元鳴戸親方が急死し、急きょ部屋を継承してからは師匠となった。

 稀勢の里が引退を報告に来たときには、その理由を聞くことも、慰留もしなかった。そして「ご苦労さん」とだけ声を掛けたという。「これからが長い。相撲ファンに恩返しできるチャンスはいっぱいある」と荒磯親方となった稀勢の里にエールを送った。

351名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:00:20 ID:2mcZrlOI0
高安 兄弟子・稀勢の里に捧げる白星 綱とり誓った「それが一番の恩返し」
1/17(木) 6:00配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000030-dal-fight

 稀勢の里の引退で場内に錦木の不戦勝が告げられる中、花道を引き揚げる高安
 「大相撲初場所・4日目」(16日、両国国技館)

 絶対に負けるわけにはいかなかった。自分を鍛え上げてくれた兄弟子の稀勢の里が引退を発表し、相手は前日にその横綱に引導を渡す形となった栃煌山。高安は気合がほとばしった立ち合いの体当たりから一気に突き放した。過去7勝20敗だった相手に完勝。「今日は1つの節目。負けられない気持ちだった」と、うなずいた。

 苦楽を共にしてきた兄弟子の話になると、一言一言かみしめるように言葉を紡いだ。頭に浮かぶのは、ただただ強くなることを追い求め、汗と土にまみれた日々。「自分が若い衆の頃からずっと稽古をつけてもらって、関取になっても連日何十番も取って、強くしてもらった。今の自分があるのは、あの稽古のおかげ。常に自分の上にいてくれて、目標だった」と、感謝の言葉しか出てこなかった。

 稀勢の里は、自身が横綱に昇進した際「高安を大関に引き上げるのが自分の使命」と話し、高安が大関となった際には「もう1つ上がある」と、常に期待をかけてくれた。優勝パレードのオープンカーにも同乗させてもらった。「あの光景は今も頭から離れない。色濃く残ってます」-。

 大関昇進以降、なかなか殻を破りきれないでいる。高安自身、兄弟子の思いに報いるために、やるべきことは分かっている。「自分もあの景色を拝めるように一生懸命やりたい」と話し、横綱昇進にも「それが1番の恩返しになる」と、意欲をにじませた。外国勢に立ち向かい、日本人力士の誇りを示してきた兄弟子。魂を引き継ぎ、頂点を獲りにいく。

352名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:00:44 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里、土俵人生で一番忘れられないのは「天皇賜杯を抱いた時」…引退会見一問一答
1/17(木) 6:14配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000191-sph-spo

賜杯を手に笑顔の稀勢の里
 現役を引退した横綱・稀勢の里が16日、東京・両国国技館内の相撲教習所で、師匠・田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)とともに会見に臨んだ。この日の不戦敗で、横綱在位12場所の通算成績は36勝36敗97休。番付最高位として期待に応えられなかったが、19年ぶりに誕生した日本出身横綱として「いい環境、歓声の中で相撲を取れたことは、力士として幸せなことでした」と感謝した。

 ◆稀勢の里に聞く

 ―昨日から引退までの気持ち、心の動きは。

 「もうやり切った、という気持ちが一番最初に出ました」

 ―17年間の土俵人生を振り返って。

 「本当にいろいろな人に支えられて、一人じゃここまで来られなかったと思います。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」

 ―引退を決断をした今の心境は。

 「(大好きな人気漫画・北斗の拳に登場するラオウの名セリフを意識したかのように)私の土俵人生において一片の悔いもありません」

 ―一番心に残っていることは。

 「もうありすぎてね、なかなか思い出せません。やはり、稽古場が僕を強くしてくれたので、稽古場での思い出が今でも残っています」

 ―場所前の体の状態、けがの状況などは。

 「けがをして以来、自分の中では一番良い動きができていた。自信を持って臨めました」

 ―けがから2年。けがを抱えながらどういう思いで横綱を務めてきたか。

 「こうして横綱に上げてもらった。このまま潔く引退するか、ファンの方たちのために相撲を取るか、いつも稽古場で自問自答してましたが、やはり応援してくれる方のために相撲は続けようと。そういう覚悟を決めてやってきました。このような結果になって、本当に申し訳ない」

 ―先代師匠の故・鳴戸親方にどう引退を報告するか。

 「本当に感謝の気持ちを伝えたい」

 ―横綱になったら見える景色が違うと先代から言われてきた。実際に横綱になってみて、どう感じたか。

 「やはり大関と横綱というのは、全く違うものでした。ですが、先代の見ていた景色はまだ見えなかった」

 ―横綱はどういう地位か。

 「自分自身を、変えてくれました」

逃げない諦めない  ―土俵人生で貫いてきた信念は。

 「絶対に逃げない、諦めない、その気持ちです」

 ―涙はどういう気持ちからか。

 「ふ〜。いろいろな人に支えられたなと思いまして。先代を始め…、思い出すとどうしても…」

 ―横綱になって何が変わったか。

 「大関時代、幕内、十両もそうですけど、全く環境が変わりました。自分の意識も変わりました。本当に自分自身が変わったなと。意識の部分もそう。説明しにくいですけど、自分を本当に変えてくれたなと思います」

 ―新弟子で通った相撲教習所での会見。入門した頃の思い出は。

 「関取に上がりたい、早く大銀杏(おおいちょう)を結いたい、ただその気持ちだけでした」

 ―日本出身横綱としての期待が重圧だったのか。

 「いい環境、歓声の中で相撲を取れたことは、本当に力士として幸せなことでした。本当に良かったです」

 ―17年間の力士人生。誇れるものは。

 「一生懸命、相撲を取っていたこと。ただそれだけです」

 ―今までの力士人生で一番忘れられなかった光景は。

 「天皇賜杯を抱いた時です。うれしかったです」

353名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:01:06 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里という男…無口で愚直昔ながらの力士像体現
1/17(木) 6:15配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000195-sph-spo

17年3月、新横綱として迎えた春場所で、雲竜型の土俵入りを披露する稀勢の里
 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。

 無口で不器用―。愚直な土俵人生を歩んできた稀勢の里の根底には先代・鳴戸親方(元横綱・隆の里)の教えがある。取組後の支度部屋では小さな声で多くを語らず、記者泣かせの力士だった。負ければ質問を無視することも多々、勝って口を開いたとしても「いやっ、まっ、そうっすね」と「はい」なのか「いいえ」なのか判断しづらい言葉が返ってきたこともあった。

 それこそ「マスコミにはあまり話すな」と、先代師匠が口を酸っぱくして弟子に伝えてきた教えだった。「勝って喜ぶのは相手に失礼」と教えられ、支度部屋では笑みを見せることもなかった。明らかにけがをしていた場合でも、指摘されて「大丈夫です」。負傷を明かすことは言い訳となり、翌日の対戦相手にわざわざ弱点を教えることになるからだった。

 兄弟子に当たる西岩親方(元関脇・若の里)は「取組を終えて苦しい顔で花道を歩いてくる力士がいるけど、支度部屋に戻るまでが相撲。(テレビ中継のない)支度部屋までグッとこらえて、それから感情を出せばいい」と語っていたことがある。喜怒哀楽を抑え、勝っておごらず負けて腐らずが土俵の美。日本人がイメージする力士像を体現したのが稀勢の里だった。

354名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:01:35 ID:2mcZrlOI0
横綱の引退Q&A…退職金だけでなく養老金、勤続加算金も 気になるおカネを解説
1/17(木) 6:16配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000196-sph-spo

会見を終え、報道陣から花束を贈られた稀勢の里
 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。

【写真】貴景勝の母が「ありえない美人」と話題沸騰

 【Q】 稀勢の里の退職金は。

 【A】 2014年の公益財団法人移行後は公表していない。財団法人時代は特別功労金として朝青龍が1億2000万円、貴乃花が1億3000万円を支給された。実績を加味されて理事会で金額が決まる。

 【Q】 他にもお金は。

 【A】 一般企業の退職金に当たる養老金と勤続加算金があり、稀勢の里は単純計算で約4000万円をもらう。内訳は、養老金は十両以上が対象で横綱は1500万円。勤続加算金は十両以上の力士が各地位での場所数に決まった金額を掛け、横綱は1場所50万円。十両3場所、幕内20場所、三役22場所、大関31場所、横綱12場所(うち4場所休場)で合計約2500万円。ほかに、獲得した懸賞金のうち手取り(3万円)とは別に積み立て分が支給される。

 【Q】 引退相撲は。

 【A】 関取を30場所以上務めた力士に資格があり、稀勢の里は可能。土俵上での断髪式に加え、横綱は最後の土俵入りを行える。日程は東京場所後の2月、6月、10月が通例。朝青龍は10年10月、日馬富士は18年9月に行い、2人ともに感謝を込めて土俵にキスをした。

355名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:02:07 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里の“生命線”左おっつけの威力奪った大胸筋断裂
1/17(木) 6:16配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000213-sph-spo

17年春場所13日目、日馬富士(左)に寄り倒しで敗れ、土俵下へ転落した稀勢の里
 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。

【写真】貴景勝の母が「ありえない美人」と話題沸騰

 新横綱として挑んだ17年春場所で、稀勢の里の土俵人生は全てが暗転した。13日目の横綱・日馬富士戦で負った左上腕や左大胸筋のけがを押して出場し、奇跡的な逆転優勝。だがその後は後遺症に苦しみ、復活は果たせなかった。

 その日の夜。現役時代に同様のけがを負った元幕内のある親方は「大胸筋が切れていたら復活は絶望的。腕の左右の動きが制限されて完治もしない。おっつけができなくなるから、今までの相撲は取れないだろう」と案じた。関係者によるとその後、大胸筋は部分断裂と判明した。

 悲劇から3か月後、稀勢の里は出稽古先で阿武松(おうのまつ)親方(元関脇・益荒男)に告げられた。「仮にこのまま復活できなかったとしても、努力した尊さは変わらない。胸を張ってほしい」。横綱は「本当にありがとうございます」と頭を下げ「もう一度、頑張ります」と返したが、生命線の左おっつけの威力は戻らなかった。

 患部をかばうことで腰や足首、膝も痛める悪循環。左大胸筋は微弱電流を流して機能回復を促す医療機器が、今場所前までずっと手放せなかった。右膝負傷で7場所連続全休の横綱・貴乃花は取り口の技術でけがを補って一度は復活したが、技能よりも馬力の稀勢の里は歯車が狂うと軌道修正が利かなかった。

356名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:02:37 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里語録…萩原から改名「字的にも響きもカッコイイ」
1/17(木) 6:17配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000005-sph-spo

優勝額を贈られた稀勢の里
 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。

 ◆稀勢の里語録

 ▽04年初場所。貴乃花、柏戸に次ぐ歴代3位の若さの17歳6か月で幕下優勝。「大満足です。とにかく前に出るだけ。いつも通りできればいいと思いました」

 ▽04年春場所で勝ち越しを決め、史上2位の年少17歳9か月での新十両昇進が決定的に。「いつも通りです。(昇進がかかる)意識はなかったです。まだ場所が終わってないんで…」

 ▽04年10月6日、本名の萩原から稀勢の里に改名。「字的にも響きもカッコイイ」

 ▽10年九州場所2日目、白鵬の連勝を63で止め。「実感が湧かない。勝ち名乗りで勝ったと思った」

 ▽11年九州場所千秋楽。場所前に先代師匠の鳴戸親方を亡くしながら大関昇進を決める。「本当は今日勝って(師匠に)報告したかったですね。昇進の実感はないです」

 ▽17年初場所14日目。初優勝を決めて涙。「ありがとうございました。支えてくれた人には本当に感謝しかない」

 ▽17年初場所千秋楽。白鵬を土俵際で逆転して14勝1敗の優勝。「必死に残った。誰かに支えられた気がする。後押ししてくれたような気がする」

 ▽17年初場所後、横綱昇進が決まり雲竜型土俵入りを選択。先代師匠は不知火型だったが、その師匠の初代若乃花が雲竜型。「その意味も込めて。そういう相撲ですからね」

 ▽17年春場所千秋楽。左上腕を負傷しながら新横綱V。「すみません。今回は泣かないと決めていたんですけど。すみません」

 ▽18年九州場所で右膝を負傷して5日目から休場。「このままでは終われない。もう一回チャンスをください」

357名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:03:11 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里の地元後援会、93人で駆けつけるも…今度は高安応援
1/17(木) 6:18配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000009-sph-spo

稀勢の里の大応援団
◆大相撲初場所 4日目(16日・両国国技館)

 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。

 稀勢の里の地元・茨城の郷土後援会は93人がバスなどで応援に駆けつけたが、土俵に横綱の姿はなかった。2006年から応援ツアーとして初場所と秋場所の4日目を観戦。数日で定員に到達するなど人気は絶大で、今回が27回目だった。参加者は「今度は高安の応援をしないといけないですね」と牛久市の隣の土浦市出身で、弟弟子でもある大関・高安に声援を送っていた。

358名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:03:43 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里引退…記録で振り返る17年間の土俵人生
1/17(木) 6:18配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000040-sph-spo

04年春場所9日目、琴乃峰を下し17歳で十両昇進
 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。

 ▼年少出世 17歳9か月での新十両、18歳3か月での新入幕は、ともに貴乃花に次ぐ2番目の若さ。

 ▼スロー初優勝 新入幕から所要73場所の初優勝は2番目(1位は旭天鵬の86場所)。初土俵から所要89場所は4番目の遅さ(1位は旭天鵬の121)。

 ▼年長初優勝 30歳6か月の初Vは、年6場所制となった58年以降では5番目の年長(最年長は旭天鵬の37歳8か月)。

 ▼スロー横綱昇進 新入幕から所要73場所での横綱昇進は最遅。初土俵から89場所は3番目の遅さ(1位は三重ノ海の97場所)。大関通過に31場所を要したのは昭和以降3番目の遅さ(1位は琴桜と武蔵丸の32場所)。

 ▼年長横綱昇進 30歳6か月での昇進は昭和以降7番目の年長(最年長は吉葉山の33歳9か月)。日本出身では3代目若乃花以来19年ぶり。茨城出身では男女ノ川以来81年ぶり。

 ▼休場 横綱の8場所連続休場は年6場所制でワースト。55日連続休場は4番目の長さ(最長は貴乃花の105日)。

 ▼短命 横綱在位12場所は昭和以降10番目の短さ(1位は前田山の6場所)。

 ▼横綱勝利数 36勝は三重ノ海の55勝を下回り、年6場所制で最少。

 ▼連敗 昨年9月の秋場所千秋楽から不戦敗を除き8連敗。1場所15日制が定着した49年夏場所以降では貴乃花を抜いて横綱ワースト。在位12場所で36勝36敗97休。休場を除く勝率5割は史上最低。

359名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:06:08 ID:2mcZrlOI0
力士仲間に愛された稀勢の里、原点土俵の教習所で幕
1/17(木) 7:30配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00449251-nksports-fight

引退会見で涙ぐむ稀勢の里(撮影・鈴木正人)
横綱稀勢の里(本名萩原寛、32=田子ノ浦)が引退を表明し、約17年に及ぶ波乱に満ちた力士人生に別れを告げた。

【写真】花束を手にする稀勢の里

東京・両国国技館で引退会見に臨み「一片の悔いもございません」と大粒の涙を流した。19年ぶりの日本出身横綱として17年初場所で初優勝後、横綱に昇進。中卒たたき上げ、愚直な姿勢から絶大な人気を誇り、誰からも愛される横綱だった。

   ◇    ◇

涙が止まらなかった。冒頭で「私、稀勢の里は、今場所をもちまして引退し」などと、あいさつした時だけ、よどみなく話した。だが最初の質問で、すぐに目には大粒の涙がたまった。「横綱として皆さまの期待にそえないことには、非常に悔いが残りますが…。私の…」。何度も言葉を詰まらせ、泣き顔を見せまいと下を向いた。意を決したように顔を上げ「土俵人生において、一片の悔いもございません」と話すと、こらえ切れずに涙をぬぐった。

前日3日目の打ち出し後に決断していた。初日から3連敗し、自宅へ戻る前に都内の部屋で約1時間半過ごした。そのうち、師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)と約30分の話し合いは「引退させてください」と切り出した。田子ノ浦親方は「我慢強い男ですから、引退という言葉を使うということは、それなりの覚悟があったと思う」と、決意を受け入れ、引退を慰留することはできなかった。

会見場は15歳で相撲界に入ってから半年間通った、両国国技館内にある相撲教習所だった。すぐ隣には、ほぼ同期の前頭琴奨菊、十両豊ノ島らと連日胸を合わせた、17年間の原点となる土俵があった。その琴奨菊と豊ノ島は、今場所前に「3人で、あのころを思い出してやろう」と、示し合わせて初めて田子ノ浦部屋に出稽古に訪れた。現役生活の最後の思い出もよみがえったのか、涙もろかった。

中学卒業後、鳴戸部屋に入門した。故人の先代鳴戸親方(元横綱隆の里)は「あれは将来、大物になる」と見抜き、すでに三役力士だった若の里に毎日100番も稽古を付けさせた。異例の英才教育で、貴乃花に次ぐ史上2番目に若い18歳3カ月で新入幕。一方で史上2番目のスロー初優勝。それでも愚直に努力で横綱に昇進。不器用さが多くの人に愛された。

新横綱場所で大けがを負い、8場所連続休場、前日3日まで足かけ3場所で8連敗と、ともに横綱ワースト記録を更新した。大けがはひた隠しにしたが、実は左上腕二頭筋断裂だった。「徐々に良くなってきましたが、けがする前の自分に戻ることはできなかった」と話し、号泣する場面も。

愚直に稽古に打ち込む姿勢には、白鵬や日馬富士ら同世代の横綱も「ライバルは稀勢の里」と言い、先輩横綱の朝青龍をも対戦を心待ちにさせた。ファン以上に力士仲間に愛された。先代鳴戸親方から「稀(まれ)なる勢いになれ」と期待された通り、大物になった。悔しくて仕方なくても、好きな漫画「北斗の拳」の登場人物ラオウの名ゼリフを模して「一片の悔いなし」と言い切った。日本中に愛された希代の横綱が、約2年という短い横綱人生に幕を閉じた。【高田文太】

360名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:06:46 ID:2mcZrlOI0
復活阻んだ稀勢の里の誤算、もがいた日々を父明かす
1/17(木) 7:30配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00449253-nksports-fight

引退会見で涙を流す稀勢の里(撮影・鈴木正人)
横綱稀勢の里は横綱昇進後、在位12場所中、皆勤2場所に終わった。新横綱として初めて臨んだ一昨年3月の春場所で負った大けが致命傷になった。けがとの闘い、その裏にあった決断などを、最後に皆勤し、2桁勝利を挙げた秋場所前の昨年9月に父萩原貞彦さん(73)が明かしていた。引退に際し、もがき続けた父子の戦いの跡に迫る。

【写真】土俵に手をついて悔しがる稀勢の里

【取材・構成=高田文太】

     ◇   ◇

稀勢の里を相撲界へと導いたのは、元アマチュアボクサーの父貞彦さんだった。後の横綱、寛少年に土日の大相撲中継を見せ、小学校2年でまわしをつけさせた。英才教育だった。

最初の進退場所となった昨年9月の秋場所前に、貞彦さんは稀勢の里のけがとの葛藤、復活プラン、素顔などを明かしている。

横綱の力士生命を縮めたのは新横綱で迎えた一昨年春場所13日目、横綱日馬富士戦で負った大けがだった。寄り倒されて左の大胸筋や肩を痛めて、うめき声を上げた。だが、千秋楽で大関照ノ富士を優勝決定戦の末に退け、逆転優勝で大きな感動を呼んだ。

ただ代償は大きく、その後、横綱として歴代ワーストの8場所連続休場。当時を振り返り、貞彦さんは「復活に向けて2つの選択肢があった」と明かしていた。(1)突き、押しを多用して相撲を変える。(2)もう1度、基礎から鍛え直す。稀勢の里は(2)を選んだ。貞彦さんは「相撲を変えるのは簡単。でも、また強い四つ相撲を取るために、基礎から鍛え直す道を選んだ。時間がかかるのは承知の上」と説明していた。長期休場をも覚悟。その上で、目先の白星より再び何度も優勝できる可能性に懸けたのだった。

しかし誤算があった。負傷した左大胸筋、左上腕二頭筋の状態だ。貞彦さんは負傷前と比べて、たった30%程度の力で一昨年夏、名古屋の両場所に臨んだとみていた。一昨年九州、昨年初の両場所でようやく50%程度。そして10勝した昨年秋場所で「70%ぐらいまで戻った」とみていた。それでもまだ7割の力だった。

そんな中、出場しては途中休場を繰り返し「回復具合を見誤った」とも父は分析する。けがをする前と同じスタイルで、稀勢の里の王道を貫き、復活を目指した。その決断は尊重しつつ、出ては休む、その判断を後悔もしていた。

大けがを押しての感動の逆転優勝。代償は大きく、8場所連続休場で風当たりが強まった。その裏で貞彦さんも息子とはまた別の厳しい現実と向き合っていた。胃がんの手術を受けたのは、昨年11月の九州場所中だった。胃の3分の2を切除。手術から10日ほどで退院した。完全復活を目指す息子より先に元気な姿になった。転移や後遺症もなく元気に過ごしている。

けがとの壮絶な闘いを続けていた稀勢の里は「良い医者を知っているから」と千葉・松戸市の病院を、人知れず手配した。心配をかけまいと父には直接連絡しなかったが、母や姉には逐一、父の経過を確認していた。父の手術は周囲に一切伏せ、成績不振で九州場所は途中休場したが、その言い訳には一切しなかった。絆で結ばれた父子は、人知れず、互いに闘っていたのだ。

横綱昇進後の約2年、貞彦さんは苦悩する稀勢の里を見続けてきた。強さで存在感を示すことができなかったが、若い衆のころは1日100番にも及ぶ猛稽古で番付を上げた。関取衆となっても、他の部屋が四股やすり足などの基礎運動に終始したり、休みに充てたりといった初日2日前に、50番も取っていた。

努力で成長してきた稀勢の里を象徴するように、貞彦さんは、中学の卒業文集の存在を明かしている。将来の横綱、寛少年はしっかりとこう書いている。

「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」

努力に次ぐ努力で苦難を乗り越えてきた、人間くさい横綱が、ついに土俵を去った。

元横綱になった息子について、この日、父は「(引退の話は)聞いている。なんとも言えない」とだけ口にした。言葉少なだったのにはわけがある。今場所は、あらゆる取材を断っていた。場所前には横綱審議委員会(横審)から史上初の「激励」を決議された。いよいよ後がない場所に集中させたい親心からの配慮だった。厳しい結末になったが、たくましい父子は、しっかりともがき、耐えてこの日を迎えたのだった。

361名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:07:31 ID:2mcZrlOI0
心臓から汗を!稀勢の里荒磯襲名4代連続横綱育成へ
1/17(木) 7:30配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00449252-nksports-fight

花束を手にする稀勢の里(撮影・鈴木正人)
横綱稀勢の里(本名萩原寛、32=田子ノ浦)が、約17年に及ぶ波乱に満ちた力士人生に別れを告げた。

【写真】引退会見で涙を見せる稀勢の里

稀勢の里は今後、年寄荒磯(あらいそ)を襲名し、史上2例目となる4代連続の横綱誕生を目指し、後進の指導にあたることになる。入門時から指導を受けた先代鳴戸親方(元横綱隆の里)、その師匠にあたる元二子山親方(元横綱初代若乃花)と、二所ノ関一門における横綱の伝統を受け継ぎ、稀勢の里で3代目だ。

横綱だった師匠がまた横綱を育てる系譜。たとえば出羽海一門では常陸山、常ノ花、佐田の山、三重ノ海、武蔵丸と横綱が5代続く。元武蔵丸の武蔵川親方が、現在も弟子の育成に尽力しているが、稀勢の里にはこれに負けじと、横綱の系譜の継承を期待されている。

昨年11月の九州場所を休場後、自身の稽古と並行して弟弟子の指導も行っていた。自らが保有する上半身を鍛える器具を稽古場に持ち込み、若い衆に筋力強化に努めさせるなど、以前よりも精力的に後進育成に力を注ぎ「みんな力が付いてきた」と目を細めている。

先代鳴戸親方には「心臓から汗をかけ」とハッパを掛けられ、多い日は1日100番にも及ぶ猛稽古で強くなってきた。「心臓から-」は、先代鳴戸親方が、元二子山親方に言われてきた言葉。土俵に命を懸ける心意気を示せという意味もあるという。脈々と受け継がれる教えを踏襲しつつ、現在は部屋の若い衆に四股を踏む際の姿勢から助言。基礎運動重視の伝統的な指導者像もかいま見える。

今場所前は「自分と向き合う稽古もある」との持論を展開し、相撲を取る稽古はこれまでよりも控えめだった。伝統と自身の経験から生まれた指導法で、当面は田子ノ浦部屋の部屋付き親方として指導。その後、荒磯部屋を設立する可能性もある。【高田文太】

362名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:07:55 ID:2mcZrlOI0
【尾車親方の目】稀勢の里との初対面、足腰の強さにうなった
1/17(木) 8:03配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000211-sph-spo

04年夏場所2日目、萩原(左、現・稀勢の里)が琴欧州を浴びせ倒しで破り十両初勝利
 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。

 大けがをする前の稀勢の里は、すさまじいパワーを持っていた。特に左のおっつけが強烈で、白鵬をも左からのおっつけだけで土俵の外に持っていった。場所前の横審の稽古総見や連合稽古では「今場所はやる」と思ったが、まさかの3連敗。改めて本場所の怖さを思い知らされた。

 初めて近くで見たのは、まだ17歳で関取になった頃だったと思う。頬の赤い若者だったが、元気の良さと足腰の強さが際立っていた。「これが萩原(稀勢の里の本名)か」とうなったものだった。

 昔の匂いがする力士だった。寡黙で周りを寄せ付けない雰囲気。先代の鳴戸親方(元横綱・隆の里)もそうだったが、先代は実はよくしゃべる明るい性格、稀勢の里もウチの部屋の矢後をかわいがってくれたように、寡黙さは表面的なもので本当は明るい横綱だった。今後は親方として立派な力士を育ててほしい。(スポーツ報知評論家)

363名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:08:14 ID:2mcZrlOI0
消えた日本出身横綱 次代のスターは現れるか
1/17(木) 8:05配信 産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000503-san-spo

16日の大相撲初場所4日目、取り組み前、御嶽海を応援する人たち=両国国技館(撮影・佐藤徳昭)
 16日に現役を引退した横綱稀勢の里という国産の金看板を失った相撲界の上位陣には、モンゴル人の白鵬、鶴竜の両横綱を筆頭に外国出身力士が顔をそろえる。昨年に初優勝を果たした御嶽海と貴景勝ら頭角を現してきた日本人の若手は一層の奮起を求められる。

 相撲界の隆盛には国産スターが不可欠。稀勢の里が圧倒された朝青龍、白鵬というモンゴル人横綱が覇を競った時代、国技館は空席が目立った。満員御礼の盛況となったのは、稀勢の里が外国人を相手に孤軍奮闘した姿と無縁ではない。

 スター候補はいる。今場所で2横綱1大関を下した26歳の御嶽海は「自分が引っ張る」と若手のリーダー格を自任する。4日目に御嶽海に敗れた22歳の貴景勝も3連勝スタートだった。「相撲を取っている以上は上を目指す」と大関、横綱を見据えて奮戦中だ。

 稀勢の里の代役がすぐに務まるわけではない。しかし、地位が人をつくるように、実績を積み上げれば風格は備わってくる。相撲界隆盛のためにも、外国人に立ち向かう国産力士の成長が待たれる。(奥山次郎)

364名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:08:36 ID:2mcZrlOI0
稀勢の後援会、支援活動を発展的に解消へ
1/17(木) 8:54配信 サンケイスポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000517-sanspo-spo

 大相撲の第72代横綱稀勢の里(32)は16日、東京・両国国技館内の相撲教習所で会見し、現役引退を発表した。進退を懸けて臨んだ初場所は初日から3連敗を喫し、自ら決断した。ただ一人の国内出身横綱は昭和以降で10番目に短い在位12場所に終わった。

 稀勢の里は年寄「荒磯」を襲名し、今後は田子ノ浦部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。支援してきた茨城・牛久市の「稀勢の里郷土後援会」(会員=1046人、15日現在)は、引退を機に支援活動を発展的に解消する方針という。

 平成16年から同会の会長を務める関正夫氏(85)=関彰商事会長=ら有力後援者は、稀勢の里とは「末永いお付き合いを願いたい」と新たな支援形態を模索する。現在、実務を遂行する事務局は牛久市役所市民活動課に設けられ、引き継ぎ行政と連動する可能性も残す。

 ある後援者は「組織の礎を生かして独立を手伝えれば」。「荒磯部屋」の創設をバックアップする。

365名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:09:04 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里は「委員」から親方スタート、花道など場内警備担当
1/17(木) 8:55配信 サンケイスポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000518-sanspo-spo

 大相撲の第72代横綱稀勢の里(32)は16日、東京・両国国技館内の相撲教習所で会見し、現役引退を発表した。進退を懸けて臨んだ初場所は初日から3連敗を喫し、自ら決断した。ただ一人の国内出身横綱は昭和以降で10番目に短い在位12場所に終わった。日本相撲協会は理事会で年寄「荒磯」の襲名を承認。今後は部屋付き親方として後進を指導する。

 横綱経験者が年寄を襲名すると、「理事長」を頂点とする役職7階級のうち、下から3番目にあたる「委員」から親方のスタートを切る。委員待遇の給与は月額103万2000円。職務は通常、花道など場内警備から始める。

 引退、年寄襲名を披露する断髪式は、巡業のない2、6月に開催されることが多い。準備には慣例で半年以上要し、稀勢の里の場合は8月中の夏巡業を終えて、9月の秋場所前までの期間が有力とみられる。

 退職金は「養老金」と十両以上の各地位と務めた場所数による「勤続加算金」の合計が支給され、計約4000万円。さらに、理事会の決議で特別功労金が支給される。実績で決められ、横綱は1億円前後。貴乃花の1億3000万円(推定)が過去最多とされる。

366名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:09:51 ID:2mcZrlOI0
大胆不敵だった17歳の稀勢 米沢ステーキ弁当を「ごっちゃーんです」
1/17(木) 9:30配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000071-spnannex-spo

幕下・萩原時代の稀勢の里
 ◇横綱・稀勢の里引退

 稀勢の里を紙上で紹介したのは、弊紙が最初だった。2003年7月8日。名古屋場所で幕下に昇進した萩原が最初の相撲で勝利し「堂々幕下1勝 17歳萩原」の見出しが躍った。その日は横綱・朝青龍に土がついたというのに、平成では貴乃花に次ぐ若年昇進を果たした大器を、破格の扱いで取り上げた。

 当時から口数は少なめ。それでも「絶対に勝ちたい」と、はっきりとした口調で受け答えする姿は印象的だった。怖いもの知らずの大胆な相撲を見せたかと思えば、勝負に負けて悔し涙。当時の鳴戸親方が「負けず嫌いな一面を土俵に出している。年齢にそぐわないものを持っている」と話したことを思い出す。

 場所後、山形巡業へ向かう新幹線で萩原と同じ車両となった。車内販売の「米沢ステーキ弁当」をのぞく記者の横から、屈託のない笑みの17歳は「ごっちゃーんです」。相撲界では、相手に食事をねだることと、相手の差し手を殺すことを「おっつけ」という。皮肉にも本業でのおっつけはケガ以降使えなくなったが、そんな大胆不敵な言動も稀勢の里の魅力の一つだった。 (元相撲担当・黒田健司郎 2002〜03、07〜11年担当、スポーツ部専門委員)

367名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:10:48 ID:2mcZrlOI0
研究熱心な稀勢の里 左のおっつけ武器になった理由
1/17(木) 9:49配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00449403-nksports-fight

稀勢の里
稀勢の里の武器は、左のおっつけだった。左から相手の肘をしぼり上げると、相手の体が浮き上がった。右利きなのに、なぜあれほど左が強いのか? 7年前の5月、こう教えてくれた。

【写真】土俵に手をついて悔しがる稀勢の里

「野球をやっていた小学生のころ、左脇がこんなに空いて、『帽子を脇にはさんでおけ』って言われた。キャッチボールの時もバッティングの時もはさんでおく。小さい時の繰り返しでこうなったんでしょう。握力は右の方が強い。箸も左で使える。携帯メールも左手だけで打つ。中学の時、右腕を骨折したことがあって、右を使えなかったから、ずっと左を使っていた。歯も左で磨けますよ」

そんな左の胸や肩のケガは、致命傷になった。

稽古場では、いつも試行錯誤していた。鏡の前で体や動きを常に確認した。「先代はよく『昔は鏡がなかったから、影で自分の動きを確認した』と言っていた。鏡が貴重だったんでしょう。バランスを一番見ているんです」。

引退を決め、親しい人にはすでに「高安を横綱にしないといけない」と話しているという。研究熱心だったこともあり、いい親方になることは間違いない。【佐々木一郎】

368名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:11:11 ID:2mcZrlOI0
稀勢、八百長に揺れた角界の救世主「満員御礼」立役者 次代スター探しが急務
1/17(木) 10:00配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000074-spnannex-spo

15日、現役最後の土俵入りをする稀勢の里(撮影・島崎忠彦)
 ◇緊急連載 和製横綱・稀勢の里散る(上)

 日本出身19年ぶりの横綱だった稀勢の里が惜しまれながら土俵を去る。和製横綱の歩みを振り返り、3回に渡って角界への影響を考える。

 稀勢の里は、追い詰められた角界の人気回復を担う運命にあった。大相撲が八百長問題に揺れた2011年。ファンの心は土俵から離れた。春場所は中止。夏場所は技量審査場所と名を変えた。観客動員は年4場所開催となったこともあり、前年比マイナス25万人の約35万人に激減した。

 同年九州場所後に決まった稀勢の里の大関昇進は、久しぶりの明るい話題だった。翌12年初場所では終盤まで把瑠都や白鵬と白熱した優勝争いを繰り広げ、ファンの目を土俵に戻す起点となった。

 12年に約58万人だった観客動員は、13年に約62万人と八百長問題以前の水準に回復。稀勢の里が初Vを飾り横綱に昇進した17年には81万人強。21年ぶりに全6場所90日で満員御礼も達成し、現在まで途切れていない。

 16年に経済産業省は「スポーツ関連産業の動向と相撲人気の行方」と題するリポートをHP上に掲載し、次のように分析している。

 「…八百長問題という不祥事と東日本大震災が重なった平成23年を底にして再び上昇基調となっていることが見て取れます。(中略)…遠藤や逸ノ城など若く個性的な力士が登場し、また、稀勢の里や琴奨菊ら久しぶりの日本人横綱誕生の期待がかかるなど、相撲人気は高まりを見せており…(以下略)」

 関大の宮本勝浩名誉教授は、17年初場所の初V直後に、稀勢の里が及ぼす経済効果を試算。1年で約22億円とはじき出した。「17年は試算に近い数字が出たと思う」と話す。一方、活躍できなかった18年以降は効果が減少したと推測し、「経済効果の観点からも稀勢の里に続くスターが必要」と警鐘を鳴らす。

 入門当時の鳴戸親方の「お金は土俵にある」という教えを守り、CMに出演しなかった稀勢の里。人気のバロメーターである指定懸賞の申し込みも3場所連続1位のまま引退。とことん相撲にこだわって角界を支えた人気力士は、代え難い存在だった。(特別取材班)

369名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:11:39 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里に見た美学 力士会で見せた相撲に対する真摯な姿勢
1/17(木) 10:00配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000040-dal-fight

 涙を拭き、タオルを見つめる稀勢の里
 大相撲の横綱稀勢の里が引退した。記者が担当していた期間は短かったが、横綱に感銘を受けたある場面を、記してみようと思う。

【写真】引退会見中、上を見上げる稀勢の里

 大相撲では毎場所、番付発表の翌日に、親睦と日本相撲協会への意見集約を目的とした力士会が行われ、十両以上の関取が参加する。例えば巡業の待遇を協会に提言したり、引退相撲を控えた新米親方が関取に参加を要請する場面があった。

 東京場所での同会は、両国国技館内の相撲教習所で行われる。同所は学校の教室のようで、黒板と教壇を前にして机が整然と並べられている。座席は自由なだけに、座る場所に関取同士の人間関係が垣間見えて興味深かった。

 大卒、高卒、中卒たたき上げ、学校の先輩後輩、同郷、モンゴルなど海外出身…。固まっていグループはすぐ分かった。混在している場合は、ギャンブル好き同士だったりと、何らかのつながりがあった。

 では、稀勢の里はどのグループに所属していたのか。

 当時大関だった稀勢の里は、教習所に入るなり、教壇の真っ正面、最前列の中央に腰を下ろした。背筋を伸ばして前を向いたまま、誰とも話さず力士会が始まるまでを過ごしていた。

 もちろん、仲が良かったり、話の合う関取はいた。ただし報道陣の前では、勝負を競い合う者同士で談笑する姿などは見せたくなかったのだろう。そこに横綱の美学を感じた。

 後日、記者の感想を伝えると「さあ、どうだろう」とはぐらかされた。その際の人なつっこい笑顔は、今も覚えている。(デイリースポーツ・2012〜13年相撲担当・山本鋼平)

370名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:12:00 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里、中卒たたき上げの信念…担当記者が見た第72代横綱
1/17(木) 10:03配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000010-sph-spo

奉納土俵入りする稀勢の里
 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。稀勢の里の引退に際して、担当記者が「見た」で振り返った。

 * * * *

 稀勢の里は、今では数少なくなった中卒たたき上げの一人だった。かつて、そのプライドを垣間見たことがあった。2013年の冬巡業、当時大関の稀勢の里は中学横綱に胸を出した。稽古後、彼が高校に進学することを聞くと「今の子はあまり焦らないんだね。(自分は)早く強くなりたかったので。今、入った方が味が出ると思うんだけどなあ」と残念がった。

 さらに「やはり勉強と相撲の半々なら(相撲を)やった方がいいと思った。(進学した同学年を)うらやましいとは思わなかった。好きなことをやっているわけだからね。文句を言っちゃだめ」と持論を口にした。中卒で入門することには賛否両論あるだろう。稀勢の里も時代背景が異なることは理解しており「昔とは状況も違うし、周囲は不安があるんだろうね」とも話した。ただ、自らが歩んできた道には、強い自尊心を持っているようだった。

 同じ巡業中、稀勢の里は双葉山らの現役時代を集めた映像を食い入るように見ていた。伝説の69連勝を飾った大横綱の動きに「腰のぶつけ方とか半端じゃない。芯がしっかりしている。これが(双葉山の極意の)後の先。自然と(得意の形に)なっちゃうんだろうなあ。土俵入りも本当に自然体。すごいね」。少年のように目を輝かせて話す姿に、相撲道への真摯(しんし)な思いを感じた。

 それから約3年後に横綱昇進。本格的な相撲経験がないたたき上げが頂点を極めた。しこ名の通り、昨今では稀(まれ)な存在だった。晩年はけがに苦しみ思うような結果を残せず、計り知れない重圧もあっただろう。それでも引退会見で語った「絶対逃げない」という信念を貫き通した姿は立派だった。(10〜15年相撲担当・三須 慶太)

371名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:12:18 ID:2mcZrlOI0
白鵬の連勝「63」で止めた深い師弟愛…担当記者が見た稀勢の里
1/17(木) 10:03配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000012-sph-spo

10年九州場所2日目、寄り切りで横綱・白鵬(左)を破った東前頭筆頭・稀勢の里
 日本相撲協会は16日、理事会を開き、第72代横綱・稀勢の里(32)=田子ノ浦=の現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認した。稀勢の里は両国国技館で会見し、17年間の土俵人生に「一片の悔いもありません」と涙。19年ぶりの日本出身横綱として絶大な人気を誇ったが、左大胸筋などのけがに苦しみ在位はわずか12場所だった。稀勢の里の引退に際して、担当記者が「見た」で振り返った。

 * * * *

 2010年の九州場所。歴史的な取組の取材を終えると、相撲担当キャップから「師匠の反応を取るため宿舎へ行ってくれ」と指示され、福岡国際センターを飛び出した。私は連勝街道を突っ走る白鵬の「対戦相手」の取材を任されていた。初日の栃ノ心に続き、2日目に迎えたのが稀勢の里。中日にも達成される「双葉山の69連勝超え」に向け、相性も含めて「ここがヤマ場」とみられていた平幕力士が連勝を「63」で止め、興奮を覚えながら宿舎に到着した。

 大勢の報道陣が詰め掛けていると思っていたが、いたのは私だけ。若い衆に通された鳴戸親方(元横綱・隆の里)の部屋では、ちゃんこの大鍋がグツグツ煮える音が耳に入ってきた。時間は午後7時20分過ぎ。正式な相撲担当ではない私にも約15分、丁寧に話をしてくれた。この日の朝稽古後には、弟子に対して「何も伝えていない」と話していた。少し引っ掛かっていたので、再び尋ねると「実は」と、5つの助言を送ったことを明かしてくれた。

 〈1〉立ち合いの入り方

 〈2〉引きたくなっても押し続けろ

 〈3〉自信を持て

 〈4〉自分自身を鼓舞しろ

 〈5〉取組後は何があっても謙虚な姿勢を忘れるな

 思わぬ“裏話”に心が躍った。取材を終え、親方から「ちゃんこ食べるか」と誘われたが「原稿を送らないといけません」と丁重に断り部屋を出た。後から聞けば“幻”とも呼ばれた鳴戸部屋のちゃんこ。千載一遇の機会は逃したが、後悔はない。その後、2回の優勝でも、おごることなく謙虚さを持ち続けた横綱を見て、そう思う。先代師匠の持つ言葉の重みと、それを愚直に実行してきた稀勢の里の間には深い師弟愛があった。(10〜11年相撲取材・秋山 剛志)

372名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:12:46 ID:2mcZrlOI0
稀勢の里を横綱まで導いた「考えていい、悩んでいい」。
1/17(木) 14:01配信 Number Web
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190117-00833228-number-fight

16日の引退会見で幾度も涙を流した稀勢の里。万感が込み上げた。 photograph by Takashi Shimizu
 相撲人生にピリオドを打つ引退会見の場は、17年前、新弟子時代に汗と涙を流した相撲教習所だった。15歳の稀勢の里――萩原が、相撲人生のスタートを切った場所だ。

 教習所にはA、B、Cと3つの土俵があり、その実力により稽古土俵が割り振られる。A土俵には、高校相撲でならした菊次(琴奨菊)と梶原(豊ノ島)がいた。

 1期遅れて角界入りし、中学卒の相撲未経験者だった萩原はC土俵。当時、琴奨菊と豊ノ島の背中を追い掛けていた稀勢の里だったが、そのふたりが目を見張るほど、日を追うごとに強くなっていったという。

 引退会見時、相撲教習所での思い出を問われると、「早く強くなりたい一心で、早く大銀杏を結いたい、ただその気持ちだけでした」と言葉少なに振り返った。

「大いに考え、悩んでいいんです」
 小学生時代から野球一筋で、中学時代はピッチャーにして4番バッター。強豪校からスカウトの声が掛かるほどの実力者だったが、稀勢の里は14歳の秋に、すでに力士として生きる覚悟を決めていたのだという。

 思い返せば、稀勢の里の横綱昇進前、とある企画で、14歳の少年少女に贈る「とっておきの言葉」を選んでもらったことがある。稀勢の里が熟考し、紡ぎ出した言葉は、

 「考えていい
 悩んでいい
 そうすれば自分がわかる」

 当時の稀勢の里が、その言葉の意味をこう説明してくれた。

 「野球を続けても、自分の実力ではプロは厳しいだろうと思って、未知の相撲界に飛び込んだんです。自分を知っているようで、案外知らないもの。僕の場合、考え抜いて、悩み抜いて、やっと自分がわかった。等身大の自分が見えたんです。だから大いに考え、悩んでいいんですよ」

 横綱に昇進してからのこの2年、稀勢の里は、かつて己が発したこの言葉を十二分に噛みしめていたのかもしれない。

「応援してくれる人のために相撲を……」
 「潔く引退するか、ファンの人たちのために相撲を取るのか、いつも稽古場で自問自答していました。

 応援してくれる人のために相撲を続けようとの判断もあってやって来たけれど、このような結果になって、ファンの人たちには本当に申し訳ないという気持ちです」

 と涙をぬぐう。

 思えば横綱昇進以前の休場は、たった1日だけだった。「土俵に立ってこそ力士」と、矜恃を持っていたのが稀勢の里である。

 しかし昇進以降は、8場所連続休場と不名誉な記録を作ることとなり“茨の道”を歩まざるを得なかった。

373名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:13:08 ID:2mcZrlOI0
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190117-00833228-number-fight&p=2

「一片の悔いもございません」
 在位12場所で横綱の座から下り、土俵に別れを告げた稀勢の里は、

 「横綱という地位は、自分自身を変えてくれました。

 具体的には言えないですが、大関時代、幕内、十両もそうですが――まったく環境も変わりましたし、自分の意識も変わりました。本当に自分自身が変わったな、と。説明はしにくいですけど、自分のなかで本当に(横綱という地位が、自分を)変えてくれたなと思っています」

 そう繰り返し、さらに頬を涙が伝う。

 苦渋にまみれた横綱としての2年間。今はまだうまく言葉に表せずとも“何か”が大きく変わったと実感している。そんな稀勢の里は、今後は「一生懸命相撲を取る力士、ケガにも強い力士を育てたい」と未来を語った。まさにそれは、稀勢の里という力士――自身を投影し、表す言葉そのままでもあった。

 14歳のあの頃のように、「考え抜いて 悩み抜いて 自分がわかった」――そんな境地で迎えた、稀勢の里32歳、引退の日。

 「土俵人生において一片の悔いもございません」との潔い言葉とは裏腹に、まるで無垢な少年のように、とめどなく涙を溢れさせていた。

(「相撲春秋」佐藤祥子 = 文)

374名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:13:29 ID:2mcZrlOI0
元稀勢の里の荒磯親方が“親方デビュー”「すっきり寝られた」自虐ジョークも
1/17(木) 15:33配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000082-dal-spo

あいさつ周りの最中、笑顔を見せる荒磯親方(元横綱・稀勢の里)=両国国技館(撮影・中田匡峻)
 「大相撲初場所・5日目」(17日、両国国技館)

 16日に現役を引退した元横綱稀勢の里の荒磯親方(32)が東京・両国国技館を訪れ、協会の各部署にあいさつ回りし、“親方デビュー”した。

 午後1時過ぎ、羽織はかま姿で登場。まずは八角理事長(元横綱北勝海)の部屋を訪れ、「これからの人生が長い」とねぎらわれた。広報室、入場口など移動するごとに人が殺到し大混乱に陥った。

 取組はもう見られなくなったが、“時の人”に出会えたことにファンも感激。「かっこいい」、「頑張って」、「お疲れ様」、「牛久の星」など大声援がやまなかった。

 約50分、国技館中を歩いた新米親方は「国技館の2階に行くことはなかったし、最近は1階にも行くことはなかった。(ファンの声援は)いつも支えてもらった。うれしかった」と笑みを浮かべた。

 引退会見し、前夜は「すっきり寝られた」と吹っ切れた様子。「土俵に上がれないのはさみしい気持ちはあるけどこれからまた新しいスタート。一歩一歩進んでいきたい」と、話した。場所中に稽古をしない気持ちを問われると「休場が多かったからね」と、自虐ジョークで笑わせた。

375名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:13:53 ID:2mcZrlOI0
元稀勢の里があいさつ回り=国技館のファン騒然-大相撲
1/17(木) 16:25配信 時事通信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000085-jij-spo

日本相撲協会へのあいさつ回りで国技館を訪れ、ファンに囲まれる荒磯親方(中央、元横綱稀勢の里)=17日午後、東京・両国国技館
 16日に現役を引退した大相撲の荒磯親方(元横綱稀勢の里)が17日、日本相撲協会の幹部らにあいさつ回りをするため、東京・両国国技館を訪れた。

【特集】稀勢の里、苦闘の日々

 館内を歩くと、あっという間に大相撲ファンの人だかりができ、「お疲れさま」「ありがとう」の声が飛び交った。笑顔で応えた荒磯親方は「いつも支えてもらっていた。近くでああしてもらえてうれしかった」と話した。2階席に入った際には、取組中だった会場が騒然とする一幕もあった。

 「なかなか実感が湧かない。土俵に上がれない寂しい気持ちがある」と言いながらも、親方として気持ちを切り替えつつある。引退表明後の夜は「すっきり眠れた」そうで、「また新しいスタート。一歩一歩進んでいきたい」とすがすがしい表情を見せた。弟子の本格的な指導は初場所後に始める予定で、大関高安との三番稽古にも意欲を見せていた。

376名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:14:19 ID:2mcZrlOI0
元貴親方 引退の稀勢の里ねぎらう「四股名のように類いまれな力士」も「本当に苦しかったと思う」
1/17(木) 16:29配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190117-00000130-spnannex-spo

元貴乃花親方の花田光司氏
 元貴乃花親方の花田光司氏(46)が17日、テレビ朝日の情報番組「ワイド!スクランブル」(月〜金曜前10・25)に生出演。現役引退を表明した横綱・稀勢の里(32)について語った。

 花田氏は16日の稀勢の里の引退会見を見て「稀勢の里なりの真面目に取り組んだという人生観が多分に出ている」とコメント。3日間の取り組みについては「逃げることなくぶつかって、受け止めて、というところは存分に見えた」と、会見で稀勢の里が語った「絶対逃げない」という信念を土俵で見せたと評した。

 自身が稀勢の里の親方だったとしたら、何かかける言葉やアドバイスは?と聞かれると「数場所前に土俵に上げてなかったかも知れません」と花田氏。「日本出身横綱として、1人で全部背負ってしまっていた。土俵に上がるだけで本当に苦しかったと思う。本来の気迫のある表情というよりも、逃げ場がないっていう感じの表情に見えた」と、稀勢の里が心身共に追い詰められていたのではないかと推察した。

 力士・稀勢の里について、花田氏は「出世のスピードや吸収力など、四股名のように類いまれな力士。実直、真面目ですね。稽古場はもちろん本場所の土俵に向かう姿勢が、今後若手の力士の手本になるものを残してくれた力士だと思う」と評した。

 また「ファンの方は、横綱に、特に日本出身の稀勢の里なんかに対しては、自分の人生を投影して応援してらっしゃると思う。この辺を乗り越えなきゃいけないのが1つの大変さなんだろうなと思う」と、日本出身横綱へのファンの期待と重圧の大きさを話し「“脇差を差して負けたら腹を切る”というような気持ちで土俵に上がらないとなかなかできないもの」と、横綱には命がけの覚悟が必要だという考えを示した。

 横綱という存在については「なってしまったら、現役を引退しても生涯続けなきゃいけない心意気の称号だと思う」との考えを話し、「心のどこかに決して口には出さない誇りを横綱として持っていてくれれば、これからも指導者としても成功していくと思う」と“荒磯親方”への思いを語った。

377名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 18:34:10 ID:2mcZrlOI0
限界だった左腕…稀勢の里が「前へ」歩んだ相撲道
[2019年1月17日7時30分]
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201901170000017.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=nikkansports_ogp

引退会見で涙を拭う稀勢の里(撮影・鈴木正人)
引退会見で涙を拭う稀勢の里(撮影・鈴木正人)
栃煌山(左)の攻めを耐える稀勢の里(2019年1月15日撮影)

<とっておきメモ>

横綱稀勢の里(本名萩原寛、32=田子ノ浦)が、約17年に及ぶ波乱に満ちた力士人生に別れを告げた。稀勢の里を取材した日刊スポーツ記者が、とっておきの秘話を紹介する。

   ◇    ◇

9年ぶりに相撲担当に復帰した13年4月から、稀勢の里に言われ続けてきたことが「2つ」ある。

1つは「何か話すとニッカンは漏れなく記事になるからなぁ。怖い、怖い」。

思えば、よく書かせてもらった。中には困らせたこともあっただろう。だが、あえて書かなかったこともある。今は違う、と自己判断して、つい最近まで誰にも知らせずに。だが、書くべきときが来てしまった。

左腕はもう厳しかった。

感動的だった17年春場所の横綱初優勝の後、協会に「左大胸筋損傷、左上腕二頭筋損傷で約1カ月」の診断書が出された。しかし、大阪から帰京後により詳しく検査を受けると、左腕は筋断裂していた。それも、手術をしようにも、できないほどの大けが。完治はおろか、10ある力のうち、6割出せればいい方だった。

良くも悪くも、あきらめを知らない男。投げ出すことができない男。周囲を鍛えることで、10ある力のうち7、8、9割に近づけようともがいた。その復活劇を、自分も信じたかった。

だが、3日目の栃煌山戦で、伝家の宝刀だった左のおっつけは力なく滑り抜けた。幾度となく相手を横向きにさせてきた武器が、もう出ない。現実が突きつけられるには十分だった。

あまたの熱視線を受け、こんなにも期待され、ため息に変えてきた力士はいない。ただ、どれほど批判され、苦境が続こうとも、想像以上の喜びに満ちあふれようとも、ぶれなかった。それが稀勢の里だった。

待望の初優勝と横綱昇進を果たした17年初場所後、取材申し込みが殺到した。中には、大抵の人は喜ぶような有名雑誌からも来た。それをあっさりと断った。「優勝したから話を聞かせて、というのは違う。苦しいときもずっと見てきてくれた記者さんたちの方を大事にしたいじゃない」。

思えば、昔から律義だった。最初の担当時代の04年、新十両昇進による初サインを読者にプレゼントしたいと考えた。約束してくれたが、サインが許される番付発表の日はほかに会見があり、訪問は早くても午後になる。“初”はあきらめて部屋を訪れた。色紙に記したのは「萩原」という普通の楷書体。およそサインらしくない字体だったが、雑誌で練習したと笑い「1号っすよ」と言った。待っていてくれた。

それから13年が立ち、2度目の担当を離れることになった17年秋巡業で、再びサインをくれた。色紙には「好きな言葉」だという2文字が添えられてあった。

「前へ」

けがに悩まされていた自分自身への問いかけのようにも思えた言葉だった。

相撲以外には冗舌だった。興味の幅は広く、エアロビクスやスカッシュ、セパタクローなどの大会をわざわざ録画する。武道も好み、合気道は習いにも行った。「やっぱり何かあるんだよ。(体重50キロの)おじいさん先生に持ち上げられたから。体が浮いたもの。力じゃないんだよね」。呼吸法など多くを取り入れた。

だが、相撲については多くを語らない。彼と向き合うとき、どんな質問で言葉を引き出そうか、勝負に挑む気持ちだった。真っ向から受け止めてくれるときもあるが、簡単にあしらわれることの方が多かった。行きすぎると「ニッカンらしい質問だね」と言われて「場所が終わったら話すよ」「やめたら話すよ、いくらでも」と。この言葉も何度、聞いたことだったろう。

その日が来るのは、まだ先のことだと願いたかった。まだまだ前へと歩む姿を見たかった。早熟にして晩成の相撲人生。やっと横綱稀勢の里時代が訪れたと思っていた。多くの人と同じく、自分も無念で寂しい。

ただ、横綱はこうも言っていた。「『あのときは良かった』と思ったら終わり。過去の栄光のことを言われて喜ぶような人間には絶対になりたくない。今やれると思えれば必ず復活するためにやる。やる気がなくなったら、そのまま…」。

だからこそ信じる。稀勢の里は相撲人生をやり切ったのだと。【03〜04、13〜17年担当=今村健人】

378名無しの稀勢の里ファン:2019/01/17(木) 23:21:04 ID:9iGREcss0
稀勢の里の「潔さゼロ」の引退が物語るもの
十枝慶二 | 相撲ライター
1/17(木) 0:49
https://news.yahoo.co.jp/byline/toedakeiji/20190117-00111372/

(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

横綱の引き際は潔くあるべき--。そんな美学は、大正時代の名横綱・栃木山から始まった。3連覇を果たした後、1度も土俵に上がらないまま引退した鮮やかな引き際は、引退から6年後の第1回大日本相撲選士権で、現役の横綱・大関たちをなぎ倒して優勝したエピソードでさらに彩られた。栃木山の弟子の栃錦をはじめ、何人もの横綱たちがこの引き際を踏襲し、称賛されたことから、いつしか潔さこそが横綱の「理想の引き際」として揺るぎないものとなった。

横綱には引き際以外にもいくつかの、「かくあるべし」という理想がある。「受けて立つ相撲を取るべし」「毎場所優勝争いに絡むべし」「品格ある行動をとるべし」などなど。その多くは、常陸山、栃木山、双葉山など、過去の伝説的な横綱たちの理想的な姿から選りすぐられたものだ。それらがあいまって理想の横綱像が形作られ、すべての横綱が、それに近づくことを求められる。

しかし、実際にはほとんどの横綱が、理想の横綱像と現実の自分とのギャップにもがき苦しむ。それも無理はない。そもそも、横綱昇進の基準が、「2場所連続優勝」という成績が中心で、理想の横綱像に近づけるかを考慮していないからだ。ところが、昇進した途端、理想の横綱像に近づくことを当然のように求められる。じつに理不尽なことだ。

横綱たちは、そんな理不尽さにじっと耐えて土俵に上がる。彼らは、それぞれに優れた個性を持ち、磨き上げて横綱に昇進した。しかし、横綱の理想像に近づくには、そんな個性を曲げなければいけないこともある。両者の間で揺れ動き、もがき苦しむ。そんな葛藤が横綱たちをたくましく成長させ、個性をさらに磨く。その過程で生まれる数々のドラマが、ファンの心を揺さぶる。

引退会見で、17年間の土俵生活で貫いた信念は何かと問われた稀勢の里は、「絶対に逃げない。その気持ちです」と答えた。稀勢の里が土俵上で体現し続けた、まっすぐ当たって前に出る、愚直な相撲は、まさしく「逃げない」信念の現れだ。それは得難い個性として多くのファンを引き付け、初優勝、横綱昇進、新横綱場所での大ケガを乗り越えての劇的な優勝として結実した。そして、大ケガをきっかけに不振が続いても、引退せず、休場して出直すという道を選び続けたのもまた、「このまま引退したら逃げることになる」という思いからではないか。「横綱らしくない」「潔くない」という非難は、当然、その耳に届いていたはずだ。しかし、稀勢の里は、葛藤の末に、横綱の理想像に反することを承知の上で、「逃げない」という自分の信念と心中する覚悟を決め、散ったのだろう。

歴代横綱を見渡してみても、理想の横綱像を体現したといえる者は数えるほどしかいない。しかし、それぞれの横綱には、得難い個性がある。芸術品のような技能を誇る横綱もいれば、破天荒な相撲や言動が魅力の横綱もいる。体に恵まれなくとも精いっぱいの相撲でファンを喜ばせた横綱もいる。横綱とは、一つの美しい理想像として描かれるものではなく、歴代の72人の横綱というピースが集まってできたモザイクのようなものではないか。72のピースの一つひとつに、同じものはない。色も形も違うピースが、それぞれの輝きを放つ。その集合体こそが横綱であり、理想の横綱像とは、その輝きをいっそう増すための装置に過ぎないように思える。

稀勢の里の魅力は、「絶対に逃げない」という信念を貫いたことにある。苦しみぬいたこの2年間は、その魅力にさらに違った彩りを与えた。引退して完成した稀勢の里という横綱のピースは、ほかの71のピースにはない、唯一無二の輝きを放ち続ける。

379名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 10:54:28 ID:3F1rJvVA0
「本当に強かったんだよ、稀勢の里は」
能町みね子さんが悔やむ“あの決断”
能町みね子2019年1月20日(日) 09:00
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201901190002-spnavi

引退に「たられば」ばかり思う
初場所3日目の稀勢の里。これが現役最後の土俵入りとなった
初場所3日目の稀勢の里。これが現役最後の土俵入りとなった【写真は共同】
 稀勢の里はケガをして以来、結局相撲を立て直すことができないまま、昨年11月の九州場所4連敗(のち休場)に続き初場所でも3連敗。「勝てなければ引退」の横綱という地位を考えれば、私も引退はまったく妥当だと思います。遅かったとすら思います。


 それでも、やはりファンとしての気持ちにはまだ整理がついていません。あの時のあれさえなければ、とか、あのときああなっていなかったら、とか、いけないことだけれど、色々な「たられば」ばかり考えてしまいます。稀勢の里は強かったし、なるべくして横綱になったが、絶望的なほどに運がなかった、と私は思っているのです。


「たられば」は、たくさんあります。まず、「横綱昇進直後にケガをしていなければ」。ほかにも「尊敬する師匠が早くに亡くなっていなければ」あるいは「仮に生まれる時代が少し遅ければ」……考え始めればキリがないのですが、引退した今、新たに結果論として思いついたのは「ケガの直後の夏場所にあのまま出場していたら」ということです。


 ファンはみな「ケガのあと中途半端に出ないで、しっかり休んでいれば」と言う。常識的に考えればそうですし、ケガを押して出場するのは、一般論としては全く勧められません。


 しかし、今になって当時の成績を見てみると、「6勝4敗からの休場」です。一度だけ皆勤した昨年9月の秋場所を除けば、途中休場のほかの場所に比べてかなりマシな成績です。稀勢の里は初土俵以来、大ケガまでは実質的に休場ゼロで過ごしてきました。だから、出つづけることで、非経験者には分からない「相撲勘」なるものが実は保てていたのではないか……と妄想し始めたのです。

メモで振り返る“あの時”
 引退からまだ数日。私はどうしても未練たっぷりの気持ちです。常識的な判断をあえて無視して「たられば」を語ることを許してください。もし夏場所に出つづけていたら……それを頭に置きながら、当時の私が取組を見て書きとめていたメモを、平成29年夏場所の少し前からふりかえってみます。


 稀勢の里は、まさに「地位が人を作る」の典型例でした。横綱昇進を決めた平成29年初場所は14勝1敗での優勝と文句ない成績ではあったものの、危なっかしい相撲もけっこうありました。例えばメモから抜粋すると――


■平成29年初場所(1月)

4日目 ○松鳳山

「松鳳山は低く出て行きとてもいい相撲。稀勢は回り込んで白房下でギリギリ突き落とし、危なかった」

中日 ○隠岐の海

「稀勢、腰が高くて差せない。隠岐の海が二本入っちゃって出る出る、稀勢はずっと左に回り込んで赤房ギリギリでどうにか突き落とし、危なすぎるよ〜」

11日目 ○遠藤

「稀勢は突き失敗で遠藤左入る。右上手もいいところ引いて稀勢を出し投げで泳がせて寄るがあと一歩。稀勢は右抱え、上手切って強引に小手投げで潰す。危ういなあ」

14日目に初優勝を決めていた稀勢の里。千秋楽は立合いから白鵬の猛烈な攻めに押し込まれるが、土俵際で逆転のすくい投げ
14日目に初優勝を決めていた稀勢の里。千秋楽は立合いから白鵬の猛烈な攻めに押し込まれるが、土俵際で逆転のすくい投げ【写真は共同】
 ところが、稀勢の里は横綱に昇進したことで明らかに余裕が出て強くなります。

380名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 10:54:44 ID:3F1rJvVA0
■平成29年春場所(3月)

初日 ○豪風

「あいかわらず面倒くさそうな顔の稀勢(※この頃は、そういう表情を見せた日に強かった)。豪風の立ち合い低くマトモ。稀勢、少し押されるがすぐ豪風は引き、乗じて押していって完勝」

4日目 ○蒼国来

「日に日に安定。見て立って、圧力をかけて左はハズ、ずっと回り込む相手を押していって最後は左も差して寄り切り」

5日目 ○勢

「勢もよく当たったが稀勢はすぐ左差せた。勢が小手に振るのも強いが、あわてずゆっくりゆっくり左深く差し、右上手取れるまで待ってから青房へ寄り切り、横綱相撲!この日で私の稀勢の里観は変わった。稀勢は負けそうにない」


――この日、私はこのように絶賛しています。実際、このあたりの数日は、特段に稀勢の里が強く見えました。


6日目 ○宝富士

「稀勢、左カチ上げから差し、前に出ながら上手も取り、向正面から赤房へと寄り切り、貴乃花みたいな相撲!」

7日目 ○御嶽海

「御嶽海よく攻めたが右おっつけが効かない。西で右上手取られて逆に出られ、御嶽海は右巻き変えてももう遅い、赤房寄り切り」


 中日(8日目)あたりからは逆に余裕を持ちすぎたのか、攻めを受けすぎてしまう相撲もありました。それでも星は落とさず、12日目まで連勝が続く。


 そして運命の13日目、ケガをした日馬富士戦を迎えてしまいます。その後の数日は、いろいろなところで語られたとおりです。

381名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 10:55:35 ID:3F1rJvVA0
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201901190002-spnavi?p=2

ケガ直後の相撲内容を今見ると…
 さて、問題の翌・夏場所。稀勢の里は出場したわけです。重大なケガだろうと言われていたものの、あまり詳細は発表されず、場所前の情報では「上半身は鍛えられないぶん下半身を鍛錬した。下半身は100%」という話があったのを覚えています。

平成29年夏場所の稀勢の里。3月に負傷した左胸部と上腕部に分厚いテーピングが見える
平成29年夏場所の稀勢の里。3月に負傷した左胸部と上腕部に分厚いテーピングが見える【写真は共同】
■平成29年夏場所(5月)

初日 ●嘉風

「稀勢の左を嘉風が右からおっつけ左差させない。低く出る嘉風に右小手投げしかできず青房へ。不安だ。稀勢が負けて座布団が舞う」

2日目 ○隠岐の海

「稀勢、左軽くおっつけから左差し、深めに差して右も絞り、わりと万全に見える。青房へ寄り切り」

3日目 ○千代の国

「千代の国健闘!千代の国は右へ右へと回り込みながら低く入る。稀勢、左小手投げで自滅しかけるが片脚一本で残し、千代の国がついに叩いてしまい、黒房へ寄り、辛勝。稀勢の里太りすぎだろう。北の富士さん曰く『下半身の鍛錬が効いたのでは』」

4日目 ●遠藤

「遠藤突いていく、稀勢も突きで応戦するが遠藤が滑ってつんのめる。稀勢はそのとき引いてしまって墓穴。初の金星提供、これは不運な負け。鳴戸親方(元:琴欧洲)曰く『みんな左手大丈夫か言いますけど、私が見るに大丈夫です』」

5日目 ○千代翔馬

「千代翔馬、理想通りの右前ミツ。稀勢の里左下手は痛くてきちんと取れない。千代翔馬は右足何度も掛けておびやかすが稀勢の下半身は100%、ついに右上手切って自分が右上手取り、密着して正面へ寄り倒す」

6日目 ○大栄翔

「稀勢、痛い左から当たって左差し、右に回り込む大栄翔に圧力を掛けるだけで圧勝、東へ寄り倒し」

7日目 ○御嶽海

「御嶽海、右押っつけて右前ミツ取れて、切れたがまた取れて、完全にいい体勢で向正面に寄ったが、稀勢が重くて出れない!稀勢の里がジワジワ壁みたいに出て行き、万全の寄りで正面へ」

中日 ○碧山

「稀勢、右張り差しで碧山を止める。組んだのでまず安心。右上手・左下手の形を慎重に作り、粘る碧山に右突き落としさせないよう左肘を張って赤房下へ寄り切り」

9日目 ●栃煌山

「稀勢の右張り差し大失敗、栃煌山の両差しスッポリ入って、稀勢は左小手投げに行くがそれはケガ悪化の可能性。赤房下へ一直線に寄られる」

10日目 ●琴奨菊

「琴奨菊、低く右から当たって左差させず、琴奨菊が左差してガブって一気に正面へ。稀勢、休んでくれ〜」


 ここにきて一気の負けに、思わず私も「休んで」と書いてしまっています。実際、世間がそういう雰囲気になっていたことは間違いない。ほらやっぱりケガなのに出たからだ、しっかり休むべきだったんだ……こんな声がかなり聞かれたと思われます。実際、稀勢の里は(これらの声に負けた形なのか)翌日から休場に踏み切ります。


 しかし、読み返してみると、中日まで2つ負けてはいるものの、ケガのわりには案外万全な相撲が多い。横綱の自信がそうさせたのではないか、と思わせます。おそらくこのまま出ていれば8勝7敗か7勝8敗くらい。成績を批判はされたでしょうが、ともかくも出つづけたということで綱の自信はさほど揺らがなかったかもしれない。


 結果としてこの後、稀勢の里は何度も途中休場を繰り返し、批判の声も少しずつ大きくなっていきます。


 もちろん、基本的にケガは徹底して治すべきだし、相撲協会は力士のケガについてあまりにもケアが行き届いていないと思います。ケガをしたらしっかり休むべき、という一般論には100%同意します。


 ただ、横綱という特別な地位まで上りつめた稀勢の里という人が、自分の「逃げない」という主義を折ってまで休みはじめてしまったのは、今となってはよかったことなのかどうか。数日ずっと「たられば」を考えつづけている私は、言っても仕方ないこんなことをまだモヤモヤと考えています。一般論はもちろん大事だけれど、すべての例は「人と場合による」のではないか。だからこそ大相撲のルールは厳格ではなく、かなり解釈に幅があるのではないか。

382名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 10:55:49 ID:3F1rJvVA0
稀勢の里は荒磯親方として今後、どのような力士を育ててくれるのだろうか
稀勢の里は荒磯親方として今後、どのような力士を育ててくれるのだろうか【写真は共同】
 それにしても、改めて当時の記録を読み返して、やはり稀勢の里は横綱だと再確認しました。現役晩年にこびりついてしまった不甲斐ない成績のイメージはファンとしてどうしても不本意です。不運ではあったけど、本当に強かったんだよ、稀勢の里は。


 ともあれ、稀勢の里は親方としての道を歩みはじめました。荒磯親方が力士時代よりもはるかに好運に恵まれ、親方としても横綱級になり、大相撲がさらなる発展を遂げることを私は心から祈念しております。横綱、本当にお疲れ様でした。

383名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 10:57:42 ID:3F1rJvVA0
張本氏 引退の稀勢の里に「ご苦労さんあっぱれだ」…生放送でねぎらう
1/20(日) 9:55配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00000038-dal-spo

 野球評論家の張本勲氏(78)が20日、TBS系「サンデーモーニング」の人気コーナー「週刊・御意見番」に出演し、大相撲初場所中の16日に引退を表明し、年寄「荒磯」を襲名した元横綱稀勢の里(32)を「あっぱれ」とねぎらった。

 張本氏は「あっぱれあげてよ。ご苦労さんあっぱれだ。ご苦労さん。よく頑張ってくれましたよ」と、稀勢の里に「ご苦労さんあっぱれ」を進呈した。

 稀勢の里は横綱として迎えた最初の場所だった2017年の春場所で大胸筋を負傷し、その場所こそ優勝したものの、「その後はケガに泣き続けた。

 悲運の横綱に、張本氏は「ケガですよ。力士のね、やっぱり宿命なんだね、スポーツ選手の。相手との勝負だけども、ケガとの勝負なんだね、力士は。ものすごく苦しみましたから。だから会見でもね、涙ぐむでしょう。やっぱり走馬灯のように、苦しい時代を思い出すんですよ。みんなスポーツ選手はね、そういう形になりますね。よくやってくれました」と同情しきり。

 「これから立派な力士をね、親方として作ってもらいたい。彼なら人間的にとてもいい人ですから、できると思います」と、親方としての育成手腕に期待していた。

384名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 10:58:41 ID:3F1rJvVA0
張本氏「力士の宿命」引退稀勢の里にあっぱれ!
1/20(日) 9:29配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00452700-nksports-fight

張本勲氏が20日、TBS系テレビ「サンデーモーニング」に出演。現役引退した横綱稀勢の里に「あっぱれ!」を出した。

【写真】国技館内をあいさつ回りする荒磯親方(元横綱稀勢の里)

「あっぱれ! あげてよ。よく頑張ってくれました。力士の宿命なんだね。スポーツ選手の。相手との勝負なんだけども、ケガとの勝負なんでね、力士は。会見でも涙ぐんでいたでしょう。苦しい時代を思い出すんですよ。スポーツ選手はそういう形になりますね。これからは立派な力士をつくって欲しいね。彼なら人間的にもとても良い人ですからできると思います」とコメントした。

この日は同番組では珍しく野球界の話題は出なかった。

385名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 10:59:54 ID:3F1rJvVA0
【歴代担当記者が振り返る稀勢の里】ひたむきに守り続けた師匠の教え
1/20(日) 9:00配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00000034-dal-fight

 元横綱稀勢の里の荒磯親方
 惜しまれながら土俵に別れを告げた元横綱稀勢の里の荒磯親方。その実直な人柄、素顔を歴代担当記者が語る連載企画を3回にわたってお届けする。今回は最終回。

【写真】大人気 復活した稀勢の里弁当

  ◇  ◇

 ある年の名古屋場所前に朝稽古を訪れた時だったと記憶している。厳しい指導で知られる当時の師匠・鳴戸親方(元横綱隆の里)が厳しい目を光らせていた。記者が力士に話を聞けるのは親方が宿舎に戻ってからになる。

 わずかな時間に「体調はどうですか」といった質問をぶつける。稀勢の里も可能な限り答えようとしてくれていたように思う。その時、宿舎の方から「おい!」と師匠の力士を呼ぶ声が響いた。これではもう取材どころではない。

 「時間切れだ…」と肩を落とす私に、稀勢の里は同情したように「ハハハ」と笑ってから「まあ、また」と慰め、師匠の元へ向かった。無口で堅物というイメージとは正反対の優しい顔だった。

 中学時代の恩師にうかがうと、クラスの催しでテレビ番組のパロディーでタレントの物まねをして笑いを取ることもあったという。周囲に期待をされれば応えようとする。師匠の思いであれ、記者の取材であれ、クラスメートであれ、それに沿おうとするのが稀勢の里という人なのだなと取材をしていくにつれて感じた。

 私が大相撲担当から離れた11年九州場所で稀勢の里は大関に昇進した。この時、場所前に急逝した先代師匠を思い、「真面目に一生懸命やることを師匠から教わってきた」と感謝していた。あれから7年と少し。引退会見でも17年間の相撲人生で誇れるものとして「一生懸命相撲を取ってきたことが、ただそれだけです」と同じ言葉を発した。師匠の教えをひたむきに守り続けていたのだなと気づかされた。

 休場が続くと、横綱の地位を汚す、だとか、往生際が悪いだとかそんな批判も受けた。それでも「ファンのため、そして応援してくれる方のために、相撲は続けようという、そういう判断がありましてやってきました」と、師匠が願った力士像、ファンが期待した強い横綱という思い、願いを形にしようともがいていた。本当に立派な横綱だった。(08年〜11年デイリースポーツ・大相撲担当、広川継)

386名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 11:00:55 ID:3F1rJvVA0
お相撲さんイメージ体現 やくみつる氏/稀勢連載1
1/18(金) 10:00配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190118-00450432-nksports-fight

国技館内を歩きファンと握手する荒磯親方(元横綱稀勢の里)(撮影・柴田隆二)
<稀勢引退〜愛された理由(1)>

年寄荒磯を襲名した元横綱稀勢の里が人気絶頂のまま土俵を去った。「稀勢ロス」が広がっている。老若男女を問わず誰からも愛され、人気を集めたのはなぜだったのか。今日から随時、連載します。第1回は好角家として知られる漫画家のやくみつる氏(59)。

【写真】花束を手にする荒磯親方(元横綱稀勢の里)

   ◇    ◇

多くの人が抱く、お相撲さんのイメージを体現していたのが稀勢の里関だったと思う。お相撲さんは、こうあってほしいというものを持っていた。言い訳もしないし、多くを語らない。でも普段は語らないのに、最後の引退会見では理路整然と話していた。それだけ内に秘めたものなど、普段は語らないからこそ見えてくるものがあった。愚直さが本当に伝わってくる。

相撲も器用なタイプではなかった。どんな相手、立ち合いにも対応できるわけではないような、不器用なところも人を引きつけたと思う。ただ、立ち腰だった割には粘りがあった。(新横綱の17年春場所で)左の胸や腕を大けがをしたことで、上半身に力が戻らなかったことが引退の要因とされている。しかし、むしろ先場所と今場所は下半身の粘りがなくなった。その衰えが引退につながった。

同じような雰囲気を持っているのは、貴景勝関ではないかと思う。左四つの稀勢の里関と同じように、貴景勝関も愚直に突き、押しで番付を上げてきた。言動を見ていても、同じようなものを感じる。他には錦木も苦労人という点で、似たものを感じる。(稀勢の里が引退して今場所4日目に予定されていた初顔合わせが実現せず)最後に取らせてあげたかったですね。

今後は親方として指導するが、引退会見では「ケガのない力士を育てたい」と話していた。(稀勢の里の先代師匠の)鳴戸親方(元横綱隆の里)は「けがは土俵で治せ」という方だったので、少し指導法は違うかもしれない。ただ、同じような雰囲気を持った力士を育ててほしい。

◆やくみつる 本名・畠山秀樹(はたやま・ひでき)。1959年(昭34)3月12日、東京・世田谷区生まれ。漫画家。好角家として知られ、日本相撲協会生活指導部特別委員会委員なども務めた。

387名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 11:01:29 ID:3F1rJvVA0
勝敗超越した人間味のある神 原晋氏/稀勢連載2
1/19(土) 10:00配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00451677-nksports-fight

18年1月、初場所を観戦する青学大の原晋監督(後方左)と美穂夫人(2018年1月18日撮影)
<稀勢引退〜愛された理由(2)>

降格がなく、勝ち続けることが使命の横綱は神にたとえられる。稀勢の里は違った。横綱昇進後、これからという時にケガに泣く。休場と敗戦が続いた。そして引退。涙涙の引退会見。勝った負けたを超越した、人間味のある神だったからこそ、これほど愛されたのではないか。

【写真】元横綱稀勢の里

強さの一方で、大関時代もここぞで負けることが少なくなかった。愚直に一番一番、真剣勝負を挑む姿に自らを重ねた。マラソン、駅伝は人生にたとえられることがあるが、稀勢の里の逆境を乗り越え、横綱になった姿はまさに波瀾万丈の人生ドラマで共感できた。

引退後は親方になるという。良い指導者になるはずだ。横綱と比ぶべくもないが、自分も実業団(中国電力)入社直後に右足首を負傷。華やかな活躍とは無縁のまま5年目で引退した。だが、その挫折は指導者としていきている。

箱根に出られる選手はわずか。多くの控え、ケガ人の気持ちをいかに1つにするか。トップランナーだったらできていなかったかもしれない。ケガをして耐えた横綱の2年間は、絶対に将来にいきる。栄光と挫折を知った稀勢の里だからこそ、良い力士、人間を育てられると思う。

子供の頃から相撲好きで、今も両国国技館に見に行くし、NHKの解説席に座らせてもらったこともある。中卒たたき上げで、振る舞い所作がお相撲さんらしかった稀勢の里には、遠くから見ても抜群のオーラがあった。もう土俵上で見られないという現実を受け止められない自分がいる。

◆原晋(はら・すすむ)1967年(昭42)3月8日、広島県三原市生まれ。青学大陸上部監督。新年の風物詩、箱根駅伝で18年まで4連覇に導く。今年は2位。

388名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 11:02:02 ID:3F1rJvVA0
1年休ませればどうだったか 鳥内秀晃/稀勢連載3
1/20(日) 10:00配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00451691-nksports-fight

関学大・鳥内監督(2018年12月26日撮影)
<稀勢引退〜愛された理由(3)>

引退をニュースで知ってその日(16日)の朝に「ご苦労さまでした。力になれなくてごめん」とメールをした。そしたらすぐに「今後ともよろしくお願いします」と返ってきたから電話をかけた。稀勢の里関は普通やったけど、俺が泣いて詰まってしまって何も言えなかった。日本人横綱を1人で背負っていた。

【写真】国技館内をあいさつ回りする荒磯親方(元横綱稀勢の里)

13年1月のライスボウル(アメフト日本選手権)で稀勢の里関がテレビ中継のゲストで来ていて、その年の春場所に「鳥内さんに会いたい」ってなって一緒に食事に行って意気投合した。それ以来春場所の時は、うどんと焼きそばの玉を宿舎に届けている(鳥内監督は大阪市内で製麺業を営んでいる)。

昨年の春場所は休場している本人に、じっくり治したらいい。あわてんでいいと話をした。相撲の古い慣習というか、やりながら治せるというところがあるが、そうできるケガと絶対にやれないケガもある。稀勢の里関のはやれないケガ。そこで出るなと言える親方、協会がいなかったんやろうな。その認識を変えないと。

稀勢の里関は責任感が強いから無理して出てしまう。横審の対応(激励)もいかんかったな。休んだらええねん。半年おいてあげるとか、ケガした最初の1年で休ませておけば今はどうなっていたか。稀勢の里関は元々相撲が好きで、長くやりたい。40歳まではやりたいって言うとったからな。アメフトはケガしても交代メンバーがおるが相撲は1人。代わりはおらへんもんな。

会見で一片の悔いもないと言うとったが横綱としての悔いはあると思う。この自分の経験を生かした親方になってほしい。

◆鳥内秀晃(とりうち・ひであき)1958年(昭33)11月26日、大阪市出身。関学大アメフト部監督。監督として甲子園ボウル優勝11度、ライスボウル優勝1度。

389名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 11:07:50 ID:3F1rJvVA0
稀勢 地元土俵入り計画、4月茨城巡業で“最後の雄姿”を
1/19(土) 6:00配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00000052-spnannex-spo

今年4月常陸大宮市で開催予定の春巡業のチラシ
 ◇大相撲初場所6日目(2019年1月18日 両国国技館)

 16日に引退した元横綱・稀勢の里の荒磯親方(32=田子ノ浦部屋)の出身地である茨城県が、4月の春巡業での横綱土俵入り実施に向けて動きだすことが18日、分かった。茨城県では常陸大宮市(14日)、水戸市(29日)の2カ所で春巡業の興行が予定されている。過去には貴乃花らが引退後に巡業で横綱土俵入りを披露した例があり、常陸大宮市では日本協会に嘆願書を提出する準備を進める。なお、6日目を終え横綱・白鵬と平幕・阿武咲の2人が無敗を守り、横綱・鶴竜は右足首痛のため休場した。

 第72代横綱の“最後の雄姿”を見るために、地元・茨城県が動き始めた。常陸大宮市では4月14日の興行に向けて、昨年10月からチケットの販売を開始している。告知ポスターには稀勢の里を含む3横綱、3大関が並んでいるが、郷土の横綱は引退を表明。現役力士として参加することは不可能になったが、簡単には諦めきれなかった。

 常陸大宮市の関係者は「稀勢の里関が来ていただけるなら、これ以上にうれしいことはない。できることなら横綱土俵入りをやってもらいたい」と熱望した。さらに同市の興行に協力している茨城県相撲連盟の幹部は、土俵入りの実施を日本相撲協会へ打診する考えを示し、「巡業部に連絡を取りたいと思う。必要ならば嘆願書を提出します」と話した。

 春巡業は例年、茨城県でも興行が行われており、常陸大宮市、水戸市とも17年に開催している。稀勢の里は同年初場所後に横綱に昇進し、春巡業は横綱として凱旋する予定だった。だが、新横綱優勝を飾った春場所で左大胸筋などを負傷し、治療を優先するために春巡業は全休。楽しみにしていたファンは郷土の横綱に会えずじまいに終わっている。土俵入りだけでも参加が実現すれば、3年越しの再会となる。

 引退後の横綱が巡業で土俵入りをする「御礼奉公」は過去にも例はある。1974年夏巡業では北の富士、琴桜、2000年春巡業では若乃花、03年春巡業では貴乃花、同年冬巡業では武蔵丸が行っている。北勝海は1992年の海外公演でスペインとドイツで雲龍型を披露した。貴乃花の03年当時は、相撲人気の低下や不況の影響で巡業は盛り上がりに欠けていた。その打開策として、巡業部が引退したばかりの貴乃花に要請し、土俵入りが実現している。今回は地元から湧き上がった御礼奉公。地元の声が相撲協会を動かすことができるか注目だ。

390名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 11:08:16 ID:3F1rJvVA0
売店も大忙し「稀勢の里弁当」は連日売り切れ
1/19(土) 14:00配信 日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00451851-nksports-spo

16日、引退会見で涙を拭う稀勢の里
稀勢の里の引退で国技館の売店も多忙を極めている。大関以上の力士の名前が冠してある弁当が置かれているが、中でも「稀勢の里弁当」は連日の売り切れ。引退が発表された16日は、普段より1時間ほど早い午前10時半には完売した。

【写真】元横綱稀勢の里

2階席東方の女性店員(53)によると「稀勢関のお弁当を買い求めようと、今日はお客さんがバーって走ってきたので驚きました。他の売店も売り切れているみたいで『売れ残っていませんか?』とたくさん電話がかかってきます」と証言。5日目以降、一部売店では稀勢の里弁当の発注がなくなるという。この日が最後かもしれない。

その一方で、相撲錦絵師の木下大門氏が描いた錦絵は来場所以降も残るという。「今場所は錦木関、松鳳山関、新入幕の矢後関の錦絵も追加されました。ぜひお買い求め下さい」。稀勢の里ファンは一安心か。【佐藤礼征】

391名無しの稀勢の里ファン:2019/01/20(日) 11:08:39 ID:3F1rJvVA0
元稀勢、「似合うかな」スーツ発注 親方初仕事は2・9
1/20(日) 7:00配信 サンケイスポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00000003-sanspo-spo

 大相撲初場所4日目に現役を引退し、年寄「荒磯」を襲名した元横綱稀勢の里(32)は19日、東京・江戸川区の田子ノ浦部屋に姿を見せた。16日の引退会見後初めて部屋を訪れ、まげを結い直した。

 断髪式は9月29日に両国国技館で行われることが前日までに決まった。薫陶を受けた先代師匠の鳴戸親方(故元横綱隆の里)の誕生日と重なったが、関係者によると国技館の空き日が偶然、この日しかなかったという。

 田子ノ浦部屋付きの親方となった荒磯親方は初場所中にも稽古場で指導する意向を持つが、引退後間もないとあって「バタバタしている」。親方としての初仕事は2月のNHK福祉大相撲(9日、国技館)での場内警備となる見込みで、スーツをオーダーしたという。身長188センチ、体重177キロの巨体とあって「なかなか既製品だとね。似合うかな。2月に間に合うかな」。現役時代の本場所中には見せなかった笑みも浮かべた。

 開催中の初場所はテレビで観戦。弟弟子の大関高安(28)には「やってくれると思う」と期待した。

392名無しの稀勢の里ファン:2019/01/24(木) 08:27:40 ID:HtdRThuc0
御嶽海、白鵬に土つけた!再出場いきなり68年ぶりの大仕事/初場所
1/24(木) 7:00配信 サンケイスポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190124-00000003-sanspo-spo

 大相撲初場所11日目(23日、両国国技館、観衆=1万936)左脚の負傷で途中休場していた西小結御嶽海(26)が再出場し、一人横綱の白鵬(33)を押し出した。御嶽海は引退した稀勢の里を含む3横綱総なめで6勝目を挙げた。白鵬の単独トップはかわらないが、関脇玉鷲(34)が2敗を守り、1差に縮まった。1敗の白鵬を玉鷲が追い、3敗は休場した平幕千代の国を除くと、関脇貴景勝(22)、平幕遠藤(28)、魁聖(32)となった。

 極限の集中から解放された御嶽海が、花道を引き揚げてくる。付け人の右肩に左腕を乗せ、テーピングを施した左脚を引きずっていた。思い出したように、痛みが襲う。途中休場から再出場の土俵へ。結びの一番。館内におびただしい座布団を舞わせた。

 「勝つとしたら、あれしかなかった。足を出した。立ち合いで決まるから…」

 脇を締めて、頭から当たった。立ち合いから圧力が伝わって、左前まわしを取りにきた横綱をはじき返す。前へ。前へ。3秒5。電車道で押し出した。

 引退した稀勢の里、鶴竜を含め、これで3横綱を撃破。関脇以下で1場所3横綱を総なめにするのは、昭和59年春場所の関脇大乃国(隆の里、千代の富士、北の湖)以来。6勝目を挙げ、勝ち越しにも望みをつなぐ。

 初日から5連勝と好調な滑り出し。だが、6日目の小結妙義龍戦で左大腿四頭筋腱部分を損傷。「2週間の加療を要する見込み」と診断されて途中休場した。

 休場明け最初の相手が横綱と組まれ、大関以下の力士が白星を挙げたのは、昭和26年秋場所の備州山(びしゅうやま)以来68年ぶりで戦後2人目の快挙。「(横綱戦は)予想していた。なかなかできる経験じゃない」。

 休んでいた4日間。本場所から離れ、一度緊張を切ったという。「自分の相撲を見つめ直すいいきっかけになった。悔しかったが、自分の試練。初日のつもりでやった」。

 昭和20年。東京大空襲のなか行われた夏場所で、平幕備州山が全勝優勝する。一般に非公開で行われた7日間興行。両国国技館の屋根は焼夷(しょうい)弾で穴だらけだったが、「国技」の火を絶やさないという力士の一念。焼土の中に闘った備州山は「不屈の斗魂」と称賛された。休場者が相次ぐ、平成最後の両国国技館での本場所にも、気骨の士が現れた。

393名無しの稀勢の里ファン:2019/01/28(月) 23:00:01 ID:XpwKi7M60
横審、稀勢の里引退で議論なし 委員長「非常に残念」
共同通信2019年01月28日20時33分

http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kyodo_nor/sports/kyodo_nor-2019012801002813

 日本相撲協会の諮問機関、横綱審議委員会(横審)は28日、東京都墨田区の両国国技館で定例会合を開き、横綱稀勢の里(現荒磯親方)の16日の引退に関し、昇進のあり方を含めた具体的な議論は行われなかった。

 横審は昨年11月の九州場所後に稀勢の里に初の「激励」を決議。稀勢の里は進退を懸けた初場所で初日から3連敗し、昭和以降10番目に短い在位12場所で引退した。

 北村正任委員長(毎日新聞社名誉顧問)は引退に「非常に残念。国籍うんぬんではなく、日本人横綱として頑張ってほしかったけど、やむを得ない。自分で判断して、あの段階で引退ということで良かったのだと思う」と話した。

394名無しの稀勢の里ファン:2019/02/01(金) 16:24:32 ID:02Umexbg0
稀勢の里引退で各紙が繰り広げた、「秘話合戦」から何が見えるか。
2/1(金) 8:01配信 Number Web
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190201-00833344-number-fight&p=1

1月17日、元横綱稀勢の里の荒磯親方は、あいさつ回りで両国国技館を訪れた。 photograph by Kyodo News
 スポーツ界で何か大きなニュースがあるとスポーツ紙に掲載される記事が「記者の目」だ。

 現場を取材している記者の見解が載る。今だから書ける話も解禁される場合がある。

 1月の読みごたえで言えば「稀勢の里引退」。

 引退発表の翌日の各紙は、歴代番記者による秘話合戦の様相であった。

 「日刊スポーツ」は8ページを費やして稀勢の里引退を報じた。圧巻は3面のほぼすべてを使っての「とっておきメモ」。

 稀勢の里を「'03〜'04、'13〜'17年」に担当した記者のコラムを掲載。

 「何か話すとニッカンは漏れなく記事になるからなぁ。怖い、怖い」と稀勢の里によく言われつつも、「だが、あえて書かなかったこともある」という書き出し。気になる。

 それは、「左腕はもう厳しかった。」

 どういうことか? 

「書かない」という判断はありうる。
 《感動的だった17年春場所の横綱初優勝の後、協会に「左大胸筋損傷、左上腕二頭筋損傷で約1カ月」の診断書が出された。しかし、大阪から帰京後により詳しく検査を受けると、左腕は筋断裂していた。それも、手術をしようにも、できないほどの大けが。完治はおろか、10ある力のうち、6割出せればいい方だった。》

 この事実をなぜ書かなかったのか。コラムには「その復活劇を、自分も信じたかった。」とあった。

 政治家の番記者はオフレコでも社会のためになるとなれば書くという判断がある。しかしスポーツ選手(この場合は力士)と番記者の関係性では「書かない」こともあることがわかる。

 たしかに第三者が不利益になるわけでないなら、復活を信じたいから書かなかったという理由に読者は納得する。この記者は通常は稀勢の里ネタを「よく書かせてもらった。中には困らせたこともあっただろう」とあるから、単なる馴れ合いの関係ではないこともわかる。この記事が大きく掲載された理由がよくわかる読後だった。

全く笑わない男が笑った瞬間。
 続いての番記者の秘話は「スポーツ報知」。

 「16〜17年担当」記者は、「全く笑わない男の笑顔」というタイトル。

 『勝負の場では多くを語らず、取組後は最低限のことしか話さない。感情の起伏を表に出さない古風な力士像そのものだった。』

 しかし、

 《土俵を離れれば、プロレスをこよなく愛する。初優勝した17年初場所の前に突然、「(新日本の)ケニー・オメガの必殺技は?」と質問してきた。うろたえる私に「あーあ、答えられたら好きになったのに」と笑っていた。》

 後日、勉強してきた記者が「片翼の天使」と必殺技名を答えた。

 《すると、支度部屋ではまったく笑わない男が、腕を組んで満足そうに目を細めていた。時おり見せるあの笑顔が人間・萩原寛の魅力だった。》

 稀勢の里のエピソードでありつつ、「新米担当がいかに取材対象に近づくか」という奮闘を追体験できる記事。読んでるこっちも思わず「目を細めて」しまう。

395名無しの稀勢の里ファン:2019/02/01(金) 16:24:54 ID:02Umexbg0
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190201-00833344-number-fight&p=2

オフレコではブラックジョークも。
 稀勢の里の冗舌と博識ぶりは先ほどの「ニッカン」のコラムにも書かれていた。

 《相撲以外には冗舌だった。興味の幅は広く、エアロビクスやスカッシュ、セパタクローなどの大会をわざわざ録画する。武道も好み、合気道は習いにも行った。》

 ほかの担当記者も、

 《競馬、プロレス、総合格闘技、柔道なども好きで、私がヒクソン・グレイシーの本を手渡した時も、その場ですぐに読み始めた》(ニッカン '11、'12年担当)

 《オフレコの場面では冗舌で、ブラックジョークも珍しくない。》(ニッカン '10〜'13年担当)

 と書く。

親方になったら雰囲気が変わるかも。
 そのギャップについて、「報知」には稀勢の里の信条があった。

 《ツイッター、フェイスブックなどで私生活は公開せず。テレビ、CMにも出ない。「力士は神秘的でなければ。孤独になれ」という先代師匠の故・鳴戸親方の教えを守る。》

 「サンスポ」の担当記者は、

 《「勝っても負けても表情に出すな」という先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里、故人)の教えを守って、仏頂面と真っ向勝負を貫いたのだろう。》(平成11〜17年、22〜24年担当 ※サンスポは平成表記)

 これら担当記者のコラムを読むと、稀勢の里は横綱としてのイメージを頑なに守り通したことがわかる。

 そして親方となった今後は「博識で何でも語れて、満面の笑顔」という新たな顔をメディアで見ることができるかもしれない。横綱だった大乃国が「スイーツ親方」としてメディア露出が多くなった例を超えるかもしれない。期待大。

貴乃花を推してきたスポニチ。
 さて、稀勢の里引退ではスポーツ紙の「売り」もあらためて見ることもできた。

 引退表明翌日の各紙1面を並べてみよう。

 『稀勢 涙 「一片の悔いなし」』(サンスポ)

 『引退に「一片の悔いなし」稀勢の里』(ニッカン)

 『土俵人生に一片の悔いなし 稀勢引退』(東京中日スポーツ)

 『稀勢アキバ部屋 独立来年にも』(スポーツ報知)

 ここまでの各紙は「一片の悔いなし」という会見の言葉を引用したものが多かったが、「スポニチ」は違った。

 『元貴親方贈る言葉 稀勢』(スポニチ)

 そう、スポニチの1面は元貴乃花親方の花田光司氏が軸だったのだ。

 一昨年の、あの日馬富士暴行事件はスポニチのスクープで始まったことを思い出したい。貴乃花と(貴乃花が専属評論家を務めていた)スポニチを中心とした情報戦という意味でも興味深かったのだが、稀勢の里引退記事でも貴乃花を推してきたスポニチ。

396名無しの稀勢の里ファン:2019/02/01(金) 16:25:17 ID:02Umexbg0
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190201-00833344-number-fight&p=3

スポーツ紙の切り口の違いは楽しい。
 元貴乃花親方はスポニチにねぎらいの言葉を寄せた。一部を抜粋すると、

 『桜の花のようにさっと咲いて散るがごとしです。惜しまれて、引退することが大切です。』

 『後悔のない人生など存在せず、窮地の時には今場所、三日間土俵に上がった思いを残心にかえて、日本の国技の発端を担ってください。(原文のまま)』

 スポニチは、《短文の最後にあえて「発端」という独特の表現を使い、国技に新たなうねりをつくる指導者になってほしいと期待した。》と解説した。

 「スポニチ&貴乃花」ここにあり。次は貴乃花のどんな情報をぶっこんでくる? 

 スポーツ紙の切り口の違いをあらためて堪能した「稀勢の里引退」報道だった。

 以上、1月のスポーツ新聞時評でした。

(「月刊スポーツ新聞時評」プチ鹿島 = 文)

397名無しの稀勢の里ファン:2019/02/09(土) 23:45:14 ID:PKZUs9HY0
元稀勢の里・荒磯親方が初実務 ジャンパーは6Lサイズ「親方になった気がします」
2/9(土) 16:03配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190209-00000124-spnannex-spo

<NHK福祉相撲>日本相撲協会から支給された濃紺ジャンパーを着て親方として初実務を行った荒磯親方(撮影・郡司 修)
 大相撲の荒磯親方(元横綱・稀勢の里)が9日、東京・両国国技館で、親方として初実務を行った。この日はNHK福祉大相撲が始まる約4時間半前に会場に到着。日本相撲協会から支給された6Lサイズの濃紺ジャンパーを着て、館内を巡回するなど安全確認を実施した。任務をこなし「現役時代じゃないことですから、親方になった気がしますね」と引き締まった顔を見せた。

 小雪が舞う寒空の下、大相撲の人気を示すように国技館には大勢のファンが詰めかけた。元稀勢の里は「軽くていいです」という着心地の良いジャンパー姿で笑顔を交えると、「ファンサービスは中々、現役時代にできなかったので、しっかりやっていきたいと思います」ときっぱり。角界の発展にも全力投球する構えだ。

 今後、指導面では弟弟子の大関・高安の稽古相手も務める意向。そのため体づくりにも着手している。177キロあった現役時代から若干スリムになった様子。仕上がり具合を聞かれると「いつも通りと言えばいつも通り」と照れ笑いした。

398名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/02/22(金) 19:50:35
荒磯親方 初優勝時は評論見ていた「よく書かれるとうれしかった」
2/20(水) 7:22配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190220-00000062-spnannex-spo

にこやかな表情で現役時代を振り返る荒磯親方(撮影・小海途 良幹)
 ◇荒磯親方 スポニチ本紙評論家に就任

 1月の大相撲初場所限りで現役を引退した元横綱・稀勢の里の荒磯親方(32)がスポニチの評論家に就任することが決まり、19日に東京都江東区のスポニチ本社を訪れた。

 【荒磯親方に聞く】

 ――引退して体などは変わったか。

 「(9月29日、両国国技館で行われる)断髪式で最後に土俵入りがある。垂れた体は見せられないので、そこまではしっかり稽古をしていく」

 ――大のアメフット好きだが。

 「アメフットは最新の科学が進んでいるスポーツだから楽しい。作戦をしっかり立てたり、そういう部分が好き。今回のスーパーボウル(○ペイトリオッツ13―3ラムズ●)はなかなか点数が入らなかったが、ああいう試合も嫌いじゃない」

 ――現役時代、評論されて不愉快に思ったことは。

 「(横綱昇進後の)この2年間は見ないようにしていた。(酷評されると)結構ダメージがあるので。そういう部分で、よく書かれるとうれしかった。初優勝のときはずっと見ていた」

399名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/03/14(木) 09:02:01
元稀勢の里引退相撲チラシ完成!ラオウのイラストも
[2019年3月13日4時0分]
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201903120001444.html

「北斗の拳」のラオウのイラスト入り広告が入った元横綱稀勢の里の引退相撲のチラシ

元横綱稀勢の里の荒磯親方(32)が、9月29日に東京・両国国技館で予定している引退相撲のチラシが完成したことが12日、分かった。

同親方が好きな漫画「北斗の拳」の登場人物、ラオウのイラストが描かれた広告が入る。広告には、1月の初場所中に行った引退会見で発したコメントから派生した「我が土俵人生に一片の悔いなし」のキャッチコピーもある。

チラシのメイン写真は、ラオウが描かれた化粧まわしを着けたものとなった。

400名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/03/21(木) 10:50:15
貴乃花氏 確執伝えられる兄への感謝「私の盾になってくれた」
2019年3月20日 21時42分 デイリースポーツ
http://news.livedoor.com/article/detail/16191643/

 元横綱貴乃花、貴乃花光司氏が20日、日本テレビ系「ザ・発言X 勝負の1日」(後9・00)に出演。20年来の確執が伝えられる兄で元横綱、現在はタレントとして活動する花田虎上への感謝の思いを口にした。

 虎上はこれまでテレビに出演した際、弟・貴乃花氏と絶縁状態にあることを明かしていた。

 貴乃花氏はこの日、兄との関係について聞かれ「(15歳で入門して)ホームシックになった時、兄と隣同士で寝ていたので、『大丈夫だよ、大丈夫』って言ってくれて」と述懐。貴乃花氏が先に優勝し、個室を与えられた際は、まだ幕下だった兄に「一緒に個室で寝ようよ」と誘ったこともあったという。

 しかし、虎上は「いいんだよ。関取なんだから。俺はまだ若い衆だから」と断ったという。「すごく心配性で、常に私の盾になってくれた。だからけいこに集中できた。1人で入門してたら、ここまで来れなかったでしょうね。ライバルというより、兄弟っていう感じでやってきました」と感謝の思いを口にしていた。

 花田は昨年出演したテレビ番組で、貴乃花氏とは10年以上にわたり事実上の絶縁状態であることを明かしていた。

401名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/03/28(木) 11:05:37
貴乃花氏 不撓不屈のエール、貴景勝に「まだまだこれから」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190328-00000140-spnannex-spo

【新時代の大関 貴景勝を語る(上)】初土俵から28場所で大関昇進を果たした貴景勝。
元師匠である元貴乃花親方の貴乃花光司氏を上回る史上6位のスピード出世を果たした
強さの秘密はどこにあるのか。今も心の師である貴乃花氏や現役時代に胸を合わせた
荒磯親方(元横綱・稀勢の里)らがそれぞれの視点で証言。3回連載で紹介する。

荒磯親方は明日か明後日、どうぞ

402名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/03/29(金) 10:25:09
白鵬への処分を検討=春場所千秋楽の三本締めで-大相撲

日本相撲協会は28日、東京・両国国技館で理事会を開き、白鵬が春場所千秋楽の土俵下でのインタビューの際に音頭を取って
三本締めをしたことは、相撲道の伝統と秩序を損なう行為に当たる恐れがあるとして、コンプライアンス委員会(青沼隆之委員長=
元名古屋高検検事長)に処分案を検討してもらうことを決めた。八角理事長(元横綱北勝海)が答申を受けた後、理事会に諮る。
協会理事の芝田山広報部長(元横綱大乃国)によると、白鵬と師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山)を理事会に呼び、相撲博物館の
学芸員が本場所の閉幕は初日前日に開かれる土俵祭で迎えた神を天に帰す「神送りの儀式」の終了後であることなどを説明した。
白鵬は謝罪し「平成最後ということで、盛り上げようと思って締めた」と弁明したという。
白鵬の三本締めについては、25日の横綱審議委員会定例会合でも疑問視する声が相次いだ。
白鵬は一昨年九州場所ではインタビューで観客に万歳三唱を促すなどし、厳重注意を受けている。

403名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/03/29(金) 10:36:19
荒磯親方驚かせた貴景勝の急成長 1年で変わった「パーン、パーン」から「パパパパーン」
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/03/29/kiji/20190328s00005000379000c.html

新時代の大関 貴景勝を語る(中)】3場所で34勝を挙げた貴景勝はその間、上位相手にも結果を出した。
春場所では鶴竜から初白星を奪うなど、横綱戦は3勝1敗で、大関には4勝4敗の五分。
初場所で引退した元横綱・稀勢の里の荒磯親方は「初めて闘った時から1年で、これだけ圧力が変わるのにはビックリした」と
貴景勝が急激に力をつけたと感じている。
初対戦の17年名古屋場所では脅威を感じなかった。左大胸筋などの負傷に苦しんでいたが、攻めを受けても後退しなかった。
「この当たりなら大丈夫と思った」。攻めのリズムが単調で「パーン、パーン、パーン」という感じだった。
「突っ張りの間に隙間があれば残せる」というように突き落としで退けた。
対戦を重ねるたびにリズムは変わった。「後半は根こそぎ持っていかれるような、腰から浮かされるようだった」。
突っ張りの間隔が狭まり「パパパパーン」になった。「常に体に触れられている感じ。嫌なところを突いてきた。
気がつけば自分の下(胸のあたり)にいた」。密着しながら出られれば簡単には差せない。
その取り口に苦しみ、現役時代の対戦成績は2勝3敗に終わった。「四つ相撲のような押し相撲。
それぐらい安定感がある」と称賛した。
突き上げる攻めは下半身の強さによってもたらされる。「足腰の強さというか腰力が違ってきた」。
腰の強さは見た目では分かりにくいが、仕切りの際に一端が垣間見える。「最後の仕切りで手をついたとき
腰をグーッと入れてくる。あれができる人はなかなかいない」。現役で似た力士はおらず、荒磯親方は
「北の湖さんや双葉山はそうだった」と大横綱の名を挙げた。
「今の相撲を続けていけば間違いない。どうなっていくか楽しみ」。平成で最後に誕生した横綱は、
平成最後に誕生した大関に期待を込めた。

404名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/03/29(金) 22:08:23
まさかキセの口から双葉山の名前が出るとは

405名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/03/31(日) 13:51:16
双葉山のビデオ見て研究していたのかも

406名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/04/01(月) 01:10:48
白鵬は上腕二頭筋断裂、サポーターつけ土俵入り(読売オンライン)
春場所千秋楽に右腕を負傷した白鵬は31日、上腕二頭筋の断裂と診断されたことを明らかにした。
この日始まった春巡業では患部にサポーターをつけて土俵入りを披露。
今後も巡業に同行して土俵入りなどは行うが、相撲は取らない見通しという。「全治(期間)はまだわからない。
手術すると(回復に)時間がかかるから安静にする」と話した。

407名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/04/01(月) 12:26:28
怪我でも病院行かない白鵬の怪、五輪まで8場所連続休場計画も

大相撲春場所千秋楽では、貴景勝と栃ノ心がそれぞれ大関昇進と陥落をかけてぶつかり合い、正真正銘のガチンコ相撲に館内は沸いた。
ただ、その2番後の結びの一番で“異変”は起きた。
15回目の全勝優勝のかかる白鵬が、鶴竜とまみえたモンゴル横綱決戦。まず鶴竜が押し込むと、白鵬がすくい投げを打って左四つに。
そこから攻防を繰り返し、1分を超えた“大相撲”は、白鵬が右から下手投げを打って決着。しかし──。
「NHKの実況はしきりに盛り上げていましたが、土俵を広く使い、寄ったり戻ったりを繰り返すのは巡業でよくあるパターンですよ」
若手親方はそう評す。その一番では、白鵬が土俵下正面の観客席へ倒れ込み、右腕を抱えて顔をしかめながら起き上がった。
表彰式でも、賜杯を受け取るのに手助けを受け、「優勝と引き換えに右腕を負傷した姿」が全国の視聴者に印象づけられた。
ところが、この“大ケガ”には疑問が複数あがった。千秋楽の中継で解説を務めた北の富士氏は、取組後の白鵬を見ながら、
「(右上腕が)へこんでいないな。切れるとへこむんだけどな」と感想を漏らしていた。
一方、翌朝の会見で白鵬は、「(筋肉が)切れていると思う」と重傷を強調。にもかかわらず、「病院には行かない。
3〜4日は休んで考えたい」と説明したのだ。
ケガをした“瞬間”の話も奇妙だ。表彰式では「最後、投げに行った時」と答えていたが、一夜明けた会見では「(立ち合いの)最初の頃」と
話が食い違う。前出・若手親方がいう。
「上腕二頭筋を痛めたのは事実だと思う。ただ、あまりに大袈裟。(何度も休場した)貴乃花や稀勢の里を意識してのもので、来場所以降に
休む“布石”ではないか」
白鵬は「2020年東京五輪の開会式での土俵入りが悲願」と公言してきたが、最近は衰えが隠せない。「休場」と「優勝」を交互に繰り返すような状況だ。
「力士寿命を延ばすことだけを考えれば、休場を挟むのは有力な選択肢。ガチンコ全盛で、本場所の土俵は負傷リスクが大きい。
白鵬には、千代の富士の持つ横綱としての最年長優勝記録(35歳5か月)の更新という目標もあり、“五輪土俵入り”の後の
来年9月場所で優勝すれば塗り替えられる。東京五輪までのあと8場所、“どう休みながら乗り切るか”と考え出すのは自然なことだろう」
(協会関係者)
本来、休み続ける横綱は引退だが、今は初場所で引退した稀勢の里の“前例”がある。
「稀勢の里は横綱になって最初の場所での優勝と引き換えに左大胸筋を負傷し、翌場所から途中休場を含めて8場所連続で休んだ。
遡れば貴乃花が2001年5月場所で優勝と引き換えに右膝を負傷し、7場所連続で全休した例もある。つまり、東京五輪までの『8場所』
というのは、休場続きでも引退せずに済む期間ということになる」(ベテラン記者)
実際、千秋楽翌朝の白鵬は「なんとなく稀勢の里の気持ちがわかる」とコメントし、わざわざ自分のケガと重ね合わせてみせた。
「稀勢の里がケガに苦しんでいた時は、白鵬が先んじて休場を表明し、稀勢の里が“上位陣が揃って不在というわけにはいかない”と
強行出場せざるを得ない状況を作り出しているフシもあった。今の一番人気は貴景勝ですが、同様に“ガチンコ場所の負傷リスクは
お前が負え”とばかりに休む展開が考えられる」(同前)

408名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/08/06(火) 21:12:41
初代若乃花、隆の里、稀勢の里、横綱の系譜…相撲博物館で企画展
8/6(火) 17:45配信 スポーツ報知
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190806-00000073-sph-spo

第59代横綱・隆の里俊英
 元横綱・稀勢の里の荒磯親方の断髪式が秋場所後に行われ、あらためて力士生活を終える。東京・両国国技館内にある相撲博物館(東京都墨田区横網1-3-28)では、19日から企画展「横綱の系譜 ―若乃花(初代)、隆の里、そして稀勢の里―」」を開催する。

 第72代横綱・稀勢の里の師匠は59代横綱・隆の里、その師匠が45代横綱・初代若乃花にあたる。2017年初場所で初優勝し、横綱に昇進した稀勢の里。明治神宮で行われた横綱推挙式では、初代若乃花が使用した化粧廻しを締めて横綱土俵入りを奉納した。また、土俵入りの型は初代若乃花と同じ雲龍型で、初代若乃花に対する特別な思いが感じられた。

 今回は稀勢の里につながる横綱の系譜として、若乃花(初代)、隆の里の3横綱に注目。人気を誇ったそれぞれの時代に思いをはせることができる。

 主な展示資料は、若乃花使用の化粧廻し三つ揃い(稀勢の里が奉納土俵入りで使用。金糸で織られた獅子頭と花のデザイン)、若乃花使用の赤綱(1988年4月24日の還暦土俵入りで使用)、隆の里使用の化粧廻し三つ揃い(1986年5月31日の引退相撲で使用。出身地・浪岡の風景が描かれている)、隆の里使用の不知火型横綱、稀勢の里使用の化粧廻し三つ揃い(牛久市の花である菊、市の鳥である鶯、牛久沼や筑波山をデザイン)、若乃花、隆の里の手形、稀勢の里使用の横綱、締込など、約90点が展示される。

 ◆第45代横綱・若乃花幹士(初代) 青森県弘前市出身。179センチ、105キロ。右上手投げや豪快な呼び戻しを得意とし、1958年初場所に2度目の優勝を果たして横綱昇進。栃錦とともに「栃若時代」を築き上げ、戦後の相撲界を盛り上げた。優勝10回。

 ◆第59代横綱・隆の里俊英 青森県青森市(旧浪岡町)出身。182センチ、159キロ。右四つに組んで両廻しを引きつけての寄り・つりを得意とした。特に千代の富士に相性が良く、土俵を盛り上げた。1983年7月、30歳9か月で横綱昇進。優勝4回。

 ◆第72代横綱・稀勢の里寛 茨城県牛久市出身。188センチ、175キロ。2004年5月、史上2位の若さ(17歳9か月)で関取昇進。2017年初場所で初優勝を果たし、約19年ぶりの日本出身横綱の誕生に日本中を湧かせた。優勝2回。

 博物館は、入館無料。開館は10時〜16時30分。企画展は9月27日まで開催され、休館日は土、日、祝日。9月8日〜22日は大相撲秋場所、9月28日は里山引退佐ノ山襲名披露大相撲、29日は稀勢の里引退荒磯襲名披露大相撲の観覧券がそれぞれ必要。8月31日と9月7日の14時から展示解説が行われる。施設改修工事に伴い10月1日から来年1月10日まで休館する予定。

409名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/09/30(月) 14:58:18
稀勢の里「過去最大」の引退相撲 「逃げない、正々堂々、一生懸命」横綱道継承へ
9/30(月) 8:30配信デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190930-00000022-dal-fight

 断髪式中、涙を流す元横綱・稀勢の里の荒磯親方
 大相撲初場所で引退した元横綱稀勢の里の荒磯親方(33)の引退相撲が29日、東京・両国国技館で開かれ、超満員御礼1万1000人の観客が最後の横綱土俵入りに沸いた。断髪式では父・萩原貞彦氏からはさみを入れられ男泣きした。8年前に亡くなった先代師匠の故鳴戸親方(元横綱隆の里)の誕生日に新たな門出。オールバック風の新ヘアの親方は先代師匠の教えを胸に初代若乃花から続いて“4代連続横綱”の育成へ意気込んだ。

【写真】スッキリさわやか オールバック風の新ヘアで登場

 大拍手と久々の「稀勢の里」コールが聖地に響いた。断髪式では幼少期から厳しく鍛えられた父のはさみにこみあげた。“戦友”の横綱白鵬、元横綱日馬富士ら約300人がはさみを入れた。17年の土俵人生を思い何度もほおの涙をぬぐった。

 グッズはあっという間に完売し、「過去最大」と部屋関係者もビックリ。03年、元横綱貴乃花の引退相撲と同じ1万1000人が詰めかけた。「お世話になった方に感謝。さみしいけど声援に最後まで支えられた」と荒磯親方は感無量だった。

 最後の横綱土俵入りは「日本一!!」の大合唱。本人は「ミスった。(新横綱で)初めて土俵入りをした時も左足で四股を踏んだ。最初と最後が一緒。初心に戻りました」と苦笑いしてうまくまとめた。「すっきりした」とオールバック風の髪も満足。くしくも先代師匠の誕生日に新たな人生を踏み出した。

 部屋付き親方として弟弟子の大関高安を横綱に引き上げるのは使命。「タイミングもある」と将来は部屋独立も視野に入れる。初代若乃花、先代師匠、自身と継承した横綱道。“4代”へと横綱の系譜をつなぐ夢がある。

 「横綱の気持ちも精神力も教えていく。僕が育ったように育てたい。逃げない、正々堂々、一生懸命やり続けること。それがピンチで出る。しっかりつなげる」と力を込めた。

410名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/11/08(金) 12:46:37
高校相撲「稀勢の里杯」開催 自身が大会長、両国で
[2019年11月7日14時23分]

大相撲の荒磯親方(33=元横綱稀勢の里)が7日、福岡・大野城市の田子ノ浦部屋で稽古を指導後「高校相撲稀勢の里ウィンターカップ」と題し、自身が大会長を務める第1回大会を、12月23日に東京・両国国技館で開催すると発表した。荒磯親方は「小中学生、大学生には国技館で行う大会があるけど、高校生にはなかった。今は高校から大相撲に入るのが主流。僕自身も小学4年生で初めて(国技館の本土俵に)相撲を取ってうれしかったし、前の日は眠れないぐらい興奮した。そういう経験を少しでも多くの人に味わってほしいから」と、立ち上げに至った理由を明かした。

大会は親善交流試合の位置づけで、団体戦と個人戦がトーナメント方式で実施される。「新人戦という位置づけ」と、出場資格は高校1、2年生。1チームは5人編成(先鋒、中堅、大将、交代、予備)で、個人戦は1チーム4人まで出場できる。50チーム、250人の参加を予定しており、参加無料(旅費、宿泊費は参加校負担)で今後、出場チーム、選手を募集する。荒磯親方は「1校から複数チームが出てもいいと思う」と話し、仮に相撲部のない学校から募集があった場合は「アマチュア相撲関係者もいるので、実行委員会の人と相談して決めます」と、主催者である「稀勢の里ウィンターカップ実行委員会」のメンバーと協議しながら決めるという。第1回大会だけに、どの程度の募集があるか不確定。現役時代に絶大な人気を誇った同親方初の冠大会だけに、募集が殺到することも考えられ、現状では明言を避ける事案もあった。

大会の趣旨について「立ち合いの重要性を高校生に知ってもらいたい。僕らでも呼吸を合わせて立つというのは難しい。1回『待った』してもいいので、しっかりとした立ち合いを身に付けてほしい。そうすることで、大相撲でも即戦力として活躍できるはず」と説明した。

大会の申し込み締め切りは今月15日必着で、参加希望者は「稀勢の里ウィンターカップ大会実行委員会事務局」 〒174・0051 東京都板橋区小豆沢3の3の2 IMSグループ 担当・前田(敬称略)まで。メール、ファクスでの申し込みは認められない。大会実行委員会事務局は電話03・3965・5971(IMSグループ代表)。

411名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/11/08(金) 12:52:59
荒磯親方が「稀勢の里杯」創設 「高校生を国技館の本土俵に」12・23開催
11/7(木) 17:39配信スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191107-00000206-spnannex-spo

九州場所前夜祭のトークショーに参加した荒磯親方(中央)
 大相撲の荒磯親方(元横綱・稀勢の里)が高校生を対象にした相撲大会「稀勢の里ウィンターカップ」を12月23日に両国国技館で開催することになった。荒磯親方が大会会長を務める。

 大会の主旨は「高校相撲の健全な育成強化と親善交流を図る」「相撲競技に取り組む学生の中で唯一、高校生のみが国技館開催の試合がないことを踏まえ、全国の高校生に1人でも多くの選手が国技館の土俵で相撲を取れる機会の提供をする」「相撲において立ち合いの重要性を説き、正常化を図る」「全国の青少年による相撲競技普及を目指す」というもので、荒磯親方の意思に基づいて実施される。

 今年1月の初場所で現役を引退した荒磯親方が今大会の開催を計画したのは夏ごろだった。高校生が国技館の本土俵で相撲を取れるのは、全日本選手権の出場権を得られる全国高校総体や国体の覇者だけで、それを知ったのが引退してからだった。「それならやろう」と動きだし、親方の仕事の合間を縫って日本相撲協会や関係各所と調整を勧めて実現にこぎ着けた。

 出場資格は高校2年生までで、全国から50チーム、250人の参加を予定している。団体戦、個人戦を実施し、外国人留学生は1チーム1人までとしている。他のアマチュアの大会とは違い、今大会では「待った」を1回挟んでから立ち合いに入るという、大相撲に似た方式を取り入れる。「(待ったがなく)いきなりだと立ち合いは合わない」からというのが一番の理由だが、アマチュアに見られる立ち合いの前に腕を回すなどの無駄な動きをなくすという狙いもある。

 横綱・白鵬は2010年から小中学生を対象にした少年相撲大会「白鵬杯」を開催している。年を重ねるごとに規模は拡大しており、今年2月の第9回大会は日本、モンゴルなど世界8カ国から154チーム、1194人が参加した。今年9月の秋場所で引退した元関脇・嘉風の中村親方は、出身地の大分県佐伯市や中津市で「嘉風相撲大会」を催していた。新たに国民的横綱の冠がついた相撲大会。荒磯親方は「1人でも多くの高校生を国技館の本土俵に上げたい」と抱負を語った。

 参加は無料(旅費および宿泊日は参加校の負担)で、現在、参加チームを募集している。希望者は郵送で、大会実行委員会事務局(〒174―0051、東京都板橋区小豆沢3の3の2、IMSグループ 担当・前田行き)まで。締め切りは11月15日必着。メール、ファクスでの申し込みは受け付けていない。

412名無しの元横綱稀勢の里ファン:2019/11/28(木) 19:54:15
白鵬の夢「親方」に黄信号 日本国籍取得でも残る3つの障害
11/28(木) 9:26配信日刊ゲンダイDIGITAL
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191128-00000006-nkgendai-spo

50回優勝を目指すとは本人(C)共同通信社
 自身令和初、そして日本国籍を取得して初めての賜杯とあって、口もなめらかだった。

 11月場所で、43回目の優勝を飾った横綱白鵬(34)。25日の一夜明け会見ではさらなる目標を聞かれ、一度は「45回」と答えたものの、すぐに撤回。

「50回かな。2年後か3年後かはわからないけど、東京五輪は越すな」

 と、大言壮語だった。

 同日行われた横綱審議委員会では、12日目の遠藤戦で繰り出した右のエルボーについて「見苦しい」という意見が出たが、それもどこ吹く風だ。

 今年9月には念願の日本国籍を取得。引退後は晴れて親方になれることが決定し、後顧の憂いもない――と、白鵬は思い込んでいるに違いない。以前は「銀座にガラス張りの部屋をつくる」と豪語したこともある。しかし、そもそも引退後は親方になれると決まったわけじゃない。日本国籍の保有は、親方資格のひとつにすぎないからだ。

■一代年寄は絶望的

 まず、白鵬が望んでいる一代年寄は協会にはねつけられる可能性が高い。顕著な功績を残した横綱は、一代に限り引退後も現役時代のしこ名のまま親方になれる。確かに白鵬は歴代最多の43回の優勝を誇るも、同時に素行不良で厳重注意の常連でもある。角界では「本気で一代年寄になれると思っているのは白鵬本人だけ」との声もあるほど。一代年寄の承認は理事会で行われるが、白鵬の場合は審議すらされないケースまであり得るという。

■親方株は空き株なし

 となれば、年寄名跡、通称「親方株」を取得するしかない。ある親方は「これが一番難しい」と、こう続ける。

「空いている株がほとんどないんですよ。使われていない株はあっても、すでに継承者が決まっているものばかり。親方株は基本、一門内で代々継承していくもの。過去にはよその一門の株を取得し、所属一門から破門された親方もいた。出羽海や二所ノ関といった規模が大きな一門は保有している株も多いが、白鵬が所属する伊勢ケ浜一門は小規模ですからね」

 ならば師匠である宮城野親方(元前頭竹葉山)から継承すればいいと思いきや、こちらもすんなりとはいかない事情がある。

「現在62歳の宮城野さんは定年延長を希望しているというんです。相撲協会は65歳が定年。再雇用制度を利用すれば、給料は減るが5年間、定年を延長できる。つまり、宮城野さんは70歳まであと8年間、株を保有することになりますから」(前出の親方)

■5年の期間限定

 一代年寄が認められず、株がなかったとしても親方になることは可能だ。横綱なら引退後から5年、大関なら3年、しこ名のまま無条件で親方ができる。が、あくまで期間限定。白鵬が宮城野株を継承する気なら、この制度を利用しても師匠の65歳定年より先に引退することはできない。それ以前にしこ名で親方になっても、5年後に辞めなければならないからだ。

 障害はまだある。親方になれるかどうかは、最終的に相撲協会の承認を得なければいけない。かつて親方株が個人間で高額売買されていた時代ですら、理事会の許可がなければ継承は認められなかった。2014年の公益財団法人への移行に合わせ、売買は禁止。協会が株を一括管理するようになった現在は、年寄資格審査委員会の承認が必要になる。白鵬はそこで親方株の襲名申請を却下される可能性があるというのだ。

 ある角界OBは「古い話だが」と、前置きしてこう続ける。

「親方株を取得しても、親方になれなかった力士がいた。それが80年代の八百長騒動の中心人物だった板井圭介です。ただ、当時は角界中に八百長が蔓延していた時代。『親方にふさわしくない』と判断された理由は、八百長ではなく素行です。板井は本場所には出場するものの、巡業はほとんどサボっていた。どこそこを負傷したという診断書こそ出しながら、本場所では元気に相撲を取る。そうした素行が協会の逆鱗に触れ、理事会で許可が出なかった」

 身勝手さやワガママぶりは白鵬も負けてはいない。優勝インタビューでの万歳三唱や三本締めはもとより、相手に合わせない自分本位の立ち合い、ダメ押し、突き押し対策で取組前に胸の汗を拭かないなど、これでもかと横綱という地位や品位を汚しまくっている。

 大相撲は単なるスポーツではない。日本の伝統文化を守る側面もあるだけに、強ければよいというわけにはいかないのだ。もし、白鵬が親方という夢をかなえられなかったとすれば、それは自業自得以外の何物でもない。

413名無しの元横綱稀勢の里ファン:2020/04/25(土) 15:13:57
高田川親方と十両白鷹山が陽性 若い衆4人も感染
4/25(土) 13:58配信日刊スポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200425-24250265-nksports-fight

日本相撲協会は25日、高田川親方(元関脇安芸乃島)と十両白鷹山(高田川)が新型コロナウイルス感染症の陽性反応を示したと発表した。このほか、幕下以下の若い衆4人の感染も確認されたことも明らかにした。4人の力士名と所属部屋は公表しないという。

【写真】新弟子検査で身長を測定するウクライナ出身のセルギイと高田川親方

高田川親方は発熱症状があったため23日にPCR検査を受け、陽性が判明。同日から入院した。白鷹山は発熱などの症状はなかったが、24日にPCR検査を受け、陽性が確認され、25日から入院した。

その他の若い衆もPCR検査を受けて陽性反応が確認され、入院している。

陽性が判明した者の所属部屋は、今後2週間は稽古や外出を禁止とし、部屋の消毒や体温管理などを徹底するという。

日本相撲協会はこれまで、十両以上の関取らに感染者が出た場合は氏名等を公表する方針を示していた。

414名無しの元横綱稀勢の里ファン:2020/11/14(土) 09:50:09
元大関の十両琴奨菊が現役引退へ
https://www.sanyonews.jp/article/1071496

 大相撲の元大関で関取最年長の36歳、十両琴奨菊が現役引退の意向を固めたことが14日、日本相撲協会関係者の話で分かった。11月場所はここまで1勝5敗と不振だった。
(2020年11月14日 09時19分 更新)

415名無しの元横綱稀勢の里ファン:2020/11/22(日) 09:39:45
「2017九州場所14日目、白鵬と遠藤の立会い」

テレビ観戦しながら、またやったと一瞬思った。白鵬の手つき不十分で相手の眼を狙い、しかも土俵外に出ている相手にダメ押しをする品格無しの横綱を見てしまった。立ち合いの一瞬が速かったので公開されている動画を何度も見て確認しながら、今日(26日)のサンデーモーニングのスポーツコーナーで2度放送されたのを再度じっと見たが、あれが張り手なら左手の甲は見えるはずだが、手の甲は上を向いているので巧妙に目を狙ったようにしか見えない立会いで、そのために遠藤の動きが一瞬静止したすきに、白鵬が遠藤を押し出したようにみえたので、またやったかと思った。

https://blog.goo.ne.jp/mohtsu/e/63eab6d2b40466c185666bf1d26cff35
https://blogimg.goo.ne.jp/image/upload/f_auto,q_auto,t_image_sp_entry/v1/user_image/26/5f/a458999d4dc493972ab17c9f6aa1fbf0.jpg

416名無しの元横綱稀勢の里ファン:2021/05/01(土) 16:08:37 ID:BTtlgV0c0
元横綱・稀勢の里に叱責の声「いいかげんにしろ」とイラ立つ周囲
2021.04.23
https://weekly-jitsuwa.jp/archives/17132

男子ゴルフのマスターズで松山英樹が日本人初の優勝をやってのけ、サンデーゴルファーばかりか、にわかファンも大騒ぎ。

まさか生きている間に4大メジャー大会の1つを日本人が制するとは思わなかった人も多かっただけに、「国民栄誉賞をあげるべき」などという声も上がっているが、この権威ある祭典を大相撲の荒磯親方(元横綱・稀勢の里)がスポーツ新聞紙上で解説していたのには驚いた方も多いのではないか。

荒磯親方といえば、引退後、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科で「新しい相撲部屋経営の在り方」を研究。それを論文にまとめて、このほど卒業するなど、大相撲界に新風を吹き込む存在として注目され、また期待もされている1人。マスターズ解説も視野を広げる一環に違いないが、親方たちの間で、「そんなことにうつつを抜かしている場合じゃないだろう!」と、叱責する声が大きかったという。

すでに“親方”としても白鵬に後れを取って…
「私の相撲人生において一片の悔いもございません」――。多くのファンに惜しまれながら、そんな名言を残して引退し、早くも2年が経過した荒磯親方。もう田子ノ浦部屋を出て「荒磯部屋」を興し、弟子育成に着手していてもおかしくないが、一向にそんな気配が見えない。

目立つのは、弟弟子の高安の稽古相手と、無口で通した現役時代とは別人のようなおしゃべり解説だけ。これでは周囲が、「いいかげんにしろ」とイラ立つのも、当たり前かもしれない。

こんな荒磯親方とは対照的に、マゲを落としてからもライバルと目される白鵬は、引退後に備えて準備は着々。すでに人気者の炎鵬や石浦など、内弟子も数人いる。

「4月10日、鳥取城北高の主力選手、向中野真豪が宮城野部屋入りを表明しましたが、この入門会見にも、リハビリ中の白鵬に代わって奥さんの沙代子さんが同席していました。彼もまた、白鵬の内弟子。すでに部屋を興す場所も確保済みともいわれ、引退したらすぐ弟子育成のスタートを切れる状態です」(担当記者)

優勝回数などで大きく水をあけられながら、荒磯親方はこちらでも白鵬に一歩も二歩も後れを取っている。このままでは親方としても後塵を拝するのは必至。「稀勢の里よ、立ち上がれ!」の声は大きくなるばかりだ。

417名無しの元横綱稀勢の里ファン:2021/05/07(金) 14:36:03 ID:1z5LVdYM0
なんつー余計なお世話な記事だ

418名無しの元横綱稀勢の里ファン:2021/05/11(火) 23:28:38 ID:M90zRkOA0
「一代年寄」消滅危機で引退後に暗雲…白鵬が繰り出す逆転の一手
4/22(木) 10:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/db6f2389e5ffe024a9d55abdfd4e2b8c0e913da3

「一代年寄」の慣例に物言いがつき引退後に暗雲がたちこめ始めた白鵬。今年3月場所の初日、土俵入りの様子(画像:共同通信社)

7月場所で進退を決める横綱・白鵬(36)にとって、受け入れがたい提言だろう。

重大な問題提起がされたのは、4月19日の「大相撲の継承発展を考える有識者会議」(東大名誉教授・山内昌之委員長)第11回会合だ。同会議では、「一代年寄」に存在意義が認められないという見解が示された。「一代年寄」とは、顕著な実績を残した横綱に対し、一代限りで現役時代の四股名を使い年寄(親方)襲名を認めるというもの。史上最多44回の優勝を果たした白鵬には、その資格が十分あると思われていた。

【画像】美女と密会、弟子と不倫した美人女将…親方「トラブル」写真

だが……有識者会議は一代年寄に物言いをつけた。その理由とは。

〈一代年寄は当該横綱一代限りの特例のため、その部屋の弟子らによる継承襲名は認められない。その横綱の力と技の相撲ぶりが(中略)後世に継承されないことを意味する〉

相撲は師匠から弟子へ、脈々と力や技が伝えられることを基本とする。一代限りの「一代年寄」では、その「師資相承」の理念が守られないというのだ。有識者会議の山内委員長は、次のようにも語っている。

「(『一代年寄』を)廃止と理解されては困ります。制度そのものが本来なかった。相撲協会のどこにも規定がないんです」

◆「オレももらえるな」

「一代年寄」が認められたのは、1969年にさかのぼる。当時の大横綱・大鵬に、内弟子集めを容認。「横綱・大鵬」と「親方・大鵬」の併用を例外的に認めたのだ。

「その後、実績のある横綱に大鵬の例を適用するのが慣習になったんです。北の湖や貴乃花も、『一代年寄』として部屋をおこしています(千代の富士は『長く続く部屋にしたい』と辞退)」(相撲協会関係者)

事態が動いたのが、14年1月。相撲協会が財団法人から公益財団法人へ変更し、規定にない「一代年寄」が存在するのはおかしいのではないかと外部から指摘されるようになったのだ。

「現役時代から親方になることを保障されるのですから、横綱としてはうま味の多い慣例でしょう。苦労せずして、部屋の師匠になれる…ともいえる。朝青龍が07年1月場所で20回目の優勝を決め『オレも(「一代年寄」を)もらえるな』と発言し、物議をかもしたことがあります。白鵬も15年11月場所中に北の湖理事長(当時)が亡くなった時、『昭和の大横綱である理事長から「一代年寄」をもらいたかった』と語り意欲を見せていました。

相撲協会が、『一代年寄』の慣例解消に本格的に動き始めたのは18年9月以降です。貴乃花親方が退職し、協会内に『一代年寄』保持者がいなくなりましたから。今回、有識者会議が提言をしたのは、白鵬が引退するであろう7月場所前に決着をつけたかったのだと思います。引退後に問題提起して起きる、混乱を避けたかったのでしょう」(スポーツ紙担当記者)

横綱は引退後、現役時代の四股名で相撲協会に残れる。期限は5年間だ。「一代年寄」が無くなれば、その間に白鵬は継承できる親方名跡を探さなければならない。にわかに濃くなってきた、引退後の暗雲。だが白鵬も、手をこまねいていたわけではない。

「目をつけたのが『間垣』株です。キッカケは今年1月場所に起きた、元時津風親方のスキャンダルでした。場所中に雀荘や風俗店に通っていた疑惑で、親方は協会を引退。『時津風』を引き継いだのが、部屋付き親方だった元前頭・土佐豊です。

土佐豊が時津風親方になり、代わりに名跡交換されたのが『間垣』株でした。『間垣』株は現在、相撲協会あずかりになっています。白鵬は、『間垣』株取得に向け動いていると言われています」(同前)

「白鵬部屋」の構想は、夢のままで終わりそうだ。日本国籍を取得した平成の大横綱は、次善の策で師匠の権利を勝ち取ろうとしている。

419名無しの元横綱稀勢の里ファン:2021/05/11(火) 23:32:33 ID:M90zRkOA0
44回優勝の白鵬 一代年寄廃止を決定づけた「日馬富士暴行事件」
5/6(木) 11:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/24fc904a5abe0a1d9c7314de9ecada6ada412e64326

「一代年寄」の論争に発展した横綱・白鵬。44回優勝は文句なしの数字のはずだが…

コロナ禍で、5月9日開幕予定の夏場所が無観客開催となる大相撲。3月に横綱の鶴竜が引退し、白鵬も右ひざの内視鏡手術を受けて休場と、なんとも寂しい限りだが、白鵬ファンにとってはもうひとつ、「一代年寄の見直し」という衝撃的なニュースに戸惑いを隠せない。

「相撲ファンばかりではありませんよ。協会関係者や報道陣さえ、びっくりさせられました。『一代年寄』が相撲協会内で物議を醸していることはわかっていましたが、このタイミングでの発表とは思いませんでしたね。

そもそも有識者会議で、『一代年寄』が議題になっていたことさえも知らされていなかった。まさに寝耳に水でした」(スポーツ紙記者)

4月19日、日本相撲協会に設置された「大相撲の継承発展を考える有識者会議」(東大名誉教授・山内昌之委員長)が提言書を八角理事長に提出。そのなかで「一代年寄」に存在意義が認められないという見解を示した。

「この『有識者会議』は‘18年2月に設置された外部有識者による『暴力問題再発防止検討委員会』から要請されて創設された。‘19年6月に第1回会合が開かれたとき、相撲協会から『少子化時代における新弟子確保や外国出身力士増加など国際化に伴う対応策を検討課題にする』と説明され、『一代年寄』については触れていなかった。以降10回の会合が行われてきたが、取材ノートを見返しても報告はなかった」(前出・スポーツ紙記者)

スポーツ紙だけでなく、全国紙でも報道されたことからも、事の重大さが伝わってくる。

そもそも「一代年寄」とは、功績顕著な横綱に対し一代限りで現役の四股名を使い年寄(親方)の襲名を認めるというもので、過去に優勝32回の大鵬(‘69年)、24回の北の海(‘85年)、22回の貴乃花(‘03年)の3人が所属部屋から独立し、四股名で部屋を開いた。

「大鵬に次ぐ優勝31回の千代の富士は、‘89年に理事会から提案されるも辞退。史上最多の優勝44回を誇る白鵬は、当然ながら5人目として有力視されていた。

最初の大鵬のケースこそ、内弟子集めを例外的に認めて『横綱・大鵬』と『年寄・大鵬』を並立させる工夫として生み出されたというが、その後の3人の時を振り返ると、『実績』が最重要視され『優勝20回以上』が1つの目安とばかり思っていた」(前出・スポーツ紙記者)

有識者会議の提言書に強制力があるわけではなく、手渡された八角理事長は「そういう場面があれば理事会で審議していく」と話すにとどめているだけに、突然の「一代年寄」の見直しはまだまだ波紋を呼びそうだ。

「襲名候補の白鵬が常々横綱としての“品格”を問われてきただけに、『該当者がいない今こそ…と狙い撃ちされた』なんて声もすでに聞かれます。『有識者会議』が設置された頃の大相撲の置かれた立場を思い起こせば、勘繰られるのも仕方ない。

『有識者会議』は八角理事長の諮問機関です。元横綱の日馬富士による傷害事件などの不祥事が相次ぎ、白鵬もまた、『八角理事長の顔に泥を塗った』と批判されるようなことをしていましたからね」(スポーツライター)

420名無しの元横綱稀勢の里ファン:2021/05/11(火) 23:34:43 ID:M90zRkOA0
‘17年11月に発覚した日馬富士の傷害事件は、自らの引退ばかりか、「一代年寄」の貴乃花の引退にまで及ぶが、

「白鵬は事の真相究明が急がれるなかの九州場所で通算40回目の優勝を遂げると、恒例の表彰式インタビューで日馬富士による暴行騒動を謝罪し、『いまこの土俵の横で誓います。場所後に真実をすべて話し、ウミを出し切って日馬富士関、貴ノ岩関の2人を再びこの土俵に上げたい』と話し、最後は自ら音頭を取り万歳三唱を促す始末。この幕引きを促すような行為に非難が殺到した」(前出・スポーツライター)

前代未聞の出来事に対し、相撲協会のトップの八角理事長は「(暴行問題については)危機管理委員会に任せている」と答えるのみだった。

「白鵬の立ち振る舞いは、相撲協会にとって悩みの種だった。この場所の11日目に負けた時も、軍配に対して不服そうに土俵に立ち尽くす態度が批判されていたし、年明けの‘18年1月の横綱審議委員会(横審)の面々が見守る稽古総見では“禁じ手”も。

白鵬の激しいかち上げや張り手は、度々『横綱らしくない』と指摘されていた。解説者の北の富士勝昭氏も『不届き者だね。あれだけ注意されたのにけんかを売っているんじゃないのか。横審(横綱審議会)に』と皮肉たっぷりに諫めていましたね」(テレビ局関係者)

とはいえ、「有識者会議」の提言書では、「協会が功績の顕彰を必要と考える横綱に対しては何らかの形で功労をたたえる可能性は排除されない」とも触れているそうで、

「記録もさることながら、技量は抜群ですからね。組んでも離れても強く、オールラウンダー。内弟子で人気力士の炎鵬も尊敬し慕っています。『万歳三唱』の件も反省しているし、『一代年寄』の件も『自分が決めることではない』という思いの表れか、口にしません。協会内からは『白鵬相撲道場』の看板使用の話も聞こえて来ている」(前出・スポーツ紙記者)

過去、史上最多の69連勝を記録している双葉山が『時津風部屋』と『双葉山相撲道場』の看板を並べて掲げた前例があるそうで、

「今でも時津風部屋の力士や担当記者たちの多くが親しみを込めて『道場』と呼んでいます。白鵬に対しても、現役時代の四股名を活かす形で、偉業を称えて欲しいものです」(前出・スポーツライター)

‘69年の大鵬から5人目で「一代年寄」が途絶えることに。だが、次なる偉大な横綱誕生を祝福する資格制度が待たれるばかりだ…。

421名無しの元横綱稀勢の里ファン:2021/05/11(火) 23:37:37 ID:M90zRkOA0
引退の土俵際へ 一代年寄になれない白鵬の最後の望みは、やっぱり「間垣」株
5/2(日) 7:05配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/38eecafd11def6bcc81b91a93e978aaa7f27d9c7

横綱としての実績は文句のつけようがない(時事)

 5月9日に初日を迎える大相撲夏場所は、先場所中に鶴竜が引退したことで、白鵬が2012年9月場所以来の「ひとり横綱」となった。が、その白鵬は、右ひざの手術を受けて今場所を休場。7月場所で進退を懸ける意向を示している。いよいよ引退の瀬戸際にあるわけだが、白鵬が親方として協会に残れるかという問題も大詰めを迎えている。

 番付発表の前週には、「大相撲の継承発展を考える有識者会議」(委員長・山内昌之東大名誉教授)が八角理事長(元横綱・北勝海)に提言書を提出。功績著しい横綱のみが現役時代の四股名で親方になることを認められる「一代年寄」の襲名は白鵬の悲願とされてきたが、提言書はその制度そのものに疑問を呈した。「一代年寄の名乗りを認める根拠が見いだせない」と断じたのである。

「協会は一代年寄の廃止に動いている」(若手親方)とみられており、白鵬が引退後も協会に残るためには、105ある年寄名跡のいずれかを取得しなければならない(元横綱の場合、引退から5年以内に年寄株が取得できなければ廃業となる)。だが、協会内では好き放題に振る舞ってきた白鵬が親方として角界に残ることに批判的な意見も多く、「白鵬に年寄名跡を回す動きがない」(前出の若手親方)とされていた。

 そうしたなか、3月場所直前に報じられたのが、白鵬が「間垣」の株を取得するという情報だった。もともと「間垣」は、元前頭・土佐豊が継承していた株だが、「時津風」を襲名していた元前頭・時津海が1月場所中に雀荘や風俗店への出入りが報じられ、2月に協会を退職。名跡交換が行なわれ、元・土佐豊が「時津風」として部屋を継承したのである。

「元・時津海が退職したことで『間垣』は協会預かりとなっているが、後継者の指名権は元・時津海にあるとみていい。本来なら、同じ時津風部屋の部屋付き親方で、借株のままの状態になっている井筒親方(元関脇・豊ノ島)が『間垣』を継ぎそうなものだが、これを一門外の白鵬が顧問料名目の譲渡金を多く積むなどして獲得に動くのではないかという話が出てきた。

 ただ、白鵬の『間垣』株取得の動きを報じる記事が出ても、真に受けない角界関係者が多かった。それというのも、元・時津海の息子たちの存在があったからです。元・時津海の長男と次男は、5月場所の新弟子検査を受けて時津風部屋から角界デビューすることになっていた。だから、元・時津海としては、時津風部屋の意向に反してまで、年寄株を白鵬に渡すことはできないだろうと考えられていた」(協会関係者)

 そうしたなかで、5月場所を前に関係者を驚かせる出来事が起きた。元・時津海の長男・坂本一博と次男・正真が新弟子検査を経たうえで、時津風部屋ではなく立浪部屋に入門することになったのである。

「これによって元・時津海は、時津風部屋に対して気を使う必要がなくなったと考えられる。白鵬の『間垣』株取得の情報がにわかに真実味を帯びてきた」(後援会関係者)

 もちろん年寄名跡を継承するためには、年寄資格審査委員会で承認を経て、理事会で最終承認を得る必要がある。「このハードルは高いが、協会ナンバー2の尾車親方(元大関・琴風)が来年4月に65歳の定年を迎えるのをはじめ、来年の理事選では執行部のメンバーが大幅に若返ると見込みだ。八角政権も継続できるかわからない」(担当記者)という状況が、白鵬に追い風となる可能性もある。相撲協会と白鵬の“大一番”は、土俵の外で本番を迎えることになる。

422名無しの元横綱稀勢の里ファン:2021/05/28(金) 13:02:40 ID:vznsBJGU0
白鵬窮地…照ノ富士と貴景勝に7月場所後横綱同時昇進の目
公開日:2021/05/25 06:00 更新日:2021/05/25 06:00
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/289547

 51年ぶりの奇跡が起きてもおかしくない。

 大関照ノ富士(29)が自身4度目の賜杯を抱いた大相撲5月場所。昨年11月場所千秋楽と逆の立場とあって、対戦相手の貴景勝(24)と共に思うところはあったはずだ。

 当時は星の差1つで追う照ノ富士が本割で貴景勝を撃破するも、優勝決定戦で土。今回は追われる立場となった照ノ富士が本割で敗れ、再び“延長戦”に持ち込まれた。今場所「16番目」の大一番は互いに警戒してか、はたきの応酬。それでも最後は土俵に追い詰めた照ノ富士がはたき込み、賜杯を手にした。

 前回の大関時代には一度もなかった優勝。師匠で審判部長の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)も「次の7月場所は綱とり? 当然、そうなる」と話している。

 照ノ富士自身も優勝インタビューでは、

「できたらできたでいいんで、できなかったらできなかったでいいんで、最後まで自分の力を(振り)絞りましたと胸張って歩きたいです」

 と決意を口にした。

 とはいえ、優勝同点の貴景勝も内容次第では昇進の可能性はある。横綱の昇進基準は「2場所連続優勝、あるいはそれに準ずる成績」。あくまで基準であり、原則から外れたケースも多々ある。例えば稀勢の里(現荒磯親方)は昇進直前2場所は優勝次点、優勝。さかのぼれば北勝海(現八角理事長)も優勝、優勝次点。大乃国(現芝田山親方)は2場所連続で優勝次点だった。

 横綱の同時昇進も、過去に数例ある。前回は51年前、1970年の北の富士と玉の海。「柏鵬時代」を築いた大鵬と柏戸も、横綱昇進は同じ61年11月場所だ。

 照ノ富士は両ヒザのケガに懸念があるとはいえ、横綱候補が出てきたのは間違いない。となると、いよいよ不要論が持ち上がってくるのが横綱白鵬(36)だろう。


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