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呟き尾形の哲学講座 掲示板

76 呟き尾形 :2009/10/15(木) 00:19:30
>>67 :ドクシャさんへ

>哲学講座、楽しく読ませてもらいました。
 ありがとうございます。

> アウグスティヌスの三位一体がよくわかりません。
 これは、キリスト教にある概念です。
 簡単に説明すると、キリスト教において、父とは神のことであり、すべての人間は神の子どもたちであるという考え方です。
 つまり、キリスト教に言わせれば、私も、ドクシャさんも、ドクシャさんの父母も、ドクシャさんのご先祖様も神の子供である考え方です。
 そして、神のメッセージなどは、聖霊としてのいわゆる天使が人間に伝え、それらのつがなが李は別々の存在ではなく、一つの存在であるという考え方です。

 ですから、
> 認識や意志が各位と翻訳可能な言葉なのでしょうか
 との質問ですが、もともとが一体の存在ですので、翻訳という考え方は適切ではありません。

 ドクシャさんは、「以前の自分」と「今の自分」が同一人物であるということは、ドクシャさんにとって、自明であるように、神も聖霊も人間も一体であると考えられるわけです。
 
 これが、
「以前の自分と今の自分を一致させる根本的な知。」
 ということになります。

 次の、
「記憶の働き、内面化された明確な認識」
 というのは、自分の過去の記憶と、自分の内面の認識の一致というあまりにも自明なことを指摘しています。

 次の、
「知解の働きそして、その認識を愛し肯定する意志の働き」
 この部分は、単純化していえば、ある事象があり、何を是とし、何を非とするかを判断するときの、是非の判断をするときの是を是であると確信、あるいは理解する意思のことを指します。

 次の、
「記憶から知解が生まれ、知解から意志を創出させ、この意志
の働きが精神を自己と一致させると説いたわけです」
 というのは、是非の判断は、過去の記憶を基準としたものであり、その過程で自分なりの意志が生じているわけですが、その意志が自分のものであると確信する過程が上記の説明であるというこをアウグスティヌスは説いたわけです。

 はっきり言ってしまえば、アウグスティヌスの説いたことは、別に特殊なことの発見というよりも、日常生活をするうえで「私は私であるという確信」がどういったものであるかという説明にすぎません。

 以上、質問の回答でした。


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