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早実用語の基礎知識
1
:
大河
:2002/08/21(水) 19:16
早稲田実業学校に纏わる言葉を集めて見ました。
間違いの指摘や新語の加筆など、是非々々ご参加下さいませ。
2
:
大河
:2002/08/21(水) 19:18
【挨拶】(応)「失礼します!」「(用件)」「失礼します!」と叫ぶ。部員以外は聞き取れない。
【稲穂祭】(般)早実の文化祭のこと。/(応)早大応援部のステージのこと。秋の早慶戦の前に行なわれる。
【裏穂祭】(般)稲穂祭パンフレットのパロディー小冊子。漫研発行。1日半で作るため徹夜作業であるらしい。最近は見かけない。
【エール】(応)試合前・7回攻撃時・試合終了直後に母校と相手校の健闘を祈り、または称えるために行なう声援。右手を高く掲げ→右腰→左腰→右腰→上の順に振りながら「フレフレワセダ」「フレフレ○○(相手校名)」と送る。 [同]エールの交換
【臙脂】(般)えんじ色(DarkRed)。早稲田大学、付属校、系属校共通のスクールカラー。しかしながら本当のスクールカラーは海老茶(ReddishBrown)であったりする。
【演芸】(応)六旗の集い等、主にステージの幕間で行なわれる一発芸のようなもの。下級生の晴れ舞台。内容より勢いや風貌で笑いを取ることが多かったりする。
【OB】(般)卒業してから年を重ねるごとに愛校心が強くなる。
【應援委員会】(応)男子リーダー部員の組織。「逞しい根に美しい花を」を信条とし二千余名の早稲田実業生の栄光のために日々精進している。最近部員不足気味ではあるが、精鋭揃いである。中途入部も可(←ここ重要)。
【応援歌】(応)第一応援歌「紺碧の空」に始まり、「若き力」「伝統の旗」「VivaWaseda」「早稲田健児」などがよく歌われる。他にも数々あるが残念な事に「勝利の歌」は伝えられず、その名が残るのみである。
【応援曲】(応)日本一有名な応援曲「コンバットマーチ」を始め「大進撃」「タイムリーマーチ」「スパークリングマーチ」「ダイナマイトマーチ」など名曲目白押しである。
【落とし】(応)リーダー動作のひとつ。「そらー」「よいしょー」等の掛け声とともに四股を踏む。
【下級生】(般)(応)昔は日々パシらされていた。今は大切に育てられている。が、雑用係。時折出番有り。
【学生注目】(応)「学生注目!」の掛け声で始まるリーダーと学生(観客)の掛け合い。客席を盛り上げる為に行なわれるが、苦笑が漏れる時も。学生からの応答は「なんだー!」と「そうだー!」の2通り。学生でない方々も注目して頂きたい。小道具を持ち出したり、水をかぶることもある。 [略]学注・がくちゅう
【学帽】(般)着用の機会は減ったが、愛用者も多い。帽子の鍔を2ツ折にすると格好良いとされる。
【カナリヤ】(般)キッチンカナリヤ。カレーとスタミナライス(マーボ丼)の店。今は無い。
【幹部】(般)大成会・委員会における3年生部員のこと。幹部になると役職が付く。
【帰宅部】(般)大成会帰宅部のこと。最も長い歴史を誇り、どこよりも多くOBを排出しているが、OB同士の繋がりは無い。球場で会いましょう。
【黒ボタン】(般)早実の詰襟用のボタンで、金ボタンをさらに黒く燻してあり、重厚感が漂う。早稲田のタバコ屋で売っているが校地移転で売れなくなったらしい。まだ売ってるよ。
【慶応】(般)慶應義塾大学とその付属校の総称。早稲田の永遠の好敵手。95年夏には早実(東東京)、塾高(神奈川)ともに地区大会決勝戦まで勝ちあがり「甲子園で早慶戦か」と騒がれた。ちなみに慶応では慶早戦と呼ぶ。
【校旗】(応)早稲田実業学校では(他校で言うところの)応援団旗のことも学校旗と呼ぶ。校旗手は詰襟・学帽・白手袋着用が義務付けられている。現在「大校旗」「白穂旗」「大河旗」等がある。 [系]校旗礼・校旗付き
【校旗付き】(応)学校旗を運搬、搬入し、組み立て、校旗手が掲揚するまでその腕のなかで学校旗を護る。校旗掲揚の際は校旗手の後方に控える。主に下級生の役目。詰襟・学帽着用。「校旗、お願いします!」
3
:
大河
:2002/08/21(水) 19:19
【甲子園】(般)阪神甲子園球場のこと。またそこで春、夏に行なわれる高校生硬式野球の全国大会のこと。春は紫紺、夏は深紅の優勝旗を目指す。最近縁遠い。
【鼓手】(応)太鼓を叩く担当のリーダー。
【紺碧の空】(般)日本中のあらゆる歌の中でもっとも数多く歌われている歌(のべ回数では本当にそうだという話も)。稀代の名曲。
【サイン】(応)(吹)校歌、応援歌、応援曲など、次に演奏する曲目を指先や動作によって周囲に知らせる行為。球場では声が聞こえ辛いのでそうする。應援委員会と吹奏学部とではちょっと違っている。 [系]指示出し
【紹介】(応)応援委員下級生による自己紹介、校旗入場時の校旗手紹介などでは学年氏名の他、出身校も紹介する。出身校が名乗られたら「名門!」と大きく掛ける。
【ジジ方面】(般)地下鉄東西線早稲田駅における西船橋方面ホームのこと。馬場方面の反対の意。鶴巻早実生にのみ通用する。
【下敷き】(応)早実校歌、応援歌の歌詞が印刷してある。表裏は赤と青に塗り分けられており球場での応援時に時々登場する。炎天下ではうちわとしても活用される。試合後は持ち帰らずご返却ください。
【勝利の歌復活委員会】(応)勝利の歌を覚えていそうな先輩方等から鼻歌でもいいから聞き出し、復活させようという無理・無駄・無謀なプロジェクト。ただ今委員は一人。
【神宮球場】(般)明治神宮野球場の略。東京六大学野球の為に建設された。早実の校地移転に伴い、ホームグラウンドから約束の地へと変わってしまった。
【スーザ】(吹)スーザホーンの略。マーチングバンド向けに生まれた楽器で、肩の上に大きな朝顔型のホーンが乗っている。重そう。ブラスバンドの花形である。
【スタンツ】(チ)チアリーディング競技の技で、ベースがトップを持ち上げ支える技。肩車したり、肩の上で立ち上がったりとバリエーションは様々。2〜4人で行なうパートナースタンツからスタンツを複数組み合わせたピラミッドと言う大技にも発展する。 [系]ピラミッド
【スポット】(チ)チアリーディングにおける役割のひとつ。トップの人の安全を確保するためベースに指示を出し、一緒に支える。 [同]スポッター [系] トップ/ベース
【センター】(応)センターリーダーの略。野球応援においてその回をまかされたリーダーは表・裏、攻撃・守備とステージに立つ。攻撃時には学注→応援歌指揮→チャンスパターン→得点へとワセダを導く役割を担っている。
【早実】(般)早稲田大学系属早稲田実業学校の略。我らが母校。昔は都内三大喧嘩校の一つだった。エリート私立学校のはずだが、めちゃくちゃ貧乏くさい。赤いマーカーと緑の下敷きで早稲田大学へと上り詰める。
【早実バッグ】(般)5年ほど前から都内の女子校生に大人気の早実グッズ。最近下火になってきた。校章部分をマーカーで塗る事により無限のバリエーションを楽しめる。
【大河旗】(応)「たいがき」平成13年に早稲田実業学校創立百周年を記念して卒業生の好意により作られた学校旗。最も新しく、最も揺るぎ無いとされる旗。
【太鼓】(応)東京都大会では使用を制限されている為、球場では甲子園までお目にかかれない。稲穂祭や六旗の集いで見ることができる。 [系]鼓手
【大校旗】(応)数ある学校旗のなかでも最高格の旗。最も大きく、最も荘厳であるとされる。
【ダイちゃんギャル】(般)荒木大輔選手の追っかけをしていた元少女達。今でも早実が甲子園に出ると、子連れで見に来てくれているらしい。
【チア】(チ)チアリーダーの女子部員のこと。またはチアリーディング応援のこと。チアリーディングという競技スポーツもあり、活躍の場は年々拡がっている。ダンス部やバトントワリング部がチアリーディングをすることも多い。
4
:
大河
:2002/08/21(水) 19:20
【地下食】(般)早実鶴巻校舎のなかで、LL教室と並ぶ治外法権な場所。決して中1は近寄ってはならなかった。 [系]カツカレー
【チャンスパターン】(応)攻撃時、特に出塁時におこなう応援。応援曲にコール、ファンファーレが組み合わされ観客席の興奮は最高潮に達する。ベーシックスタイルとしては、出塁→「ファンファーレ4」「大進撃」→2塁→「スパークリングマーチ」→3塁→「ファンファーレ1」「コンバットマーチ」→得点→「得点紺碧」となる。 [略]CP
【突き】(応)リーダー動作のひとつ。力強く相手を圧倒するテクニック。
【詰襟】(般)早実の男子指定学生服。 [同]学ラン
【鶴巻町】(般)新宿区早稲田鶴巻町。早稲田実業学校100年の歴史を刻んだ聖地。
【テクニック】(応)リーダーによる校歌、応援歌、応援曲の指揮のこと。型とも呼び、「元気よーく!」「そらー!」などの掛け声とともに両腕で指揮を振る。身体を大きく反らしたり、相手校に向かっての突きなども見られる。 [略]テク・リーダーテク
【東京六大学】(般)慶應義塾大学、東京大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学の六校。この六大学による春秋の硬式野球リーグ戦の人気は凄まじく、一時はプロ野球をも軽く凌いだという。
【東京六大学付属高等学校応援団連盟】(応)リーダーとしての技術向上などを目指し東京六大学付属・系属高校の応援団体で組織される。が、六系列は揃わない。 [系]六旗の集い
【得点紺碧】(応)得点が入ったときに歌われる「紺碧の空」のこと。隣の人と肩を組み左右に揺れ動きながら歌うもので、このときの早実生は世界で一番輝いている。 [略]点紺・てんこん
【トップ】(チ)チアリーディングにおける役割のひとつ。名の通り、主に持ち上げられて演技する。スタンツ、バストスなど怪我と隣り合わせながら、チアの花形。体重や身長で諦めなきゃならない子も多い。 [系]スポット/ベース
【トレーナー】(応)應援委員が真夏の応援時に詰襟を脱ぎ、着用する。メッシュ素材で出来ている。
【白穂旗】(応)「はくすいき」最も美しく、最も華麗であるとされている学校旗。
【バクセン】(応)バックセンターリーダーの略。応援席の最上段からセンターリーダーの指揮を写し、グラウンドに背を向けている部員に指揮する。
【バストス】(チ)バスケットトスの略。チアリーディング競技の技で、数人のベースがトップを跳ね上げ、空中で回転したりトゥタッチしたりする。
【VivaWaseda】(応)応援歌の一つだったが、ここ最近CPに取り入れられている。大量得点を挙げた時や勝負が決まるほど点差をつけたときに歌われる。「ビ!バ!ワセダ!」の歌声とともにメガホンを掲げて全観客・生徒が飛び跳ねるその様は、新しい早実応援のトレンドとなっている。
【ピラミッド】(チ)チアリーディング競技の技で、クライマックスに登場する大技。複数のスタンツの組み合わせにより、山型やW型のシルエットになる。高さでは「ツー&ハーフ」が一番。
【部員章】(応)早稲田実業学校應援委員会が発足してから今日まで形を変える事無く継承されている。スクールカラーの臙脂と純白で染め抜かれた表面には「早稲田実業学校 應援」と銘が打たれ、その裏面には初代部員から現在の部員に到るまで通し番号が刻まれている。入部して一年間の苦楽を伴にした者にのみ渡される。
【プシー】(般)早実生特有のブーイング表現。今だに受け継がれているらしい。いつから始まったんだろうか。
【ブラバン】(吹)ブラスバンドの略。大成会吹奏楽部のこと。昭和10年創部。女子生徒の入学で部員数も倍増したらしい。 [略]ブラス
【ベース】(チ)チアリーディングにおける役割のひとつ。スタンツ、バストスなどでトップを支える。 [系]スポット/トップ
【ベルシェイク】(吹)ブラスバンドが、楽器を左右に振りながら演奏するテクニック。得点紺碧の時などに見られる。
5
:
大河
:2002/08/21(水) 19:20
【本庄】(般)早稲田大学本庄高等学院のこと。早実生もかなりのものだが、彼らの点紺時の暴れっぷりたるや早実生でもかなわない事多々有り。
【マナー】(応)エール時は脱帽。タオルも日傘もしまう。相手のプレーに対して「落とせ!」とか「打つな!」とか言わない。点紺は立って一緒に歌う。負けても愚痴らない。それが嫌なら学生席から離れる。つまりはそういうことです。
【まんが堂】(般)まんが市文化堂。貸し本とファミコンとジャンプ早売りの店。早稲田にあったが今は無い。早高生との交流の場。
【都の西北】(般)早稲田大学校歌。/(般)移転後の早実も含め早稲田大学関係の学部、学校は全て都から西北の方角に在る。
【メガホン】(応)球場で応援時に用いる。「ビバワセダ」の時、最高の威力を発揮する。
【メドレー】(応)チャンスパターンメドレーのこと。F4から点紺へと流るる様はさながら上善、水の如し。
【メルシー】(般)早稲田にあるラーメン屋。煮干しだしでうまい。マニア多し。「モヤダイ2つ!」
【野球部】(般)言わずもがな、の我らが大成会硬式野球部である。明治38年に創部。全国大会出場回数第三位という日本を代表する野球部なのである。
【呼び掛け】(応)リーダーの指示の下、学生全員で選手や相手校に送る掛け声。「おーい!ワセダ!この回抑えて!コールドだ!」等と行なう。ブロックとも呼ばれる。
【リーダー】(応)應援委員会、男子部員のこと。
【礼】(応)エール時等に選手や相手校に敬意を表するため行なう行為。リーダーによる礼の他、校旗を垂れる「校旗礼」、楽器(主にスーザ)を垂れる「楽器礼」等がある。
【六旗の集い】(応)東京六大学付属高等学校応援団連盟の連盟祭。いつもは応援に徹している應援委員の晴れ舞台。近年は12月に大隈講堂で行なわれている。入場無料。ご来場お待ちしております。
【早稲田の栄光】(応)早実が優勝したときのみ歌われる歌。歌う機会は最近めっきり減ってしまった。校旗入場の際にも入場行進曲として演奏される。
【ワセ弁】(般)わせだの弁当屋。旧ほか弁。儲かるから独立した(下克上)。早稲田に在り、長く早実生の胃袋を任されてきた。学生のリクエストから生まれた「メニューにない弁当」を数多く生み出し、今なお愛され続けている。早朝5時までやっている。「おばちゃん!前ベスめんたい竹輪抜き!」
【腕章】(応)應援委員が詰襟を着用した際に左腕にはめる。一般生徒と混同されないようにするため。
6
:
mori
:2002/08/21(水) 20:27
お手伝いします。誤りがありましたらご指摘下さい。
7
:
mori
:2002/08/21(水) 20:28
【早稲田実業学校校歌】(校歌)
“都のいぬゐ”から始まる我らが校歌。
元々は6番まで歌詞があるが,現在は一部歌詞の変更が行われた上で1番2番のみ使用される。
作詞は「早稲田大学校歌」作詞の相馬御風氏,作曲は帝劇洋楽部部長などを歴任した永井建子氏。
【紺碧の空】(応援歌)
昭和6年,慶應義塾応援歌「若き血」に対抗して作られた早稲田大学及び早稲田実業学校の第一応援歌。
早実生が嬉しいとき,悲しいとき,勝負に勝ったとき,女にフラれたときに歌うとされる稀代の名曲。
作詞は当時高等師範部3年の住治男氏,作曲は当時日本コロンビア専属の古関裕而氏。
【若き力】(応援歌)
昭和32年,王貞治を擁する早実が選抜高校野球大会で初優勝したことを記念して発表された楽曲。
早実のオリジナル応援歌。
作詞は西沢実氏,作曲は「紺碧の空」作曲者の古関裕而氏。
【伝統の旗】(応援歌)
応援曲「若き力」「勝利の歌」と同時に発表された力強い行進曲。早実のオリジナル応援歌。
作詞は西沢実氏,作曲は元オペラ歌手で早実講師である館野信平氏。
【勝利の歌】(応援歌)
応援曲「若き力」「伝統の旗」と同時に発表された楽曲であるが,現在は用いられていない。
優勝したときにのみ歌われた楽曲であり,優勝から遠ざかるにつれて次第に忘れられていったものと推測される。
作詞,作曲,その他の詳細は一切不明。現在発掘作業中。
【早稲田健児〜情けは無用〜】(応援歌)
昭和53年発表の応援曲であり,早稲田の健児を奮い立たせる力強い楽曲。
“勇気を出そう”“敵をおそれるな”“ぶっつぶせ”などのフレーズが印象的。
作詞は前東京都知事の青島幸男氏,作曲は渡辺晋一氏。
8
:
大河
:2002/08/21(水) 21:10
なぜ大河旗が「最も揺るぎ無い」のかというと、その名の由来「国破れて山河あり、城春にして草木深し」(杜甫「春望」)より、何があっても揺るぎ無いものであること。と、実際この旗が、校旗中最も小さい=軽くて揺れない。という2つの点から来ているのです。
9
:
mori
:2002/08/21(水) 21:34
【コンバットマーチ】(応援曲)
昭和40年発表。当時不調に喘いでいた早稲田大学野球部を鼓舞するべく作られた名曲中の名曲。
プロ・アマ問わず,日本中で最も愛され歌われている応援曲である。
作曲は早大応援部出身で現土庄町長の三木佑二郎氏,及び早大応援部監督・本校吹奏楽部コーチを努めた牛島芳氏。
【タイムリーマーチ】(応援曲)
発表時期不明。「今だ早稲田」ともいう。
歴史は古く,早実では大進撃,スパークリングマーチ,ダイナマイトマーチよりはるか以前から使用。
荒木大輔世代にはお馴染みの曲だが,最近は滅多に用いられていない。
【スパークリングマーチ】(応援曲)
昭和5?年発表。発表以来,全く新しいタイプの応援曲として名を馳せる。
近年では“WASEDA”コール時のボード取りを巡り,野球部員の間で熾烈な争いが繰り広げられる。
本校吹奏楽部出身の内田氏が早大応援部時代に作曲・発表。
【大進撃】(応援曲)
平成2年(?)発表。ファンファーレ4と併用され,チャンスパターンの先陣を切る。
高野連の通達により,大学のコールから一部変更が施されている。
【ダイナマイトマーチ】(応援曲)
発表時期不明。「大生糸早稲田」ともいう。
重低音轟くメロディーと,チャンスパターン中どこにでも使用できる柔軟性から人気が高い。
【暴れん坊早稲田】(応援曲)
東京都予選では打楽器を使用が認められないため,本校吹奏楽部員が編曲を施す。
早実では平成10年度の応援でのみ使用されたが,その後用いられていない。
マイナー調で進む応援曲は珍しく,一部に復活を願う声もある。
10
:
大河
:2002/08/22(木) 00:15
【雨スライディング】(般)6月頃、鶴巻校舎内の校庭にて行なわれた行事。初夏を告げる風物詩だった。 [略]スライディング・雨スラ
【旗手】(応)学校旗を掲揚するリーダー部員。ただし、最高格の校旗は旗手長にのみ任される。
【早稲田大学】(般)西早稲田本校の他、大久保工業大学、戸山女子大学、所沢体育大学の四校を併せて高田馬場大学もしくは早稲田大学と呼ぶ。 [同]馬鹿田大学
11
:
森野彰廣
:2002/08/22(木) 03:26
タイムリーは昭和53年の春。ダイナマイトはその年の秋。
大進撃は昭和59年。実業で使ったのは昭和62年の夏から。
都内の高校では関東一高が1番早く使ったはず。
スパークは平成2年。まぁ単なるミス入力だと思いますが。
ダイちゃんギャルではなく一般的にはファンギャルといっていました。
さて。
落しによいしょーと言う掛け声はないです。
太鼓も鼓手という表現は旧応援部時代は役職としてありましたが
最近20年近くそういう表現は使いません。大学でも使いませんし云いません。
旗手と校旗付きはいつも学生服着用とは限りません。
また最高格の校旗とは大校旗の事かと思いますが、別に旗手長のみに任されている訳ではありません。
その時の状況判断ですし、現役や若いOBに間違った価値観を植え付けかねませんので
応援関連を書き込む場合は細心の注意を払って下さい。
12
:
mori
:2002/08/22(木) 03:46
>>11
森野さん
ご指摘ありがとうございます。
スパークと大進撃の発表年次をミス入力していました。
それにしてもタイムリーがこんなにも新しい曲だとは驚きました。
13
:
大河
:2002/08/22(木) 03:51
>>11
森野様、ご指摘有難うございます。
まだまだ思いつき次第書き足していこうと思っておりますが、間違いも多いと思います。
至らぬ点、ご容赦下さいませ。
14
:
MCNS
:2002/08/22(木) 16:09
懐かしいなあ。って言う事で私が覚えている範囲で補足しましょう。(森野さん:当方記憶違いあったら指摘してね。何分古い話しだから。)
1.下敷き:赤・青でパウチッコの様に下敷き化されたのは昭和56年から。それまでは赤・黄の配色で「歌集」と呼ばれていました。(直ぐにぼろぼろになってしまっていました。)従而、準優勝の時は赤・黄です。コンバットの時はこの赤面を球場に向けて振り、「光る青雲」2番の口笛の際は黄色面を球場に向けて振っていました。
2.トレーナー:学ランが東京都大会で禁止になったのが昭和54年夏からで、昭和55年に大学野球早慶戦で応援部が使用していた幹部セーターを真似て、トレーナーにて作成したもの。(実際は学ランより暑かったかも)その年甲子園出場に際し、父母の会の方々が「応援委員会が余り似も暑そうなので」との事で現在のメッシュのトレーナーを寄贈頂いたもの。
3.ナイフク:応援委員会がまだ人数も多くいた時代は、二年生には一試合毎にバクセン・ナイフク・太鼓の3つの役が割振られました。ナイフクは何の略かは不明。(場内副責任者なのかなあ?)要すれば今で言う呼びかけ、ソラ・ストライク、守備中の応援はナイフクが指揮をとり行なっていました。当時守備中応援は早稲田ウエーブ等の伝統ある応援や、4回守備中はブラスバンドの演奏(その際に応援委員会の下級生は集合で注意点等を指示受けた。その時にしか水分補給は出来なかったなあ。)、突き刺し攻撃等のウィットにとんだもの、又、ゲッツーチャチャチャやチャンチャンチャチャチャゲッツー等バラエティーに富んでました。→ 応援委員会入部希望者大歓迎
4.プシー:これは当方が中学部時代には既にあったので30年弱は少なくも続いていますね。
5.マナー:エール時には脱帽・タオルの他、サングラスも外してもらいました。又、学生席では裸の人には洋服を着てもらいました。
6.腕章:部員章がもらえる迄はエンジ一色で白抜きW文字。それ以降は上下に白の一本線が加わります。幹部は刺繍で第○○代主将 ○×▲見たいに役職と名前があります。
7.ダイナマイトマーチ:53年導入時はこれは守備中の応援曲でした。がーんばれ、がーんばれ、がんばれアーラーキの様にやってました。
8.ピン紺:ピンチの時はひたすら紺碧の空を歌いまくりでした。(略してピン紺)応援委員会の体力トレーニング以外の練習ではもっともキツイ練習だったかも。延々と1時間近く紺碧を場内拍手でやりつづけ、次第に今歌ったのが1番だったか2番だったか分からなくなってしまう。
9.タイムリーマーチ:当時は大進撃・スパークリングがなかった訳で、1・2塁位のチャンスにならないとコンバットに入らなかったので(コンバットはためにためて出した印象あり。よって古いOBはコンバットに思い入れあり。。今はVIVAだったりするのかな?)、その際の繋ぎとしてやってた記憶あります。当時は後半はコンバット同様の突きを行なっていましたね。
10.パターン:攻撃中は粗方のルールとして、ストライク」=かっとばせ早稲田、ボール=そらワッショイ(今は使ってない)、ファール=ソラかっ飛ばせ、ヒット=ソラ早稲田になってました。早稲田三唱、拍手ばく進(要は4拍子)はファールが続いたり、代打で時間が空いた時等に使っていた様な気が。(これ又今は使っていません。)攻撃開始時は「勝つぞ早稲田、かっ飛ばせ○△(バッターの名前)」でしたが、既にバッターがボックスに入っていれば「かっ飛ばせ○△」から始まる事も。(今にも言える事ですが、学生・観客がどう盛り上るかはパターンも大事だけど、柔軟な対応が必要。)
15
:
mori
:2002/08/22(木) 20:14
>>9
“スパークリング・マーチ”ネーミングの由来は笑えるのですが,ここでは自粛します。
>>14
“ダイナマイト・マーチ”が守備中の曲であったとは初めて知りました。
16
:
大河
:2002/08/23(金) 00:14
【今井洋服店】(般)早実の公式ユニフォーム販売店。 [系]テーラークボタ
【推力】(般)その昔、体育館に箱で積んであった飲み物。「ウィリー」と読む。バスケ部員が飲んでいたらしいが、その味はとても特長的だった。
【竿頭】(応)「かんとう」校旗の先端部分。金属製の三角錐。その形状は古代戦争時に自軍と敵軍の区別をするため、槍に軍旗を巻きつけ掲げた事に由来する。校旗搬入の際はお気を付け下さい。
【校庭】(般)鶴巻校舎の校庭は全ての学年、全ての教室から観える為、最高の舞台だった。雪の中でスライディングを試みた剛の者もいた。
17
:
あきもて
:2002/08/23(金) 01:20
現役大学生として一言。
早実の文化祭は「稲穂祭」ではなく「いなほ祭」でございます。
前者は大学早慶戦前夜祭の名称かと。
もう1点。ここ数年は幹部腕章をつくってないようです。なぜ?
最後に。
甲子園で9イニングの試合を行うにあたって、タイムリーマーチ、ソラワッショイなどバラエティ性が必要ですね。
良き伝統は残し、新しいものも取り入れていかなければなりませんね。
18
:
SKMCH
:2002/08/23(金) 11:17
MCNS様、森野様始め応援委員会OBの方に御願いいたします。
【勝利の拍手】についての説明コメントをこちらに書き込みしていただけないでしょうか?私と同期のリーダー長KNG君の勝利の拍手を初めて見たときに大変感動した覚えがあります。
勝手ながら宜しく御願いいたします。
>>管理人様、点紺等の正式版楽しみに待っています。
19
:
氏名無記入
:2002/08/26(月) 01:56
おしゃれ靴
20
:
MCNS
:2002/08/26(月) 12:46
SKMCH様
私は大分忘れていますので、詳しくは森野さんにお願いしましょう。
【伝統の勝利の拍手】乱打から始まり、「だんだんと強く」の掛け声にて大きな三つの盛上がり。その後は歌舞伎の弁慶から模した一拍子、それから二拍子・三拍子・四拍子と続き、勝鬨の声を上が、最後にに「勝ったぞ、早稲田」で締まります。因みに野次のポイントは1拍子の止まった時です。(笑)大学では早慶戦の勝利に際して行なわれていた筈。早実では都大会・甲子園等に優勝した際に行なわれるものと了解しています。(荒木君を擁して準優勝した時の準決勝では天候の関係で1試合になった為、勝利後この「勝利の拍手」を甲子園でもやりましたね。次回は本当に甲子園の決勝の後に見たいものです。
21
:
SKMCH
:2002/08/26(月) 13:00
>>20
MCNS様書き込みありがとうございます。
近い将来、甲子園の決勝の後に見られる事を私も切に希望いたします。
22
:
森野彰廣
:2002/08/28(水) 00:16
詳しくと依頼を受けましたので、拍手の訂正。
正しくは3拍子4拍子1拍子2拍子の順です。
ちなみに96年の夏は高校生に教えていませんでしたので、
優勝が決まっても神宮では行いませんでした。
現在は太鼓が使えませんので球場で見かけるのは難しいかもしれません。
六大学的に見ると早稲田の拍手は他の5大学に比べて
コンパクトでわかりやすいでしょう。
大学では2年の夏合宿で正式に教わります。
遠い昔。。。夏合宿夜練習。
汗だらだらで一拍子を静止しながら
蚊にバンバン刺されて
「一体なにやってんだ!俺たちは!!」
てなこともありました。
23
:
MCNS
:2002/08/28(水) 09:37
森野様 そうか。3 4 1 2の順だったなあ。Thanks lots!
24
:
SKMCH
:2002/08/28(水) 17:57
>>22
森野様、詳しい書き込み感謝いたします。
最近はお忙しいのでしょうか?それともまたアングラでの(?)活動中なのでしょうか?今度個人的にメールを送ります。
25
:
わせだ みのる
:2002/08/28(水) 20:45
<ツメボウ>
早実オリジナル学帽。
野球部・剣道部・柔道部の上級生御用達の特製学帽。(強制丸刈り運動部)
学帽のミズノで2千円ほどでつくりなおしてもらう。(S53年当時)
他校の学生はそのひみつを知らずにボンドで固めてヤキソバUFOの如きなり。
カッコワルイ事甚だし。
一昨年ミズノの奥さんと話をしたら、あの頃は早実の学生さんは見えないおしゃれが
得意でねえ。っとなつかしんでました。
当時は関東近県の野球部の学生は殆どが早実のまねをして円盤帽子を被っていましたが、
真相を知らずに気の毒なことをしました。
そうですよね、太夫さん!
太夫さんのツメ帽姿、アコガレましたよ。
26
:
大河
:2002/08/30(金) 17:55
補足
【メルシー】(般)早稲田にある喫茶店(←本当)。昭和33年創業。(巷の噂では戦前からやっており、昔はフランス料理屋だったらしい。なんて話も!)ラーメンは煮干しだしでうまい。オムライス愛好家にも評判だとか。マニア多し。「モヤダイ2つ!」
27
:
大河
:2002/08/30(金) 18:18
【カナリヤ】(般)軽食喫茶キッチンカナリヤ。カレーとスタミナライス(マーボ丼)の店。今は無い。97年の暮れにご主人が亡くなられ、99年の初春に閉店。(ご婦人の連絡先をご存知の方、いませんか?)早大応援部御用達の店。
28
:
森野彰廣
:2002/08/31(土) 00:35
カナリヤのおばちゃんの連絡先は知ってます。元気ですよ。
大学応援部が行くようになったのは何を隠そうあたしから。
っても早稲田実業時代から行ってたけど。
当時の下級生はあたしに会うのがイヤで全く近寄らなかった時も。
大学の練習終わってからいつも2杯食べてました。
食べながら耳の後ろをこするとジャリジャリしていて見るといつも塩吹いてた。。。。
と!云う事で!
明日都市対抗野球の応援の手伝いがあるのでもう寝ます。ZZZ
29
:
<削除>
:<削除>
<削除>
30
:
mori
:2002/10/20(日) 15:38
>>29
内輪ネタのようですので削除しました。
本スレは「定義集」なのですから,誰でも容易に理解できるよう配慮をお願いします。
31
:
mori
:2002/10/21(月) 21:44
【ビバ・ワセダ】(応援歌)
昭和51年5月29日,早慶戦試合前の神宮球場で発表。8ビートのリズムを主体としたラテン系の応援歌。元々は各回攻撃の始めに歌われる。
早実では平成8年度の応援から盛んに用いられ始める。同年の甲子園球場で全国デビュー。通常,試合中盤での大量得点や大逆転劇を演じた際に得点紺碧と併用され歌われるが,『早実生がやきもきする』くらいためて・ためて・ここぞ!というときに歌うと大熱狂すること受けあい。翌年,早実応援でも歌詞「ナインの闘志たぎる〜」が付される。
なお,「得点時での使用」及び「メガホンをVの字に突き上げる一連の動作」は当時応援委員会コーチであった森野氏が考案。早実生からの熱狂的支持を得て,その人気は早大応援にも波及する。
作曲は日本ラテン・ミュージック界の第一人者チャーリー石黒氏。後年,早大応援部監督・早実吹奏楽部コーチを努めた牛島芳氏によって作詞がなされる。
32
:
mori
:2002/10/21(月) 21:57
>>31
>>7-9
の應援歌・應援曲紹介でビバだけうっかり忘れていました。
なお,最近では「歌声とともにメガホンを掲げて全観客が飛び跳ねる」ようですが,
本来は「歌声とともにメガホンをVの字に突き上げる」です。
客席指導の應援委員は少ないですし,また流行は変わるものですから特に気にしておりませんが・・・。
ただし,私が球場へ行った場合,吹奏楽部におけるベル・アップ(楽器を上下に振る動作)時ではV字動作を徹底させています。
33
:
三城
:2002/10/21(月) 22:27
飛び跳ねながらメガホンをVの字に突き上げれば問題なしですね?
34
:
三城
:2002/10/21(月) 22:30
moriさん、“むこう”のスレに関するご回答ありがとうございました。
あっちのほうは、どう致しましょうか。
35
:
mori
:2002/10/21(月) 23:10
>>33
三城様
「Viva」とはイタリア語で「万歳(歓喜・祝福を表す語)」の意であり,
かつ,「Viva Waseda」の“頭文字のV”に着目してみると・・・・。
ご指摘の通り『飛び跳ねながら(つまりバンザイの最高形)メガホンをVの字に突き上げれば』バッチリであると思います。
以上,あくまで私の個人的見解ではありますがご参考までに。
>>34
うまく誘導されているようですので問題ないかと存じます。
基本的に「應援するページ」と「がんばって!」の読者は同じですので,
相互に補完しあえればよいと思っております。
36
:
ちゅう
:2002/10/22(火) 00:07
最近は…「精悍若き」「吼えろ早稲田の獅子」「光青雲」を吹く機会がないですね。
「ダイナマイト」は守備中の曲でしたが、守備中の演奏が禁止されちゃったんですよね。
昔は太鼓も使えたし…なんだか、規制が厳しくなってしまい寂しいです。
太鼓無しで応援をまとめる応援委員会は大変だと思います。がんばって下さい!
37
:
ちゅう
:2002/10/22(火) 00:09
「光る青雲」(「る」が抜けてました!)でした。すみませんm(_ _)m
38
:
のりべん
:2002/10/22(火) 00:50
とにかくがんばってくれ
甲子園なら応援はまかして
(選抜最後)
39
:
森野彰廣
:2002/10/22(火) 01:25
「がんばって」の補足。ビバについてですがあの曲は80年代後半、大学の応援席ではホームランを打ったり、相手校の投手交替時などに使う事が多く、私がまだ大学応援部の下級生の頃は守備中のバンド演奏で利用していました。
チア(その頃はバトントワラーズといっていました)がタンバリンを叩きながら客席の中段まで上ってくる振り付けで(と、いっても今の現役大学チアも知らないでしょうが)隠れた人気がありました。
88年に時の大学応援部主将がそれまでバンド演奏的な位置付けでリーダテクのなかったビバのテクを考案しました。ちなみにスパークもこの時、内田誠一郎の手で完成したんです。
ビバといえば当時の名物野球部員、萩原君を忘れてはいけませんね。飛んだりはねたりは彼がやり始めたかと。。。
この秋のスタンドの野球部の生徒君たちもノリがいいので好感もってます。
さて。こんどの土曜日。。。
澤本前主将の言葉を胸に秘め応援席一体となって応援してあげて下さい。
ちなみに未確認ですが球場関係者によると早稲田実業生が1000人応援にくるという話もあるようです。
どんなに長引いてもまず日没コールドは無いでしょう。
とても楽しみです。頑張って下さい。
40
:
大河
:2002/10/22(火) 06:11
【ひかる青雲】ひかるあおぐも(応援歌)
昭和24年発表。戦後の暗いムードを払拭しようと企画され,先に発表された慶應の“我ぞ覇者”に対抗する形で産声をあげた。
作詞は当時政経4年の岩崎巌氏,作曲は古関裕而氏。
球場では1,2,4番が歌われ,特に2番は口笛で吹かれるという斬新な応援歌である。
【精悍若き】せいかんわかき(応援歌)
昭和25年春発表。ひかる青雲に続き岩崎巌氏により作詞され,当時の国立音楽大学教授であった野村茂氏によって作曲された。
歯切れの良いリズムが学生に好評である。
【早稲田の栄光】わせだのえいこう(応援歌)
昭和27年,大学創立70周年記念行事の一環として制定される。
公募の中から岩崎巌氏の詞が選ばれ,芥川也寸志氏の作曲を得て誕生した。
早実においては“優勝した時に歌われる曲”と位置付けられている為,なかなか機会を得ず,馴染みの薄い生徒も多い。
また校旗入場の際に入場行進曲として演奏される。
【吼えろ早稲田の獅子】ほえろわせだのしし(応援歌)
大学創立85周年を記念し,早大春秋会(昭和初期のOB会)の好意で贈られた曲。昭和42年10月発表。
当時歌謡界で新風を巻き起こしていた永六輔(作詞)中村八大(作曲)の卒業生コンビによって作られる。
以上,歌集 楽曲解説より。
41
:
大河
:2002/10/22(火) 06:22
訂正
【早稲田の栄光】(応援歌)→(学生歌)
42
:
三城
:2002/10/22(火) 07:34
mori 様
いろいろと教えていただき、ありがとうございました。
本当は、こちらのHPに質問しようかと思ったのですが、どのスレに書けばいいか
迷ってしまい、わざわざ自分で【質問はこちらで!】等のスレを立てるのも気が
引けたもので・・。
43
:
SKMCH
:2002/10/22(火) 12:33
>>39
森野さんありがとうございました。
44
:
森野彰廣
:2002/10/23(水) 01:07
88年でなく89年だった。。。
45
:
mori
:2003/04/06(日) 00:24
フリー掲示板での投稿の保守。
【六旗の集い】
(1)
昭和38年に、明治高校の声かけで第一回目が開催されました。時の文部大臣をお呼びして盛大に開催されたとの事でした。
参加高は明治・法政・慶応・立教の付属高校でした。
当時、早実応援部は早稲田大学応援部と別のリーダーテクニックだったため参加要請を断念し、早稲田大学高等学院に打診した所応援部がなかったため早稲田の参加は見送られました。 (明治高校OB 高村光明氏談)
早稲田実業学校応援委員会による参加は、昭和51年2月に友情出演という形で参加したのが第一回目です。翌年から連盟校として現在に至っています。
以降現在に至るまで全国大会レベルの早実ブラスバンドの皆さんと応援委員の迫力のステージのお陰で我が校の貢献度は連盟一であったと自負しております。
余談ですが、
昭和30年代前半の早実応援団時代の方たちからお話を聞いたところ王主将率いる早実硬式野球部との無念の決勝戦で有名な明治高校や日大の付属高校の応援団とは大変仲がよく濃密なおつきあいがあったそうです。・・・・?
尚、その頃の早実応援団より明治大学応援団へ入団された方でリーダー長をおつとめになったOBが一名、副団長の方が一名、そして法政大学応援団 副団長の方が一名いらっしゃいます。
野球のみならず応援の世界でも昔から早実ってリーダーだなあと思います。
まだ私も知らないことが多いので関係者の補足投稿をお待ちいたします。
ヨロシクお願い致します。
(2)
「六旗の集い」は東京六大学付属高等学校応援団連盟という組織がありまして、この連盟主催の応援披露会と言えます。20年前の概要は応援披露(早実、明大明治、明大中野、立教、慶應各応援部・団)と慶應女子校バトンの友情応援の他、六大学とは無関係の他校応援団・バトン部の友情出演、更には芸能人なんかも呼んでそれは結構派手な催しでありました。因みに法政は一時期友情出演があったと聞いています。(芸能人は夜間部に芸能人が通っている明大中野さんのご厚意により廉価にてご出演頂きました。当方が幹部の時には三原順子さんが出演しました。)
今の学生には応援は流行らないらしく、応援団自体が無くなってしまった学校もある様で、その規模は大分小さくなったと思います。他体育会部局が主役の神宮・甲子園・国立等とは異なり、応援委員会が縁の下の力持ちから主役となる日でありまして、司会進行等非常に面白いので是非ともお暇な方はお立ちより下さい。又、早実は決して応援委員会がなくならない様に、皆々様の温かなる御支援と御声援を宜しくお願い申し上げます。(部員大募集であります。)
46
:
mori
:2003/04/12(土) 12:08
>>31
>>32
>>35
>>39
の補完情報。もりもり商店さん著
確かに早稲田実業においてはビバは96年の夏から多用しました。近江の時は使ってましたよ。
96年は応援委員会が、みな初心者で体力もなく人数も少ないと言う事でリーダを振りつづけるのが大変だった点と、早稲田実業は得点がたくさん入るし、高校生のノリにあうだろうと云う事でビバを頻繁に使う事にしたんです。
実際は87年に都江戸川に負けた試合でもビバを使っておりました。
V字メガホンは96夏の初戦の学芸大戦で一般生徒の動きをヒントにVを作る事にしました。その夏は父母の会の皆さまに「あたし達ったら、ビバをフィーバーと勘違いしてましたのー♪ほほほほほ」といわれて大笑いした事もありましたが、メガホンの上げ下げと向きは皆さん完璧でした。
「ビ」で外野側に「バ」でホーム側にメガホンをVの字にあげるのがホントは綺麗なんですね。世田谷学園戦ではみなさん上手くやってください。
甲子園行きたいですね。みなさん頑張って応援してあげて下さい。
47
:
氏名無記入
:2003/07/19(土) 20:59
>4 名前: 大河 投稿日: 2002/08/21(水) 19:20
【地下食】(般)早実鶴巻校舎のなかで、LL教室と並ぶ治外法権な場所。決して中1は近寄ってはならなかった。 [系]カツカレー
懐かしい、LL教室。中場先生はまだ、ご健在ですか?
新しい、校舎は行った事無いです。
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