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【早実】名勝負・思い出の試合を語る【感涙】

1甲子園に忘れ物:2002/05/04(土) 17:24
負け試合ほど印象が強い。
96年甲子園2回戦「三重海星」。
9回のサヨナラホームランが忘れられない。
自分の早実野球好きはこの試合から始まった・・・。

47大山戦は:2007/10/01(月) 00:09:42
平成2年。つまり90年。43で 話題に上った帝京戦の次の試合4回戦。
余裕こいて臨んだら トンデモナイ試合に!!帝京に勝って都立に負けたらどうなのよ??といった感じ。
(当時は今のように都立がソコソコという時代ではありませんでした)
あの年は初戦城西 次岩倉 で帝京。
組合せを見た瞬間「なんつーくじ!」と思いましたが。
で 最後は当時強かった修徳に準決勝で玉砕するのですが
新聞には「古豪復活」とか「早実台風の目」と注目の的でした。
って ココのところ 丁寧にお問い合わせに答えすぎなアタクシ。40も46もだしね。

わからなければ 図書館行ってでも
調べてきますので
お気軽にお問い合わせを〜。

さてさて
誰か 都立八丈に負けそうになった
あの試合。観戦していた方いたら
フツーの人がどう感じていたか 書き込みして欲しいです。

48銀鎚男:2007/10/01(月) 03:06:20
平成2年の夏が話題となっておりますが、個人的には帝京戦の前の岩倉戦が思い出深いです。
この時は下馬評が圧倒的に不利でしたが、打ちあいの末に確か8-6で勝ったと思います。
(実を言うと、当時高3だった妹の中学での同級生が岩倉でクリーンアップ打ってまして、彼の高校時代の最終戦になったために妹にひどく恨まれたのがほろ苦くも懐かしい思い出です。)

49平成2年のチームは:2007/10/01(月) 07:49:06
秋の大会で準決勝で関東一高に負け、春の大会は第2シードでありながら、関東高校に負け、夏はノーシードでした。
47さんの書かれているとおり、最悪?の組み合わせで、48さんも書かれています岩倉高校は前年度の東京都準優勝校(優勝は帝京)でした。
帝京後の都立大山は確か9回2死まで負けていたと思います。そこからHRで同点。満塁策のときは、相手の4番と勝負したはずです。

50ありがとうございます。:2007/10/01(月) 08:27:42
大山戦についてお尋ねしたものです。
ご回答を賜りありがとうございました。
海城高校との試合と同じくらいのピンチだったと記憶していました。
あまり話題になったことはありませんでしたが和田采配と高校野球逆転の醍醐味を堪能した一戦でした。

52氏名無記入:2008/06/04(水) 22:30:37
>42
平成4年秋都大会準決勝
早稲田実業 100 206 1 =10
世田谷学園 420 008 × =14 (7回裏2死、日没コールド)

>40
昭和62年秋・準決勝
早実 000 002 010 01=4
修徳 001 010 001 00=3

>46
>86年の夏 準々決勝 
早実 000 010 000 002=3
帝京 001 000 000 000=1
>81年の秋 準決勝
早稲田実 001 213 000 00=7
日大第二 012 030 001 00=7(引分再試合)
>93年夏 準々決勝
早実 031 010 110=7
帝京 002 040 002x=8

53Aさん:2008/06/21(土) 11:38:27
どのスレに書き込みするか、迷いましたが、名勝負を何回もして5季連続も
甲子園へ行った先輩の話題ということで、ここに書きます。
今朝の朝日新聞朝刊に”甲子園夢トーク、憧れ”の中で甲子園出場が叶わなかった選手として古田敦也さんと小宮山悟さんの対談が載ってました。
私のヒーローで二人共に荒木大輔の名を挙げています。
小宮山「ドンピシャの世代。激戦区の東東京で5季連続出場なんて、今じゃあり得ない」この小宮山さんは早稲田入学のために2浪したそうですね。
古田「一歳上。東京から男前のすごい
やつが甲子園に来たみたいな感じだったので」
古田さんは対戦したい相手に斎藤佑樹の名も挙げています。

この他、甲子園出場がかなわなかった主な選手に野村克也、長嶋茂雄、星野仙一、落合博満、野茂英雄、上原浩治、青木宣親などなど・・・
やはり甲子園出場出場って大変なこと。先輩達はすごい記録をたてたものです。

54おっさんOB:2008/06/21(土) 12:54:48
私の近年で最も印象にある試合は、2000年夏の東東京大会準決勝の日大豊山戦です。一方の試合では国士舘vs東農大一で、私の友人の息子さんがベンチ入りでした。
早実vs日大豊山では、6-3でリードした9回表に道正くんの制球が甘くなり同点に追い付かれたんですよね。
10回表には2点を勝ち越され、物凄い死闘となったのはその裏。堀内くんらのヒット等で1アウト満塁のサヨナラのチャンス。3番星野くんがフライを上げて2アウト。
面白かったのは次の4番米田くんのときに「一見勝負をしているかのように見える押し出しの敬遠」でした。相手投手の加藤くんも息が上がってましたが、わざと1点差にしてまで秋山くんとの勝負を選んだようです。もちろん一打サヨナラの場面。
秋山くんはその日本塁打を放っていましたが、全体的に加藤くんにタイミングが合わず、むしろ米田くんが3安打と当たっていたから敬遠を選んだのでしょう。
秋山くんはショートゴロに倒れてしまいました。
試合終了間際の土壇場で同点にされ、延長で勝ち越された後での白熱した戦い。あの駆け引きはすごかったです。あれほど手に汗握ったのは初めてかもしれません

55おっさんOB:2008/06/22(日) 03:03:05
連続になってしまいまして申し訳ございません。
Aさん、私も朝日の記事読みました。古田氏と小宮山氏が揃ってヒーローに荒木大輔の名を挙げていることに嬉しく思いました。西東京、東東京共に強豪校が集まるが故に、5季連続甲子園出場は偉業ですよね。それだけ荒木大輔の力、打撃の力が圧倒的だったということです。
そして、Aさんおっしゃるように古田氏が対戦したい選手に斎藤くんを挙げていましたね。古田ほどの打者と今の斎藤くんがプロで鉢合わせていたらどのようなドラマになったか。まだアマチュア野球にいる斎藤くんがプロの代表的な捕手であった古田氏に名前を挙げてもらうなんて、斎藤くんは本当にすごい。実力を認められているということなのでしょうね。
上原、青木、長嶋氏、星野氏など、球界トップクラスの選手でも甲子園ならず、ということはやはり甲子園は夢の夢なのですよね。ある1、2人が優れていても甲子園は非常に難しい。その点で、近年で言えば96年、06年のチームは、才能のある子たちが本当に努力をした証ですね。

56中等部2年父:2008/06/29(日) 15:22:05
はじめまして。
甲子園物が大好きな中等部2年父です。
さて、今月から朝日新聞が「週刊甲子園の夏」を発売。
01号KKコンビ、02号松坂に続き、
03号はいよいよ早実・斉藤祐樹君VS駒苫・田中のエース対決を再現しています。
また、09号荒木大輔、彗星デビュー。
13号熱投快打、王貞治。
と続きますのでお見逃しなく。

58ジャマーズ:2009/05/12(火) 10:52:55
連休中の新聞を整理していたら掲載があったことを思い出しましたので
紹介しておきます

5/6(祝)日本経済新聞(最終面)交遊抄
菅原一秀先輩(衆院議員、S55卒)のコラム「努力と思考の礎」

今から30年前。甲子園の常連、早稲田実業の野球部に入った私は〜
当時「早実地獄」と呼ばれた厳しい練習〜
同期の和泉監督にもふれられていらしゃいます

早実野球部から学んだ努力や思考の大切さ、と結ばれています

59:2009/07/23(木) 18:45:23
97年の決勝について校外からの感想がありました。
http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000010907010001

大会中なのでsageで。

60SHOCKBARカラット:2009/07/27(月) 23:27:37
増田兄弟(二人とも少年野球部出身)の弟さんがエースの代(平成2年?)で、
絶対不利と思われていた帝京高校に10−9の激闘で勝利。
スコアだけみると打撃戦ですが、私が観戦していて一番感動したのは、増田投手の粘投でした。
当時の帝京高校は手のつけられない超強力打線で、都内で10点以内に抑えられる投手は皆無でした。
その帝京高校を相手に、打たれても打たれても一球一球丁寧にガマンの投球を9イニング続けて大崩を防ぎました。
スコアは10−9ですが、私の感想では、まさに増田投手のガマンの投球が一番光った試合でした。

61ALY:2009/07/28(火) 00:58:28
>>60
あの時の勝利は、まだ準々決勝くらいだったはずですが、スポーツ新聞の裏1面を飾ってましたね。

同じように我慢比べの試合ということでいえば、和泉監督就任後にエース村上君を擁して決勝に進出した95年夏。
惜しくも13対15で負けてしまいましたが、今ほど戦力が揃っていないチームでタレント軍団の帝京相手によく粘りました。

この敗戦があったこそ、96年夏、野口君、曽根岡君、長島君を擁して、決勝で国士舘に8対6という粘り勝ちしての久しぶりの甲子園につながったんだと思っています。

翌97年夏は比留間君を擁して、決勝まで進出しましたが、惜しくも、岩倉に12対14で負けてしまいました。
結果的には負けてしまいましたが、この試合も4回裏に岩倉に5点取られた直後の5回表に6点を取り返すという粘りがありました。

最近のチームを見ていると、この頃の粘りや執念、選手ひとりひとりが頭を使ったプレーや、チームとしての一体感が見られないかなと思います。
選手の気質が変わってしまったということもあるかもしれませんが、あのころの粘りの豪打が好きだったので、和泉監督には、またああいうチームを作って欲しいと思います。

62こけちゃいました:2009/07/28(火) 03:14:38
確かに全国制覇にはずば抜けた投手力も必要なのかもしれませんが、あの頃のように、5〜6点取られてもまだまだいける!と思える粘り、執念があれば、試合の流れを再度自分達に引き寄せることができるのではないかと思います。

コーチとか他地区からの掘り出しとかよりも、まずは現有戦力の強化をしてほしいですね。

63OB:2009/07/28(火) 09:35:26
平成2年の早実対帝京の試合は準々決勝ではなく、ノーシードから城西、岩倉と勝ってのまだ3回戦です。
新聞がほとんど取り上げてました。

64氏名無記入:2009/07/28(火) 12:06:43
平成2年夏の戦い振りは、僕も大変印象に残ってます。
最近のように、中学時代に実績を残した特に優秀な選手が集まったわけではなく、まとまり、根性、勢いで勝ち進んだチームでした。
初戦城西、2回戦岩倉ともに甲子園経験校で、3回戦が前年全国制覇の帝京と、そこまでで、どこに敗退しても決しておかしくない実力でしたが、まさにど根性野球で、感動を与えてくれたチームでした。
特に帝京戦は乱戦の末の勝利で、増田投手の気力のピッチングに痺れました。終了後の挨拶で、敗れた帝京の選手が余程悔しかったのか早実の選手達を物凄い形相で睨みつけていたのも記憶に残っています。
その後、都立大山、正則学園と勝ち進み、準決勝で修徳に「刀尽き矢折れる」といった形でコールド負けしましたが、当時、他の強豪校に比べ決して恵まれているとは言えない状況の中で大健闘の大会でした。
こんなチームは心底、応援したくなりますね。

65S61年卒:2009/07/28(火) 21:09:35
95年の帝京戦は忘れられないです。現地で応援していましたが、決勝進出も13年ぶりでしたよね。万年準決勝どまりなんて言われてずいぶん悔しい思いをしましたよ。

あの時の帝京の前田監督は、優勝インタビューで早実の粘りは素晴らしいですねと連発していました。最後の打球も抜けていれば、同点に追いついたところでしたよ。相手の確かセンターに好捕されました。村上君も連投だったんですよね。よく投げてくれましたよ。

そこから、三年連続決勝進出もすごいですよ。

96年は、14年ぶりの甲子園。
このスレッドにもありますが、三重海星戦、私は、甲子園のネット裏で見ていましたよ。最後のサヨナラホームラン、忘れられません。その瞬間、セカンドの守備についていた野口君が崩れ落ちたのも忘れられません。

サヨナラのとき、後ろのほうにいたおっさんが「早稲田なんか怖くないぞお!!」と叫んでいたのを、にらみ返したことも忘れられません。

初戦の近江高校戦も見に行きました。予選に故障で投げられなかった野口君の躍動するピッチング、忘れられません。
リリーフした曽根岡君のパーフェクトリリーフも忘れられないです。

こうした早実野球の歴史の積み重ね、が好きなんです。

荒木投手のあと、一時期スポーツ推薦やめたようですよね?そのなかで、常にと言っていいほど、上位に食い込んできたのは素晴らしいですよね。

私は、S61年OBとして、胸を張れます!
五期連続甲子園出場等で沸かせた荒木投手と入れ替わりで入学しましたので、14年ぶり夏の甲子園出場は死ぬほど嬉しかったです。

三年前の夏の全国制覇、感涙したのは言うまでもありません!!

66氏名無記入:2009/08/01(土) 04:02:49
平成2年夏の帝京戦は熱かったなぁ。
早実は4試合連続ホームランの田中や増田など、中等部あがりが結構活躍してました。
帝京のショートが小学校時代の同級生だったんだけど、そのショートのエラーが試合を決定づけた事もあって微妙な心境でした。

67氏名無記入:2009/08/02(日) 13:26:20
中等部ではなく、中学部ですね。
当時は。

68氏名無記入:2009/08/02(日) 16:23:09
あの頃はまだシニアとかは今ほど活発でなかったので、少年野球部出身が主体でも、勝負できたんですよね。
今は野球がうまい子は中学から硬式にながれるので、厳しいですね。
早実でも少年野球部に入らないで、シニアに入る子が結構いるとか

69氏名無記入:2009/08/03(月) 09:06:09
http://hb-nippon.com/blog/braban/archives/25

帝京OB、杉谷くん記事です。
あの神宮第二の大逆転試合の大進撃の
恐ろしさを語ってます。
高島くんもこれでKOだったそうで。
確かに凄かったですね。

70氏名無記入:2009/08/03(月) 10:38:13
神宮第二は屋根があって音が反響するので、更に迫力が三割増ですよね。
昨年の明大中野なんかも、あの初回の押せ押せの応援で、一気に意気消沈してしまった感じがします。
皆さんの応援で、秋も他高を圧倒しましょう。

71氏名無記入:2009/08/03(月) 10:52:21
杉谷君、紺碧と勘違いしてるかもしれないですね。
大進撃は今や定番ですし、早実の大進撃が特に凄いって感覚はあまりないですね。
それよりみんなが立ち上がって、肩を組んで左右に揺れる紺碧は、何か追い詰められる感じがして相手からしたら嫌でしょうね。

72Ginkakusi:2009/08/03(月) 19:25:59
早実投手陣が不安定で猛打帝京/剛球高島投手相手に劣勢と予想されたあの試合、展開的にも負けてもしょうがないと思って観戦していました。
阿久津と中野の踏ん張りと、7回の反撃、確かに3塁側は紺碧の空で燃えていました。怒涛の攻撃で高島投手を叩きましたね。
9回の帝京攻撃、ランナーを背負って火の出るような1塁ライナーを森が飛びついて勝利を得ました。
次戦で、関東一高に3塁線バントでかきまわされ選抜甲子園の夢は消えましたが、帝京戦は素晴らしいゲームでした。

73氏名無記入:2015/04/17(金) 02:26:19 ID:qAy54ZeU0
>45
私は当時の対戦相手です。

74ALY ◆W7umcYfatI:2015/06/13(土) 12:42:38 ID:Vwem.MHw0
今日の朝日新聞に荒木大輔さんが特集されています。
http://www.asahi.com/articles/ASH6B4HKWH6BUULB007.html?iref=sp_spotop_baseball_list_n

75氏名無記入:2015/06/15(月) 21:36:26 ID:iK3H5rrc0
決勝の対修徳戦、懐かしいです。荒木投手も凄かったが、黒柳君の守備は、
今だに忘れない。あの頃の鉄壁の守備は凄かったね。

76KH:2017/06/13(火) 20:54:27 ID:79q/.gbI0
>>9黒柳知至の娘です。父をこんないい感じに書いてくれてありがとうございます。私は父の高校野球について全然知りません。よければなにかお話を聞かせていただけたら嬉しいです!

77昭和53年卒:2017/06/13(火) 22:35:36 ID:BbTQBpV20
>>76
1982年夏東東京大会決勝での黒柳選手の試合を決めたに等しいファインプレーについては、9番の方が詳細に記載されている通りです。
試合後のインタビューで、故和田監督が黒柳選手の好守備が、その裏の早実の攻撃で代打萱原選手のサヨナラヒットを生んだという趣旨の話をされて、翌日の新聞に掲載されていました。
荒木投手の5季連続の甲子園出場も、東京都公式戦無敗の怪記録も、黒柳選手の美技あればこそ。
あなたのお父様は、そんな素晴らしい選手でしたよ。小生の5年下でしたから、今は52才か53才でおられるかと思います。

78ニューアルカイック:2017/06/17(土) 09:53:12 ID:4eflnCF.0
>>76
尊敬する黒柳先輩と同年代を過ごした者です。

百聞は一見に如かず。
早実の文化祭実行委員会が作成した、当時の貴重な映像が見つかりました。

3分45秒くらいから東東京の決勝、黒柳先輩の超絶ファインプレーが流れ、
その後、甲子園でのご活躍が記録されています。

https://www.youtube.com/watch?v=XyRNU-oZD3g
1982年早実夏の甲子園ハイライト(その1)開会式~1回戦 宇治高校戦

時は流れ、男子校(バンカラ)の応援風景は少し変わりましたが、
早実のDNAは変わりません。
機会があれば、応援席で一緒に紺碧の空を歌いましょう。


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